おもひで裏話





鯖色の道
(第77回 96年12月16日号 掲載)


 記念すべき(?)第1回目の掲載作品になぜこれを選んだのかに深い理由はない。演劇的要素のある「タクシーの中で」を載せようと思い、Windows時代になってからの作品だからテキストファイルで保存してあるはずと探したら、あるにはあったのだが、どういうわけか半分しか入ってなかった。いまも不思議だ。なぜだろう。
 スキャンして作るのは面倒だ。なんでもいいから一回まずはアップしたいと代役を捜していたら、変った傾向のこれが目についた。ファイルも完全に保存されている。それでこれにした。
 と、第1回掲載作品に選んだ根拠は稀薄だが、それなりに思いこみのあるものではある。というのは、私がこの「亀造競馬劇場」という場で試みたのは、「かつてなかった競馬小説」だった。他人様の評価や支持よりも、「かつてなかった」を第一のテーマにしていた。その点で間違いなくこれは新しい切り口ではあったはずである。完成度はともかくだ。

 これ、パロディである。パスティーシュと清水義範さんふうに言ってみたいが、そこまでも行っていない。なぜなら元ネタとなる「女性競馬ライターの文」が定型化されていないのだからパスティーシュになるはずもなく、パロディとしても、どこがどうなのかわかってもらえないのではないか。つらいところだ(笑)。

 世は競馬ブームだった。この小説にあるような、年齢、経歴の女が、ここにあるような経緯で次々と関わって来つつあった。あらたに出現した競馬マスコミ側もそれを歓迎していた。なにしろその「あらたに出現した競馬マスコミ」っのてが、見事なまでに全部揃って「エロ雑誌の増刊号」だった。「競馬ブームらしい。競馬の雑誌を創刊すればもうかるらしい」と考えて真っ先に動くのは彼らと言うことなのだろう。そういう連中だからして、「こぎれいな女が書けば男の読者がやってくる」とか、ついでに「きれいなネーチャンとなら仕事も楽しい」と考えたのだろう。なんだかおそろしくレヴェルの低いワンパターンの文章が溢れて行くことになる。文章のレヴェルも低かったが、「美人ターフライター」ってのの「美人」の尺度もずいぶんと低かった。他の分野だと並以下でも新興のここだと格上げされたようだ。

 女というのは、誰もが自意識過剰なのであろうか。そこのところが男の私にはよくわからない。それが美しい女ならわかる。子供の頃からかわいい、きれいだと言われて育ってきたし、男の目も意識して来たろう。まさに女は女に生まれるのではなく、「女になる」のである。だからきれいな女ならわかるんだけど、女って「あたしなんかちっともきれいじゃないし」なんて自ら口にする、実際ぜんせんきれいじゃない女でも、内実は信じがたいほど自意識過剰の自信過剰なのである。わかりません。

 よって、そういう女が書くひどい内容の競馬エッセイでも、誰もが自分を「注目されている女」として勘違いしているのである。三十過ぎの美人でもない女が、最高によく撮れたのであろう顔写真を掲載し、「なんとか短大卒、なんとか商事に就職したが女優を目指して退社、なんとか演劇学校に通う、なんとか番組アシスタントでデビュー、ラジオのなんとかに出演、映画のなんとかにちょっとだけ出る、今後は舞台とテレビを中心に活躍したい、趣味は映画鑑賞と海外旅行」なんつうつまらんプロフィールを書きやがって、そのくだらん競馬エッセイも競馬のまともな知識なんてもともとないから、やたらともだちと飯食いに行ったなんて話で適当にごまかし、よく出てくるオチが、「あ〜ん、これじゃまた今年もお嫁にいけないよお」とか「これじゃまた太っちゃう」なんてやつだ。てめーみたいな不細工な三十女が嫁に行こうが人さらいにさらわれようが山の中で熊に食われようがしったこっちゃねえ! となんど毒づいたことか。
 いやほんと、「それでわたしも思い切ってビキニの水着を新調しちゃいました。すごい大胆なデザインでちょっと恥ずかしい」なんてのもよく出てくるのである。おめーの水着姿なんて誰も見たくないってのに。なんか勘違いしている。自分をいい女だと思いこんでいる。この「鯖色の道」にも出てくるように(現実と比べたらこの主人公はまだかなりまともなほうになる)、田舎でかわいいとかきれいだと言われていた時代の夢を、東京というレヴェルの高い世界でもまだ勘違いしたまま引きずっている。男はみんなあたしの体を狙っている、なんて思っている。はっきりいってわたしゃ狙いたいと思うほどの美人ターフライターなんてただのひとりも会っていない。ライフルで狙いたくなるようなのはいくらでもいたが。

 そういう傾向に、私なりに矢を一本打ち込んでおこうと意識して書いたのがこれになる。こういう作品において大事なのは、あちらのレヴェルになりきることだ。それで、いかにもこの手の女が使いそうな「雨に濡れた子犬のように」とか「安らかで暖かなぬくもり」とかの形容が出てくる。本気ではないので勘違いしないように。
 もっと長文で、もっと本気で書けば、パロディとしても形は整うだろう。だけどねえ、コバカにしているものを本気で真似るってのも非生産的だ。
 そんなわけで、どうでもいい作品ではあるが、私がこの「亀造競馬劇場」という場でなにをやりたかったかを説明するのには、最適の作品であるとも言える。なんというか、褒めてもらおうとは思わないが、かといってけなされたらムっとすると(笑)、そんな線上にある。(03/9/10)
 
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