──落語話
2009


2/10  立川談春「赤めだか」を読む

 昨年エッセイ賞を受賞した話題作。まあ賞なんてどうでもいいが、たいへんな名随筆と話題になっていた本である。どれぐらい話題になっていたかというと、去年の4月に発売になり、図書館にすぐに入ったのに、それからずっと今年の二月まで「貸し出し中」だった。もちろん予約すればもっと早く読めた。それをせず空くまで待とうと思っていた。焦ることもない。私は立川流のファンでもないし。それでも一応談志の本も、その他談志関係の本もみな読んでいる。この本も、三年後五年後でも、いつか読めばいいと思っていた。

 無性に読みたくなったのは正月にやったTBS「情熱大陸」の談春の回がとてもよかったからだった。「情熱大陸」は出来不出来の差が激しい。楽しみにしていた「将棋 竜王戦」は最悪だった。一方、たいして期待をしていなかった談春の回は秀逸だった。
 読みたくなって図書館で調べる。やっと二月半ばに「貸し出し可能」となったので急いで借りてきた。



 感想。おもしろかった。構成がいい。青春物語になっている。
 『週刊アスキー』に女子アナ進藤晶子の対談コーナーがある。そこに出た談春が、この本について語っていた。つい先ごろの話である。「会話中心に構成した。話のプロである咄家なのだからよく出来ていて当然」「場面替えも落語家なのだからうまくて当然」のように、絶讃されている自著をクールに分析し、「二冊目は書かないと宣言していたが、多くの出版社から連絡があった。それでも書かないとあちこちで吹聴していたらまったく来なくなった。すこしぐらい来てもいいじゃないか(笑)」と。

 この本が優れている理由はこの自己分析がいちばん正しいように思う。名だたる書評家の分析より私にはいちばん納得できた。
 感想として「おもしろい」だけではあまりにバカなので、何か言わねばならない。でも何も出てこないので、Amazonにあった絶讃しているレヴュウの力を借りる。



この師匠にしてこの弟子あり。笑って泣ける大傑作。
By ドートマンダー

「赤めだか」というタイトルがこんな逸話に由来しているとは思わなかった。そして、これをタイトルにしたことに、談春師の強い思い入れがあるのだろう。高校を中退してまで入門した談志家元への熱い愛情。そして家元にまつわる常識を超える数々の逸話。同期そして先輩兄さんやライバルでもある後輩達との切磋琢磨の日々。
「ここまで書いていいの?」とも思えるほどに修行時代の嫉妬や葛藤が赤裸々に綴られている。将来の名人候補としてもっとも脂の乗っている時期に、“今だからこそ全部吐き出しておこう”とでもいう覚悟が行間に漂う。
また、志半ばでリタイアしていった修行仲間達への、骨太の愛情がひしひしと伝わってくる。
それがタイトルにつながったのであろう。通勤の電車の中で読みながら人目もはばからず涙をふきながらの読了だった。落語関連本の範疇を超える大傑作。




 下線は私。さらっと読んで、おもしろいなと思ったけど、それ以上のものはなかった私からすると、こんな温度差の違う文を読むと戸惑う。「ここまで書いていいの?」と思うような箇所なんてなかったし、情動失禁気味にくだらん御対面番組程度でもすぐに泣く私から涙は一滴も出て来なかった。このひと、どこで泣いたんだろう。

 私は、談春は読者を泣かせる文は書けるが、それを粋としないので、意図的に書かなかったと思うのだが。
 それともこういうふうに「人目もはばからず涙を」のような感想文を見て、してやったりと思うように仕掛けたのか。ちがうよなあ、泣かせる文なんてかっこ悪いと、敢えていくらでも泣かせられるような場面でも意図的に乾いた文を書いたと思う。私の解釈の方が正鵠を射ている自信はあるが、まあ泣く人はどんな文でも泣くからとめようがない。こういう自己陶酔しているにケチをつけたら叱られるからおとなしくしていよう。



 おもしろかったと言えば、競艇のシーンはよかった。近くが戸田競艇場だったので、こどものころから眉墨で髭を描き、おとなのふりをして出入りしていたという。
 ふたつめになり羽織袴が必要になる。親に頼めば作ってくれた。でも自力で作りたいと全財産5万円をもって競艇場に出かける。渾身の読み。1レース、本命で決まる。3倍。5万円を入れれば15万になる。読みは当たっていた。買っていれば当たっていた。しかし踏みだせない。6日間、ひたすらレースを見るだけだ。そこで振り返る「自分はバクチをやってはいけない人間なんだ」は見事。私もいつもそう思う。なのにまだ足が洗えない。

 最後の最後、読むことを捨て、知りあいの女の娘の誕生日3月5日の3-5、5-3を5千円ずつ買う。これが70倍の穴となり35万を手にする。その強運。元金の5万円と合せて40万円。自力で羽織袴が買える金額だ。でもそこから一年滞納していた家賃を取られ、すこしばかり女遊びをし、残った5万円でもういちど勝負に行くが、もちろん今度はかすりもせずハズレ、けっきょくは親に土下座して作ってもらう。



 ふたりの人間国宝、小さんと米朝との絡みもよかった。米朝ネタの「除夜の雪」という渋いネタをやりたくて(落語家はネタは根多と漢字で書く人が多い)教えを請いに行く。談春のこれをぜひ聴いてみたいが、それ以前に米朝のそれを私は持っていない。米朝のCDはそんなにもってないし。

 と思って検索したらニコニコ動画にアップされていた。21分の作品。ありがたい時代だ。
 コメントの中には「赤めだかを読んで興味を持っていた。聴きたかった」とあった。「赤めだか」によって注目が高まったことも関係あるようだ。いま、それを聴きつつ書いている。

 というわけで、談志狂ではない私にはごくふつうの一冊だった。談志を崇拝している人はたまらないだろう。これがすぐれた随筆であることはまちがいない。よい本である。
 Amazonのレヴュウには落語をまったく知らないひとの感想があった。落語を知らない人でもこの本は楽しめるのだろうか。珍しい世界の青春期として楽しめるのだろうか。

 私はあくまでも落語好きとして、立川流の中を覗く感じで読んだ。ひさしぶりに「談志が死んだ」を読みたくなった。この本で弟子達がわいわいやっている部分は楽しい。

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 ベストセラーになるのはたいへんだ

 本屋に新たな帯の着いたこれが平積みになっていた。コピーは「10万部突破」。
 いまの時代たいへんな数字なのだが、講談社エッセイ賞を受賞し、「情熱大陸」で特集されたことを考えるとすくないと感じる。だって「大家族」だかなんだかで話題になったネーチャンがアホな自伝を書くと(もちろんゴーストライターね)軽く25万部突破とかそんな時代なのだ。
 いい本はもっと売れて欲しいと願うけど、自分が図書館から借りているのだから言う資格がない。でも私は立川流の支持者じゃないからね。その意味では、たとえ図書館からではあれ、読んで、こうして讃える感想文を書いただけで、いいんじゃないの、と居直っている。
2/1
 「談志絶倒 昭和落語家伝」を読む



商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
八世桂文治に惚れ、人形町の寄席から高座を狙い、あげくは自宅に押しかけ、文治の素顔を、そして文楽、志ん生、三木助、小さん、馬生…と追いかけた二千枚の貴重なフィルム。この写真集では、当時の落語界の幹部、または理事といった野暮な呼称の“真打ち”を載せ、語った。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
立川 談志
落語家、落語立川流家元。一九三六(昭和11)年、東京に生まれる。本名、松岡克由。小学生のころから寄席に通い、落語に熱中する。十六歳で五代目柳家小さんに入門、前座名「小よし」、十八歳で二つ目となり「小ゑん」。二十七歳で真打ちに昇進し、「五代目立川談志」を襲名する。一九八三(昭和58)年、真打ち制度などをめぐって落語協会と対立し、脱会。落語立川流を創設し、家元となる

田島 謹之助
写真家。一九二五(大正14)年、東京に生まれる。子どものころから写真と寄席に夢中となり、戦後は日本の原風景を撮り続ける。二十代のとき、叔父と親しかった人形町末広の席亭に頼みこみ、一九五四(昭和29)年から一九五五(昭和30)年にかけて、人形町末広の高座と落語家の自宅を集中的に撮り続ける。その数は二千を超え、現在でもフィルムのほとんどが変質することなく残されている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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談志の「昭和落語家伝」を読んだ。2007年9月発刊らしいので一年半ほど遅れた。モノクロの写真が味わい深い。

 相変わらずむかしの人気落語家にも言いたい放題している。そんな中、興味深いのは並べ方。圓生で始まり志ん生で結ばれている。

 人気者の可楽や金馬にも好き勝手なことを言っている。その論調はそれなりに納得できる。立川談志が名人だという以外は。信者は歓び庭駈けまわるだろう。むかしの落語家好きは「談志ごときにこんなことは言われたくない」と立腹するだろう。



 思い出すのはあの圓生の獨立騒動。親方になりたい談志は副会長は自分だと思った。しかし圓生から志ん朝だと言われる。談志は志ん朝に直接副会長を辞退しろと言いに行く。志ん朝は「わるいけど兄さん、あたしは圓生師匠から指名されたんだ。その話は断る」と言う。談志は圓生のあとの会長は自分だと思っていた。志ん朝とのことで言えば、そもそも志ん朝が真打ちになるとき辞退しろと言いに行っている。ものすごい我である(笑)。
 副会長になれず、権力を握れないと知って談志は脱退する。
 思えば、もっと早く立川流を立ちあげればよかったのだ。信者はいるのだから。



 今後もこういう本を出す落語家は出まい。いたとしても様にならず、談志本と比べられて落ちこむのがオチだ。そう考えると価値のある人なのか。

3/1  小朝嫌い

 興味がないので聞いたことがない。とはいえ彼がアマチュアのちびっこ天才落語家としてテレビに登場したときから見てはいる。長い。審査員の文楽に誉められていた。
 聞かない理由は人間性だ。まともな人間とは思えない。

 食わず嫌いでもまずいかとすこし聞いてみることにした。演目は大好きな「稽古屋」を選んだ。なんといってもこれは志ん生が一番だ。文珍だとうますぎてつまらない。小朝も音曲はうまいらしいから、さぞお師匠さんの部分はうまかろう。問題はへたの部分だ。ここで差が出る。

 枕が「ブスについて」だった。延々とブスの悪口を言う。権利と義務で言うと、ブスには生きる権利はあるが生きねばならない義務はないとか、生きるとき生きればナントカカントカ、死ね、とブスの五段活用は必ず結びは死ねになるとか、悦に入って延々とやる。客席は笑いの渦。みな女声だ。どんな女がこんなのを聞いて喜ぶのだろう。咄家もセンスが悪ければそれを支持する客も同じだ。呆れる。本題に入る前にいやになって止めた。HDDに挿れたファイルも消した。二度とこの落語家の咄を聞くことはない。

 もしかして食わず嫌いの落語家をひとり好きになれるかもと思ったが、自分の直感が正しいことが証明されただけだった。

5/10  志の輔を聞く

 ここのところ志の輔にハマっている。おもしろい。深夜、PCに向かっているときBGMのように流したり、SLGの経験値稼ぎをやっているとき、TVの音を消してiPodを繋いだ小型スピーカーから流したりしている。

●談志嫌い、立川流嫌い

 私は談志好きではないので立川一門には疎い。一応談志は「ほぼ」聞いている。若い頃からよくしっているひとだ。成人してから談志で落語を好きになり、身内気分で彼を「家元」と読んだりして崇拝している落語ファンの知人がいたが、談志に関しては彼なんかよりずっと早い。『笑点』司会者のころ、参議院議員立候補、選挙活動、当選落選、酔っ払っての会見、みな知っている。あの「圓生騒動」のときは、偶然仕事が絡んでいたこともあって、内情をよく知ることが出来た。
 落語を本気で聴こうと思ったら談志は必修科目のように思っていたのでがんばって聴いた。でも私がこのひとに惚れこむことはなかった。彼の人間性が嫌いだからなのだが(好きなひとはそこにベタ惚れなのだ。この差は大きい)、私にも、そういうこととは別に、藝は最高だと讃えるような感性はある。だが私は、彼の咄そのものが好きではないのだ。まずあの声がだめだし、彼は師匠小さんを「女を演じられない」と批判しているが(小さんが女が出来ないは定番だけれど)、じゃあ彼の女は絶品かというと、私にはどうにもあの嗄れ声で演じる彼の女がよいとは思えないのだった。他項でたびたび書いていて重複するので一行だけにするが、私は彼を演芸評論家としては超一流と思っている。

 談志嫌いだから当然弟子にも興味はない。もっと極端なのは師匠の小さんになる。談志嫌いからの影響で、古今の有名落語家はほとんどぜんぶ「いちおうは」耳にし、音源をもっているのだが、小さんだけはまったく聞いていない。図書館に行くと、志ん生や圓生と並んで小さんの音源がいちばん多い。志ん生や圓生はもうぜんぶ聞いている。逆に小さんは一枚も聞いていない。たまには聞いてみるかと思うこともあるのだが、結局手にしているのはたいして好きでもない正藏(彦六)だったりする。こうなってくるとアレルギーだ。人間国宝(笑)だというのに。私が小さんを好きになる日は来るのだろうか。興味深い。と他人事風。

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●NHK嫌い

 志の輔も立川一門だから当然縁遠かった。そのうえ私は大のNHK嫌いだから、あそこで日本全国老若男女、善男善女が好む毒のない優等生番組を長年やっているような咄家の落語を聞くはずがない。もちろんあの種の番組はぜったい見ない。紅白歌合戦ももう40年以上見ていない。朝の帯ドラも大河ドラマとやらも一切見ない。あれこれ雑学はある方でどんなジャンルでもクイズ番組には強いが、この「昨年紅白歌合戦に出た歌手で、なんとかかんとかが」「NHK朝の帯ドラでデビュウした女優、なんとかかんとか」のような問題は一問も応えられない。それにしても民放のクイズ番組で、「昨年紅白歌合戦に出場した歌手」がしばしば出題されているのを見ると40年以上見たことのない私は奇妙な気分になる。
 蛇足ながら、NHKのそれらを思想的ウンヌンで依怙地になってみないのではない。ごくごく単純におもしろくないのだ。私はそういうことに関しては素直なので、「大嫌いだけどおもしろいのは認める」とか、「悔しいけどどうしても見たくて見てしまった」のようなことは嘘偽りなく書く。まったく感性が合わず、あの種の番組を見ても、文字通り「砂を噛んでいる」ようなのである。つまらなくてつまらなくて耐えられないのだ。
 やはり40年という数字は大きい。本当は好きなら、紅白歌合戦でも朝ドラでも大河ドラマでも、ついついいくつかは見てしまうだろう。ただのひとつも見ていないのは根っからNHKとは合わないのである。

 それにしても今の時代、情報を拒むのは難しい。私は一度も見たことがないのに、志の輔のそれが「ためしてがってん」(さすがにどんな字を書くかはわからない。がってんはカタカナだろうか)というタイトルであることや、40年見たことのない紅白歌合戦で、小林幸子や美川憲一が毎年派手な衣裳で話題になることや、朝ドラで、競馬を扱ったものがあり武豊がゲスト出演したとか、大河ドラマの「篤姫」というのがひさびさに高視聴率をとったとかのNHK情報を知っているのである。好きなひとには常識だろうが私はなにひとつ見たことがないのにだ。



 志の輔に興味はなかったが、好きになれる噺家は常に探していたから、彼のCDを借りたことはあった。2003年、4年頃か。茨城にいて親の面倒を見ていた時期だ。水戸の県立図書館で借りてみた。思い出した。「唐茄子屋政談」をあれこれ聞きくらべていたときだ。するとマクラで先日ハワイに行ってきたのだが、と始めた。これだけで聞く気がなくなってしまった。本題もたいしたことはなかった。
 談志が相撲の咄をするマクラに、あんなもの八百長ですからねといかに相撲がくだらないかとを知ったかぶりで話して白けさせるように、こういう距離を置くマクラも立川流なのだろう。
 ということで、志の輔は嫌いな落語家になったのだった。肝腎の「唐茄子屋政談」もたいしたことはなかった。志の輔との出会いとしてはまことに不幸だったことになる。

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 6/10    馬生の思い出──ラジオ深夜便の馬生

 上記、深夜にBGMとして志の輔を聞き、遅ればせながらその類い希な能力に気づくのだが、そのきっかけはラジオだった。
 
 ワールドバンドレシーバー思い出話




















新馬生
8/23  談志と辻元清美



 スポーツ紙が三十代の談志の写真を載せていた。あまりに辻元清美に容貌が似ているのでおどろいた。私は談志も辻元も好きではない。その理由がよくわかった。

 好意的に解釈するなら、これはこれで「そういう才人の顔」なのだろう。ふたりとも。



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