おもひで裏話


第2回

天馬の思い出

 当然であるが、ここに書いた内容はすべて実話である。いま考えてみると、NHKラジオが五時から流す5分ほどのニュースでトウショウボーイの死を伝えたって、かなりすごいことなんじゃないだろうか。ちょっとやそっとの有名人じゃ流されない。

 この作品がホームページ掲載の最初のファイルとなったのは、第1回を紛失していて実質的にこれが最初の作品になるから自然なことなのだが、なんとも季節的にどんぴしゃとなったのは望外の喜びである。九月の初め、ラジオで聞く大相撲秋場所、その合間に流れる5分間のニュース、そこから流れてきたトウショウボーイの死……。十一年前と今がぴったり符合している。なんともいい掲載のタイミングとなった。

 ここですこしだけ触れた「天才秀才論」は、この後の原稿でも何度か出てくることになる。関西で天才だったテンポイントが、関東で真の天才のトウショウボーイの前では、努力型の秀才になってしまうという切り口である。


 これが皐月賞までのテンポイントの成績。当時は3歳最強馬を決めるレースが、関東の朝日杯3歳ステークス、関西の阪神3歳ステークスと分かれていて、その東西代表が年明けにぶつかることになっていた。正に健全な東西対抗の図式である。今では3歳のGⅠはひとつになってしまったし、年内から東西とも活潑に行き来する。今のほうが正しいのだろうが、当時のほうが楽しかった。
 この年、関東の3歳代表は外車のスピリットスワプス。外車ゆえクラシックには出られない。外車幻想の時代。5戦全勝で乗りこんだ朝日杯。しかしそこで関東にもスターホースが出現する。2戦2勝だったボールドシンボリがそのスピリットスワプスを破って3歳チャンプになるのだ。テンポイント迎撃態勢は整ったかと思えた。しかし間もなく骨折。関東ファンは誰もがテンポイントのクラシックひとり舞台を覚悟した。関西はさらに沸き立った。

 東上したテンポイントはまず東京4歳ステークスを勝つ。2着はクライムカイザー。クライムカイザーはこのあと皐月賞に当時も今も最も関係の深い弥生賞を勝つ。そのことで益々テンポイントの評価はあがった。
 次いでスプリングステークスも勝つ。重賞3連勝。5戦全勝である。しかしこのスプリングステークス、着差がきわどかった。新馬戦を大差のレコード勝ちでデビューし、2戦目、3戦目とぶっちぎりで勝ってきたテンポイントだったが、関東に来てから次第に2着との差が縮まりつつあった。
 このスプリングステークスのきわどい勝ち方に、フジテレビの解説で大島さんが、「今年はどうやらテンポイント一色のようですね」と言ったアナに対して、「こんなのなら関東のトウショウボーイで勝てますよ」と衝撃の発言をするのだ。あれはかっこよかったなあ。ちょっと怒ったような顔でね、言い切るんだ、ビシッと。
 そのときまで、トウショウボーイは関東の競馬ファンの秘密兵器だった。それが大島さんのひとことで表舞台に登場した。それはぼくらの背筋をぞくぞくさせるに充分な言い切りだった。



 そのトウショウボーイの成績がこれ。腰が甘く年明けまでデビューが遅れた。当時の常識では絶対にクラシックには間に合わないローテーションになる。3連勝でなんとか出走のチャンスはつかんだが、勝っているレースの格はテンポイントとは比べようもない。テンポイントが今でいうならGⅠ1勝、GⅡ2勝であるのに対し、格つけすらされていないレースなのである。
 ただし、これ、中身はほんとすごかった。他の馬が一生懸命な中で、一頭だけ遊びながら、5割の力で走っているような感じで4、5馬身差の楽勝なのである。潜在能力が桁違いだった。最強はテンポイントだ。だけどもしかしたらトウショウボーイなら……。そう思わせるだけのものを持っていた。

 そして、いきなりの檜舞台。皐月賞でテンポイントを5馬身ちぎって勝つのである。あれはなあ、いま思い出しても寒気がする強さだった。当時ラジオのニッポン放送で解説していたキョセンも大騒ぎだった。もちろんしゃべりまくるのは「ぼくはトウショウボーイが勝つと思っていました」と、自分の自慢(笑)。この人、なにを語っても自分になってしまう。





 この2頭に説明は要らない。成績を見ればいい。

 ダービーで初めて7着惨敗をしたテンポイントは、秋初戦を古馬との混合戦である京都大賞典を選ぶ。6番人気という低評価で3着。このときの杉本アナの迷台詞も有名。「テンポイント、きょうはこれでいい」ってもう、すっかり自分の馬(笑)。私情丸出し。だから楽しい。
 トウショウボーイは、神戸新聞杯、京都新聞杯と菊への王道を歩む。ともに単枠シード(これこそ死語になる)。2着はともにダービー馬クライムカイザー。ダービーでは加賀の執念の出し抜けに勝っていたレースを負けたが、同じ轍は踏まなかった。
 思えば、テンポイントがこの新聞杯に出なかったことも最高だった。本番での久々の対決に盛り上がる。トウショウボーイ、1番人気、クライムカイザー、2番人気。テンポイント、3番人気。
 直線、先頭に立ったトウショウボーイを交わしてテンポイントが躍り出る。悲願の戴冠か。杉本さん、絶叫する。
「それゆけテンポイント、鞭などいらぬ!」
 ここまでアナウンサが私情をむきだしにしていいものか(笑)。
 そのとき内からするすると緑の覆面。レースの2週前、やっと出走権を獲得した条件馬上がりの伏兵グリーングラス。鞍上は穴男・安田富男。
「内からグリーングラス、グリーングラスです……」
 あまりの無念に、杉本さん、のどがくぐもったような声。すっかりこれがトラウマになっちゃって、後々グリーングラスの出るレースでは、いつも「こわいこわいグリーングラス、グリーングラスはここにいます。内にいます」とそればっかり(笑)。
 次のレースの有馬も、4歳馬同士で1、2番人気となり、古馬の天皇賞馬等を相手にせず1、2着。図抜けた強さだった。テンポイントの悲願は、トウショウボーイを負かしての大レース制覇になる。目標は春の天皇賞。

 トウショウボーイの天才ぶりを見せつけたレースで、なんといっても白眉なのは宝塚記念だ。
 有馬2着の後、古馬となったテンポイントは、京都記念、鳴尾記念、天皇賞・春と3連勝し、日本一の座に着く。この3勝の中でも鳴尾記念はすごかった。逃げたのである。いや、逃げるなんて言葉は似合わない。ゲートが開くといきなりトップに立ち、後続なんか相手にせずにひとり舞台で楽勝したのだ。頭の中には天皇賞でのトウショウボーイとの一騎討ちしかなかったのであろう。
 当時そんなことをする馬はいなかったから感動しつつ見ていたものだ。馬が主張していた。トウショウボーイしか意識していないと。
 後におなじものを昭和60年に観る。ルドルフの日経賞だ。「テンポイントの鳴尾記念」と「シンボリルドルフの日経賞」は、「真に強い馬に戦法は必要ない」を実証した名レースである。ただルドルフの場合は、他の馬が萎縮してしまってしかたなく先頭に立ち、そのまま押し切ったという形だから、鳴尾記念を走りながらトウショウボーイに語りかけていたという点で、またすこし違うか。
 ルドルフの不幸は、4歳春のビゼンニシキ以外にはライバルがいなかったことだ。その意味でも、トウショウボーイ、テンポイントはしあわせものだ。確実に3番手になってしまうのだが、グリーングラスもしあわせものだ。

 しかしその宝塚記念、半年の病み上がりでもトウショウボーイは、テンポイントに影さえ踏ませなかった。3着にグリーングラス。
 そして悲願を達成して勝つ有馬記念。トウショウボーイあってのテンポイント、テンポイントあってのトウショウボーイ。
 最後のレース、日経新春杯の成績が空欄になっていることがなんとも哀しい。

 テンポイントへの追悼文で、寺山修司は「天がけるテンポイントは、遠く日高を見て、さらばトウショウボーイと言った」と書いた。泣けたなあ。そのトウショウボーイが、種牡馬としては珍しい蹄葉炎というテンポイントと同じ病気で死ぬのも不思議な因縁だ。
 共同馬主クラブの会報というごく限られたメディアだったけど、トウショウボーイの死に、リアルタイムで自分なりの文を書けたことは、競馬ファンとして誇りになった。
(03/9/10)
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