2006
06/3/3


将棋界の一番長い日

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今日は将棋の「A級順位戦最終局」が残局一斉に行われる日です。棋士の悲喜こもごもが入り乱れ、毎年「将棋界で一番長い日」と呼ばれています。
午前10時から始まる対局は、夕方に終るもの、深夜までもつれ込むものまで様々です。

東西の将棋会館では有料の解説が行われます。会費は3千円とか。全席もう売り切れです。インターネットでも有料解説があります。
東京、大阪以外に名古屋でも行われると知り、会場の名を聞いてうなりました。大須演芸場です。志ん朝が長年獨演会を行っていた場所ですね。一度行ってみたいと憧れている場所です。

かつて私は、この日を特集した将棋雑誌を翌月買うのを楽しみにしていました。この日の結果を知るためにだけ毎日新聞を買ったりしました。今もそれは変わりませんが、やがてネット時代になり、昇級降級の結果をその日のうちに知ることが出来るようになります。
もちろん千駄ケ谷の将棋会館に有料の解説を聞きに行ったこともあります。第一回将棋の日が行われた昭和50年11月17日の武道館にも行っています。

ネットよりも先にBS-NHKがこの日の中継をするようになっていたのですが、テレビ嫌いの私はBSケーブルの繋ぎかたすら知らず、その恩恵にあずかることが出来ませんでした。

昨秋、友人の後藤さんが来宅して結線してくれ、BS、CSにPPV時代の今、おそろしく時代遅れなことを言いますが、私はやっとNHKの無料BS放送を見られるようになりました。
とはいえ今にいたるまで、深夜に何本か映画を見ただけで、さほどの感激はしていません。いや、忘れていました、最大の願いであった「午後1時から大相撲を見る」を昨秋、実現していました。大相撲も蔵前、両国に何度も通っています。あれも昼頃から一杯機嫌で見るのが楽しいものです。

今日、大相撲に続くBS放送の醍醐味を味わうことが出来ます。
「将棋界の一番長い日」と題され、NHK衛星第二で、まず昼の0時15分から1時まであり、次が夕方5時から6時です。ここで決着のつく局もあるかもしれません。今回はまだ名人挑戦者が羽生になるか谷川になるか決まっていません。同星です。今日の最終局で決まります。勝った方がなります。両者ともに勝ったら決勝戦です。

 しかもこの午後一時から五時までのあいだが国会中継というのですから、今日の私は一日中テレビにかじりついていることになります。

 最後の中継は午後10時から午前1時半まで。夜半までもつれた局の行き詰まる終盤が見られることでしょう。ここですべてがわかります。

 現在午前5時。今から昼まではしっかり仕事をしましょう。そのあと昼風呂に入って将棋と国会中継。
 午後お時から10時までまた仕事をして、そのあとは晩酌をやりつつ見ることになります。
 将棋ファンにとっては一年で一番重要な日をこんな形で迎えられるとは思いませんでした。といっても、日本中で多くの将棋ファンがもう何年も前から楽しんできたスタイルですが。
 遅ればせながら今年から私も参加させてもらいます。
 いやあ楽しみです。平日にテレビ三昧できる自由業のささやかなよろこびを感じる瞬間です。

(註・文章は『作業日誌』に書いてから日々の雑記帳に分類してアップするが、この文章はblog日記──木屑鈔に直接書いたもの。珍しく順序が逆である。)

3/17
404d8d25.gif将棋界の一番長い日──挑戦者決定戦の名局

 A級順位戦の残り全局が一斉に行われる「将棋界の一番長い日」は3月3日だった。今年は初めてBSで丸々一日その様子を見ることが出来た。(厳密には一日三度放送の飛び飛びだったけれど。まあ無料なのだから仕方ない。)

 今年はそこに羽生と谷川が8勝1敗の同率となり、3月16日に名人戦挑戦者決定戦を行うというファンにとってはたまらないプレゼントまでついてきた。

 3月16日。有料のケーブルテレビ将棋チャンネルでは生放送があるらしく、2ちゃんねるの将棋板は朝から盛り上がっていた。視聴している人が経過を書き込み、見られない人が質問したり、形勢を分析したりしてする。あっという間に1000のスレが消化されてゆく。

 この時点で、翌17日の朝9時から30分、NHK-BS2で特番があると知る。私の場合はこれで結果を知ることになるだろう。これだけでもありがたいことだ。

 今はだいたい夜9時に寝て朝3時起きの生活をしている。ちょいとくるうと朝5時に寝る生活になっていたりもするから一定ではない。でもここしばらくこんな形だ。
 寝る前に2ちゃんねるを覗くと、形勢はもつれにもつれていた。
 午前10時に始まり、決着がついたのは翌日の午前1時10分である。まことに格闘技であり、基本は頭脳戦でも体力勝負の世界だ。もちろんそれは翌日に知ったことになる。私はいつものよう午後9時に寝て、3時から仕事をしつつ9時からの放送を待ちわびた。

 佐藤康光棋聖解説、山田久美聞き手の30分番組は、羽生対谷川が歴史的名勝負を繰り広げたため、すばらしい充実の30分となった。思わずベッドの上で正座して居住まいを正し、見惚れるほどの名局だった。

 谷川勝ち。
 ここ4年ほど羽生と森内で闘っていた名人戦の舞台に5年ぶりに十七世名人の資格を持つ谷川が登場する。2ちゃんねる将棋板の、谷川ファンの驚喜ぶりが微笑ましかった。(中には敗者の羽生を口汚く罵る眉を顰めるものもあったが。)

 中学生で四段になり、活躍のたびに常に史上最年少という言葉がつきまとっていた谷川も、いつしか43歳になり、A級では唯一の四十代、つまり最長老となっている。時の流れを感じる。

 さて今年の春、どんな名人戦になるだろう。
 昨年の竜王戦が期待した木村が4連敗で興趣を削いだだけに、名勝負を期待したい。谷川の復帰があったら劇的だ。楽しみである。
4/14 404d8d25.gif おめでとう、瀬川さん!

 2005年の将棋界を語るのに、この話題は避けて通れない。世間的話題にもそこそこなったいちばんの事件だったろう。将棋ファンとしてホームページに将棋のコーナーもおいているなら、なにはともあれ書かねばならない。

 でも私にはあまり興味もないし、書かなくてもいいかと思っていた。
 今回図書館でこの本を手にした。借りてきて通読した。それでやはり簡素でもいいから意見を書いておくべきと判断した。

「あまり興味がない」の理由は単純明快だ。瀬川さんは奨励会出身だからである。世間の人はアマチュアがプロになったと、よくわからんけどすごいことらしいと思ったようだが、奨励会で研鑽し年齢制限で辞めた人が、社会人となってからまたプロへの道を開いたということは、そういうシステムと内輪事情を知っているこちらには、それがいかにたいへんなことかは知ってはいても、もう一歩燃えるストーリィではなかった。
 これで奨励会とはまったく関係のない学生チャンピオンや純粋なアマがこれを達成したなら、私ももっと興味を持った。そうではないのである。

 この本には多くの棋譜と共に、奨励会で同期だった今はプロ棋士の連中がエッセイを寄せたりしている。これまた純粋なアマだったらそんなものがあるはずもないのだが、そのことが勝ち抜け制の奨励会の悲哀と、今回瀬川さん(もうプロ棋士なのだからこんな呼び方はおかしいか)が突破した難関を浮き上がらせている。



 年齢制限による奨励会退会の悲哀は今になって始まったことではなく、むかしから有名だった。なにしろ子供の時から天才と呼ばれた少年が、二十代半ばまで将棋以外のことを考えずに生きてきて、才能がないと判断され世間に放り出されるのだからたいへんである。
 鈴木英春さんが、いよいよ年齢制限が近づいて最後の三段リーグだと「近代将棋」で特集を組んだり、鈴木さんが精神修行に寺に入ったり、そんな企劃もあったものだ。(いまネット検索したら鈴木さんをモデルにしたテレビドラマまであったらしい。)三十年来将棋雑誌を読んできたのだから、その悲哀話は耳に蛸である。
 
 プロ養成所の奨励会は全国から天才少年の集まったところである。そこでプロになれず退会になっても、社会人になってからも将棋には関わる人が多い。だから名だたるアマ強豪はほとんど奨励会出身といっても言い過ぎではないほどなのだ。そりゃプロにはなれなかったとはいえ小学生で大人を相手にしなかったような天才なのだからものが違う。前記の鈴木英春さんも結局プロにはなれなかったのだが、その後アマ棋界で大活躍した。
 瀬川さんもそのひとりである。アマとして大活躍し、いまのプロ棋戦は話題作りのために、アマ枠、女流枠をひとりぐらいとっているから、そこにアマ代表として登場する。そしてプロに勝つ。大きく勝ち越す。そのことによって「今からでもプロになれないか」が、この問題の始まりだった。



 そういうわけでもう一歩この話題に燃えなかった私だが、この本を読み、小学生でアマ四段となった天才少年が、14歳で奨励会に入り、26歳で年齢制限により退会となり、それから神奈川大学の二部に入学し、働きながら卒業し、職場でまた将棋を指し始め、やがてアマ代表としてプロをも負かせるようになり、三十半ばで、もう一度プロになりたいと願う流れには、素直に感動した。

 なにしろ優勝劣敗の将棋界だから、この年齢でつけだし四段にしてもらうなら、今のまま働きながら将棋を楽しんでいた方が遙かに生活は安定しているのだ。勝てば勝つほど対局が増え収入はあがるが、勝てなければ対局も少なく収入もない世界なのである。

 前掲の「大山康晴の晩節」で河口さんも断言しているが、将棋が一番強いのは25歳ぐらいなのである。むかしはそんなのはまだ小僧っ子で、三十過ぎて充実し、四十になって完成するのような感覚があったが(私などもそう思っていた)、いまやはっきりとそういう結論が出ている。脳は二十歳を過ぎると衰え始める。まだ若い頭脳と体力、経験が加味されて最強になるのは二十代半ばなのだ。四十を過ぎて活躍できるのは天才の中の天才数人だけである。(だからこそその最強の二十代棋士と互角にやり合った六十代の大山の偉大さが輝く。)
 その点で瀬川さんのこの決断は愚かと言えるかも知れない。三十半ばのプロ入りなのだ。

 そう思ったとき、私は心から「瀬川さん、おめでとう。がんばってください」と言えた。
 これはやはり、「夢を叶えた男の物語」なのである。この一冊を読まなかったら、この大事件に白けたままだった。読んでよかった。

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【附記】初のスポンサー附きプロ棋士誕生!
 瀬川さんは昨年11月にプロ棋士編入試験に合格したが、今年の3月一杯までNECに勤めていた。晴れて専業プロ棋士になるのはこの春からのようだ。またその元職場のNECが瀬川さんとスポンサー契約をしたと発表された。初のスポンサードプロ棋士誕生である。今後の流れに繋がりそうだ。
 NECはアマ強豪が多数在籍する職団戦の強豪である。NECに就職できたことが瀬川さんの夢の実現に一役買ったのは間違いない。

【附記・2】スボンサーの今後
 まだC2にも格つけされずフリークラスでスタートする瀬川さんが対局料だけで充分な収入を得るのは難しい。スポンサーとして名乗りを挙げたNECの姿勢は美しいのだが、早速NECのロゴ入り扇子を使って宣伝に努めたという瀬川四段(と呼ぶべきだな)の記事を読むと、不安も生じる。
 2ちゃんねるで揶揄されていたが「消費者金融のマーク入り和服での対局」も、決して「まさか」ではなくなる可能性がある。その辺は棋士の美意識に願うしかないのだが……。

【附記・3】イメージチェンジ
 瀬川さんの表紙の写真はさわやかでかっこいいが、モノクロで収められている三段リーグ当時の写真は、いわゆる「牛乳瓶の底」と言われるメガネを掛けたさえない青年だった。

 これは以前、瀬川さんと同期でプロ棋士になった野月を見たときにも思ったことである。野月は瀬川さんの編入試験合格を我が事のように喜び、この本にエッセイも寄せている。
 テレビ対局に登場する彼は私の嫌いな金髪に染めた今風の軽薄そうな男だった。だが奨励会時代の写真を見ると、同じく「牛乳瓶の底」であり、髪もボサボサでさえない風貌である。根暗の将棋好き青年そのものだった。野月のその写真を見たときも、ちょっとした感動だったものである。
 ただ野月の場合は、プロ棋士になるのだからそういう変身もあるかとすなおに納得出来たのだが、瀬川さんはサラリーマンであるから、いまのいかにも三十代のサラリーマン然とした姿から、かつてを想像できなかった。

 このルックスの違いは、いかに奨励会という卵の時代がつらいかを表している。とにかくその暗闇を抜けるまでは、ひたすら耐える時期しかない。思うだけで胃が痛くなる。
 棋士は四段になれば、力士は十両になれば、あらゆる環境が変る。力士は一場所でまた無休の幕下に落ちる可能性があるが、プロ棋士は四段という免状を獲得すれば、負けがこんでの引退までそれを取り上げられることはない。

 ともあれ名人戦移籍のイヤな話題の将棋界で、瀬川さんの本を読んで救われた。
4/9 404d8d25.gif  感慨の一冊!
 『大山康晴の晩節-河口俊彦』


 今まで三十年以上に渡り数多くの将棋本を読んできた。戦術書から棋士伝、内幕、来歴まで、あらゆるものを読み続けてきた。将棋本だけで棚が出来るほどである。だがかつてこれほど感激したものはない。あらゆる意味で私には最高の将棋関連の一冊となった。

 河口さんの文も、数十年の連載になる「対局日誌」はもちろん今までに何冊読んだことだろう。単行本となった対局日誌シリーズも長年愛読してきたし、羽生に関するような最新の著作も読んでいる。
 話題となったマンガ「月下の棋士」も河口さんが監修してやったから形になったようなものである。あれは、ああいう形で話題になることを将棋関係者はすなおに喜んでいたようだが、むしろ私のようなのが、いいかげんさに腹立っていた。それでも将棋にまったく興味のない競馬業界の物書き友人が、あれだけは缺かさず毎週立ち読み(笑)すると話していたから、その効果は絶大だったのだろう。

 しかし、あらゆる意味でこの一冊ほど心にしみこみ、夢中になって読破した著作はなかった。河口さんの作品に限らず、多くの新聞記者等が中心になって書かれてきた棋士評伝の世界でも(棋士評伝の著者が将棋好き作家よりも新聞記者に多いのは、将棋の中心が新聞棋戦であり、いつも盤の近くにいるということから当然であろう)、まさに名作、白眉、逸品、佳編、どれほどの賛辞を捧げても足りないほどだ。棋士に関する評伝の最高傑作である。



 この本は2003年2月に飛鳥新社から発売。2006年3月に新潮文庫になっている。今回、図書館で飛鳥新社の本を見つけて読み、あまりの感動に、とりあえず身近にあった文庫本を買ったが、これはハードカヴァーの飛鳥新社の本をあらためて購入して保存版としよう。なにしろあの世までもってゆく一冊なのだから。
 ただし偶然読んでピタッとはまったのだ、という偶然については書いておかねばならない。べつに探し求めていた一冊ではないし、待ちかねた一冊を見逃していたわけでもない。これは私的にけっこう重要だ。私は棋士の一代記にさほどの興味はない。大山関係の本も今までにかなりの数を読んでいる。もしも一代記に興味があればもっと早く読んでいた。大山信者ならよけいである。たまたま手にしなければさらにまた何年も読まなかったろう。この本が私にとっておもしろかったのは個人的な「晩節」ではなく、「晩節の将棋界との関わり」が書いてあるからである。山田道美との関わり、中原や米長との関わり、それらの対立軸がおもしろい。もしも気分が向いてなく、将棋本棚の前を素通りしていたら一生出会えなかったかも知れない。偶然でありたまたまの出逢いだったことは記しておこう。



 自分自身の当時を振り返ってみると、ちょうどこの本が発売になり話題になっていたころは、妻の来日のために共に極寒の北京で日本大使館及び関係各所を駆けずり回っていた。このときも愛読書として「将棋世界」を持参している。とにかく将棋雑誌のコストパフォーマンスの高さは飛び抜けている。そこで紹介されていたのだったか。読むのはそれから三年もあとになってしまった。
 当時のドタバタぶりからそれはそれでしかたなかったのだが、すこし悔しい。なぜなら内容からして、将棋界でも話題騒然になったはずだからである。触れてはならないタブーにも踏み込んでいる。どれほどの話題を呼んだことだろう。「将棋世界」のバックナンバを漁れば今からでもそれを知ることは可能だが、リアルタイムで接せられなかったのは悔しい。
 とはいえ思い起こせば、あの北京をかけずり回った査証取りの苦労と妻の初来日、それからの話はとても将棋どころではなかった。三年遅れでも巡り会えただけでよしとせねばなるまい。

 そういえば当時の《云南でじかめ日記》──「北京秦皇島日記」に、北京に持参した本を撮った写真があったことを思い出す。探す。すぐに見つかった。成田空港で買っていった『週刊文春』があり、その上の本が「将棋世界」である。ここでこの「大山康晴の晩節」は紹介されていた。黄色い本は中国語教科書、一番上は日中辞書だ。


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 と心からの大絶賛をして、ここからはクールな意見。
 この本が私にとって至高の一冊となったのは「将棋に関する私個人の興味、ファンとしての年月、関わり等のすべての要素がピタっとはまったから」である。
 つまりこの本は、将棋を知らない人につまらないのは言うまでもないが、なんとなく大山名人を知っているという人にもつまらないし、将棋が大好きな若い人にもつまらないだろう。大山名人のことは知らないが藤井によって復活した大山流に興味を持っている、という戦術的な興味をもっているだけの人にもつまらない。読み手を選ぶ本なのである。

 この本に嵌るにはこちら側にあれこれと要求される。まず貴重な棋譜を楽しめるだけの将棋力が必要になる。大山の名局から血涙を絞るようないくかつかが厳選されている。河口はマニアックな将棋本にならないよう棋譜を可能な限り絞ったという。絞りに絞ったからこそまた掲載されている棋譜の凄味がなんとも言えない。
 棋譜を楽しむ条件に関しては多くの将棋ファンは満たすだろう。初段もあればいいのではないか。だがそれは入り口だ。初段以上の棋力があり棋譜を理解できたとしても、それはその棋譜をわかったことにはならない。肝腎なのは将棋界五十年の流れに対する興味である。名人木村から升田大山の確執、朝日新聞、毎日新聞の対立、中原米長の台頭、脇役としての加藤、二上、内藤、有吉、早世した山田等に関する知識、大山の棋士としての能力、会長としての活躍、羽生世代との根本的な気質の違い、大河の流れを把握した上で、大河で飛び跳ねるそれぞれの魚の形態、跳躍にも関心をもっていなければならない。それがわかっていなければ、河口が選んだ傑作の棋譜も、ただの過去の棋譜でしかないだろう。
 この本を楽しむための関門はおそろしいほどに高い。
 私は全ての面でそれに当てはまった。これ以上高くては超えられないし、低くては不満足だった。あまりにピタっと嵌ったから、「かつてこれほどおもしろい将棋本を読んだことがない」と言い切れるほどの大傑作評価となる。


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 しかし、ここを読んでいる人でも私ほどこの一冊を心底楽しめる人は、どう考えてもいそうにない。これは自慢でも卑下でもない。それほど特殊な本だ。
 ということで自己満足文章になるので以下割愛。思いつくたび、ちびちび自分用に書き込む予定。なんとまあすごい本だろう。やはりその基本は、書こうと思い、書かねばと思いつつ、大山の死後十年にして完成した時間を込めた労作だからだろう。昭和27年に12歳で将棋界に飛び込んだ河口さんが、そういう奨励会時代に記録係をしたことから現役引退した今に至るまで、すべてをつぎ込んだ一冊なのだ。文中には12歳の自分や、前途洋々のはずなのにチャンスを生かせない「河口三段」も登場する。河口さんの将棋界一代記でもある。

 2002年度の「将棋ペンクラブ大賞」を受賞したとある。これはそんな内輪のレヴェルではあるまい。これがノンフィクション賞を取らないなら、いったいどんな作品が取れるのだ。しかし取れるはずもない。そういう賞を審査する連中に、この本の価値が解る人はいまい。すさまじいまでおもしろく奥の深い傑作。それゆえにおそろしく読者を限定することになった。こういう傑作もある。


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 一般にも通じる感想をひとこと。
 肝臓を半分切り取っても十八日で復帰し、対局にもどった鉄人大山だが、いよいよそこからの死に至るまでのやつれ具合は、見るに忍びない無惨さだったらしい。見なくて良かったと思った。
 知らない人には将棋は頭脳ゲームと思われそうだが、いや確かに頭脳ゲームなのだけれど、選ばれたプロの世界の究極は体力勝負である。食の細い非力な人はみな潰れてゆく。潰される。深夜まで続く対局のとき、脂ぎったカツ丼を食ったりする、そういう意味でも鉄人だった大山が、食慾がなくなり、見る影もなくしぼんでいたという。
 大名人大山が逝ったのは1992年。もう14年になるのか。

 思い出すのは志ん朝だ。2001年10月1日に亡くなる志ん朝は9月6日に「ニュースステーション」に出ている。これまたファンには痛々しくて見られないようなやつれ方だったそうだ。見なくてよかった。もとよりクメヒロシなんぞ大嫌いだから見るはずもないが、志ん朝が出るならとチャンネルを合わせた可能性もある。お蔭で私の中で志ん朝はいまも、ふっくらとしたあの二枚目のままだ。


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 大山のタイトル獲得は通算80期。前人未踏、凌駕不可のこの大記録に挑む青年が現れた。
 羽生善治。36歳の現在、獲得タイトル数は63期。中原永世十段の64期をもうすぐ抜き、大山に迫る。大山の時代は長いあいだ存在したタイトルが三冠のみ。晩年になって五冠になった。最初から七冠だった羽生とは時代差がある。羽生は120期ぐらいとって大山の80期と互角ぐらいだろう。この天才はそれを成し遂げるだろうが。あの史上最年少21歳で名人位に就いた天才谷川の獲得タイトル数が27期であることを考えると以下に羽生が怪物かが解る。
 しかし羽生でも達成に疑問符がつく大山の実績がある。69歳A級を始め、晩年の活躍である。一般のA級棋士は四十になったらもう終りである。中原、米長クラスでも五十を過ぎたら終った。なのに大山は六十代になっても実力を保った。69歳でも二十代の俊英と互角に渡り合った。大山だけの驚嘆すべき実績である。
 と、ぼちぼち書いてゆこう。書きたいことは山ほどある。


4/14 404d8d25.gif 名人戦アサヒへ!

将棋の名人戦主催で毎日新聞が継続強調

 日本将棋連盟(米長邦雄会長)の理事会が、07年6月に始まる第66期名人戦・順位戦の主催者を毎日新聞社から朝日新聞社に移す方針を決めたことを受け、毎日新聞社は13日付朝刊の紙面で「毎日の名人戦」を継続する意向を表明した。

 毎日新聞東京本社の観堂義憲編集局長名で「今回の契約解消通知は私たちにとりまさに寝耳に水でした。連盟に(契約を白紙にするという)通知書の撤回を求めます。全国の将棋ファンのためにも、名人戦を今後も将棋連盟とともに大切に育てていきたい」と継続の強い意志を明らかにした。

 同記事によると、毎日新聞社は共催している王将戦と合わせて年間4億円以上を将棋連盟に支払っているが、朝日新聞社は今回、年間5億円以上を5年間支払う条件を提示をしているという。
(ニッカンスポーツより)


 やはりこうなってしまったか……。
 噂は聞いていた。しかしなんとか毎日にとどまってくれと願っていた。

昭和51年事件の顛末
 昭和15年から始まった名人戦は元々毎日新聞(当時は東京日々新聞)が主催者だった。「名人戦」という名跡を宗家から買い取り、将棋連盟に寄贈したのも毎日だと言われている。
 だが第9期に当たる昭和25年にアサヒシンブンが金で奪い取る。以降昭和51年まで「将棋名人戦」はアサヒが主催した。

 看板の名人戦を奪われた毎日が、名人戦を超えるものをと企劃したのが「王将戦」だった。「指し込み制」を導入して、有名な升田の「名人に香を引く」が実現する。
 読売は「九段戦」から、グレードアップして「十段戦」を主催する。名人戦、王将戦、十段戦、これが当時の三大新聞による三大棋戦である。やがて産經の「棋聖戦」、三者連合による「王位戦」が出来て五大棋戦となるが、棋士の憧れはいつでも「名人位」だった。

 昭和51年にまたもアサヒが、今度は囲碁の「名人戦」を読売から金で奪い取る。将棋と囲碁の両方の名人戦を揃えようとした。ところがその強奪費用がバレてしまった。2億6千万円である。
 そのときまで将棋の名人戦にアサヒが払っていた額は3800万円だった。桁が違う。囲碁名人戦引き抜きの金額がバレて将棋連盟も気色ばんだ。

 将棋連盟がアサヒに主張したのは囲碁と同列にしてくれということだった。囲碁名人戦の年間契約金が1億6千万円なら、将棋のほうも同じ額にしてくれと主張した。当然であろう。交渉が続く。それだけの金額差があっては世間のイメージが将棋は囲碁より格下となってしまう。誇りからも許せない。しかしアサヒは応じない。将棋連盟は1億3千万円程度まで妥協したがそれでも妥協しない。棋士総会も紛糾する。
 アサヒと専属契約を結んでいてアサヒの肩を持つ升田、加藤一二三と他棋士のやりあいとなった。このとき米長は、将棋連盟の棋士ながらアサヒ贔屓する加藤一二三(キリスト教信者)を、「あんたはユダなんだよ!」と叫んで糾弾した。
 その米長がいま将棋連盟の会長になって、今回のアサヒへの移行を先導した。米長に同じことばを投げつけたいと思った将棋ファンも多かろう。

 毎日と懇意だった大山が頼み込む。すでに王将戦をもっていた毎日は、それを系列の『スポニチ』に主催させるようスライドして名人戦を引き受ける。ここで肝要なのは、毎日はこれさいわいと元々自分たちの宝物であった名人戦を引き抜いたのではなく、大山に頼まれ、苦境の将棋界を救うために引き受けたという流れである。いわば侠気だ。それからも将棋界のために最善を尽くしてきた。アサヒとは大違いである。だから今回の金目当ての移籍にも、「世話になった毎日に悪い」との意識が年配の棋士にはある。
 だが米長は言うだろう。家長(将棋連盟会長)として家族(棋士)によりよい生活をしてもらおうと、よい給料の会社に移るのは当然だろうと。

私はこのときの囲碁名人戦の数字を1億6千万と記憶しているのだが、先ほど目にした『週刊新潮』では2億6千万となっていた。となると「囲碁と同じにして欲しい」と将棋連盟が迫った1億6千万円という数字がおかしくなってくる。ただこれはまちがいない。将棋連盟が1億6千万円を要求し、受け入れられず、1億3千万程度まで妥協したが、アサヒは応じなかった。この数字は確かだ。でも私の記憶よりは『週刊新潮』のほうが正しいだろうから、アサヒの囲碁名人戦引き抜き額は2億6千万円なのだろう。ただ、今回のアサヒの5億という提示額の内訳にもあるように、棋戦そのものは1億6千万であり、一時金として1億とかの可能性もある。)



 前記の「大山康晴の晩節」には、名人戦におけるアサヒの露骨な升田贔屓、大山嫌いの様子が克明に描かれている。升田はアサヒの専属であり嘱託だった。
 名人戦で二人が対局し、升田が勝つと大宴会、大山が勝つとさっさと撤収だったという。主催の新聞社がである。いかにもアサヒシンブンの歪んだ体質が出ている。大山はその屈辱的な扱いに無言で耐えていたという。それを河口は身近に見てきた。

 河口は、そういう屈辱にもじっと耐えることによって大山はますます強靱な精神力を身につけていったと分析している。蛇足ながらこの本は大山にヨイショした本ではない。むしろ勝つためにはどんな方法でもとった大山の変人ぶり、嫌われ者だったことを真っ正面から書いている本だ。だからこそ信じられる。



 私話。私は子供のころから当時の子供が誰でもそうであったように将棋を指した。戦法も囲いも知らない我流の話にならないレヴェルである。大学のとき、同じアパートの拓殖大学の学生O君が将棋に凝り、自分の研究のために私に相手をさせた。彼が本で読んだ新戦法を指すと、なにも知らない私は面白いように引っかかって負ける。彼は会心を叫ぶ。将棋に興味のない私は、さして悔しさも感じず負け役を演じていた。弱すぎてO君も物足りなかったことだろう。
 何ヶ月も負け続けたある日、突如として悔しいと思った。そうして勉強を始める。ここから異様に凝った。O君も追いつかれまいと努力する。何人かの友人も巻き込み、将棋センターに通い、いつしかみな有段者になっていた。今もO君に感謝している。あれがなかったら今こうして書いていることもない。

 というのが昭和50年頃なのである。競馬だとカブラヤオー、テスコガビーだ。
 以後当時は「近代将棋」今は「将棋世界」を読み続けて、いつしか三十年来の将棋ファンとなっていた。チェンマイの『サクラ』で何年も負けなしだったことも懐かしい。

 この昭和50年11月17日に武道館で「第1回将棋の日」が行われている。O君と一緒に出かけた。11月17日は江戸時代のお城将棋の日であった。以後もこのイベントは続いているが、今は17日にこだわらずこの時期の日曜日に開催されている。
 そういうことからこの「昭和51年の大騒動」はさなかで味わっている。順位戦は一年中止になり、翌52年から毎日主催で再開された。まことに大騒動であった。前記の「大山康晴の晩節──河口俊彦著」を心から楽しめたのも、当時このことに興味を持っていた者だけが楽しめるような裏話が書いてあるからだった。
 
 私は今、アサヒシンブンということばを聞いただけで不愉快になるほどアサヒが嫌いだが、当時はそうではない。「天声人語の英訳が入試に出るそうだから」と家の新聞をアサヒに替えてもらってから数年後である。長髪の心情サヨクだ。反体制の歌を歌うアサヒシンパだった。
 だがこの事件に関しては、将棋ファンの気持ちとして、将棋界に冷たいアサヒを嫌い、毎日の温情に感謝したことを覚えている。それほどの事件だった。


三大棋戦の変遷
 将棋名人戦は昭和52年から毎日新聞主催に移った。正しくは金で奪われたものがもどったことになる。
 以来現在まで、名人戦は毎日主催だった。
 この間で特筆すべきことがふたつあった。

 ひとつは、名人戦を手にした毎日が、それまで主催していた王将戦を系列のスポニチ主催にしたため、名人戦を超えるものとして企劃され、それまで三大棋戦のひとつとして君臨してきた王将戦の格が一気に下落してしまったことである。
 それは下記の各棋戦の契約金を見てもわかる。竜王戦は読売主催のむかしの十段戦が変身したものである。「名人戦」「王将戦」「十段戦」が新聞社主催による三大棋戦だった。
「竜王戦」と名を替えた「十段戦」と「名人戦」は二大棋戦として輝いている。スポーツ紙主催のため一気に7千万円の契約金となり下落してしまった「王将戦」が哀れだ。しかしこれは売り上げ減に悩む落ち目の毎日が二つも大棋戦を主催することは無理だからしかたないことであったろう。元々自分たちのものであった名人戦がもどってきたのだ。その名人戦打倒のために企劃された王将戦の価値下落は自然だったか。王将戦が三大棋戦だった時期を知っているだけに割り切れない思いがする。



各棋戦推定契約金(2ちゃんねるより)
竜王戦(読売新聞社)…約3億5700万円
名人戦(毎日新聞社)…約3億4000万円
棋聖戦(産経新聞社)…約2億円(※永世棋聖功労金が別に有り。契約金に充当)
朝日オープン(朝日新聞社)…約1億2000万円(他に普及協力金有り)
王位戦(新聞三社連合)…約1億円
王座戦(日本経済新聞社)…約1億円
棋王戦(共同通信)…約9000万円
王将戦(スポーツニッポン新聞社)…約7000万円

NHK杯(日本放送協会)…約7000万円
銀河戦(サテライトカルチャージャパン)…約5000万円
将棋日本シリーズ(日本たばこ産業)…約4000万円
新人王戦(しんぶん赤旗・日本共産党)…約3200万円


上掲は2ちゃんねるにあった情報通のかたの書き込み。後日、問題が進展するに従い、正規なものが発表になった。金額に若干の違いがあるが、私としては下記の正確なものより、早い時期に上掲のものを示してくれたかたに感謝したい。(4/20)

中原副会長談、契約金額
☆竜王戦(読売新聞)10~12月 7番勝負*8時間_渡辺 3億4150万円   
★名人戦(毎日新聞) .4~ .6月 7番勝負*9時間_森内 3億3400万円  
棋聖戦(産経新聞) .6~ .7月 5番勝負*4時間_佐藤 1億4650万円 
王位戦(新聞三社) .7~ .8月 7番勝負*8時間_羽生 1億2380万円 
王座戦(日経新聞) .9~10月 5番勝負*5時間_羽生 1億0960万円
棋王戦(共同通信) .2~ .3月 5番勝負*4時間_森内 1億0351万円(棋王戦のみ前期分)
☆王将戦(スポニチ) . 1~ .3月 7番勝負*8時間_羽生  7800万円
☆朝日オープン(朝日) .4~ .5月 5番勝負*3時間_羽生 1億3480万円



 もうひとつは前記した「竜王戦」の出現である。部数日本一になった読売は、将棋の分野でも日本一になりたかった。それで「十段戦」を大幅にリニューアルして「竜王戦」を作った。1988年(昭和63年)である。

 このとき読売の主張は、「今までの棋戦とは桁違いの賞金を出すから、名人位よりも上にしろ」であった。竜王戦の目的は名人位を凌ぐことだった。毎日はもちろん反対したが、劃期的な賞金のこの棋戦が欲しい将棋連盟はこの案を飲んだ。一応名人と竜王は並列ということになっているが、それまで将棋連盟会長と名人だけが署名する免状には、竜王も加わることになった。この時点では同格である。だが「竜王位」と「名人位」をひとりの棋士が持っていた場合、「竜王・名人」と署名することになっている。「竜王」が上なのだ。将棋連盟のホームページの「各棋戦」でも、一番上にされているのは竜王戦である。これはどんなことがあろうと名人戦を最上位とするものと思ってきた私のようなファンには、ずいぶんと大胆な改革であった。

 長年最高位だった「名人」を「竜王」が超えた。なんで超えたかと言えば「金」であった。
 それは一概に否定は出来ない。棋士はこれらスポンサーが出してくれる賞金を分け合って食っている。そこにかつてない大金を出してくれるスポンサーが現れ、その代わり序列を一位にしろと言ってきた。それを受け入れたのは当然だったろう。実際読売はそれだけの金を出し、名人戦のシステムの不備を修正した新システムと、竜王戦の優勝者賞金3千万円は大きな話題となったものだった。竜王戦の果たした役割は大きい。

 それでも今回毎日からまたアサヒに名人戦が移ることになり、その理由が契約金だと知るとため息が出る。
 アサヒは年間5億を払うという。毎日はいま4億払っている。部数減で落ち目の毎日に(アサヒも落ち目だが)5億は出せないだろうし、出さないだろう。まだ決定ではないようだが、ほぼ移行で決まりのようだ。これで毎日がじゃあ5億出しますよと言ったら、将棋連盟の値上げ闘争に利用されただけになる。前記したように、そういうスポンサーからの賞金で食っているのだから生活のために仕方ないのだが、なんともファンとしてはスッキリしない。

 2ちゃんねるの将棋スレに、「(そんなに金が欲しいなら)創価学会に10億円出してもらって池田杯を創ったらどうだ」とあった。痛烈である。私もそんな皮肉を言いたい気分だ。

 これはまた大山会長のやったアサヒから毎日への移行を、大山とそりの合わなかった米長会長がアサヒに変更することでもある。当時米長も反アサヒだったし、今も思想的には合わないはずなのだが、会長としてそんなことにはこだわっていられない、ということであろうか。

 今回上掲の金額一覧を見て意外だった。私は竜王戦が図抜けていると思っていた。まさか名人戦とこんなに近いとは……。毎日、よく払っているな。なのにアサヒの金に将棋連盟はぶれた……。

 これでアサヒが5億出したら、また名人位が最上位になるのかと思った。しかしそれは後述の毎日の記事により、アサヒが名人戦そのものに出すのは3億5千5百万なので竜王よりちょいすくないと知る。もしももっと出したなら、今度は将棋連盟は「竜王戦より名人戦の方が高いですよ」と読売に話しかけて竜王戦のアップを狙うのだろう。最高金額が竜王位序列一位の条件だから。世の中金か……。
 そのうち成り上がりIT企業が……。まあ古くさい将棋には手を出さないか(笑)。

 今日の『産經抄』も取り上げていた。

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産経抄
平成18(2006)年4月14日[金]
 場末のスナックで、一節うなって「いよ!名人」とおだてられ、一杯ビールをおごらされた経験のあるご同輩も多いだろう。カラオケのみならず、サボりの名人も居眠りの名人も数々あるが、将棋の「名人」となるとどうも格が違うらしい。

 ▼江戸時代は世襲制、明治以降は終身制だった名人位を実力制に改めたのが七十一年前の昭和十年。以来、木村義雄、大山康晴、谷川浩司らがその座についてきた。米長邦雄永世棋聖は、若かりしころ升田幸三名人と口論となり、「その台詞(せりふ)は、名人になってから言え」と一喝された(「勝負師」・朝日選書)という。

 ▼その名人戦の主催者を、毎日新聞から朝日新聞に移管させる案が明るみに出た。将棋ファンのみならず、小欄のようなやじ馬も驚かせているが、原因はどうやらおカネのようだ。

 ▼毎日が年三億三千四百万円を日本将棋連盟に払っているところに、朝日は五億四千五百万円出すと提案したとか。札束で顔をひっぱたくかのごとくで、一時のブームが去り、赤字体質に悩む連盟が朝日になびくのもわからぬでもない。

 ▼ただし、五億を超すという額は本紙や毎日の読者は知っているが、朝日の紙面には「新たな契約条件を提示した」とあるだけ。契約金の原資となる購読料を払っている朝日読者には、いくらを提示したか知らされていない。「ジャーナリスト宣言。」をした新聞とは思えぬ秘密主義ではないか。

 ▼毎日の編集局長は「日本の伝統を大切にする将棋連盟が信義よりも損得を重視するのでしょうか」との批判もしており、「日本の伝統と文化」の大切さは理解されているようだ。その趣旨を盛り込んだ教育基本法改正にもきっと賛成されるだろうから、今回は毎日の肩を持とうかな。


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 名人戦が毎日に移ってから、アサヒは「全日本プロトーナメント」とかいろいろ新企劃をやってきた。今はそれの発展型として「アサヒアープン」という形で、5番勝負のタイトル戦を開催している。それでも七大棋戦には入っていない。将棋に関してはあれ以来ずっと蚊帳の外だった。これは落ちたりとはいえ読売に次いで二番目の部数を誇る新聞としては異様である。将棋なんぞ我が大アサヒにはどうでもいいという意見もあったろうが、長年の読者から物足りないとの突き上げもあったろう。アサヒ嫌い&将棋好きの私は、将棋と不仲のアサヒに拍手を送っていたが……。

 今回の移行で万歳を叫んでいるアサヒファンも多いのだろう。アサヒシンブン以外はシンブンでないと思っている将棋ファンは、またアサヒで名人戦が読めると大満足か。「声」に「やはり名人戦はアサヒでなくては」なんてプロ市民の投稿が載りそうだ。もう載っているか(笑)。
 なにをやってもダメならと、新企劃を諦め、今回の札束で横っ面をひっぱたく奪い返し作戦に出たわけだ。かつて将棋名人戦でやり、囲碁名人戦でやったことの繰り返しだ。さすが「ジャーナリスト宣言」である。どういうジャーナリストかよくわかる。

 将棋も碁も、将軍家に保護してもらって生きてきた。相撲もそうである。そういう形の「文化」である。条件のいい保護者の元になびくのは存在意義からして自然と言える。
 相撲協会も人気が出たらTBSやフジからも金をもらって放送させた。NHKは不快だったろう。テレ朝にはダイジェストを放送させた。人気が落ちたらみな打ち切りになった。けっきょくNHKだけが残った。ダイジェストもやってもらっている。この辺はうまく「国技」を活かして乗り切っている。

 日本プロレスもさんざん日テレに世話になっていながら、金欲しさにテレ朝と契約した。ともにゴールデンタイムの1時間番組だった。時が流れていまの惨状がある。
 金で誰とでも寝る芸者と割り切れば喉につかえるものもないか。
 それでもあの背筋の伸びた棋士の美しいたたずまいと、このどろどろした金のやりとりは似合わない。
 どうにも気分の悪い話題だ。

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毎日新聞より記事二題

将棋:名人戦主催を毎日から朝日に移す提案 日本将棋連盟

 日本将棋連盟(米長邦雄会長)の理事会は12日、東京・千駄ケ谷の将棋会館で所属棋士による棋士会を開き、2007年6月に始まる第66期以降の名人戦・順位戦の主催者を毎日新聞社から朝日新聞社に移す方針を説明した。17日には、大阪で同様の棋士会が開かれる。連盟は、5月中旬に東京で2度目の棋士会を開いた後、議決機関である同26日の総会で態度を最終決定する。決定は票決となる見通し。

 出席者によると、棋士会では「理事会だけで進めていいのか。手続き上の問題もある」「もっと時間をかけてやるべきだ」との声が上がるなど、決定に対する異論も出たという。

 連盟によると、3月17日に朝日新聞から名人戦の主催者になりたいとの正式な申し入れがあり、同22日に開いた理事会で8人全員一致で朝日新聞への移行を決定。同28日に毎日新聞に通告した。

 棋士会には、東京所属の棋士約70人が出席。報道関係者には非公開で約2時間にわたって行われた。終了後に会見した西村一義専務理事によると、中原誠副会長が朝日新聞へ主催者を移す決定をした経緯を説明。質疑応答では、決定に対して賛否両論の意見が出たという。

 西村専務理事は「理事会としては厳しい財政事情を考慮して決断したが、『毎日が気の毒』との声もずいぶんいただいた。総会で認められないとこの話は元にもどることになる」と話した。

 出席者によると、朝日新聞の提示額は、名人戦が3億5500万円、臨時棋戦4000万円、普及協力金1億5000万円の5年契約。毎日新聞の現在の契約金は3億3400万円。

 朝日新聞は、現在主催している朝日オープン選手権(契約金約1億3500万円)をやめる提案もしており、普及協力金などがなくなった場合、6年後には連盟の収入は約1億1000万円減る計算となる。

 ある棋士は「朝日新聞の普及協力費は5年時限であることが不安。それなのに世話になった毎日から代えるのは道義的にいかがなものかと思う」と語った。



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将棋:「毎日の名人戦」守ります 編集局長・観堂義憲

 日本将棋連盟は名人戦七番勝負が始まる直前の3月末、毎日新聞社に対し、「来年度以降の名人戦の契約を解消する」と通知してきました。連盟が12日の棋士会に報告して公になりましたが、ここに至るいきさつと毎日新聞社の考えを読者の皆様に明らかにしたいと思います。

 将棋界で最古の伝統と最高の権威をもつ名人戦は、1935年に毎日新聞社が創設したものです。いったん朝日新聞社の主催に移った時期もありましたが、77年からは再び毎日新聞社の主催にもどり、将棋連盟と協力して運営してきました。私たちは、名人戦の単なるスポンサーではなく、将棋連盟とともに最高のタイトルを育ててきたという自負があります。

 ところが、通知書の郵送に続いて来社した中原誠・将棋連盟副会長は「長い間お世話になり、感謝している。名人戦の運営には何の問題もなく、あのような通知書を出して恐縮している」と切り出しました。

 なぜ契約解消なのでしょう? 中原氏によれば、朝日新聞が高額の契約金や協力金を示し、名人戦を朝日新聞にもってくるよう強く要請しているから、というのです。

 毎日新聞は将棋連盟と名人戦の契約書を交わしていて、これには来年度以降も契約を継続する、と明記しています。ただし書きで「著しい状況の変化などで変更の提案がある場合は両者で協議する」となっています。

 「著しい状況の変化」とは、たとえば将棋連盟から棋士が大量脱退して経営が立ち行かなくなったとか、毎日新聞が契約金を払えなくなった場合を意味し、他社の新契約金提示などの介入はそれには相当しないというべきでしょう。連盟に通知書の撤回を求めます。

 毎日新聞は名人戦の契約金を将棋連盟の要請に応じて徐々にアップしてきました。このほか王将戦をスポーツニッポン新聞社と共催しており、合わせて年に4億円以上の支払いをしています。

 関係者によれば、朝日新聞が将棋連盟に提示した条件は年間5億円以上を5年間払う、というものです。日本の伝統を大切にする将棋連盟が信義よりも損得を重視するのでしょうか。

 30年前、朝日新聞と連盟の契約交渉が決裂しました。この時は、連盟がそれを公表したことを受け、毎日新聞は復帰交渉に入ることをあらかじめ朝日新聞に通告したうえで連盟と契約しました。毎日新聞はきちんと手順を踏んだのです。

 ところが今回の契約解消通知は、私たちにとりまさに寝耳に水でした。将棋連盟から契約金の値上げなど契約の変更要請は一切なく、朝日新聞からはいまだに何の連絡もありません。長年、共同で事業を営んできて、しかもその運営には何の不満もなかったパートナーに対して、社会通念上も許されない行為と言えるでしょう。

 毎日新聞は全国の将棋ファンのためにも、名人戦を今後も将棋連盟とともに大切に育てていきたいと思います。(4/14 毎日新聞より)

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 ここで指摘されているように、歴史ある名人戦の主催権をとったらアサヒが今のアサヒオープンをやめるのは間違いないから、1億上積みになっても1億の棋戦がひとつ消える。長い目で見たら金額増にはならない。まして「5年間」とアサヒは時間を区切っている。5年後になにをやられることか。そのあと毎日に泣きついても遅い。移行は愚行である。

 しかしこの種の問題は、こういうふうにねじれるともう元にもどれない。最初は金銭の損得で始まったにせよ、ここまで来ると米長も中原ももう意地でもアサヒに移ろうと思っている。勝負師である将棋指しは意地っ張りだ。なにがどうなろうともう後には引けない。毎日との仲もギクシャクしていることだろう。
 アサヒに移るのか。棋士の信義が問われる。5月の総会で否決されることを願うが、8人の理事全員が賛成とあるから、その望みは薄い。しかしまあなんとも気分の悪い話である。


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【附記】東京新聞の大崎氏の意見

 4/15日つけの東京新聞に以下の記事が載った。読売も社説の横に意見を書くし、産經も『産經抄』で取り上げ、当事者の毎日は真っ正面からアサヒに対決を挑むと、新聞界を巻き込んだ大論争になっている。それだけ意味のあることなのだ。
 この東京新聞の記事には元「将棋世界」編集長で作家に転身した大崎善生氏がコメントを寄せている。「将棋世界」は民間誌ではない。将棋連盟の機関誌である。
 大崎氏が編集長をしていた「将棋世界」を愛読し、彼の将棋観を信じるものとしてひじょうに心強い意見となった。彼の意見を太字にした。
 基本として、心ある将棋ファンは、札束で頬をひっぱたくような方法を採るアサヒに反感を抱き、それに走る米長中原体制に批判的、といっていいだろう。


東京新聞より

『名人戦』争奪 半世紀の因縁 “盤外戦”を読む

■朝毎“盤外戦”を読む

 朝日VS毎日といっても新聞紙面のことではない。将棋の名人戦主催をめぐっての“盤外の戦い”だ。第六十四期名人戦が始まった初日、第六十六期以降の名人戦・順位戦の主催者を毎日新聞社から朝日新聞社に移す動きが報じられ、毎日側が編集局長名で異例の「声明」を出した。名人戦をめぐっては一時期、朝日に主催が移り、再び、毎日に移った経緯がある。なぜ、日本将棋連盟は主催者移管を提案したのか。背景は。

 十二日、東京都渋谷区の将棋会館で開かれた棋士会。マスコミには非公開で、約七十人の棋士が出席した。棋士の一人は「中原誠副会長が今回の経緯を説明。理由としては朝日の申し出は条件も良く、読者も多いため影響力もあるというものだった。その後、質疑応答で数人が発言したが、主催者移管は慎重にすべきという意見もあった。中には『毎日とは今まで付き合いが長かったのに、守銭奴みたいなことでいいのか』という厳しい発言もあった」と証言する。

 経緯はどうだったのか。

 将棋連盟によると、昨年夏、外部有識者の経営諮問委員会から名人戦の主催者見直しの提言があり、朝日に打診。今年三月十七日に朝日から主催者になりたいとの正式の申し入れがあったため、同二十二日の理事会で第六十六期(名人戦は二〇〇八年、予選は〇七年度)から毎日新聞との契約の更新を打ち切る方針を決定、三月末に毎日新聞に契約解消を通知したという。

 出席した棋士によると、朝日が提示した契約金は、毎日の三億三千四百万円を上回る三億五千五百万円、このほか、臨時棋戦四千万円、普及協力金一億五千万円で五年契約だった。

 他のタイトルは、プロになったばかりの四段でも、勝ち進めば獲得できるが、名人戦だけはA、B1、B2、C1、C2の5組にわかれて順位戦を戦い、A級の優勝者になった棋士しか名人に挑戦できない。各組の上位者が、翌年は一つ上の級に上がり、C級2組の棋士が名人の挑戦権を得るには、最速でも5年かかる。順位戦はA級昇級で八段、C級1組で五段など、昇段規定の一つにもなっている。

 これに対し、毎日側は十三日朝刊で、観堂義憲編集局長名で異例の声明「『毎日の名人戦』守ります」を掲載。「日本の伝統を大切にする将棋連盟が信義よりも損得を優先するのでしょうか」「今回の契約解消通知は、寝耳に水でした。将棋連盟から契約金の値上げなど契約の変更要請は一切なく、朝日新聞からはいまだに何の連絡もありません。社会通念上も許されない行為と言えるでしょう」と厳しく批判した。

 申し出を受け、朝日が“横やり”を入れたとも取れる展開だが、名人戦をめぐる毎日と朝日との綱引きは今回が初めてではない。

 名人戦は一九三五年、東京日日新聞(毎日新聞の前身)主催で始まった最古のタイトル戦だが、やはり契約交渉がもつれ、四九年、毎日から朝日に移管。七六年、今度は朝日との契約交渉が紛糾し、順位戦は中断、名人戦も宙ぶらりん状態となった。

 この時、朝日が最終提示した契約金は一億一千万円、プラス一時金一千万円だったが、連盟は拒否。一億四千五百万円を提示した毎日との契約を臨時総会に諮った結果、わずか二票差で毎日への再移管が決まった。

 だが、朝日は名人戦奪還をあきらめず、九一年には再び朝日への移管話が表面化したが、「この時は、故大山康晴永世名人が毎日支持で動き、頓挫した」(連盟関係者)という。

 九一年の名人戦をめぐる舞台裏について、当時、日本将棋連盟会長だった二上達也九段は「一つには名人戦を奪回したい朝日さんの執念があり、もう一つには、それ以前からの囲碁の方が将棋より高いという契約金の格差問題があった」と振り返る。その上で、今回の騒動について「九一年の時とはちょっと違う。朝日の執念には変わりないものの、九一年の時はちゃんと手続きを踏んだが、今回は手を尽くしたとは言い切れない。新聞社間のメンツも絡んでいるのだから、相手の顔を立てることも必要だったのでは」と指摘する。

 では、朝日に移管した場合、将来的に連盟のためになるのだろうか。

■「このままでは連盟つぶれる」

 「現在のままでいいと思う」という中堅棋士は、個人的な見解と断ったうえで、「もし朝日に移行した場合、毎日がスポニチと共催する王将戦(契約金七千八百万円)をやめる恐れもある。金銭面だけで言えば、朝日は朝日オープン(一億三千四百八十万円)をやめるだろうし、五年後のトータルで試算すると、現状と、ほとんど変わらない」と話す。

 これに対し、連盟幹部の一人は「移管の理由に連盟の赤字が挙がっているが、単なる金銭問題ではない。これは将棋界百年の計の話。このままの状態が続けば、連盟はつぶれてしまう」と危機感を募らせる。

 「新聞の発行部数が多ければ当然、将棋ファンも多い。これは大前提。さらに、海外で新聞を発行している朝日なら将棋の国際化を図れるし、テレビのメディア力も違う」と強調する。

 今回の移管で、昨年就任した米長邦雄会長の影響を指摘する関係者も多い。

 「米長会長は連盟の人事改革を大幅にやったように、ドラスチックな事をやりたい人だ」話すのはベテランの将棋観戦記者だ。前出の中堅棋士も「米長会長は良くも悪くも『前進』の人。しがらみにとらわれずドライ、強引な手法でもある。一方で、米長会長は子どものファンを増やすなど、棋界の底辺拡大に力を尽くしている」と話す。

 その米長会長は本紙の取材に対し「契約書には『当該契約期間終了の一年前までに、通告することとし、両者協議の上実施する』となっており、それに基づき毎日と交渉中だ。契約には違反していない」と反論。「財政問題もあるが、名人戦を主催したいという朝日の熱望をむげにできなかったことが最大の理由」と強調する。朝日も「名人戦は長年にわたって要望してきた棋戦であり、弊社の考えを(連盟に)伝えております」とコメントする。

 一方、「四九年の毎日から朝日への移管の際、毎日が対抗する形で王将戦を始めており、この時のしこりが今も残っている」とベテラン観戦記者は解説する。

 厳しい意見も多い。

 「最初に聞いた時は、経済的に苦しくなった毎日が、連盟に主催返上を願い出て、連盟が動いたと思っていた。そうでないとあり得ない話だからだ。三十年前に朝日と連盟が決裂した時、毎日が相当な高額で引き受け、以来、名人戦を傷つけることなく続けてきた。その恩をあだで返す暴挙」と批判するのは、連盟の機関誌「将棋世界」の元編集長で、作家の大崎善生氏だ。

■「今回の信義はどうなるのか」

 背景に、連盟の苦しい財務事情があるとされているが、大崎氏は「本当の厳しい赤字ではない。例えば、棋士は個人事業主だが、厚生年金に加入し、連盟が積立金の半分を負担している。国民年金にすれば一億円は浮く。機関誌の売り上げは減っているが、編集部の人事は理事会が握っているのだから、彼らも売り上げ恢復のために努力する責任がある」と指摘する。

 かねて好条件を提示してきた朝日は、連盟にとって「いつでも使える、おいしい延命装置」(大崎氏)だった。九一年の朝日への移管話の際には、現執行部の米長、中原両氏が「信義にもとる」と猛反対したという。大崎氏は「では今回の信義はどうなのか。自分たちのために延命装置は残しておいて、ということだったのか」とあきれる。

 朝日か毎日か、の決着は五月二十六日の棋士総会。全棋士百九十六人の投票で決められる見通しだ。「羽生善治三冠などタイトル保持者の動向がカギを握る」(観戦記者)ともいわれるが、その行方は読めない。

 棋士の一人は「将棋好きの子どもは将来、竜王になろうではなく、やはり、名人になろうと思う。名人戦とは伝統を持った、そういうものだ」とその重さにふれ、話した。「今回、名人戦の初日に話が出てしまったが、対局者と、対局を楽しみにするファンに水を差した形だ」

<メモ>名人戦

 将棋のタイトルは7つあり、連盟の序列では(1)竜王(2)名人(3)棋聖(4)王位(5)王座(6)棋王(7)王将の順。江戸時代から名人の称号があり、1935年に終生名人制から、今の実力制になった。

<デスクメモ>
 本紙連載で、二上達也九段が、江戸時代、名人の座をめぐり家元三家が争った話を披露している。争い将棋で、ともに十代の棋士が一年半にわたって指し続け、十五歳と二十歳で亡くなった。まさに死闘。「名人」にはそんな歴史の重さがある。平成時代の朝日、毎日の勝負は…。詰むや詰まざるや。 (透)


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将棋名人戦移管、毎日新聞と連盟理事会が棋士票争奪戦

読売新聞4/21

 毎日新聞社が主催している将棋名人戦を、日本将棋連盟(米長邦雄会長)の理事会が朝日新聞社に移管しようとしている問題は、最終的に棋士全員の投票によって決まるため、毎日側と連盟理事会の双方が棋士の説得活動に乗り出している。

渦中の米長会長は21日午後、毎日本社を訪れ、契約解消の過程に関する「お詫(わ)び」の文書を手渡した。

 毎日は、5月26日の通常総会(棋士総会)で投票権を持つ全棋士196人に北村正任社長名で手紙を出し、その内容を21日の朝刊で「一方的な契約解消の提案は到底受け入れることはできない」などと報じた。さらに毎日幹部が、影響力の大きい森内俊之名人(35)、羽生善治三冠(35)、佐藤康光棋聖(36)ら名人経験者に会って支持を訴えている。

 一方、棋士8人で構成する連盟理事会は来週にも考えをまとめて全棋士に手紙を送る方針。厳しい連盟の財政状況や契約解消を申し出た手続きに触れ、理事会の考えに賛同するよう要請する予定だ。

 棋士の間では、毎日側に同調する意見が多く、「総会で賛成が過半数に達する可能性は低い」という見方が強まっている。

 毎日社長の手紙で「『将棋は礼に始まり礼に終る』。将棋を始める人がまず学ぶ言葉と聞いています」という文を見た中堅棋士は「それを言われては立つ瀬がない」と嘆いた。

 この日東京都内で行われた棋王戦(共同通信社主催)の就位式で、森内棋王・名人は、「スポンサーとの信頼関係を大切にしたい」と理事会批判とも取れる異例の発言を行った。

 若手棋士の間では、「毎日がタイトル戦から撤退すれば6年目からは明らかに減収になる」と反対する声が強く、インターネット上の日記・ブログで反対の意思を表明する棋士も出始めている。

 ただし、連盟本部のある東京・千駄ヶ谷の将棋会館では「長い目で見て朝日移管に賛成を」と訴える姿も見られるなど、形勢不利と見た理事会の“反攻”が今後も予想され、票の争奪戦は激しくなりそうだ。

 毎日新聞社社長室広報担当の話「米長会長から受け取った文書には『(3月28日付の契約解消の通知書は)言葉足らずで、不愉快な念を御社が抱きましたとすれば説明不足であり、お詫びしたいと存じます』とありますが、お詫びというより釈明と受け止めています」

(2006年4月21日23時24分  読売新聞)


名人戦移行問題の興味(4/23)

 この問題の興味深い点は、読売や産経を始めとする新聞社が、みな「毎日」の味方をしていることだ。
 読売の、売り上げ部数一番の誇り、ライバルであるアサヒへの敵意、かつて囲碁名人戦を今回の事件と同じように金でアサヒにとられた恨み、そのことから賞金最高額の囲碁棋聖戦を開催するようになったこと、同じく賞金最高額の将棋竜王戦を開催して毎日の名人戦超えを狙ったこと、産經新聞のアサヒとの思想的対立、といくらでも生臭く勘ぐることは出来るが、これに関してはそれとはまた別問題だろう。極めて単純な日本人的情の問題と思う。

 三十年前、アサヒを読んでいた長髪の学生であった私ですら、当時のアサヒの囲碁名人戦引き抜きと将棋界への仕打ちを汚いと思った。助けてくれた毎日に感謝した。今回も同じである。今の私個人は当時と違って筋金入りのアサヒ嫌いと変っているが(笑)。
 要はやりかたであり体質だ。アサヒは、ホリエモン的な金銭万能の感覚を否定し、紙面にキレイゴトを書きつつ、やっていることがホリエモンなのである。
 そしてまた卑怯にも、今はすっかり「あくまでも将棋連盟のほうからもちかられた話でして」と逃げの姿勢を取っている。

 が、かといって私はアサヒを責める気にはなれない。アサヒが金でもって米長率いる将棋連盟を取り込もうとしたのは確かだが、やはり根源はそれに乗ろうとした「芸者」の体質だ。金に目がくらんで転ぶか、きっぱり拒むか、芸者の心意気の問題である。
 可能な限りのネット上の情報を読んでみたが、将棋ファンは9割と言っていいほど毎日を支持し、アサヒと米長体制を批判している。ここまで非難されるとは米長も思っていなかったろう。
 とはいえ彼は、後述するように、大崎を戦犯とし、寝ぼけたことを言っている。棋士はみな自分と同じであるかのように。

 21日の毎日新聞は、「一面全紙を使ってこの問題を論じた」そうである。読んでいないので愛読者の友人からもらおう。
 間違いなく輿論は毎日を正論としている。これを押し切ってのアサヒ移行はあるのだろうか。


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 米長錯乱!

 米長が自身のホームページで、大崎善生を名指しで批判したという書き込みを見たので出かける。2ちゃんねるの情報はありがたい。もちろん私も米長のホームページは、「お気に入り」の将棋の項にリンクしてあるが、毎日出かける気にもならない。一読してあきれ果てた。日本将棋連盟会長、ご乱心である。

勝負と偉人──米長邦夫ホームページ「まじめな私」より4/22

 今から15年前に名人戦の移籍問題がありました。大勢は移行かと思われましたが、大山康晴先生の存在は大きかったです。二度の癌の手術をした後であり、もはや餘命いくばくも無いという状態でした。
 その大山大先生。私と二人切りの場を作り、私の手を握り締めて「米長さん、頼れるのは貴方しかいない」
 私と大山康晴先生の仲は、はっきり言えば悪い方です。人生観が全く違う。しかし、私の手を握った力の弱々しさ。又私にまで頭を下げねばならぬという心情を察すれば、これが最後の会話とも思われた以上は大山先生の味方になるよりありません。
 中原誠も全く同じであったろうと思います。当時の西村一義理事もやはり同調しました。かくして中原、西村、米長の3人は毎日新聞社に残るべきと主張したのでした。

 その時のごほうびか。私が名人の座に就いたのです。そこでお返しにやったのが「毎日新聞を10万部伸ばす運動」です。私は名人在職の一年間は毎日新聞社のため必死に働いたのでした。
 それが今回このような事態を引き起こしてしまいました。辛い。しかし、正しいと信じた道は進みます。
 どうかこのまま新聞社が移動しないことを念じております。


勝負と疫病神
 世の中には人を不幸にする人と、人の不幸でメシを食っている人がいる。
 それが大崎善生君です。

 今回の騒動でも彼が火つけ役、持ち込み原稿、コメントの羅列。
 名人戦移行に関しての週刊誌や新聞を読むと殆んどが大崎氏のひとり芝居であることが分ります。稼ぐね。
 その結果、将棋界内部は結束が固まりつつある。
 実は彼が悪く言う毎に将棋界は勝利に近づいている。恩義云々等を述べていますが、彼は永年将棋界で生活していたのです。現在将棋連盟は赤字に転落していますが、彼が月刊誌の編集長で売り上げ減に貢献したのが一因です。
 大崎善生氏は5年以上前に日本将棋連盟を円満退社。もはや内部情勢を正確に知る由もなく、現体制や職員の意識改革がなされたことも知らないのでしょう。

 マスコミ各社に申し上げます。
 私共の説明不足による毎日新聞社への非礼はお詫びします。それを責められては甘受するよりありません。しかし、品のある有識者はいくらでも居る筈ですので、紙面にはそのような人々の声を載せるべきではと思います。
 おかげさまで、理事会がなにもしなくても棋士の同意が得られそうになってきました。感謝。
 4月21日の新聞記事の中にも彼が出ている。「棋士たちも自分たちの胸に手を当てて、今回の件についてよく考えてもらいたいと思います」
 これを読んで、棋士も職員も笑い出したものです。


五年以上も前に円満退社した一職員の名を挙げ、「今回の騒動でも彼が火つけ役、持ち込み原稿、コメントの羅列。名人戦移行に関しての週刊誌や新聞を読むと殆んどが大崎氏のひとり芝居」って、狂ってるぞ米長! 連日の「毎日新聞」の社命を懸けたかのような大キャンペーンも大崎の仕掛けだというのか!?

 将棋連盟会長のおまえがアサヒと結託してこれらの問題を起こしたのだろう。そのこと自体は、家長として家族によりよい暮らしをさせてやりたいとの親心からだろうし、そのことがたとえ棋士としての信義にもとる、礼節はどうなったと非難されようと、家長として家族のために高収入をねがったのだろうから、それはそれでいい。

 だが大崎氏は、その件に関して、かつての日本将棋連盟機関誌「将棋世界」編集長として、今は将棋小説をきっかけとして売れっ子作家になった立場から、「毎日」寄りのコメントを出しただけだ。それだけだ。今回の事件に関して、米長会長とアサヒシンブンに反感を持った多くの中の一人に過ぎない。
 それを彼の存在が今回の大事件の諸悪の根元のように言うのは、いくらなんでも無理がある。暴言妄想のたぐいだ。赤字転落原因を大崎編集長時代の「将棋世界」の売り上げ低下ってのもひどい。どう考えても大崎編集長時代の「将棋世界」はおもしろかったし、現に売れていた。今の方がよほどひどい。(現田丸編集長も好きだけれど。)まして昨年の将棋連盟の赤字転落という大問題を五年前に退社したひとりの編集長の責任に今頃なすりつけようとするのは正気の沙汰ではない。そもそも連盟の収入全体から見て「将棋世界」の存在など微々たるものだ。

 これには2ちゃんねるの将棋ファンも引いたらしく、厳しい米長批判の意見が相次いでいた。誰もが大崎氏を支持している。一部の大崎嫌いですら(こういうのもひとことで言ってしまえば成功者への妬みなのだろうが)、それでも連盟全体の赤字の責任を今頃大崎ひとりのせいにする米長の感覚はまともとは思えんとしている。

 私はアンチ米長ではないし、彼の才気走ったひと味違う発言には若い頃から才人だと感嘆してきた。石原都知事に重用されたときもうれしかった。園遊会での日の丸と君が代発言も、むしろ陛下のあのご発言を残念に思ったほどだった。
 しかし今回の一連の行動を見ると、やはり将棋指しは世間の常識とは剥離した感覚なのだろうと思わずにいられない。それは林葉問題のとき、自宅の庭で記者会見した中原さんのときにも思ったが……。

 それでも世の流れを見たら、自分たちの偏った感覚を修正できるのではと信じていた。
 一斉に、まさに全マスコミが一斉にというぐらい、各社が「毎日」を擁護し、アサヒを批判する立場を取った。なのにそれら全体を見聞したうえで書かれた文がこれだ。絶望である。自分の感覚を反省するどころか、まったく見当違いのスケープゴートを仕立ててほくそ笑んでいる。心底あきれたとしか言いようがない。
(私の言いたいのは後半の大崎氏に関する部分だが、前半の大山名人とのやりとりも怪しいとは、多くの人が口にしている。死人に口なしで確認のしようもないが、大山さんが米長の手を取って……は信じがたい。)

 このことに関して私は、問題が表面化したときに、棋士は勝負師であり意地っ張りだから、「米長も中原も引くまい。意地でも突っ張る」と思った。そう書いている。やはりそうなりつつある。

 ホームページを始めてから、思いつくたびに将棋のことを書いてきたが、ここまで連日書いたことはない。どんな棋士のタイトル獲得、開花、凋落よりも、大事件だったことになる。三十年ぶりの大激震だ。

4/20

404d8d25.gif 想い出の将棋本


■「大山将棋集」
 本来はアイボリィの美麗な本なのだが、さすがに三十年の風雪をくぐり抜けてきたので日に焼けてこんな色になってしまった。
 すべてタイトル戦の棋譜なのがさすが大山さんである。相手は中原、米長、内藤、加藤、二上、花村等だが、当然のごとく対中原戦が一番多い。
 この表紙の絵は、売り出し中の若手イラストレーター(笑)山藤章二である。昭和50年刊。890円。講談社。


私は「物持ち」がいいほうである。気に入ったものはそのままとっておく。だから若いときのものでも、傷んでいない限り、遺っていたりする。捨てたモノも多いが、それは収納や引っ越しに関するやむにやまれぬ事情であり、大きな一軒家でも持っていたなら、いろんなものを何十年も保存していただろう。

 が、本に関しては悪い。このサイトでもあちこちで何度か書いているが、「定期的に捨てる」のである。それも惜しみつつ、だ。つまりそれは「自分を変えねば!」と思ったとき──こんな私でも何十年に一度かはそんなことを思うときがあるのだ──最も効果的な方法として「本を捨てる」をする。大事な本だからこそ変わらねばならないときには捨てねばならないのだ。女が髪を切るようなものか。

 と、惜しげもなく小心者のくせに豪快なことをしてきた。だいたい段ボール箱にして10箱ぐらいを捨てたりする。昨年の夏、隣のたんぼで400冊を燃やしたときも哀しかった。
 今になってもったいなかったと悔やんでいたりもする(笑)。だからこそ小心者なのだが。
 たとえばオオエケンザブローとかイノウエヒサシとかベツヤクミノルとか、学生時代からコツコツと買い溜めたあの種の人たちの本を、思想的に合わないからと結論し、どんと捨てたことがある。みな初版の単行本であり、カヴァーを着けて保存していたから美麗だった。それを何百冊と燃えるゴミとして出した。今になって売れたなあと悔やんだりしている。たとえそれがぜんぶで1万や2万程度だったとしても(そんなこともあるまいが)、競馬場帰りの300円しかない身からしたら大金である。ほんともったいないことをした。


■「中原誠 名人への棋譜」
 新聞記者の三浦さんと能智さんの共著。中原さんの四段から名人になるまでの選りすぐり棋譜集。といっても棋譜はすくなく中身は物語である。
 むかしはこんなタイプの本が多かった。能智(のうち)さんの苗字がATOKで出なかったのは不本意である。芸能人の苗字にはやたら強いのにな。
 昭和49年刊。780円。講談社。当時は講談社も熱心に将棋本を出していたのか。


■たぶん引っ越し名人も同じ事を言うと思うが、ものというのは「捨てる踏ん切りがつくていくらでも捨てられる」ようになる。捨てられないときは、あれもこれもと溜めこんでしまうが、一度捨てると踏ん切りをつけて捨て始めると、今度もこれもいらん、あれもいらんと、あれよあれよという間になんでもかんでも捨ててしまう。それこそフーテンの寅さんのようにトランクひとつの身軽になったりする。私の場合もそうだった。

 いちど捨て始めると、まるで憑かれたかのように、かつてたいせつに溜めてきたものを捨て始めた。狂ったように捨て続けた。そうしてこざっぱりし、悔やまないのが引っ越し上手であり、今の時代を上手に生きる人なのだろう。

 私の場合は悔いる。じつは本などはどうでもいい。稀少な雑誌等をべつにすれば今からでもなんとでもなる。千枚ほどをまとめて捨てたレコードも、なにも焦ってゴミとして捨てず、今の時代、ネットオークションにでも出せばたしょうの金になったなというせこい未練以外はさしてない。元々音楽は私にとって聴くものではなく創るものだ。

 そういう中、今も悔やんでいるのは二十年以上も溜めていた競馬関係の資料である。あれをエイっと思い切って捨ててしまったことは今もって悪夢にうなされるほど悔やんでいる。
 なにしろ自分自身の人生の歩みだ。カブラヤオーやテスコガビーの「競馬四季報」、ハイセイコー時代の『東スポ』からサクラスターオー、タマモクロスに関する資料等、もう二度と手に入らないあれら(他人から見たら古新聞と古ノートに過ぎないが)を捨ててしまったことは夢にうなされるほど悔いている。昭和50年の古新聞と『競馬四季報』があるだけで、競馬小説などいくらでも書けるのだ。なんであんなことをしたのか……。
 とまあそれはともかく。


■現代将棋読本中級編「袖飛車と石田流──内藤國男」
 う~む、さすがにこれもよごれている。昭和50年刊。640円。ひばり書房。
 ひばり書房ってたぶんもうないだろうから、これは珍品になる。紙質も想定も他の本と比べるとグっと落ちる。雑だ。誤字も多い。
 個人的には思い出が深い。袖飛車も石田流も奇襲なので、対応法を知らないと一気にやられる。盲目の石田検校が編み出したと言われる石田流は江戸時代から伝わる有名戦法であり、それを改良して名人戦に用いた升田式石田流があるから、ちょっとした定跡通なら誰もが知っている。だが袖飛車は知らない人が多く、新宿将棋センターで連戦連勝したものだった。懐かしい。


■そんなわけで、本は定期的に捨てる。もしも私が三十代で家でも買っていて、溜めまくり生活に入っていたなら、これはなかなかの書棚がそろっていただろう。人に自慢できるだけの冊数があったのはまちがいない。中身はともかく。
 しかし現実には風来坊であったから身軽になるために定期的に「身を切る思いの本捨て」をやってきた。よって今、私の所持している本はひじょうに数が少ない。私を物書きだと思いこんで自宅に来たなら失望されるに違いない。
 しかしこれには居直っている。むかしコメディNo1の前田だったか、テレビで自宅を紹介し、自分の部屋の本棚を自慢していた。壁一面にいろんな小説類が並んでいたのだが、これはちょっとちがうなと思ったものだった。あれじゃ見せるためのインテリアである。
 かくいう私も学生時代から三十代にかけては自慢するものと言ったら本しかないから、部屋の中は本だらけ、四面本棚、本箱であることを当然としていた時期があった。でもそれって一種の見栄だ。たとえば私は若い頃にヒットした五木寛之や野坂昭如の本をぜんぶ持っていたが、今は一冊もない。すべて捨ててしまった。かといってそれらの本を、本棚に著者別にずらりと並べておきたいとは思わない。今は。むかしはそれをやって得意になっていた。大切なのは本棚に並べた本の数ではなく頭の中身だろう。
 というような本の話もともかく。

 オオエケンザブローやイノウエヒサシが捨てられたのは当然だった。五木や野坂は捨てられるほど嫌われてはいないが、そういうものを本棚に並べて喜ぶ保守性を唾棄する際の犠牲になった。大切にしていたプロレス雑誌等も、蒐集は醜いという判断の元に捨てられた。どんどんどんどんなにもかも捨ててゆく。小説類で捨てなかったのは、想い出の濃い筒井康隆と西村寿行ぐらいだった。
 残った単行本は高島さんの『お言葉ですが…』のような本ばかりである。これは娯楽作というより辞書類のようなものだから捨てるはずがない。


■「将棋歩から──加藤治郎著」
 歩の使いかたを詳説した名著の誉れ高い加藤先生の著書。上中下の三巻組。
 手筋だけでなく、加藤先生創案の「ダンスの歩」等の名称が楽しい。
 そういうコピーライター的感覚を持った棋士としては、「中原自然流」「米長さわやか流」「内藤自在流」「大内怒濤流」等の命名から故・原田泰夫八段が名高いが、私は原田さんの感覚をすばらしいと思ったことはない。一方、加藤先生の言語感覚はすてきだ。「ガッチャン銀」もそうで、のちに「銀のぶつかる音はシャリーンと澄んでいるそうで、ガッチャンと名つけたのはまちがいだった」と照れたそうだが、なになに、ガッチャン銀こそ音的にも最高である。
 東京書店刊、980円。これの初版が出たのは昭和23年。私の持っているのは全面改訂版で、ご本人が「ほとんど書き下ろしたのも同じ」と語った昭和57年発刊の改訂版である。



そういう何度もの焚書を通り抜けて残ったモノに将棋本があった。ということについ最近気づいた(笑)。気づいて驚いた。
 なにしろ昭和40年代、50年代に買った本などもう持っていない。みな捨ててしまった。なのに将棋本は残っていた。

 理由はふたつある。まず大きいのは「ノンポリだから」。右でも左でもない。だからオオエの本のように、周囲の影響からとりあえず買いはしたものの、どうにも好きになれず、やがて好きになれなくて正しいのだと判断され、美麗なまま捨てられることはなかった。一時は愛読されたのに汚らわしいモノのように捨てられたイノウエヒサシやシイナマコトのような運命もたどらなかった。何度かの「大量本捨て」のときも、まったく候補に挙がらなかった。だって「もうさんざん勉強して卒業したから、捨ててもいいや」と思うものは一冊もなかったから。それだけ戦法書と棋譜は奥が深いのである。

 もうひとつは、「色あせないから」である。30年前、50年前の戦法をいま読み返しても楽しめる。江戸時代に創られた詰め将棋に感嘆するし、昭和初期の名勝負に酔いしれるのだから、昭和40年代、50年代の棋譜なんて、つい昨日のもののようである。
 そしてまた、「色あせないから」であるが、同時に近年になって定跡が進歩し、「今では色あせている」ものの、「色あせてなかったころ」を思い出すのも楽しい。

ということで、ベッド横の本棚に睡眠薬代わりとして将棋本が20冊ほどある。みな古い本だ。比較的あたらしいのでも5年ぐらいは経っている。その中から思い出深いものを4冊選び、スキャンして掲載した。
 昭和40年代の本は将棋本しかもうもっていないのかと思ったら、よりたいせつにしようと思った。
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404d8d25.gif 「将棋界奇々怪々」「編集者T君の謎」


「大山康晴の晩節」があまりにおもしろかったので、図書館のそれらしきまだ読んでいない将棋本をまとめて借りてきた。
 この「将棋界奇々怪々」は河口俊彦著。文章がしっかりしていることと長年河口さんの本に馴染んでいることもあり、いつも安心して読める。
「NHK将棋講座」に連載したものだから、あまり辛口のモノはないかと思ったが、河口さんらしくかなり手厳しく切り込んでいてさすがと思った。

観戦記考
 たとえば「観戦記にボロを着せるな」では、新聞の観戦記とそれに抗議した山田道美のことを取り上げ、観戦記者側の肩を持っているのである。これは珍しい例だ。
 この「観戦記にボロを着せるな」は山田の名言(迷言でもあろう)「棋譜に観戦記というボロを着せられる」をもじっている。
 自分たちが心血注いで創った棋譜が、新聞掲載時には、ろくに将棋のことなど知らない記者のわかったような観戦記で語られる。そのことを山田は「棋譜にボロを着せられる」と屈辱的に言い、嫌った。当然それは波風を立てる。

 山田は中原名人に影響を与え、昭和40年代に亡くなっている。活躍期間が短く39歳で早世した。彼の創案した「対振り飛車早仕掛け5七銀左戦法」を好む私ですら熱心な将棋ファンになったときはもう彼はいなかった。
 なのに今も2ちゃんねるの将棋板を覗くと、この「棋譜にボロを着せられる」が一人歩きをしているのでおどろく。前後の流れや文章から、書き込んでいるのは二十代の将棋ファンと思われる。彼の中でこの言葉は今も現在進行形なのだ。
 しかし自分を省みれば、物事を語るときの比喩として大好きな、今まで商業文でも何度か引用したことのある、時の木村名人と挑戦者升田八段のやりとり。升田「名人なんてゴミみたいなもんだ」木村「名人がゴミなら君はなんだね」升田「・・・ゴミにたかる蝿だ」も、私の生まれる前の事件なのだった。かように将棋ファンとは古い出来事を大事にする。

 私がこの「心血を注いだ棋譜に、他人によってわかったような観戦記を書かれることを嫌う山田の感覚」と、「棋譜に精魂込めて観戦記を書いている記者の誇り」のどっちを支持するかと言えば、もちろん山田の方である。私自身プレイヤー感覚が強く評論家は大嫌いだからだ。
 河口は将棋連盟の棋士というプレイヤーであり、同時に、棋士としてこの人ほど多くの観戦記、及び将棋に関する本を書いてきた人はいないという評論家側の人でもある。私が彼の文章をこよなくあいするのは彼が評論家である前に棋士であった(引退したので過去形)からだ。信頼できるのである。多くの「名物記者」が書いた本ともまたひと味違っている。

 この「プレイヤーと評論家の軋轢」はどの世界でも共通する。競馬でも騎手は、乗馬も出来ない競馬評論家に騎乗技術をうんぬんされることを嫌う。野球でもプロレスでもなんでも同じだろう。「やったことのないヤツになにがわかる」はプレイヤー側に誇りとして根付いている。それは「狭量」とつねに紙一重だ。

 棋士と観戦記者との軋轢は棋士に有利だった。それはまあ道理で、観戦記者というフリーランスの立場だったなら、棋譜を提供するタイトルホルダーや挑戦者という地位のある棋士から「あの人の観戦記ではイヤだ」と言われたら新聞社側も逆らえない。「指さない」と言われたら終りだ。よって食いっぱぐれないために棋士におもねった凡庸な観戦記が増えて行く。それは批判的な視点を封じる横暴にも通じる。ボロと言ったがためによけいにボロ観戦記を増やしてしまったという皮肉である。

 河口はここで、観戦記を「ボロ」と言って嫌った山田と、その山田に反論を書いた観戦記者の例を取り上げている。この記者は山田に嫌われながら観戦記者を外されなかった。おまけに堂々とした反論文までが掲載された。その理由はこの人がフリーランスではなく新聞社学芸部の要職だったから、というつまらん落ちなのだが、それでも棋士である河口が、この件に関しては、高く評価している同業の山田ではなく、観戦記者側を持っていることは特筆される。それがタイトルの「観戦記にボロを着せるな」である。「棋譜にボロを着せるな」をもじって、「観戦記すべてがボロなわけではない。すぐれた観戦記を、観戦記はボロというひとことで片づけるな」と反論しているのである。

私的観戦記感想文
 将棋のタイトル戦の観戦記は名のある作家が書くのが通例だった時期がある。五味康祐とかヤマグチヒトミが有名だ。私は若いときからこの「タイトル戦観戦記は高名な作家が書くという慣例」がまったく理解できなかった。理由は明快だ。つまらないのである。
 なぜこんな慣例が出来たのかというと、まあ理由はいくつもあるのだろうが、基本は「箔つけ」だったろう。タイトル戦に箔をつけるために新聞社側、将棋連盟はそれを望んだし、文士の方もまた、そのことによるメリットを計算して引き受けたのだろう。そしてまた読者も、その格と箔つけを楽しんだのだ。まあ古き良きくだらん時代の名残である。

 世に「名観戦記」と呼ばれるものが数多くあるらしく、それを好む人もいるらしい。しかし私はそれらを読んでもまったく興味がわかなかった。名のある年配の作家が、その日の天候から対局者の表情、内なる心理までを描く。指し手に触れる。これはもちろん専門棋士が付いていて協力する。アサヒなら升田、加藤のように専属契約を結んだ棋士が。

 私は、名のある年配の作家のしかつめらしい観戦記という名の大仰な文章より、もっと現実的な、戦法に関する詳述、変化、それらを現役棋士にやってもらいたかった。高名な誰それが観戦記を格などということにまったく興味がなかったから、ひたすら純粋にそれを願った。

 時が流れて今、見事なまでに私の願う世界になった。やはり高名な作家に観戦記を頼んで、アサヒが読売が、というのは、そういう形の格つけ、箔つけという虚飾を必要としていた時代の残骸なのだろう。
 よけいなものがなくなった今の時代は、私にとって極めて快適である。私より上の世代になると「むかしは作家の××が名観戦記を書いたもんだ。それに引き替え今は……」となるのかもしれない。それは私にとって力道山プロレスを讃えるようなものになる。

出版元のこだわり
 しかたないのかと思い、でもやっぱりすこし引っかかったこともあった。




 

404d8d25.gif光速流『将棋世界』 先輩編集者竹内正二 







404d8d25.gif
芸能界で喩えるなら、「せんだみつおがビートたけしを論じているような本」






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404d8d25.gif名人戦第二局「光速流の落日」


将棋:第64期名人戦 森内名人連勝 第2局
2勝目を挙げて感想戦で笑みを浮かべる森内俊之名人=新潟県長岡市の「和泉屋」で26日午後5時21分、佐々木順一写す

 新潟県長岡市の和泉屋で25日から行われた第64期名人戦七番勝負(毎日新聞社主催、大和証券グループ協賛)の第2局は26日午後5時12分、69手で森内俊之名人(35)が挑戦者の谷川浩司九段(44)を降し、2連勝した。残り時間は森内3時間9分、谷川52分。第3局は5月11、12の両日、香川県琴平町の琴参閣で行われる。

 谷川の中飛車に急戦を挑み、事前の研究を生かして、途中まで速いテンポで指し進めた森内。厳しい攻めで敵陣を攻略し、短手数で谷川を投了に追い込んだ。

 残りは森内8時間、谷川2時間49分と大差がついて迎えた2日目。森内は5三桂(35手目)と急所に打ち込み、後手陣を崩しにかかった。

 谷川の5六香(40手目)に問題があったらしく、森内はと金を作って、快調に攻め込んでいく。そして、5四歩(49手目)が後手の粘りを許さない決定打となった。

 谷川は形作りを目指すしかない状態に。森内は7二竜(65手目)から、後手玉を即詰みに討ち取った。

 森内は鮮やかな勝利で、防衛に向けて前進。谷川は第3局で態勢を立て直せるか。【中砂公治】





8/1

 名人戦問題、決着間近!

◎羽生意見を表明!
 【洞爺湖温泉】将棋名人戦の主催問題で、羽生善治王位(35)=王座、王将=は
二十八日夜、胆振管内洞爺湖町で行われた王位戦第二局の終了後、
北海道新聞に対し「私自身は毎日新聞を支持する」と述べ、
毎日新聞社主催を支持する考えを明らかにした。

 名人戦主催問題で、タイトル保持者が意思表示をしたのは初めて。

 羽生王位はさらに、「心情的なもの、将棋界の伝統や将来のことなどいろいろ考えたときに、
明解な決め手はないが、投票時期が迫ってきたので苦しい判断をした。
ただし、今回の表決で結果が出たからといって、それで終りではないと思っている」
とし、長期的な視点に立って判断すべきだ、との認識も示した。
若手棋士に影響力のある羽生王位の「毎日支持」表明は、表決に影響することも予想される。

 日本将棋連盟は八月一日に臨時総会を開き、毎日単獨主催案を表決する。

 その結果、過半数に達すれば毎日新聞社と来年から七年(現行三年)契約を継続、
達しなければ朝日新聞社への主催移管が決まる。


http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060729&j=0031&k=200607298872

◎森内も毎日支持!
第64期名人戦七番勝負(毎日新聞社主催、大和証券グループ協賛)を制した森内俊之名人(35)の就位式が31日、東京・一ツ橋の如水会館で行われた。

十七世名人の資格を持つ谷川浩司九段(44)の挑戦を4勝2敗で退け、通算4期目の獲得を果たした森内名人を、関係者やファン約200人が祝福した。

式では、毎日新聞社の北村正任社長、日本将棋連盟の米長邦雄会長、村上誠一郎衆院議員らが森内名人の健闘をたたえた。
さらに、大和証券グループの若林孝俊執行役が、名人が記念品として希望したマッサージチェアの目録を贈った。

森内名人は「永世名人まで、あと1期になったことは、自分自身が一番驚いています。全力を傾けて、来期の防衛戦に臨みたい」と謝辞を述べた。

8月1日に将棋連盟の臨時棋士総会で審議される毎日新聞社の名人戦単獨主催案については、北村社長が「将棋界最高の権威ある名人戦をもり立てる立場から、真摯(しんし)に提案させていただいた。今後ともグループ一体となって、将棋界を支援していくつもりです」と語り、理解を求めた。

米長会長は「毎日新聞社には長い間、支援していただいた。この姿勢を今後とも続けてほしい」と話した。

森内名人は謝辞の最後に「個人的な考えですが、来年以降も毎日新聞社に名人戦を続けてほしい」と語り、毎日案に賛成する意向を表明した。

毎日案に対しては、羽生善治王将(35)も25日に賛成の意向を本社に伝え、対外的にも表明している。

ニュースソース
http://www.mainichi-msn.co.jp/photo/news/20060731k0000e040082000c.html


8月1日が評決。結果はどうなるか? アサヒもマイニチも嫌いだが、この件に関しては絶対的にマイニチが正しい。棋士の良心が問われる。米長の辞任はあるか!? 人材不足だから大山鳴動してネズミすら出てこないのか!?

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名人戦問題:毎日案否決で、舞台は連盟・朝日の交渉へ

名人戦の毎日新聞単獨主催案を表決する日本将棋連盟の臨時総会の開会を待つ羽生善治王将(中央)ら=東京都渋谷区千駄ケ谷で1日午後0時56分、馬場理沙写す

 3月末から4カ月余りにわたり将棋界を揺るがせた名人戦主催問題は1日、日本将棋連盟の臨時棋士総会で毎日新聞社の提案が90対101の小差で否決された。将棋界最高峰の棋戦の行方は連盟と朝日新聞社との交渉に舞台が移った。

 臨時総会会場には新聞、テレビ各社が詰めかけ、関心の高さをうかがわせた。毎日支持を表明していた森内俊之名人は「なんとも言いようがありません。残念です」とぶぜんとした表情、羽生善治王将も「結果は結果として、受け入れるしかしようがない」と言葉少なだった。

 インターネットのブログで苦しい胸の内を将棋ファンに伝えてきた渡辺明竜王は「毎日さんには申し訳ない結果に。ファンの皆さまにもよく思わない人もいっぱいいるだろう。みんなが力を合わせていい方向にもっていければ」と語った。

 ◇「毎日の名人戦」 ご支援、感謝します…編集局・伊藤芳明

 日本将棋連盟の臨時棋士総会は1日、名人戦を単獨主催する毎日新聞社の提案を否決しました。約70年前に私たちの先輩が創設した「毎日の名人戦」に注ぐ我々の思いが、十分に理解されなかったのは残念ではありますが、将棋界で最古の伝統と最高の権威を持つ名人戦が、いっそう発展し続けることを、心から願っています。

 3月末に連盟理事会が一方的に、「来年度(第66期)以降の契約解消」を通知してきたことに端を発した今回の問題で、棋士の方たちや全国の将棋ファンの皆さまから、温かい激励が私たちに多数寄せられました。お礼を申し上げます。その一つ一つは、損得よりも信義を大切にする将棋文化が確固として存在することを、教えてくれたように思います。

 また森内俊之名人、羽生善治王将をはじめ、棋界をリードする有力棋士の皆さまが、我々の提案への支持を表明してくださったことにも、改めて感謝いたします。長年にわたって培ってきた棋士の皆さまとの信頼関係、将棋ファンの皆さまからの応援は、報道機関にとって何物にも代えがたい宝です。

 毎日新聞社は今後も、伝統文化としての将棋の興隆に貢献していきたいと思っております。

 ◇総会終了後に行われた日本将棋連盟理事会の会見の主な内容は次の通り。

 米長邦雄会長 今後は朝日と契約を前提に交渉する。しかし、票差が非常に僅差(きんさ)だったので、朝日に(毎日と)共催の意思があるのであれば、それも含めて交渉していく。

 --毎日は共催を否定したが……。

 米長会長 私どもは毎日とずっと交渉し、共催案も提案した。(毎日は)単獨案を示され、それを今日否決した。今度は交渉相手が朝日になるので、朝日にも同じ交渉過程を踏むことになると思う。

 --表決は二者択一で、毎日を否決すれば朝日では?

 米長会長 毎日の強い希望があり、毎日の申し入れ通りに毎日単獨案を投票したのであって、どちらの新聞社を選ぶか、あるいは○か×かという投票ではなかった。

 --森内名人、羽生王将が毎日支持を表明していたが、それと逆の結果をどう受け止めるか?

 米長会長 非常に難しい質問だ。社団法人なのですべての会員が同じ条件。有力棋士の発言、理事の肩書を持った人の1票というのは少し違うかもしれないが、191票はすべて対等、平等だ。

 ▽作家・大崎善生さんの話 これまでの経過で、将棋連盟側の手順の間違いなどをのみ込んでくれた毎日新聞の対応に、連盟は感謝の気持ちを持つべきだと思う。昔ならタイトルホルダーが全員反対していることが、その逆になることは考えられなかった。今後は朝日新聞社側の新たな提案が出てくると思われるが、それについても投票にかけるなど、慎重に進めるべきだと思う。

毎日新聞 2006年8月1日 19時47分 (最終更新時間 8月1日 20時34分)

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 羽生と森内という現在の将棋界の二大実力者が相次いでマイニチ支持を言明した。もうひとつの大タイトル保持者である渡辺明竜王もマイニチ支持を表明した。
 このこともあって現役棋士はマイニチ支持で固まっていた。それを逆転したのが米長が繰り出した奇策「引退棋士からの預かり票」である。35名分! 米長はそれを預けられたとして票に入れた。90対101の内実はそれである。

 真実の数はマイニチ支持者が勝っている。だがそうだったとしても大差ではない。私はその「米長会長の奇策」をもってしても、米長は負けると思っていたからたいそうショックだった。假に35票全部が反対だったとしてその数字を引くと、90対66である。私はそれでも66票もあることにおどろく。
 すなわちそれは理事の森下卓が何度も言っていたように「連盟には金がない」のであろう。私は羽生がいたために準優勝ばかりでタイトルをとれなかった森下のファンであり人柄も信じているから、彼の発言は信じられる。将棋連盟が追いつめられているのは事実なのだろう。いくつも改善策はあるにせよ。

 羽生、森内、渡辺らが主張する「棋士としての信義」が、現実に「金がない」に負けたことになる。

 それはそれで仕方のないことだとも思う。
 だがこのことによって私の中の将棋熱はだいぶ冷えた。白けたと言った方がいいのか。いわば金でどっちにでも転ぶ不見転芸者を見た気分である。碁将棋はもともとそういうものなのだけれど……。

 将棋連盟はこれによって何億かの増収になる。アサヒの増額があってもマイニチの撤退もあるからプラマイの計算は難しいようだが。
 だが目に見えないマイナスが大きい。「金で裏切る」というイメージダウンは、これからボディブローとしてじわじわと効いてくるだろう。
 一ファンとして、まことに愚かな結論と思う。


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とりあえずこうなったようだ──2006/12/27

 でもこれから必ずひと悶着あるだろうな(笑)。

名人戦等について

 第66期以降の名人戦について、日本将棋連盟は朝日新聞社と毎日新聞社の両社と、本日以下の内容で合意に達しましたのでお知らせいたします。各契約については今後速やかに作業を進め、両社と本契約をいたします。(金額はいずれも年額、5年契約)

 1、 名人戦は第66期以降、朝日新聞社と毎日新聞社の共催とし、契約金は、3億6000万円。

 2、 朝日新聞社と毎日新聞社は将棋普及協力金として、1億1200万円。

 3、 朝日オープン選手権戦は契約金8000万円の新棋戦として再出発いたします。朝日新聞社と具体的な内容を詰め、2007年度から実施いたします。

 4、 2007年から予選の始まる第57期王将戦は現行と同額の7800万円で契約をいたします。

 【日本将棋連盟会長 米長邦雄のコメント】
 名人戦の共催につきましては、本日両新聞社と基本的に合意に達しました。両社ともに伝統文化である将棋の普及にご理解をいただけたことを厚く御礼申し上げます。
  これからも将棋界に温かいご支援の程、よろしくお願いいたします。

2006年12月27日
社団法人日本将棋連盟
広報部



米長邦雄会長コメント ttp://homepage1.nifty.com/yonenaga-kunio/sakusaku/3_1.htm

勝負と疫病神
 世の中には人を不幸にする人と、人の不幸でメシを食っている人がいる。
 それが大崎善生君です。
 今回の騒動でも彼が火つけ役、持ち込み原稿、コメントの羅列。
 名人戦移行に関しての週刊誌や新聞を読むと殆んどが大崎氏のひとり芝居であることが分ります。稼ぐね。
 その結果、将棋界内部は結束が固まりつつある。
 実は彼が悪く言う毎に将棋界は勝利に近づいている。恩義云々等を述べていますが、彼は永年将棋界で生活していたのです。現在将棋連盟は赤字に転落していますが、彼が月刊誌の編集長で売り上げ減に貢献したのが一因です。
 大崎善生氏は5年以上前に日本将棋連盟を円満退社。もはや内部情勢を正確に知る由もなく、現体制や職員の意識改革がなされたことも知らないのでしょう。

 マスコミ各社に申し上げます。
 私共の説明不足による毎日新聞社への非礼はお詫びします。それを責められては甘受するよりありません。しかし、品のある有識者はいくらでも居る筈ですので、紙面にはそのような人々の声を載せるべきではと思います。
 おかげさまで、理事会がなにもしなくても棋士の同意が得られそうになってきました。感謝。
 4月21日の新聞記事の中にも彼が出ている。「棋士たちも自分たちの胸に手を当てて、今回の件についてよく考えてもらいたいと思います」
 これを読んで、棋士も職員も笑い出したものです。


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