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●テレビ──満点パパ──柏戸の思い出
 「満点パパ」。なつかしい。父母が楽しみに毎回見ていたので何度かつきあいで見たことがある。私はああいう家族的なものを「おけつがこそばゆい」と言って嫌うが、あの番組は典型的なそれであった。嫌いである。見ていない。それはまたそういうものを好む人には最高ということだからNHKの中では数少ない高視聴率番組だった。

 父母と一緒に何度か見た数少ないその中に元横綱柏戸(故・鏡山親方)の回があった。
 あの番組では最後に子供が父に捧げる作文を読み、普段はこわもての父がそれを聞いて涙を流すのを売りにしていた。お茶の間の視聴者ももらい泣きする場面だろう。私にとっては最もこそばゆいシーンであり、おしりどころか尻の穴まで痒くなるとても正視できない場面だった。
 なのにそのときだけは見た。それは柏鵬時代を築いた横綱柏戸の出演回だったからだが、普段なら作文のシーンで席を外す。こそばゆくていられない。なのに見たのは、男の子二人のお兄ちゃんの読む作文が、私の予想したものとはまったく異なっていたからだった。彼が読み上げ、いつものように柏戸が涙を拭いた内容は、「おまえんちは相撲取りだ、相撲取りの子供だといじめられたけど、ぼくはお父さんが大好きです」というものだったのである。いやあたまげた。たまげると同時に義憤に駆られていた。そしてまたほんまかいなとこんがらがっていた。私には一世を風靡した横綱柏戸の子供が相撲取りの子供と学校でいじめられるという発想がまったくなかったからである。私だったから彼と仲良くなって部屋に遊びに行かせてもらう。あこがれの力士に会えて大喜びだ。横綱柏戸の子供と同級、同クラスだったら他人に自慢する。相撲取りが差別されるとは、あのとき初めて知ったのだった。

 あの男の子ふたりは力士にならなかった。もう成人している。父がさせなかったのだろう。その父ももういない。大相撲の歴史に燦然と名を残す、伯父が横綱、父が大関、二人の息子がともに横綱という前代未聞、空前絶後の偉業を成し遂げた若貴兄弟も、子供は力士にさせないようだ。それこそよくあるパターンで慶応幼稚舎とか、そういう路線を歩ませるらしい。残念でならない。そう思えば大物感はなくても栃東を応援したくなる。あの躰で父の名を継いでがんばっているのだ。

 柏鵬時代が遠い彼方になるころ、白鵬の名をしょった希代の逸材が登場した。「色が白いから白鵬とつけた」は嗜みとしての発言である。本当は柏戸の責め、大鵬の守りをもった最強の「柏鵬」になってほしいと名つけたのだが、おそれおおいからと偉大な両横綱に遠慮して「柏」を「白」としたのだ。「横綱を襲名したら木偏をつける」とも言われている。横綱柏鵬誕生までもうすこしだ。天国の柏戸も喜んでいることだろう。
 柏鵬の子から力士は出なかったが、その名をしょった白鵬はモンゴル相撲横綱の子である。その横綱はメキシコオリンピックレスリング銀メダルの英雄でもある。(モンゴルはまだ金メダリストがいないのでこれが最高になる。)あらたな柏鵬時代がもうすぐやってくる。

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●ついでに「連想ゲーム」の思い出
 というわけで、私は「満点パパ」と聞いたら、それこそ同じくNHKの人気番組だった「連想ゲーム」風に、真っ先に柏戸のこの回を思い出すのだった。
 と書いてまた、「連想ゲーム」と言うと、ピヨピヨとかブクブクとか擬音を当てるコーナーがあり、それまで不調だった北の富士がそのコーナーでは絶好調となり、得点を稼いだものだから、そのコーナーが終ったあとでも、擬音の答を言ってしまい、「北の富士さん、それはもう終りましたから」と言われて赤面したシーンを思い出す。たぶん、同じ失敗をした回答者は多いことと思う。なのに北の富士だけ覚えているのは、階下の父母のご機嫌伺いに行き、自分の好きな力士やプロレスラーが出ていたときだけ見たからであろう。

 あとはマッハ文朱の「ワカメ酒」発言である。あと美人系タレントが「きもちいい」とかそんなヒントに「バイブレーター」と答えて週刊誌の話題になったこともあった。あれ、誰だっけ。
 「満点パパ」の似顔絵はヤラセだったが「連想ゲーム」はガチンコだったらしく、いくつもの逸話を残している。たとえばまったく応えられず会場から失笑とため息が漏れた由美かおるが、そのご立て続けに民放のいくつかのクイズ番組に出て優勝したりした。それまでそんな番組に一切でたことがなかったのに、「連想ゲーム」以降の突如としてのこの出まくりはあきらかに異常だった。そのごも出ていない。つまり赤っ恥をかいた由美の反撃だったわけである。それがガチンコだったかどうかは疑問だ。おそらくイメイジ恢復のために事務所があれこれ画策したと思われる。実態ははらたいらの「クイズダービー」と同じであろう。そういう原因を作った「連想ゲーム」はガチンコだったと思っている。

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05/2/4
●視聴率のマジック──『笑点』と大相撲
 『週刊文春』を立ち読み。
 『笑点』のネタ。「メンバー総取っ替えか!?」と。BSで若手大喜利なるものが行われていることを知る。メンバ高齢の本隊がご臨終になったときの代替え育成か。円楽、ほんとぼろぼろのようだ。「星の王子様」「湯上がりの男」で売っていた時代を知るものとしては複雑である。ただしこの番組、記事にもあったように、おなじみのメンバがおなじみのドタバタをやる「おおいなるマンネリ」が味なのだから、笑いとしての深さは意味がない。先鋭的ないいセンスをもった若手が新メンバとなって大喜利が始まっても私は見ないだろう。そもそも大喜利なんて形式はもう死んでいるのだ。正月特番なんぞでタレントだとか局アナだとかでやるがつまらなくて見ていられない。これはもう文化財的な今のメンバだからこそ成立している。それにしても大声で売ってきたこん平の聲のでない奇病は痛々しい。喉頭ガンとしか思えないが……。

 『笑点』で顔を売ることは落語家にとっておおきな意味を持つだろう。全国的な知名度だ。田舎ではテレビにでていることはなによりもステータスである。私の田舎では文化振興策として(笑)百万以上の金を払って落語家を呼ぶ。あるいは文化人を呼ぶ。高名な文化人が来ても村人は集まらない。藤原ていさんが見えたとき三十人ぐらいしか集まらなかったと聞いたときは赤面した。申し訳ないと思った。落語もかなりの数が来ている。落語家のほうもこういうのがいちばん大きな稼ぎだ。弟子の前座、二つ目を連れて三人で来て、三席で百万だ。まあ金を稼ぐことからは満員になろうががら空きだろうが関係ないことになる。それでも小三治ががらがら、歌丸が超満員と聞くと、そういうもんかと思う。あ、この落語会は村が主催後援しているが一応千円ぐらいの金を取るのである。田舎者はその千円の価値があるかどうかを知名度で決めるのだ。これはまあ当然でもある。そしてまた私は、べつに小三治を称える気もない。いやたしかにそんな感覚の時はあった。でもそれは落語を知らなかったからだ。いや自分が確立していなかったからだ。通ぶっている人が小三治を絶賛していたからそう思っていただけで、こういう感覚こそ唾棄すべきものである。
 この落語会に父母は缺かさず行っていた。昨年は母を送っていったから、もう父は具合が悪い時期だったのだろうか。とても印象的なのは、母が「今まであれほどおもしろい落語家はいなかった。さすが歌丸だ。涙を流して腹を抱えて笑った」と絶賛していたことである。それは歌丸が田舎のジジババ受けするタイプだったと意地悪い見方もできるが、ここはすなおに彼のサーヴィス精神を称えよう。会場かつてないほどの大爆笑だったそうである。
 だが私からすると、『笑点』メンバの古典落語など聞く気になれない。あまりに『笑点』での姿になじみすぎている。暮れに録画した「日本の話芸」だが、私は『笑点』メンバのものは見ていない。  1月23日、大相撲初場所が千秋楽の日、視聴率が相撲が8.9%だったのに『笑点』は22%だったと、『週刊文春』はいかに『笑点』が人気番組であるかと持ち上げて書いていた。そこには「相撲がいちばん盛り上がるあの千秋楽の日に、なんと」という意図が見える。これは相撲を知らない人の記事。知らないと気づかないマジック。
 千秋楽は優勝旗授与等があるので打ち出しがいつもより一時間近く早くなる。『笑点』の始まる五時半は、いつもなら三役の出てくるいちばんいい取組の時間だが、千秋楽はもう結びの一番も終り優勝セレモニになっている。よほどのコアなファンでなければ見るところではない。まして今場所は早々と十三日目に朝青龍の優勝が決まり、興味は全勝優勝なるかと白鵬等若手の星取だけになっていた。相撲ファンはしっかり相撲を見てから『笑点』にチャンネルを替えたのである。そのことに触れず、大相撲よりもはるかに『笑点』のほうが人気があるかのような書きかたはいやらしい。
 だいたいが大相撲ファンと『笑点』ファンは重なる。私の父も打ち出しが六時五分前ぐらいに早めに終ったときなど急いで『笑点』に切り替えていた。千秋楽はもちろん早々と『笑点』である。打ち出しの早い千秋楽に大相撲の視聴率が落ちて『笑点』の視聴率が伸びるのは毎場所の常識なのだ。そしてその視聴率を支えているのは大相撲ファンなのである。この数字は「なんと千秋楽に」ではなく「千秋楽だからこそ」なのだ。数字をあげるなら朝青龍と白鵬の対決に史上最高の懸賞がかかった初日と比較すべきである。この辺にも『週刊文春』のいいかげんさが見える。
05/9/14
 猫派の高笑い
 水曜日は7時からテレ朝の「愛のエプロン」、8時からフジの「クイズヘキサゴン」、9時から「トリビアの泉」を録画しておく。今日は時期が時期だけにそのあとにテレ朝の「ホーステ」も入れておいた。その間はパソコンに向かっている。私がリアルタイムでテレビを観るのは日曜の朝の政治番組だけである。あと『PRIDE』とか。これは録画しておいてももしもなんらかの事故で録れなかったらと思うと、録画しつつリアルタイムでも観てしまう。

 一息ついたあとにそれらを観る。翌日、翌々日になることも多い。いらない部分を飛ばして観られるので早くて助かる。1時間番組みっつ計3時間を1時間もかからず観られる。ヘキサゴンはゴールデンタイムになってから全部録画していたのだが、今の新形式になってからはつまらなく、最後の勝ち抜けクイズのところだけにした。その他のヴァラエティ番組もみなそんな感じで1時間番組が15分ぐらいになるので保存が楽だ。

 高視聴率番組の「トリビアの泉」は、基本的に私にはウンチクは合わないようで、いつも録っておいて目は通すが、保存することはない。というか観ている内にどうでもよくなって削除してしまう。ああいう番組を楽しむのがインテリなのだとしたら私は確実に違うことになる。私はインテリではないけれど、かといってああいうのがそうだとも思わない。まあそれ以前に真のインテリはテレビなんか観ないか。


 珍しく今週は飽きずに観てしまった。
 やっていたのは「飼い主がふいに倒れたとき、犬はどうするか」の百例実験である。こういう手間暇の掛かる世間で評判の高い労作、というのが私には合わず「つまんねえことやってんな」といつもは投げてしまう。
 なのに今回は犬がみんなバカなものだから、ついつい笑いながらぜんぶ観てしまった。散歩中、飼い主が「うっ、腹が痛い」と言いつつ迷演技で路上に倒れる。さて愛犬はどうするかだ。すぐにどこかへ行ってしまうもの、家に帰って餌を食い始めるもの、そこいら中を走って遊んでいるもの、百例中、飼い主を気遣って助けを呼びに行くのは一匹もいなかった。

 飼い主たちの「すこし寂しいよね」の落胆顔が、すこしもすこしでないことが判って笑えた。誰もみな自分の駄犬を名犬ラッシーだと思っているのだ。すなわち「犬への幻想」である。果たして暴漢が襲ってきたとき、飼い主を守ろうと闘う犬がどれほどいることか。

 普段は観ないそれをつい観てしまったのは、猫派として、犬派のその幻想をふだんから快く思っていなかったからであろう。私が笑ったのは、バカっぽい犬ではなく、假病で道路に倒れながら、「ウチの犬だけは」の期待をもって倒れ続けている飼い主の心情だった。10分後、バカ犬の行動の結論が出て、スタッフに「はい、もういいですよ」と言われ、「へっ?」という顔が笑えた。愛犬が助けを呼んできての感動的な場面を想像してずっと路上に倒れて待っていたのだ。笑った。見所はここだった。
 もちろんそれは冷笑ではない。それなら最後までは観られなかった。「あたたかな苦笑」とでもいうのか。そんなのあるか? ま、とにかくひさしぶりに「トリビア」を観た。こんなこともあるから「とりあえず録っておく」はたまに役立つ。
11/15   繰り返す大河
 いまNHKの大河ドラマとやらは源義経をやっているらしい。
 先日新聞記事で「義経はハンサムではなかった!?」という記事を読んで子供のころを思った。

 私がNHK大河ドラマというのをことばとして覚え意識したのは「太閤記」だった。無名の劇団俳優・緒方拳が主役に大抜擢されて話題になっていた。彼の名もこのとき覚えた。

 次に記憶したのが「源義経」である。歌舞伎界の美男が主役を務めていた。私はそのとき新聞(当時父がとっていたのは毎日新聞だった)のコラムで、「じつは義経はハンサムではなかった」を読んだことを鮮明に記憶している。「小男で反っ歯だった」と書いてあった。牛若丸と弁慶の話は読んでいたから、子供心にもハンサムなスーパースターだと思っていたのでたいそうショックだった。
 今回同じ事が言われているのを読んで、世の中とはこんなものなのかと感じた。当時「義経はチビの醜男」と知って落胆した私のように、今もまた主役のファンの中には同じ事を感じている娘もいるのだろう。繰り返しである。変っているようでいてなにも変っていない。

 ネットで「大河ドラマの歴史」というのを見つけた。
 それによると「太閤記」が1965年だから昭和40年、「源義経」はその翌年だ。主役の尾上菊之助はこの番組で静御前役の藤純子と知り合い結婚するのだった。とすると、藤田まことが「スチャラカ社員」で「フジく〜ん」とやっていたのはこの前なのか。ま、そんなことどうでもいいけど。
 昭和39年が長谷川一夫の「赤穂浪士」。見ていないけどここでの彼の「おのおのがた」は物まね番組でよく演る人がいたので覚えている。
 その前年、昭和38年が最初の大河ドラマ「花の生涯」だという。これは記憶にない。

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 また「大奥」をやっているらしい。これは最初のテレビドラマ化は何年なのだろう。今回は何度目のドラマ化なのだろう。
 私の「大奥」に関する最も印象的な記憶は、私が高校生のとき、23歳で嫁いだ姉に初子が出来たころのことになる。姉の家に泊まりに行ったとき、たまたま「大奥」をやっていた。そのとき姉がしかめっつらをして、「こんなに女のことでああだこうだとやられて、今の徳川の人はいやだろうね」と言ったのだ。水戸なので徳川には縁がある。
 そのときの私はまだキスも未経験な少年だったが、姉のその言葉を聞いて、はっきりと「そうじゃないだろう」と思った。水戸に住んでいる徳川の末裔は、「大奥」を見て、「世が世ならねえ、ぼくも」と、むしろ得意だったはずである。栄誉栄華の一環だ。決して恥の文化ではない。どこでも支配者とはそうだったはずである。
 それが一夫一婦制を当然と思っている女には、恥ずかしい過去に映る。男と女の発想はこんなにも違うのかと思った。姉には言わなかったが。まだ童貞だったけれどぼくはそう思い、それは今に至るまで変わらない。そのころは共産党がいちばん正しいと思う青臭いガキだったが、この件に関してはおとなだった(笑)。

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 十年一昔はいま三年一昔らしい。十年を経て見えてくるものもあれば三十年必要なものもある。
 まことに「還暦」とはよく言ったもので、六十年経てばたいがいのものは一周し何でも見えてくるだろう。そしてやっと全体が見えてきたときには、かなしいかな体力と残された時間がすくない。人の人生は皮肉である。
 それでも、「あ、世の中ってこんなふうに繰り返しになっているのか」とわかることは、楽しいことである。
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