競馬雑記
2005


2/13
もめ事の構図──大男の迫力

 男が大声で喚いている。馬券売り場。府中競馬場一階。自動券売機の窓口。
 通話口の空いたプラスチックボード越しに男は馬券売りのおばさんに怒鳴っている。大声だ。周囲の人たちも何事かと聞き耳を立てている。聞くともなしに聞いているとよくある馬券の買い間違い。取り替えてくれと言っているが係が取り合わないので男はますます激昂する。

 男の顔はホリウチタカオに似ている。元アリスの今は演歌歌手。鼻の下にヒゲをはやしているのも、全体にベチャっとした顔なのもそっくりだ。ファッションは樺色のロングコートにマフラを巻きヨン様ファッション風。齢は五十前後か。薄くなった毛を茶髪にしている。毎度思うが、薄い毛を薄い色にしたらよけいに薄く見える。やめたほうがいいのにな。でも薄くてもまだあるうちに流行りものをやっておきたいのか。わかるようなわからんような。

 そうこうしているうちに連絡が行ったのだろう、馬券売り場に係員がやってきた。それまでは男が外から、ボード越しに内のおばさんと話していたのだが、これで券売機のまえで男と係員が対峙することになった。
 男は声高に意見を主張する。概要は「馬券を買い間違えたので替えてくれと言った、するとあちらの窓口に行ってくれと言われた、そのときまだ締め切り時間20分まえだった、あちらの窓口に行くと元の窓口にもどれと言われた、元の窓口にもどると、もう締め切り時間間際なので交換できないと言われた、いったいだれが時間をなくしたんだ、最初の時はまだ20分まえだった」という話。

 立ち聞きしているあいだにだいたいを飲み込んだ。くだらん。よくある話である。しかしこうなったらもう絶対に交換は認められない。もしもそんな前例を作ったらこれからがたいへんである。



 私も一度だけ船橋でそれをしたことがある。買ってすぐに気づきそう言ったが、ほんの10秒前に売ったおばさんに、一度発売したらもう替えられないと言われた。こういうのは「一度窓口を離れたらダメ」が原則である。そのときの私は窓口を離れていなかったから強硬に主張できたのだが、事なかれ主義者の私はすぐにあきらめた。

 書き間違えた私が悪い。書き間違えなければなにも起こってはいないのだ。それは本命の7番を軸にするのを書き間違え、超人気薄の隣の8番を軸にしてしまった流しの馬単馬券だった。来るはずのない馬だ。そんなのが勝ったらたいへんなことになる。みな千倍以上だ。

 で、私は、「これは競馬の神様がすごい馬券をプレゼントしてやろう」とふざけたのではないかと考えた。馬単の3千倍なんてそうそう取れるものではない。いやあすごいことになっちゃったなあ。そう都合よく切り替えてわくわくしつつレースを待った。お調子者のお気楽な考えだが、これぐらいの感覚がないとバクチなんてやっていられない。
 2分後、あっさり本命が勝ち、書き間違えていなけりゃ当たったじゃねえかと地団駄を踏んだのは予想通り。買い間違えた大穴が来なくてもいいが、本命も来ず、「どっちにしても当たらなかった」ならまだ救われたのに。



 馬券の書き間違い、買い間違い、というのは競馬につきものだが、自分の書き間違いを棚に上げて抗議する人というのは、自分に対する責任が稀薄なように思う。

 以前知人が間違った馬券を売られたと激しく抗議したことがあった。大井である。レースが終ってからだ。機械ではなく窓口のおばさんからだった。いまだ憤懣収まらぬという彼から後日内容を聞いてあきれてしまった。

 彼は2−7.2−8.7−8を買ったつもりだったらしい。いわゆる三角買いである。結果大本命の2が負けてタテメの7−8は100倍の穴になった。当たったと欣喜雀躍して馬券を見ると6−8になっている。怒りに顔面紅潮した彼は窓口に行って怒鳴り散らし、係員が現れて室内で応対することになった。額面は2千円だったから払いもどしは20万円弱の金額となる。

 彼の気持ちもわからぬでもないが、いくらなんでも結果が出てからでは無理である。彼の主張は「27.28ときたら三角買いで78を買うのはわかりきっていることだ。それがなんで68になるのか、あきらかにそちらの聞き間違いによるミスである」というものだった。
 しかしこれはなんとも説得力がない。だいたいそんなこと、馬券を買ったときすぐに確認すればいいではないか。そうすればなにも起きていない。
 すると係員が言ったそうである。「おっしゃることはわかります。でもあなたは、これで68が当たったら、これは買っていない、私の買ったのは78だと返却に来ますか」と。
 正論である。もう数日後なのにいまだ怒り収まらず鼻息荒く語っている知人がばかに見えたものだった。じつはこの友人、素人ではない。競馬業界的には有名な競馬ライターなのだ。友人だから名を秘すけど、なんとも御粗末な話である。



 さて私の印象に残り、ここに書こうとしたのはそういうことではない。馬券の買い間違いなどどうでもいいことだ。

 そのヨン様ファッションのホリウチタカオはますます甲高く喚いている。
「ぼくはね、馬券がどうのこうのじゃないの。時間があるのにあちらの窓口に行けと言い、そっちに行ったらあっちに行けと言い、そうして最後は時間がないっておかしいでしょ。時間はあったんだよ! 時間がなくなったのは誰のせいよ。窓口のたらい回しでしょ。やりかたが汚いって言ってんの!!」

 最初応対していたひとりに、もうひとりが加わった。さらにもうひとりがやってきて、男に応対する係員は三人になった。さらに予備としてすこし離れたところにふたりやってきた。合計五人である。

 言いたかったのは彼らの体格だ。みな185はあるがっちりした男だった。顔は、長髪のさわやか系もいたし、めがねを掛けたいかにも穏和そうなタイプもいた。でもみなそれは大男であり、体格からスポーツか武術か、なにかをやっていることは一目でわかった。

 ホリウチタカオ似は170ぐらいだったが、頭ひとつでかい黒いコートを着た三人の大男に囲まれると、急に弱々しく見えた。
 私は現場から2メートルも離れていない場所でそれを見ていた。ホリウチの受ける圧迫感は私にすら伝わってきた。こういう形の大男の圧迫というのはあるのだなあと実感した。そういえば北京空港で中国のバスケットボールのチームに囲まれたとき、ガリバーの国に来たような心細い気分になったっけ。

 ホリウチを囲むようにして話し、圧迫感を与える三人の姿勢も、そういうふうに指導されたものなのかもしれない。口調は丁寧でも、見下ろすように話していた。やるなら、いつでもやりますよ、とでも言うように。あの威圧感はかなりのものだったろう。

 そうしてふと目を隣にそらすと、予備としてすこし離れて待っている二人の大男がいた。そのうちのひとりは、プロレスラの力皇にそっくりの顔をした、まちがいなく柔道をやっているのであろうという巨漢だった。彼はまだ新人であり仕事になれていないのか、私と目が合うと恥ずかしそうに目を逸らしてしまうのが印象的だった。大男の気弱というのはほんとうなのだろう。
 その分よけいに、ホリウチを囲いながら、銀行員のような笑顔で、それでいて殺気をにじませるかのように接している場慣れた大男たちが不気味だった。まさに慇懃無礼である。



 えらいなと思ったのは、そんなつまらんことで延々と食い下がるぐらいの人だから、巨漢に囲まれてもホリウチは動じずに相変わらず甲高い聲で自分の正当性を主張していることだった。
 最初はくだらんヤツと思ったが、ここまでくるとがんばれよと言いたくなる。しかしそのトーンも次第に落ち始める。
 勝負あったなと見極めた時点で私はそこを離れた。競馬会の黒い部分を見た気がした。こういううるさい素人オヤジばかりとは限らない。その筋のアブナイヤツが暴れたときのためにこういう人員を用意しているのだろう。

 プロレスラの小川もJRA時代はこんな役回りをやっていたらしい。何度も競馬場で見かけているが、こういうもめ事の現場を見たことがないので知らない。
 だいたいが私はこういうもめ事に興味がなかった。それこそ殴り合いのケンカをしている現場を通りかかっても、眉ひとつ動かさず通り過ぎるタイプだった。なんで今回こんなに真剣に見ていたのか我ながら不思議である。それでも寄り道をすればするだけ拾い物もあるのだなとは思った。後味は良くない。

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【附記】私から目を逸らしてしまう気の弱そうな大男は、もしかしたらそうではなく、競馬会所属の有名な柔道選手なのかもしれない。自分を有名人と意識していて、ファンが自分を見ていると感じてそうしたのかもしれない。と帰宅後、ふと思った。どこかで見たような……。

05/3/1

 キョセンの虚言──ご都合主義の妄言
(2/21日発売の『週刊現代』より)

 競馬のことを書いていた。その意見が珍妙。
「売り上げ減に悩んで3連単なんて馬券を発売した競馬会には日本人としての矜持はないのか」とのご意見。なんだかよくわからん。その根拠は「競馬で1.2.3着を当てるなんてのは人間の推理能力を超えた所業」だからであり、「競馬で一攫千金を狙うなんてのもってのほか」なのだそうな。「そんな人は宝くじを買え」と言っている。むちゃくちゃだ(笑)。「馬券なんてのは単勝と複勝があればいい」となり、上記の結論「矜持はないのか!」になる。正気の沙汰とはおもえん。

 キョセンが論調に使う手段は「11PM」時代から政治家時代、今に至るまで常に「白人国と日本の対比=白人国を褒め日本を否定することによる遅れている日本人の啓蒙=自分は進んでいると思っている日本人の同調」であった。というか彼にはそれしかない。白人国に劣等感と憧れを持つ時代には極めて有効な方法であった。
 「自衛隊イラク派遣」では軍隊を派遣しないフランスを持ち上げ日本政府を批判していた。フランスは武器輸出国であり、古くはフォークランド紛争のときの「エグゾセ(飛び魚)ミサイル」が有名だ。イラクとは親密な関係にある。お得意様であり自分たちの売った武器で自分たちが殺されたら笑い話にもならない。よって派遣しなかった。人道的な問題ではない。そんなことは誰でも知っていることでありもちろんキョセンも知っているだろう。だが都合の悪いことには触れないのがこの人の論調の性質だ。

 またああいう性格の人だから褒めるのは常にいま自分が気に入っているところになる。我田引水の人なのだ。かつては欧米だったがいまはカナダやオセアニアが多い。つい最近もニュージーランドやオーストラリアを褒め、それと比して日本を批判していた。
 この人の基本的な勘違いは時の移ろいがわかっていないことだ。かつての海外旅行が高嶺の花だった時代ならともかく、フリーターの若者でも五カ国や十カ国は出歩いている今の時代、「みんなは知らないだろうがオレは知っている」というその手法は通じない。ともあれ彼の論調はいつだって「外国と日本の比較による日本否定」だったのである。その手法は輝きを失ったが、それでも今でも同じようなことをしている人はいるし、それはそれでひとつの方法論ではあると思う。しかし、だ。

 この競馬と馬券に関する話では日本否定をしているのはいつものことだが、そのお得意の白人国が一切登場しないのである。欧米はもちろんお気に入りのオセアニアすら登場しない。不自然だ。競馬とはあちらからの輸入物である。褒めるにせよ貶すにせよなぜ比較対照の相手として白人国が登場しないのか。どんなテーマのときでもキョセンの論には外国が登場する。白人国の馬券を持ち上げ、日本の後進性を指摘するのがいつもの彼の展開のはずだ。今回もそうでなければならない。なぜ出てこない。そりゃ当然である、もし登場させたなら、どこでも日本以上に種類の多い馬券を発売しているのだから「売り上げ減に悩んだからといって3連単なんて当たるはずのない馬券を発売して日本人は矜持がないのか」というわけのわからん日本攻撃は成立しない。馬券に関して先進国諸国の中で日本は畸型とも言えるほど遅れていた。民衆を信じない官がかってに馬券の種類を制限していたのである。やっといままともになってきた。そのまともさを攻撃するのだからむちゃくちゃである。ふだん言っていることと矛盾している。いや自分だけを正しいとし体制を批判する姿勢はいつもの通りだが。都合が悪くなるとしらんふりをするのもキョセン論調の特徴だ。

 キョセンがいつものように白人国を持ち上げ日本を否定するなら、ここに書いたのとは逆のことを書かねばならない。
「日本は射幸心を煽るとかの理由で様々な馬券の販売を禁止している。国民を甘く見るのはいいかげんにしろ。白人国を見るがいい。どこでも3連単はもちろん、4連単、5連単、複数のレースの単勝を当てる馬券、ピック5,ピック6まで販売している。またその4連単、5連単でも途中まで当たっていると半分当たりになったりするサーヴィス精神だ。それこそが競馬の伝統に裏つけられた自由な遊び方であろう。それに比して日本は単複と枠連しかない。枠連などという諸外国に例のない異様な馬券を作って発売している。馬は一頭一頭で競走する。その着順を当てるのが馬券だ。馬を枠でくくるとはなにごとか。その理由は一頭一頭だと配当が高くなり国民の射幸心を煽るからという理由である。たかが馬券ごときで日本人が破滅したりするものか。民はもっと優れている。白人国と同じようにもっと数多くの馬券を発売しろ。馬券を規制する役人に日本人としての矜持はないのか」
 となるはずなのである。ならねばならない。なのに言っているのは逆の内容である。
 キョセンは日本の競馬の控除率25%を、高すぎる、引き下げよと言ってきた。なのにいきなり控除率50%の宝くじの話を出すのも矛盾である。
 
 キョセンという人の特質、というか本質は「常に自分中心」ということである。そりゃ誰だって自分中心に物事を考えるのだが、この人の場合はいったいなにがどうなるとここまで自分本位の考えかたが出来るようになるのだろうというレヴェルである。不思議でならない。彼の自伝を読むがいい。すべて自慢話である。都合の悪いことは一切伏せ、スタッフを褒めることすらせず、すべてが最悪の中でいかに己ががんばり状況を打破し、最高の状態にもっていったかという自分個人の自慢話ばかりだ。周囲にいる人はたまったものではないだろう。
 それはそれでいい。それがこの人の特徴だからだ。私が彼の本を何冊か読んだのはかつて親密だったビートたけしと絶縁し犬猿の仲となり一部では訴訟沙汰もしているというから、その辺のことがなにか書いてないかと思ったからだった。まああるわけもない。だってそれは都合のいいことしか書かない彼にとって「都合のわるいこと」だから。

 今までも彼の論調を嗤ったことは一度や二度ではないが今回ほどひどいものは初めてだった。何を書くにも白人国を例に出していかに日本が遅れているか、とやっていた人が、輸入物の競馬を語るのに、一切外国の話を出さないのである。いくらそれを出したら競馬会批判が出来ないからといってもこれはひどすぎる。ここまでひどいご都合主義は見たことがない。熱心なキョセンファンでもその不自然さには気づいたろう。いや気づくような感性があれば熱心なファンのはずなどないか。
 つまり長年の論調の基本である白人国ですら彼にとってはどうでもいいのである。いつだって世界の中心に自分がいるのが彼の思想であり、白人国を頻繁に引き合いに出すのはあくまでも手段であり、都合が悪くなればそれすらも封じる。

 その後はお定まりのテメーの自慢。この人の話はすべてここに行き着く。「僕は数々の提言を競馬会にしてきた」「それらはみな取り上げられ馬券売り上げに貢献した」「僕の提言で馬券の売り上げを落としたものはない」そうである。そうして「僕が競馬界を去ったのは」と続く。ここが今回のポイントになる。

 彼には才能がある。それは「切られる前にそれを察知して去る」という能力だ。彼は女から仕事まですべてにおいて「おれは振られたことがない」と言うだろう。いつだって彼のほうから去ってきた。
 黎明期の分野に侵入する。知った風なことを言ってうまく名を成す。儲ける。業界が成熟し化けの皮がはがれそうになる。追われそうになる。なるその一日前に彼は「この業界に愛想が尽きた。おれは去る」と言って自ら去る。よって実態は業界が彼を必要としなくなったのだが、結果としては、どんな分野も彼が見切りをつけて去った業界になる。偉大な才能である。タレントとはこういうときに使う言葉であろう。狡兎三窟とでも言うのか。
 ジャズ、麻雀、将棋、競馬、釣り、司会者、政治家、みなそれである。麻雀の項で以前書いたが、みな大会に出てきて牌譜を残している。阿佐田哲也さんは作家であると同時に麻雀プロであるから当然としても、ムツゴロウさんなども臆せず出てきて活躍している。キョセンは絶対出てこない。どんなに誘われても出てこない。出たら実力がばれる。牌譜という証拠が残ってしまう。出ない。高邁な講釈を述べるだけだ。しかし口だけで人前に出てこないその態度に批判が高まりまずいとなった瞬間、彼はその業界から去る。旧態然とした後進性と貧困な発想の連中に愛想を尽かしたといって。そのタイミングは見事としか言いようがない。太った怠惰な高給取りの猫に誰かが鈴をつけねばならなくなる。いよいよあした決死隊による決行となる。だがこの太った猫はどんなに鈍磨になろうともそこだけは鋭敏だ。決行前夜に自分のほうから去るのである。セミリタイアという演出は見事であった。政治家はよけいだったが(笑)。

 去りはしたが未練はある。だってほんとうならどの分野にだってもっといたかったのだ。お山の大将で威張っているのが大好きな人なのだ。その未練がみっともない愚痴になる。今回のこれはあきらかに年寄りの愚痴である。
 競馬界に多大な貢献をしたと自負しているキョセンはもっと競馬会に自分を大事にしてもらいたいのだ。たとえば年頭の表彰式兼パーティには自分をVIPとして真っ先に招待すべきと思っている。だが招待状は来ない。それどころか自分の「多大な貢献」すら忘れ去られようとしている。(そんなものはないと思いますけどね。)
 その辺に対する不満が「日本人に矜持はないのか」という的はずれな意見になった。今回の意見を翻訳すると「競馬会はもっとおれを大事にしろ」になる(笑)。それだけだ。
 それはそれで彼らしくていいのだが、定番の白人国を一切出さない今回の歪んだ論調はいくらなんでもひどすぎる。

 私は三十年以上一貫してキョセンがきらいだが、彼のような人がいるのはもちろんアリである。だっておもしろい(笑)。あれほど我田引水自画自賛の人は今後の日本でももう出ないのではないか。絶滅寸前の超珍獣である。
 だからこそどんなに状態になろうとも、時代錯誤の白人国礼賛というワンパターン路線だけは守って欲しかった。それすら破ってしまっての単なる自己愛では愛らしい珍獣もただの老醜になってしまう。
05/9/24
神戸新聞杯の前に思うこと

 昭和39年の三冠馬シンザンの全成績は19戦15勝2着4回である。負けた4回はダービー前に1回、菊花賞前に2回、有馬記念前に1回だった。みなオープン戦。いわば本番前の足馴らしである。関西馬の常套手段だった。名より実をとるこれを、むかしは「関西商法」と言った。もちろん侮蔑の意味である。東高西低だから言えたこと。いま言ったら引かれ者の小唄になってしまう。

 五冠馬シンザン(宝塚記念も勝っているから今風に言うと六冠馬か)は、シンザン自身のあまりの偉大さ故に賞賛ばかりが目立つが、私なりに調べるとずいぶんと周囲の人間のひどさが目立つ。有馬記念前のオープン出走、連闘で有馬記念なんてのもそうだろう。調べるほどに真にシンザンを愛していたのは、唯一早くからシンザンの能力を見抜き、そういうローテーションを強いる武田調教師とぶつかっていた栗田騎手だけと思えてくる。
 菊花賞は厩舎で夏を過ごしたためひどい夏負けにかかり、オープン戦を連敗する。よって三冠を懸けた菊花賞は1番人気ではなかった。

 19年後の昭和58年に誕生した三冠馬ミスターシービーもトライアルの京都新聞杯を4着に負け、万馬券を演出している。みんなが遠慮しているような菊花賞だった。
 平成の三冠馬ナリタブライアンも京都新聞杯を2着に負けている。ダービーの強さ、本番菊花賞での強さを見ると、なぜスターマンごときに負けるのか理解に苦しむ。
 三冠馬にはなれなかったが、そして血統が悪いため種牡馬として失格となったが、私がミホノブルボンがいとしくてたまらないのは彼の戦蹟にある。京都新聞杯を勝ち全勝で菊花賞に臨んだ。しかもそれはいつものようなレースにならず、ハナを奪われ、2番手に控えるという変則競馬になった。ステイヤー、ライスシャワーに敗れるも、ゴール前では3着からもういちど伸びて2着になっている。美しい散り際だった。

 ディープインパクトの使命は「無敗」である。ここを取りこぼして菊花賞を勝とうと、その後3歳でジャパンカップと有馬記念を勝とうと、そのことでルドルフを超えたことにはならない。トライアルで負けたという関西商法の傷は永遠についてまわる。最初の使命は「無敗の三冠馬」だ。すべてはそれからである。

 ルドルフ以外の三冠馬の蹄跡から、「負けるとしたらここだ」と穴馬券を狙う向きもあるようだ。それもいい。
 彼らをあざ笑うようにここを突破してほしい。
 もちろん私は軽々と突破すると見込み、皐月賞、ダービーと同じく、1着固定の3連単で行く。

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勝負馬券
ディープインパクト-ローゼンクロイツ-シックスセンス&マチカネキララ

ディープインパクト-マチカネキララ-シックスセンス&ローゼンクロイツの4点

結果
ディープインパクト-シックスセンス-ローゼンクロイツ 4着マチカネキララ

かなしいほどに見事(笑)
10/16

 ヨシコさんのセンス


 スズキヨシコさんはいい人である。でも競馬に関する発言でセンスがいいと思ったことは一度もない。いや正直に言えばセンスの悪いオンナだなと何度思ったことか。
 代表的なそれに「競馬界の小森のおばちゃまになりたい」というのがある。冗談ではない。彼女は理想として言っている。みんなが朗らかに笑い、「わかる、わかる」と賛同してくれるだろうと。そういうことを言う自分のセンスに自信を持っている。その点、たしかにほほえましくはある(笑)。また見事に勘違いしたまま「競馬界の小森のおばちゃま」になりつつもある(笑)。

 昨日のサンスポにはこんなことを書いていた。
「(昭和39年のシンザンのあと)昭和40年から競馬ファンになった人は三冠馬を観るまでに18年も待たねばならなかった。その点昭和58年から競馬ファンになった私はすぐに三冠馬に出会えて恵まれていた」と。
 この人には「18年間待ち続けたからこそのよろこび」がわからないのである。ごくすなおにお天気お姉さんから競馬キャスターに起用されたその年にいきなり三冠馬に出会えた自分はついてるなあ、と本気で思っている。どしがたい貧弱な発想である。
 競馬キャスターを始めた26のときの意見ならわかる。だがこれはそれから22年間この仕事をしてきて、48になって書いているコラムなのである。いまだにわからない。きっと一生わからない。せめてこのあとに「でも待てば待っただけ出会えたときの喜びも大きいはず。平成6年のナリタブライアンに出会えなかった人も、いよいよ11年ぶりに三冠馬に出会えそうですね」とでも書けば銭のとれる文になるのだが、もちろんそんなことはない。「わたしは恵まれていた」と言いっぱなし。

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 私はシンザンが三冠馬になったと新聞に載っていた昭和39年も、タケシバオーが日本初の賞金獲得額1億円馬になったと報じられた昭和44年も覚えているが、馬券を買いだしたのはハイセイコーの昭和48年からなので、そこを起点とすると、ミスターシービーに出会えるまでの「三冠馬を知らない10年」がなんとも痛痒く楽しい時代だった。出会いたくても出会えなかったその時間をなつかしく思い出す。
 競馬ファンなら私のこの「痛痒い」という表現をわかってくれるだろう。それはコンプレックスである。三冠馬を目にしていないという。だが同時に「いつか目にする」という希望でもある。馬券の醍醐味はある種負け馬券の中にあるように(私の持論「競馬ファンはみなマゾ」に繋がる)、長年競馬ファンをやっているが三冠馬をいまだに観ていないもまた快感なのだ。

 恋愛で言うなら、出会いがあり、初デートがあり、手を繋ぎ、キスをして、いよいよ今夜……とドキドキの課程があるからたのしい。競馬を始めた年に三冠馬と出会うなんてのはそんな課程をぜんぶ省略していきなり名前も知らない男に突っ込まれたようなものである。セックスをしたことがあるとは言えるが恋愛をしたとは言えまい。

 雨の日の飯場で競馬談義になると、先輩土方からよくシンザンの話を聞かされた。けっきょく最強馬はなにかという話になると、こちらの言うキタノカチドキやトウショウボーイ、テンポイントも、シンザンが出てくると分が悪くなる。こちらの言う最強馬は三冠をとっていないし、三冠をとることがいかに難しいかを知っているから、現にとった馬の前には黙るしかなかった。
 ああいう痛痒い時期を知らず、競馬の仕事に関わるやいなや三冠馬と出会ってしまったスズキさんは競馬的にはむしろ不幸なのだ。だがそのことがこの人にはわからない。そう推測する感覚がない。

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 それはその他のことに関しても通じる。
 テレビのない時代を知っている。部落に一台だけテレビが来て、みんなで見せてもらいにいった時代。我が家に初めてテレビが来たとき、カラーになったときのよろこび。上京し自分だけの部屋で自分だけのテレビをもてたうれしさ。そういう流れがあるから楽しい。だから物心着いたときには目の前にカラーテレビがあり、小学生の時から自室に自分だけのテレビを持っていたという世代がちっともうらやましくない。むしろ発展の段階を知らずかわいそうだと思っている。

 パソコンに関してもいちばん心に残っているのはPC-98のMS-Dos時代である。
(その前から知っているけれど、さすがにMSXや88時代を「古きよき時代」とは思わない。)
 一文書2000字がリミットのワープロを8000字に買い換える。2万字に買い換える。そんなものがあの時代で30万円していたのだ。アホらしい。
 それでも足りなくなりパソコンに切り替えた。するとなんとフロッピー1枚丸々入るのである。あのちいさな丸いフロッピーディスクに分厚い本一冊分の文章が入ってしまう。字数制限に苦しんでいた身には信じがたい感激だった。
 80メガの外附けハードディスクを8万円で買って取りつけたときは、もう一生ハードディスクは買わなくてもだいじょうぶだと思った。いや本気で(笑)。
 『章子の書斎』と『光の辞典』で初めて実現した「文章を書きながらバソコン上で辞書が引ける便利さ」を知る。夢のようだった。それまでは机の上に辞書があった。音楽はとなりのラジカセで聴いていた。今となっては笑ってしまうことばかりだが、だからこその今の便利さがありがたい。感謝している。XPあたりから始めたそれが当たり前の人はその「発展の歴史」を知らずつまらんだろうなと同情している。いや正確には哀れんでいる。

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 このテレビを例にした話ならスズキさんも賛成してくれるだろう。48歳のスズキさんにもそういう感覚はあるはずだからだ。だがスズキさんはそれを競馬のコラムに活かすことが出来ない。あっちの話をこっちに転用して「活かす」のが創るということである。その感覚が闕如している。
 この転用が出来ず、自分の世界を肯定する感覚は「女」である。女はいつでも自分を肯定する。だから子育てが出来る。現状肯定のスズキさんにいちばん向いている職業は専業主婦だ。醜男の亭主をハンサムと思い、自分の子供を世界一すばらしいと思い、わたしはしあわせだと思い、亭主の安給料でも明るくやってゆける才能がある。対して最も向いていないのが切れ味鋭いコラムを書くような仕事だ。なのに現実はまったく逆なのだから皮肉である。

 それを考えるとき、「時代」を思う。いまの時代、いかないいかげんな競馬マスコミでもスズキさんでは話にならない。採用されても能力的に通用しない。なんとかなったのはあの時代だったからだ。先駆けである。でも果たしてそれはしあわせだったのか。

 世の中にはなぜかリアルタイムでスズキさんを知らないのに、スズキさんを絶賛する若者がいたりする。それは「力道山プロレスこそ最高だ」と言う時代を知らない若者プロレスファンと同じだ。
 スズキさんは競馬に出会えてしあわせだったと言う。でもヘンに競馬キャスターとして成功しなければいい奥さんになりすてきなママになっていたろう。堀ちえみみたいにいっぱい子を産んでいたのではないか。そっちのほうがしあわせだったと私は思う。毎週つまらないコラムを読むたびに強く思う。
10/29(土)
 藤沢周平的世界と佐藤哲三


 武蔵野ステークスで、断然人気の武豊カネヒキリを佐藤哲三騎乗のサンライズバッカスが破った。
 ダートは6戦6勝、いずれも楽勝のカネヒキリは、単勝1.3倍でここを勝ったら、目標のジャパンカップダート(以下JCD)でもそれぐらいの支持を集めることになったろう。今回の一頓挫が本番にどう影響するか。

 来週名古屋で交流GTのJBCがある。2100のJCDを狙うカネヒキリは、今更マイルのGVであるここではなく、そっちに行くべきではないかと書いている記者がいた。わからんことを言う人である。金稼ぎならそっちだろう。そうではなくJCDを目指すからこそ同じ府中の武蔵野ステークスだ。それは同じ金子オーナーのクロフネもサイレントディールも歩んできた道ではないか。共にここを圧勝し、本番は、クロフネは伝説的快勝、サイレントディールは7着に敗れたが、金子オーナーの馬がこの路線を歩むのは誰でもわかる。どこにでもズレている人はいるものだ。
 先輩2頭はここを勝ち、本番で明暗を分けたが、ここを2着に敗れたカネヒキリは本番でどうなるのだろう。

 私はカネヒキリを関東初見参になる2月の中山で見ることが出来た。ついている。そんなに頻繁に競馬場には通っていない。500万条件戦だった。デビュから芝2戦でいいところのなかったフジキセキ産駒は3戦目のダート戦で2着馬を9馬身ちぎる強さを見せた。そのことからこのときもペリエ騎乗もあって断然人気だった。大差勝ちである。いやはや強いのなんのって。ひさしぶりに見たダートの新星だった。その後の活躍はご存じの通り。
 ただそれほど惹かれなかったのは名前である。カネヒキリという名はカネシリーズだと思った。思って当然だろう。カネがついていたら誰だって冠馬名のそれを思う。のちに勝負服から金子さんの馬と知り、馬名はキングカメハメハやホオキパウェーヴと同じハワイシリーズの命名で、ハワイの雷の神様の名と知る。ふつうはこういう名を思いついても冠のカネに遠慮するのだが、それをやってしまい、そしてその馬が走るのは、飛ぶ鳥を落とす勢いの金子さんならではか。

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 勝利騎手インタヴュウで佐藤を見ていたら、藤沢周平の世界を思い浮かべた。私が佐藤を好きなのはその辺と繋がっていたのだと知る。

 藤沢周平の短篇にはかっこわるい主人公が多い。見た目が悪かったり、無口だったり、不潔だったり、酒を飲むと記憶をなくしたり、藤沢はこれでもかと思うほどかっこわるい男を作り出す。でもそのかっこわるさは、最後に輝く真の男らしさへの助走である。
 見た目が悪く、毎日ほとんど会話もなく、親の進めるままこんな男のところに嫁がされて損をしたと思っている女房がいる。だがじつは亭主は剣の達人で殿様から直々に命令された大仕事を見事にやってのける。内密の仕事なのでたいした褒美ももらえずまた凡々たる日々がもどる。亭主も以前と変りない。だが亭主の手柄を知っている女房には亭主が前とはちがってたのもしい男に見えている。嫌いだった風貌も好ましく思えてきた。というようなのがよくあるパターンだ。
 男のかっこわるさにはいくつものパターンがあるが、最後の周囲の観る目が変ってきたというハッピーエンドは共通している。これは男に勇気を与える小説だろう。

 タップダンスシチーのジャパンカップ制覇インタヴュウのときから、私にとって佐藤は藤沢周平的世界の主人公になった。決して美男ではなく、ふだんは目立たないけれど、じつは剣の達人であり底に熱いものを秘めた気概のある男。かっこいい。「たそがれ清兵衛」はサナダヒロユキなんかじゃなくて佐藤哲三主演で撮るべきだ。

 インタヴュアは武に勝ったことを話させようとしきりにけしかけていた。ディープインパクトのダービー2着だったインティライミあたりからの繋がりだろう。カネヒキリは「ダートのディープインパクト」なんて言われていた。佐藤はその挑発に乗ることもなく、かといって無視もせず、それなりに応じて、淡々と話していた。
 浮かれてそれに乗らないのがいい。だいたいはここで浮かれて白い歯を見せる。かといって無視してインタヴュアの顔をつぶさない心遣いがたいしたもんだ。「それは関係ありませんから」とブスっとして遮るのも多い。ヨコテン等。浮かれることなく、それでいてインタヴュアの顔を立ててやろうとする佐藤は男である。かっこいい。
(佐藤がガムなんかかみませんように。)
11/11
 プロのありかた

 
 競馬評論家のAさんが、Bさんを批判したことがある。Aさんは私がBさんのファンだと知っている。「あなたはBさんを好きなようだけど、じつはBさんは」と内輪のことを話し始めた。
 それによるとBさんは、勤務時間中にも机の上に脚を投げ出してマンガを読むようなひどい態度であり、とてもぼくが評価するような人物ではないということだった。きまじめなAさんはBさんのその態度に腹を立てていて、Bさんのファンであるぼくにそれを伝えたいようだった。当然そこで期待されたのは、「そうだったのか。知らなかった。失望した」というぼくの反応だったろう。

 そのときは立腹しているAさんに話を合わせ、その場を丸く収めたが、ぼくは内心そんなことはどうでもいいやと思っていた。だから「へえ、そうなんですか」と相づちは打ったが、「がっかりした」とか「許せない」のような心にもないことは言っていない。嘘はつけない。それはことBさんのことに限らず、ぼくの人生観の根幹に関わることだったからだ。

 というのはそのときのBさんの競馬コラムはあいかわらずおもしろく、斬新な発想で楽しめたからである。つい先日も同業者と「Bさんはうまいよねえ」と褒め称えていたぐらいだ。
 プロとして大事なのはその「おもしろさ」の部分である。
 競馬評論家として、日々競馬の勉強をし、歴史や血統をひもといて自分を高める努力をし、誰からも好かれる人格者であろうと、書いたものがつまらなければ、それはぼくにとってつまらない人である。
 一方、假に金に汚く借金まみれで女癖酒癖が悪く蛇蝎のごとく嫌われている人であろうと、書いているものがおもしろければ、それは評価する人になる。
 プロの評価とはそれですべきものだろう。これは持論になる。

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 平成の競馬ブームのころ、こんな文があった。サンスポの佐藤洋一郎さんの競馬予想文章における嘘を内部の人が暴いたのだ。書いたのは一時サンスポで働いていて、そのときはフリーだった、現在も競馬ライターとして第一線にいる石田敏徳さんである。
 内容は、「早起きして調教を見て、その様子から予想を決めたという佐藤さんの文を、そのとき佐藤さんは寝坊していた。調教には来ていない」というものだった。
 
 これはどうだろう。Aさんのような生真面目な人は許せないと怒るだろう。Aさんは絶対にそんな嘘は書かないからだ。現実でもAさんは佐藤さんの予想スタイルを毛嫌いしている。それが大方の評だったように思う。
 佐藤さんにはファンも多いがアンチも多いから、日頃から佐藤さんの予想に反感を持っていた人の中には、ついに内部告発で佐藤さんのインチキがバレたと快哉を叫んだ人もいるかも知れない。もっともこの「日頃から佐藤さんの予想に反感を持っている人」とは、文句を言いつつ毎週熱心に読んでいるので、ある意味いちばん熱心なファンとも言える。

 私はこのときも、「佐藤さんの文章がおもしろければ、そんな事実はどうでもいいや」と思った。むしろ編集者にそそのかされたのだろうが、そういうことを書いてしまった石田さんに、そんなことをしちゃダメと思ったものだった。縁あって石田さんは早稲田の学生時代から面識がある。

 ここで「だが佐藤さんの予想はサンスポに載り、多くの人がその予想で馬券を買ったりする。多くの金が動く。なのにそんな見てもいない調教を見たふりをして書くなんて許せない」と言う人もいるだろう。たしかに多少の道義的な責任はあるかも知れない。しかし予想ってそんなものだろう。

 假定推測の話。
 佐藤さんがとんでもない人気薄の馬、假にXという馬に関し、「追い切りの動きが抜群だった。勝つのはこの馬だと確信した」と書いたとする。この場合、調教が抜群だったことに嘘はない。なぜならそれは事実であり、そのことを捏造することは出来ないからだ。多くのスポーツ紙や専門紙にその情報は載る。誰が見てもボテボテの太目で調教時計もどうしようもない馬のことをこう書くことは出来ない。追い切りを見た仲間から得た情報であろう。

 しかしその追い切りのこともまたどうでもいいのである。もともと佐藤さんはXを本命にすると決めているのだ。追い切りのことは後つけの理由に過ぎない。だからここの文は、「先週から本命はこの馬と決めていたXの」が前につき、そのあとに「追い切りが抜群だった。勝つのはこの馬だと確信した」になる。
 そしてこれだけでは弱いと、さらにこの前に「前日大酒を飲んでしまったが、この調教だけは見逃せないと早起きして出かけた。栗東の冬は冷える。午前五時、朝靄の中に白い息を吐きつつXが姿を見せた」と附け加える。ついついつけ加えてしまう(笑)。じつはお昼まで寝ていたのでここの部分が嘘になるわけだ。
 でもそれは「おれはXから買うぞ」という佐藤さんの予想スタイルに関する些末なデコレーションであって、長年サンスポで競馬ファンを楽しませてきた佐藤さんの絶大な価値からすると、私にはどうでもいいことのように思える。そもそもそんなことにこだわっていたらジャパンカップでスノーエンデバーを本命にする佐藤さんの予想は楽しめない。

 もういちど「道義的な責任」にもどると、この佐藤さんの予想にのって大金を掛けて、負けた人がいるとする。その人があとで石田さんの本を読み、「おれは追い切りを見て絶好だと書いてあったから信用して予想に載った。見ていなかったのか。寝ていたのか。許せない。だまされた。嘘をついたことが許せない」と怒ったとする。それは妥当であろうか!?
 じゃあ当たった場合はどうする。嘘を責めるか。嘘をつかれて当たってもうれしくないと払もど金を返上するか。許すだろう、大金を手に。予想なんていつだって結果次第である。

 予想はエンタテイメントである。あまたある予想記事の中から自分が選ぶ。自分で選ぶ。そして「自分を選ぶ」のである。他者の予想にのるのではない。自分に近い他者を探すのである。
 佐藤さんの予想にのったのは、もともとその馬を買いたかったからである。假にそんな馬になんの興味もなく、佐藤さんの予想で初めて知って買ったとしても、それは佐藤さんの予想で大穴を当て、金を儲けたいという自分の意志で選んだことである。責任は自分にある。

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 「予想論」のほうに走ってしまった。言いたいのは「プロのありかた」である。話もとにもどって。
 Bさんが社内でどんな勤務態度であろうと、書くコラムがおもしろい限り、ぼくはBさんのファンである。逆に、勤務態度を改め、ボランティアに精を出し、いつもほほえみを絶やさず、神様のような人と讃えられようと、おもしろくないものしか書けなくなったらファンはやめる。ボロクソに言う。それが基本である。
 自分と同じ感覚とAさんに思われていることが苦痛である。これはぼくの根元だから。
12/31
遙かなカレンダー


 2005年2月に帰国する妻が『日刊競馬カレンダー』をもって帰った。『日刊競馬』本誌担当の飯田正美さんから送ってもらったものである。毎年いただいている。感謝にたえない。市販千円の品である。

 地方の好事家は『日刊競馬』に電話で申し込み郵送で購入する伝統の一品だ。私の場合はせっかく送ってもらったのにチェンマイで年越しをしているものだから、1月末に帰国したら、受取人不在でもどってしまったことも何度かある。汗顔の至り。長年正月はチェンマイだった。

 帰国するとき、妻がこのカレンダーを欲しいという。妻の荷物は、あの機内持ち込み可ぎりぎり寸法のバッグとハンドバッグだけである。小柄だからそれだけでもたいへんだ。そこに両親への土産や日本で気に入ったモノを詰めてゆくのだから、それはそれはびっしりと計算尽くで詰め込まれ、一センチ四方の餘裕すらない。スペースの関係から日本で気に入った多くのものが泣く泣く帯同候補から外された。なのに筒状に丸めた大型カレンダーをもって行きたいというのだからこの熱意は半端でない。

 妻にとって私と出かけた競馬場は、ディズニーランドよりも記憶に残る場所となった。たしかに私にとっても、競馬場の一般席に新聞紙を敷いてすわりこみ、妻と一緒に100円3連単を買いまくった競馬場は、ただひたすら待ち時間だけだったディズニーランドよりも思い出の密度が濃い。ディズニーランドは遊ばせてもらう場所だが競馬場は自分で遊ぶところである。パドック派の妻は、雲南の父に元気のいい馬の見分け方を電話で問い合わせるほど気合いが入っていた。

 また、これもかなり重要なことだが、その競馬で当てたことも大きいだろう。もしかしたらそれがすべてかもしれない(笑)。どんなに楽しかったとしてもたいしてない金をさらに身ぐるみ剥がされたのではよい思い出にならないだろう。さいわいにも妻と行った何度かの競馬では大きく勝ち越すことができた。

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 こちらについてしばらくしてから、軒下にぶらさがっているカレンダーを見かけた。妻が持って帰ったことをすっかり忘れていたから、なかなかにこれは印象的なシーンとなった。
 それが上の写真。ふと見上げた軒下にこのカレンダーを見つけたときのなんとも言えない気分をわかっていただきたい。とにかくとんでもない田舎、山奥なのだ。誰も「競馬」というものの存在すら知らない地域である。まあ中国は香港以外そんな博奕場はないけれど。

 左がカレンダー部分のアップ。高いところにあるので最後の12月をめくるとき破れてゆがんでしまったようだ。いただいた飯田さんにもうしわけない気分だが、直さずそのまま載せることにした。
「藤沢ワンツー、優勝ロブロイ」は2004年の有馬記念である。

 こちらに来る直前に2006年度のものを送っていただいた。妻にもっていってやろうかと一瞬思ったが、雲南で一ヶ月を過ごすため、ラーメンや餅、レトルトカレー、海苔、醤油にマヨネーズ、ケチャップと日本食を詰め込んだバッグは、パンツ一枚、靴下一足すらも入らないほど限界状態だった。実際一切の着替えなしでたどり着いた。衣類は買えるが日本食は買えないからである。優先度が違う。とてもとてもこの大判カレンダーを入れてくる餘裕はなかった。それは2月の妻も同じだったはずだから、あらためていかに妻がこれを持ち帰りたかったかがわかる。



「東京から一番遠いところに飾られている『日刊競馬カレンダー』」と言いたいのだが、マニア恐るべしで、もっと遠いところ、北欧や地球の裏側(最近この言いかたは"裏側"が失礼ということで自粛用語らしい。アホクサ)のブラジルにだってあるかもしれないから控えるとして、でも自信を持って言い切れるのは、未開地としては一番のはずである。北欧であれブラジルであれ、それは市街地だろう。競馬を知っている人たちの街だ。水牛で田んぼを耕作している、この世に競馬というものがあることすら知らない地域にある『日刊競馬』カレンダーとしては最果てのモノと自負している。

【附記】勘違いと訂正
 12月だから有馬記念だろうと思い、《「藤沢ワンツー、優勝ロブロイ」は2004年の有馬記念である。》と書いた。書いたときからヘンだとは思っていた。どう考えても「藤沢ワンツー」がわからないのである。たしか有馬記念はロブロイに凱旋門賞帰りのタップダンスシチーが2着して、馬上でふたりはハイタッチをしたのではなかったか。いやたしかにそうである。現場で見ている。じゃあなんなんだ、この「藤沢ワンツー」は……。

 年が明けて1月11日、まだ飾られているこの去年のカレンダーを見てみた。天皇賞・秋だった。なるほどそれならロブロイとダンスインザムードで藤沢ワンツーである。
 カレンダーの有馬記念は翌年送りになる。年末の有馬を収めようとしたらカレンダーの季節に出遅れる。これは常識だ。わかっていながら「藤沢ワンツー……。はて?」と考えていたのだからおめでたい。恥ずかしい話である。(1/11 雲南にて)
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