洋七-お笑いスター誕生-八百屋(02/7/11)

 十時からThinkPadに向かう。午後一時、順調に進み、ひといきついたのでテレビをつける。
 『ごきげんよう』を三十分間見る。


 昨日B&Bの洋七が出ているのを見かけたからだ。私は彼の大ファンなのだ。なにより根っから明るいのがいい。とにかくケンのあるお笑い芸人はよくない。三枝なんて暗い性格と意地の悪さが顔に出てしまっている。ただ、先日の掲示板ではそういう悪口ばかり書いてしまったのでフォローしておくと、才能は認めている。『パンチDEデート』の頃から西川きよしとのセンスの差は明確だった。だけど私が今欲しいのは、意地悪のチクチクした才能ではなく、こちらの気分を明るくしてくれる底抜けの陽気さなのだ。

 相変わらずきょうも洋七はめちゃくちゃおもしろく、司会の小堺カズキ(どんな字だっけ)が笑い転げてしまって司会にならないほどだった。テーマは「びびった話」。洋七のは、「むかし八百屋でアルバイトしていたときに、経営者のじいさんから代役で仕込みを頼まれ、70万円を手にどきどきしながら市場に行った。そこで符丁を間違え、一箱15キロの白菜を750ケース買ってしまった」なんてとんでもない話だった。この後、何台ものトラックに載せられ、店の前に白菜がまるで土嚢のように積み上げられる。それを洋七は当時流行っていた「産地直送」の謳い文句を思いつき、うまく売りさばいて切り抜けたと繋がるらしいのだが、そこでCMが入り、続きを聞けなかったのは残念だった。場内大爆笑だった。

 B&Bは「お笑いスター誕生」の第一回十週勝ち抜き者である。土曜日の十二時からだった。とんねるず、マギー司郎、コロッケ、イッセイ尾形、初めて見たときのことを今も覚えている。おもしろいと思った連中は見事にスターになっていった。ぼくはスターになってからのトンネルズを全然見ていないが、この当時から最高に面白かった。石橋の野球選手に、木梨が追っかけのお下げの女子高生なんて設定が多かった。

 意地悪なおもしろさでは、審査員の京唄子や鳳啓介の感覚の古さが新しい芸を理解できず、ピント外れなことを言っているのが笑えた。いや、それを冷笑できるほど当時の私は枯れていない。イッセイ尾形やツーツーレロレロのおもしろさを京唄子が理解できないことに素直に腹を立てていた。こんな古い感覚の審査員はやめさせろと。

 ツーツーレロレロは、ビートたけしの弟子であるそのまんま東と大森歌衛エ門が組んでいたコンビだった。どうでもいいことだが大森歌衛エ門は山田邦子の初体験の相手である。ほんとにどうでもいいな(笑)。彼らのやる「山手線に乗っていても日体大の学生はすぐわかる。ドアが閉まる瞬間車内に入ると、パッと両手を広げてポーズを取ってしまう。つり革ですぐに十字懸垂を始める」とかいう大学差別ネタに場内大爆笑、私も涙を流して笑い転げたのだが、どこがおかしいのかわからない京唄子などがボロクソに貶すのである。今思うとあれは、ああいう差別ネタに対して、当局ではこんなふうにも思っています、という隠れ蓑にしていたんだろうな。

 カージナルスは、インデアンネタしかないつまらないコンビだった。師匠と名つけ親は「唇にチョコレート、心にアイスクリーム」「田園調布に家が建つ」などで当時人気ナンバーワンだった漫才コンビ、セントルイスである。コンビ名のカージナルスはセントルイス・カージナルスのシャレで師匠からもらっている。なんでこのツービートと犬猿の仲だったセントルイスの弟子が後にビートたけしの弟子となり、その中でもフライデー事件の時に伊豆にこもっていたことから、今じゃ実質的一番弟子のガタルカナルタカ、つまみ枝豆になるのか。不思議なものである。

 脱線してしまった。言帰正伝。『ごきげんよう』の話。
 いやはや洋七はおもしろかった。
 相変わらずの彼のおもしろさと共に、私の心に残ったのは彼が言った「八百屋」呼び捨てだった。今の時代、これが一切ないのである。あざといビートたけしなどは暴言を吐くようでいて、しっかりと「八百屋さん」「ラーメン屋さん」と敬称を附け、軋轢を避けていてる。普段は間違いなく附けていないだろう。どう考えても彼が「ラーメン屋さんに行こう」と言っている姿は思い浮かばない。私用と仕事の使い分けだ。そんなものである。
 そんな中、いかにも関西人らしい洋七の、生のままの職業呼び捨てが、とても新鮮に聞こえたのである。
 私は職業に敬称を附ける気はない。「おまわりさん」なんてのもヘンだ。おまわりと読んで角が立つなら(立つけど)警官と言えばいい。敬称とは、その字の通り敬ったときに使うべきものである。現在の放送メディアから始まったこの種の手法は、敬っているのではなく、「蔑んでいると誤解されないため」なのである。だからもうとにかくやたらなんでも「さん」をつける。

 昨日国会中継を見ていたが、昨今の「させていただきます」の連発は完全に日本語のガンになっていると痛感した。なんとかしないとみっともない。昨日の議員は、自民党に対する大手会社の政治資金の流れを追求していた。「いったいどれほど多くの政治資金が、これらの会社から自民党に流れているのか、調べさせていただきました」と言っている。「調べました」「調べてみました」でいいではないか。なんなのだ、この「させていただきました」は。いったい、誰に、なにに、へりくだっているのだ。国会議員以前に日本人のおとなとして言葉遣いがおかしいではないか。常識を論じることの出来ないおとなに政治が出来るはずがない。
 これらを最も気持ち悪く乱発するのは、テレビのワイドショーから結婚式場の雇い司会者まで、とにかく波風立ててはいけないと気を遣っている司会者という名の腰抜けだが、なんで国会議員が腰抜け司会者の常套文句を連発しているのだ。あきれた。
 嫌われ者頑固オヤジ路線を歩むためには、この職業にやたら「さん」をつけたり、「させていただきます」のような無意味なへりくだりを避けてゆかねばならない。

 洋七の「八百屋でバイトしてたんですわ」も「八百屋さん」だったら、ずいぶんと気の抜けたものになっていた。まさか抗議は来ていないと思う。来たのかな? 好漢がつまらない自重をしないことを切に願う。

(7/12)
 父母を医者に連れてゆく。午後一時十五分ぐらいに帰宅。全国どこでもそうだろうが、待ち時間二時間、診察五分。
 急いで「ごきげんよう」をつける。ちょうど間に合った。きょうの洋七にも笑わせてもらった。大川橋蔵公演に出たときの話。かごかきの役。橋蔵に「おぬし、どこへ行く」と言うセリフ。ところが江戸言葉がこんがらがり、おぬしと拙者がわからなくなり、橋蔵に「拙者、どこへ行く」と言ったそうな。そんなの橋蔵さんもわかるはずがない。橋蔵がセリフの間違いを気づかせようと、「拙者はおぬしじゃ」と教えてやるのだが、それにも気づかず延々と「拙者どこへ行く」を繰り返したとのことで、またもスタジオも小堺も大笑いになっていた。気づかないまま十分ほどもそれを繰り返し、会場は大爆笑だったとか。この人の話を聞くと元気が出る。司会の小堺があんなに笑っているのを見た覚えがない。

TV-縁切り志願
(02/5/24)

 いま私にとってテレビとの縁切り問題はけっこう切実である。そんなものさっさと縁切りすればいいではないかと言われればその通りなのだが……。

 高島俊男さんが部屋からテレビを追い出したと知ったのは比較的新しい。数ヶ月前の文春でだったか。理由のひとつに「世界で最も民主的でもなく共和国でないところの国名をたびたびテレビで聞くのがいやだった」と書いていた(笑)。知的な人が生活からテレビを追い出すのは自然な流れだ。
 つい先日、椎名誠さんの「赤マントシリーズ」文庫本を読んでいたら、「高田とヒクソンの試合のヴィデオをやっと見た」とあり、それを書いた98年頃に、既に椎名さんが「テレビを見なくなって三年になる」ことを知った。もう八年前から椎名さんはテレビと縁切りしていたのだ。

 まともな生活をしている人なら悩む必要のない問題である。9 to 5 できちんと働いている人は、ひとりの時間にテレビを見ようと見まいとどうでもいい。確固たる9 to 5 生活の核があり、それ以降の部分の話であるからだ。ところが私のように二十四時間を自分で仕切って生きねばならないものには、ふとなにかあるとテレビのスイッチを入れる癖は、己を律するためになんとしても断ち切らねばならない悪習なのである。

 十数年前、田舎に帰ってきたとき、父母の生活が常にテレビと共にあることにおどろいた。まずテレビのスイッチを入れることから朝が始まり、なにをするにもテレビがかたわらにあり、スイッチを切ることで一日が終るのである。でもそれは老年を過ごす二人だけの夫婦なのだから、ありふれた風景なのだろうと割り切った。
 東京にいたときの私はそうではなかったし、東京と田舎の二重生活をするようになってからも、けっしてテレビは重要なアイテムではなかった。

 この十数年、一年の内の三ヶ月をチェンマイで過ごしてきたが、あちらでもテレビは見なかった。ホテル住まいの頃はテレビがあった。アパートに移ってからは、レンタルで貸し出すテレビを借りていた。間もなく、四、五万円で買えるから大型テレビを買った。この辺、「テレビでタイ語を覚えるのがベスト」と思っていた故の行動である。が、おもしろいと感じない。タイ語学習の熱も冷めた。テレビは知り合った娘にあげた。以後アパート住まいでもレンタルテレビは借りていない。テレビなしの生活。『サクラ』でのNHKニュースにもまったく興味はない。チェンマイにいると日本より読書が進む。チェンマイでも日本でも、私はテレビと縁遠かった。

 なのに先日、いつしか自分が父母と同じく、朝起きたらまずテレビのスイッチを入れるという、テレビと一心同体の生活をしていることに気づき愕然とした。
 と書いていていま気づいたが、これも猫を失くしてからの習慣かもしれない。いや、そうなのだろう。間違いない。つまり「テレビの猫化」である。烟草をやめたばかりの人が口寂しくていられないように、猫を失い生活を共にしているパートナーのいなくなった私に、いつしかテレビが猫の代わりの相棒化していた、とそんなことか。
 そうなのか、文章を書くと言うことには意味があるな。この「テレビとの縁切り問題」は、ずっと書こうと思って考えていたテーマだった。いま小説を書き始める前に柔軟体操のつもりでちょいと手をつけた。すると書いている内に、テレビが猫の代わりになっていることに気づいた。新たな発見である。

 テレビと熱々の恋人のように過ごしていると言っても、番組を見ているわけではない。時計代わりにNHKの朝の連ドラを見るとか、日課のようにお昼のワイドショーを見るとか、毎週楽しみに九時からのドラマを見るようなことは一切していない。だから自分がテレビべったりである自覚がなかった。
 だがある日突如として気づいた。まず朝起きたらテレビをつけるのである。その朝も午前三時の時もあれば、五時の時、七時の時、午後一時の時もある。起き出したときが朝である。何時であろうと目が覚めたら最初の行動としてテレビをつける癖がついていた。見はしない。見はしないが、たとえば朝の八時、NHKのニュースから各局のワイドショーへといくつもチャンネルを変え、「ふん、くだらん」と結論してスイッチを切り、「さあて仕事をするか」という一連の行為が、習慣として根付いてしまっていたのである。

 その辺の自分の悪癖に気づき愕然としたのだが、それでもそれはまだテレビがあるときだったから自覚が薄かった。先日東京の住まいのテレビが壊れた。いきなり訪れた強制的な「禁テレビ状態」である。結論として、テレビがないこと自体はたいした問題ではなかったが、「ことあるたびに、テレビをつけようとして、あ、今壊れているんだっけと思うことがあまりに多く、おれは毎日こんなにテレビをつけたり消したりしていたのかと重度中毒を確認し、あらためて落ち込んだ」のである。いやはやひどいものだった。連休中のことになる。これはまた連休を日本で過ごしたのが久しぶりであることも関連してくるのだが。

 テレビ番組を見るわけではない。スイッチを入れてもほとんどが「くだらんなあ」ですぐに切ってしまうのだが、起きてから寝るまで、物事の区切り区切りに常にテレビがあり、読書からパソコンでの仕事に移る際も、本を置き、テレビをつけ、相変わらずおもしろい番組はないなあ、さあて仕事をするかとスイッチを切り、と、常にテレビが活動の合間合間にワンクッションとしてあるのだった。

 あるからそうなのだろうか。高島さんはテレビを出してしまったと書いていたから、部屋にないのだろう。椎名さんはヴィデオを見たのだから、テレビとヴィデオデッキは置いてあるのだろう。私もヴィデオを見るために置いておくのはいいのではないかと思っているのだが、これでは甘ったるいのだろうか。だらしない私の性格を考えると、見たくても見られない状態にしてしまうのがいいのは決まっている。

 今は、意味もなくスイッチを入れようとすると、「いかんいかん、やめないと」と思いとどまっている状態だ。ひところと比べるとスイッチを入れる機会は圧倒的に減っている。一日三箱喫っていた烟草を一気にやめたり、禁酒二年と決めたらその日から徹底できる私にとって、禁テレビなんてのはたいした苦痛ではない。

 私の真の悩みは、いつしかそういうことをしていた自分に対するものだ。つまり、意識しない内に、そんなふうに自分がだらしなくなっていたことに対するショックである。心の下っ腹に知らない内に贅肉がついていたとでもいうのか。
 今後一ヶ月の内に、このなにか間があるとテレビのリモコンを握っている癖は撤廃するつもりでいる。テレビをどうするかはまだ決めていない。といって壊れていないテレビを捨てる気はないが。
 それは達成できるとして、第二第三のそれが出てこないように気持ちを引き締めないとならない。本来もっとストイックな男だったのだけど……。
テレビガイド-さびしい正月(02/3/2)



 以前「掲示板 Mone's World」でサトシが内田有紀のコラムを紹介したことがあった。舞台と自分の肉体について書いたおもしろいものだった。
 右翼系、左翼系、かたいものから女性週刊誌まで、大の雑誌好きを自称しているぼくとしては、それが一度として見たこともないものだったことが妙に悔しかった。出所は「テレビ番組雑誌」だった。夜、店で働くサトシは、いわゆるゴールデンタイムのドラマなどを留守録し、帰宅してから見ているようだ。その種の雑誌は必需品に違いない。自宅勤務であるぼくにはその必要がない。毎日の新聞で十分だった。さらにはテレビを意図的に遠ざけていることもあって、「テレビ番組誌」は、大の雑誌好きであるぼくの盲点になっていた。ある種、最も今的なメディアであるから、けっこうおもしろいコラムがあるとは伝え聞いていたが……。

 昨年の暮れ、この十数年で──猫が危篤状態になり毎日泣き明かしていた一昨年を除けば──初めて日本で年を越すことになった。越さねばならなかった。情けない話だが、このことにぼくはちょっとびびっていた。寂しくて手持ちぶさたでいられないのではないかと畏れたのだ。それを回避するためにはテレビに頼るしかないと、実に何十年ぶりかでテレビ番組誌を買ってきた。テレビ漬けとなり酒を飲み続けることで寂しさを紛らわそうと思ったのだ。

 掲示板に書いたことだが、ぼくは大卒初任給4万円強の時代に大学に入り、真っ先に8万円のカラーテレビを月賦で買ったぐらいだから、その頃はテレビが大好きだったのである。だからテレビ大好きの人を否定しないし出来るはずもない。何十年ぶりかで買った番組誌には、ぼくの忘れていた楽しみがいっぱい詰まっているのかと、ここからまた新しい趣味が始まるかもと、チェックをする蛍光ペンにも力が入っていた。

 結果として、正月のテレビ番組はまったくつまらなかったし、久しぶりに買った番組誌が役立つことはなかった。ほんのすこし目を通しただけでバカらしくて読む気になれなかった。なによりも正直恐れおののいていたその正月はすこしも寂しくなかったのである。寂しくないとなればテレビを観る必要もないし、蛍光ペンで番組チェックしている自分が今度は惨めに思えてくる。ぼくは十分に平静に過ごせたのだった。

 とはいえこの久しぶりの(最愛の猫のいない)日本の正月に恐れおののいていた気持ちはかなりのものだった。ぼくはもう師走に入るやいなや「いちばん寂しい正月」というタイトルのホームページ用の文を、頭の中で何度書いたかわからない。それは今までの人生における正月をいくつか振り返り、どう考えても今度の正月ほど心寂しいものはなく、果たして自分はそれを乗り切れるのだろうかという内容だった。心構えとして書こうと思ったのだ。もちろん物書きだから前振りとしてのそれと結果論の落差で笑いを取ろうとした計算もある。どれほどの恐怖だったかはそのテレビ番組誌を何十年ぶりかで買ってきただけでもわかる。ぼくは今までそんな準備をして生きたことがないのである。いつだって行き当たりばったりだった。自慢なのか恥なのかわからないが。

 その恐怖がどこから来ているかいうと、ぼくは今までただの一度も「寂しい」と思ったことがなかったからだった。これは「暇」だと思ったことがないことと並んで、極めて特殊なことと思われる。本人はそう思っていないが、たぶんきっとそうなのだろう。一般世間的には十分に「寂しい状況」「暇な状況」があったとしても、こんなことは自覚の問題である。他人から見たら暇で暇でしょうがないように見える状況が、ぼくには頭の中で妄想に浸っている最高に楽しい瞬間なのだから断じてそれは「暇」ではないし、同様におっさんが女房子供もいずひとりで過ごす寂しい正月だろうなあのような一般的状況であっても、ぼくは猫と一緒に酒と本に囲まれてこの世の天国気分でいたのだから、これまた断じて寂しくなどなかったのである。

 その、人間として、いわばぼくに缺落しているのかもしれない「寂しい」感情を、この齢になって初めて味わうのでないかとぼくは思ったのである。覚悟したのである。するとそこに「畏れ」の感情が芽生えたのだ。「恐怖におののく」という表現は、当人にとっては決して大げさではなかった。
 でも、なんつうこともなく過ぎていった。猫のいないかなしさは引きずっていたものの、いわゆるさびしさはまったくなかったのである。

 すこし年上の競馬物書きで、三十前後で結婚した人が言う。そのころとにかく寂しくて寂しくてたまらず、誰でもいいから結婚したくて手頃な今の奥さんと一緒になってしまった、と。この「さびしくてさびしくて」がわからない。この年までわからずに来てしまったから、もしかしてそれが来たらもう死ぬしかないのかもしれない。そんな恐怖をいつも感じている。ぜんぜんさびしくないままに。
三味線させていただきます(02/3/6)

アガツマヒロミツ
「上妻宏光&松岡直也 三味線でラテンセッション」という番組が午後のNHKテレビであった。留守録にせず、目覚まし時計をかけておいて起きだし、リアルタイムで観た。ジャズコンボををバックに若き天才三味線奏者が驚愕の挑戦を試みるすばらしいものだった。

 なのに演奏が終ると、そのテクニックと心意気に驚嘆し感服しつつも、ぼくの心にはまったくべつの感想が頭をもたげてきた。それは「もうこんな挑戦はしなくてもいいよ。もっといちばんやりたい音楽をやりなよ」だった。
 ピアノトリオをバックに曲名「アルハンブラ」(ピアノ奏者のオリジナル曲だった)スパニッシュ系の音楽を弾くのだが、ぼくの心には違和感が残った。それは決して三味線が挑戦すべき音楽には思えなかったのだ。ぼくは知らず知らずのうちに、その音楽にいちばんあっている楽器のギターを追い求めていた。三味線の音は伸びない。ポツポツ切れる。どうにもぼくには、それが三味線に似合った音楽とは思えなかった。

 彼の挑戦はいわば「日本酒は世界中のどんな料理にもあう」という実験と同じで、きょうのはスペイン料理と日本酒だった。日本酒は見事に異国の料理とも調和し、その力を見せつけた。それを我が事のようにどんなもんだいと誇らしく思いつつ、ぼくの心には(日本酒には日本料理でいいよ)の心が芽生えたことになる。我が儘だ。身勝手である。たまたま聴いたから言えることだ。彼のやっているのは、三味線が--三味線弾きという音楽家が--狭義の枠に閉じこめられることに反発し、もっと大きな可能性を世界に見せてやろうとする壮大なチャレンジだ。ぼくのその感想は、聴いたから言えるのであって、そうでなかったら、誰かそういうチャレンジをしてくれないものかと、旧弊の殻をぶち破る挑戦者の出現を待ちわびていただろう。いなけりゃ待ちわびるくせに、出てきたら「もういいよ」は我が儘で身勝手である。ただし世の中、常にこんなものではあるが。

 コンサートでは、そういう新たな分野への挑戦と共に、旧来の彼の最も愛する三味線音楽も聴かせているだろう。機会を作って出かけることにしよう。彼の挑戦もまた「会場まで聴きに来てくれ、聴きに来い! そしたらわかる」というメッセージなのだ。我が儘な感想はそれで棒引きされるはずである。最近の日本の若者音楽家には、クラシックギタリストなど、骨太の青年が多い。希望的だ。

 もうひとつ耳に残ったことがあった。
 演奏が終った後にNHKの女性アナウンサーが出てきて「ありがとうございました。あらためてメンバーのみなさんをご紹介させていただきます」と言ったのだ。
 そのくどさが耳につき、すぐにそれが高島さんや読者が「嫌いな言葉」の項目でやり玉に挙げていた「させていただきます」であることを思い出した。近頃の公的な場では異様に多い言葉遣いである。「ここで新郎の経歴をご紹介させていただきます」のようにだ。「なんでそこまでへりくだるんだ。紹介しますで十分ではないか。聞き苦しいぞ」が、高島さんや読者の意見だった。
 ぼくは極力そういう場に出ないようにしているし、テレビもそういう言葉遣いが横溢しているのであろう番組は観なかったので今まで気づかなかった。なるほどなあ、たしかに耳障りだ。「あらためてメンバーのみなさんを紹介します」で十分である。

 世の中の不快なものには関わらないようにし、遮断することを心がけているぼくとしては、きょう気づいてしまったので、これからまた「それが登場したら即刻遮断せねばならないこと」がひとつ増えてしまったことになる。面倒だ。折しも今週末は形式的な結婚式に出なければならない。ぼくが今までに出てきた結婚式は、わかりやすく言うと〃手作り〃(これも高島さんたちが大嫌いな言葉のひとつ)のものばかりだったので、形式的なつまらんものに出るのはほんとうに久しぶりになる。そこではきっと「させていただきます」が乱発されているに違いない。今から週末が憂鬱になってしまった。
午後のドキュメント(03/5/18)
 午後2時からのフジ、「脱北者」のドキュメンタリはよかった。よけいな演出は入れず、98年から撮りためた素材を活かして淡々とした作り。
 四年前に脱北し、中朝国境に潜んでいた元在日朝鮮人女をインタビューしたヴィデオテープが流れる。カメラの前で日本に電話をして、帰国したいと九州の親戚(夫の姉)に頼る。「あんたがかってに帰ったんでしょ。もう電話しないでね」と冷たく拒まれる。今回出かけると彼女は隠れ家を発見され、北朝鮮に連れ帰られていた。確実に殺されている。なんともたまらない。
 それは彼女の選んだ人生である。だがだからといって、夢の国と報じて送り出した人の罪は免れるのか。誤報を認知し謝罪する姿勢は必要だろう。

 新たな家族。脱北し、中朝国境から中国人になりすまして、より紛れやすい内地に逃げ込む。中国の検問の厳しさを身を持って体験しているので列車の中での彼らの脅えに胸が痛くなる。二月に同じような列車を体験していることも関係あったろう。

 中国の検問は各所にあり手厳しい。雲南省の中でもミャンマーに近い地域では、麻薬のこともあり、県境に何カ所も設置されている。全員バスから下ろされ荷物を点検される。
 前方に検問所が見え、バスが停車し、警官(というか軍隊のような格好をしている)が複数で乗り込んでくるときの気分はいいものではない。
 後ろめたいところはなくても、私は唯一の異国人であるから取り調べは厳しい。別扱いされる。なにしろめったに異国人など見ないところだから、ほんとにそうなのかどうか、パスポートを念入りに調べられる。荷物も子細に調べられる。

 タイでもそうだが(こんな言いかたをするなら世界中そうだが)、警官に悪意があったらおしまいである。罪なんてのはいくらでもでっちあげられる。身ぐるみはがされるぐらいならまだいい。へそを曲げられたら死刑が待っている。

 身分証を持っていないミャンマー人の場合、バスを下ろされた後、彼らのすわっていた席をひっくり返してまで調べる。検問があると知り、とっさに麻薬を席の下に隠したのではないかと疑われるのだ。かなりしつこくやるから、私はまだその現場を見たことはないが、現実に座席に隠すというのはありうるのだろう。といって片っ端から不法入国の彼らを逮捕するわけでもない。国境近辺ではかなり自由に出入りしているのも事実だ。

 結びのナレーションは「これが帰国奨励四十年後の現実です」だった。短いが、明確にそういうことをした団体、マスコミを批判する姿勢を出していて気分がいい。

 思ったのは、二十歳で帰国し、いま六十の人の流暢な日本語。四十年あちらにいて、まったく使わなくても、ことばとは忘れないものなのだろうか。訊いてみたい気がした。
深夜の外交官(03/5/19)

 午前2時に起き出し、まずテレビをつける。やめようやめようと思いつつ相変わらずの習慣。といってそんなに見るわけじゃない。パソコンのスイッチを入れ、立ち上がるまでの数分だけ見て消すことが多い。深夜におもしろい番組をやっていることもないし。
 
 まず目に入ってきたのは、宮本亜門にインタビュする小泉孝太郎。アモンて沖縄に住むようになったんだったな。もう五年とか。沖縄の魅力を語る。東京生まれ東京育ちの彼がやっと見つけたふるさと、とか。
 思わず云南に住む自分を想像する(笑)。う~む、風景から人とのふれあいまで、ぜんぶ沖縄のほうがいいなあ。そりゃそうだ。
 私が云南でまずまいっているのは山国ということだ。海の幸が好きな私は海辺のほうがいい。瀬戸内の静かな島ででも暮らしたかった。
 と、アモンさんは無視して自分の世界に浸る。

 それが15分ぐらい。たぶん30分番組の後半だったろう。
 さてお仕事とパソコンの電源を入れ机に向かおうと思ったら、ポットのお湯を沸騰させ、コーヒーを淹れているうちに、今度は「上海領事館勤務の外交官ルポ」のようなものが始まった。これが興味深くついつい30分見てしまう。
 主役は高卒で外務省入省。いわゆる「初級組」。四十二歳で海外赴任。上海領事館で庶民の味方になり、斬新な手法を駆使しているとか。
 彼はまちがいなく「いいひと」であろう。といってテレビからそう思いこむのも危険なので、意識してクールに見る。
 思ったのは上海の活気。朝からVISAを求める人が建物の外に300人。長蛇の列。北京とはまったく違う。中国一の都会は上海なのだと実感する。

 と、真夜中にこんなのを見ているが、いわゆるゴールデンタイムにやっている番組はまったく見ていない。たぶん見ても喜ぶようなものはないと思うのだが、深夜にこんないいものを見ると、いい時間にはもっといいものが、と思ってもしまうのも人の常。だいじょうぶ、まずぜったいにない。これは深夜だからこその偶然だ。

時代劇の言葉および設定02/1/21)

 貴乃花引退の特番が急遽組まれた。7時54分からのテレ朝特番(フジにやってもらいたかったが『大相撲ダイジェスト』の関係からヴィデオがあっちのほうが豊富だったか)を録画するために、テレ朝を点けっぱなしでこれを書いている。こんな雑文でも書き始めると夢中になり、ふと気づくととっくに予約しようとしていた番組は終っていたなんてことは数え切れないほどある。さすがに点けっぱなしならそれはあるまいと大きな音声で今、流しつつパソコンに向かっている。

 すると7時からその貴乃花特番まで「片岡鶴太郎の出ている時代劇」をやっているようなのだが、そこにおけるセリフ回しが気になってならない。聞こえてくる言葉遣いでイライラが募る。だからテレビって見たくないんだよなあ。そんなことを気にしてもしょうがないのだけれど……。
 ぼくは今、時代小説に凝っている。今まで熱心でなかった分、これがもうおもしろくてしょうがない。なるほどこの分野は、こんなにも好き勝手なことが出来る自由な舞台だったのかと感動していると言っても過言ではない。民主主義というたちの悪いもののない時代だから、あらゆるドラマツルギーが可能なのである。これはあらためて「イープン日記-時代小説」にまとめるけれど。
 
 持ち前の凝り性が頭をもたげ、かなり凝っている。そのうち習作の時代小説を書いたら、このホームページで発表したいぐらいだ。しかしその場合、問題になるのは「縦書き」である。時代小説を横書きで発表する気にはなれない。どなたか知識のあるかた、教えてください。たしか後藤さんが、ネット上での縦書き表示をマスターしていたな。ぼくも画像ファイルとしての貼りつけなら出来るが。

 それはともかく、そういうことに詳しくなってくるとテレビの時代劇のいいかげんさが気になってならない。元々それは視聴者にわかりやすくした時代劇という名の現代劇だからして腹立ってはならないのだが、それでも矮小なぼくは、「こんなのあるかよ」と思ってしまうのである。といってなんでもかんでも腹立っているのではない。たとえば「水戸黄門」なら最初の設定からしてこの世のものではないから(笑)気にはならない。あれは「スターウォーズ」なんかと同じ完全架空の世界だ。

 ところが今この文章を書き綴るバックで流れている時代劇は、ちょいとシリアスを装っているのである。だからそこにおける現代劇と同じ言葉遣いと、八丁堀同心が上役に逆らう形やそれの懐柔策が嘘っぽくて気になる。たとえば鶴太郎は三十石の貧乏同心だそうな。これはよくある形である。それを自分たちの言い分を聞けば十倍の三百石にしてやるがどうだと瀆職に誘われ、断るのだが、これなんかは藤沢周平や乙川優三郎の貧乏くさい時代小説に凝っているものとしては、そんなバカなになってしまう。
 三十石の武家がなんとかして五十石に加増してもらえないかと暗殺者の役を引き受けたり、業務上の失策があって五十石を三十石に減らされて生活が苦しくなり、内職に精を出したりするのが前記二人の小説によく出てくる現実的な話である。しかし頼まれたことは実行したのに上役から加増の連絡がなかったり、内職の金が安くて悩んだりする。六十石の家のものが百石の家から嫁をもらったため、ずっと実家自慢されていやになる話なんてのもよくでてくる。それだけシビアなのだ。

 実在の人物、長谷川平蔵を描いた池波正太郎の『鬼平犯科帳』において、直参旗本の彼は四百石である。身近な人からはお殿様と呼ばれている。このことからも三十石をいきなり三百石にしてやるなんてのは、平の二十代ペーペー社員をいきなり六十代の連中と並ぶ取締役にするというようなもので、軽々しくできることではないし、あの時代の制度を考えたらとんでもないことであるのがわかる。しかも八丁堀同心であるから、平の交番勤務の警官をいきなり警視庁の警部にするというぐらいとんでもないことを言っているのだ。いくらなんでも「まさか」である。これが百両の礼金という金銭的なことであるなら、それがどんな大金でも納得できるだけれど。
 なんてことを書きつつ「なんでおれ、こんなことにむきになっているんだ」とも思っている。「初しぼり」を飲みながらだけどね。もう一升がなくなってしまいました。うまかったです。

 これはまたプロレスにおける問題と通じる。つまり、ぼくの言っているのは、「ブッチャーシーク対ファンクスなら許せるけど、猪木対ボックがいいかげんなのは許せない」みたいなものだ。同じなんだけどね。総合(=アルティメット・ファイト)を見て何かにきづいたアンチャンが、真剣だと思っていた猪木ボックがブッチャーシークと同じだとは認めたくないと混乱していると、まあそんなレヴェルか。言っててかなしくなってきた。ぽくはそうじゃないんだけど。

 ブッチャーシークも猪木ボックもぼくの中ではすっきり割り切れていてなんの問題もないのに今頃こんな時代劇でアンビバレンツになるのはそれだけ時代劇に関しての知識が缺陥していたということであり(=プロレスは十分に知識があるので、全てを割り切れている)知識の缺陥している分野では今後もこんななのかと、かなしくなったという根元はそこにある。基本は無知なバカだからである。賢者になりたい。
探偵ナイトスクープ(03/6/19)

 夜、れいによって偶然つけたテレビが「探偵ナイトスクープ」をやっていた。関西じゃゴールデンタイムなのかな? こちらは深夜。司会が上岡龍太郎から西田トシユキ(どんな字だっけ)に代って見なくなっていた。

 今回つけたとき、ちょうど「大阪人はこちらの言ったことにいきなり『ウソ!』を連発して不愉快だ。嘘じゃないですよ、ほんとですと言っても『ウソ!』と言われる」との関東人からの投書から始まるところだった。街に出て確かめると、「これ、『探偵ナイトスクープ』やねん」と言った瞬間、女子高生が「ウソ!」を連発。お約束。笑える。

 「大阪人は知らないことでも適当に話を合わせて盛り上がる」という投書がある。ケーキ・モンブランをやきそばの固まりみたいだというと「ほんま、そやそや、ありゃまるでヤキソバの固まりやで」と話を合わせるわたしの母はケーキ・モンブランなど見たこともない、という話。笑える。街に出てみると、これまたこちらが阪神ファンだというと、そうじゃなくても必ず合わせてくる気質(笑)が丸出し。実験大成功。ああ、大阪の人はおもしろいなあと、行きたくなってしまった。

 もうひとつ「お嫌いですか」と問うと必ず「お好きです」と応えるってヤツ。絶好調。たのしいねえ。
「野生の裸」とかそんな本を持ってゆき(もちろん中身は猛獣ね。これまたお約束)、「見たいですか?」「ええ、いや、まあ、その」「おきらいですか?」「おすきですう」
 これはぼくもマスターしていて、問われたら必ずそう答える。旅先で知り合った大阪の人と、酒や女に関してこれをやって遊ぶのは楽しい。大阪人だとまず100パーセントだれもができる。関東人に、こういう形の時、「お嫌いですか」と、その返事を期待して尋いても、しかつめらしい顔で、「いや、べつにきらいってわけでもないけど……」と言われると、テンポが落ちてつまらんなあと思う。ぼくがこれを覚えたのは三十年前のヤスキヨの漫才だった。

 いま行きたいのが韓国と大阪、ヨーロッパならフランス。なんでかなあと考えたら、うまいものが食いたいからだ。うまいことで共通している。それはまた、うまくない中国に住むことになるかも、という強迫観念から来ている。食はおおきいよねえ。韓国の石焼きピピンバ、大阪のたこ焼き、フランスの生牡蠣が食いたい。

外国の日本人──タイのプーケット(03/6/ 21)

 夕方のテレビで「タイのプーケットで民芸店を出した日本人」を見る。
 こんなことを書くと朝から晩までテレビを見ているように思われそうで恥ずかしいのだけど、ほんとに見ている時間はほとんどないのである。ただ田舎の老人のように行動の合間合間に必ずテレビのスイッチを入れるので、時たまこんなのにぶつかるだけなのだ。書いてて恥ずかしい。まるで興味あるタイの番組をチェックしてみているようだ。十年前ならいざ知らず、最近はもうまったくこういうものには興味がない。

 ぼくと同い年ぐらいの頭の禿かけたおやじが、娘のような齢のタイのネーチャンと一緒になってプーケットにタイ民芸品の店を出した、赤ん坊もできた、客はすくなく収入も一ヶ月5000バーツ(15000円ぐらい)で決して順風満帆とはいかないが、そこはそれ、タイ式で、のんびりゆっくりやってゆこうという話。スタジオでは司会がいい人生ですねなんてお約束のお追従をいっている。
 この人、「17回もタイに通ってウンヌン」というがタイ語はぜんぜんだめで、奥さんが売春婦のような(失礼)半端な日本語を話し、それでコミュニケーションしている。どうにもタイ沈没オヤジ──それもあまり上等とはいえない部類の──の典型としか思えない。そのうち食いっぱぐれて帰国するんじゃないか。ナレーションは「××さんはタイの民芸品に惹かれて」なんてもちあげているが、こんなのタイ沈没オヤジが安易な商売を考えたら真っ先に思いつくことである。それもみえみえだ。

 ぼくがタイ初心者ならこの番組を楽しめたのか、喜べたのか? いつもそんな考えかたをする。「いいなあ、あんな暮らしをオレもしたいなあ」と思ったのか。
 違うように思う。ぼくはこの主人公の日本人男性にに魅力を感じなかった。この人は感じさせるだけのいい顔をしていなかった。テレビ局の安易な企画に思えてならなかった。
 実在の人である。かなりの毒舌になってしまった。でも本音である。たいしたもんじゃないと思う。




上記、『作業記録』の文章を読んだチェンマイ在住の佐竹さんがメイルをくれた。それによると、佐竹さんのところにもこの番組から出演のアプローチがあったとか。放送時間、スポンサーからまず間違いないだろうとなった。
 普通の佐竹さん一家ではなく、いかにもテレビ的な、番組を盛り上げるためのなにかイヴェントをやってくれないかと言われ、断ったところ縁が切れたとか。
 今の時代、こういう形で、インターネットのホームページから取材対象をテレビ局(の下請け会社)は探している。そういう時代なんだなと、これがひとつの[感想]。

 もうひとつぜひとも書いておきたいのは、「制作会社のタイ好き」ということ。
 以前、「クイズ 世界はショーバイ、ショーバイ」(これ正しくはどっかにshowとか入るんだけどね、忘れました)を熱心に見ていた。外国に住む友人にも録画して送ってあげたりしていた。毎週欠かさず見ていると、確実に間違いなく、みるみるタイからの出題が増えてゆくのである。もう最後の問題である四択なんて、他の三つの国はころころ変るのに、タイは常連のよう(笑)に毎回一角を占めている。
 後に日テレに知人がいるので確かめたらやはりそうだった。タイに行くと、スタッフが魅せられてしまうのだ。もちろん男性スタッフである。なにに魅せられたかは言うまでもない。タイに行きたくてゆきたくてたまらない。よってタイに関する問題が多くなる。無理矢理企画を作る。「電波少年」でカンボジアの道の舗装をやったりしたのも無関係ではない。カンボジアを舞台にすれば毎回タイを通過せねばならない。いや、通過出来るからだ。この気持ちはわかる。私が下請け制作会社のスタッフでも、テレビ局のディレクターでも間違いなくはまったろう。タイはねえ、ほんと、たまりませんよ。

 今回のプーケットを舞台にした、佐竹さんに出演交渉があったものも、まず制作会社のスタッフがタイに行きたいということが始まりだったろう。そうして探し当てたのだ。目的は外国に住む日本人じゃない。そのドキュメンタリを作るという隠れ蓑でタイに行けることにある。自信満々に断言します。
タイのロケ番組(03/7/20)

 タイをロケした番組って異常に多くないか。その懸念が消えない。昨日土曜の夕方、テレ朝だったか「熟女三人が行くバンコク」とかやっていた。きょう日曜の午後、同じくタイを訪ねてうまいものを食うとかお笑い系の藝人がやっていた。ともに詳しく見てはいない。おもしろくないからだ。こういうのはプライムタイムに流した特番の再放送だろうが、それにしてもタイが目立つ。

 番組を少し見て思ったことが一つあるので書いておこう。そのうまいものうんぬんの番組で、珍しいキノコを探しに行き(れいによって幻の××になる)それを「ヘッタロー」と呼んでいた。ナレーションも「ヘッタローがあったろー」とダジャレている。「ヘッ(ト)ロー」のことだ。こういうのを見ていると、世界各地をロケした番組で口にされている現地語で何というか、は、かなりいいかげんなんだろうなあと思わざるを得ない。すくなくともタイで日本式にヘッタローと言っても通じまい。

 三十年近く前、桂米助(いまのヨネスケ)がプロレスをテーマにした新作落語をやった。もうたいへんなプロレスブームなんすから」なんて言いつつ、「イノキ、ガンバーレ、イノキ、ガンバーレ」と「イノキ・ボンバイエ」をがなり始める。だめだこりゃと思ったものだった。彼の耳にボンバイエがガンバーレと聞こえたならそれはそれでほほえましいが、プロレス通を気取ってプロレスネタを高座にかけるなら、すこしは調べものもすべきだろう。いや真のプロレスファンならそれがボンバイエであり、どういう意味かを自然に知ってしまう。それがファン気質ってもんだ。ガンバーレとやっている時点でヨネスケの嘘が見える。ぼくはそれ以前から彼の自称熱狂的プロレスファンをまったく信じていなかったので至極納得できるいいかげんさではあった。その落語がおもしろくなかったことはいうまでもない。

 世界各地をロケしたその種の番組を見て、「あれは××語でそういうのか」と覚えるのはあやうい。いくらかタイ語がわかるので、毎回こういうのに接するたびにそう思う。比較的安心できるのはイタリア語か。あれはローマ字読みだから日本語でも通じやすい。日本人の耳に慣れている。

 二人ないし三人の芸能人が異国を訪問する番組で圧倒的にタイが目立つ。それは気のせいなのか。そうではあるまい。この辺、『週刊文春』でこういうことを書いているホリイとかだったら、数ヶ月分のテレビ番組表からそれを集計して国別の統計を取り、事実であると証明するだろう。
 ぼくはこまめにテレビを見ているわけではない。仕事の合間にスイッチを入れ、なんかおもしろいものはないかと一回りして、まずめったにないから、よしよしと安心して(?)すぐに切るのである。タイは大好きだけど注目してみているわけではない。違う国が目立てばそう感じる。そういう循環しているだけなのだが、必ずと言っていいほどタイが目に附くのだ。異常に多い。

 他国と比べてみる。まず、タイと同じように世間的にとらえられている買春オヤジの関わる国・フィリピンと比べるとこれはもう間違いなくタイが圧倒的に多い。治安が悪いからか、それとも女優を起用したりする美食篇やタイシルク的なオシャレ篇にめぼしいものがないからか、最近フィリピンは滅多に見ない。ビーチはきれいらしいからダイビングとかでもっと取り上げられてもいいはずだ。
 一時かなり多くなった中国は最近になってだいぶ減りつつある。それもわかる。タイがなんの興味もなく行って魅せられる国なら、中国は大きな期待を抱いていって失望する国である。
 タイについで多いのは韓国、そして台湾だろう。その次にフランス、イギリス、スペイン、オーストラリアとかの白人国か。

 こういうのは企画書が通ったら、あとはもう制作会社がカンパケ(完全パッケージの略)で局に渡すだけだから、どこでどう作るかは制作会社次第になる。予算的にヨーロッパをボツにし、近場で安くあげようとしたとき、タイ、フィリピン、中国、韓国が候補になる(台湾はちょっと高い)。そこからダントツにタイが選ばれる理由は、フィリピンなどより治安がよくいろいろなテーマに合致していること、中国よりも人がよく楽しいこと等が理由であろう。中国がブームになり、そして一気に落ち目になったことは、自分が接してきたのでよくわかる。果てしない大地にあこがれたものの、実際に行ってみたら食い物はまずいし、人の性格は悪いしでいやになってしまったのだ。この「治安がよい」「人がよくて楽しい」「性格が悪くていやになった」を経験して出かける出かけないの理由にしているのは出演者にではない。制作するスタッフにである。異常に目立つタイ番組の多さは、制作会社のスタッフがタイを大好きだということ(局のプロデューサー、ディレクターもチェックとして称して忙しい中、あとから駆けつけるのだろう)であると断言できる。
ダンディ坂野(03/7/20)

スタン・ゲッツのゲッツで思いだしたので(笑)ダンディ坂野のことを書いておこう。
 けっこう前から知っていて、「人柄は良さそうだけどあまりにおもしろくない」と思っていた。昨年秋、マツモトキヨシのCMに登場し、あの犬篇も猫篇も抜群によくできていたから話題になるだろうなと思った。そのころから書こうと思いつつきょうまで来てしまった。とにかくこれは急いで書いておかねばならない。
 というのは彼はかなり早く消えるはずだからである。なぜなら極めてわかりやすいことだが、彼の話芸はおもしろくないのである。お笑いにもセンスがない。その意味で、突然人気が出たということで同一視されるが綾小路きみまろとはまったく違う。彼は突如人気の出た一発藝人として「自分とテツ&トモ、はなわが御三家と言われている」と言っていた──「マギー審司を加えて一発藝人四天王と呼ばれている」とも言っていた──が、他の三人ともまた違っている。テツ&トモはおもしろい、はなわもおもしろい、ネタ作りにセンスがある(深夜のNHKのお笑い番組を見ていたのではなわはかなり前から知っていた)、マギーにも藝がある。ネタで笑いがとれる。彼にだけないのである。他のみんなが実力で世に出てきたのに対し、彼だけCMで出てきたのだ。おもしろいのはCMであって彼ではない。これは消えるのは早い。といって嫌いだからさっさと消えろと言っているのではない。人柄も良さそうだし人気が長続きして欲しいけど、どう考えても無理としか思えないのだ。彼は、その人柄と性格で今年の二月までやっていたというマクドナルドのマネージャーでもなんでもやってこれからも元気に律儀に生きてゆくだろう。ただしお笑い藝人としては無理だ。あまりに無能だ。みかんを手にして「今夜おれんじに来る?」なんてだじゃれが精一杯なのだから藝はない。
 笑いのネタが続かず間が空いてしまうのは、「お笑いスター誕生」に出ていた「でんでん」を思い出す。彼はいまドラマの脇役で活躍しているようだ。ダンディ坂野がどんな人生を歩むか知らないけれど、間違いなく何年後かには、あのCMを流し「あの人はいま」に登場しているだろう。そのとき何をやっているのか。カタギか。役者が出来るとも思えない。もう会場での「ああ、あの人」というざわめきが聞こえるようである(笑)。田原俊彦にあこがれて芸能界を夢見た青年としては、人気者になれてCDも出せて、夢が叶ってよかったなと思う。今年いっぱいか。
NHK教育テレビ高校講座数学Ⅰ(03/7/21)
 午後三時、ステージ(?)終了。息を切らしてへたり込み、いつものようテレビのスイッチを入れる。4チャンネルのワイドショーをつけ、おもしろくないなと確認して切る予定。コーヒー一杯飲んでまたパソコンだ。

 ん? なんだか変形の五角形をいくつかの三角で区切り、ABCDEと角が打たれ三角形の一辺を求めるにはと先生が説明している。二次方程式。なんだか間違って3チャンネルをつけてしまったらしい。吸い込まれるように夢中で見る。数値を求められている一辺をXとする。相似形から対比して、因数分解して答えを出す。が単純に因数分解できないので公式に当てはめて出す。答は1±√5とふたつ。2よりも大きい正数が条件だから引いたらマイナスなってしまう。√5はいくつだっけフジサンロクオームナク、だっけか。フジサンロクは2.236? 1+√5が正解。3.23ぐらいか。いやあおもしろい。30分息を詰めて一気に見てしまった。こんなこと滅多にない。まずテレビをつけても本を読みつつ流し見たりするいいかげんな見方だ。見ほれるものなど滅多にない。こんなに夢中で30分見たのはいつ以来だろう。数学は推理小説なんかよりよほどおもしろい。
 終ってそれが「高校講座 数学Ⅰ 二次方程式」だと知る。二次方程式が「2次方程式」になっていた。むかしは二が感じだった。でも数学だからこれはこれでいい。

 う~む、これはおもしろいと向学心が燃え上がりまたも物置に走る。捨てずにもってきた数学参考書に数ⅡBと数Ⅲがあったはずなのだ。あった。いそいそと手にしてもどる。夏だからな、受験はこの夏休みが勝負だ。これから受験生気分で毎日数学にいそしむ予定。二年前のチェンマイでは数学Ⅰをやっている。今年の夏は数ⅡBだ!
 ほんとになあ、おれってどこに住もうといくつになろうと、ゼッタイに「暇だなあ、なんにもやることがなくて暇で暇で」ってのにはならないな。
 きょうから毎日数学を二時間はやらないとならないから益々忙しくなる。ここをクリアしてから大学時代の統計学をもういちど獨学しよう。

正しい歌い方──ごきげんよう(03/7/25)

え~と、フルネームはなんていうんだっけ、SET(これも好きな人しかしらないか、スーパー・エキセントリック・シアターの略)の小倉、通称オグちゃん。あの毛深い人ね。彼がヴァラエティ番組「ごきげんよう」で話していたこと。テーマがなんだったかも忘れた。

「鼻歌を歌っていると嫁さんに叱られる」というもので、彼の嫁さんは宝塚出身、音に厳しいそう。それで「ぎんぎらぎんにさりげなく、そいつがおれのやりかた」の「そいつがおれのやりかた」の部分を休符なしで、いわゆる「強起」で歌っているとそうじゃないと冒頭の休符あり、いわゆる「弱起」に直されるのだそうな。何度注意しても直らないから、そこの部分を手で拍子をを取りつつ無理矢理やらされるとのこと。知っている人はやってみてください。「ぎんぎらぎんにさりげなく」はフツーに小節の始めから休符なしで歌い始めていい。でも「そいつがおれのやりかた」は、8分休符かな? とにかく一拍目に休符をおくらしいのである。わたしゃこの歌をよくしらないのでうまく解説できない。とにかくそういうことで、楽譜にうるさい女房にこまめに注意されて家の中で鼻歌さえ気楽に歌えないという話だった。

 で、いつものよう自分の話。
 ぼくはいつもこのことを気にしている。十代から二十代の、流行歌を背景にして生きるフツーの時代を、ぼくは自分で自分のための歌を唄って過ごした。よってその時代のそういう常識的な流行り歌をまったく知らない。その後カラオケが流行り始める(最初は8トラックだった)がぼくは頑強に拒んでやらなかった。やりはしなかったが、その気になればいつでも出来るんだとは思っていた。よって長年自分のそういう致命的な缺陥に気づかないままで来てしまった。
 ほんの数年前からもうどうでもいいかと思ってやるようになった。正しく覚えている子供時代のものをやっていれば罪(?)はないのだが、興に乗ってくるとろくに知りもしないそういう青年時代の流行り歌をいい加減な記憶でやる。それはオグちゃんどころではなく、とりあえずコード内から音を外していないというレヴェルの完全な自己流だから、元歌とはだいぶ違っているだろう。オグちゃんの奥さんのようなそういうことにこだわる人から見たらお尻がむずむずして気持ち悪くて聞けないはずである。まあカラオケなんてほんとに親しい人やチェンマイのような旅先でしかしないからそれほど多くの人に迷惑はかけていないと思うが。
 よってこの話を聞いていて我が事のように気になった。

 このことでいつも思い出すのは、かつての人気ファミリー番組「家族そろって歌合戦」(日曜午後の放送。司会はてんやわんやだった。これは司会がどたばたしてたいへんだったではなく、獅子てんや、瀬戸わんやだったという意味)での審査員、作曲家のコセキユージのこと。彼の作った曲を参加家族が歌うと、必ず彼はそのメロディを直していた。こちらは気づかないし、たぶん視聴者もずいぶんとこまめな人だと思ったのではないか。メロディの上げ下げや譜割りの違いを自分で唄ってまで毎回必ずこまめに修正していた。参加者としては審査員のご機嫌取りにコセキユージの曲を歌ったと思われ(笑)、それが裏目に出て叱られているのがけっこう笑えた。今は自分の作品に対するこだわりとはそういうものなのだろうとわかる。

 もしもこういうことに厳しい人ならぼくの歌のいい加減さが気になってならないだろう。だってみんなで楽譜通りに息を合わせ正確に唄うのが合唱団だから8分休符ひとつのありなしは大きな問題になる。人を不快にさせたくないから、人前でカラオケをやることを規制しようと自分に言い聞かせた。まあ好きなわけじゃないからそんな心配もないんだけど。それと、一緒によく行く競馬記者のIさんなんて、いい加減なぼくがあきれるぐらいいい加減だからどうでもいいのだ(笑)。

 この悪癖に関して、「ぼく」ではなく「ぼくら」と、同じようなことをやってきた友人を巻き込みたいのだが、どうやらそうではないらしい。それはぼくだけの悪癖のようだ。とつい最近知った。先日、M先輩の唄うチューリップの「サボテンの花」を聴いた。するとそれはぼくとは何カ所にもわたって譜割りが違っていた。別の歌のようである(笑)。もちろん先輩が正しくぼくがいい加減なのだ。だから友人を巻き込んで「自分の歌を作るなんてことをやっていた連中は」とは言えないのだと知る。すこしさびしい(笑)。まあM先輩は音大に行こうとした人だから特別と遁げることも出来るが、考えてみればぼくは「コピーの出来ない男」であった。なにをやってもすべて自分流になってしまう。そんなやつにうろ覚えの曲を正確に歌うなんて無理だったのだ。
 この「サボテンの花」なんかがぼくにとって代表的な「知っているようで知らない歌」になる。この歌が流行っている頃、自分で歌を作りコンサートをやっていた。だから当時の流行り歌としてうろ覚えで知っているのだが実は知らないに等しい。それでももこんなものは、ギターを手に取すればすぐにコードをひろってそれらしく唄えてしまうのである。連ドラのテーマ曲としてリヴァイバルヒットした(そのドラマは見ていないし誰が出たかも知らないけどそれぐらいは知っている)。それで、これぐらいは歌えるぞと、その感覚でカラオケをやるから、それは一見それらしくはあるが、実は間違いだらけの別の歌になる。

 ま、もういちど、ほんとに気のおけない数少ない友人としかやらないからいいんだけどさ。すこしさびしくはある(笑)。

世界陸上──オダユージの価値03/9/1)


 昨夜(というか今朝方か)はテレビで「世界陸上」を観ていた。陸上競技を観るおもしろさを知った。しばらく前にテレ朝がやっていた「世界水泳」はつまらなかったから、やはり陸上のほうが私には楽しめるようである。そりゃまあ運動として、水泳よりは陸上のほうがおもしろいよねえ。
 といって日本大会、アジア大会はこじんまりとしていてつまらないし、オリンピックは競技が多種多様すぎてめまぐるしい。と考えると、陸上競技と限定された世界対抗戦であるこれが、ほどよく私の好みだったことになる。楽しみをひとつ得た。
 これを観ていると、髪の毛、皮膚の色がちがうことが闘いを盛り上げてくれてプラスに作用する。そしてまた、男女とも体型が、短距離、中距離、長距離でまったく違うことがおもしろい。筋骨隆々性別不明の短距離の女。シャーシーにエンジンだけを積んだような痩せた長距離の女。どんなに露出度が高くてもちっともセクシーでないのが共通している。美しいのだ。美しいけどセクシーではない。機械的な美というのか。造形物を観ているようである。とはいえボディビルダーのように無駄な筋肉ではないから美しい。
 やり投げや砲丸投げ、ハンマー投げ等を観ていると、これらが戦争から始まっていることを思い出す。そういう冷めた目で見ると、こういう競技って奇妙である。すこしでも遠くまで槍を投げようと日々練習することに、今の時代、なんの意味があるんだ? と、ひねくれてはいけない。それに人生をかけている人もいる。

 女子マラソン。野口の背後にぴったりとくっついて走る女。なんとも気味が悪い。野口が何度も後ろを振り返り、やめてくれとジェスチャーする。足を踏まれているのだろう。先に行けともアクションする。行かない。コースを替えて横にずれたりする。それでもぴったりと背後30センチぐらいにくっついて離れない。たまらんなあと思う。このあたりで北朝鮮の選手と知る。
 どう考えても不自然で不愉快で反則気味のこのことに意見を言ったのは、解説の増田明美の「コバンザメ」という発言と、司会進行のオダユージだけであった。オダははっきりと「あの北朝鮮の選手は気味が悪い」と発言し、レース後、フランスのスタジオに野口が来たらそれを尋いてみたいと言った。

 明け方の番組終了直前、野口ほかがスタジオに到着し、オダの質問に、野口は足を踏まれたこと、いらだったこと、それで消耗したと口にしていた。これを引き出したのはオダの功績である。いろいろと批判のあったオダの司会だが、私はこのことだけでも彼を評価する。
 なぜなら──問題はここにある──オダ以外の誰もがこのことに一切言及せず、彼がいなかったらTBSの長時間中継の中で、視聴者の誰もが不快に感じている北朝鮮選手の異常な行為に、出演者がまったく触れないという異様な番組になっていたからである。
 おかしい。どう考えても不自然である。それは北朝鮮の選手だったからなのだろうか。私の場合は関係ない。あれが白人であれ黒人であれ、不愉快であり反則行為であると非難するのは同じである。TBSの中継関係者が一切このことに触れなかったのは何故なのか。実況アナなど2時間23分の中継中、何度も何度も不愉快そうに背後を振り返る野口の行為を一切無視して気づかないふりをした。それでいて銀メダルを銅と言ったのを始め、間違いだらけのひどいものだった。終始カミっぱなしである。それでも北朝鮮選手を非難することはひとことも口にしなかったのだから畏れ入ったプロ根性である。

 陸上競技のテレビ中継とはこんなものなのであろうか。明け方、私はあまりの腹立たしさに2ちゃんねるのスポーツ版に出かけてみた。まともな日本人としてあれに腹が立たない人はいないはずなのである。でもテレビ中継で怒ったのはオダだけなのだ。2ちゃんねるなら同志がいると思った。たいへんな盛り上がりだった(笑)。
 そこでまた呆れる事実を知る。あの北朝鮮の女はアジア大会でも日本の選手に同じ事をしていたのだ。その戦法で優勝している。確信犯だ。被害にあった大南選手が口にして、新聞記事にもなっている。釜山の大会だった。なのにTBSは、そんな前歴がある選手が目の前で繰り返している同じ行為に対し、まったくそれが存在しないかのように無視し続けた。今回、一切それに触れないアナの姿勢を、私はいくらなんでも不自然だけれど、政治的問題がある北朝鮮に対する遠慮なのかととったのだが、ぜんぜんそうではなかった。前科のある選手が日本人選手に対して同じ事をしているのを、まるでなかったかのように実況し続けたのだから、これはもう北朝鮮選手と同じように確信しての行為である。
 スポーツの世界も、実況するテレビ局の姿勢でこんなにもなるのだと、背筋の寒くなるような事実を知った。
 唯一放言気味にそのことに触れたのはオダだけである。一緒に司会進行しているナカイミホもまた一度もそれを口にしていない。不自然だ。気づかないはずがない。タレントであるオダとは違い、一応プロのアナであるナカイには北朝鮮には触れないようにと釘が刺されていたのであろうか。

 きょうのスポーツ紙はまだ読んでいないのだが、いくつかの紙は必ず触れているものと思う。朝日系のニッカンはどう扱っているだろう。いや、時間的に明日の版になるだろうか。
 もしもサンスポ等がスッキリするだけの書きかたをしていたとしても、テレビがしらんふりのままだったなら不快感はぬぐい去れなかった。
 番組中でスッキリさせてくれたオダに感謝である。フランスのスタジオに来た野口にも、オダが尋いたから聞き出せた。オダがいなかったらテレビで野口の迷惑を受けた怒りのコメントは流れなかったろう。
 しかしああいう局の思惑に従った不自然な放送をして、アナやナカイ等にはストレスは残らないのであろうか。なんとも不可解である。
(関連として早く「古舘登用の憂鬱」を仕上げないと。)
深夜記入。
 午後スポーツ紙を見に行ったのだが、当然のごとく報道されていなかった。印刷が間に合わないからあしたになるか。
 ネットのほうが早い。サンスポも珍しくニッカンも(笑)、野口のコメントを北朝鮮の選手と入れて伝えていた。

 夕方のニュース。
 ゴールした野口、千葉、坂本が大きな日の丸を体に巻きつけてのウイニングランが美しかったのだが、NHKニュースがその映像を完全にカットしているのが印象的だった。サヨクスタッフなのだろう。昨年のダービーだったか、小泉首相が観覧し、君が代が流れたとき、馬の尻を映して日の丸を意図的に映さなかったことが話題になった。それと同じスタッフなのだろう。

 深夜。
 スポーツ紙を確認。スポニチ(=毎日系=TBS系)が、野口が北朝鮮選手に足をかけられたことに触れていないのが印象的だった。明らかな「意図的報道」になる。「北朝鮮選手に足をかけられた」と書くか否かの確認がスポニチのデスクでも行われ、TBS系は書かないことで意思統一が図られたのである。それはまあよくあることで、事実を知っているこちらとしてはどうでもいい。
 それでまた思うのは、日本人選手をじゃましたのがアメリカ人だったらどうだろう。ロシア人だったらどうだろう。アフリカの弱小国家だったらどうだろうと考えてみる。いずれにせよ、これまた「差別はその心にあり」である。腫れ物に触るように、伝えるべき事を無理矢理口をつぐんでしまうそのことのほうが病気なのだ。マスメディアとして、これが自分で自分の首を絞めた行為であることは時が証明する。

 北朝鮮よりも日本のほうが数も多い。層も厚い。もしもあのレースで、かませ犬に徹した日本人選手ひとりがあの北朝鮮選手の背後につき、同じ戦法であの女をつぶしたなら(あの北朝鮮選手は釜山マラソンで日本人選手に対するその戦法が功を奏し優勝しているのだからそれは当然あり得る戦法になる)日本のサヨクマスコミはどう騒いだろう。実行した選手個人はもとより、それを指示した監督、あるいは陸連のありかた、それこそ半島進出の時代までさかのぼって、日本とは、日本人とは、と非難することだろう。想像するだけで笑える。クメやチクシはもちろんキョセンあたりまで出てきて非難を始めるに違いない。
 野口が、背後のコバンザメを自力で振り切り、相手にしなかったことが救いである。賞賛されるのはそのことなのだが、それにまた触れないのが異様だ。褒めるべき点を褒めず、こちらのおかした小さな瑕疵に関しては拡大して報道する。典型的自虐史観という精神病である。

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