2002
02/4/6 ニュージーランドT──行けば当たっていたサーガノヴェルとタイキリオン

 ホームページをアップした後、仕事をして、朝の八時に寝る。十時に起きて競馬場に出勤する予定だった。しかし、さすがに眠くて起きられない。もうろうとした頭でジっと考えていた。ぼくの予定では、きょう競馬場に行き、とりあえず五万程度の資金を倍の十万にし、それを五十万にするよう日曜の桜花賞で勝負するというものだった。それでソンクランに行くのである。チケットはタイ航空の一年オープンがあるので予約して翌日に飛べる。

 だが眠くて眠くていられない頭に、「どうせ行っても負けるだろなあ」という負け犬根性が浮かんでくる。これが先週だったら−−先週も睡眠時間は同じようなものだった−−どんなに少ない睡眠時間でも元気に起き出した。なにしろ負ける気がしなかったのだから。ところがその先週の負けが今も続いており、どうにも行く気が萎えそうになる。これが以前のような重賞のない土曜だったら行かなくてもよかったのだが、きょうはGUのニュージーランドトロフィがあり、ぼくがいちばん強いと思っているサーガノヴェルが出るのだ。今年競馬場に通い馬体に惚れ込んだ3歳馬は、牡馬がタニノギムレット、牝馬がサーガノヴェル、この2頭だ。軸はこれでゼッタイに間違いない。昨夜綿密に検討して相手も決めてある。いや、サーガノヴェルはスプリンターで、もしかしたらマイルは無理かもしれない。でもいいのだ。惚れ込んだ馬だから、負けても悔いがない。行こうと思う。起きなければ。そう思うそばから、行っても負けるぞ、きょうは寝ていたほうがいいんじゃないか、どうせ負けるんだから明日の桜花賞で勝負して、どうせ桜花賞も負けるだろうけど、それでおとなしくソンクランをあきらめなよ、と悪魔がささやいてくる。いや天使かもしれん。眠くて眠くてたまらない頭で、ぼくはそれを天使のささやきと判断し、きょうは競馬場に行かないことにして、そのまま気持ちよく寝た。いやあこれは気持ちのいい眠りだった。

 午後二時に睡眠十分状態で気持ちよく起床。印をつけた新聞を持ってTV観戦した。
 サーガノヴェルから5000円ずつ6点買ったつもり。3万円の投資だ。断然人気の馬だからどれが来ても10倍程度。3万が5万にしかならない。ぼくとしては、その程度の的中をして、よし明日頑張るぞという励みにしたかった。こういう場合、現場に行っていれば3万が5万になったなどとは考えない。そんなセコいことを考えるヤツが毎週こんな大損をしているはずがない。欲の皮は人一倍突っ張っている。もしもサーガノヴェルが沈没したら、それはそれで3万円を損せずによかったと思うだろう。そうなれば行かなくて正解だったとなる。二時間しか寝ないで片道三時間もかけて競馬場に行きそれでオケラになったらこれは落ち込む。金も惜しいがなにより精神的なダメイジが大きい。後々まで引きずる。というわけで田舎の家でテレビ観戦したニュージーランドトロフィカップ。

 サーガノヴェルが一気に行く。これは戦法とかじゃなくて絶対的能力の差だ。ぼくはこの馬が日本の最強スプリンターになるのではないかとさえ思っている。なにしろ3歳の時点で古馬顔負けの時計をたたき出している。逃げ切りかと思われたとき後続に迫られ2着になる。勝ったのはタイキリオン。でも連は確保した。たいしたもんだ。あの暴走ペースで。千メートル57秒だって。それでいて勝ちタイムが1:32だってんだからたいしたものだ。
 タイキリオンにも印はもちろん打ってある。的中だ。現場に行ってたら3万が5万になってたかと、餘裕の笑みでカフェラッテを飲んでいたら、司会者がすごいことを行った。「6番8番は馬連で70倍見当です」って。「ウソ!」と立ち上がる。ほんまかいな。あちゃー、ほんとだ。配当が発表になる。73倍。6点買った内の最高配当が来た。中には10倍以下も二つもあったのに。なんてこった。現場に行っていれば3万が36万になっていたのか。いつもならこれを最終につっこんでしまうのだが、ソンクラン目前の今はそれほど狂っていない。おとなしくこの金を持って帰り、明日の桜花賞をやらずにチェンマイだった。まさかこんなところにチャンスがあるとはおもわなんだ。かわいそうなオレ。熱が出てくる。

 ということで明日の桜花賞をなけなしの6万で勝負するのだが、これを30万以上に出来るだろうか。どうにも無理なような気がする。なにしろ6万しかないから散らせない。自虐的に推理すると、一万円6点買いすると、的中したが12倍程度で12万にしかならないという、悪くはないがチェンマイには行けないという、このパターンが思いつく。ぼくの予想では、史上最大の混戦とは言え、なんのかんのいっても上位人気馬で決まり、荒れても20倍前後と読んでいる。ちょいとくるえば50倍以上もあるだろうが、それを1万円取れる自信がない。かといってそれらをねらって5000円単位にしてゆくと、またまたなんとか20倍を当てたが6万で10万という結果になる。かといって10倍台を2万の三点買いで当てる自信も度胸もない。器量の狭さと金の無さで八方ふさがりである。元々が5万ずつ6点買いをして10倍を当て、30万を50万にするという程度のセコい博奕打ちだから、6万しかないともう「しょせん当たっても10万」と諦観が生まれてきてしまっている。
 どうしよう、それじゃダメだ。買い目を絞るか!? べつにこういうのがとんでもない乱戦になり大波乱になればそれはそれで諦められるからなんの問題もないのだが、当たりはしたがちょい儲けのようなのは己の卑小さを見せつけられるようで傷が残る。それだけは避けねばならない。

 明日の桜花賞をが外れたら(外す可能性はかなり高い)しばらくは押入にこもって泣き暮らす予定なので、この「作業日誌」も一週間程度は更新されないと思います。しばらくの間、さようなら。

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 08年、誤字調べでこのファイルをひさしぶりに読みかえす。6年ぶり。
 それで、文中にある「桜花賞」はどうなったのだろうと調べる。覚えていない。02年の桜花賞馬?
 調べたら、13番人気の道営出身アローキャリーが勝ち、2着に7番人気のブルーリッジリバーが来て馬連344倍の大波乱となったのだった。私は岡部の乗る1番人気シャイニンルビーから行って玉砕。でも岡部の八大競走制覇を願っていたからそれに悔いはないとして。

 悔しかったのは、このとき中山競馬場で石川ワタルさんと見ていたのだが、私と同じようにシャイニンルビーから万単位で勝負し、一緒にオケラになったはずの石川さんがなぜかこの馬券を2千円もっていて、「当たっちゃった」と困ったような顔をしたことだ。68万である。う〜む、思い出したくない桜花賞である。
02/5/26
ダービー02-タニノギムレット


 ダービー。
 勝つのはタニノギムレットに決まっている。これはもう何年に一度かの絶対的な確信。

 今までに単勝百万円勝負を二回やったことがある。ミホシンザンの天皇賞春とウイニングチケットのダービー。二回とも当たっている。ほとんどトランス状態になっていて外れる気がしなかった。こういう絶対的自信が生まれる何年かの一度のひらめきは今回で四度目である。だったら有り金全部かき集めてタニノギムレットの単勝勝負と行くべきなのだが、行かない原因は三回目にある。

 メジロブライトのダービーだった。外国にいた。もう絶対に勝つ、メジロが悲願のダービーを取るためのダービーだと思いこんでいた。外国から電話で頼み、百万用立てて単勝を買ってくれるような競馬友人はいない。カタギの友人にならいるが、いくらなんでもそんなことは頼めない。馬券の金でカタギ友人と気まずくなるのだけは避けている。よって渡航前に友人に預けておいた30万でブライトから5万流し6点買いをした。まったくこんなおいしい話が目の前にぶらさがっているのに、外国になんか来るんじゃなかったとまで思っていた。3着。絵に描いたような届かずの3着。現場にいたら腰が抜けていたろう。以来自分のトランス状態に自信をなくした。
 だから今回の単勝も何年に一度しかない絶対的神懸かり自信なのだが、一度ケチがついているので思い切って行けない。外れたらまた借金を百万増やすのかと思うと踏み切れない。これじゃもうダメだ。弱気が出たら博奕はダメ。よって自粛。

 資金は先週のオークス払もど金13万5千円に小銭を足して15万。それでもそんなに自信があるなら単勝を買えばいいじゃないかと言う人もいるかも知れない。それはバクチをやったことのない人。百万勝負するほど自信があるのに15万では惨めになるだけ。外れたときの敗北感はもちろんだが、なにより勝ったときの昂揚感がない。コカインだと思ったらメリケン粉だったってぐらいのスカシ。
 よってまたチマチマと馬連の検討を始めた。要は15万をいかにしてすこしでも大きな払いもどしに育てるか。なにしろアタマが決まっているのだから後は楽だ。こちらのバクチ勘と運次第。勘はいいが運はない男だからなあ。問題はそこだけだ。
 15万一本勝負のつもりが、10万と5万の二本になり、5万三本になり、結果的に5万と4万と2万三本の五本勝負のセコい勝負となった。わるくても40万、うまくゆけば100万を目論んだが、かわいそうな運のない男の結果は、15万一本勝負の候補から押さえに回した本命馬券2万が的中。3着のマチカネアカツキなら100万、4着のメガスターダムなら160万だったのだが……。15万買って17万4千円の払いもどし。みじめだが、なによりみじめなのは、こんなのでも(はずれなくてよかった)と思う自分がいること。バクチは勝ちに行くものだ。負けなくて良かったと思うようになったらやめたほうがいい。単勝は2.6倍。15万買うといくらになる。計算。電卓。39万。元金引いて24万のプラス。こっちのほうがまだよかったか。いやいやこれは嘘。もしこれをやっていたら、なぜおれは高利のトイチ金融から借りても百万行かなかったかなんて悔いばかりをひきずった。ケチくさい蟹の掘った等身大の巣穴に満足せねば。

 金はせこかったが内容は忘れられないダービーとなった。武豊が、まるで自分が教えたかのように外に持ち出して直線に向かったとき、よし、それでいいと背中がゾクゾクと総毛だった。直線に向かった時点で、「よし、武、来い!」とひとこと。絶対に勝てると読んだ神懸かり的自信を思い出した。マイルカップのように内から抜け出そうとするこちゃこちゃしたことはせず、コースロスになろうと大外に出してぶんまわせば、力の違いで差しきれる。「スペシャルウィークの天皇賞秋」をイメイジしてのダービーだったので、まったくその通りになった。マイルカップを使ったから消しだと言うバカ評論家に反発していただけに会心の勝利と言える。武でもギムレットでもなく私がだ。日刊スポーツなんて予想陣全滅である。単勝1番人気が勝ち3番人気が2着した870円の馬券をだ。みっともない。こういうところは、本命派、中穴派、大穴派と受け持ち分担でやっているからだ。それで全滅とは信じがたいことだ。

 シンボリクリスエスから行って当たった人とも一緒にはされたくない。あれはタニノギムレットが勝つダービーだったのだ。それ以外の馬に本命を打った人に語る資格はない。私は十日前に書いた『アサヒ芸能』でも「勝つのはタニノギムレット。昭和43年のタニノハローモア、45年のタニノムーティエに続き、3度目のダービー優勝を、谷水家とカントリー牧場にもたらす」と断言していたから喜びもひとしおだった。
 この原稿を書いていたとき、「もたらす」と書いて、「あれ? もたらすってのは不幸か!?」と思い辞書を引いたことを思い出す。目出度いことでもいいのだった。どうしても「災いをもたらす」ってイメイジのほうが強いからね。

 いいダービーだった。ただし今も、前々から言っている「タニノギムレットは最強マイラー」説には変りない。菊花賞じゃない路線に行って欲しいのだが、それはこちらの管轄外だからねえ。中山の2200のジャパンカップのほうがおもしろいと思うのだが。
02/7/29
飲む打つ買う


川崎のナイター競馬
へ。大好きな競馬場だ。川崎駅前が変っていて驚いた。ぼくが川崎に通い詰めたのは昭和五十年代だが、その後ゆかなかったわけではない。住まい近くの駅から都営地下鉄で京浜川崎駅に出て、そこから大師線の港町駅下車(川崎競馬場が目の前)というルートがメインだったので、JR川崎駅は縁遠いのだ。十五、六のかわいい小娘のようなかっこうをした七十過ぎのキチガイババアがいたりするとんでもない駅だったが、おしゃれに変身していた。

 ナイターと言えば、このごろNHKのニュースでは「ナイトゲームの結果です」と言っている。一方で『お言葉ですが…』の高島さんは、きちんとその発生と、アメリカにおけるナイターという言葉の使用法も引用した後で、「和製英語の傑作」とナイターを褒め称えていた。ナイターで通じるのにわざわざナイトゲームにしたのは進歩なのか退化なのか。たしかにナイターと聞いて理解できない白人はいるだろうが、白人向けに流しているニュースではない。「これは和製英語でアメリカにはこんな言葉はない」という理由で直すのなら、もっともっと直さねばならない言葉も出てくるだろう。ミシンなんていうマシンが訛った日本語も、ソーイングマシンと言うようにするのか。ほんとにこの国のマスコミ人のやることは理解に苦しむ。

 8、9、10、11レースを楽しむ。8、9と軽〜く連勝して儲かったので、きょうは馬が見えていると10レースに勝負をかける。外れ。これは仕方がない。絶対の軸馬がいた。二点ぐらいでまとめないと勝負にならない。その軸馬が消えることも、上位人気四頭が全部消えることも考えられない。上位人気四頭の中から二頭を選んでの二点勝負。予想通りの堅い決着。消した二頭の内の一頭に来られた。これは仕方がないのだ。四頭に流していれば当たったが、それでは儲からない。バクチとはそんなものだ。
 なんとかプラスに復帰したいと願った最終11レース。外れ。これまた仕方がない。馬連で260倍。馬単は600倍。3連単は2800倍。まったく眼中になかった馬同士だった。だからこその大荒れだ。パドックでも目についていない。こんな日だったと思うしかない。
 この払いもどしの結果も、この後に行ったマンガ喫茶のインターネットで深夜に調べてわかったもの。かすりもしなかった高配当が発表になるまで待っている気などない。


 川崎のソープランド街、堀之内を通り抜けて帰ってきた。何年ぶりだろう。二十年前を思い出した。あの頃も、負けたときはもちろん行けないわけだが、十万儲けてゆけるときでも、「百万儲けたらゆこう」とかリクツを言って、まったく寄ることはなかった。つまり、ばくち打ちは女好きではないのだ。
 飲む打つ買うとひとまとめにして言われるが、あれは嘘である。打つのが好きな人にはインポが多い。買うことは出来ない。打つことが最高の快感だからはまっているのである。買う以上に大きな快感なのだ。それを経験したら女などいらない。一方でまた買うのが好きな人はバクチなんかやらない。真面目に働き、稼いだ金で買いに行く。バクチなんてので負けて買いに行けなくなったらたいへんだと考える。だからそんなものはしない。そういうものなのである。

 よって「打つと買う」は不仲である。あえて三つを強引に関係づけると、「飲むと買う」だろうか。酒好きの女好きはそれなりにいる。いやでもこれも違うなあ、酒飲みは酒を飲むのが楽しいのであって、酒を飲んで盛り上がったから女買いに行こうとはならない。もっと酒を飲もう、となる。ぼくがそうだ。酒から女となる人は、ぼくからすると酒に弱い、本物の酒飲みではない。
「飲むと打つ」はどうだろう。ぼくの場合は、飲んだら確実に打つのは弱くなるからダメである。打つ以上は勝ちたいわけで、勝つためには飲んではならないとなる。勝った後の酒はうまい。ただしこれもマージャンのような個人競技では、激しい闘いが終った後は神経が研ぎ澄まされていて酒どころではない。ぼくはそれがキツくて競馬だけになった。競馬で勝った後の酒はうまい。この場合には「飲むと打つ」が両立する。もちろん同時ではない。
 買うの人ってのは、日本やタイでも大勢見知っているけど、酒もタバコもバクチも一切やらず、女一筋って人が多い。

「でも自分の周囲には飲む打つ買うの人がいるよ」と言う人もいるだろう。それはね、その人が「そういうことをかっこいいと思い、パフォーマンスしている」だけなのですよ。「おれは破滅型の人間だ」ってなことをアピールしたいのね。実際はどれもが半端だろう。飲むの人、打つの人、買うの人、秀でた(?)人は、ひとつだけにこだわっている。
 ぼくの周囲にもそういう人は何人もいた。付き合って観察しているとバクチがけちくさい。元々好きなのではなく、そういうことをアピールしたいだけだから破滅するほどの勝負をするはずがない。飲むも、「酒なくてなにが男の人生ぞ」みたいなことを言うのは好きだが、ぼくにはついてこれない酒量だ。買うは、「女房公認だよ」なんて豪語していたが、実は恐妻家で、たまに隠れてこっそりとソープランドに、のレヴェルだった。全部中途半端である。

 そういうものなのである。ぼくは、初めて飲んだときから体質的に酒が強かった。それもあって、酒が大好きだとか、飲まずにはいられないとか言ったことは一度もない。逆に弱い人ほど、そんなことを言いたがる。それは「買う」に関しても同じだろう。ほんとにもう精力が強くて強くて毎日のように買わないといられないぐらいの人は、それを恥じているからあまり口にはしないのだ。逆に弱い人が、口にしたがる。自分自身の演出か。打つも、親の莫大な財産をバクチですってしまったなんて人は、間違っても自慢話なんかしない。何事も「弱い犬ほどよく吠える」なのだ。

 さて、その「飲む打つ買う」のどれにぼくが合致するかだが、それは例題で考えればわかりやすい。「ここに五万円があります。なんに使ってもいい金です。いますぐ使わねばなりません。なにに使いますか」である。あなたも考えてみてください。

 うまいものを食いたいと思う。バクチでこの五万を百万に増やして海外に行きたいと思う。あれこれといくら考えても、その金でおんなあそびをしたいとは思わない。よって、ぼくの場合、「買う」でないことだけは間違いない。真っ先に「まずはこれを百万に増やして」と思うのだから「打つ」なのかなあ。才能はないが。ないからこそか。

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