2012

12/31

●ある護憲作家の自叙伝を読んで感じた素朴な疑問

 昨年、仕事の下調べである護憲作家の自伝を読んだ。その感想である。
 私は彼が護憲派だと知らなかった。それはよかったと思っている。知っていたら政治思想のちがうそれに身がまえていたろうし、仕事に必要とはいえ、大部のそれを熱心に読む気にはならなかったろう。背景をなにも知らなかったから素直に読め、素直に読んだからこそ、途中から「あれれ?」と思ったことを、素直にここに記せる。



 硬骨漢である彼は、現代の日本の風潮を、かつては気骨と気品のあった日本人の堕落として厳しく批判していた。男子が親からもらった黒髪を金髪に染め耳ピアスをするような風潮や、援助交際という名の十代の娘の売春行為、食べ放題の店で高そうな食材だけを意地汚く喰いまくる主婦の生態、それらを嘆き、怒っていた。自身の生活に関しては、家を持たない、クルマを持たない、携帯電話もパソコンも使わないことを信条としていた。蛇足ながら、家やクルマを持たないというのは、持てる程度の収入はあるが、そういう物品を保有することによる安定を望まない生きかたをしてきたという主張である。
 


 新聞社の社会部記者として率先して社会悪に挑み、真っ向から闘い、危険な体験取材を試み、結果そこからの感染によって肝臓を病み、満身創痍となって散ったこの作家の波瀾の人生は尊敬に値する。前記したような現代の風潮への批判もすべて同意できる。肯きつつ読み進んでいたのだが、自伝も後半に進み、病床から総論を述べる箇所に到って首を傾げることになった。

 彼は前記したように堕落した現在の日本を嘆く。基本としてあるのは「むかしはよかった=むかしはまともだった」だ。そこまでは私も一緒である。

 しかし彼の考えるその原因を読んで愕然とした。それにはとても同意できなかった。彼は「以前の日本は、日本人は、まともだった」とし、「なにゆえこんなに堕落してしまったのか」と嘆き、その堕落のすべての理由を「日本人が平和憲法を愛さなくなったから」としていたのである。
 これはいくらなんでも無理がある。



 彼のリクツによると、「1960年(昭和35年)の安保闘争までの日本はまともだった」となるらしい。アメリカとの安全保障条約を廃棄しようという闘争は、現行の憲法(=彼の言う平和憲法)を護る闘いであり、平和憲法を愛していた時代の日本人は、礼節からしてまともだったという主張になる。
 それが60年安保闘争で敗れ(=条約更新)、70年の闘争でも敗れ、そのことによって日本人が平和憲法を愛さなくなり、日本人の大多数が改憲派になってしまったので、日本という国は、日本人は、前記したような茶髪から売春、飽食まで、ひたすら堕落するようになった、というのが彼の意見の骨子である。



 これはちがうだろう。
 あの戦勝国が敗戦国に押しつけた「二度とあなたには逆らいません。二度とケンカしません。ケンカしないように手足を縛って動けないようにします」という醜悪な憲法もどきを「平和憲法」と呼ぶのには抵抗があるが、とりあえず進行上そう呼ぶことにして話を進める。

 日本が第二次世界大戦以後60有余年、一度も戦争をしていない稀有な国であることに、その平和憲法(割り切ったつもりでもこんな言いかたはしたくないなあ。抵抗がある)が寄与しているのは確かだ。だって憲法で「絶対ケンカしません」と謳っているのだから出来るはずがない。

 しかしそれ以上に、現実として、他国に侵掠されず戦争をすることなく今まで来られたのは、安保でアメリカに護られてきた(アメリカが護るだけの地理的経済的価値があった)からであり、実質的軍隊の自衛隊が存在したからである。相反する安保と平和憲法の二本立てで戦争と無縁でいられたのだ。

 比重はもちろん安保である。いくら「わたし達は平和を望みます。戦争はしません」と言ったって攻めてくる国は攻めてくる。それは人類の歴史が証明している。

「平和憲法があったから日本は戦争をせずにすんだ」はただの御題目に過ぎない。「わたし達は憲法で戦争を放棄しています。わたし達は戦争はしません」というキレイゴトを、日米安保という自衛隊という現実的な軍事力が支えていたのだ。(続く)

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 上記はブログに書いたもの。今からここに続きを書く。
「護憲作家」とは本田靖晴さん。「自叙伝」とは「我、拗ね者として生涯を閉ず」である。594ページの二段組だから原稿用紙何枚になるだろう。大部の本である。文庫は分厚い二冊になったようだ。

 Amazonにあった「日経BP企画」のレビューと「内容紹介」。



我、拗ね者として生涯を閉ず
ノンフィクション作家の著者が、両足切断、右眼失明、肝ガンなどと闘いながら記した自伝的ノンフィクション。最終回を残して絶筆となった「月刊現代」での連載をまとめた。
著者の原点は敗戦体験。旧植民地朝鮮の支配層から、引き揚げによって日本の最下層に転げ落ちたことで社会を見る目を開いていったという。読売新聞の社会部記者時代には、非人間的な売血制度の実態を告発する「『黄色い血』追放キャンペーン」などで名を馳せたが、当時の正力松太郎オーナーの紙面私物化を嫌って退社。フリーになってからは、思想や信条が異なるメディアの仕事は拒みながら、『不当逮捕』などの代表作をものにしていった。

「小骨」と自称する心性や誇り高く生きようとした気概が伝わる内容だ。


(日経ビジネス 2005/05/23 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)
-- 日経BP企画

内容紹介
’04年12月4日最終回を目前にして死去命を削って書き続けた自伝ノンフィクションは、反骨の文士がこだわり通した「人が人らしくあり得た時代=戦後」を活写し現代人の精神の貧困を撃つ。全言論人必読




 さて、本題の続き。
 日本が第二次世界大戦の敗戦以降、ここまで戦争をせずに来たことは、家に例えるなら「60有余年、泥棒に入られなかった」ようなものである。その家の住人は「私たちはひとのものを盗みません。私たちはあなたの家に泥棒に入りません」と宣言し、それを紙に書いて玄関に貼っていた。泥棒に入られることはなかった。それはその貼り紙の効果だろうか。
 
 そうではない。その住人は常に厳重な鍵を掛けて、空き巣や強盗が入れないようにし、怪しいひとを見かけたらすぐに警察に連絡するようにしていたからだ。泥棒に入られずにすんだのは、決して「私は泥棒をしません」と宣言したからではない。泥棒は「私は泥棒をしません」と宣言した心意気に打たれ、その家にだけ特別に入らなかったのではない。頑丈な鍵が掛けられていて、それを破ったらすぐに警察に通報されると知っていたから入れなかっただけである。鍵は自衛隊、警察はアメリカ軍になる。
「平和憲法のお蔭で戦争をせずにすんだ」は、「『私たちはひとのものを盗みません。あなたの家に泥棒には入りません』と宣言し、貼り紙にしていたから、泥棒が入らなかった」というような現実を無視した噴飯物の意見である。
「スイスのような永世中立国に」とはむかしからよく勘違いしたひとが言うセリフだ。私も小学生のころはそれを理想としていた。しかし現実には、スイスは軍隊を持ち、徴兵制を敷き、各家庭に小銃を配付していることを忘れてはならない。その上での永世中立国宣言だ。絵空事の平和などあり得ない。
 日本が戦争をせずにここまで来られたのは、安保によるアメリカ軍の擁護と自衛隊の存在である。断じてあんな空虚な憲法のお蔭ではない。



 もうひとつの話。「平和憲法を愛さなくなったから日本人は堕落した」という、これまた奇天烈な意見。







 細かいことに難癖をつけるようで気が引けるが、この携帯電話やパソコンを使わないことが彼の硬骨漢としての人生に意義があったかどうかは疑問だ。なぜなら彼はファクスは愛用していたからだ。これで、生涯手書き原稿で、常に編集者に手渡しするのを流儀とし、ファクスすら拒んだ、となるとさらにその〝拗ね者人生〟に一目置くのだが、使いこなせたファクスは重用したらしいから、となると、ケータイやパソコンの否定は、単に最新機器に乗り遅れただけとも言える。実際病床に伏した晩年は携帯電話を欲しがったという話も伝わっている。いや「伝わってくる」ではなく、奥さんが病床の彼に関して書いた文章に出て来るから事実だ。
 それはともかく。(未完)


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