2011
12/30

 テレビ好き、テレビ嫌い──ひとはイタいところを疲れると反応する(笑)














 と、オマージュである「家政婦は見た」も見ていたことを書いている。



と、漫才自体はおもしろいが、フジのカメラワークが不快で、とても見ていられないと思っていたところに、「最高でした」と友人からメール。私のような不満は感じていないらしい。
この友人はテレビ大好きである。つまりは、彼はそういうことに慣れていて、今さらそれを不快と感じる感覚はないのだろう。いや、あるにはあるが、私ほどではないのだ。

たとえば私は電車の中で、隣りに座った女が化粧を始めたら車両を替わる。ものを食い始めても同じ。そういう不愉快を我慢する気はない。
でもそれはたまに乗る電車だからで、毎日往復に電車を利用している人なら、さほどのことは感じないのだろう。たとえ不愉快に思ったとしても、疲れた体でせっかくすわれた席だし、いちいちそれで車両を替えるまではしないのだろう。

私はもともと不快なCMや、その種の演出に我慢ができなくなっていたのに、107日のテレビ断ちで、ますますその傾向が強くなってしまったらしい。



漫才番組のカットインについては、特に言いませんでしたが僕もうっとうしいと思いましたよ。しょっちゅうナイナイの反応を映そうとしたり、たけしのまさに顔色をうかがったり。集中力をそがれました。爆笑の太田が「危ない風の話」を手を叩いて喜ぶ姿が抜かれるので、そういうやばいこと言ったやつスゲーみたいな流れになってしまったり。でもまあテレビですから。そんなものかなと思って見ています。僕はテレビは大好きですが、テレビが絶対とも万能とも正しいとも気が利いているともセンスがあるとも露ほども思っていませんから。

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《どーせミタブームに乗れなくて毒を吐いているんだろうけどね。おっさん、正月の雑煮はミスるなよ!》 と言われそうなのでやめよう。まあ私の場合は「ミタブームに乗れなくて」というより、それを電車とするなら、「ミタ」という電車の存在すら知らないので、乗れなかったわけではない。

 <きっこさん>は大のテレビ好きだけど、いま「西日本に疎開してテレビのない生活」という設定だから、知っていても「乗るわけには行かない」のである。これはつらかったろう。


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