2007-Part2
3/18

Larry Carlton & Lee Ritenour Live in Japan 1995



 ラリー・カールトンとリー・リトナーが競演しているDVDを入手した。最近のことかと思ったら1995年の日本公演、もう12年も前のものだった。
 金髪をなびかせたかっこいいラリー・カールトンがハゲオヤジになっていると知ったのはほんの二年前だった。

 ラリー・カールトン親子

 つい先日INさんに教えてもらうまでリー・リトナーが日本人の杏里と結婚したと知らなかった。



 不思議である。CDはあるのだがDVDはないようなのだ。どういうことだろう。

 ラリーとリーのつきあいが古いことを知った。ラリー18歳、リー14歳で知り合っている。

 ラリーとリーで検索していたら、昨年の秋、ラリーが今度はロベン・フォードとジョイントコンサートをしていたことを知る。もちろん日本でだ。ロベンはラリーやリーより知名度は落ちるけど、ふたりよりもブルース色の強いこれまた最高のギタリストだ。
 追いかけていないので初期のものしか知らない。クロスオーバー時代だから1970年代末期か。
 まあ追いかけていないのは彼に限らずどのミュージシャンもそうであって、なにしろラリーなど毛がたっぷりある頃しか知らない。数年前音楽雑誌の表紙で禿げているのを見て腰を抜かすほど驚いた。だって栗色のロングヘアーをはためかせつつ?弾いていたいい男が禿頭のおっさんになっていたのだ。写真には一緒にすごいデブの息子も写っていて時の流れにあっけにとられた。でもこの1995年にもう禿げているのだから、それは私がいかに音楽シーンに疎いかの証明でしかない。でもボブ・ディランでもポール・マッカトニーでもミック・ジャガーでも若いときのイメージを保とうと、カツラだか手術だかわからないけど、一応同じイメージじゃないですか。なんで髪の毛ふさふさのラリーがこんなことになったのだと信じがたい気がした。
 いまの鶴瓶を見ると、髪の毛がある若いときにはアフロでもパンチでもリーゼントでもやりたいことをやっておくべきと思う。浅田次郎さんも髪の毛が有りすぎて整髪に苦労したとか。今は昔。

◎リトナーは歌う、カールトンは歌わない





4/8
 ギターをもったノラジョーンズ

 歌姫ノラの写真といえばいつもこんな感じである。ピアノだ。

 ところが今日はこんな写真を入手した。これは珍しい。

 Downloadした音楽ファイルに附いていた写真である。私は普段これはDownloadしない。してもすぐに消してしまう。ところがこんな掘り出し物もあるのだと知った。認識を新たにしないと。

 このアルバムには「Come Away With Me」をギターで歌うVersionが収められていた。素朴で新鮮である。うれしいなあ。(でもピアノバージョンの方がいいけど。)
 「Norah Jones Live at SWR3」より。



4/10
 イギリス人の選んだトップ10

マイルス、ジャズの名曲トップ10で圧倒的勝利
英国のデジタル・ラジオ局thejazzが行なったジャズの名曲トップ10を決めるリスナー投票で、マイルス・デイヴィスのトラックが3曲登場した。 「So What」がトップを飾っただけでなく、「All Blues」(5位)、「Blue In Green」(10位)も選ばれるなど、ジャズといえばデイヴィスという公式が改めて認識された。

'91年に亡くなったデイヴィスだが、昨年ロックの殿堂入りを果たすなど、現在でも名声、評価は衰えていない。また、スタンダードばかりが名を連ねたトップ10中、現在のジャズ界の貴公子ジェイミー・カラムの「Twentysomething」が健闘している。

thejazzのリスナーが選んだジャズの名曲トップ10は――

1.マイルス・デイヴィス「So What」
2.デイヴ・ブルーベック「Take Five」
3.ルイ・アームストロング「West End Blues」
4.ジョン・コルトレーン「A Love Supreme」
5.マイルス・デイヴィス「All Blues」
6.ジョン・コルトレーン「My Favourite Things」
7.ウェザー・リポート「Birdland」
8.ジェイミー・カラム「Twentysomething」
9.デューク・エリントン「Take The 'A' Train」
10.マイルス・デイヴィス「Blue In Green」

 まあこんなものは人それぞれであるからどうでもいいことだ。それにこの文にはどのような調査をどれほどの人にしたかが書いてない。寄せられたリスナーからの答はいくつなのか。

 先日、麻生太郎が『夕刊フジ』に書いていた「イギリスの調査によると『世界によい影響を与えている国は?』の第一位は日本。昨年もカナダと同率の一位だった。日本人はもっと自分に自信を持つべき」という意見は、「イギリスが23カ国、4万人に調査した」と根拠になる数字があるから説得力を持つ。日本人として誇れる。裏付けは大きい。

 この記事はhttp://www.barks.jp/news/?id=1000030888に載っていた。末尾に Ako Suzuki, London とあるから、ロンドン在住の日本人、スズキアコさんが発信したのだろう。ラジオ局が発表していないのかも知れないが、ぜひともこういうのは何人に尋いたか書いて欲しいものだ。

 リスナーの数も調査期間もないから内容が重みを持たない。それにジャズとヨーロッパを考えると、イギリスよりも断然フランスである。人種差別に悩みスランプに陥ったアメリカのジャズミュージシャンが新生面を切り開いたのは藝術に理解のあるフランスだった。フランスは困窮したジャズミュージシャンを諸手を挙げて受け入れた。今度はぜひとも「フランスのジャズファン1万人アンケート」とか、そちらの結果を知りたい。イギリスよりもはるかに価値がある。

 とはいえこれはこれで興味深い。文にあるようにジェイミー・カラムが入っているのもそうだが、私はウェザー・リポートが入っていることに感心する。
 しかしまあこういうのはね、ベスト10なんて無理な話だ。でも「Jazz=Miles」というのは正しい認識だろう。それを否定する日本のひねくれ者の声が聞こえるようだ(笑)。

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 何年か前、中央競馬会が「ファンの選ぶ名馬100選」という企劃を大々的にやった。大失敗だった。そんなものに応募するのは近年の若いファンばかりである。よって戦前から昭和に至る歴史的名馬を押しのけて、近年の馬ばかりがランクインしてしまった。それでも名馬ならまだいいが、昭和の偉大な馬より近年の条件馬の方が票が多いという笑うに笑えない結果になった。

 中央競馬会はその結果に眉をひそめ、フォロー企劃として機関誌『優駿』誌上で「識者の選ぶベスト10」をやった。私はそれの司会進行とまとめを担当した。これもまた最悪だった。ヴェテラン競馬評論家5人の持ち寄ったベスト10をポイント制で総合したのだが、Y氏が中心となって仕切ったものだから、氏の選ぶベスト10になってしまった。ここでY氏が戦前から今に至る競馬の流れを俯瞰して発想する人(=他者に気遣いする人)ならよかったが、彼は唯我独尊の固まりのような人である。自分が一口持っていて菊花賞を勝ったダンスインザダークをGⅠを何勝もしている過去の名馬よりも強硬に推したりして、そりゃあもうひどい結果になった。なにが「識者」なんだかね、実態はこんなものである。

 5人が10頭の名をあげる。1位の馬が10ポイント、以下10位の1ポイントまでの順位付けだ。それを合計してランクを作る。近年の名馬スペシャルウィークが何故か場違い的に1頭だけベスト10に入っている。どうみても異様である。7位ぐらいだったか。その理由は4人は名をあげてないがY氏が1位(!)にしたからである。私もスペシャルウイークは大好きだが日本競馬史すべてをひっくるめての1位とは思えない。1位は10ポイントだ。こうなると他の4人が2ポイントで選んだ合計8ポイントの馬がいたとしても、それをしのいでランクインすることになる。むちゃくちゃである。なにが「識者の選ぶ名馬」だ。それらをまとめていて、二度とこんなくだらない仕事はしたくないと思った。こんなことをするなら最初から識者5人のベストテンを表にして掲示すべきだ。そうすればY氏のオツムの程度もしれよう。なお、他のかたはきわめて真っ当だった。
 この企劃でわかったことは、「こういうベストテン的なことはやるだけ無駄」という真理だった。

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 イギリス人の選んだこのベスト10は音源をすべてもっていたので、今日は並べて聴いてみた。
 これはこれで楽しい。それだけの話。サッチモの「West End Blues」を聴いたのなんて何年ぶりだろう。それぐらいの価値はあったか。でもまあベスト10なんてのは何事に関してもくだらない企劃だ。


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 やっぱおかしい!

 この記事を読み、上記の文を書いてから、ジェイミー・カラムの音楽を聴き、DVDを見た。それで思った。「やっぱりこれってヘンだ」。
 いったいどれぐらいの人にどのようなアンケートをとったのだろう。それがまったくこの記事には書いてない。どういう形でジェイミー・カラムが突如としてポンと入っているのだ。これはY氏のスペシャルウィークではないのか。

 たとえるなら「昭和平成の歌ベストテン」に1曲だけ近年のジャニーズ系の歌が入っているようなものだ。考えるほどに不自然である。
 かといって私は美空ひばりや古賀メロディがスマップより偉大だと強弁する気はない。好みも評価も人それぞれでいいのである。並木路子の「リンゴの唄」が敗戦の日本にいかに勇気を与えたかといっても、それはその時代の話であり、知らない人にはその価値は楽曲から判断するしかない。そもそもこんな企劃が無理なのだ。

 だけど「二十代の人百人に聞きました」と「各世代百人に聞きました」では結果が違うだろうし、さらに対象が千人万人と増えるほどに突飛なものは落ちてゆくはずである。
 いったいどういう形で、どれほどの人にアンケートをとった結果なのか。「イギリスのジャズファンが選んだ」として世界に発信するなら(じつはどうでもいい話で日本にだけ届いたのかもしれないが)、もうすこし基本的なことをしっかりすべきだろう。それは発信したスズキアコさんにも言える。それが職業ならきちんとしてもらいたい。何人のリスナーを対象にした結果なのかを書くべきだし、もしもラジオ局がリスナーの数を発表しなかったのなら、そのことを注記すべきだろう。「対象数は未発表」と。それがこういうことを書いてお金をもらう人の基本だ。考えれば考えるほどイギリスのJAZZファンが選んだというこのベスト10がくだらなく思えてきた。

 いま一番の悔いは、こんなものをネットで見かけ、早速食いついてこんな文を書いてしまった自分の軽薄さである。自分で書いているように、数や方法等が明示されていないこんないいかげんなものは無視すべきなのだ。反省。(4/19)

5/2
 MediaMonkeyをDownload──iTunes卒業か!?──が、が、が……

 iTunesをmomoさんからもらったのが2005年の2月1日。あのころはまだこういう大きなソフトをDownloadできる環境になかった。Windows2000のUpdateをテレホーダイので一晩かかっていた時代である。って、ほんの2年ちょっと前か。たしかこの年の4月にテレホーダイがなくなったのだった。(後日註・調べたらなくなったのは2004年3月31 日でした。)

 以来メインのプレイヤはiTunesだが、四六時中流しているのはインターネットラジオのSmoothJazzなのでWinampで聞くことのほうが多い。ラジオだけならこっちのほうが便利だし音もいい。最近iTunesはご無沙汰気味だ。すこし重いと思う。起動のあたりが。
 だけどWinampというのはそれこそ初めて出てきたころから知っているが、どうにも私には使いづらく仲良くなれないソフトなのである。現在インターネットラジオを聞くのには重宝しているがその他の使い心地に満足しているわけではない。なんかもっといいものはないかと思っていた。今回OSを再インストールして環境再構築をしたから、その辺も気分転換してみようと思った。

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 MediaMonkeyというプレイヤがiTunesよりも軽く使いやすいとあったのでDownloadしてみた。
 この猿のマークは好きになれないが、OSの画面をクラシック表示にしているので、水色系のデザインはそれに似合ってなかなかよい。

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 しかしこのMediaMonkeyは曲目の読み込みに異常に時間がかかる。15000曲を読み込むとき、どのソフトも流れるように高速に稼働する。その間CPU使用率が100パーセントになり他のソフトを動かせなくなるのはデュアルコアではないのだから覚悟している。でもどんな重いソフトでも10分もかからず終る。ところがこのソフト、かたつむりみたいに遅い。一曲一曲かみしめるように登録している。それでもあたらしいソフトを使用する誘惑には勝てず、私は猶予を与えた。その他の作業をやめこのソフトの曲登録専用にPCを解放してやったのである。なのに宮本輝の「森の中の海」を2時間読んでもどってきたらまだ三分の一も終ってない。呆れた。削除することにした。
 こんなことが現実にあるはずはない。これは缺陥ファイルなのか。あらたにDownloadしてインストールすれば解決するのだろうか。iTunesより軽いと評判のソフトがそんなに重いはずがない。それでは使用者などいなくなる。何かのまちがいだと思いたい。もういちど確認したい気持ちが湧く。前記したが、クラシック表示にしている私の画面は、あのMSのくすんだような水色なので、それとみょうにマッチしていたのだ。
 だがこういうことでいちばんたいせつなのは相性だ。私とは縁がなかったのだろう。そう割り切った。

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 ウォークマンでiPodに次ぐシェアをもつSONYのメディアプレイヤソフト、SonicStageをDownloadしてみた。これはダメ。デザインが好きになれない。紫系ってのはVaioカラーってことか? ウォークマンからVaioまで一貫してソニー支持者だったのにいつの間にか疎遠になってしまった。Vaioを使わなくなってもう5年になる。まあそれはともかくこのソフトは好きになれない。これもすこし使って削除したがMonkeyと違って未練なし。

 
 以前一度入れたことのあるQuintessential PlayerをDownload。愛称はQCD
 これも使い勝手かでイマイチわからないが、しかしまあ音はいいなあ。抜群である。こういうPCと再生ソフトの音量の関係はどうなっているのだろう。マザーボードのSound設定は真ん中にしてある。なのにWinumpやQCDは大きすぎるほどの音量、急いでヴォリュームを絞る。目盛りは1か2ぐらいで充分だ。対してiTunesは目盛り真ん中でもかすかに聞こえる程度。スピーカーの音量を上げねばならない。しかしこれは他のソフトに切り替えたとき、いきなり大音量で鳴り出すってことである。深夜などこれで冷や冷やしている。どうもiTunesにはいろいろ問題がある。

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 Jetも入れてみた。これって韓国製らしい。知らなかった。その割りには洒落たデザインだ。Cowan用か。


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 foobarも以前入れたことがある。これはあまりに簡素で興味がわかなかった。すこしでもメモリ使用量を抑えたい低スペックのノートにはいいのかもしれない。それよりもあの悪質なインベーダーのようなマークが気に入らない。外人はほんとに好きだ、ドクロマークとか。

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 Songbirdも入れてみた。これは黒基調。黒画面に白文字。
 私はエディターも黒背景に白文字で書くぐらい(これが長時間作業でも目が疲れない)黒画面が好きだが、音楽はどうだろう。ちょっと凝りすぎた画面のように思う。でもiTunesのあのMac的パステルカラーに飽きたときいいかもしれないので入れておくことにした。


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 結果として、私はいまQCDでインターネットラジオを聞いている。あきらかにiTunesより音がいい。これはdllによって違うらしい。Media Monkeyの解説サイトにそんなことが書いてあった。MediaMonkeyもWinamp用のdllを入れると格段によくなるらしい。
 しかしまあこのQCDってのは音がいい。インターネットラジオを聞いていてもその差がわかる。まだ不慣れなので使いづらいがインターネットラジオに関してはしばらくはこれでゆこう。

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 HDD内の曲を聴くのはiTunesがいい。使い慣れている。しかしデザインに飽きてもきた。どうするか。
 というところでMulti Pluginを知る。これを導入するとSkinで外観が換えられるらしい。あたらしいSkinもぞくぞく出ているとか。
 だよなあ。なんで今までそんなことに気づかなかったのだろう。なにもデフォルトで使っている必要はなかったんだ。Macのソフトだもの、しゃれたSkinが山とあるにちがいない。

 ということでやってみたのだがうまく行かない。それどころかiTunesが起動しなくなった。なんとか調べて、iTunes最新の7.1VersionにMulti Plugin2.5が対応していないのだと知る。それでVersionを7.0に下げる。それでなんとか起動した。この時点ですこしデザインが変わった。それはMac用らしい。Windows用のiTunesがMac用の外観になった。まあこれだけでも多少は新鮮だが、私はネットで見かけた赫っぽい外観にしたいのだ。そのためのMulti Pluginもインストールされたのだが、Skinのところにあるはずのそれが見えない。いま必死でこの問題を解決しようと調べているのだが答が見つからない。
 このままiTunes卒業なのだろうか。iPodがあるからそうは行かないのか。いや他のソフトでもiPodには対応している。なんとかうまくいってほしい。

5/7
Mrマリックのテーマ曲

 Mrマリックのあの有名なテーマ曲はイギリスのThe Art of Noiseの「Legs」である。「In Visible Silence」の中に入っている。だいぶ古いアルバムだ。もう二十年ぐらい前のものか。
 それは知っていた。そんな半端な知識があったものだから私は原曲を聞かないまま、原曲もテレビから流れてくるあのテーマ曲と同じ感じだと思いこんでいた。

 今回ふと思い立ち「Legs」を入手した。すると全然違っていた。なんだかすごい曲である。「なんだかすごい曲」じゃ表現力のないただのバカである。この音をことばでどう表したらいいか。
 最も単純明快に言えば「気味が悪い」か。「不気味」。
 このミュージシャンはシンセを使ってその名の通りの「アート・オブ・ノイズ」を創作している。聞いて楽しくなるような音ではない。管絃樂やSmooth Jazzを好む私には。



 この曲に目をつけたマリックは炯眼だ。そしてこれを今の形「マリック・バージョン」にアレンジした人はセンスがいい。原曲ではちょっとつらい。
 というようなことをいくら文章で言っても意味がないのでぜひ聞き比べて欲しいのだが、それはそれでたいへんだ。

 さてこの「脚」というタイトルの曲はなにを表現しているのだろう。オープニングに舞台的なかけ声と音楽が入る。そこからの連想だとラインダンス的な「脚」なのか。しかしサウンドから感じるのは、「街を歩く人の脚、大勢の脚」という感じである。モノクロの映像にしてひたすら歩く生き物としての脚だけを映し、この音楽を流したら会うだろう。
「気味が悪い」なんて失礼なことを書いてしまったが、こちらの想像力を刺激してくれるすぐれた音楽であることは言うまでもない。ふにゃふにゃしていたい私にそういう元気がないというだけの話だ。現役の美大生ぐらいの活力がなければ正面突破はきつい。
5/30

 ZARDヴォーカリストの死と大黒摩季ブログ炎上

人気音楽ユニットZARDのボーカル坂井泉水さんが2007年5月27日に脳挫傷のため急死した。これを受けて、あるアーティストのブログが炎上した。坂井さんが亡くなる前に放送されたテレビ番組がきっかけで起きた騒動だ。

シンガーソングライターの大黒摩季さんのブログ(07年4月15日)に対し、400件以上のコメントが殺到した。発端は、大黒さんが出演して、5月27日に放送されたフジ系バラエティー番組「ウチくる!?」だ。

番組の内容は、大黒さんがデビュー当時を振り返るというもので、デビュー前後に所属していた事務所「ビーイング」の同じ事務所出身のミュージシャン「B'z」や「TUBE」、「WANDS」などのバックコーラスを務めたこと、事務所の意向でソロデビューが果たせず、「しばらく」「ずっと」バックコーラスでいたことなどを打ち明けた。

司会の中山秀征さんは「バックコーラスができるのは、それだけの力量があるからだ」と大黒さんを持ち上げて、こんな話を聞きだす。

「レコーディングの時『コイツ』下手クソだなっていうアイドルもいっぱいいたでしょ?」
「はい、ぶっちゃけ。何でアンタの気持ち悪い音程に合わせて私が歌わねばならないのだ!
カワイイってことはこういう(バックコーラスではなく前で歌える)ことか!
やっぱ顔か~、体か~!!みたいな。何で!!(私は前で歌えないの)って感じじゃないですか!」

この発言に対し、2ちゃんねるではこんなカキコミがあった。
「ZARDとは明言してなかったが『へたくそだなーって思う人いた?』という質問に対し『はい。なんであんたの気持ち悪い音程に私が合わせて歌わなきゃいけないの?って。
結局顔かよ!結局体かよ!ってね』と。どんな人のコーラスに参加してたの?というところでも『B'z』、『TUBE』、『ビーイング』という語句を出して『ZARD』は出さず。これはほぼ決まりかと」大黒さんが「ZARD」の名を出さないのはおかしいし、「顔」「体」という発言から、かつてレースクイーンやモデルを務めたZARDの坂井さんのことを指しているのだ、ということらしい。

これを受けて大黒さんのブログには、「なんで坂井さんが死んだ時に限ってテレビであんなことを…」というコメントが5月28日の12時31分に書き込まれ、以降、「真相はべつにしてもひどい」という声が増加した。

「なんであんな事カメラの前で言ったのかねえ。面白いと思ったの?」
「真意は別にしても、あんな不用意な発言していたらそう思われても仕方ない」
「タイミングが悪かった。(大黒さんの発言が坂井さんの死の)原因だとは思わないけどやるせない気持ち」

もっとも、 「たしかに坂井さんは可愛いけどアイドルではない。だからこれは坂井さんのことじゃない。考えすぎ」
「坂井さんが亡くなったことは残念だが、このブログを荒らすのはお門違い」
と擁護する声もあったが、ブログのコメントは同日の20時前後には大量に削除された。

大黒さんの所属事務所「サニーサイドアップ」にたずねると、コメント削除に関しては、HP管理会社が「本人に関係のない内容」と判断し削除したものだとのことだった。

番組内の大黒さんの発言については、「坂井さんを指して言ったものではない。現場にマネージャーやスタッフが同行していたが、放送は一部編集されており、誰か特定できる人物を挙げたものではなかった」と釈明した。

そして大黒さんは坂井さんの訃報を知ると、自身のブログで追悼の意をこうあらわした。
「このブログ(5月28日)を書きあげた後、ZARDの坂井泉水さんの訃報が飛び込んで来ました。私は彼女を心から尊敬し、同じ時代を共に過ごした戦友でもあり、この突然の悲報に胸が詰まる思いでいっぱいです。病気の痛み苦しみから解放され、どうか安らかにお眠り下さいますよう心からのご冥福をお祈りしています」

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私はZARDの曲を大ヒットした数曲しか知らない。今回彼女が亡くなったことによりミュージック・クリップがテレビに流れ、初めてじっくり聞いた。初めて彼女が美人だと知った。
 私が好きなのは楽曲なので、彼女の作詞と作曲の織田哲郎の曲が好みなのだろう。

 テレビやレンタルヴィデオショップで流れているような形で漠然漫然とした状態でしか聞いたことがない。今回初めてまともに聞き、すぐに思ったのが声量がなく音程がフラットしてあぶなかっしいということだった。それはそれで彼女のファンにとっては魅力なのだろう。
 人は完璧なものを好むのではない。豊富な声量と完璧な音程のヴォーカリストより彼女のような声と歌のほうが抱きしめたい魅力に満ちている。私は最近サラ・ヴォーンをまったく聴かない。彼女の強さと太さが田舎に引き篭もっているような私にはうっとうしいのだ。そういう感覚の私がCDにあわせての口パクを聞いて彼女の能力をうたがったのだからことはけっこう深刻である。
 CDは何度もテイクを取ってその中からのベストを選ぶ。ときにはつなぎ合わせる。それでこうだから坂井泉水さんの歌唱力はかなりあぶなかったと思う。ライブはたいへんだったろう。

 もっと他の曲も聴いてみたいと思った。探したら中国系のトレントファイルサイトにベスト盤があった。「急逝情念」と書いてあるから哀悼の意味なのだろう。日本語の歌をトレントファイルで入手したのは初めてである。こういう場合、彼女のような名は横文字のZARDで検索できるので助かる。
 いまそれを聞いていたら、リンクしてあるGoogleサイドバーのニュースから上記の話流れ込んできた。

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 大黒摩季のブログ炎上は、れいによって2ちゃんねるのオタク的な世界の人の話であろう。いわゆる「祭り」であり、いつもなら目にとまらない。なのにこうして取り上げたのは前述したように彼女の音程が不安定なことを知ったからである。大黒の批判したのが彼女である可能性はそれなりにある。
 しかしこうなると彼女を批判したと言われている大黒摩季の歌も聴いてみたくなる。この人は実力派なのか? いまさら私がこういう人を好きになることはない。今まで興味がなかったのはそれだけの縁なのだ。だってZARDは何曲かをちゃんと知っていた。いやそれは単なるCMに起用されたかどうかの話か。一連の流れから彼女は、ルックスはたいしたことはないが、歌唱力があり、音程もしっかりしている歌手、らしい。それを確かめてみたい。
 といって無料で手には入れる方法はないし、レンタルしてくるほど興味があるわけでもない。そのうち忘れるだろう。

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 故人を送るのは炎上でも何でもいい。賑やかな方がいい。
 彼女の本名は幸子か。なんで幸子さんにはあまり幸でない人が多いのだろう。
 でもこれだけの実績を残したから四十というあまりに早い死だったけど幸だったのかな。意味なく長生きしてもしょうがない。やすらかに。合掌。


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 あれやこれやの噂 6/10

 死後しばらくして、週刊誌に載ったいくつかの記事を読んだ。日本人らしく当面は自重して、しばらく経ったから出て来た記事のようだ。
 そこには彼女が創られたスターであることが詳細に書かれていた。ほとんどの曲の作詩を彼女がやっているが、じつは箸にも棒にもかからないレヴェルのものを、スタッフで造りなおしていった課程が詳細に書いてあった。

 スキャンダルとか週刊誌の記事とかには関係なく、私はすんなり信じられた。自分がそういうことを長年やって来たから、そこにある矛盾や進歩の課程が手に取るように見えたからである。レースクイーンをやっていたような美人の彼女がスカウトされ、スタッフによりスターへと創られてゆく。曲はプロが作るが作詩は彼女にさせてみる。その作詩が矛盾しているないようで詞になっていなかった、それをみんなでこんなふうに直していった、という関係者の指摘は、若い娘の書いた歌詞になっていない歌詞もどきをさんざん見てきた私には納得できる感覚だった。

 テレビに出なかったのも何度か出た番組で当意即妙の応答が出来ない自分に嫌気が差して、というのもわかる。ああいうものはそれが出来ると中毒気味に自分から出たくなるものである。出ないことによって伝説となったのなら、それはそれで結果オーライである。

 記事を読んでいたら、美人の娘をうまくプロデュースしてスターに仕上げた流れがよく見えた。もちろんこれは彼女の実蹟にケチを付けるものではない。ピンクレディ等もそうだったし、スターとはそうして作られるものである。

6/5


 ポールの「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」

 ポール・マッカートニーの新作「memory allmost full」を聴いている。触れている。元気なポールに触れられて感激する。天才の幅の広さが出ている傑作だ。

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 そこからの縁でMTVでのUnpluggedを入手した。このTVスタジオでの生演奏は、それを録音したものが発売され公式海賊版?と話題になった。当時何曲かを聴いた記憶があるが私はこのアルバムをもっていなかった。
 今回ポールの多くのライヴ盤を聴いて最もこれに感銘を受けた。1991年の作品だからもう16年も前になる。チェンマイに通いはじめたころだ(笑)。
 巧い人はアンプラグドを演るとますます光る。それを知っていながらなぜ今までポールのアンプラグドを捜さなかったのだろう。メロディメーカーとして歌手として、そして演奏家として、最も尊敬している人なのに。

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 左が曲目。Amazonの「商品説明」の欄には以下の文が。

Amazon.co.jp
   MTVのアンプラグド・シリーズの一環としてロンドンで録音されたこのアコースティックアルバムには、さまざまな種類の曲が収録されており、すべてではないがそのほとんどが、マッカートニーによって書かかれたものだ。
ライヴセッションは1954年、ジーン・ヴィンセントがつくったあの「Be-Bop-A-Lula」の素晴らしい演奏ではじまる。それに続くのは、マッカトニーが14歳にして初めて書いた「I Lost My Little Girl」だ。マッカートニーの『Run Devil Run』コレクションに先駆けたこのアンプラグドでは、公衆の前で演奏されたのはこれが初めてという「We Can Work ItOut」「And I Love Her」「She's A Woman」も聴くことができる。
マッカートニーはセッションを通じてリードヴォーカルをとり、アコースティックギターをプレイしているが、ただ1曲「Aint No Sunshine」ではドラムを担当し、ハーミッシュ・ステュアートにヴォーカルをとらせている。
(Carina Trimingham, Amazon.co.uk)


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 この文にあるようにポールファンとして初公開の彼の作品に感激すべきなのだろうが、私は彼の演奏するスタンダードの「Be-Bop-A-Lula」と「San Francisco Bay Blues」に狂喜した。未聴だった。ポールがやるとサンフランシスコ・ベイ・ブルースがこうなるのかと聴きほれた。

 ビートルズの「ベッサメ・ムーチョ」が好きだ。かなり粗っぽいが、あれは彼らの振幅のおおきさが出た名演奏だろう。
 多くのロック・ミュージシャンの源流はシンプルである。ポールは当時からその幅の広さが異色だった。むかしからポール嫌いというのがいた。それは彼のそのおおきさが理解できず(=でもなんとなくはわかっている)疎ましかったのだろう。黒人のブルースやR&Bをルーツにもってロックしている連中とはポールは懐の深さが違っていた。ロックを直球勝負とするなら、ポールは多種の変化球をもっていた。旧い変化球を研究してあたらしい魔球を考案するのが好きだった。多用した。直球しか理解できない連中が彼をきらったのは当然だった。周囲にもいっぱいいた。私は彼の変化球の多さに感歎していたから一貫して彼のファンだった。端的に言うならクラシック風のストリングスアレンジに、「こんなのロックじゃねえ!」と腹立つか、「こんなこともできるのか!」と感激するかである。私は後者だった。ポールにとって大切なのは自分の音楽をやることであり、ロックも反体制もどうでもよかったのだ。反体制のロックという視点からのみ彼を理解しようと思った人は彼を理解できなかった。彼らは音楽が好きだったのではない。体内の憤懣を吐きだす道具としての反体制のロックが好きだったに過ぎない。だから今彼らは音楽など好んでいない。そして反体制とはすなわち「自分が体制でないことの不快」だから、齢を重ねしっかりいま体制内にいる。満足なことだろう(笑)。彼らがポール嫌いだったこと、一貫して私は好きだったことは、私の誇りである。

 アコースティックなサンフランシスコ・ベイ・ブルースを聴いて、あらためてそれを思った。とはいえ私は熱心なリスナーではなかったから、こんな大傑作すら今ごろやっと聴いたのだが。
 
 これロンドンでのMTVだから当然映像もあるのだろう。見たいものだ。いやスタジオの歓声から想像するぐらいでちょうどいいのか。
 愛聴盤が一枚増えた。

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 Life is very short!

 演奏曲に「We Can Work It Out」がある。これの「Life is very short」の部分を聴いていたら「留守番電話」のことを思いだした。
 1980年だったろうか、初めて留守電を設置した。当時のものはカセットテープを使っていて、私のはそれを2本入れるようになっていたからヴィデオデッキのように大きかった。いま思えばずいぶんと大袈裟な機械だが、当時は最先端の新兵器を導入した気分でうれしくてたまらなかった。吹きこみ口に向かって自分の声で録音する。バックにラジカセから音楽を流す。手製のBGMだ。当時はそれを毎週替えていた。今度は何にしようと楽しく悩んでいた。
 
 多種多様のBGMにも好評だったもの不評だったものいろいろあった。不評で想いだすのはレイ・チャールズの「What's I Say」のイントロ部分を使ったら「長い!」と抗議が殺到した。たしかに急いでいるときさっさとメッセージを伝えたいのにあのイントロが延々と続いたら腹立ったことだろう。今の私がそうだ。
 好評だったもののひとつにこの「We Can Work It Out」がある。いきなり「Life is very short」の歌声が流れ、「外出しています」と応答が流れるシンプルなスタイルだった。ある日「あの、すみません、番号間違えました、でもあの、とってもいい曲ですね」という女の声が入っていた。

 留守番電話というものに慣れるに従いすぐに倦きた。やがてBGMはなくなり、「御電話ありがとうございました」なんてのも省き、「外出しています、御用件と御名前を御願いします」と殺風景なものになった。機械に電子音の応答がついてくるのはこのずっとあとである。

6/7

 SRVの「Little Wing」

 Stevie Ray Vaughanのミュージック・クリップをいくつか入手した。カウボーイ・ハットのSRVがあれこれやっていて、それなりに凝っている。でもほとんどがワンパターン、まあたいしたものはない(笑)。
 凡庸なそれらの中で「Little Wing」は白眉だった。彼の曲ではなくジミヘンに捧げる形式になっていたからだ。いやジミヘンだけだったらこうして採りあげることもなかった。多くのブルース・ミュージシャンに捧げる形式になっていて、モノクロ映像のデルタブルースの演奏シーンが出たりする。そこに彼のLittle Wingが重なるからたまらない。何度見てもいい。
 PC机で飲食はしないが、バーボンをストレートで呑みつつ見たら合いそうだ。

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 SRVのMTVでのUnplugged演奏を見た。A・ギターでもバカテク全開である。手が大きい。これは基本。指づかいの雰囲気がチャーに似ている。でもそれは巧いなあという以上の感激は運んでこない。
 これとはちがう映像だが、ライヴ演奏でジミヘンばりの背中弾きを披露しているのも見た。これも「体が大きくないとあれは出来ないな」と思っただけだった。
 彼はギター職人であり、ポールのような音楽家ではない。それを痛感した。
 しかしまたそのことと「Little Wing」を愛する彼へのいとしさはまた別物だ。

 ジミヘンのLittle Wingに名演奏はすくない。私はひとつだけだと思う。いやそんなものひとつあれば充分なのだが。
 いま私の手許にはその至高のひとつがない。どこかにいってしまった。それでいて駄演としかいいようのないのはいくつもある。時代が時代だからしょうがないけど、ジミヘンにはひどい演奏も多い。志ん生と同じか。

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 SRVのLittle Wingはいつでもうつくしい。彼のこの曲への執着が寒けがするほど伝わってくる。ほんとうは卓上スピーカーじゃなくて大音量で聴くべきなのだ。それは彼の兄が力説していた。「The Sky is Crying」に収められた「Little Wing」に関して、弟の魂を捧げた演奏を、ぜひ大音量で、ストラトと真空管アンプの焦げるにおいまで味わって欲しいと。
 ぜひともそのうち体感しよう。

 ジミヘンはスティーヴィというフォロワーを得てしあわせだ。スティーヴィは自己流のよけいなことをしない。ひたすらジミヘンに捧げるオマージュとしてのLittle Wingを弾く。うつくしい。

 イージーリスニングにアレンジされた「Little Wing」をもっている。それもそれでいいが、本物のひとつ以外では、やはりSRVがいちばんだ。歌のない「Little Wing」なのに歌っているのがいい。

6/11
 ノラの二枚目のライヴ映像




 ノラ・ジョーンズの「Live in 2004」を見た。聴いた。感じた。原題は「Norah Jones and the Handsom Band Live in2004」で、「ハンサムバンド」が表に出ているのだが、日本ではこれを嫌うのか(笑)消されている。ハンサムはいないバンドなのだが、ノラにとっては最高の人達ということから「彼女のハンサムバンド」と表されることも多い。その洒落が通じないのか日本ではこの名をとってしまうことが多いようだ。

 以下はアマゾンの紹介文。

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Amazon.co.jp
   すい星のようなデビューを飾った2002年以来、“聴かせるアーティスト”として成長中のノラ・ジョーンズ。その様子は、彼女の2作目のコンサートDVDとなる本作『Norah Jones and the Handsome Band: Live in 2004』(2003年リリースの『Live in New Orleans』に続く作品)にハッキリと刻まれている。この才能あふれるシンガー兼ピアニスト兼ソングライターは、まだ大物ぶった態度を取ることに慣れていないようだ。やや表情が硬いながら(拍手喝さいに困惑しているような様子)、人懐っこい魅力を振りまくジョーンズ。気取らず、親しみやすいステージには好感が持てる。音楽にも同じことが言えそうだ。ジョーンズと献身的なバンド(プリテンダーズやポール・マッカートニーのバンドのメンバーだったギタリストのロビー・マッキントッシュも今回参加)は、ナッシュヴィルのライマン公会堂で、地味ながら味わい深いショーを展開。セカンド・アルバム『Feels Like Home』からのチューンに加えて、グラミー賞を獲得した「Don't Know Why」も披露し、敬意に近い雰囲気をもってオーディエンスに迎え入れられている。カバーのチョイスも絶妙で、ジョン・プラインの「That's the Way the World Goes 'Round」、トム・ウェイツの「The Long Way Home」、グラム・パーソンズの「She」などが登場(「She」はボーナス・トラックのひとつとして収録。その他、2本のビデオと3本の“ミニ・ドキュメンタリー”も用意されている)。しかし、ショーが俄然盛り上がりを見せるのは、多彩な顔ぶれのゲストが現れたときだ。ギリアン・ウェルチとデヴィッド・ローリングスはタウンズ・ヴァン・ザントの「Loretta」をジョーンズと共に美しく歌い上げ、大ベテランのドリー・パートンはベーシストのリー・アレキサンダーによるブルーグラス調の「Creepin' In」をジョーンズとデュエット。特に後者は、間違いなく今回最大のハイライトだ。輝かしいオーラを放ち、エネルギーに満ちあふれて美声を披露するパートンは、まさにスターそのもの。ジョーンズもパートンに付き従う。さて、ここからが本作唯一の問題点。パートンがステージを去ったあと、ジョーンズたちはその埋め合わせをしなければならなくなるのだ。さすがの彼女たちも、これには少々手こずっている。(Sam Graham, Amazon.com)


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 前作の「ライブ・イン・ニューオーリンズ」は、ノラが超ビッグになった今では二度と見られないだろうちいさなライブハウスでの演奏が見どころだった。ニューオーリンズという場所もいい。
 それが初の映像。今回のが二枚目である。二年の月日が流れている。世界的大スターなのにまだ初々しく、貫録なんてものと無縁なのがなんともノラらしくていい。この娘はぜったいに性格がよい。それが映像からもわかる。それはとてもおおきなことだ。

6/12
ノラがニーナ?

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   ノラ・ジョーンズの『ライブ・イン・ニュー・オリンズ』を体験すると、彼女が次代のニーナ・シモンと呼ばれる理由が分かるだろう。批評家からも高い評価を得たデビュー・アルバムは、全世界で1000万枚以上の売り上げを記録。口コミで火がつき、第45回グラミー賞の受賞という輝かしい栄誉を得た。
   2002年8月にニュー・オリンズのハウス・オブ・ブルースで録音された今作品は、コンサートでの親密な雰囲気をとらえ、スターの階段を上り詰める直前の彼女の姿をとらえている。“ハー・ベリー・ハンサム・バンド(彼女のハンサムなバンド)”の演奏で、アルバムからのお気に入りの曲を熱唱するノラ。「ドント・ノー・ホワイ」や「ローンスター」から「サムシング・イズ・コーリング・ユー」や「ベッシー・スミス」まで聴かせてくれる。
   ノラ・ジョーンズの曲を、コーヒーショップでゆったりとした時間を過ごしながら聞く人もいれば、ディナーのお供にする人もいるだろう。曲間に入る叫び声などと相まって、彼女の音楽とセクシーな魅力は、中流階級を確実に、今までにない形で刺激している。これからは大きなスタジアムでの公演が増えるだろう。“イージー・リスニングの女王”としてのノラ・ジョーンズを、親密な空気の中で味わえるのは、このDVDだけかもしれない。(John Galilee, Amazon.co.uk)


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 わからん。この人の言っていることがわからん。なぜノラを「次代のニーナ・シモン」にせねばならないのか。それはアヤヤを「平成の美空ひばり」と言うぐらい的外れに思える。こういうくだらない比喩が好きな人は日本の芸能評論家だけではないと知った。どこにでもいるんだな(笑)。洋の東西を問わず。

 ニーナ・シモンの音はたんともっているが映像はない。しかしそこはネット万能時代、映像すらも手に入ったので、ニーナ・シモンを勉強し直した。曲も聴いた。映像も見た。
 やはりへんだと思う。ノラという類い希な──使いたくないが適当なことばが見つからないので不本意ながら使うと──癒し系の天才歌手が、なぜ尖ったナイフのようなニーナ・シモンと比べられなければならないのか。なにが「次代の」なのか。まったく理解できない。なにからなにまでまったく共通点はない。この人の感覚はどうなっているのだろう。

6/10
Heartbreaker──Dolly Parton

 
 ノラの映像 ゲスト
1978年のアルバム

Carole Bayer Sager

 キャロルの曲は亭主だったバート・バカラックが 三度目の結婚
 結婚していたのは1982-91なのでこの曲は関係ないか。
「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」「映画ミスター・アーサー」のテーマ曲 クリストファー・クロス 共作になっている。というバカラックは二度目の女房と1980年に離婚、81年にこの大ヒットがあって82年にキャロルと三度目の結婚だから、この仕事がきっかけなのか?





6/15
White Stripes 二人組みの兄妹バンド








9/20

 B's ロック殿堂入り!

 B'sがアメリカのロック殿堂入りをしたそうだ。CD売り上げは1位のビートルズから数えて世界で7番目。7500万枚とか。

 私からすると、一曲も知らない人が殿堂入りしたという初めての事態が起きた。なんとも奇妙な気分である。殿堂入りしている人やグループはみな聞き飽きるほど知っている人たちばかりだ。なのに今回殿堂入りした7500万枚もCDが売れているというB'sの曲を私はまったく知らない。しかもそれが言葉も知らない異国のグループならまだしも日本なのである。

 私の生きている世界にB'sの音楽は流れてこない。それでも七八年前だったか、品川の住まいの近くに<TSUTAYA>がオープンしたとき、私は彼らのアルバムを何枚か借りてきた。記録的な売り上げを誇っていると聞いたから勉強しようと思ったのだ。一週間借りていて、CDからカセットテープにも落とした。CDやMDではなく、たしかにカセットテープだったからもう十年前かもしれない。そのテープはクルマにも積んでいた。なんどかクルマでも聞いたのだろう。でもそこから私が口ずさむ歌は出なかった。

 いつも世の中の歩調に併せていたいとは思わない。若者は自分たちだけの世界を作りたがり、そこに入って来られない大人を軽んじる。哀れむ。若いときの私もそうだった。だけど齢を重ねると、そんなのどうでもよくなってくる。若者は年寄りを哀れむが年寄りにもまた同じ感情があるのだ。何故ならどんな年寄りにも若い時分はあったのだから。無前提に若さを礼賛するのは充実した時間を送ってこなかった人だけだ。

 私には私の音楽世界がある。だからB'sの曲を一曲も知らないことを嘆いたりはしない。それはそれで割り切る。問題はその他は全部知っていることだ。私が異常なのではあるまい。だってここに入る人やグループは、どんな形であれ誰もが口ずさめるようなヒット曲をもっている。もしもここを読んでいる人の中に大のB'sファンがいたなら(いるはずないんだけど)、「B'sのヒット曲? あれも、これも、それからあれも」と立て続けに曲名をあげるかもしれない。でもそれは大ファンのあなただからであって彼らの音は世間一般までは届いていないのだ。

 世界第7位の7500万枚という偉大な数字。日本国民でありながらそれをまったく知らない私のような存在。
 これはCDを子供が小遣いで買える豊かな日本が生み出した数字のマジックだろう。
 私が学生のころ大学生でもまだ好き放題にレコードは買えなかった。ひとりがビートルズを買い、ひとりがストーンズを買って、交換して楽しむような時代だった。いま小学生でもアルバムを買う。B'sの7500万枚はそういうふうに愛されたCDだ。世界各地の音楽好きがコピーしたり、くたびれたジュークボックスから流れてきて人の心をいやした音楽ではない。

 すっかり時代に取り残されてしまったと嘆くのは、そういう売り上げベストテンを見て、知っているのが何一つなくなったときでも間に合う。すくなくとも今の私はB's以外は全部知っている。

 いやほんとうは、私は早く世俗的なことから離れた「村はずれの狂人」に成りたいのだ。高島俊男先生はおそらくこのベストテンを何一つ知らないだろう。いやビートルズやプレスリーの名前ぐらいは知っているとしても。むしろ私は早くそっち側に行きたい。でも世俗的に生きてきたからそうなるのもむずかしい。かといって今更B'sの曲を覚えて全部知っている、となるのもむずかしい。ハンパである。気に入らん。
 


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