−2004
04/1/4


新日東京ドーム、さいたまドーム-ハッスル1

 深夜に新日のドーム中継を見る。大嫌いだと言いつつよく見ている(笑)。結局見るたびに益々嫌いになっているのだが。

 どうやら売り物は「中邑真輔、高山を破ってベルト統一か!?」らしい。そういえばそうだった。大晦日の衝撃ですっかり忘れていた。中邑が勝ってベルト統一、NWF封印なのだろう。だいたいが復活したNWFってなんだったんだ。
 笑ってしまったのは、二時間の特番の作りが「曙サップ」の『Dynamite!』や「ミルコサップ」の『PRIDE』とまったく同じだったこと。つまり番組開始早々から「中邑タイトル統一か、いよいよ次は」とやり、CM明けに、そんなことを言った覚えはありません的にまったく関係ない遺恨話を初めて違う試合をやること。『PRIDE』や『K−1』ではさんざん見てきた手法だったが、それを新日がやったので苦笑してしまった。それはあのボディコンなるものが流行ったとき、ものすごいスタイルの悪い女がそれを着ていてあまりの痛々しさに思わず目を背けたときの感覚に似ている。「中邑高山」に「曙サップ」や「ミルコサップ」のような価値はないのに勘違いしているのだ。
 今までも深夜の新日特番は何度もあった。そのときはこんな演出はなかった。むしろ開始早々メインを流し、その出し惜しみしない方針に好感を抱いていたものだった。だからこそ私は深夜の2時、3時の放送開始でも明け方まで律儀につきあった。今回は11:30からの放送だし、みな正月休みで見ているから1:30まで引っ張りたいと欲を出したのだろう、番組開始早々から「中邑対高山」をくどいほどに出して引っ張る引っ張る。いったい試合までに「高山が中邑にくらわした膝蹴り」を何度見せられたろう。同じシーンだ。あまりにくどい。そしてなにより「中邑対高山」にそれほど誰も盛り上がってはいない。かっこわりい。(思い出した、「橋本真也、負けたら引退」のときもかなりくどく引っ張ったな。でもあれはまだ引っ張るだけの価値があった。)

 「いよいよ次はやるぞと期待させ実は違う試合」の典型例として「永田佐々木」登場。遺恨として、「昨年10月衝撃の脱退」ってちっとも衝撃じゃない。長州が辞めたら附いてゆくのはわかっていた。「突如アノ男が現れた」って、ちっとも突如じゃない。WJがつぶれたらもどってくるのもわかっていた。まったく新鮮じゃない。ついこの間まで見飽きていた組み合わせ。佐々木の出もどりより小橋が休んでいて復帰のほうがずっと物珍しかった。
 場外でカミソリでカットして二人して血まみれ。なさけなくて涙が出た。もう終りだ。ほんとにもうプロレスは終りだ。客の嘆きをわかっていない。おそろしくスタイルのわるいネーチャンのボディコン姿に目を背けていたら、「いやらしい目で見ないでよ」って言われた気分だ。

 中邑のアームロックもなあ(笑)。説得力なし。天山にも高山にも一方的に攻められて最後に関節技で逆転勝ちってのは、「血まみれ吉村の最後に逆転回転えび固め路線」を狙っているんでしょうか?
 猪木のパフォーマンスもいつものようには盛り上がらない。そりゃそうだろうね、あの「猪木祭り」のあとなんだから。「猪木が笑えば世界が笑う」と言っても冷えている空気を読んだ猪木は、とっさに「わかるひとにだけわかる」とふてくされ気味にフォローした。その点だけはさすがだと思う。どの新日レスラよりも場の雰囲気を読んでいた。
 途中からヴィデオを止めた。こんなものを録っていたら自分が惨めになる。

 深夜。インターネットで「ハッスル1」の結果を見る。「小川ゴールドバーグ」は、「小川が押さえ込んだがレフェリが狸寝入り、カウントが入らない。息を吹き返したゴールドバーグが小川を押さえ込むとレフェリも狸寝入りから目が覚めてスリーカウント」だって(笑)。まあZero-Oneは普段力道山時代のプロレスをやっているから(時には全女の阿部レフェリみたいなのまで登場する)これでいいんだろうけど、でもこれじゃ『PRIDE』統括本部長の「泣き虫」に、「『PRIDE』は本物、こっちはアレですから」と言われてしまう。膝下になったことはたしか。バカだなあ。みんなバカだなあ。こんなものを応援してきた自分が哀れでならない。心入れ替えて「泣き虫」のファンになろうかな、それがいちばん楽な生き方に思える。
04/1/6


プロレスラの身長──K−1、PRIDEのプロレスとの相似性

 朝のワイドショーにアニマル浜口が娘と一緒に出たことがある。娘よりも背が低いのがショックだった。京子は172ぐらいか。一応浜口も公称では176ぐらいにしていたのではなかったか。
 先日二年前の『K−1』のヴィデオを見た。もちろん偶然。整理してなかった。
 そこで初登場のサップは205センチになっていた。そうテロップが出ている。いま200センチだ。一応5センチはサバ読みをやめたらしい。ホーストやアビディと比較すると193ぐらいが妥当か。リング上で角突き合ったボンヤスキーとまったく差がなかった。1/4の新日でも185の連中と比べて大きくもない。
 ホーストもまた過去は191となっていたのに今年は189になっていた。縮んだか(笑)。モンターニャ・シウバも226センチでホーストとの身長差は37センチとアナは繰り返すのだが、どうみてもそんなにはない。よくて20センチの差だ。

 『K−1』の魅力は「大男による壮絶なノックアウトシーンの連続」だった。それはボクシングファンから見たらずいぶんと雑な試合運びだったが、それを補ってあまりある迫力があった。それが10年の時も経て洗練され、やたら判定決着が多くなり、格闘技としては技術向上したが本来の魅力が薄れたのはなんとも皮肉な流れである。
 この「身長を大きく偽る」のあたりに、初期の『K−1』がプロレス的コンセプトで始まっていたことがわかる。なにもリアルファイトなら身長をおおきく語る必要などないのだ。

 現在レイ・セフォーに冠せられている「南海の黒豹」なる異称を私が初めて知ったのはペドロ・モラレスだったろうか。あのころのプロレスラはそれがなければ始まらなかった。しかしモラレスからというのは戦後生まれの私の知識であり、ルーツはもっと前、戦前の講談本にあるに違いない。それらの命名者はその時代に少年期を送った人たちだ。たぶん「南海の黒豹といえば××」の正解は別にある。
 『PRIDE』がヒース・ヒーリングを「テキサスの暴れ馬」と呼んでいるのには苦笑してしまった。私の世代だとデビュ間もない若き日のテリー・ファンクになるが、これまた古い形容なので、ディック・ハットンとかそれ以前のテキサスカウボーイ出身のレスラには多用されたものであろう。「テキサスブロンコ」の和訳だ。

 こうして見てくると、『K−1』も『PRIDE』も「今風のプロレス」なのだとわかる。出てくる料理の味つけは多少変ったが、素材も器も調理器具もコックも、みな基本は同じなのである。
04/1/15

不確かな記憶、確実な記憶──ジャーマンの衝撃、ゴッチの中の日本人レスラ

 2ちゃんねるの格闘技板にこんなのがあった。若者の知ったかぶりである。

《昔カールゴッチはアンドレをジャーマンで投げてホールドしましたがアンドレがレフリーのシャツを掴んで、レフリーを投げ飛ばしてしまったので(ホールドされながら)幻の3カウントと言われています。 》

 記録としてはどうなっているのだろう。ぼくの記憶では、ゴッチがスリーカウントを奪っているのだが。この書き込みのほうが正しいかも知れない。というのは彼は自身の記憶ではなく、なにかの記録から書いているのだろうからである。ぼくのはいいかげんな自分の記憶だ。高校生だった。
 実はこれ、当時の国際プロレス(=TBS、水曜午後七時から1時間番組)では放映されなかった試合なのだ。番組ではカールゴッチがモンスター・ロシモフをジャーマンで決めている写真が紹介されただけだった。地方でのリーグ戦の1試合だったのだから、いかにそのころの国際プロレスが(マニア的には)豪華だったかである。
 「外人対外人」の試合がまだ認知されていない時代だった。プロレスとは「正しい日本人と悪い外人」が闘うものだった。当然日本人対日本人も前座以外なかった。そのことに最初に不満を持ったのが馬場と闘えず自分が一番になれない猪木だった。その根底には前座時代16回闘って全敗している悔しさもあったろう。

 しかし当時のぼくとしては、日本人対決よりむしろ外人レスラ同士の対決が見たかった。そのころからぼくには──べつに自慢するほどのことでもないが──強い外人レスラが地元の日本人レスラに負けてやっているのは見えていた。田舎の子供の目から見ても、どう考えてもルー・テーズは力道山に負けてやっていたし、ドン・レオ・ジョナサンや、ボボ・ブラジル、フリッツ・フォン・エリック、ジン・キニスキーは、馬場や猪木より強かった。
 ひたすら強いものが好きなぼくは、強い外人と強い外人の戦いが見たかった。一番強いのが誰なのか知りたかった。それを実現してくれたのが国プロの吉原さんだった。ルー・テーズ、ダニー・ホッジ、ビル・ロビンソン、ジョージ・ゴーディエンコ、カール・ゴッチ、モンスター・ロシモフと最強メンバーが総当たりするのだからたまらない。正に夢の世界である。
 テーズとホッジのシングルマッチは、細部まで今も鮮明に覚えている。エプロンからホッジがロープ越しの回転エビ固めを決め、テーズからスリーカウントを奪うのだった。そこに後に知ったテーズも恐れたホッジのアブナイ性格を加味すると、ますます貴重なものに思えてくる。日本人側がグレート草津、サンダー杉山、助っ人で豊登(後にストロング小林、ラッシャー木村)とあまりに弱体だったのがすこしなさけないが。前記「早すぎたベイダー」と同じように吉原さんも早すぎた。吉原さんこそ今の時代、総合をプロデュースし引っ張れる存在だった。早すぎた感覚は世に受け入れられず、国プロは経営不振で崩潰してゆく。

 最先鋭のプロレスファンだったぼくはゴッチ対ロシモフが放映されないことが悔しかった。番組の中でゴッチがジャーマンを決めている写真を流したのは異例である。当時はそんなことはしなかった。それぐらい注目されていた試合ではあった。まったくもったいない話である。当時のロシモフはまだ150キロ程度。ひょろひょろしていて、今で言うとセーム・シュルトのような体型だった。ぼくにとって国プロ時代のロシモフとアメリカでブレイクしてもしゃもしゃ頭の大巨人となって凱旋したアンドレは別人物になる。それでもこの国プロ版ワールドリーグ戦は、ロビンソン、ゴッチを凌いでロシモフが優勝したのではなかったか。当時は気の優しい、おしゃれなフランス青年だった彼が、日本の町を歩くたびに指さされる「バケモノ」の意味を知り、やがて徹底した日本嫌いになってゆく流れがかなしい。唾棄すべき最も醜い島国根性である。

 ゴッチの伝説の大技・ジャーマン・スープレックス・ホールドは、すでに日本プロレスに来日したとき吉村相手に初披露されていたが、一般的にはまだまだ誰も見たことのない幻の大技だった。当時のプロレスファンからしたら難度ウルトラCのとんでもない技だったのである。大技はめったに出してはいけない。そして出したなら必ずスリーカウントを取らねばならない。新日の起きあがりこぼしジャーマンなんてのをやっているバカを見ると、さっさと引退しろと思う。プロレスのなんたるかがまったくわかっていない。それは基本となるセンスがないということで、こういうのがどんなに練習し経験を積んでもすぐれたプロレスラになれるはずがない。

 150キロとはいえ2メートルを超す大男をジャーマンで投げたというのは、コアなプロレスファンの話題を獨占したものだった。なにしろ逆さ押さえ込みが決め技として通用していた時代だ。日本側の代表・サンダー杉山の決め技は雷電ドロップことヒップドロップである。馬場がドロップキックを出せば、それがどんな不細工なもので、片足がほんの少し胸に当たったぐらいでも、誰もが悶絶しスリーカウントを奪われねばならなかった。後ろに投げる技はバックドロップぐらいしかなかった。ロビンソンのダブルアームスープレックスがいかに衝撃的だったか。しかしジャーマンはそれらすべてを遙かに凌いでいた。ジャーマンはとんでもない大技だった。

 ところで肝腎の本家ゴッチのジャーマンだが、これがじつはたいしたことはない。不細工である。それはまあ簡単なリクツで、ゴッチは詳しい人がみな証明するように基本は「力の人」である。これはこれで正しいだろう。桜田が関節技名人の藤原評を聞かれて「でもあの人は細いからねえ。力もないだろうし」と言ったことがある。これは意味深だ。てこの原理である関節技は非力でも決まるようだが、基本として力がないとなにも出来ないと言っているのである。強さを極めようとしたゴッチが、非力ではなく剛力であったことは興味深い。とにかくまあゴツゴツした試合の人で、今のアルティメットならともかく、プロレスラとしてはどうしようもなく不器用な人だった。ゴッチは誰よりもブリッジにこだわるが、彼自身のブリッジはたいしたものではなかった。体も硬かったろう。

《ゴッチの弟子で一番優秀なのは木戸、続いて佐山、鈴木らしい。前田の評価はGoodらしいが、これはまあまあと言う意味らしい。》

 若者がどこかの雑誌で読んだようなこういう知識を集めてきて、知ったかぶりで披露するのはなんとなくほほえましい。そうしてまた時代と共にそれが微妙に変化してゆくのもまた、ものがなしく、ほろ苦い。

 これは「高田論」で書こうと思っていたことなのだが。
 私がインタヴュウしたとき、なんといってもゴッチが褒めていたのは佐山だ。ゴッチレスリングの基本はブリッジである。「一に佐山、二に前田」がゴッチの絶賛する日本人レスラの資質になる。誰もが絶賛する驚異的な佐山の身体能力はゴッチの目からしても特別なものだったようだ。佐山の逸話としてすごいのは、充実したメンバの新日黄金時代に、あの小柄な体で「坂口の次に腕相撲が強かった」というのがある。常軌を逸した図抜けたバネ、柔軟性を兼ね備え、そして力まであった。佐山はスーパーマンだった。それは新日のドクターだった冨家さんが「あんな肉体は見たことがない」と未だに信じがたいを連発することでもわかる。筋肉の疲労恢復のような医学的な見地からも特別の肉体だったという。ゴッチが資質として絶賛するのは佐山である。木戸は「My Son」に尽きる。藤原は努力家であることは認めていた。そして自分でも認めているように「体の硬い」高田は、ゴッチの口から名前すら出てこない。

 ゴッチ本人にも直接訊いたし、その前、その後も「ゴッチの褒める日本人レスラ」に関しては、可能な限り資料を集め保存している。彼の意見も時代と共に変遷してきたが、ぼくの結論はやはり「一に佐山、二に前田」になる。前田がいかにすぐれた素材であるかゴッチは繰り返した。しかしその前田ですら、佐山という天才の前では凡人になってしまうのである。だから確執があって佐山の去った第二次UWFのコーチのころ、ぼくと話しているとき、彼は「前田がいちばん」と言いたかったろうが、それでもそれを抑え、佐山を褒め称えていた。

 ゴッチがそういう教え子を語る最新の発言録は、数ヶ月前の『紙プロ』だろうか。すでにただの頑固なじいさんになっているゴッチの言い分が、以前とは微妙に変化してきているのが目についた。
 人は誰でも自分にやさしい人に好意的になる。年老いたとき、情としてのそれの前にはレスラとしての身体的能力などもうどうでもいいのだ。そこでゴッチが褒めていたのは藤波だった。きっと藤波らしく、社長として、出来る範囲で孤高のゴッチを応援しているのだろう。フルネルソンスープレックスを伝授してくれたのはゴッチであり、藤波もまた愛弟子の一人だが、およそ今までのどのインタヴュウでも、資質の優れた弟子として藤波が語られることはなかった。もしもそれがぼくの不勉強であり、どこかのインタヴュウで藤波が褒められていたことがあったとしても、これは断言できる、絶対にゴッチの中で、優れたレスラとして、藤波は佐山、前田以下だった。

 それが今、獨自の世界を作っていった佐山、前田に批判的なことを言い、My Sonの木戸は別格とすれば、今も自分にやさしくしてくれる藤波を絶賛していたのがなんとも印象的だった。

 ノア特番──小橋ひさびさのムーンサルト

 深夜1時20分からのノア特番を見終ったところ。きょうの武道館決戦を当日に1時間拡大特番で放送したところに日テレのプロレスへの気持ちを見る。そこがテレ朝とは違う。「ギブアップまで待てない」の勘違いと同じように「大相撲ダイジェスト」を見ていてもテレ朝のスタッフが相撲好きとはとても思えなかった。たぶんテレ朝というところには屈折した捻れ精神があるのだ。プロレスも日テレの二番煎じだし相撲も所詮本家はNHKだし、こんなものやりたくてやってんじゃねえーよ、おれがほんとにやりたいのはさあ、というような。

 序盤にアクシデント気味に小橋が利き腕を痛めたこともあり高山の強さばかりが目立つ凡戦だった。膝を痛めて長年封印していたムーンサルト(ムーンサルトをやって膝を痛めたのだが)を出したときに勝敗は決まることになっていたのだろうが、なにしろあの技にはまったく説得力がないため、大技にも耐えていた高山があんなものでスリーカウントでは、凡戦に輪をかけることになってしまった。「あの小橋が復帰以来初めてムーンサルトを出した」という涙ものの前提条件がなかったら「金返せコール」が起きてもしかたないぐらいの不自然な決着だった。
 とはいえ終始実力で小橋を圧倒した高山の強さは圧巻だった。こうなるとこれほど強いプロレスラが総合で全敗であることがまた悔しくなってくる。

 リング上で小橋が次の相手に高山を指名したときから、きょうのリング上での勝者インタヴュウ、控え室での記者インタヴュウ、高山へのおっかけインタヴュウ、すべてが「他にも大きな大会があるのに高山がこの試合に来てくれた。ありがとう」一色だった。それは外野席からは異様としか言いようのない光景だった。小橋は試合の感想以前に高山がこのリングを選んでくれたから、と言うし、アナは高山を追っかけて「高山さん、ひとつだけ、ひとつだけ応えてください」と迫り、何を問うのかと思ったら「他のリングもあったのになぜここを選んだのか」だった。高山は「おれはプロレスラだから」と応える。これ、そのへんの事情を知らなかったらかなり奇妙なやりとりにになる。きょう同日に行われたPRIDEグランプリとの高山の取り合いでかなり水面下のやりとりがあったのだろう。それだけノアにも危機感があったということか。きょう武道館に駆けつけた1万6000人のファンはあたたかい。まあプロレスファンは基本的にあたたかい。

 それにしても、だ。それは内部事情である。プロレス好きなら誰もが知っていたことだから内部ではなく一般的事象とも言えるが、なにも前面に押し出すことではあるまい。たとえ高山がよりギャラの高いプライドをふってノアに来てくれたのだとしても、そのことと試合の出来不出来は関係ない。あくまでもそれはサプエピソードとして語られるべきだ。そういうことを嫌うノアがそこまでしてしまったということはそれだけせっぱ詰まっていたのだろうが……。
4/26
長州と橋本


 長州と橋本が仲がわるいのは本当だった。長州政権の後期はいがみ合っていた。長州は口汚く橋本を罵り、橋本は悔しさに唇を噛んでいた。そうしてZERO-ONEがスタートする。盟友小川も長州が大嫌いだった。「カブトムシ発言」は有名である。

 時が流れ栄誉を誇った長州が新日を追われる。華々しく立ち上げたWJはこけ、倒産状態となった。すると橋本が長州に手を差し伸べたのである。不思議だった。理解できなかった。いつしか長州も天下統一が出来るのは三銃士の中で橋本だけ、などと美辞麗句を並べている。外野の文系である私には理解できない出来事だったが、同じ釜の飯を食った体育会系だけが理解できる世界なのかと思うことにした。

 今月号の『紙のプロレス』を読んで疑問の一部が氷解した。橋本を支えるスタッフである中村という人(社長か?)が大の長州信者だったのだ。今でも長州の前では直立不動になってしまうという。彼が長州を助けた。橋本や小川がどう反応したのかは知らない。今の橋本は「昭和の魂をもらった」などと長州との試合をリスペクトしている。恩讐を超えれば元は先輩と後輩か。
 橋本好きの長州嫌いとしては頭越しに手を結ばれて困っている心境だ。あんなに憎しみあっていたのにねえ。わからん世界である。

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