思い出話


──VTからDVDへの移植作業について

04年暮れにHDDレコーダを購入し、数年来の念願だったヴィデオテープ(以下VT)からDVDへの移植を始めた。およその数量は目算で800本ほど。終了するのはいつになるだろう。収納家具の中に並べられたVTが日ごとに減って行くのは気分がいい。

 VTを過去の遺物と退ける気持ちもなければDVDを便利でコンパクトでと賞賛するつもりもない。私にとってVTの致命的な缺点とは私の下手な字にある。下手な字で「競馬1981年ジャパンカップ」と書かれているのを見ると、記念すべき第一回ジャパンカップのヴィデオだという以前に、なんて下手な字で見にくいのだろうとしらけてしまう。VTそのものにはなんの責任もない。
 だったらラベルプリンタで作ればいいではないかと言われそうだ。たしかにアレで作り、貼り直せばVTに関する私の不満は99%解決される。(残り1%は頭出しの不便さ等。)
 やろうと思った。やらねばと思った。20年前から思っていた。まだワープロが作業の中心だった頃にワープロ用のそういうラベルを買ってきたこともある。そう思いつつもそのころから外国旅行に凝ったことも重なって、そのうちそのうちと延期を続け、外国旅行のあいだも6台のVTRを使って留守録をしていたから、下手な字のラベルのVTだけが増え続けていった。

 増えすぎてしまうと今度は、その数量に圧倒される。これらのすべてから下手な字で書かれたラベルを剥がし、いちいちラベルプリンタで作ったシールを貼るというのは考えただけでうんざりする。そしてまた下手な字のラベルもそれだけずらりとそろえば、もうこれでいいかと居直っても来る。
 ちょうどそのころからDVDが話題になり始めた。まだまだ高価だったが将来はVTからDVDに替わるであろうことはレコードとCDの関係からも確実だった。だったらそれまで待とうと思った。DVDのラベルを上手に作れるかどうかは未確定だったが、DVDに移植するとき、印刷物のきれいなラベルにしようと誓った。いわゆる「懸案の先送り」である。保身に懸命の政治家みたいな発想だ。

 というわけで昨年からやっと移植作業が始まった。そのことに関するドタバタは今までも何度か『作業日誌』に書いてきた。二十数年来録り溜めたテープを整理すると、そこにはたかがテレビ番組であれ、いろいろな想い出が詰まっているのだと気づいた。
 私のこの移植作業の目的は「老後の楽しみ」である。名目上。しかし作りはしたが見ない可能性は高い。その証拠にVTは録るがほとんど見ていない。『PRIDE』のように観ながら録るものはそのとき見ているし、早指し将棋のようなのは、あとでしっかり見ている。でも中には録画はしたもののそのままのものも多い。特にアカデミックなものはそうだ。もともとそういうものとは縁遠いがさつな男が、たまにはそういうものも見ないとと思いついたように予約録画する。でもやっぱり見ない。たとえばそれは世界遺産のような映像だ。そういう見ていないものも多ければ、なにより「録った」ということに満足してそれで終わりというタイプだから、VTからダビングしたDVDを見直すことはまずないと言える。

 そう考えたら、今この時期、移植のためにしっかりそれらを見ている時間、そこから感じる気持ちは貴重なのではないかと気づいた。
 心に刻まれた映像は一度きりのものである。見直す気はない。たとえば「ファンクスとブロディ・スヌーカの最強タッグ決勝戦に突如ハンセンが乱入」というテープ、あるいは「ルドルフが前年の雪辱を晴らしてジャパンカップを圧勝。2着に船橋の桑島ロッキータイガー」というテープ。私はその流れ、結果を覚えている。心と頭に鮮明に刻まれている。べつに今更VTを見る必要はない。見たくもない。そういうものを見て「そうそう、あのときはこうだったんだよな」と楽しむ気持ちが私にはないのである。もしかしたらそこにはあたらしい発見があるかも知れないし、私の記憶には勘違いがあるかも知れないが、私はあの日あのとき心に刻まれたものを、もういちど見直したいとは思わない。なにしろ旅から帰っても写真を見たことすらない。撮ったことすら覚えていない。過ぎたことをそういうものから懐かしがる感覚がないのだ。だからこういうことに関して「もう何十回見たかわからない。見るたびに感動する。涙が出る」なんて人とはまったくかみ合わない。
 だったらヴィデオなんか録るな、となる。旅先へもカメラなんかもってゆくな、である。そう思っている。その通りなのだ。それがわかっていても録画し、カメラを持参するのが凡人のかなしさだ。
 カメラはともかく留守録はしかたない。その場にいられない初めての映像だ。だが私のリクツなら、見たら消してしまえ、になる。VTを取っておき、さらにはDVDにダビングしてまで保存する感覚は矛盾する。
 録っておいても見ないのならその意味がない。

 でもダビングするときの作業課程では見ざるを得ない。いやでも目に入ってくる。
 VTをまずHDDにダビングする。エコノミーモードの6時間だ。このHDDファイルから不要番組を削ったりCMを削除したりする。整理して2時間ずつ3枚のDVDに保存する。つい最近までVTの6時間を1枚のDVDに入れていたのだが、だいぶ画質が落ちると感じた。今は2時間ずつ3枚にしている。この辺もすべての能力でVTよりDVDの方が上と思いこんでいた勘違いによる。

 基本として性格上、そういう古いヴィデオに見惚れてしまったというような「引っ越しのときの新聞」みたいなことはないのだが、それでも意外な勘違いに気づいたり、忘れていたCMを思い出したり、ほんの5年前のものを見て、まだ5年でしかないのかと思ったり、もう5年も経ったのか、と驚いたりすることも数多い。
 もしもタビングの最中に感じたこれらの感想を書くことがあるとしたら、それは老後の楽しみとしてこれらのDVDを開いたときである。二十年ぐらい先か。でもこれはまずない。私は多分これらのDVDを取りだしてむかしを懐かしみつつ見るなんて事はしない。ましてその感想を書くなんて。それよりもそのときを楽しんでいる。そのときの自分を書いている。それが私の生きかただ。これは今までの自分史からも間違いない。

 とするなら、二十数年前から昨年までのVTをアトランダムに見てあれこれ考えている今はかなり珍しい時間になる。だったらそこで感じたことをファイルにまとめておこうと思い立った。なんだかこれまた長いファイルになりそうである。二十数年、ヴィデオテープ800本分の思い出話であるから。(05/8/24)

偶然の命日
アンディ・フグ

05/8/24
 2000年のK-1をダビングしていた。
 K-1に関しては言いたいことがいっぱいある。ひとことで言えば「グランブリ以外はおもしろくない」に尽きる。もともとコアな部分はすくない。それを拡散に次ぐ拡散で勢力を拡げてきた。その拡散に匹敵するだけのスター選手の補充が間に合わなかった。そういうことであろう。その意味じゃなんのかんのいってもボブ・サップの発見は大きかった。
 K-1ジャパンなんて保存するに能わない。つまらないVTはDVDにせず破棄するつもりでいる。てなK-1論はともかく。

 このVTは2000年8月20日の横浜大会だった。
 4ヶ月前にノックアウト負けし、栄光の歴史に傷をつけたピーター・アーツシリル・アビディに復讐戦を挑む。が、腰を痛めて試合放棄する。連敗。ここからあのK-1の初期を飾った最強のアーツは凋落して行く。今は総合への転身を目論んでいるとか。大男だからそこそこ行けるか。
 もともと練習嫌いで天分だけでやってきた人だ。落ち始めたら早い。彼自身、負けが込むこの時期に「今までなにもしなくても勝てた。今、みんながおれに追いついてきた」と語っている。慢心。自信過剰。不摂生のつけ。追いつかれたからまた引き離そうとしたが、引き離されたのは自分だった。まさに兎のアーツ、亀のホースト。天才が堕ちて行く試合としてこの腰痛の試合放棄は鮮烈だ。

 このころシリルが好きだった。まさか後に素人のボビー・オロゴンに負けるようになるとは思いもしない。シリルはサップの圧力で背中を向けたときに終った。町のケンカ屋出身だからこそ「あ、こいつには適わない」と思ったら負けるのは早い。尻尾を巻いた犬だ。
 その辺が殺人現場を駆け抜けてきたミルコとの心の差だ。ミルコの虎となって象のサップを食い殺したあの覇気を見よ。ミルコの心の強さを見るとき、シリルの限界が見える。
 前年、99年の決勝戦がホーストとミルコ。96年にミルコ・タイガーとしてK-1初参戦したミルコが初めて檜舞台に登場した年である。この辺もまたあらためて書くこともあろう、K-1の項で。先を急ぐ。
 決勝戦はフィリオとシリル。フィリオが勝ってグランプリ進出。

 と、わかったふうなことを書いてきたが、記憶はまったくいいかげんで、ダビングしたHDDファイルを、CMカットをしつつ見ていて、試合の流れ、結果をやっと思い出したのだった。
 たとえば私はこの時点で極真チャンプのフィリオはまだ無敵だと思っていた。しかしあのベルナルドにKO負けした衝撃の試合は98年だった。2年も前である。ミルコが準優勝する99年よりも前だ。三択問題で出されていたら絶対に外している。あの負け試合からもう7年か。記憶とはなんといいかげんなのだろう。

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 この試合のあとに「アンディ・フグ死亡」の特番が録画されていた。このことはニュース速報で流れた。それは明確に覚えている。その日の夜、フジのスポーツニュース枠が特別枠で流した。数日後の深夜に特番が組まれている。その両方が録画されていた。
 私はアンディ・フグに格別な思い入れはなかった。ブロディや馬場、鶴田、橋本のときのような衝撃も受けていない。いや充分に衝撃ではあったがそれは「まさか」という意外性であって、馬場のときのように涙を流すたぐいのものではなかった。それでも当日のプロ野球ニュース枠のそれや特番を録っているのだから、それなりのものだったのだろう。野球が嫌いなのでプロ野球ニュースなど見たことがないのだから。

 三宅アナが職分を忘れて涙ぐんでしまう気持ちはわかる。藤原紀香の涙もわかる。K-1黎明期からのつきあいである。控え室や打ち上げで接することも多かったろう。

 私がアンディに興味がなかった理由は単純明快である。強いと思わなかったからだ。カカトオトシは見栄えのするおもしろい技だったが王道を行くものではあるまい。アンディの試合でいちばん印象的なのはベルナルドを破って優勝したときよりも、翌年、フィリオに瞬殺されるシーンだ。まるで前年チャンプという肩書きは、満を持して出場してきた極真チャンプの噛ませ犬になるためのようだった。また前年チャンプなれたのもトーナメント組合せの妙でもあった。あのワンデイ8人トーナメントはそれがおおきい。

 どんなに好きなジャンルであれ、好きだからこそ視点は厳しくなって行く。アンディや佐竹は初期のK-1だからこそ活躍できた水準の素材であったろう。なによりそれはアンディ自身が理解していた。限界を知っていた。日本で築いた知名度を活かして映画俳優への転身を図っている。
 そのスイスでの引退試合がミルコ相手のタイトルマッチだったと特番での映像を見て思いだした。前年準優勝のミルコを判定で下して鼻高々だったろう。だけどこのベルトはなんだったか。その辺、早送り編集モードを止めて確認すればわかるが、どうでもいいのでそのままにした。

 もうひとつ、K-1関係者がマスコミに図って作り上げるアンディの虚飾のイメイジにそこはかとない反感をだいていた。いわゆる「青い目のサムライ」とか「日本人以上に日本人らしい」のような美辞麗句である。私にとってアンディはスイス国籍のイラン人でしかなかった。サムライでもなければ日本人でもない。そんな言いかたをするなら北欧からやってきたのに、日本の風習に馴染み、日本語が上手で日本料理を好むニコラス・ペタスの方がよほど日本贔屓で日本人らしい。あれだけ日本にいながら日本語を話せないアンディがどの程度の日本贔屓かは言うまでもない。もちろんこれまたK-1がまだそういう時期だったからそういう売りが必要だったということだが。やはり彼の評価は「初期の、初期ゆえのスター選手」となる。

 とはいえ、スイスに行ったことのある青年の「おれ、スイスでアンディ・フグのこと聞いたけど、誰も知らなかったよ」との知ったかぶり発言には、それは違うだろうと思う。スイスでアンディが主催したK-1大会は60%もの視聴率をとった。まがうことなく彼は地元の英雄であったろう。

 最後の試合は7月7日。日本人のノブ・ハヤシ。
 それから一ヶ月半で逝くのだから体力のある人の癌は早い。

 個人的な想い出で言うと。
 チェンマイの盛り場、ロイコー通りアンディの兄が経営する酒場があった。いや今もある。アンディそっくりの顔をしたお兄さんはむかしバイク乗りで、大きな事故をやったとかで両膝が悪かった。歩くときは武藤テリーのようによたよたしている。
 アンディ・フグのお兄さんですかと問うと、そうだと誇らしげに応えた。どこかで聞いて訪ねてくる日本人が何人かいたそうだ。これはいつだったろう、1998年ぐらいか。
 アンディの家庭は複雑なので、このお兄さんが全兄弟(父母とも同じ)なのかどうかは知らない。ただ顔はそっくりだったし(イラン人の顔は全体的に似ているが)戸籍謄本を見たわけではないが、確実にお兄さんだと思う。
 そのときの彼はチェンマイでのタイ人女房(金を出して店をやらせている女)と揉めていて、アンディのことを語るどころではなかった。なんでも女が大切な金を持ち出して使ってしまったとかで、追いかけて殴りかねない勢いだった。同行の友人が彼女も反省しているからそんなに興奮しないで、となだめたが、「だめだ、あいつらは畜生と同じで、いくら叩いても痛みを忘れたらまた同じ事をする」と顔面を紅潮させていた。
 これはニワトリみたいなタイの女に金をつぎ込んでだまされた白人がみな言うことだ。いや白人に限らず日本人も言う。そんなにうまく行かんよねと思う。感覚が違うんだから。100万渡して50万で店を出したら、あとの50万は貯金しとけよと思うのはこちら側の感覚であって、あっちの人はみんなを集めて思いっきり派手に使っちまうよ、そんなの。それが南国の国民性だ。最初から50万しか渡さないのが正しい。

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 志村けんのVTを見てもいつも思うことだが、この種の番組での田代まさしの活躍ぶりを見ていると、だからこその堕落がかなしい。この特番でもゲストとしてコメントしている。当時はメイン司会者だったか。このVTのあとに『PRIDE10』を特集したSRSが入っていた。それも司会は田代だった。田代の凋落でいちばん仕事が増えたのは浅草キッドか。

 長谷川京子という無能な美人はもうこのころから関わっていたのだと知る。ゲストとしてコメントしていた。第二のノリカとしてフジも力を入れたのだろうが無能なのだからしょうがない。あとから関わった小池栄子がしっかりの顔としての地位を確立し、井上和香のキャスタとして活躍を始めたのと比すと、どんなに地位のある人が肩入れしても無能な人は花開かないのだと知る。後ろ盾はあれほど強烈なのに。無能な人を見るのはつらい。

 と、なにやかや思い、そのうち気が向いたらK-1の項にでも書こうと思っていた。その時のために、ところでアンディの命日っていつなんだと検索をかけたら「8月24日」と出たのである。きょうだ。
 それで、だったらきょう書くことが彼の魂に応えることと、この項目、ひな形、文章と、明け方に3時間もかかって書いた。
「魂に応える」なんて言っても、「初期の、初期だったからこそのスター選手」と書かれて彼が喜ぶとも思えないが(笑)。いまアンディと握手したら手を砕かれてしまいそうだ。
(念のための註。彼は握手するとき誰に対しても思い切り力を込めて悲鳴をあげさせることを常としていた。それがK-1の強さのイメイジになると。)
8/2
 結論。DVDメディアは日本製を買いなさい!
 一週間ほど前にまた一番安いDVDメディアを50枚買ってきた。1600円。1枚当たり32円になる。
 今までずっと使ってきた製品である。最初は10枚組を3セット買ってきた。それはエラーが出なかった。それでこの廉価な商品でも充分と判断した。次の30枚は5枚ほどエラーが出た。捨てるのももったいないしと迷った末、プリンタブルだったのであれこれ印刷し絵皿のようにして壁に飾った。思えばまだ餘裕があったのである。エラーはわずらわしかったが安さの魅力にもあらがいがたかった。なにしろ同じような製品が1600円と5000円以上だから差額はおおきい。良質な日本製品50枚分で150枚買えるのだからたしょうのエラーは仕方ないと思っていた。しかし。

 今回のはひどかった。最初の10枚でまともに使えたのは3枚のみ。あと7枚がエラーである。これには頭を抱えた。
 chikurinさんは数年前に一年がかりでVTからDVDへの移植を済ませている。その話の中にエラー、ミス、失敗などは一切出てこない。まともなメディアを使っている人はダビングによるエラーとはどんなものかと知らない人もいるのだろう。うらやましくもあるが人間苦労して成長するからせっかくの苦労の機会をもったいないことをしていると思わないわけでもない。なんてことを思うはずもない。

 エラーにはいくつかのパターンがある。
 まずいきなり「このディスクは使えません」と出る場合。これは気楽だ。ポイと捨てられる。あきらかな缺陥品である。めったにない。
 この「VTをDVDに移植」というのは何年も前からやりたいと願いつつHDDレコーダを買う機会がなく実現しなかった。昨年暮れにやっと購入し、今年の春ぐらいから始めたことである。うまく一台にVHS、HDD、DVDと揃っているレコーダを安価で購入できたから買い時のタイミングとしてはよかったろう。
 数年前にパソコンでのDVDコピイにはトライしていた。このときにだいぶいきなり「使えません」のエラーが出ている。しかし当時はエラーの原因がメディアだとは断定できなかった。廉価な品から日本製品まで実験的に数多く使用している。なにしろもともと映像にあまり興味はないからレンタルしてきたコピイガードのかかったDVDをコピイすることに燃えているわけではない。そういうことが出来る時代になったらしい、そういうことが可能なフリーソフトがあるらしいということへの興味からやってみただけである。
 このときに最初の「メディアは高い製品が安定している」と学んでいる。太陽誘電なる奇妙な名前の会社がいかに優秀であるかを知ったのもこのころだ。
 CDやCD-RW、DVDにいきなりこの「このディスクは使えません」と出るとさすがに不愉快であるが、明かな粗悪品なのであろうとポイ捨てしてあきらめる。何枚も連続するメイカだと記憶して二度と買わないようにする。このパターンに関してはこれだけである。

 次に、いつの間にか録画が止まり「エラーが発生したのでダビングを中止しました」と出るパターン。これはけっこう傷つく。4時間のダビングを始める。仕事部屋からトイレに立つとき、ちらと居間にあるHDDレコーダの方を見る。ダビングが終っている。エラーに慣れないころ(こんなものに慣れたくないが)、「お、もう終ったのか」と思ったのだからおめでたい。まだ2時間しか経っていない。4時間のダビングが終るはずはないのだった。
 エラーが発生したのでダビングを中止したとメッセイジがあり、そのディスクは再生しようとしても(しようとすること自体がびんぼうくさいが)「これは再生できないディスクです」と表示される。記録面には半分ぐらい記録された跡がある。むなしいが捨てるしかない。これが第二のパターン。

 しかしこのふたつは最後のこれと比べたらまだ受けるショックもすくない。最悪なのは、すべてが順調に終ったのに最後の最後、ファイナライズ処理で「失敗」と出るパターンである。ダビングは順調に終り、DVDのタイトルを見るときちんと表示されているし、再生も出来る。このままこれを作ったSONYのHDDレコーダで使うだけならなんの問題もない。が狙いはどんなDVDプレイヤでも再生できる汎用使用なのだからファイナライズ処理は缺かせない。それをする。まともなら1分ぐらいで終る。20ぐらいある目盛りがひとつひとつ塗りつぶされるようにして進行してゆく。太陽誘電のメディアを使っていたときは一度のエラーもなく順調だったのでまったく気楽だった。安物メディアにしてからもほとんどうまく行ったし、たまにエラーが出ても、たまたまひどい素材なのであろうとあきらめられた。

 だが連続するとなると問題だ。ファイナライズ処理の20個の進行ボタンが順調に塗りつぶされて行く。なのに19個目で止まる。ドキっとする。「まさか」と思う。そのまま数分。もうだめである。まともなら全部が1分で終るのにこの最後の領域でもう2分以上停止したままだ。文字通り固唾をのんで瞶める。みのもんたに「ファイナルアンサー」と言われて待つ時間のようである。VTをHDDにダビングするのに6時間。それをCMやたまに紛れ込んでいる不要な番組、無録画部分を削ったりしての編集に30分(きちんとすると1時間かかるがそれほど真剣でもないので適当にやる)、HDDからDVDへのダビングが5時間である。合計12時間程の作業が無になるかどうかの瀬戸際である。そうして、出る黄色の文字。「ファイナライズ処理に失敗しました」「このディスクは再生できないディスクです」。そのあとに「確認」のボタンを押さねばならない。それは12時間の作業を0にすることだ。なかなか押せなかった。いやほんと。

 これを7枚連続でやられた。失った合計時間は丸三日以上である。もちろん機械にかってにやらせていて、私が直接関わった時間はたいしたことはないのだが、ここまで失敗が連続するとさすがに落ちこむ。
 それで私はこんなことも考えた。「もしかしてHDDのファイルに異常があるのでは」と。
 先日のノアの東京ドーム大会、テレ朝の橋本追悼。これを合わせて2時間半のDVDにしようと思っていた。これにエラーが連続する。最初はノアはまともに録れて橋本の部分でエラーになり止まっていた。橋本のファイルに問題があるのかと、これを最初に録りノアをあとにしたら、今度はノアのところで止まっていた。次はうまく行ったのだがファイナライズ処理で失敗した。ここまで失敗が連続するとノアや橋本のHDDファイルに問題があるのではないかと思えてくる。ここまで同じファイルで連続して失敗した経験がない。
 思えばこのHDDレコーダのHDDは購入してから酷使されている。録っては消し録っては消しの連続だ。バソコンのHDDで言うならデフラグをしないとボロボロの状態なのではないか。いま入っている番組をとりあえず全部DVDにダビングして一度HDDを初期化してやろう。そう思った。しかしそのダビングが出来なくて苦労しているのである。どうでもいいお笑い番組は消してもいいがやはりノアと橋本は消せない。

 日本製のメディアを買いに行くことにした。これで試せばDVDメディアがわるいのかHDDレコーダのファイルがわるいかの結論も出る。またかつて使った太陽誘電は50枚で一度もミスが出なかったので別格としても、SONYやマクセル、TDKでたまに出るなら、DVDメディアとはこんなものと割り切れる。なにより「太陽誘電を使えばいいのだ」という「いざとなれば」があるから気楽である。
 ビックカメラでマクセルを20枚買ってきた。しっかりと「原産国」を見た。もちろん「日本」である。どのメディアにもそういう表示がある。なんかこういう電子的な製品で「原産国」という言いかたがおかしい。
 太陽誘電のブランドであるThat'sはでっかく白地に赤の日の丸で「The 日本製」と謳っている。店内のビラにも「DVDは信頼できる日本製を」とあったから、この問題は私の思っている以上に深刻なのかも知れない。私はなんでも泣き寝入りタイプ(そういうものを買った自分の責任)なので店にクレームをつけたことはないが、気性の激しい人ならたとえどんな安物であれ商品として売った以上そちらの責任だ、と乗り込んで暴れるだろう。そういう問題を避けたいおおきな店が安物を置いていないことが理解できる。

 20枚入りが太陽誘電で3400円、やはり一番高い。マクセルで2600円、SONYは25枚入りで3000円、TDKはその真ん中。50枚で1600円のメディアを使ってきた身にはまぶしい値段である。思えば先日の秋葉原、「包装は富士フィルムですが中身は太陽誘電です。50枚で3980円。お買い得です」は、ほんとにお買い得だったんだなあと思う。太陽誘電の50枚パックは5900円だ。あれを買っておけばよかった、と思う。だがあれを買っていたらその後もダビングはスムースに進み、こんな挫折も迷いもなかったのである。やっぱり失敗って意味がある。(と書けるのはすべて問題が解決したあとに書いているからだろう。)
 太陽誘電は最後の砦として日本製品では一番安いマクセルを買ってきた。その差額700円でプリンタのインクをひとつ買う。しかし太陽誘電なる珍妙な会社の製品がSONYやマクセルより高いのだから知らない人が見たら混乱するだろう。マクセルなんて大切なレコードをダビングするときにしか使わない高級カセットテープのメイカだった。

 マクセルで何枚もエラーになるならHDDのファイルが悪いとわかる。その場合は一気にHDDを初期化しよう。ノアと橋本に未練はあるがしょうがない。いやHDDからVTに落とすという手もある。マクセルでもエラーは出たが結果的に無事出来たなら、日本製でもそこそこエラーは出るのだとわかる。その場合はこれからも安物路線と日本製品を併用してゆくのか。700円ぼっちを惜しんでマクセルでエラーが出て、もういちど太陽誘電を買い直すってのは痛いな。でもマクセルにそんなことがあるとも思えないし。いろいろ考えつつ家路を急いだ。

 結果。あれほどエラーの連続だったのにノアも橋本もすんなり録画でき、すなおにファイナライズ処理も終った。あまりにあっけなく苦笑するのみである。その他の番組も順調にダビング出来、願い通りHDDを初期化した。HDDのファイルにエラーはないとわかったがこの初期化はいい目に出るだろう。すべての原因は安物メディアだった。
 最廉価の品が1枚30円前後。平均的な日本製が1枚120円から150円。4倍から5倍値段が違う。1枚だとちいさな金額だが私の場合800本ほど移植するので2万4千円か10万円かの違いだからそう考えるとけっこうおおきい。しかし12時間の作業が無になるか有になるかと考えたら、この1枚につき120円の差額などどうでもよくなる。それはもう身をもって知った。ほとほといやになった。だからこそ決して負け惜しみではなく、エラー知らずの人よりは意義のある体験をしたと思っている。もうしたくはないけれど。
 これからは日本製メディアを使う。「原産国 日本」が基本だ。

 こんな形で日本製にこだわることになるとは夢にも思わなかった。というのはIntelであれAMDであれCPUはマレーシア製である。HDDはタイ製が多い。先日買った2.5インチは韓国製だ。MBは台湾製が圧倒している。キイボードやマウスは中国製である。
 「日本の会社のブランドパソコン」でも中身は多国籍だ。混じり合っている。「おれは日本製しか使わない。外国製は信頼できない。中でもSONYが好きでね。SONYしか買わない。富士通は大嫌い」なんてのはある種こっけいである。私はそれをSONYのノートを分解していたらHDDが富士通製で、Made in Thailandであることを知ったときに思った。違いはもう外見のみである。だからこそこのような消費メディアでいまさら「日本製」にこだわるとは思いもしなかった。

 と、こんな結論が出ました。


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 思えばバカをしていたものだった(06/3/20)
 自分のサイトを点検していて、この見出しを見つけた。いつ書いたものだろう。05年の8月か。
 私がHDDレコーダを買ったのは04年の12月だった(と思う)から、約8ヶ月間、安物DVDメディアを使ってはミスやエラーに苦しんでいたことになる。愚かだった。安物買いの銭失いの典型である。

 この「日本製メディアを使いなさい」と書いてから半年経ったことになる。このときはまだ半信半疑だったのだろう。使い始めて間がない。ミスは何にでもあるはずと。そうではなかった。だからあらためて声を大にして書いておこう。

DVDメディアは日本製品を使いなさい。かつて安物メディアを使い、焼きミスの連続に苛ついた私は、日本製品にしてから半年間、ただのいちどもエラーが出ていません。製品はマクセルと太陽誘電です。
 日本製品を使いなさい。絶対に間違いがありません
」と。

 日本という国にあらためて誇りを持った。
8/5
 分けてあげようかな!?──「だいじょうだあ」の絵柄

 VTからDVDへの移植作業は同じ分野ばかりやっていると倦きる。と経験して知った。
 それでいま最も大事な将棋の移植をすこし休み、ヴァラエティ番組の中でもいちばん大切な「志村けんのだいじょうぶだあ」の移植をやっている。
 安物メディアの時あれほどエラーが連続したのが嘘のようにマクセルだと順調である。まったくつまらん苦労をした。いいなあ、日本製品は!

 そうして出来上がった20枚ほどのDVDに年度と「だいじょうぶだあ」とタイトルを入れようと思った。ダイレクトプリントするほどのことでもないし、フェルトペンで「だいじょうぶだあ──1989」とか、それだけ描けばいいと思った。

 父の録ってくれたものを見つけて気が変わった。外国に頻繁に行っているころだから、その間の録画を父に頼んでいたのだ。ヴィデオデッキを6台駆使していたころだがテレビをよく見ていた時期でもあったから父の協力を仰いだのだろう。
 以前も書いたし、有名人の名を出すのは好きではないが、ニューヨークに録音に旅立つ久保田利伸を空港で荷物チェックというヴァラエティ番組があり、彼のバッグの中から「だいじょうぶだあ」のテープが何本も出てきたときはスタジオが失笑苦笑のような雰囲気になったことがあった。あまりの意外さに「えっ」と司会者も戸惑っていた。私にはその感覚がよくわかった。「ハタと膝を打つ」感覚である。異国で恋しくなるのはそういうものなのだ。急に久保田を身近に感じたりした。そういえばイギリスやベルギーに赴任していたO後輩がいちばん喜んでくれたのもこういうテープだった。

 「だいじょうぶだあ」は月曜の夜8時からの放送。70を過ぎてからワープロを覚えた父だったがどうにも予約録画だけは苦手で、いつも観ながら録っていた。父母も観ていた番組だったから助かった。これで裏番組の『水戸黄門』を観る習慣があったらぶつかってたいへんだった。もっともそうなったら父は必要に追われて予約録画を覚えたかも知れない。
 ヴィデオテープのラベルに筆ペンで書かれた父の録画日時の文字を見ていたら、きれいにタイトルと日時を印刷して保存しようと思った。父の文字のあるそのテープは捨ててしまうのだからなおさらである。

 ネットで絵を探した。志村けんの人形のようなかわいい絵が欲しかった。3センチ四方ぐらいの。それをDVDに印刷して彼の番組のディスクであると目立たせたかった。「だいじょうぶだあ」の文字は寄席文字か勘亭流でカラフルに描こうと思っていた。

 有名芸能人を壁紙にするための写真はあちこちで提供されているらしく、志村けんのものもすぐに見つかった。だがそれらはみな左の日本アジア航空が提供しているような絵なのである。私がDVDに印刷しようとしているものとは趣旨が違う。残念ながら「志村けん──壁紙」で出てくるのはそんなものばかりであった。

「志村けん──だいじょうぶだあ」で検索してみる。
 捜し物は見つからなかったが意外なものにぶつかった。いや意外というほどでもないのか。「『だいじょうぶだあ』はDVDにならないのだろうか」との問いかけに多くの人が応じて盛り上がっているブログである。「そうだね、あれは志村の最高傑作だから早くDVDにして欲しい」のようにだ。『ひょうきん族」がなったばかりだからまだ先ではあろうが「全員集合」の人気から見てもかなり売れるだろう。
 シモネタはきらいなので下品なコントにうんざりする部分もあるが、柄本明との絡みなどはいま見ても笑い転げる。絶妙である。石野陽子はうまいし、松本典子はかわいい。田代はよくがんばっているしクワマンもいい味を出している。志村の酔っぱらいはいつ見ても笑える。大切にしよう。

 とすると、移植が終ったら捨てようと思っている1990年前後のこの「だいじょうぶだあ」を収めたヴィデオテープ(6時間もの20本)も、それほど好きなのに持っていない人には、かなり価値のあるものになるのだろう。多くの人の集まる場で、送料着払いであげます、と出したらかなりの応募があるのかも知れない。しないけれど。

 
 そう思ったらますますいとしくなってきて、なにか独自のLogoはなかったかと思う。そうしてオープニングの場面を思い出した。
 移植済みDVDをもってきてパソコンで再生する。思えばこれは初めてやることになる。HDDレコーダとぼくのパソコンは連動していなかった。ファイナライズがうまくいっているから無事再生できてほっとする。
 なかなかこの瞬間を捉えるのが難しかったがうまくキャプチャーできて絵柄に出来た。

 もともとぼくの欲しかったのはこういうコミカルな絵だったから、いちばん欲しいものを自分で作ったことになる。となると、これまた欲しい人がいるのではないか、分けてあげようかと思えてくる。
 だがこれを必要とするのは映像をもっていて、ぼくと同じように移植作業をしている人だし、そんな人は自分で作れるから欲しがらないか。でも誰かがこの絵をUPしてくれていたら、ぼくはよろこんでもらい、御礼のメイルを書いたろう。そのうちこの絵をサイトのどこかに置いたら、けっこう持って行く人が多いかも知れない。

 実際に印刷したCDはこんな感じになった。下手な字でタイトルを書くよりはずいぶんといい。さらには白地に黒文字でタイトルだけを書くよりも陽気で派手だ。
 かといってこれってかなり時間を食うからこんなことばかりやっていても困るのだが。
 まあ将棋はいかめしい漢字でタイトルと対戦者を印刷するだけだし、こんな遊びをするのもこれぐらいだからよしとしよう。
8/12
 VTとDVDの画質
 体験して思うのだが、どうもVTの3倍録画とDVDのEP録画では、ずっとVTの方が画質がいいようだ。VTの3倍録画6時間が同じようにDVDにそっくり6時間録画できるので(厳密にはVTは6時間10分録れるがDVDは5時間59分であり、そのまますんなりとはゆかない)それをやっていたが、あきらかにDVDの画質が落ち見にくい。ブロックがチパチパしてひどいものである。あまりそんなことにこだわらない私でも我慢できないほどだからかなりの劣化になる。線が甘くなり緩い画質になる。
 SP(標準)録画にしてDVDは2時間ものとして使った方がいいようだ。1本のテープが3枚になってしまうがそれでもスペイス的には充分ちいさい。日本製にこだわることにしたのでメディア費としてもちと痛いが先々まで楽しむものである。ここは踏ん張ろう。今度からそうすることにした。

 悔やまれるのは捨ててしまったテープだ。それもいちばん大事な将棋を捨ててしまった。これが私の悪い癖になる。テープをおいておくスペースぐらいいくらでもあった。なにもむきになって捨てる必要はないのである。chikurinさんが友人にVTをあげていたように、私もそうすればよかったのだ。まだまだ喜んでもらう人は多いだろう。先日書いた「志村けんのだいじょうぶだあ」のように。しかもそれをより画質の悪いDVDに落として捨ててしまったのだからバカとしかいいようがない。

 この悪癖はあらゆるところに出ている。レコードやテープのようなモノもそうだが、こういうパソコン上のファイルにしても、正規のところにしっかり保存したからとりあえずの場のモノはいいなとすぐに削除したりする。妙に消すことに几帳面だ。正規のものにトラブルが出て蒼ざめる。「あれを消さなければ」と何度悔やんだことか。さすがにこれには懲りたから、今では『作業日誌』などは4カ所ぐらいに保存している。要するに何度も痛い目に遭わないとわからないバカなのだ。
 二度と手に入らない大切な「早指し将棋選手権」のVTを画質の悪いDVDに落として捨ててしまったことは断腸の思いだが、800本の内まだ100本しかやっていない。悔やむよりも前を見ることにしよう。



 ウリナリのビビアン・スー
 1998年の「ヴァラエティ」と題されたVTをダビングしていたら「ウリナリ」が出てきた。ネットで探すとさいわいにもまだ日テレが残していた。2002年3月末に終ったらしい。しっかり最終回も見てヴィデオに録っているが何年だったかはもういいかげんになっている。2002年3月を最終回として「7年間ありがとうございました」とあるから1995年からやっていたのか。2002年3月から更新されていないサイトが哀しかった。ほんとにもうこの世界は終ったらおしまい。あっという間に忘れ去られてゆく。

 あのころはしっかりダウンタウンと五分を張っていたのに最近じゃすっかりウンナンはゴールデンタイムの冠番組から消えてしまった。そういやあまだ売り出し中のころ、フジにダウンタウンとウンナンの4人でやっている番組があった。みな出来もしない楽器を演らされて苦労していたっけ。それでもウンナンはこのときの南原のサックス、内村のキイボードをその後に活かしているがダウンタウンはまったく関わっていない。ふたりはなにを担当していたんだ? 思い出したくもない過去なのだろう。

 ダウンタウンとウンナンの違いを自分なりに考えてみると、むかしはともかくダウンタウンの今は、さんまと同じく、他者をいじくるパターンである。その巧さで活躍している。ウンナンは自分たちがなにかをやる形であり、他者をいじらなかった。いじれなかった。だから社交ダンスをやり、楽器をやり、ドーバー海峡横断をやり、登山をやりと、あらゆることにチャレンジしてきたが、自分たちでなにかをやるのには限界がある。オーソドックスな他人いじりのダウンタウンやさんまに負けてしまった。
 これは小説家が行き詰まるのに対し、評論家が評論分野を拡げてますます活躍してゆくのに似ている。さんまが「踊る! さんま御殿」でおもしろさを発掘し人気者になったタレントがどれほどいることか。いわばさんまやダウンタウンは球の跳ね返ってくるあたらしい壁を次々と発掘していった。投げる球の球速や球種は同じでも壁の方が変化してくれればおもしろさは変化する。ウンナンは球を投げて自分で拾いに行く。それじゃ疲れる。

 大好きだったビビアンももう三十になるのか。いまどこで活躍しているのだろう。すっかりテレビで見なくなった。南原の愛人と知ったときはけっこうショックだった。
 ビビアンの応援サイトがあるので覗いてみたが、やはりテレビから消えた2002年からは更新されずほったらかし。ファンサイトなんてこういうものなのだろう。


 最初に出来たのが内村、千秋、ウドのポケットビスケッツ。これといって売り物のなかった千秋はここで歌手として名を売った。そこからの派生で南原、ビビアン、天野のブラックビスケッツが出来た。天野は当時改名したばかりの新日の天山と同じように牛の角の帽子を被り天山(あまざん)を名乗ったものだった。いやこれは南原が先に蝶野を真似ていた流れからか。そういえば南原が「リングの魂」をやっていたころだ。あれもしっかり録ってある(笑)。ちょうど深夜の新日中継の前だったので録りやすかった。

「脱退」とあるのは上海から来たケディか。上海でのオーディションシーンはけっこうおもしろかった。隠しカメラで応募者を撮る。わざと待機室からオーディション部屋への通路にモノを倒しておいたりゴミを置いたりしておく。するとカメラの前では愛想がいいが、そういうものには一切気を遣わない娘もいれば、おとなしくて自己アピールはもう一歩なのだが、きちんとそれを片付ける娘もいる。ケディはそういうことがポイントになって合格したのだった。もう上海に帰ったのだろうか。

 これは数年前のことになるが、十数年前のVTを見ていたら、素人物まね番組に千秋が出ていたのでおどろいたことがある。藤倉千秋とかそんな本名で出ていた。なんの物まねをしていたのか忘れたが、平安時代の顔だと司会にからかわれていたことは覚えている。私もヘンな顔だと思った。多くのタレントが消えてゆく中で、千秋はいまはココリコ遠藤の女房となり、ママさんタレントを上手にアピールして地位を築いている。消えていったビビアンやケディがせつない。問題は「ことば」か。昨今のようにクイズ番組が増えてくると日本語に不自由だと役に立たない。

 ウリナリの最末期に小池栄子がレギュラになっている。しかしまだ持ち味は発揮されず、彼女こそオッパイの大きさ以外に能がなく消えてゆくのかと思ったら、しっかりと頭の回転の良さを発揮して活躍している。おもしろいものだ。

 ダビング中に早送りしていたら「踊る! さんま御殿」に前田日明が出ていた。よく覚えていない。きっとおもしろくなかったのだ。前田は昨年の年収が12万円だと言っていた。今年はのブロデュースでぐんと跳ね上がることだろう。前田の復活には勇気づけられたものだ。ぶれずに歩いていればいいこともある。オーニタみたいなのばかりが出世して前田が不遇ではたまらない。オーニタの「初監督作品」だという映画がスポーツ紙に載っていたが、いったいいつ監督したのやら。名前を貸しただけだろう。
 VTからDVDへのダビングが終ったらこんなことを書くこともない。思いついたことはこれからもメモしてゆこう。
06/4/16 やっぱりCMは大事だ!

 しばらくVTからDVDへの移行作業をサボっていた。この作業の基本は「老後の楽しみ」なのだが、冷静になって「おれ、こんなのじーさまになってから楽しみに見るか!?」と考えたら、急にやる気がなくなったのだった(笑)。
 これってむずかしい。今の感覚で「いらない」として捨ててしまって、のちのち「もったいなかった、とっておけばよかった」と悔やむかもしれない。それもまたまた悔しい。かといってあれもこれもとっおくのも切りがない。というかすでにVTに録られているだけで厳正な一次試験を突破しているわけで、あとは「永久保存」のための最終試験を突破するかどうかだけなのだ。

 昨夏からもうDVDメディアは日本製に限定した。これはもう今思い出して恥ずかしくなる、なんで早く徹底しなかったと悔やまれる。日本製品に徹底したらただの一枚もミスが出ないのである。台湾製安物を使っていたときは毎日エラーの連続だったのに。我が国の製品の優秀さを思い知った。ヨドバシやビックのような大手が安物を扱わないのも理解できる。あれじゃ抗議が殺到してやってられないだろう。

 というわけで保存メディアに関しては安心出来たのだが、今度は値段の点からすこしばかりこだわりが出てきた。といってもたかが1枚150円程度なのだが、それでも今の私にはけっこう貴重品だから、果たしてこれらのテープに録っておいた娯楽番組は、それに焼くべき価値があるのかと思い始めたのだ。
 これはVTが基本的に繰り返し録画の素材であり、DVD-Rが一回きりのものだという違いから来ている。といってVTにそれほど何回も重ね録画をした覚えもない。多くても2回だ。この歳になれば好きなものは確定している。たまの間違いはおもしろいと思ったヴァラエティ番組がつまらなかったぐらいか。ともかく1枚150円ではあれDVDが「一発勝負」なのは間違いない。このセコい悩みはまだまだ続きそうである。

 そんなある日、懐かしいコマーシャルを見た。時代を語っていた。
 いまHDDレコーダーに録ったものをDVDに焼く際、CMをカットしている。これはやめようと思った。「老後の楽しみ」はこのCMにこそあるからだ。

06/9/12  ひさしぶりにダビング
 見出しにダビングと書いて、どう書くんだっけと

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