2011
1/6  暖冬? 厳冬?

 日本海側の降雪は被害をもたらすほどのたいへんなものになっている。


山陰地方の降雪、小康状態

 記録的な大雪に見舞われた山陰地方は3日、降雪が小康状態となり、松江市で一時7地区あった孤立集落はすべて解消した。

 交通機関の乱れは続き、島根県内の漁港では、雪の重みで小型船計112隻が沈没や転覆しているのが分かった。
 倒木による道路遮断で7地区302世帯が孤立した同市美保関、島根両町の各集落は同日午後5時半までに、孤立状態が解消した。県の要請で除雪作業していた自衛隊は2日夜、撤収した。
 境海上保安部は3日、松江市や安来市などの漁港で、小型船112隻が沈没や転覆しているのを確認した。鳥取県によると、同県内分の被害は計264隻になった。
 島根県によると3日午後4時現在、県内6路線7カ所が全面通行止め。松江市内を走る路線バスは一部を除き終日運休。高速バスは出雲―岡山、出雲―京都間が計6便運休した。
 JR西日本米子支社によると、運転を見合わせていた山陰線が3日朝から再開。除雪作業は続き、伯備線と境線も合わせ計53本が運休や部分運休、計59本が最大約4時間半遅れた。約7600人に影響した。
 中国電力によると、3日午後10時現在で松江市内約670戸の停電が続いている。


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 孤立した集落のお年寄りが、今まで生きてきてこんなことは初めてだと語っていた。
 港の漁船が雪の重みでことごとく沈んでしまった事件には胸が痛んだ。予想外の出来事だったのだろう。
 寒さ厳しい冬なのか!?

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 しかしこと東京に限って言うと、穏やかな暖冬だと思うのだがどうだろう。
 私はまだ暖房さえ入れてない。年末の数日、こたつの火を入れたが、それは入れてみたくてやったのであり、その必要はなかった。
 といって着脹れて防御しているのでもない。ふつうに生活していて寒くないのだ。

 これは私の部屋が暖かいからなのか。たしかに真夏には扇風機が効かなくなるほど暑くなる部屋である分、冬場は暖かい。南西の陽が差す午後は今でも20度になる。ハイビスカスもシクラメンも活き活きとしている。ハイビスカスは寒さに弱い南洋の花だし、シクラメンは今のものだから並べて書くのはバカだけれど。

 それは強烈に陽が差す特別な時間としても、いま深夜の3時だが16度あるのだから、やはり暖冬だろう。16度は晩秋の温度だ。

 去年の4月は桜が咲いて散った後に雪が降る異常気象だった。この部屋で震えていた。私の部屋がビルの日蔭になるようなのと比べたら格段に暖かいのは確かだが、今年の今が暖冬であるのは地域的には真実だろう。

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 先程「きっこの日記」のきっこさんの文を読んでいたら、電気毛布を最強にしてくるまっても寒くていられず、お湯割り焼酎でなんとか暖を取り、それでやっと眠れるのだと書いていた。きっこさんも冷煖房極力節約路線なので興味深い。世田ケ谷はそんなに寒いのか。東京都下のこの辺は都心よりも数度冷えると言われているのだがぜんぜん寒くない。

 この種のことは個人差がある。さらには体調だ。きっこさんは体調が悪いと書いている。細い女性らしいから冷え性でもあるのだろう。
 去年の4月に震えていた私は体調が悪く、今は体調が良くて寒さを感じない、わけでもない。あいかわらずひどい状態だし。どう考えても暖冬という結論になってしまう。

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 真冬のキリっとした空気の中でパソコンに向うのが好きだ。深夜はキイボードを打つ指が悴むほど冷える。それは覚悟の上で、それすらもやる気に繋がる。夏場はうんざりしたパソコンの熱を、ほんわか暖かくていとしく感じるのも毎年冬場の特徴だ。

 それでも足もとの冷えはいかんともしがたく、これが辛い。
 段ボール箱に座布団を敷き、その上に湯たんぽを置いて足を載せたり、電気行火を買ってきてみたり、いろいろ工夫していた。

 今年は早々と小型のヒーターを買い寒さ対策をしていた。机のしたにすっぽり収まる小型ヒーターだ。ファンヒーターにするか悩んだが、あえて昔風のタイプにした。

 机のしたにそれを置き、暖気が逃げないように台所用のアルミマットで周囲を囲う。こたつのような空間を作った。
 ついでに今まで買ったことのない、足全体を包むようなもこもこの大きなスリッパも購入し、冬場の深夜作業に備えていた。

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 せっかく買ったのに暖冬だ。
 年が明けても使う機会がない。
 今日、寒くもないのにスイッチを入れてみた。
 熱すぎてすぐに切った。
 安物を買ったので非力で困るかと覚悟していたが強力すぎるほどだった。
 これはこの後、厳冬になっても力としては充分だろう。心強い。

 寒くない方が助かる。
 いま晩秋ほどの涼しさ?であることは最高の環境だ。
 最高の時期である晩秋に腰痛で机に向えなかった。それがもういちど味わえるのだからこれほどありがたいことはない。
 なのにせっかく買ったのだから足もとヒーターを使いたいと思ったりする贅沢。

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 ここ数年の猛暑に、今までこんなに暑さで苦しんだことはないと書いた。
 思えばむかしは寒かった。
 こども時代はもちろん、学生時代を思い出すと、暑さに苦しんだ記憶はないが、冬場の寒さはすぐに思い出す。
 それこそきっこさんのように、こたつを最強にしても寒くて堪らず震えていた。

 親しかった隣室の友人は電気ストーブだった。これまた最強にして手を翳していても寒くて堪らなかった。部屋の中でコートを着るほどに。

 今年買った机の下に置くヒーターは石英菅タイプだったので、この友人との昭和の時代を思い出した。

 さてこれから寒くなるのか。
 なったらなったで、寒くなかった今をなつかしむのだろう。
 そして春が来る。
 日本人のアイデンティティにいかにこの豊かな四季が関係しているか、しみじみわかる齢になった。

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 どうでもいい【附記】──寒い台所

 私の部屋は、台所、洋間、畳部屋の三部構成(?)。
 日中20度にもなるのは畳部屋。ここはいつも暖かい。
 デスクトップのあるのが洋間。今この文章はそこで書いている。16度から18度あり、晩秋のきりっとした涼しさのよう、と。

 仕切戸を開けて台所に行く。ひやっとした空気。寒い。冷たい。温度計を見る。10度。じつに洋間と8度もちがう。ついでに確かめると和室は15度。ひとのいるところが体温とパソコン熱でいちばん暖かいようだ。

 台所は北向であり、換気扇や通気孔から寒風が入ってくる。この10度が今時分の適温(?)か。
 前記した学生時代の「こたつにもぐって震えていた」時の室温はこれぐらいだったような気がする。

 台所で、「もしもこれが居間だったら」と考えてみる。これだと学生時代と同じく、こたつを強にしても指が悴むか。
 
 狭い三室でもずいぶんとちがうようだ。

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 暖かい部屋

「きっこの日記」のきっこさんのツイッターを読んだら、「午前11時になるのに部屋の中は寒くて息が白い」と書いてあったのでたまげた。私は今の部屋でそれを経験したことがない。
 となると今年が暖冬か厳冬か以前に、私ときっこさんでは部屋の温度がぜんぜんちがうのだろう。それだけのことのようだ。

 私の部屋は午前11時といったらもう陽光燦々で温室のよう。眩しすぎるのでレースのカーテンを閉めてさえぎるほどだ。室温は20度になって春のよう。窓際のハイビスカスもパキラも春だと思っていることだろう。シクラメンには暑すぎるか。息が白いってのは室温何度なのだろう。むかしむかし学生時代のアパートで一度経験した憶えがある。強にしたこたつでもまだ寒く、手を入れて震えていた。

 いま「きっこの日記」の最新を読んでいたら、テレビの「釣りバカ日誌」を見る午後9時に息が白く室温は5度とあった。
 私の部屋はいまこれを書いている明け方5時の最も冷えこむ時間でも12度はある。もちろん暖房なし。必要がない。パソコン机の下に電気ヒーターを入れていつでもオン出来るように用意しているのだが。
 これは洋間。畳部屋はもっと暖かい。こたつに火を入れると15度ぐらいだ。そういうことが好きなのであちこちに温度計が置いてある。

 ということから、寒い部屋で、それでも暖房を入れないきっこさんは本当にがんばっていて、私の場合は、単に部屋が暖かいから暖房を入れなくてもいいだけのようだ。本人としてはきっこさんに負けないぐらい寒い中でも暖房なしでがんばっているつもりだったが……。
 いやおととし去年あたりは、そんな日もあった。今年もこれからあるかもしれない。でも今のはほんとにただ暖かいからいれないだけだ。

 ただし、とここには力が入るが、冷房なしで夏を過ごすことに関しては、きっこさんよりも私の方が辛さに耐えていると言いきれる。

 御徒町のH子さんの住まいが、とんでもなく冷えこむ家だった。まさにシンシンという感じで冷えこんでくる。冬場は大型のガスファンヒーターを点けっぱなしでガス代がたいへんだと言っていた。その分、夏は涼しいらしい。

 私の部屋は、夏暑く、冬は暖かい、と、そういうことのようだ。
 究極の選択として、どっちがいいかとなったら、そりゃ今のままでいい。貧乏人には暑さよりも寒さの方が厳しい。今年の酷暑では暑さで死ぬお年寄りも出たが、寒さに暖房なしの方がずっと苦しい。
1/15  にほひ話三題

その①──図書館の加齢臭

 去年の11月末のこと。
 図書館に行き、新聞雑誌閲覧コーナーにすわる。寒い日だった。自転車で走ると指が凍えた。もう暖房が入っていたのか、図書館の中は、寒風の中を汗を掻くぐらい走ってきた身には、むっとする暑さだった。

 パソコン雑誌を読み始めてすぐに気づく。臭い。なんとも言えない生臭い臭気。気分が悪くなる。
 先日テレビでシンスケが「なんか生臭いにおいがして、だれやと思って振り返ると、自分の首筋や耳の辺りから出てる加齢臭や」と言っていた。これがそうなのか。これが私の加齢臭なのか。なんともいやな臭いである。うっすらと汗を掻いている。ここから出ているのか。

 私は胸元のシャツを開け、覗きこむようにしてくんくんと嗅いだ。毎日風呂に入っているし、父譲りで体臭はないほうだ。父は中年時も老年時もまったくそれがなかった。
 でも臭い。そういう齢になったのか。腋の下を嗅いでみたり、しばらくあちこちをくんくんやっていた。誰も注目していなかったが、もしも見ていたら、そうとうにおかしい光景だったろう。おっさんがくんくんと自分の躰の臭いを嗅いでいるのだ。

 私の躰からは臭っていないと思う。でも臭い。ならどこから来ているのだ。
 午後9時過ぎのスーパーで、半額になった刺身を買ってきて肴にすることが多い。傷みの早いアジとかサンマとかは、こんな生臭い、なんともいえないイヤな臭気を発する。喰えたものではない。悔いて、捨てた。いまでもその閉店間際の半額刺身には世話になっているのだが、それらの類が入っているものは買わなくなった。カツヲも臭い魚なので生姜醤油で臭いを消すのだが、この半額になったのは生姜でも大蒜でも消せないほどきつい。いきおい他のものを買う。ところがまたうまくできたもので、そういう臭くならない魚は、なかなか半額にならないのだった(笑)。敵も然る者。
 それに似た、生臭い、なんとも言えない臭気だ。

 キョロキョロと周りを見わたしたら、3メートルほど離れている席にいるひとが、一見ではわからないが、よく見るとホームレスだと確認できた。全財産を入れた定番の紙袋もしっかり足もとにある。まちがいない。そこから臭っているのだ。なんとも言えない、生臭さが。
 傷んだ刺身のようなと表したが、これは「垢染みた臭い」というヤツなのだろう。ずっと風呂に入らない不潔な躰から発する臭気だ。

 そこは雑誌閲覧コーナーの二階だった。三階に行き、小説を読みだす。だいじょうぶ、臭くない。やはり先程のは私ではなかったのだ。
 しかしあれは、なんともいえないいやな臭気だった。

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その②──本屋にて

 昨年12月。午後。いつも行く大きな本屋。コンプレックスビルの三階。
 スポーツ雑誌のコーナー。私は格闘技雑誌を立ち読みしていた。すると、先日図書館で経験したのと同じ生臭いにおいがした。今度は自分を疑う前に周囲を見る。隣に白いコートを着た長髪の渋めの中年がいるだけだ。臭い。生臭い。台所の生ごみのような、なんとも言えないイヤな臭い。おれの加齢臭なのか? またくんくんとしてしまった。

 私でなければ隣の男だ。それとなく観察する。
 気づいた。指が垢染みて真っ黒だった。やはりホームレスだったのである。すぐに離れた。においは消えた。原因は彼だ。
 白いロングコートを着ていて、長髪に薄く髭を生やした容姿から、「渋い中年」と思ってしまったが、長髪も髭もたんに不精なだけで、よく見ると彼は、明らかな浮浪者だった。

 しかしわからない。このコンプレックスビルはウォシュレットだし、トイレには洗剤も空気乾燥機もある。なんであんな爪の中まで真っ黒な手をしているのだろう。ここに出入りしているならそこで洗えばいいのに。
 ホームレスをしていたらそんなことは気にならなくなるのか。そんなことを気にしていたらホームレスは出来ないかの。あるいは、そういう形の「清潔」を意識したら惨めになるからこだわらないようにしているのか。でも手は洗わなくて真っ黒でも、スポーツ雑誌を読む好奇心はある。

 このとき私が思ったのは、あんな汚い手で読まれる本がかわいそう、だった。

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その③──電車の中で

 出歩かないからたまに乗る電車は楽しみのひとつだ。
 空いている電車に乗って読書をしたり、窓外の景色を見たりするのは愉しい。
 iPodは常に「音消し」として持参しているがめったに使わない。そういう空いているときは、電車の走行音や車掌のアナウンスがいちばんのBGMになる。

 始発駅。すぐに出る混雑した電車よりは、一、二本待ってもすわれる電車に乗る。40分ほどの時間を、すわって本を読んだりして愉しく過ごしたい。そのときはiPodの落語を聞こうかと思っていた。
 午後の空いている時間だったが、15分に1本なので、間もなく出る電車はもう一杯だった。空席はない。かといって満員というほどでもなく立っている客が散見する程度。迷うことなく次ぎに出る電車にする。もう待機している。イヤに目に遭うことがないよう、慎重に選んで端の車両のさらに端の席にすわった。

 やがて次第に混んでくる。席が埋まって行く。一番端っこにすわっていた私の隣には、発車一、二分前に誰かがすわった。

 臭い。隣を見る。太い太腿を剥きだしにしたミニ制服の女子校生がケータイを見ていた。臭い。
 甘ったるい臭いだ。気持ち悪くなる。桃の臭いがするからピーチ系とでも言うのか。色気づいた鼻の利かないバカ女が必要以上にふりかけてきたのだろう、臭くてたまらない。
 降りようか。出発1分前。まだ間に合う。だけどまた15分待つのか。迷う内にドアが閉まる。

 臭い。たまらない。立てばいい。車両を換わればいい。いつもそうしてきた。
 だがもうこの車両にも他の車両にも空席はない。15分も待って確保した席なのだ。よりによってこんな臭いのが隣に来るとは、なんてついてないのだろう。

 強すぎる香水は暴力だ。キャビンアテンダントは原則無臭だが、オーストラリアの飛行機に乗ったとき、おばさんスチュワーデスが臭くて参ったことがある。ビジネス席だったので座席もすくなく、サービスのためにこまめに近寄ってくる。
 飛行機は席を替われない。だが電車は替われる。ここから脱出すべきなのか。

 私は、周囲から見たら極めて異常だったろうが、臆することなく鼻を摘んで耐えた。口だけで息をする。左手で鼻を摘み、右手だけで文庫本を読む。ページをめくるときは左手を離さねばならない。そのときは息を止めた。

 迷った末、立った。三両ほど先の車両に移った。
 空席はなく、立ったまま本を読むことになったが、そのほうがずっとよかった。あの臭気の中にいるなら、腰を痛めているけれど、立っている方がまだましだった。

 あの女子校生は鼻が悪いのだろう。気の毒なことだ。いや、害毒を撒き散らすのだから気の毒なんて言っていられない。親しい友だちが、あんたのオーデコロンきつすぎるよと注意してやることを願う。

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 近視に老眼と目が悪い分、鼻が利く。そのことによる利は数多い。
 二十数年前、タバコをやめてしばらくしたら、空気や水のにおいまでちがうので驚いた。
 タバコをやめると食べ物がおいしくなり太ると言う。それがあらたな悩みになるひともいる。私にはそれはなかった。煙草を止めたことでいちばん新鮮だったのは、味覚嗅覚がとんでもなく鋭敏になったことだった。それはもうニコチンタールでボロボロになった味蕾と正常時を比べれは一目瞭然だ。タバコ中毒者が味について語るのは笑止だ。

 しかし今回のような目に遭うと、鼻が利きすぎるのも問題だと思ってしまう。
 図書館のホームレスも、いくつも並べられた6人掛の大机で、みななんということもなく新聞雑誌を読んでいた。垢染みた生臭い臭いに耐えられなかったのは私だけだった。
 電車の中のオーデコロンも、私からするととんでもない臭さだったが、向こう隣のひとも、目前に立っている人も気にしなかったのなら、私の鼻が利きすぎることになる。そうなのか!? 私にはとてもとても我慢できるレベルではなかったのだが。

 思えば、トイレの消臭材、シャンプー、ヘアトニック、みな無香料を使うようになっていた。私の生活の人口香料と言えば、沈香の薫りの線香ぐらいだ。これも線香好きというより、台所の生ごみの臭いを消すために使っているようなものだが。いや生ごみもこまめに捨て、ゴミ袋を密封しているからほとんど臭わないけど。
 生活の中から人口臭を消したから、ますます敏感になっているのだろう。

 たとえば、私が強烈な臭いの整髪料を点けていたとしたら、あの女子校生のオーデコロンも気にならなかったのだろうか。そういう形で自分の鼻をバカにする手はある。やりたくないけど。

 といって、その種の物に否定的なわけではない。コンビニですれちがういかにもヤンキーといういでたちのアンチャンから、ほわっとオーデコロンが匂い、おっ、いいにおいだなと思うことも数多い。アンチャンたちのほうがおしゃれなのだ。やはりあの女子校生が点け過ぎなのである。それは鼻が利かないからだろう。

 ますます出無精になる。
7/18  なでしこジャパン世界一!──うるさすぎる青島アナ

+杉本清、古館伊知郎の功罪



サッカー好きではないが同朋が世界一になる瞬間を見ようとテレビを点けた。早朝型の生活なので中継時間にもう起きていたこともある。この辺、これを見るために目をショボショボさせつつ夜更かししていたひととは逆になる。結果的にいいものを見ることが出来てうれしい。元気のない日本に活力をあたえてくれるだろう。



点けてすぐに「やたら叫きたてるうるさいアナウンサーだな」と感じた。
「でもサッカーのアナってのはうるさくて有名だもんな。ひたすら連呼して話題になったバカアナもいたっけ」と思う。あのバカアナは吐き気がするほどこちらを不愉快にさせたのに、後にもそれを自慢気に語っていた。気づいていない。感覚の差はどうしようもない。
そしてまた、「こいつの声、どこかで聞いたな」と思い、青島だと気づいた。中継はフジテレビか。

青島は競馬実況もやる。私は青島の自己陶酔叫き実況が大嫌いなので、青島が実況をするときは音を消して見る。音声はラジオNIKKEI(むかしの短波放送)のを聞く。こちらは正統派だ。
レースの実況に撤した正統派の実況は心地良い。一方、レースを実況することよりも、実況している自分を目立たせようとしているかのような実況もどきは醜い。青島はその代表だ。
そのルーツには関西テレビの杉本清さんがいる。



私はむかし杉本清アナが好きだった。競馬実況に革命をもたらしたひとである。いまも当時の名フレーズを思い出すだけで胸が熱くなる。
しかし杉本さんの功罪の功に酔いつつも、そのころから罪の部分も感じていた。

たとえばテンポイントで言うなら。
「見てくれ、この脚、これが関西期待のテンポイントだ!」の阪神3歳ステークス。関東対関西の対決図式、異常に関西贔屓の杉本アナの関東への敵意がもう見えている。これはまあこちらも関西を敵視していた時代だから、それなりに愉しかったし、杉本的なものが溢れている今ならふつうのことだが、当時は実況アナがこんな「これが関西期待の」などと口にすることはまずなかった。

菊花賞前哨戦として選んだ京都大賞典3着での、「テンポイント、今日はこれでいい!」
これはなんとしてもテンポイントに菊花賞を勝って欲しい杉本さんが、骨折したダービー明け初戦であり、初の古馬との対決だったから、3着という敗戦を「これでいい!」と評したわけである。実況アナが評論家気どりで1頭の馬の着順に感想を述べているのだから逸脱した行為だ。枠連しかない時代だから、単勝や軸馬にしていた競馬ファンからしたら3着なのに「これでいい」とアナに言われたらたまらない。

本番菊花賞ではテンポイントが先頭に立つと、「それゆけテンポイント、鞭などいらぬ!」と、私情丸だしで1頭の馬を応援した。杉本さんにはこの種のパターンは数多い。それが許された時代であったわけだが、当時こんなことをしていたのは杉本さんだけだった。

杉本さんはある意味、実況アナとしては缺陥も多かったが、あふれんぱかりの競馬愛で数多くの競馬ファンから熱狂的な支持を受ける。私もそのひとりだった。初めてお会いしたときはあがってしまった。私がめんとむかってあがってしまったのは長年のファンだったドリー・ファンク・Jrと杉本さんぐらいだ。
杉本さんの功罪は、杉本さんを聞いて育った後輩アナによって、やがて罪の方が大きく花開く。



杉本チルドレンアナの世代になるともう、この「私情」や、「目立ちたがり根性」「前々から用意した名台詞」の連続である。これが典型的な杉本さんの罪になる。
自分達の胸を熱くした杉本さんの名台詞のようなことを自分も実況で叫びたい。後々まで競馬ファンに語りつがれる決めフレーズを言いたい。しかしそういう意図を持ったものは、まず例外なくすべる。それを連発して失笑されている競馬アナが青島になる。だが当然のごとく本人はそれに酔っていて気づかない。
そもそも杉本さんの名フレーズも、ほとんどがケガの功名のようなもので、計算尽くで成功したものはない。

私が好きな杉本さんのフレーズでは、「おそれいった」がある。これなどもうごく単純で、杉本さんが自分の好きな関西馬で勝負(馬券を買った)したら、その馬を大嫌いな関東馬があっさりと負かしてしまった、というような場合。実況の杉本さんは口惜しさを抑えたくぐもった声で、「おそれいった……。おそれいりました」とつぶやく。かといってめったに出ない。タケホープやテスコガビーのような超大物の場合に限られる。関東馬のファンである私はこれを聞くと、どんなもんだと気分が良かった。それは杉本さんの関東馬に対する最大の敬意だったから。

あるいは前記のテンポイントの菊花賞。「それゆけテンポイント、鞭などいらぬ!」とアナにはあるまじき実況をしていたら、その内からするすると安田富男のグリーングラスが伸びてきた。グリーングラス1着、テンポイント2着。杉本さん、一瞬にして天国から地獄である。これがトラウマとなり、その後グリーングラスの出ているレースでは、グリーングラスが映るたびに「こわいこわい、グリーングラスはここにいます」とグリーングラス恐怖症。「こわい」の連発。これなんかも私には名台詞だった。



杉本さんと同じ形で今のアナに影響を与えたのがプロレス実況の古館伊知郎だ。
古館は猪木の懐に食いこみ、プロレスのアングル(仕掛け)の部分にまで深く関わった。そこから逆に実況を作りあげる。それまでのプロレス実況アナが、おおまかな筋しか知らされていなかった(例・今日メイン前にハンセンが乱入します)のに対し、古館は、その「筋」を考える部分にまで関わった。レスラーの乱入や造反のタイミングや「セリフ」にまで関わったのだから古館の実況が充実しファンの支持を集めたのは当然だった。番組開始からしてもう「会場外には雨雲が広がっていますが、ここ××体育館も、なぜかとてつもない事件が起きるかのような不穏な空気に包まれています」なんてやるわけだ。盛りあがるに決まっている。最初から番組自体を仕切っている。

競馬実況で言うなら走る前から全着順を知っているようなものである。ゲートが開くと同時に落馬する馬、途中で骨折してリタイアする悲劇の馬、どうしようもないほど後方をとことこと走っているが直線で全馬をゴボー抜きして一気に先頭に立って劇的に勝つ馬、それらすべてを知っていての実況なのだから充実するに決まっている。
そういう実況をすることによって、古館もまたレスラーとなり人気者となった。古館もリングに上がっていたのである。

この古館の悪影響で、古館的美辞麗句獨自言語を実況に使いたいと志すアナが増えた。フジの『PRIDE』担当アナなどがそれに当たる。前記青島もそのひとりだ。しかしこちらはプロレス的筋書はないのだから古館的なことをやろうとしてもすべるに決まっている。

古館はそういう意味ではずば抜けた才人だった。それは彼の「トーキングブルース」を見るとよくわかる。じつにすばらしい。まさにことばの職人である。天才としかいいようがない。あれだけ自由奔放に日本語を操れるひと(しかも朝鮮人なのにだ)が、いま最もことばの不自由な番組で自分を殺しているのだから滑稽である。いや、しみじみもったいない。そんなに報ステキャスターという看板が欲しかったのだろうか。理解できない。いやそれが在日朝鮮人の上昇志向なのだろう。
たしかに社会的地位?は得たのかも知れない。年収も2億から6億へと三倍増だ。だがあれほどの才能をすべて封印し、つまらない意味不明なことをしゃべっている。むしろ報ステのキャスターは訥弁の方がよい。古館のようにマシンガンのように言葉が溢れるひとが、「舌禍にならないように、ならないように」としゃべると、「いっぱいコトバはしゃべったけど、よく考えるとまったく中身がない」になる。これはいま、多くの古館批判で一貫して言われていることだ。さっさとあんなものは辞めて元のことば藝人にもどって欲しい。



青島アナが好きなひとは、なでしこジャパン世界一を心から楽しめたことだろう。でも中には私のように、「実況は……青島か……」というひともいたはずだ。

大相撲もアナと解説によってがらりと変る。でもこちらはそれがイヤだったら、それのないのをインターネットのgooで見ることが出来る。

サッカーも、会場の歓声はそのままで、アナなし解説なしで見ることは出来るのだろうか。ともあれ、青島はごめんだ。





あ、最も大事なことを言いわすれた。
なでしこジャパン、おめでとう!
前半戦、アメリカのシュートの嵐。受けて受けて、冷や冷やした。リードされて、でも追いついて延長戦。
延長戦でリードされたときは覚悟を決めた。あそこからの同点は涙もの。
そしてPK合戦での勝利とドラマチックな世界一だった。
美しいなあ、日の丸は!

このあと、国民栄誉賞なんてくだらないものを餌にちかよってくる気持ち悪いおじさんがいるから気をつけてね。そのガラガラ声のおじさん、特別機を用意してドイツまで応援に行って、自分の人気回復に利用しようとしたんだけど、大金が掛かるし、あんたはそんなことをしてる場合じゃないだろって周囲にとめられたんだって。
7/31
 茂木健一郎嫌いの自分に満足(笑)

 長年すっきりしなかった。茂木健一郎というひとに関して。多方面で大活躍している。東大卒の脳科学者なのだとか。きっと魅力のあるひとなのだろう。理解しようと私なりに努力した。

 理由は、羽生の本に関わったりしていたからだ。将棋ファンとしては看過できない。読んで見た。ずいぶんと前から何冊も出ている。写真は最新作。

 米長のころから「棋士と脳」のテーマは取りあげられており、棋士が本気で考慮を始めると脳が充血して行く映像が公開されていた。それは右脳だった。頭脳が売り物の棋士としても自分達の特殊な能力を世間にアピールする機会だからこの種の実験には積極的に協力した。もう故人となってしまったが真鍋八段の脳映像も公開されていた。

 米長は「兄貴達は頭が悪いから東大に行った」という味のある名言(迷言)で耳目を集めたように、この種の「頭脳」に関する話題には特に興味をもっていたひとだから、彼が将棋連盟会長になるとより積極的に関わっていった。将棋界の広告塔は最強の羽生善治だ。よって写真のような本が企劃される。ここでも御相手として茂木健一郎が登場する。読んでみる。おもしろくない。でもそれは私の方の問題かも知れない。私が、羽生と茂木先生の対談のおもしろさを理解する能力に缺けているのではないか。戸惑う。

 NHKの夜の番組、特集だとかなんかでも頻繁に名を見る。私はテレビはほとんど見ないし、特にNHKは大相撲以外は見ないから、これには関わらない。見る気にもなれない。でも彼がいかに世の中で重用されているか、大活躍しているかは刻みこまれた。



 対談類を読んだときは、そういう脳科学とかの話を理解できない私に缺陥があるのかも思っていたが、そうじゃない文章を読むようになって考えが変ってきた。はっきり「このひと、センスないな」と思えるようになった。



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 この一連のツイッターでは、韓流用語が見おろしの視点であることを語っている。呆れる。
 朝鮮人はこういう視点に対して怒るべきだ。



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 稼ぐことに関しては見境なし。民団での講演でたっぷりと稼ぐ。



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『これまでとかくすると日本のメディアは創価学会、池田大作に関して批判的な扱いをしてきたが、自分はそのような傾向に違和感を持っている』と言って、茂木自身は創価学会、池田大作に対して親近感をもっていると述べた。

『創価学会と公明党は国民から広く支持を集めている隣人だ。このような隣人に対してわれわれは“温かい関心”をいだくべきだ』、と。

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 韓流を擁護して批判が殺到すると、英語で朝鮮にSOS。



大槻義彦教授の茂木批判──創価学会との関連
http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-4843.html

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 どうしても好きになれなかったひとだが、好きになれないのは正解だったのだと確認できてうれしい。
8/9  子は親を撰べない─野田聖子の子作りに関する私見

「生んでくれと頼んだ覚えはない。かってに作ったんだろ!」
 反抗期のころ、母とのケンカで何度か口にした。母はそのたびに激昂し「生んでもらった恩を忘れて」と怒った。怒れば怒るほどこちらの「生んでくれと頼んだ覚えはない」というリクツも鞏固になった。
 ある日のケンカ、ふだんはそんな場にはいない父がいた。父は母と言いあらそう私の言い分を聞いて「こどもは親を撰べないからなあ」と、苦笑しつつ、ちょっと困ったような顔をした。

 それから私はこの言いかたをしなくなった。こどもは親を撰んで生まれることは出来ない。そういう絶対的なことがあるのだから、もうそんなくだらんリクツを振りまわすのはやめようと思った。いやその後も数限りなく母親とはケンカしたが、こんな言いかたはもうしなかった。「生んでくれと頼んだ覚えはない」は幼稚なリクツだが絶対的真実でもある。同時に「それを言っちゃあおしまいだろ」でもある。それを意識して封じたとき私の反抗期は終っていた。



 以下の話は、前々から気になっていたことだった。なんとかして妊娠したいと願っているころから知っている。金を払ってアメリカ人女の卵子を買い、事実婚の亭主の精子と体外受精させ、それを自分の子宮に着床させて産むと決めたあたりも覚えている。今年の正月、帝王切開で出産したことも知っていた。
 今回、今現在の状況をニュースで知ったとき、すぐにブログテーマにしようと思った。でも重くて哀しくて書く気になれなかった。だけどこういうことは、2ちゃんねるのスレで一過性のものとして流れ去るだけでなく、自分なりに書いておくことも必要と思い、書くことにした。

 私が生まれでた赤子の苦難の様子を知ったのは2ちゃんねるの「ニュース速報」板でだった。日附を見ると6月11日だから、もう二ヵ月経っている。このスレが立つと、いつものよう多くの意見であっと言う間に埋めつくされていった。それらのほとんどは野田聖子議員を批判するものだったように記憶している。私はテーマそのものがつらいので、ほとんど読んでいない。批判する記事を読んで同じ意見の自分もスッキリするというものでもない。いや中にはそういうものもあるが、これだけは、どんなに自分と同じく野田を批判しているひとの意見を読んでも、よけいにつらくなるだけだった。
 見ないことにしたかったけど、前々から考えていたことだから、いつか自分のブログに書こうと思っていた。



野田議員「政治家、命かけてみろ」 息子は集中治療室
2011年6月12日

 自民党の野田聖子衆院議員(比例東海ブロック)は11日、岐阜市内のホテルで政治コラムニストの後藤謙次氏を招いた講演会を開き、生後5カ月の男児がいまだ集中治療室にいることを明らかにした。野田氏は米国で卵子提供を受け、今年1月に出産していた。

 野田議員は支持者へのあいさつで、男児が大手術を5度経験し、「(手塚治虫さんの漫画)ブラックジャックのように息子は手術痕だらけになった。あの世に行きかけた息子を懸命に引き留めた」と述べた。その上で、「命をかけると政治家は簡単に言うが、かけてみろやと、一生懸命生きている息子を見て思った」と話した。

http://mytown.asahi.com/areanews/gifu/NGY201106110029.html



 そういうこどもが生まれたというだけで胸の痛むひどい話なのに、その子がいまだに集中治療室にいる状況を語り、なぜか「政治家、命かけてみろや」と都合のいい政治的発奮材料に転化している。
 このひとはなにを考えているのだろう。理解に苦しむ。「ブラックジャックのように手術痕だらけになった」って、生後五ヵ月のこどもが、そんな目に遭っているのは、すべてこの野田聖子というひとの「こどもを産みたい」というエゴから来ているのだ。赤ん坊がかわいそうで涙が出た。

 2ちゃんねるの書きこみからひとつ。
名無しさん@12周年 [] :2011/06/14(火) 10:10:21.07 ID:CeEO6KC10
自分のワガママで、生まれるはずのない子どもを産んでしまって苦しめてるのに なぜこんな言い方ができるんだろう



 野田聖子という国会議員が、40歳を過ぎてから、なんとしてもこどもを産みたいと発言するようになり話題になった。二十代三十代のときから言っていたのかは知らない。世間的に有名になったのは、2004年に『私は、産みたい』という本を出してからだろう。結婚したのが2001年だというから41歳。流産とか不妊に苦しみ、そのあとに本を出した。このときが44歳か。それによって同じく高齢で不妊に悩む女の支持を集め、高齢出産に挑む女の旗頭のようになっていった。私は、彼女のこれみよがしの姿勢を支持していない同じ立場の女もいたと信じたいが、マスコミ的に野田聖子がそういうふうに捉えられ、本人もその立場に満足して活動していたのは事実だ。涙ながらに流産の悔しさを語っているのも見た。出産に挑むヒロインになっていた。

 なんとしてもこどもを欲しいという気持ちはわかるが、そのことにのみ執着した鬼気迫る言行には他人事ながらうんざりした。亭主は同じ国会議員の鶴保という7歳年下の男である。いま確認したら「事実婚」であり未入籍だったようだ。夫婦別姓の支持者のようだから入籍はしないのだろう。

 この鶴保というのが語っていた。野田は基礎体温を計ったり、常に妊娠しやすい状況を模索していて、そういう状況(妊娠しやすい日の妊娠しやすい時間)になると、どこにいようと急遽呼びよせられ、それをさせられるのだと。性行為ではあるが、あいしあう男女の行為ではなく、ただこどもを作るためだけの行為である。種つけだ。たび重なるその強要に鶴保は「おれはおまえの種馬じゃねえよ」と嘆いたことが週刊誌ネタになっていた。いつなんどきでも7歳年上の四十女に呼びだされ、性行為を強要されるのだ。こうなると拷問である。よく勃ったものだ。その後、事実婚を解消するが、おそらくそれは勃たなくなり、種馬として解約されたのだろう。いや、種馬としてのみ扱われることから逃げだしたのか。



 それから野田はまた別の年下の男と「事実婚」を始める。しかし妊娠は出来ない。それでやったのが、その事実婚の男の精子を、金で探しだしたアメリカ女の卵子と人工授精させ、それを自分の子宮で育てるということだった。自分の血は入っていない。「事実婚」の相手と見知らぬアメリカ人女とのあいだに出来た自分とは無縁の子を、自分の腹で育てるという行為だ。こうなると「出産体験願望」である。

 こういう野田の提案に乗る「事実婚」の男ってのもなにを考えているのだろう。生まれてくる子は実の母親を知らないという闇を最初から抱えることになる。それは野田とこの男が作りだし、生まれてくる子に課す宿痾だ。ここにおいて子は、野田と、それに協力するこの男の、おとなふたりの自己満足の犠牲となっている。

 母親となるアメリカ女とこの男は、子作りに繋がる性行為などすることもなく、いやそれどころか一度も見たことのない、これからも会うことのない(これは規約で決められている)関係だ。そういう形で子を作る。この男はなにを考えているのだろう。私には、野田はもちろんだが、この男も理解できない。男として、そういう我が子を作ることに疑念を感じないのだろうか。

 なんとしても「子を産むという体験」をしたいという、そのためにならなんでもするという野田も狂っているが、その申し出を受けいれたこの男もまともとは思えない。この男は正常な形で子を作ることが出来る。なのに野田の欲求を叶えるため、この形にしたがう。それは野田との愛に殉じるとも言えそうだが、そのために利用され、生まれてくる子という命のことを考えていない。鬼畜である。

 世の中には、生まれたばかりのころに親を失ったり、親に捨てられたりして、養子になって生きる子がいる。それを育てる養父母がいる。これは親と子という関係が切れてしまった闇を光に変える価値ある所為だ。

 野田のやったことは、自己満足のために最初から親との関係が切れている闇を創りだすことだ。無理矢理それを背負わされる子が気の毒でならない。この子にはノーと拒む権利がない。
 アメリカの役者は戦争で親を失った異国の子を養子として受けいれたりしている。野田もこういう形で親となる経験はいくつもの形で選択できたろう。野田は親になりたいのではなかった。子を育てたいのでもなかった。他の女と同じく「産むという体験をして母親ぶりたかった」のだ。出産という体験のない己の劣等感の穴埋めである。その執念が奇妙な状況を生みだした。



 プロレスラー高田延彦夫妻がやったのは、彼ら夫婦の精子と卵子を授精させたものを、アメリカ人女の腹で育て、出産してもらうことだった。この場合、こどもは100%彼ら夫婦の子である。腹だけを借りた。いわゆる「代理腹」だ。アメリカ女は礼金をもらって腹を貸し、産みの苦しみを味わったけれど、生まれてきた子とはDNA的には繋がっていない。

 野田がやったのはこの「代理腹」志願だった。自分の卵子ではもう受精できないので、だったら好きな男と見知らぬ女との子を体内に宿し、せめて「産みの苦しみ」だけでも味わいたいと願ったのである。
 腹が大きくなってくると、「日本とアメリカのハーフだからすごいイケメンが生まれてくる」と発言していた。
 私は、その子が物心ついたとき、どんなに苦しむだろうと思い、そのニュースを耳にするたび暗い気持ちになった。



 高田と野田のやったことは似て非なるものである。高田の妻は、正常な子を作れる能力のある高田の子を産みたかった。自分の卵子で受精までは出来る。だがそれを育み出産する健康な母体がない。それを探した。応じてくれたのは、すでにそういう経験を何度かしているアメリカ女だった。

 すごい国である。将来日本にもこういう女が現れるのであろうか。若くして子を何人も産み、離婚して、何人もの子を抱えて生活保護を受けつつパチンコをしているような女には、いいアルバイトになりそうだ。でもこういうのは飲酒も喫煙もするから、出産に関する健康な母体としては選ばれないか。

 でもここには人助けの感覚がある。アメリカ女には十月十日自分の腹で育て、へその緒を繋ぎ、産んだ子には、それなりの思いがあることだろう。でもその子は100%依頼された夫婦のものだ。将来みんなで会うことだって可能と思う。第二のおかあさんだ。

 対して野田の場合、最優先されているのは「子を生むという体験をしたい」という野田の願望である。野田には子を産む能力がない。でもなんとしても体験したい。精子はいま付き合っている男から得る。卵子がない。その提供は金で探した、見知らぬ、今後とも会うことのない、アメリカ女に頼んだ。そのことにより、「生まれてくる子は、自分の半分である母親を永久に知らない。知ることができないという闇」が生まれた。この闇は野田のエゴから生まれたものだ。そしてそれを背負うのは生まれてくる子だ。野田は「私も一緒に背負ってゆく。その覚悟で作った」と言うかもしれないが、子はそれを了承するとことなく生まれてくる。子は親を選べない。



 高田の場合は実の子である。その子が大きくなったとき、日本の法律では認められていない非常手段を用いて自分達(双子)は生を受けたということにそれなりのショックはあろう。心ないことを言う周囲もいよう。でも目の前にいるのは実の父と母だ。あちこち似たところもあるにちがいない。たぶん高田の絶壁頭なんてそっくりなのではないか。親の躾がしっかりしていれば、まだ見ぬ「産んでくれた母」に感謝の気持ちをもつことはあっても、なんとしても会いたい、そのひとこそほんとの母親だ、と慕うとか、そんなことは起きまい。そしてまた可能なら、みんなで会って記念写真を撮っても決して不思議ではない。そういう関係だ。

 野田の場合はちがう。50になって産んだ子だし、国会議員の子であるから、それこそ目に入れても痛くないほどのかわいがりかたをし、可能な限りのエリート教育を与えるだろう。
 だがその子が自分の出自を知ったときの苦悩はいかほどのものであろう。両親のルックスが日本人なのに自分は白人とのハーフの容貌である。自分には本当の母親がいる。でもそれは法的には生涯会えないことになっている。明かされない。母親の「子を産みたい」という欲求だけで無理矢理生産された自分という存在。まともなら、いわゆる反抗期に、自分の満足感を得るためだけに自分を生産した「代理母」を憎み、自分の半分である本物の母に会いたいと願うだろう。その子の懊悩を思うとこちらまで気が重くなる。

 そして最悪なことに、十分予測されたことではあったが、50女のポンコツ子宮で育てたものだから、あちこちに缺陥を持つ脆弱な子が生まれてしまった。よって生まれてすぐから手術が続き、生後5カ月でもまだ集中治療室にいて、「手術痕でブラックジャックのよう」なのだという。いまこれを書いていてもたまらない気持ちになる。この子はなぜこのようなひどい目に遭わねばならないのだ。こんなことをした野田が、まるでヒロインのように演説したり、新聞の取材を受けているのは正常な状態なのか。



 これも前々から書きたかった意見なので、ついでと言ってはなんだが書いておく。
 あの「難病を抱えた幼い子に、全国から寄附金を募って大手術をする話」である。生後半年ぐらいの子に心臓疾患が見つかり、それにはアメリカでしか出来ない手術が必要で、1億円かかる。その金をなんとかして欲しい、となり、1億円の大金でも、ひとり千円なら、のような流れから、募金運動が始まる。目標額が達成される。そしてその子はアメリカで臓器移植を受け、めでたく手術成功となるのだが、そこでまた問題が出る。後遺症のためにもういちど手術をせねばならない、それにはまた大金がかかるので、もうしわけれないけどもういちど寄附を、なんてやっている。そして何度かの大手術のあと、こどもは死んで行く。

 寄附のことはどうでもいい。問題はこどものことだ。
 私は、運命は運命と受けとめて、「死なせてやれよ」と思う。5キロ程度のちいさな体で、他人からの臓器移植なんてことまでして生きのびねばならないのか。身体中を切り刻んでも、なんとしても生きて欲しいと願うのは親のエゴだ。



 うまく書く自信がないので二ヵ月間寝せて来たテーマだが、やはりまだうまく書けない。どうにも感情的になってしまう。
 言えるのはただ、野田聖子というひとの感覚には同調できないということだ。いまも身体中に不調箇所を山のように抱え、生後7カ月の身で、手術や薬漬けの日を送っている赤子が気の毒でならない。それは野田聖子という女が、「なんとしても子を産みたい」というエゴを発揮しなければ、非合法な手段にうったえてまで実行に移さなければ、決して発生することのない悲劇だった。

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【追記】──早期にわかっていた障碍(17時記入)

8月6日に、野田聖子が読売新聞でこどもについて語っているニュースを知った。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110806-00000305-yomidr-soci

この記事の読売新聞の下部を見ると、読売はこの「野田聖子出産」をシリーズでやっているようだ。知らなかった。知っていてもこんなもの読まないけど。今回で6回目か。
いやはやおどろいた。もう早期のとき、妊娠三ヶ月ぐらいに障碍児であることはわかっていたんだ。そういう子であることがわかっていても、子のことよりも、自分の「産みの苦しみを味わうという満足感」を優先したわけだ。まあひたすら「産む体験をしたい」ということで撰んだ道だから、なにがあっても中絶なんて考えるはずもないが。



ということで思ったが、乙武君の両親はお腹の中の子が両手両足がないことを知っていたのだろうか。私は「五体不満足」を発売時に読んでいるし、お母さんが肝っ玉のすわったひとであることは知っているが、このことがどうであったか記憶にない。

生まれたばかりの乙武君を母親に見せるとき、医者はショックを受けるのではないかと戸惑ったが、母親は乙武君を一目見るなり「まあかわいい」と言って抱きしめたと彼は著書で書いている。落涙しつつ読んだ箇所だ。

だがいま冷静に考えるとこんなことはありえまい。今の科学だ。母親はもう早い時期に体内写真により医者からそれを知らされ、両手両足のない子を生むかどうかさんざん悩んだはずだ。なにしろあの男か女かの判断はチンチンがついているかどうかで判別する。早い時期にそれですらわかるのだから、両手両足のない子は、エコー写真でもとんでもない畸形だったはずだ。
むかしはそんな便利なものはない。だから畸型児が生まれたら親と産婆が相談してその場で間引いた。今はそれは殺人罪になるのでできない。その代わり初期の段階でわかるから、生むか堕胎するかの選択ができる。

不覚にも、「母親は両手両足のない乙武くんを、そのとき初めて見た。それなのにかわいいと言った。えらい」と落涙してしまったが、母と父は妊娠三ヶ月ぐらいのときにもうそれを知り、そういう障碍児を産むかどうかさんざん迷い、苦しんだ末の、決断だったろう。
初めてわが子を見るとき、母親は「どんな畸形の子であってもぜったいにおどろかない。悲鳴を上げたりはしない。かわいいと思う。かわいいと言う」と何度も自分に言い聞かせて臨んだろう。もちろん自分がお腹を痛めて産んだ子だから、両手両足がなくても、「かわいい」と思ったこともまた真実であろうが。



こういうのってリンクを貼っておいても、後々消えてたりするから要諦を書いておこう。

・障害児であることは妊娠12、3週でわかった。
・臍帯ヘルニアという臍の側に肝臓が飛び出している状態で、障害児であるとわかった。
・ほかにも、心臓障害、染色体異常とか、重い病気が起こりやすいと言われた。

・夫には「どんな障害を持っていても、幸せにするのが私たち夫婦の仕事」と言った。

・帝王切開での出産。肺呼吸ができなくて死ぬ可能性もある、と事前に言われた。

・生まれてすぐに、胃ろうの手術をしました。胃に直接栄養を送る管を入れる手術です。それから、肝臓を閉じる手術、離れていた食道と胃をつなぐ手術など、生後5か月までに5回の手術をしました。体重が増えたら、心臓の本格的な手術をする予定です。
 鼻から酸素。胃ろうでミルク・・・。いま3本の管が彼を生かしている。最悪の時は17本くらいチューブが入っていたことを思えば、すごい進歩です。生きる力は強いなと思います。

いままでにもう5回の手術、体重が増えたらこれからまた続く。最悪の時は17本のチューブ……。
なんでこの子はこんな地獄を味わわねばならないのか。「生きる力は強いなって思います」って、現代の医学で無理矢理生かされてるだけだ。口が利けたら「楽にしてくれ」と言うだろう。

野田は未だそういうヒロイズムに酔っているのかも知れないが、いや笑顔であちこちの媒体でそれをしゃべっているのだから、明らかに酔っている。冒頭の発言でもわかるように、政治利用している。そういう運命をしょわされて生まれてくる子はたまったものではない。こういう親のエゴで人生に重荷を背負わされたこの子がかわいそうだ。あらためてそう思う。

この子がどういう形で育とうとも、途中で命つきようとも、野田はしっかり政治主張に活用してゆくのだろう。「私はこどもを生んだことがあります、お母さんがたの味方です」的なスタンスで。そして、数多くの障碍をもったその子が、いかに生まれてきたときから苦しみ、多くの手術を受けてきたかと涙ながらに話せば、会場からはすすり泣きが漏れ、なんかいい方向に作用するのだろう。障碍方面は重要で確実な票田だ。不妊の味方と障碍児の味方で固定票獲得か。でも、子を作るというのはこういうことではない。

かといって、両親がパチンコに熱中しているあいだに、猛暑のクルマの中で熱中症で死ぬこども(熱中熱中になってしまったけど)と、野田のこどもとどっちがしあわせかはわからない。
毎夏、このニュースを知るたび、乳飲み子を蒸し風呂のようなクルマの中に放置して、夫婦で涼しい場所でタバコ吸いながらパチンコやってる親のもとで生きても、どのていどの人生かはわかっているから、早々に死んでよかったのかも、とすら思う。

そういや野田聖子、パチコン利権でしっかり金をもらっている政治屋だ。障碍児をほったらかして夫婦でパチンコに行ったりするなよ。ああパチンコは金をもらうためだけのものでやらないか。

夫婦別姓支持者で、今までも「事実婚」で籍を入れなかったのに、こどもができたら籍を入れた。やってることがめちゃくちゃだ。

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★私は「しょうがい」は「障碍」と正字で書きますが、引用した文中にある「障害」は直さずそのままにしました。ここのところ「害という字はよくない」と、「障がい者」とかくだらん表記が横溢していますが、それは障碍の「碍」を常用漢字から外したのが問題であり、それを撤廃し「障碍」と表記すれば解決することです。こういうことを言ってくれる議員がいないなあ。

★今の日本の法律では、高田のように他人の腹を借りて生んだ子は実子として認められない。まあそれはむかし作った法律だからそんなものだろうと思うが、おどろいたことに、野田の場合は「お腹を痛めた」から認められるのだとか。100%自分達の子なのに戸籍に入れられない高田の場合、すんなりと実子として認められる野田の場合、へんな話である。野田が産んだ子は野田とは血縁ではないのに。

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【附記】──「五体不満足」再読(10/11)

病院の図書室に「五体不満足」があった。再読した。出たばかりの時に読んだ本だ。何年ぶりだろう。
そこで上記の勘違いを知ったので訂正する。

乙武君のお母さんは、妊娠してから一切病院に行かなかったらしい。エコーなども撮っていないのだ。だから生まれてくるまで乙武君に手足がないことは知らなかった。産んでから、病院側が、母親がショックを受けるだろうと何日か会わせなかったとか。そしてやっと会えたとき、前記したように「まあ、かわいい」となった。
もしも事前に手足のない子であることがわかっていたら産むか産まないか悩んだと、母親は乙武君に語ったそうだ。著書にそう書いてある。そのことを失念していた。

すこし不思議な気がする。
妊娠したような気がして医者に行く。妊娠が確定する。それから出産まで、定期的に医者に診てもらうものではないだろうか。現代では。
乙武君のお母さんは出産するその日まで一切医者に行かなかったという。だから男女の性別まで解る時代に、お腹の中の我が子が四肢缺損であることを知らなかった。でも、そんなことがあるのだろうか。



私がこどものころ、田舎ではすごい話が山ほどあった。農作業に出て、田んぼや山で産んだなんて話がある。産んだというか、生まれてしまったのだ。その日まで働いていたのである。働き者というのか、そういう貧しい時代だった。でも母子ともに健康。山から赤ん坊を抱いて自力で歩いてもどってくる。
そういう地域と時代だから、「ほんとうは双子だったけど、畜生腹と嗤われるから片方を間引いた」なんて話も拡がってしまう。畜生腹とは、双子を産んだりすると動物のようだと蔑まれることである。むかしの田舎はそんなものだった。そう言われるのを嫌って産婆と家族が相談して生まれてすぐ片方を殺してしまう。いまなら殺人罪だ。ふつうに暮らしている男の子が「あれはほんとうは男と女の双子で女の方を間引いたんだ」と心ない連中に後々まで言われるのだから残酷な話だ。

私は小学生の時、そういうことを言う母を、人の心を傷つけるから言ってはならないと窘めたことを覚えている。一応母を弁護すれば、彼女はそういうことを軽く口にする薄っぺらな人間ではあったが悪人ではなかった。嫌いな人間を貶めようと根も葉もないことを言うのではなく、みんなが知っている事実だからと、気軽にしゃべってしまうのである。「だってほんとうのことだもの」という四十代の母に小学生の私が、「本当のことだからといって何でも口にしていいものではない」と説教した。



また脱線するが、競走馬にも双子は多い。だが本来1頭分の子宮スペースで育った双子馬はちいさくてひ弱な仔が生まれる。よってまだちいさな時点で片方を潰すのだとか。生産地で頼りにされるのはそれが巧い獣医だ。名人と呼ばれるひともいる。詳しい技術は知らないが「馬の子宮に手を突っこんで、片方だけ卵子を潰す」のだそうな。これは度胸のいる作業になる。なにしろ何百万円もの種つけ料を払って受胎した仔だ。形のいい牡馬が生まれれば何千万円にもなる。だが潰しかたをまちがって流産になったら0である。かといって双子で生んだのでは競走馬として通用しない。怖いけどやらねばならない作業だ。

そうして生まれた子は二頭分の運命をしょっているからか活躍する。私の知っている有名馬だと二冠馬サクラスターオーも間引かれた双子の片割れだ。
人間だとホームラン王の王さんは双子で生まれ、片方を1歳でなくしている。王さんの活躍も二人分だからだろう。

むかしは農作業のさなか、田んぼや山で自力で産んだと書くと、むかしの女が強かったようだが、今でも女子校生が公衆便所でこどもを産み捨て、自分はそのまま平気で暮らしていたりするのだから、女の強さは変っていない。



乙武君の話は本当なのだろうか。
私には、妊娠から出産まで一切検査を受けず、四肢缺損であることを知らなかったとは信じがたい。
といって、知っていて産んだとも思えない。ならやはり本当なのか。
それはもう、乙武さんが二児の父となっている今では、どうでもいいことだ。
推測だが、乙武夫妻は胎内をチェックしたろう。障碍児でないことを確認して出産したはずだ。野田とは逆になる。

私は、妊娠時に四肢缺損のような大きな障害が判ったら、中絶するのがよいと思っている。
この考えに変りはない。

乙武さんは「野田聖子のこども」にどんな意見を持っているのだろう。訊いてみたいものだ。

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附記──これはブログからの転載。文章が改行等、びみょうにブログっぽい。
11/11
 テレビのある生活──107日ぶりに復帰

 11月6日。日曜日。午前10時。7月24日の地デジ化以来107日ぶりにテレビのある生活にもどった。
 通販で届いた機器を設置して最初に見たのは将棋のNHK杯戦。10時半から。広瀬七段(前王位)vs永瀬四段、若手ふたりのすばらしい熱戦だった。広瀬の勝ち。復帰して最初に見た番組として記憶しておこう。番組終了の11時45分に消す。ひさしぶりのテレビがうれしくて見っぱなし、ということはなかった。

 15時から競馬中継を見る。私がテレビを見たいと思う曜日は圧倒的に日曜なので機器の到着はいいタイミングだった。それを計算しての注文だったから当然だけど。
 10時半にスイッチをいれるときはすこしドキドキした。まさかこの齢になって「三丁目の夕日」的な人生二度目の「わーい、我が家にテレビがやってきた。うれしいな」を経験するとは思わなかった(笑)。



 テレビのない間も、一日に2時間程度、電波をキャッチできなくなったテレビ機で、録りためてあったHDDレコーダの番組、それを焼いた自作DVD、映画DVD等を見ていたので、生活に映像がないわけではなかった。もともと毎日それぐらいの時間しか見なかったし、興味あるニュース(たとえば竹脇無我さんの訃報)は携帯電話のワンセグで見ることが出来たし、私にとってのテレビはそれで必要にして十分だった。テレビがなくなって不便とはまったく感じなかった。

 むしろ今までよりも便利になった面すらあった。Keyhole TVは以前からインスールしてあったのだが、テレビ番組にあまり興味がないので熱心に使っていなかった。朝のワイドショーを音を消して画面片隅に表示させておき、興味のあるニュースの時だけ音を出す程度の使いかただった。テレビが見られなくなってから真剣にKeyhole TVに接し、東京にはネットされていない「たかじん」の番組を、ネットされている地方局(たとえば東北のみやぎ放送)を見ることによって、リアルタイムで見られるのだと知った。まあ画像は汚くてひどいものだが、今まで見られなかったものを見られるようになったのだから大発見である。



 テレビのない生活に不満はなかったが、感想は同じくテレビのない生活をしているらしい<きっこさん>とはかなりちがっていた。<母さん>と一緒にいま西日本に疎開している設定の<きっこさん>はテレビのない生活をしている。らしい。
 そのことを「テレビがなくても気にならない。読書の時間が増えて、ラジオを聞くようになり、星を見上げたり、虫の声に耳を傾けたり、いいことばかり」と書いていた。

 テレビがなくなっても私は<きっこさん>のように読書時間は増えなかった。ついついテレビを見て時間を過ごしてしまう生活からはとうのむかしに卒業していたので完全にテレビと縁を切ったからといって何かに費やす時間が増えることもなかった。テレビをリアルタイムで見ることに関してはもうずいぶん前にやめていた。私は晩酌の時に録画しておいたロンドンハーツやアメトークのようないくつかの好きなバラエティ番組を見るのを楽しみにしていたが、一日にテレビやHDDレコーダに接するのはそれだけだったので、テレビを見られなくなっての変化は、そこで流れる番組が最新のものからむかしの録画番組に変っただけだった。どうせ中身は忘れているから(笑)同じようなものだ。そんなに真剣に見ているわけではない。雑誌を読んだりしつつの獨酌の賑やかしBGVだ。



 同じく<きっこさん>のように「ラジオを聞く時間が増えた」もなかった。ラジオはもう十数年前から聞かなくなっている。自分が構成作家をしていた当時のFM東京やJ-waveも聞かなかったのだから今更聞くはずもない。ラジオへの嫌悪感はあの「バイリンガル」とかいうのが出てきたころに生まれた。日本語を話していながら外来語だけ巻き舌発音になるようなバカ女起用の醜悪さに耐えられなかった。東京でニューヨークの天気予報なんてのを「おしゃれ」と思って流すセンスも不快だった。かといってむかしながらの木訥な「ラジオ深夜便」を愛聴するという感覚もなかった。おしゃべりを聞きたくなかった。おしゃべりはCDの落語だけで十分だった。

 何十年来ドライヴのときは常に音楽を流すがすべてカセットやCDだった。ラジオを聞いたことはない。ここ数年、クルマのない生活をしている。時折知人のクルマに同乗させてもらうことがある。そこでラジオを聞かねばならないのが苦痛でたまらない。MCのトークと、それに相づちをうつ女アシスタント、聴取者からのハガキ、ファクスの読み上げ、それに納得したり反論したり怒ったり、CMに笑ったり、ラジオ好きの知人は楽しそうだ。とにかくもうエンジンをかけると同時にラジオをつける。みんなこういうふうにしてラジオに接しているんだなあと思うのだが、私自身はもういらいらして、ラジオを消して自分の好きな音楽を聞きたくなる。詮ないことなので窓外の平凡な街並みに目を向け、ひたすら無関係なことを考えてごまかす。いつも持参しているiPodで音楽を聴くことはできるが、いくらなんでもそれは失礼だからやれない。



 3.11はそういう状況で遭遇した。知人のクルマに乗っていて、道路が波打っているような感覚で地震だと気づいた。すぐにラジオが速報を流した。この早さがラジオの特性だ。
 今日で8ヶ月目。あまりの揺れに知人がクルマを路肩に駐めた。そのときの感想はなんども書いたが「電線が大縄跳びの縄のように揺れていた」「おどろいて家を飛び出したひとが道路や歩道にあふれていた」ことが印象的だ。あれほど揺れる電線も初めて見たし、家の中から飛び出した大勢のひとが道路上で不安げに語り合っている光景も今まで体験したことがなかった。
 ラジオがマグニチュードを伝えている。とんでもない大地震であることはすぐにわかったが、まさか東北であれほどの津波被害が起きるとは思わなかった。怖いのは揺れによる家屋倒壊ではなく津波だった。



 テレビのない生活になって、結論としては<きっこさん>と同じように、「ぜんぜん平気ですよ。むしろ快適です」なのだが、私は彼女(笑)のように読書量も増えなかったし、ラジオを聞くようにもならなかった。星を見上げたり(笑)虫の鳴き声に耳を傾けたり(笑)もなかった。

 見たかったのは将棋(週に一度)、大相撲(2ヶ月に15日)、競馬(土日)だけだった。前記の「好きないくつかのバラエティ番組」は週遅れでネットで見られた。それで十分だった。いやCMカットで見られるからむしろ望ましい。パチンコや生理用品、トイレ洗剤のCMなど見たくない。

 将棋はいま信じがたいほどネット中継が充実している。アサヒとマイニチの主催する名人戦・順位戦がプリペイド式の有料なだけで(だから見ない。アサヒマイニチ大嫌いなのでちょうどいい)、あとは竜王戦を始め女流棋戦に至るまですべてネットでリアルタイム進行で見られる。棋戦のある日はサブディスプレイにそれを表示しながら文章を書く。指し手があるとパチンという音声で教えてくれる。そのときに棋譜を見る。次の一手を予想する。そんな楽しい習慣を得た。棋譜が掲示された画面は美麗だし、プロ棋士の解説つきだ。対局者の昼飯やおやつまで教えてくれる。至れり尽くせり。
 大型のテレビ画面で寝転がって見るのはこれとはまた別の楽しみがあるけれど、それをしたいならここ30年録りためたテレビ棋戦のビデオが山のようにある。将棋に関して不満はなかった。それほどネット中継の充実がすばらしい。



 そんな中、競馬のレースを携帯電話のちいさな画面で見るのだけが屈辱だった。屈辱という言いかたはへんだが、「そんなにまでして見たいのか!?」と、テレビと縁を切っていながら執着する自分を確認するのがつらかった。そんなことまでして見たいのか!? そんなことまでして見たいのである。やはり屈辱だ。
 競馬はレース後、数分でJRAサイトからレースビデオを見られるが、金を賭けているのだからリアルタイムで一喜一憂したい。数分とはいえ時間差はいやだ。「スティング」じゃあるまいし。それとネットの映像はちいさい。フル画面にもできるが画質が荒れて見られたものではない。リアルタイムで、全国の競馬ファンと一緒に、ふつうに競馬中継を見たかった。唯一のテレビに対する渇望である。

 これが南関東なら諦められる。南関のストリーム配信は、ちいさな画面だ。フル画面にすると見られた画質ではない。でもそれはパドックからオッズまで現場にいる臨場感がある。馬券は<SPAT4>で買い、「南関のネット観戦はそういうもの」と割り切って接せられる。
 JRAの場合は、テレビがあれば大画面で見られるのに……という未練がある。グリーンチャンネルとかあんなものまでは興味はない。メインレースだけでいい。地上波でいい。大画面で見たいのである。私が今回テレビをまた見ることにした理由の90%はこの「競馬レースをリアルタイムで大画面で見たい」だった。
 
 大相撲も同じく惨めだった。2ヶ月に15日の興業だから九月に経験しただけだが、なんともむなしかった。大男同士が闘う大相撲をちいさな携帯の画面で見るのはつまらない。今までにも出先で携帯で見て、帰宅してあらためて録画しておいたビデオを見ることはあった。そこには帰宅してから大画面で見られる楽しみがあった。いまはこれしかない。これじゃ単に勝敗の結果を知るだけだ。ネットのgoo大相撲も見ていたが、これでも不満足。あまりに長くNHKを見る癖がついている。
 実況も解説もないgoo大相撲は国技館の観戦と同じで味わい深いのだが、私は国技館に行った日も帰宅してから録画しておいたNHKを見た。国技館で生観戦したからNHKはいらない、とはならない。むしろ生観戦した日ほどテレビを見たくなる。現場にいた自分とテレビの解説を比べたくなる。「相撲中継はNHK」の習慣を断ち切りたいのだが切れずに苦しんだ。まあ何十年もの習慣だからしかたない。

 これは競馬も同じで、競馬場に行って生観戦したからテレ東、フジの競馬番組は見なくていい、とはならない。生観戦したときほど帰宅してからの録画ビデオが楽しみになる。まして馬券が当たったときなどはなおさらだ。

 競馬、相撲、将棋への「テレビを見たい」渇望割合は50-30-20ぐらいなのだろうが、とにかく切羽つまっていたのは大画面による競馬レースへの饑餓感だった。もっともそのことによって競馬熱が冷め、負け額がすくなくてすんでいるのはさいわいだったが。

 私は、競馬、大相撲、将棋を見たくてテレビのある生活に復帰した。その初日が日曜日で、将棋と競馬があったのだから楽しい。明後日から大相撲が始まる。これは「九州場所が始まる前にテレビを見られるようにしよう」と思っての復帰だから偶然ではない。



 憤懣が溜まった理由に「ちいさいのが好きではない」がある。この辺はケータイ好きの若者との決定的な違いになる。スマートフォンがすごい勢いで伸びていてシェアが半分に届くらしい。私のブログ読者も半分は携帯からの接続だ。私にはあれでネットに繋ぐ感覚はない。あの画面で文章を読む気にはなれない。私の長文をケータイから読むのはたいへんだろうなと同情する。

 いまパソコンはほとんどノートなのだろうし(すくなくともオフィスはそうだ)デスクトップ派は少数になる。世の中、ちいさい方面に向かっている。私はノートももっているけれど基本としてデスクトップ派で、自作機は今時珍しい大型のフルタワーケースだ。ディスプレイは2面使っている。1台が故障してしばらく1面だったときは、つまらなくてパソコンから遠ざかっていたほどだ。
 ただパソコンに関しては、Sony VaioのC1シリーズを愛用していたこともあるし、ちいさいのも好きだ。でもあくまでもそれはサブだ。メインはデスクトップである。

 ゲーム好きだがDSはつまらなくてやれない。私にとってゲームは大型のテレビ画面でやるものなのだ。最初からずっとやってきた「ドラクエ」もDS用の「星空の守り人」で挫折してしまった。ハードもソフトももっているのだが、あのちいさな画面でやり続けられないのだ。大好きな「ファイアーエンブレム」も同様。まったく同じ事を<きっこさん>も言っており、これまた同世代と「彼女」を思う理由のひとつになる。
 しかし世の中にはDSよりもっとちいさいiPhoneでのゲームに夢中なひとがいる。というかそれが世の中の大多数か。私にはわからない。そんなわけでゲーム機大好きだがPSPはもっていない。

 私が歩きながらでも携帯画面を見ているようなケータイ好きだったなら、テレビなどほとんど見ないのだし、競馬、相撲、将棋と、すべてケータイのワンセグで見られるのだから、テレビ復帰はなかったように思う。でもなぜか私は大型テレビが好きで、それでなければテレビでない感覚が強かった。



 今日は金曜日。テレビのある生活に復帰して5日が経過した。日曜からテレビがあるようになったのだが、しばらく他人事風に自分を観察しようとすぐには書かず5日間待ってみた。107日ぶりがうれしくてやたらテレビを見るようになるのだろうか。それはそれでいいし、そうでないなら、それもそれでいい。客観的に観察した。
 そうして、せっかく復帰したのに、ほとんどテレビに関心のない自分を確認した。まあ以前から距離を置いていたから、この際テレビと縁を切ってみようと思ったのであり、テレビが好きで好きでたまらず、テレビがないと生きていられないのに無理矢理経済的事情で見られなくなったのではない。

 と書いてタバコのことを思い出す。私は二十代のとき一日2箱を喫うチェーンスモーカーだったが32歳の時にいきなりやめた。これは今回のテレビとはまったく逆で、タバコがないと生きていられない自分を知り、縁を切らねばならないと決めたのだった。のたうちまわって苦しんだ。いかにタバコが重度の薬物中毒であるかを思い知った。

 それと比すと、テレビとはすでに8割方縁を切っていたし、苦しまないことはわかっていた。そういう意味では気楽な実験だった。
 タバコはその後も一本も吸っていないし完全縁切りをしたのだが、テレビはまたこんなふうにもどってきてしまった。これは禁煙にたとえるなら、一日に数本喫う習慣から足が洗えないようなものか。

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 107日ぶりのテレビ。日曜午前中に将棋、15時から競馬、酒を飲みながら見ていたので、夕方の『笑点』を見たかったのだが、うとうとしてしまい、気づいたら「真相報道バンキシャ」になっていた。そこで消す。その後、むかしは「行列」を見ていた時期もあったがテレビは点けなかった。

 月曜昼、NHKの国会中継を見る。これはTwitterでやっていると知り、点けたのだった。いつもネットで見ていたので新鮮味はない。それでもパソコン作業しつつテレビに映っている国会中継を横目で見ていると、またテレビのある生活にもどった実感が湧いた。ネットでもよかったのだが、せっかくだからとテレビを点けておいた。夜、「TVタックル」を見る。これも週遅れでネットで見ていたので新鮮さはなかった。相変わらず大竹に不愉快になる。中身もつまらなかった。

 火曜に「ロンドンハーツ」を見る。つまらない内容だった。以前も毎週見ていたのではない。「格つけ」とか有吉絡みのときぐらいだ。テレビのあったときでも見ないつまらないテーマなのだが、せっかくテレビを見られるようになったのだからと見てみた。やはりつまらなかった。

 水曜昼はネットの国会中継を流しながらパソコン作業をした。テレビはまったく見なかった。午後、PS2の『激指』をやったので機械としては利用している。

 木曜の夜、「アメトーク」を見る。おもしろかった。5日間で見たのはこれだけである。今後もこんなペースだろう。

 この間に何度かワイドショーを見ている。正しくは「見ようとしてみた」。テレ朝の羽鳥のもの、フジのオヅラ、昼のTBSの恵のやつ、日テレのミヤネ屋。みな10分ともたずに消した。自分の興味のないテーマ、不快なCMに耐えられない自分を知る。この傾向は前々からあったが、この107日間の効果が大きい。タバコで言うなら、107日間禁煙していたので、煙を飲み込む行為に拒否反応が出たようなものだ。無理して吸っていると、また平気になるように、ずっと見ていれば慣れるのだろう。が、107日ぶりのタバコでむせたような状態でテレビを切った。せっかく縁が切れているのに無理になつく必要もない。

 私の買った機器はUSB接続で録画用外附けHDDを繋げるタイプだ。HDDはいくつも餘っている。外附けで繋げた。これからはまたロンハーやアメトークも録画して、あとで見る形になる。リアルタイムで見た今回は復帰記念?で特別だ。録画で見る最大のメリットは見たくないCMを早送りできることだ。



 この4日間、TPP問題の流れを知りたく(もう結論は出ている。止められないと覚悟しているが)Keyhole TVでニュースやワイドショーを流していた。デュアルディスプレイの左端にちいさくKeyhole TVを点けていた。音は消している。たまにチラッと見て、興味のある話題だと音を出して見る。画質が悪く「聞く」に近いが。
 今回テレビのある生活に復帰して、いちばん感覚が変ったのはこのことになる。

 テレビのない生活のとき、ちいさな画面で画質が悪く、時には画面が乱れて音だけになるKeyhole TVを見ているのは惨めだった。ちっとも楽しくなかった。前記のように「自分からテレビと縁を切ったくせに、こんなことまでして見たいのか」という気持ちが湧いてしまうからだ。
 ところがテレビのある生活にもどり、自分はもうテレビはほとんど必要としていないとあらためて確認すると、その「ちいさな画面で画質が悪く時には音だけになってしまうKeyhole TVを流すこと」が、とても快適に思えてきたのだ。「ほどよい」と。

 私はテレビドラマを見ない。見るのはほとんどニュースやニュースショーという名のワイドショーが中心だ。その中でも殺人事件のような陰惨なものは見たくない。連日トップニュースで報道される猟奇殺人のようなものは見ない。芸能人の熱愛にもおめでたにも興味がない。むかしは「ウルルン」のようなものをよく見ていたが今は旅番組も見なくなった。行きたいところはもうほとんど行ったし、今更海外旅行への熱を掻きたてる気にもなれない。

 ちょうどいま流れているのだが、「今年の流行語大賞」なんて話題にも無関心。くだらないと思っている。嫌いだ。「紅白歌合戦出場者決定」も「今年を漢字一文字で表すと」も興味がない。さらにはサッカーにも野球にもゴルフにも興味がないから、ワイドショー90分の中で興味のあることは政治的な話題ぐらいなのである。しかもそれがないときもある。いまはTPP問題が確実にあるのでとりあえずこうして流しているが、こんな番組を真正面から見るのは大いなる時間の無駄遣いだ。ディスプレイの端っこのKeyhole TVでちょうどいい。

 いま11月11日の8:58。サブディスプレイで国会中継を流している。インターネットの「衆議院テレビ」。今日は8時25分から始まった。これはKeyhole TVとはちがって鮮明な映像。これもテレビの大型画面で見なくてもすむひとつ。

 テレビがない生活だと、Keyhole TVの見にくい画面で音を消してワイドショーを流し、興味あるテーマの時だけ音を出して見ることを惨めに感じた。「テレビがない」ことが引っかかっていたのだろう。ないのにこんなことまでして見ている、と。
 ある生活になると、いつでも見られる餘裕から、逆に見る必要がなく、Keyhole TVの便利さがほどよい。

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 私はテレビのある生活にもどった。
 以前と同じくたいして見ないけれど、その気になればどんな番組もいつでも見られるので、それはそれで餘裕に繋がっている。さして意味のある実験ではなかったが、個人的には思うことは多々あった。たとえ1ヵ月で挫折しようとも喫煙者の禁煙に意味があるのとおなじだ。別の角度からの風景が見える。
 もどった理由の最大のものは前記のように競馬中継なのだけれど、1%ぐらい<きっこさん>も関係している。

@kikko_no_blog
地デジに移行しなかったためにテレビが映らなくなって3ヶ月、これといって特に問題なし。変わったことといえば、ラジオを聴く時間が増えたこと、読書の時間が増えたこと、星を見たり虫の声に耳を傾けたりする時間が増えたこと、何だか新しい世界が広がったみたいな感じで、意外と新鮮。

(2011年10月28日のツイート)


 引用は正確に引かねばならない。でも探すのが面倒だなと思っていたら2ちゃんねるで見つけたので「きっこスレ」からコピーさせてもらった。<きっこさん>はテレビをやめてから、1ヶ月目、2ヶ月目にも同じようなことを書いている。主張は同じで「不満はない。むしろ快適」だ。何度も同じ事を書くものだから「あまりにもしつこいと負け惜しみに聞こえる法則」と嗤われていた。

 私もそう思う。テレビ好きは自慢にならないが、同じく見ないことも声を大にして言うほどのことではない。まして「読書の時間が増えた、星を見たり虫の声に耳を傾けたり」はたまらない。赤面する。私にそんな感覚はないが、それでもなんだか我が事のように恥ずかしくてたまらなくなり、急速にテレビのある生活にもどりたくなったのだった。

「虫の声に耳を傾ける」も実際は《今夜も外でコオロギたちが「リーリーリーリーリーリーリーリー」って大合唱 してるから、どうしても1塁ベースからリードしすぎて牽制球に刺されそうになっちゃうよ(笑)》というお気に入りのオヤジギャグを何度も書きこんで失笑されているのが現状だ。

 しかもそれは「疎開」とは関係なく世田谷区にお住まいの2006年にもまったく同じ事を書いているから(笑)よほど気に入っているのだろう。世田谷でも西日本の山奥でも<きっこさん>の周囲ではいつもコオロギがないているらしい。当然、便所コオロギだろうね(笑)。

 <きっこさん>が大好きだと公言する馬は嫌いになるし、あの類い希なひとでなしの影響はなかなかにおおきい。歪んだ日本が産みだした怪物である。
 テレビのある生活にもどり、<きっこさん>との共通点はナンミョー嫌いだけになった。これはまだ続く。

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【附記】──とんでもない僥倖──aviもISOも見られる!

 いやあうれしいなあ。こんなことがあるとは思いもしなかった。
 地デジチューナーに外附けHDDを繋ぎ初期化しようとした。パソコンでデータ用として使っていて、だいぶへたってきた(健康度が下がっている)ので第一線から引退させた映像ファイルの入っている古いHDDだ。
 解説書には「テレビ用に初期化したHDDはパソコンとの併用は出来ません」とある。当然と思う。規格が違う。よって初期化するに当たり、そのHDDだけに入っている獨自のファイルはないかと点検した。そういうことに関しては私は慎重だから二重保存、三重保存をしている。だいじょうぶと確認したが、それでもHDDを真っさらにする初期化の前はいつでも緊張する。

 すると、地デジチューナーの「外つけストレージ」のアイコンが、初期化していないHDDの中身を見せるのである。何事かと思う。それはaviやISOファイルだった。まさかと思いつつ再生ボタンを押す。すると、なんと、そのまま再生が始まったのである。「おおっ!」と声を出すほど愕いてしまった。




 aviファイルはパソコンでしか再生できない。これをなんとかテレビで見られないものかと思っていた。誰でも考えることだ。私はそれをmp4に変換してDVDに焼いて見ていた。しかしこれってかなり面倒である。そもそもパソコンディスプレイで気軽に見られるのだ。それをわざわざエンコードしてまでテレビで見ようとするのはおかしい。でも食事しながら見たい娯楽番組はそれをするしかない。

 大型プラズマテレビをもっている友人はパソコンからテレビに出力して見ていると言う。そうなのだろう。それしかない。今回購入した地デジチューナーにはHDMI端子があるので、やっと私もそれができると楽しみにしていた。しかし私のパソコンとテレビはかなり離れている。HDMIケーブルなんてみな1.5メートルぐらいだ。それじゃ届かない。5メートルぐらいのはないかと探していた。そんなものはなかった。

 ISOファイルはいちいちDVDに焼いてテレビで見ていた。私は腰痛持ちだし、寝ころんでみるのが好きだから、映画や娯楽番組をパソコンディスクで見ても楽しくないのである。映画にはハズレも多いから、DVDで焼いてすぐに捨てるのも悔しい。よってここのところ繰り返し使用が可能なRWを利用していた。ところがいまのDVDは16倍速だからあっと言う間に焼けるのだが、RWになるといきなり2倍速のままなので、とろい。時間が掛かる。でもやるしかない。

 それらが一気に解決してしまった。こんなことが出来るとはまったく考えていなかったので、この愕きはおおきい。
 とりあえずその500GBのHDDは初期化してテレビ用にしたあと、まだ半信半疑のままもうひとつのデータ用1TBを接続して見た。これにもaviとISOがたっぷり入っている。パソコンで使っていたものだ。まちがいない。きれいに再生する。うれしくてたまらない。

 今時のテレビはネット接続してYoutubeまで見られるらしいから、こんなことでよろこんでいる私は家電好きからは「遅れている」と嗤われるのだろう。そういや私の地デジチューナーもネット接続が出来るようだ。まだやっていないし、べつにテレビでインターネットを見る気もないのでそれはどうでもいい。

 おどろいた。うれしい。望外の喜び。今年一番の「意外!」になった。


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