──落語話──2007


1/20  今おもしろい落語家──1位は柳家喬太郎

 昨年12月、本屋で落語の特集をしている「雑誌」を見かけた。巻頭が落語特集で、今おもしろいと思われる落語家の人気順が載っていた。(この「雑誌」と「巻頭特集」がそもそもの勘違いだった。結末はのちほど。)

 こういう企劃は好きではない。だって誰がなにを基準に順位をつけるというのだ。それがほんとうに読者の投票だったとしても信じない。そんなものどうとでもなる。新聞の「内閣支持率」なんてのだって、「無作為で500人に電話で調査。解答率60%」だったりする。500人に問いあわせて答えたのが300人、そのうち150人が支持と答えれば支持率50%となり、日本国民の総意として新聞の一面を飾る。10人20人の気分でもって6割の支持になったり、ついに5割を切ったと騒いだりする。まことにくだらない。テレビの視聴率も同じ。
 視聴率はともかく内閣の支持率をテレビ番組の人気調べのように頻繁に行ってさも大事のように騒ぐのは無意味だ。一応統計学を勉強したのでこういうやりかたでもそれなりの信憑性があることは理解しているけれど。

 そんなわけで、落語好きの有名人なんてのがシッタカをするのであろうこんな雑誌の落語家順位に興味はなかった。本屋でこの本を手にしたときは斜め目線である。否定的視点だ。ところが立ち読みしたら「1位柳家喬太郎、2位立川志の輔」なのである。今の私の気持ちとまったく同じだったので「なんてセンスのいい順位だ」になってしまった。斜め目線から一転して抱き締めたいほどいとしい本になる。なんとも軽薄。でもほんとうにうれしかった。やっぱ喬太郎はいまいちばんおもしろいのだ。それに、私のようなひねくれ者はNHKでお茶の間向け番組をやっているというだけでもう敬遠するのだが、昨年あらためて志の輔のおもしろさにノックアウトされ、その凄さを再認識していたからこの2位もうれしかった。





 そのことをホームページに書こうと思った。確認のためもう一度この雑誌を読もうと思った。なのに見つからない。何軒もの本屋を覗き、それらしき雑誌を片っ端から開いた。インターネット検索もしてみた。見つからない。その雑誌について書くのではないから無視してもいいのだが気になる。見つからないのが不思議だ。なぜだろう。たしかに読んだはずなのだが。

 ネット検索で「雑誌・落語家・人気順位」とやっても出ない。何も出ないならまだしも、見当違いのどっかでやっているくだらない順位が出たりして、当然それは私の好みとはちがうからよけいに苛立つ。検索下手なりにあれこれ智慧を絞って調べるのだがどうしてもこの雑誌が見つからない。本屋でも見かけない。さてこまった。ということで今日まで来てしまった。

 きょう、「柳家喬太郎が1位なのだから〝1位 柳家喬太郎〟で検索したらどうだろう」と思いついてやってみた。それでやっとこの文春ムックを見つけた。「雑誌」ではなく「ムック」だった。名のある雑誌の巻頭特集と思いこみ、そればかり探していたので見つからなかった。ともあれほっとした。やはりこれを確認して書くのと不明なまま書くのでは気分が違う。








 ムック本の決めた落語家のおもしろ順位などどうでもいい。そもそも落語家の人気に順位をつけるなど邪道だ。ネットでそんなものを見かけても無視していた。
 私にはすこしだけこだわりがあった。
 いま本格派として注目を集め、獨演会の切符があっと言う間に売切れる人気落語家に立川談春がいる。昨年は「情熱大陸」でも特集された。随筆集「赤めだか」が2008年講談社エッセイ賞を受賞したことも話題になった。本格の古典派である。一部には「平成の名人」とまで言うのもいる。ライバルは同門の志らく。ふたりとも師匠の談志に似て多才である。世に出るのが巧い。彼らが人気なのだろうと思っていた。

 彼らと比すと私の大好きな喬太郎は軽い。地味だ。世間的話題になっていない。ここのところ古典もやるようになったが、抜群のおもしろさは新作落語である。それは落語ファンのあいだでは下位になる。古典落語をやるヤツが上なのだ。志の輔も同じ。古典も抜群に巧いが、私からするとなんていってもすごいのはあの新作だ。だけど新作をやることが志の輔を軽く見せているのではないか。

 談春が1位なのではないかと思った。喬太郎や志の輔は談春や志らくより下ではないか。そう思いつつ開いた本だったからこの結果がうれしかった。523人の落語ファンは「誰がいちばんおもしろいか」がわかっていた。断然喬太郎であり志の輔なのだ。うれしかった。よかったよかったと我が事のようによろこんだ。とまあそういう、それだけのお話。



 喬太郎も志の輔もすばらしい新作を創る天分がある。もちろん古典もこなせる。
 いま立川一門ファンのサイトを覗いたら、「談志師匠はモーツァルト以上の才能」と讃える書きこみがあった。いかにも談志マニアらしい持ちあげかただ。それはちがうだろう。談志も志ん朝も古典という名曲を弾きこなすピアニストだ。名ピアニストではあっても作曲家ではない。歴史的天才であるモーツァルトとは、談志ごときとは才能の桁も違うが、それ以前に方向性が違う。こういう讃えかたをする人はセンスが悪い。
 話芸が演奏能力なら作曲の才能は新作ではかられる。私はむかしから新作をやる落語家が好きだった。痴楽、歌奴、米丸、柳昇、円丈。しかし落語の世界では古典落語を上手にこなす落語家ほど讃えられる。でも古典てそんなにすごいか? 「芝浜」「文七元結」、さほどのネタとも思えない。「柳田格之進」、矛盾だらけのつまらない筋だ。
 喬太郎と志の輔の新作の凄味は円丈以来の衝撃だった。
 志の輔の新作はシュールであり深味があり、それこそ「古典になりうる新作」とすら思える。「みどりの窓口」「はんどたおる」「歓喜の歌」、すごいとしか言いようがない。

 私は、志ん朝から学び音曲が抜群にうまいたい平が大好きだけれど、「芝浜」なんぞを演じることに腐心しているたい平とは、喬太郎や志の輔はものがちがうと感じる。

 落語ファンは好き嫌いが激しく、他者の意見に同意することはすくない。好き勝手なことを書いて敵を増やしたくないのでもうここまでにする。言いたいのは、「今おもしろい落語家──1位柳家喬太郎、2位立川志の輔」というこの文春ムックの順位がうれしい、とただそれだけである。

 「紺屋高雄」は立川藤志楼!




この背景は
http://www.wahoo-sozai.com/desktop-wallpaper/simple/big-cherry/big-cherry01.htm
より拝借しました。

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