05/3/3
 談話室「滝沢」の閉店

 立ち読みした週刊誌(文春か新潮)にモノクロのトピックスとして「喫茶店滝沢の閉店」があった。もう十年近く行ってなかったがなんとも胸に迫るものがありこれはこれで時代の区切りだなと感じた。
 喫茶店と書いたら好きな人に叱られるか、「談話室」と書かないと。この和風の喫茶店は池袋、新宿、お茶の水などにあり、飲み物は一律千円だった。もう喫茶店なんて長いあいだ行ってないから知らないが珈琲はいま一杯いくらなのだろう。とにかくここは一般が三百円の時代にはもう千円だった。その代わりいくらいても文句を言われない。週刊誌の記事ではここを書斎にしていた作家がいたと書いてあった。物を書いている人を見かけたことはないが、それらしき人と編輯者の打ち合わせのようなものはよく見かけた。
 私が初めてここに行ったのもそういう雰囲気にあこがれてだったろうか。きっかけの記憶がない。高級喫茶店として誰かのエッセイで読んだのだったか。何十回か行ったうちのほとんどは新宿である。若いころ読書のために何度か行った。新宿紀伊国屋で待ちかねた小説を買うと、ここで読むために入った。儀式だった。ささやかな贅沢だった。喫茶店というのは今も昔も(今は知らないのだが)長居の出来ないところだから好きなだけいられるここが高いとは思わなかった。最初からそういう特別な喫茶店に行くのだという意気込みだったのだから思うはずもない。
 物書きになってから何度か編輯者との打ち合わせでここに行く機会があった。これはなんとなくうれしかったものだ。あちらから待ち合わせ場所として「滝沢」という名が出たとき、そこはかとない高揚感を感じた(笑)。
 ライタ仲間でここが好きな人がいて待ち合わせ場所として何度か使った。彼がここを指定するのはこの喫茶店のステイタスが好きだったからだ。

 あれは何年前だったろう。チェンマイ在住のHさんが帰国したのを私とKさんで出迎え、なぜだか空港から私の地元の中延(品川)までやってきて駅前の喫茶店に入ったことがあった。なんでそんなことになったんだろうなあ、HさんともKさんとももう切れているからかどうか知らないけど、ほんとに思い出せない。
 老夫婦のやっている小さな暗い店だった。内装もひどかった。朝の九時頃に入った。店内にはだれもいなかった。チェンマイでの話が弾んで四十分ほどいたら、しなびた亭主から「そろそろ追加を」と言われたのでおどろいた。Kさんがむっとして「もう出ます」と言って出たのだったか。思えば人と一緒にふつうの喫茶店に入ったのはあれが最後になる。こういう形の喫茶店が追い込まれていったのは時代の趨勢だろう。
 そのとき私は「滝沢」を思った。350円のコーヒーをもう一杯飲んでくれと言われるなら最初に千円払って好きなだけいたほうがずっと気分がいい。三人の話が楽しく盛り上がっていたときだっただけにまさに水を差された感じだった。
 それからは珈琲がお代わり自由のファミレスやマンガ喫茶になった。唯一、脱サラしたご主人がひとりで始めた住まいの近くの『自由人生』という店にスポーツ紙や漫画誌を読むのによくいっていたが、引っ越しのとき挨拶に行ったら閉店していた。たぶん不景気の折り、むかしのように「昼食を食べて、残りの時間を喫茶店で」という習慣がなくなってしまったのだろう。「喫茶店のコーヒー代」は小遣い節約の対象として真っ先に浮かぶ。

 「滝沢」閉店の理由は「満足できるだけのサーヴィスが出来なくなった」からだという。いや「出来なくなりそうだから」だったか。千円を二千円にするわけにもゆくまいし、時代の節目に使命を終えた、となるのだろうか。かくいう私も近年利用していない。しかしこれは田舎にこもっていて利用するような情況ではなかったからなのだが、冷静に考えてみるともうする気もなくなっていると気づく。喫茶店に長居したいとは思わない。假りにするならドリンクお代わり自由のファミレスでいいやと思う自分がいる。こんな私のようなのばかりではなく今も「滝沢」を愛する人は大勢いようが、閉店は正解なのであろう。
05/3/12
 千葉県知事選──正蔵襲名

 あすは千葉県知事選である。連日ライブドアの話題が新聞を獨占していたから本来はもっと耳目を集める話題なのにずいぶんと引っ込んでしまった。きょうなんかスポーツ紙の一面がみなニッポン放送とライブドアの裁判の結果である。スポーツ紙の一面にホリエの顔がでっかく載るのだから奇妙な時代だ。
 森田健作の応援に東京、埼玉、神奈川の知事がかけつけた。この結束力の価値はおおきいだろう。魅力的だ。千葉だけおいて行かれても困る、と思う。ふつうは。ドウモトを選ぶ千葉県人がなにを考えているのか私にはわからない。対してドウモトのほうは、どこだっけ、東北とか関西の知事がかけつけていた。あと都知事選で負けたヒグチケイコが来ていた。応援合戦は森田の勝ち。どっちがどれぐらいの差をつけて勝つのか。開票結果が楽しみである。
 森田は埼玉県知事選に出るつもりだった。それを山崎拓に断念してくれと頭を下げて頼まれた。苦しい時に助けてもらい唯一恩義を感じている政治家だった。あの断念の時の涙は嘘ではあるまい。今回勝つとそれはそれでドラマチックになる。千葉の住居は山武郡だというから成田の近く、千代田牧場のあるあたりか。千葉県知事になったら福岡までヤマタクの応援に行くのだろうか。


 こぶ平の前代未聞の大々的なお練り(パレード)をする正蔵襲名も明日だ。まだまだと思っているうちに来てしまった。
 これに関する私の意見は以前も書いたけれど、正蔵という名跡は林家のものなのだから他人がどうこう言うものでもない、になる。初めてこの話を聞いたときは正直なところ一瞬こぶ平にはまだ早いとかもったいないとか思ったのだが、すぐにこっちの考えに落ち着いた。じいさんの名を孫が継ぐ、それだけである。
 彦六が一代限りで正蔵の名を借りたときの経緯は、真相は藪の中だが、円満な貸借ではなくヤクザの恐喝もどきだったという話もある。五十四歳で正蔵が逝ってから一年も経っていない時だ。三平にはまだ力がなく貧乏でもありそれを拒めなかった。すくなくとも正蔵夫人がまだ喪も明けないうちにそんなことをされて悔しがったのは事実のようだ。そうしていま孫がじいさんの名を継ぐ。すなおに祝ってやろう。
 正蔵も三平も享年は五十四である。じいさんも父親も五十四で死んでいる。こぶ平はこのことをかなり強烈に意識しているだろう。
 もうだいぶ前、上野鈴本の席亭から襲名の打診があったとき香葉子未亡人は時期尚早と拒んだという。今回は二度目だった。席亭というのはめでたい話題で落語界に活を入れたいと願っているからこういうことが大好きである。志ん生の「びんぼう自慢」を熟読して学んだことのひとつにこの「寄席の席亭の豪毅な人柄」がある。襲名披露をしなさいといってポンと出してくれた金を飲んじゃうんだものなあ(笑)。かなりの旦那気質じゃないと寄席の経営なんてできないようだ。

 あすはひさしぶりに寝て曜日にしよう。
 桜花賞トライアルはラインクラフト。本番でも本命だからここは負けてもいいけど。でもエンドスウィープ産駒だからここを勝って本番で負けるのかな。連闘のサンデー産駒がどんな走りをするか楽しみだ。
05/7/15  似たような貸出票

 新宿中央図書館から借りてきた車谷長吉の「銭金について」を読んでいたらハラリと貸出票が落ちた。一瞬見て自分のものだと思った。台東区の入谷図書館から借りてきたのと同じ本の名が書かれている。毎回2冊ずつ藤沢周平全集を借りていたころのもののようだ。

 が、よく見ると新宿の中央図書館だし、日附も四月だ。私の前にこの「銭金」を借りた人がここに挟んだままだったのだ。いやはや藤沢周平、池波正太郎、「日本の名随筆」と好みがよく似ている。

 同じ本を読む人はこんなにも好みが似ているのかと、最初照れくさいような気分で苦笑し、それからすこし共通しすぎていることに気味が悪くなり、やがてこんなに感覚の似ている人がいるのは決してわるいことではあるまいと思えた。
 同じように立川図書館の本からこれと同じ紙が落ちたことがあった。その人も私と同じく落語CDを借りて時代小説を読んでいる人だったので苦笑したことがある。
 いつの日か酒場で隣り合ったら、趣味嗜好が似ていて話の弾む人がいるってことだからまんざら悪い話ではない。そう思うことにした。  

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