04/1/27
大阪女子マラソン

(以下、不謹慎な比喩だが)
 千葉真子の単勝1点買いの気持ちで見ていた。単勝1番人気は渋井であろう。千葉は2番人気、坂本が3番人気か。35歳の弘山は心情的に単勝穴人気だが連軸としては売れてない。国際レースなのに招待人はみな人気薄。そんな感じだったろう。
 千葉を軸にすれば人連は簡単に当たる。3点買いだ。渋井との人連はダントツ人気で2倍ぐらいか。人単は渋井から売れている。人連の軸としては千葉か。人単も千葉から買って勝負だが、念のために一応裏も返しておけばまず間違いあるまい。そう思いつつ、千葉の単勝1点買いで行ったのである。気分として。

 超スローペース。かけひきがある。気温は4度以下。寒すぎる。みな金縛り。序盤、小さいから時折見えなくなり、消えたのかと心配した。しっかりと先行グループの中にいて、26キロで仕掛けたときはこれで勝ったと思った。しかし後続をちぎれない。30キロで坂本がスパートして獨走態勢に。
 2位で入ったが落胆した様子が痛々しかった。タイムの遅い完敗2位だからアテネ出場は絶望である。

 これでアテネマラソン出場三人の内、二人が決まり、残った椅子はひとつ。女子レスリングやこれのようにレヴェルが高すぎるのも選手にとってはきついものがある。高橋が前走で圧勝していればなにも問題はなかったのだろうが、考えようによっては、あそこで文句なしに勝っていたら、本番はラドクリフとの対決以外興味がなくなっていた。気を引き締める意味ではあの「意外な敗戦」はよかったのかもしれない。

【附記】
 月曜日の発言。小出監督が「ものが違う。わかっている人はわかっている」と高橋キューちゃんの器の違いをアピールする発言をした。ゴールドメダリストである愛弟子をアテネに送りたいという親心もあろうが、千葉を基準にするなら、まったくその通りなのだろう。海外高地での練習パートナーを勤めた千葉は、練習中、高橋が本気でスパートするととても着いて行けないとその凄味を語っていた。その辺を聞いていたからこそ惜敗続きの千葉を応援したのだったが。(27日記)
04/3/6

長島、倒れる──復活せよ、スーパースター!

 長島が倒れた。たばこも吸わず酒も飲まず、肉を食うときは必ず野菜を取るよう日頃から心がけていたスーパースターがこういう形で倒れると誰が豫想したろう。長島は馬場と並んでためらうことなく呼び捨てに出来る私にとって数少ないスターだ。真のスターは呼び捨てでなければならない。だから私は「馬場さん」なんて気持ち悪い言いかたはしない。ここも長島と呼び捨てだ。正しくは長島かもしれないが子供時代のベーゴマも長島だったのでそれで通そう。一日も早い快復を祈る。

 野党みたいないちゃもんになってしまうが、小泉首相の「子供のころからのあこがれの人でした。早くお元気になってほしいです」はすこしおかしい。長島68歳、小泉首相61歳だから「こども」はふさわしくあるまい。当時は今よりもはるかに六大学野球の人気が高かった時代だが、長島が六大学のスターだったときでも小泉さんはもう中学生だし、巨人で華々しくデビュして日本中のスターになるときには高校生である。「こども」は「少年時代」が正しいように思う。ON砲に心をときめかせた「こども」は団塊の世代の五十半ばであろう。

 高島俊男さんの『お言葉ですが…』に一度だけ長島が登場する。もっとかもしれない。私にとって印象的なのはこの一度だ。
 高島さんは野球が大好きでエッセイにもよく登場する。大学院生で高校の講師をしているときもよく休講にして生徒と野球をしていたと書いている。ただし体はご本人が言うようにきわめて貧弱らしい。
 その学生時代、東大野球部の連中を見たら、みな自分より頭ひとつデカくて見上げるようだった。それが神宮に六大学を見に行ったら我が東大野球部は立教大野球部と比べるとじつに貧弱な体格で、そのでっかい立教の中でもひときわ大柄ででかいケツをしていたのが長島だったという話。高島さんは長島よりひとつ上か下か、もしかして同い年か。この高島さんより一回りでかい東大野球部、それより一回り大きい立教の野球部、その中でもでかいケツで目立っていた長島、という三段論法(?)が印象的だった。
 野球選手にとって要となる腰=ケツのでかさは最重要のものであり、近年(でもももうないか)では江川が有名だ。長島のケツのでかさという話は意識したことがなかったので実話であるこの高島さんの話は印象深かったのだった。それはまた私の大好きなプロレスが175センチが183センチと水増しするような世界であるのに対し、日本の実質的国技であり最高の素材が集まっている野球界には180以上のすばらしい素材がごろごろいるねたましさからも来ていた。

 数年前、スポーツ紙のコラムが長島人気を批判していたときにはカチンと来た。それは「なぜあんなに長島が未だに人気があるのか。それは日本野球界にスターが育っていないからだ」という視点のものだった。それはそれでいいのだけれど、長島の人気を「他がだらしないからだ」は誤りであろう。あの人は天性のスターなのだ。いわゆる「なにをやっても様になる人」であって冗談すらも伝説になってしまう。アンチ長島はそれはそれでけっこうだけれど切り口が間違っている。
 王が近年になってすこし悔しげに言う。長島が豪放な天才型、王が生真面目な努力家のような区分けに対してだ。「実際には長島さんのほうが神経質で日常的な努力をしていた。むしろ自分のほうが寮を抜け出して酒を飲みに行ったりしたワルだった。ただマスコミはなんでも明と暗、陽と陰のようにわけたがるからしかたなかったんだろうけど」のように。

 と、書いていて気づいた。こんなことはいくらでも書けるのだけど、そんなことになんの意味がある。死者を弔っているのではない。長島は復活する。こんなことをまるで思い出話のように書く必要はない。やめた。早く元気になってくれ!
04/8/14
~8/29
 アテネオリンピック話(開幕の14日から26日までに記録)
●柔道
 いきなり谷亮子と野村忠宏の金メダルで開幕した。めでたいけれど翌日の新聞のすべてで谷のほうがおおきく扱われていることは不快だった。スポーツ紙はともかく一般紙は三連覇という偉業の野村を最優先すべきだったのではないか。
 谷は嫌いではない。あれだけ名を売った田村の名をすんなりと捨て谷になったことは、夫婦別姓を主張している社民党的連中からしたら歯ぎしりするほど不愉快な存在だったろうし、それは彼らを嫌いな私のようなのからすると拍手喝采の出来事だった。自民党のタレント議員の目玉候補であろう。
 プロ入りしてからの吉田秀彦のファンになった。シウバとあそこまで殴り合い倒されなかったのだからたいしたものだ。もっともあれは判定負けしなくても口の中の裂傷が三センチ以上あり次の試合は無理だったという。好きになるほどに唯一いやだなあと思ったのが田村と熱々だったという噂だった。噂ではなく二人は結婚寸前の仲だったようだ。柔道合宿所の風呂で二人が本番行為に及んでいたという話をどこかで読んだなあと思っていた。『噂の真相』だったか。知っていたってことは私も読んでいたことになる。下衆な奴だなあと自己嫌悪した。
 田村に対する複雑な思いはマンガの「YAWARA」にある。今も全巻もっている柔道マンガの最高峰である。主人公・猪熊柔は88年に18歳で金メダル、92年にも22歳で連続金メダルをとり国民栄誉賞だから、今は34歳なのか。松田耕作とのあいだに二人ぐらい子供がいるだろうか。
 この「YAWARA」が大人気の時に現実の柔道界にもヤワラちゃんが現れる。マンガのYAWARAと同じ髪をゴムで留めた髪型で登場した。しかしその天才柔道少女はマンガが美少女時代の西村知美とか菊池桃子とかのイメイジなのに、いきなり若作りのミヤコ蝶々なのだった。田村にはなんの責任もないのだが、どうにも私は自分の夢を壊されたようで好きにはなれなかった。マンガの「YAWARA」さえなければ彼女は好きなアスリートなのだが……。
 谷との結婚(野球に興味のない私は谷を知らなかった)はいくつもの4コママンガでからかわれた。プロ野球選手はもてる。しかも谷はなかなかのハンサムである。それがなぜ美人とはいいがたいあの田村と? 最もよくあったのは田村が腕ひしぎで責め立て谷に結婚を強要するというパターンだった。田村側の話題作りではないかと言われた話は、どうやら本物の熱愛でありむしろ谷の方が夢中だということになって方向を変えてくる。私がいちばん笑い、そして納得したのは、やくみつるの描いた「真の達人はマニアックなんだ」との解釈。その真の達人の先達として野村と落合があがっていた。なるほど、野村の女房、落合の女房、フツーのヒトとは感覚が違っている。そしてともに夫婦仲はよく社会的にも成功している。この解釈をすると谷は本気で田村が好きなんだと理解できる。今回も谷が金メダルを取ったら泣いていた。いい夫婦なのだろう。

 谷本歩実のすべて一本勝ち金メダルはすばらしかった。「オリンピック初出場で金メダル」とアナが絶叫していた。ああいうのを勝利の女神が降臨したというのだろう。まさに負ける気がしないという快進撃。本人も堂々と完璧でしたと言い切っていた。コーチの古賀もうれしそうだった。

 上野雅恵の快進撃は見逃した。結果の分かっているダイジェストで見ても昂奮は出来ない。もったいないことをした。
 同じく全試合一本勝ちの内柴正人も見逃した。減量の失敗で60キロ級から66キロ級にあげての成功だった。のちに野村が60キロ級で唯一負け越している相手と知る。ワイドショーに中継で登場した野村の奥さんも内柴の奥さんも美人だった。スタジオで話題になっていた。二人ともハンサムだけれどそのうえ強いだから美人をものにするのは当然である。野村には所属するミキハウスから一億円のボーナスが出るとか。ミキハウスのミキが三起であることを初めて知った。金メダルをとった誰もこれぐらいのボーナスをやりたい。中国や韓国にいまだにおどしとられている金から比べたら微々たるものだ。金メダルをとっても谷亮子やマラソンのキューちゃんのように億の金に結びつけられるのはごく一部だ。持ち出しの人も多い。もっと報酬を受け取っていい。

 阿武教子が悲願の金メダルをとった。悲願というよりこの人、日本選手権、世界選手権では勝ちまくりなのにオリンピックでだけ弱く、初戦負けで恥をかいてきた。気合いを入れて初戦に向かう顔を見て、誰かに似ていると思った。思いつかない。今までのことがあるから初戦はとんでもなく緊張していた。なんとか勝つと二回戦からは一気に緊張がとれた。私がリアルタイムで見たのはここまで。しばらく後に金メダルを取ったとニュースで知る。全部リアルタイムで見たかった。夜中、テレビをつけて誰に似ているかわかった。雨上がり決死隊のホタちゃんである。ホタちゃんは小学生の時に六回お母さんが代わっているそうだ。とんでもない父親である。よくあんなに元気に育ったものだ。関東に進出してきたころ、大井競馬でキャラを務めていたのでなじみ深い。

 きょう(19日)、最も楽しみにしていた井上康生が負けた。ただそれは豫想できたような気もする。最近の井上にはオーラが見えなかった。四年前、青年としてキラキラ輝いていた彼が、なんだか最近は、挌闘家としてはごつくて強そうになったけれど、全身からの輝きが消えているように思えたのだ。案の定きょうもいいところなしの完敗だった。あの強いチャンプとは思えない試合だった。いちばん期待していたのでとても残念だったけれど、とんでもなく意外という気はしない。

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 阿武(あんの)がインタヴュウに応えていた。正規のインタヴュウではなく朝のワイドショー出演なのでくつろいでいる。しっかりした受け答えで見直した。警視庁勤務とか。そしてまた警視庁勤務者の金メダルは初なのだとか。意外な気がする。
 その秀でた、というか図抜けたというか、敵なしというか、あまりに完璧な成績から毎回金メダルを期待されていた人だから、テレビ局側にも彼女に関する取材テープがたくさんあった。そうして初戦負けであるからそれらは使われていない。やっと出番が来た。この日のための素材である。フジテレビは朝のワイドショーから惜しみなく投入してきた。
 田舎の(九州の村だった)阿武の部屋を映したとき、数々の賞状、トロフィーよりも、マンガ「YAWARA」のおおきなポスターが何枚も貼ってあったのが印象的だった。彼女がこの部屋にいたのは高校生時代までだろう。いや高校ももう学校の合宿所だったのか。とにかく女ながら男に混じって優勝するようなとんでもない逸材である。「YAWARA」は柔道のすばらしさを伝えるとともに絶妙のすれ違いラブコメでもあったから、柔道に邁進する少女たちにとって私なんかとはまた違った意味を持っていたのだろう。
 阿武はタクシー運転手をしている父親によって兄、姉とともに3歳頃からスパルタ教育で鍛えられた。このお父さんは強い柔道選手になる子供が欲しいため背の高い女と一緒になり、体格で有利になるように四月出産を計画したという。兄と姉は四月生まれ、阿武は予定がすこし狂ったがそれでも五月生である。田舎の名もない柔道家であった阿武のお父さんですらここまで徹底していたとするなら、鉄人と呼ばれ日本では敵なしなのにどうしても世界には届かないハンマー投げの室伏親父が、自分の血を受け継ぎ、自分を超え、世界に届くために、ルーマニア(だかポーランドだか)の同じ競技の女の血を求めたという発想は、あながち下衆の勘ぐりでもあるまい。

 オリンピックを見ていてここのところ感じるのは時差のおもしろさである。阿武の金メダルは19日の夜遅くだったのか。それを見て夜中の優勝インタヴュウや朝七時八時のワイドショーでの出演を見る。するとそれは私にとってもう過去のことになってしまう。ところが20日の新聞では間に合わなかったり、深夜のことだから一般の人のためにあらためてラジオニュースが伝えていたりするから、自分にとっては数日前の過去のニュースを、なぜか新聞ラジオが今頃伝えていて奇妙だという気がしてくるのである。

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 20日午後、病院に向かうころに100キロ超級鈴木桂治の試合が始まった。ラジオで聞きながら走る。今回大活躍の日本柔道の総決算になる。前日の井上の悪夢がある。病院に着いたとき、テレビが準々決勝を映し出していた。奇妙に思ったのはラジオはNHKがやっていたのにテレビでは松岡シュウゾウ(どんな字だっけ修造かな)がキャスタを務める民放だったことである。NHKテレビをつけたら野球をやっていた。
 父の病室で見た。病室のテレビはイヤフォンのみである。音声はない。技ありをとられたまま残り1分20秒となる。まただめかと思う。井上に続いての重量級敗戦だ。オリンピックの悪魔はこんな形で存在する。そこから内股一本が決まったときは思わず「よっしゃあ」と声を出していた。恥ずかしくなって顔を上げると姉と姪が笑っていた。彼女らもこういうもので声を上げる私を見たのは初めてだったろう。私もまさか老人ばかりの病室で自分がそんな声を出すとは夢にも思っていなかったから赤面した。日本を愛する民族主義者であるからこそアサヒシンブンまでが日の丸を写してはしゃぐオリンピックの時はかえって冷めていたりする。「井上康生が負けたのはとんでもなく意外ではなかった」は本音なのだけれど、その奥にはかなりの失望もあったのだろう。声を出したことにいちばん驚いていたのは自分だった。もちろん今回のオリンピックで初めてである。

 印象的だったこと。メモ。
 姪が鈴木を茨城出身の人だから、と意識して応援していた。姪は水戸の高校から茨城大学に進み教師になった。大学時代も自宅通学である。茨城県から出たことがない。彼女にとって茨城という空間はおおきいのだろう。母がそうであることは理解していたが若い人でも同じ感覚があるのだと知った。東京の大学に行き結婚して神奈川に住んでいる上の姪にはこの感覚はあるまい。そういうものだとは分かっていても、私には鈴木を茨城の人間だからと意識して応援する感覚はまったくなかったので姪のことひとことは新鮮だった。

 家に帰って午後十時過ぎから決勝が始まる。鈴木は金メダル。女子の塚田も金メダルを取った。
 鈴木の足技が冴えまくっていた。前日の井上の敗戦に父親(井上は自分の師匠は父親だと言い切っている)が「足が全然出ていない。あれではだめだ」と語っていたから、よけいによく出る鈴木の足が印象的だった。

 詮無いことではあるが、各局に連続して出場する鈴木に対し、どこでも誰もが「井上選手が負けてどう思ったか」をくどいほどに尋いていた。鈴木は一貫して「関係なかった」で通していた。これは柔道家としての礼儀なのだろう。しかし鈴木の勝利に対し井上の敗戦から切り出すのは鈴木に対して失礼だし、なにより日本人の美徳である節の情けで言うなら、喉から手が出るほど尋きたくても尋かないのが礼儀なのではないか。ワイドショーのスタッフがやっていることであり、オリンピックも芸能ニュースも同じものだといえばそれまでの話だが。

 78キロ超級で塚田真希が金メダル。本人もラッキーと言う投げられたあとの押さえ込みがきれいに決まって勝った。これまたマンガ「YAWARA」を思いだした。彼女が入学した三葉女子短大柔道部の対抗戦で、四品川(よしながわ)小百合という弱くて困ったおデブちゃんがそういうラッキーで勝ち、おおきく勝利に貢献するシーンがある。塚田の笑顔を観ながらそれを思いだした。これはマンガ「YAWARA」のファンなら共通の発想だったろう。

 今回の日本柔道の大活躍(14部門中8部門で金メダルとか)は前回シドニーの反省があったのだろう。いま思いだしても篠原の内股すかしが一本にならなかったのは口惜しい。というか明らかなミスジャッジである。そうしてあのことで「正規の抗議行動すら出来ない日本のコーチ。万事控えめですべきときにすべきことの出来ない日本人の精神構造」が問題になった。私もまた典型的なそれだから他人事ではない。篠原の不可解な負けは日本柔道界におおきく寄与したと言える。おそらくあのあとの内部でのカンカンガクガクはたいへんなものであったろう。四年後にそれが結実した。
 讀賣新聞を読んでいたらその篠原が井上の敗戦にコメントしていた。どんなに篠原は勝っていたと思ってもいつしか記憶は風化し記録だけが残って行く。オリンピックは必ずそれがつきまうとのでイヤだ。でもまたそれこそが不完全で愚かな人間らしい言えるのかも知れない。
 柔道が終ると私のオリンピックは一気にマラソンまで熱が下がる。



●野球
 あの長嶋が書いたという「3」はショックだった。たった数字の3を書くだけなのによれよれしている。どの程度の症状なのかあれだけでわかる。もうあの長嶋節を聞くことはないのだろうか。なんともせつなくなった。
 脳溢血、脳梗塞から復帰した人というと真っ先に林家三平を思い出す。弁にたどたどしいところはありながらも復帰した姿を「徹子の部屋」で見たときは感涙ものだった。なのにその先はあっけなかった。ちょうど今、永倉万治さんの復帰後の作品を読んでいる。大好きな人だっただけに倒れてからの闘病記や復帰後の作品はつらくて読んでいなかった。永倉さんも四十二歳で倒れ奇蹟的に復活したが、やはり復活のあとはあっけなかった。酒も煙草もやらず人一倍健康に気を遣っていた長嶋だけになんともやりきれない。
 イタリアにコールド勝ちし、宿願だった世界一のキューバに勝ち(もっとも今のキューバはあまり強くないと言われているが)たいしたもんだと思っていたらオーストラリアに完敗していた。よくわからん。しかしオリンピックの野球会場ってほとんど観客がいないんだな。それでも金にならんオリンピックを拒む選手よりは日の丸を背負って出かけるプロ野球選手を支持する。私は野球を好きではないのに珍しくこんなに知っているのは、父の病院に向かうあいだラジオで聞いているからである。
 メダル候補だと言うがあまりそんな感じも伝わってこない。でもがんばってほしい。

 予選リーグ1位で通過し本戦の最初の相手があのオーストラリア。これに勝てば金メダルにぐっと近づく。他のチームに負けているオーストラリアになぜ完敗したのかいまだによくわからない。

 25日早朝。昨夜オーストラリアに1対0で負けたと知る。鬼門だったんだねえ。まあこんなこともある。今度は3位決定戦か。長嶋のためにもがんばって銅メダルをとって帰ってこい。
 話は違うがオーストラリアは嫌いだ。なにかのクルマのCMでグレートなんとかコーストだったか、どんな名前かもう忘れたけど、「世界一美しいドライヴコース」とかを使っていた。あそこを延々と走ったけどすこしもそれを感じなかった。そのオーストラリア紀行文に「金の北米、女の南米、歴史のアジア、耐えてアフリカ、なにもないのがヨーロッパ、問題外のオセアニア」というバックパッカーの至言を引用したらオーストラリア観光局から抗議が来たっけ(笑)。でもほんと「問題外」だわね。大嫌いなオーストラリアを大嫌いなキョセンやカリヤテツが好きだったりするから世の中はうまく出来ている。

 結果。三位決定戦は圧勝。銅メダル。なんだろうねえ、オーストラリアとの愛称の悪さは。


●女子ソフトボール
 一方興味はないので全然見ていないがきっと快進撃で有力な金メダル候補、悪くても銀なのではないかと思っていた女子ソフトボールはなんだか負けがこんでいるようである。どうしたのだろう。

 結果。銅メダル。監督にも選手にも笑顔はなかった。しかし1勝3敗という最悪の出だしからよく持ち直したとは言える。



●水泳
 何年か前に見た北島の躰をしみじみ美しいと思った。全身運動の水泳選手の躰はまことにもって美しい。しかし昨年見た北島にそれは感じなかった。胸が逆三角形になって逞しすぎるのである。するとやはり腕の筋力を鍛えるためにバーベルをやっているのだと知った。そういう形の逞しい躰は見飽きている。残念だったが、水泳選手もそういうことをしなければいけない時代なのだろう。
 北島は金を期待されながら銀なのではないかと思っていた。そういうスポーツ紙の豫想も多かった。100も200も金をとった。まことにもって天晴れである。「銀なのではないか」なんて消極的な発想をした自分が羞ずかしい。

 千葉すずの亭主の山本が銀をとった。一昨年だったか初めて山本を見たとき、歯茎の出ているすこしもかっこいい男じゃないな、と思った。真っ向から水連と戦った気の強い千葉が、傷つき疲れ、そうして好きになった男なのだから、きっと人間的な魅力に溢れた好漢なのだろう。美人で色っぽい千葉の唯一の缺点はやはり歯茎が出ていることだ。これで子供はどんなに美人でも歯茎が出ていることは決定か。

 自由形800メートルで柴田亜衣が金メダルを取った。自由形の種目で日本人女子がメダルをとったのは初とか。快挙である。
 柴田は3歳から水泳を始めたが国内でもトップに立っていない。入学した高校には水泳部がなくスイミングスクールで練習したとか。高校時代の貴重なインタヴュウヴィデオがあった。なにしろインターハイで優勝すらしていないのによくあったものだ。そこで彼女は「夢はなんですか」と尋かれ、「四年後のアテネオリンピックで金メダルを取ることです」と答えている。実現させてしまった。希有なサクセスストーリィである。水泳選手の肉体ピークは早い。十代だろう。高校生で国内優勝すらしていない娘が二十二でいきなり金メダルと誰が豫想したであろう。
 ワイドショーインタヴュウで「なぜ800をやろうと思ったんですか」に「スピードがないので短距離はだめで、なにをやってもだめなんで」とインタヴュアが困ってしまうほど謙虚に正直に応えている笑顔が美しかった。マラソンのように彼女が切り開いた水泳スタミナ路線は今後おおきく花開くかも知れない。とはいえそれもコーチと一緒に毎日2万キロ(20キロだわねえ)を泳いだ上に咲いた花ではある。おめでとう。



●重量挙げ
 重量挙げと言ったらまず思いつくのが「三宅兄弟」である。そんな世代だ。すると親父にそっくりな顔をした娘が重量挙げをやっていた。ついでにいうとちんちくりんで力のありそうな体つきもまた親父にそっくりだ。三宅兄弟は兄が金で弟は銅だったか。弟の娘のようだ。スポーツの世界に親子鷹は多いが──いや今時そうでないと一流には成れないかも知れない──父と娘の重量挙げというのも珍しい。こういう地味な競技を娘が継いでくれたのだから父親はしあわせだ。


●テコンドー
 シドニーで銅メダルの日本人女子選手が出場できなくなりそうで、と大会前メディアの注目を集めていた。その理由が笑える。日本のテコンドー協会が分裂し、そこが揉めているからだ。いかにも韓国絡みらしい。極真会館を見ればわかるように。
 女子選手は自分には関係のないもめ事で悲劇のヒロインになってしまうと話題を集めた。彼女は無事アテネに行けたし、そのこと自体に興味はない。もっと本質的なこと。

 テコンドーはソウルオリンピックから正式種目になった。そこには誇り高い韓国人の東京オリンピックで柔道を正式種目にした日本への対抗意識とかそんなものもあったろう。だけどこの種目、世界的な広がりはないし、試合もつまらない。いくらなんでももう無理なんじゃないか。オリンピックには花形種目もあれば、そんなのあったのか!? と思うような地味なものもある。戦争の延長で始まったものだから、砲丸投げ、槍投げ、弓のような戦いの種目は古代からのものだし、当然近代の武器である射撃も入っている。オリンピック委員会に多額の金を払って自国誘致した国が、開催国をアピールするために自分たちと縁の深いそういう種目を作るのはありだろうけど、テコンドーはもう終っている。やめるべきだ。これは韓国に対する意見ではなく、日本が始めた柔道もそうなっていたら同じ事を言う。しかし柔道は日本の柔道ではなくなってしまったけれど、細かなポイントを争う競技として世界に普及した。今回「こりゃ柔道じゃないよ。レスリングだ」と思う外国人柔道選手もずいぶんと見かけた。まあタックルと双手狩りのように所詮人間の考える技だから似ているものはいくらでもあるしそれはそれでしかたがない。ともあれ柔道はオリンピック正式種目であるだけの世界的な普及をした。テコンドーはしていないし今後も無理だろう。韓国がソウルオリンピックで無理矢理正式種目にしたこれはすでに使命を終えているのではないか。



●ハンマー投げ
 ハンサムな息子より親父を思い出す。ハンマー投げと言えば鉄人・室伏である。日本じゃ敵なしだったが世界には通用しなかった。
 初めて息子を見たときあまりにかっこよく、どういうことなんだと思った。顔の彫りの深さはもちろんだが、頭が小さく、あのミルコみたいに頭と鍛え上げた首の太さが同じってのは最高にかっこいい。やがてあれは親父がルーマニア(だったかとにかく東欧だった)の同じくハンマー投げの選手と結婚して作った傑作なのだと知る。離婚しても子供は親父が引き取り跡継ぎとして大成させたのだから、これはそういう息子を作るために彼女の遺伝子が欲しかった結婚なのではないかと勘ぐってしまったほどだった。
 男の優秀な因子を欲しい場合、「胤をもらう」という言いかたをする。この場合はどう言えばいいのだろう。女の場合は「腹を借りる」があるがこれも優秀な胤を遺す場合だからすこし違う。こんな言いかたはありえないが優れた男の因子を「胤」で表し、女を「腹」で表すなら、「腹をもらう」とでもなるのか。室伏は親父室伏が日本人女と平凡な結婚をしていたら決して出現しなかった作品であろう。

 結果。1位に28センチ届かない銀メダル。
 メダルを得た翌日、ワイドショーでハンマー投げを始めた高校時代からの競技写真が何枚も紹介されたが、年齢とともにいい顔になって行き、現在にいたるのがわかる。第一人者としての地位と責任が男の顔を作る課程が映し出されていた。

【附記】8/26
 『週刊文春』が「室伏の行方不明のルーマニア人母親」という記事を載せていた。いやな切り口である。有名人になるとこんな書かれかたをするからつらい。「たしかルーマニア」という私の記憶は正しかったことになる。

【附記】8/30
 ハンガリー選手のドーピング疑惑、失格により金に昇格。この選手とは仲がよいらしく「もしも失格になったら」の時点で父親が「前回の世界選手権で息子が優勝したとき2位の彼は心から拍手を贈ってくれた。だから複雑な心境だ。でも薬物使用は絶対にしてはならない」と語っていた。室伏もうれしいけれど複雑な心境だろう。最終日ギリギリに決定。室伏金メダル獲得。悶着はあったがなにより室伏の記録が日本人離れしたすばらしいものだけに不満はない。なんでもこの種の競技で日本人が金メダル68年ぶり(この数字はいいかげん。あとで確認しよう)とか。そう言われるとまたルーマニア人ハンマー投げ選手だった奥さんの血を思ってしまう。


●卓球
 愛ちゃんの第一回戦を見た。とんでもなく緊張していて凡ミスが目立った。勝てないと思った。2セットを奪られた。そこからリラックスし2セットを取りもどす。さらにセットを奪って王手、いやリーチ、ちがうな、なんて言うんだ? そこから取りもどされて3対3。フルセットの末、4対3で勝つ。あとは二戦目、三戦目とも格上の選手に楽勝だった。この一回戦を落としていたらとひやっとする。いまベスト8だったか。なんとかベスト4に進出してメダルに届いて欲しいが……。
 この苦戦した一回戦の相手はオーストラリアのミィアン・ミィアンとか言う選手だった。完全な東洋人である。いやそれどころか近所の高校にいてもおかしくないほど楚々とした日本人顔だった。現在オーストラリアに増えつつあるヴェトナム移民であろうか。
 おなじく破ったアメリカ人の選手もあきらかに東洋系だった。これはチャイニーズか。卓球はアジア系のものなのか。

 20日。夕方の父の病室で愛ちゃんが敗れたことを知る。これは讀賣に載っていたのだから19日の午後10時前に決まっていたことになる。見過ごした。とはいえテレビ番組欄でチェックしつつ見ているほどのオリンピックマニアではないからこんなことはある。「ベスト8ならず」とか。負けたのは中国の世界ランク6位の選手だというからしかたない。
「オリンピックは楽しめましたか」の質問に愛ちゃんは「楽しみに来たわけではありませんから」と応えたという。かっこいいな。国を背負って勝ちに行っていることをあの齢で理解している。過日石原慎太郎が「国の金で国民の期待を背負って行っているのに、思いっきり楽しんできますなんて、寝ぼけたことを言ってちゃいけませんよ」と発言していた。最近の「わたしのオリンピックを思いっきり楽しんできます」的な風潮に釘を刺したのだろう。そのときは慎太郎さんの言っているのは正論だけれどここまで言い切っちゃうときついかなと思った。愛ちゃんは誰に言われたわけでもないのに分かっていた。かっこいい15歳だ。愛ちゃんの場合は自分として勝ちたいのであり国は関係ないかも知れないけど、「思いっきり楽しんできます」よりは遙かにいい。さんまとの絡みでもそのあしらいかたが群を抜いている。ひょうひょうとしてさんまを振り回している。それは単にテレビ慣れしているとかそんなレヴェルではない。この娘さん、とんでもなく凄い人なのかも。


●女子マラソン(22日深夜)
 日本人最先着は野口だろう。だがどうにも銀のイメイジが強い。勝つのは誰か。ラドクリフはないように思う。ならヌデレバか。
 ビールを飲んだらうとうとしてしまった。酒が弱くなった。酒を飲んで眠くなるなんて経験したことがなかった。これはこれでしあわせな老いだろう。
 テレビをつけたらもう16キロ地点だった。先頭集団8人の中に日本人が三人いる。なんとも最高の展開になった。ここからサバイバルである。どこかの選手が黄色い補給水を嘔いてリタイアする。テレビであそこまで露骨にゲロを見ることもまずない。
 26キロで野口がスパート。若い坂本に期待していたが無理のようだ。土佐はいつもの苦しそうな走りでよくわからん。
 36キロでラドクリフがしゃがみこむ。リタイア。
 野口が先頭をひた走る。ヌデレバが14秒差で追う。その差が10秒に縮まる。悲運の銀のイメイジが強いものだから気が気でない。
 TBSの実況アナは近年珍しい凡庸な人。何度も繰り返すのは「日本女子、オリンピック二連覇か」のみ。てめーが目立とうとくっさいセリフを用意してきて連発されるのもたまったもんじゃないが、せっかくの晴れ舞台なんだから(もちろん選手にとってだがすこしはアナにとってでもある)もうすこし切れのいい表現のひとつもしてくれよと思う。クッサイセリフで喚き散らすフジのアオシマなんかは「ああ、もったいない」と思っていたろう。不得手なニュースキャスターで迷いの森をさまようフルタチも「おれだったら」と思ったか。
 解説は有森。聲がいいしそつのない解説だが増田明美のうまさになれてしまったのでこれまたもうひとつ物足りない。「名選手必ずしも名監督ならず」とはどのスポーツの分野でもよく言われる。オリンピックにおけるマラソン実績で銀と銅をとった有森と途中棄権の増田では比べようがない。ただし注目度期待度では日本記録を連発していた増田のほうが遙かに上だった。挫折した天才タイプはいい形で成長するようである。今の増田の解説は絶品だ。

 残り1キロ、差は10秒。トラックに入った。10秒は50メートル。野口は勝利を確認して手を振りながら走っているのにまだ不安。あと300メートルとなってやっと安心した。
 ゴールした野口の上気した清々しい顔を見ていたら二十五年前に初めて見た先輩の奥さんの出産後を思いだした。朝の七時に生まれたという。先輩の家に泊まっていた私は昼に先輩と一緒に病院に会いに行った。当然ベッドに弱々しく横たわっていると思っていた。しかし奥さんはもう起きあがってトイレも自分の足で行っていた。今では手術をした人でも極力自力でやらせる(そのほうが治りが早い)は常識だ。この産院ではいち早く実践していたのだろう。でも昔風のベッドに横たわり、その横に赤ちゃんがいるという形を想像していた私にはこれは驚きだった。そのトイレに自力で行って帰ってきた奥さんが、野口と同じように、上気し大仕事をなし遂げた誇りに満ちた顔だった。

 周囲に手を振り、涙を拭っているようにも見えた野口だったが、うずくまってしまう。日本の女らしく塀際に行きカメラの死角でなにかしていたが(カメラは懸命に覗こうとしていた)あれも嘔いていたのかも知れない。すぐに肩を抱かれて医務室に連れてゆかれる。
 そのあと7位の坂本が入ってくる。笑顔だ。野口がいず5位に入った土佐もつかまらなかったのか坂本のインタヴュウになった。もしもここから見た人がいたら優勝は坂本かと思ったかも知れない。7位入賞を「おめでとうございます」も難しい。いや世界の精鋭82人中7位でまったくよくやった、なのだけれど、金メダルと5位がいるから問う方も応える方も半端だ。坂本が「メダルは四年後まで預けておく」と強気のコメントをして、客席のファンや関係者に手を振ったりして行く坂本の姿をカメラは追う。なにしろ主役がいないので時間稼ぎをせねばならない。これだけ映してもらった7位もそうはいない。坂本が大きな日の丸を背中に巻いた。これはかっこいいんだよなあ。野口、土佐、坂本の三人で日の丸を掲げてのウイニングランを見たかったが深夜のこの放送では実現しなかった。明日のニュースでは見られるだろうか。
 ついで土佐がいたらしく(そりゃいるけど)土佐のインタヴュウ。7位と知らされ「あれ? 8位じゃないんですか」と応える。ラドクリフのリタイアを知り「ああ、それでですか」。走っているときは苦しそうだが飄々としている。
 野口は点滴を受けているようだ。放送時間内に彼女のインタヴュウはなかった。点滴を受け終ってから日の丸のウイニングランはあったろうか。あれは美しい。あす見られるといいが。

 女は強い。強くて控えめが美しい。さながらマラソン選手はその華だ。醜い女の典型をタジマヨーコやフクシマミズホ、ツジモトキヨミだとするなら彼女らはその真逆にいる。

 オリンピックってまだ半分らしいがあとはなにがあるんだろう。瀬古や中山、宋兄弟の時はあんなに強かった男子マラソンはどうして落ち目になったのだろう。いやほんと、あと一週間、オリンピックってなにがあるんだ?


●体操
 金メダルをとったのに体操のことに全然ふれてなかった。私が最も得意だったのは器械体操と走り高跳び、幅跳びだった。最もだめだったのが長距離走である。猫そのものだった。そういうこともありオリンピックに興味のない時期にも体操だけは見ていた。「興味のない時期」とは興味があったのが東京オリンピックで、それ以後四年前のシドニーまでテレビのオリンピック中継なんてほとんど見たことがなかったから、要するに「ずっと」である。
 なぜ見なかったかの理由は明白だ。「きれいごとがうさんくさいから」である。先日もイギリスBBCが仕掛けた次開催国誘致の審議委員への賄賂が問題になっていた。ソ連のアフガン侵攻に反対する西側諸国のモスクワオリンピックボイコットでわかるように、オリンピックなんてのは国連と同じ虚々実々の駆け引きがあるキレイゴトの薄ら寒いものである。これが見なかった理由。じゃあなぜ見るようになったかと言えばこれまた明快。「おもしろいから」である。国別の対抗戦はおもしいろいに決まっている。田舎の小学校でもいちばん盛り上がるのは「部落対抗リレー」だった。今は「地区別対抗リレー」と名を替えたが村の住民はなんで名前が変ったのか誰も理由が分かっていない(笑)。田舎の部落対抗リレーですら盛り上がるのだからその最高峰である国別がおもしろくないはずがない。その中でもやはり直接的に戦う格闘技と駆けっこだろう。ということで近年はオリンピック好きオヤジの最末端ぐらいにはなるのか。
 体操は自分がやっていたこともありずっと見てきたのであえて書く気にもなれない。そういうもんである。


●女子レスリング
 女子マラソンが終って次はなんだと思っていたらこれが始まった。柔道と並んで最も金メダル獲得の可能性が高いのにすっかり忘れていた。注目していて智識もあるのに忘れていたのはこれがオリンピック初の種目だからだろう。今回見るつもりはないけれど「オリンピック最終日のマラソン」なんてのは智識と記憶として銘まれている。
 22日から23日朝にかけて予選。みな準決勝まで進む。
 肝を冷やしたのは吉田沙保里の準決勝。井上康生以上に絶対に金まちがいなしと思っていたので、リードされ、やっと逆転で勝ったときは手に汗を握っていた。今回のオリンピックで鈴木桂治の準々決勝とこの吉田の準決勝は忘れられないものとなった。(いやそのうち忘れてしまい、何年後かにはこの日記を読んでああそうだったと思い出すのだ。そうなることを知っていて、そのために書いている。)
 浜口京子が準決勝で負けた。オリンピックの怖さだがこれもそれほど意外ではない。72キロ級は層が薄く浜口の強さは強豪が犇めく48キロ級の伊調姉や55キロ級吉田のような絶対的なものではない。オリンピック前、日本の合宿での浜口と吉田の申し合いを見たが17キロ軽くても吉田の方が強かった。あれは天才である。浜口は努力の人だ。

 23日深夜に決勝戦。珍しく中継局はテレビ東京。ここのタレントキャスタは別所ナントカ。あまりよくなかった。よかったのは山本美優が解説ゲストだったこと。メダル獲得に我が事のように涙を流している姿は美しかった。「我が事のように」ではなくもっと複雑な感情があったろうとも勘ぐれるがそれはしない。
 吉田に次いで金メダル確実と思っていた伊調姉が2対2のままパッシブ(消極的選手に与えられるペナルティー)の差で負けたがこの辺の判定は微妙だ。だがだったらそんなものに関係なく勝てということなのだろう。
 不安が芽生えたが次の吉田は準決勝の辛勝が嘘のような圧勝。試合前からの予告パフォーマンス、サカイ監督(どの字だっけ)を肩車した。監督うれしそうだった。日の丸がうつくしかった。吉田はバク転からバク宙まで披露。インタヴュウも餘裕。まったく心配させやがって。
 伊調妹も圧勝。それでも優勝してから泣きっぱなしなのは姉が敗れるのを観ていた不安もあったのだろう。
 三位決定戦の浜口も圧勝。とても強く準決勝での負けが信じられないほどだった。ふてくされることなくすなおに笑顔を見せていたことに救われた。
 金よっつかと期待された結果は金ふたつに銀と銅がひとつ。それでもとんでもなくすごいことだけど。

 姉妹制覇かと期待された伊調姉妹は山本姉妹でもおかしくなかった。時代の皮肉である。世界選手権者の山本美優は次の目標がなく結婚引退する。子供が出来たあと離婚し復帰する。エンセン井上と再婚し再引退する。オリンピックという新たな目標が出来再復帰する。自らビョーキというほど全身に入れ墨をいれている亭主(両手の平にまで入れ、さすがにこのときはやったことのない彫り師が困ったとか)の影響を受け手首に48と入れ墨を入れる。永遠の48キロ級の誓いなのだとか。しかしもう往年の力はなくオリンピック代表には成れなかった。伊調姉の時代だった。残ったのは手首に彫った48の入れ墨のみである。妹の世界選手権を3連覇した山本聖子も伊調妹に敗れ出場は成らなかった。失意の姉と妹に代わってそれまでいちばん無名だった真ん中の息子・山本キッドが総合格闘技で名を顕わしてきた。
 金メダルをとった選手を観ながらきれいな涙を流す山本美優の胸に去来するものは何だったろう。

 山本姉妹の不運とともに浜口京子の強運も感じる。元々女子プロレスラになりたかった浜口は二十歳前後でプロレスラになる予定だった。父母も賛成していた。アマレスはプロになるための助走に過ぎなかった。それがちょうど札束をかますに押し込んでトラックで搬ぶほど儲かっていた全日本女子が放漫経営のつけが来て傾く。もっともこれ、プロレス自体には問題はなかった。基礎知識もないのに多角的経営に乗り出して躓いたのである。引受先がなくなった。ちょうどそのころ世界選手権で負けた。負けたままでのプロ入りはならない。もういちど再起を期す。そうこうしているうちにアテネでの正式種目に決まった。目標をそちらに切り替える。強くなければ失笑ものの父アニマル浜口のパフォーマンスも成績がいいものだから麗しい親子の物語として各種メディアに取り上げられた。今や女子プロレスラはすっかり日陰の身だが浜口は日なたに飛び出した。ビューティペアブーム、クラッシュギャルブームほど女子プロレスに人気があったなら、浜口は大柄な女子プロレスラとして国民的ヒロインになることはなかった。すなわち時代に愛されたのである。
 金をとった吉田、伊調妹は天才タイプ。伊調姉、浜口は努力タイプだった。勝ったのは天才か。伊調姉はまだ若い。次がある。層が厚い階級なのでたいへんだけれど。浜口は北京で三十になるが狙うと言っている。国内ではチャンプは間違いなく代表にはなれるだろう。だが北京で金はどうか。今回準決勝で敗れた中国の十八歳が金をとった。あんな凄いのが世界にはごろごろいる。浜口の前途は多難だろう。

 25日の讀賣一面。《「気合いだ!」浜口の父親、、平吾さん(元プロレスラ、アニマル浜口)の雄叫びに象徴されるように……》。とあった。アニマル浜口が日本一の新聞の一面に出たのは初めてだろう。景気の悪くなった末期の国際プロレスでリング組み立てまでやっていた彼にこんな形でスポットライトが集まるとは思わなかった。浜口ジムからは大森や小島が出ているが。
 スポーツ面には《みんなが合宿する桜花道場は、アニメ「タイガーマスク」に登場する「虎の穴」のようなもので……》とあった。イギリスの「蛇の穴」と呼ばれたビリー・ライレーのジム(カール・ゴッチやビル・ロビンソンが学んだ)を文字って梶原一騎の作った「虎の穴」はこんな形で伝承されてゆく。記事を書く記者がそういう世代になったのだろう。ともにうれしいことなのだが、他人事なのになぜか面はゆい気持ちになるのは不思議である。

【附記】(8/25)
 女子レスの試合を観ていたらリフトもローリングも決まらなかった。それだけ実力が拮抗しているし難しいことなのだろう。だがカレリンは30キロ、40キロ重い相手をひっくり返しカレリンズ・リフトと呼ばれたリフトを決めていた。あらためて特別の人だったんだなと思った。「電波少年」の「カレリンさんに投げられたい」とかのアポなし突撃で出川哲朗はロシアまで行ってカレリン放り投げられていた。それこそ頭上にリフトアップされての4メートル投げである。うらやましい。いい思い出であろう。だが分厚いマットへの投げではあっても受け身をひとつ間違ったら首の骨を折っていたんだなと寒くもなる。

【附記】(8/27)
 中京女子大の監督は栄(さかえ)監督である。知っていた。なのにテレビアナが「サカイ監督」というものだから字がわからなくなった。この人も日本代表クラスだったが世界には届かなかった。こういうタイプが監督としてはみな花開くようである。四階級に三階級自分の弟子を出すだけでもすごいのにそれが金二つに銀ひとつ取ったのだからたいへんなものである。我が世の春だったろう。吉田に肩車してもらい伊調妹を肩車した。となると浜口には父親がいたからやはりひとり蚊帳の外に置かれた伊調姉が不憫になる。不憫たって世界で二番目なのだが。
 中京女子大は「中女」とユニフォームに書くものだから妻が中国人選手かと勘違いしたものだった。伊調姉は思うような練習が出来ないと東海大を中退して中京女子大に入り直した。「そのときご迷惑をかけたりもめたりもした人がいるので金をとることで恩返しがしたい」と語っていたから、それなりのことがあったのだろう。たぶん東海大もそれまでの実績で特待生で入ったから辞めるのはもめたろう。
 今回のオリンピックで一気に注目されたこの種目は、もう金をとりたいと思ったら誰もがこの大学に行きたいと願い集まって来るに違いない。女子レスリングで中京女子大の天下は続く。まともなら吉田も伊調妹も北京で連覇だろう。このオリンピックが中京女子大の知名度を上げることに寄与した価値は宣伝費に換算して数億円になろう。もっとか。数十億か、数百億か。おもしろいCMを作ってテレビで流しまくったとしても誰もが注目してくれるとは限らない。「東京モード学園」のように。私なんかこれがなかったら永遠にこんな名古屋の女子大など名前を知ることはなかった。毎度言うことだが高校野球がなかったらいまだにPLも天理も智辯も知らなかった。フクオカマサユキがいなかったら白鵬(こりゃ相撲取り。白鴎だね)大学を知ることもなかった。我が世の春は中京女子大経営者でもある。


■オリンピックのお仕舞い
 女子レスが終ったあと一切オリンピックに興味がなくなった。本来なら大会の華である最終日の男子マラソンがあるのだが強豪の日本選手がいないので見る気にならない。「うまく行けばひとりぐらい10位に入れるかも」で2時間半、固唾をのんで見守る人もそうはいまい。いや飲んでいたのは固唾じゃなくて酒のようだが。私は熱心にあれこれとオリンピックを見たがすべてメダルを取れるものばかりだった。メダルを取る瞬間、同胞が勝つ瞬間を見たくて観戦した。じつにいい加減な見方だがいい加減という意味での筋は通っている。
 固唾といえばPRIDEは固唾をのみ手に汗握ってテレビ桟敷観戦した。とてもあれは酒を飲みながら観るものではない。オリンピックもそうだった。ただそれは私にとってはそうだったというだけで、PRIDEもオリンピックも酒を飲みつつ応援した人は大勢いるのだろうし、そっちのほうが正しいのだと言われれば反論するつもりもない。でもどうせなら居酒屋でオリンピックは観たくない。むしろオリンピックに浮かれる街中と縁を切りたくて出かけるようなものだから、オリンピック中継をしている居酒屋なら入らないか。

 ま、ともかく私のオリンピックは終った。(25日)。それにしても女の柔道、女のレスリング、女のマラソンである。東京オリンピックにはないものばかりだ。時代は変ってるんだな。強い日本女の時代か。でもみんな好ましい娘達なので救われる。



●新体操
 28日はシンクロナイズドスイミングをやっていた。まったく興味がない。
 新体操のカバエワには見惚れた。日本はやらなくていいわ。演技以前の美で話にならない。もしも酒を飲みながら見られるオリンピック競技があるとしたら新体操は数少ないそれになる。


●マラソン
 深夜零時から午前二時過ぎまで男子マラソンをやっていた。DVDコピーをやりながら見るともなく見ていた。DVDコピーのことやADSLになったら始めるであろうWinny2のこと、古本屋で買ってきた『ゴルゴ13』等を読みつつだから観戦とは言い難い。それでも観客が乱入しトップを走っていたブラジル選手が歩道に押し込められてしまうというとんでもないハプニングの現場をリアルタイムで見ることが出来た。テレビがハプニングと言っていたので思わず私もそう書いてしまったがあれはアクシデントと言うべきであろう。アテネオリンピックも最終日でとんでもない瑕疵を残した。いったん止められた形になりそれからまた走り出した彼は、そのとき2位以下に25秒の差をつけていたが順調に走ってきた下位に一気に10秒差に縮められ、やがて抜かれて3位に終る。なんとも気の毒だった。でもゴールの瞬間、四方八方に投げキッスをしながらうれしそうにゴールインしたのに救われた。そのときアナが「ブラジル初のメダル」と言っていたがこれはマラソンにおいてということだろうか。各国のメダル数など知らないので(かつてはソ連、今回は中国が一番金メダルを獲得していることは知っている)意味不明。もしも全競技でならより惜しかったことになる。イタリア選手の勝利をすなおに称賛出来なかった。

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 午前三時から閉会式。興味もないし見ない。
 これでほんとに終った。長かったようで短かったような、どうでもよかったようでずいぶんと助けてもらったような。思うのはただひとつ。父が元気で家にいて、妻が日本にいて、二階で一緒に見たならもっともっと楽しめたろうにということ。
 電話で妻が「愛ちゃんはどうなった」と訊いてきた。卓球の愛ちゃんのファンなのだ。ベスト16だったと言うと残念がっている。勝ったのは中国人選手だよと教える。中国の卓球が世界一なのは知っているがそこまでの報道はやっていないらしい。いややっているのだろうがオリンピック番組をそこまで見てはいないのだろう。そういえば新聞を読むという習慣はない。配達もないし買うのには三十キロ離れた町まで行くしかない。新聞はどれほど盛り上がっていたのだろう。ちと興味がある。
 四年後の北京から中国人のオリンピックに関する興味は一気に変るだろう。私は妻一家の今のたいして興味のない姿勢が好ましく、あまり変って欲しくないと思っている。

【附記】
 メダル争いは最終的にアメリカが1位になったようだ。
06/3/21

 気の抜けたビールのWBC!?

気の抜けたビールと言っても過言ではないだろう。
米国が企てたシナリオとは全く違う方向に進展したワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が21日(韓国時間)、日本とキューバの決勝戦を残すのみとなった。ところで最も高まるべき決勝戦に対する関心が覚めやっている雰囲気だ。

当然決勝まで生き残ると思われた米国が脱落したためだ。もちろん、米国が脱落した背景には韓国の善戦があったわけだが、主催国の脱落はやはり大会に対する関心をそぎ落とす形となった。
波乱の主人公となった韓国が決勝進出できなかったことも、終盤の熱気が冷えやってしまった一因。

韓国が米国と日本を相次いで倒し、米メディアはその新鮮なショックをニュースとしながら話題に事欠かなかった。
話題の主人公だった韓国が舞台裏に退いて以降、これ以上驚くべきニュースは見られなくなった。


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 2ちゃんねるの「ニュース速報」でこれを、最小の数行まではふんふんと感心しつつ読んでいたが、このあたりまで来て首を傾げる。なんかおかしいぞ。もしかして?
 一気に最後まで飛ばしてニュースソースを見る。

サンディエゴ(米カリフォルニア州)=キム・ナムヒョン特派員

『スポーツ朝鮮』

 なんだよ、まじめに読んで損した(笑)。
 こういう場合は、最初にニュースソースを書かないとね

07/9/14

いくらなんでもひどい判定

 世界柔道大会。
 いくらなんでもあの判定はおかしい。

 私は日本大好きな日本人だけれど外国人好きでもある。力道山の時代から力道山よりルー・テーズのほうが好きだった。だって確実に強かったしかっこよかったし。同じ理由で猪木や鶴田よりハンセンやブロディのほうが好きだった。いまもモンゴル人力士が好きである。外国人が好きというより、目の前ではっきり確認できる相手の強さを無視して、ひたすら日本人贔屓する感覚が嫌いのようだ。とはいえ現実を無視しての地元贔屓は世界各国どこでもそうらしいから、私は変人なのかもしれない。でもひたすら日本を誹謗する売国奴マスコミよりはましだけれど。この自虐性は日本獨自らしい。まあそれはともかく。

 そういう私から見てもどう考えてもあの判定はおかしい。もちろんさかのぼって篠原だってそうだったけれど。いったい柔道のルールはどうなっているのか。

 こちらが投げる。一本だ。決まった。だが投げられた方は投げられてもう負けたのに、まだしつこくこちらの帯にしがみついたりしている。一本を取って安心しているこちらは、しがみつかれ引っ張られてしりもちをつく。そこで「イッポン」と出る。こちらは当然自分が勝ったと思って堂々としている。ところが主審の旗はあちらにあがっている。何事が起きたのか!? そうしてそれが自分の投げ技ではなく、あのしりもちだったと知る。投げ技は認められず、あのしがみつかれてのしりもちがイッポンになっているのだ。

 いやはやひどいものである。解説にあの篠原が出ていて(この人、外見とは違ってめちゃくちゃおしゃべりでおもしろい。前々からそう気づいていたけど、最近ではヴァラエティ番組でも大活躍だ)「こんなことがあっては柔道は終りです」と語っていた。
 いやはやひどいものである。

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 と、憤慨していたのだが、翌日のワイドショーで見た古賀の意見は刮目に値した。
 古賀はまず「日本よりも世界の方が柔道が盛んです」と言い、「今回のような大会だと日本人もテレビで見ますけど、ふだんは見ないでしょう。外国ではもっと柔道大会が放映され、みんな見ています」と世界の情勢を語った。そしてその柔道が盛んなヨーロッパ等で、みな今回のようなルールでやっているのだという。
 つまり日本人は投げたら、投げられたらきれいに一本だ。相手も潔く受け身を取って負けを認める。スッキリしている。だが外国では投げられてもまだしがみつき、最後の最後にどんな態勢だったかが重要なのだという。それがルールであり、時代の趨勢なのだ。

 古賀は日本人の練習姿勢も批判した。まことに日本人らしく、そういうきれいな一本を練習にしているという。投げた方も投げられた方も。だって柔道ってそういうものだったから。
 ところが外国は違う。投げられてもまだ終っていない。だから日本での練習と同じ感覚で試合をするとああなるのだと古賀は言っていた。
 言われてみると、そしてビデオを見ると、まさに古賀の言うとおりで目から鱗だった。私もまた極めて日本人的な感覚なのであきらめがよい。しかし外国は違う。投げられ、体が宙を舞っていても、まだしがみつき、どこかに逆転はないのかと願っている。実際問題として、前記のように、投げられ負けた態勢からしがみついて力を抜いた相手にしりもちをつかせる程度の効果しかない。でもそれが勝ちになるのだからもうこれは別の競技と考えるしかない。

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 これで思い出すのがあの「朝青龍対琴ノ若」だ。従来の相撲として勝った形に入った琴ノ若は、相手が怪我をしないように気遣って「庇い手」をした。その間、朝青龍は危ないからやってはいけない「ブリッジ」をして粘っていた。絶対的に琴ノ若の勝ちでありなんの問題もないのだが、ビデオ判定を導入し自分の判断に自信をなくしている審判陣は、「朝青龍の体が落ちるのと、琴ノ若の手が着くのが同時と見て取り直し」とした。取り直して横綱の勝ちだ。くだらん。

 この勝負で私が呆れたのはまずなんといってもあれを取り直しにした勝負審判の見識のなさである。あんなことをしたら相撲の美しさがなくなってしまう。琴ノ若が庇い手をせずあの巨体を朝青龍に浴びせていたら朝青龍は大けがをしたろう。だが中学を出てすぐに相撲界に入り、しきたりを体で覚えている琴ノ若はそんなことはしない。その力士として琴ノ若が体で覚えてきた相撲の美を、あの審判陣は無にした。これと比したら、外国での外国人による柔道の審判など罪が軽い。こちらは日本獨自の競技で、その競技出身の審判員がそんなお粗末なことをしたのだ。今更朝青龍問題で云々しなくてもあの時点でもう相撲は終っていたのだろう。

 もうひとつ呆れたのは、翌日朝青龍がその「ブリッジ」を付き人たちに「おれってすごいだろう」的ニュアンスで自慢していたと知ったことだった。ここまでこの人は相撲の基本を知らないのである。バカ朝潮はもちろん、明徳義塾高校でもいったい何を教えていたのだ。相撲の基本中の基本も知らないで最高位にいる。呆れた話だった。

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 東京オリンピックで公式競技となった柔道が今まで続いてきたのは、あのつまらない「ポイント制」を取り入れたからなのだそうな。
 むかしの柔道を知っている身には、あれはもう別種目である。序盤に有効でもとったなら、なんとかそれで逃げ切ろうとする。なんともつまらない。そこに前記のような不可解な審判が加わる。だから私は長年柔道の試合を見ていなかった。
 ここ何年かでまた見るようになったのは、「別の種目」と割り切れるようになったからである。ああいう競技なのだと割り切ってみれば、ポイント制も、そこから生まれる戦略も、それはそれで楽しめる。

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 今回の柔道審判も朝青龍対琴ノ若戦も、一言で言えば「日本人的潔さの問題」である。
 それが異国人に対しては通じない、という話だ。
 この何百年ものあいだ、「ほぼ単一民族」として歩んできたのは世界中でも日本人と朝鮮人しかいないそうだ。
 相撲の「庇い手」「死に体」等のあいまいな感覚はそこから来ている。いわば「客観的に見て死んでいる」だ。だが外国人と死の認識を共有するには、心臓にナイフを突き刺して鼓動の停止を確認せねばならないのだろう。

 柔道に関しては、今回思わず「あれはないよなあ」と書いてしまったけれど、それほどの無念はない。何故なら柔道は世界的競技になるために甘んじてそれを受け入れたからである。今回世界柔道連盟の理事から山下が落選し創設以来初めて日本人理事がいなくなった、とニュースが流れていた。これでますます世界の柔道は日本の柔道とは異なって行くだろう。それは理事にすらなれないような政治的策略の出来ない彼らの責任である。日本はこれから「発祥国」としての誇りが空回りする存在になって行く。でもそれは柔道ではなくJUDOなのだと思えば割りきれる。

 相撲は気になる。なにしろいまだに体重制を取っていない世界唯一の格闘技である。100キロと280キロが同じ立場で戦うのだからたまらない。
 私にとってそれ以上に重要なのが相撲的な美学である。それがいま急速に失われようとしている。その理由を相撲協会は外国人力士の台頭と解釈し、外国人力士の数を規制することで交わそうとした。
 これが誤った考えであることは言うまでもない。朝青龍は横綱でありながら庇い手の概念を知らずブリッジをした。それはそれを教えていなかった指導者(=日本人)の問題である。そして審判は庇い手を知っていながらビデオを参考に取り直しにした。審判も日本人である。
 解決すべき問題は外国人力士ではなく、日本人にある。

 毎度朝青龍問題を悪ガキとそれを指導できない親の責任になぞらえているが、これもまったく同じだ。家庭内に問題が起きたのに、そのことに正面から対峙せず、学校の問題とし、警察に相談したり、裁判等と考え、果ては文科省の指導が、にまで問題をずらしている。そうではない。家長がしっかりしていれば、女房がしっかりしていれば起きていない。家庭の問題なのだ。家長が自分の責任を認めず責任転嫁しているのと同じ事を、相撲協会そのものがしている。

 これは品格を失った日本人そのものの基本的な問題だから、これからまた多くの分野で同様の事態が噴出するのだろう。

08/3/22
●高橋克己とキムヨナ





 このふたりは似ているよなあ(笑)。
08/4/29
 井上康生引退とさげまん伝説

井上康生、五輪代表逃し現役引退へ

 柔道の全日本選手権準々決勝で敗れ、北京五輪男子100キロ超級代表を逃した井上康生(29=綜合警備保障)が引退する意向であることが29日、明らかになった。

 関係者によると、今後は指導者を目指し、海外留学も検討しているという。井上は試合後には「精いっぱい戦った。自分を出し尽くした。もう悔いはない」と話し、「(東海大の)先生方と話し合って結論を出したい」と明言を避けていた。6月の実業団の試合に出る可能性はあるという。

 井上の恩師である山下泰裕・東海大教授は「芸術的な内またで一時代を築いた。よくここまで頑張った。ご苦労さまと言いたい。苦しかった経験を指導者として生かしてほしい」と話した。

 井上は2000年のシドニー五輪男子100キロ級で金メダルを獲得。全日本選手権を3連覇、世界選手権も1999年から3連覇するなど、日本柔道界をけん引する存在だった。04年のアテネ五輪で敗れ、100キロ超級に転向したが、けがもあって苦戦が続いていた。

[2008年4月29日22時3分]ニッカンスポーツ


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 井上が敗れ、引退することになった。シドニーで金メダルをとり、母親の遺影を高く掲げたとき、このひとは運を使い果たしたなと感じた私からすると当然の流れになる。
 とは、後づけでいくらでも書けるし、現状を知っていたら嫌味である。だが私は当時からそう言っていた。書いてきた。
 そして、誤解されたくないので強調しておくが、だからといって私は彼が嫌いなのではない。
 シドニーのときに彼の運の頂点を強く感じた。それは事実。だがそれからもむしろ彼を応援してきた。私ごときの直感をくつがえしてくれと祈ってきた。



 昨日、もうすぐNHKの柔道中継が始まるなという時間にINさんからメールが届いた。ファイルバンクを利用した音楽送信に関する御礼だった。私は「もうすぐ柔道中継が始まりますね。果たしてさげまん伝説はどうなりますか」と返信した。
 夜、INさんから「やっぱり負けましたね。さげまん伝説でした(笑)」とあり、そのあとに「かといって私は彼が嫌いなわけではありません」と附記してあった。INさんの気持ちも私と同じなのだ。なんとなく井上康生というひとの人生の運気が見えてしまう。かといって嫌いなわけでもない。そういうことだ。



 私は昨年フサイチホウオーという馬に関して、「長年の相馬眼から、どう考えても大物とは思えない」と書いた。そのとき彼は4戦全勝。ダービーの最有力候補だった。そんなことを書いて外れたら赤っ恥なのだが、スターホースなのに、そこまで強くそう感じる馬もめったにいないので、思いきって書いておいた。

 一昨日引退した。4戦4勝のあと、7戦して一度も勝てなかった。ダービーも1番人気で大敗だった。私の相馬眼(というかオーラを感じない、のような感想)は正しかったことになる。
 が、これまたここが大事なのだが、かといって私は彼が嫌いだったのではない。それどころか、「私にはそう思えるが、きっと強いにちがいない」と、せっせと彼の応援馬券を買っては損をしていた。これまた、そういうことである。



 井上康生はシドニーで運を使い果たした、あれ以上のピークはない、そう思った。だがそういう自分の読みを嘲笑うかのように、大活躍して欲しいと願っていた。
 それが私の気持ちになる。

 だから今年の1月、井上が東原亜希と結婚すると発表したときは焦った。私が焦ってもしょうがないが(笑)。
 下記にWikipediaから引用した。東原はこういうひとなのである。北京オリンピック出場に向けて最後の勝負をするときに、こういう女と一緒になってはいけない。これでは行けるはずの北京にも行けなくなってしまうと心配した。
 以下、競馬ファンなら誰でも知っている「東原亜希伝説」である。


東原亜希DEATH NOTE伝説──Wikipediaより

「東原が本命予想で取り上げた馬は、たとえ1番人気馬であってもことごとく負けてしまう」という本人にとっては不名誉なジンクスがあり(2007年春シーズンは21連敗を喫しており、さらに本命に挙げた馬が3頭骨折している)、「本命キラー」と呼ばれ、東原が番組内で使用する予想フリップや競馬ノートは「DEATH NOTE (デスノート)」と揶揄されて、競馬ファンのみならず競馬関係者にまで話題となる。

日本ダービー特集の放送でVTR取材に応じた武幸四郎騎手は、その前のヴィクトリアマイルで1番人気だったカワカミプリンセスが惨敗したことを引き合いに出して「亜希ちゃんが本命にしたから負けた」と発言し、それを確認した東原は日本ダービー予想の中に同騎手が騎乗するヒラボクロイヤルを急遽予想フリップに追加。
この様子を番組マスコットのうまなでさんは「DEATH NOTEに書かれた」と表現し、「東原予想=DEATH NOTE」として広まる。結果は本命のフサイチホウオー共々惨敗したことから、関係者の間でも話題となり、後に宝塚記念特集の放送では、武豊騎手が「(自身の騎乗馬の)ポップロックには本命を打たないで欲しい」と発言。

2007年7月1日放送の『ジャンクSPORTS』に出演した際にこの東原予想が話題となったが、VTRで登場した後藤浩輝騎手や武幸四郎騎手に「カンベンしてください」と言われ、東原は「名前いっぱい書いてやりますから!」と発言。放送では、『うまなで』関係者と武幸四郎騎手ら騎手連で行った飲み会でも東原は武幸四郎騎手に無視されたと語っている。
宝塚記念まで20連敗を喫し、新聞のラテ欄には「東原20連敗」と不名誉な見出しが付いた。

25歳の誕生日であった2007年11月11日の「第32回エリザベス女王杯」において、ダイワスカーレットを本命に、気になる馬にフサイチパンドラを挙げ、2頭が見事ワンツーフィニッシュして、番組開始以来の競馬における連敗記録を38でストップ。


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 こういう信じがたいほど運の悪いひとというのは現実にいる。といってめったにいない。ほんの少数だ。よりによって勝負の世界に生きる井上が、それを女房にすることはあるまいと思った。



 東原とは逆のひともいる。
 私が強くそれを感じたのはアヤパンこと高島彩アナだ。彼女は出世前に短期間競馬番組に関わっていた。そこでの彼女の強運と勘のよさは今でも話題になる。そういう運を持っているのだ。才能である。すぐに目覚ましテレビに抜擢され番組からは去った。結婚まで噂された武幸四郎騎手との交際はこの当時に始まった。

 最近、ほしのあきが出演を始めた。はしゃぎすぎだと眉を顰めるひともいるが、彼女も強運である。先日も番組中で「名前がいいからこれ」とナナヨーヒマワリを指名したら、それが大穴で勝っていた。その前には、同じく人気薄の2番の単勝を当てたことがあり、その理由が「2番が来るような感じがして、ずっと2番の単勝を買っていた」とのことだった

 競馬を始めたばかりの女が、名前がかわいいから応援するとか、直感で×番だと思ったなんてのは、よくある、というか必ず誰もがやることである。だが現実にそれが当たってしまう強運をもっているひとはめったにいない。ほしのはそれを生放送の番組中でやってしまうのだから運が強い。

 東原も最初は、そういう「いかにも女の娘らしいかわいい直感勝負」で予想した。外れる。外れ続ける。この時点で彼女には神様が運をくれていないことが見えた。悔しいので競馬の勉強をして予想する。外れる。とにかく一度でいいから当てようと、絶対まちがいない大本命馬を選んでみた。外れる。馬が骨折した。他人の予想に乗ってみた。外れる。気の毒になるほどだった。まさに逆神である。上記Wikipediaはおおげさではない。すべて事実なのだ。



 いくらなんでも勝負師がそんな女との結婚はないだろう、と思う。そんなのと結婚したら運がさがってしまうぞと心配する。
 しかし私はこのときまで知らなかった。もういちどWikipediaから。



 2004年11月に、井上康生との熱愛が報じられた。2人の出会いは2003年『SRS』の世界柔道特集でのインタビューがきっかけであり、東原の一目惚れから交際がスタート。

 2008年1月15日午前、25歳で井上康生と正式に結婚(入籍)。今後はタレント活動をセーブし、井上の北京オリンピック挑戦を支えていく意向を明かした。

 井上康生との交際は結婚前に「ジャンクSPORTS」や「うまなで」などで遠回しによくイジられていた。




 なんの自慢にもならないが、というか恥じるべきかも知れないが、私は芸能界のどうでもいいことをよく知っている。スポーツ紙や週刊誌をよく読むし、ヴァラエティ番組もかなり見ている。だから土岐田麗子とインパルスの堤下の交際と破局のようなどうでもいいこともよく知っている。というかあれは「さんま御殿」での逆告白のシーンまで見ている。世俗に通じた俗物である。

 なのにふたりの交際をまったく知らなかった。まあ「ジャンクスポーツ」はハマダの下品さが嫌いなのでめったに見ない(=興味のあるひと、たとえば挌闘家の桜庭が出ていたりすると我慢して見る)し、「うまなで」(深夜の競馬番組)を見るほどバカでもないから当然ではある。

 だがそれ以前に、井上にも東原にも興味がなかったということであろう。私はまずまちがいなく、というか絶対確実に、ふたりの交際が報じられた日のスポーツ紙を読んでいる。そのあとの週刊誌も目にしている。なのに一切記憶がなかったのはふたりに興味がなかったからだ。

 前記したように、井上の運はあれがピークだと思ったが、そういう私の予感をくつがえしてがんばって欲しいと思った。それは本当である。といって彼の恋愛や結婚にはなんの興味もなかった。

 東原亜希という娘さんにはまったく魅力を感じなかった。ルックスも発言にもなんら惹かれるものを感じなかった。
 これまたくだらんことだが私はこっち方面も詳しい。スザンヌなんて初めてテレビに出たときから知っている。おバカではあったが人柄のよさが出ていて不思議な魅力を持っていた。売れるだろうと思った。サトエリなんて無名のころに「ええカラダのねーちゃんやな」と水着姿の雑誌表紙にほれぼれし、すぐに名前を記憶した。もっとも彼女はそれだけで、他の才能はないことがもうはっきりしたが。
 東原からはなにも感じなかった。オーラも色気もなんも感じなかった。たぶん、ただのひと、なのだろう。



 私は井上の結婚発表をニュースで知り、「いかん、そんなのと結婚したら北京にゆけんぞ。運気がさがるぞ」と思ったわけだが、それは長年のふたりの交際を知らない間抜けな感想だった。ふたりはすでに四年前から一緒に棲んでいたのだ。
 つまり井上が「これから」さげまんパワーを受けるのではないかと案じたのだが、そうではなく、「すでに」受けた結果があれなのだった。

 勝負師の恋人として、東原も自分のそういう運気を気にしていたのはまちがいない。付きあいはじめたころは、それはまだ表には出ていなかった。だが競馬番組に関わることにより、自分のそういう運を真正面から瞶めることになった。つらかったと思う。井上の不振は自分のせいではないかと悩んだこともあったのではないか。
 今回井上が引退することになり、これからはもう気にせずにすむ。
 しあわせになってほしいと心から願う。彼女はきっといい母親になるだろう。

 井上は若くして母を失い、先年は一緒に柔道をやっていた兄を失っている。
 おかあさんの分まで長生きし、お兄さんの分まで子宝に恵まれたしあわせな家庭を気づいて欲しい。


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 篠原の大化け

 井上の運の限界が見えた(当たった)とするなら、私にはまったく意外な展開が篠原信一の引退後の活躍だった。

 シドニーでの誤審によるあの敗戦はいま思い出しても腹が立つ。金メダリスト篠原はあれによって永遠に銀メダリストのままだ。全日本三連覇のとき、準優勝は井上が二回、棟田が一回である。いかに強かったことか。

 しかしジャイアント馬場的風貌の大男であるから寡黙な人だと思っていた。明らかな誤審による敗戦に男らしく弁明もしなかったことからも、そう思われた。



 ところが実際の篠原、弁が立ち、冗談もうまく、じつに軽妙洒脱な人柄である。ヴァラエティ番組で笑いをとったりする。とにかく頭の回転が速い。

 それでいて厳しさも忘れない。昨日も石井慧がひどい試合内容で優勝したわけだが、その試合姿勢を厳しく批判していた。
 そのうえアナが選手の戦歴に関してまちがったりすると、たちどころに誤りを指摘する回転の速さである。アナの「過去××選手から一本勝ちしたのは△△選手だけです」に、すぐに「いや◇◇も勝っていますね」と即座に対応する。一所懸命智識を詰めこんできたのであろう実況アナが気の毒になるほどだった。
 石井の逃げの試合に、「これは指導が来ます」と言うと、まるでそれが聞こえたかのように審判が指導のアクションをするのだから、こんな優秀な解説はいない。得がたい人である。

 彼が弁が立つこと、おしゃべり上手であることは、関係者のあいだでは常識だったのだろう。だが私は風貌にだまされて見ぬけなかった。それは私にかぎらず部外者はみな共通だったと思うけれど。
 

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