2010

2/2  2010年グラミー賞、発表!

 52回目のグラミー賞。年間最優秀アルバムはテイラー・スウィフトの『フィアレス』。これは伏兵になるのか。




 世界最大の音楽の祭典「第52回グラミー賞」の授賞式が1月31日(日本時間1日)、米ロサンゼルスのステープルズ・センターで行われ、最優秀アルバム賞に米女性カントリー歌手、テイラー・スウィフト(20)の「フィアレス」が選ばれた。
 カナダ人女性歌手、アラニス・モリセット(35)が1995年に記録した20歳7カ月を抜き、史上最年少の20歳1カ月で受賞。「年をとっても、私の孫に何度も何度も今日のことを話すでしょう」と興奮気味にあいさつした。
 米カリスマ歌手、ビヨンセ(28)らと争った末に“新歌姫”を襲名。女性カントリー・ボーカル・パフォーマンス賞、最優秀カントリー・ソング賞、最優秀カントリー・アルバム賞を合わせて4冠を獲得した。
 出演映画「バレンタインデー」(12日公開)のPRを兼ね、14日に初来日することも決まった。
msnサンケイ



 Lady Gagaのファンは「なんで実力派のガガではなく、あんなかわいいだけの歌の下手なヤツが」と怒っているようだ。私はダンス音楽はあまり好きではなく、ガガと聞くとLady Gagaより臥牙丸を思い出すほうなので私にそれはなかった。


 念のため、臥牙丸とは大相撲の力士。「ががまる」と読む。愛称ガガ。グルジア出身。黒海、栃ノ心次ぐグルジア第三の男だ。初場所では十両優勝した。





 テイラーはかわいい。かわいいことはいいことだ。でもジャケットは綺麗過ぎるからご用心。最高の技術で最高の一枚を選ぶからそれはもう美しい。でも金髪碧眼の彼女がいま娘として最も美しい時期にあり、歌手として「美人系」であるのはたしかだろう。



 二年前、エイミー・ワインハウスが受賞したとき、あの手の音楽がいちばん好きだし、曲が良かったから心から拍手を送った。「リハブ」なんて毎日聞いていた。ああいうAメロからサビに行くパターンは大好きだ。あれは白人のR&Bとしては最高級品だろう。
 そのとき書いたことだけど、リハビリテーションの略が日本だとリハビリ、欧米だとリハブ、この違いおもしろかった。東京のマック、大阪のマクドみたいなものか。

 楽曲も歌唱も最高だったが、体に彫った何個所もの刺青と、いかにもジャンキーのようなやつれた顔と貧弱な体つきには引いた。若い頃、そういう不健康さすらも好ましいと思う時期があった。ブスは美点だった。美人はマイナスだった。年を取るとすなおにきれいなものがよくなる。

 その点テイラーはいまがかわいい盛り。白人は老けるのが早い。彼女もあと数年したら額にシワとなるのだろう。私はカントリー系音楽が好きだからテイラーの受賞を祝福している。
 いまデビューアルバム収録の「Teardrops On My Guitar」を聞いているが、バックに控え目にアルペジオのバンジョーが流れていて、ペダルスチールの使いかたなんて初期のイーグルスみたいだ。こういうソフィストケイトされたカントリーはアメリカ音楽の王道であり、今回の受賞は先進的なダンス音楽よりも本家が優先されたということなのだろう。
 音楽や映画の受賞作品と世相を結びつけるような視点は大嫌いなのだが、世情不安の不況の時代には王道回帰になる、と思えた。



 テイラーの美人度を前面に出したプロモーションビデオを見ていると、あらためて「歯並び」のことを考える。小柳ルミ子がアメリカ進出をしようとしたとき、受け入れ先からまずあの歯並びの矯正を指摘された。アメリカ的な感覚を是とはしないのだが、「相手に不快感を与えないように歯列矯正」という考えはすなおに理解できる。その基本は「ハゲは遺伝だからしかたない。でもデブは自身の問題」に通じる。目が小さい、鼻が低い、口が大きい、それらは「個性」だ。でも歯並びが汚いことは個性にはならない。

 八重歯なんて醜いものが魅力と解釈されるのも島国のほぼ単一民族の感覚だろう。あんなものどう考えても鬼である。私がこどものころからそういう「八重歯の魅力」的な芸能人はいたのだが、私は子ども心にもすこしもいいとは思わなかった。いま廃れたのはまことにうれしい。いまでこそすべて差し歯で矯正しているが、石野真子(長渕の最初の嫁)なんてひどい乱杭歯だった。あんなものをアイドルとしてデビューさせる事務所の感覚がまず理解できない。



 しかし歯はまだいい。治せるから。気の毒なのは歯ぐきだ。あれは治せない。すばらしい美男美女なのに笑った瞬間、ニュッと歯ぐきが出てすべてぶち壊しになるひとを見ると、しみじみ「惜しい!」と思う。

 これで思い出すのは由紀さおりか。彼女は素直に笑うと下品な歯ぐき全開になる。それが原因で映像ではない音声方面の仕事をしていた。今で言うジングルだった「スキャット」が話題になり、歌詞をつけて「夜明けのスキャット」に化けて大ヒットになった。その後もぜったいにそれを出さないよう常に唇を歯に被せて歌っているのを見ると、たいへんだなと同情する。ひとりになったときは思いっ切り歯ぐきを食いだしているのだろう。くつろいで欲しいと心から願う。
 しかしあの安田姉妹は、妹がチマチョゴリの似合う典型的朝鮮美人なのに、姉さんの方はエラの張った典型的朝鮮ブスだ。うまくゆかんものである。歯ぐきと言えば元巨人の上原なんてのも「惜しい!」と思う。なんでおれはテイラーグラミー賞受賞の話から上原の歯ぐきのことを書いているんだろう。



 そうだ、書きたかったのはテイラー・スウィフトのことと「マイケルのこども」のことだった。
 マイケルの遺作ビデオ「This is It」が話題になっている。ロードショー公開時からもう絶賛の嵐だったが、1月27日のDVD発売でまた盛りかえしている。なにしろ音楽のことなどなにも知らないターザン山本さん(いやご本人はかなり音楽に関して自信があるらしいが)ですら何度も日記で取り上げ絶賛している(笑)ほどだ。

 私はこれを日本公開前にDownloadで入手していた。かなり早くに見ていた。昨年11月にM先輩と会ったとき、ロードショーで見てきたばかりの先輩が興奮気味にこの作品のすばらしさを語っていた。それを拝聴しつつ、すでに見ていると内心思っていたから、やはりそれよりも前に見ていたことになる。
 黙っていたのは、マスコミ用試写会でいち早く観てきた先輩よりも引き篭もりの私がさらに早く見ているという矛盾を避けたかったからだ。それと、熱心に対峙して観劇してきた先輩と違い、あまりマイケルに興味のない私は漫然とBGVとして流していただけだった。



 すばらしいエンターテイメント作品だ。なのに書かなかったのは、ホームページを始めて十年、かなりの量の音楽に関する話を書いておきながら、マイケルのマの字も書かなかったのが、死んだからといっていきなり取りあげ、礼讃するのはみっともないと判断したからだ。

 こういう場合、自分の感覚を確かめるには「生きている」と思えばいい。マイケルはまだ生きていて、来日してこれと同じコンサートを東京ドームでやる。それに行くかどうかだ。私はノラ・ジョーンズやダイアナ・クラルのコンサートは行きたいが、マイケルの東京ドーム公演には行かないだろう。だったら私のようなのが書いてはいけない。それじゃ「死人商売」みたいだ。感想は、マイケルの死に涙した、全財産をはたいても公演を見たいというマイケルファンが書くべきなのだ。



 わたし的感覚の関連話を二つ。
 ひとつは猫の死。16年一緒に暮らした私の宝物だった猫が死んだ。畑に墓を作り埋めた。一週間後に遊びに来た姉と姪が線香をあげるという。ふつうならよろこんであげてもらうのだろう。だが私は激しく拒んだ。姉は動物嫌いで、頻繁に外国に行くようになった私が父母に猫を預けている(実家に嫌いな動物がいる)ことを嫌悪していた。私の猫が実家の居間でくつろいでいる姉の横をふいに通ったりすると悲鳴をあげるほど猫嫌いだった。もちろんその娘の姪も同じ。そのふたりが「死んだから」すべて水に流して殊勝に線香をあげたいという。私は日本的常識のそれがどうしても許せなかった。激しく拒んだ。姉とも姪ともむかしから仲が良い。その私が、線香をあげたいという、いわばこちらにすりよった態度なのに、かたくなに拒んだのはかなり意外らしく、とまどっていた。

 ほんとうにほんとうに私の宝物だった。かつてこれほどあいした存在はない。彼は自分を嫌っていた姉や姪にもっともらしい顔をして線香をあげられてもちっともうれしくはないだろう。事なかれ主義のものぐさなので、たいていのことはどうでもいいが、私は、姉と姪が私の愛猫に線香をあげることをかたくなに拒んだ。一方、同じくたまに実家に帰ってくる猫嫌いの兄夫婦(このひとたちは小鳥が好きだったりする。ひとのこのみはおもしろい)は、やっと大嫌いな猫がいなくなったかとせいせいした顔をしていた。その方が私にはすっきりしていて不満がなかった。どうにもこの種の偽善は嫌いだ。

 十年間、ホームページに大量の音楽に関する文章を書いていながらマイケルのマの字も書いていない私が、彼が死んだからといって「This is It」を絶賛する文章を書いたら、殊勝な顔をして線香をあげようとした姉や姪と同じになってしまう。

 といってこれは、いまマイケルの魅力に目覚めマイケルを絶賛しまくっているターザン山本さんのようなひとを否定しているのではない。「猫の死」で例えるなら、私は姉や姪のように「マイケルという猫」に接してはいた。姉や姪のように嫌ってはいなかったが、大量の音楽文章を書きつつマの字も書いていないのだから、どういう評価だったかは言うまでもない。





 マイケルは特別功労賞を受賞し、息子と娘が登場してコメントした。おどろいた。絶句した。なんでこんなにきれいなんだ。色白で鼻が高くて、まるで白人ではないか。晩年のマイケルの顔形からなら問題はない。だがあれは整形に整形を重ね脱色した原形とは程遠いニセ顔だ。原形はジャクソンファイブのいかにも黒人らしい鼻ペチャの少年である。実父に鼻デカとバカにされたことがトラウマとなってあの整形マニアになってゆく。
 いまとなってはもうどうでもいいことだが、私はマイケルがあのままだったらもっともっと好きだった。ジャクソンファイブもジャクソンズも大好きだった。だけど脱色し、トンガリ鼻へと整形を重ねる姿をどうしても好きになれなかった。

 この子たちの母親は白人だ。それは知っている。だが黒人の父親の遺伝子は異常に強い。白人もアジア人も父親が黒人ならみな黒人になる。それはどなたも認めると思うが、近年私がおどろいた一例として綾戸智恵の息子がいる。ニューヨーク時代に結婚した黒人ミュージシャンとのあいだの子だ。純粋黒人だった。なんと強い血なのだろうとあらためて感嘆した。

 そういう噂は聞いていた。白人の精子を使った人工授精でありマイケルの血ではないと。黒人でありながら黒人であることが嫌いだったマイケルは黒い子を残さなかった。
 こどもたちは父の愛に感謝し、感謝を述べた。だけど長ずれば、自分とマイケルのあいだには何の繋がりもないことを知るだろう。もう知っているのか。

2010年2月14日(日)
Hindi Zahraを聴く──なんでもあるYoutube!
 早朝、窓を開けるとうっすらと雪景色。駐車場のクルマの屋根が白い。寒い朝。吉永小百合。これが十八番の知りあいがいるのでつい連想(笑)。

 Hindi Zahraを聴いていた。ガットギター一本での弾き語りがいい。彼女もそこそこ弾けるようだが、たぶん別のギタリスト(男)が弾いているだろう。むずかしいことはやっていないが、かなりのものだ。こういう一見(一聴?)簡単に聞こえるジャジーなギターは自分で弾くとむずかしさがわかる。たとえるなら、100メートルを10秒台で走れるひとが、ゆっくり15秒で流している感じ。本気になるとすごいのが見える。

 ふと、「もしかして」と思い{Youtube}を検索した。あった。おどろいた。{Youtube}ってなんでもあるんだな。私は彼女の動画を見るのは初めてだった。ギターはやはり男が弾いていた。

 逆に考えるのか、「日本ではまだ無名でも{Youtube}なら外国からのアップで、ある!」と。これをアップしたひとも感想を書きこんでいるひともまちがいなく外国人だ。しかも英語圏じゃない。





 Beautiful Tango--Hindi Zahra

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 気怠い雰囲気は大好きなMadeleine Peyrouxと同じ系列。



 コリーヌ・ベイリー・レイとマデリン・ペルー

2010年2月26日(金)
Jessica Jay{Broken Hearted Woman}--中島みゆき「ルージュ」-王菲「容易受傷的女人 」-吹きぬける感傷


 1990年代にタイを旅した人なら、Jessica Jayの「Broken Hearted Woman」は忘れられない曲だろう。前代未聞というか、すさまじいヒットだった。大都市から片田舎まで、どこに行っても、どんなところでも流れていた。タイ語のVersionも続々と発売された。

 私はこのころ、一ヵ月契約で借りたレンタカーで、北部のチェンコン、チェンカム方面を走っていた。タイの田舎のドライヴ旅行は楽しい。どこに行ってもこの曲ばかりなので、躰に染み着いたような気がしたものだった。聴く音楽はカーステレオから流す持参したカセットテープだった。厳選して選んだものだ。現地でもだいぶ買い足していた。でも食堂や旅社のテレビ等、どこからでもこの曲が流れて来るものだから、いつしか覚えてしまい、知らず知らずのうちに口ずさんでいる自分に気づいて苦笑したりした。

 いま、なぜか当時のことを思い出し、「Thai Music」と分類されているフォルダを開いて聞いている。タイの音楽を聴くこともほとんどなくなった。ひさしぶりにPCから流していると、一気にあのころにタイムスリップする。なつかしい。音楽の力は偉大だ。



 シンガポールのジェシカ・ジェイが歌い、ダンスナンバーとして東南アジアを席巻した。各国で自国語のカバーが発売された。





 本歌は中島みゆきの「ルージュ」。ちあきなおみ用に提供したものだ。本人はアルバム「おかえりなさい」で歌っている。そういう漠然とした知識も「おかえりなさい」も持っているが、さすがにもう年代はいいかげん。いま調べたら、ちあきに提供したのが1977年、中島のアルバムは1979年とか。





 ちあきの歌はヒットしなかった。この歌を有名にしたのは中国語でカバーしたフェイ・ウォン(王菲)がヒットさせたからだった。タイトルは「容易受傷的女人」。

 中島の唄い方は、いつも通り地味で暗い。まあこのころは女の怨念のような歌を得意にしていた時代だ。ユーミンが明で中島は暗だった。

 フェイ・ウォンは女の情感をしっとりゆっくり歌いあげている。アジアでヒットしたのがよく分かる。
 聞くところによると、意外にちあきは軽く歌っているのだとか。未聴。



 すべての賞讃はこの曲を作った中島に捧げられるべきだが、この一見地味でおとなしい曲の起伏に富んだメロディに着目し、ダンスナンバーに仕上げたジェシカ・ジェイのスタッフも讃えられるだろう。



 ところで、ジェシカ・ジェイって何ものなのだろう。まったく知らない。血統的にどうなのか。父母は何人なのか。国籍はどこなのか。オリジナルの髪は何色なのか。

{Youtube}に動画はいくつかあるのに、その種の情報はない。彼女の作品で感じるのは、スタッフのアレンジのうまさ、商売上手という点であり、歌手としての彼女に魅力を感じないのでどうでもいいが。



 アルバム{Broken Hearted Woman}には、その他、郷ひろみの「哀愁のカサブランカ」、喜納昌吉の「花」もダンスナンバーにアレンジされて収められている。



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 四月のような風が吹いたので、ふとかつて旅した地域に思いを馳せた。またドライヴしたい。そう、「行ってみたい」ではない。また「ドライヴしたい」のだ。常夏のタイの田舎を、窓を全開にして走るのは楽しい。あの熱い風こそがタイだ。

 チェンカムの村外れ、粗末な服を着た少女が、ちいさなラジカセから流れる{Broken Hearted Woman}に合わせて踊っていた。
3/10  音楽アルバム世界歴代売り上げベストテン

 ホームページを整理していたら、2003年1月の稿に以下のようなデータがあった。今までの歴代音楽アルバムの売り上げベストテンである。
 シャナイア・トウェインの項目で、彼女のアルバムが世界歴代8位であることを言いたかったときのものになる。

 シャナイア・トウェイン

◆ 『カム・オン・オーヴァー』の全米での売上枚数は1,900万枚。これは全米女性アーティスト史上最高の売上枚数であり、全米歴代では8位である(RIAA調べ)。ちなみに全米歴代アルバム売上Top 10は次のとおり。

1位: イーグルス 『グレイテスト・ヒッツ 1971-1975』
2位: マイケル・ジャクソン 『スリラー』
3位: ピンク・フロイド 『ザ・ウォール』
4位: レッド・ツェッペリン 『4』
5位: ビリー・ジョエル 『ビリー・ザ・ベスト』
6位: AC/DC 『バック・イン・ブラック』
7位: ザ・ビートルズ 『ザ・ビートルズ』
8位: シャナイア・トゥエイン 『カム・オン・オーヴァー』
9位: フリートウッド・マック 『噂』
10位: 『ボディガード』サウンドトラック(ホイットニー・ヒューストン他)




 書いたのは2003年1月だが、正確には何年の記録かわからない。ともあれそれに近い時期の数字だろう。というのはいま最新のものを調べようとしたら検索ですぐに反応したのが2006年のものだったからだ。2003年に検索して見つけたから2003年や2002年とは限らない。でもまあそこそこのものだ。大筋に影響はない。

 以下の記録はWikipediaの英語版から見つけてきた最新のもの。以前のものだと1位はイーグルス、マイケルは2位だった。ここではとんでもない大差をつけてマイケルが1位になっている。この記録はマイケルの死の以前か以後かが気になる。おそらく死後の最新の記録と思われる。でなきゃいきなりダブルスコアにはなるまい。

 いずれにせよ2位以下にダブルスコアの差をつけたマイケルの「スリラー」が、これから十年後二十年後も1位であることに変わりはあるまい。もうレコード(CD)という「物品」が売れる時代ではなくなったから、これで永遠の1位はもう確定か。

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 2003年に書いたものと比べると、イーグルスがトップから6位に落ちてしまった。逆にランクアップしているのがAC/DC。ともに古いアルバムなのにこの数百万枚の売り上げの差はどういう流れなのだろう。まあAC/DCは〝現役〟だけれど。

 ホイットニーのサントラ盤が伸びているのも不思議だ。いまも聴いているのだが、これってそんなに売れる物なのか?

 ベストテンから落ちたビートルズだが、これはRemaster盤が出たりして、たぶん全体的な数字は大きく伸びているだろう。傾向が散ったのだ。
 Remasterと言えば、昼間スピーカーから少音量で流していると気づかないが、深夜スピーカーを自粛する時間にヘッドフォンで聴くとその音のよさに気づく。

 ツェッペリン、ビリー・ジョエルは10位台に落ちた。でもこれもどうでもいいこと。名盤は名盤だ。

 2003年にこの項目を書いたのは10位のシャナイア・トゥエインについてだった。日本ではあまり有名ではないシャナイアだがアルバムセールスでは女として唯一ベストテンに入っているのだと書きたくて引用したデータだった。その彼女は11位。

 フリートウッドマックの「Rumours」はほんとうにすばらしいアルバムだったから、10位にいることが(順位なんてどうでもいいことだが)うれしい。

 2位から10位まで、4000万枚台。数年前までマイケルの「スリラー」もこの中にいたのに、一気に1億枚以上になり、ひとりだけ別次元に行ってしまった。

 10位台から今回ベストテンに入ったのは、ミートローフ。私は彼のアルバムを持っていない。それと、「ダーティダンシング」という寄せ集めアルバム。これはサントラ盤だ。バックストリートボーイズはもちろん知っている。持っている。

 唯一、まったくの色違いなのに、ミュージカルの「オペラ座の怪人」が入っているのはすごいことだ。もっているけどまず聞かない。私はミュージカルもオペラもだめ。オペラ好きのひともをうらやましいと思う。同時にまたオペラ狂を自称する連中(たとえばセンスのわるい女流作家)の文章を読んだりすると、「ほんとにわかっているのか?」と思うのも事実。

 ミートローフはふつうのロックアルバムだから知らないのは恥ずかしい。遅ればせながらそのうち聞いて勉強しよう。

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 というところで2005年のランキングを入手。下記。上記ふたつの真ん中の時期のデータになる。この時点でマイケルはもう1位だがまだ2位以下にさほどの差はつけていない。やはり上記のダブルスコアは死後に急激に伸びた最新のものと思われる。それにしても倍増はすごい。マイケルの死は日本で私が感じた以上に世界的には大きいものだったようだ。

 私はどうしてもマイケルの場合、あの白人になろうとしての美白やたび重なる整形という彼の心の闇を考えてしまうのだが、世界的にはごくすなおに音楽のみで評価されているようだ。それの方が正しい。音楽としてはまさにパーフェクトなのだから。CDで音楽として聞く限り、それらはなんの障碍にもならない。でも私はそれを抜きにして彼を考えることはできない。




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【附記】 映画「ダーティダンシング」について

 1987年制作のこの映画を私は見ていなかった。日本での公開は翌年、ビデオになったのは89年ぐらいか。「最低ノルマ年に100本」と決めて、いちばんヴィデオを見ていたころである。なのに知らなかったのはタイトルだろう。「ダンシング」なんてのは敬遠していた。さらには「ダーティ」までついている。借りなかったのは当然だった。

 今回、舞台は1960年であり、音楽もごくオーソドックスなものと知った。オールデイズテイストだ。歴代ベストテンに入るようなタイプだったのである。タイトルから毛嫌いして食わず嫌いだった。いま聞いている。とてもよい。反省せねば。
 この作品の前にヒットした同工の「フットルース」や「フラッシュダンス」は見ているのになぜこれだけ見ていないのか不思議。まあ遅すぎることはない。愛聴盤が一枚増えたと思うことにしよう。

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【附記.2】 いまMeatLoafの「Bat out of Hell」を聞いている。とてもいいアルバムだ。さすが音楽歴史のベストテンに入る逸品だと思う。私が食わず嫌いだったのは言うまでもなくミートローフという名前。太っちょだったこどものときの徒名らしい。おとなになっても太っちょだが。こんな藝名は好きになれない。アメリカ人には好意的に受けいれられるのか。

 コウモリも好きではないし、墓石の描かれたこんな毒々しいジャケットも嫌いだ。
 中身は、売りあげ枚数世界歴代十傑に入るほどであるから、いい歌ばかりが揃っている。すばらしい歌唱力であり、同時にいわゆるストレートなロックンロールではなくストリングスを使ったり、クイーンの音楽のような壮大な作りになっている。長年高い評価を受けていることが納得できる。

 なのに私はまったく知らなかった。それにはそれだけの正当な理由があると確認する。今でも私はミートローフなんていう藝名の、その藝名に似合う太った男の、こんなジャケットのアルバムは、「ぜったいにいいから、とにかく聞いてみろよ」と親友に勧められてもなかなか手をつけないだろう。

 PCのソフトウェアでも、白人の作ったものは、ドクロやサルや恐竜等が描かれているものが多い。彼らにはそれがかっこいいのだろう。それが嫌いな私は、機能的に気に入っても毎回ドクロのマークを見る気にはなれず遠ざけてしまう。このアルバムと今まで無縁だったのは当然だった。いくら中身の音楽が優れていても、こんなジャケットを毎日見たくはない。
 でもまた日本人でも、「ジャケットに惹かれて買った」なんてひとがいるのも事実。前記の私の嫌うデザインの白人製作のソフトを、デザインがいいから好きだと言う日本人もいるのだ。いろいろである。

   
   
   
 
 
   


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