2011

1/7  毎日ハイドン──ベートーヴェン嫌いの理由

 毎日かかさずハイドンを聞いている。起きだしてデスクトップに向かって真っ先にやるのは再生ソフトFittleからハイドンの再生だ。ハイドンを聞かないと一日が始まった気がしない。

 ここのところずっとお気に入りなのは写真のBeaux Arts Trioの「ハイドン コンプリートピアノトリオ」。CD9枚組なので順番に一通り聞くだけでもそれなりの日数が掛かるので飽きることがない。

 あ、もちろんぜんぶHDDにmp3で入れてある。正確には4だけど。
 圧縮音楽を嫌うひともいるが、私はそのレベル。それで十分。



 2009年はハイドンの「没後200年」ということで記念作品がいくつか出た。これもそのひとつ。たしかフランスで賞を取ったはずである。
 ということで調べてみると、このCDが作られたのは70年代。そのときに賞を取り、2009年に没後200周年記念で複刻されたということらしい。考えてみれば私が手にしたのは2009年よりずっと前だから当たり前だ。ぼけたことを言っている。



 ところでこの名人三人組の名Beaux Arts Trioは、英語風だとビュウックス・アーツ・トリオって感じだが、フランス語なのでビュウはボーとなり、リエゾンでアートとくっついてボザーとなり、アートはアールとエルの発音なので、ボザールとなる。ボザールトリオである。ならフランスの三人組かというと(私はそう勘違いしていた時期がある)アメリカだというから判りづらい。

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 クラシック音楽家の「没後200年記念」というとモーツァルトが1991年だった。
 ハイドンが1732年生まれ、モーツァルトが1756年生まれだからモーツァルトの方が24も年下。でもハイドンの没したのが77歳と当時としてはかなりの長寿だったのに対してモーツァルトは35歳と短命だったから、「没後200年記念」はハイドンの方が18年も遅い。

 クラシック音楽業界も何かと口実(失礼)を設けてはイベントをやって盛りあげようとする。しかし偉大な楽聖の目出度い「生誕200年記念」は1900年代の、それも真ん中あたりで終っているし、「生誕300年記念」は21世紀半ばだし、ということから「没後200年」を思いついたわけだ。生誕祭と比べると没後記念はちょっと苦しい。

 次の大規模な「没後200年記念」は2027年のベートーヴェンか。

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 ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンはウィーン古典派三大巨匠である。
 ハイドンとモーツァルトが好きで好きでたまらないのに、私はベートーヴェンをほとんど聴かない。というのはもう何度も書いてきた話。一応一通り聴いているが(CDも持っている)、勉強のために聴いたのであり、いわゆる「愛聴」とは程遠い。

 ここ十数年、私は電子日記をつけるとき極力外国人の名をアルファベットで書くように意識してきた。それは言語で書けないとまずいという思いがあったからだ。その成果でHaydn,Mozart.Beethovenと今では迷わず書けるようになった。ベートーヴェンの綴りが最初がBで後半がVだと知っていればカタカナでも迷うことなくートーェンと書ける。「日本語はカナ入力」でも触れたが、ローマ字入力だとベートーヴェンてどう書くんだ? ベートーヴェンでもBeethovenでもない日本語ローマ字入力の時だけに出現する奇妙なアルファベットになる。

 もっともそれはロシアやチェコやドイツやフランスの音楽家の母国語でのスペリングを英語表記するという、あまり意味はない。RachmaninovのVの部分がRachmaninoffとffだったり、表記は統一されていないし、どうでもいいことでもある。それでもとりあえず私のようなバカにはMozartとかBeethovenとかすらすら書けるのは進歩したようでうれしい。

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 最適のBGMとして毎日ハイドンを聴くようになって何年になるのだろう。

 パソコン作業をしつつパソコンから音楽を流すという夢が実現したのは640kというユーザーリソースから解放されたWindows2000からだった。文字通り西暦2000年からになる。それまで私はパソコンデスクの後ろの棚に大型ラジカセを置き、そこでCDをかけていた。背中から音楽、である。2k以降、HDDにCDを入れるようになった。これで正面から音が流れてくるようになった。このときはまだファイルはWaveのままだった。mp3に圧縮するのが通常になるのはもうすこし後になる。

 これ以前からタイで買ってきたロックやジャズ、クラシックの違法詰めこみCDはmp3だったのでHDDに取りこんで聴いていた。違法なのでそっと書かねばならないが、これらのCDから学んだ音楽智識は大きい。たとえばジミヘンやディープパープルを私は代表曲しか知らなかった。1枚のCDに10枚ものアルバムが詰めこんである100バーツのこれらを蒐集して聴くことにより体系的に語れるようになった。触れてはならないことなのだが自分の音楽史として重要なことなので声を大にしてそっと書いておく。

 mp3音楽の再生ソフトとして大きな影響を残したiTunesが世に出たのは2001年とか。無償配付されるようになったこれを私が入手(友人のmomoさんがappleが無償配付しているCDを郵送してくれたのだった)して、自分のCDをせっせとmp3にしてHDDに入れるようになるのは2005年からになる。たった5年しか経っていないのか。何十年も前からのような気がするが。

 もっとも、いま調べてみたらMac専用だったiTunesがWindows版を出したのは2003年。mp3を改良したmp4をAACと名乗って売り物にしたのもこのころ。私が窓使いとしてMac用ソフトだったiTunesを活用するようになったのはそれほど遅くもないようだ。
 Mac用ソフトを使えるのはMacだけというポリシーで独自路線を歩んでいたappleが、禁を破ってWindows版を出したことがiPodの大躍進と、マニア好みの弱小会社だったAppleの現在の繁栄に繋がった。

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 私の、「パソコンから流すBGMとしてのクラシック音楽史」で一貫しているのは、最初からモーツァルトとバッハが満点だったこと。まあこれは常識か。モーツァルトを聞かせると乳牛の乳の出がよくなるなんて話題になったのは40年ぐらい前。バッハが原曲でないかと話題になったプロコルハルムの「青い影」がヒットしたのは1967年。この巨人二人の癒し音楽は世界的共通智識だ。

 私のハイドン好きに関して最も印象的だったのはM先輩のひとことだった。M先輩は音楽局のプロデューサーでありこどもの頃からクラシック音楽に親しんできたひとだ。親しい友人にプロのヴァイオリニストもいるし、毎年年末には家族で「第九」を聴きに出かけるほどのクラシックファンだ。

 M先輩と飲んでいるとき、そういう話になり、私が「最近はもう毎日ハイドンばっかり」と言ったときのことだ。
 M先輩は、意外なという顔をして、「えっ、でもハイドンてユルイんじゃない!?」と首を傾げた。
 これは私にとって我が意を得たりだったので、即座に「そうなんです、そのゆるさが好きなんです」と応えた。
「先輩のように充実した人生を送っているとベートーヴェンのうねるような烈しさが心地いいんです。でもぼくのように引き篭もっているカスには、それは辛すぎるんです。ハイドンのゆるさがいいんです」と加えた。
 まことにこの「ゆるい」という表現はクラシックに詳しい先輩ならではの適確なひとことだったと思う。

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 溝ノ口の居酒屋でM先輩とそんな話をしたのももう二年以上前だから、すくなくとも私はハイドンを目覚めの音楽、仕事開始の音楽、仕事中のBGMとして毎日のように聴くようになって3年は経つことになる。

 ハイドンを聞くこと自体は、mp3以前のラジカセ時代からなのだから、もう十数年になるのだが、そのころの私は「読書の時の音楽」とか「心安まるクラシック」とか、そんないいかげんな寄せ集めCDを聴いていた。いや今もそれはそれで価値のある企劃だとは思う。

 そんな中から、寄せ集めCDではなく、モーツァルト、バッハと並ぶ最愛の作曲家としてハイドンを愛聴するようになったのは、やはり前掲の9枚組CDの存在が大きかった。いまもBeaux Arts Trioの最高傑作と思う。宮廷音楽であるハイドンの心地良さを適確に伝えてくれる。



 それは左のCDと比べるとよくわかる。「Philips Recording 1967-1974」という4枚組のこれは、MendelssohnやSchumann、Chopin、Smetata等を取りあげている。するとそこにはこちらの心に食いこんでくる烈しさがあり、私の心は波立ってしまい、とてもBGMとして流してはいられない。

 私はこちらの心を乱すことなく気持ちよく文章書きを応援してくれる音楽を最上のものとし、それがハイドンとBeaux Arts Trioのコンビだとしているわけだが、その中心はあくまでもハイドンの音楽であることがこのCDを聴いてよくわかった。ボザールトリオの演奏でも作曲家によっては激しいものも多く、とても心地良いBGMとはなり得ない。

 いまこの中のチャイコフスキー、おっとアルファベットで書くのだった、Tchaikovsky(チャイコフスキーのアルファベット綴りはTで始まるのだ)を聴いていて、とてもそれを聴きながら文章は書けないので、急いで止めた。どんな作曲家にもそれがある。でもハイドンはない。すくなくとも9枚組のそれにはない。

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 ボザールトリオがRachmaninoffを演じた1枚も、タイトル通りエレガントな選曲をしているのでじつに優雅であるけれど、やはり心をかきみだしてくるので、気楽に聴くとは言えない。やはりハイドン音楽の、M先輩の言う「ゆるさ」はずば抜けて特別なように思う。それは宮廷音楽の品格だ。



 しかしここで「音楽とは何か!?」と考えたとき、私はハイドンに失礼なことを言っているのかも知れない。そのことをまとめる。

 私がベートーヴェンを聴かないのは、あのひとの音楽は、のほほんと聴くことを許してくれないからだ。例えば彼の作品の中でも最もほんわかした音楽と言われる「Violin Sonata Spring No.5」がある。マンガの「のだめ」では、ベートーヴェンが恋をして浮かれまくっていた時の音楽とかナントカ、とにかく浮かれて調子のいい音楽とされていた。その通りなのだろうが、こういう曲でもベートーヴェンは聴き手に「のほほん」は許さない。「幸福感に満ちた明るい曲調」と解説されている。ほんとにそうか。曲は高く低く抑揚に富み、単純な春の喜び、恋の喜びなんて言えない。ほんわかした春ではなく、三寒四温の春の烈しさを思い出す。

 ベートーヴェンは師匠ハイドンの「ゆるさ」を嫌ったのだろう。ハイドンは宮廷音楽として、聴くひとの気持ちを良くする音楽を作ってきた。ベートーヴェンはそれとはちがう、もっと人びとの心を揺さ振るような音楽を志したのだろう。



 昨秋、「クラシック音楽入門」のような何十年も前に買った入門書を何冊か読み直してみた。
 あるひとは初心者に対して、わかりやすい断定口調を用いていた。
「クラシック音楽とはなにか!?」という解説で、敢えてつきつめて行けば「時代は1700年代」であり、「国はドイツ」であり、さらに「ひとりだけ選べばベートーヴェン」なのだと言いきっていた。
 なるほど、こういう形の限定はわかりやすい。たしかにベートーヴェンはクラシック音楽というものを語るとき、そのすべてをもっている。中心に据えて考えるのに適しているだろう。



 私はベートーヴェンを日々愛聴しない。CDはかなりの数を持っている。
 いまも実験的に前記の「春」を流しているのだが、あらためて自分の書いていることを実感する。
 私が心に波風が立ってしまい、とても文章を書くBGMに出来ないというのは当然なのだ。ベートーヴェンはBGMなんぞにされてたまるかと、そんなのは俺の音楽ではないと、そういう情念を込めて作っている。だから私がベートーヴェンを文章書きのBGMとして平然と流していたら、私は音痴だということになる。心が波立ってしまいとてもBGMには出来ないというのは、ベートーヴェンのメッセージを正しく受けとめ、聴く資格を有しているということだ。
 そもそも読書の時にBGMとして流し、読書をじゃましない音楽を望むなんてのは、作曲家にとって侮辱になる。



 しかしそれでも敢えて言う。
 こちらを気持ちよくさせてくれて、文章書きを応援してくれるハイドンの音楽は偉大であり、それは決してベートーヴェンに劣るものではないと。

 たとえばツービートのような漫才がベートーヴェンなら、ハイドンは「いとしこいし」の漫才のようなものだろう。
 毒とか世相批判とか斬新さとかいくつもの意味でツービートが優れていたとしても、そのことによって「いとしこいし」が否定されることはない。

 とまあそんな感じで、私は「毎日ハイドン」である。

8/4
 映画「ディパーテッド」エンディングのロイ・ブキャナン

 DVDで映画「The Departed」を見た。香港映画「Infernal Affairs」のハリウッドリメイクである。ディカプリオ、マット・デイモン、ジャック・ニコルソン。
 先日の初見では寝てしまったので今回は体調万全で臨んだ。



●Fuckingが多すぎる
 先日すこし見たときにも思ったのだが、とにかくもうFuckとFuckingが1分に1度は出て来るのでうんざりする。このうんざり具合は1ページに1回喫煙シーンが出て来る白川道の小説を読むときと同じもの。これの多用がアメリカでのR15指定の一因でもあるらしいのだが、なんでそんなになんでもかんでも形容にFuckingを使わねばならないのかが理解できない。なんとも聞き苦しかった。
 私は洋画は字幕で見る。役者の声質も楽しみのひとつだからだ。でもこんなひどいのを見ると、今回は吹き替え版のほうがよかったかと思った。まさか翻訳ではそれを忠実に再現はしていないだろう。あのFuckingの嵐は訳しようがない。

 あまりのひどさにその回数を数えたろうかと思ったほどだ。これは白川の小説でも思った。一冊中の「煙草を銜えた」「煙草に火を点けた」の登場回数を数えてみようかと。あまりに虚しい作業なので思うだけだが。
 DVD鑑賞後Wikipediaに行ったら《劇中、fuckなど下品な言葉の使用回数は『パルプ・フィクション』の271回を更新しなかったものの、237回とかなり多めである》とあった。1番は「パルプフィクション」か。たしかにあれもひどかった。「かなり多目」どころではない。多すぎる。しっかり数えたひとがいるんだ。ご苦労様。ありがとうございます。150分の映画だから38秒に1回出て来ることになる。もちろん実際は1分の中に10回も出て来るようなシーンに凝縮されているわけだが、マフィアはともかく警官の論争でもあまりに多用されていて聞き苦しかった。警官の会話が事実そうなのだと言われれば知らないこちらは黙るしかないが。クソ警官というような場合にファッキングカップというあたりまではわかるとしても、日常会話の中に、あまりに多すぎる。



●太ったオッサン──アレックス・ボールドウィン

 惚れ惚れするようないい男だったアレックス・ボールドウィンは、いつからあんな腹の出たおっさんになったのだ。いま53歳だからこの映画の撮影時はまだ48歳。いやはやおどろいた。白人の劣化は早いからなあ。
 ということで調べて、キム・ベイシンガーと2002年に離婚していると知る。おくれてるなあ、おれ(笑)。

 私が彼らを見ていたのは「あなたに恋のリフレイン(1991年)」、リメイクされた「ゲッタウェイ(1994年)」のあたりだ。というかそのころしか知らない。その辺で時計が止まっている。私が映画を熱心に見ていたのは二十世紀なのだった。もう世紀が変って10年になる。10年遅れか。まあいいけど。



●ディカプリオと山崎邦生
 ディカプリオはこの作品で新生面を開いたと高く評価されたらしい。たしかに今までと感じが変っている。といっても私の見た最新作は「ザ・ビーチ(2000年)」なので(笑)、これも語る資格がないのだが。その後の作品もDVDはみな持っているので、テレビのない生活となったこれから、ぼちぼち見て行こう。

 映画後半のあたりで、突如「ディカプリオって山崎邦生に似てるな」と思った。私はこんなことに興味がない。めったに思うことはない。にぶい。だから私が思ったってことはかなりのことなのだ。外国人俳優と日本人では、ニコラス・ケイジとモト冬樹以来になる。これはニコラス・ケイジという役者を始めて見たときに思ったから古い。「ペギー・スーの結婚(1986年)」の時にもうそれを思った。当時の「映画日記」にそう書いてある。

 しかしディカプリオと山崎邦生というのは今までただの一度も感じたことがない。一応ディカプリオは「ギルバート・グレイプ(1993年)」から見ている。天才子役だった。主演のジョニー・デップがこんな大物になるとは思わなかった。

 ディカプリオがこんな感じだったら永遠にそう思うことはなかった。

 でもいまはこんな感じなのだ。映画の後半、似てるなあと思うシーンがあった。

 こういうことに鈍い私でも感じたのだから、これはその種の話題が好きなひとには常識なのだろうと検索したら、やはりそうだった。でもそういうことが書きこまれた日附を見ると2008年ぐらいからだから、やはりディカプリオがこんな感じになってきてからなのだろう。それともみんなが感じたのもこの映画がきっかけなのか。



 以上、Fuckingが多すぎる、ボールドウィンがおっさんになっていた、ディカプリオと山崎邦生は似ていると思う、で映画の感想は終り(笑)。これからオリジナルの香港映画「Infernal Affiars」を見るので、それと関連づけてまたなにかあったら書こう。ああ「The Departed」は、そのまま分離のような意味なのだろうと思っていたら、そこから転じて「体から離れた死者の魂」のような意味らしい。最後の葬儀のシーンで、註釈のように字幕が出ていた。定冠詞がついているのだから当然か。これは自分用のミニ知識。

 この種の映画を見ると毎度思うのだが、「敵の中に送りこまれたスパイ」って設定はきつい。「LAコンフィデンシャル」なんかにもあったし、劇画だと江戸時代の幕府から各藩に忍びこんでいるスパイ〝草〟を扱った「影狩り」がある。すべてを嘘でかためた人生だ。バレたらすぐに殺されるから安らぐ日々はない。つらい仕事だ。マフィア側にもぐりこんだ役のディカプリオがその苦しさを熱演している。同じもぐりこんだのでも警察にもぐりこんだマット・デイモンのほうがずっと気楽。香港オリジナル「Infernal Affiars」の原題は「無間道」だ。救いのない状況。見ているだけで胃が痛くなる。映画的には最高の素材だろうが。



 ぎりぎりの終盤になってポンポンポンと連続して登場人物が死んで行く衝撃の展開。呆気にとられているところにブラックアウトしてエンディング。そこに流れてきた、ゆったりとしたスローテンポの甘いメロディ、場違いであることによる効果。「Good Morning Vietnam」でサッチモの「What's a Wonderful World」を流したような、よくある映画手法ではあるが、なんとも効果的だ。この曲は! このエフェクターをかけないテレキャスの音色は!! 寝転んで見ていたが思わず跳びおきた。背筋がぞくぞくした。「なんだっけ、なんだっけ、これ!?」。体に刻まれている時代感覚。ロイ・ブキャナンの名を思い出すまでに何秒かかったろう。「Sweet Dreams」。とんでもなく強烈な思い出が全身を包んでくる。心は1970年代に飛んでいた。



 私はロイ・ブキャナンに憧れてTelecasterを買ったのだった。
 このデビュウアルバムの発売は、アメリカでは1972年。しかし無名のひとだったために日本では発売されず、次の1973年制作のセカンドアルバムがデビュウアルバムとして日本では最初に発売になる。私もそれから聴きはじめた。最初にセカンドアルバムを聴いたのが1974年。いやもう75年になっていたか。「After Hours」なんて何百回聴いたろう。このデビュウアルバムが出たのは1974年。私が入手したのは76年になっていた気がする。ミュージシャンズミュージシャンとして名高いひとであることがよくわかるギターアルバムだった。

 ロイ・ブキャナンと言えば代表曲は「メシアが再び」なのだろうが、私はああいう曲よりはカントリーブルースの流れを引く泥臭いブルースが好きだった。「スイートドリームス」は、ちょうどその真ん中にある。

 クラプトンやジェフ・ベックが絶讃(というか憧れの人として屡々名を挙げていた)することにより一気に有名になったブキャナンだったが、地味なギタリストがいきなり脚光を浴びたことによる戸惑いがあったのか、あれこれ実験を試みては失敗する。このころから麻薬に手を出し始めたと言われる。





 前記2枚はカセットに入れ、毎日のように聴いたが、1978年発売の「You are not Alone」あたりから離れてしまった。これには「レスポールとの遭遇」というひどい邦題がつき、ジャケットからしてレスポールだった。だけどブキャナンはシングルコイルのテレキャスでなきゃだめだ。ハンバッカーに走ったのはこちらからすると裏切りだった。と当時は思った(笑)。
 念のために書いておくと、この前年1977年にスピルバーグの映画「未知との遭遇(原題・Close Encounters of the Third Kind)が公開されて話題になっている。タイトルはあの中の「We are not Alone」から取ったのだろうし、ジャケット写真の宇宙服、その向こうにあるレスポールモデルもあらたな出会いのつもりなのだろう。邦題の「レスポールとの遭遇」もそれに倣っている。タイトルやジャケットにセンスがないように、アルバムの中身も評判が悪かった。私はこれは先輩のレコードを借りてカセットにいれただけで買わなかった。その後、すべてのカセットテープを処分してしまったので今手元に音源はない。世間一般でも評価の低かったアルバムだが、一部では、それはそのようなレスポールにタイする反感やジャケットセンス、邦題センスの悪さからきているだけで、意外に中身は良いという見直し論があるようだ。

 レスポールにしたことが関係あったのかどうか、ブキャナン人気は低下し、本人はますますクスリに溺れて行く。
 
 私はその頃からそれまでちっともいいと思っていなかったJazzのよさがやっとわかるようになり、そっちの勉強を始めた。そこにクロスオーバーの波がやってくる。これは今思い出しても強烈な大波だった。JazzとRockの融合なのだが、流れとしては「知性的なJazz的なものが雰囲気だけのRockを呑みこむ」ようなものがあり、ひたすらチョーキングだけのロックギタリストがみな運指からやり直すような運動もあった。私は次第に次第にRockともBluesとも離れていった。とはいえそれはそういう流れに染まったのではなく、元々私はスピード感のあるロック(たとえばディープパープルのような)は好きではなく、ブルース好きだったから、ジャズがわかるようになるとそっちに走ったのは自然でもあった。
 そのころの私はテレキャスではなく、ラリー・カールトンの真似をして買ったセミアコES335モデルばかり弾くようになっていた。(テレキャスはFenderの本物。335モデルはGibsonではなく日本製のまがいもの。)

 失意のブキャナンが、ちょっとした揉め事で逮捕され、留置場の中で自殺というニュースを耳にしたのは1988年だった。その夜はひさしぶりにファーストアルバムを聴いて合掌した。早いなあ、もう23年にもなるのか。



 そして幾星霜。いつしかJazzとClassicしか聴かなくなっている自分がいた。テレキャスターも押し入れにしまったままだ。音楽はみなハードディスクに入れてレコードもCDも処分してしまった。iTunesに入っている5万曲の中に、ジャンルとしてRockは15000曲ぐらいあるのだろうが、とんと聴いたことがない。まず聴かない。たまにStevie Ray Vaughanを聴くぐらいだった。でもそれもジミヘンを模した歌なしLittle Wingだから、果たしてRockを聴いていると言えるのかどうか。

 ということで、映画「The Departed」を見たあと、ひさしぶりにRoy Buchananを聴いた。数日前から始まった住まいの外装工事も雨で休みだった。激しい雨音に負けないぐらい大きな音で、Sweet Dreamsを流してみた。昭和を思い出すしあわせな午後だった。



 そのあと、こういう時代だから{Youtube}にあるのかもと出かけてみた。すると、なんと、すばらしいことに、なんでもあるのだった。私はほとんど{Youtube}を利用しない。もったいないことをしているなとあらためて感じた。たぶん世の中には{Youtube}を利用するためにインターネットをやっているというぐらい利用しているひともいるのだろう。

 このライブの{Sweet Dreams}はすばらしい。どこかのテレビ局のスタジオライブだと思うが、なんとなく「村の公民館」みたいな田舎っぽい感じがブキャナンに似合っている(笑)。最前列にいるギターを弾くのであろう青年達が、ブキャナンの手元を食い入るように見つめているのも好ましい。みな長髪だ。1976年のライブ。私が最もブキャナンを聴いていた時期だけに、自分もまたこれらの青年と同じように、憧れのギタリストの指先を見つめている感じがしてくる。
 ほとんどアクションのないのがまたなんともブキャナンらしくて最高だ。来日公演に行けなかった私は彼の映像を見るのは初めてなのである。動いているブキャナンは初めてなのだ。むかしはそんな機会などなかった。なんてすばらしい時代になったのだろう。かなり指弾きを交えているのだと知る。いわゆるロックギタリストでは決してない。といってブルースギタリストともまたちがう。ブルースギタリストとはがんがんのブルース一本やりのひとのことだ。マイナーメロディの乙女チックな自作曲を弾いたりはしない。ブキャナンのライブからはかなりカントリーフレーバーを感じる。よくもわるくも田舎っぽくていい。その地味な風貌、アクションのない演奏、田舎っぽいライブ会場、手元を注視する若者達……ブキャナンはまるで全国をどさ回りする「ギター伝道師」みたいだ。

 ヴォリューム奏法と言えばボタンの配置からストラトが弾きやすい。テレキャスでこんなにうまいヴォリューム奏法なんてあり得ない(笑)。それはブキャナンの代名詞だけれど、なんといっても私が好きなのは彼のピッキング・ハーモニクス。彼の魅力はこれに尽きる。音の深味が違う。

http://www.youtube.com/watch?v=swX9oq6TVAU&playnext=1&list=PLE39A0C9F85252E62



 {Youtube}にあるブキャナンの一覧を見ていたら、アルバート・コリンズとの競演があると知る。信じがたい。まあふたりとブルースギタリストだからあって当然なのだが、それを今の時代にインターネットで視聴することが出来るのが信じられない。陳腐だけれど「夢のようだ」としか言いようがない。曲は「Further On Down The Road」。むかしギター雑誌の写真で見たアルバート・コリンズは7フレットにカポを附けていて、Emチューニングで弾いていたが、この映像では12フレットに附けている。それじゃもう高音しか出ないミニギターだよ(笑)。相変わらず知性のかけらも感じられない顔でワンパターンフレーズ。これがまたたまらない。こういうひとがブルースマンなのであり、ブキャナンはそれとはちがっている。

 ここではブキャナンもコリンズもゲストギタリスト。メインは真ん中にいるフライングVをもったおっちゃん。私はこのひとを知らない。これって誰なのだろう。{Youtube}の書きこみに答があるかと探していたら、同じ事を思うひとはいるらしく、こんな質問を見つけた。

Albert, Roy..and the third guitarist?
Anyway Roy makes too much tricks..is a shit, bullshit guitarist!!!!?


 三番目のギタリストは誰だと問うている。三番目じゃなくて真ん中のメインなのだが。このひとはブキャナンのことは嫌いのようだ(笑)。でもたしかに、元々唄えずギターだけのひとだから、ちょっとトリッキーなことをしていることが鼻につくめんもある。ブルシットはないけど。自分の音楽だけを淡々とやっていれば追いこまれることもなかったのに……。

 英語の書きこみを探して答を見つけた。

Two monsters of Fender Telecaster: Albert Collins & Roy Buchanan.
The other guitarist (on the Gibson Flying V) - although not mentioned- is Lonnie Mack.


 テレキャスのふたりの怪物か。いいな。
 ああ、このひとがロニー・マックなのかと納得する。フライングVでアームを使ってのブルースギタリストと言えば、なるほど繋がってくる。顔を覚えていないのでわからなかった。でもまあなんつうか、フライングVのブルースは、見た目的に好きではない。あれはそのままスピード系のロック用ギターだろう。

http://www.youtube.com/watch?v=Wp4BlGXwSew&feature=related



 ギタリスト、ロイ・ブキャナンが大好きだけれど、かといってなにもかも絶讃するつもりもない。たとえばノンエフェクトのテレキャスでジミヘン系の音楽をカバーするのには無理がある。「Hey Joe」は彼なりにすばらしいけれど。ジミヘンの音楽は「Little Wing」のような正当なものでも、やはりストラトのアームが必要だろう。同じく{Youtube}にあったがクリームの「Sunshine of Your Love」なんてのも、どうにも出来がいいとは言いかねる。他の曲と比して再生回数が著しく低いのもそれを証明している。

 要するにこのひと、限られた範囲の自分の得意分野では、他とは一味も二味も違った独自の世界を持っているが、どんなジャンルの音楽も器用にこなすというタイプではない。だからデビュウが30歳と遅かったのだし、ミュージシャンズミュージシャンとして名を馳せたものだから、それに匹敵することをやらねばと焦り、ドラッグに手を出し、自分を追い詰め、自裁するようなことになってしまった。素朴でうつくしい田舎娘が都会に出たばかりに破滅してしまったようなものだ。

 映画「The Departed」を見て、いちばん心に残ったのはエンディングに流れるRoy Buchananの「Sweet Dreams」だった、という話。

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【附記】──コーネル・デュプリーの死

 このあと同じ頃に好きだったクロスオーバーバンド「スタッフ=Stuff」を聴きたくなって探したのだが処分してしまいなかった。コーネル・デュプリーの枯れたギターが好きだった。こちらもテレキャスである。70年代は遠い。
 でもネットのどこかで聞けるかもと検索して、今年、20011年5月8日に亡くなったことを知った。何十年もかけて作りあげた何千本ものカセットテープを処理してしまったのは早計だったと悔やんだが後の祭り。でもなんとかして入手してiTunesに入れよう。




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