競馬雑記

2009
1/2  オグリキャップ正月特番感想

 正月にTBSがオグリキャップの特番をやっていた。偶然テレビ欄に発見し、見た。
 しばらく行っていない歌笛の風景が懐かしかった。
 若かった稲葉裕治さんも年相応になっていた。
 あれから二十年か……。
 建てなおされた牧舎がきれいだ。

 ずっと稲葉さんだけを映しているのですこし心配になる。奥さんはどうした。もしかして離婚したのか。
 そうではなかった。「じつはオグリキャップはこういうしあわせも運んできたのだった」と劇的に紹介するために(笑)、奥さんを隠しておいたのだ。
 ということで奥さんが登場する。この奥さんもオグリキャップが縁で結ばれたのだとナレーションが入る。

 私が稲葉牧場を初めて訪れたのは、オグリキャップファンだった奥さん(千恵さん)が訪れたのと同じぐらいだった。もちろん私は仕事である。いや、千恵さんは平成元年だったと言っている。私は昭和63年だから、私の方が早いか。
 何度も訪問して、あげてもらって大酒を飲んだこともあった。稲葉さん、酔い潰れて寝てしまったが、奥さんが介抱していたから、あのときはもう結婚していたことになる。
 大酒を飲んだまま、私はそのころ世話になっていた浦河の三好牧場(取材で知りあった場長が偶然大学の同級生だった)まで深夜クルマを運転して帰った。いま思うと危ないことをしたと冷や汗が出る。夜の日高は真っ暗である。死んでもおかしくない。仮眠させてもらい酔いを醒ますべきだった。

 浦河から山越で歌笛に向かう途中にハクタイセイ(平成2年皐月賞馬)の土田農場があった。私は土田農場を取材していないので、寄ってみたいと通るたびに思った。と、断片的な思い出。



 誰だったか、稲葉さんが初婚ではなく再婚だと競馬雑誌に書いてしまい、稲葉さんが激怒したことがあった。「おれはどうでもいいけど、そんなことが有名になったら千恵がかわいそうだ」と稲葉さんは怒っていた。あのころはいろんな競馬雑誌があったから、誰かが書いたのだろう。裕治さんは私にその怒りをぶちまけていた。誰が書いたのだったか。私はそんなことに興味がないし知らなかった。知っていても書かない。なんでも二十代の若い時期にほんの短期間結婚していたことがあったらしい。

 千恵さんとのあいだに出来た娘さんが16歳になっていたのにおどろいた。それだけ時は流れている。両親の恋愛話を一切知らないので知りたいと言っていた。彼女が生まれてくる前のふたりを多少知っているので、こんど会ったら話してあげよう。って、私が日高を訪れ、歌笛の稲葉牧場に行くことってこれからあるのだろうか。



 稲葉牧場における私のいちばんの思い出は、稲葉さんのお父さんの不奈男さんだ。当時すでに裕治さんに牧場は譲っていたが、いまもオグリキャップの生産者として名を残している。
 年寄り好きの私は何度も出かけた稲葉牧場で不奈男さんからいろんな話を聞いた。マスコミに対するいわゆるスポークスマンとしては、弁の立つ裕治さんが前面に出ていたし、そもそもオグリキャップは裕治さんが取りあげた初めての馬だったから適任でもあった。だから不奈男さんは表に出ていない。不奈男さんとあれこれ話をした取材者としては私がいちばんのような気がする。

 いまも覚えている印象的なひとことに、不奈男さんの言った「男は短気な方が良い」がある。短気を恥じている私はこんなことばを聞いたことがなかったので新鮮だった。厳しい環境を生きぬいてきた不奈男さんの哲学として、古いものを護り、のんびり気長に構えている男よりも、即断即決で動く男の方がよい結果を得られる、ということらしい。
 不奈男さんにはご挨拶したいと今も思っている。もしも鬼籍だったら御線香だけでもあげたい。
 今度日高に行くのはいつになるのだろう。

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 いま検索したら、番組タイトルは「夢の馬オグリキャップ 命ある限り・駆ける!」というものらしい。なんともセンスのないアンザイミホコ的タイトルだ(笑)。それからナレーションは蒼井優だったとか。そういえばそうだったか。たどたどしかったが。
 マンガの中の雑競馬 「ハード&ルーズ」『美味しんぼ』


「ハード&ルーズ」(画・かわぐちかいじ 原作・狩撫麻礼)を読んでいたら、「謎の老人が馬券の払い戻しを若者に頼む。若者がWINSに行って払いもどすと金額が750万円。窓口のおばさんからドンとそれが出され、若者が驚き、周囲もどよめく。謎の老人は若者に手数料だと言って一割の75万円をあげる。そして……」という話。

 言うまでもなく百万円以上の払い戻しはこういう形では取り扱わない。大勢の前で750万円が支払われて周囲がどよめくなんてことがあるはずもない。それじゃそのひとが強盗に狙われる。
 大口払い戻し、いわゆる「帯封」に関して、私が知っているのは昭和48年(1973)以降でしかないが、この作品は1993年が舞台だから、この表現が誤っているのはまちがいない。雑誌掲載当時、大口払い戻しに関して智識のある読者から指摘されてのではないか。原作者の狩撫麻礼が競馬を知らないのである。というか大口払い戻しを受けたことがないので知らないのだろう。

 ここにおいて競馬は、「金にならない仕事ばかり引き受けてしまう偏屈な貧乏私立探偵が、有り金全部ぶっ込んでは外れてばかりいるギャンブル」として描かれている。主人公のキャラを立てるための一要素だ。
 ただし、作品中に登場する競馬に関してはべつに偏見もなく、そのことでこの作品を非難するつもりはない。むしろ「狩撫麻礼さん、大口払い戻しの経験がないんだ」と苦笑した程度だ。

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 別項に書いているが、その点『美味しんぼ』はひどかった。主人公のアサヒシンブンに務めている山岡は平日もいつも社内を競馬新聞片手に歩いている。耳にはイヤフォンだ。無精髭を伸ばし、やる気のないダメ社員、しかしこと食に関しては父譲りの天才的な手腕を見せる、というキャラ設定。その「ダメぶり」の象徴として競馬狂が描かれていた。原作のサヨク・カリヤテツは競馬などなにも知らない。これほど競馬が貶められた例を知らない。この画を見るたびに、山岡の勤め設定は誰でもわかるアサヒシンブンだから、アサヒシンブン本社で平日の競馬をやっているってことは南関東か、いったいどこのラジオ局が毎レース中継しているのだ、と思ったものだった(もちろんどこもやっていない)。今とは時代が違う。自分のこだわる分野では異常なほどディテールにこだわるカリヤテツは、敵視する競馬に関してはこの程度のいいかげんさだった。
 その偏見ぶりを諭そうとしたのか、後にどなたかがカリヤを競馬場の特観席に招待して、という一篇があった。

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 カリヤの明らかな適意、蔑視とはちがい、狩撫麻礼にはそれはない。だから腹立つようなこともないのだが、マンガ原作者というのは、「知らないことだからこそ調べる」という姿勢がないのであろうか。しらけた一件であった。

5/10  シンボリクリスエスは晩成か?

 競走馬に対する解釈は人それぞれであり私が他者の意見に口を挟むことはめったにない。いくつものスポーツ紙の様々な意見を感心しつつ読んでいる。解釈は多岐に渡るほうがおもしろい。天皇賞春の予想記事に「隠れステイヤー・マイネルキッツ」というのがあった。マイネルキッツは1800から2000を主戦場として走ってきた。勝ち鞍の最長距離は2000メートルである。それを日経賞2500の2着からこんな解釈をして穴馬に取りあげる。的中しただけに記者にとっても快哉を叫んだことであろう。もちろん惨敗したとしても、それはそれで穴馬を見つける解釈だから楽しめる。というわけで、私が他者の意見に異を唱えることはめったにない。
 そんな中、今回ひさしぶりに???と思う解釈があった。



 某スポーツ紙。NHKマイルカップの予想。血統の記事を書くその記者はサンカルロを本命にした上で、「父が晩成のシンボリクリスエスだけにちょっと心配だ」と書いていた。
 シンボリクリスエスは晩成だったのか? しばし考えた。

 私にとって晩成馬とは、「クラシックに間に合わず、古馬になって大成する馬」である。この「クラシックに間に合わず」も2種類ある。ひとつは文字通り馬が仕上がらずその時期にほとんど走っていない馬であり、もうひとつは、トライアルに出る程度の活躍はしたが、本番には出られなかった成績の馬である。
 モンテファストやメジロティターンは晩成馬だ。モンテプリンスはクラシックで1番人気に支持され惜敗していた馬だから、タイトルを取ったのが古馬になってからでも決して晩成とは言わないだろう。
 デビュー戦から注目され2戦目に弥生賞に挑んできたサイレンススズカも、才能が花開きタイトルを取ったのは古馬になってからだが、晩成というイメージとはちがう。

 と、思いつくまま「晩成」に関しての持論をあれやこれやいくらでも書けるのだが結論を急ぐ。



 シンボリクリスエスは3歳時、ダービートライアルの青葉賞を勝ち、ダービーも2着。秋は神戸新聞杯を勝ち、距離適性の面から菊花賞ではなく天皇賞(秋)を撰び、そこを勝った。3歳で天皇賞(秋)を勝ったのはバブルガムフェロー以来だったか。そのあとJCを3着。有馬記念も勝つ。4歳では天皇賞(秋)を連覇、有馬記念を連覇して引退した。3歳時、4歳時、2年連続で年度代表馬に選ばれている。
 この馬のどこが晩成なのだろう。

 私にとって晩成とは3歳時、4歳時は目が出なく、5歳6歳になってやっと花開くタイプである。なのにシンボリクリスエスは3歳4歳でGⅠを4勝し、4歳暮れで引退しているのだ。私からすると晩成どころか早熟ですらある。この記者はなにをもって「シンボリクリスエスは晩成」としているのだろう。
 3歳で有馬記念を勝ったシンボリクリスエスの2着はタップダンスシチー。5歳暮れ(昔なら6歳だ)、27戦目で初めてのGⅠ出走だった。逃げ粘って2着になり大穴を開ける。フロックだと思われたが、そこから花が開き、6歳でJC、7歳で宝塚記念を勝つ。これこそ文句なしの晩成馬である。

 同期生たちが府中でダービーを走っているとき(勝ち馬はタニノギムレット)、裏開催の中京で、10戦目にやっと未勝利を勝ちあがったヒシミラクルも、クラシックの菊花賞を勝つのだから「5歳、6歳で花開く」とは形は違うが、「晩成」と言えるパターンかも知れない。このダービーを勝って引退してしまうタニノギムレットは早熟型か。いや早熟とは活躍時期が早く、その後活躍できない馬のことだ。あの馬は脚が無事ならあのあとも活躍できたろうからそう言っては失礼になる。
 ヒシミラクルのような「晩成」にはタマモクロスがいた。
 と、「晩成」の解釈をヒシミラクルタイプにまで拡げてもシンボリクリスエスは無関係だ。

 文面から推測するに、サンカルロを本命にするにあたり、父のシンボリクリスエスが朝日杯で優勝するような早熟タイプの種牡馬ではないことが心配だと言いたいようだ。
 シンボリクリスエスのデビュー戦は2歳秋の10月、新馬勝ちしている。2勝目が3歳の4月。すこしもたもたした。皐月賞には間に合わなかった。その後は青葉賞を勝って前記の成績。たしかに2歳夏にデビューし、2歳重賞で活躍し、朝日杯に出走するような早熟タイプではなかった。皐月賞トライアルにも間に合わなかった。だけど3歳時の見事な成績を観れば、やはり「晩成」は不適切なことばだと思う。


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