リストラの季節



(佐賀競馬場)



 三月から四月にかけてはパーテイが多い。送別会や歓迎会の類だ。人前に出ることが嫌いな私は、さいわいにもこういう職業柄、同僚の転勤などとは無縁で、比較的その種のものには関わらずにいられる。それでも今年の春は出ざるを得ないものがいくつかあった。
 その中でも、今週土曜の「I編集長を励ます会」は忘れられないものになりそうだ。

 不況、というか、日本経済が仕切り直しという最大の危機に見舞われていることぐらいは理解しているが、私のような極楽とんぼにとって、日本ダイナースクラブの会員誌『SIGNATURE』の編集長であるIさんがリストラされたというのは、寝耳に水というか、正に青天の霹靂であった。

 昨年、富士銀行グループに属していた日本ダイナースクラブが、アメリカのシティバンクに身売りされた。クレジットカード最古手であり、高級カードの代名詞であるダイナースだが、新生みずほグループは、それを不要と判断したのだろう。
 元々は好景気の時にシティバンクから買い取ったものらしいから元にもどっただけとも言える。このこと自体はたいした問題ではない。たださすがに、富士銀行がそこまで追いつめられているのかという感慨はある。日産にフランス人が乗り込んできたときのように、気分としてあまりよいものではない……。

 そういう激動の時代の中でも、最も安泰な人がIさんだと思っていた。それほどIさんは腕利きであり業界では知らぬ人のいない有名人なのである。



 ちょっと競馬の話になるが。
 競馬業界に「社台レーシングホース」(以下社台RH)という共同馬主クラブがある。
 昭和五十年代にこのクラブが出来るまでにも、共同で馬を持つというシステムは、ターフやシチーの名がつく友駿ホースクラブなど、すでにいくつか存在していた。

 餘談ながら、この友駿ホースクラブの代表者がタレントの野沢直子の父親であり、彼女が売り出した頃、下品な芸風とは異なり「実はお嬢様」などと女性週刊誌的な話題になったものだった。彼女は、父親が今は社長なだけであり、むかしは貧乏で苦労して、とてもお嬢様ではなかったと苦笑しつつ反論していたが。

 それはともかく。この友駿ホースクラブに代表されるそれまでの共同馬主クラブというのは、サラリーマンが一口五万円の出資をし(しかも内実は友人五人とひとり1万円ずつの共同出資だったりした)、百人合計五百万円程度の安馬を持つというレベルだった。それは庶民でも馬主気分を味わえる世界でも珍しいシステム(=いかにも日本的なビンボーくさいシステムとも言える)だったが、そういうものは所詮そこまでのものであり、そこから出る活躍馬は、ヌアージターフとかゴールドシチーとか、たまに出る一流半馬がせいぜいだった。

 そこに、同じ共同馬主クラブとはいえ、日本一の規模を誇る牧場の社台ファームと、金持ち用クレジットカードのダイナースクラブが結託した「社台RH」という画期的な組織が誕生したわけである。
 一頭の馬は二十口限定。一口の出資額は馬の値段によって決まるというシステムだった。しかも吉田善哉さんは、最高の馬を提供し、そういうシステムだからと値引くこともしなかった。ということで、それまでとは桁違いの「一口二百万円、二十口で四千万円の馬」というような、共同馬主クラブの概念を覆す馬が登場し始めたのである。

 馬名には象徴としてダイナがついていた。どんなに高額馬であろうと走らなかったら笑い話なのだが、ちょうど社台ファームの有する種牡馬、ノーザンダンサー系ノーザンテーストの血の爆発と重なったものだから、ダイナカール、ダイナガリバー、ギャロップダイナと大レースを連続制覇する馬が続出し、その金で買った後継種牡馬がまた大当たりしてと、昭和五十年代後半から現在に至るまで、社台RHは、最多賞金獲得馬主の座を、二位とはゼロがひとつ違う金額で獨走することになったのである。当歳時、「この馬がダービーを獲る」と善哉さんが予測したことで有名なダイナガリバーは最高額の4000万円、個人馬主の高額馬と比しても最高額だったろう。善哉さんの強気がすべてよい方向に転がり始める。

 出資額が多ければ、持ち馬が稼いだときの配当も大きくなる。それまでは、一口五万円を出資しても、一勝をあげることすらまれで、サラリーマンが馬主気分を味わうための気分的遊びのようなものだった共同馬主クラブが、社台RHの成功により、「二百万円の出資で三千万円の配当」のような、金持ちの投資対象にさえなってきたのである。

 会員はダイナースカードのメンバー限定だったが、勝ちっぷりがあまりに凄すぎるので、希望馬主が増えすぎ、新たに別組織としてダイナースホースメイトを設立するほどの活況だった。十分な宣伝効果を上げたと判断され、馬名からダイナの冠が外される。進撃は停まらない。それは昨年も今年も続いている。先日アラブ首長国連邦でGTを勝ち話題となったステイゴールドなどもここの馬である。





 ということで本題。その社台RHという賞金獲得額日本一を連続している巨大組織の発案者がI編集長なのだった。

 十五年ほど前、私はダイナースクラブの会員誌『SIGNATURE』の競馬対談コーナーに招待された。インタビュアーはサンスポの名物記者・佐藤洋一郎さんだった。
 このころ書いた競馬随筆に「ぼくの旬、あなたが旬」というのがある。私は競馬ライターとしての旬を迎えていた。実入りも良かった。この当時がんばって稼いだお金で豪華海外旅行をしている内にタイと出会い、ハマってしまい、やがてタイ惚け浦島太郎となって墜ちてゆくのであるが(笑)、それはまた別の話としよう。

 ダイナース本社で初めてI編集長と会い、対談前の世間話をしていて偶然そのことを知ったとき、私は思わず「ええ!」と大声を挙げてしまったものだった。競馬ファンなら誰もが知っているその組織の発案者が、いま目の前にいる人なのだ。どんな物事にも仕掛け人や発案者はいる。それは解っている。だがそれは私にとって特別なものだった。

 競馬ライターになる前、地を這うような馬券勝負をしていた私にとって、日本一の牧場と金持ちクレジットカードが組んだ「ダイナ」というのは不倶戴天の敵だったのである。当時の私の馬券勝負の基本は、「名血であり人気であるダイナの馬をいかにして消すかだった」といっても過言ではない。
 競馬物書きになり、そんなこだわりは捨てたものの(こだわっていては仕事にならなかった。それほど大きな存在だった)、自分の人生すら左右したあの社台RHの発案者がこの人なのかと、私はまじまじとIさんの顔を見つめたものだった。


 その後、佐藤さんの後を受けて私がその競馬コーナーのインタビュアーとなる。数々のホースマンとの知己を得た。そこからまた『SIGNATURE』の海外取材の仕事が生まれ、イギリス、アイルランド、フランス、香港、オーストラリア、タイなどに行かせてもらった。なにがうれしいといって自費ではとても無理なファーストクラスや高級ホテルを経験させてもらったことが大きい。チェンマイの最高級ホテルである「リージェント・リゾート・チェンマイ」に連泊出来たのもこの仕事のお蔭だった。

 I編集長が発案したこの組織が、会社にもたらした利益はいかほどのものであろう。大貢献である。彼は出世コースを歩むものと思っていた。日本ダイナースという組織のトップは、富士銀行からの天下りだから、社長は無理としても、取締役ぐらいにはなると思っていた。

 なのに、親会社が替わるという激変があると、高給取りである彼は出世どころかリストラの対象とされたのである。その理由には、日米の会社法の違いもあった。
 アメリカの会社法では、シティバンクのような金融会社が、共同馬主クラブを所有することは認められていないという。よってクレジットカード会社と牧場が組んだ社台RH組織はダイナースカードとは無縁の組織となった。Iさんの最大の功績が消滅したわけである。
 I編集長の偉大な功績は、シティバンクには認められなかったことになる。この辺、アメリカ映画で見る大胆なリストラや社長交代劇のようで日米の差を痛感する。





 というわけで、今週の土曜は「I編集長を励ます会」があり、パーティ嫌いの私も出ることになっている。
 この種の「パーティ」と言えば、バンケットでの立食形式であり、二百人ぐらいの出席者、スーツ、ネクタイ着用、いつの間にか始まり、なんだか解らないままに終るという、つまらないものが多いが、今回は、長年Iさんと関わってきた物書きばかり十八人でやるこぢんまりとした食事会である。年輩の芥川賞作家、直木賞作家が来るので、おっさんの私もここでは若輩者になってしまう。もしかして最年少か。

 リストラと言っても、Iさんはすぐに獨立編集プロダクションを組織するだろうし、めちゃくちゃ顔の広い人だから、今まで通り、今まで以上にバリバリ仕事をしてゆくことだろう。この人はワーカホリックである。家庭なんかほっぽりだして深夜まで編集部に詰めている。Iさんを励ますというよりこちらが励ましてもらいたいぐらいの状況であり、リストラとはいえ明日からどうしようという切実なものではない。

 それでもこれは、時代が変わればこんなこともあるのだと知らされた、この春の忘れられない事件となりそうである。(01/3/31)

附記 リストラの季節




 「リストラの季節」に書いたように、七日のIさんのパーティを楽しみにしていたのに、予想外のことが起きてだいぶ予定が狂ってしまった。
 なんとか元通り出席できる可能性を探して右往左往したのだが、どうしようもなくなり結局出席を断念することになる。
 九州へ出発間際、私は以下のようなファクスをIさんに送った。


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I編集長様

 長年のお勤めご苦労様でした。今回、お会いできることを楽しみにしていたのですが、
以下のような事情が生じ、参加できなくなってしまいました。
弁明じみた文章になり恐縮ですが、ご一読いただけると幸いです。

 主催者のSさんより七日の出席を問われ、二つ返事で参加を表明しました。
それ以前に、府中で会ったときに、今回の会の開催を催促してもいました。
 その時の私の予定には「八日の桜花賞を阪神で取材。九日に、今年でなくなる大分県中津競馬を取材。中央と地方を混ぜた紀行文を書く」という『優駿』の仕事が入っておりました。
 七日のパーティに出席し、八日早朝に新幹線で阪神に向かうつもりでした。

 ところが直前になって、「中津競馬場のストライキで九日の競馬が中止」となってしまったのです。決勝写真を撮る業者のストとのことでした。
 急遽、佐賀競馬、荒尾競馬などを代理取材し「中央、地方、二本立て随筆」で乗り切ることになりました。
 しかし現在の地方競馬は土日開催になっているところが多く、九州方面に月曜開催がありません。
「七日に地方競馬取材、八日に桜花賞取材」と予定変更せざるを得なくなったのです。

 それでも私はなんとしても七日のパーティに出席したい旨を『優駿』側に伝えました。
その結果、「七日に佐賀、荒尾、益田のどれかを東京から日帰り取材。夕刻に東京にもどってきてパーティに参加。八日早朝に再度阪神に向かう」というプランとなりました。
「もしもそれで体力が持つのなら」とのことでしたが、私は喜んでそれを乗り切るつもりでした。
 しかしこれもチケット手配の段階で、「どの競馬場からも帰路の飛行機が羽田に着くのが七時近くになってしまう」ことが判明します。それでは新宿の会場に着いたときにはもうパーティは終りの時間です。二次会があるならそれには参加できますが、翌日始発で阪神に向かうので夜更かしも出来ません。また、全員が揃うメインが新宿での食事会にあることは間違いありません。

 ここまで来て私も覚悟を決めました。
これでは競馬取材もパーティ参加も、どちらも半端になってしまいます。
「七日に佐賀競馬を取材し、グリーングラスの墓参りをして、翌日に桜花賞を観戦する」という『優駿』側のスケジュールに従うことにしました。
Iさんのパーティに参加できなくなったことが残念でたまりませんが、そういう事情ですので、どうかご容赦ください。

 またお仕事をご一緒できる日を楽しみにしております。今後のご活躍を心から願っております。

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 そうして、七日、朝四時に田舎の家を出て、羽田発八時の便で佐賀に飛んだ。さすがに何カ所もの取材が終り、食事をして夜の十時にホテルにもどると、風呂にも入らず眠ってしまった。

 それでもせっかく行った佐賀だからと、目が覚めた午前二時に起き出し、ニフティの佐賀に繋いでみた。まずもう私の人生で、佐賀のアクセスポイントに繋ぐことはないと思うのから、ぜひともやってみたかった。本当は今ここに書いているようなことを佐賀から書き込みたかったが、さすがにそこまでの餘裕はなくメイルチェックをしただけでおしまい。

 八日の朝に大阪へ飛ぶ。桜花賞の取材。満開の桜が絶品。馬券は佐賀と阪神ですってんてん。
 その日の新幹線、最終列車で帰京。その前に梅田の駅前で乾杯。新幹線の中でも飲みっぱなし。競馬場の中で会った旧知の一行六人だったが、べつに高歌放吟するわけでもなく、品のいい酒。ただし喫煙車輌なので煙かった。

 さすがに九日の朝、疲れが吹き出し東京の住まいで午前中ダウン。が、そうしてもいられない。締め切り直前の取材原稿なのですぐに仕上げねばならない。午後から田舎に移動。ついでに秋葉原でまたIBMのハードディスクを買ってしまった。こんなにハードディスクばかり買ってどうするのだろう(笑)。なんかストレスで買い物をする癖がつきつつある。

 午後八時直前帰宅、新日のゴールデンタイム生中継になんとか間に合う。よかった。橋本がいい顔をしていた。
 またもやパソコン不調。どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ。快適までの道は遠い。
 今日はもう十日。今日と明日は他の締め切りもある。いそがしい。
 こんな状況で果たしていいものが書けるのかどうか。がんばらねば。
 Iさんを励ます会はどうなったろう。まだ出席者の誰とも話していない。大切なIさんの会に出られなかったお詫びは、この仕事でいい原稿を書くことだ。
(2k/4/10)


素材餘話-これっきりという愛しさ


《附記の弐》
 その後Iさんは友人のやっている出版会社に専務取締役として関わり大活躍しています。当然の事ながら安心です。ジャパンカップの日、府中で久しぶりに再会し、深夜まで大騒ぎをしました。(01/11/25)



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