2008
1/22 宛名書きソフト入手苦労話

 昨年二月にこの地に引っ越してきたのに、まだ住所変更を届けていない相手がかなりあった。無料で雑誌を送ってくれる出版社等。
 二月半ばで転送の期限が切れるから急いでやらねばならない。そういうことすら完了していないことからも、昨年の私がいかにどうしようもなかったかがわかる。無気力で怠惰な一年だった。反省せねば。

 タックシールの用紙を買ってきた。すくなくなっていたインクも補充して準備完了。
 ところが愛用している印刷ソフトがこの用紙に対応していないことに気づく。これは意外だった。用紙購入のミスである。

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 用紙メーカが無料で提供している「ラベル屋さんHOME」という印刷ソフトがある。とても便利で重宝している。印刷ソフトをインターネットから無料で提供する良心的なサーヴィスだが、そのためにはその会社の用紙を使わねばならないから、これはとても上手な商売といえる。一覧から用紙の型番を選ぶと自動で対応するので簡単だ。今まで名刺も宛名もこのソフトで処理してきた。今回もこれでやろうと思った

 しかし今回私が買ってきた用紙はこのメーカではなかったようだ。マクセルとある。あのマクセルが紙製品を出しているとは知らなかった。A-4一面に16分割の製品だ。
「ラベル屋さんHOME」には多種多様なパターンの製品が登録されているのだが、なんとも不思議なことに、宛名シールの分野にこの「16面」がないのである。10面から12面、18面、20面とあるのに、16面だけないのだ。これって意図的か? 他社製品では使えないようにと。

 さて困った。Vectorに行ってフリーの印刷ソフトを探す。エクセルを通じてとか(エクセルはもっているけれど)、8面と12面専門とか、みな帯に短したすきに長しでいいのがない。使えそうなのはシェアだったりプロダクトだったりする。シェア製品でやってみようとしたら、試用期間は一々20桁もの番号を記入せねばならないのがあった。コピー&ペーストは出来ない。10桁ほど記入しているうちにバカらしくなってやめた。
 未練たらしくまた「ラベル屋さんHOME」にもどり、なんとか16面で出来ないかと確かめたりする。出来ない。

 面倒くさがり屋の私はここで思った。「ソフトに合う用紙を買い直してくるか」と。A-4に16分割で、10枚880円だった。その程度の再出費は仕方ない。よく確認せずいいかげんに購入した自分が悪い。「ラベル屋さんHOME」に対応した製品を買ってこよう。
 近所のコンビニで買える製品だったらそうしていた。だが一応はこれPC専門商品だ。そんなに使用するものでもない。都市部の量販店まで行かなければ入手できない。それはそれでたいへんだ。よってまた、なんとかならんか、とネット検索を始める。

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 どうにもならず諦めた。なんでもっと確認してから用紙を買わなかったのだろうとマクセルのその用紙を睨みつける。するとそこに書いてあった。「専用印刷ソフト無料Download」と。

「ラベル屋さんHOME」だけではなく、マクセルも同じように印刷ソフトを用意していたのだった。青い鳥は身近にいた。なんで気づかなかったのだろう。早速アクセスしてDownload。これまた商品番号を入れるだけで簡単に印刷できた。解決。

 ここで考えるに、もしも先発の「ラベル屋さんHOME」で印刷できたなら、マクセルがこういう獨自のソフトを用意することはなかったのではないか。つまり、「ラベル屋さんHOME」がA-4-16面に対応していないのは──A-4-16面の商品を出していないのだから当然ではあるけれど──意図的な気がする。
「印刷するのに苦労する」との苦情が寄せられ、マクセルは急いで対応したのではないか。邪推か? そんな気がした。

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 苦労からは学ばねばならない。今度からこういうものを買うときは、しっかり表面を見て、印刷ソフトが準備されているかどうかを確認しよう。
 とはいえ宛名シールを100枚用意したから、次ぎにこんなことをするのは、だいぶ先になる。そのときはまた忘れていて同じ事を繰り返しそうだ。
 たかが宛名シールを印刷するのに、対応するソフトがない、困った困ったとおろおろした半日だった。

6/12  HGST讃歌──HDD換装話

 HDDにHGST(日立グローバル・ストレージ・テクノロジーズ)の500GBを加えた。

今までのHDD

 一昨年の10月から、Seagate(以下SG)320GB、250GBに、Western Digital(以下WD)120GBという構成だった。合計は、えーと、690GBか。
 その前はHGSTの160GBふたつとWD120GBの構成だった。合計440GB。三つともIDEのHDD。
 HGSTとは日立がIBMのHDD部門を買い取ったものだ。私はIBMのHDDファンだったので、日立へはすんなりと移れた。

 では同じくIBMのThinkPadファンだから、すんなりレノボに移れたかというと、そうではない。中共に身売りした(日本が開発したノートブック)ThinkPadには抵抗があり使う気にはなれなかった。ThinkPadとは、何台も買ったノートパソコンの中でも、大好きなものだったので残念に思う。でもこのへんの感情はどうしようもない。今後ももう使うことはないだろう。

 そのHGSTふたつが不調になりクラッシュした。それであたらしい自作機はSGで組んでみた。浮気心。私はWD、IBM、Quantum、Maxtor、東芝(2.5インチ)のHDDを使ってきたが、SGはまだ使ったことがなかった。体験してみたいと思う。
 QuamtumがMaxtorに吸収され、そのMaxtorがSGに吸収されて今に至る。HDD業界はずいぶんと再編成がすすんだ。いま三大メーカーはHGST、SG、WDか。

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WD嫌い返上

 WDは大嫌いなメーカーだった。長年近寄らなかった。というのは、最初に買ったWindows機であるFMVに着いていたのが1.4GBのWDだった。これがもうカリカリゴリゴリとうるさく、FMVもまた問題が多かったので、私はそれ以降、徹底したFMV嫌い、WD嫌いになった。以来、自作派である。PC98時代から、FMV一台を挟んで、あとはデスクトップはみな自作している。その間、ノートは東芝、ソニー、シャープ、IBM、NECといくつものメーカーを買っている。有名どころで買ってないのはFMVだけだ。いま使っているノートはDELLになる。

 一昨年の9月、上記160GBふたつを搭載した自作機がクラッシュしたとき、とりあえずパソコン作業をしなければならないので、急いで秋葉原に行き安物のPCを買った。e-machineの5万円弱のものだった。それについていたのがこのWDの120GBである。
 安物PCで当座をしのぐと、すぐにまた自作機を組み上げた。HDDは上記のようにあらたに購入したSGの二個である。壊れていないこの120GBも、とりあえずのデータ用に流用した。みなSATAの中、これだけIDEだった。ケーブルが太く、なんとも時代遅れだった。

 ところがこの前世代からの使い回しであるWDがとても優秀だった。SGが外れだったこともあり、ずいぶんと助けてもらった。新品のSGが不調ですべて再インストールしたりしたあのころ、もしもWDが壊れたら、喪ってしまったデータも多かった。感謝している。よって私のWD嫌いは返上になる。



 このごろ強く思うのは「HDDの当たり外れ」である。というのはとても評判の良いSGが私には大外れだったからだ。正しく言うと320GBは当たり、250GBが外れだった。同じ時期に買ってもこれだけ差がある。だからWDのあれは、たまたまの外れだったのだろう。当たりのこのWD120GBに感謝するたびにそう思う。

 安物PCの代名詞e-machineは、おそらく修理品等で組んでいる。私のこのWD120GBもエリート?ではあるまい。今まで相当に稼働している。なのにここまで静かで安定して動いてくれている。やはり当たり外れの世界なのだと思う。それでもそろそろ寿命のはずだ。感謝しつつ次世代へとデータを移行しよう。

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SG期待はずれ

 IBM(HGST)ファンなのに二個ともSGで組むのだから、期待は大きかった。だが外れだった。特に250GBのうるささはひどいもので、データのコピーをしているときのキリキリゴリゴリは、いますぐにでも煙を上げてクラッシュするのではないかと不安になるほどだった。やはりおかしくなり「初期不良」で交換してもらったが、もどってきたのも同じようなものだった。
 いま外つけのケースに入れて音楽用データ専用として使っている。ものすごく熱くなる。扇風機の風を当てて冷やしているが、やはりこれ、ハズレなのだろう。大切な音楽データを失くしたら大変なので(一応DVDにコピーはとってあるが)、あらたなHDDに映した方がよさそうだ。

 320GBはまだまともだったが、これも何度か音信不通?になっている。そのへんは電源の問題もあり一概には言えないのだが、ともあれ安定していたIBMと比べるとSGは問題続出で、私のSG幻想は消えた。特に発熱がひどい。こんなに熱くなるHDDは初めてだ。これからも買う気はない。やっぱりHGSTがいいやと思うようになる。

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今の状況

 というわけで、HGSTの500GBを導入し、4台も内蔵している必用はないので、ゴリゴリうるさいSG250GBを外つけのケースに入れ、データ専用にした。

 HGST500にパーティションを切り、いちばん速い外側をOS用にしている。残りを一般用データ。WDを同じく一般用データの第二次保管。映像や写真のデータ用にSGの320GB。外つけの音楽用データ専用にSGの250GBという構成だ。
 外つけ250GBはふだんは電源を切っているので、いまの私は実質3台のHDD、合計940GBで動いていることになる。しかしまあどんどん大きくなるばかりだ。
 WD120GBはIDEだし、そろそろ寿命だからもうお役ご免にしてやるべきなのだが、がんばってくれている姿がうつくしく、オシャカになるまでつきあいたいと思っている。

 とにかくこのHGST500が静かで速くすばらしい。発熱もない。いいことずくめ。もう一台これをいれて2台構成にすれば、もっと静かで安定するのか。これは「当たり」なのだろうか、それとも今時の500GBはみなこんなに充実しているのだろうか。HGSTにしてよかったとしみじみ思う。いいHDDである。お奨めだ。HGST Deskstarシリーズ。



 私の初めてのハードディスク体験は、外附けの80MBだった。当時はまだMS-Dosであり、OSはフロッピーディスクだった。80MBはおばけのような巨大容量だった。やがてWindows時代になり、WDの1.4GBから始まり、ここまで来た。WDの1.4GBも、そのときの市販品で最大であり、私には見あげるほどの巨大なものに思えた。だって「ギガ」である。デフォルトのメモリ8MBを大枚払って32MBに増量し、私はもうスーパーマシンをいじっている気分でいた(笑)。

 これから「私のHDD物語」はどうなるのだろう。もう1テラの跫音が聞こえている。今回も思い切って1テラを買ってみようかと思ったぐらいだから、もうすぐだ。大量の動画を保存したりする人は、もう2テラ、3テラの時代なのだろう。いやはやなんともこの容量増大の波はすごい。
 自作機にOS、Apl、Data用にそれぞれIBMの30GBのHDD三台を揃え、これで当面は大丈夫と思った日がつい昨日のようだ。
 しばらくはこのHGST500を中心に安定したPCライフがおくれそうである。ありがたい。


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●パーティションのこと

 このごろになってやっとパーティションを切ることが一般的になってきたようだ。自作派には常識だった。私はWin3.1ときからやっている。
 今になってやっとその価値が認められたということか。初心者向けのパソコン雑誌でも「万が一OSになにかあったときもデータを守ることが出来るので、OSを入れるCディスクとは別に、Dディスクを作った方がよい」と書いてあったりする。

 パソコンに関してなんの自慢もないが、このパーティションを切るようにしたのだけは早かった。とにかく自分の書いた文章が大事だったから、フロッピー時代も複製を2枚はとっていたし、Windows時代になってからも、必ずOSとは別にデータ用のパーティションを切って保存していた。さらにまた別のハードディスクに複製を取るようにしていた。雑で怠惰な人間だがこのことに関してだけは自慢できるように思う。当然ながら「パーティションソフト」もあれこれ使ってきた。まあソフトオタクだから(笑)。

 しかし考えてみると、そういうソフトは1万円以上するわけで、パーティションを切ってデータを守るという発想のないひとが、そんなものに手を出すはずがない。きっとこの世にはOSとデータを同じハードディスクに入れていて、OSが壊れたためにデータも全滅したというひとがいっぱいいるのだろう。私はPC歴25年を超えたが、さいわいにしてそれだけはない。



 パソコン通販の会社を覗いていたら、「パーティションを切るサービス」というものに気づいた。出荷する際にパーティションを切ってあげますよ、その代わり料金は4千円(6千円)ですよ、というのが多い。
 Vistaにはパーティションを変更できる能力がある。こんな金は払わなくても自分で出来る。でもそれを知らない人は多いだろうし、知ったとしても、初心者だとコントロールパネルからの管理ツールは、ちょっと怖くていじれないか。

 Vista以前のOSでは出来ない。専用ソフトがいる。ソフトは1万円するし、一度切るだけなら、あえて買うよりも、4千円でやってもらったほうがいいかもしれない。以前ならそう思ったろうが、Vistaのことを知っている今は、なんとなく初心者だましのテクニックのように思える。

 いやいや、自分でいじれない初心者にとって、なんとなく雑誌で読んで知っていたパーティションというものを切ってもらい、後々OSがクラッシュしたとき、それでデータが助かったなら、価万金の4千円になるか。自分が出来るからかと安易な批判はやめよう。
 ともあれ「データをOSとちがうところに保存する」という感覚が一般的になってきたのはよいことだ。

6/17
ノートパソコンの時代……らしいのだが

「ノートパソコンの売れ行きが好調。その分、デスクトップは売れずに苦戦」というのが世の流れらしい。
 理屈として100パーセントわかる。感情として反発する部分もある。その話。



 まずはわかる部分から。
 会社ではいまみなノートだ。そういうオフィス環境を多々見ている。スペースからしてノートがいい。むかしと違い能力もあがったし。いや能力の低いむかしから私の知っている会社はみなノートだった。つまりノートで出来る程度のことしかやっていないということだろう。まあ文書作成や通信による業務はノートで充分だ。Excel等の作業もノートでこなせる。

 会社ばかりとは限らない。たとえばM先輩の家では、家族がみなそれぞれのノートをもっている。M先輩自身もノートしかもっていない。いつもそれを携帯している。先輩にとってパソコンとはそういうものなのだ。
 まあ居間にデスクトップがあって、それぞれが暗証を打ち込んで使用するなんてすこしもいいとは思わないから、プライバシーを守る意味でも、これはこれでいいのだろう。



 数年前、チェンマイ在住のSさんがノートパソコン苦労話を書いていたので、「自作したらどうですか」とメールしたことがある。私からすると、非力なノートで苦労せずに、チェンマイでパーツを揃えて自作パソコンを組むことがとても愉しいことのように想えたからだ。私だったらぜったいそうしている。Sさんの苦労話も、高性能のデスクトップを組めば簡単に解決することのように思えた。Sさんは何年もあちらに住んでいたし、自分のワークステーションとでも呼ぶべきものを自宅にどんと構えるのがベストと思った。
 すぐにSさんから返事が来た。「ぼくにとってパソコンとは、いつでもどこでも使えるものなのです」とあった。彼にとってもパソコンとはモバイルであり、イコールノートだった。デスクトップなんぞは使ったこともないし眼中にないのだった。
 このへんの感覚の差はいかんともしがたい。



 同じくチェンマイに在住を始めた「板さん」こと板垣さんは、自作で組んでいた。板垣さんは日立のエンジニアだったひとだから当然だろう。これはパソコンに詳しいひとなら必ずそうするはずと思っていたのでうれしい出来事だった。停電の多いチェンマイでは、当然の如くUPS電源(停電になったとき即座に蓄電池に切り換える装置)がいる。ノートならそれもいらない。停電の多い発展途上国ではノートこそが適している。だからこそ、それでもデスクトップを選んだプロの板垣さんに親近感を感じたものだった。もっともチェンマイのパーツにはいろいろ問題もあり、板垣さんのパソコンライフは順調とはいいがたいようだった。(ここのところ読んでいないのでニュースが旧いです。すみません。)

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 性能の向上もあり、世の中ノート全盛だ。それはそれでいいとして、デスクトップ好きからの意見を書く。

 ひさしぶりにノートを使い始めた。そういう必要が出てきたからである。今回初めてDellを使ってみた。
 私はノートブック型のパソコンを使ってどれぐらいになるのだろう。デスクトップが26年、ノートは17年ぐらいか。まあほぼ当たっているだろう。

 一貫しているのは、ノートは旅行用でありサブであったということだ。そもそも最初に買ったのがイギリスに行くときだったから1991年、ああやっぱり17年で正しいのか。その前の旅行はシャープのワープロ「書院」の携帯用を使っていた。
 東芝のDynabook、38万円した。メモリ8MB。8万円プラスしてフルの16MBにした。OSはWindows3.1。フロッピー23枚でインストールしたものだった。
 このあとも同じようなことを繰り返している。10万円で能力充分なノートが買えるいま、ずいぶんと高い買い物をしてきたなあと思う。この46万円かかったノートに、2万円の外つけCD-Romプレイヤをつけて映像CDを再生すると、細切れ写真早送りだった。今は昔である。まあMac使いのひとからするとこの程度の出費はたいした金額ではあるまいが、総合での出費なら私も負けていない。って、比べることじゃないけれど。



 ノートを使っているともの足りない。どうしてもデスクトップと比べてしまう。問題はシンプルだ。「パソコンでなにをするか」「パソコンをなにに使うか」である。
 ノートパソコンを愛用しているひとの主流は通信であろう。まあ私の友人でもMac使いのmomoさんのように、ノートで映像処理の仕事をこなしているひともいるが、こういう本格派は少数で、多くのノートパソコン愛用者は、インターネットによる検索、情報集め、メール、ブログのアップ等、負荷の少ない通信を主とした使い手だろう。
 動画ファイルのエンコードをノートでやっているひともいるのだろうか。私にはわからない感覚になる。動画のエンコードとは、私なりに喩えるなら「土砂運搬」のようなもので、だったら乗用車よりダンプカーのほうが効率がいい。ダンプカーすなわちデスクトップである。



 と考えることから、デスクトップ好きの私の姿勢も見えてくる。
 私はパソコンで通信以外のこともやっている。たとえば音楽再生だ。
 パソコンにスピーカーを繋いで好きな音楽を再生しつつ、今もこの文章を書いている。現在のBGMはDiana Krall。マルチタスクが出来るようになった2000年ぐらいからの習慣だ。それまではパソコンに向かいつつ、背後のCDラジカセで再生していた。パソコンでこれが出来るようになったときはうれしかった。今はmp3だが、最初のころはCDをそのままいれていた。

 これをノートでやるのはわずらわしい。昨日やってみた。ノート用に買い求めた小型スピーカーを繋いで。
 それはそれで懐かしかった。バンコクの台北旅社でやっていたことを想い出す。思えばこういう5千円前後の小型スピーカーもずいぶんと買った。それもまた楽しかったものだ。衣類を買うときは安物でも躊躇するのに、この種のものは、目新しいものを見かけると、すでにいくつももっていても、ためらいなく買っている。自分の偏りが見えて面白い。

 ノートパソコン附属のスピーカーの音はひどいものだ。聞くに堪えない。この外部スピーカーに繋ぐと一変する。ぜんぜん違う。だけどこんなちっこいスピーカーの音で満足できるはずもない。

  といってデスクトップで私が贅沢をしているわけでもない。写真のようなスピーカーで、しかも低音量で流しているにすぎない。それでも写真のようなスピーカーを左右1メートル以上離してステレオ再生するのと、上揚のような携帯用小型スピーカーでモノラル再生するのとでは、空気を流れる音楽がまったく違う。

 愕いたのはヘッドフォンで聴いたら、ノートパソコンの音がとてもよかったことだ。
 ここでノート支持派は、「だろう!? だから音楽はヘッドファンで聴けばいいんだよ」となろう。
 たしかにiPod風にヘッドファンで聴けば、ノートでも、文章を書きつつ快適に音楽を聴くことが出来る。が、私にとって重要なのは「音楽が空気の中を流れること」なのだ。これは譲れない。



 どうでもいいことだが、ノートパソコンからイヤフォンで音楽を聴いているうちに新鮮なことを知ったので忘れないうちにメモしておこう。
 それはイヤフォンの能力差である。私はノートパソコンにイヤフォンを繋いで音楽を聴くなんてめったにしないが、今回は実験の意味で何度も試していた。そのとき、そのことに気づいた。おおかたはiPod用のイヤフォンを転用していたのだが、ガラクタの中にいろんなものがあったので試してみた。中には20年ぐらい前の品もあった。どこで入手したのか、一応ミニステレオジャックのステレオフォンだ。インナータイプである。見た目はiPod用と変らない。いやひとによっては白にオレンジのイヤパットのiPod用より、黒に青のイヤパットのこれのほうがかっこいいだろう。
 それらにより、音量が半分になる場合もあると知った。イヤフォンもこんなに能力が違うのか。悪い品でもノートの音楽を聴くには充分な音量だったので文句はないが、これほどまでにちがうとは知らなかった。
 私はせいぜい1万円程度のヘッドフォンしか買ったことがない。今度高い品を試聴させてもらってこよう。

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 iPodのこと

 二年前、あこがれのiPodを買った。やっと買った。待望の買い物だった。momoさんからその便利さを聞いていたから期待大だった。買った当初はどこに行くにも携帯した。電車の中で、町の中で、聞いた。すぐに倦きた。
 思えば当然である。私はカセットウォークマン、CDウォークマン、MDウォークマンをもっている。なのにぜんぜん使っていなかった。このホームページのあちこちに書いてあることだが、私がそれを使うのは、電車の中でのバカ高校生の騒ぎに対する「音消し」としてだった。それぐらいしか利用していない。
 それがいきなり携帯できる音楽量が桁違いになるからといって、一転して重用するはずもないのである。そういうひとなら今までのウォークマンをもっともっと活用していたはずだ。

 カセットウォークマンを愛用しなくなったとき、「頭出しが出来なかったり不便だから」とカセットテープのせいにした。それが出来るCDウォークマンを買ったとき、もうどこでも聞きまくるに違いないと思った。でもすぐに倦きた。それを「大きいから」と解釈した。MDウォークマンを買ったとき、そのちいささに感激し、「これでもういつでもどこでも音楽中毒かな」と思った。MD用の音楽素材をあれこれ買った。一ヶ月で倦きた。いまも新品同様である。

 音楽好きということに関してはひけを取らない。だがすでに90年代の海外旅行時代、私は「スピーカー派」になっている。スコットランドやタイのドライブでも、大量のカセットテープを持参し、カーステレオで聞くことを楽しみにしていた。携帯しているウォークマンは一切使っていない。

 iPodを手に、奥多摩や山梨の渓谷に行ったりしている。でも不要だった。
 電車の中で読書するときは、ゴットンゴットンという電車の音が最高のBGMだし、渓谷には自然の音がある。
 じゃあ渋谷新宿の雑踏の中ではどうだとなるが、あれもまた雑踏には雑踏の音がある。私はそれを「音楽」で消したいとは思わなかった。
 むしろ歩きながらケイタイで話すひとを毛嫌いするのと同じように、電車の中や雑踏で常にイヤフォンを耳にしているひとに対する嫌悪感の方が強い。

 iPodを買ってよかったことは、自分がそれを必要としない人間だと確認できたことだった。
 買わなかったら私は、「iPodさえ買えば」という勘違いと未練を引きずっていた。その意味でのみ買ってよかったと思う。

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 本題にもどって。
 しかし多くのひとにとって、というかほとんどのひとにとって、パソコンで音楽を聴くなんてのはどうでもいいことだ。
 だいたいが会社で音楽など聴けない。会社人にとってパソコンとは仕事の道具だ。
 たとえばM先輩は音楽が仕事だから、四六時中周囲に音楽があふれている。なんでパソコンでまで聞かねばならんのだ、となろう。先輩にとってパソコンはあくまでも通信機器にすぎない。

 だからまあ仕事に使うパソコンと音楽は関係ないとして。
 ではフツーのひとはどうしているのだろう。ふつうの音楽好きのノートパソコン愛用者だ。
 たとえば大の音楽好きで、いつでもどこでも音楽を流していて、ノートパソコンを愛用している若者は、部屋にいるとき、音楽をどうしているのだろう。
 ノートでメールを書いたり、ブログをアップしたりしつつ、ノートの中にいれた音楽をイヤフォンで聞いているのか。それともノートとは別にiPodのイヤフォンを耳に入れているのか。あるいはiPod専用の再生装置を使っているのか。それとも、別の音響機器で空気中に再生しているのか。ぜひとも知りたいものだ。



 音楽のみならずここに映像を加えたら、さらにノートでは厳しくなるだろう。映画だけを見るならノートでいいとしても、BGVとして映像を流し、音楽を聴きつつ、仕事をするとなるとノートではきついはずだ。これをするならマルチ画面が必要だし、一面でも、24インチ以上が欲しくなる。
 そこまで同時進行しつつパソコンをいじるやつはいない? ああ、そうですね。私がまともじゃないようです。

 インターネット生活の楽しみの一つにストリーミングラジオがある。ネットから、あまたある放送局の中のひとつを選び、BGMとして流すのは快適だ。
 ノートのひとはこの楽しみはどうしているのだろう。これは「別の再生装置から」にはならない。するとやはり外部スピーカーを繋いでいるのか。それともイヤフォンなのか。



 ノートを愛用しているひとは、どれぐらいノートを鍛えているのだろう。
 たとえば文章入力だと、ATOKと連動する広辞苑や角川類語辞典、国語辞典、英和和英辞典などがあるが、これらをぜんぶ挿れているヘビーユーザーのノート愛好者もいるのだろうか。
 むろん今の時代、これらはたいして負荷を掛けないし、HDD容量的にもたいしたことではない。ノートですべて使用できる。現に私はそうしている。以前はデスクトップと同じ事をノートでやろうとして苦労したが、いまは楽楽とこなしてくれる。ありがたい。まあメモリひとつをとっても、かつてのそれは256MBで満杯だった。いまは4GB満杯に2GBでやっている。そのへんからして桁が違う。ノート全盛にはこの能力アップは大いに関係があろう。

 小型のモバイルノートを常に携帯しているひとの中には、そういうふうに鍛え上げているひとも多いことだろう。いつでもどこでも通信さえ出来れば、今の時代、この種の辞書はなくても調べ物に問題はない。要は通信になる。

 と、ここでまた気づく。
 最近そういうノート万能時代になり、ノートがやたら大きくなっている。デスクトップの代わりになるノートという発想だ。
 ここに書いている私の不満も、そのへんから出ているように思う。私はSONYのRC1を使っていたぐらいだから、小型は小型で好きなのである。
 本拠地であるデスクトップ。外出先にもってゆくノートパソコン。いつもバッグに入れておいて、いつでもどこでものモバイル。この三つの使い分けをしてきたし、それが理想なのだ。ところがそこそこの表示能力を持ったノートで、この三つをぜんぶまかなうという世の流れなので、すこしばかり異を唱えている。
 でも非力だから、どうしてもデスクトップの仕事は無理だったノートが、CPUの発達や大容量メモリを搭載することにより、それが出来るようになったのなら、この区別が曖昧になってくるのは当然といえよう。世の中はそう流れている。
 だからパソコンを初めて買う人がノートに流れる傾向はすなおに理解できるのだが……。

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 それでも私はやはりデスクトップがいい。
 これってカンビールとビンビールの関係か。
 いや、それよりも「グラス」で喩えた方が適切か。
 カンよりもびんから注いだ方がビールはうまい。
 最近はゴミの問題があり、私もすっかりカンビール派になってしまった。
 それでもグラスは譲れない。きれいに磨き上げ冷やしたグラスがあると、それだけでビールの味は格段にアップする。
 アメリカのスタンドバーや、タイの──なんていうんだっけあれは、何年も行ってないから忘れてしまった、オープンバー? 道に面したネーチャンのいる店──では、そのまま小瓶のビールやカンビールが出てくる。私は必ずグラスを頼む。

 よく冷えたびんから、清潔なグラスに注いで飲むビールは、カンから直接に飲むより、ぐんと味がアップする。それと、ビール関係のアルバイトをしていた知識から言えば、ビールは空気と触れさせて泡立てることが基本である。びんやカンから直接飲むのは邪道だ。味が落ちる。それは感覚ではない。事実だ。
 デスクトップとノートブックの差は、それに似ているような気がする。どうでもいい些細な違いだが、こだわるひとには妥協できないような。

 私のように在宅仕事で、仕事をするときはほとんどパソコンに向かいっきりのものには、倦きない環境が必要になる。そのためにはこじんまりスッキリのノートより、満艦飾のデスクトップなのである。たとえばキイボードひとつをとっても、それはもう獨立しているデスクトップのほうが快適だし、気分によって切り換えることも出来る。
 と書いていて思ったが、私は浮気性ってことなのか(笑)。
 たったひとつとつきあうより、その日の気分で切り換えることを願っている。最愛の女房より日替わりの愛人を求めているようだ。そうなのか? それだけの話か? いやいや、そういうたとえで言うなら、家には痒いところまで手の届く最愛の女房(デスクトップ)がいてくれて、それとはまたべつに日替わりの愛人(ノート)が欲しいということだ。よけいにまずいか。



 さて、現実問題として、雲南の家にパソコンを置く必要性が生じてきた。
 私は上記の理由からデスクトップが欲しいと思っている。中国製のデスクトップだ。それに日本用のOS、ソフトウェアを持参して挿れる。デスクトップならディスプレイを買ってきてマルチにすることも出来る。そのためには映像端子がマルチでないとまずいが。とにかく拡大が出来る。デスクトップは。

 前々からそう思っていた。しかしこれにはいろいろ難がある。
 まずチェンマイ以上に停電の多いところだからUPS電源が必須となる。
 しかしチェンマイのような都市部ではない。バイクで出かけてすぐに買えるのではない。これを手に入れるだけでもたいへんなことになる。いやこういう部品以前に本体のPCを買い、運んでくるまでがたいへんだ。片道10時間以上バスに揺られる必要がある。これだけでもういかにデスクトップを使うことが理に適っていないかが解る。う~む、書いているだけで落ち込んできた。やはり無理か。

 いちばんよいのは、「安定した能力を持つ日本製のノートパソコンをもってゆき、おいてくること」である。これがベスト。結論はもうでている。行ったとき、それを使えばいいのだ。
 日本で使っているものよりもワンランク下の製品であっても、あちらでの作業には充分耐えるし、インターネットが接続できたとしても、まだ電話線の世界だからモデムになる。この選択がベストなのはわかりきっている。
 それでもまだ私はデスクトップに未練がある……。

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【附記】やっぱりノートの時代なのか 7/4

 サミットが近いこともあり都内は厳戒態勢。
 先程、それに関するプレスの様子を流していた。
 各国の外国人記者はみな自分の机にラップトップを置き、発表を聞きつつ打ちこんでいる。そこからの転送はどうなるのだろう。いきなりもう海外の本社に飛ぶのだろうか。いま携帯電話がそうらしいから、それも可能なのか。それとも一応最初は東京支社にでも送って、それからデスクがまたあらためて海外に送るのか。

 今の時代最も重要なのはモバイル性であることを痛感する。
 たぶん彼らはこのあと住まいにもどって記事の続きを書くとしても、使うのはそのノートパソコンであろう。彼らに私のいう「デスクトップが好き」は通じない。
 彼らにとってパソコンとは通信機器であり、一緒に行動できるものだ。
 外人さんの感覚はわからないが、たぶんあの中には、日本人が国語辞書や英和和英辞典を入れているように、彼らなりの用語事典が入っているのだろう。きっと外人さんだから、家族の写真も入っている。



 私のデスクトップに対するこだわりは、都心に住んでいるのに「やっぱり一戸建てで庭がないと」と言っているぐらい寝惚けた言辞なのか。
 でも基本で言うと「パソコンでなにをするか!?」になる。私は通信記者じゃないからそれほどモバイル性は必要ではない。だからこれでいいのだ、と居直ろう。

 さて今回購入したノートに関して、選定に関してすこしばかり問題があったことは分かっている。
 というのは、旅先に持ってゆくのだから私はモバイル・ノートを買うべきであった。液晶12インチ以下の小型の軽いヤツである。以前のThinkPadが10.5インチだったから、それぐらいでもよかった。
 もしもそれを買っていれば、ここに書いているようなノートに対する不満は半減していたろう。それはモバイルパソコンであり、そこにそれ以上のものは求めなかったからだ。

 ところが私は15.4インチ液晶のA4Lと言われるものを買ってしまった。重くてデカい。これはモバイルではなく据え置き型ノートだろう。そういうタイプなので、どうしてもデスクトップと同じような能力を期待してしまい、上記のような不満が噴出することになる。



 これを買ったのは、云南で1,2カ月暮らすとき、大きければ大きいほど安定し、デスクトップ並みの作業が出来ると考えたからである。もってゆくのはたいへんだが、据えおきしてからは「おおきくてよかった」になる。
 モバイルを重視する考えは「旅先に持ってゆく」だが、私の場合は旅先というよりももう別宅に持ってゆく、であるから、こんなことになる。私だってむかしのように世界中を旅行するときの携帯用なら、もっとちいさいのにする。あれこれ噴出する不満は、云南での据えおきを考えてデスクトップ的に使えるおおきなノートを買った私に責任がある。



 が、この問題、もうすこしかなしい理由もある。それは「この大型ノートが安かったから」である。いやもっと正しく言うと、「モバイル性に優れた12インチ前後液晶に、安物ノートはない」ということだ。大きな液晶の方が安いのである。矛盾はない。400CCのいいバイクは軽自動車よりも高い。それと同じ。

 私の買ったこの安物ノートは、たぶんオフィスに置くものなのだろう。企業が大量に買いつけて社員にあたえる品なのだ。そういう需用でそういう作り方をしているから、安い。10万円以下だ。能力的にはこの値段で感嘆するほど高い。
 一方、Panasonicのレッツノートに代表されるように、小型で高性能、タフな、旅先への携帯に最適な品は、パソコンが安くなった今でも、平然と25万円以上する。懐に餘裕のあった時代の私ならもちろんこれを買っている。2001年に買った今じゃ落ちていても拾わないほど低能力のThinkPadだってそれぐらいはしている。

 つまり今回の問題、「いろんな意味でノートの能力が半端で物足りない」は、もともとそんな半端なサイズのものを買ったから、であり、その理由の根源には、「安いから=高いのが買えないから」があるのだった。
 けっきょくは金の問題か……はあぁぁぁぁぁぁぁ。



 とまあくだらないことを書いているが、いまもこうして打っていて、デスクトップのキイボードはいいなあとしみじみ思う。気分でキイボードを替える。こういうことが出来るのもデスクトップの特性。いまは富士通のを使っている。むかしFMVについてきたヤツ。富士通のキイボードっていいよね。
 10台以上もっているキイボードを気分次第で切り替えて使っているけど、メインはIBMとこの富士通。
 一方もうまったく使わなくなったのが、MSのワイヤレスキイボード。最初から使い勝手はよくなかったが、今ではひとつひとつのキイがキシキシいって、不快でたまらない。嫌いだなあ、マイクロソフト。今どきこの種のものは捨てるのに苦労するので置いてあるが、ふつうのゴミとして出していいのならすぐにでも捨てたい。一緒に買ったワイヤレスマウスの使い勝手はなかなかよろしい。

 Dellノートのキイボードは気に入っている。でも気分で替えるわけにはゆかない。気分次第で寝る場所を変える猫型の私には、やっぱりその辺の自由の利くデスクトップがいい。


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【附記】──ノートを愛用していた時期

 上記の文を他人事風に読みかえしていたら、このおっちゃんはよほどデスクトップが好きで、ノートは使わないのだと思われそうなことに気づいた。
 それですこしばかり弁明。

 私が海外にもってゆくためにノート型のパソコンを初めて買ったのは17年前になる。それから欧米やアジア各国に行くときに持っていったのは当然として、日本にいるときも、いつもクルマに積んでいた。田舎の景色のいいところで、ハンドルにノートを載せて文章を書くのは大いなる楽しみだった。クルマからは充電も出来たし。

 一時、DynabookとMebiusとSONY-VaioCR1と三台持っていたときは、CR1をクルマのダッシュボートに備えつけてナビ専用にしていた。文章はMebiusで書いたから、クルマに二台積んでいたことになる。

 ノートをもったら誰もがやってみたくなるであろう「電車の中での執筆」ももちろんやった。



 そういう時代を経て、やりたいことを一通りやって、今は落ちついたということである。
 電車の中で文章を書くほど慌ただしい仕事はないし、書いていても楽しくない。スポーツ新聞を読んでいた方がよほどいい。なにより、たまにそういうひとを見掛けると、かっこわるいなと思うようになった。自分もかつてはあんなことをしていたのかと思うと気恥ずかしくなる。
 といっても、この「電車の中でのパソコン」は、すぐに倦きた。さほどやっていない。それに電源がない状態のノートは、どうしても省電力状態になり、液晶も暗いし、性能が落ちてつまらないのだ。



 これらの中で、唯一クルマでのノート使用には今も興味がある。まず充電しつつだからノートの性能がフルに発揮できる。これが大きい。景色のいいところに駐車しての「移動書斎」は楽しかった。
 そのうちプリウスを買ったら、またやってみよう。と自転車生活で思う(笑)。

 とまあそんなわけで、使わず嫌いのノート嫌いなのではなく、人並み以上にノートは使っていますので。念のため。(7/5)

6/28
ブログの利便性


 ここのところ意識してラップトップを使うようにしている。6月前半、友人のところで世話になったとき、自分が自分用に特化したパソコンしか使えないかたわであることを痛感したからだ。
 ノートもまたいじくりまわしてあるから充分私専用にカスタマイズされているのだが、デスクトップほど万能ではない。なにしろディスプレイがひとつしかない。音楽動画をBGVとして流しつつ、辞書を引き、文章を書くのは無理だ。画面が狭すぎる。思うように行かずいらいらする。デスクトップにもどりたくなる。
 目的はそのいらいらに慣れることだから、効果は、ある。



 家庭内LANを組んでいないから、デスクトップとラップトップで、そのつどケーブルを繋ぎ替えることになる。これもまた覚悟していた不自由だからしかたない。それに、ノートでインターネットはほとんど使わない。

 どうにもいらつくのはデータの移動だ。これはまあむかしからのことなのだが、複数のパソコンでホームページに日記や文章を書くと、保存ファイルも複数になってしまう。それではまずいので、むかしだとフロッピー、今だとUSBメモリに入れて移動することになる。これがなんともわずらわしい。
 これも解決法は簡単で、いまあまった250GBをデータ用の外附けHDDにしているから、ここをデータの本拠地にすればいいのである。USB接続だから、デスクトップのときはデスクトップに、ノートのときはノートに繋げばいい。

 と、リクツではわかっていても、なかなかそうスムースには進行しない。デスクトップでホームページにひとつの文章を書き、UPしようと思ったとき、ノートに保存してあるホームページデータの方が最新であることに気づく。まあ最新と言っても10行ほどの日記があるだけなのだが、このままUPするとその10行は消えてしまう。たった10行でも書きなおすのは面倒だ。しかたないので、デスクトップで書いた文章をUSBメモリにコピーして、ノートを立ちあげ、それを移して、というようなことをしょっちゅうやっている。
 同じようなことをしていて、家庭内LANで、データを飛ばしているひとから見たら、おそろしく御粗末なことをやっていると笑われるだろうが、いまのところこれが私の現実である。

 茨城にいたときも、二台のデスクトップと二台のラップトップ間を、そんな感じで移動していたから、ちっとも進化していないことになる。



 それでまたブログの便利さに気づいた。ブログにはそれがない。どのパソコンからアクセスしても同じ事が出来るのだ。
 友人宅に世話になっていた6月前半、友人のパソコンで書いた競馬文章をUSBメモリに収め、友人に会社からブログにアップしてもらったのもそれになる。あれはホームページでは不可能だった。ブログだから出来たことである。
 なるほど、ブログなら海外のインターネットカフェからでもUPが出来るのか。そりゃ主流になるはずである。
 以前はホームページの掲示板に書きこんでいた。海外からアクセスして書きこめるのはそこしかなかった。ブログ全盛で掲示板が下火になったのもわかる。もういちど、なるほど。



 まあそういうブログの便利な部分はこれからも利用させてもらうとして、ホームページも今まで通りやって行きたい。デスクトップとラップトップをストレスなく使うにはどうしたらいいのだろう。
 二台を無線LANで繋ぎ、共用の外附けHDDをデータ集積地にすること。これがベスト。それですべて解決。それはわかっているが、これにはそれなりの出費が必要だ。それに、そこまでしてノートを使いたいわけではない。もの足りなさを感じるためにあえて使っているのだから。

 いまの環境でとりあえず出来ることで最善は何だろう。
 メールチェックも二台でやるのは好ましくない。一台にした方がいい。
 パソコン雑誌「PC Fan」が特集していた、大容量のUSBメモリにメールソフト等いくつかのソフトを入れ、それを主流にするという手もある。もう8GBですら安い。今日届いた通販案内では、2800円のがあるらしい。毎度の愚痴だが、私が今使っている64MBは8千円した。それでも1MB=1万円の時代を知っている身には安いものだった。

 2GBもあればデータ保存用としては十二分すぎるほど。それをデータ用にし、メールソフトを入れて持ち歩くか。本当に持ち歩くのは失くすのがこわいが、部屋の中でのデスクトップとラップトップ間の移動だから心配はあるまい。当面それで行くことにしよう。
6/29 あらためてMSを嫌う──Vistaのグレード

 私のノートに入っているOSはVistaのHomeという、いちばん安いヤツ。まあ市販品のデスクトップやノートについてくるのはほとんどがこれだ。でないとメイカも儲けが出ない。MSにばかり儲けられて。

 デスクトップでVistaのUltimateを使っている。思えばVistaも試験版のRC1から使っているのだから付きあいは長い。Vistaの正規発売が2007年の1月。私は2006年の夏から使っているのでもう2年になる。
 あれこれ言われているVistaだが、私は好きである。世の中のXP好きのひと(=Vista嫌い)に、「Vistaはいいですよ。便利な機能も多いし、まともに動くだけのスペックを用意して使うと、もうXPにはもどれません」と言いつづけてきた。
 その気持ちはいまも変らない。だが今回の体験からひとつ条件がつくことになった。あくまでもそれはUltimateに限る、ということである。今回最廉価版を使い、そのひどさにいやになってしまった。そしてそれ以上に、そういうことをするMSの商売のあくどさが不快だ。



 Vistaという名で完成されたOSはUltimateだったろう。それに価値をつけるために能力を削り始める。そしてそれらにグレードと名前をつけて売りだす。上はUltimateの5万円から下はHomeの1万数千円まで。
 今回初めてHomeなるものを使ってみて、その機能のすくなさに呆れた。
 有名な話だが、購入するVistaのDVDに入っているのはUltimateなのだそうな。そこからシリアルナンバーを打ちこんでセットアップするとき、そのシリアルでHomeはHomeの能力だけがインストールされるのだという。いやな話だ。口座にはたっぷり金があるのに、CDがこちらの服装を見て、引きだせる金額を判断するかのようである。

 種類はUltimateとBusiness、Homeだが、このHomeにはBasicとPremiumがある。このせこさがたまらない。HomeはUltimateの多くの機能を削除してしまったひどいものだが、そこにまたいくつかの機能を足して「Premium」なのである。なんともたまらん気持ちになる。

Windows Vista Home Basic は、電子メール、インターネットの閲覧、写真の表示などの基本的なコンピューティングが必要な家庭に適しています。

 じゃあPremiumはというと、
Windows Vista Home Premium は、家庭用デスクトップ コンピュータとモバイル PC に適したエディションです。ユーザーの世界に焦点を絞りながら、自宅または外出先で PC に求められる生産性、エンターテイメント、セキュリティを提供する革新的な設計が採用されています。

 なんだとさ(笑)。ひとつのVistaというOSから、あっちを削り、こっちを削りして、いくつもの商品のように仕上げ、もったいぶったことを書いている。知らないひとが読んだら、Home BasicとHome Premiumはまったく別のOSと思いそうだ。Businessはもっとひどい。

Windows Vista Business は、特に小規模ビジネスのニーズに応えるために設計された Windows 初のエディションです。テクノロジのサポート関連の問題に費やす時間を減らし、ビジネスを成功させるためにより多くの時間を費やすことができます。Windows Vista Business は、現在、そして未来のビジネスに向けた最も信頼できる選択肢です。

 ちょい高めのBusinessを購入し、このコピーを信じた単細胞人間は、「おれのOSはVistaのBusinessだからね。ふつうのVistaじゃないから。基本設計からして違うから。そこんとこはハッキリしておきたい」なんて言いだしそうだ。

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 MSのこのやりかたは日本の自動車と同じ、とも言える。
 Ultimateがエアコン、音楽コンボ、自働の窓、ミラー等、ぜんぶそろった豪華版とするなら、そこから、それらをぜんぶ取ってしまった走るだけのスタンダードがHome、そこそこ快適にエアコンとカーステレオをつけたぐらいのデラックスがHome Premiumであり、べつにあくどくはない、とも言えそうだ。

 Ultimateしか知らないころ、私はこの「OSにグレードをつける」というやりかたを、汚い商売だと毛嫌いしつつも、それが商売というものかと諦めてもいた。だが今回初めてHomeを使い、その削られた機能に呆れてしまった。

 Homeにはバックアップ機能がないのである。削られている。
 これはクルマで言うならエアバッグである。廉価版だからエアコンやステレオをつけないのは仕方ないとしても、安全面を弱くしてはならないだろう。
 そもそも新OSに乗りかえるには、それなりのアピールポイントがなければならない。それはMacを真似たAeroなんてえどうでもいい見た目のことではなく、OS自身にクラッシュから恢復できるバックアップ機能ではないのか。廉価版のHomeにそれをつけないイヤラシサがなんともたまらない。



 この比較表を見ると、Ultimateが優れているのではなく、Ultimateから機能を削除して商品を作りあげていることがよく分かる。
 世の中には、「いや、おれなんかよけいな機能いらないし、その分、安い方がいいから」と言うひとがいるかも知れない。MSの思う壷である。そういうひとがこのあくどい商売を許している。
 UltimateをふつうのVistaとして1万数千円のHomeの値段で売るのが正しいのである。それでもまだ高いと思うが。

 それを5万円にし、「機能は少ないけど、こちらはお安くなっています」というのは、めくらましのごまかし商売だ。
 クルマのエアコンやステレオは現実に金が掛かる。それのある車種とない車種の値段が違うのは当然だ。だがこれらの機能にそれはない。目眩ましなのである。

 ここでまた「でも厖大な開発費用がかかっているのだから」とMSを擁護するひとがいるかもしれない。いないだろうけど。
 だってほぼ獨占、寡占企業なのだ。使いたくなくても使わざるを得ない状況にある。どんな莫大な開発費も、すぐに何千倍、何万倍になって取りもどせる。ここまであくどい商売をやる必要はあるまい。



 と腹立ちつつも、今後も当面はデスクトップとラップトップでVistaを使ってゆかねばならない。絶対にLinuxに移り、MSとは縁を切ってやる! と思っているのだが、まだソフトウェアの問題があり、全面移行できずにいる。でもだいぶLinuxの使いかたも上達してきた。あと一歩である。Linux用のATOKとか投資も必要だが、とにかくこのあくどい会社とは縁を切りたい。

 将来は今のようなOS商売ではなくなるという。Googleの新OSが、なんて話もある。簡単なユーティリティソフトが5千円もしていた時代から(ユーティリティソフトと言わなくても、まずブラウザが有料だった)、今のようなフリーの高機能ソフトがあふれる時代になったように、OSに高い金を払う時代は確実に終るだろう。だがそこまで待っていられない。

 つい先日ビル・ゲイツ会長が第一線から身を引くと、歴史を振り返り、今後を想い、涙ながらの会見をやっていた。MSとの縁切りがゲイツのそれに間に合わなかったのがくやしい。
7/4
 ノートPC、壊れる

 午前十時、ベッドで背もたれにもたれつつ、膝の上にノートを載せ、小型スピーカーを繋いでmp3音楽を流しつつ文章を書いていた。
 突然音楽が引っ掛かる。むかしレコード時代に疵があるとなったような現象。どもりのように同じ箇所を何度も繰りかえす。そしていきなりブルー画面。
 ひどい缺陥だが再起動して元どおり、と思った。PCトラブルとしてはよくあることだ。いや、デスクトップは順調なので、まずめったにないことになる。
 再起動すれば元通りのはずだった。ところが再起動できない。Bootに問題があると出る。

 このVista Homeには前から不満があった。この際手持ちのUltimateにするかと起き上がる。私が。OSは寝たまま。起き上がらない。
 HomeにはBackup機能がないので、それようのソフトを入れたりしつつ、こんな面倒なことをするよりUltimateをクリーンインストールしようかと思っていた。あらためてBackupソフトに頼るより、OSのもっているその機能を使った方がいい。Vistaのそれはなかなか優秀で、今までにも何度も助けてもらっている。
 とはいえHomeも、それなりに時間を掛けて磨いてきたから、それらをすべてやり直すのは面倒だとためらっていた。
 いい機会が訪れた。半日仕事になるが一気にやってしまおうと思う。掃除洗濯のようなことは一時間で終ることでも腰が重いがPC関係だけは身軽。

 ところがところがDVD-ROMからは立ち上がるもののOSインストールを受けつけない。HDDがない状態になっているのだ。困った。
 最後の手段のリカバリーディスクも同じ。HDDがないのだから当然だ。インストール先がなければ入れようがない。



 PC会社に電話する。ヤマトの代金着払いで送ることになった。ヤマトはあちらの指定である。荷作りしてちかくのコンビニまで持ってゆく。ヤマトでよかった。サガワだとと扱っている店を知らない。

 真夏日だった。コンビニとの往復で汗びっしょりになった。
 帰宅するとPC会社からメールが届いていた。
「このURLからSATAドライバをDownloadして、フロッピーに保存し、F6を押して」と手順が書いてある。
 これは知っている。だてにパソコン歴は長くない。デスクトップでもノートでもやったことがある。だが今回の故障はそれではあるまいと思う。
 
 この方法をよく使うのは、小型ノートのトラブルで、外附けCD-Romプレイヤから起動したり、OS再インストールしたりする場合。最初にまずこのCD-Romプレイヤのドライバを読みこませなければならない。リカバリーディスクの起動等で使う方法だ。何度もやっている。
 だがデスクトップで、同じような感じでいきなりHDDが応答しなくなったとき、これをやってもダメだった。けっきょくその場合は初期不良という形でHDDを替えてもらった。今回の故障はそれに似ている。

 PC会社まで送って十日、二週間と待たされるより、いま自分で直せるのならそれに越したことはない。
 またコンビニまで歩いて行き、荷物を引き取ってくる。このときお昼。ヤマトが来るのは午後三時とかで、まだあった。出してすぐ引きあげるのは恥ずかしかった。



 つい先程梱包したものをまたほどき、電源コードを出して結線する。この辺、むなしい。
 しかし案の定ダメ。無駄足となった。壊れた状況から考えてHDDがイッチャッタのであろう。同じ事を経験している。けっこう重傷だと思う。

 メールを寄こしたPC会社の担当者に電話してその旨つたえる。すこし呆れたのは、ごくごく温和に、「言われたとおりにやったんですが、ダメなんですよ」と言ったら、「そんなこと言われたって、私はただマニュアルにそうあったから、そうして欲しいと言っただけで」と逆ギレを始めたこと。だめだこりゃ。
 ま、とにかくもういちど送りますのでよろしくお願いしますと丸く収めて切る。これ、私がおとなだからいいけど、短気な抗議好きなら、「買って二週間で壊れるパソコン売っといて、なにいっとんじゃボケ」とケンカになるところ。



 私は大きな人間でもなければ温和でもない。かといって短気に逆上もしないが。
 丸く収まったのは、私の中で「云南でなくてよかった」という気持ちが強かったからだった。なにもない云南でパソコンが壊れたなら、私はもう退屈で退屈でいられない。文章を書くのは、辞書とノートがあれば手書きで出来る。むしろ勉強のためにも手書きでやったほうがいいのだが、肝腎の辞書等もみなPCの中だ。云南でPCがなかったら、と考えるだけでおそろしい。
 その最悪の状況を思うと、「日本で壊れてよかった」と、早々と壊れた粗悪品に対する怒りより、そちらの幸運?を思ってしまうのである。

 PC掲示板に同じような愚痴があり、それに対してどなたかが「保証期間中に壊れたことを幸運と思いなさい」と書いていた。なるほど、これも一理ある。ほんとうについてないひとは、保障期間が切れた翌日に壊れたりする。
 よいほうによいほうに解釈しよう。


 
 私の品物の「当たり率」はどれぐらいだろう。90%ぐらいか。もっといいかな。まあ高い物を買って大外れはほとんどない。ノートPCは今まで7台使っているが故障は始めてである。日本製品は優秀だ。
 トラブルは何度かあったが、それは私がHDDを換装したりしていじった場合。なにもせずふつうに使っていて壊れたことは一度もない。当時は毎年のようにノートパソコンを買っていた。当然あたらしいものをメインに使ってゆくことになるが、主役の座を降りた旧い型も、その後も問題なく動いていた。その後ノートとは疎遠になり、前回の機種は2001年に買ったThinkPadになる。これもつい先日までトラブルなしだった。さすがに今年になってから動かないキイが出て来たりして、どうしようもなくなったが。人間で言うなら米寿であろう。不満はない。

 なのに今回のは買って二週間でこんなトラブルだ。初めての経験になる。
 心配なのはこのあと。私はどうしても「相性」を考えてしまう。一度こんなことが起きた機種は、假にあちらが違う新品と交換してくれたとしても、また起きるのではないか。おそろしいことだが、そういう「相性」は存在するのだ。今まで製品に恵まれてきて、トラブル慣れしていないだけに、こんな初めての初期トラブルにびびっている。

 しかしまた考えてみると、私はいつもブランド品の最高級品を買ってきた。安物を買ったのは今回が始めてである。ブランドとしては、Dellはブランドなのだろうが……。安物だから壊れたのか。それともDellと私の相性なのか。

 長期保障には入っていない。今度壊れたらおしまいだ。典型的「安物買いの銭失い」になるのではないかという恐怖が消えない。
 Dellを買ったのは失敗だったのか。雨降って地固まることを願うのみ。

7/5
JUST SYSTEMのシステムに失望

 『一太郎』、ATOKを使って二十年近く経つ。最初のころはもちろん『一太郎』を買っていた。やがて評判のよさからATOKが獨立する。それでも「別売のATOKだけ買っても、Version Upの一太郎ごと買っても値段はほぼ同じ」ということから、いつも『一太郎』のVersion Up版を買っていた。しかしまったく『一太郎』を使わないので、それはもう見事なほど完璧に使わないので、今年からATOKだけを買うことにした。

 といって『MS Word』なんてエものを使っているのではない。私はもうPC9800の頃からテキストエディター派になってしまった。ワープロソフトそのものを使わない。原稿は編輯者がいじるものだからテキストエディターで充分なのだ。いま物書きでワープロソフトを使うひとはいないだろう。よほど疎いひとでないかぎり。ワープロソフトはオフィスのもののような気がする。
 私は大のマイクロソフト嫌いだから、もしもワープロソフトが必要なら意地でも『一太郎』を使う。絶対に『MS Word』なんて使わない。しかしワープロソフトを使わない。よって購入はATOKにした。

 ATOK好きなら人後に落ちない。このホームページでも機会さえあればATOK讚歌を書いている。一方、「OSを再インストールして真っ先にやることはMS-IMEを削除することだ」のように、MS-IMEの悪口も書きまくってきた。
 ATOKは私にとって最もいとしいPCソフトになる。

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 今回初めてJUST SYSTEMに電話した。ATOK2008の使いかたでわからないことがあり、ネットで調べたり、JUST SYSTEMのF&Qも熟読したが解決策が見つからなかったからだ。



 細かいことを書くと長くなるので先を急ぐ。
 話をはしょるため結論から書く。
「JUST SYSTEMの利用者からの相談受けつけ電話は有料になっている。これはすこしおかしいのではないか!?」である。

 まず電話を掛けると、最近の大手企業ではよくある、あの「番号を入力して行くパターン」になる。
 利用者からするとまどろっこしく、極めて不愉快なシステムだ。しかし大量の電話を処理するのにはしかたないのだろうと理解もしている。

 これの最もひどいのがYahooだ。「××のかたは1を、△△のかたは2を、◆◆のかたは3を────□□のかたは9を」と延々とやられ、5番を押したら、またそこから「××のかたは1を」と始まる。それを5分、10分とやっているともうゲシュタルト崩潰を起こし、自分が今なにをやっているのかすらわからなくなってくる。Yahooのこれが長くて不評なのは絶対的事実。誰もが口を揃える。私がYahooとの契約を切ったのもこれがひとつの理由になる。
 先日口座を作ったCtiyBankもけっこう面倒だったが、Yahooと比べると、どんなものも簡単に感じる。



 今回初めてJUST SYSTEMに電話した。するとここも同じシステムで、「××のかたは1を」から始まって行き、やがて10桁のユーザー番号まで入力させられた。そうしてやっと人間に繋がる。一見よくある企業の姿だが……。

 同じようなYahoo、CTIYBANK、JUST SYSTEMだが、大きな違いがある。それは前二つが無料電話なのに対し、JUST SYSTEMの電話は有料ということだ。Yahooに10分も機械案内で振りまわされ、結果として何も解決しなくても、怒鳴りちらしたいような苛立ちをなんとか我慢できるのは、それが無料電話だからだ。もしもあれが有料で、500円、千円のテレカを使いきって、それでなにも解決しなかったら穏便にはすむまい。
 JUST SYSTEMにはユーザーが掛けられる無料電話が設置されていない。相談はみな有料電話に掛けるしかないのだ。



 知らないひとに誤解されないよう、すこし詳しく書く。
 製品を買っていず、F&Qも読んでいないひとからの初歩的な質問が連続したら会社としても困るだろう。世の中には説明書を1分読めばわかることでも読まずに電話してくるようなのがいる。そんなのに振りまわされていては仕事にならない。だから「相談する人は有料電話」というのは一見筋が通っている。

 だが違うのだ。私は前記「10桁のユーザー番号を入力させられた」と書いた。つまりこの番号に電話をして相談するひと(相談できる資格のあるひと)は、みなJUST SYSTEMの商品をすでに購入しており、ユーザー登録を済ませているひとなのだ。JUST SYSTEMにとってたいせつなお客さまである。
 それを有料電話で、何番を入力しろ、それから今度はユーザー番号を入力しろと振りまわす姿勢はおかしい。異常である。

 やっと繋がった電話に出た女から、さらにこんなことも言われた。
「お客様の購入した商品にある2回の相談権の1回を使ってもよろしいですか」と。
 今までやったことがないので知らなかったが、『一太郎』やATOKを買うと、「JUST SYSTEMに無料相談する権利」が2回附いてくるらしい。どこかマニュアルに書いてあるそうだ。2回を使うとどうなるのだろう。3回目からは有料になるのか? なんだかよくわからんシステムだ。

 私はもう二十年近くJUST SYSTEMの製品を愛用している。ユーザー登録したのは、番号から推測するに1996年らしいが、そのずっと前から使っている。『一太郎』をVersion Upのたびに毎回必ず購入してきた。
 今まで一度も相談などしたことがないので、こんなシステムを知らなかった。購入者にその「2回分の権利」とやらがあるなら、せめてその2回分だけでも無料電話にしろ。それがサービスだろう。



 私に質問された女は、プロのくせに自社の製品にあまり詳しくなく、「ちょっとお待ちください。調べてみますから」と言い、音楽が流れてきた。
 私は携帯電話から掛けていた。しばらく音楽を聴いている内に、購入した商品に関して質問しているのに、あれやこれや引っぱりまわされ、10桁のユーザー番号を入力させられ、いまどき電話賃を取られ、しかもオペレーターは質問に応えられず、こんなに長く待たされていることに腹立ってきた。「おれ、なにやってんだろう」と空しくなって電話を切った。
 しばらく後にその女が電話を掛けてきて、「先程の件についてですが」と話し始めたので、「もう自力で解決したのでけっこうです」と言って切った。



 JUST SYSTEMは、一般的な相談電話は有料でいいが、10桁のユーザー番号を入力させる顧客には無料電話を用意すべきである。それが、無料でMS-IMEが附いてくる時代に、8千円前後の金を出してATOKを買ってくれる客に対する最低限の礼儀だ。
 すぐにそれを用意し、ホームページに「無料電話を御利用いただく際には、ユーザー番号の入力が必要となります」と明記すればいい。それだけのことだ。そうすれば勘違い初心者は掛けてこない。顧客だけだ。それがどれほどの支出になるというのか。なぜそんなことにすら気づかないのだ。



 私は今まで企業に対する抗議の意見書を出したことは一度もない。だが今回だけは、この文章を印刷してJUST SYSTEMに送ろうと思っている。
 あの悪辣なMSの圧力に負けず、日本にJUST SYSTEMあり、日本語入力にATOKありとがんばってきた企業だ。今までずっと応援してきた。そこまで肩入れしてきた企業のこんな杜撰な面は看過できない。


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