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2008
11/10  荒茶の魅力

 07年から08年は粉茶ばかり飲んでいたようだ。それはこの「飲食の」の項目では「粉茶さがし」にもあるし、08年の《云南でじかめ日記》でも「食物話」にも書いた。

 いつごろから飲み始めたのだろう。老父母の面倒を見て田舎にいた時代からだから2003年ぐらいか。初めて目にし、こりゃいいやと買ったのが田舎のスーパーであることは覚えている。日記を見ると、というか、このサイトで調べると、2002年には海外にこの種の茶ではなく、ごく普通の緑茶を持参しているから、やはりその辺が分かれ目のようだ。

 と過去形のように書くのはここのところまったく飲んでいないからである。まったく猫的である。猫は気に入った昼寝場所を見つけると、そこに執着し、いつもそこにいるが、ある日ふいと場所を変るとまったく近寄らなくなる。それでいて何年後かにまたそこにもどっていたりする。私の好みもこれに似ている。



 今回、学生時代のインスタントコーヒーのように、毎日数杯は飲み、切れないように買い置きまでしてあったこれと離れたのには原因がある。云南にも持参し、《云南でじかめ日記》にたっぷりとその魅力、お手軽さを自慢気に?書いたあと、急に「お茶好きを自称していながら粉末茶ばかり飲んでいるのってかなり恥ずかしいことではないのか」と考えてしまったのだった。毎日数杯は必ず熱い緑茶を飲んでいるから私はお茶好きとは言えるだろう。(とはいえこれもまた猫的に、年度によってはコーヒーや紅茶ばかりになり、一切飲まなくなったりもする)。高級品を嗜む本物の通とは比ぶべくもないが、オフィスや催し物会場(たとえば競馬場)に置いてある緑色の湯が出るお茶らしきものはまずくて飲めない(飲まない)から、最低限の味にこだわっている誇りも多少ある。
 お茶好きが粉末茶ばかりでは笑いものだとふと思った。



 ということで云南からの帰国後、普通のお茶を買うようになった。猫が昼寝場所を移すように、しばらくは粉末茶とはお別れである。ごくごくありふれた話でしかないが、ワタシ的には粉末茶以外の茶を買うのは二年ぶりになるからけっこう新鮮だ。予算的に100グラム千円ぐらいのものになる。あれこれ撰び試しては楽しんでいる

 気に入ったのは「荒茶」というものだった。通販のサイトからその説明を引くと、

選別や加工がされていない茶農家が生産したままのお茶のことを静岡では荒茶と呼んでいます。 この荒茶、 普通のお茶とは少し異なり見た目が悪く見えるかもしれません。
しかし、選別や加工がされていないことでお茶本来の味わいを存分に楽しむ事ができます。
また、 お茶の生産者が消費者の皆様に一番伝えたい心意気や風土をも感じていただけます。 それが田舎荒茶なのです。 http://www.aokien.com/aracha.html


 となる。

 それを飲んで感じたのは、とまともに書くのも恥ずかしいが、ふつうのお茶のほうが粉末茶よりもずっと味わい深いことだった。この荒茶というのを飲むと、茶葉の様々な味わいが拡がってくる。茎茶も混じっているのでその味も判る。茎茶というのもうまいものだ。ひと袋あってもいい。でもこれだけだとまた倦きる。その点この荒茶というのは口に含んでいくつもの味が楽しめる。上記説明文が本当なら、いくつもの味の原点を含んでいるこれを生産農家のひとが好むのは当然と思われる。これと比べると粉末茶がいかに浅い味であることか。でも浅くても手軽さは便利であり、またその浅さが新鮮に感じることもある。そのうちまたそっちに走る可能性もあるからあまり否定しないでおこう。

 そんなわけで、今の私は粉茶を離れて荒茶ばかりである。

 08/8     日本酒の思い出

 酒量を語るときに、目安として一升瓶はよく出て来る。私も酒を量で飲んで粋がっていた若い自分には、昨夜は友人とふたりで一升飲んだ二升飲んだと口にしていた。そのころは獨酌など思いもよらない。それどころかひとりで酒を飲む男を侮蔑していた。酒とは友と飲むものと思っていた。私が獨酌の楽しみを知るのは三十も半ばを過ぎてからである。

 いま言ったことの舌の根も乾かぬうちに矛盾することを言うが、若いときの私は日本酒はあまり飲んでいない。一升瓶、すなわち日本酒の単位だ。ウイスキーやビールには使わない。酒は毎日のように大量に飲んでいたが日本酒ではなかった。なのに一升瓶とたびたび口にしていた。それは比喩としてである。「ボトル一本」と言った方が適切なのだろうが、自分が酒は強い方だと言うとき、単位としてボトルではなく一升瓶が出て来た。日本酒をカッコいいも酒とは思わず遠ざけていたが、単位として、表現としては染み込んでいたようだ。

 そのころ日本酒は落ち目で、特に若者にとっては古臭いかっこわるい酒だった。私にとって日本酒とは毎晩泥酔して帰宅し、翌朝昨夜の記憶がまったくない、だらしない父の象徴だった。亡き父の名誉のために附記すると、教員の父はいつでも立派なひとだった。酒を飲んだときだけだらしなくなるのである。酒に飲まれるひとだった。だらしないとはいえ、それは謹厳実直で無口な父が陽気になってバカになることだったから、私は酔ったときの父が嫌いではなかった。どんなに泥酔し、みっともない夫婦喧嘩を深夜までしても、翌朝になると昨夜の記憶は一切ないまま、きちんとまた朝七時前に起き出して学校に出かけていた。日本酒が「だらしない父の象徴」とは、父全体がだらしないのではなく、部分的に「だらしなくなる時の父の象徴」という意味になる。

 もうこのホームページの何個所かで書いていることだが、私は昨夜あんなに陽気に騒ぎ、あるいは母と深刻な夫婦元気をしておきながら、翌朝になると昨夜の記憶がまったくない父が怖かった。いや父のようになるのが怖かった。だから酒を飲むようになっても、父のようにだけはなるまいといつも自制していた。飲んでも変らないとは多くのひとに言われた。大酒を飲んで昨夜のことをほとんど覚えていない、醜態をさらしたらしい、恥ずかしい、この世から消え去りたい、と恥じたことが数度あるが、三十年以上大酒を飲んできての数回だから、毎晩昨夜の記憶を失くしていたあの父の息子としては、記憶はしっかりしている方だろう。



 父イコール田舎であり、せっかく念願の東京に出て来たのだから田舎的なものとは遠ざかりたい。田舎者の少年だからこそ強くそう思う。いつしか田舎的な酒である日本酒とは自然と距離が出来ていった。
 とはいえ基本的に自分の舌を信じるたちである。世の流行りものに振りまわされる気弱な時期であったとはいえ、日本酒をうまいと思ったなら愛飲していたろう。それこそ音楽仲間の友人には隠しても、ひっそりとひとりで飲んでいたと思う。しかし当時の日本酒はまずかった。うまい本物はいつの時代でもあったろうが、流通している安酒はまずかった。

 当時の日本酒はウイスキーやビールの広告戦略にやられて、古い日本の象徴にされていた。田舎者や肉体労働者の酒と片隅に押し遣られていた。そういう西洋志向の時代だった。それに反撥した日本酒業界は誤った方向に走る。「若者や女にも受けよう」と、やたら甘くて飲みやすく、酔いざめの悪い日本酒にしてしまったのだ。 

 あのころは特級、一級酒、二級酒と、今はなくなった区分があった。学生の飲めるのは安い二級酒である。まずかった。かといって背伸びして一級酒を買ってきても、より甘くてまずかった。むしろあのころ旨い酒は二級酒にあったのだろう。
 日本酒はまずいものと決めつけた。ひどい時代だった。

 そのころの私が日本酒の味を理解できない若僧であったのはたしかだが、普及酒の日本酒が迷走状態にあり、まずかったのも事実だろう。
 これはワインも同じである。赤玉ポートワインなんて砂糖汁がワインとされていた。これがワインという酒なのかと思った。それに毒されたから、それこそワインがうまいと思えるようになるのはそれから十年も二十年も必要だった。いまは安くて美味いワインがある。いい時代になった。輸入物の千円程度のワインをうまいと言ったら通は笑うのかも知れないが、あのころと比べたら天国である。 

 黎明期とはそういうものなのだろう、今の中国がそうである。田舎の酒屋にワインが並んでいる。普及している値段の安い高粱酒と比べるととんでもなく高い。見た目は立派だ。高いからまともなのかと買って見ると、これがもろに「赤玉ポートワイン」なのである。信じられない。コニャックのXPみたいな凝った瓶である。箱入りだ。それでいて中身はぶどうの薫りすらしない砂糖水。あれは不思議だ。今の中国が日本の昭和三十年代、四十年代だとすると見事に合致するのだが……。



 テレビではサントリーとニッカがこぞってお洒落なCMを連発していた。かっこいい酒はウイスキーだった。ビール会社も、汗と男らしさをアピールしたCMを流していた。一汗掻いて豪快に乾杯する酒はビールだった。洒落た店で男が飲む酒はウイスキーだった。日本酒は古臭い日本を代表する、時代遅れの根暗の酒にされていた。 

 それでも、今も昔も肉体労働者は日本酒である。いちばんの思い出は飯場だ。
 接客業のようなアルバイトが嫌いな私は肉体労働ばかりしていた。休暇の時期は飯場に住みこんで働いた。そこでの酒は日本酒だった。一升瓶だった。雨で現場が休みの日、本職のおじさんたちと日本酒を飲みつつ、当時始めたばかりの競馬の、シンザンに代表される知らない名馬の話を聞くのが楽しかった。

 アパートの隣室に獨身の職人が住んでいた。いま思うとあまり年は離れていない。私が二十一、彼は二十八ぐらいだったか。こちらは長髪の音楽好きの学生、あちらは短髪のおとなしそうな職人である。職種は知らない。ちかくの工場に勤めていたのか。
無口な人だった。挨拶以外に口を利いたことはない。彼はいつもひとりで日本酒を飲んでいた。らしい。あとで知ったことだ。

 ある日大家の夫人が、なにか必要があったのだろう、留守中に彼の部屋を開けた。積みあげられた新聞紙と共に、所狭しと空の一升瓶が並んでいた。そのことを隣家の主婦と語っているのを耳にした。それをだらしなさの象徴のように語っていたのが印象的だった。事実、孤獨な彼には酒だけが友人だったのだろう。「一升瓶」ということばから、そのことを今も思い出す。 

 餘談ながら、この大家夫人による留守中の部屋の解錠を私もやられたことがあった。なんのときだったのだろう、さいわいそのときの私はとても部屋を綺麗にしていたらしく、まるで女の娘の部屋のようにきれいに整頓されていたとの誉め言葉が漏れ伝わってきた。いつもそうでないことは自分でも自覚している。たまたまだった。運が良かった。
 しかしあれ、なんで大家夫人は住人が留守の時に解錠していたのか。警察関係だったか。定かではないが、学生とか職人とか、怪しい男のひとり住まいには、当時そんなことをされた記憶がある。



 ともあれ、そのころの日本酒というと、そういう印象の酒であり、その悪印象の象徴が「一升瓶」だった。日本酒は下層階級、自棄酒の代表とされていた。それをすんなり受けいれていたのは、単細胞で無智な若者の思い込みでもあり、同時にウイスキー会社からのそういうイメージ操作に振りまわされたからでもあるが、事実そういう時代でもあった。「冬の時代」という言いかたがあるが、日本酒関係者にとっては、あのころは正にそれであったろう。日本全体がやたら西洋風になって行く中で、日本酒は唾棄すべき時代遅れの一品にされていた。当時も今も良質の日本酒を醸造してきた関係者には辛い時代であったと思う。いや、そういう筋の通ったかたは、当時でも一切動じなかったろうか。 

 私が日本酒の魅力を知り、獨酌の愉しさを知るのはそれから十年以上も後になる。今じゃ夏の冷酒、冬の熱燗と、手放せない酒として愛飲している。といっても、ある熱烈な日本酒党の酒好きが「日本酒はどんな料理にも合う最高の酒だ」と豪語してけれど、そこまで偏ってはいない。料理に合わせている。
 魚を食べるときの酒はもう絶対に日本酒である。でも揚げ物やソーセージ類のときはビールがいいし、チョコレートやチーズでウイスキーもうまい。酒は場に応じて飲み分けるのが最善と思っている。

 この文章は、この後に書く「一升瓶と紙パック」という文の前振りである。「一升瓶と紙パック」という短文を書き始めたら、延々と前振りが続き、これではテーマが惚けてしまうと、別文として獨立させた。

 08/9  一升瓶と紙パック


 承前。
 というわけで、私は「一升瓶」を、「斗酒尚辞せず」のように「斗酒」とまでは行かないけれど、大酒を表すことばとして使ってきた。むかしは酒はみな一升瓶と四合瓶だった。酒を一升瓶で語るのは自然である。あ、とっくり型の一合瓶もあったな。そのご「ワンカップ大関」が発売され、一合瓶は今のようになる。最近は写真のようにアルミカンある。
 時を経て、酒は紙パックの時代になる。とはいえ高い酒はみな瓶だ。紙パックはあくまでも安酒である。

 私は今も、酒は瓶に限ると思っている。日本酒はもちろんビールもそうだ。カンは手軽だがビールのうまさが伝わらないとまで思う。しかし都会に住んでいるとゴミの問題がある。瓶は重くて不便だ。その重くて嵩張ることが味わいに通じるのだが。
 いつしか家用の酒はカンを買うようになっていた。ビールはもちろん日本酒もだ。そしてとうとう紙パックになっていた。

 別項に分けてまで長々と書いてきたが、言いたいことは極めてシンプルである。つまり、「一升瓶というと大酒のイメージがある。一升瓶はかっこわるい。大酒飲みはみっともない。近年、大酒は飲まないようにしてきた。飲んでいるつもりもない。齢を取って飲めなくなっても来ている」である。整合性に問題はない。以前はカンの日本酒を飲んでいた。カンの「菊水ふなぐち」は1カン200ccだ。一合180ccでないところに時代を感じる。でも20cc多いからうれしかったりする(笑)。これを2カンで400cc。二合強。この辺を適量としていた。酔わない。物足りなく、時にもうひとカン飲むこともあった。用意したうまい肴とともに。時間を掛けてのんびりと。これでほろ酔い。健全である。健全だった。

 そして、いつしかカンの日本酒ではなく紙パックが主になっていた。経済的なこともあるしゴミ処理の問題もある。週に一度の燃えないゴミのカンの日を待つまでもなく、燃えるゴミとして処理できる紙パックは便利だった。












 で、長々と書いてきての結論、というか、このことが言いたくて書きだしたのだが。
 紙パックになって私は適量が判らなくなってしまった。とにかく生殺しがいやなので、酒は好きなだけ飲みたい。毎度書くが、へんに火を点けられておしまいなら飲まない方がいい。きちんと酔うまで飲むか、一切飲まないかだ。

 それでも今までは容器による制御があり、泥酔したり、記憶を失くすほど飲んだりすることはなかった。
 もしも日本酒の容器今もが一升瓶であったなら、室内に空瓶が溜まって行く。前記した「学生時代の隣室の職人の思い出」のように、もしも台所に5本、10本と一升瓶の空瓶が並んだなら、私は自己嫌悪に陥り酒を遠ざけたろう。どう考えてもそれはみっともない光景である。

 そういうことにはなっていないのだが、それは「飲んだ量の目安となる容器」が処理しやすい紙パックだからで、今の私はそんな状態であることに気づいた。
 安日本酒は2リットルである。一升瓶以上の容量だ。それを大きなグラスで飲む。冷やの場合もあれば電子レンジで燗をするときもある。この大きなガラスグラスはどう考えても300ccぐらい入る。ワンカップどころではないのだ。それに3杯ぐらいを適量とし、酔って気持ち良く寝る。さいわい泥酔したり記憶を失くしたりはしないのだが、その紙パックが二三日で空いているのだから、もしも一升瓶であったなら、間違いなく台所にごろごろと並んでいるところなのだ。紙パックなので空になるとすぐに潰し燃えるごみとして出してしまう。出せる。だがこれが二週に一度の瓶の回収であったなら、まちがいなく、特に冬場の熱燗ばかり飲んでいるときには、台所に空の一升瓶が並ぶ目を背けたくなる光景が展開しているだろう。書きたかったのはそのことである。というか、ただそれだけの話だ。



 それでも私は真剣にこれは重要な問題だと思って書いている。
 つまり「制御」である。何事に関しても何らかの歯止めが必要だ。それがないと凡愚は破滅する。
 私は馬券で破滅した男だが、それは家庭という歯止めがなかったからだ。全収入を馬券に使っていた。家庭があり、その面倒を見る生活費というものが要り、その後の餘剰金で競馬を楽しんでいたなら私はごくまともだった。人並みの収入をしっかり者の女房が管理し、そこからもらう自分用の小遣いで楽しんでいれば破滅はなかった。

 さいわいまだ躰を壊してはいないし、そこまではバカではないので大丈夫のつもりだが、処分しやすい紙パックには、量がわからなくなるという、それはそれで怖い面があるのだと感じいっている。

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 相変わらずいまも(笑)

 テレビドラマは一切見ないのだが、先日チャンネルを替える際に見掛けた映像で、「ひどくたちの悪い酔っ払い」として、「労務者姿の男が一升瓶を片手に」というのを見掛けた。いまも下層階級の人間が酔っ払ってくだを捲くシーン」にビジュアルとして一升瓶は書かせないようだ。たしかに、それが紙パックじゃ様にならない。

 


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