2006
5/24
ハードディスクの最後




 ハードディスクが壊れた。
 昨日、いかにもクランクがうまく回らないような、カッチンカッチンという異音を発したので、いよいよご臨終かと覚悟はしていた。予想通り、今日動かなくなった。動かなくなっても相変わらず異音は発している。出来るなら読み出せなくなると同時に回転もせず、無音になって欲しかったが……。
 たかが機械部品が壊れただけなのに厳粛な気持ちになっているのは、初めての経験だからである。

 ハードディスクドライヴはそれこそ何十台も使ってきた。
 何度も書いているが、初めて買った「80メガ、7万8千円」の品を買ったときは、もう一生ハードディスクは買わなくて済むと思った。なにしろ640kbのフロッピーディスクを埋めるのでさえたいへんである。一年分の放送原稿が1枚のフロッピーに収まっていた。その80倍以上である。80メガもあれば一生分の文章が入ると思った。(たぶんこのこと自体は正解だろう。)

 それからたいして時は流れていないのに、腰を抜かす「ギガ」を通り越して、いまやもう「テラ」の時代である。腰すら抜けない。
 最初のデジカメのメディアであった2メガのスマートメディアでは今、1枚の写真も撮れない時代になった。まあスマートメディアという言葉自体もうすぐ死語か。

「ギガ」が話題になったころ、「自分のCPUクロックは300メガだ。来年発売になるCPUはなんと1.2ギガだという。とすると、もしかして私のパソコンは0.3ギガと書かれる日が来るのか! いやだ」というパソコンコラムがあった。これって笑いをとろうとしているのである。800MHZのCPUが最高級の時代だ。笑った人もいたろう。「まさか」なんて。
 今では笑いにならない。常識だからだ。というかクロックが1GHz以下のCPUなんてなくなってしまった。かといってこれ何十年も前のコラムではない。ほんの数年前だ。先日「0.3テラ」という表現を見かけた。「これって300ギガのことだよな」と何度も確認してしまった。


 初めて使って感動した80メガから250GBまで何十台ものHDDを使ってきた。パソコン雑誌を山と読んできたから、「ハードディスクの寿命」「オシャカになる瞬間」は熟知していた。だが現実に「ハードディスクのご臨終」に立ち会ったのは今回が初めてなのである。だから妙に感激している。しかも前日に異音を発し、「もうだめだ」と宣言しての翌日だから、よけいに感動している。

 なんで今までご臨終の瞬間を知らないかというと、ダメになる前に買い換えていたからだった。
 ハードディスクを労働者とするなら、私はとても労働者思いの雇傭者だった。労働は交代制にし、決して強制労働はさせなかった。年老いたら年金をつけて引退してもらった。快適な老後も保障した。それ用の引き出しに20台ほどのハードディスクが入っているが、みな壊れてはいない。餘生をのんびりと送っているだけである。中身もあたらしいものに引き継がれたり、CDやDVDでコピーをとったりしてあるので問題はない。静かに時を待ち、動かなくなる天寿を待っている。

 もちろん「初期不良」は何度もあった。替えてもらったものもあるし、金回りのいいときだとそういうことすら面倒なので、「外れくじを引いた」とあきらめた。よって「新品のまま動かないもの」もいくつかある。
 昨年夏の引っ越しで初めて何台かを捨てた。大嫌いなFMVに入っていた1.6GBのものとか。でもそれも壊れてはいなかった。
 まともに動いていたものが、パソコン雑誌で読んだように「異音を発し」、そうして動かなくなるという寿命で壊れる瞬間は今回が初めてなのである。「80メガ7万8千円」から何年目の初体験だろう。20年目ぐらいか?



 今回初めてこんなことになったのは、常時接続したままのDownloadによる苛酷な労働だった。
 常時接続になり、そういうことが出来るらしいのでやってみようと思った。そこそこ知っている知識から、システムの入っているハードディスクを使うのは危険なので、専用のハードディスクを用意すべきと判断した。これは今も正しかったと思っている。
 これが苛酷な仕事でありハードディスクの寿命を縮めるのは知っていた。たぶん数ヶ月で壊れる。今時の新品ならもっと保つだろうが、私のもっているのはみな今では古い型のものばかりだった。しかも一度システムの入ったハードディスクとして使命を終えているモノばかりだ。

 新しいものを買うべきだったと今は悔やんでいる。だがそんな餘裕もなかった。まして壊れていないハードディスクが20台もあるのだ。どうなるかわからない連続Downloadをしてみるのにまずはそれを使ってみようと思い立った発想は自然だったろう。
 それらの中から、かつてDualCpu時代にシステムを入れていたIBMの30GBを選んだ。一度も故障しなかった優等生である。「やってくれるか?」と問う。決死隊である。老いた彼は微笑んで、「あっしで役に立てるなら」と言った。初期化してDownload専用にした。

 ダイアナ・クラル、ノラ・ジョーンズ、エリック・クラプトンらの映像DVDを外国のサイトからDownloadした。その間、三日も四日も電源は入れっぱなしだった。初めての経験である。当たり前だがADSLも繋ぎっぱなしだ。でなきゃDownload出来ない。これも初めての経験になる。なにしろパソコン起動中でもモデムの電源は切っているぐらいの通信嫌いだから、この繋ぎっぱなしは怖かった。
 夜中にトイレに起きたとき、パソコンを点検する。カリカリカリカリとハードディスクは動きっぱなしでDownloadを続けていた。寝る前に始めたDownloadは、確実に進んでいた。「すまんなあ」と詫びる。年寄りに働かせて自分だけ寝ているような罪の意識があった。

 それと、こういうふうに繋ぎっぱなしだから、いまスキルのあるヤツならこのパソコンに進入して好き放題出来るのだろうなと、恐怖を感じた。べつにまあ進入されても困るようなものはなにもないのだが、なにしろ他者と接することが怖くてパソ通さえ出来なかった男だから、三日も四日も繋ぎっぱなしは、たいへんなストレスになった。お蔭でDownloadが完了し待望のDVDが手に入ったあと数日は、ネットに繋がずにいたりした。そんなことをしても意味はないのだが。


 ダイヤルアップで、30メガ程度のWindows Updateをするのに一晩中かかっていた身としては、そんなものは1分程度で出来てしまうADSLは驚異だった。さすがに外国からDVDをDownloadする時にはそこまでの速さは出ず、50kbから100kb程度だったが、それでもそういう方法で高価な音楽DVDが手にはいるというのはあらたな快感だった。
 このハードディスクのお蔭でいったい何枚のDVDを焼いたろう。最初のころの「すまんなあ」もいつしか消え、Downloadが終るとDVDに焼き、ハードディスクからファイルを消去し、すぐにまた次の作品のDownloadを始めるようになった。一度にみっつもよっつも同時にDownloadしたりした。いつもいつも彼はカリカリカリカリとDownloadされるファイルを己の身に焼きつけていた。

 さすがにしばらくすると三日も四日も電源を入れっぱなしにしておくのは精神衛生上よくないのでやめた。それでも私は一日10時間はパソコン作業をするから、その間毎日、いつもいつも彼はカリカリカリカリと動いていた。
 半年ぐらいがんばってくれたろうか。いやもっとだ。去年の11月、金沢のKが遊びに来た。あのとき彼にダイアナ・クラルやノラ・ジョーンズ、クラプトンのDVDをコピーしてあげている。あれを作ったのはこのハードディスクだ。とすると、四五年前に活躍していたハードディスクが、それからしばらく休み、今回の出番で、7ヶ月ぐらい苛酷な労働に耐えてくれたことになる。たいへんだったな。ありがとう。
 機械の墓があるなら、鄭重に葬りたい気分である。


 ネットからのDownload専用にしていたので、中には音楽ファイルがたくさん入っていた。最近はADSLの調子が悪いこともあって、DVDのような大きなDownloadはやっていない。たまにジャズCDを検索して、欲しいモノがあるとDownloadしていた。これだと40メガから100メガ程度だからちいさい。あの「すまんなあ」と思う、カリカリもほとんど聞かずに済んだ。
 それらの音楽ファイルは、容量がちいさいこともあってDownload完了と同時に音楽専用ハードディスクにコピーしていたから、格別に臨終間際に引き出すべきものはなかった。
 あったとしたら、異音を発したときはまだ正常に動いていたから、まともなハードディスクに移すことが可能だった。ご臨終はそれをまっとうした翌日にやってきたろう。なんだかその辺の律儀な姿勢も、最後の最後まで立派だった猫の死を思い出して切ない。
 まあこういうアニミズムが好きなヒトなのである。わたしは。

 これからの姿勢だが、やはり最期を見届けるのは避けたい。
 可能な限り、餘力のある時点で引退させてやろう。
 今まで「ハードディスクの最後」を知らなかったのは、こういう小物が好きだから、ちょいちょい買っていたからである。餘裕をもったローテーションで回していた。
 来週120GBをひとつ買ってあらたにこの役目を任せるが、異音を発する前に引退させたいと思う。新品なので一年はもってくれると思う。使用開始日をメモしておき、きっちり一年で引退させよう。そう思っている。たかが機械であれ死の瞬間を見るのは辛い。

6/24
置換大失敗

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 「置換」大失敗
 ファイル内の「知恵」を「智慧」に置き換えたいと思った。ここ数年は「智慧」と書いているが初期のものは「知恵」になっている。
 なぜ今朝そんなことを思ったのかと考えたら、昨夜寝る前に、智慧と表記している高島俊男さんの本を読んだからだと思いつく。

 検索してすべての「知恵」とあるファイルを検出し、一気に「智慧」と全置換する。
 したつもりだった。終ってから気づく。なんと置換する「智慧」のところに、「餘生」と入っている。以前「余生」を「餘生」に置き換えたときのまま、「智慧」と入れずに実行してしまったのだ。
 とすると、ファイルの中のすべての「知恵」が「餘生」になったのだから、とんでもなく滑稽な文が続出する。すぐに直さねばならない。
 ため息が出た。やり直しの気の重さよ。一瞬で何十も置換できるからこそ、やり直しはたいへんだ。置換は一瞬でも、誤ったそれを直すのは一瞬とはゆかない。ひとつひとつ手作業だ。

「餘生」をすべて検出して確認してみる。
 たしかに、「猿の浅知恵」を「猿の浅智慧」に置き換えるはずだったのに、「猿の浅餘生」というわけのわからんことばになっていた(笑)。

 やり直しのたいへんだったこと。さいわいにも二十数カ所とすくなく、思ったほどの時間は食わなかったが……。朝からこんな修正作業もなさけない。
 もしかしたらまだどこかに「生活の知恵」が「生活の餘生」となっている箇所があるかも知れない。気づいたら教えてください。


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感謝
 あたらしいPCマークの絵は、ホームページ素材サイトhttp://webweb.s92.xrea.com/からいただいた。最高にセンスのいい素材サイトである。感謝。


7/14
 MSの不快!

 エクセルはマスターして今はアクセスの勉強中である。クエリを使いこなせる程度にはわかってきた。パワーポイントは冗談で覚えてしまったが役立てようがない(笑)。プレゼンの予定もないし。

 平日の夜にほとんど時間はないがそれでも週末に勉強しようと会社のOfficeのCDを持ってきてインストールした。この辺の進取の気性に富んでいる自分は好きだ(笑)。

 そして知る。マイクロソフトのソフトはインストールすると、自分の相棒をMS-IMEにしてしまうと。すでにATOKがインストールされ通常使用されるIMEとして機能していてもだ。
 これが不愉快でたまらない。単なる好き嫌いなら我慢もするが、両者のあいだの実力は雲泥の差である。なのにいくらATOKに設定し直しても自然にまたMS-IMEが出てくる。削除した。

 この「MS-IME削除」は毎度のことであり、私の使うパソコンには常にこんなものは存在しない。切り替えるのではない。OSを入れたら真っ先に削除する。そうしておけば時折顔を出して不愉快にされることもない。
 まあそんなわけで自分のパソコンに関しては、一瞬不快になったがなんとか出来た。

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 問題は会社のパソコンである。最初に私に与えられたパソコンにはMS-IMEが入っていた。私は自分のATOKをもっていって入れた。その中古パソコンはすぐにクラッシュして私の努力は水泡ときした。
 しかしすぐに知る。この会社でもATOKが主流のようだ。気むずかしい私の上司(もちろん年下)もATOKを褒めMS-IMEを貶していたからこの件に関しては問題ないだろうと。
 今回、よりあたらしいパソコンが与えられた。とはいえDellの安物であり能力は低い。
 そのパソコンを使いやすくしようとしたら、その上司に見とがめられ手厳しく叱責された。複数の人が使うからぜったいにいじらないでくれ、と。しかたないのでおとなしく従っている。使いづらくてたまらない。

 そのパソコンも前任者はATOK使用だったらしくインストールされていた。テキストエディタでビジネス文書を書いたりするときにはATOK使用で問題はない。
 ところがMSのソフトを立ち上げるとMS-IMEが顔を出す。「ここはおれの縄張りだ」と断固として譲らない。ATOKに切り替えたのに、ふとよそ見をすると?またMS-IMEにもどっていたりする。とにかくしつこい。

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 そりゃ世界完全制覇を目論むマイクソフトにとって、あらゆる国で意のままにしてきたのに、島国日本で唯一意に染まらないのがJust Systemという会社が作ったATOKというIMEソフトだった。これを駆逐し消滅させるためにMS-IMEを無料でOSはつけた。なのに日本人というのは大枚を払ってまでもATOKを使おうとする。ATOKの中枢をヘッドハンティングしてまでJust System潰しに本気になった。なのに潰れない。MSにとってJust Systemは目の上のたんこぶだった。いやそんなに大きな存在ではない。ホクロ程度だでも気に入らない。
 
 なんとしても潰してやろうと画策する。その先兵が世界標準ツールの「Officeを使う人はMS-IMEを使いなさい。じゃないとOfficeは使えないよ」だった。多くの人がこれで膝下に屈していった。いやこの言いかたは正しくないか。押しつけられたMS-IMEをそのまま使う人とは、日本語に対する感覚が所詮そこまでの人なのだろう。型どおりのビジネス文書はMS-IMEでも書けるのだろうし。でも隣の人が「学習能力が低い」と言っていた。

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 昨日、あまりのそのしつこさに私は切れてしまった。いくらATOKに切り替えてもMS-IMEが顔を出してくる。しつこいことに怒ったのだが決め手は能力だった。私は単細胞なので、「そんなに強く関連づけしてあるならしかたない、MS-IMEを使うか」と思ったのである。もともとマイクロソフトのOfficeなんてソフトを使いたくないのだ。それをこの年になって学び使わざるを得ない立場にいる。だったらもう毒くわば皿まで、すなおに郷に入ったので郷に従おうと思った。多くの人もその感覚でMS-IMEを使っているのだろう。
 なのに使い物にならない。呆れた。前々からどうしようもなかったが今になってもまだこんなに程度が低いのか。こんなものを使っている日本人がいることが信じられない。

 で、MS-IMEを削除した。さすがに削除されたらでしゃばれない。いやはやそのあとが快適だったこと。
 しかしこれはそのうちバレる。年下の上司に私は叱られる。知らぬ存ぜぬで通すつもりでいる。通らないか、私が触るまで確実にあったものがなくなったのだから。

 救いはその上司もATOK派であることだ。彼がいま私が使用しているパソコンをたたき、(彼は自分用の高性能パソコンを使用しているからまずそんなことはないと思うが)、「ない、どうしたんだ、おれの大好きなMS-IMEがない、誰だ、いったい誰が消したんだ!」となり、「かってにパソコンはいじらないでくれとあれほど言ったじゃないか、くどくどくどくど」と説教される……、となることはないと思うのだが……。すこし不安。
8/7
 You Tubeを知る!

 2ちゃんねるの「ニュース速報+」で「亀田問題」を読んでいたら、ここがリンクされていた。それでテレ朝のやった「アンチ亀田」のワイドショーでの「亀田父対やくみつる」を見ることが出来た。
 一日中部屋にいた時期なら必ず見ていたものであり、早朝から出勤している今は録画予約でもして行かなければ絶対に見られないものである。かといって昼のワイドショーを録画予約もみっともない。それがこんな形で最良のダイジェストで見られる。なんとまあ便利な時代なのであろう。



 遅ればせながらたいへんな話題になっているメディアであり、これに刺激を受けて同趣旨の後発が連続していると知る。果たして著作権がどうなっているのか知らないが、なんともこれは便利なものだ。
 このあと同じくここで、談志が陳平、西部邁と言いたい放題やっている映像も見た。品のない映像だった。亀田親子を品がないと貶しているこの人達の方が品がなかった(笑)。談志というのは相撲でもプロレス、ボクシングでも、「どうせあんなものはね」という視点からしか語れないかわいそうな人だ。自宅の金庫に2億の現金を入れておき、毎晩それを見て安心するという性癖がよくわかる。

 こういうところでは私が見たいと熱望している「たかじんのそこまで言って委員会」も見られるのだろうか?
 するとそれはこことは関係なくもうアップされているのだと知る。
 とにかく今の時代、社会的な話題になったものは、探せば見られるらしい。何とも便利な時代だ。どうでもいいくだらんことだが、「汚い言葉でやくみつるに怒鳴りまくる亀田父=息子のために矢面に立って闘っている父=家族愛とも言える」を映像で見られたことはありがたかった。

 こういうサイトのメインは、「個人が投稿したおもしろヴィデオ」であるらしい。あまりその種のものに興味がないので私の利用法は今回のようなものに限られそうだ。それにしてもありがたい。

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 と、以上はまったくYou Tubeのことを知らずに書いた文。
 そのご『週刊アスキー』の情報を読んだりしていくらか詳しくなった。かつて病的な週刊誌中毒だったので全面的に禁止していたのだが、このごろまた『週刊アスキー』を買うようになってしまった。
 ご存じのかたも多いだろうが自分のためのマトメ。
  • アメリカの、と書くと一気に雑になるのでがんばってすこしこまめに書こう。
    カリフォルニアのチャド・ハーリー氏がパーティの映像を仲間内に配るのにいいものがないかと考え、ないので、だったら作ってしまえと立ち上げたのがYou Tube。2005年5月に立ち上げた「動画共有サイト」である。
  • わずか一年でネットで閲覧される動画の60%を占める。一日あたりのページビューは1億件。ユーザーは600万人。毎日3万5千件ずつアップ。一気にネットビデオの帝王に。
  • 日本からのユーザーだけで月刊200万人。
  • 中にはYou Tubeは日本人が立ち上げたもので正しくはローマ字読みで「ようつべ」と読むのだと信じる人まで出たとか(笑)。
  • しかし運営費が月に1億円もかかり倒産閉鎖の噂が駆けめぐる。800万ドルの融資を受け立ち直ったかに見えたがそれもすぐに底をつく。
  • その倒産の根源は日本人ユーザーなのだとか。彼らの金にはならない著作権違反の日本のテレビ映像アップしまくりによってYou Tubeを追いつめてしまった。
    (これはまあどうでもいいことだが)そのことから日本人を攻撃する映像や反論する映像でさらに盛り上がっているとか(笑)。

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    私の場合もここを知ったのはワイドショーの亀田の映像を流していることからだった。私もまたYou Tubeを追いつめた日本人のひとりになるのか。とにかく勤め人のまねごとをしていて見られなかった昼のワイドショー映像を見られたことに関しては感謝している。
8/11 Slow Hand





9/27 DVD-RAM 使い初め


 DVDのメディアではDVD-RAMがいちばん安定している。らしい。こんなもん実態はわからない。それでもDVD-RWの書き込みが千回であるのに対しRAMは10万回とか、話半分としても桁違いの数字を出している。ほめる記事を何度も読んできた。でも私には縁がなかった。
 というのは今でこそ安価なマルチプレイヤで使えるようになったが、当初は専門の再生機が必要だったし、メディアも桁違いに高かった。元々が松下がPDとの互換で出した獨自のものだっただけに高品質ではあれ孤高でもあったのだ。私は今まで何台かのDVDプレイヤを使ってきたがそのどれもがDVD-RAMには非対応だった。そういうものであり私には縁のないものだと思っていた。

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 ところがほんの数年で激変する。今回、愛機が不調なので非常用として買った4万円の安物パソコンにすらDVDマルチプレイヤがついてきてDVD-RAMが使えるのである。いや正直に言うと、私はそこに惹かれてあまたある安物パソコンの中からこれを選んだのだった。記録メディアに望む唯一のことは安定して長持ちしてほしい、である。10年先、20年先を想定して作ったデータが、そのときに消えていたら目も当てられない。具体的に言うと日記である。私は今、自分が死んだあとに子供が読むための日記をつけている。メディアはどんなに高価であれ信頼できるものがいい。今の時点で一番はDVD-RAMだろう。

 ということでメディアも本家の松下のものを買い(安物パソコン附属だからプレイヤ自体はよくないが)、いそいそとデータ保存をしてみた。初めて見るメディアは安くなったとはいえDVD-Rよりはかなり高い。思わず今までのDVD-Rより高貴に見えたがもちろんそれは気のせい(笑)。
 それに自分の文章、ホームページのデータ、後世に遺したいと思う日記等を記録する。なんとも10万回は頼もしい。週に一度ずつ更新して上書きしたとしてもまず千回使うことはないだろうからカタログ通りなら万全のはずだ。

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wikipediaより

DVD規格の一つであるが、同様に書き換え型であるDVD±R/RWと異なり他のDVDとの互換性がない。 これは記録密度、ランダムアクセス性向上のためにDVD-ROMなどのアドレスの検出方式やトラッキング方式をとっていないためである。

互換性がない代わりにパーソナルコンピュータ用途として10万回の書き換え回数を誇り、デフェクト管理など可換記録メディアの機構が十分に規格上に存在している。

また、他の書き込み型DVDと違い、カートリッジに入ることで傷がつきにくく扱いが容易である。当初はディスク保護のため全てカートリッジがつけられていたが、後にカートリッジなしでも使用できるようになった。

書き換えにおいて特別なアプリケーションを必要とせず、フロッピーディスクと同様の操作で書き換えが可能なためバックアップ・ディスクとして使用されることが多い。


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 ライティングソフトがいらずフロッピーと同じように書き込めるのは便利だった。それとWin-XPではこのDVD-RAMをすぐに認識する。2kではしない。Win-2k派の私が初めてXPは便利だなと感じた瞬間だった。(そんなものすぐに対応出来るのに敢えて差別化のため2kでは認識しないようにMSがしているのだから論理としておどろくことではないのだが。)

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(以下は11月20日記入)
 DVD-RAMはとても便利でありこれからもメインのメディアとして利用してゆくがここにこんな一項を設けたのはじつはその便利さとは関係ない。私はこのあとハードディスククラッシュに遭い、かつてないほどひどいことを経験する。それがこの新しいモノ好き、好奇心からDVD-RAMに記録しておいたことで被害を最小限に抑えられるのである。書きたいのはそれになる。
 9月27日にDVD-RAMを使ってみた。ホームページ等を記録した。10月2日にハードディスクがクラッシュする。失われたものはその間の5日間で済んだ。もしもこの新しいモノ好きからDVD-RAMメディアを買ってきて記録するということをしていなかったら、その前回のバックアップのCD-RWだといきなり一ヶ月以上前になり、その間の記録が失われていた。一ヶ月分は原稿用紙にして500枚ほどあり、おそらく私は(ホームページに関して)再起不能になっていた。すくなくとも半年ぐらいはやめていたろう。事実その後も事故が相次ぎ、私的日記を2週間失うようなことが続いたため、未だにこうして復旧が進まないままでいる。私的日記だから手帳を見つつ復活させればいい。現にいまやっている。でも私なりに公的?に書いた500枚を失ったらやる気をなくして寝込んでいた。

 これは毎週一回は必ずバックアップを取る習慣を忘れていた私の怠慢なのだが、弁明するならPCにHDDを二つ入れ、いつものHDDに記録したあと、こまめにもうひとつのHDDにバックアップをしていた。これをやれば安心するのではないか。いきなり二つのHDDが両方とも壊れるとは考えにくい。しかし現実にそれが起きた。さらに念には念を入れて外部メディアにも取っておかねばと思った次第である。

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 DVD-Rへの保存には倦んでいた。そのことによって多くの音楽ファイル、映像ファイルを失った。ADSLにしてからだから1年3ヶ月分の蒐集の内、DVDに落としていなかったほぼ半分を失ったことになる。

 不満を言うなら「DVD-RW(=CD-RW)の使い勝手の悪さ」が問題になる。DVD-RやCD-Rにはけっこうこまめに記録してきた。でも面倒になる。倦きる。こまめにやっていた当時の同じような中身の記録が何枚もある。フロッピーのように毎日簡単に上書き保存できるメディアがあったら今回の復旧ももっと楽だった。その意味ではMOを嫌っていた私は失敗したことになる。まったく安定性抜群のMOを愛用していたならこんな目には遭わなかった。FDの次にMOを採択すべきだった。
 MOを嫌ったのには理由がある。保ちの良さと安全性には当初から定評があったMOだが、日本でしか普及していないので将来的にハードの生産が不安だったのだ。これは早い時点で見抜いていた。現に今も先細って来ている。パソコンショップでMOを見かけることなどなくなった。それはもうDVDの4Gですら物足りないと言われる時代だから680MBのMOがそうなるのは自然である。それでも既存の利用者のため今後もハードとメディアの生産は細々と続くのではないかと言われている。いずれにせよ「MOから何かに移す」という事態は出現するだろう。

 ともあれ今回から私にはDVD-RAMがある。こうして書いた文も早速上書き記録しておこう。けっこう書き込みに時間がかかり満点とは言わないがライティングソフトがいるDVD-Rと比べたら便利さはこの上ない。

 同じ失敗をまたしたらバカである。もうしない。

11/11
Yahooからniftyへ


 プロバイダをYahoo(=softbank)からniftyに変ることにした。きっかけはADSLが遅いことだった。つい一年数ヶ月前までダイヤルアップでテレホーダイを利用していたのだからずいぶんと贅沢を言っている。でもやはり50MBのADSLを契約して使っているならせめて1MBぐらいは欲しいではないか。最速で3MBぐらい出たこともあり、これはYahooの係も最高ですよと言っていた。でもこれはYahooに限らずADSLすべてに言えることだけど、50MBの契約なのに3MBで最高ですよと言われるって問題あるよね(笑)。まあ3MBあれば充分なんだろうけど。

 しかしそれはつかの間で、ここのところ話にならないほど遅いことがしばしばだった。一番安い8MBに契約を替えようかと思った。以前を思えば動画を見るわけでもなしどんなに遅いとはいえ今のままで充分なのだ。ただ50MBの契約をしていてこの速度は厭だった。その点格安の8MB契約なら遅くても不満は出ない。これは今も選択肢のひとつとしてあったと思う。ネット中毒ではないし、動画にも興味がないのだからそれでいいのだ。

 結局速いものへのあこがれ絶ちがたく光通信に替えたくなる。探してみた。Yahooでよかった。今までYahooだったのだからこのままが楽だ。とにかく面倒なことが厭だ。たとえYahooが他社より多少高いとしても(高いか安いかすら知らない。未だ比較したこともない。でもYahooの評判はあまりよくないようだ)ものぐさな私はそのままYahooでよかった。ホームページの容量300MBも魅力だった。

 ところがYahooの切り替え手続きは煩雑だった。特に私は「普通電話を持たないタイプ」だったこともあり、切り替えのサイト手続きの煩雑さで厭になってしまった。決してそういうことが不得意なタイプではないから客観的にYahooのそれは不親切と言えよう。実際niftyですんなりと出来たのだから、YahooのADSLをすでにやっている私が同じYahooの光に移るのに、その手続きの煩雑さにうんざりして厭になってしまったというのはかなり問題であろう。

 ホームページ容量が100MBはないと困るので、この時点で候補はniftyかBiglobeに絞られていた。詳しい人からするともっと安くてホームページ容量も大きくて親切なところがあるのかもしれないけど、とにかくどこでもいいから早く光に切り替えたい、親切で対応の早いところと言ったら、そのときはniftyだったのである。なんとか割引のなんとかタイプなので最低2年間はいなければならないらしい。niftyが住みよいところであることを願っている。

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 ケイタイのことも大きいと思う。他に書いているが(「その後の予想外割」)、私はJ-phone時代からずっとこの会社を使ってきた。会社はvodafone、softbankと変ってきた。使い続けてきたのはひとえに番号を変えるわけには行かなかったからだ。それが今回から替えられる。

 それでも今のままでいいかと携帯電話の機種変更に行った。すると二回とも空振りに終ってしまった。時間制限をしていて無駄足になったのである。ADSLの件、この携帯機種切り替えの件、そのときに思った、「この会社は既成の会員に冷たい」と。新規獲得にばかり躍起になっている。まあどこでもそうなのかもしれないが、Yahooは特にそうなのだと友人からも同じ意見を聞いた。そのときに変えようと思った。

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 niftyの、というか正しくはFletsのNTT係員がやってきて、私の部屋に光が開通したのは11月11日だった。これは私のホームページ開設が2001年11月11日だから縁起のいい日附となった。あちらからの指定だから単なる偶然である。

 ケイタイは未だに機種変更できずにいる。機種変更の時間が限られているし、いつ行っても十数人が待っている状態だからだ。たかがケイタイのことで待つ気などない。

 さてどうなるか。

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 久々の楽しみ──あるいは不安(11/27)

 Yahooからniftyに移るに辺り、私にとって最も大きな関心事はホームページ容量が300MBから100MBに減ることである。とはいえ現在の私のホームページ容量は77MBであり、最近の更新頻度と今までの流れから見て、100MBになってしまうまで丸2年は掛かるだろう。なにも今から案じることではない。
 それよりもniftyの規約を読んでいて懐かしいものに出会った。いや日本語として懐かしいは不適切なのだが、三年一昔のような今では確かに懐かしかった。
 そこに「CGI」とあったである。

 ホームページというものを初めてすぐにそれは心穏やかにやれるものではないと知った。必ず意見を異にする人からのそしりを受けるのだ。それは公の場に自分の意見を発表するのだからしかたがない。とはいえ「公=自分の友人たち」「意見をくれる人=自分の意見に賛同してくれる人」と解釈していた私にとって、俗に言うアラシというものの存在は想定外だった。「意見を異にする人=関わってこない」と考えていたのだ。
 自分が意見を異にする他者には関わらないという姿勢なので、他人もそうなのだと思っていた。これは基本的には今も正しいと思っている。意見が異なり論じても共通点が見つかりそうにない人に手間暇かけてケンカを売る人は今もむかしもそうはいない。商売人を除けば。

 しかしメディアがインターネットという新種であり匿名が可能だった。しかもむかしは長文の抗議文を書くにはそれだけの手間暇が掛かったが、今の時代どんな長文もコピー&ペーストをすれば一瞬で済むのだった。イタズラ心、暇つぶしでケンカを売ってくる人がいる。

 私はここで大きく対応をまちがった。




まとわりつく狂人













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