2012
1/9  テレビは見ないがテレビ三昧──キムタクドラマ「HERO」「MR.BRAIN」


 テレビは見ていないがここのところ毎日テレビを見ている。リアルタイムのテレビ番組はまったく見ないのだが今になって過去のテレビドラマを見だしたのだ。といって闇雲でもない。私なりに調べた。主だったヒット作はWikipediaにまとめられてあるからキャスト、スタッフ、あらすじと、みな知ることが出来る。私は殺人やホラーとか陰惨なものは受けつけないから、それなりに慎重に撰んだ。

 過去に高視聴率を取った話題の番組ばかりだ。内容は保証されている。CMは抜いてあるし、すでに完結しているから来週まで待つことなく(本当のファンはこの待つ時間も愉しいのだろうが)好きなとき好きなだけ一気に完結まで見られる。

 ワンクール8回から10回の叮嚀に作られた大評判だったドラマを一気に見てしまうのはもったいない。そこまでテレビを見る時間もないから自重している。でもこのおかげで、ごく素直に「おもしろいものはおもしろい」と思えるようになった。
 写真の木村拓哉の「HERO」はフジテレビの月9。2001年1月から3月の放送。全11話。平均視聴率34%というお化け番組だ。てなことを10年遅れで言っても笑われる(笑)。このころは日本にいなかったからやっていたことすら知らない。知らないから新鮮でいい。

 Wikipediaで調べて東西の視聴率の差を知る。平均視聴率が関東では34%なのに関西では24%なのだ。M1の視聴率がちょうど逆になる。東西はこんなふうにちがうのだろう。まあ東京舞台の作品だし。



 2011年の11月半ばから一日に1話ずつ見た。時に、ついつい2本、3本と見たくなったときもあったが、おいしいお菓子を我慢するようにそこは抑えた。パソコン作業のあいまに2時間の映画を見るのは重いし、見たあとは仕事にもどる気がなくなったりする。その点テレビドラマは軽くていい。50分程度の映像休憩は楽しいのだと知った。

 ネット中にあふれているのであろう名作の感想を今更言ってもしょうがないが、カット割りの早さと定位置のカメラ、アップの多用は、キムタクの畳みかけるようなセリフ回しとともにおもしろかった。八嶋智人ら脇役達の定番の演技は、それこそが最高というひともいようが、私には鼻についた。が田中幼児、出ないなあATOKでは、やはり芸能の話題ならGoogle日本語入力か、切り替える、田中要次、おお一発だ、田中要次のなんでもある居酒屋はいいよね(笑)。評判がいいから回を重ねるごとに重視されていくのが連続で見ているからよくわかる。
 このころはまだ阿部寛は主役じゃなくこんな程度だったのか。キムタクがいかに長く第一線で活躍しているのか思い知る。阿部寛がこの10年でいかに大きくなったかも。



 私はこのドラマに期待していなかった。それはキムタクドラマで唯一見たことのある2008年の「CHANGE」があまりにくだらなく腹立ってしまったからだ。スタッフは脚本の福田靖を始め同じである。だから、たぶん腹立って最後まで見られないのではないかと思っていた。
 なのにこれを楽しめたのは、「CHANGE」に「こんな総理大臣、いねえよ!」と腹立ったのに対し「HERO」は「こんな検事がいてもいいな」と思えたからだった。同じ遊びのドラマでもふたりの立場にだいぶ差がある。

 これは「暴れん坊将軍」と「水戸黄門」に通じる。天下の御政道を考えねばならない将軍が下町で暮らし庶民の些細な事件に関わっていたりしたらたまったものではない。あまりにバカらしい。いくら絵空事とはいえ容認できない。それが「暴れん坊将軍」であり、総理大臣の「CHANGE」。
 一方黄門様はかつては副将軍職にあったが今は無職の隠居爺さんだ。そのひとが諸国を漫遊して歩き、問題が起きたときに「かつての職名」を名乗り権力を行使することは納得できる。
 このこだわりはお笑い用語で言うなら「マジメか!?」になる。マジメな私には「水戸黄門」と「HERO」は容認できても、「暴れん坊将軍」と「CHANGE」は無理なのだ。




 5年の間をおいて作られた2006年の特別編はよかった。中井貴一の名演が光る。
 映画「ガリレオ──容疑者Xの献身」の犯人役・堤真一は不適切な配役でどうにも納得できなかったが、この特別編での地味で無口な事務官の堤はよく似合っていた。堤って、都会的なかっこいい男よりも、ああいう田舎者の生真面目で無口なタイプがいちばんの適役のように思う。

 しかし新米検事の綾瀬はるかは何歳でどういう経歴なのだろう。若さからして学生時代に司法試験に受かったのか。そのあと司法修習を終えて任官していることになる。いったいどれほどの秀才なのだ。それが単に東京にあこがれているミーハーに描かれている。そのへんが「マジメか!?」の私には気になる。

 こういう疑問はマンガ「島根の弁護士」にも感じる。26歳なのだから、これまたエリートである。でもドタバタぶりばかりがアピールされてここまでの経歴が不自然だ。全13巻のうちまだ5巻しか読んでいないから断言はできないが、それでもここまでにもうすこし弁護士になるまでの過程を描くべきだろう。父親が理容師、離婚した母親が元検事という組み合わせもトンデモだし、肝腎の主人公がどんな進学をして、どんな勉強をして司法試験突破かの経緯が見えてこない。

 学生時代に司法試験に受かる超エリートなんてのは、毎日十数時間勉強するようなとんでもない生活を送らねばならない。むかし30歳で合格した人が学生時代からひたすら勉強ばかりで生まれてからただの一度も喫茶店というものに入ったことがないと言っていた。そんなひとが情欲のもつれによる殺人事件なんてのを裁くのだから問題だ。くたびれはてた主人公じゃあまり盛り上がらないだろうけど、「島根の弁護士」はあまりに若くミニスカートと胸元がセクシーで問題だ。こんなことを言ったら、これまた青年誌掲載のマンガなのに「マジメか!?」になろうが。




「HERO」は2007年の映画版をまだ見ないままとってある。そのうち気分のいい日に見よう。この映画のラストで久利生公平と雨宮舞子はハッピーエンドになるらしい。しかしGoogle日本語入力はこんな役名にまで詳しいんだな。くりうこうへいが一発で変換される。すごすぎる。あくまでもそのへんの人名に限ってだが。

 松たか子ってのは美人に見えたり、頬骨が高くてブスに見えたり、ふしぎな顔だ。この映画版では父親の松本幸四郎と共演しているらしい。私らにとってはいま息子が名を継いでいる市川染五郎だ。「野バラ咲く路」。この歌は染五郎の作詞作曲。中ヒット。私は高校二年だった。よくラジオから流れていた。荒木一郎らと並ぶ日本のシンガーソングライターの走りである。

 松たか子で意外なのは、90年代末期、アイドルとかタレントではなく「歌手として」タイで異常に人気が高かったことだ。CDも売れており若者に人気があった。ドラマを見ない私は彼女を歌手として意識した。しかも異国で。
 なにかそのことに意味があるのか(もしかして凄い歌手なのかも知れない!)と当時タイの違法CD(何枚ものアルバムが1枚のCDに詰まっている)を買ってきて聞いてみた。その後ぜんぜん聞いてないけど。
 宇多田ヒカルが出るまで彼女はタイにおける日本人歌手として人気ナンバーワンだった。彼女の音楽好きは父からの影響だろう。年上のミュージシャンと結婚したのもよくわかる。

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 年が明けてからは「MR.Brain」を見ている。全8話のうち6話を見てしまった。もうすぐ終ってしまう。名残惜しい。これは2009年のTBSか。一目見て「金をかけてるな」と思う。どうでもいいようなシーンでも手間暇掛けているのがわかる。こういう凝った作品を見ると、ひな壇芸人の安易なお笑い番組だけじゃなくこんなのも見ないと、と反省の気持ちが湧く。金をかけ、労苦を注ぎこんでドラマを作っても低視聴率と批判されるなら、安易なお笑い番組でもやっていたほうがいいとなる。
 見ることが応援になり次の良作に繋がる。でなきゃ放映権の安い韓国ドラマばかりになってしまう。私に出来るのはレンタルヴィデオで見ることぐらいだが、それでもこれはこれで応援になるだろう。

 といって、こんな私でも確実に好きになるだろうという話題のドラマが放映されることになっても、私はリアルタイムでは見ない。決められた曜日の決められた時間にテレビの前にすわるということが厭なのだ。でもそれは、いまそういうことを楽しみにしているひとの否定ではない。こどものころはビデオもないしそればっかりだった。さんざんやってきたのだ。そろそろそういうテレビの支配からは逃れたい。他者とそういうものを楽しむ時間を共有したいとは思わない。高校生ぐらいだったら話題が遅れることが怖くてできなかったが。ほんとにいいものだったら何年遅れでもかまわない。



 さて「Mr.Brain」の感想。真っ先に思ったのは「大地真央、無惨」だった。厚塗りでごまかしているが養殖の衰え(このへんがGoogle日本語入力はバカ)、容色の衰えは隠しようがない。というかひどすぎる。病気なのか? あまりに顔色が悪く目が血走っている。もう50半ばだから老けて当然だし、綾瀬はるかがちかくにいるからその肌艶とか残酷な対比になるのだけど、キムタクから香川照之まで、男たちの顔のアップもなんてことないのに、大地真央だけは痛々しくて見ていられなかった。デジタル放送の映像の美もあるのだろう。怖い時代になった。

 香川照之はいつ見てもうまいなあ。水嶋ヒロくんはまだ作家デビュー前か。仲間由紀恵の多重人格殺人犯とか豪華なキャストだ。



 印象的だった回に作曲家の殺人事件がある。え~と、第4話から5話にかけてか。「八木仁」という作曲家が犯人。

 餘談ながら、いま「やぎひとし」を変換しようとしたら、Google日本語入力は「ひとし」の真っ先に「人志」を出した。Googleで検索された数から辞書を作り変換するGoogle日本語入力では、「ひとし」のトップは「人志」なのだろう。松本人志がいなければ変換に苦労するほどのマイナーな名前なのに。

 その「八木仁」の話。記憶障害をもつピアニストが楽譜に音符を残す。2分音符で「ドミラレ」。それが謎になる。これを和名の音階のハニホヘトイロハ(イタリア語のドレミファソラシド。英語のCDEFGABC)に置き換えると「ハホイニ」であり、それを組み合わせると漢字の「八木仁」だという謎明かし。ひらかなもカタカナも漢字から作っているのだものね。

 それで思ったのは、いまの若者も「ハニホヘトイロハ」の音階教育を受けているのだろうかと言うことだった。私は中学でそう習ったし、その後自分で作曲の勉強をしたから知っているけど、これって一般的なのだろうか。長調短調のシャープフラットの数を暗記するトニイホロヘハ・ヘロホイニトハは今も一般に通じるのだろうか。それがなければ「ドミラレ→ハホイニ→八木仁」の秀逸な謎解きは視聴者にまったく伝わらないことになる。



 などと書いたら笑われるのかもしれない。
 高島俊男先生の『お言葉ですが…』で驚いた事にそれがある。高島先生はメロディは覚えているがタイトルや歌詞を思い出せない童謡や軍歌に関する情報を週刊文春誌上から読者に問うた。自分は音符が読めないのでと断り、「ドミミ・ミソソ」のようにかたかなで表記して、「この歌をご存知の諸兄はいらっしゃいませんか」と。するとすぐに多くの読者から「それは××という歌で、本歌は讚美歌の××番です」のように続々と情報が寄せられる。ご存じの方も多いだろうが「♪タンタンたぬきの」のメロディも讚美歌だ。キリスト教音楽は信じがたいほど日本人の生活に染み込んでいる。
 それらの手紙の末尾には「今の時代、音符が読めないとはさぞご不自由でしょう」と附記されていた(笑)。皮肉ではなくごくふつうの同情だ。高島先生、悔しかったようだ。と同時に「世間にはそんなに楽譜の読める人が多いのか」と驚嘆していた。

 週刊文春の高島先生の『お言葉ですが…』の読者だから、かなり年齢層は高い。みな還暦すぎの方々である。そして音楽を職業にしているのではない。ごくふつうのご婦人が多かった。私はこれを読んでそれが出来る自分を少数派と思い上がっていたことを恥じた。市井には音楽とは無縁の生活を送りながら、その気になればおたまじゃくしからメロディを紡げる年配者はいくらでもいるのだ。むかしの教育はあなどりがたい。むかしの中卒の優等生はいまどきの聞いたこともない名前のバカ大学卒よりも遙かに優秀だ。

 だからきっとこの「MR.BRAIN」でも、「ドミラレ」からハホイニという解答が出る前に「八木仁」の謎解きをした年配者はいっぱいいたのかも知れない。もっともドラマの方はこれでもかというぐらい若者向けだから『お言葉ですが…』の読者がこのドラマを見ていたかどうかはあやしいが。



 音楽といえば、私はテーマ曲の「JUMP」を知らなかった。ヴァン・ヘイレンはキンクスの「YOU REALLY GOT ME」のカヴァーでデビューしたときから知っている。ファーストアルバム「炎の導火線」も聞いている。エディはデビューした時から天才の呼び声が高かった。ライトハンド奏法がいかに画期的だったことか。1978年。あのころはまだ私もロックを聞いていた。ギター雑誌も買っていた。「ヤングギター」の表紙にエディはたびたびなっていた。同時に、クロスオーヴァーからフュージョンの大波の時代でもある。クリエイションの竹田和夫がロックからジャズに変るために1日8時間も運指の練習をしていると告白して話題になったりした。

「JUMP」は1984年のヒット曲らしい。この年、エディはマイケル・ジャクソンの「BEAT IT」に参加とある。これは知っていた。私はマイケルには興味はなかったけど、TOTOのスティーブ・ルカサーとエディが参加しているというので、そのことだけの興味でマイケルの「スリラー」を聞いた。当時ラジオの構成作家をやっていた。FM東京の試聴ブースで「スリラー」を聞いたことをよく覚えている。超一流のメンバーを集めたすごいアルバムだとは思った。非のつけようがない。でももうその時の私はジャズに目覚めていたから、それ以上の興味はわかなかった。いわば「スリラー」は容姿端麗な満点美女だった。でも私は1950年代のなにかと問題のある個性派美女に凝り始めていた。ロックから離れていたので、その年の中ヒット曲ヴァン・ヘイレンの「JUMP」を知らない。

 Wikipediaによると「1981年からキーボードが導入され」とある。私の知っているヴァン・ヘイレンはギターバンドだ。「MR.BRAIN」に使われているテーマ曲「JUMP」はイントロのキイボードの部分である。まるでスポーツ番組のオープニングテーマみたいなイントロだ。私の中でヴァン・ヘイレンとキイボードは繋がらない。もしも「さて、この曲を演奏しているバンドはどれでしょう」なんてイントロだけ聞かされてのクイズがあったら、私は知っている限りのバンド名をいくつ言っても当たらない。あのイントロをヴァン・ヘイレンだとは思えないから。

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 キムタクドラマではあと「月の恋人」をもっている。昨夜すこしだけ見てやめてしまった。これはちょっと無理な気がする。シナを舞台にしている。その描き方がひどい。ひどいというのはシナ人気質を知らないという意味だ。日本人の延長で描いている。民族の違いが解っていない。奴らはこんなに甘くない。たとえば労働争議のシーンがあったが、あんなにおとなしくない。すくなくともこのドラマを作った連中よりはシナに詳しい私は、これはちょっと苛立って見られないだろう。あきらめる。

 同じく「南極大陸」は無理だ。すこしだけネットで見てみたが、時代を知っているものとして我慢出来ない。DVDになっても借りることはない。キムタクの責任というより、あの時代の風格が役者全員から感じられない。あまりに軽い。やはりキムタクドラマの魅力は、現代劇で、乱暴な口調で、相手のセリフに乗っかるような、あのテンポの速さにあるのだろう。

 でもその他にも見られるテレビドラマが山ほどあるから楽しみだ。これからもテレビは見ないがかつて流れていたテレビドラマを周回遅れ、いや三周五周ぐらい遅れで、じっくり見てゆこう。その意味では手始めの「HERO」と「MR.BRAIN」は忘れられない作品になった。

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●キムタクの喫煙シーン

 2001年の「HERO」にはしつこく出て来る。やはり不自然だ。先輩方が喫わないのに新米のキムタクだけが喫ったりする。またラストシーンの田中要次の店での喫煙もわざとらしい。このころは喫煙仲間のさんまあたりと一緒に「ぜったいおれたちはタバコやめるのやめような」と言いあっていたことだろう。キムタクの力で不自然な喫煙シーンを入れているのが見え見えだ。これは2007年の「CHANGE」でもそうだった。
 さすがに「BRAIN」では見かけなかった。二言目には脳がどうのこうのと言うのがタバコ喫っちゃまずいだろう。いや「バカの壁」の養老センセーみたいなひともいるが(笑)。






2/17  
 「世界の秘境で大発見! 日本食堂」の演出のひどさ



 2月17日、金曜日、テレビ東京が「世界の秘境で大発見! 日本食堂」の4を流していた。
 録画しておいて、いま見たのだが、予想通り耐えきれず、すこしで止めて削除した。
 これの3は去年の秋だったか、期待して見て、不快になって削除、とまったく同じ事をしている。残念だ。

 テレ東のサイトから上記の画像をもらってきた。これは昨年の4月の最初の特番のもの。視聴率がいいから4まで来ているようだ。良い企画だと思う。でもこの演出とカメラ割りには耐えられなかった。



 むかし、「なるほどザ・ワールド」や「ウルルン滞在記」「不思議発見」「世界Show byショーバイ」のような番組が好きだった。
 一ヵ月以上外国に出かけるときは東京のアパートと田舎の家の6台のヴィデオデッキを駆使して二ヶ月分録画予約した。
 HDDレコーダしか知らない今の人は不思議に思うかも知れないが、当時は2時間用VHSビデオテープを3倍モードにしての6時間が1台のヴィデオデッキで録れる限界だった。1時間番組なら6本まで。2時間特番なら3本で一杯になってしまう。それ以上取りたかったらデッキを複数にするしかない。私は東京の3台、田舎の3台にあれこれ割りふりして録画予約した。いやこの言いかたはおかしいな。もともと東京に1台、田舎に1台しかもってなかったヴィデオデッキの数がそんなに増えた理由が、「外国に行っているあいだの番組を録画するため」なのだった。
 1台で何百時間も録れるHDDレコーダの登場は革新的だった。
 帰国してから、外国で餓えた日本の美味い刺身と日本酒でそれらを見るのは楽しかった。



 いまテレビを見ない生活だが、そういう番組に対する興味が完全に消えたわけではない。
 それでも、「世界の果てまでイッテQ」とか、「弾丸トラベラー」とか「世界行ってみたらホントはこんなトコだった」とかに食指はそそられない。「見てない割に詳しいじゃないか」と突っこまれそうだが、インターネットのテレビ欄で確認しつつ書いている。それぐらい疎い。

 興味がないのは、これらは前記の番組でさんざんやったことだし、その後自分もあちこち行って経験してしまったからだ。YouTube動画倉庫ですこし見たが、「世界行ってみたら」でレポート役のディレクターがやっている失敗や愕きは、かつての自分を見ているようだった。外国巡りをする前の自分だったらいちばん好きな旅番組になったかもしれない。だから、私はいま見ないけど、この種の番組を大好きなひとの気持ちはよくわかる。だってかつての私がそうだったのだから。
 極端な言いかたをすれば、この種の番組はもう「なるほど」の益田由美アナがぜんぶ踏破していて、あとは焼き直しみたいなものである。



 いやその前には先駆者の兼高かおるがいる。
 私は兼高かおるの「世界の旅」はほとんど見ていない。放送時間も知っていたし、何度かは見ているが、つまらなくて消してしまった。
 理由は「まじめな番組だったから」だ。あのころ私は本を読んだり文章を書いたり音楽を聴いたり作ったりして自分を磨くことに熱中していた。外国に興味が向いたのは、それがある程度出来てからだった。でも興味を持ってからでも凡俗な視点だったから、世界を紹介するNHKのドキュメンタリー的な番組にはまったく興味が湧かなかった。ほんとにNHKってのは見たことがない。NHK臭さってのを感覚的に受けつけない。いちばんひどいのが娯楽番組だ。
 世界情勢に興味のない私のようなのでも楽しめるという意味で、「なるほど」というのは価値のある番組だった。

 世界のあれこれを見せる番組、タレントが世界を体験する番組には興味がなくなったが、この「世界の果ての日本食堂を紹介する」という番組趣旨にはひさびさに興味が湧いた。つまり、「民族の違いによる世界のあれこれ」には厭きているが、「そういう地でがんばる日本人」にはまだ興味津々なのである。

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 さてやっと本題。
 昨秋放送されたこの「世界の秘境で大発見! 日本食堂」の3をリアルタイムで見た。私は地デジ化された7月24日から地デジチューナーを購入する11月6日まで完全にテレビのない生活だった。テレビ欄でこの番組を発見し、ひさしぶりにリアルタイムでわくわくしつつ見た。テレビのある生活に復帰して間もなく、11月中旬ぐらいの放送だったろうか。

 バングラディシュの日本食堂、カナダアラスカの日本食堂を見たのを覚えている。だがそこまでが我慢の限界だった。どうにも耐えきれずテレビを消した。番組中、名倉やはるな愛、オードリーの顔をやたら細かくカットインしてくる演出に耐えられなくなったからだ。不快で不快で、とても見られたものではなかった。

 常にワイプで画面左上に彼らの誰かを映している。それですらうるさいのに、「この日本食にはバングラディシュ特有の秘密があった」なんてことを大仰にナレーションし、そのたびにはるな愛などをアップにしてカットイン、「ええ! うっそお! やっだあ!」とやるのである。はるな愛に罪はない。命じられたまま一所懸命にやっているだけだ。だがもともと大袈裟で演技のへたなひとが、より大袈裟にやるものだから、鬱陶しくてしょうがない。番組その物には興味があったからだいぶ我慢したが、とうとう耐えきれず消した。後日、それでも未練がましく録画してあったので続きを見ようと思ったが、やはり無理だった。外国の日本食堂に対する興味を、番組演出の不快感が凌駕している。削除した。



 むかしテレ朝の新日本プロレス中継が「ギブアップまで待てない」というとんでもない演出になってしまったことがあった。プロレス会場とスタジオの二元中継、MCは当時売れっ子だった山田邦子。プロレス会場のリング上で技が決まると、いきなり「わー、痛そう!」と大騒ぎするスタジオの眉をしかめた山田邦子の醜い顔のアップになったりするのである。興醒めすること甚だしい。試合中継がブツ切りになる。さすがにプロレスファンからの抗議が殺到し短期間で元のスタイルにもどったが、あれは私がテレビでプロレスを見るのを辞めようと思った最初で最後だった。いま思い出しても気分が悪くなる。世の中にはとんでもないことを考えるのがいるものだ。番組をぶち壊すあれを視聴者サービスだと思っている。それが視聴者とは懸け離れたテレビ界の感覚でもある。



 この「日本食堂」のディレクターもそうなのだろう。ごくシンプルに紹介すればいい。それだけ価値のあるビデオなのだ。それに対する出演者の感想はそのあとスタジオであれやこれややっている。「あのことにおどろいた」「まさかあれが味の秘密とは」のように。それでいい。充分だ。なのに異国の日本食堂を紹介しているビデオにもタレントの顔をワイプで入れっぱなしの上、さらにはしつこくカットインである。なんともひどい。呆れる。どうにも耐えられなかった。

 この種の演出はいまの娯楽番組では定番のようで、漫才番組等でもほんの2.3分のネタなのに、30秒単位で観覧しているゲストの笑い顔をカットインしてくる。わずらわしくてしょうがない。なんとかならんのか。

 なんともならん。イヤなら見るな。そう、見ないのが一番。

 でもこの番組、4まで続いているということはテレ東にしては視聴率がよいのだろう。世間のテレビ好きはあんな演出に不満を持たないのだろうか。不思議でならない。まあテレビ好きが鈍感なのはよくわかっているが。

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【追記】──おもえばこれが始まりだった

 ここのところ立て続けに「The Manzai」「北野演芸館」と、同じテーマで書いたが、始まりは昨秋のこの番組だった。私はバラエティ番組を選んで見るし、娯楽番組で、あまりに演出が不快で途中で消した、という経験もそうはない。印象的な番組になった。すなおに外国でがんばる日本食堂を紹介してくれるならぜひ見たいという気持ちは今もある。まことに残念だ。

 と書いて思い出した。私がタイのチェンマイにはまったのは、日本食堂「サクラ」をやっていた故・有山パパや常連のかたがたと親しくなったからだった。そうか、「外国の日本食堂」に興味を持ったのは、それがあったのか。いまになって気づいた。


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