日々の雑記帳

わからん

ウヨクの街宣車


 真っ黒けの不気味な車輛が、音質の悪いスピーカーから大音量で「同期の桜」を始めとする軍歌を流して歩く。パンチパーマの見るからにヤクザとわかるバカ面の男が、煙草を吸いながら運転している。助手席もしかり。
 これに好意を持つ人はいないだろう。

 私もそうだった。軽蔑していた。呆れていた。
 そしてまた当時から思っていた。彼らのあの行動はやくざとしての仕事であり、彼らに金を出す連中がいるからやっているわけだが、それは「右翼のイメイジダウンのためではないか」と。だってどう考えてもあの街宣車とバカでかい音響から、好意を持つ婦女子はいないだろう。子供は恐れおののきつつ、「あれって、なに?」と親に尋ねるだろう。親がどう答えるかは火を見るよりも明らかだ。あれを見て「軍歌っていいなあ、僕も大きくなったらあんな人になろう」と思う子供がいるはずがない。だったらあれに金を出しているのはサヨクということになる。

 そのころはまだ心情サヨクだからよかった。彼らを嗤っていればそれで済んだ。
 しかし今、民族獨立派として真剣に嘆いている。あれは冒涜だ。あの割れるような大音量で、誰もが眉をひそめる形で軍歌を流すのは英霊に対する冒瀆である。
 同じ事でも、清潔なクルマで、正当な音量で、まともな服装で、まともな社会人がしたなら世間の反応も変ってくる。
 どういうことなのだろう。彼らに金を出している右翼の発想が先ずわからない。イメイジダウンと思わないのだろうか。パンチパーマで運転席からタバコを道路に投げ捨てるようなヤクザ(ヤクザ以前のチンピラか)にいくら軍歌を流させても、国民の嫌悪感を助長させているだけだと気づかないのだろうか。
 わからん。あまりにもったいない。そこにあるバランスの実態がわからない。


在日朝鮮人の感覚


 世の中ひろしといえど、そんなに理解できないモノがあるわけではない。
 たとえば北朝鮮だ。アメリカとの力関係から北朝鮮に傀儡政権を作らねばならなかったソ連の思惑、そのために選ばれ抗日ゲリラの首領だった金日成の名を語って(語らされて)北朝鮮に送り込まれた男、その男の粛正による権力確保、我が子にすべての権力を譲渡しようとする世襲制、二代目となった男の権力維持への執念、国民に饑餓を強いつつも自分だけは美食に溺れる性癖、情報操作された国民の権力者に忠誠を誓う感覚、それでも餓えには耐えきれず国外脱出する行動、日本人拉致から核開発まで、賛成か反対か支持か不支持かはべつとして、人間の感情としてリクツとして理解できるモノばかりである。

 しかしわからないものもある。私にとって唯一とも言えるのが、日本にいる在日朝鮮人のこの政権を支持する感覚である。情報を遮断された北朝鮮にいるのではない。自由主義国家にいて、その恩恵を受けて経済的にも恵まれ、真の情報を得ているのだ。あれが悪政であり、同胞が苦しんでいるとわかっているではないか。なのになぜあの体制の祖国を支持するのであろう。
 祖国が愛しいものであることは解る。唯一無二の存在であることも解る。親戚縁者に会いたい気持ちも解る。その親戚縁者が苦労をしているのだ。悪政に苦しみ餓えにさいなまされているのだ。だったら正しい情報を保ち、経済的にも恵まれているのだから、祖国のために、親戚縁者のために、すべての同胞のために、その歪んだ獨裁政権を倒そうと心がけるのが人なのではないか。あの獨裁政権が倒れれば民主化が成り、日本とも国交が恢復し、こちらからもあちらからも行き来が自由になる。それですべて万々歳ではないか。
 だが実際に彼らのやっていることは、朝鮮学校で金親子を讃える教育をし、自由主義国家日本で経営するパチンコ屋や焼き肉屋で稼いだ金をせっせとあの獨裁政権維持のために送金しているのである。北朝鮮がとりあえず存在できているのは日本からのこの送金があるからである。この送金を完全に止め、船による物資の輸送も止めたなら、あの国はすぐに倒れる。日本の在日朝鮮人が金帝国を支えているのである。だからこそ日本が経済制裁(なんて難しいことは必要ない。送金できないようにするだけでいい)をしようとする流れには、あちらも核をちらつかせて必死に逆らう。死命線だからだ。
 わからん。ほんとーにわからん。

 寡聞にして知らないが、手広くパチンコ屋を経営している在日朝鮮人の金持ちで、あの政権の悪を指摘し、金体制打倒のための行動をしている人はいるのであろうか。

金持ちの貧乏かつら


 かつらは高い。いいものだとすぐに三十万ぐらいしてしまうらしい。貧乏人が一目で分かる安物をかぶっているのはわかる。植毛は百万、二百万はかかる。そう簡単に出来るものではない。だが大金持ちが安物かつらをかぶっているのはなぜなのだろう。わからん。

 著名な経済評論家だかなんだか知らないけど、東大からハーバードとかそんな経歴で、テレビにもよく登場するホリなんとかという人がいる。馬主でもあるので競馬場の特別席でよく見かける。一目で分かる安物カツラをかぶっている。町のしょぼくれたおっさんレヴェルのかつらだ。あれがわからない。馬主になるぐらいだから、となにも馬主であることを出さなくても、彼は百万や二百万など金のうちに入らないぐらい稼いでいる。なのになぜあんな百人が百人一瞬にしてカツラと思うものをかぶっているのだろう。マエダタケヒコに代表されるように、世の中には植毛を利用してまったく自然な髪をしている芸能人はいくらでもいるのに。

【附記】
 と書いて考えた。かつらでよく見かけるものに病気で毛を失ってしまった場合がある。それは首筋辺りにも毛がないから、そうなのであろうとすぐにわかる。とすると、植毛は基本として側頭部、後頭部にある自毛の移植であるから、ホリなんとかさんなんかは移植する毛もないということなのか。
 そういう事情や頭の形とか、いくつもの理由があるとは思うけれど、大金持ちが一目でそれとわかるのを載せているのはやめてもらいたいと思う。それだけかつらの分野は難しいのであろうし、これからも金になるということか。

わからない-高橋さんの故郷訪問
(02/4/28)

 土日のサンスポ競馬欄に作家の高橋源一郎が予想コラムを書いている。おもしろいので毎週愛読している。今週はなぜか母と故郷に行った話が書いてあった。
 要約はこう。《「故郷訪問」のようなテレビ番組から声がかかり、75歳の母が前々から一度、死ぬ前に祖父母(母にとっては父母)の墓参りに行きたいと言っていたので、番組に便乗してゆくことにした。》
 ぼくからすると不思議でならないのは(登場する故郷はたしか山口県だったと思うが)、彼が「ぼくも行くのは初めてである」と言うこと。実の母と一緒に今住んでいて、それでいて母方の父母の墓に行ったことがないのはどういうことなのだろう。今の日本、たかが山口県あたりに「死ぬまでに一度行きたい」と言うのも大げさだ。行く気なら日帰りでも行ける。さらに、故郷で彼は母の弟(叔父さんですね)に会うのだが、それがなんと34年ぶりなのだ。ますますわからない。そうして二人は、もう二度と会うこともないでしょうからお元気で、と握手をして別れたというのだが……。わからない。わからないことばかりで、ぼくは短いコラムなのに、理解できないことばかりが並ぶ文章を読んでこんがらがってしまった。

 父方母方の祖父母とも、彼岸やら命日やらで、年に何回も墓参りに行っているぼくからすると、ほぼ同い年の彼のこの経歴が不思議でしょうがない。彼は大の旅行好きで欧米にも頻繁に行っている人だから、山口ごときに行くのはわけないはずなのである。それが今までただの一度も行っていないことには、かなり複雑な事情があるのだろう。こういう場合まず考えるのは、親戚が死に絶えてしまっていることだが、母の弟がいるのだから、ずいぶんと近しい人がまだ健在であることになる。

 考えられるのは、ご母堂になんらかの事情があり、親戚と絶縁状態になっていたことであろうか。たとえば道ならぬ人と駆け落ちしてしまい、それで生まれたのが高橋さん兄弟(あの人、兄弟いるのかな)だったとか……。だけれども、ここでまた思うのは、というかか思わずにいられないのは、お母さんのそういう事情と孫が祖父母を慕う気持ちはまた別なのではないかということである。ぼくが彼の立場だったら、大学生時代ぐらいに、自分の故郷となる土地を確認したいと思い、祖父母に会いたくて(すでに鬼籍に入っていたらせめて墓参りでもと)出かけてしまう。彼はそれをいっさいせず、五十歳のきょうまで一度も行かずに過ごしていたことになる。今回の場合も、母のために、有名作家となっての凱旋帰国だし、テレビとのタイアップだから受けたらしい。つまり、彼個人の純粋な発想では母方の祖父母の墓参りに行く感覚はまったくなかったことになる。この辺の感覚が、いつでもどこでもご先祖様と一所に生きている感覚のぼくには不思議でならない。

 高橋さんは、学生結婚をしていて、その後も四回か五回結婚している人である。もちろんその回数に匹敵する離婚を経験していることになる。それは、常に前だけを見て歩いてきたことになるのだろう。ご先祖なんてのは過去なのだ。祖父母の墓参りなんてことは考えたこともなく、ぼくがここに書いているようなことを聞いたなら、「えっ!?」と不思議な顔をするのかもしれない。それは思ってもいなかった発想行動になるのだろう。

 ぼくは彼のブンガクがまったくわからない。なんどか立ち話をしたことはあり、競馬文章を書いている縁から、親しくなる機会はあったが、肝腎の彼のブンガクに興味がないのだから話が弾むこともなかった。



 これは彼本人ではなく、彼と親しい、感覚の似ている物書きとの話なのだが。
 その人がぼくの文章を評して、「あの人はエンカでしょ」と言ったらしい。編集者から聞いた。ぼくと仲の良かった編集者は、そんなことはないと口論してきたと言うのだが、それはともかく。
 正直ぼくその評を聞いたとき、あまりいい気分はしなかった。演歌よりもJAZZのほうがレヴェルが高いとか、そんなジャンルの順位つけをする気はないのだけれど、彼の言ったエンカには、いわゆる「あの人はナニワブシだからね(笑)」とか「お涙ちょうだいでしょ(笑)」のような言いかたに通じる、見下げた感覚を感じたからである。その場にはいなかったけれど、それは間違いないだろう。
 これがまたこちらの一目置いている人だったなら、落胆したり発奮したりもするのだろうが、ぼくもまた彼の文章が嫌いだったから、単純に不快になり、その編集者に思わず、「ぼくがエンカなら、彼のは電子音ですよね、打ち込みの」と即応してしまったのだった。すこし恥ずかしい。
 それは彼の無味乾燥な文章を精一杯皮肉ったつもりだったが、音楽を知らない年配の編集者は、ぼくの比喩がわからなかったようで、そこから話が広がることはなかった……。

 今回の墓参りの話を読んで、そのときのことを思い出した。
 彼の言った、ぼくの文章がエンカであるは、古くさいとか、単純とか、いくつもの否定的意味あいを含んでいるのだが、単純明快に湿度で言えばウェットである。ぼくが彼の文章に対して言った電子音はそのままドライ、無機質になる。
 ぼくの作品がウェットであるかどうかは知らない。確かなのは、彼はそれをおとしめる言葉としてエンカといい、言われたぼくは、それをそういう意味と採ったことだ。ぼくはそう思ったことを、いま恥ずかしく思っている。

 だいたいにおいて若いときにはアンチのほうがかっこよく思える。学生運動なんてのはその最たるものだ。「日本が好きだ、ぼくの国だ」と言うのはダサく、「国なんて概念はね、ぼくにはないんだ」と言うほうが格上に思える。それと同じ感覚で、ぼくの中にもウェットを格下に思ってしまう感覚があったらしい。そのことがたまらなく恥ずかしい。
 タカハシさんの墓参りの話を読んで、ぼくはエンカであるらしい自分の文章と、エンカ的な生き方に、すこしばかり自信を持ったのだった。



(03年6月)

 送られてきた『アサヒ芸能』に、なぜかとても唐突に「高橋源一郎の貧乏話」とかなんとかそんな見開き2ページの記事があった。なんの脈絡もなく突如の登場である。なんだろうな、これは。編集者と彼がどこかで偶然会って飲み、貧乏話になり、「あ、ぜひそれウチに載せてくださいよ」なんてことになったのか。そんなノリである。
(後日註・違っていた。バックナンバーを見てみたら、なんだかそういう「有名人貧乏回顧話」のような連載が数週間前から始まっていたらしい。その中の一回だった。)

 それによると高橋さんは山口県萩で両親弟の四人で育ったのだそうだ。れいによって一時は事業を経営していた父のお蔭で裕福、それがかたむいて関東方面に一家四人で夜逃げ、一時はお父さんが盛り返すが、そこからまた落ち目、四畳半一間に家族四人の生活、空腹で空腹でたまらずタンスの中にあった皿を食おうかとおもったとか。そういう貧乏話だった。そのときに経済的援助をしてくれたのがお母さんの母、その萩にいたおばあさんなのだという。高橋さんも中学生の頃は頻繁に行っていたようなことを書いている。となると、益々上の話はわからなくなってくる。

 話は四回の離婚と慰謝料になり、それを払うために働きまくっているようなことを言っている。そこでは「相手の言いなりの金額で慰謝料を認めてしまうから、払うのが大変」と太っ腹なことを言っている。しかし現実には約束の慰謝料を月々払わないため別れた妻が不満を言っていると競馬業界から伝え聞く。ま、それはどうでもいいことだが。
 結びは、親戚の人も死に絶えて萩はもうふるさとではなく、どこがそうだろうと考えたら学生時代を過ごした鎌倉を思い出して、鎌倉に引っ越した、今は鎌倉が自分のふるさとだ、というようなものだった。

 これを読んでもぼくの疑問はまったく解けていないのだが、無理矢理こじつけると、夜逃げのような形で逃げた萩だから、いやな記憶へとつながり、帰れるようになっても帰りたくなかったということであろうか。しかし母親の「死ぬ前に一度墓参りに行きたい」も奇妙だし、高橋さんも「初めて行く」とか書いているし、あちこち矛盾していて、やはりよくわからない話である。母親だってそうして援助してくれた母なのだから、自分ひとりでも墓参りに行っていなければへんだ。とはいえあちこちに不義理をして夜逃げをしたのなら、こういうものなのかもしれない。わからない世界の話だからよけいなクチバシをつっこむのはやめよう。
 たしかなのは彼の強烈な性格が「あまりに空腹でタンスの中の皿を食おうかと思った」のような貧乏体験から作られたのだろうということだ。競馬場のパドックで芥子色のアルマーニのスーツを着て、まるでお笑い藝人のように異様に目立っている彼の感覚がぼくは理解できなかったが、こういうのを読むとそのへんはわかってくる。まさに作家の中の作家である。
 やはり貧乏とか苦労というのはしないにこしたことはないと思う。彼には西川きよしと同じにおいをかんじる。
(03/6/27)

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