競馬雑記

2009


ブログ【競馬抄録玉】から

2009年10月5日(月)
スプリンターズステークスの日──オディールの死
秋のG1第一弾スプリンターズステークスの日、フジテレビの競馬中継は変則だった。3時40分になってもまだF1をやっていた。テレビ番組表には3時40分から4時20分とある。すでにもうF1のトップはゴールしているようだが「最大延長4時10分まで」とあるからこのままF1中継が続くのだろう。

▼競馬にはこういうことが多い。グリーンチャンネルという専門局があるからそちらを見ろということなのだろう。無縁の身には辛い。以前は競馬場派だったのでテレビ中継など無関係だったのだが近年はIPAT専門なので地上波頼りだ。マイナーとはいえG1の日にそれはないよなあと愚痴る。

▼3時45分になって中継が始まった。録画で見せられるよりは生中継の方がいい。ローレルゲレイロとビービーガルダンが並んでゴール。長い長い写真判定。やがてローレルゲレイロに決まる。高松宮記念に継いでスプリントG1二冠達成だ。通常の放送時間だと勝ち馬は決定しなかった。当然勝利ジョッキーインタビュウもない。これでよかったのかもしれない。3着に突っこんできた夏馬カノヤザクラも見事だった。

▼もうひとつの変則放送の効果。ふだんは放送されるはずのない阪神11レース、4時10分発走のレースが中継された。激しいゴール前のせめぎあい、1番人気で5着入線したオディールに故障が発生する。ゴールを過ぎるときに見えた脚もとの状態でダメなのはわかった。競馬特有の残酷なシーンだ。そのあと、折れてぶらんぶらんになっている左前が映し出された。それを映したことを責めているのではない。あのあとすぐ薬殺だから、オディールファンに最後の姿を見せてくれた価値ある映像だと感謝している。あそこまでひどいとテントで囲んでその場で薬殺だろう。

▼今回通常放送だったらオディール最後のレース中継はなかった。多くのファンにとってオディールの死はスポーツ紙の文字情報で知る形になっていた。すくなくとも私のような地上波しかない者にはそうである。何度見ても辛いシーンだが、オディールは最後の姿をみんなに見せることが出来た。それは競走馬として幸福な死だったろう。

▼トールポピーの勝つ阪神JFじゃ1番人気だった。2歳11月の勝利から20カ月ぶりに今夏の小倉で勝ち(単勝1.9倍!)連続1番人気に支持された最後のレースもゴールまで見せ場たっぷりだった。こういう形の重症はだいたい競走中止になる。オディールは最後まで走りぬいた。みんなにさよならが言えた華のある最後だった。

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【附記】 勝っていたレース!

ここを読んだ友人がメールをくれた。阪神競馬場で、目の前でレースを見ていたようだ。
そのメールを読んでいたらもういちどレースが見たくなり、JRAのサイトから映像をDownloadして見た。

それであらためて知った。オディールは伸びていた。アクシデントがなければ勝っていたレースだった。勝ったボストンオーを交す勢いだった。
つまづいたことと、そのあと映された脚もとの映像がショックで、私はレースその物の印象が稀薄になっていた。
「最後までよくがんばった」と、1番人気での5着をまるで善戦したかのような書きかたをしてしまった。そうじゃない、オディールは伸びていた。加速していた。あのままなら勝っていた。がんばった彼女に失礼なことを書いた。お詫びして訂正する。

みなさんも時間があったらぜひもういちど見てください。伸びている、あれは突きぬける脚だ。オディールは勝っていたのだ、と記憶したい。(10/5/pm22)





JRAのゴール前写真。

このときオディールはもう脚を折り、走れなくなっている。

不自然な騎手の姿勢からもそれがわかる。
2009年10月5日(月)
1985年の思い出──エルプスの死
エルプスの死を知った日、しばし当時のことを思った。桜花賞のあの日が浮かんでくる。
1985年、昭和60年である。牡馬はミホシンザンが皐月賞と菊花賞の二冠。ダービーはシリウスシンボリ。牝馬は桜花賞がエルプス。オークスは大穴のノアノハコブネ。

ノアノハコブネのオーナーは珍馬名で有名な小田切さん。今でこそ珍馬名が増えたが当時は唯一のひとだった。私が初めて小田切さんの持ち馬で名を覚えたのは昭和57年のエリザベス女王杯2着のミスラディカル。勝ち馬はビクトリアクラウン。このノアノハコブネが小田切オーナー初のG1制覇だった。鞍上は音無秀孝。いまは名調教師である。

と、エルプスのことを書こうとしているのにノアノハコブネから入ったのにはちゃんと理由がある。昭和57年のエリザベス女王杯。私はビクトリアクラウンの大ファンだったからもちろん本命。ミスラディカルという名前をかっこいいと思って応援したからこの馬券は本線で取った。低配当だったが。
そのときそれ以上に印象的だったことがあった。ビクトリアクラウン完勝なのに実況アナがやたら2着のミスラディカルのことばかり叫んでいるのである。杉本さんだ。
「ミスラディカルが追い詰める。ミスラディカル、音無が追う! 音無が追う!」
この連呼される「音無が追う!」は強烈だった。ビクトリアクラウン楽勝だったので杉本さんの熱狂は滑稽にすら思えた。音無騎手が好きだったのだろう。私はこの実況で音無秀孝という騎手の名を覚えた。かっこいいひとなのだろうと思った。写真を見てがっかりした。

ハイセイコーの菊花賞の時から超のつくほどの杉本ファンだったが、あまりの関西びいきにうんざりすることもたびたびだった。でも餘裕でいられたのは当時は圧倒的な東高西低だったからだ。この1985年もノアノハコブネ以外クラシック五冠の内4つが関東馬である。
そういう時代の桜花賞。関西びいきの杉本アナの、私からすると「歴史的迷実況」が誕生する。(続く)


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桜花賞馬エルプスが死亡
netkeiba.com - 2009/9/16 16:54

 85年桜花賞(GI)を勝ったエルプス(牝27)が15日、北海道新ひだか町のカタオカファームでケガのため死亡した。

 エルプスは、父マグニテュード、母ホクエイリボン(その父イーグル)という血統。現役時代は桜花賞のほか、84年函館3歳S(GIII)、テレビ東京賞3歳牝馬S(GIII)、85年4歳牝馬特別・西(GII)、京王杯オータムH(GIII)を制し、85年度の最優秀4歳牝馬に輝いた。通算成績11戦6勝(重賞5勝)。

 繁殖馬としては8頭の産駒を出し、2番仔のリヴァーガール(父リヴリア)は母としてテイエムオーシャン(阪神3歳牝馬S-GI、桜花賞-GI、秋華賞-GI)を輩出。02年に繁殖を引退して以降は功労馬として余生を送っていた。
2009年10月6日(火)
1985年の思い出2──「内からもういちどエルプス!」
桜花賞トライアルの4歳牝馬特別。関東馬のエルプスが逃げきった。3番人気。2着に8番人気の関西馬ロイヤルコスマー。1番人気で3着に敗れたのは関東馬のタカラスチール。このとき私が応援していたのはトウショウボーイの子のラッキーオカメ。2番人気。ここまで3戦3勝。その他の馬の戦績は傷だらけ。やはり桜花賞馬は無敗の乙女が似合う。応援しつつもどうにもこの名前でクラシックホースになれるのかと疑問に思っていた。案の定なれなかった。

私は血統的にもばりばりの関東人であり一貫して関東贔屓なのだが、なぜかこういう形で関西馬を応援することが当時から多かった。好きな関東馬が嫌いな関西馬にやっつけられると悔しくてたまらないのだが、そこに快感も感じていたようで、どうしようもない西高東低の時代になっても懲りずに競馬を続けているのにはその気質が関係ある。Mらしい。競馬に関しては。

この桜花賞で応援したのは関東馬のミスタテガミ。名前がいい。鞍上は牝馬の嶋田功。関東の秘密兵器だった。

トライアルを勝ったのでエルプスは2番人気と人気上昇した。トライアルをほどよく3着に負けたタカラスチールが本番でも1番人気。ここまではわかるがトライアルで8番人気で2着したロイヤルコスマーは、フロックと思われたのか11番人気とさらに人気を落としていた。

レースはトライアルの再現だった。エルプスが逃げきりロイヤルコスマーが追いこんで2着。私の本命ミスタテガミはロイヤルコスマーにハナ差の3着。3連複3連単のある時代なら1頭軸マルチで取れたのだが。

穴狙いの杉本さんはトライアル2着なのにさらに人気が落ちたロイヤルコスマーを狙っていたのだろう。騎手も大好きな"仕事人"田島良保である。直線、外から差してきたロイヤルコスマーに昂奮し、その名を絶叫する。
「ロイヤルコスマー先頭、ロイヤルコスマー先頭!」
それこそあのテンポイントの実況のように「それ行けロイヤルコスマー、鞭など要らぬ!」の乗りである。しかし先頭を走っているのはエルプスだ。ロイヤルコスマーに半馬身差をつけている。それよりロイヤルコスマーがミスタテガミとの2着接戦になっていた。
ゴール前、杉本さんは事実を認めしかたなく言った。
「内からもういちどエルプス!」

エルプスは一度も先頭を譲ることなく逃げきったのだが、杉本さんの実況では一度差されたのに差し返したことになっている。根性の馬だ。それはそれで「エルプス伝説」として楽しい。
2009年10月9日(金)
1985年の思い出3──種牡馬マグニテュード
エルプスの父はマグニチュード。その父はあの名馬であり大種牡馬のミルリーフだ。私は桜花賞馬エルプスの父としてマグニチュードという種牡馬の名を覚えた。いや正しくはマグニテュード。私はチュで覚えてしまい、そう書いた原稿を何度か競馬雑誌で直された。とはいえそれはJRA関係のしっかりした編集部だったから。一般にはそのまま載ってしまう。

スペルはMagnitudeだからカタカナはマグニチュードの方が適切だろう。テュードはへんだ。でも競馬用語としてはそういう表記なのだから従わねばならない。この種のことは競馬用語によくある。ライターとしてはむしろ地震関係の記事(そんなものを書くことがあるとも思えないが)にマグニテュードと書いてしまう方が問題になる。

いまネット検索したら、地震の指標値のカタカナ表記はマグニチュードのようだ。
私と同じく種牡馬マグニチュードと書いて競馬ブログをやっているひとも散見した。したしみを感じる。でも競馬的にはまちがいになる。

マグニテュードは1975年生まれ。その後エルプス以外さしたる活躍馬も出ず不遇をかこっていたが、同じ父、同い年のミルジョージが活躍したものだから、代役の目が出てくる。あのころの種牡馬ミルジョージの勢いはすごかった。特に南関東ではまさに旋風だった。あっちもこっちもミルジョージの仔ばかり。

そこから晩年の最高傑作ミホノブルボン(1992年皐月賞、ダービー)が誕生する。人気種牡馬ミルジョージが高くてつけられないのでしかたなく同じ血統のマグニテュードにしたというのは有名な話だ。

漠然と、エルプスとミホノブルボンのあいだにはもっと時間差があるように感じていた。7歳しかちがわないのか。エルプスは父マグニテュードが7歳の時の仔。早かったんだな。ミホノブルボンは14歳のときの仔だから「晩年」ではない。壮年だ。「晩年」は1999年に高松宮記念を制したマサラッキに使うべきか。
エルプスは火山の名前(Erebus)だから父の名ともシンクロしている。

2001年の牝馬二冠馬テイエムオーシャンはエルプスの孫。関西馬だがすなおに応援できた。エルプスの孫でなかったら私はきっとアンチだった。
 
2009年10月10日(土)
1985年の思い出4──急いで終結
まったくこんな形で自分の惚けを知って恥じいるのは心外なのだが正直に書いておかねばならない。
桜花賞馬エルプスが死んだことを知った。思い出のある馬なのでそのことを書いておこうと思った。1985年は昭和60年。桜花賞はエルプス、オークスは人気薄(たしか今でも単勝最高配当のはず)のノアノハコブネ。その辺の「あっさりした思い出」を書くつもりだった。その時点で「1985年の思い出は全部で10ぐらい」と思っていた。もう完全に惚け老人である。いったいなにを勘違いしていたのか。

書き始めてすぐ「ミホシンザン二冠、シリウスシンボリダービーの年」と気づく。たいへんなことになった。「ミホシンザンの思い出」で30、「シリウシンボリの思い出」で20ぐらいは書ける。いや書かずにはいられない。サクラユタカオーでも30は行く。そしてそしてこの年は「ルドフル5歳時」である。これで50は書ける。いや書かねばならない。ミスターシービーもいる。カツラギエース。サクラガイセン。スズカコバン。ギャロップダイナ。切りがない。

くどくなりそうなので結論を急ぐ。要するに1985年は昭和48年(1973年)から競馬を始めた私にとって、あらゆる面で競馬山形曲線のピークの年だったのである。



【芸スポ萬金譚】に「クイズヘキサゴン2」のことを書いた。1から全面的に模様替えをし、暗中模索で始まったあの番組は大きな成果を上げ今も高視聴率番組だが、山形のピークは、おバカさんタレントがまるで水滸伝のように次第次第に集結し、Pabo、羞恥心が結成されて行く流れだ。あの充実ぶりはほんとうにおもしろかった。そのあとの歌のヒットや紅白歌合戦出場はいわば餘禄。そこに到る流れこそが最高だった。

私もそう。ハイセイコーから始まった私の競馬はこのときがピークだった。このあと物書き仕事の一環に競馬が加わり私はプロになる。牧場、騎手調教師取材等アマでは不可能だった様々な体験をさせてもらった。欧米の競馬を観戦したりした。しかしそれらは「ヘキサゴン」メンバーの紅白歌合戦出場のような餘禄。ことばを変えるなら「もうひとつの競馬人生」。私の競馬ピークは1985年だった。



「1985年の思い出」なんてのを書き始めたら、それは私の「競馬一代記」になってしまう。昭和60年のノアノハコブネのところに「馬主は珍馬名で有名な小田切さん。私が小田切オーナーの馬を初めて知ったのは昭和57年のミスラディカルだった」と書いたように、次から次へと連鎖が始まり切りがなくなる。「1985年の思い出」は100も200も続いて行くだろう。
競馬人生で一番重要な年を「長年の競馬歴のよくある一年」と勘違いした自分の惚けぶりが許せない。これはいわば人生で一番世話になっている恩人を知りあいのひとりと言ってしまったような取り返しのつかない失言である。

明日の毎日王冠のことを書く気もないが、かといってここで延々と思い出話をする気もない。オディールやエルプスのようにリアルタイムで感じた印象的なことを短文でまとめておきたいだけだ。
そういうわけで急いでこのテーマを打ち切る次第である。もちろん1を書き始めてすぐ気づいた。しかしいくらなんでもすぐには止められない。当初の予定通り「エルプス──マグニチュード──ミホノブルボン」まで書いたのでやっと止められる。
 


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