2009


讃歌

 アウトラインプロセッサーについてしゃべりたい。
 アウトラインプロセッサーというのは文章を書く道具である。なんだか仰々しい名前なのでCPU的なハード方面かと思ってしまうが、ごく見馴れたソフトウェアである。今から書くのはその中でも最も馴染み深い「アウトラインプロセッサー機能を持つテキストエディター」についてだ。

 長文を書くと次々と内容が分枝して行く。テキストエディターとして文章が書け、それを階層別に保存出来るのがアウトラインプロセッサー機能附きテキストエディターだ。
 PCが使えるなら、長篇を書く小説家には、プロット毎に整理できるので必需と言われるている。とはいえ肝腎の小説家からそんな話を聞いたことがない。私の感覚では論文にいちばん適しているように感じる。

 もしもアウトラインプロセッサー機能とはなんぞや? というひとがいたら、今はフリーソフトも多いからDownloadして試してください、というのがいちばん手っとり早い。ここで述べる私の愛用品<VerticalEditor>もフリーソフトだ。信じがたいほど高機能でフリーなのだからすごい時代である。ろくでもないものに多額の金を払ってきたのでいつも感心する。

 1──アウトラインプロセッサー機能の説明

 とにかく使って見てくれだけでは不親切なのでもうすこしだけ書いておくと、

第一章  その1   
  その2 2の1 
    2の2
  その3  
第二章 その1 1の1
    1の2
    1の3
第三章    
終章    

 のような構成の小説があったとすると、このツリー構造が表記され、そこをクリックすると構成の通りに文章が表記され、そこに書きこめ、保存されるということである。
 第二章のその1──1の2を書いていて、第一章その2の、2の2を確認したり附記したくなったらすぐ跳べるのだ。このツリー構造の中を跳びまわれるのは快感である。じつに便利だ。「タブ構造のブラウザを知ったときの感激」に似ている。

 ここから「初めてタブ構造のブラウザを使ったときの感激」に分枝したくなるがそれは我慢しよう。いくらなんでも切りがなくなる。というかもう何個所も書いているし。

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 この文章では、アウトラインプロセッサーのように、話題が分枝する時点でその項目を新たに作り内側に挿れて行きたい。つまり「やたら註釈の多い文章」のようになる。うまくできるのかどうかわからない。表組を使うがものすごく見にくくなるかも知れない。また表の幅を「めいっぱい」に設定したので、せまいノートだと見辛くなるような気がする。その分、この薄緑地に書く本文は、寄り道のないスッキリした文になるはずである。これは自分の文がやたら主題からハズレて行く傾向があることの反省からの実験になる。

 アントニオ猪木の話法もそうなのだとか。どんどんハズレて行き、それでも最後にはしっかり主題にもどってくるので村松友視さんはそれを「ブーメラン話法」と読んでいた。懐かしい話だ。もう30年になる。

 私も一応どんなに脱線しても主題は忘れず必ずもどってくるのだが、何分その分長くなる。最近の悪しき例だと「山崎朋子まとめ読み」だ。彼女の何冊かの本の感想を書きつつ思うことすべてを詰めこんだものだから、ただの何冊かの本の感想なのに原稿用紙換算500枚を超えるバッカジャネエノ的長さになってしまった。この文の主目的は、脱線テーマはすべて内側に押し遣ってスッキリ文を書いてみたいというのが狙いである。



 私が初めてアウトラインプロセッサー機能のある「ものを書くツール」を使ったのは『WZエディター』だった。

2──『WZエディター』の思い出

WZ EDITOR

提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

WZ EDITOR(ダブルゼット エディタ)は、山口 敏郎(やまぐち としろう、TY)が開発し、株式会社WZソフトウェアが販売するWindows用テキストエディタである。

1995年6月、株式会社ビレッジセンターよりバージョン1.0が発売された。
C言語の文法によく似たTX-Cと呼ばれるマクロ言語を実装しており、柔軟なカスタマイズが可能である。
通常のテキストファイルの編集だけでなく、C言語のプログラムファイル、HTMLファイル、縦書きや体裁文書など、様々な文書ファイルを作成できる。また、カスタマイズをすることにより、獨自のファイルフォーマットのファイルの編集を行うことが可能である。

1988年発売のMS-DOS用テキストエディタ「VZ Editor」から2003年10月発売の「WZ EDITOR 5.0」までを販売してきた株式会社ビレッジセンターは、2008年4月に株式会社WZソフトウェアに対して「WZ EDITOR」関連事業を移譲し、2008年11月末に会社を解散した。


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 『WZエディター』は、その前身のMS-Dos用『VZエディター』から使っていた。(正しくは開発者も性格もちがうので関係はない。似た名前と発売社が同じなだけだ)
 『VZエディター』の発売は1988年だという。私が購入したのはけっこう有名になってからだから1990年ぐらいか。後述するが私のメインは「章子の書斎」だった。
 Windows時代になり、後継ソフトとして『WZエディター』が発売された。発売年度からして、3.1ではなくWindows95用だったようだ。

 『WZエディター』は発売を待ちかねて購入している。秋葉原のラオックスで買ったのも覚えている。「私が初めてアウトラインプロセッサー機能のあるテキストエディターを使った年」は、この製品が新発売された1995年6月でまちがいないようだ。

 外国旅行ばかりしていたこの当時の行動は愛用していた中央競馬会の手帳に細かくメモしてある。それによって自分のその日の行動はわかるのだが、この種のソフトの購入などはメモしていない。こんな形で確認できるのがありがたい。

 VZとWZと言えば「㈱ビレッジセンター」なのだが昨年解散したのか。知らなかった。
 VZもWZも値段は9800円だったと記憶している。VZはフロッピーディスク一枚だったがWZはCDだった。いまWZの最新Versionは6だそうだ。私のもっているのは4までである。1.2.3.4とそこまでは律義に買った。あいだにあった3.1とか、そんなのまで買っている。

 この当時のこういうことに目聡かったひとはボロ儲けだったろう。うらやましいことである。もちろん先達だからして、ひとに先んじたのだからそれだけの報酬を得るのは当然であり、私もVZや同じくテキストエディターだった「章子の書斎」等を使いつつ、便利なツールをありがとうと心から感謝していた。

 いま、それらよりも遥かに高機能なものが無料で出まわっているのだから時代は変った。テキストエディター=無料という世代がうらやましい。毎度の愚痴になるが、初期のパソコンにはOSがついていず起動しなかった。MS-Dosというフロッピー2枚のOSをパソコンとは別途に3万円で買わねばならなかったのである。 

 初めて知るアウトラインプロセッサー機能には心底感心した。なにしろMS-Dos用ソフトのテキストエディターで、マーク箇所からマーク箇所へ一瞬で跳べることに感激していた時代だ。階層テキストの便利さには感嘆した。この便利な道具をこれからは愛用多用しようと決めた。
 でも当時私の書いていたのは長くても50枚程度の文章だったから、あえてそれを使わねばならない機会もなかった。
 逆に言うと、たかが50枚程度の文章をアウトラインプロセッサー機能がないと書けないというひとがいたらたいへんである。問題だ。矢沢永吉の名(迷)言「隣の煙草屋に行くのにもキャデラックで行きたい」のようにまともに歩けないひとになってしまう。

 3『WZエディター』の縦書き機能

『WZエディター』で感激したのはアウトラインプロセッサー機能よりも「美麗な縦書き表示」だった。
 当時から縦書き表示できるソフトに餓えていた。すでに『一太郎』が出来たけれど、私好みではなかった。『WZエディター』の縦書き機能と美麗なフォント表示は本当にすばらしかった。

「一行15字縦三段表示」なんてのも出来たので、雑誌掲載時にそうなるとわかっている原稿は、その表示で書いた。
 言われた枚数を20字や40字で書いて編輯者に流しこんでもらうよりも、これだと段替えやページ替えも読めるから、文章の流れも計算できた。次ページに前ページの話が1行だけあり、2行目からあたらしい話なんてレイアウトがよくある。かっこわるい。それらが出来たのはこの『WZエディター』のお蔭である。もちろん『一太郎』はそれは出来た。だがそこには別項で触れるが「重さの問題」がある。

 このころからもう私はテキストエディター派になっていて、ワープロソフトを使わなくなっていった。その後も『一太郎』はATOKのために買い続けたがまったく使わなかった。いやもう難しくて使えなくなっていた。
 ワープロソフトを使わずテキストエディターで文章を書くようになって、私は一端の物書きになった気分を味わった。
 
3──ワープロとテキストエディター

 シャープの「書院」から始まった私のワープロ時代はどれぐらいあったのだろう。
 ラジオの放送原稿は基本的に短い。短いものの積みかさねだ。当時購入した最新マシン、シャープ「書院」のマックス8000字(原稿用紙換算20枚)で充分だった。

 その後、競馬文章を書くようになってこの壁でだいぶ苦しんだ。30枚が多かったからである。ふたつに分けて書いたが、これはこれでけっこう難しい。30枚を15枚と15枚のふたつに分けて書くのだが、書きたいことがありすぎたから、片方が17枚になると、もうひとつを13枚にしたりするのが面倒だった。いや、そういう作業はものすごく楽しいのである。作品作りであるから。ただこの「2つに分けて」というのがつまらなかった。ひとつでやりたかった。そのあと新製品のマックス20000字(原稿用紙換算50枚)を買い、そうそう50枚を超える注文もなかったのでなんとかなった。この時代がそこそこ続いた。

 でも私は甘かったのだと今は反省している。というのはこの時期、競馬評論家の宇田川淳さんは「2行しかディスプレイに表示されない、マックス2000字(5枚)の安物ワープロ(といっても8万円ぐらいはした)」で、30枚、50枚の文章を毎週のように書いていたからである。あれは見事だった。

 自分を弁護するなら、宇田川さんはそれが苦痛ではないタイプだった。ワープロなんてのはそんなもので充分で、その分の金で一ヵ所でも多くの海外の競馬場を見たいと思っていた。私は逆で、機械大好きだから、食費や衣類を我慢しても最新の機械が欲しかった。その違いではある。でも宇田川さんがすごいのはたしか。

 と書いていて思う。と、ここでまた分枝。これはこの分枝3の下の階層だ。 

3-1──PC派になったほんとの理由

  私は今までワープロ専用機使用からPCでのワープロソフト使用、やがてワープロソフトをまったく使わないテキストエディター使用への流れを字数制限の問題で書いてきたが、これってちいさな問題だった。そのことに気づいた。
 前述したように「マックス20000字」は、当時の私の限界を超えていない。原稿注文のほとんどは20枚から30枚であり、80枚、100枚が生じるのは例の「武豊オグリキャップによる競馬ブーム」のころだからまだ時間がある。
 それでも30枚の前後編なんて仕事もあり、20000字に不満が出て来てもいた。そのときに「パソコンは無制限」と知る。「フロッピーディスク1枚に本一冊が入る」と。
 そのことで私はPC派になる。だがそれはきっかけだった。私がワープロを捨ててPCに走ったのは遊び心ゆえである。



 PCはすでにもっていてRoland製品で音楽を作ったりしていた。文章書きには使っていなかった。ワープロから乗りかえていちばんうれしかったのは、「カラー」だったことだ。私のワープロ専用機「書院」はモノクロだった。それだって30万円もした時代なのだが。

 カラーといっても大したことは出来ない。それでも「●第1章 始まり」なんて見出しの●を
に出来たりするのがモノクロワープロを使っていた身にはとてもうれしかった。元来私はこういう小技が大好きなのだ。そしてソフトにある「ジャンプ機能」を使うと、「第1章 始まり」から「第三章 決戦の日」にをクリックすると一瞬で飛ぶのである。そんなことがうれしかった。要するにそういうことが好きなのである。うれしかったなあ、ほんと……と当時を思い出してしみじみ。

 最先端の機械で文章を書いている満足感があった。書きあがり、印刷する。ドットプリンタの下町の印刷屋の中にいるようなうるさくて遅い印刷。それを満足げに珈琲を飲みつつ見守る快感。

 14インチの彎曲したCRTですら豪華に見えたから、「書院」のそれは8インチ、10インチとかそんなものだったのだろう。それだって前述した「2行ディスプレイ」等と比べたら豪華だったのだが。

 今までワープロからPC派になったのは字数制限の問題のように書いてきた。正確ではない。ここで正しておこう。同じ文章を書く道具なのだが、いろいろいじれるオモチャとしてワープロ専用機よりPCワープロソフトの方がおもしろかったからなのだ。

 これは文字入力と印刷に特化したワープロ専用機(=それしかできない)までは使いこなせたが、PCは使いこなせず、PCへの移籍に失敗し、未だに富士通Oasisがどうのこうのと言っている一部の作家のことを思うとよけいにそう感じる。彼らは文章書きと印刷だけでいいのに、よけいな機能がついていて使いこなせないPCが嫌いだった。私はそのよけいな部分が楽しくてPC派になった。この差は大きい。

 私の書くのはラジオ放送原稿だったから、ワープロで打ち、美麗に印刷して持参するのは、ディレクタやタレントに喜んでもらうためのものだった。それよりも美麗であることが一番嬉しくこだわっていたのは私自身だった。私は悪筆の自分の字が大嫌いだったから。
 ワープロでタイトルを4倍角にしたり、小見出しを太字にしたり、私は自分の原稿をそんなふうに飾りたてる作業が大好きだった。



 競馬文章を書くようになって初めて編集者と接した。その当時は文章のタイトルは編集長が決めていた。見出しもそうだった。写真があり、デザイナーによるレイアウトがある。
 当時『優駿』に書いている手書きの高名な作家も多かった。こちらは無名の新人だからせめて原稿ぐらい編集者に迷惑を掛けないようにしようと心懸ける。美麗な印刷、4倍角のタイトル、太字の小見出しもそれなりにまだ価値があった。ファクスの全盛時代である。

 でもそれは自己満足に過ぎない。私の提出したそれはすぐに文字組みに移り、やがてゲラという名の下刷りが出て来る。それはもうカメラマン作品、編集者、デザイナーとの共同作品であり、ワープロ的装飾をして提出したことにはまったく意味がなかった。すぐに消えるのだ。ハッキリ言って虚しい。やめようと思った。



 ワープロソフト『一太郎』からテキストエディター派になったのには、この「物書きは文章だけ書けばよい。文章に装飾などをしても意味がない」と同時にもうひとつの重要な理由があった。「重さ」である。

3-2 非力なPCとテキストエディター

 当時のPCは非力だった。だが『一太郎』はますます多機能になり、大きく重くなる一方だった(といっても今と比べたら嘘みたいに小さく軽いのだが)。
 それにはそれで意味があった。会社でカラーのグラフ入り文章を作ったりするのには、それらの機能は必須だったし、それを作るのが仕事の人たちは、重さも苦にしなかったろう。だが文字だけ打てばいい物書きにはそれはストレスだった。


 文章だけ打つならテキストエディターが一番だ、なぜあんな重いワープロソフトなんて使うのか。すぐに止めるべきだ。「PC通はテキストエディター」。こんな声が聞こえてきたのはいつごろだったろう。

 テキストエディターソフトを使ってみた。早かった。快適だった。打鍵と同時に文字が表示され、まさに「サクサク」である。といってここで当時の「メモ帳」に代表される無味乾燥なものしかなかったらなってはいない。『一太郎』はなんのかんのいっても優れていた。日本語の文章を書くひとを狙ったいいソフトが揃いつつあった。

 私は一気に「テキストエディター派」になった。最初の愛用ソフトはテグレットの「章子の書斎」だった。まだMS-Dosの時代である。そのあと人気ナンバーワンの『VZエディター』も購入するが、MS-Dos時代のテキストエディターと言えば、私には何と言っても「章子の書斎」になる。 


 その後Windows時代になり、「章子の書斎」『VZエディター』は使命を終えた。
 テグレットは文書データベースの「知子の情報」と、文章を代筆してくれる「直子の代筆」を主力商品にして生き残りを図ったが力つきたようだ。私は2万5千円するこれも購入して応援したが。

 いやいやそういうことを言うなら、潰れるのが当然なのであり、『WZエディター』が今でも続いていることの方がすごいと思う。体験版がDownload出来るので、ひさしぶりにやってみた。私はVersion4まで持っているが、もうぜんぜん使っていない。Downloadした体験版は最新版のVersion6である。
 使いこむとどこか特別の利点があるのかも知れないが、すくなくとも今の私には、愛用しているフリーソフトの<VerticalEditor>とシェアウェアの『QXエディター』があるのに、これを9800円(プラス消費税)で買う気にはなれなかった。三日ほどで削除してしまった。
 『QXエディター』や「O's Editor」については、詳しく書いてあるページを発見したので(自分のホームページのことですが)そちらにLinkを張る。


 『QXエディター』のこと












<VerticalEditor>は





 私が今までいちばんたくさんの文章を書いてきた道具は『QXエディター』だろう。商業文はもちろんだがこのホームページのような雑文がほとんどみなそうだ。「旅日記」と題した一二ヵ月海外に出かけたときに日記風に毎日びっしりと細かなくだらん出来事まで書く一回の旅で千枚にもなる長文もみなこれで書いてきた。圧倒的1位。
 二番手がたぶん「章子の書斎」。三番手が『WZエディター』。四番手が『ホームページビルダー』。五番手に<VerticalEditor>。「手書き」はどこに入るのだろう。もう何十年もほとんど手で字を書いていない。一方ここ三十年近くPCで書きまくってきた。小学中学高校大学、28でワープロを買うまでの時間、テキストエディターで書いた文章はそれらを遥かに超えているのはまちがいない。『QXエディター』で書いた文が人生で手書きで書いた文よりも多いとなると、また感慨もひとしおである。
「章子の書斎」と『WZエディター』はもう使われることはないから順位は落ちるだけ。手書きも役所での記入ぐらいしかないから使われては行くものの微量。
 一気に順位を上げつつあるのが『ホームページビルダー』と<VerticalEditor>。
 以前は『QXエディター』で書いた文をアップするだけだった『ホームページビルダー』だったが、今は直接書きこんでいる。それに日々の日記も10年経つからそれなりの量だろう。
 ここのところブログの文を立てつづけにアップしているが、これは「千字原稿」とかフォームを作った<VerticalEditor>で書いたものを『ホームページビルダー』からアップしている。『ホームページビルダー』で手直しして仕上げることも多いが、「なにで書いたか」となったら<VerticalEditor>になる。この種の「企劃原稿」にはほんとうに便利だ。
 このままホームページとブログを続けていったら、『ホームページビルダー』1位、<VerticalEditor>2位、『QXエディター』3位となりそうだ。旅に出たら『QXエディター』の活躍なのだが、ここ何年も引き篭もりなので活躍の場がない。





この壁紙は
http://www.aoiweb.com/aoi2/back8.htm#
より拝借しました。

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