-2002-2003


02/9/23 寺尾引退(02/9/23)

 朝七時過ぎ、日テレの「ズームイン朝」に寺尾が出ていた。目標としていた四十歳を目前に昨日の「秋場所」で引退である。女房と子供も一緒に出ていて、司会の女がやたら「奥様に捧げた一勝」のような言いかたをするのが癇に触った。相撲の世界はそういうのと違いところにあるからいいのだ。女房のほうは、普段はでしゃばらないようにしていて、昨日が初めての国技館での観戦だったと言っている。渋い。さすが力士の妻だ。なのにその司会の女が安っぽい今風の夫婦物語にしようとするのが不愉快だった。イヤな世の中である。

 あの内舘牧子というブスオババが大相撲審議委員をやっているのがいやでたまらない。プロレスに関わるのはまあいいけどさ。蝶野が女とドームで闘う時代だから(笑)。土俵は女を上げないのだから女の委員もいらないよ。ほんとジャマだ、あのオババ。それはともかく。

 司会の福沢に「思い出の一番」を訊かれて、寺尾は保志(後の横綱・北勝海)との相撲を挙げていた。なんでも、それまで一度も勝ったことがなくてやっと勝てたときだったとか。昭和六十年だった。すぐに用意されていた勝負のヴィデオが流れた。いやはや二人の動きが早いの何のって、激しく闘うすばらしい一番だった。よく言われるように、ぼくは寺尾の相撲を見て「まだまだ取れる」と思っていたのだが、このいちばんを見たりすると、いかに今の寺尾が動きの鈍い年寄りになってしまっているかがわかる。引退はいい潮時だったろう。

-------------------------------

 印象深い寺尾の相撲では、千代の富士(引退しているからかATOKでは変換できないようだ。かつての大横綱クラスは入れておくべきだろう。まして国民栄誉賞なのだから)との一番を思い出す。これは「八百長論」を語るとき、絶対に欠かせない一番だ。

 寺尾は土俵中央で、千代の富士に垂直に抱え上げられ、二丁投げのような形で真横にたたきつけられたのだ。釣り落としである。なんともすさまじい決まり手だった。大人と子供である。中学生が幼稚園児を叩きつけたようなあまりに格の違う相撲だった。しかも体格は同じなのである。両者の力の違いを見せつけた一番だった。いかに千代の富士が強いかだ。決まり手の後、いつまでも場内はざわめいていた。解説者が戸惑っていたのを覚えている。そんなことをしてまで勝つ必要はないのだ。これはプロレスも同じなのだが(プロスポーツはみな同じか)、後々までいちばん悔やむのは相手を怪我させてしまうことである。それで金を稼いでいる人間が、同業の稼ぐ方法を奪ってしまったら大きな悔いになる。なのになぜ千代の富士はあんなことをしたのか……。

 後に知る。この日、寺尾は千代の富士から注射(八百長勝負)を持ちかけられて断っているのだ。それに怒った千代の富士が満座の中で恥をかかせるように叩きつけたのである。以後、寺尾は千代の富士に一切逆らわずおとなしく注射も受けるようになった。

 ここに大相撲における八百長のなんとも不可思議な実態がある。大相撲の八百長の基本は、七勝八敗の力士が勝ち越して幕内に残るために、すでに九勝を挙げている力士(あるいは負け越しても十両に落ちない地位にいる力士、すでに負け越して陥落が決まっているからどうでもいい力士)に金を払って確実に勝たせてもらう形である。それが純粋な(?)八百長であり、相撲の八百長とはみなそういうものだと思っている。ところがこういう形の八百長もあるのだ。

 だって、誰だって素朴に思うでしょ? 「そんな強い勝ち方の出来る人が、なんで自分より弱い相手に負けてくれってお金を払ってまで頼むの?」って。
 勝ちを譲れと言った大横綱、最強の千代の富士の申し込みを寺尾は断った。その結果、まるで大人と子供のように、釣り落としで叩きつけられ満座の中で恥を掻かされた。そんなに力が違うのに、千代の富士はなぜ八百長を持ちかけたのか。

 それはこういうことだ。千代の富士と寺尾では力が何枚も違う。百回やっても九十九回は千代の富士が勝つ。が、勝負は一番勝負の本場所である。千代の富士はガチンコ勝負しかやらない大乃国等を始めととする何人かとの勝負があるから、終盤ギリギリまでは星は落とせない。確実に勝てる取り組みは100パーセント確実に勝っておかねばならない。百回やって九十九回勝てる寺尾だが、立ち会いの変化などの奇襲により、百にひとつの星を落としたら優勝に影響する。だから絶対確実に勝つために、わかっているなと因果を含める。百回やっても九十九回負ける相手から金を払うから負けろと言われたら誰でも受ける。だが負けるとわかっていても最強の横綱と本気でやってみたかった寺尾は断った。よって公開リンチのように叩きつけられたのである。後々のため、及びその他の反発する力士に見せつけるために千代の富士も必死だったことだろう。

 千代の富士の輝かしい記録が、そういうことによって重ねられたものであるのは事実だ。だから彼には人望がない。おまけにケチだから嫌っている人のほうが遙かに多い。北の湖とはまったく違う。彼が相撲協会理事長になれるかどうか(本人はなりたくて運動している)極めて疑問である。
 が一方でまた、彼が実力的に最強であったのも確かなのだ。八十年相撲を見てきた父とそういう話をしたとき、双葉山でさえ知っている父が、最強は千代の富士だろうと言ったのは忘れられない。私は大鵬最強説を譲らないけれど。(これは世代とは関係ない。私は〃巨人、大鵬、卵焼き〃の世代だが、それらをみんな嫌いだった。大鵬最強説を唱えるようになったのは、その前の栃若時代から、後の北の湖、輪島から千代の富士時代、貴乃花の現在までを見てそう思うようになったのである。あの懐の深さと腰の重さは史上最強であろう。)

 強さとは何かと考えるとき、この寺尾との一番に関するエピソードは極めて興味深い。これはプロレスにおいて、私がルー・テーズを尊敬し、カール・ゴッチを無視することにも通じる。

 その一件で世渡りを悟ったのか、元々兄のサカホコ(ATOKで出るわけないな、作ろう)逆鉾は、中盆(八百長話を仕切る人)だったから、後の寺尾は勝ったり負けたり、上がったり下がったりを繰り返し、息の長い力士になって行く。今回負け越して、幕下落ち(幕下からは無休。給料のもらえる力士とは十両以上)で引退だが、ここまで取れば悔いはないだろう。

 貴闘力も引退である。こちらはガチンコ一筋の力士。これは娘婿となって大鵬部屋を継ぐから安泰だ。今で言う逆玉になる。これまたその逆玉が決定しているのだから早く引退しろと言われつつ、相撲が好きで好きでとうとう幕下に落ちるところまで引退しなかった。幕尻での優勝が懐かしい。引退会見での涙は美しかった。佐々木健介の親友である。
 なにはともあれ、なじみの力士が消えて行くのはさびしいものだ。


戦暦

生涯戦暦
860勝938敗58休(140場所)
幕内戦暦
626勝753敗16休(93場所)
十両優勝/2回
殊勲賞/3回
敢闘賞/3回
技能賞/1回
金星/7個
得意技/突っ張り

初土俵/昭和54年七月場所
新十両/昭和59年七月場所
新入幕/昭和60年三月場所
新三役/平成元年三月場所
最高位/関脇


03/1/14
 かっこわるいかっこよさ

 昨日の貴乃花を投げた雅山の二挺投げはすごかった。土俵上であんな柔道技のような凄いのは見た覚えがない。あいつはろくでもない力士なのに時折こんなとんでもないことをする。いや、ぼくの地元力士だし子供の頃から目立っていた存在だから決して否定しているのではない。ただ根性の悪そうな顔が気になる。金持ちの御曹司なのだが。顔の問題は大きいのだ。

 貴乃花、休場だろうか。朝八時過ぎに眠るとき、フジテレビのワイドショーを見たら、報知以外のすべてのスポーツ紙が一面で「貴乃花、引退か!? 抗議電話殺到」と報じていることを紹介していた。抗議電話は同体取り直しに関してだ。たしかに同体ではあるが仕掛けた雅山と投げられた貴乃花だから、あれは雅山の勝ちだったろう。いわゆる死に体というやつだ。初日、二日目と勝ちはしたがひどい内容だった。とうとう今回の怪我で引退だろうか。心配である。
(極力難しい漢字は使いたくないぼくとしては怪我もケガと書きたい。が最近知ったことだが、怪我は日本で作った単語であるとか。中国にはない。よって使うことにしている。)

 貴乃花に感動するのは、引退しないことである。相撲が取りたいのだ。すでに功成り名を遂げていて今後の人生も親方株からなにから何の心配もない。ナベツネを始めあれだけ外野に好き放題言われたらもう面倒になって引退したくなるだろう。なのにしない。それは「相撲が好きだから」である。若貴を語るとき肝腎なのは、貴は父親に憧れ子供の時からお相撲さんになるんだと志していたこと、若は相撲が嫌いで弟に引きずられるようにつきあって相撲取りになったということである。あどけない子供の頃のヴィデオを思い出す。その時の「お願い」は、一日の小遣いが50円なのでもっとあげて欲しいというかわいいものだった。先日5億円の新居を建てたが。
 貴乃花はお父さんが大好きだった。相撲が大好きだ。それが基本である。今じゃあんなパラバラの家族になってしまったけど。

 貴乃花に引退勧告をどうのこうのという記事を読むたびに、あれだけの大横綱が相撲を取りたくて、みっともないことは百も承知で、それでも引退せずにがんばろうとしているのだから、それでいいじゃないかといつも思う。
 大横綱千代の富士を負かした十八歳の少年貴花田も美しかったが、今の無表情で、誰になにを言われようと土俵に執着する貴乃花も、みっともないからこそ別の意味で美しいと思う。



 その雅山が今、朝青龍との一番を終えたところ。後ろ向きになったところを朝青龍が雅山の左膝を取って上体を後ろから押すという日本相撲にはない奇妙な技で勝った。(決め手は送り倒しになっていた。)
 雅山は膝を土俵に痛打し起きあがれない。怪我をしただろうな。休場か。モンゴル相撲の最も危ない面が出た一番である。

 モンゴル相撲には土俵がない。相手を倒してのみの決着である。よって足首をつかむような、寄り切りを主体としてひたすら大型化した今の日本の力士にはとんでもなく危ない技が登場することになる。旭鷲山が登場したとき、怪我をするからとみな取り組みをいやがった。

 貴乃花がひたすら体を大きくしたのは曙や武蔵丸に圧力負けしないためだった。150キロは必要なかったろう。相撲としては120キロのほうがおもしろかったはずだ。でもせねばならなかった。私は朝青龍のおもしろい相撲を支持するが、プロスポーツにおいては怪我をしないことが一番だから、これはこれで問題なのだろう。先場所の休場力士だらけはひどかった。かくいう今場所も二横綱、二大関が休場しているが。いや、そうじゃないな。プロスポーツの最大の目的は金を払った客を満足させることだ。思わず本末転倒してしまった。怪我ウンヌンは当人達の問題で外野のぼくが懸念することではない。

 大相撲がおもしろくなくなった遠因は、サモア系の力士を入れることにより、対抗手段として大型化が進んだことにある。ぼくは中型力士の早い相撲がすきなので、アンコ型ばかりになることに反対だった。それみたことか、という気持ちもある。

 貴乃花ファンとして唯一気がかりだったのは宮沢りえのことだった。あれはりえの母親の問題で、しきたりの厳しい相撲界ではとてもあの母親は認めがたく、仕方ないことだったのだが、その後の彼女の激やせや目を覆うばかりの不調は気の毒でならなかった。いま彼女がいくつもの賞を受ける女優として開眼したのはまことに喜ばしい。先月書いた「たそがれ清兵衛」の時、ヒロインが彼女だとは知らなかった。なかなかの佳作らしいけど、藤沢周平の作品ではないね。あのストーリィは。

朝潮と朝青龍(03/1/18)

 貴乃花が出島の突進を受けきれず完敗。さすがの貴乃花びいきのぼくも覚悟を決めた。この後休場して、完全に故障を治しさらに三場所後に再起を目指す、というならまだ支持するが、それはもうしないだろう。出来ないだろう。周囲の状況がそれを許さない。どっかの週刊誌が書いていたけど、休んでいるのはいわゆる給料泥棒になるわけだ。もちろんそんなものの何百倍も彼は相撲界に貢献してきたわけだが……。なんか益々つらい状況になってきた。



 朝青龍は横綱になる。以前、旭鷲山が前頭筆頭になったとき、モンゴル大統領より給料が高く、世界でいちばん高給取りのモンゴル人と話題になったことがあった。たしかあのとき、モンゴル大統領の月給は30万円と報じられた気がする。
 朝青龍は幕内どころか大関だからして、今はもう間違いなく世界一高給取りのモンゴル人なわけである。これで横綱になったら、今はすべてが停滞している、かつては世界一の大国であったモンゴルで、チンギス・ハン以来の英雄になるといっても過言ではないだろう。

 すぐ上の兄は新日でブルーウルフの名でくっさいプロレスをやっている。今度アマレスのチャンピオンでもあった長兄がPRIDEに出てくるという。それもこれも朝青龍効果だ。弟がそこまで稼いでいるのを見たら兄も黙っていられないだろう。ぼくなんか正直な気持ち、いま28歳の兄が相撲界に入ってくれた方がいいと思うけどね。日本人との体格の差もあり、三十までに関取になり、三十五ぐらいまで大活躍できるのではないか。年齢で区切ってしまう大相撲は、ちと狭い。智の花の例もあるし。

 私の父は朝青龍を高く評価しつつも、やはり日本人力士のふがいなさに不満を覚えているようである。私も基本は同じだけれど、単にでかいだけの小錦のようなサモア系力士の席巻よりは、モンゴル人には相撲という共通のものがあるので好感度はずっと高い。
 朝青龍に対する好感度と言えば、高校時代に相撲留学してきたという経歴なのに、ほんとに日本語がうまい。これは才能なのだろう。なぜなら旭鷲山を始めとする先輩モンゴル人力士よりも遙かにうまいから。
 あと望まれるものは「品格」である。これはけっこう難しいだろうな。二十二歳という生意気盛りで頂点まで駆け上ったのだから。親方の朝潮も、あまりキツいことを言えなそうだし(笑)。



 朝青龍のことで強く思うのは、朝潮の運の強さである。近畿大学相撲部から鳴り物入りで角界入りした長岡は、二代目朝潮の大名跡(先代は横綱)をもらったが、二流の大関で終った。若松部屋を起こして獨立したが、格別優秀な弟子もいず、本家高砂一門の傍流として終るはずだった。
 息子二人が横綱になったというあくまでも希有な例(歴史的奇蹟!)は別格として、豊ノ海、安芸の島、貴闘力、貴の浪等の関取を育てた初代貴乃花(現在の二子山親方)のように、相撲界とは、時代の寵児となった人気力士に若者が憧れて弟子入りしてきて、その親方の部屋が繁盛するというのが通常である。相撲博士と言われた技能派大関旭國が横綱旭富士を育てたのも、〃いい人〃で有名だった大関魁傑が横綱大の国を育てたのも、みな現役時代の人気の副産物である。図抜けた人気を誇った初代貴乃花が、多くの関取を育てたのは当然の結果であったろう。まあ、この話をすると、どうしても関連として、親方株売買うんぬんで角界を追われた天才輪島のことを思い出すが……。
 その観点から見ても、朝潮は決して大関横綱を育てられる伯楽の器ではなかった。

 二代目朝潮は醜男だった。人気もなかった。これは大きい。初代は眉毛が太く異形であり、いい男ではなかったが、長島、王と一緒に少年サンデー、マガジンの表紙を飾る人気者だった。
 しかし二代目朝潮は、でぶでみっともない顔をしていた。相撲もさして強くなかった。そこで終るはずだった。それが本来高砂部屋を継ぐ予定だった水戸泉の女性問題とかいくつもの要素が絡み、あれよあれよという間に傍流の若松から一門の最高名跡である高砂を継ぐことになる。この運の強さは凄い。そこに高校生時代にスカウトしておいたたいして期待もしていなかったモンゴル人の朝青龍(ついでに言えば朝赤龍も)の、大出世である。運が重なっている。
 
 優秀な弟子を抱えればそれだけで一気に台所の潤う相撲界では、将来性のある力士のスカウト合戦をしている。アマチュア横綱、学生横綱には、三千万、五千万のスカウト金と共に親方株の保証とかを並べ立て、なんとか自分の部屋に誘い込もうとする。いちばん有名なのが久島海のときだった。
 このとき、誘われる方が考えるのは、その親方の地位になる。現役時人気力士なら、憧れがあるのだから文句はない。そうでなかったら、後は出羽の海系とか、主流にいるか否かである。そのことが出世に大きく影響する。引く手あまただった久島海が出羽の海部屋を選んだのもそれである。
 このことでいちばん有名なのは弱小部屋所属故、並の大関以上の安定した成績を上げながらとうとう大関になれなかった長谷川だろう。同様に、二代目朝潮の若松親方には何もなかった。

 相撲部屋の運営とは、相撲協会という本社に対してそれぞれの部屋という支店がいかに発言力をもつか、それに酷似している。弟子の数に対して育成金が支払われる。その弟子が、十両、幕内と金を稼げる存在になったらたいしたものだ。さらにそれが大関だの横綱だのになったらたいへんな騒ぎである。一気に本社での取締役をねらえる立場になる。

 逆の言いかたをするなら、息子二人を横綱にするという大相撲史上前代未聞古今未曾有の大快挙を成し遂げながら、未だにたいした地位にいない初代貴乃花の器量である。理事長になれず引退することになるだろう。
 でもまあそれはそれでぼくのような相撲好きにはそれでいい。これで二子山親方に名理事長にでもなられたらかえって神様みたいでけむたくなる。
 親父(世間的には兄)の反対を押し切り、出世途上の身でありながら駆け出しの年上女優(まあ水商売のホステスと大差ない)と強引に「できちゃった結婚」をした彼は、名大関(こんな言いかたはあるのか? ほんとの名大関なら横綱になっちゃうよな)の地位を全うし、そして最高の弟子を育てるという栄誉を得た。これだけでもう二百点満点だ。
 そうして一方、現役時は不人気だったけど、あの頃から抜群の人柄を評価されていた北の湖が理事長になる。それでいいでしょ。


 本線にもどして。
 二流大関の二代目朝潮は、初代貴乃花のようにハンサムな小兵で熱狂的な女性ファンを獲得したわけでもなければ、旭國のような玄人受けする業師でもなかった。笑顔を見ただけで応援したくなる魁傑みたいな魅力があるわけでもなかった。ただのでぶのぶさいくな二流大関だった。よって「朝潮関に憧れました。朝潮関のような力士になりたくて弟子入りしました」なんて弟子がいるわけもなく、そのまんな高砂系の弱小部屋二流親方で終るはずだった。やっとスカウト出来たのは二子山部屋のような人気部屋では鼻も引っかけないようなモンゴル人の弟子だった。

 奥さんの芋縄恵さんもそう思っていたはずである。この「婚約会見」はよく覚えている。芋縄さんは「テレビで見ていたよりもずっとハンサムでした」と言った。オシャレだね(笑)。朝潮、顔中うれしさでくしゃくしゃである。だってあんなぶさいくな大男が、最高にかわいい二十歳の女子大生を奥さんに出来たんだもの。おっきなタオルで顔の汗を拭きつつ満面笑みで会見していたっけ。最高級の美人の女房(どっかの短大卒だったかな)をもらって、三国一のしあわせもの、のような顔をしていた。ありゃもうどう考えても後援会筋からの政略結婚だったよね。でも「テレビで見ていたよりずっとハンサムでした」と言った恵さんのしゃれっ気にぼくは惚れたのだった。だからこそそのときの会見を珍しい名字と共に記憶している。そりゃまあその筋同士と言ってしまえば身も蓋もないが。
 恵さんも、高砂親方という大名跡を継いだ朝潮に、「やっぱりこの結婚は正しかった」と思っているだろう。よかったよねえ、あの結婚は。いわゆるあげまんだ。

 朝青龍は強い。いい相撲取りだ。彼が今場所も優勝し横綱になることに大賛成である。
 と同時にぼくは、高砂親方、よかったねえ、おかみさん、よかったねえ、とかってに祝福したいと思っているのである。
 後は、その朝青龍を倒す日本人相撲取りなのだが、それがぜんぜん育っていない。ここんところは、心底なさけない。

今まで何度か相撲関係の写真を『作業記録』に入れたことがあったが、いつもスポーツ紙からの借用だった。今回は初めて相撲関係のサイトを探し、その充実ぶりに感嘆した。思えばこれだけの支持層を持っているのだから充実していて当然なのだが、いやはやこれはうれしい驚きだった。過去の名力士の写真も(とはいえ昭和50年以降だが)入手するのにそれほど苦労はないようである。ありがたい。(5/15)


 今まで朝潮が名乗っていた「若松親方」は、いま琴錦なんだねえ。相撲はこれをおぼえるのが面倒なのだ。

貴乃花引退
(03/1/21)

 朝、ワイドショーはすべて貴乃花引退かのニュース。二子山部屋前からの中継。昨日の安美錦との一番で覚悟を決めていたのでショックではない。初対決で金星を挙げた安美錦は、まさか自分が大横綱の最後の相手になるとは夢にも思わなかったろう。
 今朝のスポーツ紙の一面全部がそのニュースだとテレビは伝えている。「スポーツ紙に12チャンネルはいなかったか」と苦笑する。

 昭和天皇の容態悪化が伝えられ、テレビが皆自粛路線、昭和を振り返る特集になったとき、唯一お気楽な演歌番組を連発して視聴率を稼いだのが東京12チャンネル(現在のテレビ東京)だった。
 この手法はよくつかわれる。スポーツ紙の一面の記事を何にするかはデスクの腕の見せ所らしく、たしかにぼくなんかは一面で左右されるから、誰もがサッカーなら野球、逆にまた誰もがジャイアンツならゴルフと、その知恵の絞りどころは見ていて楽しい。
 きょうの貴乃花引退も、この季節だからというのがある。これがもしもペナントレースたけなわの時だったらどうだったか。みんなが貴乃花に走るから松井で行こうとか、そんなのも一紙ぐらいはあったのでばないか。それでも、たとえばタイガー・ウッズがぶっちぎりで優勝というようなものだったら、そちらに流れることはなかったろう。日本人は情の民族だから自国の横綱の引退を外国人の話にすり替えることはない。

 9時40分に引退確定。部屋から出かける親方が引退ですかの問いに「はい」と応えてクルマに乗った。その後、寝てしまったので午後2時半からの記者会見はリアルタイムで見ていない。五時過ぎの大相撲中継の中で見た。引退という区切りにより、雄弁で明るい貴乃花がもどりつつあった。とにかく彼にとって、あの宮沢りえとの婚約発表、破談は大きく、マスコミにたたかれたこともあり、一気にむっつりして笑顔のない陰気な男になってしまった。これからはまた笑顔も見られるようになるだろう。
 今テレビでは数々の記録を紹介している。明日のスポーツ紙からコピーしてここにも貼ることにしよう。十九歳で史上最年少の幕内最高優勝を成し遂げ、二場所連続全勝優勝の文句ない成績で横綱になったときは(これも宮沢りえ問題がなかったらもっと早く昇進していた。あのことによって審査を厳しくされた)大相撲の記録を全部書き換えるのではないかと思ったものだったが、結局怪我に泣き、優勝も22回と史上四位だった。

 この怪我に関しては、NOAHの(ぼくにとっては全日の、だが)小橋を思い出す。共に致命傷となったのが膝だからではない。貴乃花の怪我に対する姿勢は、極めてプロレス的だった。我慢をして、無理をして出てしまうのである。小橋も馬場に休めといわれるのに出続けてとんでもない状況を招いた。貴乃花も同じである。怪我を押して激しい相撲を取ることで力士生命を縮めた。それは強い責任感の表れと美学に採ることもできるが、若気の至りとも言えるだろう。自分の肉体に対する自信過剰だ。
 対照的なのが千代の富士だった。平幕時代から肩の脱臼でさんざん悩み、そのことで出世の遅れた千代の富士は、バーベルによる筋肉補強でそれを克服し、遅まきながら出世街道を歩み始めると、絶対に怪我をしない相撲を心がけた。よって「取り組み前から勝つことが確定している相撲」を仕掛けるようになる。それは身体能力に恵まれていた貴乃花や小橋には無縁の発想だったろう。その手法で三十代半ばまでとり続ける長命横綱となり、大鵬の優勝回数32回に1回及ばない以外は、すべての記録を塗り替えた。この優勝回数も更新は可能だったが、さすがにそこまで政治的手法でなにもかも好き勝手にやる彼に周囲が大反対し、仕方なく諦めたといういわくがある。貴乃花が千代の富士的横綱を心がけたなら、もっともっと長命で、怪我に悩むこともなく、数々の前代未聞空前絶後の記録を積み重ねたことだろう。なにしろ千代の富士とは身体能力が違い、出世の速さが違う。彼の美しさは、そうしなかったことにある。
 一昨日、ひさしぶりにサトシのホームページを覗き、去年の11月の高田引退に関するサトシとchikurinさんのやりとりを読んだ。
 サトシの女的溺愛型路線は相変わらずで微笑ましい。百獣の王ライオンは我が子を鍛えるため千尋の谷底に落とすと言うが、サトシの場合、自分も我が子と一緒に谷底まで着いて行くような愛し方だ。岩陰から見守っている。薬はもちろん好きなお菓子まで用意している。これじゃ何のために谷底に落としたのかわからんとも思うが、それはともかく。
 驚いたのは、その翌週に発売されたプロレス雑誌を読んでいたchikurinさんが、久々に集合したU戦士の写真を見て、人前(地下鉄の中)で泣いてしまったという箇所だった。

 こういう思いこみは人それぞれである。ぼくがプロレスに関していちばんうろたえたのは馬場の死だった。親戚のおじさんおばさんが死んでも何も感じないようなヤツなのに(だって血の繋がっている親戚といっても、それ相応のつきあいがなかったら他人と同じである)あの時はたいへんなことになったとおろおろしたものだった。ずいぶんと泣いた。chikurinさんと同じよう、まったく関係のない場にいて、「馬場さん、死んじゃったのか」と思ったら涙が出てきたのだから、これは本物(?)だ。
 chikurinさんとは年齢もプロレスファン歴も違うけど、あれはやはりのめりこんだ時代の差なのだろう。ぼくにとってもUWFは思いこみのある団体だったが、その離合集散、発展消滅の過程に関しては割合クールだった。センチメンタルになることもなかった。裏事情を全部知っていたからかもしれない。毎度言う例えだが、大仁田の電流爆破マッチを極右とするならUは極左だった。共に「反体制」を売り物にしたキワモノであることにかわりはなかった。
 さすがに前田がひとりぼっちになった時はショックだったが、そのときも、それはそれで現実なのだろうと、割り切りは早かった。ぼくの場合もchikurinさん同様、すべてのU戦士の中でいちばん好きだったのは前田になる。

 ぼくは高田引退で泣けなかった。過日書いたガムくちゃくちゃに対する「相変わらずバカだなあ」がすべてである。彼はみんなに愛されたバカ殿様だった。この場合、大切なのは「みんなに愛された」なのだろうが、どうにもぼくは「バカ殿様」の部分も無視できないのである。田村に対する「おまえは男だ」まではよかったが、そのあと桜庭に「おまえは男の中の男だ」と言ったら(笑)、田村に対するのが褒め言葉じゃなくて、桜庭にそれを言うための前提としてのおちょくりになっちゃうじゃないかと、ここでもバカだなあと思った。
 貴乃花に対する想いはUWFより深い。Uと同じく、理想の家族と言われた一家はばらばらになり、兄弟仲まで悪くなり、無愛想で口も利かなくなりと、土俵外のことでさんざん話題になったが、「相撲」という意味で、シンプルに一本筋が通っていたからだろう。
 それは組織がしっかりしていたからだ。前田やSWSの田中社長や、みんなが目指したのは大相撲協会のような組織の設立だった。そこは元力士によってすべてが運営されており、引退した力士の受け皿にもなっている。ミスター高橋の暴露本も、引退したレスラの受け皿としてガードマン会社を作ろうとして、その話が破綻したことによる金銭の恨み辛みが遠因となっている。
 貴乃花を前田や高田より安心して愛し続けてこられたのは、彼の所属する組織の完成度から来ているのかもしれない。もちろん愛の深さは、安心して愛し続けてきたもののほうが深いとは限らない。

 思いつくままに書いていたらこんな結論になってしまいました(笑)。
 今から特番を録画する予定。きょう、号外が出たんだね。すごいや。
 残念なのは、貴乃花が千代の富士を負かした時分のように、次代を担う新しい力に負けてのさわやか引退とならなかったことだろう。それどころか明日の相撲界を思うと真っ暗けである。来場所は、このままだと魁皇、千代大海、栃東、武双山の大関四人が全員角番という珍事になる。

 貴乃花は、ここ八年ぐらい笑顔を封印していた。引退したら、むかしの陽気で雄弁な青年にもどってほしい。親方とも親子にもどってください。お疲れ様でした
引退撤回

 引退撤回といえば、貴乃花が丸二年完全休養して復活できたなら、あと10回優勝できるぐらいの力はまだ残っている。それを許さないのが大相撲の美だ。
 引退会見で印象深かったのは、「膝の調子は最近ではいちばんよかった。しかし肩を怪我してしまったので」と言った後、それを言ったら雅山を責めることになってしまい、また敗れた出島や安美錦に失礼と思ったのだろう、一転して、「怪我をしたのは自分の責任である。肩の怪我がなくても(出島や安美錦に)負けていた」と何度も慎重に主張していたことだった。横綱としての心優しい気配りであったが、同時にあの肩の怪我が不運に輪を掛けたのだ、あれさえなかったらもしかしたらと、思わずにはいられなかった。出島戦安美錦戦など片手で取っているのだから勝てるはずがない。

 とはいえ初日、二日目ともひどい相撲だったし、今回あらためて全盛時の曙とのすさまじい相撲を見たら、今の貴乃花がもう貴乃花じゃないのは確かだった。最強のライバルとして曙の名を挙げていたが、たしかにそれは間違いなく曙だった。彼に負けないために体を150キロまで大きくして内臓を悪くしてしまった。その意味じゃ最も影響を与えた力士になる。全盛時でも並ぶとかなり大きさが違う。183センチと200センチだから17センチの身長差は大きい。あの頃で体重差は65キロか。
 貴乃花や曙(大鵬も北の湖も)の全盛期が二十代半ばであり、三十歳近くにはもう満身創痍でボロボロであった相撲という競技の性格から考えても、千代の富士が三十代半ばで全盛を誇ったことがいかに異様であるかがわかる。

 といえば、日本語もうまくなり、解説もなかなか上手で、とても評判がいい。私も最近見直している。でも横綱としての特例親方の期限は5年しかないし、まだ親方株はもっていない。どうなるのだろう。今後のためにも彼を手放すのは相撲協会のためによくないと思う。小錦はどうでもよかったが。
 彼の場合も相原勇と結婚しなかったのは正解だった。後援会重鎮の前でも「いか天」と同じノリで顰蹙を買った彼女におかみさんは無理だったろう。貴乃花の宮沢りえ同様、これもやはり別れてよかったのだ。だが曙は相原勇問題で後援会が解散してしまい資金面から親方株が買えなくなったのである。彼女とのつきあいで失ったものは大きかった。そういえば立ち読みだがそれらのことを書いた相原勇の本を読破したな(笑)。今は何だっけ、オバラショーコとかそんな芸名だったか。
(03/5/17)
 相撲中継が「もういちどみたい名勝負。視聴者からのリクエスト20」をやっていた。
 1位は「昭和三十年春場所。大内山対栃錦」。ほとんどの勝負を知っていたし予期できたが、さすがにこれは知らなかった。というかこの時ウチにはまだテレビがなかったから、父も映像で見たのは初めてではなかったか。さすがに1位になるだけあっていい勝負だった。

 ぼくの相撲ファン歴は「栃若時代」からなのだが、こんなのを見せられると「柏鵬時代」からなのかと思わざるをえない。栃若は大関横綱になってからだ。ファン歴とは日の出の勢いの時を知っていてこそである。日野市高い残──ひどいねえ、MS-dos時代のFepを思わせる誤変換だ──日の下開山からでは真のファンとは言えまい。考えさせられた。

《ひどい立ち会い》(03/5/18)
 きょうの大相撲の懐かしの一番は昭和52年の北の湖対輪島。たまげた。その立ち会いのいい加減さにである。両者ともほとんど中腰で立っている。ぶつかり稽古のようだ。
 そうだったと思い出す。仕切りにしっかり両手をついての立ち会いが、次第にいい加減になり、あんな感じになっていた。さらに無気力相撲の横行やあれこれあって、それでまたしっかり両手をつこうという運動(?)が起こって、今になったのだ。双子山理事長が大なたをふるい、大不評だった「待ったの罰金制度」等も、今になって思えばそれなりの効果があったと言えるのだろう。
 私が大学生時代の一番である。輪湖時代と言われていた。なつかしいとかいい勝負だとかの思いは、あまりに奇妙なその立ち会いでふっとんでしまった。よくない。いまのほうがずっといい。

 きょうの解説は貴乃花親方。決して雄弁でも流暢でもないが、取り口の解説に、相撲を研究し、知り尽くした人だけの視点が出てきてめちゃくちゃ新鮮である。アナウンサーも同じなのだろう、何度も感心し、聞き直したりしていた。貴乃花がいかに日々相撲のことばかり考えていたかよくわかった。凡庸ではない。すごいです。

 深夜偶然「大相撲ダイジェスト」を一部分見た。そこでの思い出の一番も解説の高砂親方とのことから「朝潮対北の湖」。ここでの立ち会いも同じ。最悪。中腰のままである。昭和50年。おそらくぼくが今後この当時の相撲を見ても感激することはない。あの立ち会いだけでもう不納得だ。

《あの頃はうつくしくない》(03/5/19)
 きょうの大相撲、思い出の一番は、「平成六年の旭道山対朝乃若」。旭道山が朝乃若の頭上を飛び越え八艘飛びを見せたとんでもない相撲。圧勝。場内大昂奮。
 が、立ち会いに仕切りの拳をついていなかったと物言いがついて取り直し。歴史に記録されない幻の一戦となった。
 それはそれでいい。きれいな立ち会いは大事にせねばならない。でもこの物言いを附けた審判部長が北の湖。昨夜、拳をつけないどころか中腰のまま、それこそ1メートルも手を土から離れて立ち上がった二番を見たばかりだったのでどっちらけ。旭道山がつかなかったのはほんの10センチ程度だ。人殺しが万引きを説教しているようなものだ。あんたにその資格があるのか、と言いたくなった。

 人は知らず知らずのうちに過去を美化してしまう。私は北の湖が好きだったし(あのころから何事も実力派のヒールが好みだった)、自分の学生時代の大相撲を無意識に美化したい気持ちもあったろう。昨日、ひどい立ち会いの二番を見たのはいいタイミングだった。昭和五十年代の相撲はあまり美しくない。

 ところで、旭道山は引退して角界にいれば安泰だったのに、信仰している創価学会から参議院に出馬した。当選した。国会で質問もした。そこまではよかった。今は落選した。「猿は木から落ちても猿だが、議員は選挙に落ちたらただの人」とはよくいったものだ。これでよかったのだろうか。大島部屋の部屋附き親方になっていればよかったのにと思わずにはいられない。でも学会から要請されたら信者はその気になっちゃうんだろうな。
思い出の一番 北尾対保志(03/7/13)

「テレビ放映50周年記念」とかで毎日やっている。きょうは小結北尾と関脇保志の対戦。昭和何年だ。肝心なことを見忘れた。ともに後に横綱になっている。その後は対照的だ。保志は今も八角親方となり相撲界にいる。北尾は相撲史に残る汚点を刻んで去って行った。

 いい相撲だった。アナが「ともに21歳の時の対戦」と言っている。二十年ぐらい前か。当時の中継アナは「これからも何度も何度も戦うであろう両者のいちばんです」と言っている。そうなのだ、こういう若い将来の期待株が数人幕内にいないとつまらない。
 おっ、わかった! 彼らは「花のサンパチ組」と呼ばれていた。昭和38年生まれである。この前の北の湖たちが「花のニッパチ組」と呼ばれたのに習っている。昭和38年生まれの二人が21歳で闘うのだからこれは昭和59年の取り組みである。よかった。こんな逆算もある。

 ちょうど今朝、東京からもどってくる電車の中で、サンスポの相撲欄を意識的に見て、若い力士がいないなあと嘆息していた。横綱朝青龍の22歳、雅山、安美錦の25歳だけで、幕内はもとより十両もみな若くても二十代後半である。幕下にもいない。思えば史上最年少の18歳で入幕した貴花田がいかに光っていたことか。しかしそれは特例としても、大ざっぱに記憶をたぐるだけでも、豊山、輪島等、みな十両を全勝優勝して幕内に乗り込んできたものだった。花形力士にとって十両は幕内への通過点でなければならなかった。スターの予備軍のいるところである。ところが今の十両は、幕内から落ちてきた力士が11勝4敗ぐらいで優勝する場になってしまっている。二流の幕内だ。これではいけない。
 それにしても思うのは、ここおける力の差だ。幕内で大きく負け越して陥落した力士でも、十両ではおおきく勝ち越してまた復帰する。それだけ差があるのだ。シビアであるとも言えるが、これでは相撲人気が停滞するのもむべなるかなだ。ここをサッと突破できる力士はそれだけ技量があるということになる。

 序の口からの全取り組みを見ていたら、話題の力士で、序二段に「現役最年長43歳」を見た。無給の43歳である。なんともせつない。有名な人だけどね。

 全取り組みを事細かに見ていたのは琴欧州(プルガリア出身。身長2メーター2センチ)の番付と成績を確認したかったから。
 黒海(グルジア出身)と並ぶ白人力士である。白人ということなら先輩格で幕下に星誕期(その名の通りアルゼンチン出身)がいるが、これはもう燃え尽きている。期待はグルジアから来た黒海とブルガリア出身の琴欧州だ。土俵上を外国人力士が席巻していると言ったりするが、アメリカとはいえハワイのサモア系と最近出てきたモンゴル人だけである。その前には、三重の海、玉の海等の横綱を始めとして朝鮮人力士が数多くいるが、これはそれを隠しているし、朝鮮人、モンゴル人は見た目が同じすぎる。見た目からしてもろに白人が活躍するようにならないと、「外国人力士うんぬん」は始まらないのではないか。
 むかし、あのまま琴天太(後に琴天山、プロレスラのジョン・テンタ)がいたならどうなっていたろう。無敗の19連勝で一度も負けないまま引退してしまった。琴天山はカナダ人。黒海も琴欧州もスラブ系である。大鵬の強さでわかるようにロシアの血は相撲に向いている。大鵬ファンだったのでその出身地の弟子屈に初めて行ったときは感動したものだ。

 土俵の真ん真ん中には、日本人の、いかにもお相撲さんらしいお相撲さんがいてくれないと困るのだが、どうせ国際化なら、色黒のサモアと日本人的顔立ちのモンゴルだけでなく、いかにも白人というのも活躍してくれと願う。白人はお尻を出すことを極端に恥ずかしがり、それが今まで白人力士のいないおおきな理由だった。それを克服しての入門、そしてここにいたる活躍である。素直に応援したい。

 序の口からの全取り組みを丹念に見たというのは、最近の意図的な買い控えで、それだけスポーツ紙を買うのが久しぶりだったからだ。また毎日買っているとここまで細かくは見なかったろう。たまに買うとこんな効果もある。

 きょうの相撲中継のゲストはモンゴル人歌手のオユンナ。美人で日本語がうまいのでおどろく。モンゴル人はなぜあんなに日本語がうまくなるのだろう。これは興味深い。遙かに在日経験の長いコニシキや曙より、短い朝青龍を始めとするモンゴル人力士のほうがうまい。なによりことばが日本語として自然なのだ。
 旭天鵬が大関武双山を破ると、放送席からのリクエストで、オユンナがおめでとうとモンゴル語で呼びかけ、旭天鵬が同じくそれにモンゴル語で応えたのでモンゴル人であることを思い出したぐらい、彼らの日本語はうまい。旭鷲山が栃東と対戦し、結びが朝青龍だから、モンゴル人のゲストとしては大相撲を堪能できた一日だったろう。結びは高見盛が朝青龍を負かす大波乱、場内に座布団が飛び交う大一番だった。オユンナは高見盛のファンだともいい、若の里がモンゴルで人気があるとも言っていた。その辺のことからも、通であることがわかり、これはテレビ桟敷にいるこちらとしてはうれしいことだ。モンゴルの日本相撲熱はホンモノである。今度オユンナの歌を聴いてみよう。この人、どんなのを唄っているのか。

 待たれるのは、彗星のごとく現れる日本人若手力士である。いまのところ番付を隅から隅まで見ても、どこにもいそうにない。
inserted by FC2 system