競馬雑記
2006
4/7 メジロマックイーンの死

 社台スタリオンステーション荻伏(北海道浦河町)で繋養中だった種牡馬メジロマックイーン(牡19歳)は、今日3日(火)午後5時15分、心不全のため死亡した。
 メジロマックイーンは1987年生まれ。父メジロティターン、母メジロオーロラ(その父リマンド)。
 現役時の主な勝ち鞍は1990年の菊花賞、1991年春、1992年春の天皇賞、1993年の宝塚記念など。通算成績は21戦12勝。
 1991年にはJRA賞の最優秀5歳以上牡馬に選出され、また、1994年には顕彰馬となっている。
 種牡馬としては1994年から供用され、主な産駒にクイーンカップを勝ったエイダイクイン、フラワーカップを勝ったタイムフェアレディなどがいる。(ラジオNikkeiより)


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 このニュースを知ったのはいつだったろう。4/3が火曜日。4/5の木曜日ぐらいか。
 競走馬の死には不可解なことが多いから突然死ということには首を傾げた。(とはいえ今時マックイーンクラスに不審死はないが。)
 4/9の桜花賞の日、サンスポの鈴木淑子さんのコラムに「前日の2日に会った」とあったので、ほんとに突然死なのだと知る。さらに調べてみたら、なんと前日まで種つけをしていたという。ほんとの急逝である。

 どのニュースも「親子四代の天皇賞制覇の夢は遺児たちに託された」とあるが、それは「常識的」にはもう無理だろう。ここまで活躍馬が出ていないのだから、種牡馬の常識的に考えて無理だ。だがメジロアサマからティターン、ティターンからマックイーンの三代制覇が、そもそもの常識を覆したものだったから、今年の3頭しかいないというラストクロップにかえって期待できる。死ぬ前の4/2に種つけした仔にも夢が拡がる。なにしろ4/3はマックイーンの19歳の誕生日だ。誕生日に死んだ父馬が死の前日に遺した仔から四代目が出るならこれほど劇的なことはない。



 昔気質の北野オーナーは最も勝ちたいレースとして天皇賞の名を挙げていた。それを芦毛のメジロアサマが実現する。シンボリ牧場の繋養種牡馬パーソロンの仔だ。
 自分のところで種馬にする。ところが精虫の数が少なく種馬失格と判明する。しかしあきらめない。外国から輸入した牝馬にアサマをつける。当時としてはいかに思い切ったことだったか。そうしてメジロティターンが誕生する。
 私はメジロアサマが勝つ天皇賞をリアルタイムで見ていない。ティターンからはよく知っている。天皇賞を勝つ場面も府中で見た。ということは秋の天皇賞か。まだ3200だった。府中の距離が2000になり、3200は淀と落ち着いたが、大川慶次郎さんは府中の3200の方が厳しく、むしろこっちを遺すべきと言っていた。

 そもそもティターンもヘンな馬であった。戦歴を見れば解るが天皇賞を勝つためだけに生まれてきたような馬である。その他はまったく活躍していない。

 当時の『優駿』の対談で、オオハシキョセンが北野オーナーに「冠のメジロをやめて欲しい。外国には冠馬名なんてのはない」と迫ったりした。北野オーナーは一蹴する。
 また「英語ではタイターンが正しくティターンは間違い」などとも口を出す。北野オーナーは「わしゃそんなことはしらん」。あのころからキョセンというのはくだらん人だった。今になって当時のキョセンをみょうに持ち上げる若者がいたりして困る。

 メジロ牧場はティターンも自分のところで種馬にする。これは種牡馬として本桐牧場においていた。会ったことがある。懐かしいな、ティターン。真っ白になっていたのでわからなかった。現役時はたいして白くなかったから。天皇賞をたまたま勝ったというイメージでしかないティターンをつける人などいない。そこから祖父よりも父よりも遙かに強いマックイーンが生まれるのだから、まことに競馬はおもしろい。内国産の血は代を重ねるごとに衰退するのが普通だ。マックイーンの母は、それを防ごうとしてイギリスやアイルランドから来た馬でもない。リマンド肌の内国産である。なんとも不思議だ。



 私がマックイーンに関して唯一の不満は「内田でいって欲しかった」である。
 春のクラシックに間に合わなかったマックイーンは、条件戦の嵐山ステークス3000メートルを2着してなんとか菊花賞に出させてもらう。楽勝すべきこのレースをヘグったのが内田である。2着でもなんとか本番に出られたからいいが、あれで菊花賞を弾かれていたらマックイーンの戦績はもちろん、日本の競馬史がだいぶ変っていた。それでも内田はメジロライアン、ホワイトストーンという春の活躍馬を破って菊花賞を勝つ。でもそれから武豊に乗り替わられてしまう。私の周囲でも「あの嵐山ステークスの乗り方はひどく、乗り替わられて当然」だった。もしも内田があのまま乗っていたらどうなったろう。武に乗り替わったからこそなのか……。



 春の天皇賞楽勝、親子三代天皇賞制覇の偉業達成である。続く宝塚記念は無冠の僚馬メジロライアンに勝ちを譲るような2着。あれは不納得なレース。
 秋からがドラマチックだ。不良馬場の秋の天皇賞1着失格。わたしゃ珍しく繰り上がりのプレクラスニーとカリブソングの馬連を5千円ばかり持っていた。1番人気がこけたのにそれでもたった46倍だ。どういうことだろう。完全なステイヤーなので府中の2000は向かないと思われていたのだったか。私はなんでそんな馬券を持っていたのだろう。マックイーンが好きだったのか嫌いだったのか。そりゃ好きだよな、大好きなティターンの仔だったんだから。あ、でも生産者は好きじゃなかった……。
 後続の騎手数人が落馬しそうになるひどい進路妨害があったなんて知らないから、長い長い審議に、もしかしてプレクラスニーが失格か、なんて見当違いな推理をしていた。なにしろ直線ではぶっちぎりだから、まさかマックイーンが失格とは夢にも思わない。
 雨の東京競馬場。突如繰り上がり優勝になって勝利騎手インタヴュウに呼ばれた江田の戸惑った顔が印象的だった。パトロールフィルムというのをまともに見たのはあれが初めてだ。ひどかったな。武の内側への急激な切り込みに、何人もが落馬寸前のひどい状態になっていた。
 つまり当初から懸念されていたように、武も2000のレースには自信がなかったからあんな乗り方になった。今だったら、スタートしてのあのカーブなど無理せず、最後方からついていってもマックイーンは勝ったと笑えるが。

 失格にはなったが2000でも強いと証明したからジャパンカップはますますの断然人気。しかしここで完敗する。唯一の完敗の4着。切れ味不足を露呈した。ゴールデンフェザントに一瞬にして抜かれた。
 私はこのときチェンマイでロイカトーンを楽しんでいたのだったか。ロイカトーンは一回しか見たことがなく、開始以来ジャパンカップを生で見なかったのはこのときだけだから、そうなるのだろう。とボケじじいのような感想。大の武豊嫌いのTという友人が、マックイーンを消してこの馬券をとったと大喜びしていたのを覚えている。

 レコード駆けするダイユウサク一世一代の大駆けに負ける有馬記念。このときは前売り馬券を買い、静岡の美保の松原でセスナ機に乗っていた。好きな女と一緒に。降りてきてラジオを聞いたら負けていた。ダイユウサクなんて意識していないから馬券も外れていた。友人のYさんはこのダイユウサクの単勝万馬券を千円とった。私は未だに単勝万馬券をとったことがない。これからも無理だろう。

 トウカイテイオーとの対決に盛り上がった春の天皇賞で史上初の春天二連覇達成。これはマックイーンの強さより、息切れしたトウカイテイオーの完敗の方が印象的だった。『日刊競馬』本誌予想担当の飯田さんは、このときマックイーン◎、トウカイテイオー○の一点予想をした。他は無印である。前代未聞。専門紙の本誌だから大胆な行為である。以後、していない。

 マックイーンはここから長い休養生活にはいる。その間、トウカイテイオーはマックイーンの勝てなかったジャパンカップを強敵相手に完勝する。距離適性の差か。でもトウカイテイオーに関しては、勝ったジャパンカップより負けた秋天と有馬の方が印象が強い。ひどい目にあった。
 このあとのトウカイテイオーとライスシャワーが人気になる有馬記念で私は大金勝負をした。軸は大好きなトウカイテイオーである。すると両馬が沈み、メジロパーマーの逃げ切りにレガシーワールドが2着という大万馬券でスッカラカン。それで競馬ファンとなってから一貫していちばん好きなレースだった有馬記念に愛想を尽かし、年末はもう12月中旬からチェンマイに行って年越しをするようになったのだった。翌年のトウカイテイオー奇蹟の復活はチェンマイで聞いた。大好きな馬なのになぜか馬券相性は最悪だった。

 ライスシャワーに敗れて春天三連覇出来ず。これは極限まで仕上げたライスシャワーの渾身のレースだった。ここで燃え尽きて大スランプに陥る。マックイーンはここから調子を上げて宝塚記念楽勝。秋の京都大賞典を大レコードで勝ったものの、またも脚部不安発症で引退となった。すべて武豊との物語である。



 武豊は大好きだけれど、私はデビュからの無名騎手とのコンビが好きである。テンポイントと鹿戸のように。だから近年では、テイエムオペラオーと和田のコンビはいい。メイショウドトウと安田康彦も。
 大好きなトウカイテイオーが安田隆行から岡部に乗り替わったときは不満だった。だって誰もに好かれる人格者の安田騎手は現にトウカイテイオーで一度も負けていないのだから。
 マックイーンを思うとき、もしもあのまま内田が乗っていたら……と夢想せずにはいられない。内田ではあのような偉大な記録は作れなかったかも知れない。確かなのは、どんな形であれ内田の騎手人生が変っていただろうということだ。



 武はマックイーンに関して、短距離でも勝てたと言っている。強い馬はどんな距離でも強いのだと。あのブライアンが高松宮杯で問題になった後の発言だ。この一言から武の愛情と自信を感じた。あ、マックイーンの死に関して武はどんなコメントを出したのだろう。まだ知らない。彼の日記を探してみるか。



 今年のマックイーンの種つけは3頭だったという。受胎は確認されたのか?
 天国に行ってもマックイーンは大いばりだ。だって天皇賞しか勝っていないじいちゃんよりもとうちゃんよりも立派だったから。どんなもんだいってもんだ。

 四代目は無理のような気がするが、競馬が血のドラマなら、残り少ない遺児の中から、突如として天皇賞を勝つステイヤーが誕生して欲しいと願わずにいられない。マックイーンほど強くなくてもいいから、ティターンのように、まるで3200の天皇賞を勝つためだけに生まれてきたようなステイヤーが……。

【附記】武のコメント見つからず
 武のホームページに行ってみたが、日記は飛び飛びで、桜花賞敗戦の記はあったが、マックイーンに関するコメントは載っていなかった。



4/16

 皐月賞観戦記──石橋と高田の1、2着!


 内からするどく伸びた白い帽子が一気に突き抜けるのではないかという勢いを目にしたとき、思わず背筋をゾクっとさせた。馬券の組み合わせは、アドマイヤムーンとジャリスコライトを1、2着に固定した3連単だ。先に抜け出した石橋のメイショウサムソンも、追い込んできた白帽子のドリームパスポートも3着候補として抑えてあるだけだから馬券が外れなのはわかっている。なのにゾクっと来たのはドリームパスポートの騎手が高田だったからである。

 高田潤騎手は勝利実績がほとんどない。調教が主な騎手である。今回はデムーロの予定だった。それが騎乗停止になる。豫測できないアクシデントである。さて誰を乗せるかとなったが高田になるとは思わなかった。
 高田の皐月賞前週までの年明けからの騎乗実績は、23戦1勝2着3回である。1勝と2着2回は未勝利戦のもの、もうひとつの2着は障害戦である。そういう騎手なのだ。
 今年初めてのGⅠ騎乗は皐月賞前日の障害戦。中山グランドジャンプ。24戦目13着。
 次が初めてのクラシック騎乗になる皐月賞である。その他にはない。土日に騎乗が二鞍のみ、それが共にGⅠ、しかも障害と平地。こんな話は前代未聞だろう。武豊だって作れない。これからもまずあり得ない珍記録だ。

 父フジキセキ、母グレースランド、母の父トニービンのドリームパスポートは、7戦2勝2着3回3着2回、複勝率100%の馬である。GⅢきさらぎ賞を勝っている。破ったのは今回の皐月賞馬メイショウサムソン。前走のスプリングステークスはそのメイショウサムソンの3着。過去にはフサイチリシャールとマルカシェンクの2着がある。
 デムーロに騎乗を頼み、彼も快諾していたのだから、どれほどの馬かはこのことからもわかる。

 松田博資厩舎はクラシック皐月賞に3頭出しの快挙である。
 1頭は1番人気確定の弥生賞馬アドマイヤムーン。武豊騎乗。もう1頭はサンデーと名牝ベガの仔・キャプテンベガ。桜花賞馬の父となったばかりの故・アドマイヤベガの弟だ。鞍上は安藤勝己。そして3番目がドリームパスポート。鞍上はミルコ・デムーロ……のはずだった。
 それが調教を主にしている障害騎手の高田騎乗ということから、またひと味違う話題になった。
 単勝10番人気だったがデムーロなら6番人気ぐらいになったのではないか。

 高田はドリームパスポートには一度騎乗している。京都2歳ステークス。現在休養中だが同世代最強の噂が高いサンデー産駒マルカシェンクの2着だった。この実績がなかったら今回の騎乗も実現しなかったに違いない。

 私は騎手に興味がないし、あまり情愛から競馬を語りたい方ではないが、この「馬と騎手のコンビ」に関してのみむかしからすこしばかりこだわりがあった。
 たとえば関東ファンであるからテンポイントよりもトウショウボーイの方が好きだったが、鞍上が池上から福永、武と変ってゆくのはいやだった。とはいえ池上がしっかり乗っていればトウショウボーイはダービーを楽勝していた。加賀クライムカイザーの今だったら降着になるような乱暴な騎乗で出し抜けを食わされ、急いで追いかけたが届かなかったレースである。馬主が激怒して下ろしたのはしかたなかったろう。皐月賞と有馬記念がトウショウボーイの冠だが、本来ならダービーというもっと大きい冠があるはずだった。(今だったら天皇賞・秋をレコード勝ちしていそうだ。)

 だけどそれだったらテンポイントの鹿戸だって下ろされていた。それこそ福永や武という関西の人気騎手はテンポイントにこそ乗るべきだったのである。だが最初から最後までテンポイントと鹿戸はコンビを貫いた。これがテンポイント物語の最も美しいところだろう。
 近年でも、テイエムオペラオーの和田だって本来なら変更である。ナリタトップロードの馬主だって渡辺以外の騎手に頼みたかったはずである。調教師が庇い、彼らが乗り続けたからこそオペラオーもトップロードもより輝く愛しい馬になった。

 高田の場合はそれらの例とはすこし異なる。調教稽古を毎日のようにつけている自厩の馬である。レースでも1回騎乗している。でもお手馬ではなかった。今回もデムーロ騎乗停止で鞍上が浮いたとき、より名のある空いている騎手に行くと誰もが思ったはずである。私は高田になればいいと思った。なにより重賞で2着1回の実績がある。だが生涯一度のクラシックレースだから、ここはより実績のある騎手に頼むのが普通だろう。ヨシトミなんかになったらイヤだなと思った。
 高田が乗るらしい。そんな噂が流れた。そして実際に実現したときは拍手を送ったものだ。

 かといって私は高田騎乗のドリームパスポートを本命にしたわけではない。馬券も外している。それが私の馬券スタンスだから悔いはない。世の中には高田騎乗だからこそと本命にして万馬券を的中した人も多いことだろう。その喜びはいかほどのものであったろう。(高田だからと消したドリームパスポートファンもいたかもしれない。)
 3頭だし松田勢の中で、武よりもアンカツよりも高田が先着した。これまた競馬である。

 2番ゲートを活かし、イン強襲を描いていた高田の戦法が見事にはまった。鋭い脚で伸びてきたとき、勝つと思った。なんとまあドラマチックな勝利であろうと。だがメイショウサムソンは、並ばれるとまたそこから伸びた。これまた強い馬である。これがオペラハウスの血か。オペラオーの勝負強さを思い出した人も多かったことだろう。

 勝った石橋は22年目にして初めてのGⅠである。人も馬も地味な皐月賞となったが、なんとも味わい深いレースとなった。
 これでまたダービーがわからなくなった。前記の無敗馬マルカシェンクも京都新聞杯(これって菊花賞トライアルなんだけどなあ)から動くらしい。
 岩田に乗り替わったフサイチジャンクは3着、武のアドマイヤムーンは4着。突如指名された岩田は責任を果たし、アドマイヤを選んだ武は恥を掻いたことになる。負けはしたがアドマイヤに先着した関口オーナーは満足だったろう。あの選択と決定はキレイゴトではない。アドマイヤオーナーは高笑いし、フサイチオーナーは頭から湯気を出したはずだ。ダービーでのこの2頭の着順争いも興味深い。こういう場合武は、自分の捨てた馬にだけは負けない乗り方をする。となるとまた両馬が消える可能性もある。

 馬券が大外れなのに帰りの足取りが重くなかったのは、石橋と高田の1、2着を素直に祝福していたからだった。よかったな石橋、がんばったね高田。





 こういう資料を貼るときは引用させてもらったYahooやniftyの名を記すようにしてきたが、JRAの場合はあえて書く必要もあるまいと書かないことにした。一番信用できるし、なるべく今後数字的なものはJRAにしよう。














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サンスポより名観戦記引用

 インターネットで読むことの出来るスポーツ紙の記事で、以下のサンスポほど熱く充実した皐月賞記事は他にない。やはり岡部騎手が感謝したというように「サンスポほど競馬記事に力をいれているところはない」のである。それは一番売れているスポーツ紙であるニッカンの記事と比較すると明白だ。こういう充実した記事を目にするとサンスポ読者であることが誇らしくなる。

【皐月賞】サムソン1冠獲得!石橋守22年目GI初制覇!

22年目でGI初制覇の石橋守騎手は表彰式後、メイショウサムソンの首を撫でた。皐月賞登録馬に先日配られた特殊ゼッケンで“メイショウサムスン”なんて表記されたが、もう大丈夫!(撮影・金子貞夫)

(これは写真のキャプションとしてあった文。サムソンを韓国企業のサムスンに間違えるようなひどいことがあったのか。おもしろいエピソードなのでメモしておくことにした。)

必死に追って、遂につかんだ。デビュー22年目の石橋守騎手が、メイショウサムソンで念願のGIを初めて手中にした。

「中山の直線がこんなに長く感じるなんて…。幸せで一杯です。馬の力を信じ、この馬の競馬をしようと思ってました。上がりのしっかりした馬が後続に沢山いたので、しっかり追ったので(後ろの馬を)見る餘裕はありませんでした」

先行策から直線で抜け出したメイショウサムソン(右から3頭目)がV。2着ドリームパスポート(左)の高田騎手は笑顔で石橋守騎手を祝福した(撮影・佐藤雄彦)

勝利者に涙はない。静かに誠実にインタビューに答える姿が清々しい。“並んだら抜かせない”と言い続けてきた石橋はサムソンを信じていた。「内枠でしたがスタートに不安はなかった。この馬の先行力を生かしたかった」。

スタートを決めると5番手にポジションを取り、向こう正面で徐々に進出。4コーナーでは3番手まで押し上げ、直線でGOサイン。坂上でフサイチリシャールをかわした直後、内からドリームパスポートが猛追してきたが、ここからがサムソンの本領発揮。一気に抜き去りそうな勢いのパスポートと馬体が合うと、再び闘志を見せ、半馬身差で栄光のゴールに飛び込んだ。

歓声を上げたのはファンばかりではなかった。検量室では、競馬学校同期(昭和60年卒業組)の柴田善臣、皐月賞を戦った武豊ら石橋を兄貴と慕う後輩たちが心から祝福の拍手を送った。石橋はサムソンの調教にもデビュー前から乗り続け、担当する加藤厩務員も「石橋さんで負けたら仕方ない」と厩舎スタッフも全幅の信頼を寄せていた。

デビュー6年目の平成2年、石橋はトウショウアイに騎乗して1番人気でエリザベス女王杯に挑戦。結果は横山典弘騎乗のキョウエイタップに内をすくわれて2着に惜敗。以来、上位人気馬でGIに挑んだ経験はない。

「GIは騎手になった以上、誰もが勝ちたいレース。22年間、僕は僕なりにやってきました」

勝利の女神は、人目につかないところでも地道に努力を続けてきた腕達者に祝福のキスをした。こんなクラシックも感動的だ。

GIジョッキーとなった石橋&サムソンの次なる目標は、日本ダービー(5月28日、東京、GI、芝2400メートル)。「皐月賞を勝ったことで、なおさらマークされる立場ですね。新たに気を引き締めます。課題? 何もありません」。このコンビ愛があれば、何も心配することはない。(高尾幸司)

4/30

 天皇賞・春──ディープ、驚異のレコード更新!

 私は競馬を見ていて声を出したことがない。大金をすっても(しょっちゅう)儲けても(生涯に数度)声を出さないし表情も変らない。近年の大事件をふりかえっても、オグリキャップが奇蹟の復活を遂げたあの有馬でも、府中が冷え込んだように沈黙したサイレンススズカ故障の時も、一切声は出していない。
 喚声を上げたのはいつになるだろうと振り返ると、ルドルフがジャパンカップを勝ったときは声を出した。しかもそのあと、2着に桑島のロッキータイガーが追い込んできたのだから、喚き散らしていた。あのときぐらいだ。あのときは声だけじゃなく、涙も鼻水もいろんなものが出た(笑)。
 あのあとから私は競馬文章を商売にするようになったから、あれはアマチュア最後の叫びだったかも知れない。ルドルフがジャパンカップを勝つこと、そしてロッキータイガー桑島は、通い詰めた競馬の証だった。思えば良い形の大団円を迎えてプロの世界に踏み込んだものである。

 もっともそのご声を出していないのは、こういう大きなGⅠではそれだけの心構えが自然に出来ているからであって、小銭で大穴を狙っている最終レースでは、単騎逃げを狙ったのに大きく出遅れた狙いの馬や、逆にまたハイペースに巻き込まれて暴走してしまった中心馬に、「アチャー、なにやってんだよ」とか「おいおい、早すぎるだろ」なんてはよく言っている。



 ディープインパクトが出遅れると場内は大きくどよめいた。私の隣にいたおやじが、「よおし、はいごくろうさん、これでいっちょあがり」とはしゃいだ。自分に言い聞かせるような言いかただった。
「これで消えたよ。来ないよ。だあめだあ、出遅れだもん。これで来たらバケモノだよ」
 しつこく何度も言っている。聞こえよがしに、大きな声で。同調者を募るように、周囲を見渡しながら。
 私がこういう連中を嫌いなのは、それが自分の願望だからで(まあ誰でもそうか)、だまって見てろよと言いたくなる。腹の中では「そう? でも簡単に勝つよ、だってあんたの言うバケモノだからね」とひとりごちる。
 ディープの勝利を毛ほども疑っていない。あの阪神大賞典を見てそれが解らないヤツはバカだ。

 この馬が負けると思ったことがない。デビュウ2戦目から三冠馬なんて言われた馬を知らない。無敗のシンザンが上京初戦のスプリングステークスで6番人気だったように、ルドルフが弥生賞でビゼンニシキの2番人気だったように、三冠馬なんてのは皐月賞、ダービーの二冠を奪ってから囁かれるものだ。この馬は条件戦を勝ったときから三冠馬と言われていた(笑)。こんな馬を知らない。だって桁が違いすぎる。直線まで何もせず走ってきて、そこからだけでちぎる。かつてこんな馬はいなかった。

 唯一、一瞬不安を感じたのが菊花賞だった。届かないのではないかと。その原因はその前の折り合いの悪さにある。
 菊花賞のあと、みんなとの飲み会で私は「春天に行く必要はない」と言った。どう考えても菊花賞の走りは不自然だった。3000は向いていない。なによりセントレジャーの落日に見るように、今時2400以上を走る必要はない。それよりもマイルだ。デビュウ以来2000以下を走ったことのないディープに、私は安田記念を、マイルチャンピオンシップを勝って欲しかった。それこそ武が言った「マックイーンのように強い馬は短距離でも強い」を証明するために、高松宮記念やスプリンターズステークスを勝って欲しかった。
 天皇賞春で息切れするトウカイテイオーの轍は踏んで欲しくなかった。(先日原稿でそう書いたら、あれはレース中に骨折していたのが敗因だと指摘され修正を余儀なくされた。そうか?)

 ディープは実際に有馬記念で負けている。私はこのとき日本にいなかった。見ていない。よって私の中では未だに彼は無敗なのである(笑)。見なくてよかったな、あれは。あんな「飛ばない」ディープは見たくない。
 私は今まで彼の馬券をすべて1着固定3連単で買っている。それでいて当たったことがないのがなさけないが、それはしらんふりして、もしもあの有馬のとき日本にいたなら、そこそこ資金もあったことだし、ディープ1着固定で久々に大勝負していた。あったかい正月を迎えようと。そろそろパソコンも買い換えたかったし。
 信じられない敗戦に腰を抜かしていたろう。そうなるとここに書いているようなディープ讚歌も怪しくなってくる。金の恨みは尾を引く。有馬のとき日本にいなくてよかった。

 しかし彼はそんなこちらの心配をあざ笑うかのごとく、阪神大賞典でとんでもないレースを見せてくれた。菊花賞が単に3000のレースに慣れていないだけで、距離適性なんて超越していることを証明してくれたのである。もったままだった。ゴール前では武は手綱を緩めていた。信じがたい能力だった。本気で追ったら何馬身ちぎったことか。
 このレースを使ったのは陣営にも一抹の不安があったのだろう。2000の産經大阪杯を使えば勝つのはわかっている。それでは3200のレースの目算が立たない。果たして3200でどうなのか、不向きなのか。そのために3000のレースで確認したかったのだ。もしも阪神大賞典で敗れたなら、いや勝っても不満足な内容だったなら、春天回避もあったろう。結果は問題なしと出た。
 それでも今回の天皇賞優勝後、金子オーナーは「出してよかった」と発言している。やはり「出さない方がいいか?」はあったのだ。あの阪神大賞典楽勝でも、距離不適正は一抹の不安として揺らいでいた。なのにこの馬ときたら……。

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 私はレコードタイムには興味がない。競馬は勝つことが全てだ。時計はあとからついてくる。シンザンのように、テイエムオペラオーのように、どんなにきわどくても確実に勝つのが真の名馬だ。それは私の好みの馬である。私はレコードタイムでちぎって勝つかと思うと、自分のレースが出来ないと惨敗のような個性派よりも、前記の2頭のようなどんな形になろうと勝つ馬が好きである。よって私の中で、シンザンやルドルフはブライアンよりも上に位置する。

 そんな私にも頭の中に刻まれているレコードタイムはある。
 あのホーリックスとオグリキャップの作ったジャパンカップレコード(世界レコード)、2分22秒2。そしてもうひとつ、マヤノトップガンが叩きだした驚異のレコード、春天3分14秒4。このふたつは特別である。
(ついでキングカメハメハとディープインパクトの持つ2分23秒3のダービーレコードか。タケホープ、コーネルランサーと毎年更新されるダービーレコードの時代に競馬青春を送ったからダービーはレコードを意識するようだ。)

 そのホーリックスとオグリのレコードが昨年破られた。形はオグリのときとまったく同じ。勝ったのは外国馬アルカセット、2着に日本馬ハーツクライ。時計は同タイム。2分22秒1。
 次走で、ディープインパクトを唯一破る馬が不滅のジャパンカップレコードを更新した。(残念ながら2着だったが。)このときにその資格を得ていたことになる。

 さあ今度はディープがあの究極のマヤノトップガンの春天レコードを破るか!?

 なんてことは微塵も考えなかった。考えるはずもない。レコードはみんなで作るものである。マヤノトップガンのあれも、サクラローレルが、マーベラスサンデーがいたからだ。逃げたビッグシンボルが、エイシンホンコンがアシストした。「今までと同じレースをしてはサクラローレルに勝てない」と悩んだ田原成貴のためにためた末脚爆発という秘策が見事に嵌った。
 今回ディープにそれがあるか。名勝負を演じるライバルがいるか。一強と言われている。逃げ馬はトウカイトリック? ビッグゴールド? ライバル? リンカーン? とてもとてもレコードタイムの出るようなレースではない。

 それよりもなによりも、春天の走破時計とはなにか。
 マヤノトップガンの前後を見れば、連覇したメジロマックイーンが3分18秒8と3分20秒0、マックイーンの三連覇を阻んだライスシャワーの凄い時計が3分17秒1である。マヤノトップガンの前年に勝ったサクラローレルが3分17秒8。翌年のメジロブライトは3分23秒6だった。
 スペシャルウィークは3分15秒3。これは凄いな。あらためてスペシャルウィークの能力を思う。たいしたもんだ。
 一昨年の逃げ切りイングランディーレが3分18秒4。
 昨年のスズカマンボが3分16秒5。スズカマンボの場合も引っ張る馬がいて、ゴール前のねじりあいのようになった白熱の名勝負だった。この時計がある意味限界なのではないか。マヤノトップガンのレコードは特別なのだ。いくつもの要素が重なって誕生した越えられない壁である。奇蹟的な数字だ。
 常識的に考えて今回の時計は3分17秒から18秒台。しかしそれはディープインパクトという最強馬に敬意を表しての数字であって、べつに3分20秒の決着になっても決して責められるものではないだろう。勝つことが全てなのだから。

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 ウインズのモニターで見られたのがさいわいだった。左上にタイムが出る。それのない家のテレビで見ていたら今回の昂奮はなかった。
 後方2番手を進んだディープは、3コーナーから仕掛け、4コーナーでは馬なりで先頭に立つ。

 直線に向いたとき、私はレコードタイムが出ると直感した。思わず「レコードが出るよ」と言ってしまった。こんなふうに声を出すことはまずない。
 べつに周囲の誰も気にしなかったが、もしももうひとりの私がそこにいたなら、「へんなことを言うおやじだな」と思ったろう。
 それからはそれだけだった。先ほどのディープを消した馬券を買ったらしいおやじは、「リンカーン差せ! ディープへたれ!」と切ない希望を叫んでいたが、私は背筋を寒くさせつつ、「レコードが出るよ、レコードだよ」と、モニター左上の数字とディープを見ながら、そればかりつぶやいていた。
 3分10秒、11秒と数字が刻まれてゆく。獨走態勢だから武はもう追っていない。それが心配になる。12秒、13秒のときに入線した。
「やった、レコードだよ、すごいよこれ、すごい時計だよ」
 それはごくふつうの声量だったけど、百万損しても儲けても表情を変えず一切無言の私にしては、最高の昂奮状態であり、自分的にはわめき声に近かった。隣にいた長髪の若者がチラっと私を見た。それは「この人はなにを言っているのだろう」という顔だった。それで恥ずかしくなり、私は黙った。それが私の天皇賞・春だった。

 競馬で大事なのは着順だ。私は競馬場で昂奮気味の見知らぬ人から「すみません、なにが勝ちましたか」と問われて苦笑することが多い。目の前でレースを見ていてだ。あながち初心者だからとは言えないようである。一団でゴールに飛び込んだ馬群の中から瞬時にして1,2.3着を判断するのは、それなりに技量がいるらしい。
 競馬場ですらそうだからウインズではなおさらだ。今回も2着リンカーン、3着ストラタジェムを瞬時にはわからない人が多かったようだ。それが競馬場で自分の目で見ているのとカメラを通してモニターで見ることの差でもある。カメラを通すと競馬場のように自分の好きな馬だけを追うことが出来ない。

 あまりのディープの完勝にカメラがぐっと引いたからでもあろうが、特にストラタジェムはスロー再生で3着が確認されてから大歓声が起きたほどだった。いま一番売れている馬券が3連単であることをそのことからも確認できる(笑)。
 私はそれはもちろん4着アイボッパー、5着トウカイカムカムまで一瞬で判断していた。これって自慢していいのか。これだけ長くやっているのだから当然か。

 それが現実だから、もういちど歓声が起きたのは、さらに数十秒経って、「レコード」のオレンジ色の掲示板がアップになったときだった。そのとき私はもう馬券を外したため息と共にモニターから離れて歩き始めていた。歓声が起きたので振り返ると、画面にレコードの文字がアップになっていたのだった。
 それはまあマヤノトップガンのレコードを意識して見ていた人なんていないだろうし、私だってたまたま平成の天皇賞・春の原稿を書いたから、あのすさまじいレースが脳裏に刻まれていただけである。この瞬間を楽しめたから、あの原稿を書かせてもらってよかったと思ったものだった。「へえ、レコードか、今まではなんだったの? ああ、マヤノトップガンか」と結果として思うのと、リアルタイムで、「うわあ、レコードになる、あの大レコードが更新されるよ!」と昂奮するのでは雲泥の差がある。いい形で臨めた。お仕事をくれたYさんに感謝。

 それでも去年のジャパンカップでは、もっと早い時点からあのレコードが更新されたと場内がどよめいたから、天皇賞・春のレコードタイムは、それほど人の心には残っていなかったのだろう。関東と関西の差もあろうし、それだけ2マイルの競馬は遠くなりつつある。

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 それにしても、なんて強いんだろうディープインパクト。自分一人でレースを作り、あの究極のレコードをいともたやすく1秒も縮めてしまった。3000メートルの通過時間は3分2秒1だから、あのセイウンスカイが菊花賞で作った世界レコードも易々と超えているのである。それを越えたナリタトップロードが阪神大賞典で作ったレコードも! それでいて2マイルを走り抜いたあとの飄々とした顔。信じられない……。

(馬場差があるからそれを無視して語るのは無意味なのだが)13着に敗れたビッグゴールドだって、昨年の2着と同じ時計で走っているのである。なんともはやすごいタイムの決着になった。
 2着リンカーンは気の毒としか言いようがない。今まで春天は1番人気で2度惨敗し、やっと人気通りに走ったらとんでもないのが一緒だった。

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 私の馬券は、ディープインパクト1着固定、2着はあれこれ、3着××固定の3連単勝負だった。2着に人気薄のトウカイカムカムでも来てくれるとそこそこの馬券になる。もちろんリンカーンも抑えてある。
 3着候補の××は1枠のストラタジェムかマッキーマックスの二者択一だった。高本方式をマスターしている私からすると、今回のこの枠順だと絶対に1枠が絡むのである。(とてもサラブレッドインフォメーションを書いていたヤツの文とは思えない。)
 すなおな私の必勝法ではマッキーマックスなのだが、ストラタジェムの鞍上が、昨年2番人気のオーストラリア最強牝馬マカイビーディーヴァで敗れているボス騎手騎乗なのである。武豊との笑顔の握手もあった。これは強烈な買い目だ。この決断は最後の最後まで迷った。

 結局マッキーマックスにして外した。それもあって注目していたから、3着に来た白帽子がマッキーじゃなくストラタであることはすぐにわかった。(というかディープの勝ちっぷり以外は、3着に白帽子のどっちが来るかだけが楽しみの天皇賞でもあった。)
 43倍だから負け惜しみじゃなくさほど悔しくはないが、それよりも「ディープの馬券を一度も奪ったことがない」で終ったらこれは一生の恥だ。3連単しか買ってないからなあ。あと何回買えるやら。

 そういえば日本でも凱旋門賞(キングジョージ)の馬券を発売しろという意見があった。たしかにディープやハーツクライが出るのに買えないのは残念である。

 とんでもなくすばらしいものを見せてもらったという高揚と馬券を外したという落胆が交叉する帰り道だった。やはり馬券を当てないといかん。


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 速い馬場について

 この日の京都が速い芝であり、未勝利戦でもかなりの時計が出ていたことは知っている。そのことからこのすばらしいレコードタイム決着を否定しようとする「アンチ・ディープ」がいることも知っている。しかしそのことがディープインパクトの偉業達成の曇りになることはあるまい。速い芝が用意されていたことと、確実にそこを速い時計で勝つことは別ものだからである。

 しかし、もしも「JRAが速い芝を用意し、ディープにレコードを作って欲しかった」という勘ぐりをするなら、あのようなとんでもない事件を起こした、競馬会としては触れられたくない汚物である田原成貴が栄えある天皇賞に空前絶後のレコードを刻んだ騎手として名を残していることは消し去りたい記憶であり、すべてにおいてすばらしい金子オーナーと武騎手、ディープインパクトによって、それを消し去って欲しいと願っていた人々がいた、とは言えるだろう。
 日本中の何カ所かで、「いやあ、よかったよかった、これで田原の名が消える」と乾杯した人たちがいたことは想像に難くない。そういう意味でも万々歳であった。
(さらにまたごくごく一部には、「あんなのとトップガンのレコードじゃ中身が違うよ」と言っていた人も、ほんのすこしいただろう。)

 レコードタイムのドラマチック

 友人のターフライター・鶴木遵は、平成九年(1997)のマヤノトップガンが打ち立てたレコードタイム天皇賞・春を、渾身のノンフィクションとして仕上げた。それは競馬を騎手から描いてきた鶴木にとって、田原が格別に親しい騎手であり親密な取材が出来たこともあって、「ひとつのレース、騎手の心理」を描いた競馬ノンフィクションとして、最高傑作だったかもしれない。
 たしか当時『優駿』で掲載していた50枚程度の月代わりノンフィクション(書き手が毎月代わる)で、唯一前後編に分かれた二ヶ月連続の100枚作品になったのではなかったか。

 鶴木は、その田原とマヤノトップガンが作り出した究極のレコードタイムを、軽々と1秒も更新してしまった今回の武豊とディープインパクトを見て何を思ったろう。

 たしかなのは、鶴木をもってしても今回のレースに、そんな物語を書くことは出来ないということである。
 マヤノトップガンのときのような、レースが近づくに連れ田原が寝ることも出来ず、悶々としつつ打倒サクラローレルの秘策を練るような物語は今回はない。いわばそれは秀才の物語だ。対して今回は、天才騎手と天才馬が、淡々とレコードタイムを記録しただけの話である。

 それを人間的なドラマがなくてつまらないという人も多かろう。
 私はこういう真の天才の物語にわくわくするほうである。屈折や努力の秀才の物語よりこっちのほうを好む。
 そういう意味でも最高の天皇賞だった。
5/14
 ヴィクトリアマイル考

○古牝馬のGⅠ
 5月14日は新設された古牝馬のためのGⅠ「ヴィクトリアマイル」の日である。
 NHKマイルカップ、オークス、ダービー、安田記念と続く府中のGⅠの中で、NHKマイルカップとオークスのあいだにGⅠがない。ここに設置すると5週連続GⅠと謳えるし、売り上げも伸びるのではないかと考えたのだろう。まあたいして意味のないGⅠである。

 とはいえ二十数年前、牧場取材をメインにしていた私にはそれなりに思い入れはある。当時、日高地方の生産者はみな「古牝馬のGⅠ」を願っていた。特に中小規模のオーナーブリーダーは、牝が出ると売れないし、売れても安いので、なんとか古牝馬の重賞を増やして欲しいと真剣に考えていた。古牝馬になっても稼げる可能性のあるレースがあれば、牝だって売れるからである。

 桜花賞、オークス、エリザベス女王杯という牝馬三冠(当時)の流れは華麗だが、それが終るともう牡馬と混じって闘わねばならない。歴史的な名牝でもない限り、天皇賞や有馬記念で牡馬を破っては勝てない。いわば二十歳までは女性専用の華やかな職場が用意されているが、二十歳を過ぎたらいきなり男と一緒の肉体労働しかないようなものである。
 
 牝馬にもっと賞金の高い大きなレースを、というのは生産者にとって切実な願いだった。それが出来たなら、どうしようもなく安い牝馬の値段だってもうすこしあがる。男が生まれるか女が生まれるかで一喜一憂する生産者も、「牝馬だって稼げる」と馬主にアピールも出来る。高い種つけ料を払ったのに、生まれたのが牝馬だったと落胆しなくて済む。
 牧場取材をしていれば牧場贔屓になる。当時私もそんな意見を書いたりしたのだがまだまだ振り返ってはもらえなかった。

 やがて4歳牝馬三冠路線のエリザベス女王杯を古牝馬にも解放し、4歳牝馬限定のレースとして秋華賞が設置された。エリザベス女王杯杯という古牝馬のためのGⅠ(4歳馬も出走できるが)がやっと出来たわけである。これをうまく利用して、メジロドーベルは一流牡馬顔負けの賞金を稼いでいった。
 だが生産者からしたら「もう一丁」であろう。そのもう一丁が春の古牝馬GⅠだった。それがやっと実現したことになる。これは季節が春なので若駒は出てこない。桜花賞、オークス真っ盛りの季節である。

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○まずまずの入り
 客の入りはまあまあだった。曇り空で過ごしやすい。ピーカンよりもむしろ競馬はこれぐらいの天気の方がいい。
 6万人程度かと読む。あとで5万8千と知る。私の勘もなかなかのものだ。アイネスフウジンのダービーのような19万人はごめんである。

 どんなに込んでも6階にいれば問題はないのだが、私はパドック最前列で馬を見るので、毎レース1階に行く。そこからまた6階にあがるのは面倒だし時間もないから、1階でそのまま馬券を買いたい。なんとかそれが出来るほどの混み具合だった。さすがにパドックは一般席で見るのは、席取りの連中が多く無理だった。GⅠの日なので、フェンス間際にビニールシートを敷き、あれやこれやと手荷物が置いてあるので最前列まで行けないのだ。
 しかたがないので報道陣用のパドックを利用した。これは特権なのだが、私はどうにもそれになじめない。

 2月のフェブラリーステークスのとき、前日から府中本町の通路に徹夜で並んでいる人たちがいた(京王線側もいたのはまちがいない)。ああいう人たちはなにを考えているのだろう。2月の夜に徹夜で並んで翌朝競馬場に一番乗りすることになにか意味があるのだろうか。たぶんラーメン一杯食うのに何時間も並ぶ感覚と通じるのだろう。並ぶそのことによって附加価値を得るのだ。私にはわからない感覚である。

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○不評のレース名
『日刊競馬』で心に残ったことがあった。
 ヤマノコウイチ氏がコラムでこのレース名を否定しているのである。
 理由の1は「エリザベス女王は来日記念とかまあ関係があるとしてもヴィクトリア女王はなんの関係もないし、なんでこんな名前にしたかの」である。
 理由のその2は「マイルとは1609メートルであり、1600メートルのレースだから不自然。計量違反は重罪」だった。
 計量違反とか重罪なんて出てくると尋常ではない。ヤマノセンセー、なにを怒っているのだろう(笑)。

 簡単に推測できるのは、これらを決めるのに競馬会がヤマノセンセーのご意見を拝聴しなかったということである。だからお冠なのだ。もしもセンセーの立場を尊重し、ご意見を伺い、そしてこのレース名に決定したなら、センセーはこのコラムでも、古牝馬限定GⅠを設定した意義を高く評価し、風格のあるいいレース名だとお書きになる。御用学者とはそういうものである。どうやら競馬会内部ですべてを取り決め、センセーのご意見を伺わなかったようだ。あるいはセンセーの嫌いな誰か違う人に伺ったのか? いずれにせよないがしろにされたヤマノセンセーはご機嫌な斜めである。

 しかしマイルは1609メートルであり、計量違反は重罪というなら、マイルチャンピオンシップからNHKマイルまで、マイルと名のつくレース名をすべて見直さねばならない。なんでヴィクトリアマイルにだけケチをつけてきたのか不思議である。こんど裏事情通に聞いてみよう。まあでもここで推測していることですべてだと思うが。

 ところがおもしろいことにそれに触れているのはヤマノセンセーだけではなかったのである。
 内側のページにある、GⅠのときだけ登場する大阪のトラックマンとの電話会話のコーナー(関東でしか発売していない『日刊競馬』だからどこか提携している会社のトラックマンなのか?)でも、いきなり「コンプレックス丸出しのひどいレース名」と出てくる。
 なるほどね、そんなに評判が悪いのか。でもエリザベス女王杯の前身はヴィクトリアカップだし、ヴィクトリアの名は初めてではない。

 なら安田記念、有馬記念のように、どなたか功労のあったかたの名を取って「××記念」か?
 すぐあとに安田記念があるから、これは却下か。
 かといって桜花、皐月、菊花のような適当な花の名はないか?
 日本語のレース名はどんなのが候補に挙がったのだろう。
 ヴィクトリアマイルに決定するまでの裏話を知りたいと思った。

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○新設GⅠの傾向
 新設GⅠの第一回目は重要である。それにふさわしい馬、馬主が勝たねばならない。それが掟である。
 それは過去の新設GⅠを見ればわかる。もっともスポーツ紙に新設GⅠとして載っていた高松宮記念やNHKマイルは、新設ではなく、改訂? だろうな。ほんとの新設というとジャパンカップダートとか秋華賞になるのか。

 だから勝ち馬は、ダンスインザムード、ラインクラフト、エアメサイアのどれかである。GⅠホースだ。
 2着も堅いから荒れないだろう。楽しみは3連単だけか。
 私は『日刊競馬』の飯田さんが三重丸でダンスインザムードを押していたこともあり、ダンスの1着固定と、大好きなラインクラフトの1着固定というふたつの路線で行ったので、ラインは散ったが、ダンスのお蔭で当たることは当たった。でも3着も堅かったから儲からなかった。このレースでとんでもない3連単大穴を狙った人は馬券センスが悪い。

 古い日記を読むと50倍程度を大穴と書いている。今じゃ3連単の100倍を取っても「かたいな」だ。

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 最終は、自分の目で馬券を買ったあと、パドックで隣にいた馬券生活者の梶山さんが「今日は母の日だから必ずゾロ目が出る」としつこくいうので、じゃあ勝つのは1枠①番の1番人気の武なのだから、2着に1枠②番の馬が来るかと、それを1、2着固定して3着を流す馬券を買い足した。すると武が快勝し②番が2着になりそうなので的中かと昂奮した(笑)。結果②番は3着だった。300倍はついたから、どうでもいい書いたし馬券なのに、捨てるときすこしばかり悔しかった(笑)。
 それよりも私がパドックでいちばんいい出来と判断した15番が2着に来た。馬連馬単なら大本線的中だったのである。3連単しか目にないので買わなかった。15番、3着で良かったのに。

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○バンド演奏
 府中本町方面出口でブラスバンドが演奏しているので足を止めた。音ではなく曲にである。
 すぎやまこういち作曲の東京競馬場のファンファーレを演奏していたのだ。関西の、先日亡くなった宮川泰さんの作ったものよりも、ファンファーレとしてはこっちのほうが好きである。ふたりとも大好きな作曲家だが。

 異国で懐かしい音楽を聴くとドキっとするものだ。私はどこか異国の街外れで、この東京競馬場GⅠのファンファーレが聞こえてきたら、様々な思いが脳裏を駆け抜け、背筋を寒くさせるだろう。そんなことはあり得ないが(笑)。

 編成は、バスドラ、スネア、シンバルのドラムに、チューバ、トロンボーン、トランペット、とここまではふつうだが、もうひとりがなぜかアコーディオンだった。五人編成。
 華であるトランペットは女である。東京競馬「競走」楽団と名前が出ていた。「競走」は私がカッコをつけたのではなく、だじゃれをわかってもらうためにあらかじめ附いていた。
 映画「スウィングガールズ」がヒットしたように、今時、高校のブラスバンドで女のトランペットは普通なのだろう。ブラスバンド全国大会のドキュメントを見たときもけっこういた。しかし私の時代では、女はピッコロ、フルート、クラリネット系の木管であり、花形のトランペットは男の獨壇場だった。だから女のトランペッターを見ると未だにキワモノに見えてしまう。
 腕前はまあそこそこ。

 ファンファーレが終り、「草競馬」のようなスタンダードナンバーになったので場を離れた。アコーディオンという特殊な編成は、たぶんアコーディオンがメインの曲をやるためだろう。なんだろうと考えながら歩いたが思いつかなかった。

 来週からいよいよオークス、ダービー、安田記念とGⅠが連続する。NHKマイルとヴィクトリアマイルは露払いだ。私自身、いまは競馬より相撲の方に昂奮している。しかしダービーとなるとまた違ってくる。

5/21
 オークスメモ

●馬券
 カワカミプリンセスの1着固定。49年ぶり、ミスオンワード以来の無敗のオークス馬誕生を確信していた。
 もう1頭の軸は武。武豊のアドマイヤキッスが3着を外すとは思えなかった。この馬、ブルードメアがジェイドロバリーなので勝つとは思えない。ふさわしくない。でも武が3着までにはもってくるはず。
 よって1着固定に、2着アドマイヤキッスで、3着いろいろ。1着固定に、2着いろいろ、3着アドマイヤキッス固定の3連単勝負となった。

 2着のフサイチパンドラ、3着のアサヒライジングも好きな馬であり連対候補に入れていた。フサイチパンドラはどの新聞も虫印だったが桜花賞2着で14着惨敗だから絶好の連下候補である。
 アドマイヤキッスが3着だったら3連単はいくらついたのだったか。350倍ぐらいか。惜しかった……。

 もしも「アドマイヤキッスが3着を外した場合」の馬券を買い足すと簡単に当たっていた。30点買えば軽く的中の16万馬券だが、とにかく10点に絞ることを目標にしているのでそうもいかない。買っても100円だしそれで16万ではうれしくない。

 しかしそれよりも悔いは、3連単ばかり考えていて、その他の馬券はいま買わないが、馬単なら5点で80倍のカワカミ・フサイチが当たっていたということ。でもこれも買っても千円だったろうし8万ではうれしくない。狙いは16万馬券を千円当てることだ。
 と、真に嘆くべきはこんなふうになってしまった感覚か。むかしなら馬単を1万買っていたろうに。3連単は悪魔だ。いや天使でもあるが。

アオシマ嫌い
 反省のためにヴィデオを観ると、なんと実況がアオシマだった。あのバカのひたすら連呼するだけの喚きを聞きたくないので音を消して観る。2度観て削除した。
 ダービーがこのバカでないことを願う。オークスを担当したので違うと思うが。


5/28
ダービーメモ

 馬券は3連単のみ購入。迷った末にメイショウサムソン1着固定にする。というのは、石橋にダービージョッキーになって欲しい、いい人で有名なメイショウの松本オーナーに皐月賞に続いてうれし涙を流して欲しいと願いつつ、1番人気のこれが消えたらおいしいなと考えている自分に気づいたから。
 願いと裏腹に考えているのが、人気落ちのアドマイヤムーンが来て、メイショウが4着以下になったらおいしい、である。あのアドマイヤの成金オーナーが大嫌いなのに、馬券的には違うことを考えている。インタヴュウした友人が「こわかった」と語っていたが、どんな人なのだろう(笑)。
 これはいかんと首を振る。ま、とにかく今年のダービーはメイショウサムソンが1着になるかどうかと、それを見るダービーだということにしようと決め、マークカードを1着固定で塗りつぶす。

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 外れた。
 理由は3着に来たドリームパスポートを消したから。
 高田騎手のファンではない。というか騎手に興味のない私はそんな騎手がいることすら知らなかった。判官贔屓をする気もない。だけどあの見事な騎乗で皐月賞2着に来ておろされるのではたまらない。
 しかしここで高田で2着ならもっとうまい騎手なら勝てるかも、と考えるのも人情。
 今日の競馬は、四位だから3着に来たのかも知れない。それは誰にもわからない。でも私は高田がおろされたドリームパスポートを買わなかった。
 またもここでメイショウ・アドマイヤの馬単20倍を買っていればだが、それには未練なし。最初から今回は3連単のみと決めていた。
 いやほんとうは、「ダービーを生観戦しながら馬券は買わない」を目論んでいたのだ。馬券引退ではない。条件戦は買う。ダービーだけ買わずに見るのである。すでに数年前、有馬記念で実行している。今年は誘惑に負けて買ってしまった。

 メイショウサムソン、アドマイヤメイン、マルカシェンクなら当たっていたから悔しいとも言えるが、ゴール前でどっちが3着かははっきり見切っていた。

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 11レース、秋川特別のパドックで馬券生活者の梶山さんがご機嫌。
 客筋に「ドリームパスポートの3着つけ3連単」を推奨し、それが見事にはまったからとか。
 同じく隣にいたテレ朝の人が、3連単を取ったとうれしそう。マルカシェンクが3着だったらと話していたら、彼が「でもそれだともっとつきませんよね」
 うむ、たしかに単勝人気でマルカシェンクは5番人気までのしていた。みな去年の強さを知っている。あの時点ではダービー最有力候補だった。サンデーラストクロップの年、やはりサンデーではないかと、今回も前走で5着に敗れたのに予想以上の支持を得た。

 あとで調べてみた。
 ドリームパスポートは7番人気で126倍だった。調べてみるとマルカシェンクが3着だと147倍である。こちらのほうがつく。こういうものである。単勝はマルカシェンク、複勝はドリームパスポートだ。



 2着のアドマイヤメインの柴田善臣はクラシック未勝利。石橋とは同期。
 今回有力馬を手に入れたことから、予想者の中に「ヨシトミに初クラシックを」という感情意見が多かった。
 それはいいが、でもアドマイヤメインは武が持ち馬が豊富すぎて転がり込んできた有力馬である。ヨシトミがクラシックを取るのは、やはり2歳時からコンビを組んできた馬の方がいいだろう。今回勝ったとしても、単に武の選択ミスとしか思われない。せっかくクラシックを勝つのなら、名コンビと讃えられる馬とがいい。

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 今日はかつてなかった特別編成。
 いつもならダービーを10レースにし、たっぷり前後の時間を取って11レースが最終になる。いつもより1レースすくなくなるのだ。
 ところが今年は最終12レースを設定。それにGⅡ目黒記念をもってきた。これの発走が5時である。
 未体験なのでみょうに新鮮である。
 パドックにいると、雨が上がり、西日が強烈だ。専門紙を左に掲げてさえぎりつつ見る。

 11レース秋川特別の3連単10500円を本線で取ってダービーの負けを取りもどす。浮いた。
 本来ならここでめでたしめでたしなのだが、さらにもうひとつ目黒記念があってはやらないわけにはいかない。
 やらない予定だったのでたいして検討していなかった。
 初めて生で見たアイポッパーは父のサッカーボーイに似たいい馬だった。惚れました。
 それと大好きなトウショウナイトの2頭軸マルチ。トウショウナイト沈没で外れ。
 プラスから一転してちょいマイナスになる。

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 2週間ぶりにインターネットが通じるので飲み会に参加せず帰ってくる。メイルが山とたまっているはずだ。返事を書かねばならない。酒など飲んでいるときではない。それと。

 今日は、昼間から酔っぱらいをいっぱい見ていやになっていた。
 静岡から来たSさんなんて午後2時にはもう顔が真っ赤で目がイッチャッてる。ああいうのを見ると酒を飲む気を失くす。まあお祭りなんだからしかたないとしても……。

 帰り道。
 いやはや込んでいた。駅への専用通路が渋滞して進まない。妻と一緒の2年前の有馬記念を思い出した。混雑するときは地上に出るのがいい。専用の地下通路なんぞ動かなくなったら最悪である。まるであのおぞましい「牛歩戦術」のように、ほんの数百メートルを歩くのにどれぐらいかかったことか。
 最終に目黒記念をもってきたのは売り上げ、入場人員共に効果はあったろうが、あまり意味のあることとは思えない。やめてもらいたい。ダービーの日はダービーだけでいいんじゃないの。

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 ファンファーレに喚声を上げ、手拍子をし、最初から最後まで喚いている若者を見ていると、こちらの心は冷えてくる。競馬って固唾を呑むからおもしろいんじゃないか。声を出すのは、一カ所、一声だけじゃないのか。それが男の競馬だろ。垂れ流さず、ためろよ。
 馬券を買うとき、私の前にいたそういう若者がオッズカードを忘れたので、呼びかけ渡してやると、礼も言わず、ひったくるように取っていった。競馬よりも前に学ぶことがあるぞ。

 前々から「GⅠの日ぐらいは競馬場に行かず」、家でごろ寝しながらテレビ観戦したいと思っている。
 そろそろ実行の時か。重賞のない土曜競馬がいい。

 それが私の今年のダービー。

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【附記】テレビを見て(5/29)
 日曜深夜、日テレの「うるぐす」で、杉本アナと江川のやりとりを見た。ゲストは雨上がり決死隊の蛍原。
 蛍原はまだ無名のころから(すくなくとも関東じゃ雨上がり決死隊なんで誰も知らないころから)、大井競馬のイベントに出たりしていた。誰も彼を知らず、みな「この不細工なあんちゃんは誰だろう」と思っていた(笑)。サインを求める人なんているはずもない。その意味では競馬をまったく知らないのにM-1優勝をきっかけにフジテレビの競馬番組に起用されたアンタッチャブルとは違う。

 彼らのやりとりに見るべきものはなかったが、検量室近辺で杉本さんの顔を活かしてのジョッキー・インタヴュウがあり、武がみょうにこざっぱりしているのが印象的だった。勝てるとは思っていなかったのか。
 中でも私にはハプニング的に通りかかったメイショウの松本オーナーが杉本さんと話すシーンが印象的だった。皐月賞優勝の時は号泣した松本オーナーだが、今回はどうだったろう。アドマイヤの近藤オーナーやフサイチの関口オーナーが2度目のダービーオーナーになるより、松本さんが初めて優勝することの方が遙かに意義深い。

 今年は桜花賞、オークス、皐月賞、ダービーと小牧場の馬が勝っているのは印象的だ。
 ダービー前にこんな記事があった。「戦後、ダービーを最も多く勝った生産者は、社台ファームの5回、ついでノーザンファームの4回である」。そんなあーた、そりゃついこのあいだまで一緒だった。兄弟が分割しただけである。となると「社台ファームが9回」が正しい。ぶっちぎり獨走である。次はシンボリの2回とかに落ちるはずである。ダイナガリバー優勝で善哉さんが嬉し涙を流したのも昔話か。

 ずっとこのままだと思っていた。生産者は社台ファームかノーザンファーム。種牡馬もサンデーの孫だろうと。そうでない種牡馬でも繋養は社台だろうと。
 なのにキッストゥヘヴンこそ父アドマイヤベガだが、生産者は小牧場だし、カワカミプリンセスは父キングヘイロー、メイショウサムソンは父オペラハウスの、やはり小牧場である。今年の日高は大盛り上がりだろう。
 サンデー系の進撃を止めるのがまたもオペラハウスだとは読めなかった。あれはテイエムオペラオー1頭だけの種牡馬と思っていた。偉大である。

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(ニッカンスポーツより拝借)

 月曜の朝、録画しておいたフジテレビの競馬中継を見た。
 ウイニングランを終えて地下馬道に入るとき、馬上の石橋がヘルメットを脱いだのでどうしたのかと思ったら、観客席に頭を下げるためだった。ここでガッツポーズをやる騎手を毎年見てきたが、ヘルメットを脱いでお辞儀をする騎手を初めて見た。胸が熱くなった。いい人がダービージョッキーになった。
 今月は大相撲の豊真将、競馬の石橋と、うつくしい日本人のお辞儀をふたりも見られた。
 柔道のガッツポーズの醜さと比して、なんとお辞儀とはうつくしいのだろう。

 岡部が石橋の優勝をまるで我が事のように喜んでいるのが心に残った。岡部は気むずかしい人である。さいわい私はインタヴュウのとき、ルドルフへの熱い想いが伝わって気持ちよく話してもらったが。
「朝の調教でも一番先に来て、最後までいる人ですから」と石橋を絶賛する。あんなに明るくはしゃいでいる岡部を見たことがない。本当にいい人がダービージョッキーになった。

 1馬身以上離して楽勝したイメージがあったから、前掲の結果「クビ差」に首を傾げていた。
 ヴィデオを見てわかった。アドマイヤメインを交わして勝利を確定させた石橋は追うのをやめているのである。とんでもない度胸であり、岡部が「ぼくにはこんなことできませんよ」と朗らかに笑っていた。
 しかしあれ、もしも万が一アドマイヤメインがもうひと伸びしたらたいへんなことになっていた。もちろんそんなことはあり得ないとプロが判断してのことなのだが、5馬身、7馬身と離す一方のディープインパクトがゴール前で手綱を緩めるのとは違う。石橋のすさまじいまでの勝負度胸である。あの武でさえ初めてダービーを勝つときは、鞭は落とすわ必要以上に死にものぐるいで追うわでたいへんだったのに。

 いい馬主が勝った。いい騎手が勝った。
 佐藤哲三に続く好きな「男前」がひとり増えた。


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