2007
1/1  五郎八の季節

「五郎八」は菊水の季節限定商品である。濁り酒だ。
 冬場は濁り酒が飲みたくなる。田舎住まいの頃は大洗まで出かけて買っていた。地元ブランドの、まだプクプク言っている作りたての濁り酒が買えた。きっちり栓をすると破裂するから、蓋に穴が開けてある。父との思い出に繋がる。いかんなあ、田舎のことを思うとぜんぶ父に繋がってしまう。



 この酒はアルコール度数が21度である。ちょっとキツ目の日本酒だ。これに慣れてしまうとふつうの日本酒の13度は物足りなくなる。まあすでに物足りなくなって19度の「菊水 ふなぐち」ばかり飲んでいるわけだが。
 齢を重ね量で飲むのではなくなったから、この度数がちょうどいい。200mlのカン、2カンから3カンで気持ちよくなれる。



 ところでセコい話。私は上記のカンを300円弱で買って飲んでいる。200mlであるから一升瓶(1800ml)はその9倍で2700円弱になるはずだ。でもこの通販のページで見たら1975円だって。五郎八って一升2千円もしない安い酒だったの? だったら200mlカンは220円ぐらいのはず。なんで300円弱なのだろう。釣り合わない。いくら日本初のアルミ缶日本酒でも。
 そういえば大洗で買う出来たての濁り酒も値段はそれぐらいだった。あまり高い酒ではないのだろう。
 でも一升瓶が安いからといってこれを通販でまとめ買いする気はない。後の処理がある。部屋中に一升瓶がごろごろしているのも困る。捨てに行くのも面倒だ。しばらくはこのカンで行こう。

 この時期に無性に飲みたくなるように、春が近づきあったかくなってくると覿面に飲みたくなくなる。この季節感は不思議だ。
 

   ゆずらない人

 新橋の飲み屋のママさんの話。五十代。きれいな人だった。若い頃は最高クラスの美女だったろう。居酒屋とスナックの中間みたいな店。肴はママさんの手作りでコースが決まっている。注文は出来ない。ママさんの仕切りに任せるだけである。酒はビール、日本酒、焼酎、ウイスキーを選べた。ここではビールと日本酒しか飲んだことがないので後のふたつについては知らない。感心したのはビールはキリンのブラウマイスター、日本酒は八海山と高級品を揃えていたことだ。まだ今のように高級ビールが話題になる前である。獨自のこだわりだった。
 料理も酒もうまく、良い店を見つけたと何度も通った。しかし私には次第に不満が溜まっていった。

 一人前の酒飲み?にとって全部仕切られるのはあまり気持ちの良いものではない。今まで何度かそういう店に出くわし、それはそれでおもしろいとは思ったが……。
 食べ物で酒を選ぶ私にとって困ったのはママさんの料理が行ったり来たりすることだった。たとえば毎度の言いかただが「まずはビール」というのがある。これはさすがにママさんもわかっていて突き出しはビールに合う揚げ物系だったりする。私の場合、そのままビールだけでもいい。親しい友人と行っているから話すことは山とある。
 そこに獨自に調理したうまい魚を出してくれる。となると日本酒に切り替えねばならない。日本酒と魚は最高だ。ましてうまい八海山である。と、ここまでは満点だ。

 問題はこの後。お任せメニュウで唐揚げが出てきたりするのである。小皿のシチューだったりもする。それは小腹が空いた客への心遣いだ。だが食と酒が連動している私は日本酒で唐揚げやシチューを食う気にはなれない。そもそもそこまで来たらもう帰る支度をして酒を飲まねば良いのだ。そうだなあ、それがコース料理の基本だろう。意地汚い私が悪い。とはいま思うが、現実の私はそこでまた唐揚げを食うためにビールにもどったりした。ビールから日本酒はいいが逆はあまり良いものではない。アルコール度数からも酒は弱いのから強いのに行くのが常道だ。一度進んだ道をまた逆方向にもどるような感覚も楽しくなかった。
 自分の酒に対する意地汚さは認めるが、ママさん自身が酒飲みではなく、酒飲みのそういう習性を知らなかったのも事実だろう。

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 フランスの友人宅に居候していたとき、食事の際、酒は何を飲むかと訊かれた。フランスだからワインだろうと思いそう応えたのだがそうではないと言う。つまり食前酒だった。ワインは食事中、水のように飲むものだから酒には入らないらしい。
 なんでもいいと言うとウイスキーが出てきた。それをオンザロックスで飲みながら歓談し、食事になる。食事中は料理に合わせてワインの赤と白を飲み分ける。食後の酒はコニャックだった。三種類の酒を飲んでいる。この一連の流れがよく出来ていてさすがと思った。ごく庶民的な家庭の昼食なのにこれである。
 外国コンプレックスはないのでそれがどんなに洒落たものであろうと自分には合わないと思えば否定的な意見を書く。たとえそれが無知と笑われようと。しかしそれはそうではなくあまりに見事に料理と酒が組み合わさっていた。ビールから日本酒、ビールからウイスキーというような流れしか持っていなかった身には感嘆しきりだった。かなわないなと思った。

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 料理上手のママさんは和洋折衷のおいしい魚を出してくれた。それは今もすばらしかったと思う。でもやはり私にはそのときの気分で食いたいと思う料理を注文する方があっていて、ママさんの出してくれる料理順番に納得行かない場合もあった。
 このお任せコースというのは通人が心の通い合った料理人と楽しむ最高の方式である。いわばお金持ちと料亭の世界だ。私のようなのが半端な店で半端にそれに親しむことはキケンだと感じた。今までも何軒かそういう経験はしている。庶民的な焼き鳥屋でも、オヤジが「おまかせでいいすか」と押しつけてくる店もある。
 ママがそういう店をやりたかった気持ちはわかるが果たしてそれが成功したかとなると疑問である。もっとも私のような客ばかりではないからそれなりに受け入れられ流行っていたのかもしれない。よくわからん。とにかく私は自由の利かないのがつまらなく、いつしかそこから足が遠のいていた。
 それにはもうひとつの理由があり、とやっとここから「ゆずらない人」の本題である。

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 ママさんの娘婿は交響楽団のトロンボーン奏者だった。彼が声を掛け日本にいくつかある有名交響楽団のトロンボーン奏者三人が(いや四人だったか)自分たちだけのコンサートを始めたという。トロンボーンだけのコンサートである。そのポスターが店に張ってありママさんは客にすばらしいコンサートだから是否とも行って欲しいと強烈にプッシュしていた。私もポスターを見せられチケットを勧められた。同行した友人はチケットを買い一度出かけている。それはクラシック演者である彼らがそこにだけこだわらずジャズやロックにも挑んだ、トロンボーンという楽器の可能性、限界に挑んだ試みのようだった。おそらくスライド管の自在さを活かして人のことばを真似るようなコミカルなことまでやったかもしれない。トロンボーンはそれが出来る楽器である。
 
 私はそのポスターを見ながら口を開いた。「トロンボーンは地味な楽器だけれど」と。
 ブラスバンドにいたからトロンボーンはいじったことがある。音階ぐらいしか吹けないが。ジャズファンとして長年JJ・ジョンソンを始め多くのトロンボーン奏者の音楽を好んできた。日本だったら向井だ。
 トロンボーンは管をスライドさせて音程を作る。トランペットのピストンやサキソフォンのキイのような構造ではない分、速いパッセージを吹くのには向いていない。JJはあのトロンボーンという楽器で今まで不可能とされていた速いフレーズを吹いて話題になり世に出た。しかしそれですらもサックスの速さと比べたら話にならない。そういう楽器である。音色も地味だ。楽器としての器用さはそれら花形楽器よりも落ちるから活躍の場は限られてくる。同時にスライドという無限変化の獨自のスタイルだからトロンボーンでなければ出せない味がある。あったかい音なので私は寒くなるとトロンボーンとオルガンを好む。冬場に聴くジャズはこれらがいい。
 ギターに例えると、トランペットやサックスがフレットのあるふつうのギターとするなら、トロンボーンはスライドギター(ボトルネック奏法)である。獨自の最高の味わいがあるが速いフレーズを弾くのに適していないのは明らかだ。
 
 私がママさんに言いたかったのは「トロンボーンは一見地味な楽器だけれど、トロンボーンにしか出せない獨自の味わいがあってすばらしい。ぼくもトロンボーンのアルバムをいっぱい持っていて大好きなんですよ」ということだった。
 ところがこのママさんは私が「トロンボーンは地味な」と言っただけでもう即座に「地味じゃないんですよ」と即座に否定してくる。「皆さん知らないから地味だって言うけど、一度このコンサートに行ってください。ぜんぜん地味じゃないことがわかりますから」と。
 否定的な意見から始まるけど結果としては褒めるつもりの私はいきなり最初の部分でストップをくらいことばが続かなくなった。それでも本来褒めるつもりで、自分もトロンボーンが大好きなのだと言おうとしたのだから何とか丸く収めようとする。
「いや、世間的には地味だと思われているじゃないですか。でもね」と、前記したように速いフレーズを演じるのに不利な構造でも獨自の味わいがあると言おうとするのだが、この「世間的には地味」でもう許してもらえない。褒めことばに行く前に絡んでくる。「だから地味じゃないんです。世間の人は知らないんですよ」と。これでは話が進まない。困った。

 ママさんは音楽を知らない。それは確実だろう。知っている人がこんなに頑固なはずがない。知っているならもっと自信満々でなければならない。ちょっとヒステリックである。娘婿を気に入っている。その職業に誇りを持っている。コンサートに行き、変幻自在にトロンボーンを操る彼の姿に感動し、自分の愛娘の婿殿はなんとすばらしいのだろうと感激した。もっともっとこのすばらしさを世間に伝えたいと思う。その気概。
 もしかしたらママさんは誰かに娘婿の職業を聞かれ、トロンボーンをつまらない楽器だと言われて傷ついたことがあるのかもしれない。あまりにむきになるのが不自然だった。
 そこまで自信を持っているのなら、こちらのことばを最後まで聞いてそれから反論するぐらいの餘裕があってもいいだろう。そうすれば私が否定しているのではないとわかるのに……。

 話がそこで止まってしまうものだから、いつしかトロンボーンをつまらない地味な楽器と否定する私と、それは無知だからだ、トロンボーンはなんでもできるすばらしい楽器なのだと主張するママさんの対立のようになってしまった。真ん中で同行した友人はおろおろしている。そうではないのだが。
 私はトロンボーンの獨自の味わいを賛美しようとしている。だがそれとはまた別に、トロンボーンがサックス等と比べると不器用な楽器であることを譲る気はない。それは「常識」だ。しばらくやりとりしているうちに、こちらの意見をまったく聞かない人だとわかったから、もうどうでもよくなってきた。そこで話を打ち切り適当にごまかした。気まずい雰囲気だった。
 彼女はトロンボーンのすばらしさを知らない無知を一人論破したと思ったかもしれない。
 押しつけられる料理と馬が合わないときがあり、それにこのことが重なって、私は次第にこの店から足が遠のいたのだった。

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 行かなくなってからしばらく後、この店に初めて行った際の同行者であるYさんの話を聞いた。編集者のYさんがママと意見対立し、その店を出入り禁止になったというのである。温厚なYさんがそんなことになるとは意外だったので後日その場に同席した人に事情を聞いた。いきさつは私の場合と似たようなものだった。

 ママにはアルツハイマー氏病の姉がいる。どこも悪くないのに記憶だけが飛んでいるのだ。さっきやったことを忘れてしまうから危なくてしょうがない。しかもむかしのことは覚えている。なんともやっかいな病気である。生涯獨身だったその姉の面倒をママは見ていた。齢の離れた姉さんだから母親代わりにママを育ててくれたとか、そんな関係だったのかもしれない。とにかく姉さんの世話はたいへんなのだが、ママは自分の家庭と同時にそれも成し遂げていた。それを支えてくれたのは姉の受け取る年金だった。年金はありがたい、この制度はすばらしい、心から感謝しているとママはたびたび口にしていた。

 その日Yさんはママの前で年金制度への憤懣を口にしたらしい。三十代後半のYさんが年金の恩恵にあずかれるかどうかは難しい。将来、年金制度は破綻する、もらえるとしても少額を七十を過ぎてから、と考えるのが妥当だろう。それを考えると払いたくなくなる。しかし団体職員であるYさんは毎月天引きされる。逃げられない。新卒の時から延々と払い続けている。
 日頃から感じているその不満を、ママが年金制度を絶賛するものだから、Yさんはつい口にしたらしい。すると前記したような性格のママは一歩も譲らず、出入り禁止までエスカレートしたようなのである。
 Yさんは温厚な人である。ケンカしたと聞いたこともない。ママのゆずらない性格が呼び込んだ事件であるのはまちがいない。私自身、トロンボーンの件のとき、「ママさ、人の話を最後まで聞いてよ!」と声を荒げたくなった。でもそこまで熱くなる以前に、人の話を聞かない性格に呆れてしまい矛を収めたのだった。

 世の中には奇妙な人がいるものだと思う。その人が客商売をやっているのが不思議である。
 私の場合も心を落ち着けて最後まで聞けばトロンボーン讚歌なのである。「でしょう! トロンボーンて地味なように思われるけど最高の楽器なのよね」と意気投合して盛り上がったはずなのだ。それを「地味」と聞いた瞬間に条件反射して反論に走るから話が始まらない。続かない。結果としてコンサートに行く可能性のあった娘婿の支援者となる客をひとり失っている。
 Yさんの場合だって、「そうよねえ、姉の世代は年金制度に助けてもらえたけど、あなたたち若い人はもらえるかどうかわからないから不安よね」とでも言えば何も起きていない。そういうふうに客に合わせるのが不特定多数の人と接する客商売の基本と思うのだが……。
 
 お任せコースの料理がみなうまいけれど、その押しつけがましさに次第に辟易していったことと、このママさんの他人の意見を耳に入れない性格は決して無関係ではあるまい。
 もう五、六年も前の話なのだが是否とも書いておきたかったテーマである。
(書こうと思った日、06年9月、実際に書いたのは07年1月。)
1/30


 熱燗を飲む

 突如熱燗が飲みたくなった。
 二週前、中山競馬場で蕎麦を食った。私はよほど特別のゲスト(たとえば金沢から上京してきたKのような)でもいない限り、競馬場では一切飲食しないから、これはかなり珍しいことになる。理由は単純で3連単だけを勝負しに来たのに、目の前にレースがあるとそれが始まる9レース前からやりたくなってしまうからだった。6レース頃には着くから、馬から目をそらそうとめったに入らない和風レストランに入った。

 天ぷら蕎麦を頼み、どういう風の吹き回しかお銚子を一本頼んだ。凍えるような寒い日だったので熱いものが恋しかったのだろう。熱燗なんて飲むのは何年ぶりだ。父が元気だったころ一緒にやって以来だ。
 父は熱燗党だった。むかしの人である。酒とは熱燗だった。最近ではうまい酒には冷やで飲んでくれと但し書きしてある。私は冷や党だった。父もそういう世の風潮に押され晩年は冷やで飲んでいたが、寒い夜など無性に熱燗が欲しくなるらしく、そんなときは私が燗をつけた。
 父を懐かしんだわけではない。なんだか無性に熱燗が飲みたくなったのだった。
 その蕎麦と安酒の熱燗がなぜかぐっと心にしみこんだ。そのときのことを思い出し、ひさしぶりに家でも熱燗を飲みたくなったのだ。

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 と書いて勘違いに気づく。ボケてるなあ。恥ずかしい。
 その前、有馬記念の夜、私は馬券名人のK君と中山で熱燗を飲んだのだった。つまり一月の中山での熱燗は、前回からまだたった二週間しか経っていない。ぜんぜんひさしぶりじゃなかった。恥ずかしい。ただし有馬記念のとき飲んだ熱燗はひさしぶりだった。
 そのときK君はビールを飲んでいた。食と酒が連動する私は、そこでのお通しが完全な日本酒用だったので、というかそこは日本酒専門店みたいな感じの店で、肴もほとんどが日本酒向けだった。もちろんビールも焼酎もあったが。良い店である。また行きたい。

 でもそのときは熱燗など飲みたくなかった。ならなんで飲んだかというとオケラになってK君に奢ってもらう場だったからである。K君もその日は大勝負して30万以上負けていると言っていた。私は5万ほど負けて文無しだった。オケラがK君のすくない残金から奢ってもらう酒である。日本酒は飲みたいが高い銘品が多い。値段表をじっくり見た私はK君に負担を掛けないよう、最も安い日本酒として銘柄が書いてないただの「熱燗」なるものを頼んだのだった。それが熱燗を飲んだ真相である。ほんとは久保田とか高清水を冷やで飲みたかった。大負けしたK君に奢ってもらうだけでも図々しいのだが、それでもその中に遠慮はまだ残っているのである。これはM先輩に奢ってもらうときもそうで、いちばん飲みたい高い酒は遠慮して真ん中ぐらいのを選ぶようにしている。

 すこし心配なのは、K君は私がそんな図々しいくせにみみっちい遠慮をしているとは露知らず、「いまどきお銚子の熱燗を飲むなんて、よほど日本酒が好きなんだなあ」と思った可能性が高いことである。事実手酌でお猪口を口に運ぶ私を珍しそうに見ていた。今時の青年から見たら日本酒の熱燗を飲むオヤジは相当珍しいだろう。早くごちそうの恩返しをして、あのときの真実を話したい。そのためにも当てねば。

 その熱燗もそこそこうまかったけれど、なんだかこの中山競馬場でお昼にひとりで飲んだ日本酒一合が妙に心に残った。競馬場の特観席に店を出すのだからテナント料は高い。よって値段は一流である。が酒は三流。最も安いものだろう。安酒を燗したとき特有のムッとするようなにおいがあった。またそれはいいかげんな人がやっているのかかなりの熱燗だった。とっくりをもてないほど。熱すぎる燗は最低である。その最低の安っぽい雰囲気が正月の中山と妙に合い、熱い酒がはらわたにしみいる感じがした。たった一合で私はじんわりと腹が暖まり、なんだかあれこれと考えてしんみりしたほどである。

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 そのことから自分の部屋で飲むときも熱燗をやってみたいと思った。これはまちがいなくここに越してきてから一年半、初めてのことである。日本酒はそれなりに飲んだがみな冷やだった。燗をして飲むような酒を買っていない。今時の良い酒はみな冷やで飲むことになっている。熱燗の文化ってのはどこから始まったのだろう。とにかく子供のころから父が部下を連れてきて我が家で飲む酒は常に熱燗でありお猪口だった。当時は杯洗があった。今はこれを知らない人も多いだろう。これぞ真の「ご返杯」の道具である。
 当時、冷やのコップ酒は下品な最低の飲み方だった。

 近年、私の飲む日本酒は「菊水ふなぐち」と「五郎八」。石川の「天狗舞」である。その他適当に銘酒を四合瓶で買ってきたりするがすべて冷やだった。
 熱燗に適した銘酒を探す気はなかった。そんな酒があるのかどうかも知らない。感激した中山のそれが安酒なのである。安酒でいいのだ。あの燗をした安酒特有の臭い、ムッとするような。欲しいのは味ではなく雰囲気である。

 近くのスーパーに「まる」があった。テレビでCMしているあれである。お銚子もないし熱燗するのにちょうどいい。ワンカップ大関があったらきっとそれにしていたろう。「まる」は200CCで140円だった。ほどほどの値段と思っている「菊水ふなぐち」や「五郎八」は同量でこれの倍の値段だから比するとそこそこの値だと気づく。

 マグロの中落ち(じゃないよね、もちろんニセモノ)を買ってきて刻みネギを入れ、山葵醤油につけ、海苔に包んでつまみにした。鍋で沸かした湯に「まる」を入れて熱燗をつくる。うまくない味の日本酒が熱燗獨特のにおいとあいまってほのぼのとした。昭和三十年代の趣である。
 安い酒には安い酒なりの楽しみかたがあるのだと知った。安くあがって、なぜかしんみりしたいい晩酌だった。


2/17
 安酒は熱燗

 日本酒を熱燗にして飲んだのは単なる気まぐれだった。前記したように真冬の競馬場でたまたま飲んだ徳利一合が妙に心に残りやってみただけである。けっこううまく、気に入って何度かそれを繰り返した。なにより安くあがるのがいい(笑)。だってほんとの安酒だから。
 何度かそれを繰り返している内に私なりにいくつかのことに気づいた。それを記す。まあここを読んでいる友人に熱燗をやっている人はいないだろうし、私だってついこのあいだまでは興味がなかった。賛同を得る機会のない文章だからすこしむなしいが記録としてきっちり書いておこう。

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 うまい酒、高い酒はみな冷やで飲め、と書いてある。結果「紙パック2リットル、1200円」のような安酒が熱燗の対象となった。それでいいのだ。それが似合うのである。

 熱燗の方法であるが、私は昔風に鍋に湯を沸かし、その中に徳利(は今ないのでカップ酒の容器)を入れて温めていた。今回ガス台がないため窮余の策として電子レンジを使った。そしてこれのほうが早くて便利と知った。直接酒に働きかけるから早いのである。これは助かる。もしかしたらこの方法の差によって微妙に酒の味に違いがあるかもしれない。それにはまだ気づいていない。そのうちわかったら書こう。
 すると世の多くの人は、コップ一杯の牛乳も電子レンジで温めているのか? 今時鍋に入れて温める方法は旧いのか? 電子レンジ慣れしていない自分を知った。

 徳利と言えば、田舎の家には父と一緒に飲んだそれがいっぱいあった。私がプレゼントした猪口もあった。家を出るとき、熱燗を飲まないのでぜんぶ置いてきてしまった。兄は酒を飲まないし捨てられてしまうだろう。もう捨てられたかもしれない。徳利を一、二本、お猪口を二つ三つ、形見にもってくればよかったと思う。でもまさかこんな形で熱燗をやるようになるとは想像だにしなかった。だって三十年以上のつきあいになるM先輩や金沢のKとも熱燗を飲んだ記憶がない。熱燗なんてのは酒の味のわからないヤツの飲み方だと思っていた。これはこれで正しく、この文の趣旨もその辺にあるのだが。

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 安酒はぬる燗ではまずいと知る。競馬場のレストランで気に入ったように、コップをもてないほどの熱燗にするのがいい。そうするとイカの塩からでもつまむだけで、なんともうまいのである。気に入った。熱燗もいいなと思った。

 さてここからが本題である。
 和室のこたつでカップ一杯の熱燗をやる。なくなったら台所の電子レンジまで行ってもう一杯作る。熱々にするには2分間かかる。何度かそれを繰り返している内、酔っぱらいの意地汚さでその2分間が待てなくなり、あるいはオヤジの怠惰で面倒になり、その安酒を冷やで注ぎ飲んだのである。そしたらそれがものすごくまずかった、とても飲めたものじゃなかったと、言いたいことはそれになる。一気に白けて酔いが冷めた。

 冷やで口にした安い日本酒は値段相応にまずい酒だった。味もそっけもないひどいシロモノだった。とても冷やで飲めるものではない。中級酒の「菊水 ふなぐち」が、いかにうまいか思い知った。とにかく味わいがまったくないのである。だから「まずい」とは違うか。味がないのだ。酷や切れどころの話ではない。

 ところがアチチと言うぐらいの熱燗にすれば酒の匂いがしてそれなりに飲める。
 良い酒がなぜ「冷やで飲んでくれ」と主張するのか理解できた。日本酒の味は冷やで分別するものなのだ。なるほど、前々からわかっていたような気分でいたが、今回安酒の熱燗と冷やを体験して、このことが正当に理解できた。

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 安酒の熱燗とは湯上がりの醜女である。平常なら見向きもしない存在だ。それが湯上がりで肌を火照らせ、浴衣の前が割れたりするものだから、おおなかなかそそるではないかと手を出してしまう。しかし翌朝見れば、それはやはりそれであり、なんでこんなものに……と、手を出した己を呪いたくなってくる、とそんな存在であろう。
 醜女と書くと容姿の話になってしまうがそうではない。存在である。私は近頃の娘が大嫌いで一切近寄らない。電車も同乗したくないし、制服をミニにしたバカ面女子高生など10メートル以内に近寄りたくない。まったくああいうモノに手を出し一生を棒に振る植草ミラーマンの性癖が理解できない。そういう私でも、夏祭りの季節、彼女らが浴衣姿で団扇をもっていたりすると、おっ、と思ってしまったりする。そういう勘違いの話だ。
 熱燗とはまずい安酒をなんとか飲めるようにするマジックである。これが結論。

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 熱燗用に買った紙パックの安酒がふたつ(2リットル×2)ある。刺身に冷や酒には耐えられない酒と知った。まあいい。もともと熱燗にしようと思って買ったものだ。

 近所のスーパーで見つけた「松竹梅 本辛燗酒」なる安酒。2リットルで千円ちょい。「燗酒」と謳っているので買ってみた。珍しいネーミングである。世の中には燗酒のファンもいるのだろう。

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 金沢のKが引越祝いに天狗舞を贈るとメールをくれた。
 先ほど謹んで辞退するとメールを書いた。今の私には天狗舞を飲む資格がない。天狗舞に失礼だ。
 猫を喪っての傷心旅行だから2000年の2月、雪におおわれたKの家におじゃました。金沢も暖冬で雪が減っているというから、何年に一度というあの真っ白な世界に出会えたのは僥倖だった。
 離れに一週間ほどいさせてもらった。暮れから正月にかけて、Kのお父さんへの進物なのであろう、いろんな酒がおいてあった。かってに飲んでくれと言われ、そこにあった一升瓶の何本かに手をつけた。その中に初めて飲む天狗舞があった。なんとうまい酒なのだと感激した。Kはいくつもの高級な日本酒があるのになぜ私がそれを気に入ったのかと首をかしげた。後にその天狗舞が断然高い酒であるとわかり、私の舌のたしかさが証明されたのだった。
 父が死んだときも、Kは金沢から最高級天狗舞の四合瓶をもって駆けつけてくれた。父の亡骸にそれを含ませて(含めないから唇に塗った、というべきか)父と最後の晩酌をした。
 東京でも天狗舞を買える店を見つけたので、たまに恋しくなると四合瓶を買って飲んだ。でもそれは「並」であるから、最高級品を知っている身にはたいしたことのない酒だった。そう、天狗舞ならなんでもいいわけではない。うまいのは山廃仕込みの純米吟醸酒だ。

 momoさんから妻への祝いに「久保田萬寿」をもらった。妻が来日する前だ。いつだったろうと日記を検索すると「2003年4月」とわかった。便利だなPCは。あのころはメンバー制の日記だったのでなんでも正直に書いていた。
 momoさんと西船橋で会ったこと、萬寿をぶら下げてきてくれたmomoさんの様子も覚えているのに日附はあやふやになっている。
 みんなのお世話になって生きている。私はまだ恩返しをしていない。これからがんばってしよう。

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 今の私には天狗舞も久保田も遠い。安酒の熱燗が似合っている。ここを底としてはい上がって行こう。

 ところで、うまい日本酒は冷やで飲んでくれと断り書きを入れているが、燗してもうまい高級日本酒もあるのだろうか。
 味に自信のある酒が冷やで飲んでくれと主張するのは、ボディコン(笑)に厚化粧のような熱燗にされたら、ブスもいい女に見えてしまい、素顔美人の自分たちが目立たないから、なのだろう。この点からも「安酒も熱燗にすればなんとか飲める」は真実であろう。あれは安酒をうまそうにするテクニックであるが、同時に冷やでうまい酒の味を消してしまうのだ。
 でも江戸時代はどうだったのだろう。いわゆる添加物、保存料のない時代、生ものであったころだ。当時も「うまい酒は冷や」だったのだろうか。江戸の庶民の飲む熱燗も安酒のまずさをごまかす手法だったのか。「熱燗の歴史」のような本があるのならぜひ読んでみたい。

2/19
 安酒にも限界がある!

 フェブラリーステークスの日。みんなに飲みに誘われたがまっすぐに帰宅した。今日で東京開催が終りである。来週から中山だ。こういう日はしばしの府中とのお別れに多いに盛り上がる。二次会から三次会、最後はカラオケスナック、終電で帰宅の道は見えている。私はそんなに遅くまでつきあえない。どうにも今日はその気になれなかった。馬券は当たったけれど。

 帰宅途中にスーパーにより食品を買い込む。生寿司とサラダを買ってきた。それでまた安酒の熱燗をしようと思ったのだが……。

>熱燗用に買った紙パックの安酒がふたつ(2リットル×2)ある。刺身に冷や酒には耐えられない酒とは知っている。まあいい。もともと熱燗にしようと思って買ったものだ。

 安酒の「まる」も「松竹梅 本辛燗酒」も終り、あったのは上記の安酒だけだった。これは安い。ほんとうに安い。酒を安売りしている店が「広告の品」として売っていた。2リットルで880円だったか。合成酒を飲んで頭が痛くなったことがあるのでそれだけはたしかめた。一応日本酒のようだ。それで2本も買ってきたのだったが……。

 これ、熱燗にしても臭くて飲めない。だめである。まさかこんなひどい酒とは知らなかった。
 なるほどそう解釈すれば、安酒とはいえ「まる」はテレビで宣伝している品だし、本辛燗酒も大メーカーの松竹梅である。なんとか飲めたのは当然だった。こういう点で「ブランド」は役に立つと知る。さすがに安いだけで飲むに耐えない酒は発売していない。
 今度のは無名メーカーの安売り用酒である。熱燗にしたら、なんというのか、混ぜモノの臭いが鼻を突いて、飲めないのである。いやはやまいった。

 そんなわけで、いくら安酒とはいえ限界があると知った。これからは上記の「まる」あたりを下限にしよう。というか、もうすぐ熱燗も倦きると思うが(笑)。
 しかしとてもじゃないが飲めないこんな酒を4リットルも買い込んでしまった。どうしよう。これで料理を作れる環境にあれば料理酒としてふんだんに使える。でもプロパン用ガス台を買う気はない。IH調理器で乗り切ろうと思っている。日本酒はどんな料理にも役だってくれるがガスがないからなあ。でも明日はアサリの酒蒸しでもやってみるか。この酒ならたっぷり使っても惜しくない。酒蒸しに使ったらまずくてアサリが食えないなんてことだけはやめてくれよ。
 あとは……入浴剤として使う手もある。2リットルで千円以下だ。入浴剤として割り切るか。
 安物買いの銭失いとはよくいったものだ。勉強になりました。
4/7
粉茶さがし

 毎日、伊藤園のこれを愛飲している。写真は40g50杯用。正しくはこれの倍の大きさ、80g100杯用になる。正価は950円ぐらい。それを御徒町の多慶屋で790円で買っている。

 その前はこれだった。田舎時代からだからもう五年ぐらい前からか。実のところこの「手軽にカテキン」の方が今も味は好きなのだが、量が少なく、濃い味にして一日に何杯も呑むと数日でなくなってしまうのである。いつしか80g用のある上記商品になっていた。これは40g製品しかない。550円ぐらいか。

 これらの50杯用、100杯用という数字は「100cc」を基準にしている。まあお上品な方々はそうなのだろうが、PCデスクに向かうとき、大相撲観戦土産にもらったでかい相撲茶碗になみなみと淹れて飲む私には、100杯は30杯になり、それを一日に5杯飲むと100杯用も6日でなくなる。
 これを常に10袋ぐらい買いだめしておけば何の問題もない。今から書くことも用なしになる。それだけの話である。しかしどこかにもうすこし安くてよい品はないだろうかというセコい話だ。

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 この悩み?は初めてではなく今までも探してはいる。スーパーで見かけた安くてうまいという粉茶を何度も買っている。しかしそれらはみなまずく、未だに使いきらずいくつも半端なまま残っていたりする。これもまた安物買いの銭失いだ。この時点で上記の伊藤園の商品を買えばいいのだと結論は出ていることになる。だからここのところ粉茶探しをすることはなかったのが……。

 数日前、ひさびさに都心に出た。なさけない言いかただ(笑)。
 友人と東京駅構内の廻転寿司に入った。シャリがくずれてつまむのに苦労するひどい寿司だったが、先細のプラスチック容器に入っていて、ふりかけのようにして粉茶を出して淹れるお茶は、私好みで合格点だった。(廻転寿司のお茶もスプーンで掬う粉茶だったり、紙パックのお茶だったりいろいろである。)
 安い廻転寿司で大量に消費される粉茶が上記のような高いもののはずがない。どこかに安くてうまい文字通りの「寿司屋の粉茶」は確実にあるのだ。しかしスーパーで探しても見つからない。もしも私が積極的な人間なら寿司屋に分けてくれと頼む。何割か高くされたとしてもそれでもまだ安いだろう。

 ということでやっと「ネット通販」に思い至った。まだ二、三回しか買い物をしたことがないので通販音痴なのである。
 いま調べている。じつに様々な種類、値段の粉茶が売られていると知った。田舎住まいの身にはなんとも便利に映る。とはいえいくらレヴュウを真剣に読んだとしても(そりゃ身内のヤラセがあるのは当然)一発で好みの製品に出会えるとは思えない。所詮は味の問題だから個人的だ。何度かの失敗は覚悟せねばなるまい。スーパーでうまいという粉茶を見つけては買い、もう何度も失敗してきているのだ。やはり上記の気に入っている製品を買うのが無難か。

 そういや二十代の頃はコーヒーを一日に何杯も飲んでいた。いまはまったく飲まなくなった。紅茶は飲むけれど。こういう嗜好の変化ってなんなのだろう。
 お茶の本家本元である雲南に行くときも日本茶をもっていった。あちらの人には「甘い」と不評だった。これはうなづける。あちらのどす黒い色の苦みの強い茶から見たら日本茶は腰抜けだろう。日本茶の緑を見ると日本人であることの喜びを感じる。
11/1 カレーとビール

 宮部みゆき「模倣犯」を読んでいたら、下巻の最初に、「カレーを食べながらビールを飲むシーン」が出てきた。犯人二人と濡れ衣を着せられる幼なじみの三人が犯人の別荘で食事をするシーンである。犯人の作ったカレーを食べつつ昔話に花が咲き、ビールとカレーが進み、犯人は補給のビールを冷蔵庫から出してくる。

 宮部みゆきという人は酒を飲むのだろうか。この辺、宮部マニアに尋いてみたい。もしも飲むなら味音痴である。
 ビールとカレーは合わない。ビールは辛いものとは合わず、それどころか互いの魅力を相殺する。最悪の組み合わせである。
 酒を飲まないと飯が食えない、というか飯は酒の肴みたいなものであり、中でもビールがいちばん好きな私も、カレーを食うときにビールは飲まない。まずくて飲めない。体験で学んだことだ。

 カレーとビールは合わないと避けていたが、あらためてそれを確認したのは初めてタイにいったときだった。中華街。ソムタムをつまみにいつものようビールを飲もうとしたらまずくて飲めない。ああいう香辛料の強いものにはビールはだめなのだと再確認した。メコンのソーダ割のようにすこし甘みがある酒がいい。トムヤムクンのような辛いスープも同じ。ビールはあわない。地元の人は皆わかっている。
 チェンマイのインド人がやっているカレー屋に行ったときのこともまた確認になった。何人かで出かけた。カレーにナンという食事だが話の合間、適当に酒を飲みたい。ビールは合わないけどなにかあるはずと思っていた。そもそも合わないビールなどおいてなかった。その分、きちんとカレーに合う酒が置いてあった。

 ひとり暮らしの今、カレーを作ることはもちろんレトルトを食うこともまずないが、もし喰うとしたらやはり酒は欲しい。何を飲むか。私なら「飲むヨーグルトで割った焼酎」にする。いつもはすこし甘すぎるのだが、カレーにはその甘さが合うだろう。カレーに甘い福神漬けとは、誰が考えたのかよくできている。(関係ないけど、焼きそばに紅生姜ってのも絶妙だ。)

 こんなちいさな箇所で立ち止まってしまう私も問題だが、こんな酒のシーンもやめてほしいものだ。この小説にはやたらタバコが出てくる。銘柄も細かい。たぶん宮部さんはいたずら程度にタバコを喫い、同じく飲めないわけではないが本格的な酒飲みではないのだろう。

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 ここを読んで「おれはいつもカレーを食うときビールを飲む。最高の組み合わせだ」「おれの知ってるタイ人はソムタムを喰いながらビールを飲むぞ」と反発する人もいるかもしれない。ま、そりゃ人それぞれですのでご了承ください。私の舌は「カレーにビールは合わない。もっと似合う酒がある」といっとります。それだけです。


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