2005~2008






2005

2/1(火)

iTunes入手!

 午前中、momoさんから郵便で音楽の入ったCDとVCDが届く。CDに入っていた音楽管理&プレイヤソフトのiTunesは20MBもあるそうで、私の遅い電話線モデムでDownloadしたら一晩仕事だった。助かる。
 数枚のVCDはmomoさんが録り溜めたテレビでの云南の映像らしい。妻と一緒に見るのが楽しみだ。ありがとう。
2/2
●Macの世界初体験


 momoさんが送ってくれたMacの音楽整理ソフトiTunesをインストールする。iPod用に開発されたソフトなのだろう。
 起動し、HDD内の音楽一覧を作って感心してしまった。こういうソフトウェアひとつでも見事にそれはすみずみまでMacなのである。色合いはもちろん、角の丸さまで行き届いている。おしゃれだ。いやはや、うなってしまった。これぞクラフトマンシップである。ほれぼれする。このソフトひとつで私の画面はMacの世界になった。長年これに親しんできたらWindowsはどうにも無骨でたまらないだろう。私がこれに慣れていたらとてもじゃないがWinにはなじめない。認めない。その無骨で不細工でとてもじゃないが認められないセンスの悪いWindowsが天下を取っているのだ。誇りと悔しさと鬱憤が混じってMac派がWinをぼろくそに言う気持ちがわかる。

 私のパソコン事始めは音楽だった。二十二年前か。音楽といえば当時からMacである。レベルの低い私はNEC98と当時発売になったばかりのローランドのソフトで満足だったが、あそこでMacに行っていたら今も熱烈なMac信者であり、過激なWin攻撃派になっていたろう。

 Macに走らなかったのは簡単な理由である。お金だ。NECのパソコンだけで当時30万円以上かかった。フロッピードライヴ2枚のOS、MS-Dosが3万円していた時代である。パソコンにそれは着いてこなかった。別途購入である。暗黒の時代だ。それに音楽ソフトと音源を買えば40万円を越した。私にはその金額が限界だった。Macは百万円以上の世界である。それは当時の私には敷居が高すぎた。それでも現役で音楽をやっていたなら無理をしたろうが、すでに私はほそぼそとだが物書き業を始めており、パソコンMusicは思い出整理のようなものだった。それにそこまで金はかけられない。

 もうひとつ理由がある。金もなかったがそれよりもむしろこっちのほうが重要だ。それまでパソコンを持っていながら文章はワープロで書いていた私は、ある日パソコンの文章能力に気づき転向する。ワープロの文章の保存能力は、買い替えるに従い2000から8000、20000字と増えてきていた。20000字(400字詰原稿用紙50枚)でも足りない文章を書く需用も生まれつつあった。思い出は8000字にある。原稿用紙20枚分。30枚の依頼を受けるとふたつに分けねばならなかった。7000字を越すとカウントダウンが始まる。最初から15枚の文章ふたつに分けて書けばいいのだが、うまくそうも出来ない。7800字で切り、残りを別文章にするが、7800字にすこし補稿するとリミットになってしまったり、ずいぶんと苦労した。このワープロがまた30万円していたのだ。8インチほどのモノクロディスプレイで。まったくなあ。今は昔である。
 パソコンならフロッピーディスクで何千枚もの原稿を保存できる。転向した。すでにパソコンはもっていたのに原稿書きには使っていなかった。同時に、タッチタイピングを覚えた。ワープロ時代は両手の人指し指二本打法だった。その気になればタッチタイピングは簡単にマスターできた。一応ギタリストである。すぐに出来た。もっと早く覚えていればと悔やんだほどだ。
 思えばワープロ時代は、あれやこれや不便ばかりの暗黒時代だったが、今思うと懐かしくもある。



 ソフトは『VZエディター』時代である。IMEには(あのころはFEPと言ったが)WXを使っていた。ATOKにも手を出した。Versionは5だったと思う。いまは17か。
 Macはグラフィックのパソコンである。日本語に弱かった。はっきりこれは「どうしようもないレヴェルだった」と言える。しかたがない。そういうパソコンだ。逆に日本製パソコンで日本語に強いを売り物にしていたのがNECの98だった。

 私はいまも自作機のCPUにIntelではなくAMDを使っているように王者嫌いである。独自の道を行く個性派が好きだ。Mac派になるべきタイプである。それは決して私だけの思いこみではなく、私の性格や個性からMac派と決めつけてくる人が多い。においでわかる仲間である。Windows派だとわかってがっかりされたことも一度や二度ではない。(でもMac派の異常なプライドとこだわりは、私とはすこし違うなとも感じた。)音楽はともかく、もしもMacの日本語IMEがまともだったら私はMacに走っていた。
 あのころ無理しないことがよかったのかわるかったのか、ともあれ私はMacと無縁のまま今がある。



 それでもいまだに興味はあり、ショップでもよく触っている。今じゃ音楽ソフトもWindowsが圧倒していて(そりゃ市場のおおきさが違うのだから当然だ)Macでなければならない魅力はすくない。私にとって最高の魅力はデザインである。かっこいいなと思うのがみなMacなのだ。DualCpuのG5なんてほれぼれする。なんど撫でさすったろう。もっとも今の時代、いいものはすぐに真似される。そっくりのケースが出ていたからこんど自作のとき外見だけでも真似てみよう。

 肝腎の日本語のほうは、Mac用のATOKが発売になったりして問題ない。ハイブリッドタイプのWin、Mac両方で使えるソフトも増えてきた。それでももう手放せなくなった『ホームページビルダー』とか愛用しているソフトでMacに対応していないものは数多い。
 また個人用コンピュータ、文字通りパソコンでは「世界最高速」を謳ったDualCpuのG5だが、2ちゃんねるのマニアックな世界で見ると、私が次に作ろうとしているAthlon-OpteronのDualCpuのほうがずっと速いようだ。DualCpuが能力を発揮するため愛用者の多い音楽制作者もこちらに流れているらしい。これはMacの責任というよりそっち方面では64bitのOpteronが(あ、Macのそれも64bitか)すさまじい能力を発揮するとわかったからだろう。自作が楽しみである。こっち方面でもMacの魅力は目減りしている。そういえば最近じゃ「世界最高速」なんてすっかり言わなくなってしまった。

 Mac初体験と書いたが体験はしていない。Mac的な世界へ、ソフトに触れることからほんのすこし思いを馳せただけである。懐に余裕ができたとき私はきっとMacのノートを買うだろう。それは初恋の人との再会になるのだが、お互いに年をとってしまい、期待ほど甘酸っぱいものはないと思っていた。なのにたった音楽用ソフトひとつでここまで感激させてくれるのである。希望的だ。

【附記】──全曲聴取達成を目指して
 このソフト、聞いた回数と最後に聞いた日を一覧の端に記録する。こういう機能を持ったソフトを使うのは初めてである。きょう、いつの間にか20曲印がついていた。そんなことをされるとどうせなら全曲、と思うではないか(笑)。現在6187曲入っていると出た。一曲平均3分として(メインがCDに5曲ぐらいしか入っていないジャズだからほんとうはもっと長い。確実に平均は5分以上だろう)6187曲×3分=18560分÷60分=309時間。一日5時間ぐらいは確実に作業してBGMとして流しているから、5で割って60日、全曲に聞いた印が附くまで二ヶ月か。二ヶ月後が楽しみである。とはいえおそらく好きなモノばかり繰り返し聞いていてあまり進展はないように思う。BGMとしていま歌はだめなのだ。インストオンリーである。
2/3
意外な曲の発見

 momoさんから送ってもらったiPod用音楽再生ソフトiTunesでHDD内の6187曲をアトランダムに聴いている。意外なものがあっておどろく。

 いまエルトン・ジョンが流れてきたので、どういうことだろうとしばらくソース探しをしてしまった。予測としてタイで買った「Peak Song」とかそういうタイトルのヒット曲を集めたCDに入っているのだろうと思った。そうとしか考えられない。結果そうだった。
 それにしても毎度のこととはいえ2003年に買ったその年のベストヒットシングルが150曲ぐらい集めてある凝縮CDになんで二十年前か三十年前のエルトン・ジョンがあるのか。まあ「ホテル・カリフォルニア」が入っているぐらいだからわかるけれど。いかにもいいかげんなタイらしい。
 それはマイナスではない。苦笑しつつうれしい(笑)。あ、念のために。あのダイアナ妃のために歌ったような新しい曲ではないです。

 するとこんどは「ああ、いいなあ」と思うゆったりとしたストリングスが流れてきた。こんなのも記憶にない。探すと「Relax」というお気楽音楽を納めたCDからとわかる。これは文字通りそんな感じの音楽を集めたもので、リチャード・クレイダーマンとかがたっぷり入っている。そのうち必要と感じたときに聴くかとは思ったが積極的に聴くものでもない。ほっておいた。あの寄せ集めCDの中にこんないい曲が入っていたのかと「お気に入り」にいれる。

 先日Media Jukeboxでこのアトランダム再生をしたとき、アルファベット順で流れてくる聴いた覚えのない気に入った曲を、また探し出すのは大変だから「お気に入り」というフォルダを作り、そこにコピーして入れた。この曲もそこに入れる。

 Media Jukeboxはアルファベット順に曲を再生した。このiTunesは数字をピックアップして並べるようである。各アルバムには一曲目のタイトルのまえに01と附いている。それらを集めてくるから、一覧にずらりと曲番01が勢揃いするのだ。HDDに納められた全CDの一曲目が立て続けに流れる。その次は02だ。当然ジャンルはごったまぜである。よって普段まったく聞いていない意外な掘り出し物にぶつかったりする。

 かと思えばいま、大嫌いなアリアのようなものが流れてきたので急いで止めた。私の受け入れられない音楽に女が甲高い聲でスキャットのように歌うアレがある。MD用メディアとして買った心静まる音楽類にもよく入っていて、流れてくると何事が起きたのかと飛び上がって止める。正直、寒気がするぐらい嫌いだ。あれをくつろぎの音楽として聴く人の感覚がわからない。私にはいわゆる「ガラスを引っ掻くような不快な音」でしかない。オペラと甲高い聲のX-Japanの好きな小泉首相なんかきっと大好きなのだろう。私にはまだ歌舞伎とオペラのおもしろさがわからない。「まだ」ではなくもうここまで来ると墓にはいるまでのような気がする。ファイルから削除した。リー・リトナーとディブ・グルーシンのアルバムに入っていたようだ。油断ならん(?)

 と今度はピアノの「ベッサメムーチョ」が流れてきた。いいなあ。キイボードを叩く手を休めて音楽に聴き惚れる。パソコンキイボードの上をすばやく縦横無尽に動き回るこの動きと同じぐらいピアノキイボードでも指が動いたら人生はもっと楽しいだろう。これはデイブ・ブルーベック(名曲「Take5」で有名)のようだ。「お気に入り」に入れておこう。
 関連でビートルズの「ベッサメムーチョ」が聴きたくなった。ああいう遊びでも魅せてしまうのがポールの能力だ。荒削りだけど抜群にいい。音源としてもっていたか。たぶんタイで買ったCD全集にあるはずだが……と探し始めようとして、そんなことをしていたらなにも出来なくなるとあきらめる。これらの文を書き終わったらパソコンの火を落とすまえに探してみるか。

【附記】タイ語の歌
 タイ語の歌も自動再生してくれて、明け方それが流れていたら、寝ていたはずの妻が「いい音楽ね」と声をかけてきた。なかなか万能である。妻がタイの音楽に惹かれのはさすがに民族の血だと思う。ほとんどタイ語のタイトルを表示しているのに、一部文字化けしているのがつらいが、これはこちら側の問題なのか。わからん。しかし文字化けってのはいつ見ても興ざめである。
2/7
早くも挫折

 音楽再生ソフトiTunesを手に入れたことをきっかけに、HDDに入っている6千余曲を全曲読破ならぬ聴破しようと決意したが、早くも挫折。あきらめた。
 というのは私はもう歌を聴きつつ文章を書くことができなくなってしまっているからである。ながら族引退だ。かつては寝るときでさえ音楽を聴きつつだったが、いまは歌が流れてくると文章を書く手が止まってしまう。残念ながら懐かしの、あるいは未知の名曲に思わず聞き惚れてしまうということはなく、のって書いているときには、どんな名曲美声も雑音でありじゃまなだけだ。頭の構造がことばを聞きつつ文章を書けるようになっていない。歌が流れてきたら止める。止めてインストの曲までとばす。頻繁にそれをやっていると仕事にならず、結局再生ソフトをいつものにして、好きなインストのアルバムを流すようにした。元の木阿弥である。

 文章を書かず、パソコンを音楽プレイヤとして使用するのでない限り、このHDDの中の音楽を私が全曲聴破することはありえないように思う。なにしろいまこうして書いているようなお気楽な文章でもBGMとしての歌はだめなのだ。現在CDプレイヤは壊れたままだし、かりにあったとしても、無限に連続再生のできるパソコンは魅力的な再生機器である。その場合は今後も歌曲を聴くだろうが、ともかく文章を書きつつ全曲を聴くことは不可能とわかった。

 BGMとしてフュージョンやジャズ系の音楽を流しているだけだから、それは単なる波の音と同じでメロディを覚えないかというとそうでもない。好きな曲には耳を傾けるし、いつしかしっかり覚えて口ずさんでいる。まこと、それはそれで不思議と思う。問題は「ことば」なのだ。
 まず日本語はぜったいにダメである。ことばのひとつひとつが良かれ悪しかれ気になって仕事にならない。私の場合のこれは電車の中での携帯電話に通じるのではないか。あれが誰にとっても不愉快なものであり禁止になったのは、会話の半分だけを聞かされる「半端なことば」が、「雑音」だからであったろう。文章を書いている最中の私にとって流れてくる「歌」は、電車の中でのケイタイ会話と同じように作用してしまう。
 英語は理解能力がない分まだましだったが、いつしかそれすら受け付けなくなっていた。サラ・ボーンのスキャットでもダメである。ドライヴでは問題ない。だから一応文章を書く作業はドライヴよりは頭を使っていると思われる。脳味噌が低能力のCPUなのでいちどにいくつもの作業、マルチタスクをこなせないのだ。

 ということで6千余曲全曲聴破ではなく逆のことをやることにした。文章を書く際にバックで流してじゃまにならない音楽を別ファイルに集めるのだ。これならそれをiTunesで連続再生すれば全曲お気に入りのBGM集になる。これはその日聴いて気に入ったアルバムや曲を集めてゆくのだから時間がかかる。果たして何曲になるか。どう考えても一千曲にはなるまい。となると5千曲がむだ、になるのか。とはいえ年に一度も聴かないDeepPurpleでも無性に聴きたくなるときもあるのだからむだではない。どういう状況になっても聴きたいとは思わないと結論したKennyGなんか削除してしまったし。HDD内にあるのはそれなりに魅力的思うものである。それができあがると私のほんとの「お気に入り音楽」がまとまる。こつこつとやるのでだいぶ先になりそうだ。
2/17
 CDDBの不可解

 相変わらず「Macなソフト」(←momoさん流表現)iTunesに振り回されている。最高に便利だがうまく使いこなせないのでストレスもたまる。それにこれを入れてからパソコンの調子が何度もわるくなったから、やはり関係あるのではないかと疑っている。ちいさなちいさなマック侍がこれの中に潜んでいて、WINDOWSを破壊せよとハードディスクの中で大暴れしているような気がしてならない。多勢に無勢なのだがなかなか強く、こいつを捕まえようと斬りかかるウイン侍はみんな返り討ちにあい、挙げ句の果てに本丸OSに攻め込まれてハードディスククラッシュになっているのではないか。そう思えてならない。

 昨夜初めてCDの情報をとりにネットに行かせるという方法を知った。今まではCDから曲データをリッピングしても一覧表示の中でtrack1,track2としか表示されなかった曲がアルバムと同じように日本語や英語でタイトル表示されるようになる。なんとも便利だ。今までに入れたtrack表示になっている何十枚ものアルバムもこの機能を使って入れ直したいと思う。すばらしい。グレイトである。そのためには常時接続が必要だ。焦眉の急である。

 この曲データ集めってどこまで対応してくれるのだろう。今も販売されているようなまともなものは問題ないとわかるが、たとえば秋葉原の路上で買った安物の寄せ集めジャズCDなんてどうなのだろう。対応するのだろうか。先日momoさんにあげたテレサの2枚のCDは、一枚はすなおに対応して曲データが収集でき、もう一枚はダメだったそうだ。2枚とも日本で何千円も出して買ったものではない。タイと中国で買ったものだと思う。その差はどこから出たのか。中国で1枚10元(当時150円)で発売されているCDでも、きちんと対応するものもあるのか。もう一歩わからん。まあこんなことも試せばいい。それが楽しい。早く常時接続にしたいものだ。

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【附記】2/18

 講談社CDブックスの「Modern Jazz 名曲名演!」は見事に変換された。感激。これはもう販売されていないのかもしれないがJazzの名曲を知る入門編としてお奨めできる一枚である。
 秋葉原の路上、あるいは駅構内の露天等で買ったと思われるタイトルを書くことにすら赤面する「グラス片手に寄り添えば」という甘ったるいJazz名曲寄せ集めCDも見事にネットから曲名を集めてきて表示したので感激した。

 ということから想像するにこれらはCDのアルバムとして登録されているのではなく曲データの登録なのだろう。それにしてもこんなアルバムではない寄せ集めのCDの曲データを表示してくれるのだから感激、ありがたいとしか言いようがない。iTunesがすばらしいのか今のネット事情に感謝すべきなのかわからないが。
 妻が云南から送ってくれた二胡のCDはさすがにみなtrack表示になってしまってだめだった。ともあれ「グラス片手に」ですら大丈夫だったのだからその他のまともなCDはかなり古いJazz系でも問題なしだろう。いやはやありがたい。

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 いまのところHDDに6400曲ほど入っているのだが、この数字はかなり水増しだと気づいた。iTunesに「重複曲探し」という機能がある。それを使ってみたら1300曲も表示されたのだ。重複曲全部の数字がこれだから半分は不要となる。750曲が目減りする。使いかたが悪くてこんなことになったのかと思ったらそうではないようだ。

 タイで買ってきた寄せ集めCD、たとえば「Deep Purple」には10枚以上のアルバムが詰め込まれている。それらは様々な形で出されたベスト盤が多く、その中にまったく同じ「Highway Star」が入っている、というようなことである。まったく同じものが5曲もあったりする。かといってたとえば「Black Night」という曲は重複表示されていても、3分と6分だから、たぶん3分がスタジオで6分はライヴなのではないかと思う。こういうのは削除しないように気をつけねばならない。

 しばらくそれをチェックして削除していたが、これじゃまるであのビニールの気泡緩衝剤をぷちぷちつぶしているようなものである。こんなことをしているときではないと気づき(笑)やめた。これまた気づいたときにそのたび消してゆけばいいことで、いまこのときに何時間もかけてやるようなことでもない。



 ソニーの社長がPSPを「iPodキラー」と豪語したそうだ。今の時点では曲データをメモリに常駐させるだけだから物足りない。とてもとてもHDD型音楽プレイヤ殺しとはなるまい。あれのゲーム供給メディアは五百円玉ほどの1.8GBである。あれが生メディアとして流通しパソコンから音楽を落とせるようになったら強力である。五百円玉大の一枚に、一曲3~4MBとして600曲ぐらい入るようになる。10枚もてば(メディア代が高くつきそうだが)6000曲だ。携帯性は高いし、おまけに高レベルのゲイムも出来るからたしかにPSPはiPodの強力なライバルとなりえる。

 とはいえ当分iPodの独走は続く。たしかなのは、このままだとMDは終ったメディアになるってことだ。とはいえいまだにMOもがんばっているようだし、BIOSの書き換えにはFDDまで必要になったりする。まだまだわからん。そういえば以前はしゃいで買った一枚100メガのZIPは長年眠ったままだ。もう起こすこともないだろう。もったいない買い物だった。ZIPでの失敗があったからMOには近づかなかった。

 と、おおきなメディア容量を過去のもののように話しつつ、ぼくがいま書いている長編は200kbもない。MDは終ったなんて言いつつ、ぼくの現在はフロッピを満杯にもできやしない。なんだかな。まあ大きさじゃない。大きさで言ったらぼくが今までに書いてきたすべての文章の大きさはエロ写真一枚の容量もないことになる。

 さて図書館に出かけよう。寒風の中にそこはかとなく違うにおいがする。春がそこまで来ているのがわかる。
2/18
魅力全開

 いやあ楽しいなあ。本来はアップルのiPod用のソフトである。iPodを持ってなくてもこんなに楽しいのだから持ってる人が夢中になるのがよくわかる。そういえばmomoさん、空港に見送りに来てくれたときもiPodがしっかりポケットに入っていた。
 パソコン雑誌もここのところよくこのソフトを特集しているので熟読している。きょうは「iPodミニの使いかた」というムックがあったのでしっかり読んできた。もちろんその中の「iTunes活用法」のところだけだが。

 とにかくリッピングツールとして使え、ネットから曲名等を探してくれるという能力は秀でていて、すっかり長年愛用していた「CDマニピュレーター」を使わなくなってしまった。

 今までだとCDから曲をリッピングしても左のようにtrackとして表示されるだけだった。これに曲名を自分で入れていったりするのはかなりめんどうである。聞いていて時折「この曲、なんだっけ」と思うことが多いのでHDDに入れるとききちんと書き込まないと思いつつ、やらないままで入れてしまう。気になるといられないたちだから結局CDを探し出して曲名を確認したりする。手間がかかる。だが手間がかかろうと見つかる場合はいい。レンタルして入れたものなど探しようがなくなっている。

 それがiTunesを使いネットに接続すると、「データベースに問い合わせ中」となり、数秒で左のように情報を集めてくれる。私の回線で10秒ぐらいだから速い回線の人は一瞬なのだろう。いまだにアナログ回線なので、CDを入れ、接続してデータを集めてすぐ切り、それからリッピングをしている。リッピングには時間がかかるのでその間つないでいるわけにはゆかない。CD一枚につき一通話の接続料8円50銭でやっていることになる。常時接続の人なら苦笑するような状況だ。でもその便利さがうれしく、さっきからそのつないで切ってをもう5枚もやってしまった。



 あたらしい発見もある。ジム・ホールの「ジャンゴ」というアルバムをiTunesのデータ掲示が欲しくて入れ直した。そしてネットでデータを入れる。するとサッと曲名が並んだのはもちろんだが、「アルバム名」の箇所に「Youkali」と出たのである。おどろいた。そうか、本来これは一曲目にある「Youkali」がアルバムタイトルだったのである。それじゃ日本ではインパクトが弱いと、ジャズギターの草分けであるジャンゴ・ラインハルトに捧げられた名曲「Diango」(2曲目に収録)から、パッケージではアルバムタイトルを「ジャンゴ」としたのだ。姑息な手段だ。ミュージシャンに失礼だからやってはならないことだろう。「ジム・ホールに『ジャンゴ』というアルバムはない。正しくは『Youkali』である」と学んだ。



 なんとも便利である。なによりきれいに情報が掲示されて気分がいい。不精者の妙な潔癖さというのがあるが、私はその典型で、いまも部屋の中は乱雑だが、だからこそ机の上とパソコンの中だけはきちんとしていないと気が済まないのである。デフラグかけすぎでHDDを壊すタイプだ(笑)。
 机の上が雑然としている人がいる。私はアレがだめだ。机の上だけはスッキリしている。そういえば父は潔癖性できちんとしている人だったのに、机の上はいろんなものが積んであって乱雑だった。たぶん教員時代からの癖なのだろう。身の回りが整頓してあって机の上だけいい加減というのは私と正反対になる。

 きょうは隣町の図書館で大沢在昌と大崎善生の本を借りてきた。一晩で2冊読む予定。
 それと数少ないCD(貧弱なそれを見ていると品揃えの豊富な県立図書館に行きたくなる)の中から「読書の音楽」というのを見つけ、曲名を見たら好きなものばかりだったので借りてきた。それの曲名がiTunesで集めた上のもの。いま聞いているが、正当な本屋で低く静かにBGMとして流れている路線である。じつにいい。発売はTBSブリタニカ。

 でもこういうのを聞いていると詳しい曲説明を読みたくなる。隣町の図書館はなぜかCDそのものだけを貸し出す。ケースも説明書もなし。なぜだろう、解説書などの破損や紛失を心配しているのか。しかしCDはそれがあってのものだ。県立はパッケージで貸してくれた。
 いやあいまあの旺文社のラジオ講座のテーマが流れてきた。なつかしいなあ。

 こういう企画ものは誰が編んでも同じようでいて以外尼僧でもない。いやおれ尼さん興味ないんで、これは以外にそうでもない、です。なんだかなあATOK。賢くなったといってもまだまだだな。「心静まる音楽」ノヨウナモノをけっこう買っている。「この音楽のどこが心静まるんじゃ!」と苛立ったことも一再ではない。その点このCDはとてもよく出来ている。すばらしい「読書の音楽」である。ほんとに本屋にいる気分(笑)。文教堂じゃこれ流してたのかな。ふだんなら見向きもしないものにもこんな掘り出し物があるからばかにできない。
2/19


●CDDB不可解.2

 図書館から借りてきた4枚組アルバム「Classics 名曲100選」をHDDに入れる。わくわくしつつネットで曲名を調べようとしたら、データベースに適合していないと拒否された。してないだろうと予測したものならともかくまずまちがいないと自信をもっていただけにショックだ。「なんだかよくわからんのでそっちで調べてくれ」とiTunesも投げやりである。今までならこれがふつうだった。ところが一瞬にして曲データを調べてくれることに慣れてしまったのでいまさらtrack1や2の表示では満足できない。便利なものに慣れるというのも不便なものである。まいった。

 100曲の中で私が知っているのは20曲ぐらいしかない。いや「聴いたことある」なら50曲以上だろう。だからこそ気になる。こういうものこそ曲名を表示してもらいたい。「ああ、この聴いたことあるメロディは××の作った××って曲だったのか」と勉強したかったのに残念である。さてどうしよう。図書館のライナーノートをコピーしてきて百曲手書きで入れる気は、いまのところ、ない。でもやらないと欲求不満がたまりそうだ。だったら消すか。まったくiTunesも罪作りである。

【附記】
 しかしわからん。どっかで買ってきたドビュッシーのピアノと弦楽四重奏の2枚組CDを入れてネットにつないだ。すぐに曲が表示された。たしか上野駅構内のワゴンセールで買った氏素性として上記のものよりだいぶ落ちるものなのだが、いったいこれらの基準はどうなっているのだろう。もちろんそれはiTunesには関係なくネット世界のデータベースの話なのだが。
2/22
iTunes病──せっせとインストール

 そういう作業のかたわら、CDをトレイに入れ、ネットにつないで曲目を調べ、HDDに入れることを繰り返す。ほとんどもうビョーキである。つまり「音楽を聴くために」が目的ではなく「iTunesでHDDに入れること」が目的になってしまっている。音楽なんてもうどうでもいいのだ(笑)。こりゃまずい。

 ということをiTunes病の先輩のmomoさん、というか私をこのビョーキにかからせた責任者にメイルすると、「私は一年で7800曲それをしました」との誇り高い返事。ビョーキ自慢。
 HDDに7千曲ほど入っていることでは私もmomoさんに並んでいるが、私の場合はMP詰め込みCDから5千曲ぐらい入れている。これは1枚のCDに160曲ぐらい入っているから効率的だ。私が1枚に10曲入っているCDからこつこつ入れた曲数は2千曲程度だろう。momoさんの7千曲はすべて1枚のCDから入れているはずだから手間暇ではかなわない。つぎ込んだ時間はmomoさんのほうが上だろう。

 今こうして書いているあいだもそれをやっている。かたわらには30枚ほどCDが積み重ねられている。これを入れたらまたもって来るに違いない。身近にあるものすべて入れたらレンタルしに行くか。HDD容量もたっぷりある。そしてまたデータがないと表示されると一気にそのCDに対して萎えてしまう。入れる気がなくなる。音楽ってそういうもんではないだろう。どう考えてももうこれビョーキとしか言いようがない。それはそれで楽しいからいいのだが、私の場合一枚ごとにネットつなぐというのがなんともやるせない。

 というところで発見。一気に調べてもよかったんだね、これ。つまり10枚のCDを一気にデータ調べする。するとトレイから出しても一度調べたものはiTUnesが覚えていて曲名を表示する。それからゆっくりエンコードしてHDDに取り入れればいい。なにも一枚ごとに接続しなくてもよかったんだ。愚かなことをしていた。セコ話で言うと一枚ごとに8円50銭の一通話をしていた。10枚なら85円である。それを一通話分で10枚調べられたってことである。なにより時間手間暇的にもったいないことをしていた。といってもこの愚かさと悔いぐあいは常時接続の人には実感としてわからないだろうけど。これでますますビョーキが重くなりそうだ。
 
2/26
ファイル削除の大失敗

 昨夜、稀に見る大失敗をしてしまった。初心者もどきである。恥ずかしい。
 iTunesが曲名その他の情報を表示している。7千曲ほどだ。iTunesが分類した方法がわかりづらく、元の自分流に戻してファイル整理をしていた。あちら流の整理をお願いしたのはぼくであり、責任回避するつもりはないが、このiTunes流の整理に問題があるのも確か。チェット・アトキンスのあきらかなカントリー音楽をunknownジャンルに分けてしまうのはまだいいとしても、いやそれだってcountryというジャンルがあるのだが、タクローはworldだし、一青窈はpopsだし、チャーリー・クリスチャンはcountryになってるし、高中正義はjazzだし、わけからんのである。この場合「だって曲データにそうなっていたんだもん」と言うのだろうか。高中はあのイージーリスニングアルバムにJazzとしていたのだろうか。タクローは自らの音楽の分野をworldにしていたのか。わからん。ともかく彼流の分類にはとてもなじみがたく自分流のフォルダに再整理していた。

 するとそうして移動した曲には「この曲が見あたりません」という灰色のビックリマークがつく。以前はそれをひとつひとつ削除していた。そのときからこれはとんでもなく面倒なのでリセットしたほうが楽だろうと感じていた。今回あまりに大量に出たので、いちどそのプレイリスト表を全部消し、あらためてまた全曲登録しようと思った。そのほうが早いし楽である。

 それをやった。するとみょうに時間がかかる。たかがデータを書いてある表(どういう形式のファイルかしらないが)を消すだけなのに大騒ぎだ。どうしたのだろう。本来なら一瞬ですむはずだ。まあ「Macなソフト」だからいろいろあるのだろうと待つ。それが済み、あらたに曲を登録しようとする。しない。エクスプローラでHDDを見る。そこにはずらりとミュージシャン名、そのしたにアルバム名が並んでいる。なんでここからいつものよう曲を吸い出さないのだとクリックしたら、なんと人名やアルバム名のフォルダは残っているが中身の曲は全部消えていた。プレイリストという表を消そうとしてHDDの7千曲を全部削除してしまったのである。さすがにこれには落胆し、しばし口をぽか~ん状態だった。

 それでもめげることなく復旧に取りかかる。音楽がなければやっていられない。先日DVDにバックアップをとっておいたのが功を奏した。といっても人名のアルファベットで半分ほど。DVD3枚。容量的に半分もないか。それでもこれが一気にもどるのだから助かる。あのときもう一踏ん張りして完成させておけば今回の失敗も鼻で笑えたのだが。
 そんなこんなで「朝まで生テレビ」を横目で見たり、つまらないので消して、落語本を読んだりしつつ、夜明けまでずっと復旧作業をしていた。そのことにより午後八時にコンビニで買ってきて検討する予定だった競馬予想紙を買いに行かないままだった。それが翌日の失敗につながる。元の7千曲に戻るまでは長い。
3/2
 歌の魅力再発見

 アトランダム再生にしておくiTunesのお蔭で懐かしい楽曲や意外な歌に出会えてうれしい。あらためて7千曲というのはすごい数字なんだなと確認する。
 以前もそれは「Media Jukebox」というソフトでたまにやっていた。機能的にはiTunesとほぼ同じでHDDの中の音楽を呼び込み並べ立ててくれる。ランダムでもアトランダムでも自由に再生出来る。このソフトをたまに使っている時代には、意外なものに出会えるよろこびも多少はあったのだが、不快なラップが流れてきて止めたりするマイナス面も大きく、いつしかほぼ同時にインストールしていた「KbMedia Player」ばかり愛用するようになった。これはエクスプローラ風にファイルを選んで好きな音楽だけを再生するソフトである。もちろん好きなものを収集して「お気に入り」として再生できる能力はあるが、私はこれを使ってもっぱら好きなフォルダ(=アルバム)を聴いていた。7千曲入っているが3百曲程度しか聴いていなかった由になる。この「Kb」の前に何年も愛用していたソフトは「e-Jay」という外国製ソフトで、これも基本は「Kb」と同じく指定した音楽ファイルの再生ソフトだった。
 ファイル再生タイプの「e-Jay」から「Kb」へ。その合間にほんのすこし全音楽シャッフルタイプの「Media Jukebox」があったというのが私の大まかな(合間に語るほどのものではない寄り道ソフトはいくつかある)音楽再生ソフト利用歴になる。そこに今回「Media Jukebox」と同じシャッフルタイプのiTunesが加わり、日々これに夢中になっている。

「Media Jukebox」と「e-Jay」は外国製のソフトだった。ファンクションボタンも英語ばかりである。そういう意味で英語というのはかっこよく嫌いではないのだが同時に味気なくもある。日本語は文字化けしてしまう。私の場合日本語の曲はほとんどないのだが(タクローを入れた昨夏が初めてになる)「お気に入り」なんて感じのフォルダはよく作る。するとそれが文字化けする。醜い。かといって日本語だけのこってりしたソフトも好きではないからこの辺のかねあいは難しい。
「Kb Media Player」は日本製のフリーソフトだった。使いやすいし日本語が少しあるだけで親しめる。思考をじゃましない好きな音楽が流れていることを好む私がファイル再生型の「e-Jay」を愛用し、よりそれの使いやすいタイプの「Kb」になったのは自然の流れだった。アトランダム再生でたまに不快な音楽を再生する(それはそんなものを入れている私の責任だが)「Media Jukebox」がいつしか縁遠くなっていったのも自然の理だった。このソフトが純粋な英語ソフトであったこともおおきい。
 それがいま「Media Jukebox」と同じタイプのiTunesに惚れ込んでいる。その理由はこれが本来は外国製の白人向けの製品ではあれ、日本人向けにとてもよく改良されているからだろう。アップルの起死回生の大ヒットとなったiPodのためのソフトだがiPodをもっていない私ですら毎日こんなに愛用しているのだからいかにその出来映えがすばらしいことか。アップルが「Win用iTunes」を用意したのは賢明であった。それがiPod大ヒットのいちばんの要因ではないか。

 こういうソフトを語るなら最強と呼ばれる「WinAmp」を避けては通れない。日本語パッチも流通しているし、「出来ないことはない」と言われるフリーソフトである。私もだいぶ前から関わっている。テレホーダイの時期にはあちこちの関連サイトを覗いては勉強してずいぶんとこれを使いこなすための努力をした。だがどうしてもなじめなかった。「最強」であり「出来ないことはない」と言われているのだから好きになりたい。これさえ使いこなせればあとは無敵なのだ。さいわいにもタイで買ってくるソフトウェア寄せ集めCDには毎回必ず最新版が入っていた。Downloadの手間が省ける。タイ語パッチまでついている。これを入れ日本語化すれば日本語表示はもちろん毎度嘆いている「タイ語が表示されず文字化けする」なんて悩みも解決していたはずだ。だが私にはどうにも親しめないソフトだった。なによりデザインが好きになれなかった。

 もうひとつの有名ソフトはOS附属の「Windows Media Player」である。デフォルトのこれだけを使っている人っているのだろうか。いやいるに違いない。IEから離れて長いが世の中にはいまだにタプブラウザではなくIEだけを使っている人もいるはずだ。そういう人にとって再生ソフトとはこれなのだろう。私は最初から使う気はないので親しみを感じていないが助けてもらったことは何度もある。「Kb」だと文字化けしてしまうようなタイ語の音楽も見事に再生してくれ、いざというときの頼りにはしている。でも愛用とはほどとおい。なんでもっと使いやすくできないのか。

 iTunesにはそういう私を引きつけるデザインの良さから英語ソフト的なかっこよさ、適度な日本語対応とすべてがそろっていた。そうしていまやっと私もそこそこ使いこなせるようになってきた。unknownとかothersとされてしまったジャンル分けを正しくFusionだとかReggaeに分類し直せるようになった。そうなるとますます夢中である。毎日iTunesばかりいじっている。音楽を聴きたくてCDを探すのではなく、iTunesに入れるためにCD探しをしている。本末転倒だ。それでもこうして入れて整理したものはいつかいとしい音楽ライブラリとして財産になるだろう。と理窟づけてきょうもせっせとインストールである。

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 最近聴いて、いや「偶然流れてきて」気に入ったものは、まずニール・ヤング。若いころNeil Young&Crazy Horseのライヴを聴いていなかったのか? あの酔っぱらいが宴会で騒いでいるようなブルースライヴが聞こえてきたときは何とも言えない愉快な気分になった。「Harvest」あたりは真剣に聴いたがぜんぜん彼には詳しくなかったんだなと思い知らされた。でも新鮮な発見。すなおにうれしい。
 ダイアナ・ロスはそれこそ高校時代に聴いたSupremesの「Love Child」のころから大好きであり、だからこそ彼女の作品を集めたCDを買ってきてあったのだが、HDDに入れはしたものの、とにかく歌ものはBGMとしてじゃまなので長いあいだ聴いていなかった。聞き惚れた。うまいねえ。最高だ。まさにSupreme。
 ホイットニー・ヒューストンもいかにうまい人かは知っているが(彼女、凋落しちゃったねえ。クスリとオトコか……)選んで聴くことはまずなかった。流れてきた彼女の歌声に感嘆した。

 iTunesが私にもたらしてくれた最大の効果は「歌の見直し」である。ことばのある歌はパソコン作業のじゃまになると聴いていなかった。長年断っていた。実際じゃまだった。しかし真にすぐれた歌は、仕事の手を休めさせ聞き惚れさせ心をリフレッシュさせてくれるという真理に今更ながら気づいたのである。これは近年ほとんど歌を聴かなくなってしまった自分に疑問も持っていたからまことに意義のある指摘だった。中でも女好きであるから美声と美貌の女歌手は聴かないとはいえそこそこ聴いたであろうが、蓄膿症ボイスと言われる(ってわたしらが仲間内でそう言っていただけですが)ニール・ヤングのぐだぐだしたおっさんの歌なんて聴く予定はなかった。今になって気分良く聴ける自分がいるとは思っていなかったから、これはありがたかった。それはニール・ヤング再発見ではなく自分再発見になる。

 というわけで日々せっせとCDをHDDに入れる作業を繰り返しているのだが弊害も出てきた。iTunesで入れようとしてネットにつなぎ、曲名他を調べ、CDのデータベースに該当していないとわかると急に入れる気がなくなってしまうのである。いまさらtrack1.2と並ぶ曲入れをする気がないのだ。私がiTunesに惚れ込んだことにはこの曲調べの能力が大きい。一瞬にしてアルバム名アーティスト名が出るのは快感だった。それが出ないアルバムには興味が失せてしまうのである。しかし真に音楽ライブラリを作ろうとしているならそれはおかしいとなる。地道にネットで調べる方法もあるようだ。この辺は常時接続になってからの課題としよう。

【附記】──同種のハードウェア
 アサヒシンブン系列のものにはパソコン雑誌ですら近寄らないようにしているが、きょうは見出しにiTunesのことがあったので何年ぶりかで立ち読みした。「アサヒパソコン」だったか。何年か前まではこれも月二回買っていたのである。悔やまれる。
「iPodの大ヒットには附属ソフトのiTunesのすばらしさが貢献している」とあり、使いかたが特集されていた。記事のデザインがiPodカラーというか、そういうふうに構成されており、なかなかおしゃれだった。同時にいまいかにiPodが話題の商品であるかを知らされた。
 帰宅してから手持ちのパソコン雑誌の「HDD型音楽プレイヤ」の項を読む。だいたいが自社附属専用ソフトで音楽を取り込むことになっている。SONY製品なんか音楽ファイルの形式まで独自の企画である。しかしこれは通用しまい。そのうちMp3,Mp4形式に対応すると思う。せざるを得まい。PSのような独走状態ならこんな強気も出来ようが(それにしても横暴だ)この分野では独走状態のiPodを懸命に追いかける一挑戦者でしかない。そのiPodがAACファイル(=MP4)がメインながらMP3にも対応しているのだからこんな我が儘は利かない。値段も高めだ。いつもなら他を圧しているSONYの我が儘がすこしもかっこよくないというのも痛快である。むしろ滑稽にすら見える。私はべつにMac派ではなく、もちろんアンチSONYでもないが、こういうふうに勝者は分かれた方がよい。それが健全な社会だ。ああ、なんとかMSの独走はとまらんものか。

 中には「iTunesも使用できる」と謳っている機種もあることを知った。これは一種の軍門に降った宣言であろう。そこまでiTunesの便利さは浸透しているわけだ。私がなにを買うかは未定だがiTunesが使える機種になることはまちがいない。ひねくれ者だから本家iPodではなくiTunesが使える日本メイカ製品というのは私好みの存在である。とはいえいまのところどう考えてもiPodだが。

【附記・2】──分類に難儀する(3/3)
 iTunesでunkownやothers等「その他大勢」のようにされてしまっているファイルを正しく分類し直すのは面倒だけれど楽しい作業でもある。しかしここのところ「JazzとFusionのはざま」で悩んでいる。古いJazzをJazzとするのは問題ないのだが、90年代以降のものはどっちにすればいいのか迷う。これこそCDがかってにやってくれるといちばんいいのだがそうもならない。いまBob Jamesのピアノが流れている。これJazzにしてしまったがFusionだろうな。私の考えるJazzではないように思う。が、これこそ今のJazzなのかもしれない。でも私の分類だからFusionでいいのだろう。
 とやっていると分類とか区別の無意味に気づく。そんなもの自己流でいいのだ。かといってなにもかも一緒くたというわけにも行かない。便宜上の分類は必要だ。カントリー系歌手のロック系のアルバムをどうするかでも悩む。出自のカントリーに分類すべきなのか、音としてロックにすべきなのか。まあヘイワなナヤミではある。
3/4
 1万曲への遠い道

 狂ったようにCDを入れまくっていたら9750曲まで来た。ほんとにもう正気の沙汰じゃないってぐらい夢中になってやっていた。
 じゃあもうすぐ1万曲かというとそういうものでもない。この時点で重複曲があるし、入れるのが楽しくてタイで買ってきた日本曲まで入れてしまった。と書くと意味がわからないが、タイ人向けに日本のいわゆるJ-Popをたっぷりと集めた違法CDがあり日本の歌が好きなタイ人に重宝がられているのである。興味のない世界だがたまには勉強するかと何枚か買ってあったのだった。よくわからんがシイナジュンペイとかヒトミとかマツタカコとかが入っているようだ。なぜかタイでは歌手松たか子の人気が高い。これらは流れてきた瞬間、というか目にした瞬間に全部削除するからむしろこれから数は減るのである。ってだったら入れるなよとひとりつっこみ。入れるものがなくなっていたのですぐに削除するのがわかっていて入れてしまいました。その他、タクローなども最初CDからリッピングしてtrack1,2で入れたものがその後きちんと曲名が入ったものとダブって入っている。これらも削除対象だ。
 思いつくままに削除を初めて、いま見ると8700曲である。やがて7千台にまで減るだろう。気に入った曲だけで1万になる日は遠い。
 それらの容量で見るとたしかにiPod-40GBに1万曲入る。1万曲をポケットの中に持ち歩ける時代になったのだ。夢見ていた「究極のウォークマン」はあんがいあっさりと実現した。長年そんなことを考えていたので感無量である。とはいえまだiPodを持っていないのだけど(笑)。
3/5
 オーニタのチョピン

 どこかの雑誌のコラムで読んだ。それがどこだか乱読なので覚えていない。なんでもプロレスラー兼国会議員の大仁田厚がある場で「みんなチョピンを聴かなきゃだめだよ。おれはチョピンが大好きで」とチョピンを連発したのだという。チョピンとはChopin、ピアニストでありグレイトコンポーザーのショパンのことだ。英語ではチョピンになる。Bach(バッハ)はバックだ。
 この場合、オーニタがショパンを知らない無智ととるのではなく、ショパンは英語読みでチョピン、英語圏ではチョピンと言わないと通じないとどこかから仕入れ、「チョピンて誰ですか?」という罠を仕掛けて発言したと解釈すべきだろう。日本中にChopinで出回っているならともかく誰もがショパンで知っており、Chopinを目にすることはすくないからだ。このコラムニストも「オーニタは英語読みがチョピンであることを知っているとアピールしたかったのだろう」と解釈していた。一歩間違うと「ショパンをチョピンと言っていたプロレスラー政治家」と揚げ足をとろうとして「英語圏ではチョピンなのを知らんのか」とはたきこみをくうところである。さすがにこれには誰も引っかからないか(笑)。

 ここのところクラシックばかり聴いている。Jazzはすこしお休み。それは「田舎の図書館の貧弱な品揃えでもクラシックだけはそこそこ揃っている」のが理由。でもだあれも借りやしない。埃をかぶっている。せっせと私が毎日3枚を借りてきてはコピーしHDDに入れている。利用者がいようがいまいがどんな田舎の図書館でもクラシックはそろえるというところに形式主義のくだらなさを感じる。いやそれで私は助かっているのだが。(というのは隣町の図書館の話。私の住んでいる田舎町の図書館にはそのクラシックすらありませんでした。トホホ。)
 流行歌を借りに来た高校生はすくない品揃えに落胆していた。でも今時図書館に流行歌のCDを借りに来る娘はかわいいか。けっこう演歌CDが揃っていて土地柄を感じさせる(笑)。中に「渥美清全集」というのが1枚あり借りようかどうか迷っている。あの人の歌は典型的な「へたうま」である。うまくはないがなんとも味のある歌なのだ。かといってHDDに入れても聴かないだろうし、といまのところ借りるつもりはないが。

 30枚ほどあるJazzはさすがに私のもっているものばかりで借りるものはない。これは水戸の県立図書館でも貧弱な品揃えであきれたことになる。以前、区立図書館勤務のらいぶさんにそのことを質問したら、やはり東京でも「スタンダードがすくないがどういうことか」と質問があったそうだ。県立の場合もあるべきスタンダードの名盤がなく、ヘンなマニアックなものがあったりした。奇妙に感じたものである。らいぶさんの考えは「破損と破棄によるものではないか」だった。たぶんそうなのだろう。たとえばマイルスの名盤等が何百回何千回と借り出されて紛失したり破損したりしてゆく。どうしようもなくなって図書館で廃棄処分にする。同じものの補充をしない。結果としてあまり借り手のないマニアックな作品が残ってゆくということだろう。当初図書館のお粗末な品揃えを見てJazzって人気がないんだなと思ったが、そうではなくJazzはみんな買うのではないかと思い直した。マニアックな人の収集品だから。CDを収集する趣味のない私でもこれぞというJazzCDはもっているからきっとそうなのだ。

 そういえば県立の落語CDでも桂三枝がきれいなまま全巻揃っているのに対し志ん朝はいつ行っても3枚から5枚ぐらいしかなかった。もっと品揃えしろと憤慨したのだが、ある日それはいつも貸し出し中だからなのだと知る。その3枚や5枚の題目が微妙にちがっていると気づいたのである。返却と貸し出しが頻繁でいつも流通しているのだった。結果的に私はその3枚から5枚をこまめにチェックして20枚ほどの志ん朝のCDを手に入れた。談志のCDがあまり動いてないのが不思議だったが、これはchikurinさんが言うように、談志ファンはきっと自分だけのものにしたくて購入するのだろう。それにしても私のようにCDをパソコンでコピーしてしまうのは少数派であろうから、律儀に落語CDを借りて返却しているのはどんな人なのだろう。ラジカセでテープにダビングしているなんて年金生活者もいるのだろうか。

 さきほどからヘンデルの「水上の音楽」を聴きつつ書いている。
 きょうはドヴォルザークの弦楽四重奏曲12番「アメリカ」とモーツァルトのフルート四重奏曲第1番を借りてきた。
 Classicもずいぶんと買いそろえたもの、借りたものをHDDに入れたつもりだが、曲数で見ると700曲ほどだからJazzの2千曲と比べるとだいぶ落ちる。
 Rockが700,Popsが900となっている。Rockが意外にすくないが別にR&Bが400曲ほどあるから数字はビミョーである。だいたいこの辺の分類は自分でもよくわからん。これからもPopsは増えるだろうがRockはどうだろう。なんだかもう卒業だという気がする。
 Japanとして分類したものが200曲ほどあるがこれは聴かないから消してしまおう。cobaはFusionだしタクローはFolkなのでこれとは無関係。村治佳織もGuitarにした。いま、B'sとかなんとかを全部削除。聴かないものを入れておいても無意味だ。

 クラシックでありがたいのは田舎の図書館でも解説書の類がそこそこ揃っていることである。毎回よくある手引き書を借りてきている。ドイツ人のヘンデルがドイツでハノーヴァー侯に仕えていたが休暇で行ったロンドンがすっかり気に入り、帰ってこいというハノーヴァー侯を無視してアン王女にかわいがってもらいイギリス生活を満喫していたら、アン王女が急逝し代わりに新国王ジョージ一世としてやってきたのがハノーヴァー侯だったというあたりの気まずさは想像するだけで笑える。ヨーロッパの王家ってこんな感じの血筋が多い。中国などはがらっと変る。前王の一族は根絶やしにされる。いかに日本が特殊な国であることか。
 新国王はテムズ川に大小無数の船を浮かべる「船遊び」で国民との親睦を図った。かつての雇い主、いまもまた国王としてやってきたハノーヴァー侯の機嫌をとろうとしてヘンデルが作り献上したのがこの「水上の音楽」という有名な逸話である。すまじきものは宮仕えは当時からか。


 SRVと再会!

 ということでもうロックはいいや、これからはClassicとJazzでと思っていたらiTunesから「Pipeline」が流れてきた。なつかしい。あのベンチャーズのパイプラインである。ベンチャーズは先日自分の持っている1枚と図書館で借りてきた1枚を入れた。計2枚入っている。その中の一曲か。めちゃくちゃかっこいい。ん? ベンチャーズじゃない。すごいぞすごいぞ、たいへんだこりゃ。誰だ誰だ。こんなものすごいパイプラインをいったい誰がやっているんだと急いでファイルを開ける。もしかしてあの男かもと思う。でもまさかね。このわくわく感はたまらん。するとやっぱり、ぬあんとスティーヴィ・レイ・ヴォーン、SRVだったのである。彼がパイプラインを弾いているなんて知らなかった。こんなものが入っていたのか。知らなかった。まさに宝の持ち腐れ。
 ということでヘンデルの「水上の音楽」から一転してSRVで真夜中におおのり。たまらん。

 40分経過。いやあおもしろかった。いやあつかれた。オーソドックスなブルースもあれば目にもとまらぬ早弾きもあり、チャック・ベリーみたいなロックンロールをやるかと思えば、ジミヘンのVoodoo Childだし、変幻自在快刀乱麻天馬空を行くがごとし。ノックアウト。ふらふらだあ。もう一回仕上げにパイプライン聴こうかな。chikurinさ~ん、SRV聴いてますかあ! あなたの大好きなチャーに最も影響を与えた人ですよ。チャーはいいギタリストだけどSRVがテキサスの荒くれ道を突っ走るキャデラックだとするとどうしても日本の舗装道路を走るカローラになってしまう。
 三十五で死んだけどきっと三十五で死ぬからこんなことが出来たようにも思う。かなりクスリをやっていたからヘリコプタが落ちなくても長生きした人だとは思わない。これだけのものを残せば三十五で死んでもいいだろう。
 ネットにつないでこのアルバムを調べるがどうにも該当するものがない。どういうことなんだろう。いったいこのパイプラインはなんてアルバムに入ってるんだ。どうでもいいけどさ細かいことは。DVDが出ているらしい。見たくなった。レンタルヴィデオ屋にはないか。ないよな。持ってないCDを探してあした水戸の<TSUTAYA>まで走ってみようか。
 SRVにノックアウトされて書くことが本題から外れてしまった。クラシック音楽家の名前について書くはずだったのだが。もういいや。続きはあしたにしよう。しかしこの8千曲の中にはどんな宝物が詰まっているのやら。毎日一回はたまげている。おそろしくなる。

【附記】3/6
 momoさんがメイルで教えてくれた。《「Pipeline」のアルバム名はStevie Ray Vaughan and Double Trouble:The real Deal-Greatest Hits2》だそうな。ありがとさん。アメリカのサイトで調べてくれたのかな。きちんとしたアルバムで調べていたのでグレーテストヒットが抜け落ちていたようだ。
 昨夜、検索して初めて「批評com」というところに行って素人の評論を読みつつ探していたのだがそこにはなかった。誰だってまあ「これが××のベストアルバムだ! なぜなら」って肩肘張った評論を書くときヒット曲寄せ集めのアルバムは選ばないよね。軽んじられる。ないはずだ。いやきっとしつこく探せばあるな。世の中にはそういう形のひねくれ者もいるから。とにかく遅い回線で短い時間の検索なので見つからなかった。助かりました。
 これはタイで買ったBluesの寄せ集めCDの中の1枚だから、タイをキーワードに考えればまっさきに「ベストヒット」「グレーテストヒット」を考えるべきだった。好きなんだな、あの国の人たちは。でも入門編としてはたしかに効率的だ。そういうタイ人が私は好きです(笑)。

3/7
 クラシック音楽家の名前 

 iTunesでクラシック音楽家の名前をこまめに入れていたらだいぶ原語で書けるようになってきた。意外な効用である。
 ショパンがChopinでチョピンなのはオーニタの話として書いた。これなんかスペルを覚えるためにもチョピンと覚えておいたほうが便利だ。ポーランド人。のちにフランスに住む。

 バックのバッハはBachでドイツ人。

 ヘンデルはハンドゥルでHandel。これもドイツ人。生涯北ドイツから出なかったバッハと違い(このことが意外だったが)ヘンデルはあちこち歩き回って後半生はイギリスに住んだ。

 ベートーヴェンはいちばん有名だからちょっとむずかしいけどBeethovenと書ける人はけっこういるか。ドイツ人。

 ワグナー=Wagnerもドイツ人。ワーグナーと書かれることがRがあっても音引きを省く今、この音引きはいらないように思う。

 ブラームス=Brahmsはドイツ人。これって英語読みじゃないか? ドイツ語でこう発音するとも思えない。でもドイツ語発音に日本に文部省は統一したからドイツ語のはずなのだが。ということで英語辞書を引いたら発音記号的にはブラーツのようになっていた。じゃあやっぱりドイツ語か。

 メンデルスゾーン=Mendelssohnはドイツ人。なんとなくドイツ的な響きがわかってきた。

 モーツァルトはオーストリア人。Mozartといまは書ける。二十代の終わりころ、放送原稿を書き始めたとき、モーツファルトと書いてディレクタだったM先輩に直されたことを覚えている。M先輩はクラシック音楽に詳しい。当時の私はMozartというスペルを知らなかったことになる。ドイツ語の知識など今も昔もないがすくなくともこのスペルを知っていればモーツファルトとありもしないFの発音を入れるまちがいはしなかったろう。

 クライスラーはKleisler。オーストリア人。一時フランス市民になって戦中にアメリカに移住。アメリカの自動車会社も同じ綴りかと調べるとChrysler。いろいろある。

 シュトラウス=Strauss、シューマン=Schumann、シューベルト=Schubertはオーストリア人。この辺もドイツ語(オーストリア語)の知識があれば「シュ」が「Schu」だとすぐわかるのだろう。だったら綴りの違うシュトラウスはストラウスにしてくれたほうがわかりやすい。

 ガーシュイン=Gershwinはアメリカ生まれ。綴りも統一されていて覚えやすい。

 ドビュッシー=Dubussyはフランス人。フランス語はこの発音で通じるのか。フランス人相手にやってみたことがない。

 ピゼー=Bizetもフランス語。このTを入れるのは忘れそうだ。が「フランス人」と覚えていればなんとかなりそうだ。フランス語のこのくせはしっている。

 サン・サーンス=Saint Saensもフランス人。この発音と綴りの違いは競馬史でもよく問題になる。英語のセイントがフランス語だとサンになるので、種牡馬、繁殖牝馬の名前で混乱を来すのだ。

 ビバルディ=Vivaldiはイタリア人。いやこれは自分の決め事としてヴィバルディと書くようにしないと。ヴィバルディはバッハより七つも年上だったのか。どうにも「音楽の父バッハ」と習った中学時代の知識で勘違いしそうだ。

 サラサーテはスペイン人。Sarasateとローマ字風にわかりやすい。
 ドヴォルザークはチェコスロバキア人。Dovorakだがrやaの上に記号がくっつく。果たしてチェコスロバキアでこのカタカナ発音は通じるのか。百科事典ではドヴォルジャークと表記。手元の資料が古くすでに解体して存在しない複合国家チェコスロバキアなる国のチェコスロバキ人と表記されていたがこれはまずい。いわば朝鮮半島を併合していた時代の資料で純粋な朝鮮人を日本人にしてしまうようなものである。チェコかスロバキアかはっきりしないと。まずまちがいなくチェコだとは思うが。となんとか調べてチェコと確定。人生の後半をアメリカにわたって「新世界から」を創った。

 チャイコフスキー=Tchaikovsky。これはロシア語の知識がなければ無理だ。最初にTが来るなんてわかりゃしない。と音楽事典で調べたらこちらではThaikovskyになっている。その他CDでもそうだ。となるとこの綴りが正しいのか。ということでそれに統一しようと百科事典を引いたら、なんとここではChaikovskiiになっている。末尾もYではないよくある形だがふたつ並べた形。どちらかなのだろうか。それともタイで買ってきた音楽CDにあったようにTchaikovskyとTとCが重なる形もありなのだろうか。

 同じくロシア人のラフマニノフ=Rachmaninoff、あれ? CDから集めた綴りではこうなっていたがいま広辞苑で調べたら、そっちではRakhmaninovになっている。百科事典「エンカルタ」で調べてもそうだからそっちのほうが正しいのか。共通でない文字を無理矢理英文字に直すからいくつか異なった表記もあるようだが。
 正解がないようなのでこのままにしておくことにした。

 なにしろタイで買ったCDだから英語の綴りは間違いが多い。いちばんたまらないのは人名や曲名、アルバム名の最初の文字が小文字になっていることでこれはどうにもなじめない。たとえばbob dylanのように。いや、おしゃれだというのでわざとそうする近年の流れがあるのは知っているけれど。
 そしてまたそれをチェックするこちらがそれに輪をかけてバカである。よってMazartと書いてあるのを自分の知らないクラシック音楽家であろうかと真剣に悩んだりする。モーツァルトの綴り間違いなのだが無智ゆえ一笑に付せないのだ。無智はかなしい。

 思わぬ効用ですこしばかり賢くなった気がしている。
3/9
 データベース苦労話

 いつもの隣町の図書館に行き、ブリトニー・スピアーズと「No.1-Hits」と題された2枚組ヒット曲のオムニバスアルバムを借りる。曲目を見るとあれこれ入っていて楽しめそうだ。

 なんかその3枚だけでは物足りなく、他になんかないかなあと思っていたら、クルマにCDが20枚ほど積んであるのを思い出した。その中の何枚かをもってきて一緒に入れ始める。
 信じがたい誤算は借りてきたその「No.1Hits 2枚組 35曲」がCDデータベースに対応していないことだった。ネットに繋いで調べても左の写真のようにトラックとしか表示されない。まいった。いまも困っている。だってあちこちのヒット曲を寄せ集めたものである。手作業の記入はたいへんだ。
 たとえば昨年、いやもう一昨年か、テレビドラマで使われたとかでQueenがリヴァイヴァル大ヒットしたことがある。彼らの音楽はいわゆるロックとはまた違って完成度が高いからこれはご同慶の至りだった。そういうことからこのCDにはQueenのヒット曲が納められていたりするのである。そこにはテレビドラマで取り上げられたことまで書いてあった。しっかり読んできた。それだけ新しいオムニバスCDだ。なのになんでそれがCDDBに登録されていないのだろう。ずらりとならんだtrackナンバーを見て一気にやる気が失せた。全くこの基準が不思議でならない。「なんとこれが」と思うような意外なCDがきれいに一発で表示されるかと思うと、「なんでこれが」と思うようなまともなものがデータなしになる。東芝EMIが昨年か一昨年あたりに出したこれがなんでデータなしなのだろう。不可解である。

 先日書いたがこの隣町の図書館は解説書を貸してくれない。CDのみである。となると図書館でせこせこと書き写してくるのか。思うだけでうんざりする。しかも図書館内にコピー機もおいてない。コピーしてきて机の上でやるならまだしも手書きの写しはつらい。当面はほっておいて適当に流しているときもしも気になる曲があったら調べに行く、ということにしよう。志ん朝の落語ででもあるなら買う気もあるからこんなことがあったとしても平気だがこんなものは買うはずもないから(最も買う可能性のないCDになる)困る。


 クルマの中にあった妻が送ってくれた「中国民楽」という2枚組を入れる。これはもちろんCDDBには対応していない。わかっている。自力でやった。左が写真。2枚組だが1枚で力尽きた(笑)。なにしろまともに出ない字が多い。「長城城」にはあと二文字続くのだがともに日本文字にはなかった。
「草原乃夜」や「渇望」のように共通語で簡単に打ち込めるものは楽だ。「夫妻 双葉双葉 把握 家庭」と入れ「夫妻双双把家庭」を作るぐらいもまだ苦労はすくない。

 余談ながら七十で私からワープロを習い、九十まで現役で使い続けた父は、どうにもこの「単語で変換したほうが字が早く探せる」というテクニックをマスターできなかった。たとえば「把握の把」が欲しいとき、一々丁寧に「ハ」の字の一覧から探すのである。これは面倒だ。「把握」という単語を出して握を消して使う、ということが最後まで出来なかった。一覧からこつこつ探していた父を思い出す。

 しかしもう楽器名の「古筝」の「筝」すらまともでは出ないから単漢字として探さねばならない。この手間暇はたいへんだ。「大海啊故郷(琵琶)」の表示されない字など探してくるだけでたいへんだった。
 しかしまあATOKで表示できてiTunesに記入できる漢字がなんで『ホームページビルダー』は表示できないのだろう。おっ、すると『ホームページビルダー』が「このままの保存形式では表示できない字を含んでいます。表示できる別の形式で保存しますか」と尋いてきた。「はい」と応えてサイトで見ると「啊」の字が表示されていた。いまこうして『ホームページビルダー』で制作している私の状態ではこの字は表示されていないのである。がスペイスとしては主張している。透明人間状態である。なにはともあれサイトで表示されるならこれに越したことはない。
 いくら探してもない字もあった。半端になった。2枚目をやる気は、いまのところ、ない。というかこういうCD、まだ10枚ぐらいある。考えただけで頭が痛くなる。CDDBは便利だ。それに惹かれてのiTunesなのだから。


 左の一枚の写真は一発で出たテレサ・テンのもの。よく出たなあと感心する。昆明で買ったものだ。こういうふうに瞬時で出てくれるのと、この一覧を単漢字で探しつつ作るのでは快適度が雲泥の差である。
 これらの中には日本の歌もいくつかある。それが流れてきたとき、この曲名の横っちょに「北国の春」とか「昴」とか日本語の曲名を入れてゆくのは楽しみである。先日は「我不再迷網」の横に「You light up my life」と入れた。
 いまこのCDを調べてみたら「涙的小雨」が「長崎は今日も雨だった」「幾時再回頭」が「逢わずに愛して」、「再来一杯」が「二人でお酒を」、「山茶花」が「道連れ」だった。「山茶花」がふたつ並んでいるがひとつは中国の歌、もうひとつが「道連れ」のあちらでの題になる。

 日本の歌に日本語の題名を記入するのが楽しみだと書いておいて矛盾だが、テレサの歌う日本の歌があまり好きではない。見知らぬ中国の歌がいいし、もっと英語のスタンダードナンバーを歌って欲しいと願う。いやもう歌えない。どこかにある音源を探してテレサコレクションは続く。

 テレサの音楽をどこに分類するのかと迷っていた。日本語の範疇か、いや日本語のテレサの歌は一切入れてないのでそれとは違う。中国語の歌のカテゴリーはないがそこにも入れたくない。するとiTunesにデフォルトでWorldというのがあると気づいた。いいではないか。テレサこそWorldにふさわしい。ということで私のiTunesでテレサはWorldに分類されている。

 さあてきょうは何を入れようかな。

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 3/7(月)の iTunes話──クラシック音楽家の名前 大幅に手直し。
 チャイコフスキーをタイで買ったCDに表記されていたようにTchaikovskyと書いて奇妙な綴りだと感想を書いたら、ThaicovskyChaicovskiiといろいろ出てきたからだ。なんだかよくわからん。正解はないのだろう。主流の表記はあろうが。
3/10
 達人の魅力
 きょうは別ジャンルから挑戦しているものを借りてきた。1枚はジャズトランペッターのWynton Marsalisがクラシックに挑んでいるもの。ハイドンやモーツァルトの作品を吹いている。
 それを聴きつつ書こうと思ったらあるべき場所に見あたらない。JazzファイルのWyntonを探しても出てこない。Classicなのかとそちらを探してもない。どういうことだとファイルを入れた日附で探したら、なんてこった、CD内の表示がWintonになっていた。見つからないはずだ。Sonyの正規のCDである。ケアレスミスか。でもCD表面の印刷ではWyntonになっている。となるとデータ整理で打ち込んだ人のミスか。SONYには責任はないのか、CDDBを作っている人のミスになる。こんなこともあるんだからタイ人のミスを責めたりは出来ない。この場合も正解は藪の中だがどこでもWyntonだからこれはCDDBのミスと決めつけていいのだろう。

 日本ではマルサリスと表記される彼も当然ながら英語での発音はマーサリィぐらいのようだ。とJazz雑誌で読んだ覚えがある。Jazz界きってのテクニシャンである彼がClassicに挑んだものは以前にもあり私も2枚持っている。よってこれも珍しいものではないが、それでもバロック音楽を完璧に演じている彼を聴くと、音楽家はいいなあとうっとりする。天才である。
 世のJazzファンにはけっこうマルサリス嫌いが多い。要するにあまりに優等生であまりにテクニシャンで、ということになる。いわゆるどろどろの情念で語りたい人にはそういうものなのだろう。落語の圓生嫌いに通じるか。私は大好きである。Jazzをブルースからの流れやサッチモのような無学の天才で語りたい気持ちはわかるが、現在シーンを支えている人たちはみな音大を酒席で卒業、こりゃいかん、主席で卒業、こりゃ金正日、首席で卒業というタイプが多い。やたらむかしを礼賛して無い物ねだりをしてもしょうがない。

 この辺の漢字変換はふざけているわけではない。普段私が首席よりも酒席、主席を頻繁に使っているので連文節変換をするとその順で出てくるのである。私はかなり早打ちのせっかちなのですぐに確定のエンターキーを押してしまう。よって上記のように何度も書き直すことになる。これを逆手にとって「IMEの変換から推測するプロファイリングごっこ」なんて遊びも出来そうだ。私の場合は、学校の勉強よりも酒や北朝鮮に興味があると読まれてしまう。

 マルサリスへの情念不足という不満よりこの人の能力をすなおに評価したいと私は思う。
 JazzミュージシャンがClassicを演じたものはいいものがおおい。ピアノ系ではみなバロックをやる。あれはバロック好きの私にはたまらない。田舎の図書館にしてはよいものがおいてあったと褒めてやろう。

 もう1枚はこれとは逆。Classic演奏家がポップスへ朝鮮。いや挑戦。オーボエ奏者の宮本文昭の作品。オーボエというのは難しい楽器で音域も狭く地味な存在なのに、こんなに自由闊達に吹きまくっているので感激した。真の達人は努力を見せない。軽々とこなしている。世の中にはこれを聴いて「わたしもオーボエをやってみよう」なんて勘違いする人がいるのではないか。日本オーボエ協会というのがあると初めて知ったが、この人の存在は希望の星だろう。
 CDDBでのジャンルが「Unclassifiable」になっていて、分別不可能ぐらいの意味かと思いつつ念のために辞書を引いたら「なんだか分からない。考えもつかない」とあったので笑った。たしかになあ、Classicとは違うし、あまりにすばらしいのでEasy Listeningでは失礼だし、かといって彼だけこんな特別のジャンルにおいておくわけにも行かないし、どうしよう。いまバッハの「G線上のアリア」をボサノヴァ風味でやっているのが流れている。うっとりするぐらい、いい。アレンジがすばらしい。
 どういう人なのだろうと調べたら、日本の音楽高校からドイツの音大に進み首席で卒業したかただとわかる。小林靖宏(coba)と同じ経歴路線になる。あちらはイタリアだが。年齢はcobaがchikurinさんと同じ(=皇太子殿下と御同齢)なのに対し、私と同じ(=三宅祐治、小柳ルミ子)なので年上。東京音大の教授であるとか。
 それとNHKの朝の連ドラのテーマを担当したとかでいまコンサートはとても人気があるらしい。cobaもけっきょくは「おしゃれカンケイ」だったし、テレビの力は大きい。Queenだってなんで今頃自分たちのアルバムが日本で百万枚も売れるんだと驚いたことだろう。

 もう1枚、Julian Breamのギターアルバム。え~となんだっけタイトルは、「Guitarra──The Guitar in Spain」か。スパニッシュギターの音色が情熱的だ。音量を上げると目の前で弾いているような気分になる。迫力満点。このごろのギターアルバムには使用ギターが書いてある。親切な世の中になった。これってりっぱなステレオで聴いたらすごい迫力のはずである。この迫力は日本人には出せないものだろう。血が熱い気がする。
3/10
SRVとクラプトン

 SRVは太いゲージを使っているらしい。ぼくがSRVがテキサスの荒野を突っ走るキャデラックでチャーが日本の市街を走るカローラと感じた基本はそのゲージにあるのかもしれない。ところでこの譬喩、なにもこれはキャデラックを称えているのではない。ぼくはカローラのほうが好きだったりする。テキサスの荒野よりきれいに舗装された道路のほうがいい。チャーの音楽はよく知らないが一概にこういう比較が単純な礼賛や否定なわけでもない。
 なるほど、たしかに太い音だ。SRVに関しておもしろいのは彼がアルバート・キングが好きだってことだ。これまたぼくは彼がフライングVを弾いている映像は見ていないのだけれど。彼のメインはストラトだがフライングVを弾いてる映像もあるんだろうな。似合いそうだ。彼は生きているとぼくより三つぐらい上か。生きていたらなにをやっていただろう。どうもジミヘンと同じでこの人も「生きていたら」の假定が出来ない。

 クラプトンがSRVのあとにはステージに出たがらなかったってまことしやかな噂はどこまで信じられるだろう。SRVファンはそれをあまりに彼がうますぎたからクラプトンがびびったと採っているようだ。SRVが寝るときもギターを抱いていて二十四時間ギターを離さなかったというのは事実らしい。天才であるが努力家でもあったのだろう。だが。
 クラプトンが「Slow Hand」なるアルバムを出したときは一種の居直りとかおふざけのように解釈された。大きな手でチョーキングを多用するクラプトンの演奏は、速いパッセージを弾いても手がゆっくり動いていて巧そうには見えない。「遅い手」という愛称は「なのにこんなにすばらしい」という賞賛でもあったが、素人目には派手さなのない鈍くさいものに見えてもいたろう。
 だがクラプトンは自分がSRVより劣るギタリストとは思っていなかったはずだ。事実劣ってもいない。あれだけ巧いのにロバート・ジョンソンに関しては「どうして弾いているのか想像もつかない。誰もあの人の真似は出来ないよ」と謙虚だし、なにより彼には白人には稀なブルース・フィーリングがある。歌にもギターにも味わいがある。もしもクラプトンが本当にSRVの次に出るのはイヤだと言ったとしたら、それは熱心なSRVファンが勝ち誇ったように言うSRVのほうが遙かに巧いから、ではなく、自分のことを理解できない素人ファンが多いから、ではなかったか。たとえば三平のあとに圓生が出るのをいやがったようなものではないか。最多演目を誇った圓生のようになんでも出来るSRVをワンパターンの三平にたとえたら失礼だが、ニュアンス的には舞台を走り回り歌って踊って大騒ぎの三平のあとにでる圓生の気分、というのはそれほど見当違いでもあるまい。

 と、SRVのことを語ろうとしてなぜかクラプトンをもちあげるようになってしまったが、しかしまあ今聴いていてもなんでも出来るんだなSRVは。スーパーギタリストだ。とするとSRVは圓生でクラプトンは文楽になるのか。
 それにしてもヴェンチャーズの「パイプライン」をやってくれたのはありがたい。往年のヴェンチャーズファンでこれを知っている人はどれぐらいいるのだろう。天才ギタリストによってあらたな息吹を吹き込まれたこれには皆のけぞるだろう。知らない人に教えてやりたい。これはSRVにしか出来なかった仕事だ。と考えると、たとえばエドワード・ヴァンヘイレンの弾くヴェンチャーズナンバーなんてのも聴いてみたくなる。でも彼にはそういう遊び心はないんだろうな。
 水戸の<TSUTAYA>で何枚借りられるかだ。バンコクに行って違法CDを何百枚も買いたくなってきた。


 一線を引く

 もう隣町の図書館から借りてくるものはほとんどない。それでもHDDに音楽を入れたい。とうとうきょうはCharlie Mingusを借りてきてしまった。3枚。前からあるのは知っていた。好みではないので借りなかった。人種差別に反発していた彼の音楽には強い意志と怒りが込められている。それは音楽に楽しいものだけを求めているぼくとはコンセプトが違っている。ベートーヴェンと同じく腑抜けなぼくにはすこしばかり重く苦手な人になる。写真は彼の代表作「直立猿人」。Pithecanthropus Erectus。
 HDDに入れ、CDをコピーして聴いたが、感想は同じだ。それはもうジャズを聴き始めあれこれ勉強した二十年前に結論の出ていたことだった。音楽を収集するという本末転倒した目的のためにそんなものを借りてきてはいけない。彼にも失礼だ。苦い想いをした。気をつけよう。
3/11
 MP音楽花盛り──iTunes効果 

 iPodブームに牽引され、最近のパソコン雑誌はその種の話題がないものはないというぐらい花盛りである。iPodというヒット商品の話題にとどまらず、音楽を聴く環境すら変えようとしている。
 今号の「PC JAPAN」はMP音楽によるステレオ環境のような特集をしていた。なんでもWindowsのMedia PlayerがVersion10からMP3に対応したのだとか。私はまだVersion9なので知らなかった。まあ入れても使わないが。それでも本で見る限りだいぶ見た目がかっこよくなっている。iTunesと遜色ないほどだ。そのMedia PlayerとiTunesを並べて使いかた、使い心地を比較し、これからはもうCDをかける時代ではなくMPによる音楽環境だという特集である。
 私も音楽を聴く環境としてはそれがもう最善であると結論している。とりわけ音質にこだわるわけでもなければCDやMDに固執するのでなければ、すなおに便利なモノが良い。ベストはiPod(=HDD型音楽プレイヤ)をスピーカに繋いでの再生だろう。その環境が私はまだ整っていない。というか整ったとしても、私はパソコンを音楽再生の中心にしたいと考えている。電源はサーバー風に入れっぱなしとなる。いまそれをしていないのは自作四号がそこそこうるさいタイプだからだ。水冷のタワーにしてファンなし静音マシンにしたらそれが実現する。あとはもうちょっといいスピーカーか。Edirollがいいのを出していた。とはいえ3万円も出せば充分。

 iTunesをそこそこ使いこなせるようになってきてあたらしい発見があった。Media Jukeboxの見直しである。かつてアトランダム再生に使用していてその能力はそれなりに知っているつもりだったが、英語ソフトであり使いこなせなかった。それがiTunesを使うようになってあらためて使ってみると、一部ではiTunesよりも便利な機能もあったりすることに気づいた。それはiTunesをそれなりに使いこなせなければ知ることのない機能だったから、これまた私には「iTunes効果」とも呼ぶべきモノになる。
 ここのところずっと音楽のことを書いているが、それはあらたに手に入れたモノのことではない。今までずっとHDDに入っていたのにその価値に気づかなかっただけなのである。それをiTunesという再生ソフトを気に入ることにより発見したのだ。それがうれしくてたまらない。あたらしい世界を知ったのではない。元々の価値に気づいたのである。いわば自分ちにいた青い鳥だ。今まで気づかなかった自分に多少恥ずかしくもあるが。
 SRVの「Pipeline」だって、「Blues.1」という寄せ集めCDに入っていたのだから、バンコクで買ってから6年以上眠っていたことになる。iTunes様々である。これからも新鮮な発見は続くだろう。きっかけを作ってくれたmomoさんにあらためて感謝する次第である。

 momoさんがSRVの映像がネットで流通していると教えてくれた。chikurinさんがレーザーディスクで見たモノがDVDになってUPされたのだろう。れいのWinnyのようなものでDownloadするあれである。東京に戻ったら光通信にして私も早速挑んでみよう。
 きょうの音楽はBill Evans。これまた新発見があったが明日にしよう。
3/12
 「SuperTag Editor」導入──病膏肓にいる

 MP3のタグ情報を編輯するのに便利だというフリーソフト「SuperTag Editor」(以下STE)をDownloadする。さすがにこの有名ソフトは前々から知っていたが、まさかお世話になるとは思わなかった。編輯能力はiTunesでやるよりずっと速いはず、と読んだ。果たしてどうか。
 まだまだ使いこなせていないのでリッパなことは言えないが、なんともありがたいと思ったのは「読みとり専用」になっているファイルも、書き換えてよいかの問い合わせに「はい」と応えると書き換えてくれることだ。iTunesの場合は書き換えても反応がなく、どうしたのだろうと元ファイルを開けてみると「読みとり専用」になっていて、そのチェックを外してやり直さねばならなかった。いったい今まで何百回これをやってきたことか。そのストレスがなくなっただけでもありがたい。
 とはいえそれはきちんとCDからデータを入れている人には無関係だ。私の場合もそうしているものにはなんの問題もない。ただタイで買ってきたMP3てんこ盛りのCDが大量にあるから、そこからコピーするファイルが問題を起こす。9千曲あるうちの5千曲はそれになる。
「フォルダとの同期」という機能もありがたかった。このソフトで書き換えたタグ情報がHDDのファイルに反映されるのである。iTunesの場合はなにを書き換えてもあくまでもiTunes上の出来事であり元のファイルには影響しなかった。これはこれで正しいとも言えるが、せっかくiTunesであれこれと整理し細かなことを書き込んでも元のファイルは相変わらず雑然としたままというのも釈然としなかった。

 便利なこともあったが不便も生じた。最大の缺点は、対応していない文字があると読み込みも書き換えも止まってしまうことだ。その文字とは、まずタイ文字だが、これはかなり特殊だから仕方がないとあきらめてもいい。パソコン自体は各国語に対応するように設定してあり、Windows Media PlayerでもiTunesでも、タイ語もフランス語、スペイン語も表示されている。このソフトが対応しないことには不満だがそこまで贅沢も言えない。妥協する。私は今回「Music」フォルダでまとめていた中からタイ音楽だけ「Music-Thai」として独立フォルダにした。そうしないとこのソフトは使えないと言えるぐらいトラブルが起きる。まあタイ文字で表記される曲名を何百曲ももっているユーザもめったにいまいが。
 ここまでは妥協するがスペイン語やフランス語にも対応していず、iTunesが問題なく表記している文字がエラーになってしまうのにはまいった。読み込みが止まってしまうのである。英語アルファベットしか読めないようだ。さらには漢字も先日せっかく単漢字変換で苦労して入れた文字が読めずエラーになってしまう。Unicodeに対応していないということなのだろうがこれはちょっとひどい。
 開発が2001年のようだからそういう時代だったのかも、とも思うのだが、どうにもこの辺は納得できない。もしかして解決策があるかも知れないから作者のサイトをすこし熱心に読んでみよう。

 あとは、これはソフトとは関係ないが、パソコンが重くなるのにはまいった。そりゃ9千曲のタグ情報を書き換えようとするのだから負担は大きいだろう。あっという間にCPU使用率100パーセント状態になり、ほとんどフリーズである。この種の作業はいちばんCPUに負担をかける。こんなときDualCpuパソコンがあったらと思う。
 音楽ソフトを使っているときに思ったことだが、パソコンというのは、百小節のうちの49小節目をちょいと直しただけでも、そのたびに1小節目からチェックを始め49小節目でそれを直したあと、残りもまたぜんぶチェックして、というようなことをする。そのパカ正直さと融通が利かない点がパソコンの特徴なのだが、なんとかならんものかと思う。今回のそれも同じなのだろう。直すのは9千曲のうちの10曲でも9千曲全体をチェックするから重たい作業になるのだ。
 力のあるパソコンが欲しいと思った。

【附記】原因はUnicode
 このソフトには作者と、彼の許可をもらって改良版を出したかたの二人がいる。その改良版を作ったかたのサイトに行き、掲示板で過去ログを検索したら、「ドイツ語が表示されないのだがUnicodeの問題でしょうか」のような質問が相次いでいた。どなたの悩みも同じようだ。またここでも「iTunesとの連携がウンヌン」とiTunesの名が出ていた。当然か。
 結局このソフトはShift -JISを使うことを前提に作られているので無理のようである。残念だ。2000年当時に作ったソフトだと(開発はもっと前か)まだUnicodeの時代が来るとまでは読めなかったのだろう。

【附記・2】iTunesとは合わない(3/30)
 40ギガのファイル編集になるからかなんとも重くて話にならない。しかしそれは速いパソコンを買えば解決することだが、それよりもどうやらiTunesとは連動しないと知る。せっかくSTEで不要なコメント等をフリーズしたような長い時間をかけて一斉に削除してもiTunesに繁栄されないのだ。ファイルのタイプが違うと確認したから原因はそれなのだろう。あるいは技術があればそれは互換出来るものなのかも知れない。私の能力ではSTEはiTunesのファイルを読み込めないし逆もまたしかりだった。いずれにせよ力のあるパソコンを手にするまでSTEは封印することにした。
3/13
 逆もまた楽し──コルトレーン考 

 昨夜、音楽を適当に再生していたら甘ったるくて気持ちのいいサックスが流れてきた。これは誰なんだろうとファイルを確かめたらなんとコルトレーンだった。私の知っているコルトレーンは眉間に皺を寄せて常に新しいジャズの局面を切り開こうと懊悩し、どんどんどんどんジャズを難しくしていった人である。実際は眉間に皺を寄せるというより麻薬でもってよだれを垂らしつつイッチャッタ目線で吹きまくっていたらしいが(笑)それはともかく、何枚ももっている彼のアルバムはみなジャズ的には必聴の名盤なのであろうし、現状に甘んじない彼の意慾もわかったけれど、私には暗く小難しく感じられるものばかりだった。コルトレーン好きには暗い人と理窟屋が多いだろう。それが私の感想になる。
 こんなこともやっていたのかと意外に感じつつ聴いていたら、そういえばこの「こんなこと」に関する意見がどこかにあったはずと思い出した。眠っている記憶は衣服からはみ出している糸のようなもので引っ張ればいくらでも出てくる。へたに引っ張ると衣服がばらけてしまうときもあるが。

 探してやっと一冊見つけた。「Jazz──CDで聴く名盤・名演658」(岩浪洋三著)にあった。どうやらこれは「バラード」というタイトルで、コルトレーン作品としては日本で一番売れたものらしい。岩浪さんは「これは日本で一番売れたコルトレーンの作品だが」と記し、「ここに現れているのは彼の音楽のほんの一部にしか過ぎない」「この抒情小品集を彼のベストと考えるなら彼の音楽を真に理解しているとは言えない」と否定的な言辞を連発している。
 なるほどその通りかもしれない。そうでないかもしれない。でも658枚の中に取り上げてくれてよかった。そうでないと私は理解できなかった。その他の評論家は、こんなアルバムなどなかったかのごとく無視しているのである。だからふと所在ないときに身近に何十冊もあるこの種の本を手にすることはたびたびあるのだがこのアルバムについての文章はとんと見かけたことがなかったのである。それでもこういうアルバムがあると誰かの文で読んだという記憶はあり、こうして思い出したのだからまだまだ私の記憶力も捨てたもんではないと自画自賛(笑)。

 この日本では一番売れたコルトレーンのアルバムを岩浪さんが他の評論家のように一切無視したなら、私はいったいこれはなんなのだろうとかなり悩んだはずである。岩浪さんが限られたスペイスで限られた枚数を紹介する本の中でこれに触れてくれたことに感謝する。コルトレーンと同時代を生きていないから先達のひとことがないとわからないのである。
 そういう意味じゃ日本では一番売れたという事実があるアルバムなのに一斉に無視している他の評論家はある意味で間違っていると言える。たぶん「『バラード』? あんなもの駄作だよ。あんなのが売れてるんだからいかに日本人はコルトレーンがわかってないってことだ。おれには興味対象外だね」と無視したのだろう。彼がとどまることなく実験的に取り組んでいった作品は数多くそういう意味で称える気持ちは分かるが、かといって日本人が一番好んで売れたという実蹟があるこれを無視するのもどうかと思う。考えてみれば岩浪さんの本では「ジャイアント・ステップス」「ブルートレイン」という名作すら削っている。それらを削ってまでこの駄作と言われるアルバムを否定しつつも載せておいてくれたのだから私は感謝しきりである。

 ジャズミュージシャンは万人に好まれるスタンダードナンバーをストリングスと一緒に奏でる作品を作ったりする。それはそれでミュージシャンとして興味のある世界なのだろう。私はすなおに好きだからチャーリー・パーカークリフォード・ブラウンもwith stringsを持っている。一般にも好かれるからこういうのはジャズを知らない人にも買われたりする。ところがジャズ評論家というのはそれがお気に召さないらしく取り上げようとしない。いや取り上げようとしない気持ちもそこそこわかる。この辺複雑だ。だけど数が出たものは、否定的意見を述べようとも紹介するのが評論の筋であると思う。

 私のこのアルバムは秋葉原か上野駅構内で買った千円もしない安物であろう。曲目を比較してみると正規の「バラード」ではないようだ。いいかげんな再編集物か。でも何曲かはかぶっているし、なによりコルトレーンが甘ったるいムードミュージックのようなサックスを吹いている事実がある。そうして、言うまでもないことだが、なにをやっても名人なのだからうまいし、甘ったるいムードミュージックのような中にもハッキリと非凡なものは見せている。このアルバムを聴いて、ジャズのことなんかなにもわからないけどコルトレーン大好きという人がいたら、それはとてもよいことであろう。

 十数年前、クルマで走るとき、毎日毎日コルトレーンを聴いていた。聴かねばならない、コルトレーンをわからないとジャズをわかったことにはならない、そんな感じで購入したCDやレンタルヴィデオ屋から借りてダビングしたカセットテープをすり切れるほど聴いた。もしも十代からジャズを聴いていたとしてもコルトレーンを信奉した世代ではないし、まして遅れてきた三十代からのジャズファンである。だが彼がいかに大きな存在であったかは知っている。暗いジャズ喫茶の片隅で人生の懊悩を烟草でふかすときコルトレーンはなくてはならないものだった。それに追いつこうと、聴いててちっちも楽しくなかったが私はコルトレーンを聞き続けた。それはジャズがわかるようになってからすべて心に染み入るように理解できてきたのだからコルトレーンもわからないはずがないとの思いこみだった。彼のリーダーアルバム以外ではマイルスとの競演等でずいぶんと聴いている。独立しあたらしい道を突き進み始めた彼も理解できるものと信じていた。

 そうして自分なりにコルトレーンをわかったつもりでいる。結論は「好きではない」になる。この人はジャズ道の求道者として日々精進し、さらにはクスリの力も借りて、衆愚のたどり着けない奥地、高見にひとりで突き進んでいった人である。同じく求道者たらんと願っている人から見たら生き神様に等しいぐらい偉大な人だろう。だが気持ちいい音楽を聴きたいとだけ願っている凡人からすると、なんやらわからん世界にイッチャッテル人になる。というのが私の彼に対する結論だ。よってコルトレーンの音楽的業績と彼に追従するミュージシャンは認めるが、そうでもないのにやたら彼を賛美する人は最も嫌いな人種になってくる。その代表がジャズ評論家だ。
 私にとってもこのコルトレーン体験は大きかった。これ以後私は自分の感覚での好き嫌いに忠実になった。世間的にどんなに称えられているものであろうと一聴して「あ、オレ好みではないな」と判断したらたとえ物笑いになろうと(誰もしないけど)平然と距離を置けるようになった。

 クルマで走るとき、コルトレーンの音楽は気分の良い相棒にはなってくれなかった。でも深夜に聴いたこのバラードは、気分の良いひとときをくれた。思えば、そういうジャズ手引き書で名盤ばかり聴いてきたから彼のこんな作品は聴いていなかったのだった。こんな形の見直しもあっていい。

【附記】 絶賛するのもまた(笑)
 UPの際、素人レヴュウを読んだら平然と絶賛している人が大勢いた。「史上最高のバラード」「クリスマスには彼女とふたりで」……。なんだかジャズ評論家の肩を持ちたくなってきた(笑)。これだけであの苦悩の行者を判断してはならんぞ。
3/14
 CD発見!

 iTunesを使い始め、ネットで曲名、アーティスト名、制作年次が一瞬にして表示されるという快感を知って以来、CDを見つけてはMP3に変換してハードディスクに入れる作業に熱中した。猿のセンズリ状態だった。と、これって下品な表現だな。もうすこし同じ意味で上品な譬喩はないものか。
 そのころから「どこかにあまり聴かないCDを入れた箱があるはずだが」と気になっていた。2月11日に帰国した妻がまだいたころである。何度か軽く探したことはあったが見つからない。身近にあるお気に入りのCDにもまだ入れてないモノがあったし図書館から借りてきたClassicCDを毎日入れたりするのに忙しく探し出さねばならない必然性もなかった。それに農作物用のコンテナにびっしりと本を詰めて積み上げてあるからそれらの下段にあるとしたら上げ下ろしもたいへんである。そんなことで今この時期、持病のぎっくり腰にでもなったら泣くに泣けない。「軽く」探していたのはそういう理由による。

 きょうそれを発見するのだがそれはたまさかだった。ヴェランダの外側から回り内櫞側で眠るようになった野良の寝場所を確認しに行ったのだ。内櫞側には荷物が防壁のように積み上げてありいちばん奥──それは締め切った障子を挟んで私の作業しているパソコンデスクの真ん前なのだが──には外から回らないと行けなくなっていた。姿は見えなくても「ノラや」と呼びかけると返事をする。春とはいえまだ冷え込む深夜、部屋から廊下側に声をかけると返事があるのはうれしいものだ。その声から推測してどうやら私が用意してやった場所とは違うところに眠っているようなのだ。とするとへたしたら私の洋服が敷物になり泥と抜け毛にまみれている可能性がある。まあ大事なものはないからさほどの心配もないが。

 ヴェランダから回り内櫞側のいちばん奥の部分に行く。猫の寝場所を確認し、その辺をがそごさやっていたら、そこにあるコンテナにチラっとCDが見えた。重なっている衣服や本を取り除いて確認する。あった。こんなところに。そういう経緯での発見だった。これでもしも「CDの入っているコンテナを探す」という目的で物色したならかなり苦労した。見当違いの本の詰まっている重いコンテナを上げたり下げたり大騒ぎだったろう。楽で助かった。野良のお蔭だ。
 そこにはすっかり忘れていた冬着が山とあり、なんだか自分のバカさ加減を知らされたようでしばしあっけにとられた。それは別項で書くとして。
 出てきたのはコンテナ一箱に詰め込まれたCDだった。ざっと数えると一列に40枚が二列で80枚。それが二段で合計160枚というところだ。これらは私にとって二線級のモノになる。愛聴する一線級は身近に置いてあり、それらはもうハードディスクに入っている。だからとりわけこれらを入れたいと熱望したわけではなかったが、iTunesのお蔭で今まで気づかなかった近くにいる青い鳥を知ったから、これら二線級の中にもうっとりするような、あるいは目を見開くような名盤があるのではないかと期待する心が生まれたのである。えっちらおっちら重いコンテナを担いで部屋に運んできた。

 早速ネットに繋いでCDDBからデータを取得し10枚ほどインストールを始める。どう考えても上野や秋葉原で買った安物の寄せ集めであり正規のアルバムではないビリー・ジョエルのCDを一発で見つけてくれる。その便利さに感嘆しつつも首を傾げる。こういう不当な(?)寄せ集めCDのデータがどうしてあるのだろう。ということはCDというアルバム単位のデータベースではなく一曲一曲のデータベースなのであろうか。でもだったら「そのCDのデータはありません」と拒まれたことが納得できない著名なCDもあった。わかりましぇん。

 iTunesのパーティシャッフルで聴いていたらビリー・ジョエルの「Ween」が流れてきた。いいなあ。「ストレンジャー」や「ピアノマン」「オネスティ」は聞き飽きているので聴きたくない。だからKb Media Playerでビリー・ジョエルのフォルダを指定して再生することはなかった。だがパーティシャッフルだからなんの脈絡もなくこんな曲が流れてきたりする。新鮮だ。そういえばこの人も少しまえ離婚だか何度目かの結婚だかでスポーツ紙で見かけたがひどく醜いおっさんになっていたなあ。まあ若いころからシャブ中のシルベスタ・スタローンみたいな不健康そうな顔はしていたけれど。私がポール・マッカートニー、スティビー・ワンダーと並んで最大級に評価する現代のメロディメイカである。
 同じく入れた「Love Ballad '70th Lady」というこれまた安易な寄せ集めCDからブレンダ・リーの「この世の果てに──The End of the World」が流れてきた。ああ、いいなあ。これなんかiTunesで楽しみを知らなかったら引っ越しのとき捨ててたかも知れないCDだ。よかったよかった。

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 連続演奏一ヶ月

 iTunesの最下部にはプレイリストの総曲数とそれの演奏に要する時間が表示される。それは知っていたがたいして興味のあることでもないからよくは見なかった。そうしてきょう、演奏の合計時間が24時間を超えると表示が日数になるのだと知った。
 現在私のハードディスクに入っている曲は1万278曲。毎日倦きることなく入れていたのでこんなになってしまった。先ほど日本語の歌を全部削った。子供じゃあるまいし聴く気のない曲を数自慢で入れているのはみっともない。
 それらの演奏時間の合計が32.6日と出ている。このバソコンの電源を入れっぱなしにして連続演奏をさせると、丸一ヶ月以上異なる曲を演奏し続けるのだ。感激である。そういう数字的な事実が。

 この機能はMedia Jukeboxにもあるのではないかと調べたら、やっぱりあった。Durationという欄に825と表示されていた。これがそうなのだろう。825時間だ。この英語ソフトはどこもかしこもなじみのない英語だからそういう機能を持っていても訴えてくるものがなかった。デュレイションてのは中学生でも知っているような単語なのか。わしゃしらん。所要時間にこれを使えば便利なのか。How long time dose it takeで尋いちゃうからなあ。よし、憶えたぞDuration。
 丸々一ヶ月連続演奏はともかく、ジャンルを区切って調べてみた。するとクラシック音楽だけを集めたClassicalという項目に現在825曲があり、所要時間は2.6日と出ていた。
 先日図書館にいたら「読書の音楽」のようなクラシックCDを係の女が40分毎に取り替えていた。といっても3枚しかなかったが。う~む、その点うちは豪華ですよ。入れ替えなしで2.6日!
 これぐらいならチャレンジ(?)してもいいかもしれない。丸2.6日バソコンに向かい続け眠らずに845曲を聴ききるのである。ま、しないだろうけど(笑)。いろいろ楽しませてくれるソフトだ。

3/15
 SRV発見!

 目が覚めたらまずパソコンを起動しCDをMP3にエンコードしてハードディスクに入れる。黙々とやる。ビョーキである。楽しいかというとすこしも楽しくない。というのはCDを入れるとパソコンが重くなってしまい何も出来なくなるからだ。10数枚入れるのに1時間ぐらいかかる。その間はエンコードが終るたびにCDの出し入れをするだけで手持ちぶさたになる。こたつに寝ころんで本を読んだりしているがいったいおれはなにをしているのだろうと疑問に思う(笑)。思いつつ毎日なぜか憑かれたようにCD入れをしている。

 するとCDを入れているコンテナの中からなんとステーヴィ・レイ・ヴォーンが出てきたのである。いやはやたまげた。どういうことだろう。ここに入っているほとんどはM先輩からもらってきた業務用見本盤である。M先輩が仕事でまず使うまいというジャズ系のものをもらってくるのだ。そこになぜSRVがあったのだろう。「ブルースギタリスト」ということで適当に選んできたのか。憶えがない。発売は91年。相当前にもらってきたものだ。かなり汚れていた。

 彼の死の翌年、同じくギタリストである兄ジミー・ヴォーン──彼はこの兄にあこがれてギターを始めたのだが──によって編まれたスタジオテイクの未発表曲集である。追悼盤になる。タイトルは「The Sky is Crying」
 そのうち<TSUTAYA>からあるだけ借りてこようと思っていたからその前にこういう形で手に入ったのはなんともうれしい。あらためて感じ入ったのはライナーノートの便利さだった。
 まずは勘違いの訂正。ぼくは彼を自分よりふたつみっつ年上と思っていたがそうではなくふたつ年下だった。勘違いした原因はわかっている。彼が死んだ年齢を三十五と記憶していた。これは正しい。ところがあの亡くなるときのヘリコプター事故をなぜか85年と思いこんでいた。正しくは90年。よってすこし年上と思っていたのがすこし年下になった。

 こういうのもライナーノートのありがたさだが、このアルバムには彼の年譜が附いており「Pipeline」についてわかったことが最大の収穫だった。
 87年にグラミー賞ベスト・ロックインストゥルメンタル賞にノミネートされたという。ノミネートとだけあるから受賞はしなかったのだろう。それが《サントラ「バック・トゥ・ザ・ビーチ」より「パイプライン」》とあるのだ。早速この映画を調べたのだがぼくの手持ちの資料だと日本未公開になっている。ネットで調べてもディカプリオの「ザ・ビーチ」とスピルバーグの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」がごちゃまぜになって表記されるぐらいで一向に要領を得ない。数少ないらしきものから推測するに、どうやら日本未公開のサーフィン映画、というか記録物のようだ。そこにかぶせる音楽ならSRVの「Pipeline」とはつじつまが合っている。そういうことだったのか。
 残念だったのは天才的ギター弾きでありギターに関することならなんでもかんでもやってみたい彼がヴェンチャーズ作品にも興味を持っていて取り上げたと思いこんでいた、思いこみたかったのだが、そうではなく業務的なアクセスがあってこなした純粋な仕事だったということである。まあヴェンチャーズが人気だったのは日本だけでありアメリカじゃ無名だったからブルース大好きのテキサスの少年にそこまで望むのは無理か。むしろこの注文により彼がこれを遺してくれたことに感謝すべきなのかも知れない。

 もうひとつ年譜からの発見は、亡くなる年の90年にボブ・ディランの「Under the red sky」に請われて参加していたということである。このアルバムはタイで買ったMP3CDで持っていたが聴いていなかった。たまにディランを聴くことはあるがどうしても自分の好きなアルバムの好きな曲を選んで聴く。なかなかあたらしいものに興味を持てない。彼がギタリストとして参加しているならとすぐに探して聴き始めた。
 ディランのセンスのよさで思い出すのは「スロートレイン・カミング」でマーク・ノップラーを起用したことだ。ダイアーストレイツもディランを尊敬していたとかで実にいい仕上がりのアルバムとなった。見事に1+1が3になっている。ダイアーストレイツの歌詞はかなり小難しく彼らがディランを慕っているのには納得だったものだ。(と書くと「悲しきサルタン」が聴きたくなる。さがせばテープであるがハードディスクには入っていないのだった。ダイアーストレイツは何枚か入れておく必要があるな。)
 SRVが亡くなる年によくぞ彼に声をかけて作っておいてくれたとディランに感謝した。

 SRVはジャズにも興味を持っていてジャズアルバムを作りたかったという。自信もあったらしい。ここにはケニー・バレルの「チトリン・コン・カルネ」が入っている。うまい。なんでもできちゃうんだな。ブルース風味が強いからオクターブ奏法をやってもリー・リトナーのような音楽学校の優等生とはまた違って味わい深い。野生の味(?)がする。彼のジャズアルバムを聴きたかった。そうか、三十五で死んでしまった彼のその後を想像できないと書いたが、彼はこっち方面への進出をしたに違いない。すると音楽学校を首席卒業の連中が席巻しているジャズギター界にあたらしい流れを作ったことだろう。早すぎる彼の死を、やるだけやって死んだんだからいいじゃないか、こんなにたくさんのものを遺してくれたじゃないかと肯定的に考えるようにしていたがこのことを考えたら急にまだまだだった、もったいなかった、もっともっと生きててくれなければだめじゃないかと思い始めた。

 圧巻はインストの「リトル・ウイング」6分50秒。ジミヘンのフレーズを叮嚀になぞり、あの間奏に入る高音のところでは背筋が総毛立った。この曲を歌なしで聴かせてしまうというのも凄い話だ。
 ドラマーのクリス・レイトンが自分たちの場合はほとんどがライヴだったとすこし不満げに口にしている。レコードになるのだからSRVだってサイドギターを取り直したい作品も多かったことだろうと。それはそうだろけどほとんどの作品が一発勝負のライヴだからこそSRVの凄味が光るとも言える。この抜群の完成度の「リトル・ウイング」がライヴで大歓声が入っていたならジミヘンが戻ってきたようで涙なしには聴けまい。兄のジミー・ヴォーンはこの「リトル・ウイング」をヘッドフォンの大容量で聴いてくれと言っている。SRVのすべてとアンプの焦げる音まで伝わるはずだと。
 この出来の良いスタジオ録音盤を聴いていたらライヴが聴きたくなった。やっぱりSRVはライヴ、でいいのだと思う。

 入れてすぐに削除

 正しくはCDを聴いて気に入った物だけを入れるべきである。しかし子供のようにどんどん入れて曲数が増えるのを楽しんでいるようなところもあるからまずは入れてしまう。そうしてパーティシャッフル(=ごちゃまぜ再生)で思わぬ名曲に出会うことを楽しんでいるわけだが、当然ハズレもある。
 きょうはGary Thomasを入れたがすぐに削除した。渋いJazzを期待して入れた。かつてはそうだったはずだ。でもこのアルバムでは電気サウンドにRapのような歌を絡ませていた。あたらしい試みなのであろうとは理解しても、どう考えてもこれを楽しみに聴くことはないだろうと判断し、削除した。入れたその日の削除である。
 クラシックのほうでも歌劇系のものはうるさくてダメである。流れてくると、削除する。入れるのもそうだがもっと消す方にも真剣にならないと。いやそれをいうなら「何を入れるかに真剣にならないと」か。まだまだ玉石混淆である。
 「今は石に感じるがのちのち玉と理解できるモノもあるかも」が、そうもあるとは思えない。玉と理解できるモノは理解できないときでもなにかしら感じるものがある。その意味ではJ-PopやRapを削除していることに迷いはない。
3/16
 思わぬひろいもの

 二線級を入れてあるコンテナから10枚ほどを入れる。
 いま隣町の図書館が一週間ほど室内整理とかで休館中である。もう借りるものはフルート協奏曲の数枚ぐらいしかないが通うことが習慣になっていたのでこのコンテナが見つからなかったら手持ちぶさたでさみしいところだった。
 きょう見つけて入れたものに「Dr.K」なるものがあった。それでいてどうやら徳武弘文という日本人のものらしい。入れてすぐに削除かと案じつつ聴いたら意外な掘り出し物だった。Dr.Kとはドクターケー=トクタケからの遊びなのだろう。ひとり多重録音のインストゥルメンタルである。「Route 66」と曲名があり「Fender 63's Telecaster.Ovation Acoustic Guetar.Casio Guitar Shynthesizer」と使用楽器が書いてあるのがいい。ヴェンチャーズみたいなことをひとりで演っている。オールデイズごっこだ。発見のネタはつきない。

 Media Jukeboxのアトランダム再生で聴いている。これのiTunesにない機能として連続再生する曲のフェイドイン、フェイドアウトがある。前の曲のフェイドアウトにかぶさって次の曲がフェイドインしてくる。音楽を流しっぱなしの外国のラジオを聴いているようで楽しい。
3/17
マークを作る
 きょうiTunesのマークを作った。
 この音符マークはありふれた一般素材ではなくiTunesオリジナルである。前々から欲しかったのだがうまく切り取れなかった。ほどよい大きさのものがなかった。Version情報のところに大きいこれがあると知りこれさいわいと切り取って縮小した。欲しくて探していたものだからうれしい。本当はそれだけでいいのだろうがこれを見てiTunesと解る人ばかりではない。蛇足ながら文字を添えた。iTunes話もあと何回書くことやら。熱しやすく冷めやすいので燃えているときにやるだけのことをやっておこう。
 バソコン雑誌は相も変わらず出るもの出るものみなiPod的な話題(HDD音楽ブレイヤ)特集である。たいへんなブームのようだ。ウォークマンの登場を第一次革命とするならこれはそれに匹敵する第二次革命だからさもありなんである。
3/21
 地道な整理の微少な効果

 七面倒臭い作業だが毎日すこしずつ音楽ファイル名の整理をしている。
 クラシックのPrelude、前奏曲は作曲家別に入っている。Preludeで呼び出すと、Bach.Chopin,Debussy,Rachmaninoff,Wagnerと作曲家のアルファベット順に整列する。そうではなく曲名のPreludeだけにしたい。よって「Bach Greatest Hits 02-Prelude in C majar from the Well-temp」なんて曲名から前半の「Bach Greatest Hits 02-」の部分を削除する。作曲者はそのあとの作曲者の項目に整理されているから二重になっているここを取りたいのだ。そのことによってPreludeだけの曲名がずらりと並ぶようになる。無性にうれしい。

 しかしこれはわずらわしい作業である。10曲もやると飽きてしまう。なにしろBob DylanとかRind Ronstadtなんて十数枚のアルバムだから百曲以上である。それらの曲の頭に全部彼らの名が附いている。それを一曲一曲削除するのだから一覧を見ただけでうんざりする。
 それにどうしてもこういう地道な作業をしていると内面から「限られた人生という時間の中で、おれはなんつうくだらんことをやっているんだ」との問いかけが始まるのだ。人生の時間は限られているがかといって何が有効で意義あるかは決まっていない。音楽を気持ちよく聴くために好きでやっているのだからいいではないかと思うのだが絶えずそんな問いかけが自分の中からあってたまらない。

 高島俊男さんが図書整理について書いていたことがある。林望さんが留学していた英国の大学図書館(オックスフォード?)のそれをやってのけているのだとか。高島さんも仕事かアルバイトかで東大のそれをやったことがあるそうで、それがいかに地道な神経を使う作業か、そしてまた労苦の割に評価されない作業かを書いていた。後に林さんはその功績でなにか賞をもらっていた。林さんのやり遂げた量は高島さんからすると信じがたいものであったらしい。こういうのもそれを利用する後の学究の徒からは感謝されるとしても、やっているときはたまらんものだろう。いやそれに喜びを見いだす人だから出来ることなのか。私なんか自分のための作業なのにほんの数十曲やっただけでおれはいったいなにをやっているんだと自問自答している。根気がない。やらねばならないものは1万余曲入っている内の千曲程度なのだ。10時間ぶっつづけでやる根気があれば二日で終わる。でもまあ無理せず半年がかりぐらいでのんびりやろう。

 しかしこの「Mozart Greatest Hits」のようなタイトルを見ると複雑になる。それらは時空を超えて今に伝わる真の偉大な名曲なのだが彼らは印税という恩恵を受けることなく貧乏だった。仕事もなく失意のうちに死んだりしている。あの天才たちがだ。後世に遺る名声を得たからいいではないかと言えそうだが、今時の歌手がろくでもない歌曲で大金を得ているのを見るとその矛盾を思う。もちろんそれは当時の音楽が好事家の王侯貴族によって保護される特殊なものであり(教会音楽という宗教のものでもあった)庶民のものではなかったのだから仕方がない。なにより大衆が楽しむための再生機械がまだなかった。
 相撲や将棋も時の権力者に保護されるそんなものでしかなかったし、そういう意味ではこういう趣味思考を理想的な形で楽しめる今は良い時代である。

 地道な作業の結果、たとえば大好きな「All of me」が曲名で勢揃いすると気分がいい。今のところ私のHDDには8曲入っているようだ。ヴォーカルはもうかの有名なDinah Wasihngtonが出色で、というか私は彼女のこれを聴いてこの曲に惚れ込んだのでこれさえあればいいのだが、演奏ものはこれからももっと揃えたい。いまレスター・ヤングが流れているがスタン・ゲッツのものといいドラムソロが入るのが気になる。

 この曲をフィーチャーしたスティーブ・マーチンの映画「All of me」も懐かしい。いかにもあちらでは評価されるが日本では受けないタイプの器用貧乏役者であった彼は、それでも時代の変化で日本でもブレイクするのではと言われたが結局は一部のマニアックなファンしか獲得できなかった。日本の彼のファンはそれを悔しがりつつも喜んでいるだろう。「サボテンブラザース」「愛しのロクサーヌ」「大災難」とか思い出す。あのころは毎日のようにこういうタイプのコメディを借りて見ていた。85年前後。
 ヴィデオになっている彼の出演作は全作見ている。でもその全作見たからもう七八年経っているから見ていないのもけっこうたまっているだろう。そのうちチェックしよう。

 弘兼憲史の「課長 島耕作」は初期のころ、Jazzのスタンダードナンバーをタイトルにしていた。「All of me」はどんな回だったか。「On the Sunnyside of the street」や「You don't know what love is」の回はよく憶えている。課長も今や常務だ。時は流れている。
 On the Sunnysideと言えばヴォーカルではサッチモがいちばん好きなのだがひさしぶりに聴こうと思ったら入ってない。どういうことだろう。カセットでしかもっていないってことか。なんとかしないと。もっているのを忘れていたオスカーのピアノヴァージョンが流れてきてうっとりする。意外なものがあるかと思うとあるはずのものがない。満足できるまで先は長い。
 さてまたちびちびファイル整理をするか。
3/22
 リンダの「We Will Rock You」発見!

 きのうからきょうにかけてリンダ・ロンシュタッドのファイル整理をちびちびやっていた。ファイル名としてLINDA RONSTADTと大文字で全曲の頭に附いていて、そのあとに01-××と曲名がある。それを曲名だけにする作業だ。名前の末尾のDのあとにもうひとつTがあるのがいかにもドイツ系の名前らしい。
 パソコンに向かう作業の合間を縫ってすこしずつ勧める。10曲。すこしがんばって20曲と。

 そうしてきょうの午後、完成した。160曲。トラック番号である01とか02が取れると曲名がアルファベット順に並ぶ。ベストアルバムあたりからだいぶ曲が重複していたようでそれらを削除すると135曲まで減った。
 アルファベット順に並んだ曲を作業の成果としていい気分で眺めていたら「We Will Rock You」と見えた。有名なQueenの曲である。私としてはK-1のアンディ・フグの入場テーマ曲としてのほうが印象深い。実際あの曲を「闘いに赴く男の勇気を鼓舞する歌」として定着させたのはアンディだろう。だからK-1に興味のないロックファンとアンディであの曲を覚えた人では曲に対するイメイジがまったく違うように思う。私はQueen世代だが気持ち的には後者になる。
 とは思うものの英語であるからして同名異曲は山とある。それは1万曲並んだリストを見てよくわかっている。ほんとにこれってQueenのあれなのか。時間は1分50秒と短い。オリジナルも短いか。

 余談ながら曲一覧を見ていると英語というのは主語がハッキリしているなと今更ながら感じる。「I」で始まる歌が勢揃いしている。日本語だと「そう思う」も、英語だと必ず「I think so」と主語の自分がある。「あいしてる」も動詞のLoveだけでは成立しない。「私は」と「あなたを」があって初めてことばになっている。ここから生まれる文化には違いがあるだろう。文化というおおきなもの以前に、こういう言語の中で育った人とあいまいな日本語の中で育った人では性格に差が出る。極めて日本的であいまいな性格の私はこういう文化の中で育ってみたかったと思う。そうなると自分はどう変ったろう。

 クリックしてみると、なんとアカペラの「We Will」が流れてきた。リンダがこんなことをしているとは露知らなんだ。掘り出し物である。こんなことがあるから音楽整理は楽しい。

 今夜はエリック・クラプトンの整理を始めた。135曲ある。これは曲の頭のトラック番号を取るだけだ。いまのところその135曲はトラック番号で並んでいる。これをとるとアルファベット順で並ぶ。すでに何度も聞いているしリンダのような発見はあるまいと思うがオリジナルやライヴ等のヴァージョンが並んで聞き比べたり出来る。これまた楽しみである。

【附記】
 慣れてきたからかテレビを横目で見つつやっていたら存外簡単に終ってしまった。トラック番号があったのは半分ほどだったからか。
 浮き浮きしつつ一覧を見る。そうして発見したのは予想外の喜びではなく苦笑だった。重複曲が掲示される。それはいい。だけど「The Cream of Clapton」というアルバムになんで「Cocaine」や「Wonderful tonight」「Lay down Sally」が入ってるんだ。選曲がめちゃくちゃである。時代を無視している。こりゃひどい。タイで買った寄せ集めMP-CDだがこの責任はどこにあるのだろう。タイのこれを作ったあんちゃんだよね? まさかこんないい加減な選曲のアルバムは世に出ていないだろう。これを手にして「クリーム時代のクラプトンはこんな歌を歌っていたのか」と思う人もいまい。と思うが……。
3/24
 ジャズ・ヴォーカルを分離

 仕事中に歌が流れてくるとじゃまだ。再生をパーティシャッフルにしてパソコンに任せ望外の発見をすることも楽しいが、熱中したいときにその場にふさわしくない歌が流れてきて作業を中断させられるのも不快である。たとえば Manhattan Transferのような芸術的なハーモニーも聴きたくないときに流れてくるとわずらわしく神経はささくれ立つだけである。思えばJazzという一分野に2800曲をまとめておくこと自体無理があった。

 先日入手したMP3タグ編集ソフト「SuperTag Editor」では、音楽のジャンル分けの項目がなんと148もあった。言われてみれば半分ぐらいは私にも理解できる。しかしRockをClassical Rock、Metal、Euro、Latin、Acidと細かく細かく分けてゆくことになんの意味があろう。まあそれ以前に私が聴こうとしているのはすべてClassical Rockだと思うが。
 とりあえずここはRockひとつにまとめた。これもまたRockとPopsの大まかな分類だけでは整理がつかなくなるのでもうひとつぐらい分離するかも知れない。それでも精密に分類する気はない。それこそ大切な時間が無駄になる。

 Jazzから歌ものだけを選んでJazz Vocalの項目を作った。今のところ700曲ほどがそれに相当し移動している。これもBillie Holiday、Ella Fitzgerald、Sarah Vaughan、Dinah Washingtonのように解っている人は一気に移動できて簡単だが、知らないCDをどんどん入れているし、人名だけでは器楽曲なのか歌ものなのか判らない人も多い。またタイで買ってきて入れたものには「Jazz on Cinema」「Smooth Jazz」なんてのが数多くあり、これは一曲一曲チェックしていかないと演奏か歌かはもちろん演奏者すらわからない。また200曲ほどあるDuke Ellingtonも、これもアーティストとして彼の名が表示されていて演奏と指揮はしているのだが、中身は女性歌手の歌だったりする。聴いてみないとわからない。
 Jazzフォルダが器楽曲だけになったと安心して再生していると突如好みとは違う歌が流れてきて慌てる(?)ことが多い。べつに慌てなくてもいいのだが(笑)。完成までにはまだすこし時間がかかる。
 先ほどは大嫌いなフリージャズの音が流れてきてアルバム丸々一枚削除した。ついこのあいだ、コンテナで見つけて入れたものである。M先輩の事務所から気に入りそうなのを適当に選んでもらってくるからたまにはこんなこともある。
 一時10800までふくらんだ曲数はいま9700まで減った。7千曲ほど入れてあり、「1万曲への遠い道」なんて書いていたのにあっという間にこの数字だからいかに毎日しこしことこの曲入れ作業をやっていたかがわかる。
 減少理由の大半は重複曲の削除だ。これからも曲は減るだろう。そういえばここ一週間、あらたな曲入れをやっていない。さすがに飽きてきたか。いやHDD内を気持ちよいものにする整理の方が大事で無前提に入れることより優先させているからだ。

 しかしこういうのはやれはやるほど壊れたときのことを思って不安になる。アナログだと形になって残るが、デジタルのこういう整理は何百時間と費やして気に入ったりリストを作ったとしても、一瞬の操作ミス、あるいはハードのクラッシュで、すべてが消える。それまでの努力が無になる。まったくの無になる。いつもその影に脅えつつ作業している。もちろんコピーを取ったりしているがそれとはまた別である。デジタルに対する過度の期待と不安が伴走しているのだ。

 でも音楽はまだいい。所詮市販のものだ。金さえあればまた揃えられる。問題は私的なものである。
 デジカメのみに頼らず大事なものは銀塩写真にも撮っておこうと心がけている。一昨年実現した私にとって宝物の「父にお酌をする妻」の写真は、ハードディスクがクラッシュして消えてしまった。そのとき妻にあげようと妻のカメラで撮っておいたのが幸いし、私は妻に紙焼き写真を云南から持ってきてもらってパソコンで複写したのだった。
 iTunesの音楽ファイル整理作業はいかにもデジタル的なものなので、どうしてもこの「もしも壊れたら」の恐怖から遁げられない。もう一歩夢中になれないのは(それでも日々こつこつとやっているのだから充分に凝っているとは思うが)それがあるからだ。
3/27
 重複曲の整理

 曲の頭についている01,02というトラックナンバを削除する。面倒で地味な作業だ。するとそれまで数字で整理されていた曲がアルファベット順で並ぶようになり重複曲となって掲示される。やればやるほど出てくる。
 だいたいがDeep Purpleの曲が160曲もあることのほうが異常だ。それはタイで買ったMP詰め合わせCDに10枚以上入っていた様々なベストアルバムからの総合数になる。だいぶ被っている。彼らはどれぐらい曲を持っていたのだろう。マニアックなファンが空で言える彼らの代表曲は何曲あるのだ。私の場合10曲もない。160曲の中には別テイクもいくつかあるようだが、たとえば「Highway Star」ならオリジナルとライヴの2テイクで充分だろう。それほど彼らが好きなわけでもないし、これを自分の音楽図書館とするなら、保存すべき彼らの音楽は「厳選した私的編集アルバム1枚」相当で10数曲が妥当のように思う。
 同じことがCCRGipsy Kingsにも言える。同じような形で彼らも100曲以上あるのだが代表曲を選んでアルバム1枚で充分だ。こういう作業をちびちび続けるとHDD内の曲はだいぶ減る。そのほうが望ましい。
 Bob Dylanになるとなにしろ活躍時期が長くアルバムを並べるだけで重複せず160曲になる。これはしかたない。なにしろ40年だ。

 一方で、たとえばChopinは、私の好きな彼のピアノ曲はそれこそ10数曲しかないのだが、それが演奏者によって微妙に魅力がことなるため、同じ曲がいくつも重なることになった。これはJazzの名曲も同じで重複することが魅力になる。
 私はクラシックに関して、たとえばフルトベングラーやカラヤンがなぜ偉大だったのかを実感として解っていない。それは彼らが指揮した交響曲をあれこれ聞き比べて初めて解ることである。同じベートーヴェンの作品でも指揮者によってこんなに違うものなのかと。そのためには彼ら以外の凡百な指揮者の作品も聞かねばならない。それをしていないのだから解るはずもない。知ったかぶりはしない。したり顔でしゃべったら嗤われる。果たしてそれが解る日が来るのかどうかは疑問だが(交響曲に酔う自分を想像できない)、とりあえずショパンのピアノ曲やモーツァアルトの室内楽が演奏者によってかなり違うことを理解できるところまでは来た。

【附記】半可通の自戒 3/28
 先日読んだJazz本に「私はチャーリー・パーカーのフレーズが最高だと絶賛する若者を信用しない」トイウヨウナ一節があり心に残った。彼がいうには、パーカーのフレーズがずば抜けていたのは1940年代のあの時代においてであり、それから60年の月日を経ていま彼と同じように吹ける人はいっぱいいるし、真に彼が天才である部分は同じジャズミュージシャンをしていてわかることであり、素人の、まして若いファンが彼を称えるのは、単にそういう情報に踊らされているだけである、というものだった。
 その通りであると思う。私はパーカーを絶賛する。まだまだ半可通であるがこの人の言う素人の若いファンよりはわかっているつもりである。だがクラシックの指揮者に関してはもろにそれに相当するので、わかりもしないのにカラヤンを称えるような愚行はしまいとあらためて戒めるのである。

【附記・2】CCRは52曲に 4/4
 パソコンに向かっているあいまに流れてくる曲を気づくたびに修正していた。いや曲は修正できない。曲のファイルネイム等を、である。重複曲もそのたびにチョコチョコとやっていた。
 きょうDeep Purple、Gipsy Kings、John Lennon等と並んで重複曲の王者であるCCRの整理が終った。最終的に彼らの曲で残ったのは52曲だった。MP詰め合わせCD丸々一枚で160余曲あったのが三分の一以下に減ったわけである。適切な数字のように思う。こういう形で贅肉をそぎ落としてゆきたい。
3/29
 嫌いを嫌いと言う度胸

 大嫌いな音楽が流れてきた。いわゆるフリージャズ。ソプラノサックスがガラスを掻きむしるような音で上へ下へと駆け回っている。神経がささくれ立つ。急いで止め、いったい犯人は誰だと調べる。Ralph Petersonとわかる。先日出てきたコンテナの160枚から中身を確かめずJazzだというだけで入れた一枚だ。何曲かチェックするがみな同じ曲調だ。アルバムごと削除する。こういうものに関して「もしかしたら後々好きになるかも」→「だから今は嫌いでもとっておこう」のような感情は捨てた。もう感覚は固まっているし、これ以上欲張る必要もあるまい。

 先日読んだ安部譲二の本にこんな一節があった。彼がミヤザワキイチと社民党のムラヤマというふたりの首相の名を挙げ大嫌いだと書いたあと、自分ももう六十を過ぎたから嫌いな人は嫌いだと言いたいことを言うことにした、読者諸兄の中には不愉快になる人もいるかも知れないがわかっていただきたい、としていた。安部譲二は気配りの人である。彼がヤクザ渡世におけるのと同じように出版社関係者に気を配りみなに好かれていたことを知っている。私の知人は彼と一緒にいるとその細やかな気配りがかえって気になって疲れると言っていた。そういう彼のことだからミヤザワとムラヤマを嫌いだというどうでもいいそんなことでも本に書くとなると思い切りが必要だったのだろう。

 ところでなんで今頃安部譲二かというと、彼は軽井沢に山小屋風の家を建てたそうで、私が手にしたのは、野鳥との出会いからなんとしてもそこに住みたいと願い、借金まみれの中からあれこれ苦労してその家を建てるまでの奮闘記のような本だったのである。そこを読んでみたかった。それで知ったのは、あの人はたっぷりと稼いで悠々自適かと思っていたのに、せっかく稼いだ金を投資して失敗し借金まみれということだった。5億の借金を毎月一千万ぐらいずつ返し(ということは日銭になる講演をしまくっているのだろう)半分返したとか書いていた。それで知るのだが、人は、一生安泰の3億ぐらいの金を稼いでも、今度はそれを10億にしたいと思うらしいってことだ。私が馬券で50万儲けても300万にしようと勝負して結局ゼロになり、あの50万のところでやめておけばと悔やむようなことを、スケイルの大きな人たちもやっているらしい。ついでに彼が若者に檄を飛ばす本なども一緒に借りてきたが相変わらずの下手な文で読むところはなかった。私の心に残ったのはそのミヤザワやムラヤマを嫌いだと言い、そのあと還暦を過ぎたから嫌いなものは嫌いだと言うことにしましたと言い訳じみて言っている部分だった。

 人やモノを嫌いだと言うことはそれを好きな人を敵に回すことだし、また自分の限界を見せることでもある。言い切るにはそれなりの勇気(?)がいることになる。まあ勇気は大げさにしても決断ではある。

 私のこの「人やモノを嫌いだと言って好きな人を敵に回すこと」は怖れない。本業の方ではヤマグチヒトミセンセイをコバカにしてきたし、『冬ソナ』に関する文も熱烈なファンからしたら頭から湯気を出すかも知れないものだ。
 しかしあとの「自分の限界を見せること」にはいささかのためらいがある。限界を見せないようにすることが、小人が自分を大きな人間に見せようとする見栄だとするならそれはすなおに認めざるを得ない。とりあえず間口をひろく構えたいという気持ちがある。

 その辺がこのごろ割り切れてきた。吹っ切れてきた。そういう「自分の限界を見せることだからあまり言いたくないこと」のひとつが、歌劇やフリージャズを嫌いだということだった。例の「世界三大テノール」なんのてが来日し、夢の公演と騒がれ切符が入手しづらくプラチナチケッチと呼ばれているころ、すこしもいいと思わないと言いたかったが黙っていた。彼らの記事が載らない週刊誌はなく、林真理子あたりが浮かれはしゃいで褒め称えていた。それが文化人というものらしかった。
 そのころはまだ正面から嫌いだと言えなかったのだがそれからさらにいくつか年を重ねて今は言える。もうこれだけの回数アリアを聴くたびに飛び上がり、耳障りだと止める経験をしてきたのだからこれで言えなかったら私はヘンだ。オペラ歌唱全般を嫌いだと言い切ることにしよう。しかし有名人でそう言い切った人を見たことがないがよほどこれはタブーなのだろうか。私も公の場で言う気もないが。

 そのあと同じく大嫌いなRapが流れてきたのでいったい誰だと思ったら大好きなジェニファー・ロペスだった。万能のジェニファーはアルバムの中にそういう冒険も織り込んだらしい。削除する。いかに好きなジェニファーであれ嫌いなものは嫌いだ。徹底せねば。
4/1
 睡眠音楽の項目

 Genreに「睡眠」というのを作る。図書館で借りてきた眠りのための音楽が何枚かある。不眠症ではないから必要ではないのだがとにかく借りてきてHDDに入れてしまった。それをとりあえずEasy Listeningに入れておいた。
 仕事の合間、Easy Listeningを選んで流しているとたまにそれが流れてくるのだが、やはり睡眠用の音楽とEasy Listeningは似ているようでも違うのである。Easy Listeningが心をくつろがせようとするのに対し、睡眠用音楽は、果たしてそれが本当に睡眠につながるのかどうか知らないが、物事を考える気を失くさせる。怠惰な気分にさせる。文章を書くBGMとしてふさわしくないのは確かだ。
 ということで「睡眠」なるGenreを作ってそこに押し込んだ。これを聞くのは不眠のときのBGMのみとしよう。

 ジャンルをアルファベットで書いたのはこれがフランス語であることを思い出したから。それを知らないときはJで始まる単語だと思っていた。ある日GENRE、ゲンレという単語を見てこれはどういう意味だろうと考えたものだった。
4/4
 CCRは52曲に

 パソコンに向かっているあいまに流れてくる曲を気づくたびに修正していた。いや曲は修正できない。曲のファイルネイム等を、である。重複曲もそのたびにチョコチョコとやっていた。
 きょうDeep Purple、Gipsy Kings、John Lennon等と並んで重複曲の王者であるCCRの整理が終った。最終的に彼らの曲で残ったのは52曲だった。MP詰め合わせCD丸々一枚で160余曲あったのが三分の一以下に減ったわけである。適切な数字のように思う。こういう形で贅肉をそぎ落としてゆきたい。
4/7
 バリバリ削除

 ここのところもうずっとCDを入れていない。ひたすら削除の日々。
 いいものにはめったに会えないが(だからこそ価値もある)イヤなのはしょっちゅう流れてくる。さすがに最も嫌いな金切り声アリアはなくなったが(最初から入れていない。入っていたのは知らないものになる)、Jazzの不快なものは毎日出会う。これは私が悪い。単に曲数を増やそうとコンテナにぶっこんであったM先輩からもらってきたJazzCDを中身も確かめずに入れたからだ。50年代のマイルスが好きなヤツに90年代のJazzシーンがわかるはずがない。いやわかるかどうかはべつにして好みのものがそうそうあるものではない。マルサリスがスタンダードを演ったような特別なもの以外は。

 よって入れたばかりのものを次々と削除することになる。iTUnesで「追加日」を表示させつつ再生しているので、私にとっての不快な音楽が、この三月に追加したものであることが一目瞭然である。9500から10500にした千曲の中にはかなり嫌いなものが混じっているようだ。すなおに反省しよう。削除し続けていま9450曲。この千曲の削除は意味がある。全部耳にしていらないと判断したものばかりだ。

 ここ数日のまとめ。
 Jimmy Giuffreを削除した。削除の前、アルバムタイトルに 「Thesis」とあるので辞書を引く。
【シーシス、スィーザス、【変化】《複》theses、【大学入試】
【名】議題、主張、卒業論文、題目、命題、論題、論文、学位論文
 だそうな。勉強になりました。
 Mark Ishamを削除する。 ミュートトランペット。フュージョン時代のマイルスのよう。アルバムタイトルにもマイルスの名が出ていた。だが好みのものではない。マイルスを慕っているということですこし迷ったが、削除。
 Herb Robertsonを削除する。大嫌いなフリージャズの趣。迷わず削除。
 Kenny Garettを削除。大嫌いなドラムソロが延々とあるので迷わず削除。

 ドラムソロ嫌いは益々度を強くしている。それが流れてくると削除してしまうから、たとえばジョン・スコフィールドのアルバムのような気に入ったものからも何曲か消した。「アルバム」という意味では保存と所有が不完全になってしまうが、好みなのだからもう思いっきり偏向することにした。

始まりはいつ?
 今回のホームページ一般公開で古いファイルを整理していて、けっこうあちこちに「4千曲入っている」「6千曲を突破した」なんて書いていることを知った。「究極のウォークマン」を目指していたぐらいだからHDDにたくさんの曲を入れて聴いていることはそれなりにうれしく、自慢だったらしい。
 そこで思ったのだが、いきなり4千曲になるはずもない。

 と書いていたらまたも大嫌いなドラムソロが流れてきた。誰かと確認するとGonzal Rubalcaba。アルバム丸々削除。スッキリ。

 そう、いきなり4千曲になるはずはないのだ。最初はどうだったのだろう。覚えているのはIBMの30GBハードディスクをそれ専用にしたことだ。DualCpuを組み上げてHDDを30GB×3にしたころだろうか。あのころは当面これで大丈夫と思っていた。今思えばそれは「たった90GB」でしかない。160GBが1万円以下で買える時代だ。
 きっかけはタイで買ってきたMP寄せ集めCDだった。これは間違いない。最初からMP音楽だった。CDではない。

 なにしろCDに関しては知識も興味もなかった。CD-RWのついているパソコンを買ったサトシから、最近好きな曲を入れてCDを焼き、自分だけのオリジナルCDを作ることに凝ってますとメイルをもらったとき、へえ、そんなことが出来るんだと思ったぐらい疎かった。すでにCD-RWはもっていたのに。
 サトシの名古屋のアパートにおじゃましたのが猫を喪った翌月の2000年の2月。そのメイルはその前のことだから99年か。その後も今に至るまで私は「好きな曲を集めて一枚のCDを作る」ということをやっていない。これはいちばん音楽を聴くパソコン作業のとき、いちいち焼かなくても、好きな曲だけを集めて再生させることが簡単に出来てしまうからだろう。クルマで走っていて、再生しているCDから嫌いな曲が流れてくると、その曲を削除したCDを作らねばと思ったりする。たとえばタクローなんてCD4枚50曲ぐらいもっているが、好きな曲は5曲ぐらいなのだから、それだけを焼いた1枚を作るべきである。これはほんとうにやらないと。再生してもスキップをなんどもするから運転が危ない。

 CDをHDDに入れるようになったのはそれの出来るソフト、CDマニピュレータを知ってからか。これもそのずっと前からスキャナだったかプリンタだったかに附属ソフトとしてついてきたB's Goldを持っていたから出来たはずなのだが、やっていない。
 CDをHDDに取り込むことが出来て便利だったけれど、曲名ではなくtrack1になってしまう。そこが残念だった。それにWave fileをMPにエンコードすることも知らず、そのままで入れていた。まあこれはHDDに余裕があったので問題はなかった。のちにそれをすると70GBが半分になった。HDDで音楽を楽しむことは8割方完成していたのだが、iTUnesというソフトを知って補完したあとの2割の価値もおおきい。現在9450曲で41GBである。

 チェンマイで別荘気分を楽しんでいたときも、いつもCDラジカセをあちらで買ってCDやテープを再生していた。MP寄せ集めCDを知ってからも、ノートパソコンのHDDは音楽を入れるにはちいさいし余裕がないからやっていない。となると私の「HDD-MP音楽再生」はデスクトップのみになり、さらに日本限定となる。始まりは2002年ぐらいでかなり新しいのだろうか。そのうち『作業日誌』を丁寧に読み返して確認してみよう。
 次に行く云南では、iPodは買えなくてもそれ専用の外附け2.5inchHDDを用意して(60GBが必要か)、デスクトップと同じ音楽を入れていってノートパソコンで再生するつもりでいる。
4/22
 落語をMP3に  

 かねてからの懸案であった「落語CDのMP3化」をやってみた。
 ありがたいことにCBSソニーから出ている志ん朝のCDはCDDBにあったので項目を書き込まずに済みそうだ。内2枚がなぜか反応しなかったが、まあこれぐらいの手作業は覚悟している。とりあえずきょうは志ん朝15枚と馬生3枚をやってみることにした。いまそれをしつつ書いている。
 CBSソニーの志ん朝のCDは、ジャンルのところに「Books&Spoken」と出た。馬生のポリドール「NHK落語名人選」CDは「Word」と出た。ともにそれをiTunesから「落語」と日本語にする。

 これが出来上がると妻の家に向かう長いバス旅の中で、云南の景色を見つつ落語が聞けるのだなあとほのぼのとしてくる。それはべつに目新しいことではなく、今までにも世界各地で多くの落語好きの旅人がやってきたことであろう。私は未体験である。さして日本的なことには飢えなかったから落語をもってゆくという発想はまったくなかった。

 その種の事でふうむと唸ったのは沢木耕太郎が山本周五郎の「さぶ」について書いていたときだ。遙か日本と離れた異国の地で沢木は江戸前情緒の「さぶ」を読み感動するのだ。

《小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋をさぶが泣きながら渡っていた。》

 引用した冒頭の数行を読んで背筋がぞくぞくした。そのあまりに巧みな組合せに……。
 いまは嘘の上手な沢木さんの作り話ではないかと思っている。あの人は純粋な小説を書くとつまらなかったがノンフィクションという名の本物っぽいものに嘘を交えることでは天才だった。「深夜特急」の香港での大小はよく出来たギャンブル小説である。
 真相はどうであれ、あの「さぶ」には参った。次の旅のとき、早速やってみたぐらいだ。
 私なりに「ここに地終り、海始まる」のポルトガルのロタ岬で時代小説を読んだり、そんな実験はけっこうしている。

 目的地との遠近を、距離ではなく時間で判断する発想を、二十歳のころに読んだ小松左京のエッセイで教えてもらった。あのころはずいぶんとSFを読んでいた。そこで小松は、「飛行機で三時間で行ける場所と、鈍行列車で三時間で行く場所は同じ距離」という発想をしていた。なるほどと唸った。
 先日思いがけずこの発想を耳にした。小遊三の落語である。そこで彼は札幌が日帰りで仕事が出来るのに、千葉の銚子に行ったら電車がなくて帰ってくるのに苦労した話をしていた。

 私の場合の云南も近道がない。昆明までは飛行機で行ける。そこからバスで一昼夜だ。この「バスで一昼夜」を縮める手段がない。
 もうすこし近くまで飛行機で行くことはできる。思芽と景洪までだ。これはバスで十数時間かかるところを一時間もかからずに行けるから便利ではある。(何度か書いているが)飛行機で一時間というのは日本だとクルマで六時間とか七時間ぐらいの距離であろう。それが云南だと十五時間ぐらいかかるところを一気に一時間になる。それだけ山国で道が羊腸しているのだ。空を飛ぶことの速さを最も痛感する地域になる。
 しかしこの空を飛んで近くの町まで行くことは早いようで実際はあまり時間の短縮にならない。それは大阪に行くとき、飛行機も新幹線もあまり変らないのと同じだ。決められた時間に行かねばならない。搭乗手続きがある。これが面倒だ。ついで空港までの往復がある。私は断然新幹線派だ。定められた時間までに空港に行き、あれこれ手続きをして搭乗し、さらにあちらでも空港からの移動をするなら、好きな時間に駅に行き15分おきに発車する新幹線に思いつきで乗って本を読んでいた方がよほど楽しい。

 云南でもそれをやっている。昆明に着く。うまく連絡がよいと不満はないのだが、まずその日には乗れない。着くのが午後で、景洪や思芽への便はもう終っていたりする。町に出る。そこで一泊し、チケットを買い、明日の朝また空港まで行って飛ぶ。その手間暇を考えたら、いくらでも出ている目の前の一昼夜バスに乗ってしまえとなる。そのバスに揺られていれば明日の夕方には着く。それはその日ホテルに泊まり、明日の朝、飛行機で近くの町まで飛び、そこからまた七時間ぐらい揺られて着くのと同じ時間なのである。
 費用は、飛行機の方は、空港へのタクシー往復、チケット代、ホテル代、近くの町からのバス代等全部で、(あくまでも私の利用しているクラスだが)1万4千円ぐらいか。一昼夜の寝台バスは3千円。休憩時の食事代を入れて4千円。1万円浮くがそれはたいしことではない。云南での1万円はおおきな価値を持つが未だそれを考えたことはない。肝要なのは「疲労度」である。

 一般にはどうなのだろう。寝台バスで一昼夜揺られて行くより、ホテルのベッドでぐっすり寝て、翌日空港に行き、飛行機で飛ぶことにより、二十四時間のバスを一時間の飛行機と七時間に詰めることの方が疲れない、となるのだろうか。いやなるのだろう。常識では。
 私は、最初飛行機で行った。中国人と一緒の寝台バスなんてゾッとしなかった。何度かそれをして、上記のように手間暇ばかり面倒で飛行機がちっとも時間短縮になっていないことに気づく。さっさと寝台バスに乗った方がいいと判断しバスにした。しかし喫煙率100パーセントの中国人がバスの中でもタバコを吸いまくり煙くていられないので飛行機に戻った。でもやっぱり手続きが面倒で、と今は迷っている。もう何年も妻の家まで行っていない。景洪まで飛び、そこまで妻に来てもらって短期のホテル同棲(?)をしていただけだ。これは快適だった。バスがない。いよいよ今夏、行かねばならない。さてどっちを利用しよう。

 ホテルへのチェックイン、荷解き、食事、就寝、翌日の荷造り、空港への出発等を考えると(その間にチケットも買わねばならない)バスの中で一晩寝ていれば済むこっちの方が楽だと考えてしまう。これ単なるぐうたらの発想か。前記したようにバスで行くと1万円浮くのだが、私は同じ費用でもバスに乗るように思う。とにかく待ったり移動したりが面倒なのだ。荷物を持って歩くのも難儀だ。ということからもいかに旅に向いていないかが判る。旅とは荷物を持っての移動だ。旅人の苛酷さは移動し続けねばならないところにある。世界旅行を目指して日本を出発しつつバンコクで沈没してしまう人の心理がとてもよくわかる。私と同じで向いてない人なのだ。そういう人より私がえらい(?)のは、向いてないことを自覚していることだ。この差は大きい。

 と、いつしか落語から旅話になってしまった。どのような方法を採ろうとわたしの場合、最低でも七時間のバスに乗らねばならない情況からは逃げられない。近場の町に飛行場が出来ることを祈っているが、まだまだ十年はかかるだろう。中国経済がこのまま順調に行くとは思えないからもっともっと先か。どう考えてもあの町と飛行機は釣り合わない。
 今夏、行くときも、昆明からの移動はバスにしようと思っている。そのとき落語は強い味方になってくれるだろう。
 思えば、私はそういうとき、音楽をあまり友にした憶えはない。よく聴いてはいたが、それはいつも「外界との遮断」だった。うるさい中国人の音声をシャットダウンするためである。日本でも中国人が女子高生に替わるだけで同じ事に利用していた。これは音楽にも失礼な話である。
 だが旅先にもってゆく10本程度のカセット、あるいはMDが、心にしみこんできた、とうまく行く場合はそうもない。そんな人はよほど単純なのだ。これさえ聴けば元気になるというぐらい好きなミュージシャンのいる。
 HDD音楽ブレイヤを買うかどうか未定だが、それらしきものは持参する。9千曲あれば今までとは違う。音楽に救われることもあるだろう。「この景色にはあの音楽が聴きたい」が叶う瞬間があるような気がする。

 落語の場合は物語であるからそこに集中できる。しなければわからない。いま長距離バスではテレビ附きが普通だが云南の場合はまだ附いていない。嫌いなので附かないことを祈る。遠からず附くだろうが。
 それまでに好きな落語を出来るだけMP化して蒐集しよう。嫌いな話を断つことも大事だ。私は暗い噺や憂鬱な落ちの噺が嫌いである。いかに大好きな志ん生、志ん朝であろうと嫌いな噺は入れない。その点CDコピーだとあまりいじれないが、HDDだと好きなように編集できるので助かる。

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 以上を書いたのが金曜の朝の八時。いまこれを書いているのは土曜の朝である。
 信じられないことだが、私はそのまま夜の八時までパソコンデスクで作業をしていた。丸々十二時間である。その間、口にしたのは十杯以上の粉茶とmomoさん直伝の「味覚糖 特濃ミルク8.2」キャンディ数個のみ。あとは頻繁にトイレへ立つだけでずっとパソコン作業をしていた。結果として志ん生、志ん朝、馬生に、米朝や談志等、もっている百枚ほどのCDを全部ハードディスクに入れてしまった。ここまで丸々一日パソコンに向かっていたのは記憶にない。だいたい午後か夕方に一度中断して外出する。
 これ一重に落語の魔力である。iTunesに入れた落語ファイルは、一度入れてから別ファイルに移して整理し直さねばならない。というのは、そのままにしておくと「パーティシャッフル」に加えられてしまうからである。音楽の中に落語が混じりたまに流れてくると粋のようであるが、CBSソニーの志ん朝のモノは、ひとつの噺が八つぐらいに区切られている。これはとても便利で、このことはまた「CDの便利と不便」とでも題してまとめようと思うが、しかしiTunesにおいてはそれは八つの曲として分類されるからひとつの噺がバラバラにされたものが音楽曲と混じってしまう。いくらなんでもそれはひどい。よって一度iTunesでMP3の音楽ファイルとしたあと、あらためて全部をまとめて落語ファイルとして独立させることにした。

 だったら最初から他のソフト、たとえばWindows Media Playerで独立した「落語ファイル」にMP化すれば作業が楽ではないかと言われそうだが、そこがそれ、使い慣れたソフト、というヤツで、あれこれデータを修復するのにiTunesが便利なのである。CDDBからとってくるCDデータというのはいい加減で、昭和41年の音源であるとわかっていても2000年と入っていたりする。それはそのレコード会社(これは死語か)でCDが作られた年である。こちらが記憶しておきたいのは演じられた年だ。それらを直すとき、momoさんにCDでもらってから──何日だろう、調べる、2月1日か──一日も欠かさずいじりつづけているiTunesは使い慣れた手放せないソフトになる。

 その移植作業も楽しく、まったく苦にならなかった。それどころかチェックのために再生した志ん朝に聞き惚れて、もう何度も聞いているのに、ひさしぶりに聴く「崇徳院」や「船徳」では声を出して笑ってしまった。これはほがらかな人にはよくあることだろうが表情の乏しい私には珍しいことなのだ。私を声を出して笑わせる志ん朝はすごい。
 そのときふいに「もう志ん朝はいないんだ」とのかなしみが襲ってきたので急いで気を紛らわす。そのうち確実にそのことで泣きそうである。云南かタイか知らないけど異国の地で、という気がする。今はまだ心底惚れ込んでいる状態なので喪失感につながっていない。よってまだ泣いていない。長年志ん朝に惚れ込み独演会に通っていた人は彼の死にどれほど落ちこんだことだろう。ファンが長々と列を作る盛大な葬儀だった。

 一日中CDをMP3に変換してHDDに入れるという作業は今までにも何度もやっている。でもそれは音楽CDを入れることであり、音楽を楽しみつつではなかった。「曲数を増やすため」というある種本末転倒した発想の作業だった。假りにそれが好きな音楽ばかりを入れる作業だったとしてもここまでは集中できなかったように思う。音楽さえ聴いていればなにもいらないというほどの音楽好きではない。落語という「物語」の重さ、凄味をあらためて感じた。

 その十二時間の作業中、聴いて楽しかったのは一に志ん朝、二に圓生だったこと。文楽はまあまあ。
 志ん生がつまらなかったこと、も記録しておこう。どうも今の私は志ん生のぞろっぺえな部分が気に入らないようである。それが目についてしまう。志ん生のいいかげんさを修正(?)したような馬生や志ん朝を愛好しているからかもしれない。もっと落語が好きになればそのいいかげんささえも味わいと出来るのだろう。かもしれない。昭和41年の音源などひどいものだと思う。今のところそれを正面から指摘したのは小林信彦のみで、ほとんどが「それもまた味わい」となっている。私はどっちに傾くのか。
 米朝は、なぜかきょうは関西弁を受け付けず、途中でとめた。こちら側の心の余裕の問題か。そんな日もある。
 談志は最初から聴く気になれず再生しなかった。これまたああいう尖ったモノを受け止めるにはこちらがどっしり構えていることが必要なのだろう。崖際で根がむき出しになり今にも落ちそうな私に尖った落語を受け止める余裕はない。
9/27
 不幸中の幸い、なのかな?

 まだパソコンが壊れていなかったころ、iTunesがあたらしいバージョンが出たのでUPするかと尋いてきた。今までの4.6から4.7のようなマイナーチェンジではなくVersion5になったというから魅力的だ。
(「iTunesがあたらしいバージョンが出たのでUPするかと尋いてきた」とは説明しないとヘンな日本語だ。自動アップデートというのにチェックを入れてあるので、「新しいiTunesが出ました。Downloadしますか」とソフトが問い合わせてくる、という意味である。)

 早速Downloadして入れようとした。すると「Windows instllerがどうのこうと」と出てエラーになってしまう。インストール出来ない。検索してみたらiTunesを使おうとするWindowsユーザーに頻発している事故と知る。その解決法は「SPを一度削除してからiTunesをインストールし、それからまたSPを」と書いてある。これひとつを挿れるためにUpdateしたOSのVersionを下げるなんて聞いたことがない。とんでもない話である。現行の4.6だったか、それのままで行くことにした。まったく狂った話である。まあiTunesはMacのものだから仕方ないが、iPodの大ヒットはWindows用のiTunesを公開したことも大きい。もっと叮嚀な仕事をしろと腹立った。そこにはVersion5を使えない腹いせがある。たぶん4から5にUpdateしてもたいして変らないのだろうが、あたらしいもの好きであるから使いたくてたまらないのだ。

 今回、OS再インストールの最中、「おお、そういえば最新iTunesは、この時点だとインストール出来るんだったな」と思いつく。まだWindows Updateをやっていない時点である。こういうことを思いつくということからもインストール出来なかったことを根に持っていたことがわかる(笑)。先日Downloadして「Download Data」に置いていたiTunes-Version5のファイルは今回の事故で消えてしまっている。あらたにDownloadする。ネットのどこか調子が悪いのか32メガをDownloadするのにかなり時間がかかった。とはいえ以前なら一晩仕事だ。ADSLにならなかったらこのVersion Upは見送りである。もしかしたらVersion5がインストール出来るかもと、けっこうわくわくしている自分がいる。ほんとにあたらしいもの好きだ。
 無事出来た。それからWindows Updateをしたが今も問題なく動いている。今日の壊れてしまった落語ファイルの補修には大活躍してくれた。もちろんVersion5だからというわけではなく、前Versionでも同じように活躍してくれたはずだが。

 最悪の事態の中での数少ない収穫(?)だった。荒れ果てた田んぼの中で元気なカエルに出会った感じか。
  2006


06/7/17

 mp3をCDに焼く

 今日は知人にプレゼントするmp3をCDに焼く作業をした。手こずったのは、知人から希望された中国の民族音楽(二胡など)の曲名には簡体字があり、同じくタイ音楽にはタイ文字がある。するとB'sでは焼けなくなってしまうのである。ほんとお粗末なソフトである。エラーになってしまう。

 フリーソフトを探したら「mp3をCDに焼くためだけのソフト」というのがあると知り、嬉々としてDownloadしに行く。インストールしようとしたら「あなたのOSはこのソフトに適合していません」と出た。XP専用らしい。いよいよ2kも差別される時代に入ったか。

 あれこれやっている内、iTunesでうまく焼くことが出来た。iTunesは簡体字もタイ文字も表示していたからエラーにならなかったのである。青い鳥は近くにいた。B'sにうんざりし、iTunesに感謝した。
06/9/16

 落語CD入れ直し作業

CD入れ直し作業

 最初にソニーの落語CDを聞いたとき、さすがと思った。ひとつの話がまるで音楽CDのように分割されていたからである。



 こんな感じになる。これは他社のCDにはなかった。他社のはどこも一席まとめてある。
 ある意味、噺家の噺をディレクター(京須さん)がかってに分けるのは越権行為かもしれない。しかしこれはなんとも便利であり、この心遣いには感謝した。

 当時、私が落語を聞く主な場はクルマの中だった。父の入院していた病院への往復がそれになる。私のクルマにはCDプレイヤがなかった。カセットテーププレイヤにCDウォークマンを接続して再生していた。これはけっこう面倒である。ちいさくて扱いづらい。やがて助手席に小型のCDラジカセを置くようになる。これのほうが便利だ。

 落語CDには二席録音してあるものが多い。28分と35分の二席のように。中には65分の大作一席の場合もある。
 カセットテープ時代よりはだいぶよくなった。カセットの基本は片面30分である。そこに28分の作品が二席収めてある。この28分というのはラジオの30分番組用に噺家が縮めたり延ばしたりしたものらしい。時間の合わない志ん生作品には、娘の美濃部美津子さんがハサミを入れたと書いていた。
 しかしなにもかもが切りよく28分とは行かない。40分の大作もある。するとカセットだと両面を使って40分の一席のみになる。カセットテープの基本は両面で60分だった。CDだと片面で70数分である。切れ目なく大作を納められる。この差は大きい。60分を超す大作を切れ目なく聞けるようになったのはCDのお蔭だった。

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 28分でひとつの噺ということは、28分聞き続けねばならないということである。その間にコンビニに寄ったりしてエンジンを切るとCDは止まってしまう。するとまた最初から聞き直さねばならない。カセットテープだと続きから始まるのだがCDはまた最初に戻ってしまうのである。
 安物の小型ラジカセだが一応スキップボタンはついている。しかしそれは二席を飛ぶだけだ。部屋にある大型のものだとキューダイヤルがついているので欲しい場所を呼び出せるが小型のCDラジカセそれは無理である。
 カーCDプレイヤにキューダイヤルはついているのだろうか。ついていたとしてもめったに使うことはない。一般に再生されるCDとは音楽CDであり、それは一曲3分前後で切れている。30分も続くものはふつうはない。(クラシックならあるのか? 交響曲は聴かないので知らない。Jazzの長いものでもまあ10分程度だ。とにかく落語CDは特殊な世界だった。)

 この一席30分で繋がっている落語CDを音楽CDのようにいくつかに分けるということを初めてやったのがCBSソニーだった。これは聞きやすい。さすがと思い細かな心遣いに感激した。
 談志のCDに「五大落語家論」という60分を超える落語家論、というか漫談があるのだが、あれなど45分ぐらいのときに目的地の病院に着いてしまい、帰りもまた最初から聞き始めると同じく45分程度で家に着くので、いつまでたっても最後の部分を聞けなかったものだ。

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 というわけでソニーの落語CDの分割には感謝していた。
 ところがiTunesを使用するになって困ったことが起きた。シャッフルである。一席の落語30分がいつつに分割されているとすると、それを5曲扱いでシャッフルしてしまうのである(笑)。初めてこれに接したときは苦笑した。
 それでも部屋で落語を聞くとはCDの時が多いし、BGMとして聞くことはまずないので実害はなかった。
 そして今回のiPod-Nano購入である。ノラ・ジョーンズと志ん朝を数席入れた。ノラの「Come Away With Me」や「One Flight Down」と、ぶつ切りにされた志ん朝の「干物箱」が交互に出てくるのはなかなかシュールではあるが(笑)やはりよろしくない。

 iTunesの「トラック結合」を使って落語CDを入れ直すことにした。これをすると切れ目のないひとつの話になる。CDはそのままである。パソコンに入れiPodにうつすmp3だけだ。
 私の持っている素材だと志ん朝と文珍ぐらいだが、それでもかなりの枚数になる。さらにはパソコンが非力なのでこれをしているとCPU使用率が高くなり他の作業に支障を来す。
 とはいえこれが完了すると、電車の中でiPod落語を聞くということが実現するので、けっこういそいそとやっている。
2007


07/3/25

 音楽のジャンル分け 

 ハードディスクに音楽を入れiTunesに登録すると次々とジャンルが増えていってしまうので困る。アーティスト側が──厳密にはそれを売り出す会社側が──自分たちのやっていることを既成のものと一線を画したいとする気持ちはわかる。日本でも「ビジュアル系バンド」と呼ばれることを激しく嫌ったビジュアル系バンドがいたが(笑)あの気持ちはよくわかる。
 
 私にとってiTunes内での音楽ジャンルは五つもあればいい。さすがに五つじゃ足りないか?

 Jazz,Classical(無知なのでClassicとしていたがこちらの方が正しいらしい)、Rock,Pop、あとは日本語の歌をNipponとしている。こんなものだ。これで五つか。さすがに足りないな。

 BossaNovaは独自なので別にする。Reggaeもそう。これらとはまた別にLatinも必要。ジプシーキング等。

 歌のないEasy Listeningも要る。Jazzは本当はもっと細かく分けた方が聞きやすいのだが、とりあえずヴォーカルは独立させた。私はいま演奏ものと歌ものを同時に聞くのはちょっとつらい。それでJazzとは別にJazz Vocal
 もうひとつデューク・エリントン等をBig Band Swingとして独立させた。Milesなんかとはやはり別の音楽のように思う。

 ジャズギターにチョーキングは禁物。それのあるようなのはJazzではなくFusionとして独立させる。

 最近インターネットラジオSmooth Jazzの影響でやたらその種の音楽が増えてきた。Fusion、Easy Listeningとは別に独立させる。でも被る部分も多い。Jorge BensonやEarl Klughはすべてに属する。

 Bluesはもちろん必要。R&Bも。分別が難しいがDiana RossがSoulというジャンルで主張してきたらやはりそれはSoulにしておくしかない。でもこれはR&Bと一緒にする予定。
 CountryもPop分類ではちょっと無理があるので枠を作った。

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 知らなかったのだが、いまはContemporary ChristianとかWorshipとかいうキリスト教系の音楽ジャンルがあるらしい。Downloadしてファイルにはやたらこれが多い。Gospelとかもこれに入ることにして、これはWorshipでまとめることにした。

 自分の趣味のギターはジャンルを超えてGuitarを作ってまとめた。外国人ミュージシャンと並んで高中やクラシックの村治佳織がいたりする。

 子供用の音楽はChildren's Music。これは入れたらそうなっていたからそのままにした。童謡唱歌は吉田拓郎のいるNipponとはべつにすべきだろう(笑)。

 タイの音楽はThaiにまとめた。

 もうひとつWorldがある。HawaianやTango等世界各地の民族音楽はここにまとめた。テレサ・テンの中国語の歌も彼女は世界的な歌手であると敬意を表してここに入れた。

 と、なるべく大雑把なジャンルでまとめたいと思いつつ最低でもこれぐらいは必要でこうなってしまった。これでいくつだろう。20かな。どうしてもこれぐらいにはなってしまう。ところがiTunesはこれだけでは許してくれない。

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 あたらしい音楽を入れるたびにiTunesはそれらの主張するジャンルをそのまま取り入れて行くからどんどん増えて行く。今も36ジャンルまで増えていたのを上記の20にまとめたところ。この作業の煩わしさと消費時間は馬鹿にならない。
 Super Tag Editorは使ったことがあるが、あれとiTunesの相性が悪いのは有名。その仲を取り持つフリーソフトがあるのも知っているがそこまでやる気もなくiTunesのままで整理している。
 とにかくほっておくとあっという間に聞いたこともないジャンルが増えて行くから油断がならない。じゃあどんな物珍しいジャンルが存在するかと、本来ならこういう文章はそれを書き、読者と一緒に「こんなものもあるのか」とそれを楽しむのが使命だろうがどうにもその気になれない。どうでもいいや、そんな聞いたこともない分野。

 先日「Without You」繋がりから入れたNilsonが「Easy Rock」とあたらしい独立分野になっていたのでEasyを外してRockに入れた。なんなんだ、Easy Rockって。
 こんな感じで細かな分類分けをして増えていってしまうのである。

 R&B/Rapというのを見つけた。Rapは嫌いなので全削除してしまおうかと思う。アメリカやイギリスの年度別Best100をDownloadすると、こんな私とは無縁のものが混入してくる。が、中身を見たらStevie Wonderなのである。なんで彼の音楽がRapになったのかわからない。消してしまうところだった。でもあたらしいアルバムはそうなのか?

 いまNorah Jonesを抽出してまとめ聞きしていたら、ジャンルがアルバムによって、Country、Blues、Jazz、Popと4つに分かれていることに気づいた。どれかにまとめたい。Bluesではないよな(笑)。う~む、でもブルーノートを使ったブルージーな曲も歌ってるけど……。ドリー・パートンを尊敬していて、アンコールでは「テネシーワルツ」を歌うぐらいだから、彼女の大好きなカントリーにまとめることにした。無理はあるけど、バラバラにしておくよりはいいだろう。

 というようなことをコツコツとやっている。

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 音楽のジャンル分けとその整理をちまちまと時間を掛けてやっていることは不毛な作業であろう。たいせつな人生にはもっとやるべきことがある。私はどんな遊びでもそこから何かを学びたいと願っている。こんな整理のための整理などやりたくはない。
 なのにやっているのはやはりこれはこれで勉強になるからである。誰がどんな曲をカヴァーしているかというような意外な発見もあり音楽的知識の補充に役立つ。

 中でもありがたいと思うのは英語の綴りの勉強だ。これを始めるまで私はレゲエがLかRかこんがらがっていた。まあ知らなくてもレゲエを聴くことは出来るし、それなりに語ることも出来る。Reggaeと書けるようになったのは大きな進歩だ。

 ボニー・レイットのボニーはBonyかと思っていたらBonnieと知る。これなんかは三十年近く前にもうカセットテープで作っているのだから。そのときは正しく書いているはずだ。でも忘れている。間違って覚えている。そういうのが正せて役に立つ。
 ビリー・ジョエルはBillyだが(これが普通)ビリー・ホリデイはBillieなのである。さすがにこれは記憶していたが。

 こういう知識はインターネットでミュージシャンを検索するときに役立つ。BonnieをBonyと間違えていたらぜったい見つからない。これらのことを自明としている英語に堪能な人には単調なタグ整理はもったいない時間となろう。べつに整理しなくても音楽は聴けるのだからこんなのは無意味な糸くず拾いみたいなものである。だが私のような無知はやるたびに「へえ、この人(=この曲)、こんな綴りだったのか」と毎度新鮮な発見があり、充分に英語の勉強になっている。

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 もうひとつ大きな効用がある。それは細かな修正──たとえば明らかにFusionやPopsである有名音楽がOthersやUnknownなどというジャンルに放り込まれているのを救済する──を続けているといつの間にか熱中し、それまでの鬱屈したもやもやを忘れていることだ。あのビニール緩衝剤のプチプチを潰すのと同じ効果だろう。私はあれをやったことがないしあれが大好きな人をむしろ蔑視していたのだけれど、形は違えど同じ事だと気づいた。
 プチプチよりも建設的なのは終った後、ファイルがきれいになり、英語の綴りを覚えたという満足感高揚感があることだ。プチプチの場合はつぶれた醜いビニールがあるだけだからねえ。
 でもたまにでいい。毎日やることじゃない。今日はもうお終い。

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 この作業にはいつも不安がひとつつきまとう。それはハードディスクがクラッシュしたら、こうして合計何十時間もかけてやった作業が一気に無に帰すことだ。これはつらい。なにより虚しい。

 去年の夏、ハードディスククラッシュでせっかくのそういう整理がすべて無になってしまった。たとえばジプシー・キングとかディープパーブルなんて、バンコクで買ってきた違法CDに入っていたmp3をどんと入れたので重複曲がいっぱいあった。それをプチプチを潰すようにひとつひとつ削除し、ジャンルをLatinとし、曲名を整理した。思いつくたびにやったのだが、累計時間は何十時間にもなっているだろう。そうしてきれいなタグファイルになった。しかしハードディスクが壊れたら何の役にも立たない。水泡に帰す。元の木阿弥。

 DVDに保存しておいた音楽ファイルをハードディスクに入れる。だいたい同じような形に復元できる。しかしそこにあるのは几帳面に削除し整理したものではなく元の重複だらけのファイルである。あれはむなしかった。
 今もまたそういう事態が起きたら同じ事になるという不安がある。それを思うと、こつこつとやっていることが馬鹿らしくなったりする。ただし万が一またハードディスクがクラッシュしても、BillyとBillieのように身につけた知識は消えない。それだけをよすがにするしかない。

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【附記】遅まきながら
 iTunesライブラリのコピーをとっおけばいいのだとやっと気づきとるようにした。
 と同時にiTunes卒業の季節がきた。皮肉なものである。

07/6/3
iTunes──わたしの不満


×音量
 人によっていろいろあるのだろうが、私の場合まず不快なのは「他のソフトと較べて明らかに音量がちいさい」ことである。
 音も悪い。それはWinampやQCD、Songbird等と比較すると明白だ。いや比較という感覚で接しなくても漫然と聞いただけですぐにわかる。が、それはいい。所詮10w程度の卓上小型スピーカーで、しかも目盛は半分ぐらいで聴いている環境だ。音質なんて口に出すのも恥ずかしい。それとこれはdllを入れかえたりする解決方法もあるのだろう。とにかくこれは我慢する。

 我慢ならないのが音量だ。他のソフトよりも格段に低い。iTunesで聴いたあと、他のソフトに切りかえるととんでもないおおきな音なのでびっくりする。深夜などスピーカーに飛びついて消音する。とにかくその差は大きい。何度もそれをやって来た。iTunes以外のソフトはみなバランスが取れているから明らかにiTunesだけ低レベルなのである。音楽再生ソフトだけではなく映像ソフトもあり、みなバランスが取れている。iTunesだけが極端に低い。

 解決法は簡単だ。iTunes以外はすべてまともなのだから、iTunesを使わなければいいのだ。それだけである。だがここ何年もiTunesを愛用してきたので使い慣れている。その他のソフトもそれぞれ優れているのだが総合点ではまだiTunesなのである。だから困る。

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×ファイル読込
 これもあきらかな缺陥である。ジミヘンのMP3の曲が100曲ほどファイルに入っているのだが読みこめない。この場合、ソースがバンコクで買った違法MP3詰めこみCDからというこちらの引け目もある。だが他の再生ソフトは読みこんでいるのだからiTunesの缺陥だろう。それに以前は読みこめた。この辺が不安定なのだ、このソフトは。

 しかしそれよりもおおきな問題が生じた。読みこめないから何度かそのフォルダの読込を実行した。すると信じがたいことにすでに読みこんでいる曲を何度も読みこみ新曲として登録してしまったのだ。重複である。いま私がハードディスクに入れている曲の総数は1万3千曲ほどである。それは他のソフトで一致している。なのにiTunesだけは1万8千曲になってしまった。5千曲の重複である。プレイリストのそこいら中が重複ばかりである。信じがたい缺陥だ。

 あれこれいじっているうちにWinampにすぐれた機能があることに気づいた。「削除」の項に「実ファイルの存在しない項目を削除」というのがあるのだ。それをクリックするとリストに登録されているが実ファイルをこちらが削除したもの等がクリアされる。14000ほどの中から500曲ほどをRemoveしたと報告が出た。すっきりした。便利である。
 iTunesにも「重複曲を表示」という機能がある。私の場合、いまそれが10000曲になっている。5千曲重複だから正しい。しかしその覧から5千曲をクリックして選び削除する作業は遠大だ。やる気が起きない。だいたい一度登録してある曲を指令されるたびに何度でも重複登録するほうが悪い。他のソフトはそれはしないのだから。
 そしてまたその「重複曲を表示」は、純粋な完全重複曲だけではなく、タイトルが同じなだけの別Versionも表示している。だから重複曲をぜんぶまとめて削除したらとんでもないことになる。Milesなど貴重な別テイクがいくつも入っているのだから。まあとにかく使い慣れてくるとiTunesの缺陥が目につく。

 この件に関してiTunesを使い慣れているひとは、それはこうすればいいのだと言うかも知れない。私の知らない解決法はきっとあるのだろう。だがここで大事なことは、私が使いこなせていないとしても、他のソフトでは問題がないということだ。つまり、なにひとつ使いこなせないのなら私にも問題はあろうが、iTunesとだけギスギスするのなら、それはやはり相性が悪いということだろう。

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×スキン変更
 iTunesのスキン(外観)はMulti Pluginの導入で変られるようになっている。ところがこれとVersion7が相性が悪いために問題が起きている。ネットでも議論されている有名な問題だ。私も何度かやってみたがほとほと疲れてあきらめた。今はデフォルトのままである。

 ネットで検索すると「いかにしてMac用のiTunesに近づけるか」と努力している人が多い。私もMulti PluginでMac用のiTunes風になったことがある。すこしばかり感激した。ちょっとかっこいい。でもこれってリクツ的にはおかしい。そんなにそれが好きならWindowsなんかやめてMacにすればいいのだ。

 これらのことから感じるのは所詮iTunesはMac用ということである。私は(かなり不本意ではあるが)現在Windowsユーザーなので無縁のMacにあこがれるようなことはしたくない。それはいわばグッチのバッグにあこがれながら買えないので安物のバッタもんを使っているようなものである。本物をもっている人に出会ったとき恥ずかしいだけだ。そんなことをするならビニール袋でもぶらさげているほうがいい。

 現在iTunesは以下のようにデフォルトのまま。色を変更できないので倦きてきた。



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◎Winampの自由度
 その点WinampはWindowsのために開発され歴史があるからSkinも充実している。私はなんとなくWinampが使いづらく敬遠してきた。とっつくにくいソフトだった。今回初めてやってみた。一度憶えてしまえば簡単だった。食わず嫌いで敬遠してきたことを反省した。いまSkinはDefaultのままColorだけ「Clover」にして使っている。下の絵がそれになる。




 Skinも豊富にあり替え放題である。使用者が作ってUPしてくる。一番人気のものを見てみたらDownload数が千八百万を越えている。すごいな。Winampって世界でどれぐらいの人が使っているんだろう。数億人か。

 左が世界中で千八百万人にDownloadされている一番人気のスキン。デフォルトはオレンジ色なのだがなぜか最近燃えている私は赤に変えて使っている(笑)。
 こんなふうに外観や色づかいを好き放題に替えられる。そういうことが大好きな私なのだからMac風デザインで一定しているiTunesより、もともとこっちを使うべきだったのだ。やっと気づいた。

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 これらに接して毎度思うのは白人との感覚の差。最新のものから人気順等、多くのSkinが並んでいるが、いくつかの人気Skinはどこがいいのか理解に苦しむ。気味の悪いデザインとしか思えない。実際に入れてみたら良さがわかるのかもとDownloadして入れてみた。よくない。急いでデフォルトにもどした。とてもこんなものを毎日は見られない。

 音楽ファイルのエンコーダーソフト等のデザインにも多いが、ドクロやネズミを愛好する彼らの感覚は受けいれがたい。それはヤクザのイレズミを見れば判る。東西の感覚には差がある。でも日本人のバカガキにはこれから腕にドクロや骨十字を彫ったりするのが増えるのだろう。もう増えているのか。ヤマモトキッドなんて全身落書き坊やがテレビに出ちゃだめだって。


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◎結論
 いまiTunesへの未練は、ここ数年毎日愛用してきて使い慣れてことだけである。一方不快に思っている缺陥は五指に餘る。

 対して食わず嫌いだったWinampを理解しようと努めて、いまわかりつつある魅力は多数ある。QCDやSongbird、Media Monkey、Jet Audioも使ってみたので、結果的に多くの人の要望を受けいれこまめにヴァージョンアップしているWinampがいかに利用者好みに改良されている(いまもされつつある)ソフトなのかよくわかった。
 いまのところ不満はiTunesでよくやっていた「Genre再生」が出来ないことだけだ。いやWinampが出来ないはずがない。私がまだ知らないだけなのだろう。

 しばらくiTunesと別れよう。iTunesが最高だと思い込んでいたから今まで不満を感じつつも堪えて付き合ってきた。そうではないと知った。単に私が音楽再生ソフト音痴だったのである。目が覚めた気分だ。
(いやこの言いかたは問題あるな。私はWin98時代から使い易い音楽再生ソフトを捜すことに熱心だった。当時からPCと音楽、再生ソフトは密接に繋がっていた。あれこれ捜しまわり有料の製品をいくつも購入している。古いPC関係のファイルにもそのことに触れたものは多い。そういう私が一瞬にして夢中になったのだから、やはりiTunesは特別にすぐれたソフトなのだ。そのiTunesに不満を感じたことからまたあらたに捜しまくり、身近にいた青い鳥のWinampに気づいた、とそう解釈すべきだろう。)

 当面iTunesはiPodの更新専用になりそうだ。これも他のソフトで出来るが、iPodとiTunesはセットなのだから、むきになって分離させる必要もあるまい(笑)。そこまですると病的な潔癖症になってしまう。

 私はMac使いでもないのにMacにあこがれるような矛盾を嫌う。今回Winamp利用者になったことで気分的にすっきりした。


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【附記】 ますますWinampに……

 ネットでYo-Yo Maのファイルを入手した。アムステルダムのバロックオーケストラとの共演である。
 ところがこれMPCファイルとなっていてWinampもiTunesも読みこめない。それぞれ取り得はあるものでJet Audioはデフォルトで対応しているらしく、曲名をクリックすると立ち上がって再生をはじめた。すばらしい演奏である。しばし聴きほれる。Jet Audioに感謝したが、かといってJetを通常使う再生ソフトにする気はない。これはこれでいくつも使いづらい問題点がある。iTunesかWinampがMPCファイルに対応してくれないと困る。
 Winampはすぐに対応策がみつかりDllをプラグインに入れたらすぐに再生可能となった。
 iTunesももちろん対策があるのだろうが、ネットで調べ、なにをどうすればいいのだと考えているうちにいやになってしまった。すくなくともWinampよりは解決策がむずかしかった。これはOggファイルのときにも経験している。

 これはふたつのソフトの個性の差であろう。
 Winampにはなんでも取りいれどんなファイルにでも対応しようという気持ちがある。iTunesは自分達が開発し押しすすめているAACファイルがいちばん優れていると自負し、すべての圧縮ファイルはAACになるべきと思っている。その他のファイルに積極的に対応しようとはしていない。第三者がそれをするならじゃまはしないが、というような姿勢だ。つまり「孤高のMac」そのものなのである。Winampはどんな汚れ仕事でもやりまっせという大坂商人的腰の低さ、iTunesは武士は食わねどの誇り高い姿勢である。
 両者それぞれだが今の私にはWinampの迅速な対応が好ましい。ますますiTunes離れが加速しそうである。
2008
08/11
 iTunes嫌い



 iTunesへの不満が高まり、もう縁を切ろうと思ってペンを執った。しかしここを読みかえしてみると、すでに07年の6月にそうとういやになっていると気づいた。ということはもう06年ぐらいからいやになり始めているのだ。マッカーのmomoさんから教えてもらって使いはじめたのが05年の2月だから、むしろ蜜月期間の方が短かったのか。

 と思ってこの「iTunes」と名づけたファイルを読みかえしてみた。導入した2月から3月、4月は、iTunesの便利さに感激し夢中になっている。かつてはこんなに好きだったのかと、大袈裟ではなくちょっと胸が熱くなってしまった(笑)。冷えきった仲の夫婦が知りあったころの写真を見る思いである。やはり記録は偉大である。しみじみ書いておいてよかったと思った。書いてなかったら、どうしても今の気持ちが優先されるから、「まあ、導入したときからたいしたもんじゃないと思ってたんだよね」なんて言いそうだ。惚れこみ、夢中になって毎日いじりまくっていたのに。

 05年、06年となんとかつき合ってきたわけだ。でもCDをAACに自動変換して取りいれてくれる便利さに感激しつつも、あのころはまだAACを再生できないソフトも多かったから、その独自の押しつけには最初から抵抗感があった。むろんその程度のことは、設定をmp3に替えればすむのだからたいしたことではない。そういうひとつひとつの細かなことよりも、もっと全体にあるMacの唯我独尊的雰囲気が、不本意ながらもずっとWindowsをやってきた私には馴染めなかったように思う。その唯我独尊的傲岸さがマッカーにとっては魅力なのであり、それすなわち巷間指摘されるマッカーの体質その物なのだが(笑)。
 つまり、とても簡単な結論だけれど、iTunesとはマッカーとiPodのためのソフトなのである。最初からわかっていたことをあらためて確認して結論になった。

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 iTunesに不満を持ち、縁を切りたいと、Windows用に開発されたWinampやMozillaのGekkoエンジンを使ったSongbirdを使ってみたりする。なかなか一長一短がありすべてに満点のものはない。Winampを使っていたが、HDD内のミュージシャンを検索するのにiTunesを起動してそっちを使ったりする。なんのかんの言っても夢中で使いこんでいた時期があるから使い易い。しかしそこでまた重複曲を自動で整理できないことや削除した曲をマーク附きで表示していること(他のソフトは実態のないそれは自動で削除してくれる)のような不満が湧きでてくる。うんざりし、終了する。

 Songbirdはまだ開発その物が手探りの状態だから満点には程遠い。それでも「黒いiTunes」を売りにしていたのを上掲写真のようにiTunesと同じ色合いにしたりして、ぐんぐん進化してきた。Version1.0になって一気に充実してきた。やっとiTunesと本格的に縁が切れそうである。iPod用には使うけれど。べつに怨みがあるわけじゃないから、iPodを使うのにいちばん便利なiTunesを無視して他のソフトで代用させる気もない。
 後発のSongbirdは腰が低く(笑)、初期設定のときに「iTunesファイルを読みこみますか」と尋いてきたりする。王様のiTunesが「他の音楽ソフトの情報も読みこみますか」と尋いてくることはないだろう。SongbirdのiTunesに追いつけ追いこせとばかりにこまめに更新し進歩する姿はすばらしい。すなわち、IEとFierfoxの関係である。たとえ話とはいえiTunesはIEにされたら怒るだろうが(笑)。

 私は「文句を言いつつつき合っているのが嫌い」である。嫌いならつき合わなければいいのだ。だが世の中そんなに単純ではない。嫌いで嫌いでしょうがないけど食うためにその会社にいたり、いやな上司とつき合ったりしている。
 だからせめてフリーソフトぐらいきちんとしたい。文句を言いつつiTunesを使うなら、他のソフトに切り替えればいいのだ。
 ということでここのところ、ほとんど再生はFittle。曲の抽出が必要なときやインターネットラジオを聴くときはSONGBIRDやWinampを使うようになった。iPodにはすなおにiTunesを使おうと思っているのだがiPodをぜんぜん使わないので、ほとんどiTunesとは他人になっている。おかげでストレスと無縁になった。とにかくあの「ない曲をグレーで表示される」のはストレスが溜まる。最初のころはあれをひとつひとつ選んで消していたものだった。
08/11/10


 MediaMonkeyの魅力



 いま私が最も多用している音楽再生ソフトは上掲写真のFittleである。Explorer感覚の再生になる。便利で使い易い。作ってくださったかたに感謝。

http://hp.vector.co.jp/authors/VA039869/



 先日、apeファイルの変換をせねばならなくなり、ひさしぶりにMoykeys AudioをDownloadした。どうにも白人の猿好き、鼠好きにはついてゆけない。それは以前にも書いた。
 iTunesと同じようなソフトでMediaMonkeyというのがあり、iTunesに不満を抱きはじめたころにDownloadして使ったことがあった。ところがこれが重い。HDD内の1万曲を読みこむのにとんでもなく時間が掛かる。iTunesはごくまともに出来るのだからこのソフトが重かったのだろう。当時私のPC環境はどうだったのだろう。OSはWin2k、CPUはCeleronの3.2GH、メモリが1.7G、HDDがSeagateの320GBと250GBを使っていたころか。いやもしかしたらその前のメモリ512MBのころか。HDDもHGSTの160GBだったかもしれない。とにかく、重くて使い物にならずあきらめた。私のPC環境も自慢できるものではなかったが恥じるほどでもなかった。同じようなその他のソフトはまともに動いたのだから、やはりこれはMediaMonkey側の問題だろう。機能もiTunesよりすぐれているわけでもなく、なにより猿嫌いの私には全面に猿を出したデザインからして好きになれなかったので、このソフトを愛用できない無念はまったくなかった。

   今回、Moykeys AudioをDownloadするついでにMedia MonkeyもDownloadしてみた。前回の思い出があるのであまり期待はしていなかった。すると、デザインから一転していた。以前の面影はまったくない。別ソフトだった。使ってみると、こちらのPC環境がOSはVista-Ultimate、CPUはCore2Duo、メモリ4G、HDD1TBと強化されていることもあって問題なく動く。

 そしてこの新型MediaMonkeyは、長年私が待ち望んでいた「Explorer感覚の再生」と、楽曲をジャンル別に分類した「iTunes的再生」の両方が出来るソフトだったのである。



 上の絵はiTunes的に、「Fusion」のジャンルに分類されたミュージシャンを選んで再生している例。

 下はFittleのように、Explorerの「Music-Classic」と私が名づけたフォルダから再生している絵である。




 これがそのライブラリの項目。Fittle的な「場所」と、iTunes的な「ジャンル」のふたつで充分だが、その他の項目もけっこう役だってくれる。「録音年」を選んだら最古で1890年というのが出て来たが(笑)、そりゃ音楽の作られた年で録音年ではないだろう。

高機能なライブラリを備えたオールインワン型の音楽プレイヤーソフト。 MP3/WMA/WAVE/Ogg Vorbis/FLACといった形式に対応し、音楽CDからのリッピング機能やCD作成機能、タグ情報からの一括リネーム機能などを備える。

曲名の頭文字やアルバム名、アーティスト名、年代などによる分類に加え、本ソフトで独自に追加可能なテンポやムードといった分類でツリー表示できるライブラリを備えているのが特長。

さらに、“SHOUTcast”や“icecast”のインターネットラジオを再生する機能や、アーティスト・アルバム名から“Amazon.com”を検索し、楽曲情報をタグに自動入力する機能、各種携帯音楽プレイヤー内の音楽ファイルを管理する機能などを備えている。

そのほか、「Winamp」用のプラグインにも対応。またインストールフォルダ内には、高速に起動するために本ソフトからスキン機能を省略したバージョン“MediaMonkey (non-skinned).exe”も用意されている。


 以上は『窓の杜』の説明。以前は日本語化も面倒だったが、最新のものは「言語」に日本語がふくまれているのでランゲージファイルのDownloadや解凍の必要もない。

 最強の再生ソフトである。お勧めだ。

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