『お言葉ですが…』のおもしろさに、高島さんと読者とのやりとりがある。間違い、勘違いを指摘してくれた読者へ御礼を述べつつ訂正するものが主だが、それとはすこし違った、見当違いのイチャモンに対して、高島さんが我慢ならんという感じで反発するものもおもしろい。こういうところから高島さんの頑固さと人間性がかいま見えて、誌上を通じての関係でしかないのに、本当に大学で講義を受けた先生のような親しみを感じたりする。

 たとえば新聞が、高名なかたの訃報に直木賞作家と肩書きをつけるのはいかがなものか!(鈴木宗男調)という章があった。直木賞作家なんて肩書きは〃誰も知らないような直木賞作家〃が小銭稼ぎの講演を田舎でやるようなときに使うものであって(読者からの抗議を考慮して高島さんは田舎ということばは使っていなかったが)誰もが知っている多大な功績を残した高名な作家の訃報に、見出しとしてそんなものを附けるのは、かえって失礼だろうという、私からするとまことにもってごもっともと思う論旨だった。なのにそれにケチをつけてくる人もいるらしいのだ。


ところでこの「誰も知らない直木賞作家」って意外に多い。誰も知らないってことはないけど、直木賞作家であり一般的に知名度の高い人はごく一部である。なにしろ半年に一度の賞であり、受賞者無しの時もあるが二人受賞の時も多い。
 先日、浅田次郎さんが「蒼穹の昴」で落ちたときは誰が取ったんだったけと思い、ネットで調べた。便利だよねえ。あっという間に「直木賞受賞作家一覧」てとこに繋がって調べられた。家の中に図書館があるのと同じだ。すばらしい時代である。

 それで、あらためてまた知らない受賞作家がいっぱいいることを知った。元々世の中の話題に遅れまいと話題作を読むというようなタイプではないので(自分に自信がない若いときは欠かさず読んでいましたが)あまりそういうものとは縁がない。私の好きな作家なんてもらってない人のほうが多いぐらいだ。
 直木賞を受賞することによって上がったステイタスと生活を落とすことは出来ないから、そういう人たちは、その看板と人脈を活かして、なんらかの方法で稼いでいるのだろう。
 田舎の町村は、なんだかわけのわからない文化なんとか費なんてのを毎年計上していて、使わないと来年度から組まれなくなってしまうから、三月末の道路工事のように、ヘンな企画で無理矢理使おうとしたりする。自分の田舎で目の当たりにしていることだから、この辺のことは強気に言い切れる。

 それで、なんだか知らない人を呼んで講演会をやったりするのである。謝礼は百万円だ。田舎の千人以上入る立派な公民館に百人ぐらいしか集まらない。百姓は名前も知らない作家のつまらない話をわざわざ公民館まで出かけて聞くより、カラオケやパチンコで遊ぶほうを選ぶ。来ているのは家庭的に不幸で暇をもてあました年寄りばかりだったりする。
 こういう現状を見ると講演者が気の毒になってしまうが、元々割り切ってのどさ周りだろうし、これで百万もらえるならどうでもいいんだろうなと思う。彼らも田舎に自分の熱心な読者がいると思ってきたわけでもなかろう。金稼ぎだ。こういう場合には、村報(笑)や前宣伝のビラにも会場の立て看板にも直木賞だの芥川賞だのと仰々しく入(はい)っている。これは入(い)れないと誰だか解らないし箔がつかないから当然だろう。


そういうわけで、高島さんの意見は極めて筋の通ったものだった。ところがここに、まったく論旨を読み違えて、というか曲解して、オチョクリの手紙を書いてきたりする読者もいるらしいのである。わからんなあ。
 それは「あんた先週、延々と直木賞のことを書いていたけど、よほど直木賞が欲しいようだね(笑)」というものだったという。世の中広い。あの文章をこんなふうに解釈する人もいるのだ。怖いものである。

 さすがに高島さんもムっとしたらしく、わたしゃ直木賞なんて欲しくないし、それよりなにより今までただの一度も小説すら書いたことないんですけどねと反発していた。その辺の生の息吹きが読者としておもしろいのだけれど、それと同時にこれは、自分好みのものが数多く載っているからとついつい盲愛しそうになる『週刊文春』のようなメディアに対し、いろんな人がそれぞれの解釈で読んでるんだねえと、『週刊文春』読んでる人だからといって自分と意見が同じってわけでもないんだねえ、と戒めてくれるありがたいものとなったのだった。




『お言葉ですが…』で高島さんが読者と〃双方向性〃でやっているものに「嫌いな言葉」というのがある。「ふれあい」「手作り」「こだわり」のような言葉もあれば、「させていただきます」のような用法もある。最初は高島さんが「私はこういう日本語が嫌いだ」と始めたのだが、読者もそれに呼応して「私の嫌いな言葉」を寄せたりして、興味深いシリーズとなっている。

『お言葉ですが…』の連載当初は、いわゆる〃誤用〃に関する考察が多かった。別項で書いている「全然の使用法」などがその例になる。これは読んでいて同じ意見だと納得することもあれば、誤用していたと赤面することも多く、博覧の先生に講義を受けているようでとてもためになったものだった。
 そこを通り越すと当然〃感覚〃の問題になる。この「嫌いな言葉集」というテーマはその代表だろう。

高島さんにとって、嫌いというかなんというか、どうにも気にいらないと引っかかるのが「電話を入れる」という表現なのだそうな。電話を掛けるという表現に、いつから「入れる」が来たのだろうと、その発祥を探り、読者と共に考える。昭和四十年代の関東の営業マンが使い始めたのが最初と結論づけたところに、いや関西では昭和三十年代から一般的に使っていました、とまた意見が寄せられたりして侃々諤々である。

 私のこういうものに対する感想は、「そうだそうだその通り!」と思わず声を出しそうになるほど共感するものもあれば、「ああなるほど、そんな考えもあるのか」と、ひとごとふうに見やる場合もある。これなどはひとごとふうなひとつであった。私は電話を掛けると使い、人にも電話を掛けますと言い、自分にも電話をくださいと言う。ただ仕事的な面では「必ず電話を入れますから」のように使う場合もある。だから高島さんの最初の推測である「営業マンから始まった言葉ではないか」というのは正しいように思う。「会社に営業報告(の電話)を入れる」である。

 私にとって「電話を入れる」という表現は、普段の生活で頻繁に使うものではないが、時と場合によっては使用することもあり、特に嘘話を書く場合、登場人物がそれを使用したほうがふさわしいと判断したときは、躊躇なく使用する。高島さんは学者であり、文章の基本は論文のような随筆だから嫌いな言葉は使わないが、嘘つき売文業者の私は、嫌いではあっても状況に応じて使うということになる。と、今回のテーマはそういう言葉問題ではなかったので先を急ぐ。





その「電話を入れる」に関して読者も交えてあれこれと意見交換をし、考察をしている頃、高島さんに読者から反発の手紙が届いた。そこには「電話を入れるが上品であろうと下品であろうと、どこから始まろうと、すでに一般的になっているのだから、それでいいではないか」
「重箱の隅をほじくるようなことをやっていても読者は離れるばかり。あんたの意見に同調する人なんてのは百人にひとりだよ」
 と書いてあったらしい。

 世の中には高島さんの意見を気に入らない人もいるのだろう。まあ朝日新聞の読者なら全員がそうであることは間違いない(笑)。なんてったって「天声人語」を高島さんほど痛快に笑いものにしてくれる人はいない。しかも誤りを正しく指摘しているので朝日側も反論のしようがない。

 一所懸命の論争と好ましい展開に冷や水を浴びせるようなこの手紙には高島さんもカチンと来たらしい。でもこれに対する返しは見事だった。
 まずは、「たしかにそうかもしれないですね。もう一般的なのだからどうでもいいのかもしれません」と一歩引き、「でも私は今後も使いたくはありません」と自分の意志を明確にし、「たしかに私の意見に同調してくれる人なんて百人にひとりかもしれません」と居住まいを正して言う。
「百人の中にひとりしかいないのかと考えるとなんか心細いが、百万人の中に自分と同じ考えの人が一万人もいるのかと思うと、心強くなってくる」と。いやあ、これはいい返しだったなあ。

 思わず私も、百万人に一万人、千万人に十万人、一億人に百万人と数えていき、今いる田舎県で一万人以上、東京なら十二万人かと考えたら、もりもりと生きる希望が湧いてきたのだった。中国なら千三百万人となるが、これはまあ単なる飛躍ですな。わたしゃ日本人だ。


私がここに書いているようなこと、私がおもしろいと思ってこれから書いてゆこうと思っているものも、支持は百人にひとり程度だろう。だが百万人に一万人と考えると、とても希望的になってくる。
 学んだのは、人を傷つけようとして書いてきた言葉を、上手に切り返し、むしろ希望的な言葉に転換させてしまった高島さんの賢者の智慧だった。そしてそれと同じぐらい、ごく単純明快な数の論理で、世の中捨てたもんじゃないと、本気で私は思えたのだった。

 インターネットの世界は他者と知り合うことに無限の可能性がある。いや厳密には有限なのだが、事ひとりの人間が他者と出会う可能性においては、限りなく無限に近い。百万人の人と知り合えば一万人の人と友達になれる可能性がある。ネット世界で百万人の人と出会い、一万人の友人を作ることはそれほど遠大なことではない。
 そう思ったら、このホームページももっと真面目にやろうと、やる気が出てきたのだった。こういう切り返しの術は覚えておきたいものである。
(02/4/5)




inserted by FC2 system