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2009

09/5/  ラオスの酒

 友人のIさんがラオスに行って来た。奥さんの故郷である。初めてのラオスだった。
 そのお土産として写真の酒をもらった。アルコール度数は45度。かなり強い。ウイスキーやウオッカと同じぐらい。米焼酎である。

 Iさんは、ラオスの連中がみなストレートで飲んでいたと感嘆していた。でもIさんはまったく飲めない下戸。ビールコップ1杯でもたいへんなことになってしまうIさんには45度の意味はほんとのところわかっていない。

 たしかにかなりのものだが云南の鼻のひんまがりそうなほど臭い高粱酒56度(別掲写真)を生のままで飲む私にはなんてことはない(笑)。56度はすごいよ、ほんと。

 しかし云南でそれを飲むのはそれしかないからであり、ふだんは45度を割って飲んでいる。56度を飲むときは「酔わなきゃやってられない」ぐらいのときだけだ。日本でそういう強い臭い酒を飲む必要はまったくない。それどころか記憶が朧になるほど酔ったりすると翌日の猛省がむなしいので、酔わないよう節制している。

 私がふだん飲むのは甲類焼酎25度を果汁100%グレープフルーツジュースで割ったもの。これで13度ぐらい。これを「酒を飲む」というより「食い物を流しこむ水分」として飲んでいる。毎度のせこい自画自賛だが、私が酒で躰を壊さずに生きてこられたのは食うからだ。躰を壊した本物の酒飲みはみな「酒だけ」だった。

 そういう軟弱な日々なので、ひさびさのこの臭さはかなり強烈だった。もらって帰宅した夜、どうれ飲んでやるべえと蓋は開けたが、こりゃかなわんとすぐに栓をして冷蔵庫の中にしまった。なんとも強烈な臭いである。



 Iさんとは2年前、いや日記で確認したら2006年の6月から12月までだからもう3年前になるのか、私が江東区にある会社にデータ入力の手伝いに行っていたときに知りあった。この齢になって初めて経験したと言えるあの「1時間半の通勤地獄」は思い出したくもない体験だ。

 アルバイト終了後もIさんとのおつき合いは続いており、Iさんも競馬が好きなので、一緒に東京競馬場に行ったり、私が彼のホームグラウンドである川口におじゃまして川口オートを初体験したりした。Iさん夫婦とのおつき合いは、あの会社でアルバイトをすることによって得た唯一の宝物になる。

 当時からIさんには長年つきあっている恋人がいた。ラオスの政変で日本に難民としてやってきた女性である。十代でやってきていまは四十歳。日本の夜間高校を出たから、日本語は話すのはもちろん読み書きもすべて出来る(だってその会社で事務職をやっていたのだから)。日本人とまったく変らない。ふたりは、彼女が高校生、Iさんが三十代のときからつき合ってきた。

 一昨年、長い春に終止符を打って籍を入れた。奥さんはそれをきっかけに帰化するらしい。上記の競馬場等も常にふたりは一緒だった。奥さんはなかなか馬券も巧い。
 今回がIさんにとっての初めてのラオス訪問、奥さんにとっては二十数年ぶりの帰郷(ルアンパパーン)だった。



 ラオス語はイサーン語にちかい。都市部ではほとんどタイ語が通じる。Iさんは彼女と付きあい始めた頃からタイ語の勉強をしていた。本当はラオス語の勉強をしたかったのだろうが教科書はタイ語しかない。
 今回初めてその秘められた実力が発揮されたようだ。いや、そう書くと大袈裟になる。じっさいのところIさんの知っているのは簡単な挨拶と100に満たない単語ぐらいでしかない。でも異国で言葉が通じるのは愉しい。うれしい。Iさんも初体験を満喫したようだ。あちらのひとも懸命に自分達のことばを話そうとするIさんをみな好意的に迎えてくれたようである。



 Iさんが買ってきてくれた上掲の酒は安いものである。200円ぐらいか。
 でもいま機内に液体を持ちこむのは厳禁だ。水ですらチェックされる。私は中国からの帰途、なにも持ちこめなかった。よく出来たものだと思う。

 それと、これが重要だが、この種のものは重い。土産は値段よりもまず重いものを避ける。酒のような重いものではなくスカーフのような布類でごまかすものだ。それを私にラオスの酒を飲ませてやろうと、自分は飲まない下戸のIさんが運んできてくれたのである。それがなんともうれしい。

 私はラオスはヴィエンチャンしか知らない。そこではビールしか飲まなかった。このラオスの米焼酎は初めてになる。
 あのころは臭い酒はまだ苦手だった。写真の高粱酒をクリアした今は何でもこいだが(笑)。

 無臭の25度焼酎を割って飲むような日本での酒ライフではラオス米焼酎はけっこうきつかったが、気づけば空になっていた。急いで写真を撮り感想を書いた次第である。
12/10
 飲みたいのはビール!

 今夏、半年ぶりに御徒町のH子さん宅におじゃました。
 それから四ヵ月、先日ひさしぶりに会った。そこでの世間話。
 あれやこれや日々ストレスだらけのH子さんは、私に対しても不満が溜まっていたらしく、ふとしたことから私に対する「批判モード」に入った。仕事や日々の生活でストレスのたまっているおばさんが一気にそのモードに入るとキツいことになる。ひたすら首(こうべ)を垂れて嵐が過ぎ去るのを待つしかない。

 いくつかの批判の中にビールに関する話があった。私は「わがままだ」「贅沢だ」「あきれた」「腹が立った」と厳しく批判された。とはいえ私の方にも言い分はある。という以下、くだらない話である。あまりにどうでもいい話なので読んだあと腹が立つ人もいると思われる。実のある話を読みたいかたはここでやめてください。読んでから「くだらん」「なんちゅうビンボくさい話だ」と怒られても困ります。



 私がH子さん宅を訪問するときの用件はPCの修理がほとんどだ。一応彼女にとってパソコン関係の師匠だし、PCデスクからプリンター、スキャナー、マウスまで、田舎を引き払うときに私があげたものなので物品に対する愛着もある。今夏の場合も彼女から電話でSOSが来たので出かけることになった。

 H子さんは異様に義理堅い。金沢のKはH子さんに米を送ってやったら、お礼の電話や礼状はもちろん、その米をH子さんがすこしだけ分けてやったという医者をしている弟さんからもお礼の電話が来たとかで、あまりのその叮嚀さにかえって混乱していた。まあ米と言っても特別手作りの貴重な品であり、育ちのいいひと特有のその気質は讃えられるものであろうが、Kの戸惑いもまた理解できる。

 今回もわざわざ修理に来てもらうのだから電車賃を出すと言った。私達の住まいは東京の東西の外れ。電車賃は往復三千円弱。ばかにできない金額である。でもさすがにそれは遠慮する。その代わり出かける前、「午後7時ぐらいに着きます。ビールを飲ませてください」とケイタイメールしておいた。



 時刻通りに着き、無事PCの修理も終った。ハードディスクがそろそろ寿命だ。次回は交換せねばなるまい。大切なデータをCDに落としておくように勧める。
 あとは彼女が作ってくれた料理をツマミにビールを飲むだけだ。彼女は料理上手だし、「ひさしぶりのビール」にわくわくする。うまいつまみとビールは最高だ。彼女も「ありがとう。たすかった。さあ、ビール飲んで。冷やしといたから」と料理を並べつつ言っている。
 ところが彼女が私のために買い、冷蔵庫から出してきたのは「第三のビール(以下、雑酒と表記)」だったのである。

 私はそこで明らかに不快な表情をしたらしい。したと思う。だって実際に失望したのだから。
 私の表情を見て彼女はなにかマズイと覚ったらしく、「いまこれがすごく売れているのよね。躰にいいんだって。ともだちの××さんなんかも今はこればっかりだって」と、とりつくろうように早口でしゃべる。××さんはH子さんの高校時代の同級生で新聞社関係のえらいひと。

 その雑酒(これは発泡酒ですね)は「プリン体をすくなくした」とかいうもの。ビールに多く含まれるプリン体は痛風の原因になる。健康のためにそんなのを好むひともいるのだろう。



 とまあこのへんのことをぐだぐだ書いて行くと長くなるので先に結論を書いておく。

 私が飲みたかったのはビールなのである。
 いま日本には三種類のビール系飲料がある。大事なのはココ。
 まずはふつうのビール。この中には、エビスビール、一番搾り、モルツ等の麦芽100%のものと、スーパードライ、キリンラガー、サッポロ黒ラベル等の麦芽を6割に抑え、コーンスターチを加えたりした日本獨自の2種類がある。ちなみにドイツでは麦芽100%でないとビールとは認められない。とはいえ世界中を旅しているプロレスラーが日本のビールがいちばんだと絶讃するし、私の体験からも、麦芽100%ではなくても日本のビールはうまいと言える。

 ついで麦芽含有量による酒税の穴をついてそれをすくなくして値段を下げた発泡酒。これは麦芽使用量を3割程度にすると酒税が安いというビールが初めて日本に来たころに作られた古い酒税法の盲点を突いたうまい作戦だった。

 そこから、同じく酒税の隙間をつき、麦芽を使わなければ税金はもっと安くなると、大豆等から作ったものにラム酒などを混ぜた「より安いビールもどき(=第三のビール・雑酒)」の三種類である。

 ジュースに例えるなら、エビスビール、一番搾りのようなのが果汁100%のジュース、スーパードライ、キリンラガー、サッポロ黒ラベル等が果汁65%ほど。私がビールと認めるのはここまでである。
 発泡酒は果汁10%のような爽やか系飲物。そして雑酒はファンタのような果汁の含まれていないもの、になる。

 私が飲みたかったのは果汁100%のジュースだった。むろん果汁65%のそれでも不満はない。だがH子さんが用意してくれていたの果汁0のファンタだったのである。という話。



 酒飲みでないH子さんにとって上記三種類は同じになる。見た目も中身も同じだし同じ品だと思っている。違いを知らない。
 私には味の違いが一瞬でわかるまったくの別物になる。このビールに対する智識の差が不幸の因となった。
 いま私もH子さんもビンボーである。ビンボーな私にはいちばん安い雑酒がお似合いだ。でもビンボーなくせに味の判る私は、発泡酒や雑酒を飲むと「ビールが飲みたいなあ」と思って惨めになる。だから飲まないようにしている。

 発泡酒が出たとき、いろいろ買ってきて飲みくらべた。そのあと雑酒が「第三のビール」として登場し、大々的に宣伝されたときも、あれこれ買ってきて飲みくらべたことがある。ラムが入っているものなどは一発で判る。それぞれ味が違い、それはそれでおもしろかった。でもしょせんビールもどきはビールもどきだというのが結論だった。

 新聞社のえらいひとであるH子さんの友人が好んで雑酒を飲んでいるのは不思議だ。痛風なのか? 金があるのにビールよりもあんなものを好んで飲むひとがいるとは思えない。味音痴なのか。



 訪問前にH子さんにメールした「ビールを飲ませてください」は、ビンボーなので雑酒しか飲めない私が、いやそれを飲むとよけい惨めになるのでビール系飲料を封印している私が、はるばる出かけてPC修理をする御褒美にビールを飲ませてくださいとのお願いだった。私はその日、「今日はひさびさにビールが飲めるなあ」と電車の中でも笑顔だった。

 それらの違いを知らないH子さんは、店に行き、やはりビンボーであるからしてすこしでも安くあげようと、いちばん安い雑酒を買ってきたのである。あまりに安いものばかりではまずいかと発泡酒も混ぜたりした(笑)。そのことに罪はない。違いを知らずみな同じなのであるから、安く上げようと安いビール(厳密にはビールではないのだが)を買ったのはしかたない。

 違いは知らなくても、H子さんにも、見馴れた外見のスーパードライ(私はこれが好きではないけれど)等と比較して、自分の買った物が安物であることは自覚している。だっていちばん安いのを選んで買ったのだから。それでも同じビールだし、私はよろこんで飲むものと思っていた。ところがそいつ(私です)は、ひとめ見るなり眉をしかめ、いや~な顔をしたのである。

 自分の方にも安く上げようといちばん安いのを買ってきたという引け目があるから、H子さんも「ともだちも最近はこればかり」とか「躰にいいんだって」とフォローする。早口で畳み掛けるようにしゃべるのは安物を買ってきた引け目を隠そうとしている(笑)。が、私のしかめっつらは変らない。

 という、まあなんというか、くだらん話。くだらんけど酒好きの私にはけっこうマジメでシンコクな話。こんな話、ほんと、ビールも発泡酒も雑酒も関係ないひとにはなんのこっちゃ、だと思う。くだらん話ですみません。



 その場はなんとなくごまかし、H子さんの作ってくれた料理を食い雑酒を飲んだが、白けた雰囲気だったことは言うまでもない。
 二階建て一軒家に住むH子さん宅に行ったとき、彼女は二階の寝室で寝て、私は一階のソファで寝るのだが、その夜彼女が寝てから私はひっそりと抜けだし、近くのコンビニでビールを買ってきて飲んだ。封印してきたのにへたにまずい雑酒など飲んだものだからかえって我慢が利かなくなり、納得するまでたっぷりビールを飲んだ。よって交通費さえもったいないビンボーなのに、この出張PC修理はずいぶんと高いものについた。

 翌朝、H子さんが自分の買ってきたものとは違う空き缶を目にしたら嫌味になるだろうと、空き缶はつぶして自分のバッグにいれて隠した。帰路、コンビニのごみ箱に捨てた。バッグの中ですこし残っていたのがこぼれたらしく、中が臭くなって往生した。こぼれたビールは悪臭である。



 それから四ヶ月後にまたPC修理に出むき、そのときヒステリースイッチの入った彼女に、「あのときは腹が立った」「なんてわがままなひとだろうと思った」と私は(なじ)られたわけである。
 彼女からすると、「この不景気の時代、新聞社重役の友人ですら安いビールを飲んでいるのに、ビンボーだビンボーだと言いつつ、なにをあんたは贅沢なことを言っているのだ。不愉快だ!」となるらしい。

 これは「ビールが飲めずビール系飲料を飲むなら、みじめになるから飲まない方がいい」とまで思っている(実行している)私と、酒の味を知らない彼女との差であり、埋めがたい溝になる。

 だから私は反論しなかった。言っても通じない。彼女の中では、「ビンボーだビンボーだと言いつつ、好きなものの品質は落とさない我が儘なヤツ=だからビンボーなのだ」という私のイメージが固まったようだ。それはそれで当たっているのだが、かといって私は毎日好きなだけ好きな銘柄のビールを飲んでいるわけではなく、ビール系飲料を封印するような形で節制しているのだけれど。
「御褒美として本物のビールが飲みたい」が、ビールとビール系飲料のちがいを知らない彼女には通じなかった。

 一緒にビール会社でバイトをしたこともある旧友の金沢のKなら、彼がふだん発泡酒や雑酒を飲んでいるかどうかは知らないけれど、もし節約してそうだったとしても、私が「ビールを飲みたい」と言ったなら、まちがいなくビールを用意してくれるだろう。

 H子さんと知りあってもう三十年になるが、こういう隙間というのは埋まらないものだと痛感した。



 さて、前向きにこの問題?の解決法、対処法を考えてみる。「ビールを飲ませてください」とメールしたとき、「発泡酒なんかじゃなくビールですよ、ビール」とでも書けば問題は起きていないか。H子さんにはビールに関する智識はないが、最近やたら安いものが出まわっている、ぐらいの感覚はある。こう書けば解決したか?

 会社名は無意味だろう。「キリンビールをお願いします」と書いたとしても、キリンビールの発泡酒や雑酒を買ってくるかもしれない。簡単なようで意外に難しい。そういう書きかたをするなら「エビスビール」「一番搾り」のように銘柄を指定すべきだろう。

 いちばんよいのはビールに関する知識を持ってもらうことだ。だがそれはいわゆる「啓蒙」になるから難しい。まさか出かける前にここに書いたようなビールとビール系飲料の違いを長々とメールするわけには行かない。

 H子さんにとって、我が家でビールを飲ませてやったら、それに対して不快な顔をされたという「一生忘れない!」といういやな思い出のようだ。実際そんな言い方をされた。四ヶ月後にそのことで抗議された私にも、なんとも後味の悪い出来事だった。
 感覚のちがうひととはつき合わないのが一番である。

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 酒税考

 酒税が変るらしい。金のない民がみなすこしでも安いものを求めて発泡酒や雑酒を飲んでいるらしいと知った御上は、今までの麦芽含有量に対するビール酒税を改めて、それらにも適用するのだ。まことに民から税を絞りとる御上のやりかたとしてわかりやすい。

 これに対してビール会社が「そんなことをされたのでは新製品開発の意欲がなくなる」と反撥していた。しごくもっともである。麦芽含有量によって酒税がちがうという盲点を突き、それを減らした発泡酒を作ってヒットさせた。そのヒットに気をよくし、麦が含まれていなければもっと税金が安いということから、大豆を使ってみたりしてビール系飲料を開発した。安いので世に受けた。いずれも税金の仕組みを考慮して作りだした隙間製品である。この場合、値段の差は税金の差なので、ビール会社にとって利益率は同じだ。もともと日本のビール酒税は高い。開発された当時、高級品だったらことからそうなっている。売りあげは頭打ちだ。それがより安い発泡酒、雑酒の開発とヒットで息を吹きかえした。さらにがんばって新製品を開発しCMを流す。私は断然ビール会社を支持する。

 なのにそれを見て、それらの税金を上げるのだからあんまりである。ひどい話だと思う。だが古今東西、為政者はいつもそういう形で民から税を搾りとってきた。残念ながら世の中とはそういうものである。「取れるところから取れ」になる。ヒット商品が出たらどんな形で法律を改正(改悪)しようとも搾取しようとする。

 この税法になると、麦芽含有量による大昔に作られた法律を撤廃するので(たしかにこんな法律はくだらない。ビールが薬として薬局で売られていた時代の産物だ)、発泡酒、雑酒の値段があがり、ビールはすこし安くなる。つまり値段の差が縮まる。いま圧倒的に売れているのは発泡酒、雑酒だ。それはもうスーパーの陳列棚を見れば一目瞭然。9割方そればかり。ビールを探すのに苦労するほど。しみじみ不況を痛感する。国としては売れている商品の税を上げるのだから税収が増える、という読みなのだろう。

 三者の値段に差がなくなったら私はビールを飲む。いやまだまだ差はある。いま500ミリリットルのカンで、ビールは270円(麦芽100%はもっと高い。300円ぐらい)、いちばん安い雑酒が160円ぐらいか。これが酒税が変ることにより、たぶんビールが250円ぐらいに下がり、雑酒が190円ぐらいに上がるのだろう。だいぶ差が縮まる。

 しかし世の中には、高くなっても発泡酒や雑酒が好きというひとはいるのだろうか。果汁100%を重くて濃すぎると嫌い、10%程度のものを好むひとはいる。ファンタが一番好きというひともいよう。それに何年も発泡酒や雑酒を飲んでいたら、いまさら細かいことはもうどうでもいいのかも知れない。ビール系飲料でさえあれば同じようなもの、というひとも多いのだろう。

 でも私は、ほとんどのひとはみな私と同じように、本当はビールが飲みたいけど不景気なので安い雑酒で我慢している、のだと思う。景気が良くなればみなビールにもどる。そういう「格差」は正常なものであろう。発泡酒、雑酒の値段が上がることは、それでなくても不景気なのに、よりひどいことになるような気がする。
 御上のやるべき事は、みながビールを買えるような景気にすることであり、我慢して飲んでいる安物に税金を掛けて値を上げることではない。いやな渡世である。

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.1──飲み会でもとを取る(笑)

 ビールも飲めないほどビンボーなのか、かわいそうに、と同情されそうだ。でもそれは事実。私のビールは底無しなので高くつくのである。ビールは酒精度が弱いし、酔うまで飲むとなったらそれこそたいへんだ。いま晩酌はジュースで割る安焼酎がほとんど。たまに日本酒をすこしだけ飲む。量を飲むビールにしたら月の酒代は何倍にもなる。アルコール度が低いし、昼から水がわりに飲んでしまう。不景気から脱して早くかつてのようなそういう身分にもどりたいと思う。

 競馬の大レースの後に飲み会がある。10人からときには20人ぐらいになる。みな最初は生ビールで乾杯だが1杯限りが多い。そのあとはほとんどのひとがボトルで取った焼酎を、お湯割りで飲んだりしている。しかしそれは私が毎晩晩酌でやっていることだ。中には熱燗のひともひとりぐらいいたりする。そういう居酒屋の日本酒は安物である。まずくて飲む気にならない。ビールがある居酒屋でそんなことはしたくない。
 私はひたすら生ビールを飲む。大ジョッキ10杯は飲む。何人もが不思議がる。私をビールしか飲めないと思っているひともいるようだ。

 2時間ぐらいで解散になる。勘定はトータルしての頭割り。ひとり5千円ぐらい。たらふく生ビールを飲んでいる私には安い(笑)。均等割りなので酒に弱いひとにはいつも申し訳なく思う。

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.2──生ビールの味

 居酒屋の生ビールには要注意である。ビールサーバーのメンテナンスによって生ビールは最高にも最低にもなる。生物だからサーバーメンテナンスが重要なのだ。
 私は若い頃ビール会社から派遣されて、このメンテナンスを居酒屋に教えてまわるというバイトをしていた。毎日すべきサーバーの掃除を一度もしたことがないという寒気のするような汚い店も多く(こういう店の生ビールはジョッキを掲げるとビールカスが浮游している)、このバイトを始めた当初、初めての店では怖くて生ビールが飲めなくなってしまったほどだった。そういう店は今も多い。私は今も初めての店では生ビールは飲まない。その点安心できるのは「ライオン」のような直営店だ。

 このバイトをしていてうれしかったのは、後に訪問すると「あんたにサーバーの掃除を教えてもらってから、お客さんに生ビールがうまくなったと誉められた」「他の店より生ビールがうまいので、生ビールはここでしか飲まないというお客さんが増えた」と店主から言われることだった。

 上記友人達と行く居酒屋は初めての店も多く安心は出来ないが、かつてとった杵柄で私は一杯目でその店のレヴェルを見ぬける。まずいと感じたらすぐにビンビールに切り替える。あまり好きではないスーパードライのビンビールですら雑酒がせいぜいの今の身分ではありがたい。

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.3──最初だけビール?

「きっこの日記」にこんな文章があった。

《お風呂上りにはキンキンに冷やしたビールを飲みたくなって来るけど、自公政権による官僚主導の政治が続いてるこんなご時世、そうそうビールを飲める庶民はいないと思う。
こないだ、午後のワイドショーで、ハイヒール・リンゴさんが、「最初の1本だけはビールを飲むけど、2本目からは発泡酒にする。味が分かるのは1本目だけだから」って言ったら、他のゲストたちも、みんな「そうそう!」って言ってた。》


 インターネット世界の寵児であるきっこさんもビンボーで第三のビールしか飲めないそうだから(お気に入り銘柄は「のどごし生」と書いていた)私がそうなのもしかたない。

「自公政権による官僚主導の政治が続いてるこんなご時世、そうそうビールを飲める庶民はいないと思う」とのことだが、きっこさんの支持している社民党が政権与党になったから、庶民もみなビールを飲めるようになるだろう。

 たしかに確実に味が判るのは最初の一本目だ。じつは今日ひさしぶりに「一番搾り」を飲んだ。一本目、しみじみうまいなあと苦味に感嘆した。この感嘆はビール系飲料にはない。私はビールを飲むときは揚げ物をつまみにする。気に入っている店の揚げ立てカニクリームコロッケを食いつつの一番搾りはほんとうにうまかった。しかしその感激も二本目になるとそれほどではない。それも確認した。ビールを最初の一杯目だけにするのは、それはそれで正しい。

 が、ここで発泡酒や雑酒にしたら、私はまちがいなくわかる。「あ、これはビールではない」と気づく。そこで「一本目だけビールにして、二本目からはランクを落とした」という惨めさがやってくる。
 上記のハイヒール・リンゴや、その意見にうなづいたというゲストは、二本目からビールでなくなっても、もうそのことには気づかない、気にならないということなのだろうか。どうやらそういうことらしい。でも、わかるよ。味は確実にちがう。

 一瞬これを読んで、「お、これはいいかも」と思ったが、私は気づく。まちがいなく気づく。そして「経費節約のために最初だけビールにして、二本目からは安物にした」という現実を認識してしまう。落ちこむ。だからこの方法は私にはダメ。飲むならビール。それ以外ならむしろ飲まずに我慢、で行くしかない。


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 安寧な過ごしかた

 H子さんは脳の病気をし開頭手術をした。一族にそんなひとはいず、医者からはストレスが原因と分析されたとか。
 それを聞いて言うのではないが、H子さんと一緒にいると、「ああ、こういうひとはストレスがたまるだろうなあ」としみじみ思うことが多い。

 テレビを見て怒っている(笑)。たとえばワイドショーの司会者に対して、「わたしこのひと、だいっきらい」と批判したり、政治家が出ると、「こいつ、なに言ってんだ、と思うよね。呆れてものが言えんわ」のように、反応するのだ。CMを見ながら、「このCMだいっきらい」と怒っている。
 他人に興味がなく、そういう感覚のない私からすると不思議でしょうがない。

 私にも好き嫌いはあり、いやある意味H子さん以上に好き嫌いは激しいだろうが、かといってたとえば大嫌いなツジモトキヨミがテレビに映ったからといって、「おれ、こいつ大嫌いでさあ」とその場の話題にする気はない。もっと話したいテーマがある。そもそも嫌いなものを嫌いだと言ってもなにも生まれない。愉しくない。好きなことを話した方がいい。大嫌いなCMも多く、映ると消してしまうこともある。でもそれは嫌いなものに触れないようにしているだけであってH子さんのようにそのことに腹立つことはない。腹立つのはマイナスだと悟っている。目にしないように努力するだけだ。

 でもH子さんの感覚の方がふつうなのかな、とも思う。一般の家庭では、そんなふうに、女房がテレビに毒突き、亭主が相槌をうつとか。

 思うのは、こんなふうに世の中に対していちいち反応し、腹を立てていたらそりゃあストレスがたまるだろうなあ、ということだ。
 もしかしたら、そういうふうに悪口を言うことでストレス発散、と思っているのかも知れない。でも反応することはストレスが溜まることである。それは私も極力ストレスとは無縁の生きかたを模索してきたから自信を持って言える。


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