2007
3/9




女流獨立に「待った」…日本将棋連盟が意思確認文書送付

 将棋の女流棋士の獨立問題について、日本将棋連盟理事会が、女流棋士に「連盟に残留するか」「移籍するか」の決断をを迫る文書を送付していることが8日までに分かった。現在、女流棋士会(53人)は、準備委員会を中心に新法人設立の準備作業を進めている。この文書はそれに“待った”をかける形。回 答は22日までと区切っており、女流棋士会の分裂の可能性も出てきた。

 問題の文書は米長邦雄同連盟会長名で7日に郵送された。それによると、女流棋士の相当数が連盟に残留を希望するようになったと前置き。連盟に残った場合、棋戦の対局の権利を保証した上、従来通り、連盟関連イベントへの協 力依頼もしていくという。一方、新法人へ移籍した場合は、対局の権利については、スポンサー、連盟、新法人の三者で決めていく―などとしている。

  女流棋士の獨立問題については、昨年12月、女流棋士会が臨時総会を開き、新法人設立について賛成44(委任13)、反対1、棄権8の圧倒的多数で準備委員会を設置した。連盟理事会にもその旨を申し入れ「前向きに対処する」との回答を得ている。現在、準備委員10人が中心となり、棋戦の自主運営などを目ざ して、精力的に獨立への準備作業を進めてきていた。

 今回の文書について同連盟の中原誠副会長は「理事会としては女流の獨立は全員一致を望 んでいた。しかし準備委員会は弁護士を前面に立てて協議に当たったり、寄附、発起人、賛同人集めなどの準備に行き過ぎた面があり、女流の中に、反対、慎重派が増えたため、これ以上、放置できなくなった」と説明する。

 これに対して、準備委員会側は「女流の圧倒的多数の賛成で決め、一生懸命、 法人設立に向け準備作業を進めてきました。その中途で、連盟はこうした行動に出てきました。まるで踏み絵です。これじゃあ女流はいつまでたっても自分のことを自分で決められない。心外です」と怒りをあらわにした。

(2007年3月9日06時03分  スポーツ報知)

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 まったくなにやってんだかなあ、女流の連中が気の毒になる。と書くとアンチ・フェミニストの私だから意外に思う人もいるかもしれない。しかし私はフェミニズムの連中が大嫌いだけど女を尊敬するという点では彼らよりもずっと真摯で純粋だからこの感覚も筋は通っている。

 この問題の流れをおさらいする。
 昭和49年、将棋を女性に普及しようと女流棋士会が発足した。最初は男の棋士が将棋の普及に女を利用しようとしたのである。いや利用というと言葉が悪いか。男女同権の時代(笑)だから女の将棋指しがいてもいいという感覚だった。その先頭を切ってこのプランを進めたのが現会長の米長である。

 それまではプロ棋士になるためには女も養成期間である奨励会を卒業せねばならなかった。無事卒業して四段になり、男と互して戦える女将棋指しが誕生すれば問題はなかった。将棋連盟は男子限定だった養成期間奨励会を女にも開放したのである。
 女が男と互して将棋を指せるなら問題はなかった。だが将棋狂の父親が娘に英才教育を施し、奨励会に入会させても、女は将棋に向いていなかった。最初は高柳門下の蛸島さんだった。。林葉や中井も奨励会に入っていた。女としては抜群の強さを誇った彼女らも男には通じなかった。未だ女で奨励会を卒業して正規の棋士になったものはいない。

 これではいつまで経っても女棋士は誕生しない。それで男とはべつに「女流」という枠を作った。最強の女棋士も奨励会では初段にもなれない。それでも「女流」という女同士の世界ならそれなりに見せ場を作る。女流のタイトルを獲得した女棋士には四段、五段が与えられた。しかしそれはあくまでも「女流四段」「女流五段」でしかなかった。上げ底である。数も少なく狭い世界だったが女流は女流で指導将棋等、充分に価値はあったろう。

 問題は食って行けるかだ。清水市代が女流四冠(獨占)のときで年収が一千万円行かなかったと話題になった。四冠獨占は前代未聞の最高記録である。男の羽生だと七冠獨占で年収3億円ぐらいか。なのに女流だと1千万円行かない。それでもそれだけ稼げる清水はいい賭して、これが獨占状態のトップということは下の方はどうなっているかだ。生活が苦しいとは女流棋士の誰もが口にする。下位の連中だと年収100万、200万クラスであろう。対局料が一局3万円だとして年に30局で90万円だ。あとは将棋普及のイベント等で稼ぐとしてもたかがしれている。まともに暮らして行けるはずがない。女流棋士は将棋狂の父親に育てられた場合が多いから実家にいて親がかりなのであろう。(引用した下記のスポーツ紙の記事に「女流は田舎住まいが多く対局のための交通費がたいへん」とある。田舎住まい、すなわち親元と思われる。)

 なぜそれほどに収入がすくないかというと、基本はマーケットそのものがちいさいからだ。と同時に、男の将棋連盟が管轄しピンハネしているからである。いや管轄してもらえないとやって行けない現状だった。彼らからすると女流棋界は自分たちの下部組織のようなものだった。事実育成やら何やらそうしてきたのだからそういう感覚であったとしても、これはこれで自然だったろう。
 将棋連盟からすれば、無理矢理誘って女流棋士にしたのではない。(ほとんど全部が将棋狂の父親からの流れであるが)成りたいとあちらからすり寄ってきたのである。好意で応援してやったのだ。でも男と対等に指せる女は登場しない。女流棋士というものを作ってやった。下部組織であり扶養家族のようなものだった。悪い言いかたをするなら「妾の飼い殺し」だ。
 飼い殺しにしている妾もしだいにお手当が負担になってきた。なにしろ本家の将棋連盟が赤字で苦しんでいる。名人戦のアサヒへの移転問題も所詮金が原因だ。それでやっかいものの女流をお払い箱にしようとした。それが以下の記事になる。


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重荷外し連盟に思惑 
女流棋士会の獨立決議 
財政改革へ「自立」促す 
女流棋士50人平均年収100万円に危機感

 将棋の女流棋士会(藤森奈津子会長)が、日本将棋連盟(米長邦雄会長)からの獨立へ大きく踏み出した。同棋士会は1日、東京都内で臨時総会を開き、女流将棋協会(仮称)の法人格取得へ向けた設立準備委員会(委員長=中井広恵女流六段)を設置した。1974年に女流棋士が誕生して32年。男性棋士との厳しい経済格差にさらされ続けた末の“女の自立”だが、裏に財政改革を目指す連盟側の思惑も見え隠れする。

 ▽緊急招集

 4月14日、女流棋士に緊急招集がかかった。臨時総会の開催だった。米長会長のひと言で、穏やかに進んだ総会に緊張感が走った。「将来のため女流棋士会の自立が必要な時がきた」。公の場で初めて獨立を促され、女流棋士たちは「大変なことになった」と表情を変えた。

 米長発言の裏には、将棋連盟にとって女流棋士の存在が重荷になってきた現実があった。現役の女流棋士は50人。男性に比べ地方在住者が多く、交通費など諸経費はかさむ。対局日の設定が難しく、対局の記録要員確保など人件費もばかにならない。

 一方で羽生善治3冠が7冠に輝いた96年に比べ3割減といわれるほど将棋人口は減り、連盟発行の月刊誌の減少は続く。連盟は年間1億円ともささやかれた赤字体質脱却が急務だった。米長執行部は財政改革の一環として、名人戦の朝日新聞主催への移行提案などとともに女流棋士の“親離れ”を強いた。

 ▽陰の存在

 「今月の収入はゼロ。対局料も含め、イベント出演もない」。昨年末、ある女流棋士がブログで公開した現実が、将棋界における女流棋士の立場を象徴した。この世界で女性はずっと男性の陰の存在だった。正会員(四段以上)になるための奨励会を突破した棋士がいず、連盟内では別扱い。プロとしての実力がないため仕方のない一面もあるが、毎月の固定給もなく、厚生年金にも入っていない。

 現在、女流棋戦はタイトル戦が4、公式戦が2。この6棋戦合計で契約金は推定7000万円にも満たないといわれる。連盟が事務経費などを取るため、女流棋士に渡るのは5000万円(推定)以下。賞金や対局料を含めて、である。現役は50人だから平均年収100万円。これに満たない女流棋士も多い。後は将棋祭のゲストなどのアルバイトしかない。女流タイトルは最高の優勝賞金でさえ、男性の最高額、竜王戦の3200万円の4%足らずだ。「自分たちで運営できる棋戦をつくらないと…」。連盟頼りでは改善はない、との危機感が女流棋士を包んだ。

 ▽覚悟必要

 対応は早かった。6月の定例総会で自立に向け、制度委員会を設置した。新団体の社団法人化、新たなスポンサーの獲得、賃金体系の見直し。将棋界に精通しているスタッフを複数加え、既に事務所も確保した。新しい棋戦のめども立った。

 「ただ、別居するからには、それなりの覚悟もしてもらわないと」。米長会長のひと言が、今後直面するであろう難問も言い表す。従来の女流棋戦は、将棋連盟が必要経費を取る構図に変わりはない。設立準備委員会は事業計画、収支計画など17項目をクリアしなければならない。

 旗揚げは来年4月1日が目標。設立準備委員長に選ばれた中井女流六段は「これまですねをかじっていたわたしたちが、親離れするとき」と決意を口にした。勝負手を放った以上、もう「待ったなし」である。 =2006/12/03付 西日本新聞朝刊=


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 ここまで言われたから女流は獨立の道を模索し始めた。今のままではまず自分たちが食って行けない。そしてこの現状では後輩をこの世界に誘うことすら出来ない。
 狭いマーケットであり生活は苦しいが、将棋連盟から獨立して採算すれば、充分に自分たちが食って行ける程度の収入は確保できるはず、と決断して獨立の道を選んだ。

 一将棋ファンとして私はそれが正解だと思う。なにも男を負かすことばかりを目標にしなくてもよい。女には女の華やかさがある。それでもってもてはやされる女棋士が登場し普及に役立つなら多いにけっこうだと思った。すんなりとそう行くと思われた。

 ところが具体的に動き始めたら冒頭の記事である。ろくなお手当も出さず「妾の飼い殺し」をしていて、お手当が負担になったから縁を切ろうとしたくせに、今になって今度は自立のジャマをし始めた。どう考えても将棋連盟の方がおかしい。女流が気の毒である。

 相撲と将棋は引退したプレイヤ(将棋の場合は現役も多い)が組織を運営し成功している稀有な例である。しかしこういうもめ事を見ると限界を感じる。
 将棋ファンから聯盟に入り「将棋世界」の編集長を務めた大崎善生が米長にボロクソに言われたように、棋士以外は認めない風潮があるのだろう。それもそれでわかる。私にも楽器を弾けない音楽評論家を認めない傾向がある。でも現実は半端に演奏が出来る人よりまったく出来ない人の方がすぐれた評論をしたりするからこれは偏見だろう。

 親の夢、なんとか狂いが子に夢を託す例は多い。野球狂、ゴルフ狂の父親が子をプロにして何億も稼いだという話と比すと、将棋指しの親子鷹はかなしい。形はまったく同じである。子供のころから将棋の天才と呼ばれ近所では敵なしだったが、県代表クラスにはなれてもプロにはなれなかった親が、我が子に英才教育を施したのが現在のプロ棋士のほとんどだ。
 なのに最強の羽生の親が将棋とは無縁だったこと(小学生の羽生がかってに将棋に興味を持ち勉強を始めた)、天才谷川の始まりが親が兄弟げんかをやめさせるためにとりあえず将棋をやらせた(親は将棋を指せない)という事実は、なんとも皮肉である。

《将棋の女流棋士会(藤森奈津子会長)》とある。藤森さんの旧姓は中瀬さんである。東京教育大附属高校で女性高校生チャンピオンになったときのことをつい昨日のことのように覚えている。かわいらしかった。もう二十数年前か。そのときの準優勝者が今の福崎文吾の奥さんである。
 彼女らが将棋に関わったのもお父さんからの縁だろう。藤森さんの旦那さんもアマの強豪である。将棋が縁の結婚だ。父親の趣味が娘の人生を決定づけている。
 女流棋士獨立の話を読んでいたら、父親に英才教育を施された娘ゴルファーが史上最速で何億かを稼いだとの話もあり、「親の押しつけ」について考えてしまった。
 どんな決着になるのだろう。


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 獨立派、劣勢に!(4/2)

(3/30)55人中36人が連盟に残留届 女流獨立問題で  
女流棋士の獨立問題で、日本将棋連盟(米長邦雄会長)は30日、全女流棋士55人のうち36人が残留届を提出したと発表した。連盟理事会は「(連盟への)残留か、(新法人への)移籍か」を問う確認書を3月7日に全女流棋士に送付。53人が回答し、獨立希望者の大半は「分裂は望みません」とだけ書き込み、移籍届はなかったという。

 連盟理事会は残留届を提出しなかった女流棋士への処分は「現時点では考えていない」(西村一義専務理事)という。

 これに対し、女流棋士新法人設立準備委員会(中井広恵委員長)は同日、「話し合いを進めている段階で、実質的な線引きをされてしまったのは残念。残留届を出された方からも『連盟の応援があれば獨立したい』という意見が多く出ている」とのコメントを発表した。
(日経より)

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 連盟側の切り崩し工作であっという間にこんな事になってしまった。情けない様相である。

92 名前:名無し名人[] 投稿日:2007/04/02(月) 12:57:57 ID:+K+kLba2
獨立したメンバーは、具体的には誰で、合計何人なんだろうね。

>日経記事内
>将棋の女流棋士たちによる「獨立準備委員会」(委員長=中井広恵6段、37)が
>日本将棋連盟から獨立することが1日、明らかになった。

新聞記事より、中井広恵は確定
獨立準備委員会と言うことで名前が出ているのは、
 蛸島彰子 藤森奈津子 矢内理絵子 石橋幸緒 大庭美夏 
 
獨立準備委員会の企画委員会 4名
 中倉宏美  松尾香織  北尾まどか  野田澤彩乃

以上10名くらいかな


 女流棋士の草分けである蛸島さんから、中井、藤森、矢内、石橋と、私の好きな棋士はみな獨立派である。残留派の筆頭である谷川、斉田が嫌いなのもなぜか妙に一致している。
 残念ながら獨立派は形勢不利だ。女が一致団結するのは難しい。米長の高笑いが聞こえるようである。


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「新法人設立にむけて」 http://blog.goo.ne.jp/joryu-houjin/
2007-04-02 10:51:31
          「新法人設立にむけて」
                      
    女流棋士新法人設立準備委員会                                  委員長 中井 広恵                                     蛸島 彰子
        藤森奈津子
         石橋 幸緒                                         大庭 美夏

 いつも女流棋士に暖かいご声援をいただき、誠にありがとうございます。
 また、今回はファンやスポンサーの皆様のお心を痛めるような事態となり、大変申し訳なく思っております。
 女流棋士の準備委員は、これまで「自分たちのことは自分たちで決められる」立場を目指し、女流棋士全員が参加する形での新法人設立を目指して活動してまいりました。
多くのファンの皆様からも女流棋士による新法人設立に向けて、暖かいご声援・ご支援を頂きまして、心より感謝致しますとともに、今後の事業計画等を立てておりました。
 しかしながら、様々な要因により、女流棋士それぞれに新法人設立に向けての考え方に温度差が生じ、残念ながら、全員参加での新法人設立は難しい状況となりました。
これまで日本将棋連盟理事会には、女流棋士の分裂を避けるために、理事・女流棋士・準備委員が出席する話し合いの場を持っていただけるよう幾度となく申し入れておりましたが、それらが受け入れられることはありませんでした。分裂後の施策すら何一つ示されずに、不実な意思確認により、一方的に線引きをされたことは、誠に遺憾に思っております。
 このような状況においても、私たちの初心は決して揺らぐことはなく、この度、志を同じくする仲間と共に初心を貫き通す意志を固めました。
私たちは、やはり新法人を設立し、自分たちで責任を持って、将棋文化の普及と発展に努めて参ります。それゆえ、今後も関係各位と協議の上、新法人設立に向けて粛々と準備を進めて参ります。
心ならずも女流棋士同士がいったんは分かれる形となりますが、私たちは将棋連盟から発表された数を額面通りには受け取っておりません。残留と書いた人たちの中にも獨立したいと考えている人は多くいると思います。様々な理由で将棋連盟に残留を希望された方々にも、安心して新法人へと加入して頂けるような組織作り、環境作りをしてゆきたいと考えております。
また、これまでいつも女流棋士を暖かく応援して下さったファンの皆様のご期待にお応えするためにも、最大限の努力をして参ります。
 私たちの将棋に対する思いと、将棋連盟、師匠をはじめとした棋士の皆様に育てて頂いた感謝の気持ちは、これまでと全くかわりません。いずれは将棋連盟理事会にも、私たちの将棋文化の普及と発展への切なる思いがお分かり頂けるものと信じております。
 つきましては、このような私たちの決意をお汲み取りいただき、さらなるご支援をいただければ幸いです。
 今後の新法人設立に向けての具体的な活動の仕方については、追って公表させて頂きます。希望を持って前向きに取り組んで参りますので、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
 なお、矢内理絵子準備委員が都合により委員を辞任しましたことを、この場を借りてご報告させて頂きます。以上


 矢内の委員辞任は何なのだろう。気になる。メンバーが発表されるのはいつなのか。

3/22
 竜王ボナンザに勝つより羽生永世王将

渡辺竜王が、コンピューター将棋選手権優勝ソフトに快勝 2007年03月21日18時43分

将棋棋士の渡辺明竜王(22)が21日、東京都内のホテルでコンピューターソフトと対戦し、快勝した。将棋のタイトル保持者が公の場でハンディなしにソフトと対戦するのは初めて。
チェスでは97年に世界チャンピオンがスーパーコンピューターに敗れて世界的なニュースとなっただけに、日本将棋連盟(米長邦雄会長)もほっとした様子だった。

渡辺竜王に挑戦したのは昨年5月の「世界コンピュータ将棋選手権」で優勝した将棋ソフト「ボナンザ」(保木邦仁さん開発)。実力はアマ六段レベルとされる。対局は持ち時間各2時間、なくなると1手60秒未満で指すというプロ棋戦に近いルールで行われた。

戦型は先手・ボナンザの四間飛車穴熊に渡辺竜王が居飛車穴熊で対抗。中盤、渡辺竜王が不利と見られる局面もあったが、最後はわずかの差で攻め勝った。

終局後、渡辺竜王は「思ったよりも強くてびっくりした。実力がプロに迫るくらいまできていると認めないといけない」と話した。米長会長は「渡辺竜王が負けることも予想した。ほっとしたというのが本当の気持ち」と話した

近年、将棋ソフトの実力は飛躍的に向上しており、研究者の間では「早ければ2012年にもプロのトップレベルに近づく」などと予測されている。将棋連盟は05年10月、棋士と女流棋士が公の場で許可なくソフトと対局することを禁止した

今回は4月に始まるネット棋戦(インターネットを通して棋士が対局する)を盛り上げるイベントとして、将棋連盟が平手での対局を特別に許可した。asahi.com


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 しかしまあどんな記者が書いたのか知らないがおそろしく下手な文章である。味も素っ気もないブツギリ文章。子供の作文である。アサヒシンブンの水準はここまで落ちているのか。
 といってそんなことを書くためにアサヒのサイトに行ったのではない。厳密には行ってない。2ちゃんねるの将棋板からコピーする際、原文がアサヒだっだけの話。それにしてもこの文、ちょっとひどすぎる。

 この対局の情報と結果は、いま調べたらアサヒ以外にも産經や日経と多くのメディアが報じていた。竜王の本家である読売ずすぐに出てこないのが不思議だ。
 将棋界一の権威はいま竜王になっている。名人と並列だが賞金の高さで実質的には竜王だ。それでも主催マスコミの常としてそれを無視する。たとえば王将戦(元マイニチ新聞、現在毎日系スポニチ主催)のことを伝えるマイニチは、王将位保持者が竜王名人という二大タイトル保持者でも、そのことには一切触れずこの世には王将位しかないような書きかたをする。
 それは競馬マスコミも同じで、たとえばフジテレビ賞ナントカ杯があるとすると、それはふだんナントカ杯で通じているレースなのだが、執拗に「フジテレビ賞」を連呼するし、ひどいときには通称の「ナントカ杯」を省いてしまい、「フジテレビ賞」だけで会話したりする。
 そしてまた「NHK杯」のときはどうしようもなかったのだろうが、それが「NHKマイルカップ」に内容呼称が変更になると「マイルカップ」とのみ呼んで(テロップもそうしたのだったか)NHKを取ってしまう。これはしばらく続いてきたが、昨年だったか、仲直りをしたらしく(笑)「NHK」を入れるようになったらしい。

 というように、どんなに権威があろうと他社主催の棋戦には逆らうマスコミが、みなこぞって「竜王」と使っていた。それはまあ渡辺は竜王しか持っていないし、最高峰のプロ棋士がコンピュータソフトとガチンコ対決をすると盛り上げるのなら使わざるを得なかったろうが。


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 竜王の本家、読売新聞の記事。

渡辺竜王、最強の将棋ソフト破り面目保つ


「ボナンザ」との対局に勝ち、ほっとした表情を見せる渡辺竜王(左)

 将棋界最高位を保持する渡辺明竜王(22)とコンピューター将棋ソフト「ボナンザ」の公開対局が21日、東京都内のホテルで行われた。

 タイトル保持者が公の場でソフトとハンデなしで対局するのは初。1手争いの際どい勝負になったが、渡辺竜王が112手で辛勝し、プロの面目を保った。

 本局は、来月開幕する「大和証券杯ネット将棋・最強戦」のイベントとして実現した。ボナンザは、東北大大学院で化学を専攻する保木邦仁さん (31)が趣味で開発したソフトで、昨年5月に行われた第16回世界コンピュータ将棋選手権に初出場で優勝している。今回使ったコンピューターでは1秒間 に400万局面を先読みすることができる。

 渡辺竜王が指した手を、保木さんがパソコン画面に打ち込み、画面にボナンザの指し手が現れると、別の担当者が実際の盤面に再現する方式で対局。

 先手ボナンザの四間飛車穴熊に対し、居飛車の渡辺竜王も得意の穴熊にがっちり固める。事前の研究通りの局面に持ち込んだものの、中盤からボナンザ の反撃も厳しく、小刻みに時間を使わされた渡辺竜王が冷や汗をかく場面も。しかし最後は渡辺竜王が絶妙手を放ち寄せきった。持ち時間各2時間のうち、残り 時間は、渡辺竜王が49分、ボナンザが5分だった。

 記者会見で、渡辺竜王は「こんなに強いとは驚き。あと何回か指せば負けるだろう」と話し、保木さんは「竜王を相手に鑑賞に耐えられる将棋が指せてよかった」と応じた。

(2007年3月21日19時27分  読売新聞)


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 ボナンザは今までの将棋ソフトとちょっと違って総読みをする将棋ソフトだ。とはいえ初期の将棋ソフトはその形式だった。だからもう「極」なんてのは中盤終盤になると当時のCPUですべての手を考慮するから一手何時間も考え始め、ひどいときには寝る前に考え始め、そのままにして起きたらまだ考えていたこともあった。とても実用には耐えなかった。その後一気に将棋ソフトは充実する。片っ端から買いPCでもPS等でもやったが当時は一度も将棋ソフトに負けたことはなかった。
 数年前から最強ソフトはアマ三段ぐらいの力を持つようになり、それと反比例してこちらは齢のせいで弱くなったから、初めてPC将棋に負ける体験をした。今はもう最強レベルでは無理で、初段レベルにしてもらって勝ったり負けたりしている。私は最も強かった時代新宿将棋センターで三段まで行ったが、齢を取って弱くなり初段程度になったと実感していたから、この将棋ソフトとの勝ち負け水準には納得している。

 ボナンザは将棋をまったく知らない人が作ったソフトである。多くの版を重ねてきた常連の将棋ソフトが、定跡を覚えさせ、人間くさい将棋を指すようになっていたのに対し、将棋に無縁の人が作ったからこそ総読みという初心に返ったことになる。アマ強豪が作った居並ぶコンピュータ将棋選手権の常連ソフトを打ち破り、昨年初登場初優勝を成し遂げた。これは一般的な将棋の話題としてはちいさいが、「将棋ソフトの世界」ではたいへんな事件だった。なにしろこの最強ソフト、「ただ」なのである。無料なのだ。今まで12800円で売っていたボナンザよりに負けた他のソフト関係者は一様に蒼ざめたことであろう。

 今回、渡辺竜王との対戦が企劃され盛り上がっていた。竜王自身も自分のブログでボナンザの研究をしていると書いたりして一役勝っていた。
 私はまだまだプロ棋士が負けるはずがないと解釈していたのでこの出来事そのものには何の興味もなかった。
 あったのはCPUである。チェスの場合も巨大なスーパーコンピュータが相手だったように、一応持ち時間もあることだし、より高性能のCPUになればなるほど早読みが出来る。どんなのを用意したのだろうと思ったら、それが公開されていた。これはありがたかった。


製品名: RC Server Calm2000 Clovertown Edition, RealComputing, Inc.
ケース: 2U静音水冷式ラックマウントケース
CPU: Intel Xeon X5355 2.66GHz 8M FSB1333 FC-LGA6 Clovertown x2 (8core)
M/B: Supermicro X7DBE 'RC Special
Memory: 8GB (1GB PC2-5300 ECC REG FB-DIMMx8)
HDD: 160GB 7200rpm/8MB/S-ATA
OS: Windows x64 Edition


 クアッドコアのジオンのDual CPUである。コアは8個になる。OSは64bitを使ってメモリ限界を挙げPC25300のレジスタードを8GB積んでいる。HDDの容量は関係なし(笑)。
 いいPCだな。これがあったら楽しいことだろう。

 ということで、渡辺が勝って当然と思っているので「竜王対ボナンザ」にはあまり興味はなかったのだが、今朝のテレビを見るとヅラオグラのワイドショーでは映像入りで取り上げていた。対局場には多くのカメラが入ったようだから良い意味での話題作りにはなったようだ。

 しかしこういうことって毎度のことなのだが、そのヅラオグラのワイドショーで、マエダチュウメイとかいう芸能レポーターがこのことに関して意見を言うわけである。言うまでもなく彼はコンピュータ将棋なんてやったことがないから、トンチンカンだし、本人もそれが苦しそうだし、こういう紹介をするならそれなりにコメンテーターを用意しておけと思った。つまりそれは縁台将棋をやったことのある連中に「とうとうコンピュータもここまで来ましたか」と適当にしゃべらせておけば何とかなるだろうという手抜きなのである。正面から怒りたい。もっと真面目にやれと。

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 3/29日発売の『週刊新潮』が、このマエダチュウメイという普段から知らないこともやたら知ったかぶりする芸能レポーターが、将棋に関して無茶苦茶なことを言っていたと、発言をひとつひとつ拾って指摘していた。読んで痛快だった。というのは野球、サッカー、ゴルフのようなメジャなものにはこういうフォロー記事があるが、将棋などはまずないからである。見ている人は見ているのだとうれしくなった。当のマエダは「私の将棋は縁台将棋で、何故か私がスタッフの中で一番強いとなってしまい」と懸命に言い訳していた。番組の流れの中での役割という面もあったのだろう。ただ彼が激しく見当違いなことをもっともらしく発言していたのは事実である。

 ここにおいて「どういう形であれ将棋が取り上げられたのだからありがたい」とプロ棋士は思うらしい。あの矛盾だらけのマンガ「月下の棋士」でも、ビッグスピリッツに連載され世間的な話題になっていることを皆すなおにうれしがっていた。
 プロ棋士ではなくただの将棋ファンである私は、話を盛り上げるために都合の良いように曲げて描かれることに納得出来なかった。たとえば主人公氷室は名人戦で宿敵滝川と生涯ただ一度の対決をするために邁進する。そのときを頂点として話は盛り上がって行く。だが将棋界のシステム上、名人戦にたどり着くまでにはふたりは他棋戦で何度も対戦せねばならないだろう。話としてはおもしろいがいきなり最初で最後はあり得ない。それとも他棋戦は全部ボイコットしたのだろうか。その辺がマンガになっていた。「名人戦」を至高のものとし「生涯最初で最後の対決」として盛り上げたい気持ちはわかるがいくらなんでも無理があった。狭い世界故強い棋士同士であるほど対局が増えるのが常識である。
 でも私も、棋士ではなくても、たとえば将棋連盟の事務かなんかで食っている将棋界内部のひとりなら、どういう形であれ将棋があのようにメジャ扱いされることをうれしく思ったかもしれない。このマンガもプロ棋士であり論客の河口俊彦が監修をしていたのだからすべて納得ずくだったのだろう。こんなケチをつけている私が野暮なのかもしれない。

 だからきっと「渡辺竜王対将棋ソフトボナンザの対決」が世間的に話題になったことは、チェスの世界チャンピオンとスーパーコンピュータの対決とはまったく次元が違う話なのだが、これだけ世間的な話題になったことを関係者はきっと心から喜んでいることだろう。そう思えばマエダチューメイの見当違いの解説も微笑ましく思えてくる。

 『週刊新潮』の記事は、たまたま遊軍記者(あるいは専属契約のフリーライター)に私のような将棋好きがいて、それがたまたま朝のワイドショーを見て、ネタのひとつとして提案したのだろう。
(3/30記入)

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 第56期王将戦 羽生が防衛し永世王将に

 新潟県佐渡市のホテル大佐渡で19日から行われた
第56期王将戦七番勝負(毎日新聞社、スポーツニッポン新聞社主催)の第7局は20日午後6時52分、
111手で羽生善治王将(36)が挑戦者の佐藤康光棋聖(37)を降し、4勝3敗の成績で防衛した。

 残り時間は羽生16分、佐藤1分。
羽生は3連覇で、通算10期目の王将獲得。
大山康晴十五世名人(王将20期)に次ぐ史上2人目の「永世王将」となった。

 羽生は王位・王座と合わせて3冠の立場を堅持。
5タイトル連続挑戦の佐藤は王位戦、王座戦、竜王戦に続き、タイトル奪取を果たせなかった(棋王戦は挑戦中)。 【中砂公治】──毎日新聞


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 とまあ世間的には「竜王対ボナンザ」なのだが、私的には羽生が大山十五世名人に次いで史上二人目の永世王将になったことのほうが大事件だった。
 永世名人の資格が五期ということから、名人位を超えるものとして始まった王将は永世王将の資格を十期とした。この辺にも当時の王将戦の意気込みが感じられる。
 それを獲得したのは無敵の大山だけだった。中原も七期で全盛期を過ぎた。

 昨年中原を抜き大山に次いでタイトル獲得数史上二位になった羽生だが、大山升田の三冠時代、大山中原の五冠時代(中原は五冠王にはなっていないが)と比して、七冠ある羽生時代は単純に獲得冠の数では論じられない。だからこそ、いや七冠と乱立している時代だからこそ、王将位十期獲得の永世王将は偉大であろう。
 このあとに続く人はいない。王将戦の存続は微妙だがずっと続くと假定して、三人目の永世王将が出るのは何十年後かであろう。果たして出るのかどうか。主催者してもハードルを高くしすぎたために出現しなくなってしまった幻の永世王将だから、第一人者の羽生がなってくれてうれしかったことだろう。

羽生の獲得タイトル

  • 竜王 6期(第2期・5期・7期・8期・14期・15期)
  • 名人 4期(第52期 - 54期・61期)
  • 棋聖 6期(第62期 - 66期・71期)
  • 王位 12期(第34期 - 42期・45期 - 47期)
  • 王座 15期(第40期 - 54期)
  • 棋王 13期(第16期 - 27期・30期)
  • 王将 10期(第45期 - 50期・52期・54期 - 56期)

 羽生は、永世名人、史上初の永世竜王に、共にあと一期とリーチを掛けている。しかし永世名人は、もうすぐ開幕する今期の名人戦で森内が防衛したら獲得する。郷田も好調だけど防衛だろうなあ。
 実力制名人戦になって初の名人が木村十三世、そして大山十四世、中原十五世、谷川十六世となっている。谷川の十六世は本人も「先人と比して自分の時代を作っていないから」と恥じていた。獨走時代に入ろうかというとき羽生世代が出てきたから不幸ではあったが。
 それに続く十七世は羽生だと誰もが思った。なのに足踏みし、森内が先に成ろうとしている。
 
 竜王の方は羽生の六期に続くのが、谷川の四期、藤井、渡辺の三期だから、まだまだ「初代永世竜王」に近いのは羽生だが、現竜王の渡辺が絶好調であり、これから益々強くなる時期だから、このまま一気に行く可能性もある。

 羽生が名人と竜王に縁が薄いのは将棋界の三大不思議と言われる。(あとふたつがなにか知らんけど。)
 善戦はするが羽生、佐藤の影で無冠だった森内が三十を過ぎて初めて取ったタイトルが名人位だった。そこから一気に充実しまさか羽生より先に永世名人になるとは(まだ成ってないけど)思いもしなかった。

6/30
森内永世名人誕生!

森内永世名人誕生 郷田九段退け名人戦4連覇
◆ 通算5期、史上5人目の快挙 ◆ 

 将棋の森内俊之名人に郷田真隆九段が挑戦していた第65期7番勝負第7局が28日から愛知県蒲郡市の旬景浪漫銀波荘であり、29日午後10時35分、158手で後手の森内が勝ち、対戦成績4勝3敗で4連覇を達成した。森内は名人通算5期獲得で永世名人(十八世名人)の資格を得た。

「攻めさせられた将棋だった。難しい将棋が多かったので最後の最後まで結果が見えなくて神経を使った。(永世名人は)名誉なことだと思う」

 35年に実力制名人戦が始まってから70年以上。その長い歴史の中で永世名人はたったの5人目。ライバルで第一人者の羽生善治3冠(名人4期)も手にしていない名誉に輝き感無量の面持ちだ。

 今期名人戦は波乱含みのスタートとなった。相手は奨励会同期の郷田。お互いの闘志が正面からぶつかった。森内は第1局で、郷田がパチパチと鳴らす扇子の開閉をやめるように要望し、対局が中断するハプニングも。結局、森内は開幕局を落とし、第2局も敗れた。

 しかし見事に立ち直り、第3局から3連勝。第6局は大逆転負けしたが、気持ちを切らすことなく最後は地力を発揮。2日制・持ち時間9時間の戦いを知り尽くした男が歴史を刻んだ。

 名人戦は今期まで毎日新聞社が主催したが、第66期からは毎日と朝日新聞社の共催となる。節目の戦いで「羽生世代」の一人として将棋界を代表する存在が、さらに輝きを増した。
[ 2007年6月30日付 紙面記事 ]



 郷田が名人になるとは思えなかった。近年の森内の安定度は抜群である。佐藤に棋王を奪られてしまったがあれはいまの佐藤の充実ぶりがあまりにすごいのだ。だからこの大一番も郷田には失礼だが、挑戦者が佐藤や羽生ならもっと盛り上がったと思ったりもする。その方が久々の永世名人誕生に錦上花を添えたのはまちがいない。羽生なら勝った方が永世名人である。最強の佐藤も森内より前に名人の座についている。とはいえ内容は郷田が善戦したすばらしい七番勝負だった。

 いま目次を見て気づいた。この「将棋」の項目の最初は「森内名人誕生」である。2002年だ。もともと私のこの項目別は、『作業日誌』という公開日記に日々の思いを書いていたものだった。あまりにそれが多岐にわたったので項目別に分類した。その「将棋」の項の最初が森内名人である。羽生の後塵を拝して長年無冠だった森内がいきなり棋界最高峰の名人の座についたのはそれほどの驚きだった。
 現在格としては竜王が最高だが、その座につくためにいちばんむずかしいのが名人位である。すなわちそれが缺陥であり、それを是正したよりすぐれたシステムが竜王位だった。結果、竜王位は羽生、佐藤、藤井、渡辺と新人スターを輩出し獨自の地位を築いた。竜王のシステムが正しい。しかし同時にまた一年をかけた順位戦を勝ち抜いて昇級し、A級まで行かなければ挑戦権すら手に出来ない名人位の歪んだシステムが、だからこそ一度は名人になりたいと注目されたのも皮肉である。

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× 旧弊の象徴
 過日読んだ河村の本が、大山の懐刀だった(というか実質的に運営を仕切っていた)丸田九段による「既得権の保持」に触れていて興味深かった。
 丸田のやった将棋連盟運営の方法は、特権を手にしたものだけがうまみを吸う、吸い続けるシステムである。特権とはすなわちA級八段の座を手に入れた少数になる。連盟の給料は順位戦の地位で決まる。一度八段に昇ったものはその後A級から落ちても段位は落ちない。「既得権の保持」とはすなわち「選ばれた少数」が、「その座を脅かすものを排除するシステム」である。その象徴が順位戦だった。ひとつクラスをあがるのに丸一年かけて戦い抜き一位か二位にならねばならない。それでやっと一段階あがる。上から落ちてくるのはふたり。それとの入れ替えだ。A級に昇るには最短でも、C2、C1、B2、B1と四年かかる。五年目でA級。そこで優勝して名人に挑戦して勝って名人だから実質最短で六年かかることになる。この名人になるまでの、いや挑戦権を手に入れるための権利までの回りくどいやりかたこそが、既得権を手にした棋士の地位を保つシステムだった。結果的にその迂遠な方法故名人位の地位を高めることに作用した。それがいかに伸び盛りの棋士の芽を摘んでいたかは竜王戦が証明している。

 かつて「B級は鬼の住処」と言われた。C級から順調にあがってきた有望な若手も、ここに巣くう「元A級八段」にA級への夢をつぶされまたB2に落とされたりした。これも「既得権」の見地から解釈するとわかりやすい。自分たちと同じ「A級八段」という特権を手にしようとする新人を既得権を手にしている(かといってもう名人にはなれないだろう存在である)「元A級八段」が必死で食い止めようとするのは当然だ。最も人間くさいどろどろした場だった。

 社会にたとえるなら、名人戦は係長、課長、部長、常務、取締役を経なければ絶対に社長になれないシステムだった。新入社員のときから社長候補と言われながら「部長戦」で足踏みしてなれないまま年老いていった棋士があまた居た。対して竜王戦は平社員でも係長大会で優勝するといきなり「社長戦」に参加できるという画期的な方法を採った。結果、若手の実力派が台頭した。竜王戦の果たした価値は大きい。

 といっても才人は才人である。名人になる人は竜王に、竜王になる人は名人にもなる。1988年に竜王位が出来てから、谷川、羽生、佐藤、森内と四人も名人と竜王の両方を手にしている。藤井にもぜひ名人戦の舞台に出てきて欲しい。現竜王の渡辺はやっといまB1。何年か後には名人戦の舞台に現れるだろう。

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 羽生がいたために無冠だった棋士といえば最初に思いつくのが森下卓である。森内もそうだと思っていた。今回の挑戦者である郷田は森内より年下だが1998年と2001年に棋聖位を奪っている。羽生世代の俊英として森内ほど遅れていた人はいなかった。それが2002年に初めてのタイトルである名人位を奪り、あっという間に永世名人である。
 私は2002年に森内が名人になったときもさほどの期待はしていなかった。4-0の完勝だったが奪った相手が丸山である。案の定翌年羽生が登場すると今度は0-4で奪われた。そこまでだと思っていた。ところがその翌年、羽生から4-0で竜王を奪取し、名人位も4-2で取りもどす。これは見事だった。竜王位こそ渡辺に奪われたが名人位は、羽生、谷川、郷田と護り続け今回の通算五期で第十八代永世名人となった。2002年までまったくタイトル歴のなかった森内が、将棋界のあらゆる記録を塗り替えつつ驀進する羽生より早く永世名人になると誰が豫測したろう。

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 第十七代永世名人谷川を思うとせつなくなる。谷川以前の永世名人、木村、大山、中原はそれぞれの時代を作った。木村は大山に敗れ名人から陥落するときに引退した。「よき後継者を得た」との名言とともに。通算八期。大山は今更言うまでもない。タイトル獲得数の大記録に羽生が挑んでいるが当時と今のタイトル数の差から数字にはすこし上乗せが必要だろう。「若き太陽」と呼ばれた中原の偉大さも格別だった。それらに匹敵する時代を谷川は作っていない。本人もそれを意識し永世名人の権利を獲得したときその旨発言している。そのときはこれからと思った。だが……。

 谷川がこれから名人位に就くことはない。もう四十五歳だ。第一線で活躍していることですらたいへんになってくる齢である。となると名人位は五期のままである。ぎりぎりの五期でも永世名人になっただけよかったとは思わない。谷川はそんなケチな存在じゃなかった。彼こそが将棋界のすべてを塗り替える逸材だった。すぐに最強の羽生世代が出てきて彼の天下がこんなに短くなるとは夢にも思わなかった。中原から奪い、だが中原が奪い返し(これは美しかった!)、そしていよいよ谷川時代かと思われたとき、すでにもう羽生が来ていた。その羽生に七冠制覇という偉業を許した屈辱から名人位竜王位を奪取して永世名人の権利を取得したのが三十五歳の時。もう十年になる。
 今年にでもA級で優勝して森内に挑んで欲しいと思うが……。

 森内はいまの五期にいくつか上乗せできるだろう。なにより名人位との相性のよさが目立つ。かといって木村、大山、中原のように自分の時代を作ったとはまだまだいいがたい。三人に続いて時代を作ったのは羽生である。森内よりは遙かに谷川の方が時代を作っている。だが永世名人としての記録では谷川は森内に及ばない。いまは並んでいるが及ばなくなるだろう。
 谷川が美しい天才であっただけに、記録面のほころびが悔しい。

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 第十九代永世名人の座に最も近いのは四期獲得している羽生である。そのあとは佐藤、丸山になるが、果たしてどうか。最高に充実している佐藤だが、これからあと三期名人位を奪る時間的餘裕はあるのだろうか。

 来年からアサヒとマイニチの共同開催というわけのわからんものになる。まあかってにしてくれ、という感じだ。名人戦そのものには興味はない。

 史上初の永世竜王に王手をかけているのは羽生。通算六期。これも名人戦と同じく五期だったならすでに羽生は最初の「永世竜王」になっていた。ここでも竜王位は名人位と差をつけるべく「七期」を条件にした。
 羽生についでこれに近いのは渡辺だろう。なにしろ若い。いま連続三期。もしかしたら羽生よりも先に? それはないと思うのだが。
 数字的には通算四期の谷川が羽生に続くのだが、これはやはり年齢的に無理だろう。
 藤井も三期。ぜひまた復帰して欲しい人だ。

『将棋世界』が古今有名な局面を出し、「あなたならどうするか」と実力者に問う企画をやっている。じつにいい企画だ。毎月楽しみにしている。
 そこに選ばれているのは、羽生、佐藤、森内、渡辺というタイトルをもっている実力者、当然の人選。そこにさらに二人、谷川と藤井が選ばれている。谷川は無冠ながら経歴的に文句なしであろう。なにより発想の斬新さからしてかかせない。そして藤井が選ばれていることがうれしい。人望があり誰もに一目置かれているのだ。丸山あたりとは品格が違う。将棋の文に「一目置く」という囲碁からの比喩を使ってしまった。同じ意味の将棋からのことばはないのか。

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 森内名人。渡辺竜王。羽生三冠。佐藤二冠。これで合計七大タイトル。絶対的に強いのは羽生と佐藤なのだが、二大タイトルは森内と渡辺という不思議。いやこの不思議は嫌いではない。つい先日、棋聖戦において佐藤は挑戦者渡辺を3-1で撃破した。さすがだと感歎した。だけどそれは渡辺竜王の力不足ではなく、棋聖戦の挑戦者にまでなってきたというワクワクする話なのである。
 この四強に、谷川、藤井と続く。丸山だってこのまま終るわけには行くまい。特に渡辺にボロクソに言われている。丸山の復活も楽しみだ。

 それでも春の名人戦が終れば次の話題は秋の竜王戦になる。今年は羽生がいい位置につけている。楽しみだ。06年の渡辺佐藤の七番勝負は後々まで語りつがれる名勝負だった。名棋譜である。

 大好きな羽生世代の大活躍と、かつての天才中学生棋士がいつしか最年長になってしまったけれど、谷川の活躍、羽生世代を追いあげる渡辺、と楽しいことばかりである。
 不満は、その真ん中か。羽生世代が三十代半ば(早いねえ、話題になったころは十代だったのに。『東スポ』が実現した19歳の武豊と羽生の一面対談はヒットだった)、唯一追い詰める渡辺は二十代初旬、だったらいま、三十前後がもっといなければならないのだけれど……。

 私の大好きな木村一基は見事に竜王挑戦者になったが、下の世代の渡辺に木っ端微塵にされてしまったからなあ……。

7/7
 渡辺竜王の将棋講座


 NHKの将棋番組は毎週日曜の午前10時から12時まで。このうち10時から20分は懸賞詰め将棋のコーナーを含む将棋講座、そのあとがNHK杯戦という構成である。これは私が初めて見た三十五年前から変っていない。
 私は二十五年前からビデオ録画しているが、それは10時20分からのNHK杯戦のみである。その前の講座は私にとってじゃまだった。

 将棋講座の講師は半年で変る。もしかしたら一年間やった人も、それ以上の人もいるのかもしれない。なにしろ見ていないので知らない。かといって食わず嫌いではない。いろいろな講師の時、必ず一回は見ている。そうして、「つまらないから録画する必要はない」と判断して録らなかった。
 いろいろな形があった。駒の動かし方から教える入門者用が多かったが、一、二年前には、加藤一二三が何十年も前の自分の名勝負を解説するというマニアックなときもあった。
 谷川、羽生、佐藤と、若手人気棋士もみな担当している。女流棋士を登用したときもあった。
 中原、米長が担当したこともあったのだろうか。記憶にない。石田和夫はよく覚えている。楽しい人だから。二年前、羽生を破ってNHK杯戦に優勝した久保が担当していたから、NHK杯戦優勝者はみな担当したのだろう。とはいえそれもむかしは大山、中原、加藤とかなり限られた棋士だった。「小太刀の名手」丸田さんが担当していたことは覚えている。中村王将もやっていた。島とか高橋道男とか南とか担当したのだろうか。記憶にない。
 そうして今年の春から二十二歳の渡辺竜王が担当するようになった。加藤、谷川、羽生に続く史上四人目の中学生棋士(=四段)は、現在竜王を三期連続で保持している。

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 これがおもしろい。なぜこんなにおもしろいのだろうと考えるのだが、まだ結論は出ていない。
 いまのところわかるのは、テーマが私の好きな「振り飛車対居飛車」であること、そこでの早仕掛け、その対応法など講座の内容が、私の棋力にあっていることだ。
 ここのところ私はNHK杯戦のほうを録画せず、この将棋講座のほうを録画している。こんなことはNHK杯戦を見始めて三十五年、初めてである。

 どうしてこういうことになったのか結論が出ない。とにかくおもしろいのだ。
 それがこの講座が特別にすぐれているからなのか、今まで本人は意識していないが食わず嫌いだったのか、わからない。十月にわかる。次の担当者の講座を私がどう感じるかだ。楽しみである。

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 講座が始まる前の石橋との会話で、渡辺竜王のお父さんは彼が奨励会に入ってしばらくしても五分に闘っていたと知る。これはすごい。竜王も「だいたいあっと言う間に相手にならなくなるようですが、うちの父は強かったから」とさりげなく語っていたが、プロ棋士になるほどの小学生はすぐに父を越える。それほどでなくてもすぐに相手にならなくなる。それが奨励会に入ってもしばらくは五分だったというのだから、常識的に考えてアマ四段はあった人だろう。すばらしい。
 それで私も、息子が何歳になるまで壁に成りうるかを考えてしまった。せめて息子がかつて私が通いつめた新宿将棋センターでアマ初段になるまでは立ちはだかりたいと思う。
9/13  ここにも来たウチダテオババ!

 本屋で『将棋世界』を立ち読みしたらウチダテマキコが連載エッセイを始めていた。10月号で3回目とあるから8月号から始めていたらしい。米長が会長になってから買っていないが立ち読みはしていた。この二ヶ月見逃していたようだ。見逃していてよかった。

 私はこの妖怪が『週プロ』に「プロレスラーは美しい」とか寝ぼけた連載を始めたときに買うのをやめた。ひどい文だった。そして相撲である。なんで男の世界にあのバケモノが関わってきて的はずれなことを言うのだ。そして今回の将棋である。プロレス、相撲と来て将棋だ。私は呪われているのか。なんで私の好きな分野にこのババアは次々と関わってきて私を苦しめるのだ。
 それでも購入をやめているときでよかった。これがむかしのように年順号順にずらりと本棚に並べて大切にしていた時ならもっと苦しんだ。おそらくオババの部分だけ切り取って捨て、並べることになったろう。だが切り取っても切り取った跡があるから忘れることは出来ない。開くたびにここにあの妖怪が居たのだというトラウマ?に苦しみ続けたろう。

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 そしてまたこのエッセイの中身がひどいのだ。抱腹絶倒を通り越して吐き気がした。
 舞台は新幹線。オババが詰め将棋を解いていると隣の席の男がオババをちらちら見るのだという。ここで知るのだが、オババは将棋をつい三ヶ月前にこの連載のために覚えたのである。ひどい話だ。これでオババが女ながら子供のころから将棋が好きで将棋雑誌にエッセイを書くのが長年の望みだったというのならまだ許せる気がする。知りもしない将棋を五十すぎで覚えて関わってくるその妖怪にじり寄り戦法に寒気がする。

 自分の方をちらちら見る「コダマキヨシに似たいい男」にオババは思う。「やあねえ、ナンパかしら。ほんとにもう男って……でもダメよ、あたしの理想は北の富士なんだから」
 なんでこんなことを平然と書けるのだろう。オババはほんとにこの世に自分をナンパしてくる人類がいると思っているのか。どんな男だってオババが隣にすわったらチラチラ見てしまうだろう。それを日本語では「恐いもの見たさ」という。それぐらいはオババだって知っているはずだ。

 こういう書きかたというのはむかしからもうどこにでもある。自分のことを勘違いしている女はみなこの手の書きかたをする。博奕雑誌の競馬エッセイにまで三十代の獨身女が登場し、ちょいとした失敗談を書いたあと、必ず「えーん、これでまたお嫁に行く道が遠のいちゃったよお」と附け足したりする。バガガゴノ゛グゾ女! と腹立ったものだ。それで笑いを取ったつもりなのか。読者はよろこぶと思っているのか。
 それでもまだそれは、美女とまでは行かなくても一応女だったから無能女の勘違い定番として見逃せた。だけどなあウチダテセンセイ、あなたが「やあねえ、ナンパかしら」はないだろう。あなたがご自分の立場を理解しているなら、この「ナンパかと思ったら将棋が好きな人だった」というわかりやすいオチに行く流れが、無茶であることがわかるはずだ。プロなのだから、朝青龍に対してあれだけ「横綱としての自覚を持て!」と言う人なのだから、アナタも自分を「醜いでしゃばりおばさんである自覚を持て!」。あなたの書く「やあねえ、ナンパかしら」は朝青龍が左手で手刀を切ったことより遙かに問題だ。

 そしてまた『将棋世界』もよせばいいのにそれらの文に併せてオババの例の顔写真を二枚も挿入しているのだった。『将棋世界』読者の誰もが思ったろう。「こんな気持ち悪いババア、誰もナンパしねえよ!」と。
 写真を載せて読者にそう思わせる編集者は意地悪だ。だけどそうなるよう仕向けけているのはオババのつまらんエッセイの切り口なのだから自業自得。

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 と、ここでまた私は思った。もしかしてオババは自分の妖怪ぶりにに気づいていて、それを100パーセント利用しているのではないか、と。「いやねえ、ナンパかしら」と書くと読者の誰もが気持ち悪くなることを計算し、その文章の箇所には必ず自分のバケモノ顔の写真を挿れるようにと指示しているのではないか。すべては計算尽くなのだ。
 そう考えると、私は「なんで将棋雑誌にウチダテオババが」とうんざりしつつもそのエッセイを最後まで読み(恐いもの見たさだ)、「いやねえ、ナンパかしら」に反感を持ち、バケモノ顔の写真に気味悪くなり、そしてここにこんなことを書いている。それがすべてオババの計算だとしたら、私はオババの思うとおりに踊らされていることになる。うむむ、ウチダテオババ恐るべし。
 しかしどんなに恐ろしくても、オババが本気で「やあねえ、ナンパかしら」と思っているとしたら、それ以上恐ろしいものはない。

 それにしても、なんにでもしゃしゃり出てくるババアだ。じゃまだ。

11/5
 森内竜王対谷川王位戦を見る 

 2003年のNHK杯戦、名勝負と名高い一局。追いつめられた谷川が一気に「光速の寄せ」を見せる。私はこれを録画していなかった。まさかこんなところで見られるとは。
 どんな好事家がUPしてくれたのか、ニコニコ動画にあったので見られた。動画嫌いだからPCディスプレイで30分以上動画を見るのは苦痛なのだが、のめりこむようにして見てしまった。解説の羽生もまた最高。時折「そうか、そういうことか」と自分だけ先読みしてしまい、「自分だけでわかっちゃいけないんですが」と苦笑する。ついてゆけない(そりゃ誰もついてゆけない)解説の千葉涼子(もうこの時点で結婚して千葉性になっていたのか。碓井涼子のイメージが強い)に、「お話ししてください」とつっつかれる(笑)。常に気配りをする羽生が二人の熱戦に解説を忘れてしまうのも新鮮だった。

 その時点での羽生の「馬が効いている」はわかった。9九に成り込んでいる馬が5五から3三まで効いて王の上部脱出を防いでいる。そのあとの「香も効いていますね」は、詰めのとき1一にいる谷川の香が最後の最後に役立つのだがそこまではその時点では読めなかった。
 名勝負に名解説で最高に楽しめた一局だった。

 谷川が無冠になってひさしい気がする。このときは王位をもっている。まだ4年前でしかないのか。森内はここからますますの活躍を見せ、羽生より先に、谷川についで十七世永世名人になる。
 谷川はいま、三強、四強、五強、そういう呼称の中に入ってこない。唯一の四十代棋士として活躍しているが……。時の流れが切ない。羽生、佐藤、森内の世代が将棋のすべてを変えてしまった。そのまえの古き良き時代の中原、米長、内藤のころと比べると、彼らはあまりに凄すぎる。その真ん中に位置した、時代を造れなかった天才谷川がなんともいとしいこのごろ。
12/6
A級星取、谷川と佐藤の不調



 谷川と佐藤に陥落の危機がある。こんな例を知らない。相星だと下が落ちる。ひとりは行方だろうが、もうひとりの候補は今のところ、谷川と佐藤である。とんでもないことになった。信じがたい。

 二冠であり、竜王戦の挑戦者にもなり、最も安定した実力の佐藤がなぜここでは不調なのか。むかしから全般的な成績は悪いのに一年を掛けて指す順位戦の成績だけはよいという棋士はいた。でもそれは順位戦がすべての基本となる名人戦絶対の時代だ。いまはそうではない。そうではないから、「ただの一棋戦の不調」ともとれるが、佐藤がなぜここだけ全敗なのかが納得行かない。

 今年のここまでのデータを見てみると、対局数で佐藤は1位の40局、勝ち星は13位の19勝。勝率が5割を切っているからよくはない。ただ将棋界は「勝つことで対局がつくシステム」だから、「対局数1位」が、いかに活躍しているかの証明になる。タイトルの防衛戦や挑戦で五分以下の成績であれ、棋戦で順当に勝ってはいるからこその対局数だ。勝率もこの順位戦の全敗がなければ五割以上になる。佐藤の場合、いまも竜王戦の檜舞台で闘っているから、全般的に好調なのにこの順位戦だけ絶不調と言える。

 谷川はどうだろう。対局数は9位の34戦。これも立派な成績だ。勝ち星は19位の17勝。ちょうど五割。よくはないが前後が二十代、三十代ばかりなのに唯一四十代棋士としてがんばっている。やはり順位戦だけが特別に調子が悪いと言えるだろう。まあここまで一流が集っているA級リーグだから納得できる成績ではあるが。

 現在絶好調は勝ち星29勝でトップを行く木村。すべてに好調だからここも優勝していきなり名人戦挑戦者になるか。新四段になり、「目標は名人」と言い切ったのをつい昨日のことのように思い出す。竜王戦挑戦者になったときは期待したが年下の渡辺に木っ端微塵にされた。まだ名人位は遠いか。

 羽生が挑戦者になり、森内から奪還するのが望みだが、どうなるだろう。挑戦者争いは郷田、羽生、三浦、木村の四人に絞られた。これは順位は関係ない。なんだか相星の「挑戦者決定戦」がありそうな星取である。

 それよりも問題は陥落者だ。残留の目は2勝だろう。次の対局が「谷川対佐藤」。谷川はここで勝てば、順位からもかなり楽になる。佐藤が勝って1勝目をあげると、これも順位的に2勝で残留に近づくだろう。
 失礼ながら、行方と久保が落ちるのが順当と思う。もしも谷川が落ちたらそれこそひとつの時代の終りになるし、他棋戦で絶好調の佐藤二冠が落ちたら、前代未聞の大事件となる。目が離せない展開になってきた。陥落者決定は最終局までもつれこみ、今年も「将棋界の一番長い日」になるのだろう。



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A級順位戦2.1


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今日は天王山──A級順位戦


 今日のA級順位戦は見逃せない。谷川、佐藤が陥落かどうかがほぼ読める。

名人挑戦者も、羽生、郷田、三浦、木村から、かなり絞られるだろう。私はむろん羽生であることを願う。

ネットで有料観戦があるようだが、私はそのすべをもたない。
2ちゃんねるの将棋板で雄志の書き込みに一喜一憂しよう。

最終戦よりも、むしろ今日である。見逃せない。


 前記「A級星取、谷川佐藤の不調」から二ヶ月経過。星取は以下のようになっていた。
 谷川は佐藤に勝って2勝目をあげた。順位からして大きな勝利である。佐藤も行方に勝って初勝利。しかしいまだ降級最有力候補であるのはまちがいない。
 そして今日2/1、一斉に対局が行われている。羽生が木村に勝てば単獨首位となり挑戦者最有力となる。その羽生と並んで6勝1敗の三浦は谷川と対戦。谷川が勝てば3勝目となり、残留がかなり楽になってくる。
 佐藤が久保に勝てば2勝目となり、順位が下の久保、行方と並ぶから、残留の目が出てくる。逆にここで負けると久保が3勝となり楽になるから、現役二冠が降級という珍事が現実味を帯びてくる。



 今日は午後に一度、夜八時に一度、2ちゃんねるの将棋板「名人戦順位戦」を見た。すごい量の書き込みで次々とスレが埋まってゆく。みな二十歳前後の若者のようだ。贔屓の棋士の引き合いで「死ね!」を連発し合っている(笑)。それでもまあ熱い流れである。

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 現在2月2日午前3時。起きだしてPCに向かう。持ち時間6時間を使い切った熱戦も0時頃には終っているから、いよいよ結果を確認して書き込むことになる。ドキドキだ。どうなったろう。いきなり結果のみを知るのではなく、2ちゃんねるのスレを時間通りに読みつつ、確認したい。


 午後十時頃、丸山郷田戦が終って丸山勝ち。ともに5勝3敗。これで郷田の連続挑戦の目は消えた。
 と書いていて、時間通りにスレを追っているからまだ他の結果は知らないのである。ドキドキである。

 午前0時、羽生が木村に勝ったと書き込まれる。朝の10時から始まり、互いの持ち時間合計12時間を費やし、昼食夕食休憩を挟んでの82手。たいへんな一日だ。

 谷川が三浦に勝つ。これで3勝目。行方が藤井に負けて陥落決定。もうひとりの陥落者も順位の都合で谷川はこの3勝目でA級残留、A級連続27年が確定したようだ。順位がしたの三浦の挑戦権はかなり遠のいた。

A級連続在位
1位 大山 44期
2位 升田 31期
3位 中原 29期
4位 谷川 27期 New!
5位 塚田 26機
5位 米長 26機


 2ちゃんねるにあった豆知識。大山はA級のまま死んだ。その他はみな陥落している。今年の情勢を見ると、谷川にも陥落の日が来るのだろう。
 しかし時代を考えると、谷川の記録は升田や中原よりずっと偉大だ。六十を過ぎて羽生とも互角に差していた大山は別格である。

7回戦終了時挑戦確率
羽生 43.2% 442.00/1024
三浦 40.0% 409.25
木村  8.5%  87.25
郷田  8.2%  84.00
丸山  0.1%   1.50

   ↓

8回戦終了時挑戦確率
羽生 87.5% 28/32
三浦 12.5%  4
郷田  0.0%  0
丸山  0.0%  0
木村  0.0%  0


 同じくこれもそこにあった豆知識。限りなく羽生が有利になったが、最終戦で谷川に敗れ、三浦が久保に勝つと決定戦がある。羽生が谷川に勝って1敗で挑戦がいいだろう。いや谷川の奮起で決定戦もいいが、三浦挑戦という盛り上がりのないのは望まない。三浦といえば羽生七冠から棋聖位を奪い、七冠を崩した若手だった。羽生の名人戦挑戦をじゃまする可能性はあるか。

 0時55分。最終局。佐藤が久保に勝つ。これで残留の目が出てきた。いやはや長い一日だった。


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 有料ネット放送の見方

 とんでもなくむずかしいのだろうと敬遠していたが、2ちゃんねるの書き込みによると、有料放送の見方は意外に簡単なようだ。コンビニで金を払い(千円券)プリペイドカードを受け取り、そこにある12桁の番号を入力すると、そのうちの200円で見られるらしい。

 だが「ただいま混雑しております」で見られないとの苦情もだいぶ寄せられていた。今度やってみようかと思うが、もしやるのなら今日だった。今日が最高の盛り上がりの日だった。いつかどうにも見たくてコンビニに走る日が来るだろうか。

 上記は一日会員。いつでも見られる正規会員は月500円の契約とか。nifty経由らしい。正規会員も「毎月金払ってるのにぜんぜん見られない!」と怒っている人がいた。まだまだ万全ではないようだ。

12/13
 竜王戦、渡辺史上初の四連覇


 去年も今年も絶好調の佐藤は唯一苦手にしている羽生を破って決勝三番勝負に進出。
 1組で優勝し、谷川を破って決勝進出の一昨年の挑戦者(しかし内容は4連敗)の木村も見事だ。なんで木村が渡辺に歯が立たないのか私にはわからない。才能の差なのだろうか。木村の戴冠が待ち遠しい。毛のあるうちに。

 佐藤が勝って挑戦者になる。昨年に続いて二年連続である。昨年の七番勝負は四対三で敗れたがすべて名局であり、棋士アンケートの年間ベストの一局でもこの七番勝負から選ばれたものが圧倒的だった。

 ここまで渡辺には通算で10勝6敗と勝ち越している。棋聖戦では挑戦者となった渡辺を三対一でくだしている。棋聖戦六連覇。棋王を森内から奪取して二冠。絶好調の佐藤の奪取の可能性が高いかと思われた。

 渡辺は竜王戦四連覇に挑む。竜王戦は覇者が次々と変る。谷川も羽生も二連覇までだった。史上初の三連覇を成し遂げたのは藤井。しかし四連覇は羽生に絶たれた。羽生から奪った森内、森内から奪った渡辺が三連覇を成し遂げる。そして今回、藤井に次ぎ四連覇に挑む。


  第1局 第2局 第3局 第4局 第5局 第6局
渡辺竜王
佐藤二冠

 四勝二敗で渡辺が防衛。全局すばらしい勝負だったが、佐藤側から見たら変調だったのだろうか。優勢なのに途中から崩れることが多かったように思う。

 名人戦を超えることを目的に創設された竜王戦は名人が五期で永世位を得るのに対し、そこでもより上の七期とした。いま初代永世竜王に一番近いのは通算六期の羽生である。次いで四期の谷川、三期の藤井だった。そこに同じく四期で渡辺が名をあげた。まだまだ六期の羽生が優勢と思うがなにしろ渡辺は現竜王である。そして最年少のタイトルホルダーだ。このまま一気に行く可能性もある。

 竜王戦は毎期なんでこんなにおもしろいのだろう。名人戦より遙かにおもしろい。名人戦にはA級の陥落というべつの意味の興味深い風物詩があるけれど。

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渡辺竜王が4連覇 竜王戦7番勝負

2007.12.13 20:23

 渡辺竜王が4連覇 竜王戦7番勝負 2007.12.13 20:23
 将棋の渡辺明竜王=写真=に佐藤康光棋聖・棋王が挑戦していた「第20期竜王戦7番勝負」第6局は、12日から静岡県伊豆市の「玉樟園新井」で行われ、13日午後7時28分、135手までで先手の渡辺が勝ち、対戦成績を4勝2敗としてタイトルを防衛。竜王戦史上初の4連覇を達成した。
渡辺は来期、永世竜王の資格獲得を目指す。(MSNサンケイより)

 うわあ勘違いしていた、そうだよ、「通算七期」が永世竜王の資格なのだが、それと並んで「連続五期」でもなれるんだ。渡辺は来期史上初の永世竜王に王手なのである。これを阻むためにはなんとしても羽生が挑戦者になるしかない。すると「どっちが勝っても永世竜王誕生」と最高の盛り上がりになる。主催者もそれを望んでいるだろう。だが佐藤、谷川、森内、木村らを破って羽生が挑戦者になるのは厳しい路だ。その点、渡辺は防衛戦だからすでに王手なのである。どう考えても初代竜王の座は圧倒的に渡辺に有利だ。

 と、こんなことを書いていると、私は強い棋士はみんな好きなのだが、羽生>渡辺、である自分に気づく。渡辺は大の競馬ファンであり親近感を持っているのだが。
 そこにあるのは「竜王戦の歴史を作ってきた羽生に対する感情的なもの」である。言葉を換えるとこれは「判官贔屓」だ。羽生がそんなものを受けてはいけない。来期挑戦者になって勝ち、初代永世竜王になってくれ。

 来期の竜王戦は挑戦者争いからして目が離せない。
12/21 羽生、史上最速の1000勝

 16日のNHK杯戦、「羽生対久保」はすばらしかった。終盤の羽生の寄せは、王を攻めている要の金二枚を惜しげもなく捨て、自陣で蟄居していた飛車が動き出して主役になるというわくわくするもの。しかも最後の最後には序盤に3三に打ち込んだままになっていた桂が玉の逃げ場を塞いでいたという出来すぎた話。一気に即詰めに行く流れ、解説の谷川、なにもかも最高の一戦だった。

 相手の久保は2003年のNHK杯戦優勝者。決勝戦の相手は時の名人羽生。紋付き袴姿で臨み、羽生を破って優勝する。期待されていた俊英がこれで一気に世に出た。現在はA級八段である。

 この名局のことを書こうかと思ったが、熱心なファンが運営する将棋サイトは棋譜附きで充実している。私ごときが書くこともあるまいと自重した。それに羽生のことは数日内に達成される「史上最速1000勝達成」で書くと決めていた。その相手も順位戦の久保である。無論それが1000勝目に当たるというだけで久保が勝てば次の勝負にもちこされる。久保もそんな記念の勝利に関わりたくあるまい。ましていまA級陥落の剣が峰である。
 そんなことから20日の順位戦はファンの注目を集めていた。有料の中継サイトがあるらしく(いまだにこの辺の情報には疎い)2ちゃんねるの将棋板は指し手の一手一手に盛り上がっていた。

 羽生が勝って1000勝を達成した。

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羽生王将:公式戦通算1000勝を達成 歴代8人目

 将棋の羽生善治王将(37)が20日の第66期名人戦A級順位戦(毎日新聞社、朝日新聞社主催)で久保利明八段(32)を降し、公式戦通算1000勝を達成した。歴代8人目。37歳での到達は史上最年少、所要期間22年は最速、勝率7割2分8厘は最高と、記録ずくめの達成となった。

 羽生は1985年12月、15歳でプロ入り。86年1月、王将戦予選で宮田利男七段を破って初勝利を挙げた。以来、年間50勝以上を9回記録するなど、驚異的なペースで白星を積み重ねてきた。

 通算成績は1000勝373敗1持将棋。谷川浩司九段との対局が最も多く、対戦成績は羽生の93勝62敗。2番目は佐藤康光棋聖で、羽生の85勝43敗。3番目は森内俊之名人で、羽生の49勝41敗。

 他の1000勝達成者は、大山康晴十五世名人(1433勝)▽中原誠十六世名人(1302勝)▽加藤一二三九段(1263勝)▽谷川(1147勝)▽米長邦雄永世棋聖(1103勝)▽内藤国雄九段(1091勝)▽有吉道夫九段(1062勝)。これまでの最年少・最速記録は谷川の40歳・25年6カ月、最高勝率は大山の6割8分7厘だった。【山村英樹】

 ▽羽生王将の話 一つ一つの積み重ねで、こういう形になってよかった。まだ30代なので、あとどれくらい勝てるか分からないけれども、着実に歩んでいきたい。

毎日新聞 2007年12月21日 0時41分 (最終更新時間 12月21日 1時15分)


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「15歳でプロ入り」は解りづらい。いやそれ以前にマイニチシンブンはすべて数字は算用数字に徹しているのだが、この辺はやはり「十五歳」が似合うように思う。まして原文は縦書きだ。そんなに算用数字が好きなら横組みの新聞にすればいいのに。いや一応「十六世名人」と書いているから救いはあるか。

「15歳でプロ入り」と書くと、それまでアマチュアだったのに15歳からいきなりプロ棋士になったようだ。相撲が中学を出て入門すると「十五歳で角界入り」と書かれるように、まあその他のスポーツでもそう書かれる。将棋界はすこし違う。これは誤解を招く書きかただ。
 羽生は小学生の時に奨励会に入会し、十五歳で四段になった、加藤、谷川に続く史上三人目の中学生棋士だった。小学生で入門し、プロ棋士として認められる四段になったのが十五歳なのである。稀有の例だ。でもこの書きかただと中学を出てすぐ入門しプロ棋士と認められたかのようである。
 奨励会の現在の規定は「二十六歳の誕生日までに四段になること」だったか。なれないと奨励会退会である。以前は三十歳だったり時代によって変る。ほとんどが小学生、中学生のときからプロ棋士になることだけを願って切磋琢磨してきた天才達である。知能の高い天才ではあるが一藝に集中していたから将棋以外のことは出来ない。二十代半ばから人生設計を根本から変るのはたいへんだ。抜群に頭のいい人たちだからその気になればどんな大学も入れていた。だが現実には将棋に集中するため高校に行っていないひとも多い。年齢制限で奨励会退会の話に触れるたび胸が痛む。

 そういや相撲界で四十六歳まで取っていた力士が引退したのは先日だった。幕下以下であるからずっと無給である。彼は琉球大学を出てから二十四年間「プロ力士」であったが一度も正規の給料はもらっていない。果たしてこの場合「プロ力士」としていいのか。形は養成員である。

 最近四段になって奨励会を卒業、「ブロ入り」をするのはほとんどが二十代である。小学生、中学生の時に入会した全国選りすぐりの天才達でもそこまで苦労する。もっとも全員が天才なのだから、それはもう普通の人同士のあらそいと変わらないのか。やはり「15歳でプロ入り」は不適切、というか不親切な書きかたである。名人戦を主催してきたマイニチなのに、この山村という人はどんな記者なのだろう。

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羽生、最速で1000勝 22年で到達、史上8人目
公式戦通算1000勝を達成し、笑顔で対局を振り返る羽生善治2冠=21日午前0時40分、大阪市福島区の関西将棋会館
 将棋の羽生善治2冠(王座・王将)は21日未明、大阪市福島区の関西将棋会館で行われたA級順位戦で久保利明八段に勝ち、史上最速で8人目の公式戦通算1000勝を達成した。

 羽生は1000勝(373敗)に22年0カ月で到達した。これまでのスピード記録だった谷川浩司九段の25年6カ月より3年半も早い快挙。

 また37歳2カ月での1000勝は、谷川よりも3歳1カ月も若い最年少での達成となった。勝率は7割2分8厘で、2位の大山康晴十五世名人の6割8分7厘を引き離し、抜群の強さを証明した。通算最多勝記録は大山の1433勝。

 羽生は埼玉県所沢市出身。1985年に4段となり、96年に史上初の全7冠を制覇した。タイトル獲得は竜王6、名人4など歴代2位の合計67期。
(サンスポより)

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こちらは「1985年に四段となり」とマイニチよりはいい。でもぜひともここに「十五歳で」と書いて欲しかった。あちらこちら帯に短したすきに長しばかりである。

 ここで興味深いのは「タイトル獲得は竜王6、名人4など」の箇所。新聞は異常なほど自社の開催棋戦にこだわる。他所に書いたが、羽生が竜王・名人をもっているときでもスポニチは羽生王将と書いた。そんなものである。ちょっと苦笑してしまうほどこっけいだが、竜王、名人という格つけは金の多寡により将棋連盟が決めただけで、歴史で言うなら王将位は竜王より遙かに古い。何も他社の開催している棋戦の冠を書かねばならない義理はない、となる。それはそれで正しい。
 なのにここでサンスポは産経主催の棋聖戦があり、羽生は六回制覇している永世棋聖なのに、そのことに触れず竜王と名人という他社の棋戦の名を出している。珍しい例である。

 しかしこれは好ましい。棋王十二連覇、王座十六連覇(現在も継続中)、王将十連覇と羽生のすごさを語り出したら切りがない。ということから、とりあえず将棋連盟の規定で序列一番、二番と決められている竜王、名人の名を出してあっさりまとめたあたり、わたし的には好感を持つ。でも竜王も名人も羽生は永世になってないから、ここで「タイトル獲得は棋聖六期(永世棋聖)等」と書いても不自然ではなかった。だからこそより好感を持つ。でももしかしたら自社の棋戦にこだわる先輩にあとで注意を受けたかも。

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◎羽生と武

 いまやゲテモノ趣味の奇怪な新聞に堕落してしまった『東スポ』だが、1988年に羽生と武の対談を一面でやったのはヒットだった。年齢は武が一歳年上で早生まれだから、学年はふたつ上になる。
 ふたりとも斯界の注目の的の若手だったが、かといってまだ前途が確定していたわけではない。この企劃のえらさは二人の出世とともに輝きを増してゆく。

 対談から十九年後、奇しくも今秋、武豊が中央競馬前人未踏の3000勝を達成した。羽生も区切りの1000勝である。羽生の場合、前人未踏ではないけれど年数や通算勝率は図抜けている。感無量である。なにが感無量といって、その『東スポ』を読んだのがつい昨日のことのようだという時の流れの速さほど感嘆するモノはない(笑)。

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◎2ちゃんねるから引用

次の達成者は
桐山九段、佐藤永世一冠、森内永世一冠の3人の争いですね
桐山 清澄 1631 902 729 0.5530
佐藤 康光 1161 754 407 0.6494
森内 俊之 1079 717 362 0.6645

大内九段
大内 延介 1635 871 763 0.5330は近年の勝ち星ペースから考えて可能性は
ほとんどないでしょう


すなおに佐藤、森内だろうけど、どんなに早くてもあと5年はかかるだろう。
 桐山さんは中原さんと同期で好きな棋士だった。これからコツコツがんばって七十歳で引退までになんとか達成できないか。ちょっときついか。大内さんは無理だな。

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森内は順位戦・名人戦だけは明らかに戦い方が違う

・順位戦26連勝(歴代1位)
・順位戦A級リーグ9戦全勝(歴代1位)
・順位戦通算勝率8割以上(歴代1位)
・順位戦での負け越し無し(歴代1位)


 初めてのビッグタイトルが名人戦で、いきなり羽生より早く永世名人になったぐらいだから、とにかく順位戦には強いんだなあ、森内は。まったく、羽生より先に永世名人になると誰が想像したろう。

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年度   勝  負   勝率  タイトル戦登場
1985 : 08 - 02  0.800   なし
1986 : 40 - 14  0.741   なし
1987 : 50 - 11  0.820   なし
1988 : 64 - 16  0.800   なし
1989 : 53 - 17  0.757   竜王
1990 : 31 - 18  0.633   竜王
1991 : 51 - 16  0.761   棋王 王座
1992 : 61 - 17  0.782   竜王 棋王 王座
1993 : 44 - 19  0.698   竜王 棋聖 棋王 王位 王座
1994 : 52 - 18  0.743   名人 竜王 棋聖 王将 棋王 王位 王座
1995 : 46 - 09  0.836   名人 竜王 棋聖 王将 棋王 王位 王座
1996 : 26 - 17  0.605   名人 竜王 棋聖 王将 棋王 王位 王座
1997 : 43 - 17  0.717   名人 王将 棋王 王位 王座
1998 : 41 - 18  0.695   王将 棋王 王位 王座
1999 : 31 - 11  0.738   王将 棋王 王位 王座
2000 : 68 - 21  0.764   竜王 棋聖 王将 棋王 王位 王座
2001 : 46 - 21  0.687   竜王 棋聖 王将 棋王 王位 王座
2002 : 50 - 24  0.676   竜王 王将 棋王 王位 王座
2003 : 33 - 19  0.635   名人 竜王 王将 棋王 王位 王座
2004 : 60 - 18  0.769   名人 王将 棋王 王位 王座
2005 : 40 - 22  0.645   名人 棋聖 王将 棋王 王位 王座
2006 : 34 - 17  0.667   王将 王位 王座
2007 : 27 - 11  0.711   王将 王位 王座 (棋王?)
通算  999 - 373  0.728  
 

将棋界がいかに羽生を中心に回っているかがよくわかる。でも昨年から今年は佐藤のほうが活躍していたか。なにしろタイトル戦に全部関わっていたのだから。
 羽生が来年の竜王戦挑戦者になれるかどうか、そればかりが気になる。初代永世竜王になってくれ。そこに至る道は、いかな羽生といえども険しい。


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特別将棋栄誉賞(公式戦通算1000勝)受賞者一覧
達成日
棋士名
持将棋
勝率
達成時年齢
四段昇段後
1
1977年4月30日
大山康晴
1000
455
2
0.687
54歳1ヶ月
37年0ヶ月
2
1989年8月21日
加藤一二三
1000
671
1
0.598
49歳7ヶ月
35年0ヶ月
3
1992年1月10日
中原 誠
1000
485
3
0.673
44歳4ヶ月
26年3ヶ月
4
1994年12月12日
米長邦雄
1000
657
0.604
51歳6ヶ月
31年8ヶ月
5
2000年9月18日
内藤國雄
1000
752
0.571
60歳10ヶ月
41年11ヶ月
6
2001年3月5日
有吉道夫
1000
843
0.543
65歳7ヶ月
45年11ヶ月
7
2002年7月13日
谷川浩司
1000
532
3
0.653
40歳3ヶ月
25年6ヶ月
8
2007年12月20日
羽生善治
1000
373
1
0.728
37歳2ヶ月
22年0ヶ月

羽生二冠、1000勝までの足跡

達成日
棋戦名
対戦相手
勝率
年齢
四段昇段後
1988年4月16日
第7回早指し新鋭戦
櫛田陽一
100
27
0.787
17歳6ヶ月
2年3ヶ月
1989年11月24日
第6回天王戦六段戦
河口俊彦
200
53
1
0.791
19歳1ヶ月
3年11ヶ月
1992年4月27日
第10回全日本プロ決勝⑤
森下 卓
300
95
1
0.759
21歳7ヶ月
6年4ヶ月
1994年2月22日
第19期棋王戦②
南 芳一
400
128
1
0.758
23歳4ヶ月
8年2ヶ月
1996年3月8日
第21期棋王戦③
高橋道雄
500
156
1
0.762
25歳5ヶ月
10年2ヶ月
1999年2月10日
第48期王将戦④
森下 卓
600
209
1
0.742
28歳4ヶ月
13年1ヶ月
2001年2月2日
第14期竜王戦1組
日浦市郎
700
238
1
0.746
30歳4ヶ月
15年1ヶ月
2003年2月23日
第36回早指し戦決勝
藤井 猛
800
283
1
0.739
32年4ヶ月
17年2ヶ月
2005年4月13日
第63期名人戦①
森内俊之
900
323
1
0.736
34歳6ヶ月
19年3ヶ月
2007年12月20日
第66期順位戦A級
久保利明
1000
373
1
0.728
37歳2ヶ月
22年0ヶ月

さすが日本将棋連盟の資料は充実している。コピーさせて頂いた。五十四歳で史上初の1000勝を達成した大山は、そこからがまたすごかった。中原や米長が五十を過ぎて一気に衰えるのを見ると、あらためてその凄味が解る。羽生がこれから何歳まで今の力を維持できるのか興味深い。

 あれはNHK杯戦だったと思う。何事にも負けず嫌いの大山は、若手の羽生が通算勝率八割以上で勝ちまくっているとき、そのことをMCに問われると──それは「こんな勝率は前人未踏ですよね」のように羽生を絶賛していた──即座に、「それはまだ若いからで、盤数を重ねると六割になりますよ」と険しい顔で言い切った。いかにも大山らしい。

 羽生は引退まで勝率七割を維持できるだろうか。それこそ史上初の快挙である。表を見れば一目瞭然だが毎年確実に勝率は目減りしてきている。これはどの棋士もたどる道だ。引退のころは結局六割八分ぐらいになり、大山と同じぐらいになるのだろうか。




この壁紙は
http://www.geocities.jp/shogi_e/haikei/backtop.html
より拝借しました。

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