コウマンを葬る!




 十数年前から馬名に「コウマン」というのが現れ始めた。競馬用語で言う「冠号」である。いまパソコンで調べてみたら初期の馬であるコウマンシンゲキ、コウマンソブリンなどが現在16歳となっているから十二年前ぐらいのことになる。オグリキャップ、武豊などの活躍によって競馬ブームがわき起こり、多くの競馬雑誌が創刊され、ありあまった競馬ライターの中から「お笑い系」などと名乗るのが出てきたころになる。さっそく彼らはこの「コウマン」をネタに取り上げてはしゃぎはじめた。それは「チェリーコウマン」という馬が現れてピークを迎える。

 私はそういう彼らのはしゃぎぶりに接してから意味を理解した。それほど遠い話題だった。大活躍した馬の名前がコウマンなんとかだったのではない。なにかおもしろい馬名の馬はいないかと、そういうことにしか興味の行かないライターが鵜の目鷹の目で探し回り、見つけだしたのがこのネタだったのだ。


 この関東の隠語をさかさまにしたことばを連発し普及させたのはビートたけしのオールナイトニッポンである。
 サカサマことばはミュージシャンが愛好する。私がこのことばを知り合いのジャズミュージシャンから聞いたのは二十歳のころだった。といってそれを日常語にすることはなかった。なにしろこういうことばは、特権意識を持つ連中が他分野の連中にわからないようにして使うことに意味がある。サカサことばを連発し、日本人の前で日本語をしゃべっているのに周囲はそれを理解できないという優越感が存在意義なのだ。
「かっこいいか否か」を基準にして生きてきた私には、彼らの薄っぺらな特権意識は、どうかんがえても「バッカじゃないの」としか思えないかっこわるいものだった。言うまでもないことだが、真にすぐれたミュージシャンは一般人と話すときは相手に通じるように話す。サカサことばを連発して相手を煙に巻き、いい気になっているのにまともなのはいない。それは「いまどきの若者」にも通じる真理だ。



 ことば命であるあるラジオでは、私が高校生のころから(当時まだ無名の)愛川欣也なども、懸命に「放送禁止用語をいかにして言い換え、しゃべることができるか」には苦心ししていた。
 日本語がダメなら英語はどうだというのは、当時も今も変わらない責任転嫁の方法である。最近、パーキンソン、ヤコブ、ハンセン、アルツハイマーと難病の名前がみな西洋人の博士の名前になってしまい、どれがどれだか覚えるのがたいへんだ。
 私がプッシーキャット(子猫ちゃん)ということばと、プッシーの裏の意味を知ったのは、高校生の時、文化放送の新人アナウンサー・みのもんたの深夜放送によってであった。


 ビートたけしが連発することにより「コーマン」は一気に普及(?)していったわけだが、かといってそれが日本全国の普通語になったわけではない。少なくとも私はそれ以後も、このことばを、卑猥な意味で使用する人にも、恥ずかしそうに、あるいは内緒のことばとして口にする人にも会ったことはない。ふだんまったく耳にしないことばだった。ふだん耳にしないということは、口に出来ないような隠語という意味ではない。お笑い芸人や売れないミュージシャン、ビートたけしフリークの高校生ぐらいが使うごくマイナーなことばでしかなかったという意味である。


 この種のものは騒ぐことによって問題化する。
 靖國参拝問題も従軍慰安婦問題もそうである。戦後一貫して問題視されてきたのではない。追いつめられた左翼が苦し紛れのテーマとして提起し、無理矢理起きあがらせた比較的新しい自虐ネタである。それは歴史をひもとけば明白だ。差別用語もまたそうである。
 同じような形で(大小の差はあれ基本は同じになる)、ほんの二三人のネタなし競馬ライターが大はしゃぎで取り上げることにより、この馬名は「まるで誰もが知っている恥ずかしいことばを堂々と馬の名前にしているとんでもない馬主」のような形となり、「中央競馬会はこんなヒワイな馬名を許しておいていいのか」のような問題となっていったのである。


 そんなある日、競馬場からの帰り、みんなで酒を飲んでいるとき、ある知人が「いくらなんでもコーマンはないよな、コーマンは。チェリーコーマンなんてモロだろモロ」と笑いながら、いかにも常識であるかのように言いだした。私は奇妙な感じをうけた。彼は関西出身である。彼とのつきあいは十年に及ぶが、露骨なことばを好む彼からコーマンどころか元のことばすら聞いたことはなかった。大阪育ちの彼にとってどう考えてもそれは恥ずかしいことば、禁忌ではないのである。それがなぜそう言い出したかといえば、これはもう「話題になっていたから」としか言いようがない。ここまで話が拡がっているのなら、あの「冠号」は遠からず廃止されてしまうだろうと、なんともイヤな気分になったことを覚えている。




 冠号「コウマン」の馬主とは、九州で「弘馬」という会社を経営する人だった。自信を持って附けた会社名や愛馬の冠号が、関東の女性器を連想させることばだとやり玉に挙げられることなど、彼は想像だにしなかったろう。ことばとはそういうものだ。日本ではありふれたことばが、かの国ではこんないやらしい意味になるなどとくだらん知ったかぶりをするつもりはないが……。

 コウマンの馬は馬主の関係から関西に多かった。実況アナウンサーから一般競馬ファンに到るまで、関西の人で、この馬名から卑猥なことを想像した人など皆無だったろう。土地が変わればことばも変る。関西の人は関東のそれをもろに発言してもちっとも恥ずかしくないと言う。それは関東も同じだ。それがことばであり文化である。しかもこれは、一部関東の芸人が使用するだけのさかさことばと響きが似ているというだけなのである。そんなことを騒いでどうするのだ。

 だが、実に怖ろしいことに、コウマン馬主はこの冠号を捨てたのである。捨てさせられたのか。競馬会からそういうお達しがいったのか、例年のように馬名申請したら、ある年から却下されたのか、その辺の事情は知らない。たしかなのはバカ競馬ライターがくだらんことを騒ぐことによって日本語をひとつ葬ったということだ。なにしろ最悪のバカは「もしも日本の馬の名前がみんなコーマン馬名になったなら」などという文章を本にまでしていたのである。そんなものが本になるぐらいの競馬ブームだった。



 ことばは時代と人が変えてゆく。一人歩きして変身もする。カタワやフグシャをひどいことばだからと身体障害者に置き換えても、やがては日本風の略語で身障者となり、「シンショーシャ」があらたな差別用語となって行く。「障害」ということばまでもが差別を想起させると、運動会の「障害物競走」も「山あり谷あり競走」と名を変えてゆく。

 私は差別につながることばを乱発したいと思っているわけではない。ただし文章を書く上において、びっこという表現が必要だと思ったら、書く。それは足の不自由な人と置き換えてすむ問題ではない。「東支那海」などをすべて「東中国海」に置き換えた小説に、読むに耐えないものが多いように、そういうことにこだわることは、もっと肝腎なことを忘れてしまうことに通じるのだ。

 実に小さな話ではあるが、コウマン馬名が、一部の人間によって騒がれ、消えていったことは、私には印象的な出来事だった。
(01/11/24)


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