2006
3/14 NHKの西原理恵子

 午後1時5分からの「スタジオパーク」に西原理恵子が出ていた。
 NHKは嫌いなので意図的にこの番組を見たことはない。
 たまにチャンネルを替えているときにこの番組に出会うことがある。朝早くから仕事をしていると、昼のこのころは、ちょうどベッドに寝ころんでくつろいでいる時間になる。
 興味のある人だったらしばらくのあいだ見たりするのだが、たいがいは途中でやめてしまう。どんなに興味ある人がゲストであっても、毒にも薬にもならないNHK的切り口にうんざりしてしまうからだ。子供時代から今に至るまでどうにもNHKは体質的にあわない。
 テレビの思い出は数限りなくあるがNHKはほとんどない。紅白歌合戦を最後に見たのは家族と見ていた小学生の頃だし、大河ドラマとやらは一度も見ていない。いわゆる「チャンネル権」が手に入ってからは、というか自分のテレビを手にしてからは、まず見ていない。とにかく筋金入りのNHK嫌いである。

 といって思想的にうんぬんというレヴェルではない。ごく単純におもしろいと思わないのだ。娯楽に対する感覚の問題だろう。
 とはいえ競馬のダービー優勝時に、君が代の流れる中、日の丸を映すのがいやでずっと馬の尻を映していたような露骨な局内サヨクの無礼には心底腹を立てている。
(世話になっているのは大相撲と将棋だけだ。縁を切りたいが困るのは相撲である。将棋はCSの将棋チャンネルと契約すれば縁を切れるが……。)

 今回も見ようと思って意識していたわけではない。それでも偶然大好きな西原が出ている珍しい場面に出くわしたから、なんということもなく眺めていた。結果として「スタジオパーク」なる番組を最初から最後まで初めて見ることになった。これはこれで収穫(?)である。

 ひとえにそれはNHK的感覚と合わない西原の野放図な魅力ゆえだった。
 まずはいつもは生番組なのに彼女の出演部分だけ録画だというのが笑える(笑)。この番組の売りは、生放送中に寄せられたファクスから出演者に質問したりするリアルタイムなラジオ的なやりかただ。それが録画になった。理由は「あぶないから」(笑)。
 それに関しても西原は平然と「生放送どうですかって言われたんだけど、危ないですよって」と笑っている。

 どこをどうカットしたのか知らないが、それでも西原の魅力は十分に発揮されていた。だからよけいにカットしていないモノを見たくなる。
 子供が可愛くて、母親という仕事が楽しくて、今度生まれても絶対お母ちゃんになるんだという西原のそれを、NHKはNHK的な感覚で語ってもらおうとする。母親の子供への愛情というステロタイプの描き方だ。だが西原は感覚が違うからズレる。それが笑える。

「子供のいちばんかわいいところはどこか」と、司会進行は赤ちゃんから小学生の今にいたるまでを常識的に語ってもらおうと水を向ける。それこそ「ものを言えない赤ちゃんだけど、笑顔を見ただけで一日の疲れが吹き飛ぶ」なんてパターンだ。が、西原は平然とそれを否定する。
「人間になってからですね」と。
 そこまで育てるのは動物の世話と同じでたまらない。今までいろんな仕事をやってきたが専業主婦ほどたいへんなものはない。なにしろ休みがない。24時間中相手をしなければならない。べろべろばあなんてのも、こちらは3回やれば倦きるが、あちらは何時間でもそれを要求すると(笑)。

 好き勝手なことを言っているようで、西原は子育てのたいへんさと女の偉さ、価値を語っている。専業主婦の絶大な意味合いも。こういうのが本当の主張だ。対極にタジマヨーコのようなのがいる。

 すでにNHK的な「赤ちゃんの笑顔」を否定してしまった西原だが、ここからがまたすごい。
「人間になってから」の理由を問うと(NHKアナも問わなきゃいいのにね)、「だって立ちグソしたりしますからね。ありゃチクショーと同じですよ。そんな時期はかわいくない。チクショーですから。物を考えるようになって人間になってからですよ、かわいくなるのは」
「上の子が二階からションベンして、下の子がそれが下で浴びてる。たまんないですよ。男ってのがこんなんだとわかってたら、離婚という失敗もしなかったですけどね」

 西原の口調は早口でもぐもぐしてるから、すこし聞きづらいのだが、充分にNHK的ではないことばが連発されるので、テレビ桟敷のこちらは楽しくてしょうがない(笑)。カットされた部分じゃなにを言っていたのやら。

「目の中に入れても痛くない」のような子供讚歌を引き出そうとしたNHK的感覚が、「立ちグソ」「チクショーと同じ」「ションベン」と美しい糞まみれになるのだから痛快である。食えない時代の仕事である「エロ本」も連発していた(笑)。
 おろおろしている司会進行の女と男の様子がまたおもしろい。
 西原の出番が終り、「さて、ここからはいつものように生番組です」と言ったときの男のほっとした顔にまた笑った。

 録画して保存版にしなかったのが悔やまれる。偶然出会ったのだからしょうがない。それにNHKでこんなおもしろいモノが見られるとは思わなかった。

 なんで西原がこの番組に出ているのだろうと思ったら、NHKで体当たりルポのような番組をやるらしい。もうやっているのか?
 見てみたいと思った。虚飾のない本物は説得力がある。
3/26
 円楽の復帰と千秋楽  

 3月26日から『笑点』に円楽が復帰だと知った。落語家の円楽が好きなわけでもなく『笑点』に関しても近年のボケ司会はひどいものだったから、彼の復帰を待ち望んでいたわけではない。しかしながら40年近くも前から(なんとなくではあるが)見てきた番組だから、そこそこの興味はある。特に近年、落語に本格的に興味を持ち、好事家のあいだで『笑点』を否定することが通の基本のように言われていることを知ってからは、みょうに贔屓になったりしている。その理由はよそにも書いたが、病気で気弱になっているようなとき、『水戸黄門』の単純な勧善懲悪に心が癒されるように、ああいうものには獨自の効用があるということに尽きる。たぶん「演歌」等にも共通のモノがあるのだろう。まだ未経験だが。(『笑点』は1966年開始だから今年の5月で丸40年となるようだ。)

 なにがどうであれ良きマンネリの最たるモノが復活するのだからめでたい。長寿の年寄りが生きていてくれるだけでありがたいのと同じだ。
 その日は6時過ぎに都心で待ち合わせがあった。折しも朝青龍と白鵬の優勝決定戦があるかも、という千秋楽である。録画予約をして出かけようと思っていた。

 以前のようにヴィデオデッキを6台ももっているときならともかく今はすべて処分してしまってHDDレコーダ1台だけである。とはいえこれは1台でHDDとVTRに同時録画できるスグレモノなので両番組を録ることは可能だ。だがそこまでする必要はあるまいと判断した。HDDレコーダに馴れてからVTRは面倒で触っていない。
 私の判断は、午後4時から5時45分まで大相撲を録画、45分から6時まで『笑点』録画、である。これで朝青龍と白鵬のどちらが優勝してもそのシーンを録画でき、円楽復帰の大喜利も録画できると判断した。
 相撲の45分以降は表彰式のはずだ。テレビも「決定戦の可能性があるので取り組みの開始をいつもより早くしている」と言っている。たとえ決定戦かあったとしてもこの判断で間違いあるまい。


日テレ『笑点』ホームページより

 録画して出発しようと思ったが好取組が続き相撲から目が離せない。今場所は15日間缺かさず観戦してきた。しかも十両時代から応援してきた白鵬の初優勝がかかっている。相撲に関する文章でいちばん白鵬のことが多い。それだけ好きな力士の出世の瞬間だ。今から出てももう遅れるのは確定だ。ここはもう腰を据えてリアルタイムで見るべきかと居直る。

 そこに電話が来る。何時に着くかと。あちらはもう近くまで来ていると思っている。まだ家を出ていない。出発せねばならない。でもテレビから目が離せない。私は遅れることを告げて了承してもらった。あちらの家を訪問するのでその点は気楽である。もしもこれがどこかの店での待ち合わせであり遅れてはならない状況だったらと思うとゾっとする。いや後にゾッとした。

 白鵬が魁皇に負けた。朝青龍の優勝かと思ったら朝青龍まで栃東に負けた。魁皇の大関残留が決まり、栃東の来場所への横綱昇進の夢が繋がった。白鵬の大関昇進は決定している。そして優勝決定戦が見られると万事丸く収まったかのような結末。
 それはそれでめでたいがこれで10分間の休憩をとって決定戦というときにもう5時45分。HDDレコーダは『笑点』の録画を始めた。重要度が違う。私はそれを止め、大相撲を録画状態にして『笑点』を見ることにした。相撲の方は対決に向かっての細かな緊張感の盛り上がりをじっくり見たい。決定戦のヴィデオもゆっくりと鑑賞したい。対して『笑点』の方は円楽復帰の瞬間を見て、「よかったね」と祝福するだけでいいのである。どちらを録画するのかに迷いはなかった。

 『笑点』は、どういうことなのか司会は歌丸のままだった。円楽はどうしたのか? また体調を崩して復帰はお流れか?
 相撲の方は朝青龍優勝。
 そこまで見て外出。遅れたお詫びを言って飲みに出かけた。

 もしも当初のままの録画設定だと、いよいよ優勝決定戦というところで録画が終り、円楽の復帰していない大喜利を録画するという最悪の事態となっていた。
 優勝決定戦はニュースでも見られたろうが、乱れた髪を直したりして盛り上がってゆく流れが楽しいのだ。勝負だけを伝えるダイジェストなんてのは相撲じゃない。それは見直して確認する。ひとときも休まず体を動かして決定戦へのやる気を見せる白鵬。初優勝への昂奮からこれは動かずにはいられなかったのだろう。対して朝青龍は沈思黙考している。こちらには15回優勝の経験がある。
 それらを見られて、結果として助かったが冷や汗ものである。最悪の事態と紙一重だった。

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 その後も私は円楽のことを知らなかった。ふと気になり調べてみたら、「大喜利司会は歌丸に任せて、進行の部分のみの復帰」と知る。なんだ、そういうことだったらしい。なら26日も予定通り出ていたのか。私は「大喜利司会復活」とばかり思いこんでいた。
 円楽の判断は正しい。倒れる前から呂律がおかしく当意即妙な反応が出来なくなっていたのだから降りた方がいい。当意即妙もなにも精緻な台本があるのだから本来はそんな能力は必要ない。与えられた役を演じるだけでいいのである。それすら出来なくなっていた。
 3月26日も冒頭のオープニングでは登場していたのだろう。45分番組が30分番組になってからますますつまらなくなり、この演芸の部分はいつも見ていない。じゃあ大喜利がおもしろいのかというとそういうわけでもないのだが、近所のおじいちゃんの元気な姿を確認して安心するような気持ちで、毎週家にいるときは必ず確認?はしてきた。春秋の競馬シーズンになると日曜のこの時間は競馬場周辺で飲んでいることがいることが多くなり、それすらも出来なくなる。

 ということで4月2日。今度は冒頭からしっかり見た。すると円楽が出てきて呂律の回らない舌で、簡単な挨拶と芸人紹介を懸命にやっていた。これで精一杯だろう。
 ともあれ復帰おめでとう。


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円楽、正式引退表明+昇太新メンバー4/22

 退院し復活した円楽だが、正式に引退表明をした。『笑点』のみならず落語家としての引退のようだ。
 昨夜ニュースで見たが、杖を突いて歩き、とても見られた顔ではなかった。「湯上がりの男」「星の王子様」で売り出した若いときから知っている人だけにあんな老いた顔を見ると辛い。糖尿がひどいようだ。というか人工透析をしているのだから、むかしなら生きているのが不思議になる。

 私は前々から司会をしながら呂律が回らなくなっているのを見て、早く引きべきだと思っていた。何度かここにも書いた。引退は遅すぎるぐらいである。でも「倒れる」があり、「みんなで代役司会」があり、「歌丸司会」になり、「復帰」があり、そうして今回の「引退」という流れは、順を追ってよいものだったかも知れない。

 こん平も復帰はむりとわかり(わかっていたが)、たい平が正規メンバーに昇格した。
 歌丸が司会に徹するので、代わりに昇太が新メンバーになった。マニアのあいだではたいへんな人気を誇る昇太だから、今更という感じはするが、やはり全国区の『笑点』の力は大きく、知名度は今までの通好みから大きく飛躍するだろう。

 誰が芸能人(故・三波伸介のときのように伊藤四朗とか)を連れてきて司会をさせ、歌丸は回答者側に置いておくべきとの意見もあった。局内でも検討されたことだろう。でも司会という大役にあたらしい血を入れるよりは、「大いなるマンネリ」が最大の持ち味なのだから、これでよかったようにも思う。

 新メンバーはなかなか正式発表がなかった。よってかってな希望が殺到する。2ちゃんねるの落語板では、新メンバーは立川流からと本気で書いている人がいた。番組の創案者であり初代司会者であり、石もて追われ、今じゃ憎しみのあまりボロクソに言っている談志のところから新メンバーが出るはずなどない。なにをどう勘違いしたらそんな発想が浮かぶのか。
 なんて訳知り風に書いたら、じつは志らくや談春も候補に挙がっていたなんて後日談があって赤っ恥を掻くかも知れないから、おとなしくしよう。でもまあないよな、いくらなんでも立川流は。


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笑いをありがとう、円楽が「笑点」降板…春風亭昇太が新加入

円楽(下列中央)と新加入の春風亭昇太(上列右端)

笑顔で司会卒業を表明した円楽(下列中央)と新加入の春風亭昇太(上列右端)ほか大喜利メンバー=東京・水道橋

落語家、三遊亭円楽(73)が、日本テレビ系演芸番組「笑点」(日曜、後5・30)司会者を5月14日放送の40周年特番で降板することになり、後任の同、桂歌丸(69)らと22日、収録先の東京・水道橋の後楽園ホールで会見した。

円楽は、昭和41年の番組開始から出演。途中番組から離れた時期もあったが、急逝した三波伸介さんの後任として58年から司会を務めてきた。昨年10月に脳こうそくで入院。今年3月から復帰したが、「22年間に関わったスタッフ、出演者を全員覚えていたが、病気でみんな忘れてしまった。それで、ここらが引き際と思った」と卒業を決意した理由を語った。

歌丸は「番組が長持ちしている秘訣は『一切変えないこと』です」と円楽路線の踏襲を表明していた。

また、大喜利メンバーに春風亭昇太(46)が新加入、病気療養中の林家こん平(63)の代役として出演する林家たい平(41)が正式メンバーに昇格することも発表された。(サンスポ4/23日号より)


4/15  TBS大家族物語──青木家の問題

 え~と、こんないいかげんなタイトルをつけておくと、何年か後にはなんのことか自分でわからなくなりそうなので(笑)、自分のために説明しておこう。

 なんだか知らんけど「子だくさん大家族もの」というテレビ番組が、そこそこの視聴率を稼ぐ人気アイテムらしい。
 と書いて早速脱線するが、「たくさん」というのは人間には使わないらしい。『お言葉ですが…』の初期、話題になった。高島さんが「たくさんの人が」と書いたら、博学の読者から「たくさんは人には使わない」と抗議が寄せられ、高島さんが降参したのである。そのとき「唯一例外として」と挙げられたのが「子だくさん」だった。これを例外として、あとは「たくさん」は人間に使うのはまちがいらしい。以後私も「大勢の人」「多数の人」のようにして、「たくさんの人」は使わないようにしている。閑話休題。この閑話休題も多くの人が「リラックスタイム終了」のように意味を勘違いしているらしい。そうじゃない。と書くと脱線はなはだしくなるのでほんとに閑話休題。

 そういう大家族モノの中に、TBSが特番として、3年ぐらい前から年に何回か放送している「青木家」がある。それに関して、いろいろと悪い嘘が多いと4月20日号の『週刊文春』が報じた。そのことで2ちゃんねるが異様な盛り上がりを見せた。それに関して自分もなんか書いておこうというのが以下の文である。我ながら下世話で恥ずかしい。でも書き出したのだから最後まで書こう。

 物語のあらすじを書くのが面倒だなと思い、そうだテレビ局からもらえばいいやと気づく。探したらすぐに見つかった。便利である。
 以下があらすじである。これが2006年正月のもの。このあと3月にまた2週連続で特番があり、それが視聴率競争で強烈な裏番組に圧勝して盛り上がる。長女「あざみちゃん」の本が発売され一週間で20万部突破のベストセラー。ここまでは感動の話。
 ところが『週刊文春』が「青木家の話は嘘ばかり」と報じたことから大騒ぎになった。




 まずは自分のことからだが、私は偶然この番組を見て知っていた。上記の正月は日本にいなかったから見ていない。とすると昨秋とか、そんなときにこれを見たことがあったのだろう。それと今回、3月末のものであ。

 ここで「そんな長期取材のドキュメンタリィなのに、ほんの数回しか見ていなくて全体を語れるのか!?」との疑問を抱かれそうだが、それはもう自信を持って語れる、と言い切れるのである。
 なぜならこの番組、私は漫然と3回しか見ていないが、毎回番組内容のほとんどは「ここに至る経過の振り返り」であった。つまり1時間半の特番があるとするなら、そのうちのほとんどは「前回までのあらすじ」なのである。そりゃまあ当然だ。大家族を淡々と追っているだけなのだからそんなに大事件が起きるはずもない。

 この「青木家」が高視聴率なのは、その起きるはずがない事件がよく起きるからなのだが(笑)、それだってそこだけ追って特番は作れない。たとえば長女のあざみちゃんが妊娠したという大事件が勃発するわけだが、それだって妊娠から出産までは10ヶ月かかる。3ヶ月に一度の特番では思うようには進展しない。よって「あざみちゃんが妊娠するという大事件が起きた」と冒頭で振ってこちらを引き寄せておき、そのあとはそこに至る今までの復習である。簡単に言う三歩進んで二歩下がるというか、もっと細かく四歩下がって五歩進むぐらいのペースなので、番組の大半はプレイバックが主な「ここまでのダイジェスト」である。1回見ただけで全体の把握は容易なのだ。3回しか見ていないのに、またこれかよと以前見た使い回しにうんざりしたぐらいだった。でも熱心なファンは四歩下がっても五歩進む、その一歩の進歩がたまらないらしい。それが居並ぶ強豪を退けて高視聴率を稼いだ要因なのだろう。

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 さてここで自分への意味のない弁明。
 私はこの種の番組が大嫌いである。子供十数人なんていう子作りマシンみたいな夫婦が出てきての大家族ドタバタなんて見たくもない。絶対に見ない。大人数での食事風景とか山のような洗濯物とか、見ているだけで憂鬱になるほどだ。下衆なことを言わせてもらえば、子供十人を産んだという醜い太ったおっかさん(失礼)がいて(当然年齢も四十を超えている)、いま十一人目を妊娠中だなどと聞くと、正直よくこんな女にたつなと思ってしまう。わからん世界である。
 だからこの「青木家」も好んで見ていたのではない。あくまでも偶然である。

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 しかし偶然ではなく意図的な部分も認めねばならない。
 私はお笑い系のヴァラエティ番組が大好きである。好きなものはVTに今はHDDに録りためている。さらに厳選してDVDに焼いている。
 かといってそれほど真剣にも見ていない。ベッドの背もたれに寄りかかり、膝の上のラップトップでメイルチェックをしたり、スポーツ紙や雑誌を読んだり、晩酌をしたりしつつの、BGVに過ぎない。

 この「青木家」も初めて見たのはまったく偶然だった。だが3月に見たときは明らかに意識していた。いつもと同じくあれこれやりつつのBGVとして見たのだが、インターネットのテレビ番組表で、その時間に「青木家」をやることを確認し、意図的にチャンネルを合わせたのは確かなのだ。
 その意図的がどこから来ているかというとこれはもう単純明快、長女の「あざみちゃん」がタレント顔負けの美少女であること、の一点である。大家族の長女として家事を一手に引き受けて大奮闘する彼女が、小柄で薄倖そうな美少女であったから私はチャンネルを合わせた。それは私に限らず多くの男に共通しているだろう。高視聴率に関しても彼女の美少女ぶりは大きな要因であるに違いない。発売一週間で20万部のベストセラーになったこの本の表紙の娘も抱いた茶髪の彼女からは私の言う可憐さは伝わらないだろうが。なんだかケバいな、この写真は。

 まあそんなわけで、大家族ものが大嫌いなのに、メイルチェックやスポーツ紙を読みつつのBGVだったとはいえ、ついつい見てしまったのは、あざみちゃんが可愛かったからである。これがブスだったら見ていなかった。
 離婚して去った母に代わり、一家の面倒を見るそのあざみちゃんが16歳で妊娠した、未婚の母になる、というのだから、視聴率が上がったのは当然だろう。
 ということで思い出したが、私は早い時期に1回見ているようだ。私が初めて知った彼女は妊娠以前だった。それから月日は過ぎ、次に見たときは彼女は母になっていた。今年の3月では本の写真のように、彼女の娘ももう一人前である。彼女が大きなお腹を抱え、それでも出産直前まで家事をやっていた、というあらすじで聞いた回は見ていない。3年間でいったい何回放送されたのだろう。
 今年3月の時点で娘は1歳2ヶ月。お腹の中にいた時期を考えると、私の場合、ごく初期に1回見て、中が2年ぐらい抜けて、今回また2年ぶりに見たということになるのか。

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 今回『週刊文春』で指摘され大盛り上がりになった怪しさだが、漫然と見ていた私にも、『週刊文春』に言われなくても奇妙だと思う点はいくつもあった。私の感じた素朴な疑問。

①父親は52歳で17歳が長女である。とすると初めて父になったのは35歳。これはこの手の大家族ものでは極めて珍しい。だいたいこの種の人たちは若いときから子供作りまくりである。ずいぶんと遅咲きの大家族の父親だと思った。

②離婚した母親はいくつなのか。下の子は6歳である。父親が46歳のときの子だ。そのとき母親は何歳なのだろう。長女は17歳。どうもその辺の時間が読みにくい家族である。

③父親の仕事現場は建築関係だという。コンクリート破片をユンボで片づけているような仕事場面が出る。あざみちゃんの作った弁当を食いつつ、今後のことなど、質問に答える。
 しかしこれは一目見てわかる不自然な絵だった。工事現場ではない。同僚がいない。あきらかなヤラセである。その辺の野原にレンタルのユンボを借りてきて作った絵であることが一目瞭然だった。

④ご近所のこと。大家族とご近所は切り離せない。便りにしている、いつも助けてもらう世話好きおばちゃんとかがいるはずだ。なのにまったく出てこない。それもまずかろうと、たまに家まで遊びに来て一緒に食事をする人が出演したりする。でもそれは番組を通じて知り合ったという遠方の若夫婦だったりする。不自然である。

723
 たまにはほんとに波瀾万丈

09:55 [文]いつみても波瀾万丈「萩本欽一突然の球団解散…涙で語る借金苦、一家離散母の土下座」[ゲ]萩本欽一 [司]福留功男 [司]間寛平 [司]野際陽子 [司]小野寺麻衣 

 日曜の朝はテレビ三昧。フジの「報道2001」から始まって、NHKの「日曜討論」とテレ朝の「題名のない音楽会」を天秤に掛ける。10時からはNHK教育の将棋を録画にし、テレ朝の「サンデープロジェクト」を見る。ゲストがわるいと「笑っていいとも」を見たり、将棋をそのまま見たりする。

 このつまらん日テレの番組は見たことがない。フクドメが嫌いだし、なによりいったいどこが波瀾万丈なんだと思うような若いタレントが出ていたりする。見ないのになんで知ってるんだと言われそうだが、この間チャンネルはこまめに替えているのでだいたいは把握しているのである。

 今日はサンプロが「昭和天皇のメモ」についてであり、櫻井よしこさん、岡崎久彦さんの意見が聞けて貴重だった。だがCMのあいだに見たこれが萩本欽ちゃんであり、おもしろいのである。ほんとに波瀾万丈だから。このつまらない番組も出演者によってはこんなにおもしろいのだと知った。
 それでカトウコウイチやカンナオトが戯言を言っているあいだに回して見る。ひさびさにチャンネル掛け持ちをやってしまった。しかも今週は前半だけ、後半は来週とのこと。むかし懐かしいヴィデオも出たりして当時を思い出した。あいかわらず司会進行陣はつまらない。

 べつに欽ちゃんのファンではないのだが、なにしろ彗星のように、ほんとにもう突如として現れて大ブレークしたコント55号と同時代を生きているから、その流れがたまらない。欽ちゃんと二郎さんは衝撃だった。
 のちのいろんなタレントを起用しての欽ちゃんファミリーショーは肌に合わなかった。あの「視聴率100%男」と言われた時代である。そのイメージが強く、自分は欽ちゃんを好きではないと思っていたのだが、コント55号時代のヴィデオを見ると、いかに好きだったかを思い出した。東京ぼん太とか、それまでの売れっ子は55号颱風にみんな一掃されてしまったのだった。

 今日聞いていて興味深かったのは故・東八郎に対する感謝だった。そんなに縁が深いとは知らなかった。

 来週は「斉藤清六のことで思わず涙」なのだそうである。まったく偶然にむかし北海道で関わった斉藤清六のことを思い出していたのでこれまたタイミングがよかった。先日小堺が清六の話をしていたからであろう。お茶を注ぐとき、急須のふたが落ちてぶちまけてしまうのだそうだ。だが何度言われても斉藤清六はふたを抑えることを覚えられず、お茶を注いではこぼしてしまい、欽ちゃんに叱られていたと小堺が語っていた。
 ここのところ涼しいので熱い緑茶を飲もうと急須をいじっているとき、その小堺の話を思い出し、自分の関わった斉藤清六のドジを思い出していた。そこにこの話である。
 そしておどろくことに、欽ちゃんは斉藤清六の思い出話で涙し(といって死んだわけではないが)、「ボクの弟子は斉藤清六ひとりだけ」と言い切るのである。と、この辺は来週の内容だ。みなけりゃならん。私は斉藤清六はあまりに出来が悪くて馘首になったのかと思っていた。

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 この日曜のテレビ三昧は、午後になり、ヴァラエティ番組や休日のお父さん向けゴルフ番組等になったりすると、いきなり興味を失くす。だから私の「日曜はテレビ三昧」はあくまでも午前中だけなのだ。
 世の中には「日曜の午前中はつまらない番組ばかり」と思っている人も多いだろう。人それぞれである。


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