2004
04/1/2


古いヴィデオテープ──プロレス、タイ物

 初めてヴィデオデッキを買ったころは、そりゃあ熱心に録画したものだった。内容も細かくメモした。なにしろまだヴィデオテープが高い。CMがじゃまだ。テープがもったいない。よって当時の最新機種は「CM自動カット機能」なんてのを売り物にしたものだった。

 時が流れれば感覚は変る。いま古いヴィデオテープでなによりも楽しみなのは世相を映すそのときのCMだ。十数年前それを知ったときからCMカットはやめた。これは正解である。だからたとえば古いプロレスを販売されているヴィデオやDVDのメディアで見たいとは思わない。見たことはあるがつまらなかった。CMを始めとする餘計なもののないそれは単なる「記録もの」であり、こちらの欲しい「記憶もの」とは異なっているからだ。

 大晦日に限らず年末はプロレスラッシュだった。テレビ東京はZero-Oneと全日を流した。深夜の全日は日テレの『NOAH』特番と重なった。この時点で録画に四苦八苦する。なんでこうもぶつけるのか。
 テレ朝は「朝まで生テレビ」にならって討論会「朝まで生プロレス」をやった。くだらなかった。(これを見て「プロレスの終焉」を書こうと思ったのだった。仕上げないと。)
 その全日に「佐山タイガー」が登場した。今の全日は全日ではないが、それでもかつてを思えば万感の想いがする。いつも佐山と比べられた大仁田も、二代目タイガーとなった三沢も、みな天才佐山の犠牲者とも言える。その佐山が虎のマスクをつけて全日のリングにあがるのだ。なんとも感慨深い。
 体がぶよついていたものの、ツームストンパイルドライヴァー、ダイビングボディプレスは、あのころと遜色ない。日本中を熱狂させたあのタイガーマスクだ。しかしがらんとした会場からは歓声ひとつわき起こらない。なんとも無惨な光景だった。佐山が、ぶくぶくに太り見た目が醜悪のみならず声すら出ない朱里エイ子(かつてこれほど無惨なものはみたことがない。天知真理以上)のようになっていたらまだ救われた。そうではない。ほぼ当時と同じだけのパフォーマンスを披露したのに、それでも会場は冷えているのだ。時代を抱えた思いこみがなかったら、今の時代、佐山タイガーは二流の闘龍門でしかないのだった。(「プロレスの終焉」を書こうと思ったきっかけに『NOAH』のジュニアタッグがある。メモ。)

 ヴィデオテープへの録画は次第にいいかげんなものになり、「競馬」「プロレス」「演芸」「旅物」といった区分けすらもしなくなって行く。ただ単に「01年バラエティ-No.1」のように書き、そこに全部がごったまぜでつっこまれてゆくようになった。古いものを見ると、プロレスも全日、新日が区別され、旅物は「世界不思議発見」のように番組専用のテープまである。それがすべてまとめて録るようになり、しかもタイトルすら記入しなくなってゆく。
 ズボラは加速し、シールを貼ってメモしようと思いつつもせず、「なにか大事なものが録画されているらしいのだが、なにも書いてないので中身がわからないテープ」が増えてゆく。

 先日、そんなものを10本ほど持ち出し、いらないものは消してしまおうと中身をチェックした。
 1本を再生すると、いきなり「三沢対蝶野」が始まった。あの『NOAH』(=全日)と新日のトップが東京ドームで対戦した夢のカードである。こんなものがここに入っていた。ついついうっとりと見ほれてしまった、なんてことはまったくなく、なんの興味もないのでさっさと早送りする。こういう形の刺激はあっという間に薄れてゆく。秋山と永田の遭遇にわくわくしたのも遙か彼方にある。
 そのあとに出てきたのは「ミルコ対シウバ」だった。これは今も色あせない最高の試合だ。急いでテープにメモを張り、永久保存指定をする。いいかげんさもここまで来るとわらえない。テープがないとき焦ってこれにお笑い番組でも重ねてしまったらと冷や汗が出る。これも市販品でそろえることは出来る。でもそうではない。自分でリアルタイムで録画したCM入りのテープだからこそ貴重なのだ。

 次のテープは、いきなりダンカンが出てきた。立川談志の弟子、かつての立川ダンカン、たけしの弟子に転じて藝名ふんころがし、そしていまのダンカンである。ダンカンの作った映画「生きない」はよかったな。ダンカンに関していちばん笑ったのは、たけしが書いた(ことになっている)「佐竹くんからの手紙」(唐十郎の「佐川くんからの手紙」のもじり。『週刊文春』連載)の中にあった「韃靼人みたいな顔をしたダンカン兄さんが」という一節だった。噴き出してしまった。まったく不思議な顔をしている。「甲子園」と名つけられた息子がグレないよう祈る。
 その韃靼人みたいな顔をしたダンカンがバンコクにいる。ドラマ仕立て。やがてタイトルは「なんでも屋 バンコク本店」とわかる。まったく内容を覚えていない。ダンカンと日本人の男女二人がバンコクでなんでも屋をやっているという設定。内容は見るに値しないくだらないものなのだがバンコクやアユタヤの風景がなつかしく最後まで見てしまった。タイ語のわかる妻が興味を示したこともついつい見てしまった理由になる。
 そうして最後のクレジットでそれがテレ朝の特番とわかる。問題はこれが何年前のものかだ。それはわからなかった。2、3年前だろうか。気になる。
 というところでニュースが始まった。どうやら午後八時から十時ぐらいまでの留守録にしてあり、十時前の短いニュースが録画されていたらしい。森さんが出ている。そうか、小泉さんの前、森首相の時代かと思ったら違う。肩書きは「森幹事長」。小渕さんの時代だった。録ったものの見ていないテープだった。いつのものかわかってほっとした。

 こんなのがまだまだある。整理が大変だ。もともと整理整頓が嫌いなのだろう、楽しい作業とは思わない。引っ越しや部屋の整理の時よく言われる「古い雑誌や新聞に思わず読みふける」ようなことがヴィデオテープに関してはまったくないのである。やはり映像はあまり好きではない。
 先日二十年前の競馬やプロレスのヴィデオを整理しようと流してみたら、たぶん磁性粉が落ちるのだろう、ヘッドが汚れてたいへんだった。いちど古いものを見ると、そのあと画面がちらついてしまい再生が出来なくなる。そのたびにヘッドクリーニングである。画像もかなり質が落ちている。急いでDVDに移さねばならないようだ。しかしまあ面倒でやりたくない作業である。
04/1/2 曙vsサップ、視聴率大健闘!


紅白視聴率低落止まらず、裏番組健闘

 ビデオリサーチは2日、昨年大みそかの第54回NHK紅白歌合戦などの視聴率を発表した。

 紅白歌合戦は第1部が関東地区35・5%、関西地区37・0%。第2部が関東地区45・9%、関西地区45・7%だった。両地区とも前回を1~3ポイント程度下回り、関東では4年連続50%割れ、第2部は両地区とも過去最低を記録した。(中略)

 格闘技の競演となった民放各局の裏番組では、ボブ・サップと元横綱・曙の対決が話題を集めたTBS系「K-1プレミアム2003」が関東地区19・5%、フジテレビ系「PRIDE大晦日スペシャル」の第2部が同17・2%と健闘。日本テレビ系「イノキボンバイエ2003」は同5・1%だった。(ニッカンスポーツより)

感想
 「曙サップ」以外にも試合内容、演出が充実していた『Dynamite!』圧勝は当然として、『PRIDE』の健闘が光る。「吉田ホイス」と強行出場させられた桜庭以外にこれといった目玉商品はなかった。それどころか売り物のミルコやヒョードル(あるいはノゲイラまで)を「猪木祭り」に横取りされ苦戦が噂されていた。それでいてこの数字は、『PRIDE』が数を重ねることにより安定したブランドになってきたことの証明であろう。ぼくも三つの中から心情的にどこを応援するかとなったら断然『PRIDE』になる。積み重ねてきた重みが違う。ただし今回の高田をメインにした演出はペケ。これは別項でまとめるとして。

 「猪木祭り」惨敗には、正直ザマーミロの気持ちがある。
(ぼくは思想的に日テレ、フジのファンであり、テレ朝とTBSはヘドが出るぐらい嫌いなのだが、それは今回おいといての意見になる。)
 格闘技番組に不慣れなTBSが、他局のK-1や『PRIDE』に刺激され、自分たちもなにか格闘技ブランドをもたないとと企画したのが「猪木祭り」だった。それは努力の甲斐あって、紅白歌合戦の裏番組としては過去最高の視聴率を稼ぐ。大成功だった。
 そこでうごめくのが猪木の裏切り根性、節操のなさ。ここでまた一儲けと日テレに高額で売り込みに行く。プロデューサの視聴率買収で糾弾を受けたように金銭体質丸出しの日テレはこの話に乗る。さらにはフジの『PRIDE』が育てた選手(発掘は全員「前田リングス」だったが)の金銭的引き抜きを決行する。
 猪木新間が馬場全日を潰そうと選手引き抜きをやったときと同じ手法だ。やられたらやりかえせと馬場側が反撃に出る。選手間の人徳では圧倒している。テリーが奔走してハンセンを引き抜く。シンを引き抜く。こりゃたまらんと猪木側が頭を下げて引き抜き合戦は終了した。結果「得をしたのはギャラがあがった外人選手だけ」と言われたものだった。今回も同じだろう。ヒョードルは永田に数発パンチを見舞うだけで何千万円も手にした。
 そういう人間が栄えることをよしとしない。栄えてはならない。

 「大晦日格闘技競演」に関する文章がなかなか仕上がらないのは猪木にまつわることが長くなっているからだ。いくらなんでもあの藤波との失神ごっこはあるまい。客をバカにするにもほどがある。手元に生卵でもあったら画面に投げていた。なさけなくて屁も出ないってヤツだ。
 性格破綻の猪木と手を切れ、「K-1 MAX」『Dynamite!』と二つの安定したブランドを手に入れてTBSは万々歳だろう。視聴率結果を見て高笑いしているに違いない。一方、引き抜きに金ばかりかかり、お寒い内容にこの数字では、とんだ貧乏くじを引いたと日テレは頭を抱えているだろう。他局で成功したものを横取りする節操のないことをするからだ。猪木がどんな人間か、日プロ時代からさんざん見てきたではないか。馬場が生きていたらこんな愚行に走ることもなかったろうに。

 猪木はいま「現役時の倍の収入がある」と誇っている。満身創痍で闘っていたときよりも、あっちのものをこっちに動かし、イヴェント会場でびんたを見舞い、「ダァっ!」と叫ぶいまのほうが多くの銭が転がり込んでくる。その驕りの象徴が今回のあまりに雑な「猪木祭り」であり、無惨な結果になる。

 生真面目ゆえに潰えていった前田、不真面目ゆえに栄える猪木。おごる猪木はひさしからず。いやもう充分にひさしいか。貯金は目減りしている。もう空っぽだ。気づいているのか、猪木。
04/1/3


空白の日
 朝から酒ばかり飲んでいるだらしない生活はハッキリと文章に表れている。テーマがテレビばっかりだ(笑)。
 ま、一区切りつける気分で簡単に。

 だらしない酒の飲みかたをし、ずるずるとテレビを見る。暮れから正月、そんな日々が続いていた。ところがきょう、番組表を見たらなにひとつ見たいものがない。酒をやめようと思っていたのでちょうどいい。
 理由を考えてみた。するとプログラムの傾向に気づいた。
 暮れから元旦にかけては音楽番組、お笑い番組が続く。どこもそうだ。そうしてきょうの三日あたりになると、「そろそろドラマ派の人にもサーヴィスしないと」とでもなるのか、一気にドラマが増えてくるのである。というか、元旦がお笑い特集、二日がヴァラエティ特集なら、三日のきょうは特番ドラマ特集のような作りになっている。で、それらに興味のないぼくは、一気に見るものがまったくない情況に陥ったのだった。逆にドラマ好きには、きょうはどれを見るかうれしい悲鳴の日だったろう。
 もちろんドラマばかりのはずもない。芸能人カラオケ番組だとかクイズ番組もあるのだが、みな食指が動かない。考えてみれば普段でもテレビをそんなに見ているわけではなかった。一日に興味のある番組をひとつかふたつヴィデオに録っておき、あとでまとめ見しているだけである。正月だからといって朝から晩まで好みの番組が続くはずがないのだった。

 酒を飲んでぐだぐたしているときに見るのはお笑いや無内容なヴァラエティに限る。それらがない。未練たらしく古いヴィデオを取り出してきた。いくらでも録ってある。しかし再生しているうちに、さすがにむなしくなってきた。いったいおれはなにをやっているのだろうと。

 というわけできょうから、無理に飲む安酒とテレビの日々から足を洗いまともになることにした。無意味な一週間を送ってしまった。反省。
04/1/6  


「曙サップ」紅白をKO!──サンスポより
 50年の日本のテレビ史を塗り替える快挙の主役は、闘う男たちだった。大みそかの午後9時から同11時24分までTBS系で放送された「Dynamite!!」が、紅白を打倒した。世紀の大逆転は11時から4分間。ピークは11時2分で、TBSの瞬間視聴率が43・0%だったのに対し、NHKは35・5%。驚異的な数字を叩き出したのは、曙とサップだった。

■こうして勝った! ビデオリサーチ調べによると、紅白歌合戦2部の平均視聴率は45・9%。「Dynamite!!」の平均は19・5%。しかし、奇跡は午後11時に起きた。同0分にTBSが38・7%と記録し、NHKの37・8%を越えた。TBSは分刻みで42・4、43・0、42・0%と推移。その間NHKは35・8、35・5、35・8%と低迷し、4分間にわたってTBSの勝ち。TBSの田代編成局長は「素晴らしいカードを放送できた結果だと思う」と話した。(数字はいずれも関東地区)


 なにはともあれ異様な地位に祭り上げられてしまったくだらない番組を一瞬ではあれ民放が抜いたことはめでたい。ただしそれは大相撲11回優勝2メートルの大男に今回特別の価値があったからであることを忘れてはならないだろう。
 同じ形で横綱ということから北尾と輪島の名が上がるが、北尾は一度も優勝せずに横綱にしてもらった上げ底横綱であり、引退も女将さんに暴力をふるっての最悪のものになる。弟子いじめもモデルガンで撃つとか最悪の評判だった。しかも「スポーツ冒険家」というわけのわからない肩書きを名乗り、プロレスなんてものには関わらないと何度も侮蔑発言を繰り返していた。それが食い詰めてのプロレス転向である。プロレスファンは決して北尾を歓迎していなかった。デビュ戦、ホーガンばりの黄色のティーシャツ破り捨てパフォーマンスには失笑が湧いたものだった。輪島になると──これは全日との縁で内部事情にも詳しくデビュ戦も控え室まで行っている──妹の経営していたちゃんこ料理チェーン店の借金穴埋めに親方株を質に入れてしまったという前代未聞のスキャンダルによる角界追放であり、そのときすでに筋肉も落ちた38歳だった。力道山時代の東富士も含め前例としての比較対象にならない。

 今回の成功で味を占め、「大物さえスカウトすれば」の勘違いが蔓延している。それは違う。東富士、北尾、輪島の過去の横綱よりも曙にいくつもの点で商品価値があったということであり、ものめずらしかったこと、そのタイミング、ボブ・サップといういい形での相手の存在、いくつものプラスの要素が重なって生まれた結果だ。たとえば同じく大金を積んで武蔵丸を呼んでくれば、とはなるまい。「大男の横綱の価値」は今回の曙の負けで下落している。相撲取りの強さも幻想となった。あれは「こわいもの見たさ」「珍獣見たさ」が最高の形で結実したたまたまの結果である。
 金メダリストの吉田だって、引退して間があったこともあり、決して世間全般の話題にはならなかった。もういちど紅白を負かすぐらいの可能性があるとしたらアテネで金メダルを取ったあとの井上康生ぐらいであろう。

 それでもまあ、どんなドラマ、ヴァラエティをぶつけても出来なかった「紅白を一瞬でも超える」を、格闘技がやってのけたことはすなおにうれしい。
04/1/10


古館ニューステの憂鬱
 古館のニュースステーション(番組名は変るだろうが)について書こうと思いつつ書かない内に次々と全容が明らかになってくる。早く基本として思う「憂鬱」だけでも書かないと。
 外部からの中継レポータはナガノトモコに決定だとか。古館事務所所属だ。そこからの引きだろう。かつてひょうきん族で「初代ひょうきんアナ」をやっていた。

 なにもしらないバカな女がすこしばかり物知りの男とくっついて薫陶をうけると決まってサヨクに走る。いわゆる「日本人がアジアに対して過去こんなひどいことをしていたのをまったくしらなかった。おしゃれやおいしいもののことばかり考えていた自分が恥ずかしい」である。薄っぺらな反省は薄っぺらだからこそたちが悪い。タマルミスズを筆頭にフジ系の女アナからはたまにこんなのが出る。あのミサトって男とくっついたころに文芸誌に書いた文章には嗤った。あの女はミサトミスズ時代の恥をどう内面で消化したのだろう。いやそんな意識などないから今も平面と厚顔でいられるのか。
 これは逆になにもしらないいい女(あいつらをいい女とは思わないけれど)を落とすためには最も有効な作戦ということだ。軽薄な小金持ちのいい男にチヤホヤされてきているから、見栄えはよくなくてもこっち方面で攻めると簡単に落ちる。コミヤエツコのようにミンセーの巣窟・都立大で活動していたのはそれはそれとして筋が通っているからいいとして、ナガノトモコのような突如目覚めた女(笑)のサヨク発言は受け入れがたい。きっとおしゃれと男にしか興味のなかった若い頃を恥じ入り、いまはステップアップした充実を感じているのだろう。

 毎度言うがチクシはほんまもんのサヨクである。どうしようもない。どうしようもないが本物のキチガイだからそれはそれで認めるのである。ぼくが嫌いなのはクメのような「演じもののサヨク」だ。コミヤエツコはほんまもんのサヨクだがナガノトモコはついこのあいだ目覚めたばかり(?)の勘違いサヨクである。こういうのはたちがわるい。
04/1/12


ごきげんよう──不作意の作意のおもしろさ
 終りの10分ほどを偶然見たのだが、いやはや大笑いしてしまった。
 遠隔操作の人形が出てきた。「GONZOくん」だったか。これが壊れていた。ネタがおもしろくてコワレテイタのではなく、ほんとうに機械として壊れていた(笑)。
 一般にこういうものは人形を遠隔操作するだけでマイクをつけた声優がスタンバイしている。「ダウンタウンDX」の「郵便ポストのかっこうをした人形」が代表だ。人形が壊れたり転んだりしたアクシデントにも即妙に対応できる。
 それと違ったものとしてすでに電子音で定型文だけが録音されている人形がある。携帯用だ。ボタンを押して定型文をしゃべらせる。子供向けのキャンペーンに使われたりする。
 ここから、もしもこの人形が「しゃべるタイミングを間違えたら」、「交通安全用の人形が火災訓練に出てきたら」のようなお笑いネタとしての発想が浮かぶ。これの最高傑作がアンジャッシュの一連のものになる。けっこう考えつくネタではあるが彼らの作品の完成度は高い。私も二十年ほど前にラジオコントでこの手法を使ったことがある。アンジャッシュの練れたネタを見て、さきがけとして満足したものだった。
 しかし、「もしも」の話として、「アクシデントによるズレ」が実際に起きたらどうだろう。コントとしての計算したタイミングのズレではなく、ほんとうにズレてしまったら、だ。それがきょう起きたのである。

 ゲストは奈美悦子。西野バレエ団の4人娘。私は当時4人の中でいちばん好きだった。結婚は早く、相手は「亜麻色の髪の乙女」をヒットさせていたビレッジシンガーズのドラマー林豊。しかしあれだねえ、十代で覚えたこういう知識は忘れないものなんだな(笑)。以後、林豊なんて三十年以上なんの関係もないのに名前も字も忘れない。おそろしいものだ。かわいかった奈美悦子は、最近はすっかり「うるさい大阪おばさんキャラ」で活躍している。
 4人娘の中であのころから由美かおるというのはまったく興味がなかった。人間的な魅力を感じなかったのだ。今のこわいほど老けない彼女を見ていると我ながら人を見ていたと思う。あとは原田糸子か。ぜんぜん噂を聞かないな。
 リーダーの金井克子は当時からいちばんセクシーだったが在日朝鮮人らしく目の細いことに悩み二重まぶたの整形手術を受けてしまう。それで嫌いになった。松田優作もそうだがなぜそんなことをするのだろう。男の目は糸を張れ、で細いほうがかっこいい。金井は女だから「女の目には鈴を張れ」で大きな目に憧れた気持ちはわからないでもないけど、私は由紀さおりに代表されるああいう顔の朝鮮美人は最高だと思っているのでもったいないと感じてしまう。松田優作の場合は、そういう屈折した面も魅力に繋がっているのだろう。あの時代に男が目を大きくする整形手術を受けているというだけでも内面の鬱屈度が解る。どう考えてもたたずまいからしてのほほんと生きてきた役者じゃない。

 奈美悦子にGONZOくんが質問をする。それがどうやら録音された定型文だったらしい。まず最初に音声が壊れた。遠隔操作で口をぱくぱくさせるがなにも出てこない。これは間抜けだ。これでまず笑えた。コサカイも司会進行として焦る以前に笑ってしまっている。やっと直って「奈美さんに質問があります」と出る。わかった、質問はなんなんだとコサカイが言うと同じ事を繰り返す。だから質問はなんなんだよ! とやっても同じ事を繰り返すばかりで、こういうのは計算尽くでやってもおもしろいのに、機械が壊れてしまってスタッフ一同困っている様子も見え、さらにそれを通り越して、いやはや笑った。もっとも会場にいた娘達はべつに爆笑はしていなかったから、あるいは私のようなのにだけ受ける笑いだったのかも知れない。私としては最高級の笑いだった。
 作る笑いは、こんなアクシデントにはかなわない。GONZOくんは初登場だったらしい。それで大失敗だったから次回からは修正されてしまうだろう。ボイスチェンジャを使えばいいだけだから次回からはADがマイクで対応するか。となると今回のようなアクシデントは二度とないことになる。貴重なものを見たのか(笑)。
04/2/1


日曜のテレビ──12チャンネルの思い出

 ここしばらく(国会中継以外)テレビを見ていない。テレビと縁を切るとなんとなくえらくなった気分。知的な生活をしているようで清々しい(笑)。とはいえ金曜の夜も「朝まで生テレビ」を見ていて、あまりのくだらなさに腹立ってスイッチを切った。部屋からテレビを追い出したわけではないから威張れない。それになんでここしばらくテレビを見なかったかといえばゲームをやっていたからという恥ずかしいオチがつく。それは以下で書くとして。

 そんなこともあり、きょうは、政治に無関心な若い頃は最もテレビと無縁な時間帯であり(将棋は見ていたが)、今は逆に最も楽しみとする時間帯となった日曜午前中を楽しみにしていた。政治番組の時間である。朝七時半から十二時まで見まくる予定。
 しかし「報道2001」で中曽根さんの話を聞けた以外は肩すかし。落胆することになった。御大の中曽根さんは、今もいろいろと勉強しているし、憲法改正や教育基本法改正を早くから主張してきたという評価出来る面もあれば靖國参拝で腰砕けになり中韓の攻撃原因となるきっかけを作ったという評価できない面もある。あいつらはこちらの弱腰につけ込んでくるから気弱になってはいけないのだ。その意味ではすべてのきっかけはこちらが作っていると言える。ひさしぶりに話を聞けてうれしくはあるが、なにより第一線を退いたかたである。ぼくがいま聞きたいのは現役バリバリの連中の過激な意見だ。続くNHK「日曜論断」もテレ朝「サンデープロジェクト」もつまらなかった。
 テレ朝の「サンプロ」は基本的に大嫌いだけれど、出演者によってはおもしろくもなる。(以前も書いたが)格下のゲスト相手に横暴を極めているタワラソウイチローが、慎太郎さんがゲストだと腰の低い提灯持ちになったりして笑える。理由は簡単で慎太郎さんがゲストだと視聴率が上がる。視聴率を上げてくれるゲストには腰が低い。それを抜きにしても慎太郎さんとタワラを見ていると「男の格」というものを感じて痛快である。
 今回はよくもわるくも魅力のない内容でパス。民主党の鳩山が出てしゃべっていた。復権の目が出てきたのはよいことだ。鳩山にも教科書問題での発言や金正日パーティへの出席等許し難い過去があるがカンよりははるかにましである。とにかくカン・オカダ体制がなんとかならん限り民主党に躍進の目はない。
 ヴィデオ録画していたNHK杯が「藤井元竜王対森内現竜王」という強豪同士のおもしろい将棋だったのでそちらを見る。

 日曜のテレビ番組構成は全局ともあきれるほどよく似ている。藝のない話だ。こんなときいつも思う。かつての12チャンネル(現テレビ東京)のように隙間狙いをやる局があってもいいのではないかと。
 12チャンネルは昭和天皇の下血が伝えられ(=危篤状態)全テレビ局が一斉に昭和のニュース記録に走った時期(昭和63年1月)に平然と演歌番組を流し続け視聴率を稼いだ。見事な戦略、そしてまたあまりに露骨な隙間狙いであった。不敬とも言える。右翼から抗議が行ったかも知れない。それは関東の民放テレビ局の格つけで「1強3弱」「2強2弱」とか多少変化してもいつもその後につけられた屈辱の「1番外地」であったからこそ出来たことだった。
 今やテレ朝を凌ぎ番組によっては最高視聴率を稼ぎ出す堂々たる局になった。そのことに誇りを持ち隙間狙いは辞めてしまった。別項で書いたが「鈴木宗男証人喚問」では他局と同じように国会中継し1%にも満たない全局の中で最低の数字を記録している。それがわかっていてもやらねばならないだけの地位になった(と関係者は思っている)のであろう。

 隙間狙いはおこぼれちょうだいでみみっちいようだが、それはそれでよいことだったと思う。当時私は熱心に各局の堅い番組を見ていたが、そういうことに生真面目であり暇人の私ですらすべてが一様に統一されたテレビ世界には飽きていた。もっと切実に娯楽番組を必要とする人はいただろう。
 今後も昭和天皇ほど激動の時代を生き民衆に大きな影響を与えた天皇は出現しないし、世界的にも第二次世界大戦の重要人物で生存している最後の大物であった。63年の総決算である。全局通しての特集番組は当然であった。しかし人は、パンのみで生きるにあらずでもあるが、同時に智性のみで生きているのではない。仕事に疲れて帰宅し明日もまた働く英気を養いたいと願うとき、それをしてくれるのはモノクロのニュース映像よりは演歌番組であったろう。
 ところで私は、昭和天皇が崩御した日に、それが伝えられた瞬間からのNHKを丸々テープ一本録画したのだが、あのテープはどこにしまったろう。NHKを6時間そのまんま録画しただけである。なんの工夫もしていないからこそ生々しく貴重なものになる。あれはぜひともDVDに移して保管せねばならない。それ以前にいま見たい気がする。どこに行ったのか。

 日曜の午後、テレビの主役はスポーツだ。サラリーマンおとうさんのごろ寝タイム用番組構成なのだろう。私が学生の頃から一貫してこういう編成だった。興味のない身には不可解なのだが実際教員をしていた義兄など、ジャージーにごろ寝でゴルフ番組をとても楽しみにしていたから、世の中そういうものなのだろう。若者は外出し、在宅のお父さん狙いということか。でもなあ、なぜに同じゴルフをぶつけたりするのだろう。それは昨年大晦日の三大格闘技放送も同じだ。テレビ局とは、おもしろい番組を流して視聴者によろこんでもらおうという気持ちより、他局に勝つというそのことにのみこだわっているように思える。
 あとは安易な旅行番組とグルメ番組。それも土曜のゴールデンタイムに放送されたものの再放送が多い。私の場合、興味あるものとして午後三時からの競馬があるが、これも実況アナがうるさくてこまるのでヴィデオにして、あとで映像だけを見ることが多い。
 日曜は、午前中をテレビ三昧として、午後は(大相撲開催時以外は)きれいに縁を切れそうである。
04/4/16  蘊蓄王ゴールデン進出

 水曜日の2時間特番をヴィデオに録っておき今日見た。
 まずぼくは「ゴールデンタイムレギュラ番組進出」と勘違いしていたのでそれを正しておかねばならない。「ただ1回のゴールデン進出」だった。2時間の生番組でよくがんばったと深夜番組時代から応援していた身としてはご同慶の至りである。

 ウンチクの中で気になったもの。
「三島由紀夫は初めてボクシングをやったときいきなりスパーリングをさせてもらった。しかしその相手に一発もパンチを当てられなかった。それをきっかけとしてボクシングにのめり込んだ。ちなみにその相手とは石原慎太郎です」
 会場から「おお」というどよめき。でもこれは違うよねえ。慎太郎さんの「我が人生の時の人々」に詳しく書いてある。二人はグラブは交えていない。偉丈夫の慎太郎さんとチビの三島じゃクラスも違いすぎる。むしろ三島はこのことで自分の運動音痴にあらためて気づき、ボディビルに走ったのだろう。これを言ったのは上田だったか。

 「クメと欽ちゃん」の話。誰が言ったのだったか。伊集院光かな。テーマはテレビ朝日。
「つい先日までテレビ朝日の顔だったクメヒロシは元はTBSラジオのアナウンサ。それをあいつはテレビ向きだからぜひテレビに使えと言った大物芸能人のひとことでテレビ進出をする。ちなみにその大物芸能人とは萩本欽一さんです」
 これはその通り。当時を思い出した。でも欽ちゃんはそれを自慢げには言わない。
 そこがクメがビッグになるやいなや「TBSラジオのころからオレの後継者はこいつしかいないと思っていた」と自分の手柄にしてしまうキョセンとの違い。人柄もいろいろだ。

 決着がつかなかったのに無理矢理上田晋也をウンチク王にしてしまったのはわざとらしい。上田売り出し作戦が見え見えなのだ。四人とも五分だったしぼくとしては松尾だったように思う。まあこんなことで本気になってもしょうがないか。なぎらけんいちはウンチクよりもほら話のほうがおもしろい。しかしああいう形で出てくるとカツラ見え見えでむずかしいな。やはり植毛しかないのか。
4/23

 祝・お笑い番組の復活


 金曜夜九時からテレ朝で若手を中心としたお笑い演芸番組が始まった。「笑いの金メダル」というタイトルだ。日テレの「エンタの神様」の成功に刺激を受けて始めたというだけあって出演者もよく似ている。とはいえそれは私の好きな連中だから不満ではない。よろこびである。

「エンタの神様」と言えば土曜夜十時からで、考えてみるとそれは、しばらく前までは「電波少年」の時間帯だった。あれはあれで長年の習慣だったのに消えてしまえば忘れるのは(忘れられるのは)早いものだ。松村がノーアポでタナカマキコを訪ねたりムラヤマの眉毛を切ったりしていた。猿岩石がヤラセだなんてネットで盛り上がったものだった。あのヤラセもインターネットがなかったらもうすこしバレなかったかもしれない。外国に行くときは録画予約していったものだった。野球中継で放送時間がくるってまともに入ってないこともよくあった。デッキを6台使っていた愚かな時代。

 振り返ってみると、テレ朝というのはNET時代からよく演芸番組を流していた。ぼくが中学生のころに毎週楽しみに見ていた落語や漫才の番組はNETがいちばん多かった。その理由は単純だ。当時から「ドラマのTBS」と言われていたし、「シャボン玉ホリデー」に代表される日テレのバラエティは評価が高かった。老舗はそれなりのカラーを持っていたが、後発のNET(なにしろそれは日本教育テレビの略だ)は、獨自のそれを作るだけの金も人材もなかった。よって寄席からそのまま中継するいわば手抜きの演芸番組が多かった。安くあがる。それと、これまた手間暇のかからない洋画放映である。ハリウッド映画にあこがれ、落語漫才大好きのぼくは、あのころずいぶんとNETを見ていた。
 時代劇「素浪人 月影兵庫」も楽しみに見ていた。先日、松方弘樹が父近衛十四郎が亡くなって三十年と言っていた。なんとも時の流れは速い。

 今巻き起こりつつあるお笑いブームが第何次であるとか、そんな知識はぼくにはない。考える気もない。すなおに楽しめるお笑い番組が増えるのがうれしいだけだ。今回のブームの基礎を作ったのは間違いなくNHKの「お笑いオンエアバトル」である。現在活躍中の連中はみなあそこで光っていた連中だ。はなわの弾き語りベースを初めて見たときの奇妙さは今もよく覚えている。

 さて「笑いの金メダル」。先週アンジャッシュがチャンピオンになった。このままだと今週もまた連覇だろうと読んでいた。実力が抜きんでている。それはよくないことだ。「ボキャブラ天国」も中盤から爆笑問題の獨走のようになってしまった。あの番組のネタだけ田中が全部作っていたってのがほほえましい。もっともブームってのは必ずそうなる。漫才ブームは結局はツービートのそれになっていった。アンジャッシュ獨走は番組のためにもよくない。

 ところが今週は2丁拳銃がいいネタを見せてアンジャッシュを負かした。いいことである。2丁拳銃が東京に住んでもう4年になるなんて知らなかった。
 毎週楽しみにヴィデオにとる番組がひとつ増えたのはうれしいことだ。
(昨年暮れのM-1に関する原稿が半端なままなのを思い出した。仕上げないと。あの効果は多大なもので優勝したフットボールアワーの関東での躍進は著しい。)


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 「笑金」終了

 というわけで、2004年4月23日に「祝」として書いた「笑いの金メダル」だが、今年07年の6月に打ちきりとなると報道された。番組改編期でない6月だからよほど数字が悪いのだろう。その後いつからだったか「金曜夜9時」は「日曜夜8時」に変更されていた。
 上の文をひさしぶりに読み返してみたが「二丁拳銃」はどうなったのだろう。あとはみな当時のままだが。

 さて、この「笑金」。終って当然だと思う。最初のころはボブ・サップを起用していた。それが消えるころから迷走が始まる。三宅祐司とくりぃむしちゅーという回転の速いMCを揃えながらなんとも企劃がつまらなかった。よく見忘れた。思い出したように見ると、やはりつまらなかった。とにかく企劃が貧弱だった。なんでもっとおもしろい企劃が出来ないのか、なんでこんなつまらない企劃をやっているんだと、腹だったものだ。月曜午後11時過ぎからの「くりぃむナントカ」が企劃がよくておもしろいのと対照的だった。
 だからこの番組が終ることになんの未練もなかった。

 5月27日、ダービーの夜。ひさしぶりに見た。すると「上田の結婚式にお笑い芸人たちが一発芸のお祝い」という設定で演っていた。これがけっこうおもしろくて最後まで見てしまった。やはりお笑い番組は企劃がすべてだ。

 2004年当時は毎週録画し、DVDに焼いていた「エンタの神様」も最近はマンネリ気味でつまらない。一応録画しているが、数日後に一度見るとそのまま削除している。DVDに焼くほどのものもない。

 かといってそれはこちらの問題でもない。「ヘキサゴン」「さんま御殿」は今も当時と同じだけの水準で笑わしてくれるからだ。ひとえに「笑金」や「エンタ」がつまらなくなっているのだ。ただ「エンタ」はそれなりの努力でおもしろい新人は出つつある。「笑金」はどうしようもない。

 「笑金」の始まった時期と、もうすぐ終るいまを比べて、いちばん出世したのは誰だろう。「タカアンドトシ」か。「欧米か」で弾けた彼らはいまトークも絶妙になってきている。タカがあんなにブレークするとは思わなかった。
 当時ギター侍をやっていた波田陽区は地味なポジションにいる。はなわもずいぶんと地味な存在になった。テツ&トモはテレビに出なくなってしまった。
 ブラックマヨネーズなんて当時は名前も知らなかった。チュートリアルはもうM1に出ていて知っていたのだったか。
 笑い飯も下がってしまった。アンタッチャブルは大きくなった。フットボールアワーも順調だ。

 そのうちまたおもしろい番組が始まったらメモしておこう。そのとき芸人たちはどうかわっているのやら。


04/4/23  染まるのか、もともとなのか? 

テレ朝の昼のワイドショー オーワダバク
「たとえ20億円かかったとしても、国民1人あたり20円です。 人命は地球よりも重いのですから・・・・」


 イラク人質解放にかかった費用に関して、自己責任、自己負担に関しての発言。
 この種の藝人に関していつも思うのは、もともとそういう思想の人だったのか、番組で染まったのか(合わせている)ってことだ。番組のコメンテイタであるナカニシレイやヤマモトシンヤはもともとである。そういうのを局が選んでくる。しかしオーワダバクが以前からそういう考えを持っていたとは思えない。だいたいが藝人というのはおそろしいほどなにも考えていない。身近に接するとあきれる。でもそれは正しい。藝人はいつでもニュートラルでなんでも演じられる感覚でいるのが真っ当だ。思想に染まってはならない。
 オーワダバクの場合、台本通りにこの番組の司会進行をしているうちにこういう感覚に染まったのだろう。生きて行くために局のその方針に合わせる。合わせているうちにやがて現実と演技が錯綜し元々自分はこういう考えの人間だったのだと勘違いを始める。

 私が「古館ニューステの憂鬱」と題して書こうと思ったのもそれだった。テレ朝のああいう番組をしょって立ったらフルタチが真っ赤っかになる。それは藝人フルタチを失うことだからもったいない、とそう思ったのだ。そうして当然のごとくそうなっている。フルタチはいま、チンピラの恫喝のごとくサヨクの代表としてキャンキャン吠えている。最初はクメの後釜としての演出も力みもあったろう。だがそれを揶揄され反発しているうちに演技も力みもすべてひっくるめてフルタチ自身となってゆく。それはクメの後釜としての立場を確立することであるが、万能のしゃべり藝人フルタチを失うことでもある。

 この場合、フルタチの会社に所属していることから起用された元フジのアナ・ナガノトモコなんかは問題ない。すっかりそっちに染まっているからだ。オシャレと食い物と男のこと以外なあんも考えていないバカ女アナがある日シソーに目覚める。まあ目覚めるといってもそれは、かわいいやきれいでは通用しなくなった女が次の居場所を探し始めるだけにすぎない。そうしてたどり着くのがサヨクだ。溺れかけたとき最もつかみやすいワラがそれなのだからしかたない。元祖ひょうきんアナなんて言われていたナガノはタマルミスズ的そっちの路線に走った。愚かで浅薄だが追いつめられたカワイイキレイにはそれしか道がないのだからしょうがない。たちが悪いのは元々がバカだっただけにすこしばかりそっちに染まると自分を賢くなったと勘違いしてしまうことだ。
04/11/12
 M1グランプリ2001──笑いの感覚 

 先週、レンタルヴィデオ屋で借りてきて、漫才コンクール「M1グランプリ2001」を見た。2002と2003は録画してヴィデオで持っている。
 この2001年が第一回目で中川家優勝。順当。兄ちゃんがおもしろかった。テレビでは見ているが録画をしなかった。失敗した。
 二回目が一回目でも実力を見せつけていたますだおかだ。これも順当。三回目がフットボールアワー。これは関西では大人気でやはり「順当」なのだろうが、関東では無名。私には意外だった。もちろんネタは最高におもしろかったので結果に不満はない。
 四回目の今年は笑い飯。まだやってないけど。たぶんそうだ。いやそういえばシンスケ暴力問題がある。まさかM1がシンスケ自粛で中止って事はあるまいが。



 いまあちこちでシンスケ問題が紛糾している。ほっておけば治まる程度のものだったろうが、シンスケの友人が勝谷誠彦の女マネージャを次々と否定し、シンスケの弁護発言をすることによって、「帰国子女差別」という違った色合いからまた盛り上がって(?)いるのだ。やだなあ、バカ女が声高に参戦してきそうだ。これはまたべつに書くとして。



 この一回目もテレビでは見ていたがたいして心に残っていなかった。大阪のものだったし。録画もしなかった。今回はレンタルビデオで真剣に見た。そんな中、最も印象的だったのは、中川家やますだおかだのような安定した実力派はべつにして、私がいちばんおもしろいと思った「おぎやはぎ」のネタが最低点だったことになる。

「おれは歌手になりたかったんだよ」からいきなり「歌手志望とプロデューサの、ブースでのレコーディング風景」となる。おぎが歌い出す前にどうしても「あっ」と入ってしまう缺点があり、それをやはぎが直そうとしてのやりとりである。音楽的に言うと一拍目に8分休符が入ってしまうのである。笑った。関東から唯一決勝進出だから彼らも今までに受けたネタを用意してきたと思う。おもしろかった。出場順番は全10組中、5番目だったか。DVDを見ていて、初めて声を出して笑った。

 ところがこれ、札幌、大阪、福岡と用意された素人百人の審査点でとんでもない最低点となったのである。それまでは三カ所とも70点前後が多い。合計210点ぐらいか。悪くても50×3で150点は行く。ところがおぎやはぎの点数は大阪の9点(会場失笑)を始めみなひどく、三カ所合計で54点だった。
 いやはやあきれた。と同時に笑いの質というものを感じて妙に納得した。「大阪の若者との感覚の差を感じてさびしくなった」ではない。「おぎやはぎとの近さを感じてうれしくなった」というのが私の本音である。おもしろいねえ。

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 ところでこういうDVDがあるならヴィデオからのコピーではなく、直接DVDに焼いてしまえばいいと思った。そのほうが画質もいいしなにしろ楽である。『PRIDE』もここ二年ぐらいそんな作り方をしている。これも毎年それで作るか。でも『PRIDE』ってのは競馬のレースと同じで結果が出てしまうと見直す気にはあまりならない。戦前はあれほど楽しみにしていたのに。ほんと競馬と似ている。

 今年の優勝が「笑い飯」だろうというのは、彼らの実力が図抜けているからであるが、それ以上の理由もある。実力のほうは、たけしと洋七が組んだら、「漫談家がふたりで勝手なことをしゃべってる状態になってしまった」とたけしが苦笑していたように、本来成立しないふたりボケをあたらしい形として作り上げたのだから折り紙つきだ。しかしそれ以上に、この企画の発案者であり司会であるシンスケと、彼が審査員に頼み、ご意見番として存在しているマツモトが常々絶賛しているのだから、流れがそうなるだろう。他の審査員も否定しづらい。これってある意味、反則だと思うが……。

 とはいえ私は、笑い飯をおもしろいなあ、すごいなあ、うまいなあとはいつも思うが、彼らのどれかのネタで笑いころげたという記憶はない。お笑い番組を見て笑うってことはめったにない。むしろよく見ている分、つまらないのがあったらすぐにチャンネルを替えてしまうほど気難しい。「エンタの神様」でも「笑いの金メダル」でも嫌いなものは録画を見ながら飛ばす。それでもときおり笑ってしまう時がある。今回見たDVDではそれがおぎやはぎであり、決勝戦での中川家の兄ちゃんだった。昨年はフットボールアワーだった。あの「SMタクシー運転手」である。
 私としては今年も下馬評の高い笑い飯に振り回されず、笑わせてくれた人に一票を投じたい。投票権はないけど(笑)。
 さて今年のM1はどうなるんだろう。無事シンスケが復帰して開催してほしいんだけど。

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・後日註・この年の優勝はアンタッチャブルだった。シンスケは審査員不参加。マツモトも不参加。

・さらに後日註・笑い飯はその後も決勝戦に出場し続け、優勝は2010年の最終回だった。



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