電脳2010
 

 

 

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 「Google日本語入力」を使ってみた

昨年の12月3日にGoogleが日本語入力を無料公開した。先日、こういうものが大好きな私にしてはだいぶ遅れたがDownloadして使ってみた。以下その使用感である。



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すでに多くの使用報告がネットに溢れているし、克明にこの新IMEの優れた点、物足りない点、MS-IMEやATOKとの比較等、発表されている。今さら私がその二番煎じならぬ500番煎じぐらいのことをしても何の意味もない。そう思っていたら、それ以前のことに思いが走りはじめた。つまり「一般の人はIMEにそんなにこだわっているのだろうか!?」である。

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世界を百人の村に例えるように日本中のWindows使用者を百人に例えたら、90人以上はMS-IMEを使いなんの不満も感じていないのだろう。いやもっとか、95人ぐらいか。残り5人がAtokを使い、MS-IMEの愚かさを笑い、高みにいるつもりになっているのだ。私もその一人だ。大のAtokファンとして実際高みにいるつもりだが。

ところでいま上記「せかいをひゃくにんのむらにたとえるように」をATOK2008で書いていたら「世界を百人野村に例えるように」となった。そのあとGoogleに切り替えて入力したら「世界を百人の村に例えるように」と正しく出たのでおどろいた。こういう面ではすでにAtokを超えている。すばらしい。

ただしこちらはエートックがカタカナでしか出ず、アルファベットに切り替えて入力せねばならなかった。そりゃまあATOKは自分のことだから出て当然だが。
(2ちゃんねるのこの「Google IME板」を読んだら「えいとっく」で出ると書いてあった。やってみた。たしかに「えいとっくならATOK」と出る。失礼しました。自分のことだからATOKはエイトックでもエートックでも変換される。私は長年エートックだったので。)



これまた他の文章を書いていて経験したこと。
Google IMEでは「ひとごと」は「人事」になってしまい「他人事」が出なかった。これは今時、多くのひとが「ひとごと」は「人事」であり、「他人事」は「たにんごと」と呼ぶようになっているからだろう。

つまりATOKは「ひとごとは他人事と書くのが正しいのだ=他人事はひとごとと読むのだ」のように本来の正しい書き方にこだわる。一方Google IMEは、ネット上で一般的に使われていることばを収集して辞書とするから、「ひとごと」は「人事」となってしまうようだ。
ここで驚異的な感激。さっきまで出来なかったのに、今はもうGoogle IMEは「ひとごと→他人事」が変換できるようになっている。おそるべき学習機能である。すばらしい。



【後日記】先日話題になっていたことでなるほどと思ったのは、「的を得た」が変換候補として出ることだった。「的を射る」「当を得る」が正しく、ATOKでは「的を得た」と書くと「誤用」と赤字で警告される。つまり、書こうとしても書けない。
Google日本語入力でこれが変換候補上位に出るということは、今でもそういう誤用をしているひとが大勢いるということである。前記「ひとごと」もそうだ。大多数は「人事」なのであろう。そういう意味でも、世の中を知るのに勉強になるが、自分の知識に自信のない身には怖くもある。いつしかATOKに教えてもらうことがあたりまえになっている。これはこれでこわいけれど。



かつてIMEがFEPと呼ばれていた時代にはWXGとかまだいくつか日本語入力ソフトがあった。何を隠そう私はAtokよりもWXGファンだった。全Version購入していた。しかし無料のMS-IMEの出現により有料ソフトはみな潰されて行く。唯一生き残ったのがJustSystemのAtokだった。よくぞ生きのこったものである。私も微力ではあるが毎Version買い続けて支えたひとりのつもりだ。
ATOKが生き残ったのはワープロソフト一太郎人気によるものだったろう。時が過ぎ、いまはむしろATOK人気によって一太郎が支えられているのではないか。すくなくとも私はもうだいぶ前から一太郎は使っていない。ATOKだけを愛用している。JustSystemは四国徳島のベンチャー企業。いまもAtokとはアワトクシマが語源と噂されている。



 MS帝国はAtokを潰しにかかった。JustSystemから人材を引き抜きMS-IMEをAtok以上にしようとした。
私が恐れたのはこのときである。MSがJustSystemを潰したら日本語入力ソフトはMS-IMEだけになる。すると再び有料になり値段を上げられても、もうほかにないのだから言いなりになるしかない。なんとしてもJustSystemにはがんばってもらいたいと思った。MS帝国に屈しない最後の日本の獨立国だった。
さいわい、というかむしろ不思議なのだが、JustSystemから人材を引きぬいてまで頑張っている割には、MS-IMEはお粗末なままだった。それでも世の中の大半がMS-IMEになってゆくのは不安だった。日本語入力とはMS-IMEのこと、と思っているひとも増えてきた。

そんなひとがほとんどだろうから、いくらここに書いても意味はないのだろうが、ATOKを使えとは8000円もするものだから言えない。でもGoogle IMEは無料だ。MS-IMEより遥かにすぐれている。ぜひとも使ってみてください。


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《追記》  Google-IMEの凄さ!──2011年2月記す

使い始めたのは2010年の1月からか。上の文章を読んで確認できた。やはり書いておくことにはそれなりに価値がある。
同じGoogle-IMEのことなので昨年のこのファイルに追記しようとここに書き始めたら、もうファイルが重くてホームページ・ビルダーではどうしようもない。テキストエディターで書いていたが、もしかしたらDreamweaverなら可能かもと切り替える。出来た。軽い。保存にも時間が掛からない。さすがプロ用の高級ソフト(=高額ソフト)はちがうなと感心。








2/13  ブラウザ変遷話=

Google Chrome→SRware IRON→Chrome Plus!


 ブラウザはオタクといえるぐらい凝っている。いやオタクではないか、気に入るものはかなり限られているから。いやいや、今まで何十種類もインストールして試しているから、気に入った物の数が少ないというのはあくまでも結果であり、やっていることは充分にオタクと言えるか。

 長年世話になっているサイトに以下のタブブラウザ推奨委員会というのがある。
 そこでは下記の表のように多くのタブブラウザの機能と使い勝手を採点している。なんの自慢にもならないが一応書いておくと、私はここを知ってタブブラウザを使いはじめたのではない。タブブラウザが大好きで、NetCapterの時代から愛用していた。そういう流れでタブブラウザの普及と共に出来たここを知ったのである。という順序はともかく、ここはすばらしいサイト。よくぞここまで凝れるものだ。

 私も、初期からのタブブラウザ愛用者として、その件に関して10年前からかなりの文章量を書いている(といっても単なる使用した感想だけれど)。こういうサイトを作る熱意には頭が下がる。



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 私のブラウザ履歴は、InternetExplorerから始まる。それとNetscape。当時はこのふたつしかなかった。しかもふたつとも有料ソフトだった。90年代に海外でインターネットをやろうとすると、インターネットカフェの係員から「IEかネスケか?」と問われたものだ。当時はネスケが優勢だった。

 それからNetCaptorを知る。初めて知るタブブラウザの昂奮。使い易さ。革命だった。わすれられない思い出のブラウザである。その感動はここに書いた。上記「タブブラウザ推奨委員会」は世話になっていて感謝しているサイトである。この「Netcaptor」を教えてくれたサイトは「恩人」になる。本当に感謝している。あの時期、タブブラウザがどれほど画期的で便利だったことか。

 いまその文章を確認のために読んで知った(思い出した)のだが、この文章を書いた2003年は、私はDonutを使っていたらしい。そうだったか。軽くて評判のブラウザだった。Donutナントカがいっぱい出た。Un Donutなんて命名はしゃれていた。みな使った。いいブラウザだった。でも離れて長い。遠い思い出。
 前記「タブブラウザ推奨委員会」の作者は、あらゆるタブブラウザを体験しているだろうが、今もDonut派である。



 このあと私は長年Green Browser時代が続く。DonutからGreen Browserに替えたのは「お気に入り」の表示だった。



 これは私の「お気に入り」の分類。増えてきたのを項目別に整理し、十年前からこんな感じで分けられている。これらの項目をクリックするとさらにいくつもの登録してあるサイトが出て来る。ふつうのブラウザでは「お気に入り」をクリックして呼びだし、そこに表示されたこれらをもう一度クリックすることになる。Green Browserはブラウザの上段に常にこれを表示することが出来た。これは格段に便利だった。

 私はadd-onやPlug-inに詳しくない。たぶん豊富なそれらがあるというFirefoxSleipnirでは、導入によりこれも簡単に出来ることと思う。でもデフォルトでこれが用意されているGreen Browserは私には最高に使い易く、今までのブラウザ使用歴で最長不倒距離となった。



 上記「タブブラウザ推奨委員会」でも常にA評価を取っている日本製の優れたタブブラウザSleipnirは知ってすぐに導入した。IEのTridentエンジンとFirefoxのGekkoエンジンが両方共使えるというのは魅力的だった。評判のよさもあってすぐにDownloadした。でも私には使いこなせなかった。このブラウザの魅力はカスタマイズにある。また制作者も自信を持って「上級者向け」と豪語している。使いこなしている熱烈な支持者も多く、2ちゃんねるのPC版等では盛りあがっていた。私にはそこまでの能力がなかった。自分用にカスタマイズ出来なければ、私にはいつものGreen Browserの方がずっと使い易かった。これは携帯電話に通じる。多機能モバイル機器としてPCのように、さらにはお財布ケイタイとしてキャッシュカードのように使いこなすひともいれば、私のように電話以外には使わない(使えない)のもいる。私にとってSleipnirは使いこなせない携帯電話だった。数数のブラウザ履歴で、使いこなせなくて唯一傷ついた?ブラウザになる。ただ、使いこなせなかった者の居直りで言うなら、唯一絶対の魅力を感じたなら私は努力して使いこなしていた。私の欲求からはさほどのものではなかったということである。というかブラウザって、ほとんどのひとがIEで満足しているように、とりあえず使えれば納得してしまう。その意味で「上級者向け」を謳い、2ちゃんねるユーザーと連係して特化していったSlepnierはかなり特殊なブラウザになるのだろう。
 いま、Sleipnirには初心者用に機能制限して使い易くしたGraniというのがあると知る。もう2006年に出ているのだからずいぶんと情報に遅れた。しょうがない、Sleipnirとは縁がなかったのだから。Downloadしてみたが、Donutと協力し合ったというだけあって、シンプルでかわいい感じの使い易いブラウザである。でも今の私からすると没個性で無意味なので使うことはない。



 Sleipnirと並んで評価の高い日本製ブラウザにLunascapeがある。最初は有料だった(よね?)。何度かInstallしているが、さして魅力を感じず愛用品にはなっていない。これを最高とする人を何人か知っている。こういうのはソフトとひとの相性なのだろう。私とは合わなかった。


 これはLunascapeの速さをアピールした図。Firefoxとほぼ同じなのは見事だが(Gekkoエンジンを使っているのだから当然か)、それ以上にIEの遅さが目立つ。
 売りは唯一の「トリプルエンジン使用可能」である。IEとFirefoxに加え、GoogleのWibkitエンジン(Safariもこれを使っている)も使用できる。

 日本製ブラウザの雄は、SleipnirとLunascapeが双璧、そしてもうひとつDonutとなるのか。

 このふたつが登場して話題になった2005年は特筆すべき年になる。



 話が少し前後するが、私のGreen Browser時代に、ネスケがすたれ、それを包括したFirefoxが擡頭する。Firefoxを知り、これでやっとIEとの縁切りが出来るとよろこんだ。私はIEというブラウザは一切使っていないが、Tridentエンジンは使わざるを得なかった。IEベースのブラウザを使っていたのだから威張れない。MSが「IEでなければ出来ないこと」を設定しているので縁は切れなかった。Green BrowserはIEエンジンなので、私はまだIEの膝下にあったことになる。(いまもOSがMSなのだからそんなことを言うこと自体無意味だが。)FirefoxのGekkoエンジンが使えるのはうれしかった。

 Firefoxの活躍とともに、かつての隆盛がウソのようにネスケはフェイドアウトしていった。
 Mozillaは心情的にも応援していた。メールソフトもブラウザ同様あれこれ使ってきたが、ここのところもう何年もMozillaのThunderbirdで落ちついている。IEと同じくOutlookとの断絶もずいぶんと前になる。

 ネスケの後継であるSeaMonkeyはいまも入れてある。ほとんど使わないが、ブラウザとメールソフトがひとつになっているのだから、使いようによっては便利だろう。



 時代を同じくしてOperaも出た。初期のOperaは有料だった。獨自のエンジンで、IEやMoziraとも違う第三のブラウザということで注目した。獨特のデザインはかっこいいと思ったが、初期のOperaの使い勝手はわるかった。まあ単なる相性とも言えるが。
 このごろだいぶ早くなり、使い易くなってきた。いまも入れてある。サブとして使っているが、私にはChrome系の方が使い易い。



 マックのsafariも使っていたが今は用無し。けっきょくマック系ソフトのよさは、獨自のデザインや使い勝手にあり、その他がそれに追いついてしまうと、後発は「似ていて、より良いもの」を目ざすから、そっちの方がよくなる。マッカーからすると「最初はこっちだ!」の誇りがあろう。Windowsが出たとき、Guiに関してそんなことばかり言っていた(笑)。まるで中国四千年の歴史を主張する漢民族のよう。そんなことには興味のないこちらには、どうでもいい話。いま「safariでなければ」「さすがはsafari」という点はひとつもあるまい。使う意味はない。エンジンはGoogleのWebkit。



 長年Green Browserを愛用していた。いつからだろう、Windows2000時代からか。ほんとうに長い。唯一不満なのは中国製なので中国色が強く、初期設定だと既定の検索エンジンが中国製だったり、たまに簡体文字に文字化けすることだった。

 そんなときThe World Browserを知った。「そんなとき」っていつだろう。ほんの三年ぐらい前か。このソフトが出たのはあたらしい。まあセンスのない名前だ。それでちょっと引いたけど、導入してみると、これもGreen Browserと同じようにお気に入りの表示が出来る。気に入った。しかもGreen Browserほど中国臭くない。いや中国製だという噂もあり、デザインにあらたなスキンを入れてみると中国旧正月みたいな赤い色合いになった。やはり中国製だ。まちがいない(笑)。

 The World Browserにスキンを適用したところ。中国旧正月的色合い、デザインが笑える。

 でもGreen Browserのように中国一色というほどでもない。その違いが不思議だった。

 答を知って納得。シンガポール製だったのである。なるほど、中国臭くもあり、でも簡体字ではなく英語がメインで、Green Browserほど中国色が強くないことに納得する。まさにこれは中国人のよいところだけが集まったようなシンガポール感覚だ。
 
 そういう流れの中、メインのブラウザはIEエンジンを使うGreen BrowserからThe World Browserに代わり、同時にGekkoエンジンのFirefoxをサブとしてきた。
 Green BrowserもThe World Browserも、エンジンがTridentだからIE膝下にいるのは確かなのだけれど、現実に私がブラウザとしてIEを使っていたのは15年以上前になる。風の噂にいまIEもタブブラウザになったと聞いた。もちろん今もIE最新の64bit版が入っている。OSをインストールすればついてくるのだからしょうがない。IEっていまVersionいくつ? ほんとに知らない。OSインストール、再インストールは、真っ先にATOKをインストールしてMS-IMEを削除、愛用しているブラウザを入れてIEを通常使うブラウザではなくすることから始まる。極端な話、「長年パソコンをやってます。ブラウザはずっとInternetExplorerです。えっ? それ以外のものもあるんですか?」なんてひととは話は合わない。

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Google Chrome登場!

 2008年にGoogle Chromeが発表になった。待望のGoogleからのブラウザだった。時空を追ってみると、日本でのβ版発表は2008年9月3日だとか。おお、息子の誕生日だ。この日にDownloadしたろうか。したはずだ。あたらしいもの大好きのブラウザオタクなのだから。日記を見れば確実に書いてあるだろう。息子の誕生日とChrome導入が。
 と、確認したら、この日は雲南にいた。私のChrome導入は帰国した10月7日だった。まだβ版なのでいろいろ問題もある。慎重なひとは近寄らないが迷わずInstallしている。人身御供は覚悟の上だ。

 現在ブラウザの主要な役目は「検索」である。検索最大手のGoogleが作ったブラウザだから使い易かった。また新たな時代が始まったような気がした。私はGoogle好きのYahoo大嫌いだから、もしもYahooが作ったブラウザだったら関わらなかった。ナイツの漫才も調べたのがヤホーでなかったらもっと好きになっていた。

 「現在ブラウザの主要な役目は検索」と書いたように、かつては検索はもちろんだけど(検索せねばどこにも行けない)、通いなれたサイトに行く道具として使うことも多かった。
 私は20年間育ててきているATOKのユーザー辞書を代々受けついでいるヌカミソと表現することがあるが、その点では「お気に入り」もそうである。Windows95のころから育ててきている。かなりの数、切れているものもあるが何度か引っ越していまも続いているサイトもある。そういう毎度お馴染みの場所に行こうとするとき、新型ブラウザChromeはあまり便利ではない。検索に特化しているのだ。登録してある「お気に入り」のサイトに行くには、前記The World BrowserやGreen Browserのほうが便利だ。
 しかし時の流れの中で、私のインターネット使用法もいつしか「いつもの場所に行く」よりも、「調べ物」が多くなっていた。Chromeはそんな流れにも合っていた。自然に愛用頻度の高い私のメインブラウザはChromeになっていった。


 斬新なスタイルとデザイン、機能で話題となったGoogle Chromeだったが、悪い噂も流れた。まだ完成途上のβ版であり、使用者の情報を集めているというのだ。こちらの使用歴等をかってに蒐集しているとも言われた。当然反撥の意見も出る。
 より良いものを作るために情報収集は必須だ。ましてβ版なのだから人身御供になるのは覚悟の上である。知られてまずいことのない私はなんてことなかったが、気分が良くないと反撥したひとの気持ちもわかる。

 そこに登場したのがSRware Iron。これはChromeをベースにしながら、強制的情報収集という評判の悪いそれらの機能を削除したものだった。これはGoogle Chromeを使いたいがGoogleのそのやりかたに反撥している人に両手をあげて支持された。

 ブラウザオタクの私も早速導入した。私はもうこういう亜流が大好きなのだ。ドイツ製というのも新鮮だった。見慣れたPC用語、たとえばDownloadもドイツ語で書かれているとドギマギする(笑)。私は第二外国語がフランス語だったので、フランス語はほぼネイティヴと同じように話せるが(ウソ)ドイツ語は挨拶すら出来ない(ホント)。まあドイツ人は英語を話してくれるのでかの国で不自由したことはない。(いまサイトに出かけてみたら、すべてわかりやすい英語の表示になっていた。最初のころはかなりドイツっぽかったのである。)



 私はGoogleのやりかたに不満は感じなかったが、ネット上ではGoogleを批判する声は大きかったし(あの文芸作品をすべてデジタル化する事で著作権問題で揺れているころでもあった)、なにより私は「あたらしいモノ好き」なので、その後はIronの方を重用していた。

 外国のこの種のソフトはデザインがかっこいい。Google Chromeのカラフルなデザインもかわいいが、SRware Ironのこの銀と青のスッキリさもいい。IronはもちろんChromeを意識しての命名。「なんで鉄なんだあ」「もっとかっこいい名前があるだろ」と2ちゃんねるの「PC関連──ソフトウェア板」でも話題になったものだった。



 前記したように、初期のChromeはInstallすると自動で使用者の使用状況を収集をするようになっていた。問答無用である。正規版になり、今はそれらの情報をGoogleに送るかどうか(協力するか否か)を選択できるようになっている。その点は安心して使用できる。


 いまそれが話題になっているのは、やはりβ版である「Google日本語入力」だ。これがユーザーの使用コトバを蒐集しているらしいと話題になっている。でもなあ、反撥はわかるけど、そもそもこの「Google日本語入力」は、そういうネット上でのユーザーの使用コトバから、よく使われるものを変換候補として羅列するのが特徴なのだから、使う以上それはしかたないと思うのだが。



 というところでまた新顔を知る。同じくGoogle Chromeをベースにして開発されたChromePlusである。これには斬新な新機能があった。GoogleベースのGoogleのエンジン(Webkit)を使っているのだが、クリックひとつでIEモードに切り替えられるのだ。IEと縁を切りたいと言いつつなにを寝惚けたことをと笑われそうだが、MSのOSを使っている以上、IEには逆らえない。IEでなければ出来ないようになっていることも多いのだ。

 たとえば、私は長年【紙copi】を愛用しているのだが、この素晴らしい便利ソフト、いまだにIEしか対応していない。気に入ったページに出逢ったら、マウスを右クリック「画面を紙copiに取りこむ」で簡単に保存できる便利ソフトなのだが、それがIEやTridentエンジンを使っているブラウザでなければ反応しないのだ。

 そういう場面に出くわすと、私はGoogle ChromeやSRware Ironを使っているときでも、アドレスをコピーし、The World Browserを立ちあげて、そこから【紙copi】に保存するという二度手間をしていた。

◎紙copiホームページ──無料版でも充分使えるすばらしいソフト

 このChromePlusには、エンジンをGoogleのWebkitからIEに切り替える機能がある。それをするとGoogle Chromeと同じような外観なのにIEで動くようになるのだ。これにすると【紙copi】にもすぐに対応する。
 本家のGoogle Chromeから始まり、ドイツ製のSRware Ironに行き、ここのところこの第三のGoogleであるChromePlusを愛用している。これはぜひ使ってみてください。お勧めです。

◎http://www.chromeplus.org/

 オタク的世界では、この三種類の速さを比較し、SRware Ironが一番早く、GooglePlusが遅いので、なんといってもIron! なんて意見も流通している。下はその速さ競べの数字。

 私はそういう「数字」には興味がない。たいせつなのは「体感」だろう。もしもGooglePlusが遅くてイライラし、それと比べるとIronは速いなあと思ったならIronを重視する。いま三種類とも入れていて、均等に使っているが「体感」的には同じだ。
 それにしてもIEの数字はひどい。





 ところで、このGooglePlusは中国製との噂が流れた。「だから嫌いだ。使わない」と。
 どうやらほんとうのようだ。そういうのは漫然と触れているだけでもわかる。たとえばChromePlusのForumで中国語が優先されている。こういうのは今までもまずまちがいなく中国製だった。だって英語と同じに中国語を重視している。まあ「世界中で一番話されている言語」ではあるのだが。

 私にその偏見はない。前記の最長使用歴のGreen Browserが中国製だったし、愛用している動画再生ソフトGomplayer、Kmplayerは韓国製だ。Kmplayerなど、Installの時に言語選択で「English」と「Korean」しかないぐらいだ。このソフトに関するスレ(2ちゃんねる-PC関係-ソフトウェア板)が立つと、必ず「シナやチョンのソフトなど使えるか!」と書きこんでくるヤカラがいるが、あれはどうなのだろう。

 私は中共や韓国に対して自分なりの意見(=いいたいこと)をもっているが、かといってそれとこれは別だ。こんな優れたソフトを作る中国や韓国のクリエイターはすばらしいと思う。心から尊敬する。相手のすばらしさを認めるのと、思想的な感情は別物だろう。



ComodoDragonのこと

 以上、愛用しているGoogle Chrome系みっつのブラウザについて書いたが、じつはもうひとつある。ComodoDragonという名のブラウザがChrome系だ。もちろんこれも入れてみたが、その名の通りトカゲ系のアイコンだったりして私にはなじめず、すぐに削除した。どうにも白人のこの種のデザイン感覚とは相容れない。
 しかし2ちゃんねるの「Chrome系ブラウザ」のスレを読むと、「おお、ComodoDragonかっこいい。デザインが好きなのですぐに入れました」なんてひともいる。好き好きだ。

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●現在のブラウザシェア

 2009年度07月のブラウザのシェア

 1位 Internet Explorer =67.68%
 2位 Firefox       =22.47%
 3位 Safari         = 4.07%
 4位 Chrome       = 2.59%
 5位 Opera        = 1.97%
 6位 Netscape      = 0.67%

 まだまだ圧倒的にIEである。それはOSがMS製なのだからしかたない。それにしても、かつてNetscapeはIE以上のシェアを持っていたのだ。信じがたい数字である。同じような凋落として、「泡沫候補になったゴルバチョフ」を思い出した。自由世界から見たら救世主のように見えた彼は、国内では支持されず、見るも無惨な落ち目となった。
 逆にまたIE帝国の中、確実にシェアを伸ばし続けるMozilla Firefoxはすごい。
 いま(2010年2月)はもうChromeはSafariを逆転したのではないか。
 獨自性を貫くOperaは健闘しつつも思ったより伸びないが、これはこれで好きなひとにはほどよいマイナー具合だろう。

●というわけで結論

 現在私はみっつのChrome系をメインに、Firefox、Operaをサブにしている。
 たまにやる古くからの「お気に入り」を巡る(今も存続しているかとチェックする)ときは、Green BrowserやThe World Browserを使っていたが、ここのところ下記のPiceaを使うようになった。
 同じテーマでまた数年後に書くことがあるとして、そのときに顔触れはガラリと変っているだろうか。それはないような気がする。Chromeの形は、それなりにブラウザの完成型であり、もうこれ以上「あっと驚くようなブラウザ」は出ないと思うからだ。

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◎ Piceaの魅力

 またひとつ魅力的なブラウザを知った。日本製。



 2005年に発表されていたというから、今まで知らなかったのはブラウザ好きとしては恥ずかしい。知らなかった。異色のソフトなので、前記「タブブラウザ推奨委員会」でも取りあげられていなかった。サムネイルを多用して見せてくれるので便利だ。その分、場所もCPUパワーも使う。CPUパワーやメモリに餘裕がありデュアルディスプレイ以上のひとにはお勧め。ノートではきつい。今時の検索中心ではなく、「お気に入り」がいっぱいあって、あちこちのサイトに出かける人むき。64bit版もある。IEしか知らないひとにはかなりの珍品になるだろう。

●Picea配付先

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【附記】◎IEの価値

 Windows7-64bitを使っている。Javaの64bit用がInstall出来ず困っていた。これがないと、たとえばV2C-64bit版のようなソフトが動かない。
 検索して、こんなサイトを見つけた。

64bit環境にJavaランタイムをインストールするときの注意事項

 おお、なんと他のブラウザではだめでも、IEからならDownload出来るのだ。ここにあるとおりにやって、無事64bitJavaをInstall出来、V2Cも問題なく動いた。IEのお蔭である。
「な、だからさ、MSのOSなんだからIEがいちばんなんだよ!」と言われても、この件に関してはぐうの音も出ない。

 また「以前のIEがタブブラウザにも対応せず、不親切窮まりないひどいブラウザだった」という意見を撤回する気はないが(絶対的事実だから)、現在のIEはもちろんタブブラウザだし、世の中の便利ブラウザをよく研究して、ずいぶんと使い易くなっているようだ。それは確認した。でも遅いよね、やることが。殿様商売でふんぞりかえっていて、いまも内心はそれなのだが、まわりがぜんぶ安売りを始めたので、しかたなくそれにしたがった、ような感じだ。

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【附記.2】●SさんとChrome

 友人のSさんから、私のブログに関して、「文章内のリンク先にクリックしても行けない。反応しない」とメールをもらった。この時点では、Sさんは私の方のミスと思って教えてくれたことになる。

 前記いくつものブラウザを使って試したが私の方には問題はない。すんなりとリンク先にも行ける。もしかしてIEを使っているSさんの方の問題かもと、Chromeを使って試してみてくれと返事した。
 するとすぐに「出来ました」と連絡があった。いかなる理由か知らないが、とにかくIEでは出来なかったがChromeなら出来たようだ。

 IEしか知らないSさんは、デザインや使い勝手等、新鮮だと感想をくれた。「すこし速くなった気がします」とSさんのメールにあった。たしか非力なノートを使っている。私はIEを使っていないので体感が解らないが、ネット上に溢れている情報のように(ここにもいくつか図を貼ったが)ほんとうにIEがとんでもなく遅いのなら、体感できるほどChromeで速くなったはずである。

 IEしか使ったことのないひとにはぜひ目新しいブラウザの導入をお奨めする。新鮮な発見に満ちている。使ってから、「やっぱりおれはIEでいい」ともどるのなら、それもそれでいい。それは古女房の魅力再発見になってわるくはない。ソフトをひとつ新しくするだけでPCライフは景色が違ってくる。なにもしないのはもったいないなと、よけいなことをし過ぎてトラブルにもよく遭うけど、私はそう思っている。

 こういう感覚はやはり猫型だ。飼い主に忠誠を尽くす犬ではない。
 あえて今ごろWindows2000気分

◎最愛の2000

 MS-DosからPCを始めた私の「OS郷愁」はWindows2000だ。今まででいちばん長く愛用したOSになる。

◎初体験のMS-Dos
 MS-Dosは初めて知ったものだから愛着がある。いわば初体験の相手。
 30万円以上で購入したNEC9800にOSは附属していず、さらにフロッピー2枚組のこれを3万円以上で買わねばならなかった。ひどい話である。不愉快だったが、そこはそれ初体験の相手だから忘れられない思い出がある。中でも「テキストエディターを使いながら電子辞書を引く」を体験したときの「電脳気分」は忘れがたい。

 90年代、競馬関係のソフトを作る知人には、新顔のWindowsを否定するMS-Dos信奉者が多かった。自分で組んだプログラムで、過去のレースからデータを捜しだすような場合、一晩かかっても地道に作業するMS-Dosがかわいくてしょうがなかったようだ。黎明期の話になる。
 形は違うが、これは私の2000好きや、Windows7時代の今でもXPにこだわるひとに通じる感覚だろう。



◎そこそこの恋人たち
 それからのWindows3.1、95、98、Meは、楽しくもあったがむしろ不満を感じることの方が多かった。いやたぶんそのときはそうでもなかった。そのあとの2000があまりにすばらしかったので、それらの思い出が一気に色褪せ、波の引いたあとの汚れた海岸のように、これらのOSに関しては残ったゴミばかりが目についたのだ。すなおに振り返れば、95や98を楽しんでいた時代もあったように思う。まあ「おんな」でいうなら、若いときにつき合ったさして記憶に残っていないそこそこの連中になる。
 とにかく「マルチタスクをしても固まらない2000」を知った感激はいまも忘れない。もっと早くNT系をやっていればよかったと悔いたものだ。あのころNT系は智識のある技術者向けということで敷居が高かった。しかしこれって、田舎のこども時代を語っているような気分なのだが、ほんの十数年前のことに過ぎない。PCに関する時代観は獨特のものがある。



◎無縁だったXP
 今この種の「私が最も長年愛用したOS」をパソコン好きに問うたならほとんどがXPになるのだろう。まちがいないと思われる。

 私はXPとは疎遠だった。理由は簡単でこれからあのアクティベーションが採用されたからだ。自作派の私はデスクトップもノートも複数台もっていた。デスクトップ複数台に2000を入れていたし、ノートの場合は買うとOSがついてきたが、値段の問題からみなまだ98やMeだった。2000は高級品だったのだ! すぐに2000に入れかえていた。

 XPはアクティベーションとかでそれが出来ない。2000Professionalを38000円で買い、自分の複数のPCにインストールしてPCライフを楽しんでいた私に、このXPの「1台1OS」という発想は、儲けたいMSの気持ちとしては当然と思うものの、とうてい納得しがたいことだった。私はXPと距離を置くことにした。

 さいわいXPとは「2000のちょいモデルチェンジ版」でしかなかったから、大のあたらしい物好きの私だったが、「XPはええなあ」とうらやましがることはなかった。唯一2000には大容量ハードディスクを認識しない缺陥があったが、それもやがてSPを当てれば解決した。

 そんなわけで私は、MSのOS史上Vistaが出るまでの5年間という最長不倒距離を誇ったXPにほとんど触れていない。「ほとんど」というのは、自作派なので自分で組み立てた自作機に2000を挿れていたが、ときにはそれが壊れ緊急に安物デスクトップを買ってきたりしたことがあったからだ。それにはXPが入っていた。だから「知らないわけでもない」。そしてそれで「最新のXP」に触れてみると、あたりまえのことだが表面的なデザインを除けば中身は2000と同じだったから、また安心して2000を使い続けたのだった。

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 XPのアクティベーションという発想に腹立ち遠ざけていたが、さすがに5年も経てば「それはそれで仕方ないか」とも思えてくる。アクティベーションは常識として認められ、いまだに腹立っているのもいなくなっていた。
 私は個人だから3万円もするOSを複数台のパソコンの数だけ買うことは出来ないし、そういうシステムが不快だけれど、逆に言えば、企業は3万円のOSをひとつ買ってコピーすれば、それを何千台何万台のPCにも挿れられる、ということでもある。MSとしてはそれは許しがたいことなのだろう。巨額の開発費と時間を費やしてきた作り上げた商品なのだから。

 でもたっぷり儲かっている。今の私の気持ちとしては、1台1OSというアクティベーションシステムは認めるが、値段をもっと下げろ、になる。3000円ぐらいが妥当だろう。もっともっと無料OSのLinux系が普及すればいいのだが、これは私もいくつか使ってみたが、やはり慣れていないので使いづらい。



◎美人悪女Vistaの評判
 というわけで5年ぶり新発売のOS-Vistaにはいち早く飛びついた。色々工夫を凝らして自分だけ乗りOSを心がけていたが、あたらしい物好きにはもう2000で我慢しているのは限界だった。
 Vistaは5年ぶりの新機能が詰まっているだけあって新鮮だった。すばらしかった。おもしろかった。とここまでVistaを誉めるヤツはめずらしいだろう(笑)。

 Vistaは世間的には最悪の評判だった。袋叩きといっても言い。かつてあれほどボロクソに言われたOSもあるまい。理由は簡単だ。要求される最低限ハードの水準が、5年ぶりの新OSとして新機能てんこ盛りだったので、とんでもなく高くなっていたからだ。
 XPを使っていた人たちが、今までの環境で新OSを導入した。今まで以上に快適でいろんなことが出来るという期待を持って。

 ところが期待の新OSは快適どころかまともに動かない。不快窮まりないシロモノだった。というのが世間の反応。
 これはこれで仕方ない。XPは512メガのメモリで快適に動いた。いやその半分の256メガでも充分だった。ちなみにこのころ私の買ったノートはマックスで256メガしか詰めない。私はデスクトップの512メガ、ノートの256メガで快適に2000を使っていた。何の不満もなかった。そんな時代だった。このころメモリ1ギガは、それこそかなりのPC好きのオタクでもなければやらない大量メモリ搭載だった。いわばモンスターマシン。メモリも高かった。

 なのにVistaは512メガ以下ではぬかるみに嵌った自動車状態。使い物にならない。メモリ1ギガでやっとなんとかまともに動く程度。快適に使うなら2ギガは必要だった。そりゃあ世間の悪評も当然だった。256メガで導入し、まともに動かないことに逆上するひとの不満が爆発した。その他CPUパワー、ビデオカードと要求されるスペックが高かった。今じゃ誰もなにも言わなくなったAeroなんて全否定されていた。当時のパソコン雑誌の特集はみな、それらの機能をオフにして負担を軽くし、いかに軽快にVistaを動かすかばかりだった。

 自作派の私はすぐにそれに対応しようと思った。理由は、Vistaをデザインがよく、かっこいいと思ったからである。ギクシャクしていてもかっこいいのだから、ハードを充実させ気持ち良く動かしたら、きっとかっこいいOSだろうと思った。
 そのとき私はメモリ512だったのか。いや256と128で384メガという半端な数字だった気がする。2000には充分な容量だった。けっきょくこの時期に「Vistaのために」ハード全とっかえをしている。たいへんな出費だった。

 MS-Dosが初体験の相手、95や98がそこそこの恋人、2000が長年つき合った最愛の女、XPはたいしたことないくせに高飛車で興味の湧かなかった女、とするなら、Vistaは「贅沢好きの悪女」だった。ハード全とっかえというのは、Vistaという女の言うままに、家を建てかえたようなものである。Vistaは評判の悪い最低の女だった。
 だけど私のようにVistaの言うがままに贅沢をさせてやろうと尽くした男にとって、その我が儘ぶりにはうんざりするものの、それ以前のOSにはない魅力をもったかわいい女でもあった。

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◎姉の缺点を補った妹Windows7登場!

 あまりの悪評にMSは早々とVistaの改良に着手する。すぐにSP1が出て、やがてSP2も出る。それまでの2000やXPと比べるとこのSP発表の速さは異常だった。5年ぶりの新機能満載のOSには、5年ぶりであるがゆえの不確実な部分も多く、MSは対応に追われた。

 それでもVistaの悪評はとどまるところを知らず、とうとう「XPダウングレードシステムが重宝される」という珍現象まで起きた。いままでの新発売PCはみな「新OS××がついてます」が売り物だった。もちろんこれは新OSを普及させたいMSから金が出ている抱き合わせ商売だ。当初はVistaもそうだった。「新OS-Vistaが入ってます」だった。だがあまりの悪評と消費者からの抗議に、「新OSがとりあえずついてますが、御希望により旧OSのXPに替えること(=ダウングレード)も出来ます」というサービスをPCメーカーが勝手に始めてしまった。新OSのVistaを売りたいMSにとっては屈辱的だったろう。ここまでみっともない現象を引きおこしたOSも前代未聞である。悪いのはMSだ。一間で暮らしている消費者に、部屋にはいりきれないようなでっかいベッドを売りつけようとしたのだから。

 ただし、Vistaを使いこなそうとハードスペックを最高にした私(=MSに都合よく踊らされるバカの典型)には、あらゆる面でVistaはXPより優れていた。なによりAeroに代表される美麗な画面に慣れてしまうと、XPはもう貧乏くさくて使えなかった。VistaでやっとMacのGuiに追いついたと言える。というかVistaはあまりにMacに似すぎていて苦笑するほどだった。「おしゃれなデザインを追及したらマックになった」は否定できない。Vistaを否定するWindows派の意見には、「これじゃまるでマックじゃないか」もあった。マッカーがWindowsを侮蔑するように、唯我獨尊のマッカーを嫌う窓派も多い。仇敵同士である(笑)。

 私にとってVistaは魅力的なOSだった。だが一般的にPCとは自分の操作環境で快適に動くことが最優先である。デザイン等は二の次だ。要求スペックが高く、それまでのXP環境ではまともに動かないVistaが悪評だったのもすなおに理解できる。そしてまたVista好きの私にも不満はいっぱいあった。



 Windows7はVistaの改良型だった。技術者用だったNT系は4まで進み、5になって初めて一般向けにもアピールされた。それがWindows2000である。XPはその改良型5.1だ。これがMSのOSとして最長不倒距離となった。それまでの98系と比べていかに安定し、すぐれていたことか。私の2000好きも98と比べての抜群の安定度にある。

 5年ぶりの全面改定のVistaがNTの6。Windwos7はその改良型だから7ではない。正しくは6.1になる。それでは印象が悪い。Vistaとは無縁の名がいい。Vistaの悪評を払拭し、完全にあたらしいOSというイメージを押しつけるため、7というVistaとは無関係なシンプルな名称を前面に出したのだろう。一応念のため、このへんの数字つけは私の獨断ではありません。正しい解釈です。

 私はVistaが好きだった。でも細かい不満もいっぱいあった。それは5年ぶりの新OSだからしかたない。改良型6.1である7はその細かい不満をひとつひとつ修正した。いい出来になった。

 私はWindows7に満足している。今までMSが出したOSではいちばん完成度が高く安定しているだろう。特に64bit版は、XP、Vistaを経て、完成レヴェルに入っている。もうこれからは64bit版OSの時代だ。
 しかしそれもこれも「Vistaの失敗→改良」から来ていることだ。よくできた7も出すために、Vistaの失敗は必然だったとも言える。

 ここまで女で喩えてきたので7もそうすると、Vistaというのは美人でかわいいけど、贅沢好きで掃除洗濯炊事の出来ない女だった、となる。いやこれはまずい。これではVistaが無能になってしまう。XPよりもずっと上なのだ。え~と、どういえばいいんだ。Vistaは美人でかわいいけど浪費家。料理作りも美味いが後片つけは出来ない。ファッションセンス抜群だが整理整頓が出来ない。そんなところか。とにかく浪費家だ。7はその妹である。容姿は姉と同じで美人。でも姉ほど贅沢好きではなく、家事もしっかりできる。そんな感じだ。この差は大きい。そういう喩えになろう。

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 という長い前置きが終ってやっと本題。

 Vistaの新機能に触れ、ハードスペックを上げ、自分なりにカスタマイズして快適に使用するようになってからも、私はWindows2000を使っていた。デァアルブートにして。
 そのころは、なんというか、保険のつもりだった。新機能山盛のVistaは楽しかったが信用していなかった。かといってフリーズしたわけではない。私はVistaでほとんどそれとは無縁だった。とにかく私にとってOSとはWindows2000なのだ。Vistaと比べたらもう古臭い粗末な画面だったが、それでも安心してPC作業をするためには、私には、たとえ新OSが壊れても、いつでも2000が身近にいるという安心感が必要だった。
 Vistaのときは2000とのデュアルブートはさほど難しくなかった。現在の7とXPの関係のように、先に古いOSを挿れておかないと後々の設定に苦労したが。

 7の時代になった。私の愛用OSは7の64bitになった。
 私はデスクトップもノートも常にパーティションを切り、万が一のためにOSをふたついれてデュアルブートにしている。いつしかそれらはみな7になっていた。デスクトップはふたつ共7の64である。ノートはしばらくVistaの32bitをひとつ残していたが、それも先日7の32にした。64と32のデュアルになる。

 7に慣れるとVistaは缺点だらけでなんの魅力もない。
 これは2000と98の関係に似ている。2000と出会い、その能力に心底惚れたとき、私は95も98も捨ててしまった。美麗なパッケージのまま捨てたから、いま思うとなにもそこまでしなくても、との感もあるが、フリーズ連続の不快感を思い出すと、もう顔を見るのさえイヤだった。女で言うなら、たしかに一時期真剣につき合っていたのだが、今は顔も思い出せない、になる。

 Vistaも、効果音とともに顔を出すあのしつこいUCを思うと、もう触れたくないOSだった。あれはひどかった。なによりそれらの缺点をすべて直した7がある。

 いま私の7の環境は下の写真。デュアルディスプレイなので背景は横長。写真も大きなものを選んでトリミングし、二画面で一枚に設定している。




 これは今の7の文字表示。以下のものと比較するためにカットした。



 しかしことここに到っても、私はいまだに2000を使いたいと思う時がある。猛烈にある。そして現実にインストールしようとするのだ。ビョーキだと思う。2ちゃんねるPC板の「ずっとWindows2000を使い続けるひとのスレ」なんてのを読む。現実に今も2000を使っているひとがいるのだ。私のようにVistaや7を使いつつ「2000も」ではなく、「2000だけ」のひとがいるのだ。なんだか嬉しくなる。それらの書きこみで、愛用しているソフトをVersionアップしたら2000には対応しなくなっていた、なんて記事を読んでかなしくなったりする。当然なのだ、その名の通り2000年に発売になった古い古いOSなのだから。後継がXP、Vista、7とすでにみっつも出ているのだから。

 なんども挿れようとした。しかしもう7の環境では2000とのデュアルはむずかしいようだ。いや可能なはずだし、私にもそれぐらいは出来るように思う。しかしそのための努力はけっこうたいへんだ。すんなりとは出来ない。7の入っているPCは今さら2000の参加を認めない。それをごまかし共存させるためにはかなりの裏テクがいる。

 ハードディスクの一部に2000を挿れておき、たまに気分転換に使ってみる。そんなことをしたい。それが難しくなっている今、それを再現するための努力というのも面倒だ。もう7は2000をOS扱いしていず、7上からインストールしようとすると、この旧OSはもう使えませんとはっきり拒んでくる。

 そしてこれがいちばん大事なことだが、それが実現したとしてもなんの意味もないのである。デザイン、彩りの悪さ、古臭さと低機能、いま使っている環境(ディスプレイの解像度やデュアル設定)に仕上げるための煩雑さに音を上げてしまうだろう。立ちあげたときだけ懐かしさはあろうが、すぐに不便さにうんざりする。そんなことはわかっている。なのに断ちきれない。それが「郷愁」ってやつだ。古き良き時代への幻想だ。勘違いだ。昭和三十年代の映画がブームだが、現実にあの時代に行ったらたまらない。今の方がいいに決まっている。すくなくとも私はそうだ。2000も同じ。もうだいぶ使っていないが、もしもうまくインストールできたとしても、立ち上がった2000には、デザインも使い勝手も失望するだけだ。いわば高校時代のマドンナに今さら会うようなものだ。そこにあるのは幻滅だけである。

 それでもやってみたくて、使っていない120GBのハードディスクを接続し、7が入っている環境では受けつけられないから、他のハードディスクはみな外して、これだけインストールしてみようとしたりする。合計2teraのハードディスク構成で無事動いているシステムを、120GBのハードディスクひとつにしてまでWindows2000をまた使ってみたいのだ。何の意味もない。ほんとにビョーキだ。

 この120GBはいま私の持っているハードディスクではいちばん古くていちばん容量が小さい。Windows2000の時代、私はそのころは大容量だった30GBのハードディスク3台を、OS用、データ用、アプリ用にして使い分けていた。合計90GBの大容量、自慢の構成だった。この古くてもう使っていない最小容量の120GBですらその3台を足したのより大きい。いかに時代が変っていることか。そんなことはわかっている。わかってやっている。それでもやりたいのだ。

 そしてうまく行かず挫折する。その古い120GBには初期のVistaが入っていて、より古いOSのインストールを阻む。そのためには7に繋いでこのハードディスクをフォーマットし、それから、となる。今の時代、2000を入れるのは簡単ではない。だいたいそのあたりで諦めている。

 当時私は既に自作でデュアルCPU機を組んでいた。マザーボードにふたつのCPUを組みこんでいた。最新のパソコンだった。発熱量も消費電力もたいへんだった。2000はデュアルCPUに対応していたのである。いまじゃひとつのCPUにコアがよっつもあったりするが。



 この2000へのこだわり、郷愁をビョーキだと思う。懐かしいかつてに行きたがっている。
 自分が精神を病んでいるのではと思うことがある。親のことだ。
 2004年に父を、2007年に母を亡くした。
 親が恋しいのではない。
 なのにふと、「田舎に帰らねば」と思うことがある。両親が待っている。もうだいぶ会っていない、と。
 そう思ってから、「ああ、もう親はいないのだった」と思うのである。親を恋しがっているわけではない。もういないことをいまだに認識できていないときがあるのだ。
 これってやはりビョーキだろう。
 2000への恋慕はそれに通じるのかも知れない。

 三十代後半から十数年、田舎の家で親と同居した。年に半分は海外に出ていたが、そのわりあいもほどよく、親とうまくいった気がする。私の唯一の親孝行らしきものをした時期だ。年老いた両親をクルマに乗せてのドライブ。車内での会話。昔話。病院。スーパー。花木市場。近場の温泉、海、etc……。それは両親と私の関係において、いちばんうまく行った時期だった。学生時代など数年も帰郷しないことがあった。
 二階屋の二階に起居し、そこでPC作業をしていた私のOSは2000だった。その当時の思い出が色濃く残っている。精神が不安定な今、やたら2000を使いたくなることとそのことは無関係ではあるまい。



 さて、精神の病の話はともかく。
 私は今デスクトップのW7-64のひとつをクラシックモードにしている。懐かしいこのクラシックブルー。慣れ親しんだAeroのような効果もすべて切ってしまう。すると画面はこんな感じ。右端の7用ガジェットがおしゃれすぎて興を削いでいるか。これは削除しよう。
 このモードで効果的なのはタスクマネージャーの部分。ちいさくて見えないけど、2000と同じく無骨で色気もなく、当時の雰囲気にちかい。ゴツゴツしている。左下のスタートボタンも、Vista以降はAeroの透明機能のついただから、2000やXP時代の無骨なが新鮮なのだ。



 そして文字表示。クラシックモードにして「スクリーンフォントの線を滑らかにする」もオフにしてしまうと、98や2000のようなこの感じになる。灰色の背景にギクシャクしたフォント。なんともむかしっぽくていい。



 Aeroを使用したフォントがメイリオのこれと比べると、その昔風の感じがよくわかる。

 7のクラシック表示だと、見た目が古臭い2000風になり、それでいて能力は高いから、雰囲気を味わうだけなら、ある意味理想的とも言える。いわば今風の電化製品をすべて揃えた昭和三十年代テーストである。

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 とりあえず今この「2000もどきモード」で楽しんでいる。それでもまだ明日辺り、120GBに2000を入れようとしそうな気がする。もしもこれが「(やまい)」なら、なんとか早く脱出せねばならない。

 
 中国製ソフトの明らかな意思──音楽再生ソフト考

 上記「ブラウザ変遷話」に書いたように、私は中国製、韓国製のソフトをいくつか愛用している。すぐれたソフトを開発し、フリーで使わせてくれることはありがたい。心から感謝している。

 しかしまた一方で、江沢民の日本蔑視発言のように、彼らの中の確実な意図を感じることも多い。



 音楽再生ソフトもあれこれ使ってきたが、いま愛用しているのはMediaMonkeyとFittleになる。ジャンル等できちんと分類してくれる(iTunes的な)本格ソフトとしてMediaMonkey、エクスプローラーの表示通りに再生してくれるシンプルなものがFittleとなる。

 いちばん有名なソフトであるiTunesはVersion3(いま9)から使い始め、一時は溺愛していた。「電脳」の項目には、iTunesとすごす日々を綴った一項もある。ずいぶんと前のような気もするが、2005年から6年のことだからほんの数年前だ。「三年一昔」とはよくいったものである。いまも一応64bit用を挿れてあるが缺陥(というか不親切さ、か?)が目立ち今はほとんど使っていない。ハッキリ、嫌いになった。

 それはMediaMonkeyやWinampと比較すると明らかだ。たとえばファイルを移動したとき、iTunesは「ファイルがない」と移動したファイルにマークがつく。その存在しない不要ファイルをひとつひとつ選択して削除せねばならない。
 MediaMonkeyは「これこれのファイルが存在しない。なくなったファイルを削除するか?」と問うてきて一瞬で整理してくれる。私はRockに分類しておいたファイルをBluesに移すというようなことをよくやるから、ときには「元の場所にないファイル」が300も500も出たりする。それを一瞬で削除してくれるのがMediaMonkeyやWinampであり、印のついているファイルを手作業で削除せねばならないのがiTunesだ。こういうソフトを使っていると、自分が何故マッカーにならなかったか、なぜマッカーが嫌いかがよく理解できる。最初iTunesに夢中になり、いま大嫌いなので、ほんとによくわかる。



 そんな中、相変わらずあたらしいものを探して徘徊し、こんなのを見つけた。
 この「Eufony Free Audio Player」は中国製のようだ。奇妙なLanguage設定から、もしかして、と調べて確認した。

 Fittleのようにエクスプローラーに対応して再生するシンプルな形式だが、Fittleが再生のみなのに対し、RenameやファイルDelete等が出来たりする。ほんのすこし機能が多い。私は嫌いな音楽は即座に削除してしまうのでこの「ファイルから削除」が出来るのはありがたい。Fittleも消せるが、Fittleの再生候補から消すだけだ。



 といってタグエディターとしての能力は半端。まあ本格ソフトとシンプルソフトの真ん中辺に位置している。敢えてこれを使わねばならない理由はないのだが、こういうのをインストールして使いたがるのがソフトオタクなわけで(笑)。
 私は当初これを中国製とは知らなかった。Eufonyという名から欧州系と思っていた。しかし「Language」を開けば一目瞭然。



 私はこういうのを「中国製ソフトの悪意」だと思う。
 コンピュータは英語が基本だからトップに英語があるのは当然。2番目に自国語である中国語を置くのも当然。その後、ドイツ語、スペイン語、イタリア語と続くのも自然。しかしそのあと韓国語になり、オランダ語、ポルトガル語と続いて日本語がないのはあきらかに不自然だ(笑)。日本よりも人口が少ない韓国をフォローしておいて日本を無視しているのがいかにも江沢民的中国である。



 MediaMonkeyにFittle、補助的にiTunesにWinamp、Songbirdとあり、音楽再生環境は120%満足状態だ。こんな反日ソフトを使う意義はない。

 なら立腹してさっさと削除したかというと、いまも入っている。たまに使っている。
 こういう「明らかな反日の意図」というのを日々確認して生きるのもけっこう大事なのだ。
3/9  私のための私による私だけのホームページ考

 と、もっともらしいタイトルからなにか中身のあることを言いそうだが、そんなはずもなく、なにを言いたいかというと、「自分のホームページの文章を読んで感動した!」という話。自分で書いたものを自分で読んで感動するというのは、よほどの名文なのかとなるが、もちろんそんなこともなく、単に「中身を忘れていて新鮮だった」というボケ話。なさけない。

 もともと自分のための日記のようなホームページである。のちのち読みかえして楽しもうというのが目的だ。「のちのち」である。ずっと先だ。

 ところが早くも今の時点でもうそうなっている。と知った。
 先日、誤字脱字チェックで、それこそ何年ぶりか忘れたほどひさしぶりに「チェンマイ日記」を読んだ。2000年の前後。すると中身を忘れているのである。見知らぬひとの旅行記を読むようで、そりゃあもう楽しかったのなんのって(笑)。だって「感性が同じだから」ね。書き手と読み手が同じなんだから。

 さすがに完全に忘れていて思い出せない、はなかったが、かなり危ないことも多かった。

 チェンマイの市場でばったりとAと会う。ひさしぶりだ。タイ人と結婚してチェンマイに住んでいる、元気だったかと会話が弾んだ、と書いている。だが文章の前後から私はそのAが思い出せない。なんとかそのあと、「ぼくと同じくHさんとは絶縁したそうだ」とあり、「Hさん」のことは覚えていたので、そこから必死に記憶を手繰ってAの名前と顔と苗字を思い出した。Aは假名イニシャルではなく実名のイニシャルだった。ほっとする。よかった、思い出せて。でもその市場でAと会ったシーンは浮かんでこなかった。写真のワロンロット市場であるのはまちがいないのだが。



 このあとも、同じように忘れているエピソード、小ネタがぞくぞくと出て来た。「見知らぬひとの旅行記」のようにおもしろく読み進む。読んだことすら忘れている古い小説を、かなり読み進んだからやっとかつて読んだことがあると思い出すように、だいぶ読んでから、「うんうん、そうだ、あったあった、こんなことが」「ああそうか、いたなあ、これはあのタイ人おばさんのことか」のように思い出した。なんとか思い出せた。安心する。

 三十年前に読んださほど興味のなかった小説を、粗筋はもちろん読んだことすら忘れていたとしてもそれほど恥とは思わないが、ほんの十年前の、自分が体験し自分で書いた文章の中身を忘れているのは問題だ。

 「テーマ」のある文章、たとえば「チェンライにドライブ旅行」のようなものに、そういうボケはない。気を入れて書いているから細部まで覚えている。それどころか、読んでいるうちにより些細な出来事を思い出し、書き足したくなったほどだった。



 忘れているのは純粋な日記だ。チェンマイのナティコートを年間契約で借りていたころのものだった。二ヵ月以上滞在し、ごくふつうに日々のことを書いている。ほんとのただの日記。だから読みかえすこともなかった。そこに出て来る「人物」や「出来事」を忘れている。やがて思い出すが、最初はわからない。「えっ!? これ、誰のことだ、こんなひといたか!?」と思いつつ読み進む。やがて「ああ!」と思い出す。



「サクラ」の常連の名もイニシャルだから、たとえば「Tさん」がやたら多い。当時から「のちのち」のことは考えていて、なるべく「××のTさん」のように説明をして判るようにしているのだが(××は住んでいる地名だったり会社名だったりする)、それでも出てこない。半数ぐらい、顔も名前も浮かんでこない。

「サクラ」話でもかなり忘れていることがあった。写真のあたらしい場所に引っ越した頃、常連の客層ががらりと替った。でかい顔をする引っ越してからの新たな常連が出来た。私は彼らが好きではなく近寄らなくなった。それは私だけではなく旧店舗からの古い常連に共通の感覚だった。みな来なくなった。外来種が従来種を駆逐してしまったのだ。だけどパパは大好きだから、「パパはいるかな、やつらはいないかな」と、バイクで様子を探りつつ店の前を走り抜けることが多々あった。

 ある夜、午後9時過ぎにゆくと誰もいなかった。ほっとしてひさしぶりに店に入ると奥からパパが出てきた。帰るところだった。私が来たので帰宅を延期ししばらく付き合ってくれる。そこでその話になり、パパの方は、なにかがあって私がパパを嫌い、パパがいるから来なくなったのではないかと気にしていた……。というような話が書いてある。

 これまたすっかり忘れていたことだった。そういえばそんなことがあったなと思い出し、いまはない有山パパを思ってしんみりした。私のチェンマイとは90年代前半の旧サクラだった。

 やがて多くの客から総スカンをくってそのブラックバスみたいな嫌われ者新顔常連はいなくなる。なによりシーちゃんやドゥアンちゃんを始めとする店のひとに嫌われていたから、どんなにあつかましくても去るしかなかったろう。無事私もまた通えるようになる。旧店舗からの常連ももどってきた。あの時期は暗黒だった。一年近く続いたのだったか、人格的に問題のある嫌われ者数人が、写真の丸テーブルに朝早くから居座っていて、誰もゆかなくなってしまったのだった。こうして書いていても苦いものが込み上げてくるぐらいいやな思い出だから忘れるはずもないが、パパとのあいだにそんなことがあったのは忘れていた。



 偶然入った街中の小奇麗な食堂が古い知り合いのタイ人夫婦がやっている店だったのでおどろいたという話が書いてある。そのふたりは私の住んでいるアパートの近くで食堂をやっていた。店といっても一坪ほどの掘っ立て小屋。屋根は椰子の葉。奥の一坪がふたりの住居。亭主は三十ぐらいでなかなかハンサムだった。女は四十過ぎでブスだった。どうしてこんな齢の差カップルが生まれたのか。なにか訳ありなのだろう。奥さまと使用人の道ならぬ恋の逃避行? そういうストーリィにはすこしばかりおばさんがブス過ぎたが。
 ふたりとも色は真っ黒だった。色白のチェンマイでは目立つ。イサーンの方から逃避行してきたのだろう。メニューはソムタムとガイヤーン(鶏肉の照焼き)、カオニオ(餅米)だけ。

 味が良かったので私は頻繁に通っていた。訳あり二人のがんばりを応援したい気持ちもあった。ソムタムやガイヤーンをつまみに、向かいの酒屋から買ってきたビールや焼酎を飲んだ。ルール違反ではない。これが出来るのもタイのおおらかなところだ。
 店は道路よりも50センチぐらい低いところにあった。雨が降ると道路から水が流れ込んでくる。亭主はセメントを買ってきて、店の前に高さ5センチほどの自家製堤防を築いていた。それでふだんの雨はなんとかなる。



 写真は、この地域の夏場では毎度だったピン川の氾濫。道路がこんなふうに水没する。60センチぐらい冠水する。写真の傘を刺した女が膝まで水につかりながら歩いている場所は道路である。その店はこの写真のさらに左にあった。店も住居は完全水没だろう。どうして過ごしたのか。



 これは私の住んでいたナティコートというアパートの玄関。こんな状態になる。私の住んでいたのは三階だからいいとして、彼らは道路よりもさらに低いのだ。いや三階に住んでいても、こんな状態になって出かけることができず苦労した。

 いつしかそんな彼らとの付き合いも7.8年になり、ある日そこから離れた小奇麗な食堂に入ったら、それが彼らの店だったのだ。そういえばあの一坪ほどの店はしばらく前から消えていたなあと思い出す。正直に働いているとこんなふうに出世出来るのかと感激した。という話。

 ところがこの文章を読み始めてしばらく、私はそれを思い出せない。話がどう展開してゆくのかすらわからず、わくわくしつつ読み進んだ。思い出せないからそりゃあおもしろい。いや、たいした話じゃないですよ、他の人はさほど面白くないからも知れない。けど私には最高に面白い。だって最高に面白いと思ったことを思った本人が書いて、それを中身を忘れた本人が読んでいるのだから。
 読み終る頃に、ぼんやりと、やがてすこしずつフォーカスが合うように当時のこと、彼らの容姿がくっきりと浮かんできた。

 いつの日かそういう感激をしようと書き記してきたのだから、これはこれで狙い通り、満願成就、万々歳とすらいえるが、ちと早すぎる。忘れることは能力だが能力が高すぎる。早くもこの時期でこんなことになるとは。うれしいのかかなしいのか。



 もうひとつ。たとえば落語の項目。三遊亭円丈の本「御乱心」。読んだことは覚えている。ホームページのどこかに感想が書いてあるだろうとも。
 円楽が亡くなり、ここのところまた当時の三遊亭獨立騒動とか、あの手の話がすこしばかり話題になった。

 今日落語のことをすこし書こうと思い、これまた何年ぶりかで「落語」の項目を開いた。いまも落語は日々聞いている。コレクションもだいぶ増えた。が、もうしばらく落語のことを書いていない。理由は簡明で評論が嫌いだからだ。私はかなり映画も見ているがほとんど感想を書いていない。どうでもいいことだから。そういう私でも、時によかったでも悪口でも書いておきたいと思うものがある。それを書けばいいだけだ。

 2004年の11月に「御乱心」の項目があった。昭和61年に出版されたとき買って読み、引っ越しで紛失し、このときに図書館から借りてきて再読している。それは覚えているのだが、中身はすっかり忘れていた。円楽が亡くなり、この本が話題になったときも、「おれは読んでいる」と「円丈が円楽を批判していた」は覚えていたが、その他の細部は記憶になかった。

 自分の書いている「御乱心」レヴュウを、「へえ、そうなんだ」と感心しながら読んだ。なかなかのものである。いろんなレヴュウを読んだが、これがいちばんだ。そりゃあそうだろうなあ、私が書いているのだから私にはいちばん訴えるものがあるはずだ。意見も同じだろうし。

 末尾に円丈の熱い三遊亭一門への想いを長文引用している。これは記憶にある。このころあたらしいスキャナーを買い、同時に読み取りソフトも買ったのだ。たしか附属の無料のものは能力が低く別物の有料ソフトを購入した。ソフトオタクだった頃だ。それでもって本からの読み取りをやった。新製品のそれを使ってみたかったこととうまくタイミングがあった。もっとも今はどうか知らないが、当時のそれは精度が低く、読み取ったものはかなりいいかげんで手直しが面倒だった。やがてそのスキャナーは、スキャナー機能のある新プリンターを買ったので、東京にもどる際にH子さんにあげた。でもH子さんはスキャナーは使いこなせず宝の持ち腐れになっている。と芋づる式にあれこれ思い出してきた。



 というわけで、今日はいまからその辺のもう7.8年触れていない文章を読みかえしてみるつもり。あくまでも目的は誤字脱字、及び誤認識のチェック修正なのだが、また忘れている文章にもぶつかるだろう。先日の経験同様、新鮮でドキドキワクワクのはずである。しかしそれはうれしいことなのかどうか。読者と割り切れば、感性が同じ人の未読の文章を読めるようなものだからうれしくて楽しいけど、ひととして、すこしそれは問題ありのような……。すこし早すぎる。

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 もうひとつ赤面の記録

 2002年の音楽ファイルを読んでいたら友人のSのことが出て来た。ミッシェル・ポルナレフの項目だ。
 名古屋でカフェバーを経営していたSは、店内にBGMとして流していた音楽からポルナレフを知り、好きになる。今時の高校生がジャイアント馬場の若い頃の試合フィルムを見てすきになるような時代感覚だ。よくあること。三十過ぎてからJazzに目覚めた私が自分が赤ん坊の頃の音楽、いや生まれる前の音楽に夢中になったのも同じである。
 そこで私は時代に関係なく自分の感性だけでポルナレフを好きになったSを讃え、自分が数年前フランスで体験したポルナレフに関することを書いている。ここまではいい話だったのだが……。



 つい一ヶ月ほど前、Sがいま住んでいる神戸の近所でロックカフェを見つけて入った。前々からちょっと気になっていた店だったという。彼はそこでポルナレフをリクエストする。ブログに書かれたその話がとてもよかったので、私はそれをテーマにして自分のブログ【木屑鈔】に何度かに分けてそのことを書いた。

 この時点で私は2002年当時の前記自分のホームページにSとポルナレフのことを書いたことを完全に忘れていたのである。われながらおそろしい。うんざりする。あまつさえ、というか忘れているから当然なのだが、私はSに、そのホームページに書いてあること、「数年前フランスに行ったら」というエピソードをメールに書いて送ったのだ。赤面する。Sはまだ三十代。記憶力バリバリの時期である。まして自分に関する話だ。以前に読んだこと、書いてあったことを真っ先に思い出したことだろう。それをまた新しいニュースのように送ってきた私を、このひとだいじょうぶかと心配したことだろう。ここまでボケるのかとかなしくなった。



 しかしまあ居直れば、ひとの記憶というのはポイントポイントを記録してゆくものだ。要以外の前後は整理される。
 私にとってSの経歴は、彼が名古屋の大学を出て居酒屋の店長をしているときから始まる。雑誌を通じてメールを貰い、しりあった。Sが東京の競馬場に遊びに来り、私が名古屋のSの店におじゃましたりした。やがてSはその大きなチェーン店から獨立し、友人と自分たちの店を持つ。一頓挫あって方針転換。整体師になるべく学校に通い始める。この時期はアルバイト生活。そして今の開業につながる。彼の仕事上の苦労等はともかく、その間のSとの交友はよく覚えているつもりだった。だがポルナレフの項目に書いてあった、彼がポルナレフの音楽を知り惚れ込むことになる「当時のSのホームページ」が今の私には浮かんでこないのだ。完全な缺落である。

「ポイントポイントの記録」であるから、名古屋まで行き、歓待してもらった居酒屋店長時代と、写真入りで紹介されている現在の整骨院院長時代の記憶が強烈であり、彼の経歴として「見知らぬカフェバー経営時代」が落ちてしまうのはしかたない、と自分をなぐさめる。そう、まことに申し訳ないけど、記憶ってこんなものなのだ。

 だがだからこそ「細部」だけは覚えていなければならない。Sが現在の住まいの近くである神戸のロックカフェに入り、ポルナレフをリクエストしたと書いたなら、すぐに「そういえば以前Sは」と彼がポルナレフを好きになった時代に飛ばねばならない。大きなことは忘れてもどうでもいい細部を詳細に覚えているのが私の記憶力のはずだった。なのに私はすっかり忘れていて、そのときに書いた思い出話をまたSに書き送ったりしていた。これはひどい。ひどすぎる。



 もうひとつ言い訳を書く。自分のぼけを言い繕うごまかしのようだが、意外にこれはポイントのように思う。
 忘れていたチェンマイの出来事、今回のSに関すること、記憶から落ちていたそれらは、ともに「日記からの抜き書き」なのである。「今日の日記。今日はこんなことがありました。飯を食いました。酒を飲みました。ああそういえば、こんなこともありました」とタイトルもなく綴り、限られた友人にのみ公開していた日々の日記が、当時の私のホームページだった。そこから音楽や政治や挌闘技やらを、項目別に分けて整理し、一般公開したのが今の形になる。記憶から缺落している当時の文章は、そういう日記そのままのものがおおい。

 だから、けっこう自信を持って言い切れるのだが、もしも「ポルナレフ考」のように私なりの音楽論して書いたり、あるいは「Sとミッシェル・ポルナレフ」のように、友人と音楽の出会いを綴ったようなタイトルをつけた項目として書いていたなら、こんな形の記憶の缺落はなかった。これはその他の「覚えていること、忘れていること」からもまちがいない。

 ともあれ、「すっかり忘れていたことを読めてうれしい」と、「忘れていたことの恥辱」は、これからも同時進行である。複雑だ。

9/10   あらためて太陽誘電に感激!


  すこしばかりの金を惜しみ安物のDVDメディアを使うことでさんざん失敗してきた。そのことはもう詳細に書いたつもりだったので参考ファイルとしてここにリンクしようと思ったら見つからない。これじゃ何の意味もない。そういうためのホームページなのだが。なにをやってんだか。「電脳話」にないから、もしかしてと「小物話」も探したがそこにもない。

 簡単にまとめると、DVDが出始めた時期、HDDにたまった映像や音楽ファイルをせっせとDVDに落として保存した。まだHDD容量がちいさくすぐに一杯になってしまう頃だ。30GBのHDDが一杯になってしまう時代、1枚で4GBを保存してくれるDVDはありがたかった。それまではCDで700MBだ。一気に6倍になった。だがまだメディアが高かった。

 ひとはつまらんところでケチって失敗する。この時の私のそれは典型だった。ぜんぶにケチなら筋は通っている。いわゆる安物好きだ。そうではない。パソコン大好きの私はハードに金を掛ける。CPUからメモリ、HDD、DVDプレイヤまで最新の機器を使う。古くなるとすぐに買い替える。ノートパソコンも各社使ってきたが、必ずそのブランドのフラッグシップモデルを買ってきた。なのに消耗品でケチになった。こういうのがいちばんセコくてバカでみっともない。

 そのころDVD50枚が1万円ぐらいした。1枚200円の時代だ。でも秋葉原に行けば半額のがあった。私はメーカー名も不明なものを4800円ぐらいで買ってくる。1枚100円以下である。そういう自分を賢い消費者だと思っていた。
 それらのDVDメディアではたびたび「焼きミス」が起きた。諦めていた。そういうものだと割り切っていた。50枚の内20枚ぐらいしか使えないこともあった。かなりうんざりする出来事だった。だが私はそれでも自分を賢いと思っていた。高いDVDを買ってもそれは起きる。安いDVDで損失を最小限に抑えている自分は賢いのだと、せっせと秋葉原ですこしでも安いDVDを探しては買っていた。いわゆる「選んでカスを掴む」である。本人はそれに気づかない。これが第一期。


 
 やがてDVDが普及し値段が下がってくる。日本製でも50枚4800円で買えるようになった。半額になったのである。しかしそうなればノーブランドはさらに下がる。こちらは50枚2000円ぐらいにまでなった。エラーに悩みつつもまだ私はその安物を使っていた。これが第二期。

 その頃から「日本製」というアピールが目につくようになった。光系はハードもソフトも構造はシンプルだ。DVDメディアの作り方は難しくない。それはあの雑な国の中共で田舎にまで普及しているのでも解る。ビデオデッキが輸出規制の対象になるほど複雑でハイテクな製品であるのと対象的だ。
 だから私はどこの国で作るものも同じと思っていた。それとノーブランド製品の大半は台湾製だった。私はすぐれたパソコンメイカーが多数ある友好国の台湾を信じていた。失礼ながらフィリピン産だったら信じていない。

 ネットで調べると、日本製を使うと焼きミスはほとんどないらしい。ほんまかいな。そしてそのトップにいるのは「太陽誘電」という聞いたことのない会社なのだった。なんだかマニアのアイテムのように「太陽誘電」という囁きが染み込んできて、いつしか私は憧れをいだくようになっていた。
 こういうことは当時もう長々と書いたはずなのだけど、そのファイルはどこにいっちまったんだろう。



 ある日私は富士フイルムのDVDを見かけた。富士フイルムとDVDの組合せは意外に感じる人もいるかも知れないが、富士フイルムはデジカメの先駆者なのである。今の主力ブランドはFine Pixだが、私はその前の商品であるClip Itを使っていた。1998年ごろだ。よって富士フイルムブランドと記録メディアのDVDの組合せは決して不自然ではない。
 富士フイルムのDVDのラベルには「日本製」とあり、太陽誘電製品であることが謳われていた。OEMだ。そして本家の太陽誘電ブランドより安かった。それでもまだ50枚4980円の時代だったが。

 私は世評の高い太陽誘電というのをとにかく一度使ってみたくて購入した。ノーブランドなら100枚以上買える値段なのだからケチにとっては冒険である。

 この世に50枚が50枚、1枚もエラーが出ないDVDがあるのだと知って感激した。本物のDVDとはこういう品なのだと知った。日本万歳。日本製品万歳。太陽誘電信者がまたひとり誕生した瞬間である。これが私のDVD使用第三期。





 そのまま太陽誘電信者としていれば問題はなかった。今回のトラブルも起きなかった。ひとは安心すると浮気する。私にはそういう傾向が強い。デザインのちがういろんなものを使った見たいという欲求が強いのだ。
「日本製の太陽誘電は安心」を「日本製メーカーは安心」と都合良く解釈した。事実、台湾製でも日本のブランドの商品は管理からして違うという。それが日本人の美意識だ。
 マクセルや三菱のDVDを買ってみた。台湾製とあるが日本の会社が日本のブランドで出している。大丈夫だろう。信じてみる。そして事実、1枚もエラーは出なかった。すばらしい。安心した。ノーブランドを使っていた己の愚を恥じた。まさに安物買いの銭失いだった。

 だがここで正直に書いておかねばならない。私が浮気性でいろんな会社の様々なデザインのものを使ってみたい性格なのは事実だが、その台湾製のマクセルや三菱が日本製の太陽誘電よりもほんのすこし安かったのも事実なのである。それは日本人が日本で作った日本製ではなく、日本人が管理して台湾で作った台湾製なのだから、その分安かったのだろう。ここにきてまたもすこしでも安い物を買おうとするケチ根性が出て来た。機器に金を使い最高級品を使っても消耗品に粗悪な品を使って失敗しては元も子もない。この辺の自分の貧乏性にはうんざりする。でもエラーは出なかった。めでたしめでたしの第四期。



 そして今回の話。
 雲南にいる妻子に日本のテレビ番組やらなんやら送ってやるので相変わらずDVDは多用している。使うのは太陽誘電のDVD-R。
 私自身の文章や写真の保存には、パナソニックのDVD-RAMと、ここのところ三菱のDVD-RWを使用している。みなノーエラーで安定していた。

 太陽誘電の50枚が切れたので、妻子に送るDVD用にケーズデンキでマクセルの50枚パックを買ってきた。マクセルも今までエラーなし。信頼している。
 なのにこのマクセルはエラーが連発した。ただし、このことがあったから問題解決まで時間が掛かってしまったのだが、HDDレコーダからテレビ番組を焼くことではノーエラーなのである。ところがパソコンのISOファイルを焼こうとするといきなりエラー連発なのだ。



 DVD-Rであるからエラーが出た瞬間それはゴミになる。フォーマットしてあらたに使用することは出来ない。そのマクセルはケーズデンキの特売品で50枚2000円の台湾製。1枚40円の品であるが、安いとはいえ立て続けにエラーになり3枚、5枚と連続して廃棄すると落ちこんでくる。なんとももったいない。

 今まで一度もエラーにならなかったマクセルを信用している。信用しているから最初の1枚は気にせず、たまにはこんなこともあるのだろうと思う。なにしろかつてのノーブランドでエラーには慣れている。だが2枚続くとエッ!と思うし、3枚続くと止める。冷静になれ冷静になれと自分に言いきかせ作業を中止する。HDDレコーダのテレビ番組を焼く。問題なし。やはり、たまたま、粗悪品が混じっていたのかと思う。翌日、今度こそと思ってPCから焼く。またエラーになる。こうなると落ちこむ。なんなんだこれはいったい! と腹立って焼く気が失せる。



 こうなると誰だって「パソコンのISOファイルに問題があるのでは」と考えるだろう。それが自然だ。特に終盤まで焼けて、そのあとにエラーが出るならまだしも、焼き始めていきなりエラーになってしまうのだ。ISOファイルに獨自のプロテクトが掛かっていて、それで阻まれるのだろうと解釈した。

 ところが三菱のDVD-RWでやると問題なく焼ける。だから悩んだ。緊急に息子に送ってやりたいファイルがあったので数枚はそれで焼いて送った。でもDVD-RWは高い。自分の文章や写真の保存用に使っている高級品だ。今後もこれを雲南に大量に送るメディアとしては使えない。これはケチとは違って純粋にもったいない話だ。だって千回も書きこみ消去が出来るメディアを1回限りに使うのだから。それにあちらでは雑に扱われてボロボロになることも見えている。なんとかならんかと悩んだ。

 そうこうするうちにマクセルの50枚はなくなった。エラーが出て捨てたのは15枚ぐらい。でもそれは10枚を超えたあたりでもうパソコンからのファイルを焼くのは諦めてテレビ番組だけに使ったからそうなのであって、意地でもパソコンファイルを焼こうとしたらもっと出ただろう。ピカピカの美麗なDVDが、録画できれば宝物になるのに、焼きミスが出ると一瞬でゴミになるシーンにはもう耐えられなかった。



 この時点で私の気持ちは「パソコンファイルに問題あり」に傾いていた。というのは大きな声では言えないが、それはレンタルヴィデオのアニメ映画だったからである。それをHDDに取りこんでいた。息子に送ってやりたいと、そこから複製を試みたのだが、たぶんあらたなプロテクトが掛かりコピーできないようになったのだろう。でもそれならHDDに取り組むことも出来ないはずなのだが……。
 違法をしている後ろめたさがあるからそれはしかたない。諦める。

 でも不思議なのはDVD-RWである。なぜあれで焼けるのだろう。そんな新種のプロテクトが掛かりコピーできないならDVD-RWでも焼けるはずはない。それに私はこの種のことに関しては人並み以上に智識がある。これらのファイルに自分の想像できない新たなタイプのプロテクトが掛かっているとも思えないのだ。どうにも不可解だった。となるとやはりマクセルの品質に問題があるのか? でもマクセルだって長年使って今まで一度もエラーはないのだ。



 ケーズデンキに行くと、なんと太陽誘電の50枚が1800円で売っていた。ここまで下がる時代になったのか。ありがたいありがたい。抱き締めるようにして買ってきた。

 そして、なんてことはない、ノーエラーでみな焼けたのだ。台湾製ではあるがマクセルブランドということで信用していたあのDVDメディアが粗悪品だったということ。それだけである。

 私の中でまた「太陽誘電信仰」が深まった。より安い物を探してあちこち浮気していたくせになにが信仰だと言われると赤面して俯くが。

 すばらしいなあ太陽誘電製品は。売り物のコピーはずばり「THE・日本製」。いいなあ。日本人の誇りである。もう二度と浮気はしません。私はもう太陽誘電以外のDVDは買いません。誓います。

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 価格comで調べたら太陽誘電の最廉価50枚1200円というのがあった。いやはやすごいことだ。優れた製品だからいっぱい売れて安くすることが出来たのだろう。よかったよかった。でも実際には送料が500円、代引手数料が420円で2000円を超してしまうのだけれど。
11/1

 ワープロ待望論!?

 作家の山野浩一さんのサイトにワープロ復活を望む文章があった。

http://yamanoweb.exblog.jp/m2010-10-01/

 詳しい内容はそちらを読んでもらうとして、「パソコンのワープロ(Officeと何度か出て来るので「MS WORD」なのだろう)は多機能すぎてかえって不便だ。なんといってもワープロである。ワープロ専用機が再発売されれば売れるだろうに」というものだ。

 これは正鵠を射た意見であり、パソコンを知らない故のズレた意見でもある。



 まず正鵠を射た部分として。

 元々ワードプロセッサはパソコンの文章書きという一部分のみを特化して出来た機械だった。ワープロが売れたのは、当時のパソコンが文章書きマシンとして使いにくかったからであるが、最大の要因は安かったからだろう。
 30万円のパソコンを買う。それだけでは真っ暗だ。3万円のOS(MS-Dos フロッピー)を買ってやっと起動する。それでもなにも出来ない。ワープロとして使うには5万円のワープロソフトを買わねばならない。しかも当初それはコマンド起動だった。高価で面倒で難しい。それに対し、ワープロは20万円程度でワンパックになっていた。電源を入れればすぐに文章が書けた。だから売れた。1980年代後半の話。

 私は当時、パソコンもワープロも持っていたが、パソコンは音楽制作専用として、文章はワープロで書いていた。文章書きマシンに特化している分、使いやすかったからだ。その後、ワープロでは文章量に限界がありパソコンで書くようになる。このときにテキストエディターを知る。そのころ大人気だったのは『VZエディター』。私も愛用していたがよりお気に入りだったのは『章子の書斎』だった。

 パソコンに移ってうれしかったことのひとつに「カラー化」がある。ワープロはモノクロだった。パソコンだと章の頭につける§などを好きな色に出来た。その程度のことなのだが、なんだかとてもうれしかったことを今も覚えている(笑)。14インチのアナログディスプレイの時代だ。



 やがて10万円台のパソコンにOfficeや『一太郎』がついてくる時代になり、ワープロ専用機は商品価値を失ない、近年生産中止に追いこまれた。

 世の中には多機能すぎるパソコンを使いこなせず、文章を書くだけなのだから長年使い慣れたワープロでいいのだ、このままワープロを使い続けたい、と望む人たちがいる。
 過日偶然見たテレビのドキュメンタリでは、そういうひとたちのための「ワープロ修理屋」が取りあげられていた。
「ワープロがいちばんだ。パソコンは嫌いだ。これからもワープロを使いたい」というひとたちはいる。その点で山野さんの意見は正しい。

 でも「再発売したら売れるのではないか」はない。採算が取れるだけ売れないと判断したから生産中止、発売中止になったのである。そしてまたワープロは、各社によって仕様がちがっている。私はシャープの「書院」を愛用していたが、長年それだけだったので他社のワープロは苦手だ。使えないと言ってもいい。機種毎の支持者を考えたらとても再発売など考えられたものではない。
 各社のワープロがまた再発売されて、意外な人気に、なんてことにはならない。



 ズレている部分として。

 もう答を書いてしまったのだけれど、山野さんはパソコンに疎く、テキストエディターソフトの存在も充実も知らないようだ。山野さんの悩みは、気に入ったテキストエディターを入手して、すこし勉強が必要だが、がんばってカスタマイズすればすべて解決する。
 今の山野さんの悩みは、ワープロソフト・ワードの多機能すぎる面にある。
 文章から拾うと、

①急に動きが鈍くなって原稿が書けなくなったり
②ちょっとしたミスタッチがもとでもとの状態にもどすのに時間がかかったり
③1日分の仕事をもう一度書き直したりさまざまなトラブル


 とある。
 ①は、所有しているのが非力なパソコンであり、Officeが重いのだろう。自動でウイルスソフトがチェックを始めたりすると覿面に重くなる。これはテキストエディターなら問題ない。ソフトそのものが軽いからバックグラウンドでそんな作業が始まっても重くはならない。

 こういうタイプに多いのは、パソコンと自動車を同じに考えているひとだ。10年ぐらい前に50万円ぐらいで買った当時の最高機種を、今でも最高機種だと思って使っている。今では5万円の最新機種よりもはるかに劣っているのだがそれを知らない。デフラグもしていないしHDDも当時のまま、メモリも増やしていない、というようなタイプ。典型的な機械音痴である。

 でもほんと自動車はいいよねえ。大事にメンテナンスしてやれば10年経っても快調だ。その点パソコンは日進月歩で変化して行く。私の田舎の物置にはパソコンがデスクトップ、ノート合わせて10台ぐらい廃棄してあるが、壊れてそうしたものは一台もない。能力が低くなったので無用になったものばかりだ。



 ②と③は打鍵ミスで起こることだ。これはテキストエディターを使うようになってからも、私も何度かやっているのでよくわかる。
 ブラインドタッチを覚えた頃、考えることと同時に打鍵できることが嬉しくて、どんなもんだとばかりに打ちまくっていた。すると打鍵ミスでいろんなことが起きる。書いていた文章が一瞬で消えてしまったなんて事もあった。山野さんの書かれている③である。あのときは途方に暮れた。もう20年以上前のことだからまだUNDOすら理解していなかった。この打鍵ミスはメチャクチャ速く打ちまくっているとき、おそらく全部選択とDeleteを押してしまったのだろう。

 これらが起きる原因はテキストエディターに設定されている多種多様なキー定義にある。CTRLやShiftと連動した機能だ。私はそれを多用するから打鍵ミスでしばしばそれが起きた。
 誰もが知っている例で言うと、CTRL+Oのファイルオープン、CTRL+Nのニューファイルのオープン、CTRL+Gの検索等の設定。これらは今も多くのひとが使っているだろう。でも私の場合、のりにのって打っていると、打鍵ミスでそれをやってしまい、いきなりニューファイルがオープンしたり検索窓が出現したりしてじゃまだった。そのたびに思考が停まる。

 テキストエディターソフトはそういう「キー定義」もいじれる。私はそれらをぜんぶ削除した。残したのはCTRL+SのセーブとCTRL+Aの全部選択、CTRL+Mのリターンキイぐらいだ。
 それらのショートカットキイを削除したら、打鍵ミスがあってもよけいなことは始まらなくなった。高機能便利機能を削除して、あえて低機能にしたのである。そのことによって環境はぐんと快適になった。

 もう10年以上「Word」も「一太郎」も使っていないのでよく覚えていないが、こういうキーカスタマイズに関して、これら市販ワープロソフトよりも、テキストエディターの方が自由度は高いのはまちがいない。

 長年愛用している「ホームページ・ビルダー」はそれが出来ない。いまだにBackSpaceのつもりでCTRL+Hを押してしまい、望んでいないのに検索窓が開くということを毎度やっている。私はCTRL+GによるDelete、CTRL+HによるBackSpaceを多用するのでこれが出来ないソフトはきつい。



④メモ帳にワープロ程度の機能を持たせて、ワードとのやりとりができるならワープロに近いものとなるが

 それがテキストエディターソフトであり、山野さんの悩みはすでにすべて解決されているのである。

⑤やはりキーボードの違いとか、画面の違いとか、保存なしにいきなり原稿の続きが書けるというような点ではワープロに勝るものはない。

 そんなことはない。パソコンはそれらをすべて解決している。ただし「キイボードのちがい」はどうしようもない。でも親指シフトキイボードだって売ってるけどね。

⑥これは多くの人が感じていることではないだろうか。実際に中古ワープロが売れるそうだし、ワープロ修理も繁盛しているという

 それはパソコンをうまく使いこなせないひと(多くは年輩者や女)が、使いこなせるワープロに逃げているだけだ。「多くの人」の「多く」とはどれぐらいを言うのかは難しいが、私はそれほど「多く」はないと思う。すくなくとも私の周囲にはいない。だからといって「使いこなせるよう努力しなさい」なんて言えるはずもなく、彼らもまたするはずもなく、これからもこの現象は続くだろう。それはそれでいい。

 ただこういうふうに、パソコンを知らないひとが、そのことを棚に上げて、パソコンに缺陥があり、ワープロはそれを補った優れ物なのだというような論を張られるとつい反論してみたくなる(笑)。



 鐸木能光(たくきよしみつ)さんの「鉛筆代わりのパソコン術」が出たのはいつだったろう。調べてみる。1997年のようだ。

 私は、MS-Dos時代は『VZエディター』と『章子の書斎』、Windows3.1からは、『VZエディター』のWindows版である『WZエディター』(発売元は同じだが作者は『VZエディター』とは無関係)を使っていたが、たくきさんのこの本を読んでから『QXエディター』の愛用者となる。

 その後この本は「ワードを捨ててエディタを使おう」と、よりわかりやすい挑戦的なタイトル(笑)に替えられて現在も発売されている。CDブックであり『QXエディター』がついているので便利だ。

 この本の冒頭からの引用。

パソコンを「高級ワープロ」のつもりで購入した人というのは少なくない。最近のワープロは高機能化してパソコン並に多彩な芸当をこなすようになったが、扱えるデータ量の多さや処理速度においては、パソコンに水をあけられる一方だ。大容量の文書を一括して扱え、レーザープリンターで高速印刷ができるという点だけでも、パソコンはワープロ専用機を圧倒している。だから、日常的に大量の文書を執筆し、管理していかなければならない「文章のプロ」や文系人間ほど、パソコンを「執筆用具」として必要としている。
 ところが、そうした思惑で買ったパソコンなのに、使ってみると操作性は悪く、肝心の処理速度も、場合によってはワープロより緩慢でいらいらさせられることに愕然とする。そもそも、ワープロでは簡単にできていた縦書き執筆環境さえ、パソコンではなかなか実現できない。「縦書き対応」と謳っているワープロソフトも、使ってみると画面は見づらく、視点移動は不自然で、とてもサクサク執筆できる環境ではない。ワープロよりはるかに高性能なCPUを搭載しているはずなのに、入力が重たく、引っかかる感じがしてリズムに乗れない――。
 なぜこんなことになるのか?


http://takuki.com/enpitupc.html

 と、パソコンを使いこなせず「ワープロの方がよかった」と嘆いている人たちに、懇切丁寧に教えてくれている。



 山野さんとはもう七八年、会ってないし、話してないけど、この文章を読んだとき私は、ぜひとも私の愛用している<QXエディター>や<VerticalEditor>のことをお教えしたいと思った。それどころか山野宅におじゃましてそれらを山野さんのパソコンにインストールし、ついでによけいなキー定義を削除した理想のワープロソフトをお目にかけたいとまで思った。

 というところでたくきさんの本を思い出し、これをお送りすればいいかと気づいた。でもそれをしてもダメだろうな。失礼ながら、柔軟な発想を持っていれば自力でここにたどりつく。それが出来ずワープロ再発売を願っている時点でもう話は通じないのだ。



 もうひとつ山野さんにお伝えしたいと思ったのは「ポメラ」だ。
 山野さんは私の意見など聞いてくれないだろうから、いくらテキストエディターの効用を説いても取りいれてくれるとは思わない。私は山野さんと会話していて、いや山野さんと「会話」というものはしたことがないな、いつも一方的な山野さんの御高説をうかがうだけだ。山野さんは相手に豪速球を投げこむだけで、こちらからのボールはキャッチしない(笑)。ぜんぶ知らんふり。というか見えないのか。だから山野さんと競馬について話すということは、山野さんの意見を聞くこと、でしかない。
 そういうおかただから、テキストエディターを勧めることは無理だろう。でもこの簡易ワープロであり携帯性まである「ポメラ」ならすなおに受けいれてくれるように思う。





 私は電車に乗って郊外に出かけるのが好きだ。景色を見ているのが楽しい。電車からは降りない。ただ電車に乗って景色を見てくるだけだ。乗客のすくない時間の電車に乗り、ぼんやりと窓外を見ているだけで満足なのだが、時には気に入った田舎駅の人気のないホームに降りて、しばしベンチにすわっていたりする。そんなとき文章を書きたくなる。ノートに手書きしているが、それだとメモ程度なので、速さの面からもパソコンが欲しいなと思う。いま私の愛用しているラップトップはA-4のフル装備だ。これは携帯には向かないし、なによりバッテリーが持たない。以前愛用していたソニーVaioのRタイプのようなちいさいのが欲しくなる。ネットブックに興味はないのだが、最近では7時間ぐらい保つのも出ているようだから、それを買おうかと思ったりする。



 これからはもう断然「ポメラ」である。単4乾電池2本で20時間動き、起動は2秒。(かなり旧いものらしいけれど)ATOKが入っている。さらにこれは私にとってものすごく大きなポイントなのだが、「左CTRLとCapsLockの位置を交換できる」らしい。これがないと早打ちが出来ない。近日中に購入予定だ。買ったら真っ先に使用感をアップしよう。それを書くのはどこかの田舎駅のホーム(待合室)と決めている。

 これを使えば今の山野さんの悩みはすべて解決するはずだ。でも今度は画面が小さいとか言うのかな(笑)。



 ところで、ワープロにこだわるひとはパソコンが使いこなせていないと書いた。
 これは多機能なパソコンを使いこなせていないという意味だけれど、それだと単に多機能を礼讃しているかのようなので補足したい。

 パソコンの多機能には「多機能を低機能にする機能も含まれている」のである。だから多機能なのだ。この機能は大きい。
「Word」や「一太郎」のような何でも出来るワープロソフトもパソコンの一面だが、テキストエディターのような、それらから装飾機能や図表機能等を省いた極めてシンプルな文章入力専門のソフトがあり、さらにそれを自分用にカスタマイズ出来るという機能もまたパソコンだ。

 自動車のスピードで言うなら、ワープロ執着パソコン否定派の意見は、「自動車は時速100キロも出て速すぎる、わしらは時速30キロでええんじゃ」というものだろう。でも自動車は時速30キロでも走れるのだ。要は運転技術なのである。
 そして「100キロも出て危ない。最高スピード30キロがいいんじゃ」というなら、パソコンはそういう設定にすることも出来るのだ。

 でもやっぱりそれは多機能であり、使いこなすのは難しいか。



 と、好き勝手なことを書いてきたが、私は携帯電話に関して「電話を掛けられるだけでいい。他の機能はいらん」と思っている時代遅れなので、この「ワープロ愛着派」の気持ちはよくわかる。そのうち私もあの大きなボタンの電話機能だけの機種を使うようになるのだろう(機械大好きだからならないだろうけど)。

 ただ、27年前からワープロとパソコンを愛用し、1992年まではワープロも所持していた(外国に持って行くのに当時「ノートワープロ」はあったが、まだ使えるだけのノートパソコンはなかった)身として、「パソコンワープロを使いこなしたら(使いこなせるようになったら)、ワープロ専用機では物足りなくなる」とは言える。

 その最大の理由は辞書だ。ワープロはRomだからこちらの思うように変化してくれない。単語順等は初期配置のままである。使っている間は使用頻度に応じて並べかえられるが電源を切ったらまた元にもどってしまう。ユーザー辞書登録で使用単語を増やすことは出来るが、Romに記憶されている辞書からいらない単語を消すことは出来ない。これは不快なコトバや不要なコトバを削除する快感を知った身には耐えられないことだ。

 でも使い慣れたワープロ愛着派には、そんなことはたいした障害にはならないのか。というか未だにワープロ讃歌を唱えるようなひとは、RomとRamの違いすら知らないのだろうが。



 椎名誠さんが、数年前まで旅先にも8キロもある愛用のワープロ(たぶんオアシス)を持っていった話を書いていた。周囲からはそんな大荷物を持ってくることで笑われたそうだ。でも椎名さんにとっては愛機であり、そいつでなければならないのだ。この間、ノートパソコンにも手を出してみたが、愛機とは文章入力の速さが全然違うので、またこれにしたのだとか。いい話だと思う。やがてそのワープロは生産中止となり、今はふつうにノートパソコンになったらしい。なにを使っているのだろう。

 椎名さんの手書きの原稿がうつくしく整っていて驚いた。あんなにきれいに書けるなら機械なんていらないだろう。藝風からもっと豪快かつ乱雑で担当編集者でなければ読めないようなものかと思っていた。



 ワープロにこだわるひとの気持ちはわかるが、それはパソコンを使いこなせていないからだという意見を引っこめるつもりはない。
 でもそのうち私にも、最新の機械について行けなくなり、同じようなことが起きるのかもしれない。願うのは、そのときの自分の意見が、それら周囲の状況を正当に理解してのものでありたいということだ。

「パソコンは難しすぎる。わしには昔風のワープロでええんじゃ」は良い。
 でも、「これこれこのような理由でパソコンには缺陥が多い。よってより優れたワープロにこだわるのである」のようなトンデモ意見はかっこわるい。
   


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