2010
1/21  登り坂下り坂

 早起きして文章を書いていた。そのために読まねばならない本があった。調べると、まだ行ったことのない図書館にある。近くの図書館だとそこからの取り寄せになる。今日頼んでも届くのは明日の午後だろう。午前9時開館。いま8時半。自転車で出かければ着くころにちょうど開館になる。

 出かけた。すこし寒い。もう一枚着てくればよかった。耳あてをもってきたのは正解。帽子を忘れたのは失敗。でも頭は冷えるぐらいでいい。耳が凍えるのはつらい。

 出発して2キロ北に進み、左に折れて長い坂道を下ってまた左折。
 長い下り坂。以前一度だけこの道を下り、帰りの登りで息が切れたことを思い出した。なんとかこの道を登らずに帰る道はないものかと考える。

 図書館に着く。9時3分。開いたばかり。目的の本もすぐに見つかった。閲覧コーナーで新聞を読んで一息つき、自転車にまたがった。

 帰りは来た道をたどらず、南に進み、そこから左に折れる道を選んだ。四角形を描く形の進路である。
 もしかしたらこの進路を選ぶことで登り坂を避けられるのではないかと思った。



 図の下の平坦部分を走っているときしめたと思った。「坂がない。よかった。来た道をもどったら長い坂を登らねばならなかった。この進路で正解。よくやった。おれは賢い」と。智慧を使うことによって苦労を回避した気分だった。鼻歌が出そうだ。

 しかしそうはうまくゆかない。途中まで平坦であった分、とんでもない急坂が待っていた。息も絶え絶えになりつつ、くだらんことを考えた自分への罰として死に物狂いで登った。自転車を押して登っているおばさんたちが目を丸くしていた。筋肉痛になるだろう。三日ぐらい後に。

 思えば、高いところから低いところへ降りたのである。元の高い位置に低いところからもどるにはぜったいに登り坂は避けられないのだった。どんなに遠回りをしたところでそれは避けられない。人生の真実を学んだ気がした。

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 なお、直線で行けば真向かいなのに四角の進路を取っているのは、真ん中に縦に川が流れているのである。橋のある場所に行くのにはこんな進路になる。
1/28  名札をぶら下げたおとな

【木屑鈔】からのコピー。

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 最初の投稿

 知人の梶山徹夫さんのブログ記事の一部。

(六本木での話)外人も多いしビルはガラス張りでキラキラ太陽を反射させるし、何だか他所の国に来ている錯覚を起こす。しばし都会の人を観察したが、昼近くなった事もあり首から名札をぶら下げた人が目立つ。

あれも都会の流行りのようだ。似たようなビルが多く迷子になった時の為なのか、あるいは少し痴呆が進み外出時には他人様にも理解を求めているのか不思議な光景だ。
余り長居する場所とも思えずそそくさと駅に向かった。 




 まったくあの「首から名札をぶら下げた人」には嗤う。一種のファッションなのだろう。六本木ヒルズのJwaveに出入りしていたころ、私はここの関係者ですと言いたいのか、いつでもどこでも通行証をぶら下げている連中を見かけた。まあこれはJwaveに入るのにいちいち通行証を申請して、外来者用のそれを借用せねばならないものの妬みとも言える。話題のビルだし警備の問題もあったろう。

 だがそれから数年後、新橋から門前仲町まで、あまり自慢にならないようなビルに出入りしている男女もみな昼休みに、首からあれをぶら下げて歩いているようになると、なんとも異様に思えてきた。ファッションなのだろう。思わず梶山さんのように「痴呆が進み」と皮肉を言いたくなる。私なら、昼休みに飯を食いに行くときは胸から外してポケットに入れる。実際2006年に友人のデータ会社を半年ほど手伝ったとき、これを持たされたので、ビルの外に出るときはしっかりハズしていた。これを外さないひとは紛失を怖れているのか。幼稚園児のような名札感覚なのか。バカとしか思えない。梶山さんが同じ事を感じていると知ってうれしくなった。

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 二度目の投稿

 ブログに前記の「名札をぶら下げたおとな」を書いたあと、梶山さんのブログにコメントを書きこんだ。いつものイニシャルykで。



梶山様。私も昨今のあの「名札ぶら下げ男女」には苦笑していたので、「あるいは少し痴呆が進み」はなんとも痛快でした。まるで幼稚園児の名札です。通行パスの重要さはわかりますが私なら社外では外します。すくなくともドトールコーヒーや定食ランチの店で首からさげている必要はありませんね。

胸に名札といえばお医者さまです。あれは彼らなりの「お医者さまごっこ」なのでしょうか。

私のブログにその部分、引用させて頂きました。事後報告ながら。




 するとすぐに医者と思われるひとから以下のコメントが書きこまれた。

お医者さんごっこ

どういう意味でしょうか?

必要性がありまして 我々は写真入りのIDパスとして 貼用を義務づけられております

他のスタッフに関しても同様です

自身に責任を持ち 任務を遂行しております

yk様 ご理解頂くのは無理でしょうか 


信濃町T.M



 それでまた、以下のコメントを書きこんだ。あまりにくだらない誤解なので書きたくはなかったが、自分のブログではない。梶山さんのところなので気を遣った。

その一。

信濃町T.M様

私の書いたのは「命を預かる大切な場で働くお医者さまは、(現実はもちろんドラマ等でも)身許を明確にする名札を胸につけている(=かっこいい)。昨今、そういう立場でもない一般の男女が首から名札をぶら下げて歩いているのを見かける。あれは、お医者さまのような──自身に責任を持ち崇高な任務を遂行している方々──を疑似体験しているつもり(=ごっこ)なのであろうか」という意味です。

多くのお医者さまが貴重なコメントを書きこんでいるここに、梶山さんと二十年来の知己である私がお医者さまを揶揄するようなことを書きこむはずがありません。宜しく御理解ください。


 物足りなかったので(笑)もうすこし書き足した。

その二。

在日韓国人の友人と話していると、「チョーセン」という音(おん)に過敏に反応するので、「挑戦」は「チャレンジ」と言うようにしています。そういうことに気をつけていましたが、まさかお医者さまが「お医者さんごっこ」にこのような反応をするとは思いませんでした。

ただし私の書いたのはお医者さんごっこではなく「お医者さまごっこ」であり、敢えてカギカッコを附けてその種の誤解を避けたつもりでした。通じなくて残念です。ここは「医療関係者にでもなったつもりなのだろうか」とストレートに書けばよかったのでしょう。でもそれじゃ文章としてつまらないので、どうしても私は《あれは彼らなりの「お医者さまごっこ」なのでしょう。》になります。

尚これらの書きこみは、梶山さんとT.Mさんが読まれたであろうと思った時点で自己削除します。




 梶山さんのブログは競馬予想をしている。もともとそういうブログだった。梶山さんの馬券弟子である看護婦さんが梶山さん経由で発表する予想が上手であり、また本業の方でもたいへんすぐれたナースであるということから、いつしか医療関係者が集ってきて、書きこみコメントのほとんどは医療関係の話になってしまった。たまにある一般のひとの書きこみも、その医療関係者との縁から高名な医者に執刀してもらい、家族の命が助かったというような御礼ばかりになってきた。

 それはそれでたいそう意義のあるコメント覧なのだが、そればっかしでもつまらないと、梶山さんは電話で話すたびに、たまには毛色の違ったことを書きこんでよと私に言っていた。

 そんなことからきょうも書きこんだのだが、ちょっとこんな誤解を受けると引いてしまう。

 私のこの書きこみを見て、自分達医療関係者が侮辱されたと解釈する医者は、かなり國語力が低い。「お医者さんごっこ」と見ただけで(正しくは私の書いたのは「お医者さまごっこ」だが)反射的に反感を持つのは異常である。梶山さんのブログだから迷惑を掛けないよう丸く収めたが、正直この医者の読解力のひくさには呆れた。

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 國語問題

 このお医者さんはなにをどう勘違いして怒ったのかを國語問題風に考えてみた。

《問題》

梶山様。私も昨今のあの「名札ぶら下げ男女」には苦笑していたので、「あるいは少し痴呆が進み」はなんとも痛快でした。まるで幼稚園児の名札です。通行パスの重要さはわかりますが私なら社外では外します。すくなくともドトールコーヒーや定食ランチの店で首からさげている必要はありませんね。

胸に名札といえばお医者さまです。あれは彼らなりの「お医者さまごっこ」なのでしょうか。

《問題》

赤字の「あれ」とは何を指しているか答えなさい。

《正解》

「首から名札をぶら下げて歩いている男女」

《誤答》

「お医者さまが胸に名札をつけていること」



 このお医者さんのコメント書きこみは、私が書きこんだ7分後だった。おそらくさっと一読して誤解し、熱くなって書きこんだのだろう。しかしお医者さまがお医者さまごっこをするはずがない。書きこむ前にせめて1分考えてみればわかったと思うのだが。

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 三度目の投稿

 昨日、梶山さんのブログのコメント欄は、私のせいですこしばかり荒れてしまった。今は削除も済み落ちついた。続きを書いておく。すべて削除されたのでもう跡形すらないからだ。これはこれで「ことば問題」としておもしろかった。
 経緯は前記した通り、私の書きこみを誤解した医者が抗議してきたことによる。それに続いて彼を支持する以下のようなものもいくつか書きこまれた。



お医者さまごっこ
お医者さんごっこ
書いた本人は違うつもりでも 同じに聞こえるよ
私も バカにしているのかと思いました
更に このような反応をするとは だなんて失礼にもほどがある
何を考えているんだ
貴方は自分のブログがあるなら そこで自由に好きな事を書いて下さい




 私の方の言い分は前記した。

 あらためて自分の書いたことを分析すると、私の文は見事に起承転結になっている(笑)。しかしこの種の頭の悪い連中は【起】・【承】という平坦な道から【転】という急カーブに入ったことが理解できずつんのめってしまったようだ。


【起】・「名札をぶら下げた」連中に対する梶山さんの指摘に同感した。
【承】・昼休みに名札を首からさげているのはバカとしか思えない。
【転】・名札と言えば医者である。
【結】・彼らは「お医者さまごっこ」をしているつもりなのだろう。



 この流れを理解できないひとが、【起】バカ、【承】バカと来て、【転】医者、だったので、彼ら=医者=バカと解釈して立腹したらしい。その立腹したのが本物の医者であるから、医者=バカは成立するのかも知れない。上記赤字の書きこみも医者(インターン?)らしい。
 バカ文の代表としてこの赤字の例を挙げたのは、信じがたいことだがこれは私が抗議してきた医者に懇切丁寧にふたつの文章で説明してやったそれを読んだあとに書きこまれたからである。



 私がその読解力のない医者に丁寧に説明してやったのは、《あれは彼らなりの「お医者さまごっこ」なのでしょう。》の「あれ」が何を指しているかである。その後この医者は「了解しました」と書きこんできた。「了解しました」ではなく「勘違いしました。読解力不足でした」となぜ言えない。こちらは中学生レヴェルの國語力もない相手に腰を低くして説明してやったのに。さらにはなぜか私を同業の歯医者と思い込んでいて、「がんばってください」と書いてきた。この辺の観察力闕如にも呆れる。

 なんの自慢にもならないが、私は梶山さんの今のYahooブログ以前のブログから固定ネームで長文の書きこみをしている唯一とも言える読者である。さんざん梶山さんと同業だとか、一緒にパドックに並んで、とか書きこんできた。読者のほとんどがあたらしく梶山さんを知らないので、梶山さんが上岡龍太郎の番組に「馬券生活者」として登場し、百万勝負をしたなんて十数年前の話を紹介したりしてきた。それは梶山さんにとってもうれしいことらしく、「物書きの結城氏が」「yk氏の文章にもあるように」と何度も引用されている。それらに気づくことなくいきなり「歯医者」である。なんとも。

 いやしかし彼らこそが梶山ブログの典型的な「新しい読者」で、ほんの数ヵ月前から関わり始めた競馬とは無縁の医療関係者なのだ。そんなことを知れという方が無理である。だからまあしょうがない。でもなんで歯医者なんだ?



 上記赤字文章は、私と医者とのあいだでそれらのやり取りがあった後に書きこまれたものなのである。私は「あれ」は医者のことではなく名札をぶら下げた連中のことですよとこどもに諭すように教えてあげた。医者はとりあえずそれでわかったらしい。このインターンは、それでもまた理解できず、「あれは尊敬する〃お医者さま〃のことを書いたのであって、〃お医者さんごっこ〃とは関係ありません」と私が言い訳したかのように解釈し、「本人は違うつもりでも同じに聞こえる」と書きこんできた。ここまで来ると対処のしようがない。どこまでバカなんだ。医者も匙を投げたではなく、「医者に匙を投げる」である。



 医者ってほんとにこんなにバカなのだろうか。なにより怖ろしいのは、自分の解釈が正しいかどうか考えることなく即座に反応していることだ。こんな短絡的な連中に命を任せてだいじょうぶなのか。こりゃ医療ミスも出るはずだ。それは「人間だから失敗もある」というレヴェルではなく、単にその医者が粗忽だからのはなしである。

 なぜか多くの医療関係者が出入りするようになった梶山さんのブログでは以前も医者によるかなり世間知らずなことが書きこまれたことがあり、それに対する指摘に、その医者が「私達は専門バカなのであしからず」と返答して物議を醸したことがあった。他の医者からも「私達は専門書を読まねばならず、最新の医療技術の習得もたいへんで」とフォローの書きこみがあった。

 それはその通りだと思うが、私の文を読むやいなや即座に反応し見当違いの抗議をしてきた医者や、説明してやってもまだわからず明後日の方向を論じているこのインターンは、いくらなんでもひどすぎないか。
 このインターンはバカ大学所属らしいのでどうでもいいとして、医者の方はやたら「信濃町」を売りにしているから慶應病院の医者である可能性が高い。慶應病院もたいしたことはない。これは義塾卒でも慶應病院に縁のないビンボー人のひがみだが。いやそんなことを言ったら、私のかかれる医者はこのバカインターンクラスなのだからよけいにおそろしい。



 いま、ひとつだけ悔いているのは、「あのままほっておいたらどうなったか!?」である。知人のブログだから荒れてはいけないとすぐにフォローしてしまった。ずっと家にいたのでそれができる態勢にもあった。これがなんやかや忙しく二日間ぐらいほっておいたら、どうなっていただろう。もっともっと荒れたろうが、そうなればなったで「あの書きこみはお医者さまを批判しているのではないと思います」という読者も登場したように思う。それを確認できなかったことだけが悔やまれる。
11/1  猛暑とゴキブリ──命あるものへのこだわり


 平成22年(2010)年の猛暑はすごかった。それは記録的にも証明されている。各地で「観測記録史上最高の」が連発された。

 しかし温度そのものは、2007年からクーラーのない生活を続けている私にはそれほどでもなかった。なにしろ室温36度になる部屋でクーラーなしで過ごしている。そりゃあもうその暑さはたいへんなもので、部屋にいるときはパンツいっちょうで左右から二台の扇風機で風を当てっぱなし、頻繁に水風呂に入ってやりすごす。その水風呂もなにもしなくても温湯になっている。

「室温が体温以上になると扇風機は役立たない」と智識では知っていた。アラブ諸国のようなところに扇風機はない。それをこの夏初めて実感した。
 扇風機の涼しさの原理は、肌に風を当てて体温を奪うことである。その場合、肌に当てる風は体温より低くなくてはならない。体温より高い風を当てると焼けつくようになり痛い。涼しいどころか不快なだけだ。今夏、私の部屋では、さすがにほんの数日だけではあったが、そんな日まであった。この齢になっての初体験である。まこと酷暑、猛暑の特別な夏だった。



 でも私は、記録的猛暑にさほど実感がなかった。慣れたからである。異常な状態も4年も続けば慣れてくる。一番辛かったのは、4年の中で一番暑かった今年ではなく、4年前に体験したクーラーのない20数年ぶりの夏になる。

 今の住まいは下見に来たときすぐに気に入った。ただ今の時代、常識的にあるべきクーラーがなく、壁に外したあとを見たときはすこし気になった。エアコンは田舎と東京に二台もっていたのだがともに処分していた。現実に今時引っ越しにエアコンを持参する人もいまい。しかし私のあたらしい住まいはそうなっていた。
 そのとき真冬の2月、なのに下見に来た部屋は、ごろりと横になると、午後の陽射しが指し込み、暖房が要らないほどだった。引っ越してからもそれは実感した。すばらしく日当たりの良い暖かな部屋だった。ということは夏が暑いと読めた。エアコンを買わねばならないと思った。

 その夏、私はエアコンを買わなかった。よし、ひさしぶりにクーラーなしの夏に挑むか、とヴェランダに簾を張ったりして、割合元気だった。クーラーのない夏は20数年ぶりだが、なんとかなると思っていた。こどものころはそんなものはなかった。学生時代にもなかった。そのことで苦しんだ覚えもない。

 正確には茨城の家で親と同居していたとき、2年ほど経験している。二階の居室の前がスレートになっている。その照りかえしで蒸し風呂のようになる。写真のようにヨシズを買ってきて「海の家」のように張りめぐらして対抗した。
 見辛いが、立てかけてあるだけでなく、その前にも敷いて、赤いスレートを完全に覆い尽くすようにしている。高さ3メートル、幅1.8メートルのヨシズを6枚使ったのだったか。これが大作業で、夏が近くなってのこの作業と、夏が去ってからの撤去は今も懐かしく思い出す。

 そのころはこんなひどい環境はないと思っていた。いま思えばエアコン附きのクルマがあってどこにでも出かけられたし、海も近かった。しょっちゅう出かけていた。なにより家そのものが広い。階下は涼しく、二階の私の居室だけが暑かった。広々とした風光明媚な田舎であるから、今と比べたらさほどでもなかったと気づく。当時は地獄の暑さだと言い、ホームページにも書いているのだが、いま本物のそれを味わうと、あんなのはたいした暑さではなかった。



 4年前の夏、私は今まで生きてきて最悪の猛暑を知った。暑くて堪らないときは水風呂に入るとか、図書館に避難するとか、電車に乗って読書をするとか、生きるためのいろんな智慧を思いつき、学んだ。水風呂なんて初めて入った。追い詰められるとこんなことを思いつく。水泳の時の着替え等に使うのであろう腰巻型になっているバスタオルを買ってきて、南洋の人のように腰巻生活をしたのもこの年の発見だ。人生初めての猛暑との対決だった。

 ということは私が18年過ごした茨城の地での夏、18から30年以上(その間のアパートは3ヵ所)住んだ品川よりも、この地の夏はきつかったことになる。これは地方の違いではなく住まいの問題でもあるのだろう。今の私の住まいは、冬あれだけ暖かいことからも、夏は特別に暑い建物であり方向なのだ。また三階建ての三階なのだが、これは同じ建物でも二階よりも5度ぐらい暑いのだと知った。

 茨城のときも、昔風の家は階下に降りるとひんやりと涼しく、父母はクーラーを使うこともなく、扇風機で十分だった。あくまでも二階の私の部屋がスレートの照り返しで蒸し風呂のようになっていたのだった。



 2ちゃんねるの「PC板」に、なぜか「暑くなったらあげるスレ」というのがあった。「なぜか」というのはPC板だからである。生活に関する板ならわかるけれど。
 PC板であるからテーマはPCである。室温とPCの温度を書きこむのだ。当然基本はクーラーのない人である。誰が作ったのかおもしろいスレだった。
「大阪。午前10時。早くも35度突破。PC48度。たまらん」
「埼玉、いま午前2時なのにまだ室温32度ある。PC52度。気が狂いそう」
 とかそんな話。私も書きこんだ。PC好きのクーラーなし同士だから話は合う。といっても話(応答)はない。ひたすら暑さ報告のみ。それがまたいい。

 たまに「クーラーがんがん効かせてます。いま風呂上がり。室温25度」なんてのが来ると、いっせいにブーイングだった(笑)。

 前記の三階建ての三階と二階の暑さのちがいも、この板で知った。



 その夏、私はこんなに暑いのでは死んでしまう、なんとしてもエアコンを買わねば、と思った。
 私はあまり汗をかかない体質なのに、寝転んで本を読んでいると、後頭部から首筋のあたりが水でもぶっかけたように濡れている。扇風機二台の風を当てているのにだ。初体験なので自分の体が壊れてしまったのではないかと心配した。今は極めて真っ当な新陳代謝だとわかる。汗は掻かなくなったらあぶない(笑)。

 もうダメだ、ギブアップ、なんとしても買わねばと思ったときはもう8月になっていた。するともう「この勝負ももうすぐ終る。終ってしまう……」と、去りゆく夏への愛着が出始めていた。買うのは来年でいい。今年はもうここまで来たのだ、どっちが勝つか負けるか、最後まできっちり勝負をしよう。そんなことを思いつつ、9月になり涼しくなると、夏の苦しみをすぐに忘れた。

 それから3年経ったのにいまだに私の部屋にはクーラーがない。
 世の中にはクーラーが体質に合わず苦しんでいるひともいる。私は大好きだ。なんの問題もない。だから買うべきなのだ。

 毎年夏には買おうと思う。だけど夏の去り際には、「よし、来年また勝負しような!」と去って行く猛暑の背中に語り掛けている。猛暑を楽しみに待つ心が芽ばえてしまった。

 冬が近づく頃には暑い夏をなつかしがっている。寒いよりは暑いほうがまだいい。ホームレスだって寒さのほうがキツいだろう、と思ったりする。
 冬が明け、ぬくぬくとした春になると猛暑の苦しみを思い出す。「クーラーを買おうか。いまならまだ間に合う」としばしば思う。迷う。電機屋に何度行ったろう。何度契約しようと思ったろう。安い製品を契約寸前まで行きながら、どうせ買うなら高級機種がいいと、金を増やそうと馬券で勝負し、負けて買えなくなった、なんてこともあった。



 今年も同じだ。記録的猛暑を通りぬけて、私はいま経済的にクーラーを買える状態にある。この季節に設置してしまうのがいい。冷房は好きだがエアコンの暖房は大嫌いなので冬場に使うことはないが、いまなら工事も混んでいないからすぐに着けてくれるだろう。なにより、これからG1レースが連続する。いつ買えない状態になるかわかったものではない。やれるときにやっておくべきなのだ。う~む、これはなさけない考えだ。猪木的に言うなら「やる前から負けることを考えている奴がいるかよ、バカヤロー!」だ。佐々木アナの面を張ってやりたくなる。佐々木アナはいないから自分を張るか。G1が連続するのだから、たっぷり儲けて高級マンションを買うか、と考えねばならない。クーラーが買えなくなるとはなんとまあみっともない負け犬根性だろう。まあそうなるだけ負けているんだけど。

 いつしかまた猛暑とのがっぷり四つの大相撲をなつかしがっている自分がいる。
 というわけで、クーラーがどうなるかいまだ不確定。
 それよりも今年の夏には、これだけはもうかんにんしてほしいというとんでもない出来事があった。ゴキブリである。

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 2010年の夏がいかに異常だったかはゴキブリでわかる。
 まあ4月に桜が散ったあと雪が降ったりして異常気象ではあったが……。

 5月に私は蚊に刺された。ここに来て初めての経験だった。夏でも窓を開けはなして寝ても蚊が入ってくることはなかった。
 田舎にいる頃に使っていた電気蚊取りを探しだし設置した。

 そして始まる「ゴキブリの夏」である。思い出すだけで気分が悪くなる。



 台所でゴキブリを見かけた。私は台所を清潔にしているし、油料理は作らないようにしているから見たことがない。4年の間に一、二度あるかないかだ。たぶんそれは隣からやってきたものだったろう。

 3度、4度、5度と見る。異様にデカいのもいれば、今までの人生で見たことのない、ちいさな1センチぐらいのもいた。台所の収納スペースの中に油がこぼれているとか、なにかゴキブリが発生するようなこちら側の原因があるのかと調べた。なにもない。

 そんなときリー・リトナーのことを調べていて、あるかたの音楽ブログにたどりついた。そこでそのかたが「今年は異常にゴキブリが発生している。猛暑になると昆虫は異常繁殖する」と身辺日記で書かれていたので、「ああ、そういうことなのか」と感心し、思わず賛意と感謝の書きこみをしてしまった。見知らぬかたのブログ投稿欄に書きこんだなんて初めての経験である。しかも音楽ブログなのに反応したのはゴキブリのことだ(笑)。
 それぐらい今年の夏、私は原因不明のゴキブリ発生に悩んでいた。なにしろ今までいなかったのだから。

 気象のせいならそれはそうと割り切って対策を考えねばならない。私は「ごきぶりホイホイ」を買ってきた。これを買ったのは何年ぶりだろう。田舎にいたころ以来。しかもその場合は階下の台所に、母のために仕掛けてやったのであり、二階の私の居室は関係なかった。いつ以来だろう。




 これで捕まえるとして、瞬殺用に「ゴキジェット」という噴射式も買ってきた。

 その後もゴキブリは出続ける。台所はともかく、餌のあるはずのない畳の部屋まで走りまわっている。刺身を食べた後、ツマの残った容器をベランダに出しておく。一日で乾燥してパリパリになったそれを、私はハイビスカスや観葉植物の肥料にする。ある夜、深夜にベランダに出たら、そのツマの残っているプラスチック容器から、ゴキブリが何匹も逃げ出した。初めて見た。だんだん気味が悪くなってきた。

 ごきぶりホイホイを5個仕掛けた翌日、覗いてみるとたっぷりと入っていた。しかも大きいのだけではなく、1センチから5ミリのようなちいさいのまでびっしり入っていた。

 世の中には異様にゴキブリに弱いひとがいる。いわゆる豪放磊落なタイプなのにゴキブリだけは苦手というひとだ。私はまったく平気で、その気になれば素手で捕まえることも出来る。そういう私がビビっていた。あまりに多いのだ。尋常ではない。温暖化現象とかいろいろ言われているが、私はゴキブリの異常発生で、初めて自分の問題として意識した。



 なにもない台所なのに、ステンレス流し台のあたりをゴキブリが複数這いまわっている。ゴキジェットを吹き掛けると瞬殺出来る。この強烈さは話題になっていた。今までの同種と製品とは桁違いの効き目らしく、たしかにひと吹きでゴキブリが痙攣して動かなくなった。もっとも一部の意見には「失神させるだけ」とあり、死んだのではないからそのあと確実に処理した方がいいとあった。ティッシュでつかみビニール袋に入れ、それからゴミ袋に入れた。とにかく消えてくれと祈っていた。

 ある日、見つけたゴキブリにゴキジェットを向けようとしたら、台所の壁のステンレスの裏側にもぐりこんだ。この奧にやつらの巣があるのかと、そこにゴキジェットの細いノズルを突っこみ噴霧する。そこから一斉に何匹ものゴキブリが飛びだしてきたときは、ゴキブリに平気な私も思わず悲鳴をあげそうになった。ヤツラも命に関わることだから死に物狂いで逃げだしてきたのである。ふだんのカサコソという逃げの姿勢ではなく、玉砕覚悟の突撃のようだった。



 こうなるとこっちも意地になる。なんとしても根絶してやると、ごきぶりホイホイをたっぷり買ってきた。ワンパック5組のごきぶりホイホイを、今夏どれぐらい使ったろう。30組ぐらい使ったか。そこいら中に置いた。これは今までの人生で私がこれを使った総量を超えている。

 茨城の田舎にいるころの経験では、そこに引っ掛かるのは、大きな黒々とした成虫が数匹だった。まさに別名アブラムシの名のように、黒々とテカテカと光った生命力旺盛なのがかかっていた。ところが今年は、そういう大柄なのもいるが、1センチに満たないようなのが多い。それが異様だった。異常気象による異常発生である。そしてまたなんとなく、みんな弱々しかった。テカテカよりもショボショボである。

 茨城にいるころ見かけたゴキブリが、「働き盛りの父ちゃんゴキブリ(真っ黒のテカテカ)が餌を集めに行き、運悪くごきぶりホイホイに捕まってしまった」という感じだったのに対し、今夏のは「失職したしょぼくれた父ちゃんゴキブリと、背中に子ゴキブリを背負い、両手で子ゴキブリの手を引いた、やつれた母ちゃんゴキブリが、一家揃ってごきぶりホイホイに飛びこみ自殺」みたいな感じなのである。



 そしてそれらは、涼しくなるとピタっといなくなった。
 もう掛かることもないのだろうが、私はまだごきぶりホイホイを仕掛けたままだ。ゴキジェットも常に近くに置いてある。多少大袈裟に言うなら、トラウマになるほど気味の悪い夏だった。

 決して大袈裟ではなく私は言いきれる。「今年ひと夏に見たゴキブリの数は、人生50年で見てきた総量よりも多かった」と。

 夏が過ぎたある日、「今年はあまりの猛暑に蚊が発生しなかった」と書いてある記事を読んでなるほどと思った。5月に一度刺されたが、思えばそのころが蚊の発生する夏の気温だったのだろう。私はそれで「今年は蚊が大量発生」と身がまえたのだが、そのごの猛暑の夏にたしかに蚊はいなかった。電子蚊取りの出番もなかった。暑すぎると蚊は出ないらしい。これまた異様である。

 記録的猛暑だった2010年の夏は、私には暑さよりもゴキブリで記憶されている。どんな猛暑も耐えられるが、ゴキブリだけはもう許して欲しい。

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 ところで、「猛暑とゴキブリ」というタイトルに添えられた「命あるものへのこだわり」という副題の説明。

 私は愛猫を失くしてから部屋に生き物がやってくると彼が会いに来たのだと思ってしまうようになった。蚊一匹殺せなくなった。もう10年になるのにいまだにそう思う。なぜかカマキリが部屋に来て、三日ぐらい住んでいたことがある。愛猫がやってきたのだと思い、毎日話し掛けていた。どんな虫けらでもそう思ってしまう。
 ましてよりその可能性が高いと言われるトンボがふと肩口に止まったりしたらたいへんである。知らない人が見たらひとり言を言う気違いだろう。

 だから、年に一度ぐらいしか見かけないゴキブリに対しても、そういう接しかたをしていた。殺したことはない。旧盆の時に見かけたりしたら、ぜったいに彼だと思った。

 しかし今年の夏は、そんな餘裕はなかった。だって部屋中に10箱ぐらい設置したごきぶりホイホイに、ひとつにつき何十匹もかかっているようなとんでもない状態なのだ。ゴキジェットを手に噴霧しまくった。

 獨酌しているときに、蛾のようなのが飛びこんでくると、「どうした、会いに来たのか」なんて話しかける。酩酊しているときだと、「早くそっちに行っておまえに会いたいよ」と泣いたりする。そういう私だが、ゴキブリにだけはもうその感情は抱かない(笑)。天国の彼にもゴキブリの姿では会いに来ないよう強く言うつもりだ。

 来年が今年よりも暑くなってもかまわないけど、ゴキブリ異常発生だけはかんにんしてくれ。まことに気味の悪い夏だった。

10/10  競馬関係者のIPATとiPod

 ごくごく小ネタ(笑)。メモのつもりで。



 競馬関係者にも音楽好きはいる。それもピンキリ。
 あるひとは色違いの3台のiPodをもっていて、それに収めてあるのはロックばかり。その3台に入れるロックは、彼なりに「どの色のiPodに、どの音楽を入れるか厳密に分類している」というマニアックなひと。

 あるひとはいいかげん。懐メロの演歌好き。カラオケでも演歌ばかり。演歌というか、むかしの「ムード歌謡」というやつだ。そういうのを適当にiPodに入れていて、暇なとき楽しんでいるひと。

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 というようなことが競馬評論家、競馬ライターのブログに書いてあるのだが、おかしかったのは、彼らがみな、まるで示しあわせたかのように「アイポッ」と書いていたこと(笑)。

 iPodであるからでないといけない。まあ現実の発音では「アイポッ」となり、語尾は消えているけど、それと書きことばはまた別。

 その原因はなにか。それは競馬のインターネット投票システムであるアイパットから来ていると推測する。こちらはIPATだからだ。仕事柄身近なIPATの発音が脳内に染み込んでいて、趣味のiPodもトになってしまったのだろう。

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 というじつにちいさなネタなのだが、みんながみんな「アイポッ」と書いているのが妙におかしかった。

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 いばら

 ブログに茨城県はIBARAKIKENなのだと書いた。関西のひとが「いばら」と鼻濁音で発音するのは知っていたが、フジテレビのアナウンサーがそう言ったのが新鮮で、茨城空港開港の話に合わせて、それを書いたのだった。

 その後、そのことを意識してテレビを見ていたら、かなり全国的なのだと知る。もう十中八九のわりあいだ。

 私は父方母方みな茨城一筋の家系なのだが、こどものころから今に至るまで自分の生まれ育った地(というより人)が嫌いなので(これは人生として不幸なことだ)、キでもギでもどうでもいいのだけれど、とにかくもう茨城県民の歌(笑)で、イバラキ、イバラキと歌って育ったので、鼻濁音を聞くとやはり気になってしまう。


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