2010


 1/6
 内舘牧子──横審委員任期満了

 内舘牧子が十年間務めた横審委員を任期満了で終えるとか。それは知っていたが、なぜこの日にそれを取りあげるかというと、きょうのサンスポがそのことに触れ、内舘の功績を絶讃し、裏一面の署名コラムで、「内舘さんに限り特別に任期を延長してはどうか」とまで書いて絶賛していたからだ。
 私も内舘の功績はそれなりに認めはするが、特別に延長するほどのものとは思わない。むしろそれを言うなら、彼女を誉めるより形だけの存在でなにもしない他の連中を止めさせろ、総とっかえしろと、それを言いたい。内舘がズバズバ言ったというより、他の委員があまりになにもしていない。

 と書いてまた矛盾することを書くが、いま「朝青龍問題」等で異様に横審を持ち上げるひとがいるが、あんなものは相撲協会がお飾りで作ったものに過ぎない。なんの意味もないどうでもいいものだ。それだけのものに過ぎない、という解釈は重要。



 いよいよ、というかやっとというか内舘サンともお別れなので、私の「内舘論」。以下敬称略。

 まず内館を認める点。これは「土俵に女性をあげるのはよくない」として、目立ち根性から上がりたがった大阪のバカ女知事と対立したこと。これは特筆すべき内館の姿勢となる。

 が、経緯も大事。そもそも横審への内館起用は、大相撲のあり方を批判するフェミニスト対策としてが出発点だった。閉鎖的だ、男尊女卑世界だとわめくバカの矛先を交わすために、男だけの横審委員に女も入れることにした。その際、エッセイでプロレスや相撲のことを書いていて、「土俵に女をあげるのはまちがい。なぜなら」とすでに自分の意見を明確にしていた内館に白羽の矢がたった。というか他に女で適任はいなかった。よって因果関係としては、起用された内館がそんな考えだった、ではなく、そんな考えだったから起用された、が正しい。

 もうひとつはマスコミにおける内館効果
 品格のない問題児の横綱朝青龍と、口に衣着せず辛辣な批評をする横審委員のおばさんの対決、これはおおいに盛り上がった。朝青龍が俗に「パンスト顔」と言われるパンストをかぶせて引っ張った時のようなふてくされた顔をしているなら、こちらも鬼のような醜悪な面相である。スポーツ紙はよろこんだ。

 これを私の悪意ある解釈ではない。いまさらそんなものは載せたくないのでここではやらないが、このホームページにも何枚かその写真が載っている。内館はブスであり醜い。だが朝青龍問題でマスコミが使用した彼女の写真は、そうでなくてもひどいのに、選りすぐられた醜い写真が使われ、気の毒になるほどひどいものが多かった。

 問題を起こし、ふてくされてモンゴルから帰国する朝青龍、記者を恫喝するヤクザのような顔の朝青龍、それがスポーツ紙の一面に大きく載る。するとその横にそれに箴言する内館の顔が載る。その視点は「怪獣対怪獣」だった。マスコミが彼女のブスぶりにはしゃいでいるのもたしかだった。

 それは大きな効果だった。朝青龍という怪獣が暴れまわるのに対し、対抗できる唯一の怪獣だった。その意味で内舘の存在価値はあった。



 嫌いなのは、そういうことを計算しての目立ち根性。まあそれ以前に私は彼女の「プロレスラーは美しい」だったか、プロレスに対する視点をまったく認めていない。また、その出しゃばり根性で将棋のことなどまったく知らないのに、将棋をプロ棋士から教えてもらい、その成長を随筆で書くと言うことを『将棋世界』で始めた。うんざりである。とにかくもうこのブスオババの出たがり根性は並みではない。

 今回も引退に当たり、朝青龍の天敵と言われましたねなどという突っこみに対し、「そりゃあ私だったいいこぶりたかったですよ。そうすりゃ全国から嫁に欲しいなんて言われたかも知れないし」って、サービス精神のつもりなんだろうけど、気味が悪いって(笑)。そういう女特有の言いまわしが許されるのは、器量のいい三十代ぐらいまでだ。向田邦子もエッセイの中で、ごく遠慮がちに「これでは後妻の口がなくなる」なんて書いていて、これはくすくす笑いを誘ったが、内舘の「お嫁に欲しいって言われたのに」は、ただ沈黙するしかない。

 同じく、朝青龍が内舘の任期満了に関し、「長いあいだお疲れ様でした。花でも贈ろうかな」と言ったのに対し、「それはうれしいけど、私は彼を横綱とは認めていないのでいりません。残念ながら彼の片想いね」だって。朝青龍、あとで「だれがあんなブスババアと!」と荒れたんじゃないか(笑)。

 内舘にはプラスもあった。言っていたことのほとんどは正論である。それは認める。だがそのことに対し、内舘がえらいというより、「人材不足」と、そのことのほうが印象に残る。
 たとえばそれはデーモン小暮がNHKのゲストに出て相撲知識を披露したら、それからは音楽の仕事よりも相撲に関する仕事の方が多くなってしまった、なんて話にもあらわれている。やくみつるもそう。人材不足なのだ。まあ隙間狙いとしてはよかったねと思っている。



 結果として内舘の横審委員期間十年は、朝青龍の活躍期間と重なった。やめてくれとほっとしている。そもそも横審なんてのはどうでもいい形だけのものだ。こんなものが話題になることの方がおかしい。「内田定員だけ特例で任期延長を」と書いたスポーツ紙のセンスの悪さに呆れる。


 1/8
 Pen特集──「相撲は、美しい!」

──あまりに不自然な朝青龍無視(笑)





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 いつもの図書館。雑誌「pen」が相撲を特集していた。この雑誌に馴染みはない。相撲を特集していたから手にした。
 出版元を見る。「阪急コミュニケーションズ」とあった。だいたいこういう場合、馴染みのない本でも「ああなるほど」と思うことが多い。その雑誌の持っている雰囲気と出版社の名が一致するのだ。だがこれは「???」だった。なぜ阪急コミュニケーションなのだろう。
 帰宅してから調べた。



阪急コミュニケーションズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社阪急コミュニケーションズ
Hankyu Communications Co., Ltd.

株式会社阪急コミュニケーションズ(はんきゅうコミュニケーションズ)は、阪急阪神東宝グループに属する日本の出版事業者である。阪急阪神ホールディングスの連結子会社である。
元々は大阪市で阪急電鉄創遊事業本部コミュニケーション事業部として阪急電鉄沿線の観光ガイド本・グルメ本や宝塚歌劇団の機関雑誌『歌劇』、『宝塚GRAPH』、『宝塚おとめ』、演劇専門紙『レプリーク』、阪急電車関係の書籍・絵本等を発行していたが、2003年7月に『ニューズウィーク日本版』、『フィガロ ジャポン』、『Pen』などを発行していたTBSブリタニカの事業(百科事典除く)と阪急電鉄創遊事業本部コミュニケーション事業部の事業を統合して発足した。本社はTBSブリタニカ時代から継承して目黒区に置き、大阪市北区の阪急電鉄本社ビル内(TOKKの編集部門・広告部門と宝塚歌劇関連雑誌の広告部門)と宝塚市の宝塚大劇場内(宝塚歌劇関連書籍・雑誌の編集部門)にも事務所を構えている。




 そうか、TBSブリタニカとの合併だったのか。なら納得する。グラフィック誌であり、様々な「文化紹介」のような体裁の「Pen」は、いかにもTBSブリタニカである。たぶん私は2003年以前にもこの雑誌を手にしていて、そのときも出版社を確認し納得していたのだろう。そのときはTBSブリタニカとして納得し、今回は阪急コミュニケーションズだったので首を傾げた。そういうことだ。たぶん数年後にもまったく同じ事をすると思われる(笑)。



 この「Pen」の相撲特集は、主役の力士から歴史、裏方取材までカラフルな写真に満ちたなかなかの力作だった。
 この雑誌はこんなふうに特集した企劃を後々ムック本にして出版しているらしい。いかにもそれ用と思える作りかただった。もういちど特集することがあれば、それで一冊の本になる。好きなひとにはたまらないだろうが(あたりまえだ)、感覚の合わないひとにはなんとなく居心地のわるい(これまたあたりまえだ)作りかたである。いわばリッパな本棚に並べる感覚。

 私はこういう智的で高尚な上流階級的なものは条件反射で遠ざけるのだが、勉強になるなら(勉強すべきと思っているテーマなら)すなおに購入する。基本としては縁遠い。以前本を捨てたとき、「太陽」のようなその種の特集号がいくつも出て来たものだった。今も「落語特集」があったりするとつい買いたくなる。しかし立ち読みすると知っていることばかりなので安心して買わない。

 今回図書館でこの本を知ったが購入はしなかった。それは充分に詳しい大相撲の話であり、その必要がなかったからだ。豊富な相撲浮世絵が載っていた。資料として貴重と思う。それ以外は知っていることばかりだった。雑誌の性格からして、相撲の戦いそのものには興味のないひとへの相撲の文化としての紹介、あるいは相撲に興味を持つ外国人向けなのかも知れない。全編そういう作りである。


 この表紙は浮世絵ではなく千代の富士をモデルに描きおろしたものだろう。なかなか洒落た遊びだ。















 まずは力士として、横綱白鵬が見開き2ページ。それから大関琴欧洲と安美錦が1ページずつ。力士紹介の三人に、君臨する横綱としての白鵬、ブルガリア出身の美男力士琴欧洲、古き良き時代の力士のおもむきのある相撲巧者安美錦と、なかなかセンスのいいチョイスである。

 それから、稽古や巡業の風景、行司、床山のような脇役陣の紹介、たっぷりページをとった浮世絵と、多岐にわたる相撲紹介が続く。充実した内容だ。



 とはいえそれは私にとってさして興味深いものではない。それでも相撲を特集してくれるだけでうれしいので、好意的に漫然とページをめくっていた。そうして不思議なことに気づいた。
 あらゆるページから、「完全に朝青龍が抹殺されている」のだ。および弟分の日馬富士も、である。

 力士として特集されたのは前記の三人のみである。だがその他の力士も、床山特集での床山に髪を結われている姿、行司特集での土俵上の姿、巡業での風景等に登場している。魁皇や稀勢の里もいる。そういう光景を撮れば自然に登場してしまう。なのに何十ページもの特集のありとあらゆる場面に朝青龍と日馬富士がいない。いくらなんでもこれは不自然である。

 思うに、編輯者が彼らを嫌いであり、パージすることに決めたのだろう。たとえば行司の特集や巡業の写真等には彼らが写っていたと思う。それをルーペで覗きつつ、意図的にぜんぶ取りのぞき、一枚たりとも登場しないようにしたのだ。それこそ巡業風景の端っこにいるようなものまでチェックして出ないようにした。三人取りあげる力士に安美錦を選ぶほどの智識とセンスがあるのに、あの「大横綱」といちばんかわいがっている弟分が一ヵ所たりとも存在しないのは異様である。



 そのことに意見はない。批判もしない。そういうことも「あり」だと思う。なにしろ特集タイトルが「相撲は、美しい!」だ。編輯者は品格のない朝青龍と、それに従うニキビ面の弟分にそれを見出さなかったのだ。だから無視した。消した。それはそれでひとつの見識だろう。
 朝青龍はテレビCMに登場したり、悪太郎としてスポーツ紙や雑誌に特集されるぐらい話題の人なのだから、こういう意図的な無視もあっていい。もしも幕内力士名鑑のような形で無視したらそれは問題だけれど、彼らの視点で彼らだけの選択で作ろうとしての結果だから、これはこれでいい。それが私の感想になる。

「相撲は、美しい!」で特集を組み、このあとの十年後、二十年後まで保存されるムック本を目ざす彼らは、そのころには引退していない、美しくない力士は自分達の本に収めたくなかったのだ。
 その切り口は認める。まあちょっとあまりに異様ではあるけれど(笑)。
2/1  朝から晩まで朝青龍と貴乃花(笑)

 この日は朝から晩まで「朝青龍問題」と「貴乃花理事選」で持ちきりだった。相撲ファンとして、こんな日もめったにあるまいと記録しておく所存(笑)。TV番組表の朝青龍と貴乃花に黄色マークをした。

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早朝


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午後


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夕方


 夜も同じ。省略。平和だ。

3/11
 朝青龍、モンゴルで会見──発言内容に激しく失望する



 11日、中国経由でモンゴルに帰国した元横綱・朝青龍は、地元のウランバートルで市民に囲まれ大歓迎を受け、移動は警察車両の先導つきという待遇を受けたあと、午後に記者会見を開いた。
会見では、引退の契機となった暴行問題を否定した。
朝青龍は「報道で言われたような人の鼻を殴ったり、折ったりしたことは、全くないです」と話した。

 さらに相撲協会に対して、朝青龍は「相撲協会の人間だし、現役時代は物を言う立場にない。規則も厳しい。(守りすぎるのもなんだが)破ってはいけない一定のものがある」と、不満をにじませる一幕もあった。

 さらに、日本語で「引退後、初めてのモンゴルで今の心境は?」と質問を受けたが、朝青龍は「きょうはモンゴルなので、モンゴル(側)の質問だけです。断ります」と応じた。
 しかし、最大の関心事、今後の進路について聞かれると、朝青龍は「(メディアでは)例えば格闘家になるとか、そしてビジネスとか、そして政治家になるとか(言われているが)今は特にこれだと決めているものはないです」と語った。(FNNニュース)


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 会見を見て、激しく失望した。それは今まで朝青龍を擁護してきた相撲ファンみんなの気持ちだったろう。

 私は様々な問題が起き始めた当初から一貫して朝青龍を擁護してきた。彼は問題児だったが、それは彼を指導できなかった親方や相撲協会の責任であると主張してきた。異国から来た青年なのだ。きちんと指導もせず、なにもかも思うようにしようとしても無理がある。
 ここのところ「相撲日記」では、「バカ青龍」呼ばわりしてボロクソに言っていたが、それは平幕相手にも張り差しを連発する相撲内容に対してであり、力士として認めているからこその不満だった。最後の場所となった初場所では、把瑠都と琴欧洲相手にモンゴル相撲の奥義を見せ、その不満を払拭もしてくれた。



 だがこの会見を見て、彼を擁護することばはひとつも浮かばなかった。黒鉄ヒロシやテリー伊藤とおなじ意見になってしまうが、「もうすこし賢いと思っていた」が第一感になる。

 追い詰められた朝青龍が最終的に理事会からの引退勧告を受け入れたのは、「受け入れないとクビになる」→「功労金がでない。大金を稼ぐ引退興行ができない」からだった。あわせて最低でも3億、一説では5億はゆくのではないかと言われているから、彼にとっても大金だ。最後の一稼ぎである。だったら「もう、ひと我慢」だったろう。それが終るまで。

 引退相撲は「元横綱」として、大相撲の本拠地である国技館で、現役力士という同僚や今も大相撲に属している親方等が参加して行われる。サラリーマン風に言うなら、会場は退職した会社のホールであり、社長や元同僚に囲まれて退職セレモニーをやってもらうのだ。それが終るまで会社の悪口を言ってはならない。それは日本人に限らず「世界の常識」だろう。

 相撲協会に対する不満、理解できない品格なるものを求められた日本という国に対する不服があるのはわかるが、「今はまだ」それを出してはならなかった。それこそ引退興行が終り、たっぷりと金を手にしてから、曝露本でも独占インタビュウでも、やりたい放題をすればいい。

「今は」、「横綱にしてくれた大相撲に、日本という国に感謝しています」のようなキレイゴトを言わねばならなかった。それが賢さだった。こんな発言をしては私のような支持者までがみな離れてしまう。

 朝青龍はもっと賢いと思っていた。呆れた会見内容だった。
 だが、あれだけの実績を築きながら、あんなことで土俵を追われた29歳の青年が、大歓迎してくれた母国に帰国しての会見内容としては、ごくまともとも言える。

 私たち彼を支持しするファンは、彼をもっと賢いと思っていたのだ。期待しすぎだ。これまた「品格の押しつけ」と同じか。
 残念ながら彼は、だらしない服装のことで注意され、不承不承会見の場に現れ、今の心境を訊かれ「チッ」と舌打ちをしたあと、「反省してま〜す」とひとを小馬鹿にしたような間延びしたような言いかたをした日本人青年と同じ程度の脳みそだったのである。この失望は大きい。




 同じく大きな話題になっている「暴行を否定したこと」は、私にはどうでもいい。
 暴行はあった。酔っ払った朝青龍が、既知のKという芸能業界ゴロをこづいた。そいつが軽いケガをした。朝青龍は以前からこのKの経営する店によく通っていた。身内の話であり、マスコミが大騒ぎした「一般人」では断じてない。よくある話だ。以前なら、以前じゃなく今でも朝青龍でなければ、ニュースになるようなことではない。だがそいつが業界ゴロのくせに騒ぎ立てた。運悪く取り締まり中の警官と遭遇した。それにマスコミが飛びついた。あまりの大騒ぎにゴロの方が逆に焦ってしまい、急いで大金をもらって示談にしたが、そのときは消せないほど火勢は大きくなっていた。いまいちばんとんでもないことになってしまったと頭を抱えているのはKだろう。Kのやったことは朝青龍ファンから生涯恨まれる。いやもちろん「横綱が場所中に繁華街に飲みに出て、夜明けまで飲んでいた」は責められる。でもたいしたことではない。品格品格というが、むかしの横綱だってろくでもないことを山とやっている。マスゴミがいず、今ほど話題にならなかっだけだ。

 すべての事実を知っている朝青龍は、大金を渡して示談も成立しているし、と安心してこんな「暴行はなかった発言」をしてしまったのだろう。軽率だ。頭が悪い。そんな言いかたをしたら日本の警察を刺激し、鎮まっていた問題がまた動き出す。
 とにかく引退興行が終るまでは、これに関しても、「まだ正式な結果が出ていないので今日のところは発言を控えたいと思います」とでも言えばよかった。国民的英雄を大歓迎しているモンゴルでは、それで十分だったろう。



 日本相撲協会の武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)は13日、泥酔暴行問題の責任を取って2月に引退した元横綱朝青龍(29)が母国モンゴルで行った会見(11日)で、同協会に不満を表明したことについて、強い不快感を示した。今後の動向によっては、10月3日(東京・両国国技館)に予定されている朝青龍の引退相撲への影響も懸念される。

 相撲界を去ったとはいえ、元横綱の“協会批判”を聞き流すわけにはいかない。武蔵川理事長はこの日、朝青龍がモンゴルで協会に不満を表明したことについて、「いいわけないでしょう。やったことを認め、責任を取ってやめたわけだから」と不快感を示した。

 1月の初場所中に起こした一般人への泥酔暴行問題の引責で2月に引退した朝青龍は、11日に引退後初めてモンゴルへ帰国し、会見を開いた。席上、協会について「悪口は言いたくないが、気に入らない要求もたくさんあった」などと口にした。
 協会のトップとしてこうした発言を黙認することはできない。朝青龍は10月3日に両国国技館で引退相撲を予定しており、協会と朝青龍にはかかわりが残っているからだ。モンゴルでの会見で、朝青龍は「暴行は一切していない」と否定したが、事件はまだ解決していない。診断書の提出を受けた警視庁麻布署は元横綱から事情聴取する方針を否定しておらず、書類送検された場合、引退相撲の開催を協会が許可しない可能性もある。

 朝青龍の引退相撲の申請は、現段階では正式許可が下りず、仮予約の段階。武蔵川理事長は「(今後、朝青龍に)何かあったら大変だからね。まだ、(国技館は)仮おさえだから」と、今後の動向次第では、引退相撲に会場を提供しないことも示唆した。
 引退相撲を開催できなければ、入場料、ご祝儀などで見込んでいた1億円以上の収益がゼロになる大ピンチ。“最後の土俵”で稼いだ資金で日本、モンゴルなどでビジネスを展開しようとする計画は、根底から修正を迫られることにもなりかねない。(サンスポより)

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 もう国技館は使用させなくてもいいだろう。モンゴルででもかってに引退興行をやったらいい。日本人はこういう「後ろ足で砂をかける」行為を極端に嫌う。弱い日本人力士より強いモンゴル人力の方が好きで、いっさい不満を持たなかった私も、こういう行為は容認できない。

 朝青龍の発言は29歳のモンゴル人青年として本音であり、自然であり、そのことだけを見れば、それはそれで正しい。だけど立場を考えたら、「引退興行が終るまでは我慢すべきだった」。この考えは変わらない。長年支持してきたファンとして、激しく失望した。

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●相変わらずの朝潮

 先場所優勝した元横綱・朝青龍関(29)に代わり師匠の高砂親方(元大関・朝潮)が横綱土俵入り後の賜杯と優勝旗返還式で土俵に上がった。姿を現すと「朝潮! おまえが悪いんじゃ」とのヤジも飛んだ。

 朝青龍がモンゴルで展開した協会批判に「(本人に)会ったら言わない方がいいと言う。お世話になった世界なんだから」と明かした。
 朝青龍はこの日もモンゴルで家族と静養。春場所9日目に観戦を計画しているが「会ったら」ではなく、すぐに電話で注意するのが筋だ。自身は役員待遇から2階級降格の主任になったが、相も変わらぬ“能天気”は不滅だった。(スポーツ報知)


 朝潮がしっかりしていれば、すべて起きなかったこと。
 同時に私は今、朝潮でなかったらあの気の強い男は親方をぶん殴ってとうの昔に廃業していたかも、とも思っている。


5/23
 琴光喜、野球賭博事件








8/10
 井崎脩五郎さんの的外れ意見

 図書館に通っていると、ふだんなら絶対に読まない週刊誌も手にすることがある。『AERA』『サンデー毎日』『週刊朝日』等だ。私はこれらが大嫌いだから買うことはもちろん本屋でもコンビニでも立ち読みすらしない。

 出勤のように図書館に通い四階で勉強していると、息抜きと称しているサボリ癖が出て、二階の閲覧席にしばしば降りては雑誌やスポーツ紙を読む。好きなものがそうそうあるわけもない。スポーツ紙なら一番好きなサンスポがない。東スポはあるはずもない。『週刊文春』と『週刊新潮』は大人気でいつも誰かが読んでいる。

 ないよりはましと不人気のこれらを手にする。いつも置いてある。もしも図書館が営利企業であるなら、これらの週刊誌を排して『週刊文春』や『週刊新潮』を3冊ずつ置いた方が理に適う。それほど人気に差がある。
 読んで不愉快になるようなところはみな飛ばす。つまりはほとんど読まない。それでもたまに役立つ情報を得ることもあるから、これはこれで「よいこと」なのかもしれない。

 ほとんど読むところのない『サンデー毎日』だが、競馬評論家の井ア脩五郎さんが連載している競馬エッセイは毎回読む。



 ある回のこと。大相撲野球賭博事件が話題になっているころだから2010年の夏だろうか、それに触れた回があった。
 そこでの井崎さんのエッセイを起承転結風にまとめるとこうなる。

・大相撲野球賭博事件が話題になっている。
・大相撲ではむかし待遇に不満をもった力士達が天竜をリーダーとして起こした「春秋園事件」というのがあった。
・競馬の方でもむかしは厩務員によるストライキがあり、クラシックレースの日程が変更になったりした。
 だがそのストライキにより厩務員達の待遇が改善されたのも事実である。

・今の力士達も待遇に不満があり、今回の事件は、その心の隙間に反社会的勢力が忍びこんできて起きたのだろう。


 というものだった。



 井崎さんは博識で多方面に造詣の深いかただ。競馬随筆を読んでいても、他方面からの智識と競馬を結びつけ見事な文を書かれていて感嘆することが多い。
 でもこの大相撲に関する意見はちょっとちがうと思った。いや、ちょっとじゃなくて正反対、ちかごろのコトバで言うならマギャクというヤツだ。私は真逆という文字はマサカと読んでしまうので、いまだに使う気になれないが。



 力士は恵まれている。それがいかにどのように恵まれているかを語り始めるとまた延々と長くなり、相撲論になるので省く。一例を挙げるなら無給の幕下以下でも三十代がゴロゴロしている。それだけ居心地がいいのだ。藝達者なら、反社会的勢力(暴力団)の宴会に呼ばれて30万、50万の御車代をもらいつつ、年収2000万もいるとか。藝達者と言っても何かをするわけではない。大男としてチビの親分の箔付けにうまく役立てばいいのだ。

 とにかく衣食住ただの力士は恵まれていて待遇に不満はもっていない。いや厳密にはもっているだろうけど、それと今回の事件は関係ない。堂々巡りになるので先を急ぐ。

 現在、相撲好きのこどもがプロ力士になるまでの流れは極めて特殊なものだ。それは同じスポーツの野球やサッカーより、むしろ将棋にちかい。将棋の羽生と森内が小学生の頃からライバルだったように、相撲も近年の若手では栃煌山と豪栄道が有名だが、みなそんな関係にある。極めて特殊な狭い世界だ。

 井崎さんの解釈は「待遇に不満を持ち、鬱々としている力士の心に、暴力団が近づき、野球賭博に誘いこんだ」というものだ。私の意見は正反対になる。



 私の解釈は、「待遇に恵まれていて、衣食住の心配がなく、な〜んも考えていない力士=こどもの時から相撲を取ってきただけの、世の中の常識を知らないデブ=が、午前中に稽古が終るとあとはすることもなく、金はあるし、暇だしと、非合法博奕に手を出した」である。
 いわば典型的な「小人閑居して不善をなす」になる。

 こどもの時から相撲を取ることしか考えてない頭の悪いデブだからして、餘った時間を利用して外国語を習得しようとか、引退後を考えて手に職をつけようとかは考えない。考えられても困る。そんな小賢しいのはろくな力士ではない。お江戸の時代から今に至るまで、力士はそれでいいのだ。そういう存在だ。元々大名の庇護を受けて、「一年を二十日で過ごすいい男(当時は一場所十日制、年二場所)」なのである。相撲を取る以外は、食って寝て女を抱いて、でいいのだ。

 今回野球賭博事件に手を出して処分を受けた力士は、みな見事なほど相撲取りらしい連中だった。これはこれでいい。
 また生真面目な高見盛や豊真将らは関わっていなかった。これもこれでいい。

 今回の原因が「小人閑居して」であることは、「家族に仕送りをせねばならない外国人力士」が、誰一人関わっていないこと、協会が、あらためて相撲道と一般常識を含めた相撲教室を幕内以上の力士(出世が速すぎて身についていない)にもやらせようと言いだしていることからも明白である。



 手を出して問題になったのが、ヤクザの運営する野球賭博という非合法博奕であったことも理に適っている。
 暇と金を持てあましたバカのやることであるから、努力なしに誰でも出来るものでなければならない。競馬その他の公営ギャンブルは、目立つ存在であるから出かけて行くのがたいへんだ。力士の外出は公的衣裳である着物姿でなければならない。髷を帽子で隠し、ジーンズにジャンパーで競馬場に出かけた力士が写真週刊誌に撮られて問題になったことがあった。そのことから協会もギャンブル場への出入りには神経質になっている。
 以前は中山に、土佐ノ海が若手を連れて来たりしていた。外出の際の正装である着物姿である。最近見かけないのは自重するように協会から言われたのだろう。
 いかにも協会らしい瓜田李下なのだが、そうなると、いきおい部屋にいて出来る博奕が横行する。

 またこれらの公営ギャンブルは、そのことによって当たるかどうかはともかく、当てるための努力をせねばならない。当てるための努力をしてハズレ続けている身としては、負け惜しみを含めて、そういう当てるための努力こそが楽しいのだと言いたいが、そんなリクツは相撲以外に努力する発想をもたない彼ら(これも正しい)には通じない。通じるぐらい頭のいい力士は、こんなものには手を出さない。これらに関わって在宅投票をするためにはパソコンを収得せねばならない。こういう努力も嫌う。

 彼らがいちばん好きなのは花札やチンチロリンだ。これなら頭が悪くてもみな平等に楽しめる。しかしこれは身内で毟り合うもの。



 多少脱線するが、協会が博奕問題に関して力士全員に自己申告せよと通達したとき、白鵬が部屋内での花札博奕に関わっていたと正直に申告した。するとそれを協会はマスコミに発表し、白鵬は横綱なのにと批判された。
 それはあまりに事情を知らない。若手がそれをやって楽しんでいるとき、横綱が関わらなかったり、まして杓子定規に注意したら白ける。そういうものではない。参加して、わざと負けて彼らに数10万程度の小遣いを渡すのが上の者のただしい姿勢だ。下っ端は横綱の恵んでくれたその金を巡ってまた楽しむ。

 白鵬は、自己申告しろと言われたから正直に誰もが知っているこのことを申告した。理事長も理事も、みな下っ端時代にそういう形で上から金を貰い、上になったら下に恵んで、そうして生きてきたのだ。
 なのに協会は横綱も関わっていたと発表し、マスコミの一部は白鵬を批判した。白鵬が「自己申告すれば不問に付すと言われたから正直に言ったのに、それをマスコミに流すなんて。協会は信じられない」と発言したのは当然である。



 大の花札好きが琴光喜だった。彼は平幕優勝したときの賞金1千万をぜんぶ花札で溶かした。また八百長疑惑の相撲にも多く絡み、出世が遅れたのも、花札借金を返すのに星を売り買いしていたからと言われている。
 琴光喜から花札で大金を巻きあげて懐をうるおしていた連中には幕下力士も多い。原則無給でもウン十万程度の金には不自由しないのが相撲界なのだ。

 花札やチンチロリンはいまも盛んだが、所詮身内同士の毟りあいだ。シビアなのである。琴光喜みたいなお客さんばかりではない。
 飯を食ったあと、ごろごろしている時間、テレビを見ながら、「みんなでついでに楽しめる博奕」が最高だ。その手続は、こむずかしいパソコンなどではなく、誰か仲介者がいて、そのひとが仕切ってくれるの昔風のアナログがいい。

 野球賭博はまさにうってつけだった。仲介者がいて、パソコン投票などというしちめんどくさいことではなく、単純に現金の授受が出来る。勝ち負けはテレビを見て楽しめる。週末にしかなく、数分で決着のついてしまう中央競馬とちがって、野球中継は毎日のようにあるし長く楽しめる(このごろだいぶ中継がすくなくなったが)。見事なまでに、金と暇を持てあまし、ごろごろしている相撲取りに適したバクチだった。



 待遇に不満があって起きた問題ではない。恵まれすぎていて起きた事件だ。
「引きこもりニート」に似ている。彼らの行動は、引きこもれるだけの、雨風を凌げる家、ライフラインのある部屋、食事を運んでくる母親がいて成立している。その日の食い物を自力で手に入れねばならない境遇にあれば、優雅な引きこもりなど出来るはずもない。

 そういう恵まれているからこそ成立している引きこもりニートにも、その恵まれている部分を認識しないまま、彼らなりの不満はあろう。親に対して、世間に対して。だから引きこもっているのだと。
 野球賭博に手を出した力士にも、井崎さんの言うような「待遇に関する不満」はあるかもしれない。しかしそれは引きこもりニートの意見と同じようなものだ。現状認識が出来ない甘えから始まったものにすぎない。

 井崎さんの「その心の隙間に反社会的勢力が忍びこんできた」という表現を借りるなら、それは「待遇に不満を持っている力士の心」に染み込んできたのではなく、「金と暇を持てあましている世間知らずのバカの心」に染み込んできたのである。



 井崎さんの意見はどこから出たのか。私はなぜそれを正面からまちがいと言いきれるのか。
 基本は愛情だ。井崎さんは熱心な相撲ファンではない。といって嫌いでもない。ごくごくふつうに、話題になったときは触れ、そうでないときは興味を失っているタイプ。競馬関係者にはこういうタイプが多い。

 そもそも大相撲の初日や、いちばん盛りあがる14日目、千秋楽の土日は、競馬開催日だ。集中して仕事をする日である。競馬評論家、競馬ライター等に好角家がいないのは自然なのである。彼らにとっても重要な仕事の日なのだから。
 競馬場で競馬を楽しんだ日曜日、みんなで飲み会になる。居酒屋で相撲中継が流れている。留守録してきているが、それでも気になってならず、テレビの前に出かけて観戦するのはいつも私だけだった。20人もいたのに。

 いや競馬関係者とかに関係なく、世の博識タイプ、雑学博士的なタイプには、何事にもこういう軽い接しかたをしている人が多い。「若貴ブームのころはよかったね」のレベル。井崎さんもそのひとりだろう。典型的ななんでもかんでも浅く知っているタイプである。
 すくなくとも小島太調教師のような相撲好きではない。

 そういえば井崎さんが連載している『優駿』誌の日記に、どなたかの招待で国技館で相撲を観た、初めての観戦だったと書かれてあったことを思い出す。数年前だ。その招待がなかったら未だに行ってないだろう。その水準。一応自分のことを書けば、私が初めて国技館で観戦したのは37年前。徹夜で並んでチケットを取った。

 今回エッセイのテーマとして、井崎さんはキッチンにあまたある食材の中から、「相撲」という食材を選び、厩務員ストライキという調味料を振り掛けた。天竜事件を知っていたりする物知り部分と、たいして相撲を好きでないことのバランスが取れていないから、こんな「トンデモ意見」に繋がる。
 
 一見すると、井崎さんの意見の方が力士にやさしく、相撲好きの私は「勉強もしていない頭の悪いデブ」と書いたりして辛辣なようだ。
 でもそれは逆。私は本当に相撲が好きだからキツいことを書ける。井崎さんはそうではないから及び腰のキレイゴトになってしまう。「待遇に不満を持つ力士の心に反社会的勢力が忍びこんだ」。的外れの、つまらないエッセイの典型である。



 しかしこのエッセイから学ぶことは、それではない。
 井崎さんは私のように十両や、時にはそれ以前の取組から観るほどの相撲好きではない。それは前記した初めて国技館に行った経緯でも分かる。

 最も重要なことは、「もしも井崎さんが大相撲に詳しい大の好角家だったとしても、同じように書いたろう」ということだ。
 なぜならそれが井ア脩五郎さんの基本姿勢だからである。

「待遇に不満を持つ力士の心に反社会的勢力が忍びこんだ」
 この言いかたなら誰も傷つけない。処分された力士は逃げ場を用意してもらっている。もしもこのエッセイを力士が読んだなら、彼らはみな井崎さんに好意をもつだろう。
 反社会的勢力はもともと誰から観ても悪者だ。これに気を遣う必要はない。
 待遇に不満を持つ、は協会を責める形になるが、これはふてくされたような高飛車な記者会見などから一般的にも協会への反撥が強かったから井崎さんに味方するひとは多いだろう。見事なまでの「最も安全な理窟」になる。

 対して私の「暇と金を持てあました常識知らずのデブが暴力団に引っ掛かった」は、いかに正論だったとしても、これは力士に対して厳しすぎる。『サンデー毎日』の連載コラムとしては不適切となる。
 もしも井崎さんがこんな書きかたをしたなら、あちこちから反撥の声が上がるだろう。中には「学歴差別だ!」なんてのもあろうし、「競馬評論家風情がなにを言う!」と噛みついてくるのもいよう。この種のものに書くときには、そこいら中クレイマーだらけであることを意識せねばならない。

 周囲の情況を鑑みたとき、井崎さんの書きかたが正しいのである。バランスが取れている。おとななのだ。



 井崎さんと会ったなら誰でも好きになるだろう。腰が低く、決していばらず、いつも笑顔で、周囲を明るくする。ぜったいに人の悪口は言わず、気配りをかかさない。その分、ごくごく親しいひととの酒席では辛辣な批評も飛びだすらしいが、それはまあひととして当然だ。ガス抜きをしなかったら壊れてしまう。

 といって私は井崎さんのような処世術を得たいとは思わない。相撲に関して、こんな間抜けな意見は書きたくない。
 コラムニストとして井崎さんの切り口は正しい。おとなだ。だが相撲ファンからすれば、これはかなりの「トンデモ」である。

 いろいろと考えさせられるコラムだった。


12/28
 宮城野部屋問題、やっと解決


宮城野親方、熊ケ谷親方と師匠交代「八百長告白」で勧告受け入れ
2010.12.27

 八百長の存在を知人女性に告白したなどと3年前に週刊誌に報じられた大相撲の宮城野親方(41)=元十両金親、本名山村和行=は27日、東京・両国国技館で開かれた日本相撲協会の臨時理事会に出席し、宮城野部屋付きの熊ケ谷親方(元幕内竹葉山)と年寄名跡(親方株)を交換して師匠を交代する勧告を受け入れた。理事会出席者が明らかにした。

 横綱白鵬関の所属する宮城野部屋の師匠である同親方は、24日の理事会で、相撲協会に風評被害を与えたなどとして師匠交代を勧告された。その場では受け入れる姿勢を示したとされるが、その後一転して態度を保留。24日に続いて呼び出された27日、勧告の受け入れを表明した。

 北の湖部屋の力士だった宮城野親方は現役引退後、先々代宮城野親方の娘婿となり、2004年8月に部屋を継承した。


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 やっと解決した。長かった。くだらん問題。でもこれを解決させたのだから放駒理事長は信頼できる。

 この事件≠フ簡単なおさらい。カッコ内は当時の私の感想。

宮城野部屋は白鵬を育てた竹葉山が継いでいた。
・しかし親方株は故・宮城野親方の女房が保っていた。

・部屋運営はひとりでも関取が出ればうまみがある。宮城野部屋では横綱確実の白鵬が育ちつつあった。

・宮城野未亡人は娘婿に元北の湖部屋力士の金親を迎える。


(金親は不細工な十両までの経験しかない力士だった。この辺、もろに金絡み。政略的結婚。私は娘が気の毒になった。まあこんな理由でこんなのと結婚するぐらいだからその程度の娘なのか、と思ったが、横綱伝達式の時に金親と並んでいるのを見たら、金親にはもったいない美人だった。)

・これによって金親が宮城野の名跡を継ぎ、新親方となった。竹葉山は熊ケ谷に変更し、部屋附き親方となった。

(屈辱だったことだろう。宮城野部屋出身の大関にでも譲るのならともかく、自分が育てた部屋の利権欲しさに未亡人が仕掛けた罠で、他所の部屋のろくでもない元力士が婿となって来て、格下げになるのだ。そしてそれが自分の育てた白鵬の親方を名乗るのである。

 でも竹葉山もたいした力士じゃなかったからしょうがない。実績のある力士なら後援会もついていたし、金もなんとかなったからこんな事件は起きなかった。未亡人がそうやって暴れたとき、竹葉山が宮城野株を買取る金があったら起きていない問題なのである。なにしろ「ちくばやま」と読めるひとがほとんどいない程度の力士だ。幕内は一場所だけだったか。字面ならだれもが「たけばやま」と読む。)

・金親は晴れて横綱目前の大関白鵬を擁する宮城野部屋の宮城野親方となった。天にも昇る気持だったろう。
 愛人相手に、白鵬横綱昇進の一番を八百長で仕組んだと愛人に寝物語で語る。愛人はそれを録音していた。そのテープを出版社に持込み、週刊誌記事になる。


(金親は分不相応の地位と、親方の娘という両方を手に入れたのだが、裏ではこういうことをしていたのだから、夫婦仲が不仲だったことが判る。この愛人とは金親の元々の結婚を約束した恋人だったのだろう。それが自分を捨てて政略結婚したことへの腹癒せからこんな行動をした。金親は、横綱を擁する親方として悠々自適の日々を送りつつ、かつての恋人をそのまま愛人として囲いたかったのだろう。だが女はその屈辱を受けいれなかった。竹葉山は白鵬と別れがたく屈辱に甘んじた。女は愛情の冷めている金親との今後の愛人生活より、週刊誌にテープを売って得る現金を選んだ。

 金親を不細工と書いた。実際醜男なのだが、世の中にはデブフェチというのか力士フェチというのか、そういう女がいるので、不細工デブでも力士は一部の女にめちゃくちゃもてる。金親の容貌を知らないひとは安田大サーカスのヒロくんを思いうかべてくれるといい。あれをもっと悪相にした感じだ。)

・今回、親方株を交換し、晴れて竹葉山が宮城野部屋親方に復帰した。金親は、立場を替えて部屋附きの熊ケ谷親方になる。

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 親方株を取りあげられたとき、竹葉山は、金さえあれば白鵬を連れて独立し、熊ケ谷部屋を作ったろう。だが金はない。白鵬のためにも屈辱を受けいれるしかなかった。バカな金親が調子に乗って起した問題は竹葉山には起死回生の逆転となった。

 しかし──これがいちばん重要かも知れない──そういう事件ではあったが、今年の野球賭博事件や、それによるNHKの中継中止のような相撲協会を揺るがす大事件がなかったら、この問題はうやむやにされてしまった可能性は高い。武蔵川理事長のもとで、「人の噂もなんとやら」でほっておかれたろう。だからこそ私は、今回の決定をこころから寿ぐのである。そして、力士時代、八百長をやらないことで有名だった放駒(元大関魁傑)は、逆にそういうことばかりやるので有名だった武蔵川(元横綱三重の海)とはちがうなと思うのだ。その意味で、いやこれも含めたいろんな意味で、「野球賭博事件」は表に出てよかったと思っている。豊ノ島の、あの事件によって十両まで落され、そこで優勝し、先場所14勝という物語≠焉Aあの事件があってこその副産物だ。

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 最も肝腎な八百長の話だが、私はあったと思う。白鵬が勝つように朝青龍側に300万渡したという話。
 この場合、白鵬も朝青龍も知っていたのか、白鵬は知らない片八百長だったのか、あれこれ推測できるが、根本は、これはよくある「安心料」ということだ。実力でも白鵬は朝青龍に勝てる可能性は高かった。だが千代の富士がやったように、万が一があるから、安心料として含ませたのだ。

 これがウソであるとしたら、金親が「逆玉になってもまだ続いている元恋人に、おれはこんなにビッグになったのだと自慢したくて、ついついほらを吹いた」という場合が考えられる。

 結論として私の場合、どっちでもいい。大事なのは観戦する相撲がよい内容かどうかだ。琴櫻や三重の海がやった「無気力相撲」というのはほんとにひどく、見ていて腹が立ついいかげんさだった。そのふたりが名親方になったのは皮肉だが、逆にまた力士の機微に通じていたから、とも言える。
 大鵬はその種の一番に関して「観客に判らず、いい相撲だったとうならせてこそ本物」と言っている。大鵬の場合は最後の優勝になる対玉の海戦が有名だ。

 私はずっと白鵬を応援しつつ対朝青龍戦の相撲を見てきたが、もの足りなさを感じたことはない。だからそれでいい。ショウスポーツは観客を納得させることが最重要テーマだ。
 とはいえ本割で白鵬が勝ち、優勝決定戦は朝青龍の勝ち、なんてのを何度か見ると、談合かいと思ったけれど。というか今でも思っているが(笑)。

 要するにその辺のことはどうでもいいのだ。そのどうでもいい私でも、この金親が親方という宮城野部屋未亡人によって仕掛けられた話は不快だった。それが解決して、相撲ファンの年の瀬としてはまことに気分のいい締めとなった。

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 金親が結婚してからも愛人とつき合っていたように、母親に無理矢理結婚させられた美人の娘の方にも前々からの恋人はいて、結婚後も続いていたように思う。典型的な假面夫婦だ。元々よくない夫婦仲も、あの事件以降より冷えこんでいたろう。こどももいないし、離婚になるのではないか。

 すべてを仕掛けた未亡人にしても、部屋運営権が竹葉山にまたいってしまうのなら、金親なんてのと娘を結婚させておく意味はない。むしろもっとまともな男を選んでいればこんなことにはならなかったと今は憎さ百倍だろう。

 となると、金権である親方株は未亡人のものだから、それをいくばくかの金(むかしは3億円と言われたが今はどれぐらいなのだろう。ゴタゴタ続きの相撲業界だが、なんとか1億ぐらいの価値はあるのか)で竹葉山に売却し(竹葉山も今は白鵬を育てた名伯楽としてそれぐらいの金は作れるだろうし、白鵬が肩替りしてもいい)、そこから金親に涙金を渡して離婚、娘は晴れて好きな恋人と再婚となるだろう。あの娘さんにはさっさと金親と別れてしあわせになってほしい。金親の方は週刊誌にテープを持ちこんだ愛人との復縁は無理だろうな(笑)。
 まあめでたしめでたしの結末。よかった。




壁紙とGIFはhttp://sports.kantaweb.com/より拝借しました。
感謝して記します。

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