2006
4/12

 ラビィ・シャンカールを聞く──ノラの父親が売り?

 世界の音楽を聴くための調べものをしていた。トルコ音楽を聴きたいのだが素材がない。ネットで調べると出入りの図書館にあるようなので(こういう方面に関して図書館は強い)出かけてみた。

 ふと「インド音楽」に目をとめ、大御所のラビィ・シャンカールの1枚を手にする。その時点では借りる気はなかった。いま私が必要としている音楽は、気持ちよく仕事をさせてくれるBGMである。その点シタール音楽は瞑想世界に入ってしまうから好ましくない。
 あと、打楽器中心のアフリカ音楽は仕事にならないので敬遠である(笑)。アフリカじゃないがインドネシアのバリの音楽も同じく。

 なのにその1枚を手に、しばし感慨に浸ったのは、そういうこともやがてあるであろうと思っていたことが現実に起きていたからだった。べつに不思議でも何でもない。ごくふつうのことだ。CDジャケットにこう書いてあったのだ。

実娘、ノラ・ジョーンズの世界的活躍によって再注目されている、シタールの巨匠、ラビィ・シャンカール

と。
 ノラの活躍によってシャンカールと結びつけるCDが出るであろうとは思っていたが、すでにもうこんな惹句が使われていたのだった。とはいえこれをノラのファンが手にし、「エッ、この人が父親なの!?」と喜び勇んで購入することはあるまいと思うが(笑)。そんな人は最初から知っていて探した人だろう。なにも知らない人がシャンカールのCDを手にして……ということはあり得まい。第一置いてある場所が全然違う。

 その後にはこう続く。

活動65周年を迎えた彼の、1970年代後期から80年代初期に録音された代表的ナンバーの初ワールドメイドCD化です。

 ノラが生まれたのは79年3月30日である。ラビィ69歳の時の子供だ。「生後すぐに別居」とされているから詳しい状況は知らないが、お腹に中にいるころは父が隣にいたのか。これはそのころ作られた音楽である。ガンジーに捧げられた一作だ。売らんかなとはいえ、そしてまたどんな形であれ、すぐれた作品が売れて世に出て多くの人に聞かれることはよいことだから、これはこれで賛成である。

 とはいえ、シャンカールのこの時代の音楽が「ノラの父親」として売られることには、なんとも複雑な思いがする。まだノラは影も形も存在していない。
 でもそれは一応両方を知っているからであって、シャンカールファンがノラを知ればそれはそれでうれしいし、それよりも、ノラのファンがノラの父親ということでこのインド音楽に興味を持ったなら、やはりうれしいことだと思う。

 ノラはアメリカ育ちである。物心着いたノラが、身近に父のいない自分だが、父はインドの高名な音楽家であると知り、父の音楽を好んだことは間違いあるまい。もしも公的に「母親は一切聞かせなかった」とされているなら(なのかどうか知らないけれど)、だったらノラの音楽の深みは血の成せる業としか言いようがない。ノラの奥深い魅力にインドからの、父からの影響があるのは確かなのだ。
 その辺のことを語ったノラのロングインタヴュウはあるのだろうか。ぜひとも知りたい。

 下世話な推測だが、こんな形で育ったらファザコンになるだろう。ノラのあいする人がどんな人か、興味深い。

 かつての音楽仲間の金沢のKは、初めてノラを聞かせたとき、私のはまりこみ具合に、困ったような顔をして、「カントリーですよね」と言った。たしかにそれはどこからどう聞いても、リンダ・ロンシュタッドやドリー・パートンと同じ、魅力あるカントリーの歌手の歌声だった。それはまだ聞き込んでいないからもう一歩奥深い味が解っていない。一聴しただけではノラはアメリカの肉だ。カントリーに過ぎない。充分にうまい最高の肉だが。
 だがかみしめるほどに独自のスパイスが味を出す。ノラの尊敬する優れたカントリー歌手であり最高級のシンガーソングライターであるドリーは、アメリカ人受けするカントリー歌手の範疇から飛び出すことはなかった。
 ノラはそんなものを簡単に超えて世界的な存在になった。違いは何か。奥深いスパイスである。歌手としてのドリーはうまいアメリカン・ハンバーガーでしかない。見た目は同じでもノラにはその奥にもうひと味あるのだ。
(私の大好きなリアン・ライムスは、どうして世界的な大スターになれないのだろう。どんなに巧くても、あれはカントリーというアメリカの肉だからなのだろうか。ちょっと悩む。まあ私はカントリー好きだから、たしょう目は曇るのか。でもあんなうまい歌手はいないぞ。)

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 いやいやノラ・ジョーンズのことを書くのではなかった。お恥ずかしい。
 というわけで昨夜から私は、今も、ずっとラビィ・シャンカールを聞きっぱなしなのである。

 亡父のためにあげている線香の匂いがよく似合う。まこと幻想的な音楽である。
 この音楽が仕事のやる気を増すのか削ぐのか、結論はまだ。


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ワールドミュージックのGIF
 音楽に関して今までにいくつのカットを作ってきた。
はギターを中心としたもの。クラシックギターからアール・クルー的なものもこれでカヴァーできた。

は、ダイアナ・クラルとかノラ・ジョーンズ。ピアノ系&ジャズ系。雰囲気から女に使ってきた。

は、ギター系の音楽。フュージョンもジャズもこれにしてきた。

はこれに代表させてきた。ペットやサックスは文句なしだが、中には不似合いなものもあったろう。

は、クラシックでもジャズでもピアノ系に使ってきた。

はクラシックのストリングス系である

今回、ワールドミュージック系に使おうとこれを使った。ワールドミュージック系ってのも笑えるネーミングだが、まあそんな言いかたもあるらしい。私としては南米系やアフリカ系の音楽に関して書くときにこれを使うつもりである。
このあと何かを作るとしたら何があるだろう。それよりも前に、琴や三味線の絵を使った邦楽のGIFをひとつ作っておくべきか。


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 「ビィ」のこと
 ラヴィ・シャンカールの綴りはRavi Shankarである。カタカナで表すならRaviラヴィであろう。
 もしもヴは使わないとの決め事ならビである。「ラビ・シャンカール」で充分だ。
 なのにこのCDではじつに半端な「ビィ」が使われていた。
 上記小見出しの「ラビィ・シャンカール」とは、解説書やCDタイトルでそうなっていたからである。私が耄碌したのではない。Amazonからジャケット写真をもらってくるときにも「ラビィ」でなければ探せなかった。

 それが通例なら従わざるを得ない。他所に書いたが、「ダイアナ・クラルで探したら該当がない。英語のDiana Krallでなんとか見つけ、なぜないのかを確認したら、日本語の表記ダイアナ・クラールだった。音引きがない表現は認められないらしい」という不可解なことがあった。
 くだらんと思いつつも、彼の名が「ラビィ・シャンカール」で表記されるなら、検索しやすいようにそう覚えねばならないのである。

 しかし今日あらたに手に入れたCDでは、「ラヴィ・シャンカール」と納得できる綴りが成されていた。それで溜飲を下げたのだが、ここでまたこんがらがった。
 というのは、どう考えても今日入手した「アジアの出会い」というCDの方が発売が古いと思われるのである。音源が1978年なのだ。いや発売日は2002年だな……じゃあこっちのほうが新しいのか……ん?「ガンジーに捧ぐ」は2004年!

 ということで大発見。

 現在発売されている7,8枚のシャンカールのCDは、みな「ノラの出現によって再発売されたもの!」なのである。


 いやあこれにはおどろいた。私は上記のノラの名がクレジットされたものを見て、多数発売されているシャンカールのCDの中に、単なるキワモノとして、1枚ほどノラの名を利用したものが出てきた、と解釈したわけである。どうやらそうではないようだ。
 シャンカールのシタール音楽はほとんど売れず、みな廃盤のようになっていたところに、娘が世界的スターになったものだから、それを利用すればすこしは売れるかもと何枚かが再発売になった、が真相のようである。
 いやあこれは人見きよしのギャグ「きいてみなきゃわからんもんだねえ」をいうところだ。え~とこれは、大ヒットした「ほんとお、ちいっともしらんかったわあ」のあとのヒットしなかったギャグだから、昭和30年代半ばか。誰も知らんな(笑)。



◎マデレイン・ペルーを聴く!






 ノラ・ジョーンズがヴォーカル&ピアノで参加する新グループが登場。バンド名は“リトル・ウィリーズ”で、日本では世界発売より5日早い3月1日にアルバム『リトル・ウィリーズ』(TOCP-67910 \2,500(税込))がリリースされます!
 バンドのメンバーは、ノラ・ジョーンズのほか、リー・アレキサンダー(b)、ジム・カンピロンゴ(g)、リチャード・ジュリアン(g、vo)、ダン・ライザー(ds)の5人。2003年にニューヨークのバー“リヴィング・ルーム”で行なったセッションで共通の音楽性を確かめ合い、その後もプロジェクト的なバンドとして活動を継続。ハンク・ウィリアムスやウィリー・ネルソン、クリス・クリストファーソンのカヴァーなど、古き良きアメリカン・ミュージックをライヴで披露してきました。
 デビュー盤となる『リトル・ウィリーズ』は、ノラ・ジョーンズ主宰のレーベル“ミルキング・ブル・レコード”の第1弾作品として発売。バンド名の由来となったウィリー・ネルソンのカヴァーやプレスリーのヒット曲「ラヴ・ミー」、さらにオリジナル楽曲4曲など13曲が収録される模様です。
 大都会ニューヨークで生まれたバンドが、昔ながらのフォーキーなアメリカン・ミュージックを志向するという点が興味深いこの作品。ノラ・ジョーンズのヴォーカルとピアノも多分にフィーチャーされているので、彼女のファンはお聴き逃しなきよう!
 

『リトル・ウィリーズ』(THE LITTLE WILLIES)
 
【収録曲リスト】
1. ローリー・ポーリー(フレッド・ローズ)
2. 生きてこの世は出られない(フレッド・ローズ、ハンク・ウィリアムス)
3. ラヴ・ミー(ジェリー・リーバー、マイク・ストーラー)
4. イッツ・ノット・ユー、イッツ・ミー(リチャード・ジュリアン、アシュリー・モンロー)
5. ベスト・オブ・オール・ポッシブル・ワールド(クリス・クリストファーソン)
6. ノー・プレイス・トゥ・フォール(タウンズ・ヴァン・ザント)
7. ロール・オン(リー・アレキサンダー)
8. アイ・ガッタ・ゲット・ドランク(ウィリー・ネルソン)
9. ストリーツ・オブ・ボルティモア(トムポール・グレイザー、ハーラン・ハワード)
10. イージー・アズ・ザ・レイン(リチャード・ジュリアン、ジム・キャンピロンゴ)
11. テネシー・スタッド(ドック・ワトソン)
12. ナイトライフ(ウィリー・ネルソン)
13. ルー・リード(リー・アレクサンダー、リチャード・ジュリアン、ノラ・ジョーンズ)

http://www.cdjournal.com/main/news/news.php?nno=10450

7/17
 哀愁のラテン


 インターネットラジオから流れてきたジェシ・クックを聴いていたら、思いっきり「まとめ聴き」したくなった。ラテン系の音楽にはこんなときがある。さすがラテン系。
 というわけで集めてみたらいまぼくの持っている彼のアルバムは5枚だった。以前所属していたジプシー・キングスのアルバムは、これはもうたっぷりあるので、併せたらたいへんな数になる。

 初めてiTunesを使い始めたころ、全ジャンルからのランダム再生だと、やたらジプシー・キングスとボブ・ディランばかり出てくるのでいやになった(笑)。あとはKITAROか。これが三大ミュージシャンだった。
 アルバムが何十枚も入っているからランダム再生なのに5曲に1回ぐらいこの三大アーチストが出てくるのである(笑)。それとジプシー・キングスはやたら曲の重複が多かった。うんざりしたのはそれが原因と思う。もともと似たような曲ばかりなのにそれがいろんなVersionで出てくるものだからさすがに食傷気味になった。

 その後そういう再生はしなくなり、ジャンルを区切ったり、自分なりの「お気に入り」を作るようになった。さらにはインターネットラジオのSmooth Jazzを主に聞くようになったので、ここのところとんとジプシー・キングスともご無沙汰だった。そのSmooth Jazzからジェシ・クックが流れてきて思い出したのである。
 たまに聞くと(厳密な意味で今のジェシ・クックはジプシー・キングスではないが、まあ同じ音色だ)独特の音感をなんとも懐かしく感じた。

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 音楽的なことを離れた面でのジェシ・クックと言えば、トリノオリンピックでロシアのスルツカヤがショート・プログラムで「マリオ・テイクス・ア・ウォーク」を使って話題になった。
 女王のスルツカヤは銅メダル。なぜか転んだのにアメリカのコーエンが2位になり、結果4位になってしまったのがスグリだった。
 そのスグリも同じくジェシ・クックの曲を使っていた。情熱的で緩急があるからフィギュアの音楽として合うのだろう。
 私のATOKはこの朝鮮からの帰化名(といっても古い歴史を持つ)村主を変換できないようだ。いま辞書登録した。たぶん最新のATOKは出来るだろう。有名人好きだから。

 村主の使った曲は、アルバム「Vertigo」「Cancion Triste」とアルバム「Nomad」の「Toca Orilla」の合成なのだとか。両アルバムとも持っているが、オリンピックの時そのことはべつに思い浮かばなかった。村主が好きではないからだろう。彼女は巧いけれどこじんまりしていてつまらない。大輪の花ではない。大柄な荒川が花開いたのはある意味当然と思う。

 ジプシー・キングスと言えば、テレビの「鬼平犯科帳」のエンディングにも使われていた。鬼平ファンなら常識のようだ。私はテレビ時代劇を見ないので、偶然見かけたときはけっこう感動した。時代劇的な雪の降るシーン、京都的な街並みに見事にジプシー・キングスの音楽が溶け込んでいた。
 こういうのって選曲屋(この商売をやっている友人を何人か知っている)がどんなもんだいと鼻高々になるのか。エンディング・テーマだから選曲屋の仕事ではなく、プロデューサの口出しとか、そんな世界かも知れない。

 村主の併せ曲のことを書いていた人は大のジプシー・キングスファンであり、毎日朝から晩まで聞いているらしい。私は彼らが大好きだけれど、とてもそこまで染まるつもりはない。どんなご馳走も毎日食べれば倦きる。毎日食べて倦きることが失礼だと思うので、そうしないようにしている。
 しかし今回の場合はちょうど「餓え時」(こんな言葉があるかどうか知らないが)だったので、ひさしぶりのジェシ・クックに、首までつかっている。

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 今度はタイ音楽

 四国のtakaさんにタイの音楽をmp3にしてプレゼントしようとCDを作っていた。先日もらった『PRIDE』DVDのお返しである。
 ということで17日の午後はこれまたほんとにひさしぶりにタイのポップスを聞いた。
 なにごともひさしぶりだと楽しい。
 タイ音楽はチェンマイが恋しくなっていけない(笑)。禁欲的で地味な生きかたを今しているから、どうも享楽の日々が思い浮かんで心千々に乱れる。今頃になって蟻の生活をしているのでキリギリス時代が懐かしい。

11/17(金)  OASIS,,,,へえぇ・・・

 オアシスのノエルが来日したらしく、朝のワイドショーでその様子を報じていた。どうみてもたいしたことのない弾き語りに大騒ぎしている。眉毛の濃いいかにもイギリス人らしい顔に「ハンサムですねえ」なんてキャスターが言っている。そうか?

 それで知ったのだが彼らってものすごい売り上げを記録している怪物バンドだったのだ。と書くとファンの人から失笑されるだろうが。まあズレてしまうとこんなものである。下のWikipediaでも2005年にアルバムが1位になり「これはイギリスのバンドとしてはベイシティ・ローラーズ以来30年ぶり」なんて書いてある。すごい存在のようだ。ベイシティ・ローラーズかあ(笑)。とにかく30年ぶりなんだからたいしたもんだ。

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 私が初めて彼らのCDを手にしたのは1998年のタイだった。92年デビューで数々のヒット曲を送り込んでいたのだからこの時点ですでにずれている。バンコクのパンティッププラザでmp3寄せ集めCDを買った。このときやたら売れていて店員おすすめなのがオアシスだった。何十枚も買ったうちの1枚になる。ビートルズ路線だからタイでは受ける音楽だったのだろう。タイの若い知人にもビートルズ狂が何人もいる。ビートルズとクラプトンとイーグルスをタイ人は好む。もちろんこの場合のクラブトンはブルースじゃなくバラード系である。オアシスもビートルズ系なのだろう。

 ハードディスクに何千曲もの音楽を入れ、連続して聞けることがうれしくてたまらなかった時期だ。(この時期、まだmp3には変換せずwavのまま入れていたように思う。mp3はタイで買ってきたCDだけだった。)
 しかし彼らの音楽を聴いた記憶はない。心に残っていない。ビートルズ風の音楽であるらしい彼らを私はもう受け付けなくなっていたのだろう。なにしろ本家のビートルズも全アルバム入っていたがまったく聞かなかった。Deep Purple、YES、Bob Dylan等のアルバムも「100バーツ(300円)のCDにアルバム10枚入り」なものだから楽しみに蒐集はしたがほとんど聞くことはなかった。この時点でもう私は「歌はいらない」になっていたのだろう。ClassicとJazzばかり聞いていたように思う。

 いやそれでもその後も元ちとせとか倉木麻衣を見つけてきて聞いたりするのだから歌ものから完全撤退したわけではないようだ。要するに懐かしい音楽を懐かしがって聞く感覚はなかったってことか。
 最近もNorah JonesやCorinne Bailey Rae、Madelein Peyrouxの歌ばかり聴いているから歌嫌いではない。どうもこの辺の解釈がむずかしい。歌ものと距離を置いている私にも響いてくる歌はあるのだ。

 でもとにかく、世界的な大ヒットメーカーであるオアシスの音楽を私は(アルバムをほとんどもっているのに)まったく知らないのだった。これは日本で言うとB'sとかに似ている。彼らがとんでもないアルバムセールスを記録していると知り私はTSUTAYAで借りてきて勉強?したのだった。でもそれだけ。口ずさむ気になるものはなかった。果たしてオアシスはどうなのか。すでに結論は出ているような気もするが、今日はiTunesから彼らの音楽を流しっぱなしにしてみよう。

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オアシス (バンド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

オアシス (OASIS)
オアシス(右が兄のノエル、左が弟のリアム 2005年撮影)
オアシス(右が兄のノエル、左が弟のリアム 2005年撮影)

出身地 イギリス、マンチェスター
活動期間 1992年 -
ジャンル ロック
ポップス
レーベル クリエイション
メンバー リアム・ギャラガー
ノエル・ギャラガー
ゲム・アーチャー
アンディ・ベル
ザック・スターキー(サポート)
旧メンバー ポール”ボーンヘッド”アーサーズ
ポール”ギグジー”マクギーガン
トニー・マッキャロル
アラン・ホワイト

オアシス (OASIS) はイングランド・マンチェスター出身のロックバンド。1992年に結成。正しい読み方は「オウェイスィス」である。

ブリットポップ・ムーヴメントの代表格であり、数々の楽曲をチャートの1位に送り込む、英国を代表するロックバンド。美しく壮大なメロディーはムーブメント終焉後も人気が高い。 バンドの核となるギャラガー兄弟は、ビートルズを溺愛しており、ビートルズの『アイ・アム・ザ・ウォルラス』や『ヘルター・スケルター』などを時折演奏したり、自身の曲にもその影響が色濃く表れている。

また、ドラッグや暴力沙汰などのロックではおなじみのスキャンダルとともに、彼らの発言もまたスキャンダラスなものが多く、注目を集めている。 代表的なところでは同じ英国のロックバンド、ブラーとのいさかいがあり、これは当時のイギリスの音楽ファンを二分するほどの騒動となった。


11/18
 復活までの長い道
 ハードディスクが壊れ1万5千曲ほど入っていたmp3音楽ファイルを消失した。大事なものはDVDに落としておいたし、レンタルしたりDownloadして入手したものはCDに焼いていた。だからたいしたことはないと思っていた。8割方復旧できると。
 だがDVDから復活できたのは半分ほどだった。DVDだけで7割方はあると思っていたから半分しかないのは意外だった。とはいえもう2年も前に作ったものだから当然でもある。それはiTunesを使うようになってからのこの2年の音楽蒐集がいかに熱心だったかの証明ともいえる。思えば昨年のひとり引っ越しの時の入谷図書館とか、ずいぶんと熱心に借りては入れていたものだ。Bitcometを知ってからはネットでの洋楽蒐集に励んだ。

 まだ入れていない自分のCDも百枚以上あるし、レンタルしたりDownloadした曲をCDに焼いたものもかなりある。これを入れるのはCPU交換をしてからの作業にした。wavからmp3への変換速度はCPU能力に依る。あたらしいCPUに変換したときの楽しみに取ってある。パソコン雑誌によると今の半分の時間に短縮されるらしい。楽しみだ。
 だがそれが復活しても未復活分の半分でしかない。それをやっても1万曲程度だろう。あと5千曲はどこにいった。それはなんなのか、どこにあるのか。

 上記、元ちとせ、倉木麻衣と書いていて思いだした。レンタルしたそういうCDはハードディスクに取り込んだらそのまま返していた。そういう曲が千や二千はある。ということはもういちど借りてこなければならないのか? これは気の重いことである。
 あとBitcometで入手した「80's BestHit」なんてのも焼かないままだった。中には3GBなんてでかいファイルもあった。何百曲と入っていたのだろう。そういうのは焼いていない。あらためてせっかく蒐集したものを失った痛みを感じる。
 とはいえ私はその80'sや90'sのBestHitなんてのはまったく聞かなかった。集めることが目的になっていた。ここにおける「悔しい」とか「痛み」は単に失くしたモノに対する未練であって、冷静に考えるとたいしたことではない気もしてくる。

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 最近の私はインターネットラジオのSmooth Jazz一辺倒なので何もむきになって復活にこだわる必要はない。ほとんど聞かないのだ。ところがこうして「元ちとせ」と書いてしまったりすると急に「わだつみの木」が聞きたくなったりする。これは一種の「もっている安心感」なのだろう。あるときは聞きもしないのに……。

 ぼちぼちやってゆくしかない。とにかく「バックアップはこまめに取るべき」と再認識した。

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 ブルーレイだかHD-DVDだか、あたらしい規格のDVDがもうすぐ普及するらしい。まだ再生機でも10万円以上している。先は長い。そういえばPS3は最も安いBlu-ray DVD再生機と話題になっていた。これが普及するとバックアップが楽になる。2年前にやってからバックアップを手抜きしていたのはDVDが何枚もいるからだった。40GBのmp3ファイルをバックアップするのには10枚いる。7枚程度から手抜きしていたのはその辺が面倒だったからだ。その3枚分が仇になった。それが新規格のDVDになったら2枚程度で入るようになる。この差はおおきい。
 OSのバックアップも同じ。Vistaはデフォルトで15GBある。あれこれ入れて18GBとして、今ならDVDが5枚要る。それが新規格なら1枚ですむ。楽だ。それだけは楽しみである。

 それにしても、1.4MBのフロッピーで長年生きてきて、700MBのCDに感激し、なのにすぐに物足りなくなり、その点DVDなら1枚でCDの7枚分も! と感動したのはつい昨日のことだ。こういういたちごっこっていつまで続くのだろう。

 今時の保存の主流はHDDらしい。しかし私はそれで失敗した。HDDがクラッシュして、とっておいた音楽や映像が全滅した。この落胆は大きい。そして今回それを救ってくれたのがDVDだった。かつてはFDDでありCDだった。この「外部のメディアに保存しておく」というやり方は今までもこれからも私の主流になる。新規格DVDが普及し安くなるのはいつなのだろう。






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