2015
 12/6(日)
●メモはしておくものだ(笑)──ドウカンヤシマの思い出



 たまにはClassicの練習もするかと本棚からなつかしいのを一冊引っ張りだした。もう十年以上触ってもいない本だ。というか「こんなのを買ったことがあるんだなあ」と不思議な気分になる一冊。覚えていない。



 CANONの複合機はいまほとんど使わない。たまのプリントはNECのカラーレーザーばかり。インクジェットは消耗品のインクが高いし、すぐになくなるのがいやだ。ハードを安くして、そっちで儲ける路線に走ったのはわかるが。
 それでもこういうときはスキャナーとして役だってくれる。ありがたい。



「クラシックギターデュエット」。なぜこんなものを買ったのかよくわからん。デュエットする相手もいないし、いやこれを買った頃はいっぱいいたか、しかし、それよりなにより中身を見るとかなり初歩的な内容なのだ。

 私は始まりがクラシックギターだったから愛着があり、たまにこんなのを見かけると買っていたのだが、それにしてもこれの内容には納得しない。



 こんなものデュエットじゃなくて二人分をひとりで弾ける。いまでも弾けるぐらいだから買った当時はいまよりもっと指が動いたし、なぜこのレベルの本を買ったのかまったく不思議。なにかあるはずだ。
 当時から私はこの種のものを買うときは慎重で、思いつきとか適当ということはない。私なりにたくさんの楽譜の中からそれなりの考慮をして撰んだはずなのである。それがなぜこの一冊なのだろう。

 考えられるのは、自分の作った歌をクラシックギターの二重奏にアレンジし録音しようと試み、それの参考に買った、である。そんなことばかりしていた時期がある。今もまたしようとしている。
 その参考のため、ならあり得るのだが、だとしてもこれはたいした本ではない。中身がない。これを買ったのはいつなのだろう。ティアックのマルチトラッカーでそんなことをしていた時期とあっているか。

 そう思いつつ発行年を確かめようと奥付けを見ると、なんとも私には珍しく買った日と場所をメモしていた。



 父はこれをこまめにやるひとだった。父の晩年、私はいろいろなものをプレゼントした。といっても小物である。少額の物だ。でも心配りをしてこまめにプレゼントしたから父はたいそう喜んでくれた。それらに父はメモをし附箋を貼ったりしていた。
 たとえば電気剃刀や、小型カセットレコーダの箱に、日附と私から贈られたとフェルトペンで書きこまれている。それを見かけるとうれしくなったものだった。サラリーマンとして成功していた兄はボーナス月に現金を父母にあげていたが、そういう気遣いをするひとではなかった。なくなる一ヶ月前、病床の父が兄夫婦を「あいつらは心が冷たいな」と言ったのを思い出す。父のしもの世話をする私に対してつぶやくように言ったそれは、私にとって最高の褒め言葉だった。

 父はむかしのひとらしくものを大事にした。壊れるまではあたらしいのを欲しがらなかった。教職をまっとうして充分な年金をもらっていたから1、2万円の金に不自由することはないのだが、決してそういう買い物をしない。「切れが悪くなってきた、そろそろあたらしい髭剃りが慾しいな」と思っても壊れるまで我慢するひとだった。電気こたつなども、脚がよれよれしている旧式を、暖房器具として機能している間は買い替えたりしない。
 その雰囲気を見て私がそれらをプレゼントする。父はその気遣いをよろこんでくれた。



父のそういうメモを好ましい習慣と思いつつも、私はやったことがなかった。いや正直に言うなら「好ましい」ではない。当時の私はなんにでもメモする父の性癖を苦笑しつつ見ていた。なら真似るはずもない。よって身のまわりのものすべてにこういうものはない。まあこの20年はパソコン日記をつけているので検索すればすぐにわかる。「これ、いつ買ったんだっけ?」と思ったら、グレップソフトで検索するとすぐに日にちと値段、買った店が出て来る。しかし品物に父のようにメモしたことはない。

 ところがなぜかこの本にはメモがあった。奥付のいちばん下にボールペンのメモがあった。
 1983年3月27日に渋谷YAMAHAで買ったらしい。これだけでも私にしては上出来なのに、なんとなぜかその下に「ドウカンヤシマ発走除外の日」とある。どうしてこの字はこんなに汚いのだ(笑)。もともとうまくはないが、いつもはもうすこしまともだ。文字が顫えていて中気のじーさんが書いたようだ。3月だというから寒い日で指がかじかんでいたのだろうか、なんともこれまた不可解だ。










 ドウカンヤシマと言えば金杯だ。2回勝っている。東も西も。
 あのころ「杯は金偏の馬名が勝つ」と話題になった。

 ドウカンヤシマの冠号であるドウカンは、馬主が太田道灌の末裔で、そこから来ているのだが、これを「カン」ともじると「金杯にあう金偏の馬名」になる。

 事実、ドウカンヤシマ以降の勝ち馬も、スズパレード(パレード)、クシロキング(路キング)、トチノニシキ(トチノ)、アイアンシロー(シロー)と「金偏馬名」が続いたのだった。
 七夕賞における異様な「7枠が来る」と並んだ最高の暗号だった。そして当然のことながらこれが話題になるともうピタっと来なくなるのである。

 「ドウカンヤシマ除外」とは、それのことだろうと思った。当時たいへんな話題になったのだ、そんなことが好きな競馬ファンのあいだでは。



 が、いま調べてみて意外なことを知る。
 この除外になった日のレースの日付を調べたら、スプリングステークスなのである。ドウカンヤシマは5歳のとき中山金杯を、8歳の時に京都金杯を勝つ。このメモはその時ではなく4歳春の話である。私はクラシック戦線のころからタケシバオーの仔のドウカンヤシマが好きだったんだなとしばし感慨に浸る。しかしながら、以後ドウカンヤシマは大敗を続け、時折人気薄でGⅢを勝ったりする典型的な穴馬だったから、私の馬券とは無縁だった。勝つときは人気薄で高配当だったから、追いかけ続けていたら収支はプラスになったろう。買ったら来ない、見捨てたら来る、その連続だった。このメモは、そういう古馬になってから話題になったドウカンヤシマではなく、それ以前の、クラシックの戦線の、そこそこの期待馬だったドウカンヤシマであることに感心したのだった。ま、要するに忘れていたのであるが(笑)。

 私が応援したのは東京競馬場で目にした府中3歳ステークからである。1番人気でわかるように話題の馬だった。

 見事にハズした、4着。そう、私が買ったから連勝が止まった。が、京成杯3歳ステークスで馬券になる。朝日杯、共同通信杯と大敗。買ってハズレるも、弥生賞で11番人気ながら4着に来たので、スプリングステークスを「今度こそ」と期待した。それが除外、その無念がメモになったと思われる。



 ところでこのころは、「府中で京成杯、中山で京王杯」だった。なんかおかしいのではないかと、その後、いまの形になっている。あ、もしかして関西の友人にはわからないかもしれないので書いておくと、中山競馬場のほうを走っているのが京成電鉄、府中のほうを走っているのが京王電鉄なのだ。レース名と開催競馬場があっていないのである。その後、交換?して、いまは府中で京王杯、中山で京成杯となっている。



 ドウカンヤシマは、皐月賞、ダービーは出られなかったが、秋になってセントライト記念、京都新聞杯と3着になる。このときも追い掛けていたが当時は枠連のみだから馬券にはならない。そして今度こそと期待した菊花賞は17着の大敗。続くオープンも10着。これで見切りをつけたら、古馬となっていきなり金杯を勝つのだった。「やっぱり強いのか」とまた追いかけ始めたら大敗の連続、そしてあきらめたら……という、ま、私の毎度のパターン。そういう自慢できる思い出の馬ではないのだが、だからこそこのメモには感激した。そうか、おれって若駒のときのドウカンヤシマが好きだったんだ……。忘れていた。

 音楽ネタのつもりで書き始めたのに、どう考えてもこりゃ競馬ネタだな。32年前の話。

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株式会社ヤマハミュージック東京 渋谷店閉鎖のお知らせ

2010年8月5日

 ヤマハ株式会社は、当社100%出資の販売子会社である株式会社ヤマハミュージック東京(以下YM東京、本社:東京都中央区銀座7-9-14、社長:葉山 和雄)の 渋谷店(住所:東京都渋谷区道玄坂2-10-7、店長:水原 章兆)を、閉鎖することといたしましたのでお知らせいたします。


 YM東京 渋谷店は、1966年にヤマハ(株)(当時は日本楽器製造株式会社)の直営店として渋谷・道玄坂の地に開業しました。以来、44年間首都圏におけるLM(ライトミュージック)楽器販売の旗艦店として、多くの音楽愛好家やポピュラーミュージック系アーティストの方々に親しまれてきました。1996年の(株)ヤマハミュージック東京設立にともない同社運営の店舗となり、同ビル内でヤマハ(株)が運営するアーティストリレーション拠点のヤマハART(1985年開設)と連携をとりながら、ヤマハのLM楽器の普及・啓蒙を図ってまいりました。
 近年は渋谷地区で多くの当社契約LM楽器店がそれぞれ特徴ある店舗を展開し、ヤマハ商品を販売しております。そのため、開業当初よりYM東京 渋谷店が担ってきたLM楽器の普及と同地区での市場構築といった役割を果たし終えたとの判断に至り、このたび同店を閉鎖することといたしました。
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 この楽譜を買ったYAMAHA渋谷店も2010年に閉鎖か。このころここで買ったボトルネックバーはいまも保持している。それを書いたブログ記事はこちら。

 YAMAHAのあったあのあたりはどうなっているのだろう、そういやさらにその上にEDWINのジーンズショップがあってよく行ったものだった。クラシック喫茶「ライオン」はあるのか。ロック喫茶「ブラックホーク」の地にはいま何があるのだろう。

 ま、ともかく、メモしておくのはいいことだ。同じようなのが他にあるか? ないだろうなあ、しないもの。なんとも貴重なメモだった。これから亡父を見習ってすこしメモしておくようにしよう。

 私にとっていま「一番大切な本」は高島俊男先生の一連の本だ。それにもメモはない。いつどこで買ったか書いてない。たとえば何度も愛読している「漢字と日本人」だ。自分用に買い、M先輩にもぜひ読んで欲しいとプレゼントした。それに、このギター本と同じく「○月×日、××書店にて購入。××が負けた日」とでも書いてあったらよりいとしくなる。いつどこで買ったかもう忘れている。すこし悔いる。いやこれもPC日記で確認することは可能だな、日記にはきっと書いている。

 今月の十日は父の命日である。こんなことを書いたのも父への想いになるか。
 銀行のカード等の暗証番号は、最初はみな自分の誕生日にする。しかしそれでは簡単に悪用されるからと銀行側はやめるように言ってくる。さて何にするか。いま私の暗証番号は、キャッシュカードからブログ等にいたるまで、みな父の命日、愛猫の命日ばかりだ。

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【追記】──先輩に贈ったほうはわかったが……

 ここ20年ホームページ・ビルダーを利用してつけているPC日記を検索した。「漢字と日本人」でグレップソフトにかける。

 するとM先輩にプレゼントしたのは2002年1月7日とわかった。私が外国に出かける直前、M先輩と急遽渋谷で新年飲み会をやろうとなり、大盛堂で買っている。大盛堂は「文庫館」というのが独立したらしく、「漢字と日本人」は新書判なのでそちらにあった。「文庫館」ができたことを知らず戸惑ったことが記されている。またこの日、先輩の次女が推薦入学で先輩と同じ慶應の理工学部に入ることが決定したと記されている。

 「漢字と日本人」の発売は2001年10月20日である。私はそのころに買っているはずだが、残念ながら所有する本に「いつ、どこで」のメモはない。PC日記からも見つからなかった。やはり「その品に書いておく父の手法が正しい」ようだ。
 M先輩へのプレゼントも、何度も読み返した数年後ぐらいの感覚だったが、ほぼすぐと言っていいぐらい早くプレゼントしていたのだなと気づいた。
 自分の所有するのの購入日、場所がわからないのは残念だが、先輩へのプレゼントの日と大盛堂がわかっただけでもよしとするか。



 そうそう、逆の言いかたもできる。私はこのパソコン日記をつけ始めてから、すべてこれに頼ってしまって、なにもしなくなったのだ。もともとそういうことはしないほうだったが、ドウカンヤシマがあったように、たまにはしていた。それがパソコン日記を附け始めてからまったくしなくなったのも確かなのだ。

 だからもう「このパソコン日記を失くしたらたいへんだ」の思いは強く、HDDでもふたつのHDDに二重に保存し、さらに定期的にDVD-RWにも焼いている。それも何枚も。この「たいへんだ」はもう強迫観念にちかく、こういうことが重荷になるのはよくないよなあと思っている。「日記が宝物」というのはバカっぽいが、今の私の現実だ。
12/12(土)
●平浩二「ぬくもり」歌詞盗作問題


 1972年に「バス・ストップ」がヒットした歌手・平浩二(66)が今年5月に発売した楽曲「ぬくもり」の歌詞が、ロックバンドMr.Childrenが「抱きしめたい」と酷似しているとして盗作疑惑が浮上し、発売する徳間ジャパンコミュニケーションズが同CDの回収と出荷停止を決めたことが11日、分かった。

 「ぬくもり」では「出会った日と同じように」から始まる一番の歌詞は、「抱きしめたい」とほぼ同じ。“原曲”の「霧雨けむる静かな夜」が「霧雨の降るかがやく夜」になっている以外は“完全コピー”といえるほどに似てしまっている。

 「ぬくもり」はシングル「愛・佐世保」のカップリングとして収録されており、作詞家で歌手の沢久美が作詞を担当している。「抱きしめたい」は1992年にミスチルがシングル発売。桜井和寿が作詞し、ファンからの人気が高い代表曲の1つだ。

 平の関係者によれば、10日に徳間の制作ディレクター宛てに匿名でメールが届いて事態が発覚したという。11日午後に、沢も出席しミーティングを開いた。その席で沢は「ご迷惑をお掛けしています」と謝罪しつつ「私は60を超えていて、ミスチルもよく知らないし、『抱きしめたい』は全く知らない。だから盗作はしていない」と疑惑を否定。しかし、徳間側は「まるっきり一緒なので、言い訳の仕様がない」として、その場で回収と出荷停止する意向を伝えたという。

 一方、平は10日夜のライブ終了後に、回収の可能性があることを関係者から聞き、大ショックを受け「椅子にガクッと崩れ落ちた」という。「愛・佐世保」は佐世保出身の平本人が初めて作詞を手がけたシングルで、思い入れもあり、関係者も「佐世保にも何度もキャンペーンに行って、市長から観光大使も頼まれていた。なのにカップリング曲のせいで回収になるとは」と落胆を隠せない様子だった。

 現在は徳間とミスチルが所属するトイズファクトリーとの間で話し合いを行っており、その後に、平自身が会見や文書でのコメントなどに応じる予定はあるという。徳間側は「現在調査中」としている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151211-00000094-dal-ent





 唯一のヒット曲「バスストップ」も「オンリーユー」を真似たものだった。この歌が流れると反射的に「♪オンリーユー」とくちずさんだ。平浩二はよほど盗作に縁があるようだ。この件に関しては彼は犠牲者だが。

 私は盗作が大嫌いなので、それを平然とやり続けたオオタキエイイチやカトウカズヒコが、みなにどれほど賞讃されようと一切認めない。チカダハルオなんてのが音楽評論家として評価されようと認めない。こいつらとんでもない盗作ばかりしてきた。

 この問題を起こした沢という作詞家がどれほどひどいことをしたのかと調べてみた。もちろん私はミスチルなんて一度も聞いたことがないので原曲を知らない。

 左がミスターチルドレンの桜井というのが作詞した「抱き締めたい」というのの歌詞。1992年発売。
 ネットでは簡単に歌詞検索ができるが、著作権を守り、安易なコピーを防ぐために印刷やコピー&ペーストができないようになっている。これもそう。

 といって他人の歌詞を書き写すようなことはしたくないので、Snipping Toolで切りとってきた。左のもの。



 ところで、このSnipping Toolは、Windows附属アクセサリとしては珍しくよくできていて、画像切りとりソフトとして抜群に優秀だ。Windows95のころから小物ソフトオタクとしてあらゆるものを使ってきたが、7にこれが附いてからはこればかり。ほんとに便利。このサイトの記事もこれがないと書けないほど。

 というようなことを書きつつ、ひらかな「すにぴ」でSnipping Toolと出るようATOKに辞書登録しようとしたら、毎度の「既に登録されています」が出た。思わず、「え~、恥ずかしい!」と声に出してしまった。恥ずかしい思いは毎日そこいら中でしていて、辞書登録でもたまにあるのだが、声を出すというのは私の場合非常事態。よほど意外だったらしい。すっかり忘れていた。思えば「このサイトが書けるのもこれのお蔭」とまで感謝しているソフトなのだからとうに登録しているはずだ。

 と書いてまた「とうに」はどんな漢字を当てているのだろうと調べる。《とう‐に【疾うに】〔副〕(トクニの音便)早くに。つとに。歌舞伎、お染久松色読販「―噂も聞きました」。「―出かけた」 - 広辞苑
 なるほど、疾走の疾の字か。ま、こんなものを使うことはないが覚えてはおこう。



 こちらが平浩二用の「ぬくもり」というのの歌詞。作詩・沢久美。まったく同じじゃねーか。よくもこんなものを「わたしが作詩しました」と提出して金をもらえるものだ。

沢は「ご迷惑をお掛けしています」と謝罪しつつ「私は60を超えていて、ミスチルもよく知らないし、『抱きしめたい』は全く知らない。だから盗作はしていない」と疑惑を否定

 寝惚けるなババア! 知らないものがこうも一字一句違わずに詞になるか。もう惚けが来ているのか。
 よくもこんなことをして作詩家を名乗れるな、人間のくずだ。

 でも多くのひとに尊敬されているらしいオオタキエイイチやカトウカズヒコもまったく同じ事をしているけどね。



 話題にならなかった平の勝負曲「愛・佐世保」だが、このことでマスコミに取りあげられ、気の毒な被害者としてすこしは売れるか。芸能人はどんなことでも話題になったほうがいい。禍転じて福となるかな。

 いやいや出荷停止と回収だからCDが売れることはないのか。でもB面をちがう曲にして再発売したら、それはそれで報じられるのではないか。「歌詞盗作問題で被害を受けた気の毒な平浩二さん、新カップリングで『愛・佐世保』再発売!」と、かっこうのワイドショーネタのように思えるが……。
 さてどうなるやら。
   
   


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