童謡と唱歌




 03年4月3日号、10日号の『週刊文春』に、高島さんは「童謡と唱歌」について書いた。写真は4月10日号のものである。童謡と唱歌は違うものと明確に線引きをして論じたものを読んだのは初めてだったので、とても新鮮に読めた。そういう運動があったことは知っていた。なのになぜこんがらがっていたかの答も、高島さんが教えてくれた。

 3日号の冒頭は、高島さんが言う「童謡」と五十年配のご婦人が言う「童謡」がまったく一致せず、高島さんがいらだつというものだった。
 長文引用して恐縮だが、以下は10日号の中の一部である。



《『お言葉ですが…』『週刊文春』4/10月号より》

 子供は現在こねている粘土みたいなものではない、おとなに対して獨立した、そのままで価値を持つ存在である、という考えが出て来た。子供は白紙ではなくりっぱな絵なのだ。これが「子供の発見」である。ならばそれを対象とする特別な文学がなければならない、ということで、児童文学というものがあらわれた。大正半ばに生れた童謡はこの児童文学の一分野である。
(中略)

 童謡は大正七年の『赤い鳥』、つづいて続々発刊された『金の船』(のち『金の星』と改題)『おとぎの世界』『童話』等々の児童雑誌に発表された(詩と曲とが同時に発表されるばあいと、さきに詩が発表されあとで曲がつくばあいとある)。
 昭和初めまで十年たらずのあいだに作られた童謡は数千鹿にもおよぶだろう。したがって作詞作曲に参加した人の数も多いが、最も代表的な人を三人づつあげるなら一詩(歌詞)は北原白秋、野口雨情、西条八十、鹿は山田耕搾、中山晋平、本届長世、といったところであろうか。作品はよく知られたものだけでも枚挙にいとまない。もし人気投票をしたら、「赤とんぼ」「この道し「七つの予し「赤い靴」「証城寺の狸難子」「浜千鳥」「叱られて」「雨降りお月さん」あたりが票を集めそうである。
(中略)

 子供の心を至上のものとするのでこれを「童心主義」と言う。子供のほうがおとなより.も上等なのであるから、これに教訓をあたえるという姿勢は童謡にはない。唱歌との最大のちがいである。
 童謡に登場する子供はかならずしも幸福に輝いているわけではない。むしろたいてい影をおびている。たとえば金田一春彦先生が童謡第一番の傑作とたたえる「十五夜お月さん」-ばあやはおいとまをとり、妹はもらわれてかあさまゆき、もう一度母様にあいたいと十五夜の月に語りかける少女は、その悲惨のゆえに、受難の天使のごとき至純の美に輝く。童謡にはおとなの郷愁と悲哀とがこもっている。「証城寺の狸確子」のような最も陽気な部類のものでさえ、一抹の悲哀が隠顕するのはおおいがたいのである。
(中略)

 大正の童謡は十年ならずして衰退した。昭和四年三月に『赤い鳥』が休刊、つづいて『金の星』が廃刊してピークはおわった。衰退の理由は種々言われるが、根本は、同時期の童話とともに、親に柔順な一部のよい子を除いて、概してかんじんの子供自身にはそれほどアピールしなかったからであろう。
(中略)

 童謡は、昭和十年前後のころからまたさかんになった。しかしこれは、大正期の童謡とはだいぶちがう。郷愁・悲哀の拝情はほとんどなく、端的に幼児の歌である。「かわいい魚屋さん」や「お猿のかごや」に、刑法の教授を涙溝沽と泣かせる神通力はない。しかし子供の歌としてはこのほうが尋常かつ健全なのであろう。前回申した東京の婦人の念頭にあった童謡はこちらなのであった。




 いきなり本題から外れるが、高島さんの文章はほんとに漢字を使わないとしみじみ感心する。以下、上記文章より抜粋一覧。うしろはフツーの場合の漢字。

「おとな」  これは私も使う。大人(たいじん)との混用を避ける。
「りっぱ」  ついつい立派と書きがちだ。
「あらわれた」  現れた。
「つづいて」  続いてと書きがち。
「ばあい」  場合
「さきに」  先に
「たらず」  足らず
「あいだ」  間 これは私も「間 ま」と読まれないようにかなにする。
「およぶ」  及ぶ
「したがって」  従って
「あげる」  挙げる
「いとま」  暇
「ちがい」  違い
「あたえる」  与える
「かならずしも」  必ずしも
「おびて」  帯びて
「たとえば」  例えば 喩えば
「たたえる」  称える
「あいたい」  会いたい 逢いたい
「おおいがたい」  覆いがたい
「おわった」  終った
「ともに」  共に
「かんじん」  肝心、肝腎
「ころ」  頃
「さかん」  盛ん

 すごいなあ。こんな短文の中でこれだけある。しかもあまり漢字を使わない私レヴェルでの羅列である。漢字好きなら、その他にも「こねている→捏ねている」、「ごとき→如き」、「こもっている→籠もっている、隠っている」ともっと増えるだろう。
 信奉者の私ですらそう感じるのだから、社内規則そのままに機械的にひらがなを漢字に直して行く編集者だったら、これらを全部まとめて漢字にしてしまい、それにこだわる高島さんと争いになったのは自然の成り行きだった。初期のエッセイには、やたら漢字に直してしまう編集者といさかいになり原稿を引き上げた話が載っている。
 知らない人が読んだら、ずいぶんと漢字を知らない人だと思うのではないか(笑)。大賢者なのに。



 一般的な人(こんなおおざっぱな規定はむずかしいが)の考える「童謡」と、高島さんの分類との違いは、末尾の文章で説明されている。一般に「童謡」は、むかしなつかしい子供のころに唄った歌と解釈されている。それを「唱歌では物足りないと新たな意識で作り始めた童謡運動」と結びつける高島さんでは感覚が違ったわけだ。

 なお、引用文の「刑法の教授を涙溝沽と泣かせる神通力はない」だが、高島さんの友人の大学教授は、童謡の「七つの子」を唄うと毎回必ず大泣きしてしまうのだそうである。「かあらあす、なぜなくの」のあれである。「カラスのかってでしょ」の世代には理解できないだろう。

 そういう例を引き、そのへんのいいかげんな唱歌と童謡は根本から違うんだという姿勢を取る高島さんだが、結びの部分で、いわゆる毒のない昭和期の童謡を、「それのほうが尋常かつ健全なのであろう」と容認しているのでなんとか救いがある。
 もとより私は大正の童謡運動に詳しくはないが、「赤い靴」の不気味さなどは直感でわかっているから理解しやすかった。大正期に童謡運動が起きたことも、それらが目指したものもよくわかるが、べつに童謡に深いものはもとめない。昭和期の「かわいい魚やさん」や「お猿のかごや」のほうが好きだ。

 「赤い靴」といえば、「ボキャブラ天国」の時に、「赤い靴 はいてた女の子 イジリさんにつれられていっちゃった」ってのがあった。笑った。イジリはイジリ岡田ね(笑)。もうすこし教養のある思い出話を持ちたいものである。無い袖はふれん。
 唄ったら、思わず泣いてしまうという歌は、私にはない。けっこう若い人でも、カラオケであの歌をやられるともう、なんてのがあるらしいけどね。



 私は学生時代から歌を作ってきた。歌を作る基本は、恋愛であれ人生であれ、自分の思うことがテーマであり、その形式は、自分がかっこいいと思う歌曲を真似る。
 私の場合はすこしばかりみんなと違っていて、可能な限りの形式をやってみたかった。いわば情感で創るのではなくアタマで組み立てていたのだ。となると自然に、歌曲の一形式である童謡や唱歌への挑戦があった。といって真正面からまともな童謡を作って発表するのは恥ずかしいので、それは童謡や唱歌のような音楽形式を持った、毒歌であったりパロディであったりした。私のやっていたことは、のちの言葉で言うとパスティーシュだったのかもしれない。

 上記『お言葉ですが…』を二週読んだ後、東京で宿酔いでダウンしているとき、本棚から童謡関係の本を探し出して何冊か読んだ。買ったのは古いが、こちらのアタマの中にある「童謡らしき歌」を創るための資料であるからして熟読はしていない。初めて読むように新鮮だった。そのうちの一冊に阪田寛夫さんの「童謡でてこい!」があった。阪田さんは「さっちゃん」の作詞家である。

 何十曲もの童謡唱歌が一話一曲ずつ取り上げられ、分析されたりしているのだが、ちょうど高島さんの文章を読んだ後だったので、阪田さんが童謡と唱歌を高島さん的に分別していないことが気になった。以前読んだときなんとも思わなかったのだが。

「汽車汽車しゅっぽしゅっぽ しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ ぼくらを乗せて しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ」の「ぼくら」は、本来は「兵隊さん」である。それは知っていた。時代と連動するそんな話が満載されている。

 でも納得できないこともあった。
 たとえば「里の秋」である。「静かな静かな里の秋」で、なぜ「ああ かあさんとただ二人」であるか。それはとうさんは戦争に行っているからである。だからこの歌では、たしか5番に、主人公の少年がいつかは自分も兵隊さんになってがんばるぞという歌詞が出てくる。
 なのに阪田さんはこの歌の歌詞を3番までしか掲載せず、そのことに触れないのである。「かあさんと二人なのはとうさんが戦争に行っているから」まで書いたなら、この知り切れトンボは不自然であろう。

 阪田さんは阿川弘之さんと親友であるのだから、そのへんのことがしっかりしていないはずがない。でなきゃ私は阪田さんの本など読まない。だからこそ気になった。私なりにその原因を推測してみる。
 するとこの文章は、労組の機関誌に連載したものであることがわかった。昭和四十年代末期か五十年代のようだ。とすると「いつかはぼくも兵隊さん」なんて歌詞を載せることは出来なかったのか。

 この本、昭和60年の初版本だがその後どうなったのだろう。もしも文庫になったなら(なったのかなあ?)その辺を書き換えたのだろうか。一童謡ファンとして、歌詞のちょんぎりはやめてもらいたいと思った。
 今も発売されていてネットで探せるなら写真を載せられるが、絶版なら東京から本を持ってきてスキャンして表紙を載せることにしよう。
(03/4/14)






「童謡出てこい!」は河出文庫になっていました。


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