2002〜2003


02/5/5
PRIDE20-シウバ対ミルコ


 午後四時からの「Pride20」を楽しみにしていたら、なんということか、以前から限界を感じていたテレビが壊れた。何年使っていたろう、十数年、もっとだ!? 田舎に帰るようになってから十数年経つ。つまりそれがぼくの海外巡りの始まりだ。猫を親に預かってもらうために帰ったのだ。それで、田舎の二階に買いこんだテレビがナショナルの25型ヴィデオテレビだった。これはまだ壊れていないが、なんとなく物足りなくなり(ヴィデオ映画観賞に凝り始めたから)、数年前に29型のソニーベガにしている。平面画面が出始めた頃だ。つまり、その後もテレビヴィデオ関係に金はかけているのだが、それはすべて田舎にあるものだった。しかたない。だって東京は、日本にいる半年の、友人と飲んで田舎に帰れなくなったときの假宿でしかなくなっていた。そこにある道具に金は掛けないだろう。
 東京のテレビはそれ以前からだ。NECの25型で買った頃は最新型(あたりまえ)で値段もとびきり高かった。今のテレビはおどろくほど安い。
 このテレビが壊れたことから色々思うことがあり、これはひとつのファイルにまとめることにした。急いで予備のテレビで観たプライドの感想だけ書こう。

 ぼくがこの種のものを物心つく頃から揺れることなく好きで居続けたのは、自分の心のままに接してきたからだ。力道山プロレスが支持されたのは大きなアメリカ人を日本人(ほんとは違うけど)の力道山がやっつけることによって敗戦コンプレックスを払拭したから、ということになっている。周囲のおとなを見ているとたしかにそうだった。だからそれが必要なくなり、どうやらあれはインチキであるらしいとわかった時点で潮が引くように人気が下降したのも自然の成り行きだったろう。

 ぼくはそうではなかった。当時から力道山よりルー・テーズのほうがずっとかっこいいと思っていた。それは時代が変っても変わらず、馬場猪木よりドリー・ファンク・Jrのほうがかっこいいと思った。思い出してみると、あのころ「プロレス&ボクシング」や「ゴング」附録のピンナップを部屋の壁に貼ったものだったが、日本人レスラはひとりもいなかった。かといって外人かぶれだったわけでもなく、当時大人気だった正義の味方のテクニシャン、英国紳士ビル・ロビンソンのピンナップを貼ったりはしていない。ぼくは田舎の少年ながらあの人の品の悪さを見抜いていた。彼が実は育ちの悪い根性曲がりで、女癖が悪く、当時の吉原社長がそっち方面でさんざん苦労したなんて話が暴露されるのは何十年も後のことになる。切りがないので話を急ぐ。

 最近でも、やはり日本人のエースである桜庭が休養しているからPrideはもういっぽ盛り上がりに闕けるなんて言いかたがあるが、ぼくにはそんなことはない。桜庭よりもシウバ、高田よりもミルコと、強くてかっこいい男たちを素直に好きになるからだ。昨年の11月、ミルコと高田がリングに立ったとき、その時点で勝負はあった。リング中央でどっしりと構えるミルコの周りを、へっぴり腰の高田がぐるぐると回っていた。ミルコは馬場から王道プロレスのあり方を教えられたかのように、つわもののいでたちを保持していた。かっこいい。

 この二週後、内舘牧子が『週プロ』(ゴングだっけ? どっちでもいいや)の「プロレスラ美男子列伝」で、「高田は美しい。それと比して市松模様のパンツを履いたミルコはぜんぜん美しくなかった」と書いていた。しみじみ、このおばちゃんはなにも見えていないのだと思ったものだった。あれを読んで「そうだそうだ、さすがは内舘牧子だ」と思った日本人男がいないことを祈る。世の中真っ暗になってしまう。このおばちゃんが女性初の横綱審議委員会だかに関わってきているのがイヤでイヤでたまらない。一刻も早く己の醜さに気づいて、こういう男の世界から身を引いてもらいたい。彼女が相撲を好きなのは自由だ。よいことだ。でもだったら、しゃしゃりでないことが、ああいう世界を応援する女の粋な姿であることが基本中の基本であることをまず学ぶべきだ。

 シウバとミルコの対決が実現するのだからスゴイ。石井館長の出し惜しみしない姿勢は、出し惜しみばかりして、そのタイミングを間違ったために衰弱する一方となったプロレス界から見ると、まったくもって新しい時代の新しいタイプのプロデューサーだ。といっても、いくつものうれしい誤算が重なっているのも確かで、それがこの人の強運でもあるのだろう。総合戦へのミルコやアビディの参戦は、いわば負けても実害のない小結関脇の投入だった。その様子を見て、横綱大関をどうするか決断するはずだった。ところがこの小結が総合戦に適応力があり、おまけに初戦の藤田が自信過剰の雑なタックルを仕掛け、カウンターの膝でドクターストップ負けするハプニングから始まったものだから、一気にまたK−1側が幸運の階段を駆け上がってしまった。もしも藤田があんな雑なタックルを行わず、ミルコのカウンターの膝蹴りが決まらず、順当に藤田が勝っていたなら、ミルコは総合戦から撤退したろうし、石井館長も今後の横綱大関の投入に慎重になったはずで、今とはまったく異なった状況が現出していただろう。

 ミルコはシウバのガンつけにもまったく目をそらすことなく、実にクールでかっこよかった。シウバが鼻息洗い闘犬のようにミルコの周りを回り始めたが、ここで高田や永田のようなヘタレとは違って、シウバは積極果敢に打ち合っていったことだ。3分1ラウンドのあのルールで、あれほどの強者が対峙したなら、5ラウンドで引き分けになることは戦い前からかなり濃厚だった。なのに試合終了後ブーイングは飛ばない。緊迫感を撒き散らす試合をすれば、必ずしも完全決着でなくてもファンは納得する好例となった。シウバは試合後、Prideルールでやれば勝つと言った。その通りだろう。倒して離されなければシウバの分野だ。ミルコは、K−1に専念したいと言った。これまた正しい。ストライカーの分野から、よくぞこちら側に進出し、闘ったものだ。これほど勇気ある人を知らない。古くは、ルー・テーズやダニー・ホッジなども言っているが、ボクサーがグラップラーと闘うことには底知れない恐怖がつきまとうものらしい。ホッジのように、ボクシングでオリンピックメダルをとり、レスリングでも全米優勝のような両方に秀でた特別な人は別として。しかしまあ今ホッジが若者だったら、文句なしの世界一だなあ。

 K−1対Prideの闘いというが、実はそのほとんどはミルコ個人の勇気に支えられていた。たとえばそれは、昨年度のK−1チャンプであるマーク・ハントが、総合戦にまったく興味がないこと、假に彼が参戦したとしても、倒されたら終りの人であることからも容易に推測できる。
02/12/1
PRIDE23-高田引退



 録り溜めておいたヴィデオを見る。土曜の分に先日のPRIDE23があった。
 高田は若くして持ち上げられ、導いてくれる人に出会うことなくずっと御輿の上で生きてきた殿様ノヨウナモノなので、以前から無学故の非常識が目立つことが多かった。

 たとえばモチベーションなんて言葉が流行ると、すぐにそれに染まってしまい、見開き2ペエジのインタビューの中で十数回もひたすらそれを連発するなんてことがあった。プロレスラのインタビューは、記者が内容を整理すると本人から抗議が来ることが多いため(それだけ彼らは我が強い)、長州力とターザン山本の確執以降、いつしかそのまま掲載するのが恒例となった。テープ起こしそのままの文章である。その分最近では主語述語の不足をカッコつきで記者が補足する形式が多く、これはこれで読みにくくて不快になるのだが、ともあれ発言内容をいじってないから、レスラの言葉がそのまま掲載される。高田の連発するモチベーションは正確にそのままの回数が再現された。それはもう正にバカのひとつ覚えとしか言いようがなく、リングネエムを「モチベーション高田」にしたらどうだとつっこみを入れたくなるほどのひどさだった。高田の進歩していない現状(参謀を失い実態が露呈している)がなんとももの悲しく映ったものだった。あの記事でモチベーションという言葉を覚えたプロレス少年も多かったことだろう。私も田舎の中学生だったなら大好きな高田から影響を受け、翌日から連発していたかもしれない(笑)。

 今回は現在流行っている「脳に刺激を与えアドレナリンを分泌するガムの効用」にでも染まったのか、花道を歩いてくるときからクッチャクッチャとガムを噛みっぱなしであった。「ああ、今度はこれか、相変わらずバカだなあ」とかなしくなる。日本人の男には口元を引き締めるという美学がある。まして闘う男が最後のリングに向かうのに、絶えず口元を動かしてどうするのだ。これまた皮相なアメリカかぶれである。ちょうど「立腹記」に、ガム会社の懸命な宣伝活動により、最近やたらあの醜いアメリカ人のように公共の場でガムを噛み、口元をクッチヤクッチャと動かしている若者(特にバカ女)が多くなったことを嘆いていたときだっただけに、高田の軽薄さがたまらなかった。私と同じ感想を持った人は多いはずである。日本人は口元を動かしている男を美しいとは思わない。

 高田はずっとバカ殿様だった。前田のように自分を高めようと哲学書を読んだりする気持ちは微塵もない。「難しいことなんか考えるより、みんなで楽しくお酒を飲もう」が基本だった。それはそれで小難しい本の影響を受けるとみんなにそれを押しつけようとする学歴コンプレックスの強い前田よりも、自分だけが楽しければいい山崎よりも、下の者から好かれる人柄ではあった。その結果はその後のUWFを見れば解る。しかしいかにいい人であれバカ殿様はバカ殿様である。いい人であっても中身はない。世間にそれがバレなかったのは、宮戸による徹底したイメイジコントロールのお蔭だった。宮戸は高田のインタビュー記事を全部チェックして書き直した。彼に書き直されなかったインタビュー記事は私が『Number』に書いたものぐらいである。それが彼のイメイジアップのためにいかに工夫して仕上げたものであるかは言うまでもない。広報として矢面に立つ宮戸の後ろで、高田は気むずかしい顔で黙っていればよかった。優れた家老の情報操作により実面が割れなかったバカ殿様、それがヴァーチャル「最強」の真実だった。宮戸のいた時代には高田のインタビュー記事にバカのひとつ覚え連発はない。しかし彼がいなくなってしまうと本性が出てしまう。見えてしまう。それがとうとうここまで来てしまった。

 ブラジル人でありながらヒクソンには古武士の風格があった。対してこちらはアメリカかぶれのパッパラパーである。精神からして勝てるはずなどなかった。裸の王様である。田村の苦悩する顔を見ていたら色々と思い出すこともあって涙腺が弛んだが、その中にはだいぶ「殿、おいたわしや」の気持ちもあった。
03/9/6
袖車を理解する


 木曜の深夜だったか、ナンバラの番組があった。見たのは偶然。テレ朝。タイトルもしらん。かつてやっていた「リングの魂」の続きのようなもの。ナンバラがプロのアスリートに教えを請い、それで上達するという趣向。投球スピードとか100メートル走とか、いくつかを見たことがあった。
 今回は柔道の古賀と篠原がゲスト。そこで古賀がナンバラ相手に吉田の十八番である袖車の解説をしていた。これがとてもわかりやすく、素人としては「ああ、なるほど、そうだったのか」と納得するじつにうれしい出来事となった。吉田は古賀の弟弟子。親友。一緒に出場したオリンピックの練習で吉田が古賀を怪我させてしまい、自分がまず先にメダルを取ったが、そのことよりも古賀のことが心配でいられず、古賀の金メダルが自分のものよりうれしかったという麗しい秘話がある。
 無口な大男のイメイジである篠原がかる〜いノリのおしゃべり男なのは意外だった(笑)。チェンマイで知り合った、やはり大男のおしゃべりであるHのことを思い出した。
 あの内股すかしは日本人として未だに悔しい。完全な一本勝ちだ。その抗議の下手さ加減に日本の外交と同じ根性なしを感じた。あそこで全員一斉に引き上げるぐらいの抗議は出来なかったものか。ぼくはオリンピックなんてほとんど見ないし、日本贔屓なわけでもない。オリンピックの時だけ国粋主義者になる連中なんかよりよほど健全な精神を持っている。日本とか外国とか関係なく、柔道の勝負として確実に篠原は勝っていた。それを正当に主張できなかったあれは、日本という国のみっともなさを象徴していた。

 さて、一目見ればわかる柔道の技を文章で伝えられるのだろうか。首をかしげつつ挑戦。
 倒した相手の首を正面から絞める技で最も有名なのは、ジェレム・レ・ヴァンナを倒した安田の通称ギロチン・チョークだろう。自分の右腕を相手の右首の頸動脈に押し当てる。単純で逃げられやすい形だから、脚をロックして下半身を固定し、いかに右腕に体重を載せるかがポイントになる。
 餘談ながら、首を絞めることに関して格闘家はみな「指は論外」と言う。テレビドラマにあるような両手の指で相手の首を絞めるというのは簡単に外されてしまって効かないそうだ。後ろからの腕によるものがいちばんだが、前面からでも腕を押し当てるのがいいと言う。

 袖車の話。
 正面から抱きつくように両腕を相手の首に回す。これは誰でも簡単に出来る。左手で右手の柔道着の袖をつかむ。あとはうまく右腕を袖から出して相手の頸動脈に当てればいい。左腕で右腕の袖をつかんでいるから、自然に三角形の「てこの原理」となり、非力な人間でも効率よく締められる。相手が苦しがり、こちらの体を押しのけようとすると、その力で益々締まることになる。なんという合理的な技だろう。私は思わずテレビを見ていて「へえ〜!」とうなってしまった。

 柔道家が総合格闘技で柔道着を着ることのプラスマイナスはよく論じられてきた。素人のこちらにはわかりようもなく、むしろつかまれやすいから裸のほうが有利だろうと思っていたのだが、こんなことができるならずいぶんとプラスポイントも多いのだと初めて知った。「胴衣を使って締める」なんて言われても、こうして見せてもらわないとその意味がわからない。なるほど、こういうことだったのか。

 関節技、絞め技でよく言われることに「てこの原理」がある。UWFのV1アームロックの時などに特にかまびすしく言われたものだった。ルー・テーズが、基本中の基本技であり、これさえ覚えておけば素人でも暴漢を簡単に撃退できる最強の技だと決まって口にするダブルリストロックもまた「てこの原理」の応用である。実にわかりやすい。

 この袖車もそうなのだろう。解説を見ていて、私はむかし懐かしい「支点力点作用点」を思い出してしまった。
 裸で闘う場合、相手の手足を取り、関節技を極めようとしても、元々が同じ力の相手だから簡単には極まらない。ところが「てこの原理」を応用すれば、弱い手の力でも強靱な脚を極めることが出来る。要はそのための「支点力点作用点」をいかにして作り出すかだ。

 手首を極めるアームロックで多用されるのが、自分の右手で左手の手首をつかみ、その形を作り出すことである。この場合、すでに攻撃側の右手は自分の左手首をつかむことに使用してしまっているから、相手を攻撃するのは複雑に絡んだ相手の腕だったりする。それは相手の腕で相手を攻撃させるという四本の腕が複雑に絡んだ芸術的な様相とも言えるが、もう一本腕があって直接攻撃できたらもっと手っ取り早いのにな、とも言える。
 この「あるはずのない三本目の腕」を作り出してしまうのが「袖車マジック」なのだった。左腕で、幅広で丈夫な柔道着の右腕の袖(=假想右腕)をつかむことによって、本来の右腕が第三の腕として活動できるのである。

 ギロチン・チョークの缺点は、正面から相手にのしかかり、首筋に自分の右腕を押しつけるという単純なものだから逃げられやすい。だから脚を絡めて下半身をフックしたりする。それが出来たとしても相手の上半身は自由なのだから相当極まりにくいものであろう。レ・ヴァンナは柔道をやっていたというのになんであんなに簡単に極められてしまったのか。思うに、グラップラーにのしかかられてきた時のストライカーとしての恐怖だろう。どたばたしてしまったのだ。まともなら二人の実力からしてスタンディングバウトで安田をノックアウト出来たろう。相撲出身の安田の打たれ強さもプラスに出たか。

 袖車は、袖を使って第三の腕を作り出すことにより、首筋方面だけですでに「支点力点作用点」が完成してしまっている。下半身は関係ない。むしろ裸の格闘家としては、そんな柔道着マジックなど知らないから、下半身をロックされないようにと気を遣うだろう。その瞬間に袖から抜け出してきた本来あるはずのない第三の腕と化した右腕が頸動脈に押し当てられてくる。それを焦り、相手の上半身を押しのけようとすると、その力でより締まることになる。あとはタップするしかない。田村の敗北もそれだったろう。
 
 いつものよう、なんの気もなくチャンネルを回していて偶然見たものだった。「勉強になった。見てよかった」とここまで思ったものもそうはない。
 試合を見ていても、柔道着を着ているから袖のあたりがもしゃもしゃしている。締めている形もわからない。それでいてのしかかったらあっという間にタップしてしまう。ほんまかいなと思っていた部分も多少あった。あの技はいったいどこがすごいんだとも思っていた。この学習の意味は大きい。(それを見た時から書こうと思っていたが、早く書かないと忘れてしまいそうなので焦って書いた。)

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yutakaからのメイル(03/12/7)
「先日読んだ『袖車を理解する』を実戦で試してみたら、驚くほど決まります。ありがとうございます」と書いてあって感激してしまった。
 あれはぼくにとっても記憶にのこる文章だった。テレビで吉田秀彦の得意技袖車の解説を、兄弟子古賀がやっていたのである。ナンバラの深夜の娯楽番組だった。それは柔道を知らないぼくには20ヘエ間違いなしの感動的なわかりやすい解説だった。砂地に水の感覚でぼくはヘエボタンを乱打していた。昂奮さめやらぬままかなりの長文で「袖車を理解する」と題して書いた。我ながら気に入った文章だった。一方で、絵を見ればすぐにわかることを文章で説明するのはむずかしいし、果たしてこれはテレビを見ていない人が読んでも理解でき、一緒に「へえ」と言ってくれる文章だろうかと、かなり気になっていた。
 大学でアマレスをやっていたyutakaが、現在の仕事柄必修であるらしい柔道の稽古で、ぼくの文で見た(ここが重要である)袖車をやってみたところ、驚くほど決まったというのだ。まさしく感激である。彼はナンバラの番組を見たのではない。まったく関係のないこのホームページで、どしろうとのおっちゃんの書いた文章を読んでの実戦だったのである。文章を書くことに喜びを感じるのはこんな時だ。
03/11/9
ミルコ、敗れる!


 きょうは開票と同じくらい気になることがあった。「ミルコ対ノゲイラ」「シウバ対吉田」である。地上波の放送は16日日曜の深夜のようだ。きょうは開票速報があったからしかたないけど、来週のなぜいい時間に流さないのだろう。ゴールデンタイムに流しても充分に数字を稼げると思うのだが。
 開票速報が一区切りついた深夜、ネットに繋いで結果を見る。ニッカンスポーツの速報に繋いだ。「ミルコ敗れる!」のタイトルを見る。おどろいた。もしもミルコにストップをかけられるのがいるとしたらヒョードルだけだと思っていたからだ。とはいえやってのけたのは大好きなあの強いノゲイラである。この敗戦でまたミルコは一回り強くなるのではないか。

 思想的にサンスポ支持者なのだが(どこか別のところに書くがスポーツ紙とはいえ政治報道の姿勢が大違いなのだ。朝日系ニッカンのゆがみはひどい。氏素性は隠せないものである)格闘技の結果速報では断然ニッカンが充実している。

 ミドル級シウバ優勝はこれまた開幕戦からそれを予想していたし大のシウバファンであるから読み通りなのだが、吉田がノックアウトされていないことには感激した。3-0の判定負けである。「負けてすみません」のストレートな感想もいい。あかるい顔で言ったのだろう。あのシウバにノックアウトされなかったのだから試合経歴からすればたいしたものだ。桜庭なんて三回目の対戦ですら一発でノックアウトされている。
 ミルコと引き分けたシウバだ。もういちど今度はPRIDEルールによる「ミルコ対シウバ」を見たいと願っている。

 ノゲイラが今や無敵のミルコに土をつけた(相撲からの言葉)のは、すべての面においてこれからをおもしろくしてよかったと思う。負け知らずのミルコがファイトマネーから待遇まであまりに横暴になっていたのは有名だ。強いからそれは許されるのだけれど、彼のためにもこの敗戦は糧になるだろう。
 これで来年の「王者決定戦」は「ヒョードルとノゲイラの再戦」に決定した。となると「ヒョードルとミルコ」が幻になってしまう。それがすこし残念だ。ヒョードルとノゲイラでは、前回と同じく、気のいい陽気なノゲイラと氷の心のヒョードルの差でヒョードル勝ちは動かないように思えてしまう。すくなくともヒョードルは、初対戦になる別分野のミルコより、前回完勝しているノゲイラになって気楽なはずだ。
03/11/16
PRIDEグランプリ──ノゲイラ、ミルコに勝つ!


 待ちかねた一週間。こんなすばらしい名勝負の連続をなんでこんな夜中にやるのかわからん。これが夜中ならゴールデンに流す格闘技などありえまい。いやはや堪能した。

 吉田は負けていない。日本人であのシウバと互角に戦える逸材がいたとは……。柔道界は吉田のプロ格闘家転向に反対した。今は感謝すべきだろう。いったい吉田のお蔭でどれほどの格闘技ファンが柔道の強さを認めたこか。それは柔道を習おうとする裾野の拡大にも大きな貢献をしたはずだ。広告費に換算したらどれほどになるだろう。
 試合翌日の新聞で、シウバが吉田を絶賛していたのが印象的だった。強者は強者を知るか。ここまで追い込んだ選手はいない。シウバは防衛戦の相手に吉田を指名せねばなるまい。無制限ラウンドで見てみたい。

 桜庭復活。これでまた元気が出ることだろう。

 ミルコが今回の敗戦でまた強くなることは間違いない。今まで一度も本物のグラップラーとは戦っていなかった。あらためてきょう怖さを知ったことだろう。今やクロアチアの英雄だから引くことはない。今回の母国への生中継でみそをつけてしまった。次はもっと強くなってくる。もしもミルコを止められるとしたらヒョードルだけだと思っていたが、一足早くノゲイラがやりとげた。だがノゲイラはヒョードル戦いいところなしの完敗だった。どうにも勝てる気はしない。ただしギブアップはしなかった。どんな決着戦になるのか。それは来年のことだが。ヒョードルの笑顔は氷の微笑だな(笑)。ミルコとヒョードルも見たいなあ。

 ミドル級決勝戦。ジャクソンは攻め込んだが立ち技勝負になったらかなわなかった。ミドル級でシウバを負かせるのは誰なのだろう。吉田の強さは希望的だ。

 よけいな試合はダイジェストですら流さないという絞った構成。好感度大。
 2ちゃんねる格闘技板でボロクソに言われていた小池栄子はうるさいとは感じなかった。きれいな涙でよかったじゃないか。
 うるさかったのは吉田とシウバの試合の時、「あなたが最後の希望、私たちはあなたに最後の夢を、あなたなら、あなたならきっと」とへたくそな詩のようなもので「あなた」を連発したアナウンス。アナウンサーがオナニーワールドに入ってしまったときほどたちの悪いものはない。競馬のほうではフジテレビのアオシマというバカがいる。(これはフジの三宅と判明。後日、「三宅さんのあれには泣きましたよ」とよいしょする芸能人と、我が意を得たりと悦にいる三宅を見る。だめだこりゃ。)

 大晦日にPRIDEは埼玉アリーナでやるようだ。しかしヒョードルは怪我で休み。ミルコは猪木祭り。サップはダイナマイトとなると、売りはなんなのだろう。ミドル級で桜庭、シウバ、吉田。ヘビー級でノゲイラ。ちょっと物足りない。かといってダイナマイトも、サップ対曙以外になにがあるのか。でもこちらはK−1戦死(←おいおい)戦士を大勢抱えているから、おもしろい組み合わせはいくらでも出来る。猪木祭りは、ミルコ対高山以外は新日の連中でまかなうのか。魅力なし。

 4,6,8とあわただしくチャンネルを切り替える夜になりそうだ。きょうの番組の終りにこの「4か6か8か、本物はどれだ!」とCMしていたが、これって関西で流すときはどうするんだろう。チャンネル違うし。切っちゃうのかな。昨年の九月、金沢でPRIDEを見たら、関東の2時間半番組が1時間番組になっていたっけ。内容によっちゃ三番組全部を見られる態勢も考えねばならない。これはこれでうれしい悲鳴ってヤツだが、どうにも「なんで大晦日に一度に……」と思わざるを得ない。

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