──落語話
20072008


10/2 弟子入りするなら柳昇師匠

 夜中の三時過ぎに、フジテレビで、鶴瓶、志の輔、昇太の三人が出演した落語番組をやっていた。といって三人が落語を演じるのではない。午前三時ぐらいに集った三人が東京の街中をふらふらと歩きながら、自分の師匠や兄弟子のことなどをおもしろおかしく語り、その都度ほんの短い時間だがその話題の主の映像が流れるという趣向。これがやたらおもしろかった。

 川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)を映像で見たなんていつ以来だろう。昔昔亭桃太郎も映った。
 それぞれが師匠の逸話を語る。志の輔の語った談志はダンカンがタケシのところに行くと言ったときのもの。まあこれは有名だしよく知っている。

 昇太が柳昇師匠のことを語り、ひさしぶりに映像を見た。いつ見てもいい。落語って最後はその人の持っている人柄になる。
 子供のころ、歌奴(現圓歌)が大人気だった。おもしろかったけど私は子供心にもこの人を人としては好きになれなかった。ギラギラしている野心のようなものがあまりに出過ぎていた。
 対して好きだったのが柳昇だった。それほどおもしろくはなかったけど、なんだか甘えたくなるような人だった。同じく好きだったのが米丸だ。こちらは甘えさせてはくれないだろうけど、誠実な人だと思えた。

 昇太が弟子入り志願で初めて師匠宅に行ったとき、緊張して堅くなりまともに話せなかった。すると師匠が冷蔵庫に行き、ビールをとってきて注いでくれた。そして言ったのが「うちにきたらもううちの子だから、そんなに緊張しなくていいよ」だったとか。
 もしも私が落語家に弟子入りするとしたら……ってそんなことはありえないから無意味な假定だけれど、やっぱり柳昇師匠がいいなあと思った。

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 明け方の東京の街を三人がふらふらと歩いて行く。上野の下谷神社に行った。東京の落語発祥の地である。そう刻んだ碑がある。私も何度か行った。といってもそれが目当てだったわけではないけれど。
 いつしか朝の五時半になる。これでおどろいたのは、同じ事をやっているのだが、交通量が増え、うるさくて三人の話が聞き取りにくいこと。深夜と朝はこんなにも違うのだと知った。
 朝五時の日本橋で、鶴瓶が言うには、「一番偉い人のところに行ってピンポンを押そうと思う」。それは落語協会会長の圓歌、と言っていたが、いまは馬風じゃないの? ここのところそっち方面に疎いのだが、また圓歌にもどったのか? 鶴瓶が「圓歌師匠のところ」と言ったら「落語協会会長 三遊亭圓歌」と写真が出ていた。
 圓歌は地方出張でいないので、じゃあ「一番の新人のところに行こう」となる。花緑の弟子で緑君(ろっくん)という十七歳のところに行く。朝の五時半、アパートのチャイムを鳴らす。まだ寝ていた緑君が、しつこいチャイムにしかたなく上半身裸で出てきた。おどろいている。そりゃあこの三人がいきなり目の前に現れたのだからおどろくだろう。これもまたいい青年で応対もしっかりしており、すこし流れた前座の映像もなかなかだった。

 柳昇のCDは出ているのだろうか。目にしたことがない。図書館が購入するのは「古典藝能として価値あるもの」だ。とはいえ判断するのは彼らだから、圓生や談志、志ん朝になるのはいいとしても、そのあとは三枝や文珍になり、柳昇のような人は忘れ去られている。
 このごろたまにまた「落語を聞きながら寝る」をやることがある。私の好きなのは「眠くなるまで本を読む」だから、そんなにこれをすることはない。それに、いまのところこの用途に関して私の好みに合っているのは、志ん生と金馬しかいない。
 柳昇のCDがあったらうってつけなのだが……。

12/4
 志ん朝とたい平

 林家たい平を初めて見たとき、いい落語家だと思った。音曲がうまく華もあり、志ん朝の跡継ぎ候補のひとりだと。

 しかし林家一門である。師匠はこん平だ。そこがわからない。武蔵野美大の落語研究会出身の彼が、なんでこん平に弟子入りしたのか。
 落語は小さんに心酔したというのだが、それもまたこん平には繋がらない。それでいてなぜ志ん朝の端正で流麗な芸風を感じさせるのか。期待しつつも人前でたい平讚歌は口に出せなかった。

 それでも競馬業界では珍しい落語好きのタカハシさんと知り合ったとき、たがいにたい平を認めていることで盛り上がったりした。彼が実力者であることはまちがいない。わからないのはこん平の弟子であることだけだった。

 2001年10月1日、志ん朝が死ぬ。円熟を前に、あまりに早い死だった。

 そうこうしているうちにたい平は、病で倒れたこん平の代わりに『笑点』に出るようになる。2004年である。先輩方の中で自分の味を出せず、つまらないフィリピンパブのネタをやったりしているのが痛々しかった。やがて馴染み、2006年からは正規のレギュラーメンバーとなった。

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 今回この「まわりまわって古今亭志ん朝」を読み、たい平が志ん朝に心酔し、地方周りのときずっと荷物持ちとしてあとをついていたことを知る。前座をこなしていたのだろう。当時の写真も紹介されていた。こん平の弟子だが、ほとんど志ん朝の弟子となって新弟子時代を過ごしていた。こん平が大の志ん朝ファンであり、それを許していた、というかよろこんでやらしていたことも初めて知った。こん平の芸風に志ん朝に通じるものは一切ないが、噺家としてのすごみは伝わるのだろう。志ん朝も自分に通じるものを感じたからこそたい平をかわいがったのだろう。

 たい平はうれしかったこととして、一所懸命に世話をしているうちに、志ん朝はよくやってくれると認めてくれるようになり、こん平にも感謝を込めてそう伝えたが、こん平はいつも「いやあ、まだまだです」と弟子の奮闘を認めなかった。それがある日、「そうですか、ありがとうございます」と志ん朝に応じたそうで、それをふたりの師匠に認められた日、と語っていた。

 志ん朝にあこがれ、ずっと付き人のようについてまわっていたのだから、たい平に志ん朝のかほりがあるのは当然だし、音曲のうまさも、志ん朝から学び吸い取った部分が大きいのだろう。

 『笑点』しか見ていず、たい平を志ん朝の跡継ぎ候補と言ったら失笑ものだろうが(いや、『笑点』の中でもたい平の優れた感覚はそれなりに披露されているけれど)、前々からたい平を高く評価していた私は、これでやっと自分の感覚に後ろ盾が出来て安心したのだった。

 たとえばWikipediaの「林家たい平」の項には、彼に関する雑多な智識が多々書き込まれているが、肝腎のこの「若手時代に志ん朝について地方をまわった」が書いてない。その一行さえあれば私が悩むこともなかった。ともあれそのことをこの本で知ることが出来た。

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 今となっては、もしも最初から志ん朝の弟子だったら、古典落語一直線のテレビ嫌いとなり、表には出てこない人だったかもしれない。こん平の弟子という路線、志ん朝について修行という理想の道を歩んだことになる。そう思えるようになった。なんのかんのいっても『笑点』に出ることは一気に全国区になるから大きい。志ん朝も真っ赤な外車を乗り回し、アイドルタレントのようなことをやっていた若手時代(=テレビ番組「週刊 志ん朝」)がある。古典落語好きを標榜するファンの中には『笑点』のたい平を否定する人もいるかもしれないが、それは気にする必要はあるまい。

 教育テレビに出ているのを見かけた。なんでも出来る人だからこれからますます活躍の場が広がるだろう。それでも決して脱線はしないはずだ。こん平と志ん朝の二刀流だから。そう安心できることがなによりうれしい。
12/16


落語の朝──正蔵と小米朝

 16日はTBS落語研究会があった。午前4時25分から5時15分まで。こんな時間に誰が見るのだろう。「落語特選会」のころは見ていたが今はまったく見ていない。あれは深夜一時半ぐらいからだったからまだ充分に夜だった。これはもう夜とは言い難い。見なくなった。今回も偶然である。
 通例として朝は五時からで、この時間は日曜の朝ではなく土曜の28時25分と表記するらしい。視聴者は早起きしてみる年寄りの方が多いだろう。

 
 正蔵が「ぞろぞろ」、小米朝が「七段目」。興味深かったのは正蔵が長年やってきた、というかそれだけでもってきたような「海老名家ネタ──三平から兄弟姉妹まで」を一切やらず、前振りなしで本題に入ったこと。そして逆に小米朝が、「米朝ネタ」をマクラとしてたっぷりやったこと。
 国立劇場とはいえ客には「ウチの人間国宝がこのあいだ骨折しまして」「なにしろわたしは国宝の息子ですから」とアクション混じりでくだけた話をする小米朝のほうが受けていた。

 正蔵を襲名したこぶ平が、毎度の三平を引き合いに出してのマクラ(天国のお父さん、ぼくどうしよう、落語が出来ないんだ──せがれよ安心しろ、おれも出来なかった、のような)を一切封印しているだろうことは予測できた。
 だがまだそこには「もう正蔵なのだから。国立劇場だから。テレビ録画だから」の意気込み、かたさが見えていた。おどおどしているように見えた。まだまだである。
 対して小米朝はなんら迷うことなく米朝ネタを開陳してすなおに笑いを取っていた。
 正蔵が自分の藝に自信を持ったなら、やがてまたむかしのように堂々と三平ネタをやるようになるだろう。最近なら絶好の小朝泰葉離婚ネタがあった。それでこそ本物である。今の封印もまたわかる。先は長い。
 なんとも意味深なふたりの組み合わせだった。

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 次いで5時15分から45分までNHK「日本の話芸」。ざこばの「子は鎹(かすがい)」。関東では「子分かれ」の演目。私は「芝浜」とか「子分かれ」は嫌いだ。それはともかく。
 ざこばはかんでばかりいるし滑舌もわるく、ひどい出来である。といって今回がそうというのではなくいつもそう(笑)。この人の持ち味。
 かすがいを知らない人もいるだろうからと実物を見せて説明する。うしろの人は見えにくいだろうといきなりより大きなものを取り出して笑いを取る。この辺は関西藝人のサーヴィス精神。「わたしこれ、自前で買ってきました。落語のためならお金は惜しまないんです」って、たかがかすがいで(笑)。

 不思議なもので好みは変る。最近の私は立て板に水の流暢なものよりこんなのを好む。CDでも志ん朝や文珍の流麗なものはまったく聴かず、志ん生の登場人物の名前も忘れたような投げやりなもの(笑)ばかり聴いている。それと昭和三十年代のラジオを思い出す、思い出すというかもろに当時のものだが、金馬の落語。それらがあたたかくてほっとするのだからしょうがない。落語の好みもこちらの精神状態によって変る。

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 というわけで、偶然落語を連続して聞いて(見て)しまった夜(朝?)だった。いつ以来だろう。二年ぶりぐらい。

◎「早指し将棋選手権」の思い出
 見終って思ったのは、毎週この時間は夜更かしであれ早起きであれ、テレ東の「早指し将棋選手権」を見ていたなあ、ということ。終ってもう何年になるのだろう、放映時間は微妙に変ったが、日曜明け方の思い出として体にしみこんでいる。
 不人気だったらしく、日曜の朝の九時からだったのに六時からになり、五時からになった。六時はまだ朝だったが五時になるともうついゆけない。(ゆけたが)。このままじゃ四時台になり三時台になるのじゃないかと心配していたら五時代で打ちきりになってしまった。競艇の笹川さんのようなスポンサーがいなくなったらもう打ち切りしかなかったのだろう。

 長年ヴィデオに取りため、数年前DVDに移植したものが何十枚もある。どれぐらいだろう、50枚以上100枚未満。当時はビデオテープもけっこう高かったから、つまらない勝負だと録画したあと上書きして消したりしている。HDDレコーダの便利さを痛感する。とはいえそういうふうにセコく上書きしたビデオテープの消しのこりCMなんてのが味になる。
 いつしか見ることがあるだろう。四段になったばかりの中学生の羽生が、若い森内が、佐藤がいる。王者の中原、谷川がいる。咳払いをし、体を揺する加藤がいる。貴重な二上会長の二歩による反則負けの一戦もある。大山の映像は宝物だ。

 と、ひさしぶりにテレビで落語を見たのだけれど、想いとしてはそのあとぼんやり思った「早指し将棋選手権」への郷愁の方が強かった。衛星放送を契約すれば将棋番組なんて一日中見られるし、見たければそういうものと契約しろという時代だ。まだする気はない。

 2008  
08/10
 志ん朝、DVD発売!

 云南から帰国してひさしぶりにネット内を歩いていたら、かねてからの話題であった志ん朝のDVDが発売されていることを知った。志ん朝が亡くなって誰もが映像を見たいと思った。だが著作権を持つ奥さんが同意しなかった。それは故人の遺志でもあったらしい。なにしろ志ん朝はCDすらもいやがったのだ。「のこす」ということに彼なりのこだわりがあったらしい。つまり藝とは「その場きり」のものであり、メディアに残して何度でも再生できるというのを嫌ったらしい。

 もし出るとしたら、ソースは月に一度深夜にやっていたTBSの「落語研究会」からだと思っていた。それ以外にも映像はあるのだろうか。
 どういう心境の変化なのか、あるいは京須さんあたりが熱心に口説いたのか、とにかく未亡人が同意して発売になったらしい。2008年の3月だから、私は半年もニュースが遅れていた。それが第1期、10月に第2期で完結したらしい。予想通りTBSからだった。

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2001年、63歳という若さで惜しまれつつこの世を去った、名人・三代目古今亭志ん朝。本作はTBS「落語研究会」での貴重な映像をもとに名演を集めた「古今亭志ん朝全集」の上巻である。DVD8枚、本編871分に及ぶボリュームは、熱心な落語ファンをも満足させるだろう。収録演目は、お得意の「文七元結」「火焔太鼓」「愛宕山」「酢豆腐」「百年目」など全22席。CDでは想像することしかできなかった表情や所作をはっきりと観ることができるのはDVDならでは。粋でいなせな江戸弁、軽妙洒脱な語り口、絶妙の間など、生粋の江戸っ子である志ん朝の魅力全てがこのDVD-BOXに詰め込まれている。完全永久保存版として、磨き抜かれた芸を飽きるほどに堪能して欲しい。(仲村英一郎)
2008年3月26日発売

内容紹介
■DVD8枚組、BOXセット、カートン箱入り、解説書付き

<disc 1>「火焔太鼓」('73)、「五人廻し」('73)、「抜け雀」('72)
<disc 2>「船徳」('83)、「厩火事」('80)、「芝浜」('80)
<disc 3>「黄金餅」('84)、「三枚起請」('85)、「宋の滝」('86)
<disc 4>「居残り左平時」('85)、「今戸の狐」('88)
<disc 5>「お若伊之助」('88)、「つき馬」('89)、「締め込み」('89)
<disc 6>「お直し」('92)、「冨久」('94)、「もう半分」('88)
<disc 7>「文違い」('93)、「搗屋幸兵衛」('96)、「化物使い」('92)
<disc 8>「柳田格之進」('93)、「唐茄子屋政談」('95)
<豪華解説本:写真付き、全80P予定>
・志ん朝のいた時代と落語界:長井好弘
・志ん朝にとって残すという事:京須偕充
・演目解説:京須偕充
・思い出の古今亭志ん朝:
山田洋次、立川談志、永六輔、久米宏 他
・榎本滋民氏と解説の事:京須偕充
・古今亭志ん朝年譜

2008年10月1日発売

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 ひと組2万5千円ほど。両方で5万円か。そのうち小遣いに餘裕が出来たら買おう。今のところ私は「声」だけで満足していて、映像を見たいという切実な思いはない。
 待ち焦がれていた人達が大勢いたことは知っている。うれしかったろうなあ、大好きな志ん朝にDVDで再会できて。泣いた人もいたろう。その気持ちはわかる。私も志ん朝に会いたくて会いたくてたまらなくなったらこのDVDを買おう。あるというだけで安心できる。
08/12/1  武豊と落語

 騎手の武豊が落語が好きだとは耳にしていた。クルマの中で聴くことが多いと。
 先日彼がその件に関して応えている映像を見た。テレビだと思う。{Youtube}ではないような。それは競馬番組だったのか一般番組だったのか記憶にない。なさけない。酔っていたときなのか、いいかげんな記憶になってしまった。お恥ずかしい。

 そこで「落語を好く聞くそうですね」と問われた彼は肯定し、いつもクルマの中で聴いていると言い、「好きな落語家は」に「桂三枝」と応えていたのである。ビミョーだ(笑)。
 関東の志ん朝の名が出ることまでは期待していなかったが、米朝とか、そちらの本格派を願っていた。文珍でもざこばでも鶴瓶でも枝雀でもよかった。三枝だからビミョーだ。新作派である。

   
   
   
   
   




この背景は
http://www.wahoo-sozai.com/desktop-wallpaper/simple/big-cherry/big-cherry01.htm
より拝借しました。

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