2010の2

11/10  おそまきながら通販生活──佐川急便嫌い──Amazonのシステム

 なんの疑問もなく「通販」と書いてしまったが、これは「通信販売」の略なのだった。もうりっぱに日本語として「ツーハン」は生きているわけだ。IMEでもすぐに変換される。
 かなりのひと──とくに関西圏の人──が100円ショップのことを「百円均一」の略から「ヒャッキン」と呼ぶようだが、これはまだ私の中では日本語になっていない。使ったことがない。

 私が通販を買い物の主にしたのは2005年からなので、まだほんの5年に過ぎない。だから「おそまきながら」とした。早い人なら20年というひともいようし、椎名誠さんが「最近は通販ばかりだ」と書いていたのでも10年は経つだろう。
 しかし今回私の書きたい通販生活はインターネットを介してのものだから、これだと早い人でも10年ぐらいだろう。
 雑誌にある広告を見て買う「通販」なら、私だって中学生の時からやっている。もう40年以上前だ。初めてのそれはソーセージみたいな形をした10色ボールペンだった。



 私のインターネットを利用した通販の始まりはパソコンのパーツだった。
 2005年まで利用したことがなかったのは、そのころ茨城に住んでいたからだった。という理由は変。田舎に住んでいたならよけいに便利な通販を利用しそうだ。上に書いた10色ボールペンは田舎町で買えるのは4色までだったからみんなに羨ましがられたものだ。通販利用に「田舎に住んでいるから」は大きな理由だろう。
 私は田舎に住んでいるときは利用しなかった。「秋葉原に行くのが楽しみ」だったから。田舎にいるからこそ月に一、二回出かけて行く秋葉原が楽しみで、そこでの買い物を主にしていた。通販なんて考えたこともなかった。
 大型の生活用品は田舎の店で買っていた。運搬できるクルマがあった。



 2004年暮れに父が死に、2005年春に東京にもどった。友人が格安で貸してくれた東京都下のマンションだった。クルマは処分した。この「東京都下」と「クルマがない」によって私は通販生活と関わることになる。

 私の住んだ東京都下は横に長い東京の西の外れ、対して秋葉原は東の外れ。行くには東京を真横に往復することになる。この往復電車代は田舎からとたいして変らなかった。私の田舎は茨城でも東京に近い茨城である。福島に近い茨城だったりしたら時間も電車賃もたいへんだけど。
 この電車代を考慮すると、秋葉原価格がちっとも安くなくなってしまうのである。私の欲しいのは1万から3万のパソコン周辺機器だったから。

 自転車で行ける距離にビックカメラがあった。これはこれで「見るだけで楽しい」から頻繁に通った。でもインターネットで価格comを知ると高いことが判る。あれだけの店舗を構えているのだ。光熱費や人件費を考えたら高いに決まっている。秋葉原以外では地方のしょぼくれた店(失礼)がじつは一番安いのだと知る。
 これが衣類であったならやはり手にしてからと思うだろうがパソコンパーツだ。ハードディスクやCPU、メモリだから「手にとって」「自分の目で確認して」はあまり関係ない。迷うことなく注文していた。以来こればっかりである。



 近年秋葉原のパーツショップが続々と閉店に追いこまれている。原因はこの通販らしい。「久々秋葉原散策」にも書いたが、1円でも安く売って顧客を掴まえたい商法に店舗はいらないのである。田舎に安い倉庫でも借りて、人間も自分と友人のふたりで充分だ。おそらく私が頻繁に利用している田舎の店はそんな感じなのだろう。こういう店の躍進が秋葉原に店舗を構えているパーツショップを揺るがした。

 具体例を挙げると、2TBのハードディスクが、通販だと一番安いところで7500円で買える。これに送料と代引手数料を加えても8500円だ。一方家電量販店では、同じ品を12000円で売っている。「ポイント10%」なんてあるが、その店で使うしかない無意味なポイントとやらを好意的に解釈して、それを引いても10800円である。通販最安値とは2300円もちがうのだ。通販が延び、店舗売りが落ち目なのがよくわかる。

 といって否定ではない。明るく清潔な店で、店員に説明してもらって買いたいひとが多数派だから、こういう店も必要だ。しかし私のように自分でパソコンを組む者にとっては無意味。私が通販に偏ったのは自然だった。



 私にとっての通販とはパソコンパーツやゲームソフト等だった。今年になってやっと人並みにというか、それ以外のものも加わってきた。先日こたつ布団と内掛けを買った。画面で見たのよりもだいぶショボかったけれど、まあこんなものか。そりゃ商品写真はおしゃれな部屋で美女がくつろいでいるのだから雰囲気が違う(笑)。

 と書いて、2年前に本棚や簡易洋服棚も買っていることを思い出した。こたつ布団が最初じゃなかった。
 品川に住んでいたころは近くの店で買い届けてもらった。茨城時代は自分のクルマで運んできた。そういえば田舎のそういう店は客が自分で運ぶための軽トラックを無料で貸し出していた。駐車場に乗用車を置き、トラックを借りて運んだことがあったっけ。洗濯竿とかヨシズとか。ああいう店はなんていうんだっけ、DIYの店……。思い出せない。「DIY 店」で検索する。ああ、ホームセンターか、しばらく使っていないので忘れていた。こんなふうに生活と縁がなくなるとことばはあっと言う間に忘れて行くんだな。田舎時代はそれこそ毎日のように覗いていたのに。

 いまクルマがない。本棚を通販で買ったのは当然として、それでもこたつ布団のようなものは、まだ近所で買って担いでくる感覚があった。だからその手のものを通販で買ったというのは私にとっては新鮮な路線変更になる。これからますますこの比重が大きくなるのだろう。かといって有名な通販雑誌を手に探すようなことにはならないだろうけど。

 頻繁に利用しているので、このごろこの地域を担当しているのであろう佐川急便の運転手と顔馴染みになってしまった。通販てなんで佐川急便ばかりなのだろう。私は佐川と相性が悪い。クロネコヤマトファンとしては不満だ。



 昔から佐川急便とは相性が悪い。

 《佐川急便嫌い》

 今回もまたそれがあった。
 部屋にいたのに、留守扱いとなり、再配達ウンヌンと紙が入っている。どういうことなのだろうと思う。私は居たのだ。いつ来たのだろう。運転手に電話をする。

 翌日、時間指定をして待っていた。時間になる。なかなか来ない。テレビを見ていたら、かすかにノックのような音がする。首を傾げつつ出てみると佐川急便の運転手がいた。チャイムが壊れているのかと思い押してみたら鳴る。思わず「なんだ、鳴るじゃないか」と口にしてしまった。

 私の部屋のチャイムは強烈だ。どんなときでもピクンと反応してしまうほど。一方ノックの音は不確かだ。よく聞こえないし、聞こえてもよその部屋かと思ったりする。どうやら昨日も私は居たのに、彼が控え目なノックしかしなかったので気づかなかったらしい。鳴らせばいいのに。へんな運転手である。

 私はチャイムの音が嫌いだ。音が大きすぎる。電池を抜いて切っていたことすらある。この辺は創価学会勧誘とかマンション押し売りとか、やたらと鳴るのだ。
 通販を始めてからは電池をセットした。なのに肝腎の佐川急便が押さなかったりする。どうにも相性が悪い。

 運転手によっては届ける前にケイタイに掛けてきて在宅の確認をしてくる。これは助かる。彼らにとっては電話代が掛かるが空手間にならないから、それだけの価値はあるだろう。図書館に出かけていて、10分後にもどると応えて受けとれたことも数多い。私は注文が確定した時点からお釣りが要らないよう端数まできちんと用意している。

 通販をすこし抑え気味にすることがあるとしたら、佐川急便嫌いが原因になりそうだ。


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 不快なAmazonのシステム


 Amazonで、コンビニ先払いの買い物をした。買い物は何度もしているが、この支払い方法は初めての経験になる。
「振りこみを確認した。すぐに商品を発送する」とメール連絡があった。
 翌日、「その商品はすでに売りきれだった、よって今回の注文はキャンセルになる、申し訳ない」というメールが届いた。

 問題はその後だ。「振りこまれた金はAmazonギフト券でお返しする」という。なんなんだ、これは。
 それは三日後に送られてきた。Amazonギフト券とは、メールにアルファベットと数字が並んだ、ソフトウェアのIDのようなものだった。

 これはひどい話だ。
 まず、私の方にミスは一切ない。Amazonが商品があるとして注文を受けとりながら、じつは手違いでもうなかったというあちらのミスである。なのに私の現金はもう返ってこないのだ。また「Amazonギフト券を送るのは今日から三日後になる」とあり、実際三日後だった。その間私の金は宙に浮き、どこにも存在しなくなってしまうのである。假りにAmazonですぐに別の商品を注文したいと思っても出来ない。それが送られてくる三日後まで待たねばならない。もちろん他社に注文することも出来ない。

 さて困った。そのAmazonギフト券とはAmazonでしか使えないものなのだ。なにかをまたAmazonで買うしかない。しかしその商品以外に私にはAmazonで欲しい物がない。

 システムはわかる。コンビニから振りこまれた現金を、別の銀行口座を通じて返却するというのはたいへんだろう。でもこちらにミスはないのに現金を取られて返ってこないというのはひどい。

 さいわいそれは5000円ほどの少額だったので、たいして欲しくもない本を買って消費したが、大きな金額だったらどうなるのだろう。
 電化製品を買いたいと10万円を振りこんだのに、商品がない、手違いだった、申し訳ない、お金はAmazonギフト券で返すと言われたら、他の通販で、あるいは地元の電機屋で、それを買いたいと思ってももう出来ないのだ。それはAmazonでしか使えない電子金券になってしまっているのだから。

 しばらくこのシステムには近寄らない。

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 ありがたいけどなんとなく怖い通販システム

(2011/1/1)
 何度か買物をしたAmazonや楽天、その他PCショップから案内メールが送られてくる。
 
 今まで私が購入したものから、私が好きであろうとコンピュータが推測した商品群だ。
 実績からの分析だから的を射ている。
 買ったゲームソフトに類似の商品や解説本、ゲームギア、HDDやCPUを買ったことから、それと関連したPC周辺機器等をお勧め商品として紹介してくる。なるほどと思うことも多く不快ではない。むしろ痒いところに手が届き親切なメールだと感謝したいぐらいだ。

 でもそれって今までの情報をプールし、同じような買い物をしたユーザーの傾向を解析してメールを送ってくるわけで、釈然としない感覚も残る。いわばかってに姓名判断をしてその結果を送ってくるような「よけいなお世話」感だ。

 もしもこれがアダルトビデオだったりすると、今までの注文から(そういうものは一切注文していなくても)こちらの趣味がスカトロだとかロリコンだとか分析され、それらの作品を薦められることになる(笑)。それって新情報を送ってもらってありがたいけど、同時に自分の性癖を分析されることだから、恥ずかしいだろうなと思ったりする。

 こちらの購入実績を類似した他者と関連させたものだから、そのうちとんでもない情報が送られてくる可能性もある。いやそれは決して「とんでもない」ものではない。分析の基本は消費者の実績であり、「この商品を購入したかたはこのような商品も購入しています」だから見当違いはすくないだろう。
 私が購入した「ファイアーエンブレム」のゲームソフトを購入したひとの多くが、たとえば「ロリコン強姦アニメ」なんてものを買っていたなら、私にも同趣向のお勧めとしてメールが送られてくる。それで自分にはそんな傾向があったのかと気づくことになる。

 とまあこれは私の妄想であり、Amazonも楽天もそんなものは販売していないからそうなることはないのだけれど、いろいろな分野の買物(私が今までに買ったものだと、ゲームソフト、本、パソコン周辺機器、寝具、生活雑貨類)から自動分析されて、「あなたはこんなものも好きなはずだ」という、私が考えたこともない商品を勧められることもあるだろう。同好の士の実績の分析だから、私と同じようなゲームや作家が好きで、コンピュータのパーツ買いが好きで、こういう色合の寝具やこんなアイディア商品の生活雑貨を好むこの年代の男、という共通項で選ばれた物は、かなりの確率で当っているように思う。
 インターネット通販でしか出来ない分析だ。便利でありがたいけど、怖い。
 
 まあこれの対処は簡単で、それらの案内メールを断ればいい。それだけだ。でもその間にもあちらには情報が蓄積され分析され続ける。あまりいい気分ではない。
 私は七割方便利だと思っているからこれからもメルマガを受信するけれど、いろいろ考えさせられる社会ではある。

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 思いは誰でも同じようで(笑)

 その後、検索してみたら、だれもが同じ事を考えていると知る。

・Amazonは便利だが、その後のお勧めメールが煩わしい
・そこからの推測で変態商品を勧めてきたらどうしよう=でもおれ、そうだけど(笑)


 のようなブログ文章を多数見かけた。

 このひとは自身の性癖を認めているわけだからいいけれど(笑)、私にはその傾向がない。それで上記、そんなのが来たらどうしようと怖れた?のだが、まあそこまで様々な商品も買っていないから、そうはならないだろう。でも「結論」である「ちょっと気味悪い」は変らない。

12/6  海老蔵問題──茂木健一郎氏の見解に疑問

 こういう経済的状況、政治局面なのに、この国でいま一番重要なのは素行の悪い歌舞伎役者が飲み屋でケンカした話らしい。連日連夜朝から晩までそればかり。しみじみなさけない。
 と言いつつそのことを書くと何を書こうとも同じ穴の狢になってしまうから触れなかったのだが、私なりに気になるモノが出てきたので、それについて書いておきたい。



 脳科学者の茂木健一郎というひとがブログに市川海老蔵を擁護する文章を書いたらしい。すると、それを読んだ海老蔵本人からお礼の電話があり、意を強くしたのか、あらたにまたその文章をアップしたと話題になっていたので出かけてみた。
 事件直後の11月26日にアップされ、病院の本人からお礼の電話があったあと、あらためてまた12月3日に同じ文を再掲したということのようだ。
 詳しくは下記の文。

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/12/post-0e2e.html

 渦中の本人から直接電話をもらって礼を言われ、同じ文を再掲するぐらいだから、茂木氏はのっているわけだ。自分の意見にますます自信を持ったのだろう。
 でもこの文章の意見は正しいのだろうか。一読して私は疑問に思った。海老蔵問題そのものは私にはどうでもいいのだが、こういう脳科学者だかなんだか知らないけど、それなりの著名人がわかったようなことを言うとつっこみたくなる。



 茂木氏の意見は以下のよう。

・私は長年歌舞伎の大ファン=詳しい。
・歌舞伎役者はたいへんだ=その苦労と努力を知っている。
・市川海老蔵は凄い=対談したこともある。
・もてもての男のようにそのことばかりが伝えられている=真実はそうではないのだ。
・飲酒のような息抜きも必要=舞台がオフのときにたまにゆくだけなのだ。
・会見をキャンセルして飲みに行ったのも許せる=精神的にそんな状態だったのだ。
・殴った奴が悪い=彼は被害者なのだ。


 
というものだ。歌舞伎の舞台という荒波の上で日々闘っているのだから、舞台がオフになり、地上に降りたときぐらい飲みに行って多少羽目を外してもいいじゃないか、という論調。結びは以下のようになっている。

《結局、悪いのは殴った方。ぼくは何があろうと市川海老蔵さんを支持する。》



 まず、この事件の真相はまだ不明だということ。「悪いのは殴った方」と言うのなら、このあと「先に手を出したのは海老蔵の方」となったなら、茂木氏はどうするのだろう。「殴られた、被害者だ」というのは海老蔵の一方的な主張に過ぎない。

 茂木氏は、自分の知っている海老蔵の印象から彼の性格を讃え、世間には誤解や悪評が蔓延しているという意見のようだ。だが海老蔵の傲慢な発言や酒癖の悪さは、単にもてもての男を嫉妬しての根も葉もない悪評ではなく、じかに海老蔵と接した野球選手や芸能人が、匿名ではなく名を名乗って多数証言している。また舞台となった店の従業員も、現場となったカラオケルームから海老蔵の怒声が聞こえてきたと証言している。酒癖の悪さから出入り禁止になっている店も多い。

 今回の場合も客観的に見て、酒癖の悪い海老蔵が相手に絡み、見かねたその友人が手を出したというのが真っ当な判断だろう。
 この時点で「何があろうと支持する」と表明することは無見識である。いや、それはそれで良い。ファンの心情として正しい。だがその意見を正当とするための論理は、一見もっともらしいが、こじつけである。



 こんなくだらんことを長々と書く気にもなれないので結論を急ぐ。
 高学歴でテレビタレントとしても売れっ子の脳科学者という知的なひとの意見なので一見もっともそうだけれど、このひとの言っていることは、熱狂的な海老蔵ファンのおばちゃんの、「海老様が好きなのよお。海老様が正しいのよお。何が何だろうと海老様を支持するのよお」というヒステリックな意見と変らない。

 茂木氏が長年歌舞伎のファンであること、歌舞伎役者の実態について詳しいこと、海老蔵と個人的に面識があること等は、この問題の解釈において意味をなさない。むしろ熱狂的海老蔵ファンのおばちゃんの盲目的支持と同じく、それらは正当な判断を妨げている。いやいやむしろそういうおばちゃんファンですら、大阪の歌舞伎座前でのインタビュウでは、もっと冷静な意見を述べていた。茂木氏がいちばんヒステリックで感情的だ。本人から直接感謝の電話をもらい、熱狂的おばちゃんファンの中でも一頭身抜けだしたと、得意満面で舞いあがったのか。
 まあそういうレベルの文章である。



 というところで退院した海老蔵の記者会見があった。
 しみじみ「役者やのお」と思った。完全にこれは一幕の芝居である。ゆっくりとカメラ目線で名を名乗るところから、深々と何度も繰り返したお辞儀(一番長々としたのは45秒とか)を始め、世間に好印象を与えるための芝居である。腹の中ではべろを出していたろう。それが見える。

 問題の発端となった暴走族の元リーダーは今ごろになって暴行を受けた診断書を作ったとか。日数が過ぎているので証拠としての価値に疑問が生じている。なんでもっと早く対応しなかったのだろう。早く出てきて正当性を主張すべきだ。現実に海老蔵を殴った黒人ハーフの青年とかも出頭すべきだろう。「めんどくせえ」という言い分はわかる。私もそんなタイプだ。でもきちんとしないと力を持っている側にすべて都合のいいように仕立てあげられる。今回救われるのは海老蔵の酒癖の悪さを多くの無関係なひとが証言してくれていることだろう。



 ところでこの茂木というひとは、どんな形で売れっ子になったのだろう。以前見かけるのはNHKぐらい(といってももちろん見ない。チャンネルを替えているときにたまたま出逢う)だったが、このごろ民放にもよく出ている。テレビを見ていてもつまらないし、というかつまらないので見ないけど、申告漏れで1億何千万かの追徴金を課せられたように、なんにでも顔を出して稼ぎまくっている多忙なひとのようだ。
 私は将棋好きなので羽生との対談本とかも手にしてきたのだが、それらもつまらない。私にはこのひとがなぜ売れっ子なのかわからない。先日は椎名誠の文庫本解説を読んだが、それもまたつまらなかった。椎名さんともしゃもしゃ頭が共通なので親近感を抱いているという話だった。それにしても何にでも手を出してくる。たぶん売れたのは、「脳科学者」という職名が時代に合ったのだろう。むろん基本はこのかたにタレント性があったからである。

 今回のこの意見を読んでも思った。なんともつまらない。まるで「世間は歌舞伎役者のたいへんさを理解してないのよお。ほんとにわかっているのは私だけなのよお」と叫んでいるようだ。まあそういう我の強い性格だから売れっ子になれたのだろうけど。
 このひとを好きなひととは気が合わないだろうなあ。それがもうひとつの結論。

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 嫌いの好きは嫌い

 そういうのってあるよね。私は以前、なんど話してもしっくりこないのだけど、紹介してくれたひととの経緯とかあって、しっくりこないまま、なんとなくつきあっているひとがいた。ある日、飲んでいるとき、そのひとが森永卓郎が好きだと言ったので、ああ合わないはずだと納得した。あんなのが好きなひととはつきあえない。その後このひとと縁を切る事になって万々歳だった。

 これで困るのが競馬。嫌いな奴の好きな馬は嫌いになってしまう。しかしそれは馬券術として愚かなことだ。いい迷惑である。だからなるべく知らないようにする。ところがいま、POGなるものが流行っているので、それを公言するヤツが多い。よけいな情報は遮断した方がいい。

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●不可解な示談成立

 どうせならとことんまでやって欲しいと願っていたが、12月28日、示談成立となって終った。あとは冷却期間をおいて海老蔵が謹慎解除となってめでたしめでたしである。海老蔵があらためて会見し、「あちらにも反省が見えるし」「家族もあることだから一日も早い社会復帰を」なんてしゃべっていた。同時に「私の酒癖の悪さが招いたことであり」と自分のことも語っている。

 ちょうどこのとき「大桃・麻木・山路不倫騒動」が話題になっていた。その間を縫って、そっとの報道だった。タイミングとしてはじつにうまかった。

 裁判沙汰になったら、この一件の立証のために、状況証拠として過去の悪行が暴かれる。それは脛に傷を持つ身として、今後の役者活動に有益ではあるまいと判断しての示談成立だろう。相手の方も「元暴走族リーダー」だし(今はふつうのサラリーマン風の容姿だそうだが)、殴ったのは黒人とのハーフの「職業不明」であるから、この辺が落としどころなのだろう。



 私はこの事件を知ったとき、海老蔵を殴った〝犯人〟の姿に興味を持った。プロのヤクザならああいう形の被害は与えない。顔面を殴った上に腹をけったりもしているらしい。素人である。おそらく「カッとなったら止まらなくなるタイプ」なのだろう。やがて黒人とのハーフだとか、将来が有望視されていた元サッカー少年だとか、それに挫折してワルになったとか、でも年輩者には礼儀正しい面があるとか、成人式で騒いでいた連中をひとりで叩きのめした武勇伝とか、いろんな情報が流れてきた。

 傷害容疑で逮捕された彼は、思った通りの容貌だった。私は切れるとわからなくなるエンセン井上を思い出した。
 サッカー少年時代しかしらないひとたちは、黒人獨特のでっぷりとした体形になった今の彼におどろいていた。

 すっかり有名人になり、名前も顔も売れてしまった彼は、今後「本格的に」そっちの道に行くしかないのだろうか。
 そうならないで欲しいと願う。私はハーフである彼の屈折の部分と、長幼の序を大事にする礼儀正しい面と、昂奮すると歯止めが利かなくなる性格と、いくつもの部分に共感を覚えるので、なんとか彼に表の世界に止まって欲しいと願っている。

 挌闘技ファンの間では挌闘家転向なんてことも話題になった。でもこれはダメ。それは前記の「カッとなるとわからなくなる性格」はプロ挌闘家になってはいけないからだ。ゴルドーに代表されるように相手の目を潰したりしてしまう。ケンカが強いこととプロ挌闘家は別の話だ。

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 「たかじん」の正しさ

 2010年12月19日の「たかじん」を入手してみた。みな納得する意見を言っていて、なんとも魅力的な番組だと思った。大阪はすばらしい。関東だと「たけし」や「太田」がほんのすこし言っただけでピーっとなってお終いだ。ここまで正しい本音を好き放題しゃべれる大阪はすばらしい。

 何人もが口にした「そもそも歌舞伎役者なんてのはたいしたもんじゃないんだ」は言うまでもない。
 たかじんは一緒に飲んだことはないが、新地の芸妓たちから聞いた話として、海老蔵の酒乱の悪さで、酔うとトイレに行くのが面倒だと床の間の花瓶に小便をする話等を紹介していた。
 会見に関してたかじんの言った「男らしくない」が辛辣。被害者になろうとするあの姿勢はいただけない。

 勝谷は海老蔵の顔や目つきから、自分やたかじんと同じアルコール依存症の傾向と言い、記者会見をキャンセルして飲みに行ってしまうのはそこから来ていると指摘していた。

 やはりどう考えても、そういうことすらも「舞台の上の歌舞伎役者は、荒波の上の船乗りのようなものだから、たまに陸に降りたときは許されるのだ」としてしまう茂木さんの意見は「熱狂的ファンのヒステリック絶叫」としか思えない。

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 真相究明──当人が語る(2011/2/17)

歌舞伎俳優の市川海老蔵さん(33)は、酒場で暴力などを振るっていた――。

一緒に飲んだ元暴走族リーダー男性(29)がテレビ番組で、このような「酒乱」ぶりを初めて自らの口から語った。
元暴走族リーダー男性との単獨インタビューは、TBS系の報道・情報番組「Nスタ」で2011年2月17日夕に放送された。

■初めは意気投合、シャンパン10本空ける
 男性の言い分は様々な形で報じられているが、直接取材に応じるのは初めてという。
男性はインタビューで、10年11月25日未明、傷害事件のあった東京・西麻布の雑居ビル11階の会員制カラオケバーで、海老蔵さんと3回目ぐらいに席を共にしたことを明かした。

「お久しぶりです」。その証言によると、2人とも初めは意気投合して、お互いに敬語で乾杯するなどしていた。そして、話が弾んで、シャンパンだけでも10本ぐらいを空けるほど、飲み続けた。

その後、ビル6階にあるダーツバーに移り、そこで、伊藤リオン被告(27)ら男性の後輩たちと合流した。
ところが、海老蔵さんはその直後に、テキーラを灰皿に入れて、後輩にこう勧めたというのだ。「後輩だったら、これで飲め!」
さらに、11階のカラオケバーにもどったとき、男性は、酔いつぶれて「帰りたい」と言い始めた。
しかし、海老蔵さんは男性の髪の毛をつかみ、「しっかりしろよ!」と無理矢理起こそうとした。

これを見かねた伊藤被告は、「もういい加減にして下さいよ。先輩に何するんですか」と口をはさんだ。
これに対し、市川海老蔵さんは頭に来たのか、いきなり立ち上がって、「なんだ、この野郎! 後輩のくせに」と怒鳴りつけた。

■後輩が海老蔵さんに手を出したことは謝罪

元暴走族リーダー男性も、この状況に切れた。
立ち上がって、「後輩に何なんだよ! 後輩関係ねえだろ!」と市川海老蔵さんと言い合いに。
すると、海老蔵さんが、いきなり男性の鼻めがけて、頭突きを食らわせたというのだ。
男性は、そのまま倒れて座り込んでしまったという。鼻血が出たため、その後に病院に行き、10日間のけがの診断書が出たことはすでに明らかにされている。
男性の証言によると、これが事件前の一部始終だそうだ。

海老蔵さんは、10年12月28日の再会見で、暴力を否定できないとして、示談に応じたことを明かしていた。
しかし、自らは暴力を振るったり、灰皿にテキーラを入れて飲ませたりした記憶はないと、一貫して主張し続けている。
これだけ暴れていたとしても、本当に記憶にないのか。
所属する市川團十郎事務所に取材すると、担当者は終日外出中とのことで、話は聞けなかった。
男性は、伊藤リオン被告については、先輩のことを思って手を出しただけだとインタビューで強調した。
11年2月18日にはその初公判が東京地裁で行われるが、証人としてそのことを証言することを明らかにした。

一方、無期限の謹慎をしている海老蔵さんについては、
「家庭があり、仕事もあるので、その面では本当に申し訳ないことをした」と後輩が手を出したことを謝罪している。


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 まあこれが真相だろう。
 私が興味あるのは茂木さんの姿勢。
 これによってあらためて茂木さんの意見がヒステリックおばちゃんレベルであることが確認できた。
12/17  郵便局で怒る!?── 秋葉原餘韻?

 雲南の妻子に荷物を送るため郵便局に行った。毎日電話で話しているがなかなか行けない。今年も行けないままもうすぐ終ろうとしている。そんな中、好みそうなお菓子や本を選んで送るのはささやかなたのしみだ。

 ちかくに郵便局は三ヵ所ある。
 ひとつは南に300メートルほど下ったA局。ひとつは北に500メートルほど昇るB局。もうひとつが北に800メートルほど昇るC局。これが本局。

 いつも一番近いA局から送っていた。なにも問題はなかった。ところが数ヵ月前にここの担当が、それまでの親切なおばさん局員から、「眼鏡を掛けた太った性格の悪そうな女局員」になった。年齢は二十代後半。一目見たときイヤな顔つきの女だなと思ったが、やはり性格が悪かった。顔は雄弁だ。齢を重ねてその辺は一発で見抜けるようになった。

 EMSで送る妻子への荷物明細に、「DVD.Book.Food」と書く。いつも同じような内容だ。それぞれの枚数、値段、個数も指示通り枠内に書いている。すると新任のこの女に「食糧の中身を細かく書け」と指摘された。初めての経験だ。いつもFoodはFoodだけだった。X線検査をするのだから危ない品でないことは判る。それが確認できればそれでいいだろう。
「どういうことですか」と問うと、「食糧とはどんなものか」と言う。お菓子だと応える。だったらチョコレートとかクッキーとか詳しくそれを書けと言う。言われるとおりにした。英語で書かねばならない。チョコレートはChocolate、クッキーはCookieと書いた。帰宅してからクッキーはCookyかと思って調べたら、どちらでもよく、米語ではCookieらしいから、まあ恥を掻かずに済んだかと思った。



 テロ対策として航空便で送る荷物は検査が厳しくなっている。電池類はダメになった。私はあたらしいiPodを買ったとき、古いのを妻に送ってやろうと思った。正直に中身としてiPodと書いたので、それを見たおばさん局員に「電池類の含まれている製品は航空便では送れなくなったんですよ」と教えてもらい難を逃れた。以前は送れた。電池のある製品が送れなくなって間がなかった。爆弾対策として適切とも思う。
 中身をいいかげんに書いていたらX線検査でノーとなり送り返されてきたろう。EMSは高い。毎回4000円ぐらいするので、それが中身に難ありと返送されてきたら無駄になる。

 食糧品の中身もより詳しく書くようになったのかどうかは知らないが、そういう御時世だからこの女局員の指示そのものは不快ではない。問題は態度でありそのやり方だ。典型的な上から目線。誤りを指摘して恥を掻かせる態度なのだ。私が「なんて書くんですか」と問うたとき、険しい目で睨みつけ、チョコレートならチョコレート、クッキーならクッキーと書くのだと「そんなこともしらんのか、このバカ」という顔をした。眼鏡を掛けた性格の悪そうなデブ女にそんなことをされると不愉快だ。ましてあちらは二十代、こちらは五十代、立場は客と局員である。念のために書いておくと私はそんなことに神経質ではない。その場限りのニンゲンとの関わりなどどうでもいい方だ。その私があきらかにそれを感じたのだから、この女の態度の悪さは相当なものだった。

 が、事なかれ主義でイヤなものからは逃げてばかりいる私の取る方法は決まっている。それからはA局に行かないようになった。それだけ。なさけない。毎度こんな解決法ばかり。「キサマ、その態度はなんなんだ!」と日本刀でも振りまわして暴れたいが永遠に出来そうにない。まあそんなことになったら、このホームページが役立ち、「長年の不満が鬱積していたらしい」となるだろう。

 B局に行くようになった。すこし遠いがあの女の顔を見るよりはいい。



 EMSはこれがあるので便利。これでネット検索すると、何月何日の何時に成田を出発した、北京にいつ着いた、いまは昆明だと明解に教えてくれる。日本からだと云南省には二日で昆明に着く。でもそれからが長い。妻に近所の郵便局から電話が来るまで、それから一週間ぐらいかかる。中国では配達はしてくれない。局まで取りに行く。
 先進国同士だとほんとに早くて便利なEMSだけど、中国の田舎に届くのは遅い。ちっとも早くない。なのに値段の高いこれをずっと利用しているのは保証がしっかりしているからだ。中国のいいかげんさを知っているから事故が怖い。さいわいまだ一度もない。おそらく荷抜きをするような支那のチンピラも、EMSに手を出すと追及が厳しいとか、その辺は知っているのだろう。いやEMSを扱う者はきちんとした連中に限られチンピラは近寄れないのか。
 もう何回ぐらい送ったろう。50回以上100回未満。




 今回B局が混んでいた。EMS用の用紙が置いてない。ちいさな局なのでこんなのを利用するひとはほとんどいないのだろう。
 お昼時。郵便の窓口には5人ほど並んでいる。用紙に記入してから並びたかったので、それをもらいたい。窓口はみな混んでいる。私は列を乱して、局員に話しかけるほど図々しくはない。どうしようかと見わたすと、窓口とは別の右端で立ち話をしている女局員がいる。知りあいなのか業者なのか、親しげに話している。この女ならいいだろう。私はそこに行き、会話が終るのを待って、EMS用の用紙をくださいと言った。するとその女が言った。「あ、それでしたら窓口にお並びください」。

 温厚な事なかれ主義者がこれでプチンと切れた。郵便を出すために並んでいる5人の後ろに並び、自分の番で用紙をもらい、さらにまたそれに記入して並ぶという二重手間になる。どれほど時間がかかることだろう。
 一般の振込用紙等は置いてある。自由に取れる。それと同じようにEMS用紙が置いてあればすむことだ。他局ではみな置いてある。今までどこの郵便局でも、ロビーで用紙を手にし、記入してから窓口に行っていた。置くべきものを置いてないこの局がおかしいのである。

 私はその女局員の身勝手な言い種にむっとなった。これではまるでむかしの御役所仕事そのままではないか。あのころ、区役所等で、紙切れ一枚もらうのに窓口を盥回しされたものだ。
 しかしそこは筋金入りの事なかれ主義者。何も言わずソファに置いてあった荷物を手にすると局を出た。こんな不愉快な郵便局は避けてC局に行こうと思ったのだ。
 自転車の篭に荷物を入れ、出発しようと思ったら、くだんの女局員がEMS用紙を手に出て来た。





 ここで持病の腰痛について話しておかねばならない。毎年定期的に病んでいる。
 昨年は夏だった。ひどかった。自然治癒で二ヵ月ぐらいかかる。ところが昨年は治りかけたのをまたやってしまい、四ヵ月ぐらい動けなかった。今まででも最悪だった。食品を買いにすら行けず栄養失調でそのまま死ぬかと思った。

 今年は秋に来た。猛暑の夏に腰痛で動けないのもなさけないが、大気が凛とし、冴え冴えとし、やる気に満ちる晩秋に腰痛で動けないというのも悔しいものだ。やる気満々なのに机に向かうとすぐに痛くなる。早々に退散しこたつ(火は入れてない)で横になる。あれこれやりたいのに出来ないのだからつらい。がにまたで腰を曲げて這うように歩くみじめさ。くしゃみの時の激痛と来たら……。

 郵便局に出かけたのは、なんとか荷物を持って歩ける程度に恢復したころだった。
 歩くのが苦痛でトイレに行くだけでもひいひい言っているが、自転車に乗れるのが助かる。これがダメだったら私は食糧買い出しに行けず餓死している。

 女局員の不愉快な対応に私はソファに置いておいた荷物を手に局を出た。このへんまともなら素速く動いているが、そういう事情だったので、私は腰を曲げた老人状態。6キロほどの荷物でも持ちあげるのに難儀し、よろよろと自転車に近づいていったのだった。
 なにが言いたいかというと、そういう状態だったので行動が遅かったということ。もしも健全な状態の私だったら動きが速いから、その女局員が用紙を手に出て来たときにはもう消えていたろう。
 その女局員が出て来たとき、幸か不幸か私はまだ自転車につかまってもたもたしていた。



 女局員は「あの、これEMS用紙です」と言って差しだした。列に並べと言ったら荷物を手に出て行くのを見て、いくらか自責の念が生じたのだろう。
 私は他の局に行くからいらないと言い、なぜそれを外に置いておかないのか、他の局はどこでも置いてある、それが常識だろうと言って去ろうとした。でも次の女局員のひとことで立ち止まった。
 そいつは「そうなんですよね」と言ったのだ。「そうなんですよね、ほんと、申しわけありません」と。
 
 それで思い出したのだが、この女局員は前回私がここに来たときに対応した女だった。午前中で客はひとりもいなかった。そのときも用紙はなかった。私は口頭で申しこんでそれをもらって記入した。このときもおかしいとは思ったのだが、客がいず、待たされることもなかったので気にならなかった。そのときこの女局員が叮嚀な応対をし、好感を持ったことを思い出した。いまも荷物を手に帰ろうとする私のために用紙を持って駆けつけてきたのだから、それなりに仕事熱心ではあるのだろう。

 事なかれ主義者であり人嫌いである私は事を荒立てたくないからさっさと去りたかった。しかしこの女の「そうなんですよね」に反応してしまった。思わず私は早口で捲したてた。
「そうなんですよねって、ここはあなたの職場でしょう。なんでそんな他人事風に言うんですか。その言いかたはおかしいでしょう。よその局はみなその用紙を自由に取れるように置いておくんですよ。そこで記入して窓口に並ぶのがふつうなんですよ。その方が効率的でしょう」
 するとまたその女は言った。「そうなんですよね、ほんとに申しわけありません」と。

「あのね、その〝そうなんですよね〟がおかしいって」と喉元まで出かけたが、もういいやと思ってペダルに力を入れた。

 無事まともな対応をするC局(さすが本局は応対がしっかりしている。もちろん用紙も自由に使えた)から発送し、事なきを得た。すこし遠いけどこれからはここにしよう。以前も大事なもの(って言いかたもおかしいが)を送るときは、いつもここまで来ていた。不快な思いが避けられるなら遠いことも苦にならない。



 とまあそれだけの話なのだが(笑)、私には珍しく立腹したのは、先日秋葉原のプロ店員と接していたからだろう。そのときも郵便局やスーパー店員の例を挙げ、それらと比して秋葉原の店員はプロだと讃えている。

 久々秋葉原散策
 
 郵便局は民営化によりあきらかに態度が変った。ふんぞりかえっている公務員ではなく一般のサービス業なのだ、そうならねばならないという意識が見えて好ましい。しかしまだまだこういう細かな缺陥が多数ある。
 同種の製品の売りあげを競う一般の店だったなら、このB局はあきらかに顧客サービスに問題があり、競合店に負けてしまうだろう。

 B局の女局員はたぶん私の指摘に納得し、EMS用紙を誰でも手に出来るようにしたと思う。そう信じたい。
 でももう私がB局に行くことはない。


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