電脳
2010
11/18  久々秋葉原散策

 ひさしぶりに秋葉原に行った。わくわくする。



 品川時代は東急と山手線で30分ほど。頻繁に通った。
 親の面倒を見ていた茨城時代は、気軽に行けない代わりに、クルマで1時間ほどかかる土浦や水戸の家電量販店に出かけた。気分転換のドライブにちょうどよかった。そのころはPCパーツ店が流行っていて、田舎にも「PCディポット」のようなPC小物の充実した店があった。今ごろはたぶん全滅だろう。
 秋葉原の魅力は別物だ。G1シーズンに競馬で上京するときは早朝に家を出て寄った。秋葉原に10時前に着くように出発し、1時間ほどぶらつき、競馬場には昼に着くようにした。帰りは飲み会があるので寄れないのだが、それを遠慮して出かけたことも多い。秋葉原が好きだった。ぶらついているだけで楽しかった。

 5年前から東京都下の暮らしになった。これで一気に縁遠くなった。茨城の田舎暮らしより同じ都内に住んで行かなくなったというのも変な話だが、ほんとにそうなってしまった。
 自転車で行ける距離に家電量販店があったので、そこに通ってストレス解消していた。それでも中身が違う。家電量販店のPCパーツ品揃えは貧弱だ。いや普通の人には充分すぎるほどだろうがマニアとはそういうものだ。ここのところ「家電芸人」が話題になっているが、私の好きなのはPCパーツであって家電ではない。やはり秋葉原だ。

 でも東京都下から往復1500円の電車賃を掛けて行くと安いことの価値が相殺されてしまう。一気に行かなくなったのはこれが原因になる。東京都下とは、潰れた楕円形のような東京都の西の外れであり秋葉原は東の外れだ。行くのには東京都を横に往復することになる。東京に近い茨城だった田舎の家からと電車賃も時間もたいしてちがわない。電車賃を考えるとちかくの家電量販店で買っても値段は同じなのだ。私はちかくのビックカメラのポイントカードなるものを作ってせっせと購入するようになった。しかし家電量販店のPCパーツ品揃えではマニアは満足しない。

 そのころインターネット通販を知った。価格comだ。
 秋葉原散策の楽しみは、馴染みの店や初めての店を覗いて、欲しいパーツの最安値を探すことにある。それの疑似体験がインターネットで出来てしまう。便利で楽だった。送料と代引手数料があるので日本一の最安値でもたいしたメリットはないのだが、交通費のことを考えるとそれでも安い。部屋まで届けてくれる。ここ数年、すっかり通販専門になってしまった。それによってますます出無精になった。

 PCパーツ買いが通販に偏ったのは私一人の感覚ではなく、全国の同類がみな同じ傾向にあるらしい。ここ数年で秋葉原のパーツ店がぞくぞくと閉店している。不況とは関係ない。あくまでも商売の形態としてである。そういう商売をするのなら、高い維持費のかかる店舗を構えず、地価の安い田舎の倉庫で商売した方が利が高い。そういう時代になった。実際、私が価格comで調べて最安値で買うPCパーツは、ここのところ静岡や青森の聞いたことのないちいさな店が多い。香川県や福岡のこともあった。それがまあどういう仕組みなのかは知らないが、青森の店が全国で一番安いのならそこから買う。中には店舗外観を載せているところもあり、それは想像通り田舎にぽつんとある倉庫のような店だった。これはこれでインターネットがもたらした革命であろう。青森の田舎の店が秋葉原よりも安い値段を掲示し、全国から注文が殺到するなんてインターネット以前には考えられないことだった。



 秋葉原は行くたびに変る。といって私が感じるのは、メイド喫茶の衣裳の娘が呼びこみをしていたり、ラーメンや牛丼、カツ丼、天丼系の食い物屋が増えていたりという表だったことではない。メイド喫茶やその他の性風俗の店はともかく、前々からうまい食い物屋があってもいいと思っていた。ほんとに何も食べられない街だった。あったのは「万世」ぐらい。

 餘談ながら、あちこちにいてメイド喫茶の呼びこみやらティッシュ配りをしている娘って、衣裳と声が可愛いからつい勘違いしがちだが、よく見ると、ブスが多い。そりゃそうそう美形はいないやね(笑)。1時間ぐらいしかいられないときはそんなものを見ている暇もなかったが、今回は一日中いるつもりなので、じっくり見てそれを確認した。



 資本の流れが変っている。そして栄枯盛衰。それが私にとっての秋葉原の「変化」だった。
 トップの写真の右上に「石丸電気」が見えている。かつては大型家電店の代表だった。「♪イシマル、イシマル、電気のことなら石丸電気、石丸電気は秋葉原」というCMソングのテレビコマーシャルも頻繁に流れていた。石丸電気のVISAクレジットカードもあった。私はそれを作り、買いまくった。80年代から90年代にかけて私の秋葉原本拠地である。テレビやステレオのような家電は当然として、90年に買った初めてのノートブックである東芝のダイナブック、初めての携帯電話であるJ-Phoneもここで買った。デスクトップミュージック製品、Rolandの「ミュージ郎」とかYAMAHAの「Hello Music」を買ったりしたのもここだ。
 その後経営不振から2009年にエイデンに吸収合併された。店舗数も減り、かつての面影はない。
 本店に行ってみた。中国からの客を接待するためなのだろう、男女ともやたら中国人店員が多かった。

 私は中国に何度も行っているからか、口を利かなくても彼らが漢民族であることがわかる。もちろんそれだけで書いたら私的ホームページとはいえあまりにいいかげん。きちんと彼らの会話を聞いたり、胸元のネームプレートを確認しての話。行くたびに増えている。



 90年代に通いつめたLAOXコンピュータ館は閉鎖しシャッターが降りている。
 秋葉原の老舗谷口商店が朝日無線電機株式会社を設立し、1976年にラオックスになる。私の知っているのはこのラオックスから。全国に大型店舗を展開した。2000年前後はLAOXの時代だった。
 コンピュータ館は一階がパソコン関連の本売場。ずいぶんとここで買った。そこからエスカレーターで二階へ。ここはパソコン周辺のものがあった。今も使っているパソコン用の机や椅子はここで買った。三階はプリンターだったか。6階がデスクトップパソコン。ノートパソコンが最上階の7階だったか。楽しかった。一日中いても倦きなかった。今は昔。

 2009年に経営不振から中国資本の傘下となる。いまはほそぼそと免税店をやっているのだとか。行く気にもならない。

 家電を買った石丸電気、パソコンを買ったラオックス。通いつめた二店になる。




 自作パソコン派にとって、パーツ買いの聖地TSUKUMO-EX館。黒の外見で有名だ。これはまだあった。
 元々はここがT-ZONEの本店だった。

 石丸電機とツクモは業務提携してがんばった。
 やがて刀折れ矢尽きて、石丸はエイデン傘下に、ツクモは2008年に倒産し、ヤマダ電気に譲渡される。外見は以前と同じ、この黒のビルであり名前もTSUKUMOだが、これはヤマダ電気だ。

 店内に入ってみる。階数によって販売パーツが決まっている店内を、狭い階段で何度も往復したものだ。足腰の鍛練にもってこいである。秋葉原に行くとどれぐらい歩くのだろう。
 以前とまったく同じだが、購入するとヤマダ電気のポイントがどうのとあるのを見て、あらためてそれを感じた。

 親方のヤマダ電気が秋葉原に出店しているのは、かつてのサトームセン。これまた頻繁に覗いた店だったが、倒産し、2007年にヤマダ電気になった。
 外国から帰ってきた日で中山の皐月賞に間に合わず、サトームセンのテレビ売場で見た皐月賞が懐かしい。勝ち馬はテイエムオペラオー。小雨の日だった。2000年か。

 このTSUKUMOはこれからどうなるのだろう。パソコン好きのブランドとしてこのまま残すのか。やがてぜんぶヤマダ電気に変るのか。


 

 同じく、自作派で熱く賑わっていたT-ZONE各店は、2003年ごろから業務縮小し、いまあるのはこのPCパーツの店舗一店のみ。

 T-ZONEでもずいぶんと買った。HDDやCPU、CPUクーラーなど。自作初期のパーツ買いはここが主だった。IntelのCPUに、いわゆるゲタを履かせるという形でAMDのCPUを換装なんて事をやっていた時期だ。
 せつない気持ちで覗く。

 店員の応対が叮嚀で敏速で気分が良く、プリンタ変換ケーブル(旧いプリンタをUSB接続にする)を2980円で買った。価格comで最安値なら1500円ぐらいで買えるのを知っていたが、私がキャノンの旧い機種の名を挙げるとすぐに対応しているかどうかパソコンで調べてくれた店員の応対がうれしくて買うことにした。

 いま、このT-ZONE最後の店が11月29日に閉店したことを知る。あれは最後の買い物だった。そしてまたこの最後の買い物になったケーブルも、プリンタ自体がXPまでしか対応していず(キャノンがドライバを出していない)7を使っている私にはもう役立たないのだった。これまたせつない。無駄な買い物になってしまった。

 メーカーはプリンタの消費期間?を5年と定めているらしい。古い機械をいつまでも使われていては新型が売れず儲からないから当然の処置だ。今回私が使おうとしたのは10年前の機種だ。5年前に買ったのが壊れたので、なんの問題もなく動くから使ってみようと思った。でもメイカーがドライバを出していないから使えない。世の中そういうものだとわかっているが、なんとなく釈然としない。その壊れた5年前のプリンタも、かつては4000円ほどで売っていた部品をひとつ交換すれば治る。でももうその部品を製造していないということで治せないのだ。廃棄するしかないのである。やはり釈然としない。

 T-ZONEはドスパラに売却されたとか。来年からこの店はドスパラになって、今までと同じようなPCパーツの店をやるらしい。よかった。すくなくとも中国資本に乗っ取られて別路線に行くよりはずっといい。ドスパラが元気なのだと知ってうれしい。「Dos/Vマシンのパラダイス」から来た店名である。今時Dos/Vマシンを知らない人も多いだろう。生き残って欲しい。




 ソフマップは以前にも増して元気なようだった。各種各店舗賑わっている。その中の中古専門店でThinkPadやゲーム機の中古を見て歩く。
 PS3の新型機はPS2ソフトに対応しなくなったので、初期の対応している中古機が最新の製品より高いという珍現象が起きている。私も60GBの対応機が欲しいので探して歩く。やはり高い。

 でもここもかつてのソフマップではない。経営不振から今では中身はビックカメラなのだ。
 ビックカメラはいまもポイントカードなるものを持っている唯一繋がりのある家電量販店だが、ここのところすっかり買わなくなってしまった。だって通販最廉価と比べたら高い。思えばポイントがどうのこうのと言っていた時期は甘かった。まあ踊らされることもなく比較的冷静だったけれど。

 ソフマップというブランドは残すのだろうか。
 ヤマダ電気やビックカメラが勝者であり、これらの店店が敗れたことは認めるが、なんとか残して欲しいと願っている。看板だけあってもしょうがないのだが……。
 戦略的には、右も左もヤマダ電気とビックカメラになるよりは、これらの店名があった方が役立つから残すだろう、と思う。ブランドは統一すればいいというものでもない。

 TWOTOPも元気だった。いま使っている2台のディスプレイはここで買ったもの。同系列のパソコン工房、Faithも営業していた。Faithは一時欲しいパーツが一番安くずいぶんと通った。資本提携してがんばっているのはたのもしい。

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 歩きまわりすぎて運動不足の足が棒になってきた。
 多くの店を見てまわり、今回私が買おうとしている物は、価格comでみた「秋葉原もえでん」が一番安いとあらためて確認した。店頭でも通販と同じ値段で売っていると書いてあったのを思い出す。これってあるようでないのだ。安い店というのは店舗がないことが多い。倉庫だけなのだ。店舗や人件費を節約するから安くできる。

 もえでんの電話番号をメモしてこなかったことを悔いた。たしか駅近くのパーツ店小路にあるような店だった。行けるだろうと高をくくっていた。探してみる。見つからない。
 公衆電話の電話帳で調べてみたが見つからない。ただしそれは捜し方がヘタだからだ。前々から自覚しているが私はこの種の事に才能がない。方向音痴だから、きっと検索音痴なのだ。

 104で訊くか。いやだ。そんなことに100円を使いたくない。ここは秋葉原だ。私は秋葉原まで来ている。「もえでん」の地図はネットで見ている。土地鑑のあるところだった。探せば見つけられるはずなのだ。

 ネットには、左写真のような動画による店案内が出ていた。見つかるはずだ。意地でも見つけてやる。

 ということで探しだした。我ながらよくやったと誉めてやりたいところだが、これだけ通いつめてきた街なのだから出来て当然か。

 パーツ路地の中にある間口一間のちいさな店。店番の老人がひとり。商品は置いてない。注文を受けてから届く。怪しげなのがいい。その代わり日本一安い。

 商品名を言うと、ここに電話してくれと言われる。そこにケイタイから電話し、欲しい商品名を告げる。すると、そのとき昼の0時だったが、午後2時に来てくれるか、それまで待てるかと言われる。待つと応える。まるで麻薬の密売のよう(笑)。

 それから2時間、また秋葉原を歩きまわる。楽しい散策だった。
 順が前後するが、T-ZONEでプリンタケーブルを買ったりしたのはこの時間になる。



 以前から通っている「キイボード専門店」に行く。店名を失念したのが申し訳ない。ここにはあらゆるパソコン用キイボードが揃っている。ちいさな店の中、ぜんぶキイボードである。すばらしい!

 私はいまパソコン用キイボードを10数台もっている。それを気分によって使い分けているのだが、実質使うのは3,4台だ。たとえばタイで買った200バーツ(700円程度)のものなど使ったことがない。初めてこれを見たとき、何と安いのだろうと感激した。当時は日本ではみな1万円前後した。今ではこれも輸入され千円キイボードとして売っている。
 最初から左CtrlとCapsLockの位置が交換してあるキイボードも、よくぞ出してくれたとよろこんで買ったが、今ではソフトでキイチェンジが出来るので出番がなくなった。その点を除くと大したキイボードではなかったからだ。
 そんなふうに思いつきで買ったから数だけは多いが、ほんとに気に入って使っているものはすくない。

 ここのところあらためてその魅力を見直しているのがFujitsuのキイボードだ。これはFM-Vに附いてきたものだから10数年前の製品になる。時代遅れになった本体は廃棄して10年以上経つ。キイボードだけを残した。抜群に打ちやすい。キイタッチがいい。
 いまも気紛れでよく5000円程度の新型を買う。キイボードも安くなった。デザインが目新しいし多機能だからしばらくはそれを使う。気分によって変更する。先日長年使っていなかったこの古びたFujitsuを使って、そのタッチのよさに感激した。パソコンはデジタル機器だが、キイボードはその中で比較的アナログ的なものだ。だから本体が低機能となり廃棄した後もキイボードだけ生き残っていたりする。

 これは今も15000円で販売されている品のようだ。その価値はある。すぐれものだ。FM-Vは気に入らないデスクトップ機だった。すぐに自作の道に入った。だからこのFujitsuキイボードも使いべりしていない。こんな形で見直すことになるとは思わなかった。これを使うと近年買った5000円程度の安物など使えたものではない。格が違う。



 私がいちばん好きなのはIBMのキイボードだ。すべてのノートパソコン愛用者に自信を持って言える。「一度IBM ThinkPadのキイボードを使ってごらんなさい。そのタッチの良さに驚くはずです」と。
 デスクトップ用に、あの赤いポッチ、トラックポイントの附いている外附けキイボードを買おうと思っていた。以前から愛用していたのだがキイがひとつ壊れてしまった。たったひとつでも動かないのがあると使う気になれない。買いたい、買わねばと思いつつ、10数台ももっているのだからと踏みきれないでいた。前記の偶然使いはじめたFujitsuが最高だったこともある。価格comで通販最安値で6000円ほどで買えるのを確認していた。いままで使っていたIBMはTSUKUMO-EX館で買った。たしか8800円だった。いま出ているのはそれとは外観がちがうがIBMだから信用していた。

 さいわいなことにこのキイボード専門店でそれに触ることが出来た。
 信じがたいほど安っぽい製品だった。ヘナヘナペラペラだ。かつての製品とはまったくちがう。これはもうガッチリしたことが売りだったIBM製品ではない。売却された中国のLenovo製品だ。
 通販で買わなくてよかった。買っていたら激しく落胆し、使わなかったろう。好きなものだからこそ幻滅も大きい。かつて好きだったアイドルの醜い今を見たくないのと同じ心情だ。こんなことになってしまったのかとIBMの身売りを嘆いたろう。店頭で触ることにはこんな価値がある。買わなくてよかった。助かった。今回の秋葉原散策で最大の収穫かも知れない。

 この品。品質下落は写真でわからない。通販の怖さ。安っぽい最悪の品。

 IBMのノートパソコンThinkPadは、日本IBMが開発したものだ。ノートパソコン史に残る傑作である。2004年、IBMのその部門が中国の聯想集団(Lenovo)に身売りされた。その後もIBM ThinkPadとしてしばらく生産されていたが、2006年以降はLenovo ThinkPadになっている。
 ThinkPad愛用者は多い。中古品も多く流通している。その数は中古ノートパソコンとしては圧倒的だ。いかに名品であることか。

 彼らはみなIBM時代の製品にこだわる。Lenovo製品はもうThinkPadではないと言いきる人もいる。私も過日ThinkPadの中古を購入してその気持ちが分かった。もちろん私の買ったのもIBM製品である。IBM ThinkPadとLenovo ThinkPadは別物なのだ。なんともかなしいが現実である。



 プロの街だと感じた。
 どの店も店員は、こちらの質問に敏速に反応し、よどむことなく応えてくれる。それがなにより気分がいい。
 パーツ店で、ジャンク品のAVケーブルを買った。ジャンク品さがしも秋葉原の楽しみだ。これって××対応ですよねと問うと、たった280円の品なのに、すぐに調べてくれた。こちらが恐縮するほど迅速で叮嚀だ。その使命に燃えているように思える。そして「もしかしたらダメの可能性もあります」と申し訳なさそうに言う。彼の誠実な応対を見ただけで280円以上の価値がある。合わなくてもかまわない。ためらわず買う。
 
 身近な郵便局、コンビニ、スーパー等で不快な思いをすることが多い。こちらの質問に応えられないのだ。たいしたことは訊いてない。常識的な質問だ。「いつも買うこの品が切れているけど在庫はないのか。いつ入るのか」という程度のこと。なのに応えられない。腹立たないようにと言いきかせ我慢しているが、それでも納得できないのは、客の質問に応えられない自分に対する恥の感覚がないことだ。プロ意識の闕如である。それこそ「どうなっているんだ!?」と問うたら、「ほんと、どうなっているんでしょうねえ」と、こちらと一緒に悩む感覚なのだ。
 秋葉原にはそれがない。みなプロである自分に誇りを持って仕事をしていた。それはまたいいかげんな店員ではいられない世界でもあるのだろう。



 私はかつてホームグラウンドにしていた石丸電気で一度だけイヤな思いをした。
 8万円ほどのヤマハのデスクトップミュージック製品を買った。茨城時代である。帰宅して開封するとそれが初期缺損品だった。翌日、電話した。すると対応した男がとんでもなく失礼なバカだった。「ウチではそんな品は売っていない。ラオックスで買ったのではないか」と言ったのだ。あまりに堂々と言うのでこちらがそうだったかと不安に思うほどだった。そのころは石丸とラオックスで同時に買いまくっていたから。
 しかもそれはフロアにいる店員が偶然取った電話ではない。「お客さま相談コーナー」だか何だか、そういう受け答え専門の番号に掛けての話である。

 今でも不思議なのだが、なぜかそのときの私はこの応対に激昂しなかった。多分失礼すぎたからだ。あまりにひどいことを言われたので怒ることを忘れてしまった。「ウチではそんな品は売っていない。電話を掛け間違えているのではないか。買ったのはラオックスなのではないか」と、とんでもないことを言われつつも、「いえ、確かにそちらで買ったんですよ」と低姿勢だった。あちらも譲らない。彼の頭の中では石丸電気はDTM製品は扱っていないという認識だったようだ。

 手元にレシートや保証書がなかったので、あとでまた電話すると姓名と電話番号を告げて切った。そのあと確かめるとたしかに石丸電気である。あの店員はなんなのだと腹立ってきた。ほどなく別の店員が電話を掛けてきて、先程は××がたいへん申し訳ないことをしたと平謝りだった。これってクレーマーなら腹立って大騒ぎするほどの問題だろう。それこそそのバカ店員が菓子折を持って謝罪に来るような。
 私は鷹揚に応対したけれど、何となく白けてしまい、それからは一切石丸での買い物を止めた。石丸VISAカードも廃棄した。後に営業不振で吸収合併されたと知ったとき、あんな店員のいる店はそうなるだろうなあと思った。

 人が資本というが、どんな店でも、客がリピーターになるかどうかは店員次第だ。



 次ぎに行けるのはいつになるのだろう。
 好きな街があることはたのしい。

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 いまだ写メに慣れず

 ここにある写真はみなWikipediaから借用した。秋葉原が大好きでケイタイも携行しているのだから、写メとやらを撮って自分の写真にすればいいのだが、どうにもいまだにケイタイのそれに慣れていない。撮ってきて、USBコードで接続してパソコンに読み込むのが面倒だ。直接ケイタイから送るような契約はしていない。していたとしてもやりかたを知らない。私にとって携帯電話は電話をするだけの道具だ。メールすら使わない。
 だったらデジカメを持っていって撮ればいい。これに関しては面倒という意識はない。いつも帰宅してからそれに気づく。こまったもんだ。

 パソコンが不得手な知人の梶山徹夫さん(自称・博打屋)が、携帯電話だけでブログをやっている。携帯電話で長文をアップし、美麗な写真を掲載しているのを見ると、この件に関してははるかに梶山さんに及ばないのだと感じる。すこしくやしい(笑)。

 そろそろ携帯電話の機種を替える時期なので、今度は写真を撮るのが得意な機種にしてみよう。電話をする以外には使わないのに機種変更は無意味だが、小物好きなので、あたらしい機種には興味がある。機種の魅力で目覚めるかも知れない。携帯電話は常に携帯しているから、これで街で見かけたおもしろいものを取る習慣が根づけば、それなりに楽しみも増えるとは思っているのだが。

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 事件の疵痕

 大事なことを書き忘れた。陰惨なあの事件のことだ。

2008年6月8日12時30分頃、男が、東京・秋葉原の歩行者天国に小型トラックで突入。男は、トラックで通行人5人をはねた後トラックを降り、通行人ら12人をナイフで次々と襲った。駆けつけた警察に25歳派遣社員の男は現行犯逮捕された。
トラックにはねられ3名死亡、2名負傷。男にナイフで刺され4名死亡、8名負傷。合わせて死者7名、負傷者10名という白昼の大惨事となった。


 私が秋葉原に来るのは事件以降初めてなのだろうか。だから「久々」なのか!?
 2008年の日記を確認してみる。すると、事件のあった2008年6月8日は日曜日。私は東京競馬場で安田記念をやっていた。
 信じがたいことに、その日の日記は、この事件について触れていない。言い訳をするなら、このころ2007年暮れに亡くなった母の遺産のことでもめていた。世間の事件に興味を持てない心境だったのだろう。それでも、大好きな街で起きたとんでもない事件のことに一言も触れていない自分が不可解だ。

 二ヶ月後の8月に秋葉原に行っている。雲南に行く前に買い物をした。まだ事件の疵痕が残っている時期だろうに、その日の日記にもこの事件に触れた箇所がない。わからない。

 今回はそれ以来になる。2年と2カ月ぶりか。都下とはいえ一応は東京都民なのに、大好きな秋葉原に2年以上行ってないのだから、これはもう本当に「久々」だ。正確にはその間に何度かちかくまでは行っているのだが好きなだけ買い物をする金がないので寄らなかったのだ。見ているだけでも楽しい秋葉原だが、ほんとうにただ見ているだけではやはりつまらない。

 今回街中を歩いているとき、ふとそのことを思い出した。
「今ここに、軽トラックに乗った狂人が乗りこんできて、いきなり無差別殺戮を始めたら、おれはその犠牲者になるのか……」とぼんやり考えた。

 年明けからまた歩行者天国が再開されるらしい。2年7カ月ぶりに再開と新聞に載っていた。
 その件に関し、「地元住民がパトロール」とか、「都公安委は防犯カメラが設置されたことにより安全性の問題はクリアされたと再開を認めた」などと書いてあるが、こんなものでは気違いの暴走は止められない。突如無差別殺戮を始める気違いに対して防犯カメラがなんの役に立つというのだ。気違いがどのような殺戮をしたかという記録には役立つだろうが。

 気違いは根絶やしにするしかない。問題は人権病にかかっているサヨクにある。

12/1
 あらためて「かな入力」の魅力

 今ローマ字入力とカナ入力の比率はどれぐらいなのだろう。一時は6対4とか言われていた。 今でも7対3だと主張するカナ入力派はいる。しかし現実には、初心者に覚えやすいということから初めて接する人にはローマ字入力が推奨されているし、たぶん学校教育でもそうだろうから、もう9対1ぐらいなのではないか。というか現実的感覚では、私の周囲にはひとりもいないから完全に10対0である。そのことが私には不思議でならない。



 私の「日本語入力歴」は一貫してカナ入力になる。
 ワープロを使い始めた28年前、ローマ字入力にするかどうか迷ったがカナ入力を選んだ。このときは両手の人指し指での二本指打法だ。この場合はキイボードのカナを見ながらの入力だから、これになる。

 とはいえこのころからもうローマ字入力の方が覚えるキイの数が少なくて済み、ブラインドタッチには適しているとの推奨はあった。私がローマ字入力にしようかと迷ったのは、そのブラインドタッチをマスターしたいと思っていたからだった。でも私はそのときから素朴に疑問に思った。日本語はカナで綴るのが正当であり、ローマ字入力っておかしいのではないかと。

 ちょうどそのころ、戦後、というか正しくは敗戦後、日本語を漢字もカナもやめてすべてローマ字表記にしようという運動があったことを知り、なんというくだらん話だと憤慨したことがあった。



 この「二本指打法」で、かなりの量の原稿を書いた。いま思うと、これで十分なのではないかという気がする。べつにブラインドタッチを覚えなくても。
 たとえば「宛名入力の仕事」なんてのをするのならそれは必須だ。でもそうじゃない場合、カナ入力二本指打法ぐらいで、じっくり考えつつ打つのがベストなのではないか。

 先日、北方謙三が小説の賞の応募作に関して語っていた。ワープロの普及により(この場合のワープロはもちろんパソコンソフトも含んでいる)饒舌な長い文章が増えている。自分達は手書きで50枚とか限られていたので、そこに収めるための苦労をした。最近の応募作には、昔なら50枚程度の内容が300枚になっている薄味の作品が多い。それはワープロでいくらでも書けてしまうからだろう。一度手書きを経験してみるといい。と。

 それはとてもよく納得できる。私は意図的に手書きもしているので、労せずして長文が書けてしまうワープロの弊害は痛感している。このホームページも冗長な文が多い。ひとつのテーマを書いている内に関連のテーマを思い出すとそちらに行ってしまう。指が痛くなることなくいくらでも書けるキイボードと、ホームページという分量に制限がないことが原因であることは言うまでもない。「ひとテーマ1000文字以内」とか決めるべきなのだろう。速く好き放題書けるブラインドタッチがよいことばかりとは限らない。
 たまに「5枚」というような短い注文を受けて書くと、さらさらと書いて15枚ぐらいになったものを、削って、縮めて行く作業が、苦しいけれど楽しい。ブログに好き放題書いている人も、これは一度意識するといいだろう。もっとも私の知る限り、ブログにそんなに冗長な長文を書いている人はいない。芸能人のブログに代表されるように、みな自分の存在をアピールすることは好きでも、長文書くことになど興味はないのだろう。



 ワープロ購入から4年後に物書き環境をパソコンに移動しブラインドタッチを覚える。これには「タイピング練習ソフト」の世話になった。
 今では遊び心満載の凝ったタイピング練習ソフトがフリーで流通しているが、当時はフロッピーディスク一枚のソフトが8000円もした。が、これは今だから思うことであり、当時は「こんな便利なソフトがたった8000円で買える!」と喜んでいた。時代とはそんなものである。中身は今も覚えている。左から右にベルトコンベアで荷物が流れてくる。その荷物に書いてある文字を右端で落ちるまでに書くというものだった。

 ホームポジションに置いた8本の指と変換キーを押す右手親指の9本を使っての打法を覚えるのは一見難儀のようだったが、「楽器の弾ける俺なら簡単なはず」というなぜか不敵なまでの自信があり、実際さほどの苦労もなく数日で会得した。

 このときカナ入力と一緒にローマ字入力のブラインドタッチも覚えた。タイピング練習ソフトには両方の練習プログラムがあったし、英文を書くためにアルファベットのブラインドタッチも覚えておきたかった。それにそのころのMS-Dosはアルファベットで指令を出して動かすものだった。アルファベットのブラインドタッチはパソコンをいじるものにとって必修だった。

 これはここで書くことに関して意義がある。私はローマ字入力が出来なくてカナ入力を礼讃するのではない。ブラインドタッチでローマ字入力も出来る。
 あまりにローマ字入力が隆盛なので、そのことによる利はあるのかと意図的にそれをしていた時期もある。



 今は知らんけど、当時の海外のインターネットカフェでは英語キイボードがカナ入力に対応していなかった。ローマ字入力しかない。それでも外国から送信するときは重宝した。とはいえ原稿はまだファクスの時代。あくまでも電子メールの話。そしてそのときに首を傾げた。私が日本語のローマ字入力に疑問を感じたのはこのときが始まりのような気がする。それまでは「人の好みそれぞれ」と思っていた。だけどやっぱりこれっておかしくないかと思った!? 1990年代末のバンコクだ。

 私は日本でカナ入力で原稿を書いていた。時々気分転換にローマ字入力をしたりした。しかしそれは気分転換であり遊びであり、思うように入力できずイライラするとすぐにカナ入力に切り替えた。というのは、私は「アルファベットのブラインドタッチ」は覚えた。完全に。速さにも自信がある。ミスタッチなどめったにない。だが、ここが重要、「アルファベットで日本語を打つ練習はいいかげん」だったのだ。つまり、英文を書くのはブラインドタッチですらすら出来るが、いつもの日常的な日本語文章をローマ字入力で書けとなったら、急にたどたどしくなるのである。

 今も覚えている。バンコクのインターネットカフェで日本の友人に電子メールを書いていた。そこで気づいた。私は細かなニュアンスの日本語文章をローマ字入力で書いたことはなかったと。
「どひゃあ」とか「ぎょえー」「うぎゃあ」とか、まあそれを「細かなニュアンスの日本語」と言うには問題があるが、そういう変換をしたことがなかった。どう打つのかわからなかった。
 そしてあらためて知った。私はアルファベットのブラインドタッチは出来るが、日本獨自の「日本語のローマ字入力はほとんど知らない」のだと。あのころ「チェ」が出せなかった。だから「チェンマイ」が打てなかった。どうしたか。Chiangmaiと英語表記にした。



 「人それぞれ」は今も真実であり、これは意見を言うようなことではない。だけどローマ字入力派の横暴な意見?を聞くと反撥したくなる。

 その種のことが苦手なターザン山本さん(元週刊プロレス編集長)が一念発起してパソコンに取り組んだらしい。キイボードのカナキーを見ながらの一本指打法。最初はみなそれしかない。一本指でローマ字入力するひとがいたらかなりへんだ。だって打鍵数がローマ字だと倍になるから。
 山本さんのそれをアンチの若者達が2チャンネルで笑いものにする。「ジジーが今時カナ入力だって(笑)。ローマ字入力を覚えろよ!」と。
 そこにはローマ字入力が当然(=優れている)という勘違い意識が見える。

 私は、ブラインドタッチのローマ字入力より、一本指のカナ入力のほうがよほど美しいと思う。だって日本語はカナで、そうやって入力するものと思うから。



 カナ入力とローマ字入力の長所短所をまとめると。

 ローマ字入力の最大の利点はタイピングするキイがすくない(三段)のでブラインドタッチが覚えやすいことだ。そりゃそうだ。だってキイボードは元々アルファベット用に出来ているのだから。これが推奨される一番の理由だろう。覚えやすいのだ。

 ローマ字入力の缺点は、50文字ある日本語を26文字のアルファベットで打つから、打鍵回数が多いということになる。しかしホームポジションに両手をおいて26のキイを打つ場合、回数が増えることは苦にならない。私はそれを缺点とは思わない。言いたいことは別にある。

 カナ入力の長短所は、これの逆。
 利点は打鍵数が少なくて済むこと。缺点は打つキイがキイボード四段にわたるので、ブラインドタッチが覚えにくいこと、手のちいさな人にはむずかしいことだ。小学校などでローマ字入力を推奨しているのはこのこともあるのだろう。たしかにキイボード四段のブラインドタッチはこどもの小さい手ではキツいように思う。



 さて本題。
 私は、「ローマ字入力は、日本語を一度ローマ字に分解してから組みたてる。その思考は無意味ではないか!?」と思うのである。つまり入力方法の優劣ではなく、「日本語とは何か」の話になる。

 たとえば「わたし」なら、それは「わ・た・し」である。カナ三文字だ。それを「w.a.t.a.s.i」とアルファベット6文字で打つのは、カナ入力派である私からはかなり奇妙に思える。元々キイボードはあちらから来たアルファベットを入力するための物だ。最初がそれだったのは当然である。しかしそれしかできないならともかく、日本人は獨自のカナ入力を開発した。カナ入力で「わ・た・し」と打ち、そのままなら「わたし」だし、変換すれば「私」になる。「w.a.t.a.s.i」から「わたし」に変換するなら、最初から「わ・た・し」と打つ方が思考は一段階速くなる。日本語を、日本語のカナで打てるのに、何故その合間にアルファベットを挟むのか、それが無意味に思えるのだ。

 ローマ字読みの害毒である。



「クイズヘキサゴン」等がよくやる「おばかさんタレントに発音の難しい英単語を読ませて、その間違った発音から正しい単語を当てる」という遊びで、彼らが間違える基本はローマ字読みである。knifeをクニフェと読んだり、Hong Kongをホングコングと誤読するのを笑うパターンだ。日本人にいかにローマ字読みが浸透していることか。あるいは、いかに毒されていることか。もっともその分、イタリア語には馴染みやすい利点もある。

 そういえばタイのチェンマイが英語綴りではChiangmaiだということから、「あれはチェンマイではない、チアングマイが正しい」と主張する馬鹿がいた。こういうのもローマ字教育の弊害だろう。

 念のために書いておくと、タイ文字で綴られた「チェンマイ」を、「タイ文字をアルファベットに置きかえる欧米人の法則」で置きかえて表示したら「Chiangmai」になっただけの話で、もちろん「チェンマイ」が正しく「チアングマイ」なんて地名は存在しない。



「夏草や兵どもが夢の跡」は「なつくさやつわものどもがゆめのあと」だ。
「natukusayatuwamonodomogayumenoato」と打って平気な人は感性が鈍い、と私は思う。と書いたら、いまここを読んでいる人も100%ローマ字入力だろうから、全員からブーイングなのだろうけど。



 もうひとつローマ字入力をするひとの感性として、どうにも理解しがたいのは、外国語のカタカナ表記と本来の表記のチグハグさに苛立たないのだろうか、ということだ。

 たとえば英語のStrongは、日本語としてストロングか英単語としてStrongかのどちらかだろう。カナ入力なら「すとろんぐ」と入力してカタカナ変換で「ストロング」だ。ところがローマ字入力だと「sutoronngu」なる珍妙な入力をすることになる。「ん」を確定するためにnを2回打つのがなんとも不細工だ。こんな言葉はどこにも存在しない。ローマ字入力の瞬間にだけ発生する特殊なものだ。そういうことに疑問を感じないのだろうか。それは相当に鈍い。それに慣れてしまっているとするならおそろしい。

 モーツァルトはどう打つのだ? 長年やっていないので自信がない。切り替えてやってみる。mo.-.tu.xa.ru.toか。ちいさい「ァ」は「xa」で出すのだった。こんなことをやってどうするのだろう。モーツァルトは「モーツァルト」か「Mozart」だろう。

 ショパンは「Shopann」か。本来の「Chopin」と別に日本にだけ存在する奇妙なアルファベットだ。

 面倒なので例にする気にもなれないが、その他の日本語化した外来語の入力を考えると頭が痛くなってくる。リストラ、コンビニ、フラッグシップ、リテラシーとか、原語とは異なるスペルの獨自の表記になる。クリスマスなんてのも原語とは程遠い文字を打つことになる。それは何の意味もないどころか、とんでもないマイナスのように思える。

 私はたまに気分転換にローマ字入力をすることがあるのだが、この辺の外来語をローマ字入力するときにイヤになって、元のカナ入力に切り替える。
 これらのことはカナ入力を覚えればたちまち解決することなのだ。多くのひとが「それがふつうのこと」と思い込んでkurisumasuなどと打っているのだろうが……。



 ローマ字入力派の意見に、私が耳を傾けることがあるとしたら、それは「ローマ字入力と同じぐらいカナ入力も出来るのだが、それなりの考えがあって、あえてローマ字入力にしている」という場合のみだ。ほとんどのひとは「ローマ字入力で覚えてしまったのでそれしか出来ない。今さら一からカナ入力を覚える気にはなれない」であろう。というかローマ字入力でおぼえてしまったひとはカナ入力の凄味を知らないのだ。知らないから疑問を持たずにいる。まあそれはそれでしあわせだが……。

 カナ入力のブラインドタッチを覚えれば、まったく異なった新しい世界が拡がる。繰り返すが、「わたし」は、「わ・た・し」か「私」だろう。断じて「w.a.t.a.s.i」ではない。

 そういうことに気づく感性のないその辺のアンチャンネーチャンはどうでもいいのだが、私と同じく日本に誇りを持つ民族派の年輩者が、ローマ字入力などという敵性語(笑)に染まった腑抜けた入力をしているのを見ると腹立たしい。



 東芝が開発した最初の日本語ワープロ(600万円!)に代表される初期のワープロは、いわゆる「和文タイプライター」の電子版であり、ひらがな、カタカナ、漢字に、タッチペンでひと文字ずつタッチして入力するものだった。そこに表記されている文字しか打てない。
 ワープロは私にとって長年憧れていた夢の機械だった。NECの120万円のそれが欲しくて、ショールームに出かけては倦きることなくよだれを垂らして見ていた。私が初めて買うのはさらに値下がりして50万になるまで無理だったが。

 その後、ワープロにキイボードが採用される。これは本来アルファベット入力用のあちらのものであり、キイ配置もタイプライターのQWER式と言われものだ。そこから日本語を入力する場合、アルファベットから入力して日本語に変換するローマ字式になったのは当然であり自然である。コンピュータにおける日本語入力の方法はローマ字入力の方が先なのだ。そのことも現在の普及率に関係しているのだろう。

 だが日本人はそこから、キイに日本文字を当てはめたカナキイボードを開発した。これによってカナ入力が可能になった。



 たとえばパソコンに習熟しているスタパ斉籐(パソコン方面のライター)というひとなんかは、もう何十年もローマ字入力してきているので、キイボードはシンプルにアルファベットだけが刻印されているタイプを愛用している。この感覚はわかる。カナ入力に興味のない人にとって、カナの刻印はわずらわしいだけだろう。

 私もカナもアルファベットも記号も一切なくて平気だ。先日秋葉原のキイボード専門店で真っ白なキイボードを見かけた。ホワイトキイボードだ。なにひとつ文字が刻印してない。ああいうのを使うのも遊びとしてありだろう。欲しくなった。キイタッチが気に入らないので買わなかったが。

 スタパ斉籐さんのようなヴェテランはそれはそれでいい。
 また友人のH子さんのように、社会で生きて行くために、指導されるまま、とりあえずローマ字入力で覚えた人もそれはそれでいい。私はH子さんのパソコンにATOKを入れてやり、MS-IMEとは桁違いの能力に感動し感謝されると思っていたら、使いにくいから消してくれと言われ、穏和な私には珍しく憤慨した。それは日本語入力というもの、日本語の文章を書くというこだわりを、自分の視点からのみ判断した誤りだった。H子さんにとってパソコンも、その入力方法や変換能力も、生きて行くために仕方なく接している物でしかない。生活費を得るために接しているのであり、縁が切れるなら喜んで切る程度の物だ。心に残る名文をより優れた方法で書きたいなどとは思っていないのだから、私のやったことはよけいなお世話だった。
 そしてほとんどのひとにとって、入力方法とかIMEなんてのはそんなものなのだろう。無料で使えるMS-IMEに慣れ、日本語変換装置とはこんなものと思っている人に、1万円前後の金を出してATOKを買えと言っても無理だ。ChopinをShopannと打つことになんら疑問を持たないひとにカナ入力がどうのこうの言っても意味がない。



 だけどそれでも、ここに書いたことに思いあたることがあるひとなら、ぜひともブラインドカナ入力に挑戦して欲しいと思う。キイボード三段になれてしまっていると、四段を使うブラインドタッチの修得は面倒だけれど、覚えればまたあらたな世界が拡がる。タッチが半分で済む快適さは抜群だ。上に書いた「外来語の奇妙な入力」と縁を切れるだけでもその価値はあると、私は思う。

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【附記】 やはり感じるローマ字入力への疑問 12/16

 いま将棋の竜王戦のことを書いていた。
 カナ入力なのでふだんは日本語をローマ字で表記することと無縁でいられるが、項目からリンクを張るときはアルファベットにせねばならない。いまTopPageから「第23期竜王戦」にリンクするラベルを「ryuuou23」と書いていてうんざりした。竜王は「りゅ・う・お・う」だ。「ryuuou」ってなんじゃらほい。日本語を表記するのにどうにも不似合いだ。

 この短文に現れた物だけでも(いま書いた文章からテーマとなるコトバを取りあげるのは高島俊男先生がよくやる手法)、「ローマ字」はどう書くの? ローマ字入力では。TopPageは「toppupe-gi」か? リンク(Link)は「rinnku」。ラベル(Label)は「raberu」か。こんなのは英語を覚える邪魔になる。

 ああ、そう、私は知らなかったのだけど、Lにaiueoを足して打つと小文字のぁぃぅぇぉになるんだ(笑)。カナ入力は左手小指でシフトキーを押しつつあいうえおを打つと小文字になる。こっちのほうが自然だ。なんでLと小文字に関係があるんだ。Lとあいうえおの組合せなんて誰が考えたんだろう。らりるれろの打鍵はRでやるから餘ったLをなんとか役立たせようと考えたんだろうな(笑)。

 リンクやラベルはLで始まるからと「Linnku」と打ったら「ィンク」になってしまうのか。たまらんな。やはりこういう入力法を取っているひとの日本語感覚はおかしい。正常だったとしてもおかしくなる。
 カナ入力ならリンクは「リ・ン・ク」と、ラベルは「ラ・ベ・ル」と三文字で打てるのだから。




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