日々の雑記帳


02/3/3
下げ魔──奇妙な性癖


 東京品川。
 十年ほど通っている近所のラーメン屋に行った。十年通っていると言うと一般にはなかなかのものであろうが、同じところにもう三十年済んでいて、二十年以上通っている店がたくさんあるぼくには、たいしたものではない。

 そこで〃日本では〃珍しい体験をした。昼に回転して午前3時までやっているありふれた中華料理屋である。当然店員はくるくるとよく替わる。せっかくパートのおばさんながらニコニコした礼儀正しい人が入ったなと思うと、しばらくぶりに行くと、ソリコミを入れ眉を細くしたコワいアンチャンに替わっていたりする。そのアンチャンが見かけは悪いがけっこういいヤツだなと思う頃にはもういなくなっていたりする。きょうもまた二月半ばに外国から帰ってきて、一ヶ月半ぶりぐらいに行ったら、またフロアの店員が替わっていた。

 新しいアンチャンの愛想が悪い。いつもならこの店の店員は、みなドンブリをもってきたとき「お待たせしました」を言えるのだが、こいつは言えない。ドスンと置いて行くだけだ。追加のビールを頼んでも、「ビール? ん? ビール?」と、「ビールですか?」と問うことが出来ず、尻上がりのイントネーションで「ビール?」と単語を繰り返すだけだ。ひさしぶりの大外れバカヤローである。

 それはまあ今の世の中、がまんしなきゃならんのかなあと、それぐらいは耐えるのだが、こいつ、ヘンな習慣があった。「下げ魔」なのである。こんなことばがあるかどうかわからんが、タイでしばしば経験し印象深いことだったので、とりあえず作ってみた。
 客商売として最低限のことばづかいも出来ない。無愛想。注文品を運んできてカウンターに置くときも音を立てると悪いことばかり。そうでないときはボケーっとテレビを見ている。なのにコイツは、異常に器を下げるのに熱心なのである。餃子を食い終ったと見るとふっとんできて餃子の皿をもっていく。ビール瓶も最後の一杯をコップに注ぐやいなやとんできて下げる。スポーツ紙を読みつつ至福の時間を送っているぼくには極めて目障りである。わずらわしい。さらにはまだ食い終っていないタンメンまで、ちょっと新聞に目を取られた隙に下げようとする。さすがに無口で気の弱いぼくも「まだ食ってんだよ!」とちょっと語気を荒げた。

 最近の日本の盛り場のことはよく知らない。けっこう外出はするのだが、ぼくはもう不愉快にならないと解っている馴染みの店しか行かないようになっている。
 昨年暮れ、後藤さんと競馬記者のIさんと新宿で飲んだとき、盛り上がっている最中に店員からそろそろ出ていってくれと言われて驚いた。どうやらその居酒屋は二時間を過ぎたら客を追い出すとか、そんなシステムらしい。まあ注文をしなくなった客を置いておくのは席の無駄になるから解らない気がしないでもないが、こちらはまだどんどん注文するような(三人とも酒が強いから)状況だったので驚いた。でも大きな街の盛り場では今や普通なのかもと思う。毎日のように渋谷新宿にでも出ていればこの異様な「下げ魔」も、けっこう見かけるタイプだったのかも知れない。前述の追い出し酒場のようなところでは、空の皿はとにかく早く下げるようにと教育しているはずだし。ただ、ぼくの知っているバー、居酒屋、食堂などでは、東京に住んで三十年になるが、初めての体験だったので驚いたのである。

 そしてなんといってもこのことが印象的だったのは、この「下げ魔」が、タイにおいては日常なのだ。ぼくの大嫌いなタイ人の性癖である。なんとも理解しがたい。つい昨年もそれでイヤな思いをしている。そのことでまたあらためて思い出すのは、それは『サクラ』の有山パパもタイで最初に感じたことであり、シーちゃんや従業員(あのころはダーオか)にそこから教え始めたことだった。

 ということで「チェンマイ雑記帳-奇妙な習性」を書き始めた。が、これ、仕上がって公開するのは今取り組んでいる仕事と連続する結婚式が終る来週だろう。とにかく今週は忙しすぎる。
 実に実に些細なことではあるが、ぼくはこの「下げ魔」のアンチャンがいるかと思うと、そのラーメン屋にいま行く気がなくなっている。こういうのこそさっさと辞めて欲しいと思うのだが、ぼくがそう思うと意外に長続きしたりする。来月訪問する頃には辞めていることを願う。不景気だからなあ、あのアンチャンも辞めても行くところないだろうし、辞めないかな。だけどまた思うのは、自分のだらしなさだ。ドスンとビールをおいたなら、「もっと静かにおけ」と注意すればいいのである。そのことで彼は学ぶ。それが正常な客と従業員、年輩者と若者の関係だ。それが出来ない逃避オヤジには、こんなことを言う資格はないのかな。それが出来ない逃避オヤジだからここにこんなことを書いてるんですけど(笑)。
02/4/12
風邪


 風邪を引いた。日本では何年ぶりだろう。この「日本では」という言いかたが異常だ。年に三ヶ月は暮らすチェンマイでは、二年に一度ぐらいずつ引いている。病気をするということの基本は気が緩んでいるからだ。ということから理屈づけると、ぼくは日本よりもチェンマイでのほうが気が緩んでいる、気楽に生きているということになる。ヘンな話だと思い考えてみる。すると、自分の生まれ育った国よりも異国でのほうがくつろいでいるというのはおかしいようだが──くつろいでいる、ではないのか、油断しているか?──突き詰めてみると矛盾もしていないと気づいた。

 いわば日本でのぼくは、がんばって仕事をして稼いで、チェンマイでのんびりするぞと、それを目標にしているわけで、そうして稼いだ金でチェンマイに行き、ああチェンマイだ、これでのんびりできる(=假に病気になっても寝ていればいい)と思うから、そこで気が緩み風邪を引くというのは理屈として間違ってはいない。一般に異国への旅とは、言語習慣すべて異なったところへ進入するということだから、普段より以上に周囲に警戒せねばならない。でもぼくの場合すでにチェンマイは、言語習慣にも問題がなければ、衣食住も親しんでいるところだから、異国に行くという一般的概念とは違っているのだろう。

 チェンマイで風邪を引いたとき、ぼくはすぐに薬を買ってきて飲み、ベッドの中で丸まる。一気に治してやると心し、傷ついた獣が巣穴にこもるようにして、実際その方法でいつも一気に治してきた。二日とかかったことはない。チェンマイで風邪を引くということは、ぼくにとって二年に一度のイヴェントのようなもので、チェンマイでそれをしていたから日本では風邪を引かなかったともいえる。

 ということからも気を張って生きてゆかねばならない日本で風邪を引いたということは大きな失点であり、厳重警戒と反省をせねばならない。鼻水が出てきたときはトレンディな花粉症とかいうものにやっと自分も関われたかとも思ったが、どうやらこれは純粋な春の風邪のようだ。クシャミと鼻水、寒気である。置き薬の風邪薬を飲んだ。

 突如それを感じたのが木曜の深夜。今は金曜の夕方。症状は悪化もしないがよくもなっていない。まあ、病気というほどのものでもない。普段病気はしないことにしているから、この程度でも自分的には大騒ぎしている部分もある。「おぉ、おれでも風邪を引くことがあるのか!?」と、ちょっとうれしいような驚きも感じている。

 といってぼくが病気とは無縁の健康人間であるわけでもない。もしも会社勤めをしていたなら人間関係のストレスでぼくは病気の総合商社になっていただろう。そういう意味で唯一自負しているのは、自分という人間を判断し、適材適所に導いたということだ。もしもぼくがあのままリッパな会社にいたなら、基本的にがんばりやで努力も嫌いではないから、そこそこ出世し人並み以上の地位を得たろうが、同時に今頃胃なんてなくなっていたようにも思う。胃潰瘍から胃ガンの路線だ。実際ほんのすこし人間関係がもつれるとすぐに胃が痛くなる。こんな気楽な暮らしをしていても胃薬は必需品だ。

 なにひとつ自慢するものはない。健康も自慢できる元々のものはない。でも、そういうふうに自分を導いてきたココロとノウミソに関しては自慢してもいいと思っている。ぼくなんかへたしたら上司を殺すような問題を起こして至ろう。
 脱線したが、そんなわけでいつ以来だか記憶にない風邪を引き、それでいて妙に感激(?)している心境だ。
02/3/16
レンタルヴィデオ
(02/3/16)

 宿酔いではないし、きのうのことも鮮明に覚えているから泥酔したわけでもないのだが、大酒を飲んだ翌朝が気怠く、何もする気が起きないのは毎度のことだ。読書する気迫もなく録り溜めてあるヴィデオで映画を観る元気もない。

 VAIOでこの日記をつけた後、古いヴィデオテープをデッキに入れた。1988年のプロレスである。録ってはあるがこんなふうに見ることは珍しい。よほど手持ちぶさただったのだろう。
 ブッチャーと鶴田がやりあっていた。ブロディが死んだばかりらしい。三沢はまだタイガーマスクだった。天龍は龍原砲である。それが終った後、いきなり「笑っていいとも」が始まった。どういうことだろう。なんでぼくがこんなものを録画しているのだ。理解に苦しむ。
 タモリが若い。「いいとも」のアシスタントだと羽賀ケンジ(どんな字でしたっけ?)のいた「いいとも青年隊」を真っ先に思い出すのだが、このころはチャイルズである。すっかりわすれていた。女の娘三人。リーダーが磯野キリコだ。チャイルドを複数形のチルドレンじゃなくチャイルズと名つけたのは赤信号のラサール石井だったか。なことはどうでもいいが。

 なぜこんな番組を録画していたかはすぐにわかった。テレフォンショッキングに前田日明が出てきたのだ。そのためにたぶんリアイルタイムで見ながら録画もしたのだろう。ちょうどUWFの有明大会の頃だから、取材であったばかりのはずである。懐かしく思った。いや、このころはぼくの人生でいちばん忙しかった頃だから、留守録かも知れない。留守録だな、これは。



 今年になってから最もしていないことはなんだろうと考える。映画を観ていないことだ。そのぶんここのところ読書の量はなかなかのものだ。って自慢にゃならんのだけど。

 とはいえ例年なら既に20本は観ている時期なのにゼロ本とはいくらなんでもひどい。二三年前に出来た近所の『TSUTAYA』に行き、夕方6時半の飲み会まできょうは映画三昧とすることにした。『TSUTAYA』といえばチェンマイにもチェンライにもあったのには驚いた。どういうことなんだろう、あれは。店内に入っていないので詳しいことはわからないのだが、間違いなくロゴも看板のカラーも日本の『TSUTAYA』だった。タイなんかでやって採算が取れるのだろうか。

 ぼくには二十年以上前から通っているレンタルヴィデオ屋があった。脱サラしたおじさん二人が始めたものだ。開店当初は近所にライバル店がなかっこともありたいへんな賑わいだった。新作なんかいつもレンタル中でなかなか借りられなかったものだ。その後、同様の店が続々と出来たが、それでも順調に経営していた。ぼくは開店当初からの会員だったこともあり、カードを忘れても信用貸しをしてくれることもあり、ずっと贔屓にしていた。その後、もうひとりのおじさんが加わり、三人体制になった。
 最初の躓きはパソコンの2000年問題である。たいへんなことが起きると話題になりつつ、事前処理が功を奏し、大山鳴動してネズミ一匹だったあの問題で、絵に描いたようにデータもなにもすべてがふっとんでしまったパソコンを、ぼくはこの店しか知らない。

 そこに『TSUTAYA』の進出である。個人の店は話題の新作を二本ぐらいしか入れられないのに対し、三十本五十本と並べ立てるのだから適うはずがない。その店は新しくパソコンを入れる餘裕がなかったのだろう、手続きが昔の手書きにもどった。面倒である。処理が遅い。客足はより遠のいた。現在青息吐息、つぶれるのは時間の問題になっている。

 大資本が嫌いであり、おなじみのその店を応援したいのだから、ぼくが『TSUTAYA』に行くのは本意ではない。でも新作を借りてきたいのにその店はもうほとんど入れてないのだから仕方がない。どうやら『TSUTAYA』では出来ない無審査エロヴィデオでなんとか生き延びているらしい。

 もうひとつ『TSUTAYA』のような大きな店の魅力は、田舎のレンタル屋よりも新作旧作の流れが速いことだ。田舎だといまだに新作扱いで値段も高く、一泊二日のものが『TSUTAYA』ではすでに旧作扱いとなり廉価で七泊八日になっている。だったらこうして上京した日に借りてゆき、次回の上京で返した方が、安くて早くて便利なのである。品揃えが豊富で深夜営業までしている大資本に客足がなびいてゆくのは仕方のないことなのだろう。

 3本ほど駆け足で新作ヴィデオを観た。なんも感ずるものはない。ハリウッド映画自体がつまらないとも言えるが、どうやらぼくは今、活字モードに入っていて視覚にあまり興味がないらしい。こういうときはそっちに走ったほうがいい。無理に映画を観てバランスを取ろうなどと考えず、これは読書モードで突き進んだほうがいいようだ。

 さて渋谷の飲み会に出かけよう。





 これから数ヶ月後、このなじみのレンタルヴィデオ屋はつぶれた。脱サラして始め、当初は大成功だったおじさん三人は、いまどうしているのだろう。お金を残したのだろうか。それとも残ったのは借財だけだろうか。あの成功の時は、これから一生これで食って行けるとおもったはずだ。まさかこんな形で大資本につぶされるとは夢にも思わなかったろう。

 ぼくには厖大な量の(といっても中身はないが)「ヴィデオ映画日記」がある。そのほとんどはここで借りたものだ。二十年もつきあえば感傷的にもなる。(03/5/16)
02/6/25
サッカー-韓国戦回避


 日本がトルコに勝っていたら対韓国戦だったとか。そんなことも知らない門外漢だが、そのことをテレビで言い、「日本がトルコに負けて唯一よかったこと」と、したり顔で言っているテレビ論説委員を見て知った。あきれて口がきけない。
 それからもう数日経っているが、未だに不快だ。こういうオトナが、「指先を切る可能性があるから」と小学校での小刀の使用を禁じ電気鉛筆削りにしたり、「箸の使いかたは難しいから」と先割れスプーンにしたりしてきたのだろう。それらのことをすることにより、指先を切る痛みを知り、自分の中に血が流れていること、金物の危険さを知ること、ものを加工する技術を身につけることを取り上げてしまった。小学校におけるナイフで鉛筆を削ることは、こと鉛筆を削るという狭義の問題ではない。女には一定の年齢になれば生理が訪れ、自身の中に赤い血が流れていることを誰もが確認できる。男にはない。工作に失敗して指先を切ることの痛みは欠かすことの出来ない情操教育なのだ。今の世の、一度も人を殴ったり殴られたりすることもなく育ち、生まれて初めてそれをしたときは殺人だったなんて社会が、そういうことなかれ主義の発想から生まれたことを未だに気づいていない。発言しているのが女子供であるならともかく、分別のあるべき男であることに腹が立つ。

 リレー競争などでも、どんなに差がついても、最後はみんな並んで手を繋ぎ、一緒にゴールインなどという気持ちの悪いことをやっているところがあるらしい。勉強が出来て目立つ子もいれば駆け足が速いことで英雄になる子もいる。それをなぜ奪い取ってしまうのか。駆け足をみんなそろってゴールインにするなら、大学だってみんなそろって入れるようにしろ。まったくもって資本主義社会の中にいる社会主義者ほどたちのわるいものはない。

 なにもかも波風が立たないようごまかしで解決しようとする。なんなのだろう、その感覚は。私からすると、日本対韓国戦が実現し、そこで生のままの感情を対立させ、いくつかの問題が生じようとも、それを乗り越えて生まれるものこそが、近くて遠い隣国の距離をすこしでも近づける、今回のワールドカップの唯一の価値であるとさえ思っていた。対戦が実現しなかったことを、「トルコに負けて唯一よかったこと」と発言する論説委員がいる現実が信じられない。この発言が心に残ったのは、テレ朝でもあるなら笑ってやり過ごすのだが、フジだったからだ。

 韓国が対イタリア戦で「日本帝国の同盟国イタリアをぶっつぶせ!」とのビラを垂らしたとか、韓国対ドイツ戦で、日本人はみな韓国応援に回るかと思ったら意外にドイツのほうに千人もの応援団が現れて日韓の仲がギクシャクしたとか、明石家さんまが韓国ドイツ戦でドイツ風のユニフォームを着ていたことがけしからんとか、その種のことは「仲の悪い小学生」レベルの話である。小学生なのに直接意見を言い合わず、シンパを作ったり裏工作をするような姑息な合戦をしているから醜悪なのであって、正面から二人がとっくみあいのけんかをすればすべて解決する。とっくみあいのけんかをした小学生がそれをきっかけに仲直りするような機会が、今回のめったにない直接対決だった。それが実現しなかったことを「トルコに負けて唯一よかったこと」とはなんちゅう言いぐさだろう。

 日本は今、国立墓地とか国立慰霊碑とか、そんなものを作ってごまかす路線に邁進しているらしい。誰かに指摘されると言葉を置き換え、その言葉に文句が出ると、外来語に置き換えと、ひたすら置き換えごまかし路線で生きてきたこの国は、とうとう靖國神社問題さえも、中国や韓国に文句を言われないよう、それに変る施設を作ることでごまかす気のようだ。国のために散華した英霊の御霊になんと言いわけする気だ。この国は、どこまで堕ちるのであろうか。

02/6/27
禁煙条例施行
(02/6/27)

 千代田区で歩行禁煙に罰則を適用する条例が可決された。数日前のニュース。いいことである。といっても区の条例であるし、どこまで実効性があるかは疑わしいが。
 まだまだ日本は喫煙天国だが、それでも今春通い詰めた後楽園WINSでも、禁煙フロアがあり、そのおかげでなんとか過ごすことが出来た。以前は禁煙フロアでも平然と烟草を喫う連中が多々見かけられた。さすがに近頃ではめっきりとすくなくなって来た。そういう意識は確実に向上している。それでもまだ数人見かけた。みな若者だった。
 駅の喫煙コーナーを通るとき、中毒者が数人集まって醜くせわせわと烟草を喫っている。五人いる内の三人ぐらいは若い女である。世も末だ。鼻から煙を吹き出しているのを見ると、なんとも悲しい気分になる。なにしろ二分に一本は来る山手線のホームで、それを待つ間に喫っているのだから重度の中毒者である。飛行場と駅の喫煙コーナーでの喫煙は、なんだか見ていてもの悲しくなってダメだ。中毒者は、あまり表立ってみたくない。麻薬であれ何であれ他人に迷惑をかけなければやってかまわないと思うが、中毒の症状は、人前では脂汗を流しつつも平然を装い、トイレに駆け込んで注射、ああ〜、この世の天国じゃあ、なんて形であって欲しい。公衆の面前で堂々と注射を打つようなことはして欲しくない。駅の喫煙コーナーで鼻から煙を吹き出している女を見るときの嫌悪感はそれだ。

 千代田区だから秋葉原が含まれている。その条例特集を見ていて、自分が秋葉原好きである理由のひとつがわかった。精密機械の店の集合体だからいたるところ禁煙なのである。街を歩いていて、歩き烟草にいやな思いをする機会も、渋谷新宿と比べると極端に少ない。秋葉原好きに烟草が関係あるとは気づかなかった。店外にある灰皿も今年秋には一斉に撤去されるという。どういう成果があるか楽しみだ。
 それにしても、オトナの男が烟草を喫わなくなった。秋葉原で歩き烟草をやっているのも、若い男女ばかりである。マナーの問題とも思えない。そういう時代なのだろう。
02/7/4
《ルーズソックスとブロディ》(02/7/4)


 果たして何年流行ったのか知らないが、あの忌まわしいルーズソックスがやっと終ったようだ。ブームが終ってもまだしばらくはやっている田舎の高校生からもすっかり消えたから完全に消滅したと思える。あと数年も経てば、クイズに出る懐かしのファッションになるのだろう。このくしゃくしゃの靴下をなんと言うのでしょう、なんてな。
 町をクルマで走っていて、彼女らの靴下がみな紺のハイソックスになっているのを見て、そう思った。一般にルーズファッションは美しい体の線を隠すものだ。よくない。といっても私は、女子高生なんて生き物にはなんの興味もなく、バカが伝染するから十メートル以内には近寄らないようにしているほどだから、この言いかたにスケベ心はない。きょうも行きつけのコンビニに行き『週刊ファイト』を買おうと思ったら、汚らしいのが五、六人見えたから寄らずに帰ってきたほどだ。そのときも紺のハイソックスばかりで、それはいいのだが、これはこれで残酷だなと思った。以下はその話。

 ルーズソックスを見た当初、プロレスファンならだれもが故・ブルーザー・ブロディを思い出した。ブロディが足首に履いていた毛皮のブーツカヴァーは、ルーズソックスとまったく同じ形だった。ブロディはなぜ足首にあのようなものをつけたか、それがルーズソックスの効用を物語っている。アメフト出身のフランク・ゴーディッシュは足が速かった。百メートルを11秒台で走る。スポーツ紙記者を経てプロレスラになる。ディック・ザ・ブルーザー・アフィルスとの抗争から、ブルーザーの名を奪い取る。あだなはキングコングにした。キングコング・ザ・ブルーザー・ブロディだ。逞しい上半身。恵まれた身長。長髪。すべてはその名に適していたが、彼の脚はあまりに美しかった。足首が細いのだ。ハンサムな顔を活かし美形で売るならそれでもよかったが、彼はヒールの野獣系を選んだ。よって細くきゅっと締まった美しいランナーの足首を、ごついキングコングに見せるために隠したのが毛皮の足首カヴァーだった。

 都会の電車の中で、ルーズソックスを履いた女子高生の集団と乗り合わせるたびに思った。いくら嫌いでも山手線の中で下校時にでも出くわしたら逃げようがない。
 いつも思うのは、「このファッションはスタイルのいい娘には似合わないな」ことだった。女子高生の中にも、妙におとなびたスタイルのいい娘がいる。タイトなスーツを着て今すぐオフィスで働けるような感じの子だ。そういう娘のおとなびた脚にルーズソックスは似合っていなかった。彼女の脚の美しさを殺してしまうし、ルーズソックスもまた存在を主張できない。もったいないなと思ったものだった。一方、スタイルの悪い娘、幼児体型とでも言うのか、百姓娘体型とでもいうのか、ずんぐりむっくりの体つきで、太股とふくらはぎが同じぐらいの太さの娘である。こういうのにはルーズソックスはいいアクセントになっていた。豚がピンクのリボンをつけているように。
 つまり、ルーズソックスは、よいものを並に貶めてしまうが、よくないものの缺点を隠して並に見せる、共産主義のような(?)効果を持っていたのである。

 きょうの昼、『ファイト』を買おうと一度は乗り込んだコンビニの駐車場に、ハイソックスを履いたバカが五、六人いたので急いで方向転換した。そのとき思ったのは、ハイソックスの残忍さだった。それはルーズソックスとは逆に、脚の美しい娘のラインをより美しく見せ、ぶっとい醜い脚の娘を、より醜く見せるのだった。まっすぐな脚はその美しさを強調し、曲がった脚は曲がり具合を強調するのだった。それは、あまりに残酷な現実だった。私は自分がスカートを履くことのない存在でよかったと思ったほどだ。

 大嫌いだったルーズソックスの価値を、きょう初めて認める気になった。露わにして生きねばならない。正面から己の缺点を見つめねばならない。見つめて、認めて、さてそれからだ。そうは思うが、それほど単純に割り切れるものでもない。ルーズソックスが流行ったとき、密かに自分の脚のラインに自信を持っていて、その魅力を殺してしまうあんなものは履きたくないなと思った娘もいたろう。今年、ハイソックスにまたもどったとき、きたない脚の線が出ていやだな、ルーズソックスがいいなと思った娘もいたろう。
 若いときは流行に逆らえないんだよなあ。それが若さってもんだけど。

02/6/30
差別-学歴


 韓国対トルコの3位決定戦に関して、テレビが不自然な韓国びいきをしていたのはおかしいのではないかとの論がある。ごもっともである。見てないけどね。想像はつく。相手に気遣っているのは本物ではない。それこそが差別なのだ。なぜいつまでもそのことに気づかないのだろう。
 たとえば体の不自由な人の前で、体が不自由である話題には絶対に触れないように懸命に気を遣って会話をする。それこそが体の不自由な人に対する差別なのである。普通に話題を選び、普通に話せばいい。その中でもしも失礼な表現があったらその場で謝ればいい。それだけのことなのだ。

 私は自分のもっていたメディアでそういう「内なる差別意識」を意図的に仕掛けていた。おもしろいほどバカが引っかかってくる。差別はしていないと意識している内なる差別者だ。たとえば競馬の騎手に対して私が「中卒のチビ」などと書くともうたいへんである。差別だ差別だと大騒ぎする。大騒ぎするヤツが東大卒なのだから笑える。それで東大卒は、そういうことを主張した後、急いで自分のことも、誰も聞いていないのに(笑)、「私は自分から東大卒と言ったことは一度もない。すべて出版社がそう書いているだけだ」なんてわけのわからん弁明をしたりする。それって狂ってるよ、なんでそれがわかんないの。ほんとおもしろい。

 もちろん中卒のチビなんてのは私の言語ではない。騎手自身が言った言葉だ。「おれなんか騎手じゃなかったらただの中卒のチビですからね」と不適に笑いながら言う。二十歳で年収五千万が言わせる自信に満ちた言葉である。かっこいい。そう言い切れる騎手のかっこよさと、東大卒を自分から言ったことはないとおたおたしている競馬ライターのぶかっこうさは雲泥の差だ。

 韓国に対して腫れ物に触るように気遣っていた連中に、自白剤でも飲ませて本音をしゃべらせたら、とんでもない韓国差別の本性が出てくるだろう。中卒に気を遣う東大卒のように。
 私なんか言いたい放題だけど、自白剤飲まされてしゃべっても、言ってることはすべてここに書いているのと同じだ。戦法として偽悪ぶってるぶん、やさしい心がいっぱいあふれてくるか。
02/7/5
生まれ変ったら──大阪への憧憬
02/7/5)

《生まれ変ったら》

 ぼくは生まれ変わりを信じている。自分で選んだ人生だから(「親は選べない」なんて言いかたがあるが)今までの道のりに悔いはないけれど、生まれ変ったらやってみたいことがある。ああ、こういう言いかたをすると必ず「次は女に」と言ったりする人がいるけど、ぼくの場合は、親から容姿から頭の中身まで、すべて今のままでいい。今のままの人生をもういちど繰り返すとしたら、の話だ。
 関西の大学に入ってみたいと思うのである。具体的には同志社か立命だ。ぼくは十八まで田舎で育ち、その後は東京なのだが、以前書いたことがあるけど、田舎とはいえ東京と同じ電波を受信できる地域だった。テレビとか新聞とかそういう文化に関して、ずっと同じなのである。それは田舎者ではあるけどテレビがNHKと民放一局しかなかった田舎者とは違うぞという誇りになっているのだが、同時に物心ついてからずっと同じ文化圏にいるつまらなさにも通じている。もうひとつの異文化を体の中にもちたいと思う。そのときあこがれとして出てくるのが大阪なのだ。

 缺陥だらけの人間だが、自分でも思う致命的な缺点は積極さがないことだ。大阪人のあの強さと飾らない心を心底うらやましいと思う。たとえばおならに対する話がある。
 テレビで明石家さんまが言っていた。関西人は臭ってきたら、素直に臭い臭いと騒ぎだし、誰かが犯人はおまえやろうと言う。なにをいう、言い出しっぺが怪しい、おまえやろと賑やかだそうな。対して関東人は、明らかに臭いとわかっていても、まるで臭わないかのようにさりげなくその場を終らせる。そのことが関東に来たとき、さんまは不思議でとてもおもしろかったと言っていた。

 その通りなのだ。関西にも大地震による被害が生まれてしまったが(この話をしだすとぼくは当時の為政者に対する腹立ちが収まらない。決断力のあるすぐれた総理大臣だったなら死者は半減しただろう。罹災者はもっと怒らなければならない)、あれ以前、関西の人は関東に来ると地震に怯えまくり、その様はとてもおかしかった。そして彼らは本気で憎々しげに、全然動じない関東人を、ほんとは怖いくせにかっこつけてる、いやみなやっちゃと言うのだった。だけど関東には地震が多いから、一々震度3や4で騒ぐわけにはいかないし、なにより関東人は素直に感情を出すことがヘタなのである。ぼくはそういう典型的関東人なので、関西人(大阪人と限定すべきなのか)のこだわりない積極さがうらやましくてならない。それは明らかに自分にはないものだ。

 ぼくは大阪人を見ているとアメリカ人を思い出す。自分を真っ正面からアピールせねばならない多民族国家のアメリカでは、たとえば「グッバイガール」とか(あれはニール・サイモンの戯曲が元だけど)スティーブ・マーチン主演のいくつかの自虐映画に、男と女が耳をふさぎたくなるような本音をぶつけ合うシーンがしばしば登場する。恋人同士がケンカして、女が男に「あたしだってあんたみたいなハゲのチビはいやだったわよ。ずっと子供の頃からあこがれていたすてきな王子様がいたのよ。ましてあんたなんて稼ぎも少ないし二回も離婚しているし三人も子供もいるし」みたいなことを罵るように言う。それは「だけど好きなのよ、いつもいつもふと思うと、あんたのことばかり考えている自分がいるのよ」となるハッピーエンドへの課程なのだけれど、これがもう関東の男としてはダメなのである。「ハゲでチビで稼ぎも少ない」と言われると、いくらその後に「だけど好きなのよ」が続こうと、そこの時点で「じゃあ他の男を捜しな」となってしまうのだ。このハリウッド映画的な本音のやりとりが出来るのは日本では大阪人だけだと思う。だからぼくのようなのでも大阪で四年間を送れば、その薫陶を受けられるのではないかと、自分のつまらなさを知れば知るほど大阪に対するあこがれはふくらむ。

 大学に関してもうひとつ思うのは「小さな大学に対するあこがれ」である。これもまた大きなところを出ているからだろう。たとえば国際基督教大学(ICUだっけ)の卒業生と話したりすると、全校生徒を知っているという。当然先生だって顔見知りだし、一緒に遊びに行ったりするような接触もあるらしい。それはもう高校のような、ある種、高校よりも小さなコミューンだ。授業をさぼったり代返したりは出来ないから、毎日勤勉に学ばねばならない。当然みんな英語を話せるようになるし獨自の校風を味わいを身につけていく。三歳年上のミュージシャンをあの人は学生の時から目立っていたと言える。三歳年下の女性アナを、あの頃からきれいだったよお、と言える。こういう狭い社会にあこがれる。なにしろマンモス大学で劣等生だったぼくは、大学の友人は音楽仲間だけである。アカデミックな思い出をもっていない。まして学年の違う人気者など知るよしもない。そんなところからこういうあこがれは芽生えるのだろう。

 しかしこの「もういちど生まれ変ったときのもしも」として、関西の大学、小さな大学の二つのあこがれを考えるとき、やはりこれはボツになるに違いないとも思う。
 生まれ変わりにおける最大の缺点は、前世の記憶がないことだ。だからきっとぼくは、広大な北大にあこがれ、異文化を身につけるために大阪の大学を志したとしても、ぎりぎりになったら、いくつもの条件を天秤に掛け、結果として今の人生と同じ東京の私大を選んでいるように思うのだ。その選択を何度も何度も繰り返すのではないかと。

 日本の男のぬぐい去れないコンプレックスは学歴と背の高さだとの説がある。どこまで信憑性があるのか知らないが、なるほどそうなのかと思う経験はけっこうしてきた。たとえば家が貧しくて、成績はいいのに大学に行けなかった大金持ちがいる。大学に進学できなかったコンプレックスをバネにのし上がったのだ。こういう人と親しく話していると、もし生まれ変っても、やっぱりこの人は大学には行かず、商人となってお金持ちになるのではないかと思ってしまう。彼自身は金持ちになんかならなくても、大学を出て学問の道に進みたかったと言うのだが、ぼくにはこの人は何度生まれ変っても、結局は大学に行かず、どぎつく商売で儲ける金持ちになるのではないかと思えてならないのだ。家が貧しくて進学できなかったことは、彼の商人としての才覚を花咲かせるための神様の心遣いにさえ思える。

 生まれ変わりとは、そういうもののように思えてならない。ぼくの場合、もしも大阪の大学に行ったら、小さな大学に行ったら、やはり東京の大学に行くべきだった、大きな大学のほうが人脈があってよかったと、同じくないものねだりをしていたろう。自分を納得させるための、今の人生の現状肯定ではなく、振り返ってみると、今の選択は、やっぱり必然だったのだと思えてくる。
02/7/17
忘却
(02/7/17)

『週刊文春』を読んでいたら、『お言葉ですが…』の高島さんが本のことを書いていた。三十代の時に買った靴を未だに履いているほど(高島さんはいま60代)ものに執着せずケチな自分だが、本だけはどうしようもないという話である。そういえば以前のエッセイに、大学の教え子たちに洋服をもらう話があった。小柄なので女子学生のジーパンなどもちょうどよいのでもらうとのこと。服など買ったことがないが死ぬまで着切れないほどの衣装持ちだと書かれていた。

 本の購入にだけは金を惜しまない。金があるだけ買ってしまう、異様な本好きの話なのだが、高島さんほどの人であるから、読破した本に関する記憶も桁違いなのだろうと思っていたら、そうでもないらしい。読んだ記憶のない本がいっぱいあるという。目の前の本棚にあり、間違いなく自分の字で書き込みなどもあるから認めざるを得ないが、その本がなかったら、絶対に自分はそれを読んだことがないと譲らないぐらい確信していたとある。

 みんな同じなんだねえ、気が楽になった。読んでいる量、購入している量が違うから比べるのも失礼だが、ぼくはそれほどひどくない。高島さんみたいな偉い人がそういう恥を披露すると、全国ではほっと胸をなで下ろした人が大勢いたことだろう。

 でも忘れるから楽しいとも言える。ぼくは『ゴルゴ13』を第一話から全部読んでいるわけだが、なにしろ三十年である。記憶はいい加減だ。たまに『サクラ』にある一冊を手に取り、ビールを飲みつつ楽しく読めるのも、内容を忘れているからである。忘れるのも悪いことばかりではない。
 単行本はまだいいんじゃないかと思う。同じ雑誌を二回買うとけっこう落ち込む。このごろそんなことをするほどボケてきた……。


ボケる
(02/7/27)

最近のボケ具合
 昨日、スーパーで買い物をしているとき、レジの横に乾電池が置いてあった。そこからの発想。

「CDプレイヤーのリモコンの乾電池がもう切れそうだ。単4を買わないと」
 ↓
「数日前にホームセンターで買った。そうだ、たしかに買った」
 ↓
「でも見ていない。どこへやったろう」
 ↓
「あのとき一緒に買ったのは、パソコン用滑り止めシートとランチョンマット二枚。それらは取り出した」
 ↓
「乾電池を取り出した覚えがない」
 ↓
「じゃあ今もあの袋の中か」
 ↓
「袋はどこだ」
 ↓
「ゴミ袋にしている」

 と、部屋にもどって調べると、紙くず入れになり、もうすぐ満杯になって捨てる寸前のゴミ袋の下のほうに堅い感触。乾電池があった。

 今朝、それらを大きな指定ゴミ袋に入れて捨てたから、もしも昨日スーパーで気づかなかったら、乾電池は使われることなく捨てられていたことになる。
 そうなった場合、さらに月日が過ぎてから、同じように、
「CDプレイヤーのリモコンの乾電池が切れた。単4を買わないと」
から始まって、下のほうまで連想して行き、
「使わないままゴミとして捨ててしまったらしい。とうとうここまでボケてしまった」となった。
 今回は気づいたからまだいいとするか。単なる偶然だが。

 デジカメ等に使うので単3は常に二十本ぐらい用意しているのだが、その他はほとんど使う用がないので、こんな形で買うことになる。単4も十本単位でもっていればこんなことはないのだろうけど、そんなに使うものでもないしなあ。

02/12/3
ヘルメットにアコム
(02/12/3)

 スポーツ紙の記事が一般紙に近づくことにより「辛口コラム」のようなものの掲載も増えてきた。といっても人材には限りがある。半端な人が書いたりするからけっこうピント外れなものも多い。先日のサンスポにこんなのがあった。要約すると、
  • 近鉄が来シーズンからヘルメットに契約した消費者金融の名を入れることになった
  • それに対して讀賣のナベツネがプロ野球の品格が失われると発言した
  • しかし讀賣新聞にはその消費者金融の広告が載っている。矛盾している。
  • 新聞経営とプロ野球に対する発言は別物だというのだろうか。猛省を促したい
 というものだった。
 私はナベツネさんの支持者じゃない。むしろ横綱審議委員会での発言には腹立っている方だ。だけどこのコラムの主張はヘンだと思う。野球ファンじゃない私でも、プロ野球選手のヘルメットに毎度毎度消費者金融の名を見るのはイヤだ。アコムだかアイフルだか武富士だかしらないけどさ。テレビの爽やか路線やコミカル路線など消費者金融のわざとらしい宣伝連発にうんざりしているのに、これで野球選手のヘルメットにまであんなものを見せられたらたまったもんじゃない。ナベツネの発言は球界の盟主巨人軍のオーナーだとか讀賣のワンマン経営者でどうのこうのという以前に、プロ野球ファンとしての素直な気持ちだろう。野球ファンの気持ちを持っていれば、すべての選手のヘルメットに消費者金融の名が刻まれ、試合開始から終了まで毎試合、毎バッターボックス毎にそれを見せられるようになって行くことを大賛成と言う人はまずいないだろう。

 ナベツネ発言を批判するのだったら、まず「ヘルメットにスポンサーの名を入れるのは世界的潮流である」とアメリカ等の例を出して例証すべきであろう。現実的にそうなのかどうか知らないけれど、「巨人軍のように殿様商売が出来ない弱小球団はそういうことをせねばならないのだ」との説得である。それをせずにいきなり「新聞には消費者金融の広告を載せるくせに批判するな」は極論すぎる。

 このコラムはそういう基本的なファン感情には一切触れることなく、ナベツネのぼせるな、とそのことだけを書いている。いちばん重きをおいているのが「権力者ナベツネに意見する自分」なのである。そのことに酔ってしまっている。コラムの執筆者として時の権力者にあらがう姿勢は大事であろう。だがもっと大事な最初にあるべきものは「ファンの気持ち」だ。俗に言うなら「愛」になる。プロ野球に対する愛がないなら何を言ってもこちらの心に響いてこない。この人は野球もナベツネも消費者金融もどうでもいいのである。大切なのは反体制、反権力という自分の姿勢なのだ。だって普通このことをテーマにしたら、「私だってヘルメットに消費者金融の名は見たくはないが」ぐらいは言ってしまうだろう。それがファン心理だ。その後にナベツネへの意見がなければおかしい。だけどこの人の発言にそれは一切ない。そんなことなどどうでもいいからだ。

 このコラムニストはサヨクであろう。その論理の進め方からわかる。「近鉄のヘルメットにケチをつけるくせに新聞には広告を載せているじゃないか!」という論法は、ツジモトキヨミの「朝鮮に戦争保証もしてないのに拉致された人のことばかり言うのはファアじゃないと思います」と同じである。充分に戦争保証はしてあるが、假りにしてなかったとしても、それと拉致は別問題である。

 讀賣新聞の社長が、野球選手のヘルメットに消費者金融の名が入るのがイヤだと発言するなら、讀賣新聞がまず消費者金融の広告掲載を止めろというのだろうか。これでもし假に「わかった、じゃやめる」となったら、今度は横暴な大新聞が消費者金融を差別して、とこういう手合いは騒ぐのである。まったくもってバカサヨクは度し難い。

近鉄のホームページを見たらアコムがあった。そのヘルメットに入る社名とは、きっとアコムなのだろう。


 本題にもどって。
 PRIDEのリングでも、青コーナー赤コーナーのポストに「明星いっ平ちゃん」とあるのはイヤだ。いっ平ちゃんといえば松村のコミカルなCMを思い出す。あれとPRIDEのリングは似合わない。じゃあなんならいいんだ、となる。SONYやPanasonicならいいのか。私としては、スカイパーフェクトTVとか、せめてそのへんにしといて欲しいと思う。

 逆に今度は、岡本理研のコンドームだったらあの柱に宣伝は入れてもらえないのか、とも問うて見たい。コンドームの商品名が野球選手のヘルメットに入るようになったら上記のコラムニストはなんて言うのだろう。当然ナベツネは同じ理由で反対するだろうから、それに対して、人口抑制、避妊は大切な行為であり少年の時から教えねばならないとナベツネにかみつくのだろうか。まさかコンドームだからダメとは言わないだろう。
 どうでもいいけどさ、ただ基本に愛のない文章はわかるよね。

 先日亡くなった山本夏彦さんの辛口に「愛するなんて言えるのは恥を知らない人間だ」のようなのがあって、私もそうだと思うからなるべく使いたくないのだが、こういう場合、「愛」というのは便利な言葉だなと感心する。流行るものはそれなりに便利だ。

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