2012
3/18  私がいまテレビを見るのは、日曜日のEテレの将棋。NHK杯戦。
土曜のテレ東、日曜のフジの競馬中継。
二ヵ月に15日の相撲中継。 のみ。

これらが見たくて、テレビとは縁を切ったはずなのに、地デジチューナーなるものを買って、テレビのある生活に復帰してしまったのだった。

その他、アメトークとかロンハー、たかじんとか、いくつかの好きなバラエティ番組は、YouTube動画倉庫で見るようになった。数日遅れ、時には何週間遅れで見たりする。CMがなくて快適だ。 つまらない回だったら途中でやめる場合もある。 その程度でちょうどいい。
たかじんなんて本来は東京だから見られなかったのに、YouTubeのお蔭で見られている。ありがたい。

と、いい流れだったのだが……。



3月18日は、NHK杯戦の決勝。丸一年かけてのトーナメント戦の頂上対決だ。
羽生と渡辺という望みうる最高の豪華対局。
ほどよい春の小雨模様。雨の日と将棋観戦はよく似合う。
午前10時からの録画予約をして、リアルタイムでも見るつもりだった。

ところが、ここでなにがあったのか地デジチューナーがおかしくなった。
10時15分から11時45分までの放送時間なのだが、10時に映らないとわかってからあれやこれや苦労した10時20分までは焦った。ひさしぶりにいらいらした。地デジチューナーなんて代用品でアナログテレビを見るのではなく、まともなテレビが欲しいと初めて思った。

焦っていらいらしている自分に気づく。醜さに赤面する。

むかし外国で友人が交通事故を起こしてしまい逮捕された。彼をなんとしても救わねばと東奔西走しているとき、私はかなり狼狽えていたのだろう、知りあいのイギリス人にキツい口調で、「Not Panic!」と言われて我に返った。そのときを思い出した。

そこですっぱり割り切って、携帯電話のワンセグで見た。割り切ってしまえば、それはそれで楽しめた。



見終わってからあらためて修理。初期設定。地域を設定してチャンネル検索。直った。
でもなぜかNHKのみが映らない。民放は復活した。

フジテレビの競馬中継は無事見られた。とんでもなくひどい番組で毎度腹立つがレース映像を見られただけで満足する。ケータイの画面で見ることと比べたら天国だ。

NHKが映らないので、夕方の大相撲はPCで見た。Key Hole TVもあるし、gooの大相撲中継はフルスクリーンで見られる。これに不満はない。



NHKと民放の、どちらを見られないのが不自由かと問われたら、そりゃ民放だ。
将棋は決勝戦が終り、来年度が始まるからしばらくはどうでもよくなるし、大相撲はPCで見られる。とにかく私はNHK大嫌いだから、どうでもいい。将棋と相撲のふたつだけだ。

競馬がいよいよクラシックシーズンに突入する。これをケータイで見るのはきつい。PCでも見られるがちいさい画面だし、フルスクリーンにすると画質が荒れる。そもそもリアルタイムでは見られない。Racing Viewerでも数分遅れる。

となると私にとってテレビの最大の価値は競馬中継になり、それは民放だから、同じ映らなくなるのでもNHKだったのは不幸中の幸となる。



しかしよりによって「NHK杯戦決勝戦」の日に壊れなくてもいいではないかと思う。しかも二ヵ月に15日の大相撲開催中で、いよいよこれから後半戦、というところだ。

逆に言うと、NHK杯戦決勝の日でなく、大相撲が開催されていない時期だったら、地デジチューナーが壊れてテレビが見られなくなったなんてのはどうでもいい話で、こうしてブログに書くことすらなかった。必要としている機能はほとんど「DVD再生機」としてであり、見たい番組はネットで見ているから問題はない。よりによってこの日に、だった。



救いなのは、NHK杯戦の勝者を知っていたことだった。すでに対局はだいぶ前(2月27日)に済んでいるのだが、 極秘扱いとなっていて結果は放送当日まで伏せられている。ところがなぜか今年はそれが漏れてしまった。羽生の勝ち星が将棋連盟の記録に載ったことから、そこからの推測で「羽生が前人未到のNHK杯戦四連覇達成。史上初の名誉NHK杯獲得」と2ちゃんねるの将棋スレで話題になってしまったのだ。「名誉NHK杯」とは、NHK杯戦で10回優勝した棋士に送られるもので今まで獲得者はいない。今後もまず出ないだろう。また羽生は偉大な記録を刻んだことになる。

この2ちゃんねるのスレはNHKから抗議がいったのか、悪質なスレと認定され、すぐに削除されてしまった。しかし数字からそれが正しいものであろうことは私も確認していた。だからリアルタイムで見られないことには焦ったが結果を知っていたので安心していた、と言える。もしも知らなかったら、大好きな羽生がまた大事な場面で渡辺に負けるのかと突如見られなくなったテレビの前で錯乱していたかも知れない。



テレビの値崩れが話題になっている。信じられないぐらい安くなっている。今回のようなことを避けるためにもデジタルテレビを買うべきなのか。
32インチなら今すぐ買えるのだが、どうせなら46インチ以上の「音のいいヤツ」が欲しい。ここは重要。私は今のテレビにも外附けスピーカーを着けている。新しく買うならそれが要らないぐらい音のいいのが欲しい。DVD映画の迫力がまったくちがう。でもそれを買うにはちと苦しい(笑)。 さてどうしよう。

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【補記】──地デジチューナーで映らないNHK

検索して、地デジチューナーでNHKが映らないという問題が多発していると知る。
どういうことなのだろう。ただ多くの場合、初期設定の時から生じているようだ。私の場合は、テレビのある生活に復帰した昨年11月から昨日までなんの問題もなく、突如昨日発生したのだが。



【補記.2】──ふつうに復活   3/19 16:44

PCでgoo大相撲を見ていた。ダメモトでテレビをチェックすると、ふつうにNHKが映るようになっていた。なんだろう、昨日は。ただの電波障害か。

そういえば以前の住まい(東京都下。13階建てマンションの8階)で、NHKが映らなくなることがよくあった。ちょうど今ごろだ。春先の電波障害。砂嵐のようになる。季節とか地域とか色々あるらしい。それと関係あるのか。

でもそういうことを解決したのが地デジなんでしょ? ちがうの? 無智なのでわからないのだけど。
ともあれ復活した。よかった。 これでしばらくはテレビを買うかどうかの迷いから解放される。テレビを買う金があるなら新しいCPUとマザーボードが欲しい。
4/12  ハイビスカスが咲いた!

 窓ぎわに置いておいたハイビスカスが咲いた。写真はひとつめの花で、もう萎れそうで元気がない。葉も、全体的に、なんとなくしょぼくれている。それでもたくさんの蕾が希望的だ。

 今朝、ベランダに出してやった。室内に入れたのは去年の10月だったか。半年ぶりの直接の陽光と風だ。気分がいいだろうね。

 しょぼくれた花でもうれしいのには理由がある。

 じつは20年来の友人になるこのハイビスカスが、昨年まったく花をつけなかったのだ。初めてのことなので焦った。急いで土替えをした。鉢植えのハイビスカスの土替えは毎年やるのが基本だが私はいいかげんだ。田舎にいるころなど3年も4年もほったらかしにしていたこともある。

 いまの地に来てからは毎年やっている。一昨年も土替えはやっていた。しかし昨年咲かなかった。花をつけない。あらためてやってみた。ひとまわり大きな鉢にして、肥料もたっぷりいれて最善を尽くした。でも咲かない。元気に生きてはいるが、花の咲く気配はまったくなかった。ショックだった。




 写真は2002年ころの真夏、茨城の家でのもの。

 土替えは3.4年に一度しかやらなかった手抜きの時期。それでもこんな感じで咲きほこっていた。もう、こんなに咲いていいんかいというほど咲きまくっていた。

 この茨城の家の2階も、窓辺は冬でも温室のようだったから、ほとんど通年咲いているぐらい元気だった。

 それがいきなりたったひとつの蕾すらつけなくなった。木そのものは元気なのだが、蕾をつける気配がない。心配した。

 しかしこれ以上私に出来ることはなかった。とりあえず元気だし、こうして過去の花の写真もあるし、それはそれで諦めるしかないのかと思った。



 これを買ったのは、茨城県の「美野里町園芸センター」というところだった。私の生まれ育った家からはクルマで40分ぐらいの所。草花の好きな老父母を乗せて、よく出かけた。

 美野里町という、「美しい野の里」なる、いかにもな町名は昭和31年の町村合併で考案された造語だ。今はない。平成の大合併で、川町、野里町、里村が合併し、今度はその町名を1文字ずつ取った「小美玉市」というバカみたいな名前になっている(笑)。美野里町なんてうつくしすぎる名前もこそばゆいが、「小美玉市」なんてパカっぽいのにも苦笑する。



 咲かなくなってしまって心配したのには理由がある。「年なのか」と思ったのだ。

 20年前、美野里町園芸センターで、980円で買ったときは、20センチぐらいの鉢に入った、丈も20センチ程度のちいさなものだった。それを1メートル50センチぐらいの大きさまで育てた。そうして何年目からは写真のように咲きほこっていた。

 東京にもどるとき、70センチぐらいに剪定して持ってきたのだが、その後も国立のマンションでも咲きほこっていた。とにかくまあ元気で、真っ赤な花をつけては、悩み多い私を慰めてくれた。その間、10年以上一緒だったゴムの木とか、そんなのも枯れてしまい、いつしか「生き物」ではいちばん長い友人となっていた。生き物でなければ30年40年以上つきあっているギターが何台もあるが。



 花木の盛衰はわからない。ただあれだけ咲いたものが、ベストを尽くしたのに、一年経ってもまったく花をつけないのだから、それは女の閉経のように、終ったのだろうと思うしかない。買ってきたときがこどもであり、あの咲きまくっていた時期を青春とするなら、いまは晩年なのだろう。それしか解釈が出来ない。

 咲かなくなってもいとしさに変りはない。一緒に生きてきた時間がある。白髪のじいさんばあさんみたいに、咲かなくなったハイビスカスを、観葉植物と思うことにして、一緒に生きて行こうと思った。それでいい。垂直に2メートルも跳んだ猫が、年老いて歩けなくなるところまで見てきたから、花にもそんな年齢による衰えがあるのだろうと思うことにした。

 と思っていたとき、3月に蕾をひとつ発見した。背筋がぞくぞくするほどうれしかった。丸二年以上蕾を見ていなかった。しかしまだ本調子じゃないのか、いやまだ季節的に冬だったのだから当然だろうけど、蕾はもっても、花にならなかった。咲けずに、ずっと縮こまっていた。

 それが、よれよれながらも、とにかくひとつ咲いたのである。
 こんなにうれしいことはない。
 今日の陽光を浴びて、より元気になることだろう。

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 2年前、2010年の4月は寒かった。桜が咲いて、散ってから冷えこみ、4月18日に雪が降っている。
 あのときの異常さを覚えているので、まだ春になったと信じられない。
 冷えこんだら、すぐハイビスカスを室内にいれる用意をしておこう。今日も大事を取って夕方には室内にいれよう。

 私には、この旧友のハイビスカスが元のように元気になったとは思えない部分がある。失意の私を励ますために無理して咲いてくれたのではないか。それこそまだ10年ある寿命を1年に縮めて。
 そんな気がしてならない。
 取り越し苦労だといいのだけど。
2013
05/20
 携帯電話料金10万円──もうすぐ止まる話

 あと数日で携帯電話が止まる。しばらく経験していないので定かではないが、たぶんそれぐらいだろう。
 その経緯を自省を込めて書いておきたい。



●携帯電話料金の思い出

 私が携帯電話を使いはじめたのはJ-Phone創業の年からである。何年になるのだろう。理由は明解だ。私は選択肢のない国営企業のみという状況が嫌いだから、携帯電話には興味津々だったがNTTしかない時代には手を出さなかった。待望の民間企業(まあNTTも建前は民間企業だが)の携帯電話が発売になったので関わった。

 もしも電気会社を選べる時代が来たら絶対に東京電力は使わない。さんざん止められていじめられたから(それはまあ料金を滞納するこちらがわるいのだけど)NTTや東電に対する怨みは深い。
 携帯電話は、たぶん1995年ぐらいから使い始めたのだろう。それから2005年ぐらいまで毎月の携帯電話料金は2万円から3万円ぐらいだった。愛用していたから、ほどよい使用料金だった。ただし90年代はまだ地方に行ったらほとんど使いものにならなかった。



 アジアにおいて、2000年ぐらいから一気に携帯電話は便利になった。いわゆるローミングサービスを利用するより、あちらで買った方が安くて手早い。私はあちらで携帯電話を買い、向こうのものはローミングなんて関係なくそのまま国際電話として使えたから、その番号を日本の編集者に伝えて、それに掛けてもらって通話した。使い捨て感覚である。

 写真は当時のタイで買った携帯電話機。これを15000円ぐらいで買い、プリペイドの1万円分ぐらいのチップを挿れておくと、1ヵ月ぐらい気持ちよく使えた。



 しかしまだまだ歪んでいた時代でもある。
 写真のような、支那の山奥の見わたす限り山ばかりの泥道で、民族衣装を着た少数民族の老婆が懐から携帯電話を取りだして通話を始めるような珍現象が起きた。

 広大な支那では電話線を引くのがたいへんで、電話の普及が遅れていた。そこにこのテクノロジーである。無線通信が異常な速さで普及した。 その老婆のように、普通の家族用電話(有線電話)を一度も使ったことがないのに、いきなり個人の携帯電話を保持するような珍妙な事象が連続したのである。

 ただしこれは悪徳企業?が安い電話機(その分、電話賃が高い)を無理矢理押しつけ、無智な人々がなにもわからないまま購入してしまったような一面があり、その後料金が払えないという揉め事が続出した。

 悪徳企業と言ったら気の毒か。彼らもあたらしい商売なので読めなかったのだ。とにかくもう山奥の田舎町にも携帯電話屋があふれていた。機器を安く誰でもいいから売りまくり、電話料金で儲けるシステムだったが、貧しい山岳民族に高額の電話料金が払えるはずもなく、徴収できず倒産したところも多いはずだ。そういう民族の中には、ただみたいな値段で電話機が購入できるので勧められるまま買ったが、考えてみたら電話を掛ける相手がいないという笑い話みたいなことも起きていた。



 一方で、こういう地でファクスを使うひとなどめったにいないので、中級以上のホテルには一応機械はあったが、おそろしく古く遅い機械で、日本へのファクス一枚送信に5千円も取られたりした。原稿料がファクス代金で消えてしまう。
 ボっているのではない。旧型機械なので原稿読込みがとんでもなく遅く、それだけ電話賃(通話時間)がかかってしまうのである。



 ADSLからブロードバンドの普及により、在宅仕事である私の携帯電話への依存度は急撃に減った。2005年には普通電話を撤廃した。
 2008年ぐらいからは毎月5千円もかからない。まず使わない。今もガラケーであり、ここのところ3千円から5千円で安定している。普段は3千円だ。たまに都心に出たとき、あちこちに掛けたりして、その月は5千円になる。
 私がスマホを使わないのは必要ないからであるが、もしもガラケーと同じ料金だったら、あたらしいモノ好きであるから、きっと手を出した。さすがに、使わないと分かっている物によけいな金を使う元気はなくなってきた。私はもうまったく使わなくなっているのに、『一太郎』等の「使い慣れたソフト」をニューバージョンが出るたびに惰性というのか習慣病と呼ぶのか、買い続けてきた。そういう無駄からやっと卒業しつつある。

「いまの私の携帯電話料金は3千円から5千円以下で安定している」が「もうすぐ携帯電話が止まる話」の前提の一になる。(続く)

●国際電話料金の思い出

 90年代はずいぶんと国際電話を使った。毎月5万円ぐらい払っていた。茨城の田舎で老父母と同居していた時代だ。自動引き落としされた通知書を見ると、父母の電話料金は毎月1万円前後だった。ほとんどは母が水戸に嫁いでいた娘(私の姉)と毎日朝夕会話する通話代だった。あれを見ていると、女は娘を産んでおいた方が老後楽だなと感じる。息子は所詮異性であり、あたらしい女(嫁)に走る。その点、母と娘は歳月を重ねると友人のような間柄になる。もっとも、母から離れられず嫁と離婚する息子もいるようだが。

 父の自動引き落とし通知に私の国際電話料金が上乗せされていたら父母も愕いたろうが、当時は別会社であり請求書も別だった。国際電話は、NTTの電話からKDDに申しこむ形だった。そのKDDから毎月届く請求書が5万円ぐらいだった。父の名で来るのだが、KDDの通知書を見たら、父には見せず私が開封して支払っていた。父母は毎月私がそんなに国際電話料金を払っていたことなど知らなかったろう。
 一番使ったのでは98年に12万円という月があった。今の妻と知りあったころだ。毎日長電話していたらそんな料金になってしまった。「今の妻」と書くと誤解されそうだが、初めての妻であり最後の妻である。結婚は一度しかしない。

 さすがに12万円は使いすぎだなと苦笑した。燃えていたときだからしょうがない。獨身主義だった私が初めて結婚しようと思った女だ。
 いまのように便利で安い時代から振り返ると、毎月の5万円だってとんでもない金額なのだが、とにかくその当時は国際電話は「それしかない」「そんなもの」と思っていたから、べつに不満もなかった。
 それでもさすがに12万円は大きいから、それを当時やっていたホームページで嘆いたら、旅先で知りあった国際結婚の先輩が情報を寄せてくれた。それが「国際電話プリペイドカードとの出会い」になる。



●国際電話プリペイドカードとの出会い

「なぜそんなに払っているんですか。もっともっと安くて便利なものがありますよ」と友人が連絡をくれた。様々な裏事情に通じている彼は、5万円にすら惘れていたが、とうとう10万を超したので、ほっとけないと口を出してくれた。
 ほんの3千円で、たっぷり会話できるプリペイド式国際電話カードというものがあると言う。彼の妻もその友人も、みなそれを利用して毎日故郷と長電話をしているそうだ。3千円と言ったら、正規の国際電話料金では数分しか話せない時間である。ほんとだろうか。魅力的だ。
 しかし犯罪的なものには一切ちかよらず清く正しく生きていた私は懐疑的である。イラン人の偽造テレカってのが流行っていた時代だ。上野駅近辺でいくら勧められても買わなかった。いま思えば、NTTなんて大嫌いなんだから利用しておけばよかったと悔いる。

 国際電話が安く出来るカードというのも、おそらくそれに類似したものと推測した。電話賃を惜しんで逮捕され老父母を泣かすようなことはしたくない。私は彼に案内され、新大久保のそういう店に出むくとき、「違法なモノならきっぱり拒もう」と思っていた。
 あやしい店であやしいペラペラのカードを渡された。カードの隠されている部分をスクラッチするとID番号が出て来る仕組みだった。普通電話でも携帯電話でも使えるという。そこにある電話番号に掛けると、英語でIDナンバーを挿れろと指図される。たしか11桁の数字だった。それを挿れ、#を推すと、「あんたの残金はいくらで、あと何十分会話できる。相手先の番号を入力しろ」と言ってくる。それを使って当時の恋人「今の妻」に掛けてみた。


 
 それはもうほんとに目から鱗の世界だった。たった3千円で、当時たしか80分国際電話が出来たのである。いきなり私の毎月の国際電話料金は5万円から3千円になった。夢のようだ。
 ただ、その仕組みのわからない私は、友人に紹介されて購入したのが新大久保のあやしい店であり、それらを利用している主な人々が、タイやフィリピンや朝鮮等からやってきた、査証の切れている、これまたあやしい在日の人々であるということからも、それを「イラン人偽造テレカ」と同じようなものと解釈し、人目につかないよう、こっそり使っていた。

 いまもってどのようなシステムなのかわからないのだが、ここのところネット購入でずっと利用している会社の製品には「NTTコミュカード」とか「KDDIスーパーワールドカード」なんて名前がついていて、それはかってな名前借用ではなく、実際に「NTTやKDDIが発行しているカード」らしいから、違法ではないのだろう。たぶん当時のものも、海外のベースに接続するという、あまりに高い日本の国際料金の抜け道を利用したのであって、べつに「違法かも」と脅える必要はなかったのだと思う。その辺、私は世間知らずである。智識のあるひとから見たら思いっ切りバカを晒しているのかも知れないが、無知は無智なのでそのまま認めて先へ進む。

「国際電話プリペイドカードというものを知って、私の毎月の国際電話料金は一気に十分の一になった」が「携帯電話が止まる話」前提の二になる。(続く)


●IP電話に浮気したことによって生じた勘違い

 ほとんど受信専用の携帯電話の料金がたいがいは月3千円、使っても5千円以下、国際電話料金が、プリペイドカードで、3千円から5千円、長年そんな感じで安定していた。
 国際電話料金はだいたいにおいて1ヵ月3千円のカード1枚で済んだが、もっと使った場合でも、3千円2枚を使いきることはなかった。つまり5千円程度である。両方で月1万円以内。何年もそんな時期が続いた。



 かつては毎月5万円払っていたのに、5千円で済むようになった。それが底値だと思っていたら、もっと安い方法があるという。いつものプリペイドカードを買うネット通販会社の記事にあった。
 パソコンを使って掛けるモノだった。これまたどういう仕組みなのかは知らない。会話にはインカムを使う。すこし面倒だ。だが、なんと、料金は「3千円で240分!」なのである。4時間だ。プリペイド式国際電話カードのお蔭で、かつての十分の一の値段ですむようになっていたが、これを使うとさらに今の三分の一の料金になる。三倍話せる。
 早速購入してみた。それを使うためのソフトもDownloadする。インカムは持っている。あまっている旧型ThinkPadをこの電話専用にした。

 すこしノイズが入る。音が悪い。しかしこの圧倒的安さはそれらを凌いでいた。はまった。ここ1年、こればかり使っていた。3千円で80分のカードだと、1通話10分ぐらいで切るが、これだと好きなだけ、30分でも話せた。
 この「パソコン使用国際電話カードを愛用して、それまでの国際電話カードの使いかたを忘れた」が「携帯電話が止まる話」の前提の三になる。

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●携帯電話料金10万円、止まるまでもうすこし

 ふつうのひとは安定したらそれで満足し、それを使い続ける。らしい。たとえばOSで「XPで充分」なんてのもそれになるだろう。私は安定していても、目新しいものに手を出してしまう。これは寝場所を替える猫型性格と理解している。

 いちばん安い「パソコン使用国際電話カード」で安定していた。その残金はまだあったが、いつもの通販会社からあたらしい「国際電話カード」を買ってみた。気まぐれだ。普通電話や携帯電話で使うタイプである。ひさしぶりの購入になる。1年ぶりぐらいか。初めて使う会社でありカード名だった。
 携帯電話での通話は、明らかにパソコンを使用してのインカムでの通話よりも明瞭だ。それに携帯電話さえあればどこでも使える。「パソコン使用国際電話カード」の唯一の問題点は、パソコンがないと使えないことだった。まあそれを補って餘りあるぐらい安いのだけど。

 妻との連絡は、妻が私の携帯電話に掛けてきて、それを確認した私が出ることなく切り(妻には料金が掛からない)、それから私が妻に掛けるという方式だ。電車の中で掛かってきたりすると、次の駅で降りてホームから携帯電話を掛ける。ところがパソコン電話だとそれが出来ない。
 妻の唯一の缺点はヤキモチ焼きだ。掛けてすぐに返事がないと、返事を出来ないような状態=ティアォプージン(おんなあそび)のようなことを想像してしまうらしい。フランティックに何度も掛けてくる。しかしパソコンがないと掛けられないのだから私は切るしかない。ますます妻は疑心暗鬼を募らせる。帰宅した後、パソコンから掛け、電車に乗っていたから掛けられなかったのだと説明しても機嫌は直らない。妻が初めての女であり最後の女であり妻以外の女とは口を利く気もない私からすると、まったくもってバカらしい見当違いの邪推なのだが、それでも世界で唯一私にヤキモチを焼いてくれる存在だから大事にせねばならない。
 妻は、携帯電話から掛ける国際電話カードは見たことがあるし理解しているが、パソコン使用の電話は、いま一歩わからないらしい。そんなこともあり、外にいるとき掛かってきた妻の電話への応対用に、ひさしぶりに携帯電話用カードを買ってみるかと思った。



 むかしは店頭におもむきカードを買った。お金を振り込みカードが郵送されてくる時代もあった。いまはお金を振りこむとメールでカードの番号とID、パスワードが送られてくるだけである。お金の振り込みも銀行に行くことなく、パソコン上の操作からすべて出来る。ますます「実質物体のない世界」になっている。

 指定された番号に掛ける。英語でIDを挿れろと指示される。日本語応答にも出来るらしいがその必要もない。それからまた#を押したりするようなことがあって、妻の電話番号を入力する。残り時間のアナウンスがあり、呼び出し音が鳴る。パソコンから掛ける電話は、パソコンであるからして、すべて記憶させ、クリック1回で繋がるようになっていた。これはこれでモバイル性はないが、パソコン電話の優れている点になる。それに慣れていたから、携帯電話で毎度これを繰り返すのを面倒に感じた。

 ところが今回このカードを使った後、携帯電話が「この電話番号は登録されていません。登録しますか」と出たので、登録してみた。その番号には、この国際電話カードの最初に掛ける電話番号が含まれていた。ように思う。たぶんそれは勘違いだ。でもそのときはそう思ってしまった。
 次回、私はこの番号を押してみた。すると、なんと、長ったらしいIDや#を押す手続を省略して、いきなり呼び出し音がなったのである。なんと便利なのだろう。「プリペイド式国際電話カード」というものも日々進歩しているのだなあと感嘆した。それから毎日ワンプッシュの携帯電話を利用して妻や息子に電話した。もうまだるっこくてパソコン電話なんか使えなかった。やはり「いつでもどこでも」という携帯電話には、据え置き型のパソコン電話とはまた違った便利さがあった。

 事情に詳しいひとはもうここまで読んだだけで「気の毒に」と後の展開が見えて嗤っているだろう。一応順序通りに書いて行く。



 4月15日、3月分の請求書が届いた。ここのところ開封することもない。だって毎月3千円前後、たまにけっこう使った月で5千円弱と決まっているのだから見る必要もない。それ用の口座にその程度の金を入れておく。するとしばらくして「引きおとし完了通知」が来る。それは開ける。それでまた無事その程度の金額で済んだことを確認する。
 ところが今回、こういうのを虫の知らせというのだろうか、珍しく開封したのである。開封はしたが何かを予感したわけではない。いつものよう3千円前後の請求額があるものと思っていた。しかしそこには意に反して5万円という数字があった。
 一瞬クラっとしたが(笑)、気を取りなおして詳細を見る。すると「国際電話料金」がその数字の根拠なのだった。「やっちまったなあ」とクールポコ状態になる。事態はすぐに理解した。あの国際電話だ。あれが、私は「プリペイド式国際電話カード」で掛けているつもりだったが、ふつうの国際電話だったのだろう。その料金だ。操作間違いだ。あのいきなり呼び出し音が鳴るのは、国際電話カードではなく、ふつうの国際電話だったのだ。
 
 数日後、携帯電話の店に寄ってみた。事情を説明すると、やはりそうだった。「以前はKDDに掛けねばならなかったのですが」と大昔の話をすると、あちらに冷たく「今はどこの電話でも直接繋がります」と言われた。以前は、国際電話を掛けるときは、普通電話や携帯電話からKDDの番号に電話し、そこからあらためて国際電話を掛ける形だった。だから誤って国際電話を掛けてしまうなんてことはなかった。繋がらなかった。だが今は、電話会社それぞれが海外通信出来るシステムを持っているらしく、番号を押すだけで繋がってしまうのだ。

 気が重かったのは、それに気づいたのが4月15日だったことだ。私の電話は月末締めだった。つまりこの5万円は3月後半の2週間の値段なのである。私は4月前半にもそれと同じ頻度で同じ時間掛けているから、来月分として、あと5万円請求が来ることは確実だ。あわせて10万円になる。3月下旬分の5万円を払わないままでいる内、4月分の請求が来た。予想通り、やはりあと5万円だった。3月分、4月分で10万円強である。



 勘違いして操作方法を誤った私がわるいのだが、なんとなく私には「だまされた」という感があった。知っていて、覚悟して使った5万円なら文句はないのだが、3千円のプリペイド式国際電話カードのつもりで使っていたら、操作間違いでこんな値段になったので、なんかスッキリしないのである。悔しいのだ。
 その時点で5万円は払えたのだが、なんとなく払いたくない。なにか方法はないかと考える。方法はある。馬券だ。しかも春のクラシックシーズンである。この5万をとりあえず20万程度に増やして、それで払ってやろうじゃないか。そう思った。しかしその願いは叶わず儚く消えた。こうなると止まらない。ちがう方面の、馬券に使ってはならない金を用意し、今度こそ増やして、2カ月分の合計10万円をまとめて払ってやろうじゃないかと思った。思っただけで、またも失敗に終わった。

 いまさみしく、携帯電話のとまる日を待っている状態である。
 使わないから止まっても平気だ。そもそも「親が危篤」とか、そんな緊急連絡のためにとりあえず持っているのだが、もう親は死んでいないのだからその心配もない。
 問題は「借金は消えないこと」だ。この10万円は、知らないこととはいえ、使ってしまった金なのである。返さねばならない。これを払わないとそのうち電話契約そのものが解除される。それは困る。20年ちかく使ってきた同じ番号なのである。これを失くすわけにはゆかない。
 さてどうするか。今週はオークス。(完)

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註・この文章は2013年5月下旬に書いたものです。
 その後、当然ながら滞納で電話は止まり、しばらくほっておいたら「契約解除するぞ」とおどされ、しかたなくなけなしの金で払い、しばらくの時を経て、心の傷?が癒えて、やっとアップする気になりました。みなさんも気をつけてください。ってこんなバカをするのは私ぐらいか。
   


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